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本日は、大阪で社長塾を受講してきました。やあ~勉強になりました。40名ほど参加されて大阪は勉強熱心です。三重県でも、広めるべきだ。何が勉強になったって。多すぎて早くまとめないと忘れそうです。自分の講義もこのぐらい集まるようにしたいもんだ。
2003.11.30
中部地区の中小企業は、下請けが多い。多くの社長は、技術はあるが営業ができないと嘆く。営業をどうしてよいかわからないし、営業をしたこともない。経営の構成要因は、以下である。 1、商品対策 2、営業地域 3、業界客層 4、営業対策 5、顧客維持 6、組織対策 7、賃金対策 8、時間対策営業関連をまとめると53.7%にもなる。にも関わらず、遠方を捨て時間が取れるといかに早く作るかを考えてしまう。その実営業は苦手なので無視して、目の前にあることを兎に角効率的に行うことを考える。実は、戦略がぜんぜんわかっていない。不景気になったり、長く経営をしようとすると俄然苦しくなる。これが今の中小企業の悩みの大半を占める。
2003.11.29
いままでの企業の投資というものは、ほとんどがハードウェアの費用だった。それは公共でも同じである。したがって、一度にどんとお金を出して、その後はサービスしろ!というパターンが非常に多い。ソフトウェア業界の不幸はこのような予算取りの方法を、そのまま受け入れているところにある。ビルを建てることを想定して頂きたい。設計、施工、メンテナンスという工程があるとしよう。その場合、設計施工で一旦決済が終わりほとんど回収できる。しかもメンテナンス会社は、別の会社であることが多い。目で見えるものなので、ほとんど作り直すということはない。ところがソフトウェアの場合、設計、製造、メンテナンスと考えた場合、切れ目がない。しかも、上記で話した予算取りのため製造工程の後に全て決済してしまう。そしてそれをソフト会社もよしとしている。1つのビルが完成後、入り口や窓の位置が変わったなんて聞いたことがない。ところがソフトウェアの場合、そういうことが日常茶飯事である。その原因は、作る側と使う側の両方にある作る側は、設計および製造者の能力不足である。使う側は、顧客の学習能力と会社の成長である。予算取りを今まで通りの慣習で行っているととんでもないことが起こる。ソフトウェアは、完成してから業務にどう活かしていくかが勝負であるのにその時には予算がない。肝心なときにお金がなくなってしまっているのだ。両方の立場にいた人間として1、すべての予算を使い果たさない2、着手金を払い、プロトタイプができた時点で決済する3、完成後、運用が落ち着いた後改造する言葉は悪いが、まずがんばれるように前金を渡す。予算を残すことで、ソフト会社に作り逃げされない餌をぶら下げる。こうすれば、お互いハッピー、運用を見させることでソフト会社も成長する私の持論でした。
2003.11.28
今日は、タイトルお二方の講演を聞いた。ご存知岡野さんは携帯の深絞りで有名な方だ。まさに、わが道を行くだ。豪快。儲かるものは人に言わない。会社は大きくするな。人と違う浮いた人を探せ!人とは違うことをしろ。まさに、弱者の戦略そのものランチェスターを勉強せずとも解っている。たぶん天才です。いや絶対天才です。堀場会長も同じく、集団から個になる個人の能力を評価できるようななるべし。これもまた、弱者の戦略を取ることを推奨されていた。パネルディスカッションは、三重県が誇る光精工社長と宮崎酒造の社長を交え、爆笑の渦でした。これは参加した人にしか、解らない。やはり強みを持っている企業は強い。我々凡人は、先駆者が築いたルールに従って戦略を立てるべきだ。それがランチェスター弱者の戦略である。
2003.11.27
竹田先生から私の留守に電話があり、26日に頼んでおいたから・・・・という伝言。FAXが流れてきて、草津でセミナーこれが3日前のことである。草津ってどうやって行けばよいのだ。そして本日参加した。今朝主催する中嶋綜合経営さんへ連絡したらどうもあまり伝わっていないようで非常に不安で出かける。草津駅に着いたら「岩崎さん」「おっ!聞きなれた声、ビデオの声。」竹田先生とばったりお迎えに便乗、しかも講師控え室に。コーヒーまで頂きしかも無料で勉強させて頂いた。所長の心の広さに関心。大変恐縮した。そして懇親会になだれ込む。名刺交換した人が、「どこからきたの?ああ宮の雪な、良く知っているぞ」なんと、滋賀同友会の代表理事。三重の代表理事のこともを当然良く知っている。「よかった。代表理事と同じ町内で」そして帰りの電車。実は電車を1本乗り過ごしてしまった。そこで待合室でいたら、ベンチャースクールであった女性にばったり。万が一が3回あった一日だった。明日はどういう出会いがあるのか。楽しみだ
2003.11.26
情報システムの導入方法というと語弊があるが、直接業務の場合は、正しい活用の方法になる。中年セールス特集で取り上げた車検到来者リストだが、システムは簡単な仕組みだ。市販されているデータベースで十分できる。場合によっては、表計算ソフトでも可能である。大切なのは、そこに利用者側の仮説が入っていたから成功したということだ。花王、メリーズ、セブンイレブン、ナイガイすべて仮説が入っている。間接業務の場合は、基本的に後処理になるので仮説は必要ない。逆にあると困る。しかし直接業務は違う。竹田先生流に行けば、システム3仮説が7の割合でシステムの効果に影響するのである。段取り3、行動7直接業務のシステム導入はこの3分がITの領域になる。ITの場合はもうひとつ壁があり、3分を作る人と7分を行う人が完全に異質の人間が担うところにある。この3分を完全に計画(段取り)にするための能力が必要になるのだ。それを忘れて、ITボーイに開発を任せれば業績が上がるというの間違いの始まりだ。直接業務のIT化を成功させるにはコンピュータの操作だけではなく情報の活用指導も開発の一環として入れることである。
2003.11.25
まあ今日は、えらいタイトルだ。情報システムというとかなり規模が大きくなるが、パソコンの導入も同じだ。コンピュータは何でもできるという考えで導入すると失敗するのは間違いない。システム導入は大きく2つに別れる。ひとつは、間接業務、もうひとつは直接業務である。日米の比較では、この比率が著しく違う。日本では、間接業務への投資が75%にも上る。(企業経営によるIT活用調査より)実は、このことが中小零細企業のIT投資をやっても成果が上がらない原因を作っている。ランチェスター弱者の理論からすると弱者は資源が限られているため集中させる必要がある。どこに集中させるかというと一番業績の上がる営業関係である。(戦略社長塾より)しかし中小、特に下請けをしている場合は、元請けの間接業務のためIT投資を行う場合が多い。すなわち、元請けの強者の理論に基づいた導入が多いのである。中小の社長は、それでIT投資したという気になり、成果が一向に上がらないと嘆く。成果は事務員の茶のみ時間ができただけ。自分のところが楽になるのならばまだましな方である。実は、よその会社の事務の仕事を請け負っていることがしばしばである。その投資が間接業務なのか、直接業務なのか。そして会社の業績にどのぐらい影響があるのかをまず考えるべきである。
2003.11.24
成功したことばかりではない。非常に悔しい思いをしたことがある。営業と言えども平日ではあるが休みはあった。いずれにせよ、売れていない営業。休みなど関係ない。その日も、がんばるつもりで靴を履き家を出ようとした、そのとき、妻から掃除の催促。しかもその日は変にネチコクすねている。私は、頭にきて玄関の掃除を適当に済ませて出かけた。営業所に着いたときに、ふと目に入ったのが自分より若いが営業の先輩である杉田(仮称)が商談をしているではないか。暫くして、注文が決まったらしくにんまりと笑ってこちらに来た。来店?と聞くと、まあまあといってごまかされた。彼が去った後、サービスマンに事情を聞くとなんと私が来る10分前にお客さんは着ていたそうだ。杉田セールスも直前に来ていた。つまり掃除をしていなかったら、商談の席に座っているのは自分だったかもしれないのだ。私は悔いが残った。それ以来、絶対に自分がよいと信じたことをやり遂げることを自分に約束した。教訓:自分自身を信じろ。しかし、今にして思えば、家庭の協力を得られる環境を作れ!の方が正しいな。
2003.11.23
最後の最後で受注に繋がるということはそれ以外にもよくある。ソフトウェア会社に入ってからのことである。NEC主催のイベントに2日間出展することになった。私は陣頭指揮を取っていた。2日間で100人からアンケートを取ることを目標とした。その100というのは根拠があるわけでもないが、兎に角100人のアンケートを取ることにした。2日目の残り20分のところで私はアンケート枚数を数えた。すると98枚残り2人何とかならか!と指示した。会場はぼつぼつ終わる雰囲気だったが、そこへ3名の方がこちらへ向かってきた。社員はもう片付けて終わりたそうだったが、行け!と号令をかけた。これで、100人達成である。その後、アンケートを頂いたお客様に1人ずつ訪問しお礼を差し上げた。暫くして、私宛に1本の電話があった。今度ソフトウェアの開発を考えているので相談に乗ってほしいということだ。めでたく、開発をさせて頂くことになった。教訓:せめて自分との約束は守ろう
2003.11.22
訪問販売をしていると、やはりサボリたくなる。多分これは、万人にあるのではないかと思う。私は凡人なので当然そうなった。ぼつぼつ販売ができるようになると特にそういう気持ちは起こる。車も少し売れ出し100件訪問も板についてきたころだ。時計を見ると16:20。営業所の決まりでは16:30までは訪問することになっていた。残り、10分まあ今日はよい話はなかったな。誰も見ているわけじゃなし。ぼつぼつ帰ろうか。そう考えていた。しかも、目の前の家はいつも留守のお客様だ。しかし私は「もしかしたら」という気持ちがなぜか湧き出しベルを押した。そうしたら、いつもは見えない奥さんが出てきた。次の瞬間私は、耳を疑った。「ぼつぼつ主人の車を代えようと思っているんです」「はあ・・・・」私は驚いた。「主人は、7時には帰ると思いますので、その時間に来てください」またまたびっくりだ。どうもいつもはおばあちゃんが留守番をしており、出ないようしていたらしい。かくして私は、7時に訪問し車を買ってもらえることになった。最後の一軒、たった10分で1台売ることができた。教訓:最後の最後まで諦めない。このことを自分と約束せよ。
2003.11.21
約束どおり、公開しました。1日限りの限定です。今日は、これだけで十分。
2003.11.20
漸く、戻った。今日は朝から、マイクロソフトの記者発表に立会い、米マイクロソフトのCEOスティールバルマー、日本のマイクロソフトの社長、マイケル ローディングと会った。IT全国推進会というので昨年まで活動を続けてきたことが評価され、今年度は評議員という形で参画することになった。ステーブバルマーとマイケルローディングの名刺は、明日写真で公開しよう。それに加えて、マイクロソフト認定システムコーディネータに合格した。自分の書いた推薦状で、審査が通らないリースが通ってしまうという大変な任務を受けた。精進していかねば。
2003.11.19
戦略社長塾の2講座目が開催された。商店主の方と水道工事の方がメンバーだった。物を売る商売をしているより、サービス提供をしている商売の方が、顧客思考が強い。自分の強みを商品にだけ求めようとすると強者の戦略に陥りやすい。自分自身のパーソナリティに求めると誰にもまねのできない物を提供できる。理容業の店主が、ヘルパーの資格をとっていたのには驚かされた。常にお客さんと話をする職業ほど個性の発揮できるものはない。弱者の戦略をとれば、利益も上がる。
2003.11.18
私が営業を始めて3ヶ月目に差し掛かったころ、以前と1台も売れていなかった。正確に言うと屈辱的な1台が成績としては上がっていた。それは、自分より10歳も年下の営業所で一番若いセールスに決めてもらい成績をもらったものだ。それでも何とか販売しようと私は毎日100軒を目標に活動を続けていた。そんな努力の結果か、車を買いたい人にぶち当たった。しかもその人は、私の以前の上司の友達だった。これは絶対に、販売できると私は信じ込んでいた。そして、所長にも杉田(仮名)さんですが以前の私の上司の知り合いらしいです。今度こそ大丈夫だと思います。そう報告した。ところがである次の日本社の営業から所長に報告があり「杉田さんですが、販売させてもらいました。本社の社員からの紹介です」と一報があった。そうです。以前の上司は私ではなく本社の営業に紹介を回したのです。成績はもちろん本社の営業で、私は依然としてゼロ台が続いた。所長が「お前本社でどんなことしてきたんや。紹介ももらえんのか」となじった。私は愕然とした。いわんや以前の上司。私は恨んだ。しばらくの間、全くやる気をなくしてしまった。しかし自分にも責任がある。今にして思えば本社に電話しておくなりすればよかったのである。実はこういったことが、後2回ほどあった。送り出すときは営業所へいったら紹介するからといってくれた人から私は、3度も裏切られたことになる。そのたびに、悔しい思いをしたが責任は自分にあると思うように努力した。あのとき、知り合いを完全に宛てにしていて、紹介してくれないのは相手が悪いと決め付けていら、次の販売はなかったと思う。その悔しさから、絶対自分が売ろうと心に誓った。ことが結果的に技術を身につけることになったのである。教訓:最初から紹介を宛てにするな
2003.11.17
本日第一回目の記念すべき戦略社長塾が始まった。無事終了。次回からメンバーが追加されて残り3回を行うことになった。大変ためになるという感想で、概ね好評だった。早速、竹田先生にFAXで報告。あと2クラスをスタートさせてもっとよい講座にしていきたい。今日は、「中年でもセールスで成功する方法」はお休みです。
2003.11.16
その当時は、夕方まで営業の外回りが終わると夜の攻撃といって、7時には営業所を出ることになっていた。しかし昼間お客様先との約束ができてないと軒並みに夜回るわけにも行けず非常に困ったときがある。私が営業所を中々出て行かないのを見るに見かねて所長が「どこも行くところがないのか?」と声をかけてきた。「そういう場合は、集中して電話するのも方法だ」そうアドバイスをしてくれた。私は、経験がないのですぐに所長の言うとおり何も考えずに兎に角電話コールをした。その中で1件「ぼつぼつ考えているが、まだ代えない」というお客様がいた。それを所長に報告すると、「行ってみたらどうや」と・・・・私は、すぐに行動した。当然会うのは初めてである。ご主人と話をし始め話はとんとんと進み、値引きの話となった。奥にいた奥さんが出てきて、また奥で相談をして帰ってきた。何か奥さんも出かけなければならないということで、急いで見えたようだ。すぐに所長に連絡をいれ、決済をもらった。所長「さっき電話しとったところか」私 「はい」私 「それで条件ですが・・・・」所長「おい。大丈夫か?そんな簡単に決まるんか?」結局、その場で車を購入して頂いた。玄関を出るときには、奥様は出かけてしまった。ご主人と少し帰りに話して初めてなぜすぐに車が売れたか分かった。1、2から3日前に別会社のセールスが来ていた。 そのセールスには断ったばかりだった。2、奥さんは介護の仕事のためめったにこの時間はいないが偶然用事があり戻ってた。この2つの条件がそろっていたので、タイミングよく販売できたのだ。セールス経験がないことをカバーするのは、先輩の言ったことを何も考えずに行うこと。教訓:馬鹿になって何でもやってみる
2003.11.15
人並みに売れるようになったころである。私はもっと楽に車が売れないかと考えていた。コツコツテリトリを回るだけでは、どうしても限界がある。目標の50%はテリトリ、残り50%は来店客という比率であったが来店客はほとんど運の問題なのでこれ以上台数を増やすには、テリトリからの販売台数を上げるしかなかった。当時、車検の3ヶ月前に車を買い換えるという統計があった。そこで本部からは、4ヶ月前の車検到来者の一覧表を作って営業にアプローチさせていた。私もテリトリ分をもらい、電話コールや訪問をかけていた。ところが、4ヶ月前のリストをフォローすると車を買い換えた、または車検にする。と一向に売れる気配がない。そのリストを見てはっと気がついた。車の登録は、1ヶ月程度掛かる場合がある。したがって買い換えた月の1ヶ月前には注文されている。それならばと、5ヶ月前のリストを申請しようと考えた。私 「5ヶ月前の車検到来者のリストをください」所長「そんなもん、出るのか」私 「でます。だって私が作ったシステムですから この申請書に印鑑をください」所長「そうか」私は、5ヶ月前のリストにアプローチを試みた。やはり、若干反応は違った。車検は迷っているようだが、車はどうも決めているようだ。そこで、私は6ヶ月以前のリストを請求したが、所長「いい加減にせい。最後やぞ。」それならと、思い切って一年分のリスト月別にお願いした。それを、1ヶ月ごとに前倒しにして、アプローチしてみた。そうしたら、6ヶ月ぐらい前にぼつぼつ考え出している人が増えた。この実験により、2回目の車検の1年前から営業がアプローチすると受注の確率がぐっと上がることに気づいた。そして私は、皮肉なことに、自分自身の作ったシステムで業績を上げることになった。このことは、もちろん他のセールスには内緒の話である。教訓:仮説検証せよ。
2003.11.14
私は車の営業をするまでは、農耕機械の整備、車の整備そしてコンピュータプログラマ、システムエンジニアと職種が変わってきた。その中に営業職は全くなかった。33歳で営業と言うのは本当にプレッシャーが掛かるものだ。システムエンジニアとしては部下も増え外から見ると冷暖房完備で回りに女性が多く羨ましい仕事に見えただろう。転職を決意したとき、ほとんどの人が反対をした。売れるわけない。何を考えているのか分からんという人もいた。成功の要因となったのは、みんなの反対を押切ったということが大きな要因かもしれない。さて、1ヶ月の研修が終わりテリトリを与えられたが、私にはさっぱり販売の仕方が分からなかった。唯一フランクベドガーの「私はどうして販売外交に成功したか」という本を読んだぐらいだ。昼間は当然ご主人は出勤されて誰もいない。ほとんどが、留守番のおばあちゃん。奥さん。そんな状態でほかのセールスはどうして売れるのか不思議でならなかった。私は紹介をもらう人もいないし、営業力もないので、1軒1軒回るしかなかった。その中でも自分自身と約束したことが3つあった。 1、1日に100軒回る 2、16:30まではどんなことがあっても、活動を続ける 3、ドアを開けるときは絶対売れると思って開けるこの3つを忘れないように、1日1日過ごした。長い1日が続いた。最初の壁は一通りテリトリを回りつくした時にやってきた。初回訪問は、「新任の挨拶で来ました・・・」と話せばよいが、2回目はそうも行かない。私は困った。どうしたかというとカタログを持って歩いた。しかしそれも長くは続かない。もちろんカタログの部数も限られるが、おばあちゃんにカタログを差し上げても風呂の焚き付けに使われるぐらいだ。そこで私が考えたのが挨拶と雑談だけにすることだ。そう考えるようになってから、また訪問回数が増えた。そしてなるべく短い時間にすることを心がけた。どうしたことか訪問を続けるといろんな情報をくれるようになった。例えば、来週の日曜日はいるはず。とか この間ほしそういなことを言っていた。とか今考えるとこれは訪問件数を増やすことで苦し紛れに考えた方法だが結果的にフランクベドガーの再訪問方式という方法になっていた。最近よくテレセールスでいきなり商品説明をする営業の風上にも置けない手合いがいる。営業が嫌がられる原因を作っているやつらだ。本当に腹が立つ。この方法も全く逆をするわけだ。また量を経験することで、話すコツも急速にうまくなった。最初は先輩方に口の利き方が業者を使うような利き方だ。止めろといわれたが、本人はぜんぜん分からなかったが、それもどうやら直ったらしい。教訓:兎に角テリトリをしっかり歩くこと。そうすれば上達は格段早い。
2003.11.13
「心から売りたいと思う」ときというのは、何も初めて車を売ったときだけのことではない。その後人より多く車が売れるようになっても同じことが起こった。3月私は絶好調であった。当然自分自身のノルマなど軽く達成したい。結果的にこの月は20台を販売した。そんな状態でも、絶対に売りたいという気持ちは時としてすごいパワーを発揮する。自分は好調であったが、営業、会社の目標台数は下回っていた。そこで会社が打って出た手は、限定80台大幅値引きである。通常の値引きを数十万上回って承認してくれる。しかしそういうときでも、売り先がなければ何もならない。全拠点で販売している為、すぐに在庫がなくなる。後2台となったとき、所長がはっぱをかけた。それもそのはず後1台で営業所の最低ラインに入る。これが売れなければ所長は全社会議で攻められてしまう。最終日、朝意気揚々と出かけたセールスが一人、また一人と帰ってくる。所長 「どうやった」営業 「だめです」所長 「在庫は最後の一台や」私は、あの大雨の日のように、やっぱりドドメを刺すのは俺か。それに所長の喜ぶ顔が見たい。と勝手に思った。また例のごとく目の前に客の顔が現れた。そしてすぐに車に乗り出かけた。テリトリを大きく出て地図で調べた住宅街へ行った。息子さんの車の商談だ。スプリンターと競合している。自分しか決められないという自信があっけなく商談をまとめた。なんせ最後の1台。時間との戦いであった。営業所に戻って、宮田セールスにタッチの差で負けた。売れんかった。そう私につぶやいた。このときは、最初売ったときとは別のことが要因で売りたいと思った。しかしこのことが売れる大きな原因であったことには間違いない。教訓:売りたいと思えるように気持ちをコントロールせよ
2003.11.12
「今しかない!」そう思った私は、今まで訪問したお客様の顔を一人一人思い出した。走馬灯のように脳裏に浮かぶ。そしてついにこの人しかいない。もう2度3度返事をもらえなかった。愛田さんしかない。そう思った。私は、大雨のなか車を走らせ愛田さん宅に向かった。到着は、丁度昼時。こんにちは。っと玄関を開ける。ご主人は見えた。よくよく考えたら、こんな大雨の日に外に出て行く馬鹿はよほどのヤツ。普通の人なら家にいる。私は、玄関で立ったままだった。それもそのはず靴は水びたし、上がれる状況ではなかった。愛田 「まあ、上がったら」私 「失礼します」愛田 「・・・・・」私 「のど自慢ですか・・・」もう車のことは全て話し、何も話すことがなかった。それから私は何も話さず、じっとテレビを見ていた。その間全く時間は気にならかった。不思議なことに買ったほしいという気持ちも起こらず、ただ一緒に時間を過ごした。奥さん「もうぼつぼつ決めた上げたら・・・」「今しかない。」と思った私は、頭の中でこれまでに訪問したお客の顔をめぐらせた。走馬灯のようにお客の顔が現れては消え、消えては現れ、そして決めた。「愛田さんのところへ行こう!」今の私が売れるとしたらここしかない。そのお客様は、テリトリを毎日回っていてやっと見つけたお客様だ。営業所にも着てもらい、マネージャーにも、先輩にも同行してもらったが、結局OKは頂けなかった。兎に角私は、車に乗りお客様宅に向かった。着いたのは12:00過ぎ、私は昼時であろうがなかろうが、全く考える余裕もなかった。ドアをノックし、「こんにちは」愛田さんは、九州から出てきて夫婦2人暮らしで、非常に無口な方だ。愛田 「こんな雨の中、上がったら・・・・」私 「失礼します」ご主人は、NHKの番組をじっと見ている。私 「・・・・・・のど自慢ですか?」今までの訪問で、既に話すべきことは、全て話した。私は、車のことなど全く話すことはない。私は、ただじっとしていた。夕方近くになり、奥 「もうそろそろ決めてあげたら・・・・」その言葉で、「ひょっとしたら」という思いがよぎった。愛田さん「じゃあ、計算して・・・」私は早速費用の計算を始めた。もう何度もやっているので間違いない。そして、下取り金額の希望を聞きだし、所長に電話をかける。かなりの値引きだが、絶対OKがでると信じていた。私 「愛田さんのところにお邪魔してます。」所長「愛田さんって、何回も断られているとこか。何しとんのや」私 「何しとるって。車の商談や!」心の中で叫んだ。私 「○○という車種で、○○円の下取りをご希望です。よろしいでしょうか」所長「えらい値引きやのう。しゃあない。取って来い!」私は、ほくそえんだ。気持ちをぐっと抑え、注文書を書き直し、サインをしてもらう。そして書類を整備し「有難う御座いました」愛田さんの家を出て時計を見ると、なんと夜の7時「やったあ!」初めて自分の力で売った。私がもしあの瞬間、どんなことをしてでも売りたいという気持ちが起こらなかったら、どうであっただろう。今にして思えば、なんと言う汚い売り方だろうか。こんなセールスからは絶対買いたくない。しかし、物事が動き出すためにはこのような多大なるエネルギーが必要になる。才能のない私は、この方法で窮地を脱した。このどんなことをしてでもという気持ちは、今でも窮地に立たされると絶対に忘れることはない。鉄則1、心から売りたいと思え
2003.11.11
「わかりました。有難う御座います」そう言って私は電話を静かに置いた。この瞬間を境に自分自身がこれほど変わるなど誰が予測できただろう。その日は、朝からすごい雨だった。ワイパーを最強にしても2メートル先が見えない。私は営業所で「ああ、こんなひどい雨なら今日も受注なしやな。こんなときに売れるヤツはいない。ひとつ言い訳ができたな」私は心の中でほんの束の間の安息を得ていた。そこに一本の電話が入った。所長宛だ。どうやら営業員と話しているようだ。私は辺りを見回した。みんないるようだ。誰や?ところが次の所長に一言に私は愕然とした。「林田セールス、1台決まり!」「げぇ~、なんちゅうことするんや!。俺なんか営業に代わって3ヶ月。売れた車はたった2台しかも1台は自分の車。」私が33歳で営業に代わって3ヶ月目の11月、日曜日の朝の出来事である。私は次の瞬間「俺も、こんなセールスになりたい」そう思うと、そしてなぜか。「今しかない!まさに大雨が降っている今日がチャンス」と思えた。さて皆さんなら、次にどういう行動をとるでしょうか。この続きは、次回お楽しみに。
2003.11.10
戦略社長塾を開催する運びになった。皆さんにムリを言って集まって頂く、奇しくも長女、長男と誕生日これも何かの縁か。同業者100人中1番のスーパー戦略社長になって頂けるよう。しっかりと講義したいと誓う。今日も、明日もトレーニングに励むぞ!
2003.11.09
はがきも工夫次第で節約できる。というより普通の設立の通知は使いにくい。なぜかと言うと、封書でかっこいいものを使っても、サイズが大きく正式な名刺をもらうまで名刺フォルダにも入らないハガキは普段状差しの中だし、管理しにくい。そこで探したらありました。剥がすと名刺になるハガキが。600枚あまりを裏表印刷し、切手を貼るのに丸2日掛かったが、パソコン何とかできました。途中トラブルもありパソコンはつくづく不便だと感じる。経営者が時間掛けてやるものじゃない。
2003.11.08
朝になって書類が足りない。設立見送りか!と思ったが周りの助けで、設立に漕ぎ着けた。本人は、開拓訪問のアポイントがあるし一時はどうなることかと。その甲斐あって、注文をもらうことに成功。持つべきものは先輩。初めて会ったのに即購入を決めてもらった。「本気社長の経営戦略」音声テープが売れた。世の中捨てたもんじゃない!しかし納品書はないし、請求書もない、これからどないしていくのか、本当に不安な幕開け。ささやかながら、2本の缶ジュースを家族6人で分け合って乾杯。この家族の行く先はどうなることやら。
2003.11.07
7日設立だ。もうお金がないぞ。えらいことです。名刺を整理し抜粋2000枚から650枚ぐらい絞る。同級生やいろいろ入っているので、お客さんになってくれそうな人はごく一握り。家族みんなが看板作ったり、はがき作ったり、まあ大変なオヤジに当ったと思って楽しくやってくれているのがせめてもの救いかな。
2003.11.06
本日経営者の集まりがあり、その後の懇親会も参加した。隣に居合わせたK社長。私が迷っていた24時間営業に一括!社長自らやらねば24時間ロードサービスなんてありえない。もっと工夫しろ!っとガーンと一発。まだまだ甘い。そしてたくさんの社長に励まされ、がんばるぞ!という気になった。甘えてなんかいられない。兎に角、一所懸命になること。ITの救急車を目指して。
2003.11.05
まだ、会社準備中だがぼつぼつ営業モードに突入してきました。今日は、5名の方とお会いできアポイントもしっかり取れた。調子に乗って営業日報をつけることにした。やっぱり一匹狼で外回りしているのが性に合って入るのかも
2003.11.04
今日は、電話が開通よかった。よかった。漸く仕事ができる。午前中は案内状の作成、夕方からは名刺の整理。こういう雑件を早く片付けなければ、営業できないな。竹田先生からも何度か電話をもらい。早く軌道に乗せたい。ちょっと時間をとって年表を書いてみた。人生を振り返ると勇気も沸いてくるかな。これから知り合いの社長宅に行きますのでこれぐらいで
2003.11.03
31日からランチェスター経営竹田先生を訪ねて福岡に出張してきた。その晩は、一緒に食事をし、アインシュタインの発想から始まり私の状況までざっくばらんに話を聞いてもらった。代理店の条件も一応聞いたが、非常に悩んだ。1日になり、めでたく正式にフリーターとなり竹田先生より正式に代理店の話を聴く。その場で中村先生が熊本に行くので見学することになった。なんと熊本まで1時間30分かかるそしてもう一泊。結局福岡に戻ったのが18:30それから11時過ぎまで酒を飲み身の上話で盛り上がる。翌日、8:00に資料をもらいに行くことを約束し就寝。さて、漸く本日であるが7:45に部屋を後にしたがふと思いかえり靴を磨く為だけに部屋も戻る。そこにベルの音がする。最初は目覚ましかと思いきや、電話である。なんと竹田先生から。この一瞬に運命を感じ、事務所で再会する。再度、代理店の話をし決断した。なんと不思議な運命か。私は2ヶ月前まで竹田陽一という人物の「た」の字も知らなかった。もしかしたら私の人生に多大なる影響を与える人にあったのかもしれない。
2003.11.02
熊本まで足を伸ばした為、日記かけず
2003.11.01
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