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もともと涙もろい性質だった。家族愛やスポ根もの、別れや犠牲といったシチュエーションがくれば、十中八九、目を潤ませてきた。さらに、御多分に漏れず、僕も歳を取るごとに、さらに涙もろさが加速しているようである。先日は、マクドナルドの月見バーガーのCMで目頭を熱くしてしまった。父親が子育てに奮闘する。保育園で発熱した子供を急ぎ迎えに行き、最後に月見バーガーをガブッと食べて明日からも頑張ろうと決意する。そんなストーリーだったと思うが、ドラマとは違い、わずか30秒あまりのCMである。自分自身、感情の昂ぶりに驚いた。感情を制御できなくなっているのであろうか?それとも、サラリーマンや子育ての経験で強く共感してしまったのだろうか?さらに、犬とうさぎの出会いが、涙を流すジャンルを拡大した。動物ものである。ワン寿という犬のサプリメントの動画広告を見た。犬が、インタビューに答える中で、飼い主に対して感じている喜びや哀しみが如実に表れて、心が揺さぶられるのである。インタビューへの犬の応答がAIっぽいのだが、それが、また、舌足らずだけど実直な感じで、犬がしゃべったらこんな感じなんだろうな、という風で、さらに胸に刺さってくるのである。こんな映像をみたら、目の前のモヒうさぎさんにもインタビューしてみたくなるではないか!早速、インタビューを試みた。パパがお家に帰って来た時、嬉しい? ― 嬉しいれす! 嬉しすぎてピョーンって立っちゃうれす!パパにされて一番嬉しかったことは? ー うさんぽの後、パパさんがヒザの上でドライフルーツをくれたれす。パパに抱っこされるってどう? ー 捕まったみたいでドキドキしたけど、今は慣れたれす。 パパは同じ巣穴の仲間だから安心なのれす。 パパのわきの下に頭をスッポリと突っ込むと暖かいれす。パパとのうさんぽ中は何を考えているの? ー 追いかけっこかな? ホリホリかな? ダルマさんが転んだかな? パパのお腹の上に乗っちゃおうかな? とか、いろいろれす。仕事でちょっとしか一緒にいれなくてゴメンね。 ー チモシー代稼いでくるれす。でも、安いチモシーでもいいから早く帰ってきて欲しいれす。パパと長生きしようね。 ー 長生き?モヒ、獣医さんに行かないれすよ・・・。最後にパパに言いたいことは? ー パパ大好き。これからもよろしくれす!!うー、なんて、かわいくて!せつなくて!愛しいんだ!!うー、妄想しただけで、泣けてくる。広告だと思っても、思わず買ってしまうのではないか。ワン寿のみならず、是非とも、うさ寿も発売して欲しいものである。文章が千々に乱れておりますのは、僕の文章力が稚拙なばかりではありません。ワン寿の柴犬のインタビュー、そして柴犬から惹起されたモヒうさぎさんのインタビューに、心が強く動揺しているからなのであります。
2025.10.30
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あいにくの雨。うさぎを連れてにわんぽに出ることも叶わず、うさぎをナデナデしていたところ妙なことを考えた。動物占いというものがあるのなら、動物を人間のタイプにあてはめる人間占いがあってもいいのでは?さらに飛躍して、動物を日本史上の人物になぞられるのも楽しそうだ。もちろん対象は、目の前にいるモヒうさぎさんである。モヒうさぎさんの性格や行動から日本史上の人物に置き換えたら?程なく、一人の人物に思い至った。維新の三傑・桂小五郎(木戸孝允)である。まずもって、モヒうさぎさんは優しい。お尻洗いや爪切りといった大ピンチの際でも、イヤイヤはするが決して噛んだりはしない。桂さんも剣術塾頭の腕前ながら、無駄な人斬りをしなかった男である。そして、桂さんの代名詞ともいえる「逃げの小五郎」。モヒうさぎさんも、絶妙の間をとって捕まらないことにかけては、桂さんに遜色ない。「逃げのモヒうさぎ」と言っても過言でないのだ。さらに、危機管理能力。桂さんは、池田屋の変の現場から離れ、蛤御門(禁門)の変には反対して逃げ延びた。安全な庭から決して外に出ようとせず、カラスの気配を感じれば、すかさず軒下に隠れるモヒうさぎと符号するではないか。ちなみに、桂さんとモヒうさぎさんは、見た目での共通点も多い。両者とも堂々たる偉丈夫であり、凛々しい顔立ちも同じである。純粋で知的な眼差しも似ているような気がする。ということで、モヒうさぎさんを日本史の人物に置き換えると、桂小五郎ということで、結審した。ナデナデしながら、「小五郎」と呼びかけてみたところ、モヒうさぎさんは、気持ちよさげに目を細めてなすがままに任せている。あたかも「そうせい」と返答するかのように。ちなみに、「そうせい候(公)」と呼ばれるほど、藩士に丸投げだったのは、桂さんの主君である毛利敬親公だ。モヒうさぎさんにとっては、自身が殿様で、僕は臣下なのかもしれません。ここは、臣下の務めとして、ナデナデを止めるわけにはまいりませんな。ナデナデ。
2025.10.29
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別れは突然やってきた。夜半から冷たい雨が降った翌朝のことだ。車のフロントガラスには、オレンジ色の置き手紙が積もるように置いてあった。まだ周囲は、甘く柔からな香りが漂っていて、まだ君の気配が残っていた。短い間だったけど、幸福だった。朝、家を出ると角を曲がるまで、君は見送っていてくれた。振り返らなくてもわかる。君の香りがしたもの。夜、君に会いたくて家路を急いだ。やはり、角までくると君の香りがした。それだけで、リラックスして仕事の疲れが吹っ飛んだ。でも、もう君 ー 金木犀 は戻ってこない。花散らしの雨に連れ去られてしまったのだ来年の秋には、また会えるだろうか。♪さよならは別れの言葉じゃなくて♪♪再び会うまでの遠い約束♪という歌が、昔あったような。恒例になってしまった猛暑の影響が気になる。どうか、体に気をつけて、また会う日まで。
2025.10.28
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秋、それはうさんぽ(にわんぽ)に絶好の季節である。モヒうさぎさんと追いかけっこするから、少し肌寒いくらいがいい。今日ぐらいの気温なら、蚊がうるさいこともなく、ゆったりと縁石に腰かけながら楽しめるな、と思って軽い足取りで家路を急いでいたところ、頬に当たる冷たい感触。たちまち髪の毛も路面もしっとり濡れて、今夜のうさんぽは中止と相成った。恨めしげにスマホを取り出して雨雲レーダーを見ると、このあたりだけ、細ーい雨雲の帯がかかっているではないか。ああ無情・・・。「女心と秋の空」とはよく言ったもの。天気が急変する秋は、うさんぽもできるうちにしておいたほうが良さそうだ。うさんぽがなくて不満気なもひうさぎさん。うさんぽができない分、せめてナデナデを。先日、立ち読みしたうさぎ雑誌によれば耳は疲れが溜まるらしいから、重点的にナデナデしてあげる。「モヒさん、モヒさん。モヒさんの耳はうさぎにしては短いねー」と話しかけながら。モヒうさぎさんは、「そうなのれす。モヒは耳も前脚も短いからティモテできないれす」と言いたげにうつむき、「だから、パパさんがナデナデするれす」とばかりに眼を閉じてアゴを床につけた。こうしてモヒうさぎさんを撫でながら、夜が更けていく。雨降りの夜もいいものである。
2025.10.27
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うさぎは可愛い奴と思われている。メスうさぎだったらいいけれど、モヒはオスうさぎ。オスは雄々しくありたいと常々思っている。そこで、モヒは、相撲部屋に入部した。モヒの入部したヤマ部屋には、桃太郎親方がいて、クマ関や、イヌ関、キジ関がいた。クマ関は右脚だけでモヒを踏みつぶすくらい大きかったし、イヌ関も尻尾だけでモヒを払いのけそうな勢いだ。キジ関は体こそモヒと同じくらいの大きさだったが、機敏でいつのまにかモヒの真上に飛びあがることができた。モヒは、来る日も来る日も、稽古でクマ関に倒され、イヌ関に押し出され、キジ関に上から突かれた。やっぱり、うさぎはうさぎ・・・。強くなるなんて無理だった。やっぱり、元の草原で、他のうさぎ達と可愛く生きていこう。幸い、クマ関もイヌ関もキジ関も、朝の稽古でくたくたになって、眠りこけている。モヒは、ヤマ部屋から逃げ出そうと、荷物の入ったリュックを背負い、そぉーとドアを開けた。ドン。突然、なにかにぶつかった。目の前に桃太郎親方がいた。親方は、逃げ出そうとしていることには触れず、座り込んでこう言った。「モヒどん、腹へってんでねえべか」親方は、懐からアケビとイチジクを取り出した。「こんなおいしいもの食べられるんだから、俺たち幸せだ―」モヒは食べた。甘いはずのアケビとイチジクがちょっとだけしょっぱかった。親方も食べながら言った。「モヒどんの後ろ脚で蹴られたら、俺だってただじゃすまねーよ」さらに、「モヒどんのホリホリの勢いといったら。前脚のあの速さでツッパリされたらたまんねーなー」とニコニコしながら言った。そうか、うさぎはうさぎだ。クマ関やイヌ関やキジ関とは違うんだ。うさぎの武器で戦うんだ。それから、モヒは、稽古に励んで強くなった。前脚のツッパリの速射砲で押し込んで、土俵際、後ろ脚でけたぐり。これがモヒの必勝パターンだ。森の中で自信満々のうさぎに出合ったら。草原で、堂々と立ち上がるうさぎがいたら。その雄々しい姿は、きっとモヒうさぎにちがいない。モヒうさぎは、小さな大横綱になったのだ。
2025.10.26
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自分で言うのもなんだけど、僕は、ケチである。そして欲深である。そんなケチな人間の僕がサブスク商品に手を出すと、当然、碌なことにならない。かつて、散々、痛い目にあってきた。青春18きっぷでは、目的地を楽しむことより、電車に長く、多く乗ることが目的になってしまい、うどん屋さんの天ぷら定期券を入手すれば、毎日、せっせとうどんばかり食べるものだから、しまいにはうどんに飽きてしまう、という具合。そういえば、学生時代、新宿・歌舞伎町の3,000円で1年間ウィスキー飲み放題の会員券っていうのもあった。結局、お通し(おつまみ)代は取られるし、毎回、悪酔いした。きっと、入っているウィスキーはラベルとは違ったものだったに違いない。こんな具合に、サブスクの失敗談の枚挙にいとまがない。それでも、懲りずに手を出してしまうのが、欲深の業(ごう)の深さだ。今回は、東京を中心とする美術館・博物館等の入場券・割引券がセットになった、「東京・ミュージアムぐるっとパス」に手を出した。メトロの1日乗車券2枚(1,400円相当)がついて、3,300円だから、1,900円分の美術館・博物館等に入場すれば、得をすることになる。思いっきり使い倒してやろう!うっしっし、と欲深な商人の表情を浮かべて、皮算用したのだった。で、今回の結果は・・・1 井の頭公園 400円2 大倉集古館 1,000円3 東京都写真美術館 700円4 旧岩崎庭園 400円5 上野動物園 600円6 郷さくら美術館 800円7 野球殿堂博物館 800円8 千葉市美術館 300円9 葛西臨海公園水族園 700円10 永青文庫 1,000円11 新宿区立漱石山房記念館 300円 で、しめて計7,000円分の入場券を賄ったことになる。収支5,100円もの大黒字である。これだけ見ると大成功なのだが、どうにもすっきりしない。今回もサブスクの罠にはまり、楽しむよりも、得をすることに注力してしまい、オリエンテーリングのように急ぎ周ることになったからだろう。ただ、今回、改めて自分自身の趣向を知ることができたのは収穫だ。やはり、芸術や美術(絵画や書道など)は、僕には、「よくわからん・・・」ということが、よくわかった。僕自身の趣向は、生き物や歴史、景観にあるということを再認識した。次回、ぐるっとパスを入手したならば、動物園や水族館、庭園など自分の趣向に合うところをまわろうと思う。旧古川庭園や六義園、多摩動物園や地下鉄博物館、昭和館など、候補はたくさんある。これだけ回れば、また黒字だろう。うっしっし・・・。やれやれ、まだ懲りていない。サブスクの魅力には抗しがたいのである。
2025.10.25
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どうもおかしい・・・睡眠のことである。僕自身、布団に入れば、すぐに瞼が重くなる。おかげで寝床での読書はまったく進まない。朝は朝で、決まった時間まで目覚めることはない。トイレを催したくらいしか起きないのがこれまでだった。ところが、どうだ。このところ、寝入りはバタンキューではあるけれど、目覚めの方がいけない。暗いうちから目が覚めて、冴え冴えとしてもう眠れなくなってしまうのだ。かといって起きるほどの根性はなく、さりとて、改めて眠りに落ちることもできず。布団の中でモゾモゾする毎日なのだ。同じ巣穴の仲間であるモヒうさぎさんも、そんな僕の寝起きを見て、つられてすっかり早起きになってしまった。そんな中、10月20日のダイヤモンドオンラインで配信された記事を読んだ。「8時間睡眠は不健康の元凶・・・」という衝撃的なタイトルで、これは看過できない。ダイヤモンドオンライン記事 8時間睡眠は不健康の元凶 100万人調査で判明「死亡率、糖尿病・心疾患リスクが最も低い睡眠時間」記事によると、死亡率、糖尿病リスク、心血管疾患リスクが最も低い睡眠時間は、6~7時間だという。ここまでは、まあ、そうだろうな、と予想できたが、8時間以上の睡眠は、5時間睡眠と同等のリスクだといわれると意外な気がする。長く寝れば良いというものでもないようだ。アメリカの調査では、睡眠時間6~7時間に比べて、8時間以上の睡眠の層は、糖尿病リスクは3.12倍、短時間睡眠(5時間以下)よりもリスクが高いという。どうしたことだろう。原因を考えてみると、長時間寝ることで、代謝や活動量が落ちるからだろうか?長時間寝る人は、元々、不健康な状態だったり、そもそも他の生活習慣も乱れている可能性もあるのではないか?が思い浮かぶ。ただ、厚生労働省も「健康づくりのための睡眠ガイド2023」の中で、「高齢者は8時間以上寝ないように注意」とコメントしているというではないか。責任のある組織が実名で公表するといくことは、間違いのない事実だと思う。一方で、加齢によって若い頃より早寝早起きになるようだ。これは、体内時計の加齢変化によるもので、血圧、体温、ホルモン分泌など、睡眠を支える生体機能のリズムが前倒しになるからのようだ。ちょっと気がかりだった僕の睡眠の変化について、一応の結論が出た。加齢による自然のものということで、杞憂に終わってやれやれだ。それでは、ホッとしたところでお休みなさい・・・ ZZZZZ・・・・・・
2025.10.24
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出てくるなり、これは僕の知るチャーハンではないと思った。僕の知るチャーハンは、黄色かかっていて、少し黒く焦げている風合いだが、目の前のそれは米がツヤがあって透きとおっているのだ。うーん、未知への挑戦だ。とはいえ、10人待ちでようやく入店、やっとオーダーできたチャーハン。感傷にひたっているお腹の余裕はない。早速、レンゲをチャーハンの山に突き立てる。熱々の湯気が立ち上るチャーハンを火傷しないように、フーフー言いながらパクリ・・・。美味い!!これは美味い!!何か、気の利いた言葉でいうならば法悦。薄味なのだが、あとを引く味。レンゲが止まらない。さすが、食べログで100名店に選ばれるだけある。店名の「龍朋」の読みは、RYU HO。奇しくも、あの漢の初代皇帝にして、中国史上最も有名な偉人ともいうべく、劉邦と同じなのだ。言われてみると、気さくでありながら奥深い味は劉邦さながら。中国皇帝の味ともいえるかもしれない。満足して、店を出ると行列はさらに伸びていた。店先の大きなザクロの樹には立派な実がなっていた。ひょっとして、隠し味は・・・。企業秘密に違いない。
2025.10.23
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すっかり涼しくなった朝。玄関を開けると金木犀の甘い豊かな香りが鼻孔をくすぐる。門柱の隣にすくっと立つハナミズキの大きな葉も赤みを帯びている。いい気分だ!気持ちよく秋の装いを満喫していたところ・・・奴の姿が目に入った。三角形で突起のように葉や樹皮になりすましてやがる。まるで、レーダーをかいくぐるステルス攻撃機のような。でも、レーダーは見過ごしても、僕の目はごまかせないぞ!奴の名はチュウゴクアミガサハゴロモ。急速に生息域を拡大している外来種の昆虫で、樹や果実の汁を吸い取って病気を引き起こすという、とんでもない奴だ。先日、秋の道沿いで見つけて、マークしていたのだ。チュウゴクアミガサハゴロモに果たし状ここで会ったが百年目。さっそく握りつぶしてやろうと思ったが、弱気にも素手での対応に躊躇し、ティッシュの上からと弱気になっていたら、気配を感じた奴は飛び去ってしまった・・・。しまった・・・。数時間後、帰宅するとハナミズキの樹の下の蜘蛛の巣に、奴が2匹、引っかかっていた。でかした!見ると、大きな女郎グモが、まさにそのうちの1匹にしがみつき、食べようとしているところであった。蜘蛛を家の中や庭で見つけても、放置したり外に逃がしたりしてきた。蜘蛛は、蚊やハエ、ダニなどの害虫を食べてくれるというし、何より、蜘蛛は神仏の使いだと聞いていたから。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のイメージなのだ。ひょっとしたら、業の深い僕も、カンタダのように蜘蛛に救われるかもしれない。蜘蛛が一本の糸を伸ばして救い出してくれるかもしれない。そんな思いもあるのだ。お陰で、この日、我が家の北門のシンボルツリーたるハナミズキを、奴の魔の手から守ることができた。蜘蛛の恩返しだったかもしれない。我が家の女郎グモの糸は一本ではなく、何本もの糸で同心円を描き、ビッシリと巣を作っている。相当に恩を感じてくれているのであろうか。心強い限りである。
2025.10.23
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夜の会合に向けて市川駅に降り立った。折角だから、市川駅のタワマンにあるアイリンクタワーなる展望台に昇ってみた。実は、おのぼりさんの僕。スケスケのエレベーターに乗るところから気分がノリノリ。同乗した小さなお子さんの歓声に、大人の余裕として笑顔で応えるが、実は、お子さん並みに、いやそれ以上の歓声をあげたかった。エレベーターに1人で乗りたかったと思わないでもなかった。展望は思った以上。45階という高さに加えて、周りが開けているところがいい。蛇行する江戸川が東京湾に流れ込む感じ。川がまさに生きていることを実感。日本三大暴れ川の利根川水系の力を見せつけれられた。それに、昔の国府だっただけに、古い街並みが理路整然としていて、うーん・うーんとうならされた。そして、総武線の線路が船橋方面に定規で引いた線のように一直線に伸びていることにも驚いた。言われてみれば、市川から先、快速のスピードが上がっているような気がする。北海道の道路のようなこの線形なら、スピードも出るに違いない。いやはや面白い。市川市の年表もあって興味深い。万葉集に詠われたという、真間の手児奈(てこな)という悲劇のヒロインの話を初めて知った。下総の国府があったくらいだから、奈良時代はこの地方の中心だったのだろう。さらに下って、日蓮や国府台合戦、江戸開府後の塩浜塩田の話も新鮮だ。時間を忘れるほどの魅力的なスポット。思わず、会合に遅れるところだった。今度は、夕暮れ時から夜景にかけて見にきたい。
2025.10.22
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白いまっすぐなものは、フローリングから浮かび上がるように光り輝いて見えた。僕の髪にも白髪が混じってきたが、その白くまっすぐなものはコシとツヤが違う。また、細くしなやかなモヒうさぎさんの体毛とも明らかに違う。釣り糸にしたら、ちょっとした魚が釣れそうな太さと硬さなのであった。「こ、これは・・・」僕は、そのモノを手にとり、目の前にいるモヒうさぎさんの頬のあたりに充ててみる。そのモノは、モヒうさぎさんの他のヒゲたちと一緒になると、秋のススキ原のごとく調和した。間違いない、これは、モヒうさぎさんのヒゲに違いない。以前、NHK「美の壺」という番組で、「跳ねて幸よぶ うさぎ」というタイトルの放送を見た。番組では、うさぎさんが、五穀豊穣の象徴として、あるいは、後ろに下がらない勇気の証として、うさぎさんが崇められていた。そして、鳥取県八頭郡八頭町の西橋寺の白兎は、魔除けとして敬われていると紹介されていた。鳥取県八頭郡八頭町は、我が祖父の出身地なのである。うさぎとの縁を感じずにはいられなかった。そんな僕に、うさぎのヒゲが下されたのである。はっ、はっはーこれは、もう、両手で頭の上に高々と掲げ、恭しくいただくのである。そして、八頭町の白兎様にちなみ、うさぎのヒゲは魔除けのお守りとなった。翌日、魔除けのお守りたるうさぎのヒゲを、職場のディスクマットの中に入れ、手を合わせた。「仕事がうまくいきますように」「どうか、災難が降ってきませんように」そして、うさぎのヒゲのご利益が、僕だけでなくグループ員に広く及ぶよう、皆にも祈願を呼び掛けた。まさに、その時・・・他所属の部長さんが、我がグループにもの凄い剣幕でやってきた。我がグループの取り組みについて、「事前の説明を聞いていなかったぞ!」、「そもそも、方針がないぞ!」と、凄い剣幕であった。僕はじめ、グループ員は皆、下を向いて俯いた・・・。部長さんが言うべき事を言って立ち去った後、嵐の後のように、グループ員はしょんぼりと放心していた。そして、口々に僕をなじった。「うさぎのひげ、ご利益ないじゃないですか!」僕は答える。「うさぎ様のヒゲがあったからこそ、あれぐらいで済んだんだ」思えば、部長さんのご指摘はごもっとも。貴重なアドバイスで、今ならまだ修正して取り戻せる段階だ。やはり、うさぎさんのご利益はあったのだ。その後も、うさぎのヒゲは僕のディスクマットの中で僕たちグループを見守っている。僕は、今もうさぎのヒゲパワーを信じている。そして、パワーを増強するために、新たなうさヒゲがないか、ゲージの周りの点検に余念がない。そんな僕をうさぎさんが、不思議そうに眺めていた。
2025.10.21
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京都高山寺に伝わるという「鳥獣戯画」。もちろんホンモノを見たことはないけれど、生き生きとした動物が人間のように振る舞う愛嬌ある姿に惹きこまれる。中目黒の郷さくら美術館で、そんな鳥獣戯画に着想を得た作家達の作品展が開かれているというので、やってきた。竹内浩一さんの絵画は、どこか幻想的だけど、動物たちが生き生きと弾んでいる。「戯画 雨中鯰図」は夜行性の鯰(ナマズ)たちが、スッポン亀を囲みあたかも遊んでいるよう。そして、白ウサギたちが、そんな水の中のことは無関心に飛び跳ねているところがいい。「戯画 猿来迎」は、来迎図の阿弥陀さまの代わりを猿がつとめている。神妙な猿の表情が可笑しい。「戯画 釣り名人」も面白い。釣り糸を垂れる猿の背後を、魚を獲るのが得意そうなアオサギがお手並み拝見という表情で見ているのだ。平子真理さんのダチョウに乗った猿のレースは、ニンマリしてしまう。必死にしがみついている猿や、落馬ならぬ落鳥して、無念そうな猿の姿に、思わず微笑んでしまう。武蔵原裕二さんの「一〇八匹犬図ー走ー」も、楽しそうな犬たちに、口元が緩む。特に、柴犬好きなので、柴犬の表情に注目だ。動物たちの一生懸命な姿に和まされた。きっと、この作家たちは動物たちが好きでたまらない人たちなんだろうな、と思った。僕も、動物を好きなことにかけては、人後に落ちないが、いかんせん絵の才能がない。残念だが、見て楽しむしかない・・・。
2025.10.19
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台風22号と23号に挟まれて迎えた3連休。どんよりとした雲に覆われ、時々、雨が降るあいにくの天気だったが、早起きしたりで雨を避け3日とも走ることができた。涼しくなってきたが1kmも走れば汗ばむ。ランニング時の体感温度は気温+10℃というのが僕の心得。気温20℃だとしても、ランニング中の体感は30℃になるのだから、Tシャツではなくまだまだノースリーブ・ランニングシャツの出で立ちだ。とはいえ、風景は確実に秋になってきている。彼岸花、コスモス。今年のカキは豊作だろうか。一本の木でよくもまあ、と思えるくらいにたくさんの豊かな実をつけている。藪の中では、リーンリーンという鳴き声がする。鈴虫だ!コオロギのコロコロとも、キリギリスのギースチョンとも違う、鈴虫の鳴き声は、少しもの悲しく、気品や風情がある。鈴虫が愛される理由がわかった気がした。今年は猛暑だったのに、こうして植物や生き物たちがカレンダーどおりに10月の装いで登場してくるのはどうしたことだろうか。彼らは、気温でなく日照時間なりで計って舞台にあがるのか?不思議である。そんなことを考えていたら、村田川の桜(河津桜?)がチラホラと開花していた!びっくりである。桜は2月1日からの日平均気温の合計が400℃、日最高気温の合計が600℃に達すると開花すると聞いたことがある。猛暑の影響だろうか?周囲が秋の装いに変化する中で、番組を間違えて出てきた役者のような気まずさを感じないでもない。場違いな狂い咲きであった。走る哲学者といわれる人がいる。古くはアベベ・ビキラ、最近ではエリウド・キプチョゲ。彼らトップアスリートだけではない、市民ランナーでも、走ると様々なことに思いを巡らせ、考えをふくらませる。良い発想が浮かぶのは、三上(さんじょう)といわれる。三上とは、馬上、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)だが、現代の馬上とは走上もしくは路上なのだろう。ただ、悲しいかな。走り終わると、良いアイデアが思い出せないのはどうしたことか。ランニングの魅せる幻に踊らされていたのか、単に記憶がどこかにいってしまうのか、謎である。
2025.10.14
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めっきり涼しくなってきて、モヒうさぎさんの活性もあがってきた。だから、うさんぽ時間も、約束の30分を過ぎても、まだまだ庭に残りたがる。ただ、納得しないモヒうさぎさんを確保する(捕まえる)のは至難の業だ。モヒうさぎさんは、僕の手が届かない間合いを確実に掴んでいる。僕の手が届く範囲にいる時は、いつでも逃げられるような態勢でいるからだ。かくして、確保しようとする僕と、まだまだ遊ぼうと逃げるモヒうさぎさんの捕り物帖が繰り広げれる。それは、微妙な間合いを巡って対峙するボクサーのように、モヒうさぎさんと僕の真剣勝負だ。モヒうさぎさんは、僕の足元を八の字ダンスで回る。その軽快な動きは、あたかも、蝶のように舞い、蜂のように刺す、といわれたモハメッドアリのようだ。であれば、こちらは、異種格闘技戦で、寝転がってアリキックを連発した、アントニオ猪木だー、だー、とばかりに、ベランダの上で寝そべる。モヒうさぎさんは、僕が死んだと思ったのか、心配して僕のお腹の上に乗って来て、あえなく御用となった。本日のうさんぽ、38分32秒、死んだふり作戦で、アントニオ・僕の勝ちだ! イチ・ニー・サン、ダー!モヒうさぎさんをだまして後ろめたくはあったが、確保できて良かった。モヒうさぎさんは、悔しそうに、僕の脇の下に顔を埋め、家の中に戻っていったのでした。但し、かしこいモヒうさぎさんに、二度と死んだふり作戦は通用しまい。明日以降の確保は、モヒうさぎさんと一緒にホリホリしてドサクサまぎれに捕まえるとか、あるいは、油断して休んでいるところを、上から段ボール箱をかぶせるとか・・・。僕とモヒうさぎさんの捕り物という名勝負は続く。
2025.10.13
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笹川スポーツ財団が発表した運動実施状況調査「スポーツライフ・データ2024」によると、ランニング人口が大きく減少しているという。20歳以上で年1回のジョギング・ランニング実施率は7.4%、推定758万人で、過去最高だった2020年と比べて2.8%減、人数で約300万人もの減だという。2020年以降の急落ということだから、やはり原因は新型コロナウイルスの影響だろう。不要不急の外出を控えろと言われ、ランニングすることもためらわれたし、感染防止でマスク着用が必然の中で、マスクをしてまで走る気にもなれなかった。そして、その間、ライフスタイルも大きく変わってしまった。ステイホームと相性が良かったのは、SNSや動画視聴は魅力的な娯楽だ。ランニングとその他の娯楽はトレードオフにある。1日は24時間と決まっている中で、他の魅力ある娯楽に押されているということだろう。確かに、ネットで観る映画や動画は、時に時間を忘れるほどだ。一方のランニングは、着替えて準備運動して、出るのに少しばかりの決意がいる。それでは、実際に走り出して1kmもすると、やっぱり走って良かったと思える。ランニングはジワジワと快楽が広がっていくものなのだ。そして、走り終わった後の満足感も高い。ちなみに、走り終わった後の一杯も魅力だ。僕自身も、コロナ後は大会に出ることもなくなったし、走る距離も減ってきた。それでも、ランニングがない人生は考えられない。例え、マイノリティになっても、ランニングを続けていこうと思う。
2025.10.12
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野暮用で近くに行ったついでに上野動物園に行ってみた。動物園に入ってから、「しまったー!」と思った。だって、動物園といえばFamilly orientedな雰囲気に決まっている。50を過ぎたオジサン単独では、完全なアウェイだろう。上野動物園といえばジャイアントパンダだろうが、そんなひけ目を感じて、まずは、白熊やトラといったところから見て回る。ところが、案に相違して、動物が好きでたまらないというオーラを発して一眼レフを向けるコアな動物園ファンがいるではないか!!アウェーな雰囲気が薄らぎ、勇気が湧いてきて、いざジャイアントパンダに挑戦!さすがにジャイアントパンダは人気者だけあって、レイレイ(メス)を見るには30分待ち。ようやく見ることができたレイレイは、お尻をこっちに向けて木に寄りかかって寝ているではないか。その姿は、飲み過ぎたサラリーマンが電車待ちの駅ベンチで寝ているよう。ジャイアントパンダも結構、大変なのかもしれない。なんだか、親近感が湧いてきた。一方、双子のシャオシャオ(オス)は広い庭に出て回ったり、サービス精神旺盛でエネルギッシュ。同じ双子でも違うものだなー、と感心。そして、動物園というからにはウサギもいるに違いないと、係の人に聞いたところ、子ども動物園の一角にいるとのこと。子ども動物園・・・。またしても、50のオッサン単独で行くには危険なゾーンだが、ウサギさんは気になるし、それにウサギ飼いとしてウサギさんに挨拶することは責務であろう。大好きなウサギさんを見られるという期待と、子どもばかりの中でうまく溶け込めるだろうかという不安を胸に、子ども動物園に向かう。いた!グレー色のうさぎさん!我が家のモヒうさぎさんのように、ちょっと太めで親近感が湧く!動物園だけに、アナウサギから派生した正確な名前で案内されている。ところが、このグレーのカイウサギ君、なかなかの芸達者なのだ。ホリホリをして、ちびっ子たちの喝采を浴び、さらに、気を良くしたのか、必殺ゴロンから白い腹を見せた。ウサ飼いにとっては常識でも、急なゴロンにちびっ子たちもびっくりしたことだろう。ちびっ子たちが、「病気なのかな?」、「死んじゃうの?」と目を白黒させて見入っていたので、思わずオジサンが、「うさぎが横になる時はいつもゴロンなんだよ」と解説してしまった。ちびっ子たちは、すっかり夢中になってグレーのカイウサギ君にがぶりついて見ている。近い将来、カイウサギ君が、ジャイアントパンダに並ぶ、上野動物園のスターになる可能性を感じた。上野動物園の関係者の皆さまには、どうぞ、カイウサギさんのより一層のショーアップをお願いしたいものだ。
2025.10.11
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秋の道沿いにすくっと立った立派なひまわりの花が咲いている。青い空をバックに、その大輪の花をスマホでパシャリと撮っていたところ、葉の茎のあたりに茶色の突起がいくつも付いていることに気づいた。枯れているのかと思って、手を近づけたら、突然、バタバタと飛びあがった。びっくりした。思わず手をひっこめた。その時は、蛾かと思っていた。翌日、たまたま目にした「生物多様ちばニュースレター№87」を見ていたら、茶色の蛾らしい画像が目に留まった。「あっ、昨日の!」と思い至った。解説によると、チュウゴクアミガサハゴロモという中国原産の外来種。カメムシ目・ハゴロモ科に属するというから、カメムシの仲間なのだろう。姿は蛾に近いのだが、カメムシとはどうしたわけか。もっとも、セミやアブラムシもカメムシ目らしいので、カメムシ目は昆虫界の大派閥らしい。昆虫界で総裁選があったら、カメムシ目から選ばれるかもしれない。千葉県内では、2023年に印西市で初めて確認されたというから、まだ新参者。にもかかわらず、秋の道のひまわりにもびっしり寄り添うようについていたから、ここおゆみ野でも急増しているに違いない。デビュー3年目にして、恐るべき繁殖力である。さらに・さらに、幼虫から成虫まで、果樹や街路樹の汁を吸って、病気を引き起こすというトンデモナイ奴だというではないか。我が家のブルーベリーが枯れたのも、コイツのせいではないだろうか?今度、庭で会ったらただではおかないぞ!心の中で果たし状を叩きつけたのだった。
2025.10.10
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世が江戸から明治に変わろうとする中、江戸城に居座る旗本・的矢六兵衛。奇異なことに、この六兵衛、一切、口を開かない。六兵衛の正体は、居座りの目的は何か、というストーリー。ただ、六兵衛の正体は、旗本株を買った俄か侍でしかないし、居座りの目的も、最初からある程度、目星がついている。むしろ、ストーリーそのものよりも、信念を貫きとおそうとする徹底した美学に惹きこまれた。主演の吉川晃司は、若い頃のヤンチャぶりが凄まじかった。あの紅白歌合戦で、ステージ上に油を撒き、火をつけたのは、今も忘れられない。歌番組で、プールに向かってバク転して飛び込んだこともあった。ところが、このドラマの吉川晃司は、どうだ。最後の最後までセリフがない中で、目でモノを言う演技には凄まじさすら感じた。ヤンチャなツッパリの先輩が、いつの間にか、経済界だか政界だか、いやもっと得体のしれない世界で何かしらの大物になったような貫禄。後輩(?)として、ちょっと嬉しい。ラストになって、それは、新しい時代にバトンを渡すという儀式を成し遂げた者として退場する。はじめて的矢六兵衛が、気心の通じ合った尾張藩士・加倉井に向かって、口を開く。「世話をかけ申した、許せ」「もの言えばキリがない、しからば、体にモノ言わせるのみ」と、お互いの刀を交換する。名場面である。
2025.10.09
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寿司屋にあるような魚についてはほとんどわかるし、庭や公園にいる虫も大抵見分けがつくが、樹木や花の名前には、とんと自信がない。そんな僕が知る数少ない樹木の一つが百日紅だ。子どもの頃、毎日のように遊んでいた親友の家にこの木があった。友達が「サルでも滑ってしまうからサルスベリ!」と得意気に言っていた。見ると、確かに滑り落ちるほど滑らかだ。これなら、サルも登れまいとばかりに記憶に残ったのである。当時、知っていた植物といえば、チューリップ、ひまわり、朝顔、桜・・・、その程度だったのではないか。子ども心に、それら、メジャーな植物に混じっていたのである。この夏の猛暑。おゆみ野でも、照りつける太陽に百日紅の赤い花がひときわ映えた。有吉貝塚公園から扇田小学校に下っていく道には、百日紅が両脇に派手に花を咲かせている。自転車で、百日紅を眺めながら、ゆるやかな坂を下っていく時、坂の下に南の澄んだ海があるような気がしてくる。百日紅のコロンのような強い香りが、想像を駆り立てるのだろうか。10月に入っても、中の道の百日紅は相変わらず、華やかな存在感を放っていた。まだまだ暑い気候が続く中、百日紅が街の風景に溶け込んでいる。
2025.10.06
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大好きな三谷幸喜さん脚本。しかも、自叙伝のドラマ化ということで、この秋、一番注目しているドラマだ。で、この週末、お気に入りのコーヒと大好きな菓子パンを用意して、満を持してTverのスタートボタンを押した。たくさんの登場人物による群像劇、そして劇団らしいセリフまわし。このあたりが三谷作品らしさだろうか。菅田将暉 小池栄子、市原隼人、菊池凛子、市原隼人、そして坂東弥十郎まで。どこかで見た面々ばかりではないか。鎌倉殿の十三人の同窓会のような雰囲気なのだ。やっぱり、好み、馴染みの役者さんを起用したくなるものだろうか。冒頭、登場人物の多さと脈絡のないストーリーに混乱したが、そこは三谷先生。徐々に登場人物同士が関係していき、八分坂通りの人間模様が徐々に理解できていく。こうして、伏線を回収していくところ、さすがである。この先どうなるのだろうか、主人公の久部が、八分坂通りの人々たちの人生模様にふれ、才能を覚醒し成長する物語なのではなかろうか。早くも、この先の展開をあれこれと考えさせられる。第1話にして、三谷マジックにかかった。
2025.10.05
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「名物にうまいものはなし」というけれども、半分本当、半分ガセだと思う。確かに、食生活が変化し好みの味覚も変わる中で、相変わらずの味では現代人の嗜好には沿えない部分もあると思う。それでも、どっこい、変わらぬまま続けられるというのは、ホンモノということではなかろうか。名物といわれるものには、やはりキラリと光る魅力があるはずである。実家から南関あげというものをいただいた。どうやら熊本の名物らしい。揚げ豆腐のようなのだが、まず、その大きさに驚いた。キツネ色のそれは、A4判に見紛うばかりの大迫力。イ草の生産地である熊本から、一畳あげとでもいえそうな大きさなのだ。どうやって食べたらいいのか、少し途方にくれていたところ、メーカー(塩山食品)のHPでレシピがいくつか紹介されていた。その中から、南関あげのつゆだく丼に挑戦。南関あげの半枚をザク切りし、スライスしたタマネギ半玉を、めんつゆで3分間煮込んで、最後に卵2個分でとじる。親子丼のような、やさしい風味。つゆだくだったので、途中からスプーンで。タマネギやめんつゆの風味を、大迫力の南関あげが思いっきり吸い上げているようだ。美味しい!名物にうまいものあり!名物の底力を感じた。ごちそうさまでした。
2025.10.04
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