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甲府の武田通りの桜今月一杯でご退職の同僚の先生から詩人茨木のり子さん(1926/6/12~2006/2/17)が49歳の時25年間連れ添ってきたお見合いで結婚した夫三浦安信さんを肝臓がんで失い、その悲しい気持ちを面々と綴ってきた「歳月」という詩集について教えて頂いた。その詩集は39編からなり、いずれも亡き夫への恋慕の気持ちを詠っているが自分が死ぬまでは絶対公開してはならないと秘密にしてきたもので79歳で亡くなった翌年の2007年に発行されたものである。何れの詩も如何にご主人を大事に思い、そして突然いなくなってしまってどんなに悲しいかを詠ったものだがそのうちの一つ「一人の人」を紹介する。一人のひとひとりの男ひとを通してたくさんの異性に逢いました男のやさしさも こわさも弱々しさも 強さもだめさ加減や ずるさも育ててくれた厳しい先生もかわいい幼児も美しさも信じられないポカでさえ見せるともなく全部見せて下さいました二十五年間見るともなく全部見てきましたなんて豊かなことだったでしょうたくさんの男ひとを知りながらついに一人の異性にさえ逢えない女ひとも多いのに*恋しい人だけどすべてが素晴らしかった訳ではない。ダメさ加減もずるさも見てきた。可愛い幼児性や信じられないようなポカもやった人間性を見せてくれた。それでも愛おしい。みるとはなしにみんな見てきた。自分は一人の男しか知らないがその男を通じて大勢の異性を知ることができた。世の中にはいっぱい男と付き合いながら、あるいは何十年と結婚生活を送りながら一人の異性にも逢えない人もいる中でこんなに大勢の異性と逢うことが出来て幸せだったと詠んでいる。おのろけだが本当のことだと思う。結婚していながら相手をよく知らないままそれぞれ死んでいく夫婦も多い中でこれほどよく理解しあった夫婦はいないのではないかと思った。同僚の先生は医局で隣席だったので宮沢賢治や井伏鱒二、茨木のり子などの詩人や作家、アフガンで井戸を掘ったり灌漑用水路を作った中村哲医師などを紹介して下さって図書館から借りてきた本を又貸しして下さったりした。お蔭で随分勉強させて頂いたが、明日からはもういらっしゃらないので一抹の寂しさを感ずる。図書館から借りてきた本をまた貸ししてくれる人がいなくなったので、これからは自分で自分を豊かにしてくれる詩人とか小説家を探していかなければならないなと思っている。
2023.03.31
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ラッパスイセン今月31日でご退職なさる同僚医師から井伏鱒二の「厄除け詩集」を記念に頂いた。井伏鱒二は1898年(明治31年)広島県加茂町に生まれた小説家で「山椒魚」や「黒い雨」など膨大な作品を書いているが詩集はこの一冊だけである。自作の詩と漢詩の翻訳から成っているが翻訳では文字に忠実な翻訳でなく自由奔放、望郷と友人を偲ぶ詩が多い。有名なものでは昭和10年(37歳)発表の「勧酒」がある。干武陵の漢詩の翻訳である。 勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離この巵(さかずき)を受けてくれどうぞなみなみつがしておくれ花に嵐の例えもあるぞさよならだけが人生だ原作者干武陵の真意はどうなのか分からないが鱒二は友人と花見の酒を飲んでいて「友よ!なみなみと注がせておくれ、今はお花は満開だがそこに嵐が来るかもしれない、俺たちだってどうなるか分からない。離れ離れになってしまうかもしれない。大いに飲もうではないか!」と解釈したのだと思う。漢詩というのは短い文章の中に人生が詰まっているものだなと思った。自作の詩では「誤診」というのがあった医者が僕のレントゲン写真を出して「心臓肥大です、要注意ですな」と言った僕は尋常一年のとき運動会で駆けっこに出たすると「用意、どん!」の直前不意に胸がごつとんごつとんと鳴り出したこれが僕が記憶する最初の胸の高鳴りだ最近は胸のときめきを感ずることがなくなった原稿書いていて胸がふと動悸をうちだすことなど更にない僕の感動の最後の助だと思われるのは京竿で一尺山女魚を釣ったときのものである僕の心臓は干涸らびてしまっている筈だ心臓肥大とは誤診だと思いたい井伏鱒二の作品は小説にしろ詩にしろ楽天的なものが多い。上記の詩は昭和50年77歳の時の作品だが「心臓肥大」なんてあるもんか!と突っぱねている。人によっては「心臓肥大」と医者に言われて年も年だし自分もいよいよ終わりかと悲観してしまう人もいる。鱒二は堂々としたもので医者の言葉も詩に書いてちゃらかしている。温泉旅館に行き、友人と酒を飲み、(奥さんが酒を飲まれたのかは知らないが)自由に原稿を書き、悠々自適に暮らしたおかげで当時としては破格の95歳まで元気で過ごし、最後はポックリ逝かれた。元気で暮らす方法を教えて頂いたような気がした。
2023.03.29
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玄関で咲いているアセビ(馬酔)茨木のり子さんの「癖」という詩を読んだむかし女のいじめっ子がいた意地悪したりからかったり髪引っ張るやらつねるやらイイッと白い歯を剝いたその子の前では立ち往生さすがの私も閉口頓首やな子ねえと思っていたのだが卒業の時小さな紙片を渡されたワタシハアナタガ好きダッタオ友達ニナリタカッタノたどたどしい字で書かれていてそこで私は腰を抜かしいえ抜かさんばかりになって好きなら好きとまっすぐにぶっつけてくれればいいじゃない遅かった菊ちゃん!もう手も足も出ない小学校出てすぐあなたは置き屋の下地っ子以来、いい気味、いたぶり、いやがらせさまざまな目にあうたびに、心せよこの人ほんとは私のこと好きなんじゃないかと思うようになったのだ子供の頃いじめられたことがある人はけっこういると思う。いじめられて自殺した少年や少女もいる。いじめられる子は傷つきその心情は日記や遺書で知る機会があるが、いじめる子の心情は表に出ることは少ない。上記の詩にあるように本当は好きだったり可愛いと思っていることもあるのだと思うが、いじめた子の反応が面白くて何度もいじめることになるケースが多いようだ。嫌いだからいじめるケースはそれ程多くないと思う。いじめられっ子に「強くなりなさい」と助言することが多いが、相手は集団で面白がっていじめてくることが多く、強くなって立ち向かうのは極めて困難な状況だと思う。茨木さんのようにいじめてきたら本当は自分を好きだからいじめているのだと思えばダメージはかなり少なくなると思われる。しかしいじめる相手が一人ならそう考える癖をつければかなり気が楽になり、苦しまないですむが、集団で虐められる場合にはそれは役に立たないと思う。勇気を持ってその学校で自分が最も信頼している先生に相談するのが最良の方法だと思う。
2023.03.27
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侍ジャパンが14年ぶりに世界一になったのは監督、コーチ、選手が一致団結して心を合わせて戦った結果で心からおめでとう、そしてありがとうと言いたい。皆が頑張ったので誰が特別功績があるとは言えないがこのチームを纏めた栗山英樹監督を紹介したい。以下敬称を略させて頂く。栗山は1961年4月26日東京小平市に生まれた。中学生の時地元の少年野球チームで日米野球に投手として出場してMVPをとったことがある。中学3年の時東海大相模高校のセレクションを受けに行ったときたまたま高校野球でヒーローになっていた憧れの原辰徳選手に声をかけてもらい感激した。しかし高校は創価高校に進学し、主将でエースとしてチームを牽引して頑張ったが甲子園には行けなかった。大学は教師になることを目指して東京学芸大学に進学し硬式野球部で投手として活躍していたが右肘を痛めて野手に転向して活躍していた。大学卒業後は教師になるつもりだったが野球を好きでたまらなかったので諦めきれないでヤクルトのテストを受けたら合格できて入団した。周りをみると皆自分より能力の高い選手ばかりで愕然とするが野球が好きだったので、夢中で練習して好打、好守、好走塁、の外野主として1軍の試合にも出してもらえるようになり、ついにはレギュラーポジションを掴んで3割、ゴールデングラブ賞も獲ったこともあるが、メニエール病という病気になり、試合中でもいきなり大地がひっくり返るようなめまいにおそわれることがしばしばあり、コンスタントに好成績をあげることが出来ずに現役生活7年で引退した。引退後はニュースキャスターとしてプロ野球や高校野球の実況や解説をしていた。テレビ局の女子アナとか女子テニス選手などと交際する機会もあったが、それを実らせることが出来ずに現在まだ独身である。北海道の栗山町で同じ名前ということで友好大使を要請され、2002年に栗山町に移住して林野を切り開いて「栗の樹ファーム」を作り誰でもバットを振ったり走ったりしてよい野球場を作り少年野球チームを指導したりした。51歳の時北海道日本ハムから監督要請があり、コーチ経験がないまま監督に就任して最初の年にパリーグ優勝した。以来10年間監督をして、大谷を育て2度リーグ優勝、一度日本一にもなっている。チームの状態はいい時もあれば悪い時もあった。最後のシーズンではずっとチームの中心選手だった中田翔選手が不振で腹いせに後輩選手に暴力を振るい、退団は必至でトレードでもどこのチームでも引き受け手はなく選手生命は終わりと思われていた。ところが栗山監督は少年時代からあこがれていた巨人の原監督にお願いして中田選手を巨人で引き受けてもらった。この一連の流れは栗山も原もずいぶん批判された。栗山が甘やかして育てたから中田は思いあがり、チーム内でわがまま放題の生活をしていた。暴力事件は常習的で中田は解雇されて当然なのに、原監督が栗山に頼まれて暴力選手を受け入れるのは常識がなさすぎるとずいぶん批判された。結果としてそのシーズンは両チームとも成績不良で野球人気も地に落ちてしまった。しかし中田選手は移籍の年こそ不振だったが翌年にはかなりの活躍をしてホームランも打ったし一塁守備でゴールデングラブ賞もとった。一番喜んでいるのは栗山だと思う。本来なら球界から放逐されていただろう中田を世間の批判は覚悟のうえで巨人で拾ってもらって再度活動の場を与えることが出来たのだ。これど栗山の選手を信じる力と責任の取り方の象徴的な出来事だと思う。「甘やかして育てたという批判はうけなければならない。でもこの10年間中田に助けられた試合は何度もあった。ここ数年は調子が出なかったが中田ならきっと他球団に移ってやってくれる」という確信があったのだと思う。今度のWBCでも不振の村上をずっと4番か5番で使い続けた。きっといつかはやってくれると信じて使い続けて準決勝、決勝で村上はその期待に見事に答えた。でもこれは極めてまれな幸運である。信ずればそれが叶うとは限らない。優勝する前と後では栗山の表情や色つやががらりと変わった。試合中の栗山の表情は予選、準々決勝、準決勝、決勝と進むにつれて皺が深くなり、顔色も土色になり、誰がみてもやつれてきていた。「こんな優秀な選手ばかりを預かっているのに無様な負け方だけはしたくない」その気持ちが顔面に現れていたのだと思う。結果的に優勝できてよかった。優勝後は人が変わったように表情も変わり声も明るく各局でしゃべっていた。各選手一人一人の苦しみや喜びを自分で感ずる人間なのであの苦しそうな表情は選手全員の気持ちの集積だったのだと思う。女子アナとの結婚不履行の時もずいぶん批判された。苦しかったと思う。しかし結婚直前になってあるスポーツ選手を好きな気持ちに気づき、こんな気持ちで結婚したら女子アナに申し訳ないと直前になって婚約破棄を申し出た。その時の彼女の苦しみがどれほどか想像できなかったくらいスポーツ選手の方に心が向いていたのだと思う。結局そのスポーツ選手には振られてしまい片思いだったのだが、青春時代の苦い思い出である。でも女子アナに対して「こんな気持ちで結婚するのは許されないのではないか」と思ったのは栗山のまじめすぎる性格から出たことで決して不誠実な気持ちから出たことではない。人間誰にも悲しいことの思い出はある。栗山にもヤクルト時代、ニュースキャスター時代、日ハム監督時代と悲しく苦しいことの連続だったと思う。でも今回は満願である。今までの悲しみを吹き飛ばす幸運だったと思う。一番うれしいのは選手たちに喜びを与えることが出来たことだと思う。「国民も十分喜びましたよ。ありがとう」と言いたい。
2023.03.25
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日本14年ぶり3度目の世界一優勝監督栗山英樹氏最高殊勲選手、大谷翔平選手本日のWBC決勝で日本がアメリカを3対2で下し14年ぶり3度目の世界一の栄冠を手にした。栗山監督の気配りが実った見事な優勝だったと思う。昨日のメキシコとの準決勝では7回表終了時で3対ゼロとリードされており、敗色濃厚だったがその裏、吉田正尚選手の3ランホームランで同点、8回の表に2点取られるとその裏に山川選手の犠牲フライで1点返し、9回表を大勢選手が0点で抑えてその裏ノーアウト、一塁,二塁で今まで不振だった村上選手が外野の壁直撃の2塁打を放ちサヨナラ逆転勝ちして決勝に進んだ。本日の決勝では2回表にアメリカがホームランで1対ゼロと先制するとその裏昨日の殊勲者村上が特大のホームランでお返し、ヌートバーの内野ゴロで2対1とリード、4回には岡本にもホームランが出て3対1で終盤まで進み8回表にダルビッイシュがホームランを打たれて3対2と迫られたが、9回を二刀流の大谷がゼロ点で抑えて世界一になった。アメリカ最後の打者はエンジェルスで大谷とチームメートのトラウトで大リーグでホームラン王にもなったことがある強打者だ。アメリカチームのキャプテンを務めており、その選手を三振に仕留めゲームセットになった瞬間、大谷は帽子もグラブも投げ捨てて喜びで乱舞して負けた相手に対する配慮が足りないかなと思ったが、喜びのあまり全てを忘れてしまったものと思われた。大谷のインタビューで「子供の頃からWBCで世界一になることを夢見ていたので心から嬉しい。wBCでの試合を通じて台湾、韓国、中国などアジア地域でさらに野球が盛んになれば嬉しい」と述べていた。大谷は天然育ちで性格がいい。チームメートのトラウトの前で派手な喜び様をして、明日からチームに帰ってトラウトとどのような向き合い方をするのか少し心配になったが、トラウトも大谷のことはよく知っているので大きなしこりは残さないと思う。友情を取り戻すには二人が所属するエンジェルスのために力一杯頑張り、昨年最下位の汚名を返上して優勝することだと思う。大谷、トラウトが頑張って、エンジェルスの今シーズンの飛躍を期待している。
2023.03.22
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玄関脇に咲いたツバキWBCの準決勝に進出する4強が決まった。最後の4強を決めるアメリカxベネズエラ戦は追いつ追われつの大熱戦で8回にアメリカが大逆転して9対7でアメリカが勝った。その結果アメリカのマイアミで行われる準決勝は日本時間20日午前8時からアメリカxキューバ戦が行われ21日(祝日)午前8時から日本xメキシコ戦が行われる。その勝者が対戦する決勝は22日午前8時から行われる。日本の準決勝の相手メキシコは予選で大リーグ選手ばかりのアメリカを破っており、準々決勝でプエルトリコをも破って準決勝に進出してきており、日本が今まで予選で対戦してきたチームとは格が違う。打線はかなり強力なので、メキシコ戦先発が予想される佐々木朗希投手がどこまで抑えられるかがポイントになると思われる。日本の打順はヌートバー、近藤、大谷、吉田、村上、岡本、牧、源田、甲斐が予想され、ヌートバー、近藤が出塁して大谷以下の打線につなげられるかが勝負のカギになると思われる。21日は春分の日で休日なので朝からテレビにしがみついて決戦を観ようと思っている。
2023.03.19
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暖かくなってきて庭のヒヤシンスが芽を出し咲き始めた今、闇バイトで強盗殺人した人間とその人たちをフィリッピンなどにいてスマホなどで指示を出していた親玉などが逮捕されて話題になっている。日本は治安が良くて安全な国と言われているが世の中には悪い人もいて殺人を犯したり、強盗したり、暴力をふるったり、振り込め詐欺のように高齢者から何百万の大金をだまし取る悪人もいる。弱いものいじめをする不良人間もいる。決して安心して暮らせる社会ではない。なぜそのような悪い人間がはびこっているのであろうか?前回のブログで博士論文について書いたが、悪者が生まれてくる原因とそれを解決する妙薬に関する優れた博士論文はまだ現れていない。そういう悪い人間が生まれてくる原因は、遺伝的素因、貧困など社会的要因、家庭や地域環境、偏った教育、精神の病気など様々な要因が考えられる。罪を犯した人間は逮捕されて補導施設である刑務所に入れられて、一定期間の刑期を終了したら出所して真面目に暮らす人もいれば、再度罪を犯して刑務所に逆戻りする人もいる。私はこの犯罪システムの研究は人々が平和で楽しく暮らすための必須研究だと思う。国や県で犯罪を犯す原因とその解決策を研究する機関を立ち上げるべきだと考えている。犯罪者は刑務所に入れればよいと考えるのでなく、その犯人がその罪を犯すにいたった素因、環境要因、直接の引き金、などを調べ、その罪を犯さないようにするには何が必要だったのかベストの介入法を見つけだす必要がある。現に罪を犯してしまった人はどうするのか?死刑、無期懲役、懲役何年などの刑期を監獄内で過ごしてもらうのが現状のシステムだが、刑期を終えた人の再犯が多く、現システムは必ずしもベストの更生法ではない。犯罪者を有為な人材として世に送り出す教育法の研究も必要だと思う。そのような犯罪防御に関する優れた博士論文の出現を心より待ち望むものである。
2023.03.17
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今年もハクモクレン(白木蓮)が咲いてくれたがかなり老木になり、勢いがない印象である。これは昭和59年(1984年)1月24日に医学博士号を頂いた記念に植えた樹である。39歳になり老木化してやがて枯れていくだろう。医学博士号を受けた本人の寿命もだんだん乏しくなってきている。近年、博士号よりも専門医の方が重視される傾向があり、昔より博士号にこだわる人は少なくなっているように思う。博士号を取るには大学院に4年間在籍して博士論文を書いて授与されるか大学病院に5年以上勤務して論文を書いて論文審査で合格した場合博士号を授与される二つのコースがある。私は後者の方法で授与されたが審査された論文は「肝機能検査の軽微異常値の評価」という研究である。人間ドックなどでGOT、GPT、ALP、LDH、ビリルビン、アルブミンなど肝機能に関係する項目について基準値をはるかに超えるものは異常値として病気であり治療の対象になるが、わずかな異常で病気とも言えない軽度異常値を示すものは病気予備軍なのか、肥満など病気とは関係なく上昇しているかを分析した研究である。人間ドックの総合判定などの時に参考にしていただければ役立つかもしれないという研究である。一定期間のすべての人間ドック受診者について性、年齢別にGOT、GPT 、などの平均値を出し、その中で軽微異常値を示すものは何パーセントで、病的意義はあるのかないのかということを検討したが、色々な項目に分類して平均値を出す作業が大変で妻にその計算を手伝ってもらったことが懐かしい。私は細かい計算は苦手だったのでかなり助かった。博士号がもらえた功績の半分以上は妻の物だったと思っている。論文の指導教授はすでにお亡くなりになってしまったが、学位授与式の時の指導教授の言葉は今も鮮明に覚えている。「学位授与は終わりではない。始まりなのだ。研究者の仲間入りをしてこれから研究していって下さいという儀式なのだよ」と言われた。その後そのお言葉を胸に仕事させて頂いてきたが、博士に相応しい研究や仕事をしてきたと胸を張って言えないが、今後もそれを心がけて仕事していきたいと思っている。
2023.03.15
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天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い [ 中村 哲 ]価格:1760円(税込、送料無料) (2023/3/13時点)楽天で購入中村哲さんの自叙伝「天、共に在り」を読んだ。これは2006年にNHKの「知るを楽しむーこの人この世界」で放送されたテキストに加筆、修整を加えたものである。中村さんがパキスタンやアフガニスタンで医療活動を始めた動機やその後井戸を掘り、用水路を開くことに力を傾け始めたいきさつなどが主な内容だが、最初の方には生い立ちや幼い頃の思い出も書いてあった。自分が縁もゆかりもなかった当地に赴任したのは強固な信念や高邁な思想があったわけではなく、現地就任までの経緯を思うと、生れてからのすべての出会いや経験が自分の意識を超えて導いてくれたのではないかと思うと述べていた。昭和21年9月15日に福岡市三笠町に生まれたが2歳の時父母の生まれ故郷若松市に戻った。若松市では火野葦平の小説「花と龍」に登場する玉井金五郎(中村さんの祖父)の家に我が家のように出入りし、祖母マンの話を聞くことが多かった。弱者は率先してかばうこと、職業に貴賤が無いこと、どんな小さな生き物の生命でも尊ぶべきことなどの自分の倫理観の殆ど全てが祖母の教えからではないかと思えるとのことだ。中村さんのお母さんは金五郎の娘でそのお兄さんが火野葦平で、中村哲さんの叔父にあたる。哲少年は売れっ子作家だった叔父さんの本は片端から読んだとのことである。叔父は戦争に勝つという一つのことに命を懸けてきたが敗戦なってしまい、器用に転身出来なくて戦後14年経った時自決してしまった。小学校1年まで若松市に住んでいたが、父が事業に失敗したり連帯保証人を気軽に引き受けたりして借金を重ねて食い詰めた挙句古賀町に引っ越した。そこで出会ったのが小学校3年時の同級生の父親郵便局長の吉川さんだった。吉川さんはその同級生と一緒に昆虫採集につれて行ってくれて昆虫の事だけでなく他の動植物や鉱物、地理、天気のことにも詳しく、色々教えてくれて哲少年を昆虫に夢中にさせるきっかけを作ってくれた人である。昆虫を大好きになり将来九州大学農学部の昆虫学科に進みたいと思ったが、厳しい父親は「昆虫を好きだからと大学進学などとんでもない」というのは分かり切っていた。その頃内村鑑三の「後世への最大遺物」を読み、自分の将来を日本のために捧げるという幾分古風な使命感が湧いてきた。当事全国で医療過疎が問題になっていたので、医者になろうかと思ったのが医学部受験の動機で、これには父親も賛成してくれた。そうして医師になり、精神科を専攻して国内の病院に勤めていたが、山岳登山隊の同行医師としてモンシロチョウの原産地といわれるパミール高原に行った時、また訪れたいと思っていた矢先、その地域での協力医師要請の話があり、それに呼応する形でそこに就き、30年間現地の人達と共に暮らし、用水路建設等を行ってきた経緯が述べられていた。しかしそれが出来たのは、子供時代色々話をしてくれた祖母、昆虫の面白さを教えてくれた吉川さん、ペシャワール会を作って援助して下さった日本の方々、理解してくれた家族、現地で協力して下さった現地人や日本人の方々、ハンセン病診療の先輩のドイツ人女医ルース先生等、皆さんんのお蔭で自分一人でできたとはこれっぽちも思っていない。アフガにスタンは干ばつなどの自然災害だけでなくイギリスからの独立戦争、ソ連侵攻、アメリカがアフガニスタンがビンラディンを匿っているとして全面爆撃を開始して、自然災害と人工的災害に苦しめられてきた。中村さん達が今力を注いでいる農村部の建設現場は、常に攻撃される危険地帯に指定されてきた場所だが、「こちらが本当の友人だと認識されれば地域住民は保護を惜しまない。信頼は武力以上に強固な安全を提供してくれて人々を動かすことが出来る。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さが人々の心に触れる」とどこまでもどこまでも誠実を貫いていた中村さん。村人たちからの信頼は絶大だったが、この本の発行から6年後に銃弾に倒れてしまった。思いやり、信頼、感謝、愛情が分からない人間はどこにもいるものだなと思った。世界中の人から惜しまれた中村哲さん、その後を引き継ぐ人材の成長を願っている。
2023.03.14
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わたしは「セロ弾きのゴーシュ」 中村哲が本当に伝えたかったこと[本/雑誌] (単行本・ムック) / 中村哲/著価格:1760円(税込、送料別) (2023/3/12時点)楽天で購入中村哲さんの「わたしはセロ弾きのゴーシュ」を読んだ。中村さんは九州大学医学部卒業後日本国内の病院勤務後1984年(38歳)にパキスタンのペシャワールに赴任してハンセン病の診療に携わり、1986年からはアフガニスタン難民のための医療チームを結成し、山岳無医地区での診療を開始した。1991年からはアフガニスタン東部山岳地帯に3つの診療所を開設し、パキスタン、アフガニスタン両国にまたがって活動していた。2000年(54歳)からはアフガニスタン東部が大干ばつに見舞われ、作物が作れなくて多くの人が餓死し何百万人という難民が生じたので、飲料水や耕作水のために井戸を掘ったり灌漑用水路の建設を開始した。本書はNHKラジオ深夜便や民放ラジオ深夜便で中村さんが喋った内容を中心にまとめたものである。私は中村哲さんがパキスタンやアフガニスタンに35年間も命をささげてきた動機を知りたいと思った。ラジオ深夜便の中で中村さんはそのきっかけは実は「遊び」で行ったのですと述べていた。ちょうどヒンズークッシュ山脈への登山同行医師の話があり、昆虫が好きだったので遊びがてらに参加して帰国後いい所だど思い、医師不足は深刻だなと思って、いつか再度行ってみたいと思っていたところにある医療協力団体からパキスタンのハンセン病コントロール5か年計画に参加しないかとの話があり、前に登山隊と言ったところなので参加してみようということになった。「別に大それた理想や、思いつめた覚悟などなく、遊びで行ったことがきっかけなんですよ」と話していた。それから20年、30年と住み続けたのは適切な医療設備がなく、ハンセン病で苦しむ人や干ばつで餓死したり、難民になる人たちを見捨てることができなかったからとのことだった。そのあたりのことを、イーハトーブ賞受賞に際してのお礼の言葉の中で述べている。「動機は何かと多くの人に聞かれるが、人間愛というのも面はゆいし、自分にさしたる信念や宗教的信仰があるわけでもなく、さしずめ宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」のなかのゴーシュの心境ではなかったかと思う」とのことだった。この童話はいつも楽長に叱られてばかりいるセロ弾きのゴーシュが10日後の発表会に向けて自宅で練習していたら毎晩のように猫やカッコウや子狸、野ネズミが現れて練習の邪魔をしていた。しかし10日後の本番では楽長に叱られなかっただけでなく、客席からは、アンコールが叫ばれ大成功を収めた。下手で駄目だ、駄目だと言われてばかりいたゴーシュが、野心なく、ひたすら練習して、それを邪魔する動物とも会話を重ねて本番を迎えたら、とても上手になっていたという話で、自分はゴーシュみたいな者ですよと述べていた。同じ宮沢賢治の詩に「雨ニモマケズ」がある、その最後の所に「みんなにでくのぼーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたい」があるが、ペシャワール会会長の村上 優さんは本書刊行に寄せての文章の中で、上記の部分が中村哲さんの偽らざる心境ではなかろうかと記していた。中村さんは、2019年12月4日水利権のことで一方的に中村さんを敵視していた凶悪5人組に襲われ凶弾に倒れた。73歳だった。村人たちには命の恩人として慕われていた中村さんなのに、その中村さんを狙うとはとんでもない悪党だとの非難が盛り上がった。中村さんはお亡くなりになられたが、その遺志を受け継いでアフガン、パキスタンの病人や難民を援助するペシャワール会という組織は今も活動を続けている。私もペシャワール会に協力(寄付)して少しでもお役に立たせて頂きたいと思った。
2023.03.12
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墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために/半藤一利【1000円以上送料無料】価格:1540円(税込、送料無料) (2023/3/8時点)楽天で購入半藤一利氏の「墨子よみがえる」を読んだ。紀元前5世紀の後半くらいに活躍した古代中国の思想家で平和論、非戦論を唱えた墨子の紹介である。孔子、孟子などは有名だが、墨子は殆ど知られていない。天下統一のために敵を次から次に滅ぼしていた秦の始皇帝にとって墨子の非戦論などはとんでもない邪説として退けられていったことが墨子の教えが後世に伝わらなかった一因と考えられる。墨子の根本思想は兼愛で、「すべての人を愛するという広い心を持たなければ善なる行為にならない。人を愛せば必ず人から愛され、人を憎めば必ず人に憎まれる。自分の親族や関係者ばかりでなくあまねくすべての人を愛し、他人に苦痛を与える争い(戦争)はしてはならない」という教えだが現実性のない絵に描いた餅だと孟子に批判されていた。著者は歴史のかなたに置き去りにされてきた墨子の教えを今こそよみがえらせなければならないと訴えていた。中村哲さんはアフガニスタンで貧民層の診療や水利事業に携わってきた人で2019年12/4車で移動中銃撃されて亡くなった方である。それより7年前の2012年に中村さんが帰省中著者が東京で中村さんと対談した内容が巻末に特別付録として収録されていた。中村さんがアフガニスタンと関わるようになったきっかけは、元々昆虫採集が好きでアフガニスタンを訪れたことがあり、ここにしばらく住んでモンシロチョウの故郷を調べてみたいと思っていた矢先、偶然にもキリスト教海外医療協力会から現地で働いてくれないかという話があり、そこで働くことになったとのことである。最初はパキスタンでの「ハンセン病コントロール5か年計画」に沿ってのハンセン病治療を行っていた。最初は5~6年で日本に帰るつもりだったが、自分が解決できる問題があるのにそれをほったらかして逃げるのはいさぎよくないと思って居続けることにった。長引いた原因は1998年にハンセン病根絶宣言が出されたけれど現場ではどんどん患者がやってきた。国家の見栄や都合で根絶宣言するが現実は全然違った。そこでその年にペシャワールに病院を建ててこれから何年も患者さんの面倒を見ていこうと思った矢先に大干ばつに襲われ村が全滅して2~3百万人の難民がアフガニスタンに生じた。病院の仕事よりも人々の生活援助が大切となり、干ばつで難民を生じさせないために河川工事に力を入れることになった。対談した頃は医療活動よりも殆どが河川工事で自ら起重機を運転して土木工事を連日行っているとのことだった。また子供たちのためにマドラサという学校も建てて教育にもかかわっていくことになった。現地はイスラム教で食生活にも違いがあり、豚肉はだめ、他の肉でも一週間に一回位しか食べないとのことだった。お酒はだめという生活だったが郷に入っては郷に従えで、現地に溶け込んで生活していた。正に墨子の教えそのままにすべての人を愛し、村人からも愛されていたが凶弾に倒れてしまった。アフガニスタンでは麻薬の栽培は国で認められており、大きな収入源になっていたが、中村さんは食料を得るための灌漑事業を行っており、麻薬栽培のタリバンにとっては中村さんは取水口関係で邪魔な存在として標的にされたみたいで無念でならない。中村さんが墨子を勉強なさっておられたのかどうか知らないが、中村さんの生涯をみていると墨子の教えそのままで、正に現在の墨子の称号に相応しい人だと思った。
2023.03.08
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夕方家に帰ってきたら満月が東の空に見えた。その後家に入って観た全日本対阪神戦で2本のホームランを打った大谷選手のようにひときわ輝いていた。今日は全日本と阪神との調整試合があった。今日から大リーグの選手も試合に出てよいとのことで大谷、吉田正尚、ヌートバーも出場したが大谷は2本のホームラン、吉田正尚、ヌートバーもタイムリーヒットを打って全日本が8対1で勝った。8点は大谷が6点、吉田とヌートバーが各1点入れた合計点である。流石に大リーグ選手は違うと思った。日本リーグの選手では村上や山川、山田などが期待されていたがさっぱりだった。近藤、岡本、牧などは調子よいが上記村上、山川、山田などが今の調子だと厳しいかもしれない。大リーグ組におんぶにだっこでは恥ずかしい。日本リーグ組の奮起を期待する。明日最終の調整試合オリックス戦があって木曜日からはいよいよ本戦で中国戦が緒戦となる。がんばってもらいたいと思う。
2023.03.06
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3月9日から始まるWBC(世界野球選手権)参加の為一昨日大リーグのエンジェルス所属の大谷翔平選手が名古屋のパンテリンドームで日本チームに合流した。昨日フリー打撃の様子をテレビで見たが27本中7本がホームランで3本は天井すれすれの大きな弧を描いて最上段に飛び込んでいった。長い飛行機旅直後なのに疲れた様子もなく、皆の注目が集まっていることに動揺することなく、自分の持てる力を平常心で表すことが出来るのだか凄いと思った。大谷は投げて打つ2刀流がことさら評価されているが、それ以上に人間性が素晴らしい。礼儀正しく、明るくて思い上がることがなく、大リーグで活躍している大選手とはとても思えない立ち居振る舞いをしている。恵まれた体、恵まれた運動神経、集中力、練習熱心、それに性格の良さが加わり、古今東西、日本だけでなく世界中で今まででナンバーワンの選手だと思う。ベーブルースと比較されているがベーブルースには申し訳ないが、はるかに大谷の方が上だと思う。これだけの選手は今までどこにもいなかったと思う。WBCでも活躍して世界一の原動力になってもらいたいと願っている。
2023.03.05
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おもと(万年青)がひっそりと実をつけていたリハビリテーションは脳卒中や骨折で障害を受けた人が、理学療法士などの指導を受けながら失った機能の回復を目指して、自分で訓練を積み重ねていくことだが、その効果は目に見えるものではなく、遅々たるものなので感情が残っている人ではじれったくて泣いてばかりいた人もいた。気が進まないが理学療法士に言われるから仕方なく手足を動かしていた人もいた。今回紹介するのは84歳男性である。一人暮らしだったので玄関で倒れているところを近所の人に発見されて救急病院に搬送された。倒れた衝撃で脳の左半球の脳の1/3位が挫滅していた。また両側硬膜下に血腫があり、呼びかけても殆ど反応のない状態だった。食べられないので鼻から管を入れてそこから栄養を入れている状態だったが、リハビリを継続して下さいということで当院に転院してきた。2016年に右肺がんを手術していることと関係あるのか、喀痰が多く、常に吸引していなければならないような状況であった。リハビリしても回復の見込みは殆どないような状態であった。1か月過ぎ、2か月過ぎても状態はあまり変わらなかったが、4か月を過ぎた頃から、何とか座位になり、車いすに座れるようになった。5か月目頃から昼のみ食事が食べられるようになり、この3月から3食とも介助してあげれば口から食べられるようになり、鼻管は不要になった。話しかけるとうなずいたり、声も少し出せるようになった。大変な進歩である。頭部CTでも左脳の挫滅部分も少し縮小してきた。入院してから数か月は殆ど変化は見られなかったが5か月経ってみたら、自分でご飯が食べられるようになり、話にもうなずいてくれるようになっていた。これからどこまで回復するかわからないが楽しみである。皆さんがこのような経過を取るとは限らず6か月経ってもも殆ど変化が見られない人もいる。しかしこのように毎日見ていた時は1日1日ではあまり変化はみられなかったが、積み重なると機能回復が見えてくることがる。様々な障害を抱えている患者さん方に、諦めないで辛抱強くリハビリ頑張ってもらいたいと伝えたい。
2023.03.04
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昨日第21回山梨医学フォーラム特別講演、芝本雄太先生の「放射線ホルミシス~少量の放射線被爆は体に良い?」をWEB参加で自宅にいながらスマホで拝聴した。芝本先生は成田記念陽子線センター長で国際癌治療増感研究協会会長で、日本ホルミシス協会理事でもある先生だ。講演拝聴はスマホなので画面は少し小さかったが声が良く聞こえて十分よく理解できた。ホルミシスとはある物質が高濃度、大量に用いられた場合は有害になるが、低濃度、微量に用いた場合には有益な現象を言うが、放射線の場合も同様で、身体が微量の放射線を受けると細胞などが刺激を受けてその働きを活性化させ、毛細血管が拡張して新陳代謝促進、免疫力や自然治癒力を高める効果が期待できることをいう。講演では蚕の幼虫に低線量の放射線を当てたら成長が促進されたデータと実際の写真やマウスに腫瘍を生着させようとした時、生着が遅れた、つまり腫瘍に対する抑制効果があったことなどの実験結果の報告があった。自然界には自然放射線が放射されており、何もしなくても年間2.4ミリシーベルトの放射線を浴びている。放射線と聞いただけで怖い、恐ろしい、と思う人が圧倒的に多いが、低線量ならむしろ浴びた方が良いということで放射線を出すネックレスやシーツ、腕輪などを使用している人もいる。講演を終わってからの質疑応答で、福島原発事故で不安をあおり大規模な徐染工事などで莫大な金を使っていることについて質問があったが、「おそらく何もしなくてそのままでも数十ミリシーベルト以下の被爆で害があると思われる数百ミリシーベルト以上にはならず、無駄なことをしてきたと思います」と答えていた。薄められた放射能汚染水を海に流すことについての質問についても「人体に影響を及ぼす量ではなく、海洋生物にも悪影響を及ぼす量ではないので全く問題ないと思います」と答えていた。放射線や新型コロナについては一般の人はその実態を知らないので必要以上に恐れる面があると思う。専門家はきちんとしたデーターを示していたずらに不安を煽るようなことをしてはいけないと思った。またホルミシスについても健康に良い線量と害になる線量の境界線についてきめ細かく示して頂いて人々が安心して暮らせるようにしてもらいたいと思った。
2023.03.01
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