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寛容と希望 未来へのメッセージ (多田富雄コレクション(全5巻) 第5巻) [ 多田 富雄 ]価格:3300円(税込、送料無料) (2023/2/28時点)楽天で購入多田富雄先生と言えば免疫学の世界的泰斗で千葉大、東大の教授を務められ能やエッセー、小説なども書かれた先生である。東大教授定年後しばらくして67歳の時脳梗塞になり右半身不随で嚥下障害になり口から食べられなくなり、声も出なくなったがリハビリに励み左手で文字を書き、文字入力しながらそれを声に変換して講演も行ってきた。脳梗塞発症後、約10年間病気との格闘の途中で前立腺がんにも襲われて76歳で生涯を閉じたが、その業績はあまりに偉大で、残して下さった教訓は多い。その中のエッセー集「寛容と希望」の中の「人それぞれの鵺(ぬえ)を飼う」を読ませて頂いた。鵺というのは伝説上の怪獣で頭は猿、手足は虎、体は狸、声は虎鶫の鳴き声に似ている。虎鶫(とらつぐみ)はスズメ目ツグミ科の雀に似た鳥で夜ヒョーヒョーと口笛を吹くように鳴く。 本編の内容は千葉大学医学進学過程に入学した多田と同級生関沢、秦、そして関沢の小石川高校時代の同級生土井の交流物語である。当時は医学進学過程の学生がすべて医学部に進学できるわけでなく2年修了した段階で医学部の試験があり、それに合格した者だけが医学部3年に進学できるシステムであった。関沢は小児まひの後遺症で足が不自由で松葉杖をついていたが富山県の大病院の御曹司でお金はふんだんに持っており当時はまだ売春禁止法が施行されていなかったので、学生の身でありながら秦、土井を従えて毎夜のように遊郭に繰り出していた。大学にも殆ど出席しなくて勉強もしていなかったので恐らく2年修了時の医学部試験には多田もあまり勉強していなかったので関沢、秦、多田の遊び仲間は全員不合格だろうと思われていた。特に秦は女好きで遊郭の女性だけでなく看護婦や事務員、大学食堂で働いている女性等次から次にものにしていた。挙句の果ては下宿のおばさんまでものにしてしまったというから相当の者だったと思う。医学部試験の結果は関沢、秦は不合格で誰もが納得する結果だったが、多田も自分では不合格だと思いその次のことを考えていたが、幸運にも合格していた。その違いが彼らの進路の明暗を分けた。多田は遊郭にこそ入りびたりにならなかったが関沢達との仲良し遊び仲間だった。その仲良し4人組の将来はどうなったのであろうか。多田は世界的な免疫学者になったが、土井は大学卒業後フジテレビに就職したがフジテレビの屋上から飛び降り自殺してしまった。秦も若くして脳出血で亡くなってしまった。関沢は両親の期待に添わず医者にならずにドイツ文学科に入学するも中退して遊興していた。そのころ大黒柱の父親が若くして亡くなってしまった。広大な敷地を有する病院は後継ぎがいないことで閉院することになり、土地を売ったお金で関沢は様々な事業を行ったが、いずれも失敗した。結婚して子供3人生まれたが8年後には離婚している。多田は土井、秦、関沢、そして自分の4人はそれぞれの鵺を飼っていたのではないかと思った。鵺とはその人にとりついてその人の意に反して暴れまわるものだが、土井も秦も内なる鵺に振り回されていたが、鵺が死んだとき自らも死んでしまったのではないかと思った。関沢は小児麻痺による障害のコンプレックスを表には出さなかったがそれは巨大で、鵺のように暴れていたのではないかと思われた。多田自身についていえば医学部試験の時はっきり医者になるという目標が定まっていなかった。合格したいという強い気持ちがなく、関沢達と遊んでいて受からなくてもいいと思っていた。しかし幸運にも合格してその時に、社会に役立つ研究をしようという鵺が入り込んでその鵺に動かされて大きな研究を続けることができたのではないかと思う。人それぞれが鵺を飼っていてそれで自分が滅びることもあるし、高みに連れて行ってもらえることもあるのだなと思った。良い鵺を飼うにはどうしたらよいかが人生の大問題なのだなと改めて思った。
2023.02.28
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3月12日から始まる大相撲春場所の番付で先場所十両で14勝1敗で優勝した朝乃山が幕内に上がれるか期待がかけられていたが十両の筆頭止まりで幕内には上がれなかった。幕内になれば優勝候補ナンバーワンで大相撲が大いに盛り上がったと思われるが残念でならない。朝乃山はコロナ感染防御規約を破ってスポーツ紙記者と外食したこととそれを隠そうとして嘘を言った罰として3場所+3場所の合計6場所出場停止処分を受けた。相撲協会で規約を作ったのにそれを破ったことはいけないがその罰が力士の命である土俵に立てない期間を6場所(1年間)も奪っていいのかと思った。罪が重すぎるとして嘆願書や署名が何百万も集まったとのことだが協会はそれを無視して途中出場を認めなかった。朝乃山は偉いと思う。馬鹿々々しくてやっていられないとも思ったかもしれない。しかし相撲をやめてどうやって生きていくのかも問題で、踏ん切りがつかなかったのだと思う。気持ちはすさんでいたと思うが、途中で気持ちを取り直し序二段、十両を勝ち抜いてきた。その精神力と稽古は素晴らしいと思う。今の相撲界は横綱照ノ富士は休場中、先場所優勝の貴景勝は安定感に欠ける。前大関の正代、御嶽海は大関復帰は絶望的な状況だ。これからの大相撲を背負っていける力士は朝乃山しかいない。今度の春場所幕内に復帰したらきっと優勝したと思うのに残念でならない。内外の重圧に耐えてここまで何とか頑張ってきたが、今度幕内だと思っていたのにその夢を閉ざされ、がっくりきて糸がきれなければと願う。ここまで来たのだから、もう一回仕切り直しをして、春場所で十両連続優勝して幕内に戻り、大関、横綱になって頭の固い無慈悲な協会幹部を見返してもらいたい。春場所は朝乃山の幕内での活躍を夢見ていたが、それは叶わぬ夢になってしまったが、挫けずに頑張ってもらいたいと祈っている。
2023.02.27
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新版 日蓮の思想と生涯 [ 須田晴夫 ]価格:3850円(税込、送料無料) (2023/2/26時点)楽天で購入1222/2/16に千葉県鴨川市小湊に生まれて1282/10/13武蔵国で61歳でお亡くなりになった日蓮大聖人の生涯が書かれた上記伝記本を本日読み終えた。読み終えたといっても信徒に宛てた鎌倉時代の古文で書かれたお手紙(御書)がたくさん出てくるので難しくて中ほどは読み飛ばしたところも多い。読みだすと眠くなり、睡魔に襲われながらもなお読もうとすると文字が赤く見えた。横になったり、腹ばいになったり仮眠をとったりしながら何とか最後のページにたどり着いたというのが実情である。時は鎌倉時代、日蓮は漁師の子として生まれたが勉強好きで清澄寺に学僧として入れてもらい仏教の勉強をしていた。大変向学心が旺盛で比叡山などにも留学している。数ある釈迦仏の教えの中で法華経が最高の教えであり、その法華経を自分なりにさらに深めた南無妙法蓮華経を覚知してそれを広めることを決意して1253/4/28、32歳の時に立宗宣言している。1260年39歳の時に立正安国論を顕し、前執権で実力者の北条時頼に提出している。その頃大地震や大雨による洪水、大火災、伝染病の流行、飢饉が深刻化して死人の山が築かれていた。これは悪い宗教、念仏宗を庇護しているからだ。それを改め日蓮を用いなければ災害は続き、さらに蒙古による他国侵逼難や謀叛などの自界叛逆難が起こると予言して国家諌暁を行った。時頼がそれを聞き入れて念仏を退けて日蓮を採用してくれなかっただけでなく、当時国で庇護され、信者数も最大の真言・念仏宗信者から恨みを買って夜討ちをかけられたり、命を狙われたりする法難が続くことになった。伊豆流罪になったりするが中でも最大の難は1271年50歳の時竜の口で首を切られることになり死刑執行侍が刀を振り上げた瞬間光物が現れ、一同驚いて死刑は中止になり佐渡流罪になった。恐らく雷だったのではないかと思っていたが、その後様々な研究がなされて雷ではなく、流星のかけらみたいなものだったのではないかと言われている。この不思議な出来事で自らを上行菩薩と内証し、佐渡から信徒に何通もの書状を書き、南無妙法蓮華経が書かれた曼陀羅も渡した。3年後佐渡流罪を許されて甲斐の国身延に入山して弟子の指導に当たった。その時の講義の内容を後で一番弟子の日興が筆録してまとめたものが御義口伝である。御義口伝の思想の①は種脱相対で日蓮の法華経は従来の法華経28品ではなく、南無妙法蓮華経を指すものである。②は日蓮本仏が示されている。末法に広めなければならないのは釈迦の法華経28品でなくその奥にある南無妙法蓮華経なのだから教主も28品を説いた釈迦でなく南無妙法蓮華経を説いた日蓮になるのは必然である。③は法華経の生命論的把握で法華経を釈尊一仏による説法として固定的にとらえるのでなく、万人に当てはまる普遍的法理を見出していくことが必要である。法華経の普遍的、生命論的解釈は苛烈な弾圧に耐え、法華経を実践の中で身読した日蓮のみが到着した境地である。本書には数えきれないくらい日蓮の手紙(御書)が引用されているので一々紹介できないが、立正安国論のテーマは何だったのか著者の言葉を借りて紹介する。様々な迫害を受けながら国家諌暁した日蓮の心底は、国家及び権力が存在する意義は、民衆の生命、生活を守るためにあるという民衆根本の国家観があった。それには低い教えである念仏や禅宗ではだめだという強い思いがあり、身命をかけて戦ってきたのだと思われた。晩年、自らの病状が重く、食事も殆ど食べられないような時に弟子南条時光が命にかかわるような重病に陥った。その時自らの体調も顧みず、渾身の力で時光宛ての激励のお手紙を書いている。時光は師匠の鬼神をも呵責しているお手紙の気迫に触れ、無事回復したが師匠自らはそれから8か月後に入滅なされた。日蓮という人類史的巨峰に近づくために著者の須田晴夫さんは多数のお手紙(御書)を閲覧し、参考文献を調べて精一杯書いて下さっていたが、467ページのこの本ではとても書ききれなかったと思う。その本の感想もとてもこここで書ききれるものではないが、日蓮大聖人を知って頂く一助になって頂ければと思って書いた。
2023.02.26
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昨日友人から上記「ノグチ式筋活」という本の贈本を受けた。筋肉が衰えると疲れやすくなったり性機能が衰えたり老化して認知症になったりしてろくなことがないからノグチ式筋活法で筋肉を鍛えましょうという内容であった。「1日3分の筋活で20歳若くなる、加齢による体の不調にサヨナラ」という宣伝文句も書いてあった。私達の体を作っている個々の細胞の中には数百から数千個のミトコンドリアが存在しているがこれが加齢とともに減少してきてエネルギー量が少なくなり疲れやすいと感ずるようになるとのことだ。ノグチ式筋活をすればそのミトコンドリアを増やすことができてエネルギー量を増やすことができるとのことで図解入りの運動法が載っているが、3分の運動でそう簡単にミトコンドリアが増やせるものとは思えない。でもせっかく送ってきてくれたので出来る範囲で試してみようと思う。何事も継続が大事なのでしばらく続けてみることにした。
2023.02.24
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エール大学助教授の成田悠輔さんが高齢者は集団自決、集団切腹、安楽死した方がよいと発言したとしてニューヨークタイムスで報道されたりして大きな論争になっている。「女性は話が長い」の女性差別発言をした森喜朗東京オリンピック組織委員長は大バッシングの末辞職させられた。最近では「LGBT同士のカップルが隣に住んでいるだけで嫌だ」と発言して更迭された首相秘書官もいた。女性や性的少数者などに対する差別発言は過剰と思えるくらい敏感に反応して非難されているが、老人差別の発言も大問題で非難ごうごうになるかと思いきやそれほどでもない。成田さんは公的立場の方ではないが、その発言の真意はどこにあったのか調べてみた。成田さんは「体が思うように動かなくて言語ももつれているような人が、経歴や肩書を盾に重要な立場にしがみついているのはおかしい、世帯交代すべきだ。寿命を迎えている人が高額な延命治療で医療財政をひっ迫させているのもおかしい」ということを言いたかったみたいだ。「人間誰も価値のない人はいない。障害者であれ、LGBTであれ、同じ人間として最大限尊重されなければならない」は世界共通の根本精神である。女だからとか老人だからと言って差別していい訳がない。「老人とは次の世代にバトンを渡す存在で引継ぎが済んだら早く退場してもらいたい」という考えは、老人自身の生活を尊重する思いやりがない。成田さんは諸外国では国会議員の定年を定めている国が多く、80歳以上は国会議員になれない国があり、投票権も年齢制限をつけるべきであると述べていた。国会議員の定年はともかく、参政権まで奪った方がよいと考えておられ、「誰人にも基本的人権があり、平等に扱われなければならない」という憲法の精神からかけ離れた考えだと思った。しかし人間は十人十色で、各人は様々な考えを持っていいはずだ。成田さんは「固定化された考えに縛られない自由な発言が許されるべきである」と述べており、成田さんのような考えも尊重されなければならないが、「いかなる年齢層の人も差別されてはならない」という黄金律は絶対厳守されなければならないと思う。
2023.02.22
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日曜日の午後1時から確定申告書作成に取り掛かった。まず検索で「確定申告書等作成コーナー」をクリックして作成開始をクリックすると提出方法を選択しなさいと出て①スマートフォン方式、②ICカードリーダライタ方式、③ID・パスワード方式の三つの選択肢が出てきて①のスマートフォン・マイナンバーカード方式が最も簡単と出ていたのでそれをクリックしてその流れに沿ってやってみたがパソコンとスマホの連携でとても難しくて簡単どころではなかったので、昨年提出した方法の③のID・パスワード方式を選択しようとしたらこれは過渡的な方法でID・パスワードを税務署に連絡して教えてもらわなければならないとのことだったが、昨年提出した時のID・パスワードがあったのでそれを入力してみたら申告書作成画面が出てきたので「ああよかった!」とほっとしてご機嫌で入力したが一定の項目を終了した後「次へ」をクリックすると次の画面に進まないで「通信は切断されました」の合図がでてそれまで入力した数字などは全て消えてしまい、また新たに入力しても最後近くまで行ったところで切断されてしまい、入力して切断の繰り返しで、途中『どうする家康』を観た時間だけ休憩してその他はずっと確定申告書作成に時間を費やし、やっと送信できたのが11時55分であと5分で日付が変わるところだった。その日はマイナンバーカードをスマホで読み取ることさえできなかったので悔しいので今夜再挑戦したら、やっとのことでスマホでマイナンバーカードを読み取ることができたが画面に「読み取り成功」と出た後は画面は消えてしまい、その後どうしたらいいか分からず諦めてこのブログを書きだした次第である。政府、財務省のいい加減さにあきれている。先方は「お前が頭が悪くて理解力がないからそのくらいのことが出来ないのだよ。政府財務省を恨むのは筋違いだよ」というかもしれないが日を変えて再度今夜挑戦したが出来なかった。スマホとパソコンを連動して使うことがいかに難しいかを先方は知らないのだと思う。せめてICカード読み取り器を全家庭に配布してくれた方がよかったと思った。それより何故スマホでマイナンバーカードを読み取らせたり、ICカードリーダライタで読み取らせなければいけないのか理由が分からない。日曜日にやっと記入終了して送信しようと思って「次へ」をクリックしたら同居配偶者のマイナンバーが記入してないと言われ、同居配偶者のマイナンバーを探してやっと送信できたが、同居配偶者のマイナンバーまで記入させる強引さを感じた。政府・府財務省は高額の奨励金を出してマイナンバーカード作成に躍起になっている。確定申告するにもマイナンバーを記入しないと「次へ」進めない。先方は高額な奨励金を出してまで何としてでもマイナンバーカードを作ってもらいたいのだが、作ったはいいが、実際の場面ではそのカードは何の役にも立たず国民は苦しむだけである。先方にはカードを作らせるメリットはあるのだと思うが国民には何のメリットもなく、苦しめられるだけである。健康保険証や運転免許証と共有化するという。政府にとってはメリットはあるのかもしれないが国民は不便になるだけである。その方向で着々と進められているが、国民にとって何の益もないことを政府が勝手に進めていいのであろうか。よく考えてもらいたいと思う。
2023.02.21
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今日の新聞の人生相談欄に60歳代の女性からの88歳の母親についての相談があった。母親は認知症の父の介護をしていたがその父が亡くなってから急激に老化が進み、朝起きたら何もしないで椅子に座っていて大小便のお漏らしをすることもあり、長男が面倒みているがその60歳代の質問者も時々病院に連れて行くなどで援助しているとのことだった。こうなる前は優しくて思いやりがあり、大好きなお母さんだったのにこんなことになってしまい孝行しなければと思いながらも厄介者と思ってしまう。母親も「迷惑ばかりかけていて済まないねえ」「こんなことでは死んでしまいたいよ」と言いながら娘さん達の言うことを聞いてくれなくて、大小便を教えてくれなかったり、もっと動くように言っても同じ場所から離れない。「悲しくなってしまう」という相談であった。回答者は自分も質問者さんも年とれば同じようになってしまうかもしれない。赤子のようになってしまうものだ。そうなる前の魅力的だった時の母親と比べて悲しくなってもどうしようもない。赤子を扱うような気持で接するべきだ。そして施設に入れてもらうなり、デイサービスの利用など、社会資源の活用法についても役所と相談していくのが良いと思うと回答していた。私は2月15日のブログで長谷川和夫父子の認知症への向き合い方について書かせて頂いた。お二人は認知症になったことを喜んでおられたのだ。それは認知症を知り尽くしたお二人だったからだと思う。今日の新聞の質問者さんは認知症について全く知らない方だと思った。知らないとこのような対応になってしまうのはやむおえないことで、殆どの方がこのような対応になってしまっているのではないかと思う。認知症をもっとよく知ってもらいたいと思う。自分だっていつかはそうなるかもしれないのだから、かわいい赤ちゃんを扱うような気持で親の介護をしていただきたいと強く思うものである。
2023.02.18
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シクラメンこれは2021/11/13に92歳で亡くなった認知症テスト考案者で精神科医長谷川和夫先生の息子で同じく精神科医の長谷川洋先生の言葉である。長谷川和夫先生と言えば医者なら殆ど誰でも長谷川式認知症テストの考案者として知っている超有名な先生である。その先生が85歳頃から記憶力が落ちてきて88歳の時自ら認知症ですと公表した。息子の洋先生が認知症でよかったと言ったのは、自分が高校生の頃和夫先生が激しい胸痛症状で倒れた時このまま亡くなってしまうのかとすごい不安に駆られたことがあったが、その後無事回復して認知症になる年齢まで生きてくれたことに対する感謝と、和夫先生は50年以上認知症の研究と診療に携わってきたが、その専門領域の病気になり、親子共々認知症の研究を進めることができたからだとのことである。認知症になると一度言ったことを忘れてしまい何度も言う傾向があるが、おかげで和夫先生の診療姿勢を何度も聞かされて診療とは何かを学ぶことが出来た。和夫先生は「誰でも齢をとれば認知症になる。特別と思ったり差別してはならない」という考えであくまで患者さん中心の診療をしてきた。一般的には認知症患者の困った状態を家族と医師のみで話し合うことが多いが、和夫先生はそこに必ず患者さんも加えて話し合いをして患者さんと家族の意思疎通を図っていたとのことだ。和夫先生が行き先が分からなくて倒れていた時通りがかった宅急便屋さんが「長谷川先生だ」と気が付いて先生を宅配しますと運んできてくれたこともあり、家族、地域が一体になって支えていたので認知症になっても和夫先生はそれほど不幸ではなかったのではないかと言っていた。一般的には認知症というと大厄介者である。家族の心労は想像を絶すると思う。その原因の一つに家族や社会の理解不足があると和夫先生は考えていた。患者と家族と一緒に面会することによって患者の性向や扱い方を家族に知ってもらえば、患者さんも家族もかなり幸せに暮らせることを実感なさっておられたようだ。今急激な長命化が進んでいる。長く生きればそれだけ認知症も増える。認知症になった時の本人や家族の対応の仕方に参考になるエピソードだと思った。
2023.02.15
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この寒さの中でも相変わらず美しさを保っている葉牡丹2021/11/13のブログに「ラブレターは何歳になってからでも」を書かせて頂いた。パーキンソン病で入院している76歳の奥さんにコロナで面会できないので手紙を書くことにしましたと76歳の旦那さんが手紙を書きだして早1年半近くになるが今も続いている。奥さんは認知症も加わっているので封を開けることも出来ないし読むことも出来ない。勿論返信はない。それでも毎週書いてくる。看護師さんや掃除のおばさんが封を切って読んでやっているがそうすればある程度分かるらしい。今日看護師さんが「すごい旦那さんですね。誕生日とか結婚記念日には花を届けてくれるし、こんな旦那さんはいないですよ」と感心していた。手紙の他に毎週リモート面会にも来ている。直接会えばある程度理解しあえるかもしれないが、テレビ画面を介してなので最初は旦那さんと理解してもらえなかったようだ。最近では旦那さんと分かるようになったが相手からの返答はない。こちらが言ったことを理解したり覚えてくれていればいいが、それもどのくらい理解できているか分からない。看護師さんから「すこし分かったみたいですよ」と言われると心から喜んでいるみたいだ。もう二人とも78歳になった。ラブレターと言えば若い恋人同士が交換するものだが、78歳の老人、それも一方通行の手紙、これを💌ラブレターと言っていいのか分からないが、看護師さんが「旦那さんの愛情がすごいですね」と言っていたので愛の手紙でいいと思う。看護師さんも私も「とても真似はできないね」と言い合ったが凄い人がいたものだと改めて感心した。
2023.02.13
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県の徽墨展で奨励賞を取った作品一昨日雪が降ったので雪にまつわる話を書かせていただく。これは明治36年(1903年)に山口県に生まれた金子みすゞさんの『雪に』という作品を書にしたもので「雪にのに」が省略されている。山口県はめったに雪は降らないがたまに降った雪を見ながら口ずさんだ詩だと思われる。海に降る雪は確かに海に同化して海になる。街に降る雪は昨日や今朝の庭や道路に見られるように泥になり、車のタイヤや人の靴にくっついて県下や場合によっては県外まで行くかもしれない。山に降る雪はここ(山梨)から見える富士山や南アルプスの白い雪としてそのまま白い雪のままでいる。「空にまだいる雪どゥれが好き」は原詩では「ど」の次に小さい「ゥ」が入っていたと思う。どゥれとすることによって少し茶目っ気が出るし、詩に厚みが出たと思うが書では省略されていた。空の雪は海に降るのか、街に降るのか、山に降るのか、分からない。山に降りたいと思っても海に降るかもしれない。「どゥれが好き」と言われても選べない辛さがある。それを辛さととるか当たり前と取るかはそれを見ている人の心次第だと思う。金子さんは23歳で結婚して一児を授かったが夫の女性問題で離婚してその後その子の親権問題で争い、悩み、26歳で服毒自殺してしまった。多くの作品を残しているが生きていてくれればもっともっと素晴らしい作品を読ませて頂けたと思われ残念である。さてこの作品の「空にまだいる雪どゥれが好き」は私たち人間にも例えることができる。私たちは生まれる時はどこに生まれるか分からない。アメリカなのか日本なのか、金持ちの家なのか、貧乏人の家なのか、どこに生まれたいと言えるならいいが、それは雪と同じで言えない。結婚してからもいい旦那さんに恵まれるかどうかも分からない。私たちはそれを運命と言っているが、いい家庭に生まれ、いい配偶者に恵まれればいいが、それは全く分からない。運命に任せるしかないが、人間は雪と違って脳をもっており、考え努力することが出来る。どこに生まれるか分からないが、ハワイの黒人の子供として生まれてもアメリカ大統領になれることもある。まだ庭の片隅に残っている雪を見ながら運命を思い、人生を思い、金子さんのことや自分のことを思った。
2023.02.12
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今日は関東地方では朝から雪が降りだし20センチ以上積もった。家に帰ってきた時は真っ暗なのでフラッシュを光らせて写真撮ってみたがあまりいい写真は撮れなかった。暗がりであれこれ写真撮っていたら妻が昼間庭の写真撮ったのがあるから使ったらと言われたので拝借することにした。本日は犯罪について書かせていただく。闇バイトを使っての広域の詐欺や窃盗、強盗集団があり、殺された人もいた。回転寿司で容器をなめたりした動画を拡散する人もいた。親を殺したり、子供を殺したりした事件、その他の窃盗や、詐欺、強盗、殺人事件などが連日報道されている。これらの犯罪事件はなぜ起こるのであろうか?親のしつけが悪いからだ、教育が悪いからだ、社会秩序が乱れ犯罪を生む土壌を作っているからだ、失業者や貧困者が増えたからだ、利己的で自分さえよければいいと思う人が増えたからだ、政治が悪いからだ、国の取り締まりが不十分だからだ、国の進むべき道が明確になっていないからだなど様々な見方がある。犯罪を起こす原因について大きく分けると遺伝的素因や教育などの個人的要因と、貧富の差とか失業など国民に不満を与えている社会的、政治的要因に分けることが出来る。個人は社会の一員であり個人個人が立派で常識のある人達ばかりなら良い社会、良い国が出来上がるが、様々な遺伝や家庭環境、職場環境の中で皆が自主的にしっかりした人間でいられるとは限らない。個人の自己管理や責任は重要だが、それ以上に社会や国が明確な目標を持ち、国民をリードしていくことが大切だと思う。犯罪を犯す人は社会や国を尊重していないケースが多い。国会議員でも悪いことをしている人もいるのだからおれがこのくらいのことをしても大したことではないと悪事を行う人もいるかもしれない。社長が常識のない人で悪事も行うような会社では犯罪をおかす社員が出てくる確率が高い。国では国会議員や総理大臣が最も偉い人だ。その人達の姿で国民の緊張感が違ってくる。犯罪が多いということは国の上層部の誠意とか緊張感が国民に伝わっていなくて一部の国民に気のゆるみが生じているからではないかと思われる。国会議員の先生方や政府、首相には一段と誠実、進取、平等、責任、博愛の精神で政務に取り組んで頂きたいと切に望むものである。
2023.02.10
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カランコエ今、須田晴夫さんが書かれた「新版日蓮の思想と生涯」を読んでいるが、中々進まなくてやっと日蓮の代表的著作「立証安国論」の叙述にさしかかった。立正安国論というのは客と主人の問答形式の著作で客は北条家支配を確立した北条時頼、主人は日蓮とする会話形式の諌暁書で時頼はじめ当時の鎌倉幕府の指導者層に配布した。10の問答があり、最後の問答は客の発言のみで締めくくられている。時頼というのは大河ドラマでの第2代執権北条義時の子供で誠実な人柄として描かれていた3代執権北条泰時の孫で、第5代執権になって出家後最明寺入道と呼ばれた人物である。日蓮は他の著作では真言、禅宗なども破折しているがこの安国論では主として念仏宗を破折している。自己を否定的にとらえる罪悪感と死後への恐怖をかき立てる教えでは外敵が攻めてきた時や苦難に遭遇した時力になってくれない。娑婆世界こそが仏国土であり現実世界での幸福の実現を目指す法華経と対極をなすものでありそのような教えを国家が支持していたら国が滅びてしまうと述べており、日蓮仏法は国家権力に庇護されたり国家と関係なく内向的に信仰する宗教と違い国家に働きかける宗教であることを示した画期的な著作であり、行動であったと須田さんは述べていた。主人と客が問答する形式の薄い冊子だがそのような深い意味があったのかと教えられた。この安国論に対して時頼始め幕府用人は何の反応も示さなかったが、日蓮によって攻撃された多数の念仏者の暴徒が安国論提出の40日後、日蓮の松葉ケ谷の草庵を襲撃して日蓮を殺害しようとした事件が起きた。安国論の次はこの松葉ケ谷の法難の所から読み継ぐことになる。
2023.02.09
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昨年3月に頂いて枯れてしまったが、その後家内が水をやって育てて、今年花を咲かせた胡蝶蘭お祝い事などの時、胡蝶蘭を頂くことがあるが、花の時期が過ぎると通常は枯れてしまって捨ててしまうのが普通だ。今年はなぜか枯れたはずの胡蝶蘭につぼみが出て花を咲かせた。それなりの手入れをしたのだと思うが、生命の不思議を感じた。人間でも動物でも植物でも、いくつかの季節をくぐり抜けて老化し、やがて死んでいく。私も最近次々に歯が取れて抜かなければならないし、つまずいて転びそうになることが多いし、尿は漏らすし、老化して衰えてきていることを実感している。それはあらゆる動物、植物に起こってくる当たり前の現象だが、人間は考える動物である。この老化を少しでも遅らせ、死ぬまで何とか元気でいたいと思う。どうしたらいいのであろうか?歩くことが認知症予防や体力維持向上いいことは分かっているが、職場で歩く以外は殆ど歩いていない。体操も必要だと思うが朝6時25分からの体操は、数分遅れることが多く、寝ぼけ眼であまり身が入っていない。夜寝る前の腕立て伏せと腹筋、力がないためにかなりルーズになっている。頭の訓練のために本を読もうと思っているが、一冊読み終わるまでにかなり時間がかかっている。英会話教材を車の中で聞いているが段々耳が遠くなり、あまり聞き取れていない。ピアノを習っており毎日5~10分弾いているが進歩の形跡が見られない。齢をとると老化予防にいいいと思えることを始めてみるが、上記のとおり、ほとんどのことがきちんとなされていない。きちんとなされていないのはその通りだが、それでいいと思わないで、少しでも向上できるように、呼吸を整え(腹式呼吸)、挑戦していこうと思っている。
2023.02.08
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4階病棟の廊下に小さな本箱が置いてあり、その中に古ぼけた「続この道」という写真中心の本があり、なぜか目についたので回診の帰りに医局に持ち帰って読んだ。その本の著者は障害者福祉ホームの所長井出たけ子さんが写真を解説するような形で書いた本であった。教師をしていた井出さんは21歳頃同僚の先生と結婚し、長男が生まれた。学校の近くに家を借りて生まれた直後から学校の休み時間に授乳に行くと言う今では考えられないような育児生活を送っていたが長男は生後3か月頃40度の発熱が続き、脳性小児麻痺の診断で、色々な病院にかかったが結局治らない病気だと告げられ、手足に障害が残った。それから我が子も含めた障害児の教育、訓練、授産施設の建設へと突き進んでいくことになった。その当時障害者に対する教育や福祉関係体制は今よりずっと整っておらず、県や国に陳情したりして教育施設を作り、障害者の生きる場を作り、障害者が働く場所(授産施設)を作り、最後には家族と障害者が一緒に住める障害者福祉ホーム建設までご主人の協力を得ながらやり遂げたのだ。本はその流れを写真つきで説明していた。施設の壁に 夢は見るもの描くもの 描いた夢は消えぬ間に 確たる姿で残すこと 井出たけ子 の標語が貼ってあった。井出さんは自分のことを「為せば成る」が口癖だった祖母の血を引いていると思い、為せば成るの精神でがむしゃらに突き進んできたとのことである。競馬では競走馬の値段は祖父母の血統証で決まるとのことだが、人間でも親よりも祖父母に似ている人が多く、そう思っている人も多い。私も父より祖父に似たのではないかと思っているが、井出さんも「何でも本気でやれば出来るのだよ」といつも言っていたおばあさんの薫陶をうけて育ってきたので殆ど不可能と思えることにも挑戦し、それを突破して若き日に夢見たことを成就したのである。ところで夢の障害者福祉ホームを作り上げた井出さんの息子さんはどうなったのか?息子さんはその時55歳になっていた。息子と同じような障害者のために必死で戦ってきた井出さん。障害者だって不自由な体だけれど「やれば出来るのだ。そのために自分は献身する」という信念で突き進んできたが、教育施設を作り、授産施設をつくり、不自由な体でも字を書いたり、折り紙折ったり、仕事だって出来るようになれるのだと思って必死で障害者たちを教育、指導してきたが、いつしか生徒の一人である息子の心に不満がたまり、心を病むような状況をきたしてしまった。自分は為せば成るの精神で突っ走ってきたが、誰でもがそうできるわけではない。障害者にとって過剰な期待や負荷はなかったか反省した。こちらはできると思っても障害者にとっては高すぎるハードルがあったのかもしれないとも思った。自分も新しくできた障害者と家族が一緒に住める施設の一員として入居し、息子の気持ちに寄り添って一緒に暮らしていこうと思っていると述べていた。障害のある息子を思う一念が同じような子供全体のことを思い、県下の障害児のための施設充実に生涯をささげてきたが、息子のケースを思えば他の子供さんも同じように辛いことがあったかもしれないとも思えた。夢に向かって突進して、その夢を掴んだと思えてもまだまだそれは完全なものではないかもしれない。しかし井出さんは想像を絶する戦いをして県下の障害者福祉政策に大きな足跡を残してきた。県の障害者の福祉環境の前進、向上のために、全財産、全精力、全智力を捧げて下さった井出さんに心から感謝申し上げたい。
2023.02.06
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宮沢賢治は生前自費出版した詩集「春と修羅」と童話集「注文の多い料理店」2冊しかなく、世間に全く知られていない存在であったが死後人生詩「雨ニモマケズ」が発見されて以来、国民的人気作家となり、今では夏目漱石、芥川龍之介を超え世界中で読まれている作家である。世界中の人達が共感を寄せているのだ。しかしその作品の多くは難解で300冊以上の賢治研究書が出版されてきたが神秘に包まれてきた。私も賢治の作品をいくつか読んでみたが「雨ニモマケズ」以外はあまりよく分からなかった。ところが菅原千恵子さんが書いた「宮沢賢治の青春~たった一人の友保阪嘉内をめぐって」を読んだら難解の理由が氷解し、今まで読んだ作品の意味もよく分かるようになった。賢治自身がある友人に「私の書いたものは絶対誰にも分からないと思う」と語ったとのことだがそれもその筈、それは一般向けでなく、唯一の友、保阪嘉内に向けて書いたものなので、嘉内が読めばすぐわかる内容だが、一般の人には何のことかわからなかったのであると菅原千恵子さんは書いている。菅原さんがこの本を書けたのは昭和43年(1968年)に保阪嘉内の息子 保阪庸夫さんが賢治から嘉内に宛てた手紙72通を「宮沢賢治ー友への手紙」として公表したからである。その手紙の中には賢治の嘉内に対する切実な気持ちや悩みが切実に書かれており、賢治の作品を読み解くカギがふんだんに書かれていたのである。したがってその本が公表される以前と以後では作品の評論もずいぶん変わってきた。中でも菅原さんのこの本は賢治の心の動きまで含めた実に詳細な伝記になっており、この本を読めば賢治の本当の姿が分かる。宮沢賢治とその作品に興味のある方には強く一読をお勧めする。
2023.02.05
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朝出かける前に、昨日の説明で、根が二本あるがそのうち一本は残せそうなので一本の根だけ抜いてもらうと書いたが、本日の診断では残せそうと言われた根も傷んでいるのでこの際全部抜いた方がよいと言われて根を2本とも抜いてもらってきた。麻酔をしてくれたので痛くはなかったが術後の出血は激しい。今2時間以上たっているがまだかなりの出血が続いていて昼食が食べられそうにない。歯を抜くというのでペンチで挟んでグイと抜くのかと思っていたら、ぐいぐい押す動作が主だった。歯と歯肉を剥がす操作をしていたのだなと思う。ペンチで挟んでグイと抜いてもらった時より痛みは少なかったが、ずいぶん出血があり、出血量は変らないと思った。歯科医は40歳代くらいの先生で患者思いの優しい先生だった。自分が勤めている病院に併設されている歯科で隔週の土曜日のみ東京から来てくれる先生とのことだった。前以て一本の根が残せないようなら2本とも根を抜いてしまいますと丁寧に説明してくれた。説明から処置すべてが患者思いで、丁寧で今までで最高の先生だと思った。私も医師のはしくれだがとてもかなわないと思った。見習って患者さんのために、もっと親切で、真心こめて接しなければいけないなと思った。
2023.02.04
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左下奥歯がとれたのを一度接着してもらったが先日キャラメルを食べたらそれにつられて再度取れてしまった。昨日歯科受診したら歯には二本の根があるが一本は折れている。再接着しても無理だから抜いたほうが良い。抜いた後についてはインプラントか金具で支える取り外し式の義歯の方法があるとのことだった。取り外し式の義歯だと支えになる金具が気になりそうだが、インプラントだと自然の歯で支えになる金具もなくて見た目もよさそうだが歯が入るまでにかなり時間がかかる。それなら後の余命もそれほど長くないことだし金具付きの義歯を作ってもらうことにした。それで今日これから抜歯してもらうために歯科医院に行くところである。二本ある根の内傷んでない根は残して傷んでいる根だけ抜くとのことである。一本の根だけでも残すと歯槽骨の退縮が防げるし義歯を載せるとき少しでも支えになってくれるのでそうするとのことだった。金具付きの義歯を作ってもらう前準備としてこれから抜歯に行ってくる。痛いらしい。
2023.02.04
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菅原千恵子さんの「宮沢賢治の青春」の中で賢治の「冬のスケッチ」に関する考察が書いてあった。冬のスケッチは賢治が保阪嘉内と別れた後に書かれたものだが、悲しみに満ちた表現が多い。例えば ひたすらにおもいたむれどこのこいしさをいかにせんあるべきことにあらざればよるのみぞれを行きて泣く など恋しい人と別れた悲しみが延々と綴られている。多くの賢治研究者はこの時期に賢治に好きな女性がいてその女性と別れた悲しさを詠んだものだとしているが菅原さんは法華経一筋だった賢治にその時女性の恋人はいなかった。妹トシを恋人としてその病気を悲しんで詠んだのではないかという評論家もいるがそれも違う。失恋の相手は保阪嘉内だったと述べている。大好きな保阪嘉内と世界一の法華経を保って生きていくことを夢見ていた賢治は久しぶりに東京で会った時に、熱心に法華経入会を勧誘した。それにに対して嘉内は「法華経信者として生きていくための具体的な望みや願いは何か?ただ南妙法蓮華経を唱えるだけでなく、具体的な生活法を教えてもらいたい」と質問した。賢治は嘉内と一緒に信仰の道を歩んで行きたいと夢中になっていたが、嘉内の質問に的確に答えることが出来なかった。「そのような曖昧なものに入ることは出来ない」と嘉内は決然と去って行き、賢治は取り残されて悲しみのどん底に突き落とされた。それまで賢治は「南無妙法蓮華経」と唱えながら街中を歩くほど熱心だったが、嘉内と別れた後は法華経の表現方法も折伏一辺倒から変わってきた。総ての人を幸せにするという法華経なのにこんなにみじめで不幸な状態になってしまったと法華経に対する疑問も湧いてきた。いずれにしても保阪嘉内に去られた悲しみは耐えきれなかったと思われる。殆どの評論家が賢治にかくれた恋人がいたのではないかと推察していたが、私は菅原さんと同様、嘉内と別れた悲しみを詠っていたのだなと思った。男でも女でも最愛の人と別れるのは辛いものだと思う。
2023.02.03
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【中古】 宮沢賢治の青春 ただ一人の友 保阪嘉内をめぐって価格:19900円(税込、送料無料) (2023/2/1時点)楽天で購入今菅原千恵子さんが書かれた「宮沢賢治の青春-たった一人の友 保阪嘉内をめぐって」を読んでいる。以前552円で買った文庫本である。今も売っているかと楽天ブックで調べたら電子書籍で660円で売っていた。紙書籍では売っていなくて古本を売っていた。古本だからさしずめ100円か200円だろうと思ったら何と19900円で約2万円だった。今は電子本の時代だが紙の本を読みたい人も多いのだなと思った。本の内容は宮沢賢治は盛岡高等農林の2年の時1学年下の保阪嘉内と寮で同室になり無二の親友になった。賢治が3年になった時は寮を出ているが保阪嘉内と岩手山に登りお互いに目指すものが自己犠牲で一致し、賢治はまことの国の建設が目標で、嘉内は農民のパラダイス(楽園)の建設で意気投合した。同人誌アザリオを創刊し、お互いの友情を深めていた。ところが嘉内が2年生の時アザリオに「社会と自分」という文を投稿しその中に「おい今だ、今だ、帝室を覆すの時は、ナイヒリズム」という箇所があり、いきなり退学を命じられてしまったのだ。傷心の嘉内に対し賢治は法華経を一緒にやっていこうと強く勧めるがうんと言ってもらえなかった。傷心の嘉内にはさらに母親の死がのしかかったが、その時も賢治は法華経の南無妙法蓮華経を唱えて母親の成仏を願い、共に法華経の信者として進んでいこうと折伏するが嘉内の心は動かなかった。賢治が法華経の信者団体国柱会に入った時、嘉内が軍隊に入営しした時 二人が東京に来たので、その時に二人が何年ぶりかで直接会って話し合ったが、宗教のことで激しく言い合い、ついに喧嘩別れしてその後の音信がなくなり決別になってしまった。生涯の友として慕っていた嘉内に去られた悲しみは想像を絶するものだったと思われるがその後賢治は立ち直り「銀河鉄道の夜」を始め嘉内に語りかけるような気持ちで次から次に童話などを書いていったという内容であった。賢治にとっては唯一の心の友,保阪嘉内に72通の手紙を書いて法華経への帰依を勧めるが嘉内は応じなかった。その交流の様子は保阪嘉内の息子さんが宮沢賢治からの72通の手紙を公開してくれたことから明らかになり、貴重な資料である。嘉内との友情そしてその決別が宮沢賢治が多くの作品を生む原動力になったのではないかと著者は述べているが、青春時代の友情やその蹉跌はその後の人生に大きな影響を与えるものだなと思った。
2023.02.01
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