全5件 (5件中 1-5件目)
1
<茶屋の鍛錬 その二>-----#339その日、愛宕下の茶店に大きな男と綺麗な娘が連れだって現れた。 二人は、何処かの大身旗本の姫様と護衛の武士の様に見えた。 店には他に二組の客が団子を食べ、お茶を飲んでいた。 「慈恩、私は餡のお団子とみたらしのお団子とお茶をな」 「はい、畏まりました。亭主殿、餡団子一本とみたらし団子一本と草団子二本と茶を二杯じゃ」 「へ~い」 「慈恩、其方は芝の神明様は初めてですか」 「いいえ、何度か来た事が御座います」 「以前と変わりはありませぬか」 「はい、御座いませぬ」 「お待ちどう様でした」 二人の話が聞こえたのか、店の亭主が餡とみたらしの団子を娘に、草団子を大きな男の横に茶と一緒に置いた。 「ありがとう」 「ありがとう御座る」 「お口に合えば宜しいのですが」 店の亭主が立ち去ると二人は小声で話し合った。 「慈恩様、亭主殿は重しをお着けのようですね」 「その様だ、弥生殿」 「慈恩様は山へは何度行かれましたか」 「三度です、弥生殿は」 「二度ですが、一度が長いですから」 「それは羨ましい事です」 「苦しく、辛いはずなのですが楽しい毎日で御座いました、また、行きたくなります」 「左様、左様、己が日々強うなるのが楽しいのでしょうか」 「そうなのかも知れませぬ、山から江戸に戻ると街々の景色が違って見えるのです、これまでに気づかなかった物が見えるのです、不思議です」 「愚僧は、私は以前も山々を駆け回り、座禅も組んで居りましたが、龍一郎様の理をお聞きしてからの己の伸びが格段に違うのです、何のための修行か、何に意識をするかを知っているのと、知らぬ、意識せぬでは、これほどの違いがあるとは思いも寄りませぬことでした」 「はい、私たち姉妹もそれを感じて居りました」 慈恩と弥生は料亭・揚羽亭では慈恩が料理の師匠で、武術では弥生が師匠で日々を過ごしていた。 昨日、誠一郎と舞から今日の任を受け、追加の重しを持って愛宕下の茶店に来ていた。 二人は声音を元に戻し、何気無い話に終始した。 「姫様は初めてで御座いますか」 「はい、初めてで御座います、荘厳で神聖な処で御座いますね」 「はい、何処の寺社仏閣へ参りましても、その様に感じます、特に此方は感じます」 「此処は特別ですか、慈恩」 「はい、この時刻は人も多いですので、その思いも薄う御座いますが、早朝や夜半になりますと、また、趣(おもむき)が変わります」 「おぉ、左様で御座いますか、早朝に来てみたいものです」 暫くして、二組のお客が順次支払いを済ませ立ち去った。 また、暫くして、慈恩が亭主を呼んだ。 「亭主殿、重しの追加をお望みかな」 「・・・其方様方は橘道場のお方で御座いますか」 「左様、どうじゃな、要り様かな」 慈恩はそう言って、証に袖を捲り上げて重しを覆い隠している晒を見せた。 「証をお見せ頂きありがとう御座います、他の者に知られぬ様にとの事でしたので、失礼致しました。 そろそろ道場へお伺いしようかと思うておりました、お持ち頂いたなら、有難く頂戴致します」 「これにお持ち致しました、どうぞ」 慈恩が懐から二人分の重しと晒を出して渡した。 「おぉ、ありがとう御座います、後程、早速にも着けさせて頂きます」 「処で、裏の雑木林は人気(ひとけ)がありませぬ。鍛錬場に良い様です。今は竹刀、木刀どちらですか」 「はい、竹刀です、同じ処から振り始め、同じ処で止める事はなかなかに難しいもので御座います」 「左様、倦まず撓まず(うまずたゆまず)の心がけがあるのみです、一月後、二月後、三月後にお解りになるでしょう」 「はい、精進致します」 「基の鍛錬が成りましたなら、次の段階が待って居ります、江戸の外れに鍛錬所が御座います、そちらでの鍛錬をして下さい、その後は山の鍛錬所が御座います。留守の間の店の商いは我らの仲間が致します、まずは我ら二人が本日只今より下働きを致し商いを習います、団子などの作り方と商いをお教え下さい。因みに我らは料理人で御座います」 「お姫様では御座いませんのですか」 「私は姫では御座いませぬ、芝居です、龍一郎様にお会いするまでは、無宿者でした」 「名乗りがまだでした、私は宍戸慈恩と申します」 「私は望月弥生で御座います、弥生とお呼び下さい」 「私は山波宗十郎と申します、奥に居りますのが妻女・於登勢(おとせ)で御座います。 私は、この辺りでは宗の字と呼ばれて居ります」 「山波様と呼ばせて頂きます、ですが、店では親父さんと呼ばせて頂きます」 「はい、宜しくお願い申します」 翌早朝、茶屋の裏の雑木林から竹刀を振るう音が聞こえた。 宗十郎と於登勢が振るう竹刀の動きを慈恩と弥生が指導していた。 「於登勢様、真上からは良いのですが、始まりを後にすると始まりと終わりの位置が定まりませぬ」 「如何様にすれば宜しいでしょうか」 「ご自分で定まっていない事を理解することが先決で御座います、如何ですか、解っていましたか」 「残念ですが、同じと思うて居りました」 「折角、お二人での鍛錬ですから、指摘し合うのが宜しいでしょう」 「己の鍛錬に気が行っておりました、のぉ、お前様」 「うむ、確かにのぉ」 「宗の字の親父、団子の味が変わったな、店先に見目麗しい女子がいるせいかいのぉ」 この朝から弥生が店先に立ちお客の接待をし、慈恩が朝、餅を突き、奥で団子を捏ねていた。 「弥生さん、こっちも草団子二本くんな」 「は~い、草団子二本入りました」 「はいよ~」 「弥生さん、こっちは餡団子三本おくれ」 「は~い、餡団子三本入りました」 「はいよ~」 「弥生さん、こっちはみたらしを四本だ」 「は~い、みたらし団子四本入りました」 「はいよ~」 この日は、お客に何時もに無く男衆ばかりが目立っていた。 「お~い、そこの人、食べ終わったんだったら席を空けねいな」 外で席が空くのを待っている人から声が掛かった。 「まだ、終わっちゃいねいや、弥生さん、餡団子、草団子一本づつくんな」 「は~い、餡団子と草団子一本づつ入りました」 「はいよ~」 「てめい、何時まで食っていやがるんだ、店始めからじゃねいか」 また、外で席が空くのを待っている人から声が掛かった。 「何か文句でもあるのか、てめい」 「おぉ、やるのか、てめい」 店先が揉めだした、と、その時、奥から始めて慈恩が姿を見せた。 「お客さん、店で揉め事は困りますな」 慈恩の巨体を見た揉めていた二人だけで無く、店にいたお客も並んでいたお客も驚き固まった。 慈恩は一言だけ言うと奥へと引っ込んで行った。 「とっつぁん、用心棒かい」 「馬鹿言うんじゃ無いよ、何処に用心棒を雇う団子屋があるもんか、ありゃ~料理人だ」 「でっけい料理人だな、それで団子の練りが良くて旨くなったんだな」 「そうだな、そんなに旨いか」 「なんだ、とっつぁんは食べてねいのかい」 「商売もんだからね、食べていないな」 慈恩と弥生が働き出した初日には午後になって直ぐに朝の餅つき分がなくなり団子が売り切れた。 次の日から朝の餅つきの量を増やしたが、看板娘が評判になったか、餅の味が評判になったかで、餅の量を増やしたにも関わらず、やはり午後には売り切れになってしまった。 朝につく餅の量が増えて必然的に起きる時間も早くなった、だが、早朝鍛錬で慣れていたお陰で苦にはならず、餅米が炊ける間に慈恩、弥生、宗十郎、於登勢の四人で鍛錬していた。 とうとう、夕方を過ぎ夜になっても客足が途絶える事が無かった。 そんな日が十日過ぎた夜に弥生が宗十郎と於登勢に告げた。 「私たち二人は今日までです、明後日より別の二人が参ります、暫くでしたがお世話になりました」 「こちらこそで御座る、其方らのお陰で売上が五倍に成り申した、有難い事です」 「何の事がありましょう、其方様のこれまでの誠実な商いの賜物で御座います、なお、明日、次の二人には、此方で習った事を伝え直ぐにも商いの手伝いが出来る様に致します」 「それは有難い事で御座います、何から何までの心使い、痛み入ります」 「では、お休みなされ」 「ありがとう御座った、お休みなされ」 翌々朝、宗十郎と於登勢が裏の雑木林に行くと男女の二人が待っていた。 「おぉ、弥生さん、戻られたか、お連れの方は何方かのぉ」 「宗十郎様、私は弥生では御座いませぬ、弥生と双子の姉、葉月で御座います、隣に居りますのは双角に御座います」 「何と、双子で御座るか、真で御座るか、違いが解り申さぬ、本に弥生さんではないのですか」 「違います、昨日、先の二人、慈恩殿と弥生より、店のもろもろの指南を受けましたが、最初は戸惑い、支度や商いが遅れるでしょうが、お許し下さい。それと先の二人も料理人でしたが我ら二人も料理人です、最も料理の師匠は双角殿、剣術の師匠は私、葉月で御座います。では、ご挨拶はこれ位にして朝の鍛錬を始めましょう」 「はい、宜しくお願い申します。鍛錬は餅米が炊けるまでの間と饂飩が熟すまでで御座います」 「承知しております、刻を無駄には出来ませぬ、始めましょう」 こうして、朝の鍛錬の師匠が慈恩と弥生から、双角と葉月に変わったが何の遅延も無かった。 昨日の一日は餅の風味が以前に近く戻ったが、今日の餅の風味は一昨日に戻っていた。 店先に娘も戻り、店に活気が戻っていた。 「弥生さん、昨日は寂しかったぜ」 「お客様、私は弥生では御座いません、双子の姉の葉月で御座います」 「えぇ、弥生さんじゃ無いのかい、葉月さん、ね、葉月、葉月、お~い、皆の衆、この美人はよ、弥生さんの姉の葉月さん、だってよ、間違えるんじゃないぜ、葉月さんだぜ」 「おぉ、解ったぜ、しかし、綺麗な双子とは世の中の不条理だね」 「何だ、その不、何とかはよ」 「綺麗な処を何も双子に与える事も無いじゃ無いか、と言う事だよ」 「お前さんは綺麗な娘が嫌いなのかい」 「とんでもねい、大好きに決まってらぁあな」 「なら、くちゃぐちゃ言うんじゃねい、話よりも団子を食べな、食べないんなら席を空けねいな」 「葉月さん、餡団子二本くんなぁ、下さいな」 「は~い、餡団子二本入りました~」 「はいよ~」 「葉月さんよ、わっちによ、饂飩をくんな」 「饂飩一丁入りました」 「おいよ、饂飩一丁~」 こうして、茶屋の宗十郎と於登勢が丘屋敷、山鍛錬所への修行の備えがなった。 <つづく>
2025.11.29
コメント(0)
<奈良屋との別れ>-----#338 平四郎とお峰が控えている部屋の廊下に手代がやって来た。 「お侍様、主様がお話したいと申しております、奥のお部屋でお待ちです、お時間が宜しければ、お願い申します」 「畏まりました、直ぐにも参ります」 「はい、その様に申します、失礼申しました」 手代が廊下を戻って行った。 「お峰殿、何用か解らぬが参ろうか」 「はい、旦那様」 二人は部屋を出て廊下を歩き主の居間の廊下に座り入る許しを求めた。 「おぉ、早速見えられましたか、忝い、さぁ、さぁ、お入り下さい」 「失礼致す」 平四郎が主・奈良屋茂左衛門の前に座り、お峰が平四郎の斜め後の廊下側に座った。 「何の用で御座ろう」 「はい、其方様は香具師と言う商いをご存じですかな」 「はい、存じております」 「寺社の参道の守り役は香具師の元締めがほとんどでしてな、まぁ、参道の守り役ですな、守り役と申しても店賃を寺社の代理で集め手間賃を取り寺社に収める任で御座います。店の場所決めの任も御座います。祭礼のおりの場所割りも御座います。これは何処の寺社の参道でも同じでしょうな。いろいろな、いざこざの仲裁も致します。神田の明神様の守り役は井筒屋と言う香具師の元締めが務めておりましてな、この者が最近、店賃を頻繁に上げておりまして店子が困っておりました。ですが、昨日、代替わりを致しました。元締め、つまりは、あちらの商いの名で親分と呼ばれる御仁が入れ替わりました。手下と浪人者が三十人以上もいるのにです。私は案じているので御座います、新たな元締めが以前と同じ様に店賃を上げるのかとな、それを調べて頂けませぬか、お願い申します」 「解り申した、奈良屋殿は調べた後に以前よりも高い店賃にする元締めであったなら、何としますかな」 「何処かの参道の守り役を真っ当にしている方に変わって頂けぬか、とお願いしたいと思うております」 「左様ですか、ですが、真っ当な方が他の香具師の元締めの島を、縄張りを奪う事は致しませぬ」 「おや、香具師の元締めにお詳しいですな」 「処で、奈良屋殿、以前、襲われたと申しておられたが、誰の指金か、お判りになりましたかな」 「いいえ、奈良屋は唯の材木商に御座います、その様な調べを為す術を持ってはおりませぬ」 「出入りの岡っ引きをお持ちで御座いましょう、お頼みして見ましたかな」 「いいえ、幸運にも北町の同心に助けられ、無事で御座いましたのでな」 「それでは、また襲われるやも知れませぬなぁ」 「まぁ、それで其方様をお雇いした次第で御座います」 「付かぬ事をお聞きするが、奈良屋殿はその井筒屋になんぞ曰くが御座いますのでしょうかな」 「火消しの寄合いにお付き合い頂きましたな、井筒屋は神田の火消しの元締めを欲っしているのです」 「成程な、それで邪魔な奈良屋殿を・・・で御座いますか」 「成程、井筒屋が後におりましたか、どうもその様で御座いますな」 「奈良屋殿、もうご心配無用で御座います、確かに先日襲いし者の裏には井筒屋がおりました、ですが、井筒屋は潰れました、奈良屋殿は井筒屋の部屋住み、次男坊の藤次郎殿をご存じですかな」 「はい、存じております、寺子屋の教授方を務めておられました、只今も少し離れた処でお勤めですぞ」 「その藤次郎さんが新たな井筒屋の当主で御座いますよ、親分とは呼ばず頭取と呼び変えるそうです」 「何ですと藤次郎さんが跡目の親分、いえ、頭取で御座いますか・・・何とも、其方様は何故ご存じなので御座いますか」 「以前の井筒屋を潰したのが我らの仲間だからで御座いますよ」 「其方のお仲間・・・と申しますと」 「奈良屋殿は橘道場をご存じですかな」 「はい、先の大試合で活躍為された鍛錬所で御座いますな」 「我らは橘道場の門弟で御座います、我らは江戸の安寧を願う者の集まりです。この事を知るのは其方様と新たな頭取の藤次郎さんと頭の勝次さんだけです、他の方には漏らさぬ様に願います」 「橘道場の方で御座いましたか、道理でお強いはずで御座います」 「藤次郎さんが治める井筒屋さんとこちらの奈良屋さんの後見を橘道場が致します。何か御座いましたなら道場に書簡をお送り頂ければ、お役に立ちましょう。但し、くれぐれも誰にも知られぬ様に願います」 「畏まりました、心強い後見で御座います、では用心棒は終わりで御座いますか」 「左様、災いは取り払って御座いますればな」 「真にありがとう御座いました」 「では、我らは此れにて失礼致す、さらばに御座います」 「真に、真にありがとう御座いました」 奈良屋が頭を垂れ礼をして頭を上げた時には二人の姿は消えていた。 平四郎とお峰は道場に戻る前に井筒屋へ向かった。 そこにはお高と貞吉に替わって揚羽と慈恩が影護衛として天井裏に控えていた。 「お二人さん、何事も無い様ですね」 お峰が二人に声を掛けた。 「お峰様、平穏無事で御座います」 「藤次郎さんと勝次さんの働きは如何ですか」 「二人だけになった時に重しの証の晒を見せ合い、橘の仲間になった事を確かめておりました。 今もまた二人だけで今後を決めております」 「では、ご挨拶に参ります」 平四郎がそう言うとお峰と共に天井裏から部屋の中に降りた。 「藤次郎頭取、勝次頭、どうですかな」 突然現れた平四郎とお峰に驚く風も無く勝次が答えた。 「はい、お蔭様で皆も生き生きと勤めに励んで御座います」 「藤次郎さん、頭取としてやって行けそうですか」 「勝次さんがおられ補佐してくれますので、どうにか出来そうで御座います」 「困りごとが起きましたなら何時でも道場にお知らせ下さい。其方たちが我らの仲間と知るは奈良屋の主殿だけです。我らの事は内緒です、守って下さい。なお、重しを足したい時には道場へ起こし下さい。 重しをお渡ししますし、剣術の基も教授致します」 「私の家族は何処でどうしておりますでしょうか」 「悪い人たちでも家族ですから気になるでしょう、ですが、お忘れ下さい、あの方たちは其方に悪い影響しか与えませぬ、何処にいるかを探さぬ事です、宜しいですね、勝次さんも宜しいですね」 「はい、少し気になっただけです、心配では無く唯の好奇心で御座いました」 「ちゃんと生きております、ですが、其方は、家族はもうこの世にいないと思って下さい」 「はい、きっぱりと忘れます、頭も宜しいですか」 「はい、頭取」 「では、参道と近辺の守りを願います、さらばです」 「ありがとう御座いました」 二人が頭を垂れ礼をして頭を上げた時には平四郎とお峰の二人の姿は消えていた。 <つづく>
2025.11.18
コメント(0)
<神田の香具師の元締め 始末>-----#337 その日から三日の後の早朝、神田の香具師の元締め井筒屋に来客があった。 「頼もう、頼もう」 「へ~い、こんな朝っぱらから誰だい」 「頼もう、親分はいらっしゃるかな」 「うちの親分に何の様だい、てめいらは何ものだ」 「井筒屋藤兵衛殿と女将と若旦那・藤一郎殿に隠居して貰いに参った」 「・・・な・なんだって、何を吐しやがる、おい、親分に知らせねい」 年嵩(としかさ=としうえ)の男が横にいる若者に命じ、若者は奥へとすっ飛んで行った。 年嵩の男は回りを見渡し、自分一人である事を確かめると小声で言った。 「この刻をお待ちして居りました、あっしは代貸しの仲間で御座いやす、芝居を続けますので宜しいですかい」 「良いでしょう、芝居が上手ですね、そのまま続けて下さい」 「へい」 奥から浪人者を先頭に親分、女将、若旦那、多くの用心棒と与太者が現れた。 「何だ、何だ、弱そうな男と女の二人だけじゃねいか、おい、てめいら、世迷言もいい加減にしやがれ、大口を叩いて唯で帰れると思うなよ」 男女二人と知り、用心棒の後から前に出て来て親分が言い放った。 「其方が口入屋・井筒屋の主・藤兵衛殿で御座いますか」 親分の脅し文句に平然として女が問うた。 「おぉ、儂が藤兵衛だ」 「親分、分の良い申し出に参りました、江戸の外れで隠居して下さいな、女将さんと倅殿を連れてで御座います。 なかなか良い申し出で御座いましょう」 「まだ、吐しやがるか、世迷言が過ぎるぜ、二度と来ねい様に痛めつけて叩き出せ」 親分はそう言うと終わったとばかりに振り向き奥へと歩きかけた。 「親分、仕置きを見ぬのか」 最初に先頭にいた用心棒が見ていけと言った。 「面白い趣向でも見せて頂けるのですかい、先生」 「おぉ」 「おやおや、この先生は私を倒すようですよ、お前様」 「その様だな」 「戦う相手の気も気配も解らぬ者が相手を倒すとは、これが当世の武士ですか、世も末ですね」 「な・な・何を生意気な、許せぬ」 用心棒頭と思しき男が刀を抜いた、それに答える様に対するお高が右手を後に回し、帯の間から小太刀様の木刀を出して対峙した。 「小賢しい女め、儂を相手に木刀だと、小太刀だと、舐めくさりおって・・・」 「私の気配も感じられぬ者には無手でも良いのですが、其方に触れたくは無いのでね」 「ああ言えばこう言う、これほどの怒りは久しぶりじゃ覚悟致せ」 「覚悟するのは其方の方です、其方は世の為になりませぬ、武士として「たつき」の立たぬ様に致します」 「吐せ~」 男が刀を上段に移し上から打ち下ろした。 お高は打ち下ろしの半ばで剣筋を変えられぬ様に出来るだけ我慢し切られる寸前に左に身体を捻り身体の右を刀が過ぎた処で相手の右肩の骨を二度叩き、次に右上腕を二度叩き粉々に砕いた。 これで、この男は骨が正しく継ぐ事が出来ず武士としての今後が消えた。 用心棒頭と思しい男は余りの痛みに気を失ってしまった。 人は身体の痛み、心の痛みが耐えられぬ程になると生物としての生存本能が優先され気絶の道を選ぶらしい。 回りを囲み先生が勝つと信じて疑わなかった者たちが「ごくり」と生唾を飲み込み、お高を恐怖の眼で見つめていた。 「さて、次のお方は何方ですか、このお方が一番強いお方でしたか、何方か試してみませぬか」 お高は優しい言葉を使っていたが、聴く者の耳には地獄の底からの言葉の様に心に響いていた。 「代貸し、お前が行け」 「親分、御免こうむります」 「何、儂に逆らうのか、てめい」 「へい、上に立つ者が見本を見せて下せい、あっしの前に若旦那、その前に女将さん、その前に親分ですな」 「て・て・てめい、吐しやがったな、後で覚えていやがれ」 「藤一郎、おめいが行け」 「お・お・親父~、俺にゃ~できね~よ~」 藤一郎は恥も外聞も無く、ブルブルと震え始めていた。 「だらしの無い奴め、女同士だ、お前が行け」 親分は女房に命じた。 「お前さん、女の私に・・・こんな化け物みたいな女と戦えって言うのかい」 「あらら、失礼な、お前様、貴方の妻を化け物呼ばわりしましたよ、許せますか」 「許せぬな、少しのつもりであったが、少々多めに痛い目に合って貰いましょうか」 「ひぇ~~」 女将が悲鳴を上げ、その場に倒れこみ気を失ってしまった。 「おやおや、女将さんは芝居が旨い事、お前様、気を失った振りで、この場をやり過ごすつもりの様ですよ。 我らの様に気が気配が読める者には誤魔化しは利きませんよ、女将さん」 「ちぇ」 女将が悔しそうに舌打ちして立ち上がった。 「おめいは・・・」 親分は言葉が続かなかった。 「さてと、何方もいらっしゃら無い様ですね、では、親分、隠居して頂きましょう」 「嫌だ、嫌だ、お前、いいえ、お二人が後を継ぐのか」 「勝次さん、其方が選んだ者たちを此方にお願いします」 勝次は手下の者の名を呼び、呼ばれた者たちがお高の横に並んだ。その数十七名だった。 「勝次さん、後の者たちは親分の商いのやり方に賛同しているのですね」 「へい、左様で御座います」 「勝次、てめい、裏切りやがったな」 「裏切ったのは親分、あんたの方だ、香具師は、香具師の元締めは地域の町人の味方のはずだ。 苦しめる者じゃねい、増してや、島を広げる資金集めに店賃を上げるなんて飛んでもねい話だぜ」 「吐しやがれ、要はてめいが親分に成りていだけじゃねいか」 「親分、そうじゃねいな、元親分、次の元締めはあっしじゃありませんぜ、藤次郎さんですぜ」 「何だって、あの弱虫の藤次郎が元締めだってか、勤まるはずがねいや」 「出来るかどうか、江戸の田舎で見ているこった」 「嫌だ、おりゃ~ここを出ていかねいぞ」 「では、足の骨を砕いて運びます、が宜しいですか」 お高が非情な事を平然と宣言した。 「儂の足の骨を折ると言うか」 「いいえ、唯折るだけではありませぬ、二度と真ともに歩けぬ様に致します、杖は作って差し上げます、あぁ、他人事の様に聞いている、藤一郎殿、其方も同じ目にあって貰います、女将さんもです」 「ひひひぇ~~」 女将と藤一郎から悲鳴が洩れた。 「仕返ししたければ何時でもどうぞ、但し、藤次郎さんの後ろ盾は橘道場です、皆さまも橘道場をご存じですよね、私どもは門弟で御座います。何時でも仕返しにお出で下さい、お待ち申して居りますよ。 勝次殿、手下の中でこちらに入れたい者は其方に任せます、くれぐれも悪事に染まらぬ者ですよ」 「へい、承知致しました、藤次郎様は何時此方に参られますか」 「今日の午後にも参る事でしょう、あちらの寺子屋の引継ぎも御座いますのでね」 「お二人がいなくなると、こいつらは元に戻りますぜ」 その言葉が終わらぬうちに板の間から悲鳴が上がった。 勝次が振り向くと、親分と女将と若旦那の右足が可笑しな方向に向いており、三人が悲鳴を上げ、のたうち回っていた。 「其方らには解らぬでしょうが、この店の回りは我らの仲間が囲んでおります、私たち二人の気性は穏やかで御座いますが、仲間の中には非情な者もおります、ここだけの話ですが、銚子と浦安の事、南北奉行所の事をご存じでしょうか、何方の働きだと思われますか」 「成程、納得が行きました、奉行所の手柄にしては手並みが良過ぎると思うておりました。 道場の門弟衆に南北の与力・同心が大勢いると聞いておりますが、本当ですかい」 「本当です、今もこの回りの何処かに二人いるのではないでしょうか」 「それで、親分一家三人と浪人頭も入れて四人ですか、何処に運びますかい」 「勝次殿、誰の事で御座いましょう」 「誰って親分一家ですよ」 勝次がそう言って板場を見た時には親分、女将、藤一郎と用心棒頭の四人の姿が無かった。 「ありぁりぁ、いつの間に・・・、あっしは絶対に、何がなんでも、何があっても、橘に従います」 「藤次郎さんが参られるまでは其方が一家を仕切りなされ、親分に付いていた配下の処分も其方に任せます、我らはこの場を離れますが、見えぬ処にいて見守っております、ご安心下さいな。 そうそう、店賃を上げる事は無い、また、上げる前の店賃に戻すと店々にお知らせする事をまず最初の仕事として下さいな、宜しいですね」 「承知致しました、本に、本にありがとう御座いました」 勝次が礼を述べ垂れていた頭を上げた時には二人の姿は消えていた。 「おめいら、絶対に、何が何でも悪さをするんじゃねいぜ、解ったな、嫌な者は出て行っていいぜ」 暫くの静寂が続いた。 「良し、姉御が言いなさった様に、皆で手分けして、店賃を元に戻すと触れ回りねいな」 「へい」 「はい」 「よっしゃ」 勝次に従っていた者たちが外への走り去った。 「さてと、てめいたちの生末だ、てめいたちは親分のやり方に賛同していやがった、どうなんだい、おりゃ、心を入れ替えて、此処に残るも良し、立ち去るも良しと思っている、好きにしねい、決めろ、但し、残って影で悪さが出来るとは思わないこった、橘道場の眼が何処にあるか解らなねいぜ」 「ちぇ、おい、皆行くぜ、馬鹿馬鹿しくてやってられるかよ」 舌打ちして代貸し補佐の鉄二が外へ向かい残りの者に声を掛けた。 だが、誰も動こうとはしなかった。 「何だ、てめいら、半端もんが真面目になれると思っていやがるのか、何の為に一家に入ったんだ、旨いものが食べてい、良い女がほしい、銭が欲しいじゃねいのかよ、それを真面目に働けとよ、やってられるかよ」 それでも誰も動かなかった。 「ちぇ、良いぜ、後で悔いても知らねいぜ、あばよ」 「そんじゃ、皆も店子へ知らせてくんな」 「店の守りは大丈夫ですかい、代貸し一人で大丈夫ですかい、補佐が戻ってきますぜ」 「あぁ、俺が一人と知りぁ来るだろうよ、だがな、どっかで橘のお方が見張っていなさるに違いねい」 その時、天井のあちらこちらから手拍子が聞こえた。 勝次は「にやり」と笑い「行きな」と言って、皆を送り出した。 「勝次殿、見事じゃ」 後から声を掛けられ勝次が振り向くと板場に若い武士が腰かけていた。 「お褒め頂きありがとう存じます・・・もしや、貴方様は橘龍一郎様では御座いませんか」 「左様、某が橘龍一郎じゃ」 「お初にお目に掛かります、此度、お仲間に加えて頂き恐悦至極に存じまする」 「うむ、其方、先程までと言葉使いが異なるのぉ」 「はい、私は藤次郎様の寺子屋に参じておりました、特別に教授も受けておりました」 「うむ、良い心根じゃ、重しも着けておるようだのぉ、重しを着けたは仮の仲間入りの証じゃ、重しを少しずつ重くし、走りも早く、遠くへ行ける様にし、剣術の基を習得して後に丘鍛錬所、山鍛錬所に赴き、始めて正式な仲間入りとなる、其方の覚悟は聞いておる、が、改めて確かめたい、耐える覚悟が在るや無しや」 「御座います」 勝次は即答した。 「其方が重しを着けた時より、其方の身は其方だけのものでは無い、其方が誰かに拐かしに合い、我らの事を問い正された時に漏らさずにいられるかな、君子危うきに近寄らず、と申す、用心に用心を重ねる事を忘れぬ様にな、調べよりも無理をせず危うき時は諦めるも鍛錬であると心せよ」 「承知致しました、心に止め置きます、こう申しては何ですが、まるで禅問答の様で御座います」 「禅問答は知らぬが座禅を組み心を無にする鍛錬もする事じゃ、それにより回りの気配が解る様にもなる、殺気を捉える事も出来る様にもなる、人が近づくのが解る様にもなる、身体の鍛錬も大事だが、心の鍛錬も怠りの無い様にすることじゃ」 「心得まして御座います」 「ほれ、其方はまだ解るまいが、先程の補佐が其方を殺しに戻って参った様だのぉ」 「えぇ~、あのやろう、おっと、言葉が乱れました」 勝次が詫びて頭を下げ元に戻した時には龍一郎の姿が消えていた。 そして、次の瞬間、表の障子が開き、先程出て行ったはずの補佐の鉄二が戻って来た。 「代貸しよ、お前さんが一人になるのを待ってたぜ、俺が一家を頂くぜ。 橘なんぞが何処にいるよぉ、いねいじゃねいか、まぁ、居ても怖くはねいやな。 おぉ、随分落ち着いていやがるじゃねいか、本当に橘の連中が助けてくれるとでも、思っていやがるのか」 「いいや、お前など、橘様の助成など要らぬわ」 「言いやがったな、最近、てめいは動きが妙に遅くなったじゃねいか、病持ちのてめいなんぞ、一捻りだ」 「余計な事だが、助成は要らぬが、橘のお方が本におらぬと思うておるのか、お前が入って来た時に儂が何故に驚かなんだと思うな、お前が近づいて来た事を誰が教えてくれたと思うな」 「・・・」 鉄二は回りを「きょろきょろ」と見回した。 「そんな嘘で儂がびくつくとでも思ったか、騙されんぞ」 「勝次殿、本に助成は要らぬかな」 天井から龍一郎の声が聞こえた。 「はい、お言葉忝のう御座います、私一人で大丈夫で御座います」 「先程も言うた様に己一人の身では無い、用心にも用心をせねば成らぬ、其方らの技前は互角であろう。 だが、今の其方は重しを着けておる、故に其方の負けじゃ」 「おぉ、重しを失念して居りました、前言取り消しで御座います、助成を願い申します」 「良かろう」 その途端に勝次の隣に女が立った。 「勝次殿、私は龍一郎様の妻で御座います」 「えぇ~、では、お佐紀様で御座いますか」 「左様です、以後、宜しくお願い申します。旦那様、この者は心を改める見込みが見られませぬ。 この世に在っては成らぬと思われます。勝次殿、仏の始末をお願い出来ますか」 「はい、近くの寺に無縁仏として収めます」 「さて、橘なぞ怖くは無いと申しましたな、あの世で悔いる事です、あの世があればですが」 「煩せい、しゃらくせいや、橘がなんぼのもんだ」 鉄二は左手に持った長ドスを鞘から抜くと上段に構えた。 佐紀は懐に手を入れると黒い扇子を取り出し前に突き出した。 暫く、静寂が続き、佐紀が言った。 「来ないのですか、では、私が参ります」 次の瞬間には鉄二の頭から血が吹き出し、正面の離れた処に立っていた勝次の全身を血が覆った。 「では、勝次殿、仏の始末を願います」 勝次は言葉も発せられず、唯、首をがくがくの振るだけだった。 どれ程の時間が経ったのか、街々に店賃の戻しを知らせに行った者たちが揃って戻り表戸を開けて、中の様子に驚き固まってしまった。 後から帰って来た男たちも、この状況に驚き固まってしまった。 元代貸し補佐の鉄二が血の池に倒れ、立っている代貸しが全身血まみれなのである。 やっと正気に戻った代貸しが命じた。 「皆、中に入って戸を閉めろ、いや、表に二人立って、誰も入れるんじゃねい」 新入りの二人が表に出て戸を閉めた。 「おい、誰か米屋へ行って籾殻を三俵買ってきな、麻袋も六枚買って来い、何に使うと聞かれたら、持ち上げて身体を鍛えるんだ、と答えろ、いや、十枚買って来い、大八車二台で山へ行って土と浜へ行って砂を積んで来い、棺桶屋から棺桶を一つ買って来い、それから誰か奥にいる女たちに風呂を沸かす様にと握り飯を一杯作る様に言ってきな、早くしろい。銀次、お前は残れ」 皆がそれぞれに俺がこれ、俺があれ、と決め走って行った。 「銀次、午後には新たな元締め藤次郎さんが来られる、そのつもりでいな、今日から新たな一家の始まりだ。 真っ当な仕事だけで一家を守る事になる、覚悟は良いな、悪い行いをすると橘のお方たちに懲らしめられるからじゃねい、おっといけねい、じゃ無い、言葉使いも変えないとな、どうだ、出来そうか」 「へい、いえ、はい、言葉使いに少々刻が掛かるでしょうが、これまでの様に後ろめたい気分に成らずにすみます。 しかし、代貸し、やり過ぎですぜ」 「済まないな、まさか本に戻ってくるとはな、俺を殺しに来たから、しょうがねいじゃないか」 「兄貴は本に強いんですね」 「俺の理想の男はな、日頃は優しい態度と言葉でいて、怒ると容赦しない男だ」 「俺も、それが理想です、着いて行きます、兄貴、じゃ無い、代貸し」 「その代貸しってのも良くないな、親分も駄目だな、う~ん、そうだ、吉原会所じゃ頭を頭取って呼ぶらしい、親分は頭取にして、代貸し、俺が頭でどうだい」 「良いですね、良し、皆が戻ったら伝えます、しかし、少し、匂ってきましたね、早く始末しましょう、処で、親分一家はどうなったんですかね」 「知らない方が良いと思うぜ、解るよな」 「はい、そうですね、解りました」 手下の者たちが集めて来た麻袋と米糠と手下の知恵者が建屋の建築現場から鋸屑を集めて来ていた。 また、他の手下が浜から砂を山から土を大八車に載せて運んで来た。 因みに用心棒たちも手下に混じって力仕事に加わっていた。 米糠と鋸屑で血を吸い取り、遺骸を麻袋に詰め、鋸屑を詰めた棺桶に収め、無縁仏を受け入れてくれる寺へ運んでいった。土間には砂と土を撒き血の跡と匂いを消した。 後始末が全て終わると土間に皆が集まり、奥から四人の女中に大量の握り飯と茶碗とお茶の入った土瓶と味噌汁の椀と大鍋に入った味噌汁を持って来させた。 板場の真ん中に腰掛けた勝次が土間に座り込んだ手下たちに述べた。 「私は昨日までに私に従う者と従わない者を選び分けしました。 皆がこの稼業に着いたのは補佐の鉄二が言うていた様に、旨い物が食べたい、良い女が欲しい、銭が欲しい、楽がしたい、真面目な仕事はしたく無いだったでしょう。 だが、この稼業に着いてみてどうだったかな、親分、女将さん、特に度胸も男気も無い唯の跡目と言うだけの若旦那に無理難題を言われ文句も言えず耐えるだけの毎日、挙句に町の衆には嫌われ、姿を見せれば嫌な顔をされ、それでも親分の命には従わねばならない毎日、其方が真に笑う事があったかな。 私は町人には嫌われたくは無い、好かれたい、町人を守りたい、それが店賃を集め参道を預かる者の役目と思うておりました。ようやく、その思いが叶う事に成ります。 私に従う者たちには、その私の思いが通じていると思います。 私に着いて来ないと思われ、親分に従っていた者たちに聞きたい、私の今の話を聞いて、これからの一家の進む道が解ったでしょう、そんな事など出来ぬと思う者は何も罰は与えぬ、唯黙って出て行く事を許します、今直ぐに出て行く事です。 これは浪人さんも同じです、これまでの様に、毎日、唯、酒を飲んで過ごす日々は終わりです、刀を置くも良し、皆と同じに仕事をして貰います、侍を続けたい者は立ち去って下さい。 酒を飲むなとは申しませぬ、夕餉のおりに飲み過ぎぬ程度は許します。 我らはこの街の守り人となるのです。いつ何時、火災が起きるか解りませぬ、いつ何時何処かの一家の攻めがあるかも知れませぬ、深酒は許されませぬ。どうぞ、出て行って下さい」 勝次は誰かが出て行く刻を与えた。 「浪人さんも家族を養う為にいろいろな勤めをしてきた事でしょう、この際、刀を置くも良し、刀をそのままに用心棒としておるも良し、唯、家にいてごろごろと何もせぬと言う訳には参りませぬ、それは覚悟して下さい。 また、皆に申しておきます、今の私の言葉使いを聞いてお気づきと思いますが、これからは、粗野な言葉使いを許しませぬ、誰に対しても、例え相手が爺様、婆様、屑拾いでも上様に対する様に接して下さい。 私は汚い着物を来た爺様が実は大店の隠居と解った途端に態度を丁寧に変える事はとても恥だと思っています。それ故、誰に対しても上様に対する様に接して下さい、とは言っても、べらんめいな言葉に慣れた皆には急には無理でしょう、少しづつ変えて下さい、此度、親分、いいえ、今日午後にも戻って来られる二代目は親分と呼ばず「頭取」と呼んで下さい、そして私を代貸しでは無く頭と呼ぶ様にして下さい。誰も出て行きませんか。もう一つ、これまでは給金などはありませんでしたが、これからは月々の給金をお渡しします、勿論、働きに応じて銭高は異なります。十日に一日の休みも取って貰います、好きに過ごして下さい、但し、深酒をして次の日の勤めが出来ぬは困ります、これが今日からのこの一家の姿です。では、銀次さんの振り分けで三つの組に分けて貰います、早速ですが一組目に街回りをして貰いたい、二組目は家の掃除を願います、三組目は身体を休める刻です、では、銀次さん、組み分けを願います、私の話は以上です」 勝次は立ち上がり奥へと引っ込んだ。 一家の屋根の上では龍一郎たちが集っていた。 「お高殿、お駒殿、引き続き交代で影護衛を願います、十日で良いでしょう、お駒殿と清吉殿はもう一つの一家もありますで、三郎太に変わりを勤めて貰いましょう、お高殿には、其方の判断で誰かに変わりを願っても良い、お駒殿、三郎太殿も同じです、其方らに判断に任せます、宜しいてすか」 「はい、畏まりました」 三郎太が皆に変わって答え、皆が頷き返事に変えた。 龍一郎と佐紀が屋根から消え、三郎太が割り振りを告げ最初のお高と貞吉を残し他の者たちが消えた。 <つづく>
2025.11.13
コメント(0)
<井筒屋の代貸し 勝次>-----#336 「藤次郎さんが良い人で良かったです」 「鍛錬にも耐えるであろう、楽しみじゃのぉ」 「平四郎様、何故に太郎佐殿を仲間になさらないので御座いますか」 「う~む、考えてもみなんだのぉ」 「七日市藩の師範代として私たちの留守を守っておいでなのですから、お仲間にしては如何ですか」 「性根も根気も十分じゃな、余りにも近場にいるで気が付かなんだ」 「お年はお幾つでしたでしょうか」 「其方は知らなんだか、確か二十二と申して居ったな」 「お仲間に致しましょう、平四郎様」 「あぁ、そうだのぉ、今度誘ってみよう」 「余り乗り気では無いのですね」 「いや、そうでは無い、もう既に仲間のつもりであったで、故に今更と言う気持ちなのであろう」 「藤次郎さんも、お仲間になり、どんどんお仲間が増えます」 「そうじゃな、囲炉裏をもう一つ作る用がありそうじゃな」 「龍一郎様は神田の一家を潰すに当たり我ら二人に任せるでしょうか」 「いや、用心深いお方故、誰かを付けてくれるであろう」 「何方で御座いましょう」 「其方は誰と誰と思うな」 「そうですね、実践経験のある方々と無い方々で御座いましょう」 「うむ、儂もそう思う、となると、慈恩殿、弥生殿、双角殿、葉月殿、柳生の二人、と言った処ではないかのぉ」 「お駒さんとお高さんの出番が少ない様に思いますが」 「おぉ、そうじゃのぉ、此度はお二人にお願いしようかのぉ」 「お駒さんの相方、清吉さんは修羅場には慣れておられましょうが、お高さんの相方、貞吉さんは実践不足で御座いましょう」 「しかし、我らの動きが自由にならぬのは困ったものじゃな、奈良屋の襲ったものは何者で何処の誰に雇われた者かのぉ」 「北町の本城様に救われたと申しておられました故、本城様がご存じなのでは御座いませぬか」 「うむ、良い処に気づかれた、そう言う訳で龍一郎様には、その旨とお駒さんとお高さんの出番が少ないと伝えてくれぬか、 井上殿、鰐淵殿」 「畏まって候、では、これにて失礼仕りまする」 「平四郎様、二人が戻りましたな・・・お前様」 「・・・お峰殿」 お峰が平四郎の胸に顔を埋めた。 「お役を頂きありがとう存じまする」 次の日の昼過ぎ、平四郎とお峰の二人だけの部屋の天井裏からお駒の声が聞こえた。 「お駒殿、お高殿、お二人ともに気を御することが上手くなりましたな、おや、お高殿、喜びの気が洩れましたぞ、殺気などの危ない気は勿論、喜怒哀楽全ての気を御せねばなりませぬ」 「お高さん、この刻に来られたと言う事は・・・本城様は何かご存じでしたか」 「はい、流石は町奉行同心で御座います、奈良屋を襲った族は居酒屋へ入り一刻後に店を出て香具師の元締めの処へ行ったそうで御座います。一刻も居酒屋を見張るなど仲間になって間のないお方の成せる事では御座いませぬ、同心ならではで御座いますね、そう思いませぬか、お峰さん」 「えぇ、それで本城様は香具師の元締めの名を申しましたか、井筒屋と申しましたか」 「はい、井筒屋と申しておりましたよ、私共は食事と厠以外はこちらに居ります、それで宜しいですか」 「お願い申します、二、三日で終わらせたいと思います、ご助力下さい」 「承知致しました。策は御座いますか」 「唯、壊滅するならば我ら四人で店に向かえば良い事でしょう、だが、部屋住み、次男の藤次郎殿を元締めに据える事を考えると、配下の者の中で今の仕事のやり方に納得している者としていない者の判別が必要と思う、納得していない者を残したい、納得している者を排除し香具師として将来を無い様にしたい、藤次郎殿の邪魔をしない様にしたい、賛同頂けようか」 「良い考えかと思います」 お峰が即答し、天井裏に潜むお駒、お高も賛同した。 「では、私とお駒さんで配下の判別を探索して参ります、宜しいですか」 「はい、良しなに願います」 「では、これにて失礼致します」 お駒とお高は伴侶の貞吉と清吉と一緒に香具師の元締めの建屋の屋根の上にいた。 「一番の剣の使い手は相変わらず奥で親分の家族と一緒ですな」 「その様ですね、まぁ、使い手と言っても気配も探れぬ程度ですがね」 「油断は禁物ですが、我らの気配に気づく事はありますまい」 「では、大部屋では何も聞けませぬ故に奥へ探索に参りましょうかね」 「いえ、いえ、浪人頭は親分と同罪は決定事項、配下の中で同罪の者と今後使える者との分別が今回の任で御座います、故に大部屋が妥当かと」 「では、二手に別れましょう、小駒さん方は奥へお願いします、私どもは大部屋へ参ります、如何ですか」 「承知しました」 「では、では」 「山村先生、店賃の値上げの方は上手く行っていますかい」 「すんなりが二割、しぶしぶが二割、残りは強ねて(ごねて)いるなあ」 「手下を総出で店を囲んじまえばよかろうが」 「それでは親分の評判が悪くなるであろう」 「あっしの評判ですかい、お気遣いありがとう御座いやす、ですがね、もう、これ以上落ち様がありませんや」 「お前さんの評判も私の評判も最低だね」 「それ以上に跡取りの評判は身内にも最低ですな」 「山村先生、そりゃ~ないぜ」 「若親分、某の評判も最低で御座る、街中も身内にもな、似たもの同志で御座る」 「それに比べ、代貸しの皆の受けが良いな、我らのやり方に不満の様だ、気にいらん、以前は儂の言いなりだったがな・・・どうも店賃の値上げに反対の様だ、先生、邪魔をする様なら始末して下せい」 「身内の、それも代貸しを・・・良いのか」 「構やしません、儂に逆らう奴は例え身内でもいらねい」 「承知した」 天井裏でお駒と清吉が頷き合い、大部屋の天井裏へ向かい、お高と貞吉と合流した。 大部屋では三十人以上が二手に別れ車座になって小声で話合っていた。 二つの集まりの頭は代貸しの勝次、もう一つは代貸し補佐の鉄二だった。 「代貸しの勝次が親分のやり方の反対派で、代貸し補佐の鉄二が賛成派です、この男、賛成派と言う以上に過激なやり方を望んでいます」 貞吉が極々小声で清吉とお駒に語った。 「跡継ぎを藤次郎にした後の味方を代貸しの勝次にしましょう、ついては誰を残すかを勝次に問いただしましょう」 「外出した処を攫いましょうかね」 「まぁ、手っ取り早くて良いですね」 「では、そう言う事で、どちらの組が見張りで、どちらが攫いますか」 「お高さんの案ですから、攫いをお任せします、良いですか」 「承知、お前さん、良いよね」 「あぁ、良いとも」 「では」 お高と貞吉が大部屋の天井裏から消え、屋根の庇へ移動し、勝次が外出するのを待った。 その刻は四半刻もせずにやって来た。縄張りの見回りに出て来たのである。 勝次は二人の手下を連れ参道への道を歩き始めた。 勝次たちは道の左の隅を歩いていたので、お高と貞吉は先回りし左の脇道に隠れて待った。 勝次たち三人が二人が待つ脇道を通り過ぎ様とした時にお高と貞吉は勝次の後を歩く二人の手下の鳩尾に当て身を食らわせ気を失わせ、身体を支えて倒れる音を消した。 通りを歩く人たちは倒れた二人が与太者風だったからか、素知らぬ顔で通り過ぎて行った。 「勝次さん、ちょっとお付き合い下さいな」 勝次は後から女子に声を掛けられ振り向き、手下二人が倒れている事に気が付き警戒の仕草をした。 だが、直ぐに警戒の姿勢を解き、穏やかな声で答えた。 「あっしに何の様ですね」 「その前に、何故に警戒を解きましたかね」 「手下二人をあっしに気づかれずに倒す御仁に手出しはできませんぜ、無駄な事だ」 「勝次さん、貴方は賢い方の様ですね。お腹が空いていませんか、蕎麦でも手繰りながらで如何ですか」 「蕎麦掻きで一杯やりながらではどうですね、昼からは久しぶりだ」 「良いでしょう、其処の店でどうですね」 「お供します」 三人はお高を先頭に勝次、貞吉と続き、蕎麦屋に入った。 「御免下さいな」 「はいよ、おぉ、勝次さんかい、今日は手下はどうしたね、まさか、その二人が新しい手下じゃないよな」 「違うな~、お客だよ、蕎麦掻きと酒を頼むぜ」 「三人分でいいね」 「おぉ、頼むぜ」 三人は奥の四人掛けの席に着いた。 「勝次さんは街の人に好かれているのですね」 「好かれているかどうか解らねいや、なんせ一家の者だからな」 「率直に尋ねますし、率直に申します。勝次さん、貴方は今の親分のやり方、島の仕切りに反対ですね。 店賃をどんどん上げる事にも反対ですね」 「答える前に聞いておきたいね、お前さん方が親分の手の者で無い証が欲しいや」 「最もなお言葉です・・・お聞きしますが、手下二人を弱いとはいえ気を失わせる者を親分の手の者と思いますか」 「それは無いだろうが、萬一と言う事もあるからな」 「私共の計らいを申しましょう、今の親分一味を排除し、部屋住みの次男の藤次郎さんに跡目を継いで貰うつもりです、藤次郎さんの了承は得て御座います。どうですね、我々に組しませんか」 「・・・藤次郎さんを跡目にですか・・・本当に了承を得ているのですか」 「はい、藤次郎さんは既に我々の仲間です、今はまだ、気も剣技も体力も未熟ですが、後々は・・・」 「そちらさんは・・・貴方がたは何者ですね」 「正直にと申しました、我々は江戸の安寧を願う者の集まりです、其方は橘道場をご存じですか」 「先の大試合で勝者、自席を総舐めにした鍛錬所の事ですな」 「そうです、その道場です、我々は門弟です」 「・・・強い訳だ、失礼ですが、女将さんも門弟ですかい」 「私は高と申します、隣は亭主の貞吉です、門弟は私の方が先人です」 「それは、察しておりました、藤次郎さんも仲間になったと申されたが、私も門下に成れましょうか」 「条件が幾つか御座います。一つ、悪事を働かぬ事、一つ、我らの秘密を漏らさぬ事、これは仲間以外と我々の話をしない事です、一つ、これから渡す物を見られぬ事です、一つ、我々との契りを第一にする事、約定できますか」 「渡す物とは何かによりますが、他の事は約定できる」 お高が隣に座る貞吉を見て頷き、貞吉も頷き立ち上がり店を出て行った。 二人が無言でいると貞吉が店中に戻り席に座った。 店の親父が蕎麦掻きと酒を持って来た。 「お待ちどうさん、どうぞ」 「ありがとうよ、親父」 店の主が蕎麦掻きと徳利と猪口を置いて調理場へ戻って行った。 貞吉が懐から大小の布包みを五つと晒を五枚出して勝次の前に出した。 「これは重しと晒です、腰に大きい重しを、小さい重しと晒を手首と足首に巻いて下さい、晒は重しの上から巻いて他の者に見つからない様にして下さい、見とがめられたら怪我をしたとでも答えて下さいな」 勝次が重しを持って重みを確かめた。 「なかなかの重さですな・・・これを二人も着けているのですかい」 「無論の事です、但し、その様に軽い物ではありませぬ」 「これが軽いですか・・・、橘道場が強い訳だな、あっしももう仲間ですかい」 「まぁ、手始めです、後は其方の行い次第で御座いますよ」 「あっしの行いですかい」 「はい、我々が動き出すまでは、此れまで通りに日々を過ごして下さい、但し、其方に賛同する者を選んでおいて下さい、つまり藤次郎さんが跡継ぎになった時に残す手下を選んでおいて下さいと言う事です」 「・・・承知しました、さて、そうと決まれば、気を失った二人に何と言うかだな」 「あの二人はどちらの味方ですか」 「あいつらは親分の側です、まぁ、あっしの見張りですよ」 「お前らは俺の護衛だろ、何してやがる、と怒鳴りつければ良いでしょう」 「成程、姉さんは香具師の元締めに成れますな」 「それは褒め言葉と取らせて頂きます」 「勿論ですぜ」 <つづく>
2025.11.05
コメント(0)
<井筒屋の部屋住み 藤次郎>-----#335平太とお雪たちが去り、部屋に戻ると直ぐにお峰が言った。「平四郎様、平太殿はどんどん大人になりますなぁ、武家言葉にも馴染んで参った様で御座います」「そうじゃのぉ、平太殿の伸びもあるが、お雪殿の伸びは、それに増して良いのぉ」「あの子の鍛錬は並大抵では御座いますまいに」「あの子の一番良い処は根気のある処かも知れぬな」「はい」「井筒屋の部屋住みを・・・何と言うたかのぉ・・・藤次郎だったかな、手習いをしておるとの事であったが、処が解らぬな」「番頭殿に井筒屋の事を尋ねてみては如何でしょう」「おぉ、それが良い、参ろうか」「はい」二人は番頭がいつもいる店の帳場へ向かい、奥を隔てる暖簾の前で声を掛けた。「番頭殿、尋ねたきことがある、宜しいかな」「はい、先生どうぞ、客間でお聞き致しましょう」番頭は立ち上がると二番番頭に「後は頼みましたよ」と声を掛け、二人の横を通り、店の直ぐ裏の部屋に入った。番頭は下座に座り、上座を空けたので平四郎とお峰は上座に座った。「お聞き致しましょう」「番頭殿は口入屋の井筒屋をご存じですかな」「はい、存じておりますが、先生は何処で、その名をお知りになられましたかな」「こちらへ参るおりに食事処で話しているのを聞いてな、少々気になった」「どのような話で御座いましたかな」「う~む、余り良いものでは無かったのぉ、明神様の門前の店の店賃の回収を請け負っておるそうな、その銭高が高いらしい。寺に収める以上に上前を撥ねておるようじゃ。無頼者、浪人者も雇うておるとも言うておったのぉ」「お侍は、それを知ってどうなさいますかな」「其方には正直にお答え申そう、噂通りであれば一家を潰す」「・・・其方様がお一人で、で御座いますか」「左様」「・・・戯言で御座いましたか、良う御座います、お話致しましょう。その噂話は本当で御座います、井筒屋さんは口入屋が表看板で御座いますが、裏稼業は香具師で御座いまして、主の藤兵衛は、その元締めで御座います。それで大勢の与太者と用心棒浪人を抱えております。門前に少々活気が欠けますのは一家のせいで御座いますよ」「井筒屋に変わる者はおらぬのかな」「おりませぬ、と申しますのも近場の同業の香具師の一家を全て潰しましたのでな」「ほほぅ、やりおるのぉ・・・こちら、奈良屋殿が店賃を集めれば良かろう」「確かに、奈良屋は大店で御座いますが香具師に対峙出来ませぬ」「それでは井筒屋がなくなれば出来ると言う事かな」「いいえ、別の香具師の元締めが狙いに参ります、間違い無く、太刀打ち出来ませぬ」「左様か、処で別の話も聞いたのだが、何でも跡取りは親父に似て悪どい様だが、部屋住みの次男坊は手習所を開き真っ当と言うておったがな」「はい、次男の藤次郎さんは出来た男でしてな、藤次郎さんが跡取りならば真っ当な店賃になりましょうなぁ、まぁ、詮無い話で御座います」「その藤次郎さんは何処で手習いをしておるかな」「増上寺子院の常光寺(じょうこうじ)で手習所を開いているとのことですな」「その寺は、この近くに御座いますかな」「藤次郎さんに何か御用が御座いますのでしょうか」「いや、何、少々尋ねたき事が御座いましてな」「何で御座いましょう、あぁ、これは失礼申しました、常光寺は少々離れております、未申(ひつじさる=南西)に向かった、荏原郡(えばらぐん)上大崎村で御座います、まぁ、一里程でしょうか、行かれますかな」「某は主殿の用心棒に御座る、半刻を超える刻を留守には出来ませぬ」「一刻や二刻位、留守にしても宜しいのではありませんか」「お足(給金)を頂く以上、徒や疎かには出来ませぬ」「う~ん、見上げた、お侍様で御座いますなぁ、ご立派で御座います、主も安泰で御座います。主を宜しくお願い申します」「確と(しかと)承って御座る、お教えて頂き感謝申し上げる、忙しい刻に刻を取らせて済まなかった」「いえいえ、お役に立てて何よりに御座います」番頭が店に戻り、平四郎とお峰は部屋に戻った。「鰐淵俊三郎殿と井上歳三殿がご一緒とは珍しいですな」平四郎とお峰が部屋で茶を飲んでいると、突然平四郎が言った。「本に、お珍しい事ですな、平四郎様、東西の柳生がご一緒とは」「気配が消せておりませぬか」天井裏から微かな声が問うた。「其方らが屋根に着いた時から気配が感じられたわ」「剣者は気配を消す事が難しい様ですね、平四郎様」「儂も苦労したものじゃ」「平四郎殿も気配消しには苦労なされましたか」「し申した、それよりも、良い処に来てくれた。我らは出かけたき処がある故、此処の守りを願いたい。良いかな、ご両者」「はい」「屋根にいて、この店の者たちを守って貰いたい。何も無ければ手出し無用に願う」「畏まりました。念の為に行き先をお聞かせ下さい」「口入屋・井筒屋の次男坊が寺子屋を営む荏原郡上大崎村の常光寺へ参る」「どれ程と思えば宜しゅう御座いましょう」「一刻で済むであろう、では、頼んだぞ」平四郎がそう言うと、天井裏の二人の横に平四郎とお峰が現れ、二人が驚く間に消えた。「俊三郎、我らが平四郎殿の様に成れるのは何時であろう」「歳三、唯々鍛錬あるのみじゃ、天狗様たちも最初から天狗様では無い、そうであろうが」「そうじゃな、しかし、儂は以前よりも数段強うなったと思うがな、まだまだの様だ」「目指す御仁がいる事は幸いな事じゃ」「そうじゃな、じゃが、余りにも高みの方じゃがな」「儂は、まずは平太殿を目指しておる」「儂もじゃ」四半刻も掛からずに平四郎とお峰は荏原郡上大崎村に着いた。二人は「めし・酒」と書かれた提灯が掲げられた店に入った。「親父殿、飯と菜と茶を二人分頼む」「へ~い、菜は煮物で宜かろうか」「魚はあるかな」「イワシとアジとサバが御座いますじゃ。イワシは酢漬けと干物ですじゃ」「アジは焼き物かのぉ~」「はいですじゃ」「お峰、儂は焼きアジにするが、其方はどうするな」「私もご相伴させて頂きます」「親父殿、飯と菜と茶に焼きアジを付けてくれぬかな」嫁と思われる女子が茶を持って来た。「へい」親父の声が奥の調理場から聞こえた。「其方が女将さんかな」「へい」「この辺りの常光寺と言う寺を知らぬかな」「あぁ、この先を半丁程行った左に御座います」「おぉ、左様か、ありがとう」二人は店で焼きアジと煮物で飯を二杯づつと少し抑えて食べ、お峰が勘定を払い店を出た。平四郎とお峰が常光寺の門を潜り、脇の道を進んで庫裏の前で足を止めた。「頼もう、頼もう、御免下され」「障子が開き、僧衣の坊主が顔を覗かせた。「何様かな、お侍様」表の方から小僧が走って来た。「和尚様、申し訳御座いませぬ、お客人に気が付きませんでした」「良い、良い、この御仁は気配を感じさせぬでな、詮方ない(せんかたない)無い事じゃ」「気配を消されておられますか」「其方も見習う事じゃな、して、お侍、何様かな」「こちらに藤次郎と言う手習いの教授方が居られ様か」「藤次郎さんに何様かな」「少々尋ねたき事が御座ってのぉ、申し訳御座らぬが、何かは申し上げられませぬ、お許し下され」「気配を感じさせぬ御仁に何をしても無駄だ事ですな、左の食堂においでなさる」「忝い、参ります、お邪魔を致しました、お詫び申します」「世のお侍が皆、其方の様に礼儀が良ければのぉ」「失礼、仕った」「其方、隣の娘子を嫁になされ」「・・・そのつもりで居ります、本人が良ければですがな」「どうじゃな、娘子」「私もそのつもりで居ります、ありがとう御座います」二人は一瞬見つめ合った後、和尚に深々と礼をし、その場を離れ本堂の反対側へ回った。本堂脇に入ると真正面に障子を開け放した部屋が見え、中には子供たちが習字をし、若い男が見て回って、子供に何かを教えていた。男は二人に気づいたのか、二人の方を向き、廊下に出て二人が近づくのを待った。「藤次郎殿かな」「はい、私が藤次郎ですが、何か御用ですか」「少し、お時間を頂けようか、其方だけと話をしたいのだがな」「お茶を飲む時間程でしたなら、今でも良いですが」「お願い申します」「暫し、お待ちを」藤次郎は部屋に戻ると子供たちに言った「休みの時間じゃ、手を休めなさい」。「では、庭を歩きながらで宜しいですか」「はい、結構です」平四郎と藤次郎が並んで庭を歩き、後ろにお峰が付いて歩いていた。「藤次郎殿、門前町から離れた処を選びましたかな」「・・・」「稼業が、お嫌いな様だのぉ」「・・・」「だがな、稼業が悪い訳では無い、香具師の元締めでも真っ当な者もおる、其方の家族を悪く言うて、申し訳無いが、親父殿と兄者が悪いだけだ。其方が元締めとなり、真っ当な稼業をすれば良いでは無いかな」「・・・私には後盾が御座いませぬ、私には力がありませぬ、後ろ盾が無ければ太刀打ち出来ませぬ。私は暴力は嫌いです、剣も体力もありませぬ」「体力、剣技は鍛錬すれば良い、一番大事なのは胆力に御座る、其方には悪を憎む心と胆力が御座る。力による後ろ盾は某たちがなろう」「失礼と存じますが、お二人では我が家の与太者、浪人どもに太刀打ち出来ますまい」「其方が跡継ぎを引き受け、善行に徹すると申されるならば、某たちが其方の家におる与太者と浪人者を退治致そう、どうじゃな。稼業を引き受けるかな」「・・・本当にお二人で退治できるのですか、お仲間がいるのですか、私は出来る事なら真っ当な香具師の集まりにしたい」「其方は己を鍛える覚悟がおありかな」「体力、剣技ですか」「それだけでは御座らぬ、座禅を組み心も鍛えねばならぬ、覚悟はおありかな」「・・・私の取柄は諦めが悪い事です、やっとう(剣術)を習おうと何軒かの鍛錬所を回りましたが、町人の私を受け入れては頂けませんでした」「町人を受け入れてくれる鍛錬所があると申したら入るかな」「はい、通います」「そこは其定其処ら(そんじょそこら)の鍛錬所とは違う、厳しい、非情に厳しいぞ、耐えられるかな」「申しました様に、私は諦めの悪い男で御座いますし、一度決めたらやり遂げねば気が済まぬので御座います。きっと耐えて見せます。それは何処の鍛錬所で御座いましょう、お教え下さいませ」平四郎がお峰を見て頷いた、お峰も小さく頷き返した。「藤次郎殿、其方は橘道場を知っておるか」「あの大試合の勝者、次席の鍛錬所で御座いますか、ですが、南北の奉行所のお役人が門弟と聞いておりますが」「そうか、そんな話が広まっておるか、だがな、橘道場には町人も百姓娘もおるぞ」「百姓娘もで御座いますか、まさか、いくら何でも、それは御座いますまい、その話は何処からで御座いますか」「但し、門弟では無い、館長と師範の仲間、家族じゃ」「其方様は何故に橘の内情をご存じなので御座いますか」「儂も仲間、家族に決まっておろうが」「それでは、私もお仲間に加えて頂けますので」「厳しいぞ、そして約定して貰わねばならぬ事がある。例え身内にも我らの事は内密にする事、我らとの約定を第一とする事・・・出来るかな」「・・・約定致します」「良し、其方は今日只今より我らの仲間、家族じゃ」平四郎は着物の上半身を開ける(はだける)と腰の晒を解き重しを少し外し、藤次郎に渡し、袖を捲り晒を外し重しを少し渡し、足首の晒を外し重しを少し渡した。「これらの重しを着けて日々を過ごしなされ、上に晒を巻き誰にも見られてはならぬ。その重しに慣れた頃に増やす重しを渡す、某か仲間の者が重しを渡しに来る、待たれよ、もし其方に刻があるならば橘道場に参られよ、重しも渡すし、剣術の基もお教えしよう」「はい、精進致します、其方様のお名をお聞かせ下さい」「おぉ、失礼致した、某は岩澤平四郎と申す、後におるはお峰殿に御座る。我らは奈良屋の用心棒として潜り込んでおる、会うても知らぬ顔を忘れぬ様にな」「はぁ、承知致しました」「話はそれだけじゃ、教授に戻られよ」「失礼致します」藤次郎は重しを懐に仕舞い手習所へと戻って行った。その日から、藤次郎の動きが重く遅くぎこちなくなった。平四郎とお峰は裏道を走り、神田・奈良屋へ戻り、屋根裏に現れた。「変わった事は無い様だの」「はい、御座いませぬ、誰も部屋へ参ってはおりませぬ」「ご苦労様でした、ありがとう、鰐淵殿、井上殿、龍一郎様には藤次郎殿を仲間にした、とお伝え下さい、故に今の一家を潰します、と」平四郎とお峰が部屋の中へ消えた。「平四郎様、今の一家を何時潰しますか、藤次郎様が育つのを待ちますか」「いや、それでは刻が経ち過ぎようでな、ニ、三日内には終わらせたいものじゃな、どうだな、お峰殿」「結構です、私は今日と言うのでは、と思うておりました」 <つづく>
2025.11.03
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1