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有馬富士公園(含む福島大池と遊びの王国)のトイレと閉園に伴う来場者の備えについて 4月25日頃から、来る5月31日(日)頃まで、コロナウイルスの拡大防止のため、この公園に あるトイレ(便所、手洗い)8か所の 内、3か所(遊びの王国、センタ-、自然学習センタ- 閉設中)のトイレは利用不可になっております。くれぐれもご用心が肝心です。 遊びの王国とトイレ(1か所) 閉園に伴いトイレ利用も不可と思われます。 この周りの芝生の敷地やベンチなど、ご家族の団欒で賑わっていました 閉園中でトイレの写真が撮影できず。 福島大池にあるトイレ、3か所 1例の写真 すべて利用可です 正面がかやぶき民家、左端の白い建物がトイレです そのトイレ 5月20日(水)この写真撮影で、この前を通過しましたが、数人利用されておりました。 やはり、トイレは必須不可欠の存在だと改めて思った次第です。 この写真の手前は外周道路であり、左に進むと山中につながる道路に達する。 そこを進むと、千丈寺湖傍の有馬富士公園の施設があるらしい。 草地の生態園と水辺の行動の間のトイレ 写真の右側が福島大池の外周道路(1800m)であり、左側には大小3,4個の池がある。 ここは明るくて、清潔な印象です。 松風の休憩所付近のトイレ 有馬富士公園センタ-から福島大池に歩いた際、右回りで最初に出合うトイレです。 正面左側が女性用です。 2019年6月、このトイレの壁に止まったルリタテハに出合い、撮影できた思い出の場所 福島大池はここで左にすこし湾曲して左に曲がっている。 背後の森もよく茂り、幾分薄暗い印象です。 この辺りでは、年に4回、サナギから成虫に代わるとされているのでこの写真は2回目の 羽化後、飛び立ちこのトイレの壁に止まった時間帯に出合い撮影できたものとみております。 パ-クセンタ-と自然学習センタ- 計2か所 施設閉鎖に伴い利用不可 中央の建物がパ-クセンタ-のホ-ル。写真の右奥に自然学習センタ- この二つの施設が閉鎖されると、この付近にはトイレが皆無になるので、独立したトイレの 設置が望まれる・・・感想です。 駐車場のトイレ 計2か所 1例の写真 利用可能です 有馬富士公園入口に近いトイレ 有馬富士公園の入り口に一番近いトイレです。コロナウイルスで遊びの王国が閉鎖されている 現在では、個々を利用されて有馬富士公園に近づくのがベストだろう。 第3駐車場のトイレ ※ これらの施設管理者当局としては、コロナウイルスの伝染防止のため、可能であればすべて 閉鎖したいでありましょうが、ご家族 大多数の利用が目的のこの施設群、ギリギリの決断で 1. 福島大池周りのトイレ 3か所 2. 駐車場のトイレ 2か所 利用可能と思われます。 福島大池めぐりをされない方々は、駐車場2か所のトイレのご利用がお勧めです。※ この施設のHPを開いておりませんから、詳細情報は不明ですが、来園者向けにトイレの情報 を開示され、特に子様連れの方々に駐車場などで事前に対応されるようお勧め願いたいもの です。※ このブログ運営の当人は、4月25日、5月11日、14日 この施設を訪問して蝶々や野鳥の 観察を楽しみましたが、トイレのことが気になりましたので訪問前、訪問中の体調にかなり 気を配って巡回いたしました。 その中で、思いがけない出合い、発見もありまいした。 1. 遊びの王国が閉園に伴い、南門からの入場が不可になり、遊びの王国横の道路を利用して、 大回りして、有馬富士公園のセンタ-入口に向かったこと。 県道でJR新三田駅方面などからご来場の方など県道をご利用の方々は、直接有馬富士公園 入場となります。 2. その道路には: [オオモミジ] カエデ科カエデ属 樹形 不正形 花期 4~5月 樹形図鑑参照 植樹されていて、かなり立派な成木に育っております。 こんな感じでサトキマダラヒカゲと思しきチョウが止まっていた。 昨年、大いに楽しませてもらったサトキマダラヒカゲが この道路脇の樹木で数多くみら れることが分かり、コロナウイルスにより遊びの王国の閉園の解除後も、この道路通貨の 楽しみが残りました。 この写真は、201908・08・04 水辺の生態園土手の樹木にて…引用 樹液吸液化か コロナウイルスの流行に対する予防策として、遊びの王国の閉鎖が無ければ、この道路 の往復もなかったので、いささか感慨を覚えました。 〇 § ×
2020年05月24日
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はじめに 今年の夏、何の準備、勉強もしないまま有馬富士の森や大池の周りを歩き、初めて見る チョウに驚きの連続で、まだ十分に整理できておりませんが、来年も引き続きチョウの生態 と自然の関係など勉強したい気持ちが続いております。 しかし、自然は、渡り鳥の飛来など秋冬へ移行中です。 また、この有馬富士公園、副H島大池では、ミサゴと呼ばれるタカ目ミサゴ科の鳥が空中から 湖面にダイビングして? フナ?を捕まえる瞬間などを撮影したい好事家が一定の場所で 数時間かけて待っている姿が目につくようになりました。 有馬富士公園のロビ-に掲示されている好事家の写真 ミサゴ 近くの大木などに巣をかけていてある時間になると湖面の上空を旋回して、狙いが定まると 垂直に素面に至り魚を捕まえる。 その一連の行為のある場面をキャッチ、撮影の醍醐味に浸りたい方々が、三々五々集まって いるようでした。 ミサゴが魚を狙う様は武庫川でも見られます。 昔々、ジョギング中に一度出合い感動しました。さてウオ-キングは、蝶々の観察シ-ズンが終わりかけても行動のパタ-ンば同じです。しかしながら、有馬富士公園の山中や草原に見れれる巨木などに来て球液する蝶の姿はなく観察の頭とカメラは自然に福島大池の水面に向かいつつあります。 10月23日(水)午前中 福島大池 一周 1800m 東⇒北⇒西周り 早速出合ったヒドリガモ 緋鳥鴨 英語 Eurasian Wigeon 学 Anas penelope この池は、今干上がっていて、小鳥たちは岸からはかなり遠くにいた 。 マガモ、コガモ、カルガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、キンクロハジロなどこの大池で 例年見られるカモ類の中でも最も人懐こいというのか岸辺に近づいてくれるカモです。 岸辺に上がって集団で草を啄む姿が恒例です。 遠くにいるその群れ(の一部) この福島大池ではあまり出合わない2種類のサギ科の鳥が目立った。 ダイサギ? アオサギ 池にその枝お張り出した柿 福島大池を取り巻く山側、棚田の岸に見られるツリガネニンジン (キキョウ科ツリガネニンジン属 数か所で見える) カルガモ : 10月4日(金)撮影 日本にいるカモ類で唯一に留鳥 カルガモは主に武庫川や周辺の河川、田に見られるがこの福島大池では時々飛来しては 他の地域に移動しているかに見えます。 カワウ : 3羽 1月4日(金)撮影 (1羽見かけたが撮影に失敗したので、以前撮影した写真でご紹介です。) 年中みられるが。時々見当たらないこともある。 カワウがこのような池の中の干潟にいる例はこれまであまり見たことがありません。 この池の岸で、突き出た岩場に集団でいる例が多い。 福島大池の外周道路を東から北の岸に回ると、有馬富士の山への登山口に通じる所に来る 個々のかつては茶畑出会った場所が、湿潤化していて冬場から春先にかけてその一画に クイナ科のヒクイナやクイナが見られる。 愛好家とカメラにしばしば出合える。 福島大池の西側に回る。 冬から春先になると様々な水鳥がみられるが、今は主にカモ科のヒドリガモが見えた。 このようなヒドリガモの群れに「ティ-、ティ-」 などと呼びかけると、三々五々 ヒドリガモが岸辺によって来る。 正確な意味で、ヒドリガモの習性は知らないが、愛くるしい行動に思えて例年春先まで この岸辺に来るとこのようなな声を掛けて撮影を繰り返しております。 ヒドリガモやハシビロガモ、オナガガモなどがこの岸辺に近づく習性があるように思い ます。以下の写真とメモは、今後この池で出合うであろう(2018年以前に出合っている)カモ類です。図鑑などによると、主にカモ類も夜間に活発に活動していて、昼間は安全な池などで休息している姿を我々が見ているということらしい。全国レベルの事は分かりませんが、この池に飛来するカモ類では、ヒドリガモが一番先に飛来するように見えました。 ホシハジロ 星羽白 頭部が赤茶色 このカモも夜間に餌場に集まり餌をあさる習性があるらしい。 潜水して水生植物や草の実などをあさる。 その為に、この福島大池では主に睡眠、休息の状態にあるらしい、やや岸辺を離れて、 体の中に頭をつけている。集団で見られます。 キンクロハジロ 2015.03.04 池のやや沖で水中に潜る動作を繰り返しているケ-スが見える。 潜水して貝類や甲殻類などの動物、水生植物を食べる 友が丘や城山公園下のため池など出合うケ-スが多い。 このカモは昼間でも活発に水中に潜っている。 ハシビロガモ : 2018.03.24 撮影 プランクトンを好む(野鳥大図鑑より) だから水を濾す。 集団、または単独でその広い嘴で湖面を漉き乍ら餌どりをしている行為が特徴です。 昼間、プランクトンを掬い取って食べている姿が見られる。 オナガガモ 尾長鴨 首と尾が長い 写真はそのオス マガモ この池で見られる数は少ないが・・・2018.01.17撮影 主にカモ類の例をご紹介させていただきましたがこれから春先まで野鳥とのお付き合いです。面白い話題が見つかれば幸いです。カイツブリもその数は少ないが、日々出合います。クイナ科のクイナ、ヒクイナは大池の傍の沼地で、またオオバンはこの池やむこがわなどで出合います。バンもこの池に飛来するようですが水面では未確認です。〇 § ×
2019年10月28日
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前書きご家族向き(約7Km)、一般向け(13km) 健脚向き(約22㎞)の内、13km青野ダムが終点ゴ-ルを選んで今年も参加して、無事ゴ-ルイン。82歳で、約1か月後に83歳となる体にとって13kmが合っているかどうか?自宅からの往復での歩数を見ると約26500歩だった。1. スタ-ト地点 JR福知山線藍本駅の構内広場2. スタ-ト 8時30分3. 藍本とはどんなところか (1) 江戸時代までは摂津の国と丹波の国の境だったらしい。 宿場町だったらしいし、その一画に鎮座している「酒滴神社」は9世紀、西暦800年代 には存在したらしいので、我々の想像以上に知られた宿場だっただろう。 地道に沿って立っている石の鳥居 1395年 応永2年 室町幕府 足利義持の頃建立が伝えられているが、兵庫県下で もっとも古い石製鳥居らしい。 酒滴神社の建物 拝見 梁と梁の間に置いて梁を支えた「蟇股」蟇股 その1例 この時代、釘による固定はないので蟇股の保持固定にもご苦労があったものとおも われるが、現代の応用であろうか紐が見えた。 2本の柱の確立のために差し込んだ梁の木鼻 ここでは象鼻 (どの神社も象鼻が多い) 立派な象鼻が見えた。 写真を子細にみたら、象鼻の上には「木鼻」らしいものが2つ見えている。 残念ながら私にはこの神社の木組を正確に解説できないが、小さな神社で、古い歴史 時代にこのような建物が建立されたことに驚いた。 柱と柱を固定した海老虹梁 向拝と本殿を結んで、固定し、保持した海老虹梁、苦心の作であろう。 隋身門があり、その軒下には「算額」が掲げられている 文化8年(1811年) 辛未(かのとひつじ) この門に掲げられた。 地元の有志、和算の大家が幾何学的な難問に挑戦してその解を得たことをここの宣言した 算額だと思われます。 徳川幕府では第11代将軍家斉公の時代で、江戸や京都の和算の大家が全国津々浦々を歩き 和算を教え、向学心に燃えた人々がそれに答えてその成果を公の場として神社を選び、発表 した、この算額はそんなことを意味しているようです。 摂津の国から丹波の国への公の交通網の重要拠点であったと同時に地元に有力拠点との 交流の場でもあったことだろう。三田市の「さくらウォ-キング」は、その大部分を武庫川沿いの集落に沿って歩いている。 名残りの桜 昭和橋のたもと、これ以上花が残っている染井吉野の桜は無かった。 今が見盛りの枝垂れ桜 何の施設か案内地図にもないが、見事な枝垂桜が毎年参加者を元気でけている。 国道176号線の岩倉橋付近で、シラサギの推定ダイサギを見た。2羽のうちの1羽 このことに刺激されて、岩倉橋の一つ下の橋から水面のツバメを狙ったが失敗。 沢山飛び交っていた。嘴の下、水面との間には羽虫が多いらしくて多くのツバメが 出入りしていた。 毎年、鯉のぼりが楽しみな田園 この辺りから、岸に生えている野草などに注意して歩き、その年その年で受け止めたものを写真にしている。 岩倉橋を渡って、左岸にある道路を歩き駒宇佐八幡神社に向かう。 その付近で クサノオウらしい黄色い花を見つけた。 人家が多いこともあって庭の花を見る機会が増えた。 それも尽きたところで、トウダイグサの株を数本見つけた。 人家が途切れた所をしばらく歩いて藍本浄化センタ-に至った。 そこから再び武庫川沿いの野の道に沿って歩いた。 例年ソメイヨシノの花が川面に映えて写真心を誘う現場が長いが今年は足元の野草を見て 歩く結果となった。 せめてスミレの花でもと思ったが、これまで寒すぎたせいかそれも無かった。 笹の藪に見た射干(シャガ) 数株 再び道路に戻り、駒宇佐八幡神社に向かう。 道路と排水溝時の山際に「キランソウ」を見つけた この辺にはつるニチニチソウの花も多い。 駒宇佐八幡神社では 1. 注文済みの弁当を受けたった。 2. 京都の北野天満宮の参道で遭遇した狛犬「舌が見えた」と同じ構図のを発見。 阿形狛犬 3. 境内にはスミレが多い。 4. 毎年注目している「ムラサキケマン」 これは昨年の蕾の様子 昨年のさくらウオ-クの際の写真ですが、開花がやや遅い感じだったが、今年はさらに 遅くてその株さえ確認できなかった。ファミリ-コ-スのゴ-ル駒宇佐八幡神社前から一般コ-スのゴ-ル青野ダム(計13.3km)まで残り6.5kmの一歩を踏み出した。最初は武庫川を右前遠くに見ながら踏み出し、すぐに武庫川を左に見ながら野道をひたすら歩く。 野道の常連 ムラサキサギゴケ スミレの花 色が濃い 寒さと風で痛めつけられたのか無傷の花があまりなかったので探し続けた。 やがて武庫川を渡り、山沿いに連なる人家に沿いながら道路を歩き、千丈寺湖に向かった ここのはクサノオウの花が見られる楽しみがあった。 今年は冬の寒さのせいかその株すらはっきりしなかったのでガッカリした。 例年見ているクサノオウの花 : 今年はその株すら見えなかった。 2016.04.10の写真です。 その草原に土筆が多かったので、久しぶりに土筆に目を止めた。 道路の右側、農家らしいお家の一画に桃らしい花が綺麗だった。 この後、千丈寺湖からゴ-ルに向かい歩きとおしたが、この間の期待は: 1. 湖畔の道路際にて2016年に咲いていたフデリンドウの株が今年も見つからなかった 2. 湖畔の丘、弁当を食べる最適の草原で今年も食べたが、昨年出合った「ヒメハギ」 が全く見られなかった。がっかりもしたが、気を取り直して終点に向かって歩き始めた 1. ヤマツツジの花 目の高さにはそんなにお花は無いので目立ちます。 2. ヒメオドリコソウの花 3. 丘を越えてゴ-ルに向かう仲間たち わが家の辿り着いたその日の歩数は約26580歩だった。◎ ◆ 〇後 書参考資料 フデリンドウ ヒメハギ 2018.04.22(日) 午後挿入させてもらった鯉のぼりの情報この写真はもちろん私がウォ-キングのさ中、現地で撮影した多くの写真の中の1枚です。4月21日 朝日新聞三田版にこの現場の写真とこの鯉のぼりを過去15年にわたって掲揚されているご高齢の方の情報が出ておりました。年々鯉のぼりの寄贈者も増加とか。素晴らしい。また数年前に神戸新聞がやはりこの鯉のぼり掲載されました。私の撮影もそのまねです。専門家の撮り方は素晴らしいですね。今回の朝日新聞の写真はもっと腰を落として低い地点から見上げた映像になっていて感心しました。来年はこのことを覚えていて、チャレンジです。ともかく、毎年挙行される桜ウォ-キングでもこの鯉のぼりがもっと注目を浴びるように、主催者その他の方々のprがあっていいと思います。すみません。
2018年04月16日
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2018年2月2日(金)晴れ兵庫中央病院の構内を横切り、上野郵便局にてはがきを2通投函。久しぶりに「上野の辻」へ向かった。しいて目的と言えば、すばやく歩いて脚力の鍛錬と途中で野鳥に出合う事だった。83歳目前の今の体力で言えば、可能な限り早く歩いた。さて県道の三輪-後川(篠山市)線を突っ切り進むと左側は「三田ゴルフクラブ」です。上野の辻(四差路)までゴルフ場の敷地で、右側は林が多くて、所々に人家がある。ここでは何も特記事項ナシ上野の辻 : 左 羽束山、能勢方面 右三輪神社経由市内へ戻るの昔の往還だ県道から1kmあまりか、歩くとこの四つ辻につく。花山院や永沢寺などに向かう道と羽束山や木器、小柿などを経て能勢などに向かう道が分かれる重要な三叉路だったと思われます。この台地は昔は「上野が原」と呼ばれて、明治2年(1869)「三田一揆」と呼ばれる大がかりな一揆の舞台であったらしい。上野の辻は昔の三田を知る貴重な情報源がこんな形で見られる。そのそれぞれについて掲示板をつける、地面の手入れなど工夫をお願いできないものだろうか。地元の方々のみならず多くの方々が楽しむ値打ちがあるはずです。今は四叉路になっている。ここを右折して、三田古窯で有名な窯跡が記念施設になっている地点を右に見ながら急坂をひたすら下ったその左側は足元に羊歯が茂る孟宗竹の林がかなりの長さで続いている。そこで、急に小鳥がチラチラ飛び、地面や竹の切り株へ移動していたが逃げることも無かった。ファインダ-を覗いた見て、たぶん「ルリビタキ」のメス鳥だとすぐに気が付き嬉しくなった。上面がオリ-ブ褐色で、脇が橙色と野鳥大図鑑で形容されている情報にマッチしていた。ブログで2月3日付でアップを予定している「ルリビタキ」では、おおよそ「ルリビタキ」のメスと分かる写真であったが、この野鳥はオリ-ブ褐色の上面と腋の橙色が判断の基準になっていたどうやら今回の出合いでその脇の橙色がしっかり見えるポ-ズの写真が撮れた。尾のブル-もよくわかる止まり方も見られた。ここまで確かめることが出来たので、あとは綺麗な雄鳥の出合いがますます待たれることとなった。夏に亜高山とやらで繁殖するらしいので冬のこの時期にメス鳥の傍にオスがいるとい必然性みたいなものは無いのかもしれない。有馬富士公園のセンタ-に掲示されている観察の専門家の写真で雄鳥で出合えるかどうか-調べてみよう。三田古窯の記念館的な施設の場所まで来た時、やはり左側の浅い窪地の木にモズが1羽見えた。この窪地と三輪神社のある山の間には、数軒人家が立っているが、溜池や農地などもあり、前方の丘には何があるか分ら無いものの、小鳥が数羽忙しく飛び交い移動している風情だったモズもこの小鳥が狙いかもしてないと思いながら歩いた事だった。坂を下ったところが三輪神社でさらに100mも歩けば国道176号線と県道の三輪-後川線です。三輪神社に参詣した後、例によってその唐破風に見える懸魚や木組みを観察してみた。 唐破風の屋根・部分 拝殿に当る部分が唐破風になっている。(正確にその建て方の説明はできないが) その唐破風部分に懸る懸魚 多分かぶら懸魚であろう。 その唐破風の屋根を支える木組みが、ここでは及川と呼ばれる形だと思われます。 大瓶束(ダイビンヅカ)の横に彫刻物が付いた物を「笈形」オイガタと呼ぶらしい。 笈形 斗拱と呼ばれる建築様式があって、その内の斗は「ます」で一升枡などの枡の意味らしい。 この「笈形」の上の白い塗り物が斗に見えますが、これも含めて瓶束、付属の彫刻がついて 笈形かもしれません。その辺は勉強中です。 正確な情報があるわけではないが、日本の昔の建物はほぼ「くぎを使わない」建物であり、言わば「はめ込み」や「縄で縛る」など、或いはまた「木栓」で揺らぎ、ずれを防ぐなどの工夫で満ちているように思います。この大瓶束(付属の飾り物がつくと笈形と呼ばれる)もその一つだろう。梁と梁の間を支える柱を「瓶」の形で支えております。参考資料HP 「斗拱・蟇股・木鼻」のお話参考物件奈良。薬師寺の建物に見る「瓶束」(ビンヅカ)薬師寺へご参拝の際はこのような屋根裏が拝見できる建物では、その部分にも目を向けると楽しい観察ができると思います。様々な工夫に驚かされます。この写真の建物は薬師寺や五重塔そのものではなくて仁王門など付属の建物の屋根の部分かもしれません大瓶束の上には斗栱が乗っかっておりますね。素人の表現ですが近年まで建物にくぎを使う工法が無い時代に発達した木組みの一つではないでしょうか。仏教の建築物ですからその多くの仕組みは中国からの伝来らしい。来迎寺(ライコウジ)の造作のいくつかについては、次のブログに別途記載を予定しております。 海老虹梁など軒下に見る造作 宝篋印塔とその印象 お地蔵様と初めて出合った石造など と 来迎寺と言うお寺の言葉そのものの歴史的意味とは・・・ネット検索で学んだこと。 7世紀に創建された一国一国分寺と同じ時代に一郡一来迎寺の創建が始まったらしい。◎ ◆ 〇
2018年02月10日
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前書き年末で庭の垣根や植木の手入れ、清掃などが重なり、畑の作業やカメラ片手の歩きはその頻度が大幅に落ちている。その中にあって、平素にまして印象的だったことを重点にブログにしてみた。1. ジョウビタキとの突然出会い 友が丘の外周道路の垣根の向こう、椿の株の中で逃げるのでピンボケ風ですが灰白色の頭部 が見えている。来年にかけてよろしくねの風情。2. ツルウメモドキの輝かしい蒴果 3. 有馬富士公園の鳥の講堂-野鳥の広場 相思鳥など様々な小鳥たちが目にふれるようになったこと4. はるか上空を回遊する「ミサゴ」鷹目ミサゴ科の望遠写真から、その尾の形の例「角尾」。 このような観察により野鳥の種類を見分ける技術の一つと知りつつある段階です ある図鑑から鷹の「ミサゴ」と思ったが尾の形も参考になった。トビ(トンビ)も形が 似ているし、上空から獲物を狙うから紛らわしい。5. 最近見え始めたその他の野鳥たち カワウ、様々な鴨(ハシビロガモなど)など〇 ◆ ◎1. ジョウビタキとのこの冬初めての出合い。 この渡り鳥は、最初大原の竹やぶから畑に通う道に出た時、4,5m先の田んぼの岸にある 1m高さの支柱の先に止まって丸で撮影を催促するようにしばらく待ってくれていた。 普段見慣れているジョウビタキの例 (至近距離の溜池の岸に私たちがいて、ヒクイナ、クイナの出現を待っていると現れた姿。) 数年前、貴志の街に県道から通う道路の付け根、民家の梅の古木に止まっていた。 道路端から2mも離れていないのに逃げないで、沢山撮影させてくれた。 それ以来: 思いがけない場所で出合い、そのシ-ズン中数回出合うが福島大池の傍、クイナ、ヒクイナ のいる溜池では、我々がカメラを構えて立つと何処からか現れて目の前や後、右かと思えば 左の木の枝、時には道路に下りてまでも付き合ってくれる。 今年もこんな光景を繰り返しそうです。2. 「里山のつる性植物」谷川栄子著 にも紹介(48ペ-ジ)されているツルウメモドキ ニシキギ科 落葉木本 つる性植物とは驚きの姿だ。 周辺に何もない時はまっすぐ立ち上がって木の形をとり、周辺に巻き付くものがあると つるとなってまきつく・・・こんな習性をもっているそうだ。 有馬富士公園センタ-のある高台から数十メートル窪地にある福島大池に至る道は、階段 ガ-デンとなだらかな歩道と夏だけの子供の水遊び用の水路で成り立っている。 その片側はよ茂ったウバメガシの垣根が大地の付け根から大池まで続いている。 その向こう側の林に交じってこの「ツルウメモドキ」の果実、蒴果が輝いている 御覧の通りで、見始めたらその魅力に(@_@)、ビックリ。 もっともその仲間の「オオツルウメモドキ」があって林縁などでの出合では誤解も生むと 「里山のつる性植物」の中に記事があった。ご注意ください。 3. 有馬富士公園-鳥の講堂-野鳥の広場 ここはこの春先、野鳥観察でご来遊の方から示唆頂き訪問を始めた場所で、この冬は確か 3回目だと思うが皆さんよくご存じでたいがい何人かすれ違っている。 1) キジバト この春には来なかったと思う。 2017-12-18 2) 相思鳥 : 2017-12-18 ほぼ群れで飛来して忙しく餌を食べ歩き又飛び去る。一日に数回の繰り返しか? 3) シマアオジ(あるいはマヒワ?) : 2017-12-18 「シマアオジ」は夏鳥として北海道に渡来し、本州以南ではまれな旅鳥(野鳥大図鑑) と紹介されているので、この名前はたぶん間違いでしょうが写真は本物です。 ホオジロ科 L15cm アオジ、マヒワなどとの見分けに自信なし。 この冬も有馬富士、大池で度々出合うと思っております。ご教示願います。 キジバトは生息数が少ないらしくていつも一羽だけだが、その他の野鳥はたいがい数羽か それ以上の群れで現れる。 渡り鳥がいなくなる来年春までこのような出合いが日々行われるだろう。 先日ご紹介のイカル は、この場所では出合っていないが、兵庫中央病院の構内から渡ってきて、野鳥の広場の 木立の上から福島大池方面に移動しているらしいので、いずれ飛来しそうですが大木の梢で 群がり大池の方に移動するような気がします。地面には降りてこないかも。4. はるか上空を飛んでいた鷹「ミサゴ」らしい野鳥の話。 再掲 角尾にみえる。トビに似ている飛び方ですが尾の形が違う。 有馬富士公園センタ-のロビ-には「ミサゴ」が福島大池で魚を狩るカリの風景写真が 数多く出ているが、このような写真を撮影するにはこの鷹が湖面を回遊する時間帯と 時期を辛抱強く待つ・・・そんな努力が求められているだろう。 今回の私の場合: この飛び方であれば、尾の形が明瞭に見える事からねらったものです。 野鳥の種類を推定する勉強の一環でした。 下面の翅の色、模様などからミサゴらしい野鳥に出合った点が個人的には成果だった。 尚、数年前に武庫川、郷の音ホ-ル付近でミサゴらしい鷹が急降下して魚を捕った場面に 遭遇したことがあった、迫力満点、素晴らしい光景でした。 ハシボソガラの出合いと、その移動「ウォ-キング」に気が付くと、以後このカラスの ウォ-キングに出合う度にちょっと驚くのが常です。 今回も前方でウォ-キングで移動したその姿に驚き、ともかく撮影した1枚。 撮影している内に先般子の周回道路でトンビが上空を飛ぶ姿の撮影-尾の形による種類の 確認経験があったのでその事を思い出した。 ハシボソガラ 2016-04-14 歩いている時の写真 歩行に見えないのが残念。 このようにきれいな姿をしているが、その声はがアガ-、ガア-と濁っている。 この野鳥はハシボソガラスであるので、種類の確認の意味は無いが、ともかく尾の形を この際知りたいとおもった。 この形から尾の形は「丸尾」らしい。 ハシブトガラスに出合った際、その尾の形がどんなものか出合いが待たれる所となった。 参考資料:トビ(トンビ)の尾部 鷹類で唯一凹尾である(野鳥大図鑑) 飛翔中は尾の先が角尾に見える(名前がわかる野鳥大図鑑から引用) ハシボソガラスの尾部 : 円尾 に見える 上空を飛翔中の鳥を撮影出来れば幸いですが、そんな僥倖はそんなに多くない。 図鑑などからもカラス類は円尾らしい。〇 ◆ ◎あとがき 野鳥が上空や林縁、道路際の藪など思いがけない場所を移動していて、偶然その出会いに 慌てふためくことがしばしばです。 この12月でもベニマシコらしい野鳥に兵庫中央病院から友が丘町に抜ける道路際で出合った。 うまく撮れなかった。悔しい! また、名前の誤記も心配で悩ましい。
2017年12月25日
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前書き途中に横たわる国立行政法人兵庫中央病院の診察・検査塔が改築済みとこれから開始の段階でこれからは当分の間大回りのウォ-キングです。 友が丘から見えだした新らしい診察ビル 友が丘町からはこの建物の左側から右に回り県道の三輪-後川線に回ってから目的地に向かう。県道三輪-後川線を病院横の薬局で左に曲がると約1kmで遊びの王国、有馬富士公園に至る。まず何といってもご紹介しておきたいのは、美男蔓(ビナンカズラ)の別名が昔から高名な「サネカズラ」の果実が赤く熟れて、目立つようになりました。 奈良・平安時代からでしょうかサネカズラを美男蔓と名付けて、乙女が胸をときめかした とか、和歌でも有名らしいですが、有馬富士公園、福島大池へのウォ-キングの一つの テ-マはこの雌雄異株(雌雄同株で異花の株も多いとされている)の開花から赤い実が 出来るまでの観察でした。 ようやくゴ-ルインです。別途その辺のご紹介も出来そうです。野鳥のミヤマホウジロ、イカル、渡り鳥のヒドリガモなどのご紹介はウォ-キング順に関係なくマイぺ-スでの綴りで御免なさい。ミヤマホオジロ 福島大池を一周して階段ガ-デン沿いの通路を上りながら歩いていたら、前方の木立の一枝に 小鳥が一羽止まった。 小鳥に出合ったらダボハゼ的にカメラを向ける「三田のいのしし」、習性として、即カメラを 向けて撮った1枚 このままでは名前の確認ができない、調べようもないとあって飛び立つまでに体を横に向ける のを期待してまった。 この頭の横の黄色と頭髪・冠毛のとんがりに見覚えがあった。 有馬富士公園センタ-のロビ-に掲示されている有馬富士、副h島大池の野鳥写真集 にて 同じような写真が紹介 されていることを思い出した。 ミヤマホオジロ (スズメ目ホオジロ科) この地域ではよく知られた野鳥観察の写真家の力作で、110枚以上の野鳥が紹介されている うちの1枚です。 この写真を拝見すると、お顔の黄色い羽毛は首部分にも見える。 今後の観察と撮影で確かめたい。 今回はこれでおしまいですが、今春かと思いますがチラッとみた小鳥の第一回の撮影としては 大成功の部類だろうと本人としては大満足です。 1. 冬鳥として全国に渡来し西日本に多いとされている。 2. 大きさ: L16cm 3. 特 徴: 冠毛がありカシラダカに似ているが、顔が黄色い。 イカル 斑鳩とも表記される野鳥 同じ高い梢の上でじっとしていた姿です。 同じイカルの仲間が数十羽この梢から左にあるより高木のコナラなどの木に移動している のに数羽がこんな感じでとどまっていたので撮影出来たもの。 今春、県道沿いにある国立行政法人兵庫中央病院の敷地内でこの「イカル」らしい小鳥の 死骸に遭遇。 間近で怒るらしい小鳥を目にすることが出来ましたが、今回出合った場所は この病院からは1km足りずの場所であり、この病院の森から移動した群れかもしれない? そんな推測と、この後有馬富士公園から福島大池沿いの高木に移動しながら餌取りなどを 行っているかもしれない・・・こんなことを想像しながら歩いた事でした。 昨年秋から今春、福島大池の周りでは望遠倍率の高いカメラを持った方達が高い、高い 梢の上を観察、撮影している現場に出合いましたが、このイカルなども撮影対象である かもしれませんね。 同じアトリ科のアトリらしい小鳥 川除と大原の田んぼの境にある小川の高木(桜)の梢にて 2017.03.23 近くの田んぼから傍の高い桜の梢に移動したアトリの群れの1羽 300mmの望遠(フルの一眼レフだと450mm相当らしい)でもこの小ささ,L16cm。 有馬富士公園の森の中で、愛好家が教えてくれた小鳥のよく訪れる場所にて この柵の周りは高木地域であり、有馬富士公園が設置した学習場所、小鳥たちが地面や柵に 降りてくるように工夫がされているのかもしれない。 相思鳥もやってきます。 ともかく、生まれて初めて遭遇するアトリ科のアトリとイカル、この2種類の小鳥がこの森 にいることがわかりつつあるので、この冬(2017年から2018年)も足繁く通ってもっと はっきりして写真の撮影ができるように念願。福島大池の西岸にて: ヒドリガモ ヒドリガモのメス まだまだ少ない群れではあるが、少なくとも10羽以上の群れがそこここに居た。 ヒュ-、ヒュ-などといい加減な推測で声を出すと、アラ不思議、ヒドリガモが懸命に 水かきを動かして近寄ってくる。可愛いですよ。 福島大池1.8Kmを一周してゴ-ルインする寸前、麓の大原や福島町に落とす水の取水口 付近は渡り鳥がいる間、割合野鳥が多く集まる地域、池のように思われる。 理由は分からないものの岸辺に近く、また多く集まるので撮影もしやすい傾向にある。 カイツブリもここで見かける。 全て素人の私、図鑑を見ながらの推測でカイツブリだと思っている。 少し前にテレビで東京のある池でカイツブリの子育てと大きな鳥や蛇などから巣と子供を守る 情報に接してこの福島大池にも何カ所か水際の草地があり、子育ての現場を見る機会がありう るなと思い、今後の注目点と思っている 。 ハシビロガモの集団採餌の光景にもこの岸部で出合ったのも今春の事だった。 福島大池の中で、右から左奥に向かってこんな風景が見られる 2017.01.11 湖面を行ったり来たりのこんな風景がしばしば見られる。 その内に輪を描いてこんな光景となった! 来春、動画でこの瞬間をつかまえたいが。 福島大池は一周1.8kmの池で、そんなに大きな池とは言えないでしょうが、それでもこの辺 では見ごたえのある場所。キンクロハジロやホシハジロ、オナガガモ、マガモなどに交じって カワウなども居て散策が楽しめます。 久しぶりに有馬富士の山の紅葉ぶりを自然学習センタ-横から撮った。 雑木林が多いのでかなりの部分が紅葉している。 〇 ◆ ◎
2017年12月10日
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口コミのテ-マから言えば、生き物とお出合や花のある暮らし、また暮らしを楽しむなど複合のテ-マを含んだウォ-キングで楽しい時間が過ごせた。歩いたコ-ス順と言うことでは無くて、印象深さなど考えながら取り上げました。空に舞うトビ(トンビ) 尻尾にご注目ください!トビ タカ目タカ科 福島大池の外周道路1.8kmを歩いていたら上空を悠々と飛ぶ鳥が見えたので撮影した。 日本産ワシタカ類で唯一、尾が凹尾である。 (名前がわかる野鳥大図鑑引用) 川除や大原など田園地帯でもケリ(チドリ科)がタマゴを抱く頃上空を舞う鳥が目立つ。 トンビと思っているが、今度は尾部で確かめる気持ちが湧いてきた。トビが上空に舞う地域の道路の上は茅葺の民家(モデル) 三田に多いとされる妻入りとは違うみたいだが、そのあたりにある棚田とともに景色と なっている。 棚田と稲木 脱穀した後の「わら」は利用価値が多いものの、いまの稲刈り機では粉々に切り飛ばさ れて地面に落ちてしまう。 尚。 多分、この公園が造られる前から民家の田んぼとして存在したものと思われるが、今では 公園の一部として生かされているように思った。 稲木には脱穀した後のわらが掛かっていた。 ここの土手には9月~10月初旬の頃はヒガンバナが咲いていた。 「」 柿の木とたわわに稔ったその実 福島大池に景観を添える柿の木 人懐こいヒドリガモ 久しぶりに現れた緋鳥鴨、十数羽この池の堰堤に近い西の隅に集まっていた。 ヒドリガモの群れ 名前に自信が無いカモ類 その2 有馬富士公園の県道沿いの広場にハナモモの木が沢山大きく育っている。 その枝を忙しく飛び交い、やがて集団で居なくなっていしまった小鳥がいた。 写真で見て分かった。 エナガ(柄長)だった。 眉半斑が無く、頭部が白いのが特徴で、ジュリリ、チュリリと鳴くらしい。 エナガは柄長で、柄杓の柄に例えられる尻尾の長さが特徴らしい小鳥 貴志の御霊神社の横や福島大池の岸、大原荘園町などで忙しく飛び交っている小鳥をみると エナガで、集団で飛び交い、移動する傾向があるように思っている。 L14Cmと小さい。 サネカズラの赤い実 マツブサ科 馴染みのない名前だ。 雌雄異株と言うタイプのつる性木本 但し、サネカズラはまれには雌雄が同じ木の「雌雄異花」もあるとされているが、こうして 秋を迎えて観察すると、ここでは「雌雄異花」のタイプを多く、意識して育てているのでは ないか・・・と思った。 ブログでサネカズラを紹介する試みとして、今年は花から果実が出来た頃、こうして赤く 熟れた実まで、いわば一覧表にして紹介するスタイルで書いてみたい。 そんな思いで、ウォ-キングも行ってきたが今回沢山果実の写真が撮れたのでブログに 纏める準備が出来た感じです。 長くなるが最後にヌルデの虫こぶをご紹介したい。 所々に穴があいているように見えるので、もう虫はいない? ヌルデシロアブラムシと言う虫のウルシ科のヌルデも一部のとりつき出来た虫こぶですから 虫が終わる、或いは抜けていなくなった場合この「虫こぶ」がどのような色になるのか? そんな興味もあって観察を続けておりますが、友が丘3丁目の外周道路と林縁の境にある株 にあるヌルデの虫こぶ。 出来立てからあまり色の変化もなく、その全貌を把握するモデルとしては、まだ足りていない のかもしれませんね ◎ 〇 ◆予告編11月10日(金)~ 13日(月) 高知県高岡郡四万十町と高知市へ出掛けました。 明石海峡大橋から明石方面?をふり返って(10:16) 09:35 三ノ宮発 この頃はいつもこの時間帯の神姫バスにて帰ります。快晴でよかった。 様々な話題も集まりましたので、順次ブルグ化の予定です。 例 高知城近くの日蔭 将棋 写真に写っている橋の向こうは国宝高知城の大手門ですが、その詳細も後日見てもらえる はずです。 この樹陰の将棋は地元ではなかなか評判の様です。
2017年11月18日
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この日も往復の道路沿いの景観の観察と撮影に明け暮れましたが、有馬富士公園センタ-の休憩所は意外に静かで、若いお母さんと小さな坊やの二人だけがお休みでした。そこへどうしたことか蝶の「ツマグロヒョウモン」らしい1羽が迷い込んで飛び回りました。坊やが目ざとく見つけて叫んだので大人の二人が(@_@)。私が知ったかぶりで「坊や、ツマグロヒョウモンとだよ」と思わず声をかけたので今度は坊やがビックリ、お母さんの方を見て?。一見ツマグロヒョウモンに似た蝶々で違う種類の蝶々も多いらしいので、反省もしましが坊やが小さな生き物に強い関心が生じたらいいとも思った。さてコムラサキ(又はコムラサキシキブ)の果実友が丘2丁目、3丁目と歩いていて、林縁との境にある金網垣根からコムラサキがムラサキの果実 が見えたので。 今、所々でコムラサキの綺麗な果実に出合いますね。 ついこの間までその名前はムラサキシキブと思い込んでおりました。 ムラサキシキブと コムラサキは別の物で、花枝と葉の付き方に違いがあるらしいので要確認。 ヌルデのこぶ(ヌルデシロアブラムシ) 友が丘2丁目から3丁目の金網外壁沿いに「ウルシ科のヌルデ」の株が予想以上に多いのに 驚かされますが、その枝にとりついて育つ「ヌルデのこぶ」の成長、拡大も観察の一つ。 ハゼもその仲間ですが、雌雄異株ですから果実ができる木と出来ないオスの木がある わけでこれからは雌の株も見届けて覚えようと思っている。ヒメキマダラセセリ? 大木の茂った森と近くにある遊びの王国入口の開けた空間で少し明るい道路わきの話 キクイモらしい花が残っていて目を向けたらこの蝶が居た。この場合も翅の表を開かない ので参考文献やネット情報などとの比較が難しいので、セセリチョウの1種だろうが楽しい ものの難しい。どんぐりの1種 遊びの王国へ入った久しぶりに木の釣り橋を経て有馬富士公園に向かった。 当然そこは少しへこんでいて、その窪みに大きな木が橋にまで枝を伸ばしていた。 樫や椎、コナラなど実のなる木は子供の頃から親しいがこの実はあまり見かけない。 何だろうか? ともかくこの釣り橋を渡ると軽く揺れる仕掛けになっている。たぶん、この遊びの王国の 設計意図の中に自然とのふれあい臨んでいて、このような釣り橋も設置したのだろう・・ 私の推測ですが、あまりこの橋を通過して揺れの体験、遊びを試みるご家族がみらえない のはおしい。ツクバネウツギの花 ツクバネウツギは羽根突きの羽根似た「その萼と果実」を見ての命名とか。 画面の左上の隅に羽根つきの羽根らしい姿が見えるが、命名者のご苦労がしのばれる。 写真はその果実でなく、カラスアゲハが来るかもしれない花の写真ですのでごめんなさい 私の遊び心で「忘れられた子供の帽子」を撮ってみました。 このベンチのある場所は昼間ご家族連れがテントを張って休憩場所にしている風景が最近 の流行。夢中で遊べてよかったなと喜んであげる一方、帰りの車の中で「アレッ、坊や帽子 は?]と声がかかっても引き返せなかっただろう・・・そんな想像をたくましくしながら通過 した。 スパイダ-マンかな?されげなく配置されているコブシの株で異彩を放つ「人のコブシ型の果実」 最後の姿を見てみたい。 子細に観ると黒い実が見え始めている。その横にもヤマボウシの株がある、赤い果実が残っていた。 常緑ヤマボウシに比べて小さいが食べられる。ここから福島大池の1.8Kmを巡りながらのウォ-キングに入る。 芝生広場の堤にところどころ植木が並んでいる。ここはシオカラトンボや赤とんぼの基地で 休憩と餌になる動物を狙っての静止だと睨んだが、どうだろうか アカトンボ 3枚の内の1枚、胴体の部分が見やすいので。 「トンボ入門」によるとこのアカトンボは胴体だけ赤いのでアキアカネかもしれない。 アカトンボにも種類が多くて、赤くなる位置などで見分けるそうだ。 10月に入ればもっと赤くなることだろう。雌は赤くならない?草地の生態園で「ツバメシジミ」蝶に出合い、小さい上にあまりじっとしていないので撮影に汗をかいた。 ご紹介済みながら:ツバメシジミ その後、いくつかの場所を見た後福島大池の外周道路で、棚田のコ-ナ-にさしかかった。昔、ある時期にここはコスモス畑になっていて、来園者を喜ばせてくれたが、今はない。 ポツンポツンと咲いていたコスモス。 この棚田も福島大池など公園として景観の一つとして設計されたと思われる。従って一般に コスモスの流行がやや衰えた世の中に応じてこの辺も稲づくりにもどりつつあるのかもしれ ない・・・などと空想しながら歩いた事だった。 市内川除の田んぼでもコスモスが無くない、蕎麦の作付けが普通になっているのがそれに 当たるかもしれない。 ツリガネニンジン(キキョウ科)が1株棚田の土手で成長して咲いていた。 花がツリガネに似ているのは分かる。根っこが朝鮮ニンジンに似ていると言われても発生の 数が少ないので引き抜いて確かめる機会無し。 花は釣鐘に似ていて地下の根っこがニンジンに似ているところからの命名とか、いつも感心 ツマグロヒョウモンにはウォ-キング中にしばしば出合う。たいがいひらひら飛翔しながら の姿を目撃しているが、こんな姿勢と止まることもあるというスナップ。 福島大池の水際にあるコナラの木の枝にシマヘビが上手に絡みついていて、5,6人のグル- プのご家族が発見、いったん飛びのいたが、すぐに平静になって観察後さって行った。偉い 白壁の土蔵塀でも上るので木登りは上手かもしれないが、田舎もんの私もこんな姿は初めて 観た 赤い小さな実が沢山付いた株が、茶畑跡の沼に生えていた。 こんな枝 この時期、池の中には鳥はほとんど見かけないが、この日歩いている折に1羽のやや大きな 鳥が着水。 マガモ? 翅が生え替わりちゅうかも、或いは未知の水鳥か? やがて渡り鳥が沢山来ることだろう。福島大池1.8kmを回り、有馬富士公園のある台地に通じる通路にさしかかった。その左肩には所々、飛び飛びに彼岸花が咲いていた。 ご承知の通りヒガンバナは地下に出来る鱗茎で増える植物なので、あちこちの現場で飛び 飛びに生えているのを見るとどうしてこんな増え方をするのか、いつも不思議に感じる。有馬富士公園の広場に戻ってみたら、写真のように沢山の人が来ていたのでびっくりした。祭日だし、催しのPRがきいているのだろうか。 ◎ 〇 Θ10月02日(月)雨 : ひとりごと 1. ウォ-キングはこれまで有馬富士公園と風島大池の数かい道路を歩き草花や野鳥、蝶々 トンボなどを観察することが楽しかった。 2. 9月29日(金)武庫川べりと郷の音ホ-ルの花壇に咲く花に近付いてみたら蝶々が何種 類かいた。 コムラサキのようにほとんど花に近付かないで樹液を吸液する蝶も居るらしいが、多く は花の蜜を吸う性質があるらしいので、花の多い、種類の違う花のある場所を回ると蝶 々に出合えると実感した。 3 しかし、福島大池にいた野鳥たちも順次戻ってくる時期も近づいたのでしばらくは畑と 有馬富士公園と福島大池への歩きも避けられない◎ 〇 ◎
2017年10月02日
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9月3日 日曜日 晴れ図書館へ返本と借り出しの為、約5kmの道を歩いて出かけた。以前は往復ともに歩くことが多かったが、いまでは気張りすぎないように心がけて、帰りのバスにしている。今回の歩きの大きな収穫はオミナエシの少ないながらも群落に出合った事だったオミナエシの花 「やはり野に置けレンゲソウ」の句?の通り、オミナエシの野原に咲いてこそ秋の風情を感じ られるだろう。今回かなりその風情が感じられる花の群れに出合った。詳細は後述。さて我が家を08:18分ごろに出て歩き始めるとすぐに「ホシミスジ」チョウが忙しく飛んでいるのに出合った。チョウを見ると無条件で撮りたくなる、それ、それ! これまでこのブログでも、訳が分からないまま「ミスジチョウ」として紹介させてもらった。 関西に生息しているこの種類の蝶々には以下の3種類が居るかもしれないと今では考えてます。 ミスジチョウ、 ホシミスジ、コミスジ 今日だけでも1時間余り「日本のチョウ 成虫・幼虫図鑑」とネット検索をしながら考えた。 見分け方として、「最前列の白斑が不連続、且つ後翅裏の付け根に黒点があるとするネット 検索(ウイキペディア)から、ようやく「ホシミスジ」だと思い定めた。 センニンソウの花が今各地で満開です。 三輪地区の県道三輪~後川線の県道の歩道を歩いていて出合った例 一時期、この花の咲き始めから種が出来る頃まで観察に夢中になった時期があります。 畑へ通う道沿いに谷川があり、対岸に咲いていたので触れることはありませんでしたが、 今は関心が他の分野へ移り忘れかけている申し訳なさです。 確か毒草ですからそれなりにご用心願います。 三輪神社の門前町で出合ったリュウキュウアサガオ かなりファンが居て、所々でこの綺麗なアサガオに出合いますね。 ネット検索によると: 1. 科 名 ヒルガオ科サツマイモ属 2. 学 名 Ipomoea indica 3. 本 名 ノアサガオ 4. 和 名 琉球アサガオ 他 三田市役所でも一時期「緑のカーテン」として道路際で見られましたがこの方面で流行らしい。友が丘町、三輪、中央町と歩いて来て武庫川を渡ることになった。 車瀬橋と欄干に一部に埋め込まれている三好達治さんとその詩の紹介 車瀬橋 渡り切ったところから振り返っての1枚です。 この橋の中央の窪みに「車瀬橋と三好達治」紹介のプレ-トがはめられている。 その銘板 車瀬橋付近は昭和初期(1925年頃)までは蛍の名所だったと紹介されている。 つまり蛍の幼虫が暮らす「カワニナ」が武庫川の流れにいたらしい。 この写真でも三好達治さんの詩は読めると思いますので、改めて文字によるご紹介は遠慮 しますが祖母と月光そして蛍・・・1935年生まれの私には懐かしい景観です。ここから三田町、南が丘と歩き、やや上り坂を経て緩やかに下って図書館に至ります。三好達治さんが幼少の頃に過ごされたその街は、昭和の初期は畑もあり丘の上にはお地蔵さんもみえる風景だったことだろう。今でも三田町にお寺さんが多いこともあって、歩きのお宝がある感じです。 妙三寺 このお寺も含めて通りの左右に3つのお寺さんがあり、その間に手打ちそばが名物?の 蕎麦屋さんもある。図書館へ向かう道は様々だが言わば”寺町”とこの先にある南ヶ丘の 大歳神社とお地蔵さんに出合う通りはいつも通りたい道路です。 名前が不確かですが、「クマノミズキ」 ミズキ科 道路から見た時、向こう側のマンションの庭に植えてある植木だと思ってこれまで通過してた 初めて手前の駐車場にお邪魔して観察したら小川の土手に自生していたびっくり! 金網フェンスの狭い空間にきわどく生えていた。 お住まいの方々も、たいして邪魔にならないし元気のいい樹勢を受け入れて放置したのだろう こんな果実が目立ちます。 大袈裟ですが、生まれて初めて出合った木の一つ。観察続行中(兵庫中央病院構内など) 今回は撮っておりませんが大歳神社には安政年間(6年?)の字が彫り込まれた狛犬が石段 の左右にあり、お地蔵さんはいつもお祀りされていてこの辺りの方々とともにあるのです 日によっては私もお地蔵さんにお詣りして無事を祈ります。 大歳神社の裏手、お地蔵様の前に昔の道の痕らしい物が見えます。今は公道になっている 右側は崖、お地蔵様の左横を抜けて突き当り、左へ廻ると今も田んぼが何枚か残り緩やかな 下りを歩くと、いくつかの街が過ぎます。 その右側にある茅葺の民家とオミナエシ オミナエシは野の花で、秋の花。 きっと昔はあちこちでこんな風景に出合うのが当たり前であっただろう。 オミナエシとかやぶき民家 オミナエシ こんな花 元に戻ってかやぶき民家 「三田固有のかやぶき民家」と言う時、妻入りがそれにあたるようですが、ここは平入で この正面下に出入り口があるように見受けます。失礼だから遠くから見ているだけです。 図書館まで1km弱、 オミナエシの花に接するといつも思います。あの長い武庫川の土手道の左右にこの花が咲いて いたら、大勢の人々が秋の風情を楽しめるのにと。 今は様々な野草が猛威を振るい、オミナエシは勝てないかもしれない。 この頃武庫川の土手への散策をさぼっておりますが、たぶん「アレチヌスビトハギ」の繁茂 その花だらけであろう。 勿論葛の蔓も伸び盛りだろうが、お花は盛りを過ぎたかもしれない。この後、図書館までの景色は眺めるのみで通過して辿り着き、無事に本の返還と新しく7冊ほどお借りして家路についた。 宮城谷昌光氏の全集を収蔵していることを発見、まさに発見でした。 「重耳」と他に1冊 蝶々とトンボの図鑑、合わせて2冊も引き続きお借りした。 トンボはすべて肉食動物だと教えられて、何を語ってよいやら戸惑っている毎日です。 図書館前バス停での観察 アカメガシワ 「先駆性植物」の異名をもらっているらしいこの木、こんな市街地でも平気? 図書館から兵庫中央病院北口のバス停まで2回バスに乗り換えでした。兵庫中央病院北口のバス停で下車後、友が丘三丁目の外周道路を右回りに回りながら緩やかにくだり家に向かいます。1Kmあまり。 ヌルデの虫こぶ、ヌルデシロアブラムシの虫えいのその後はいつも観察 知らなかった時、この木の花だと”大真面目”に思ったくらい、異彩を放っている。 ヌルデの虫こぶはその他の木々でもだいぶ観察できるが、ここまで大きくなり色づいて? いるのはこのヌルデの株のみ。図書館でお借りした7冊の本とカメラ1台、ざっと10kgぐらいか、少し運動になったかと思いながら無事帰宅できた。今回は、長年出合いたいと思い続けて来たオミナエシの小群落に出合い、かつてはこの地方も秋にはこんな風情であっただろうと実感できたのが大収穫だった。
2017年09月11日
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6月11日 日曜日 午前 その二その一 我が家から三田町 信楽の焼き物”狸の置物” まで 三輪神社で常夜燈を撮影して、擬宝珠というより宝珠などにからむ情報に接して、だいぶ その勉強に汗をかきました。 擬宝珠 その二 主として大歳神社の常夜燈と狛犬に見える刻印についてのご紹介です。 特に二つの狛犬の置物の内、安政四丁巳(ヒノトミまたはテイシ)八月と言う刻印に ついていろいろ考えます。 西暦で1857年、干支で57番目なんですが。また、瀬戸内沿岸を大暴風が襲うとある。さて武庫川の左岸、三田町を南ヶ丘に向かって歩いている。背中には返還の本6冊とカメラのレンズなど合計で約10kgを背負っているがあまり気にならないくらい慣れている。 街角にツタバウンランの小さな一群れ 「」 寺町の異名があると私は「思い込んでいるが」、この街には四つの寺がある。 最初に、「詩人三好達治さんが幼少のころここで過ごした」と案内が建つ 日蓮宗妙三寺 少し歩くと、左に正覚寺の案内が見え細い道の先にある(かつて何度か訪問済み)。今回は 通過。 次は、浄土宗の西方寺であるが、その間にお蕎麦屋さんがある。 お蕎麦屋さんの掛札 ”そば” 道の左右にお店が無いので、よくぞこのお蕎麦屋さんが続くものだと感心して通過した。 大変失礼ながら、昔からここを通過する度に、こんなに宣伝をしないお店ではやっている のかちょっと考えるが、いつも同じ風情であるので、きっと美味しい店なんだろう。 一度昼ご飯時に通過して食べてみたい。 西方寺のたたずまい この街には光明寺と呼ばれる寺もあるが、道から少し離れているので寄らなかった。 例年この街かどで「ヨウシュヤマゴウボウ」の1株とその花を見る。 この帰化植物も市内の思いがけない場所で出合います。今年も咲いていた。ヤマゴボウは食べ れるが、こちらは毒草なのでこの付近の皆様がどのような気持ちで受け入れている事やら。 南ヶ丘の街のたたずまいをほとんど知らないのでご紹介できないのが残念ですが、今、向かっている大歳神社は武庫川沿いの町々から言えば坂上にあり、小高い丘の頂に見える。 大歳神社の入り口の坂の横に立つ、向って左側の石灯籠 常夜燈 全 常夜燈 写真の面の内、左は「献燈」 右側は九月吉日の文字が見える。 奉納の年代の刻印 四面の内の一面 文化八辛未(カノトヒツジ、又はシンビ)年、 西暦1811年で干支の11番目でした。 ※ 最近、石灯篭に刻印された文字の内、奉納の年代について関心を持ち、神社やお寺さんを 訪問の際は出来るだけ拝見しておりますが、二通りあって (1)年号と年、それに十二支の一つを刻印 例 熊野神社 常夜燈の刻印 文政七年申 十一月吉日 干支では甲申ですが。 (2)この大歳神社の常夜燈の如く十干十二支をきちんと刻印する。 安政四丁巳八月(ヒノトミ)このように干支をそのまま彫り込む例も多そうです。 今のように西暦2017年という通し年号があれば、時代の特定が簡単ですが、干支では、 似ている文字もあり、誤記も多いとネット検索でも教えられた。 四面の内の二面目 九月吉日 勿論陰暦ですから今の10月頃だろう。 尚、大概二基が道の両側に向かい合う形が通例ですが、この神社に関してはその点確かめず 通過したのが反省点です。 江戸時代は幕府の命令で仏教が神社を管理したので、この神社の場合も今一基の側面にその 名前が奉納者の一人として刻印されていたかもしれない。 常に漢字で刻印されているものの、理解しやすい。 四面の内、一面が常夜燈、残りの一面が奉納者の名前を読み取ることが出来る。境内に入った。広場から一段上に神社と狛犬、また個々の場合、稲荷神社が併設されている。 石の階段を登るとその両側に狛犬がある。 阿 形 神社側からの写真です。阿形狛犬は境内の広場から見て右側にあるのが通例です。 吽形狛犬 この狛犬の基壇に彫り込まれた文字が下の写真です。 その基壇の部分に奉納年代が刻印されていた。(お宮に向かって左側の狛犬で撮影) 私の様な素人でも読み取ることが出来る。「安政四丁己八月」 右から左に向かって読む。 安政四丁巳(ヒノトミ又はテイシ)八月(西暦1857年 干支で57番目です)のはずですが。 尚、この狛犬に関しては、三田市が発行した「三田の狛犬(上)(下)」にもその年代が 記録されている。 三田 大歳神社 写真を示し、その下に 「安政四丁巳八月」 と印刷されている。 たぶん狛犬に刻印された文字が十干の「己」読みはキであるものの、歴史的な背景経緯が把握 できないので安政四年の正しい干支を印刷して資料とされたのではないでしょうか。 ◆ ◎ ▲ 市内では、狛犬ではありませんが、「元禄14辛己」の刻印に出合いました。写真などの例示 は軽々には出来ませんが、甲と申、戊と戌、己と巳など誤った例が多いとの情報がネット検索 で見られました。どれ一つとして断定はできませんが、悩ましい情報です。 さて: この大歳神社の横を通り抜けるとお地蔵堂がある。 いつも熱心な信者がいて、奉納も欠かさない風情がみてとれますが、江戸時代以前はお地蔵 さんは村の境に立っていたようですので、この丘の頂から違ったかもしれない。私はお地蔵堂の横から歩き、突き当りの道を左に取り、歩き続けて図書館に無事に到着した。途中の土手道に「赤花夕化粧」の株がかなり大量に生えていて、感心した。 帰りはJR三田駅前行きのバスに乗る事にして図書館前のバス停に向かった。 その道の右側の町筋に沖縄のシ-サ-と石敢當(イシガントウ)を見つけた。 シ-サ- 石敢當 家の無事を祈る沖縄の風習だろう。 真ん中の下にシ-サ-が居て、右に石敢當が見える。 日本で言えば、家内安全のお札を柱に張り付ける習慣と同じような意味合いかもしれない。 ここに沖縄料理のお店があり、その雰囲気づくりに設置されたのかもしれませんが推測の 範囲です。 JR三田駅経由で兵庫中央病院前(北)でおりそこから下り道を家に向かった。その友が丘との境に階段の右側には友が丘の緑の会などの御働きであろう「アジサイ」が花期を迎えつつあった。 アジサイ これから勢いを増すヤマノイモのつる。 雌雄異株の植物なのでこの蔓が雄かメスかわからない。 つる性植物の観察の時期が過ぎて忘れた頃に子の小路を通過すると、垣根の鉄柵に雌の花が 其処にも此処にも・・・の感じで沢山あったことを思い出しました。 つまり、だれも食べませんが「ヤマノイモ」がその辺の土の下に沢山ありそうだった。 友が丘: ワルナスビの花に出合った。 一時期青野川の流域でJR新三田の車庫付近の土手で猛威を振るうかのように見え、武庫川では トウカンマンション前からやや下流の樋門のある場所、並びに対岸の土手道付近にワルナスビ の群れが見えましたが、この頃ではあまり気になりません。やや減少かもしれません。 お昼の12時前に我が家に無事辿り着いた。 タチアオイの花 ◎ ▲ ×余談ながら:久しぶりにしろうと自然科学者さんのブルグへ遊びに行きました。この日は、つる植物の珍しい例のご紹介でしたが、気が付けば輪が三田市内の山野、田園などつる性植物の姿がしっかり見られます。このブログも徐々につる性植物の観察に時間を移しそのお知らせてと、取り残しのハマハナセンブリやキウイの花とその実などを織り交ぜていきたいものです。尚、蛇足ながら干支で生まれた年と書きますと 昭和10乙亥5月の生まれです。 西暦で言えば1935年になります。又、藍野の酒滴神社の石製鳥居は兵庫県下で最古の鳥居ですが 西暦は1395年ですが、この年も干支では乙亥で、10回目が600年経過で1995年であの地震 の年です。 私にとっては1回転でいわゆる還暦などが云々される60年に相当しました。
2017年06月18日
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6月11日 日曜日 08:40頃 庭にあるビワの実が熟れ始めたので写真を撮って出発した。庭のビワの実 "麦秋"と呼ばれる今の季節、ビワも熟れるんですね この木の実、熟れても食べたことはあまり記憶がありませんが稔ったらやはり嬉しい。この日のウォ-キングの心づもりとしては、福島大池で出合ったオオバギボウシ(大葉擬宝珠)の花の名前の元になっている擬宝珠は橋の欄干などに設置されているので、歩く中でできればその擬宝珠(ギボシ)の写真を撮りたい、そう願って歩いた。 オオバギボウシの葉 2017.06.09撮影 この葉が擬宝珠に似ていることはすぐに理解ができましたが、橋の欄干とそこに飾られる 擬宝珠の実物を久しく見ていなかったし、写真も無いのでこれからのウオ-キングで見つけ たいと思った。家から県道の三輪-後川線に沿って下ると三輪には来迎寺(曹洞宗)がある事を15日の歩きで思い出したが、道からそれているので11日の時点では忘れていた。国道176号線三輪交差点の傍にある三輪神社には何か擬宝珠の写真が撮れるものがあるかもしれないと気が付き、道路を離れて立ち寄った。 三輪神社は道路の並びに社務所があり、神社は階段を上った山の端にある。 社務所前の常夜燈 享保十三戊申年九月吉日(正しく読めたとすればです) 西暦1728年で将軍は八代吉宗公 戊申はツチノエサルと読み、干支では48番目でした。 階段の左側の常夜燈には、その上に擬宝珠に似た物が載っていることに気がついたが、階段上 の境内には常夜灯と共に欄干に付けられた擬宝珠があるかもしれないと思い、石段を上った。あがってみると境内には常夜燈が沢山あったが「欄干の擬宝珠」は無かった。そこで、常夜燈の撮影とその上の擬宝珠(ギボシ)を撮りました。 石灯篭(常夜燈) その一 石灯篭はこの写真では2基見えるが、この境内だけでも他に沢山あった。たぶんその全てが 奉納されたもので、常夜燈と刻印し、奉納者の名前と年月が刻印されている例が多い。 上掲の石灯篭の形と少し違うデザインのもあります。 全てに宝珠が見えるが宝珠の下の部分は違っているようです。 石灯篭の飾りは ”擬宝珠” ギボシに似ているが、厳密な意味では”擬宝珠と呼ばないかも しれない。花のオオバギボウシの葉の形の名づけの元になっている発想そのものとしては こだわる事はなさそうです。 しかし、せっかくですからどこかで橋の欄干塗装の上に乗っかっている擬宝珠の写真は撮り たいと思った。 厳密な意味で擬宝珠、ギボシと言う言葉をこの灯篭の頂にある丸い物にあてはめてよいのか?など、15日までにいろいろ調べました。 1. 昔のお墓である五輪塔(別名 五輪卒塔婆、五解脱輪塔)を見ると石の灯篭も橋の擬宝珠 も五輪塔など仏教の施設から生まれた物かもしれない。 五輪塔 ウイキペディアの写真を利用させてもらいました。 下から地輪は方形(六面体)、水輪は球形、火輪は宝形屋根型、風輪は半球形、空輪は 宝珠形。(ウイキペディア 五輪塔から引用) ( インドから中国経由で日本にも伝わってきた歴史的な物であり古代からこのデザイン が仏教や神社などに応用されたものと思われます) 2. 五輪塔は下からそれぞれ名前が付いておりますが、一番上は空輪で「宝珠形」 をしてい るとされております。 ともかく常夜燈も大変よく似た形になっており、我々の祖先にとって心の落ち着く姿になって いたことだろう。15日のウォ-キングで曹洞宗の来迎寺の存在を思い出しました。 そこで境内からお寺に上がる橋(階段)とその欄干に載る擬宝珠を見つけました。 擬宝珠 もっとそばで見る この擬宝珠がオオバギボウシの名前の元かもしれませんね。こうして宝珠を基にした擬宝珠を横から見た形が花、オオバギボウシ(ユリ科ギボウシ属)の名前の元になっている事を理解し、同時に五輪塔や宝篋印塔、常夜燈などにおいて様々な形で関係しあっていることも分かりました。但し、その読みとなるととてもすべて理解できるというものではありませんでした。ここではミスもあるかもしれませんがご容赦願います。さて、三輪神社の門前町を通過して、しばらく歩くと武庫川にさしかかるが、その前に恒例のマンホ-ル蓋の撮影を行った。昔このマンホ-ルの写真は数回撮ったが、やはり撮る気になった。 中央町でお地蔵さんが左手に見える広場の横、道路がちょっと変わってますね。 詳しいことは確かめておりませんが、たぶんコンクリ-トの上に何かを加えた道路の下に 下水道がある現場。ここ(中央町)を過ぎると武庫川が間近です。川沿いにも道路がありまず。車瀬橋を渡ると三田町で、橋の間際のお店には、少し大きな狸の置物(たぶん信楽焼だろう) 三田町はお寺が集まっている街で、詳しき聞いたことが無いが、おそらく江戸時代に九鬼藩の政策でここに集められたのではないでしょうか。わが家から南ヶ丘町の市立図書館まで片道が約5m、その中でこのお寺のある街の辺りで、家から4kmぐらいか。この後、妙三寺に続いて道の左右の違いがありますが正覚寺や西方寺があり、さらに歩くと南ヶ丘にさしかかり、その常夜燈と刻印、安政四年の狛犬とその年代刻印の事、又、お地蔵様などについて様々な関心を纏めたいと思っておりますが、長くなりすぎるので今回は此処までにさせてもらいます。次回は6月11日のウォ-キング、お寺の街から図書館までと帰宅前の友が丘で見た花などについて纏める心づもりです。◎ ◆ ×
2017年06月16日
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2017年5月18日(金)快晴 ウォ-キングの体験記です 貴志御霊神社の境内左に大きな灯篭があり、「天明6午吉日」と読めた。 すごく興味が湧いたので神社の様子と「天明6午吉日」などについて調べましたのでお読み 下さい(5月22日(月)朝始めに今回は、境内の大きな石灯篭に関して重点的に書く予定でしたが、この神社のご本殿の改装がこの5月に終わったばかり、しかも裏山なども綺麗にされて観察しやすくなりましたので、このご本殿にある貴重な彫刻物などの事も触れてみる気になりました。長くなり、すみません。貴志御霊神社の全体貴志御霊神社 ご本殿 再建された建屋、すっきり見えます。御覧願えれば理解が進むように、ご本殿の正面は三間、側面が二面の入母屋造り。屋根は檜皮葺で入母屋の妻面の庇を伸ばして角柱を立て向拝としている(パンフレットより) 話題が多い向拝上の種子(シュジ)キヤ(十一面観音):種子(シュジ)は仏教の言葉です。 蟇股(梁と梁の間に設けて支えてする)が歴史的発展により飾りとなり、この神社の向拝 においてはこのような彫り物となっている。 蟇股の中央に刻まれたのが種子(シュジ)のキヤ(十一面観音) お寺さんにおける仏像と等しく十一面観音様のお力を表している・・・とみなされている はずです。神仏習合の時代には神社側ではこのような形で仏さまを受け入れたらしい。 拡大図 この写真の中央、白い彫り物が種子キヤです。 仏教の歴史とその信仰上の姿に詳しくありませんが、仏像や僧侶などが印を結ぶ形と同じ 強い意味合いを持っているものの一つが種子で、キヤは十一面観音様の御姿を知らなくて このキヤを拝めば同じ幸せに恵まれるとされていたのだろう。蟇股について 「貴志御霊神社のご案内」パンフレットから抜粋 中世の信仰は神仏混交の時代、正面蟇股に十一面観音種子「キヤ」。 右側面には「戎・大国」の彫像、そして左側面に「三宝院」の彫り物がある。 すぐれた絵模様彫刻である ・・・ 今回は間に合わないが、早急に両側面の蟇股の撮影を試み、できればこの項に追加して載せ たい。 右側面の蟇股「恵比寿・大黒」 2017.05.21 尚、右側面には今一つの蟇股があり、動物唐獅子らしい彫刻があり。 左側面の蟇股には: 2017.05.21 この彫刻もすぐれたものだと思いますが、盛りつけた物が何か? 本論の前が長くなりましたが、近年この貴志御霊神社は周辺の山の刈明け、伐採、ご本殿の修復(あるいは再建)が進み、結果としてこのご本殿の写真撮影も、明るい光の中での行いで楽ななりましたので、先行してご紹介させてもらいました。 拝殿前にある石灯篭の脇に「モチツツジ」が咲いていて(@_@) この日、2例目のモチツツジ、参道にもかなりな数のモチツツジが花で出迎えてくれた。◎ ▲ 鳥居をくぐり、境内にある最初の大きな石灯篭について参道側から見ると境内の左側になります。計っていないが、高さが2mほどあるはずです。この写真でいえば左後ろに映っている石の鳥居のぬきなどと比べてもその高さ、大きさが分かる。この石灯篭の建立年代最初、この文字を「天明6年11月吉日」と勘違いして読み、手帳に控えた。実は、正しくは「天明6午11月吉日」であろうと思うに至りました。年号など少し勉強してみました。1. 読む時は、天明六午(ウマ)の年十一月吉日…とでも読んだのではないか。2 西暦 和暦 十二支 干支 1786年 天明6 午年 丙午(ひのえうま)3. 当時の住人は、西暦は勿論わかりませんが、和暦、十二支、干支はすべてわかっていて 灯篭などに彫り込む年号としては和暦と十二支(干支の例も見た)を彫り込んだものらしい。4. 天明6年が干支では「丙午」であることは十分分かっていたのではないでしょうか。※ 拝殿の前にある灯篭には下記の彫刻があった (寄進者は金生院海得と地元の方々) 元禄十五午 五月吉日 元禄15午(うま)(あるいは干支の壬午、ミズノエウマと読む)5月吉日(西暦1702年) つまり元禄15年は天明6年から84年前の午(ウマ)の年であるというわけです。 今回はこの石灯篭の奉納者が「社坊金生院」と分かっので、興味が盛り上がった反面、すでに拝殿のすぐ前にある石灯篭の寄進者が同じ社坊金生院であることをこれまでに学び、このブログの中でもご報告してまいりましたので、名前の特に撮影することは避けました。尚、2か所共に一基は社坊金生院、対面する一基は地元の方々となっております。 ご参考までに、境内の様子を見てみよう : 2015.10.11撮影 今回撮影の大きな石灯篭はこの写真の場合、写っていませんが、左手前です。 つまり長い参道を歩いて来て数段の石段を登ってこの境内に入る。 その先に写真で見るような拝殿と本殿が設けられている囲いがあります。 石の灯篭は今回の観察対象の物やこの写真に見える灯篭の他、拝殿の直前にもあります。 其処にも社坊金生院の名前が刻印された灯篭があります。◎ ▲ ×これから先は私が興味を持った事項についての勉強です。1. 天明6午11月吉日 (寄進)とあるが、天明とは西暦では何年か、またその時代? (1)天明年代 1781年4月(天明元年)~1788年(天明8年) 江戸時代です。 (2)天明6年 1786年 干支では”丙午(ひのえうまと読む)” 現代人が2017年といえば、どんな時代かすぐに分かるように、この時代は西暦も 通用しておらず、古代からの通年の慣習はなかったと思われます。 しかし、「天明6午11月」と記録すると、その年代や過去から、或いは徳川幕府の 開創から何年目と理解できたのだろう・・・と思います。 天明の文字と午の文字によるもので、不勉強ですが、多くは丙午が言葉としても通用 したのではないでしょうか。 (3)1786年、天明6年とは? 初代徳川家康、秀忠、家光、家綱、綱吉、家宣、家継、吉宗、家重、家治公と続く。 10代将軍の時代でした。在任期間は28年らしい。 その家治公の年代は:1760年(宝暦10年)~1786年(天明6年)でした。 初代家康将軍(西暦1603年)から言えば、天明6年1786年は183年目となります。 鎖国政策を厳しく維持した矛盾により、厳しい経済の中でこの地方の経済、生活に 様々な波紋もあったものと思われます。 (4) 社坊の意味 江戸時代は住人の管理を寺に与え、神社もお寺の管理下にあった。旅の手形も信者と して登録、把握しているお寺から信者であることを保証されて初めて可能でした。 この貴志御霊神社の管理者は金生院だったがこのお寺もこの神社の為に出来たのかも しれません。 余談になりますが・・・ この神社でのお祭りに当っても 神主が神様に祝詞を上げている傍で、いわゆる「社坊」 のお坊さんがお経をあげていたらしい。 お坊さんにとって、しいてその神様との関連事項はなかったらしいが、仕来りとして 仏様ではなくて神様にお経をあげると言った厳しさが内在した暮らしでもあったよう です。 今考えると向拝蟇股に彫刻された種子キャ(十一面観音)がお坊さんにとってこれ以上 ない存在ですから、建前は神様に向って祈りながら、腹の中では種子キヤに向かって 懸命にお経をあげていたかもしれませんね (5)この灯篭に社坊の金生院が気張って大きな灯篭を寄進した背景として住人の無言の目を 意識すると、気張って寄進せざるを得ない。 こんなことも考えられました。余計な推測かも知れませんが。 明治2年に社坊金生院が廃寺となった際、その資料や財物?などの一切が金心寺に移管さ れたらしいが、こんなところにもこのお寺の地元との繋がりの浅さが感じられます。 尚、社坊「金生院」は、この貴志御霊神社の近くで、今で言えばウッディタウンの 一画にあったそうです。貴志御霊神社の再建の歴史について1. 本殿内陣に納められている厨子の両扉の裏面に本殿再興していった経過が詳しく墨紀 されている。2. 延文四年に本殿が焼失したために、文正元年(1466)地下(ジゲ)の百姓等が御霊宮 の再興について談合の上決定し、地下(地元)の百姓等から奉賀を得て、文明二年正月 二十六日事始、三月五日柱立、四月七日上棟、五月二十八日に遷宮したと示されている 以上はパンフレットから転記。 ※文明二年とは: 1470年 後土御門天皇 足利幕府 足利義政公の時代三田の神社、仏閣の中でも、特にこの神社に関心が高いのは、ウォ-キングで通過の際、時々地元の氏子さんが境内掃除に励んでいるのに出合いました。そして、拝殿前の2基の石灯篭の奉納者が社坊金星院であることを熱心に教えてくれました。この事がきっかけでこの神社に関する関心が高まりました。 ◎ ▲ × 余談ながら このブログの作者は高知県四万十町の片田舎の出身ですが。 我が家の仏壇には、真鍮製とみられる「しきみ」立て 一基が残されていります。 祖先からの言い伝えでは: 明治初年に廃寺になったお寺が我が家のごく近くに在ったこと。 廃寺の際、ご近所の檀家に遺物を配った。その一例だというのです。 高知県は他の四国3県と同じで四国88カ所のお寺が有名で、四万十町には37番札所岩本寺 があります。神社としては高岡神社(通称が五社)が有名ですが、各集落には在所の神様 を祀る神社(例えばわだつみ神社)があり、この社坊かと思われますが不明です。 神仏混交から解放され、管理していたお寺の多くが廃寺になった例は驚くほど多く存在した と思われます。
2017年05月22日
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何方にも子供の頃の、様々な思いであることだろう。それは何よりの宝物。既報の通り私にとっては「シャシャブ」とグミ(グイミ)はその一つ、成長の一節です。お借りした写真ですが、なんとも懐かしい。この有馬富士公園の一画、遊びの王国や有馬富士公園から福島大池に通じる坂道の垣根に、熟れ始めたその実が見られます。ほとんど数粒しか口にしてないのに懐かしい。グイミ(グミ)は腹をこわすほど食べたので鮮やかな印象は変わらないが、今は味わい済みの印象。その点、シャシャブはいまでも「もっと食べてみたかったのかもしれませんね。4月10日(月)有馬富士公園の森と福島大池へ通じる通路のシャシャブを見る機会がありました。1. その果実が緑色(青い)に変化していて(@_@) 下の写真も含めて自然木であり、いわば山中に育つ野生の木とその実です。 この10日、この木の青い実を見て、野生の実だからこんな色をしているのかな、そんな 印象をもちましたが、この公園の垣根にしているシャシャブの沢山の株とその実の数々を 見て、成長の一環としてこのような青い色をしているらしいと理解した。 検 証 3月24日 初めてシャシャブの実に気が付いて撮った写真 2. 福島大池に通じる小道の垣根のシャシャブに熟れかけた実を見て、これまた驚いた! 幼い子供時代の思い出から、きっと6月頃、早くても5月頃から熟れる・・・そんな 印象が強かったのに! 垣根の青い実 熟れた実の数々 その二 この調子で熟成が進めば、冒頭に見ていただいたシャシャブの赤い実の写真同様に熟れて 澄んだ赤い色の実が見えるだろう。3. 4月15日(土) もう熟れているだろう! と期待して行ってみました。 御覧の通りでまだ熟れていませんね。 それでも一つもいでみようかな? ちょっと気持ちが動きましたがやめました。 4. 4月23日(日) もう熟れただろうと、しびれを切らして巡回 垣根用として植えてあるシャジャブ 有馬富士の山中に自生しているシャシャブ 試しに1個ずつ口に入れて味わってみたが、あまり甘くない。 少しえぐい感じだった。 本当に熟れるのにはもう少し時間が掛かるのかもしれない。5月1日(月) 1週間が経過している。 公園から福島大池へ通じる小道との境に植えてある垣根状のシャシャブの木にて。 お借りした”シャシャブ”の実の色とだんだん似てきた。印象としてはこれがこの実の熟れた 姿かもしれない。何しろ今から70年ほど前に実物に接していらいの空白があるので。 有馬富士公園の中腹にあるシャシャブの自然木らしい1本の実は上掲の通りでいくつか 真っ赤に熟れる寸前の姿が観察できた。 今回この現場へも立ち寄ってが、1個もみ美がなかった。ショック! 犯人? たぶん””ヒヨドリ” この公園の垣根状のシャシャブの株とその実の数だけでも天文学的な? 数なのでヒヨドリ 意欲的に食べてもなくなることは無いだろうが、小鳥はよく知っているのでよく熟れた美が なくなっている可能性のあるだろう。 ヒヨドリってこんな小鳥 少なくとも4,5羽来ていたビックリ! 2015.03.08 我が家の庭に来たヒヨドリ。 留鳥または漂鳥とある(野鳥大図鑑)。 たまにはこの野鳥を全く見なくなる時期があるので渡り鳥と考えたくなるが、漂鳥とある ので、一時期見なかったということだろう。三田市や兵庫県内に、私が勝手に語っているグイミ(グミ)の実がなるのかどうか?ぜひぜひ探してみたいものの一つです。出来たら一粒、多くても数粒で良いから口にしてみたい。◎ ▲ ×冒頭に掲げたお借りした写真「熟れたシャシャブの実」を改めて見てみると、うるんだような艶のある赤い色になっている。もう少し時間がかかるかもしれい。グミ(茱萸)には唐茱萸(トウグミ)と呼ばれる種類もあるらしい。私など、子供の頃沢山食べたグミはこの種類らしいが、シャシャブもお借りした写真を見るとだいぶ丸い。この有馬富士公園のはやや歩長い。シャシャブも”唐シャシャブ”と呼ばれるような品種があるかもしれない。この公園のシャシャブは”ナワシログミ”が正の名前えなので、その実はさして甘くないかもしれない。ともかく、様々なことを観察できて楽しいもののその実がもうちょっと美味しかったら、満足もその上に大がついたのに。§ Δ 〇
2017年05月04日
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4月8日(土)第13回三田さくら回廊ウォ-キングの頃は天候も悪く桜も咲き遅れてしましたそれがその次の週の13日頃には遠目にも素晴らしい景観を示し、気持ちよく眺められました。1. 14日(金)武庫川沿いの花見に出掛けました。 野鳥の観察や草花の観察を兼ねているので、 西谷川の土手から武庫川の桜を見て歩いた。 上の写真の、株の元へ近寄るとさらに両岸の桜が栄えて見える。 さらに武庫川に近い位置から、郷の音ホ-ルを背にした桜を見ると: 西谷川を元に戻り、三田市役所の一画に沿って下ると、三田大橋を臨む。 さくらの花の美しさを探る 左岸に渡り、郷の音ホ-ルの横から川上に向かう。平日だから人では少なかった。 郷の音ホ-ル横から川上に少し進み、ボンボリも見える桜並木 お殿橋のある福祉センタ-方面を臨む§ Δ 〇 この桜回廊は武庫川が瀬戸内海へ注ぐ甲子園のあたりから、三田・篠山などを経由して日本海 まで続いているというスケ-ルの大きい回廊なので、桜の木が30年あまり経過してこんなに 大きくなると、見事な桜の景観がどこまでも続いている感じになる。 お殿橋から上流を臨む 江戸時代は武庫川にかかる橋も、九鬼のお殿様しか渡れない橋がこの辺に架かっていたこと だろう。お殿橋の名前も悪くない。 もっとも武庫川は江戸時代はおろかごく最近まで大きく蛇行していて、この写真でいうお殿橋 のあった川は、画面の左側、約500mを流れていたらしい。 その頃に桜回廊を企画していたら、その景観は飛び切り素晴らしい、変化にとんだ蛇行の景観 になったことだろう。 次の写真でご紹介する田んぼは川除地区の田んぼであり対岸の田んぼと共にもともと今よりも さらに広い地域であった。 武庫川の流れを大きく変えたのでこんな形で、真っ二つの割れてしまった川除地区。 この桜の木の下から望む田んぼのあたりは、先日ご紹介をさせてもらった”タゲリ” (チドリ科)が冬鳥として渡ってくるらしい。 その時期が来ると、武庫川に直角でつながっている農道に巨大なカメラの列ができ 双眼鏡を持った方がタゲリのいる位置を知らせているらしい様子を見ることができ ます。 お借りした写真で田計里、タゲリ ウイキペディアからお借りしました。 昔、むかし この辺をジョギングで毎日走っていたころ、そんな様子をみても何等 意味が分からなかったが、今は野鳥観察の愛好者とそのカメラの種類を見るにつけ この辺りの田んぼに大きな意味を感じております。 この左岸の田んぼに田計里がいるか、あるいは武庫川の右岸で川除地区の田んぼに いるか、そのあたりは今後明らかになっていくと思います。 三田消防署と桜 武庫川に戻り、川除上橋から上流の桜を臨む ほぼ移植された年数が同じであり、病気などの事故にもあってないので揃っている。 § Δ 〇 川除上橋を右岸に渡り、川上に向かう。 右岸の桜も栄えている。 (川上に向かって) 三田の穀倉地帯の一つ川除と大原の田んぼに境を流れる小川沿いに植えられて大きい桜並木 花見客にとって武庫川の堤防沿いの桜の花で大満足であり、そこに直角で食い込んでいる 小川(あるいは溝)の土手に咲くこの桜並木は無視、無視・・・だろうか。 私にとっては、先日までアトリらしい小鳥が右に広がる田んぼから飛び上がってこの桜の 木に群がるので”お馴染み”の場所。数回ここで野鳥の観察 この14日(金)はこの桜並木の下を歩き、そこから左折して上流に向かいました。 桜の景観から言えば邪道かもしれないが、この小川の岸で「イソヒヨドリ」のメスドリらしい 一羽に出合った。 昨年、この小川が注ぎ込む武庫川の対岸域でイソヒヨドリの雄を初めて見た地域でも あるので、雌などが居ても不思議ではありません。 この日の桜の花見には素晴らしいお土産が付いて、大満足になった。今年は枝垂れ桜も一緒に咲いている感じです。 2017.0416 撮影 大原にある割烹”がんこ”の枝垂れ桜も例年見事です。 がんこの付近ではアオキの雄花やキュウリグサ(ワスレナグサの仲間)なども観察した ことがありましたが、今年は野鳥観察に出掛けることが多くてがんこ付近は通過の機会 が減っている。 その国道よりの道路際には今頃から”トウダイグサ”の群れが見られそうですので近日歩いて みたい。◎ ▲ ×蛇足ですが:武庫川を上流に向かって歩くと、八重桜の株が纏まって育っており、例年だと今咲きはじめか満開が予想されます。可なりな本数なので見事な景観が予想されますがこれまでゆっくり見たことが無かった。出来るだけ足を延ばしてみたい!
2017年04月19日
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まもなく82歳(5月10日)とあって、無理に参加しても誰にも褒められないので慎重に判断したが、結果的に参加してよかった。最後の千丈寺湖沿いを覗いて、そのほとんどを武庫川沿いの道路と農道を歩くコ-スであり、草花に出合う楽しみが、歩く疲労を癒してくれるのがこのウォ-キングの良さ。1. JR藍本駅の出発点 受付風景 この時点ではだいぶ降っていた。2. 酒滴神社 隋身門に掲げられている「算額」 この藍本は、東海道五十三次の宿駅ほど有名ではないが、近畿から中国地方に通じる街道の 一つの宿場町だったらしい。 この町の前を流れる武庫川も水運に利用された時期もあったらしくて、この付近は明治時代 以前でもそれなりに豊かな家があり、例えばこの算額のように深い数学の素養を積み、中央 のレベルに達した方が算額を掲げた。3. 毎年、藍本の町で春を告げるレンギョウの花 4. 酒滴神社の石の鳥居 1395年創建の鳥居で、宝塚の石材を用いている。1995年は600年経過であり、今年で 622年維持できたことは素晴らしい。 兵庫県下で最古の石の鳥居だそうだ。5. 途中の桜とウォ-キングの様子 出発後しばらくはこんな感じで雨が降っていた。 おおよそ1000人に参加者らしい。雨だから仕方がないよね。 雨で花や景色の眺めを写真に収める気がおきないので途中の暮らしぶりを一枚。 つくしはほぼ普段通りでしたが、ムラサキサギゴケや様々な花は姿が見えなかった。 撮らない、撮る気が起きないと言ってもこの程度は: ムスカリ 野道にポツンと数株のムスカリが、自生か? リュウキンカ キンポウゲ科 アオキの赤く熟れた実 クサノオウの蕾 下須磨田の畑の岸で昨年も黄色い、綺麗な花を見たので今年もここはツボミでも仕方が ないと思ったので撮った一枚。 しかし、下須磨田の岸はもっと遅れていて、あまりその姿も見られなかった。 咲いたらこんな花です。 6. 駒宇佐八幡神社 この神社の長い参道下のウォ-キングの7km(ご家族コ-ス?)ゴ-ルがあり、事前注文 の弁当もここで受け取った。 例 長い歴史があり、豊かな暮らしがうかがわれる神社ですが、短い滞在で失礼した。 神社へ参拝するのには正規?の参道と自動車の道路の2つの道があり、行きは自動車道を 歩いて登った。 その道端に「ムラサキケマン」の自生地域がある。 御覧のようにすべての株がツボミだった。 友が丘町にムラサキケマンの自生株があり、開花したので別途ご紹介できるだろう。 7. 13kmコ-スの後半、武庫川の左右に広がる田園と人家を見ながら歩きを続けた。 ようやくその開花を発見?したムラサキサギゴケ 昨年はあちこちで沢山見ましたが、今年はわずかでした。 ここで後ろから歩いてきた二人連れの女性達、カメラでいろいろ撮影しながら歩くスタイル らしくて、早速このムラサキサギゴケに関して「何かしら」・・・ご質問があったので、 「ムラサキサギゴケ」とお知らせした。 この花は「トキワハゼ」と異なり、株立ちでなく蔓のようにランナ-が伸びてそこに花が つくので、普通は沢山の花がそこかしこに咲く。それも思い思いの方向に向けて咲くので 幾分見場が悪い嫌いがある。 こんな情報の一端もご説明しましたが、その点はあまり興味がないらしかった。 この後、ゴ-ル近くまで前後しながら草花の撮影をしながら進んだ。 これこそウォ-キングの一つの姿だと思った。 そこそこ咲いていたのがスミレ 最近気を付けて撮影しているスミレの距 この距には蜜が溜まっていて虫が誘われてその蜜を求めると、花粉がその足などにつく 仕掛け。距を持つ植物は沢山あるようです。⇒ツタバウンラン 昨年この地区では、クサノオウの花とミツバツチグリの花が咲いていた。 今年はかなり遅れているらしい。これは去年の花ですが岸に咲いていても綺麗です。 須磨田から千丈寺湖畔の道路へ無事到達した。 (1)フデリンドウの株と花 2年前に出合い、今年こそ時間をかけてじっくり写真を撮りたいと思って歩いた。 ああ、残念。その株を見つけることが出来なかった。 昨年撮影して不十分に感じたフデリンドウ 草丈が10cmぐらいと小さい。その他の草も茂る道路と排水溝の境なので発見が難しい。 (2)スミレ : 今年もいつも通り咲いていた。 スミレの種類は一つですが、想像以上に沢山山肌を埋めていた。湖畔の道路を歩く人 は、概してこのスミレなど道路面や山肌には無関心に見えます。 しかし、時にはこのスミレもご覧ください。 (3)ヒメハギ 昨年座る場所もないほど咲いていたヒメハギ。 今年は全くなかった。 昨年の花の1例 小さいけれど見事な開花ぶりです。 小高い丘で弁当を食べる仲間がいて、私もそこに上っておにぎりをほおばった。 分かるでしょう20000歩近く歩いてきた足、投げ出したくなって伸ばした足。 そこかしこにヒメハギの花。 信じられない思いでした。 8. 千丈寺湖と桜 弁当を食べている丘からの眺めです。 ここからはゴ-ルの青野ダムサイトも近い。 1年ぶりに意識して見た雑草”スズメノヤリ” 注目して歩いたらあるはあるは。 スズメノヤリ 昔大名が行列を組んで移動した際、奴が毛槍を立てて先頭に立った故事にちなんでその 毛槍に似ているこの野草にスズメノヤリ(雀の槍)と名付けたらしい。 その2 この花の成立ちもなかなか複雑。 ヒメオドリコソウ こんな草花の姿と成立ちを考えながら歩くのもウォ-キングの一つの在り方、ともかく 無事にゴ-ルへ帰り着きました。 9. 13kmコ-スのゴ-ル : 青野ダムサイト ダムサイト このダムは神戸市の上水道用ですが、大正か昭和年間にかなりな村、人家・田畑などを潰して 創ったとされている。 この豊かな地域の現在を考えると、昔だから出来たのだろうと思った。◎ ▲ ×途中から雨が上がったとはいえ、出だしに強い雨が降ったので道もぬかるみウォ-キングとしては盛り上がりに今一つ欠けるきらいがあったかもしれません。 私個人から言えば、ムラサキケマン、クサノオウ、ミツバツチグリ、フデリンドウ、ヒメハギなどの咲遅れが大変残念だった。来年のウォキングに期待したい。
2017年04月17日
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1. ウォ-キング どのくらい歩いたか? 万歩計によると約21,000歩、おおよそ13kmあまりぐらいだろう。 朝の9時過ぎに出て、夕方17時前の帰宅でした。 4月8日(土)三田市の”サクラウォ-キング”にも参加しますが、13㎞コ-スと家からの 会場までの合計で25,000歩強ぐらいですからこの日はその練習としてもいい歩きでした。 マニュアルモ-ド撮影の練習 手動でピント合わせの練習2. コジュケイ(キジ科)並びにキジのメス鳥との突然の出合を期待して歩いております。 大原荘園町の竹やぶにある溜池 武庫川べりから言えば、推定4,50mの高台にあり、栓を抜けば水が流れ出る仕組みに なっていることも分かった。 この辺の田んぼは主として福島大池から流れ出る水で秋まで賄われている・・・と見て おりますが、宛てにならないのが自然の雨水や湧水、それに備えてこのような溜池が沢 山設けられていることが、この日初めてわかりました。 このには川除御霊神社が祀られておりますが、 今でこそ一集落の神様ですが、この境内の一画に行基堂があります。奈良の東大寺を作り 上げた行基大僧正が福島大池を作り上げた指導者として記念するものだと思います。 そのお堂がここにあるくらいですから、かつては大勢でお祀りしたことだろう。 その垣根の下にも2つ、溜池が見えておりますので田んぼまでには4つ、5つ溜池があり そうです 。 ジュケイはキジ科の野鳥であり、中国から狩猟用などの為に導入された野鳥らしいで すが、竹やぶなどがお好みと聞いていて、写真の環境はキジ向きと思いました。3. 大原荘園町を出て,JR福知山線の線路を超えて、川除の田んぼ道を歩き、大原の田んぼの 道で「ケリ」の出現を期待しましたが、まだ、田んぼの耕作開始まえですから、ケリが 巣作りをするのには間がありそうです。 飛行中のケリ 4. 大原の田んぼ道から武庫川瀬戸橋に至り、そこから武庫川の右岸を上流に向かって歩き 始めました。 その前に、田んぼの南に面した田んぼの岸、道路の壁沿いにレンゲの花を見ました。 ] その傍には、タネツケバナが沢山咲いていた。 武庫川沿いにどこまでも歩き、かつて何度かキジの雄にであったところまで来て、その辺の様子を撮影して、今後のウォ-キングの目安にした。 武庫川の土手道と田んぼを含むくぼ地の様子 土手の道から田んぼのあるくぼ地は人間の背丈ほどの落差がある。 この土手道を通過した際、2,3度大きく育った稲株と岸の雑草の中からキジが飛び出す様 を見ている。 福島大池でのヒクイナやクイナ、後ほど紹介できる武庫川べりの「イソヒヨドリ」ヒタキ科 などのように数多く観察を続けていると出合えるチャンスに恵まれる可能性が高いだろう!ここから折り返して、この日の午後2時開演の第20回関西学院大学の 室内楽演奏に向けて戻った楽しい演奏の数々を楽しませてもらいましたが、この日のプログラムなどは、最後にまとめてご紹介させてもらいます。 相変わらず多いコガモとその逆立ちでのエサ取り コガモ オス コガモの逆立ちによる餌とり 右側にいる1羽はコガモのメスです。 何気なく泳いでいるコガモですが、瞬時にしてそのままクチバシを水中につければ底につく 或いは、逆立ちして潜れば届き、餌も豊富だ…などの判断が付くらしい。 この逆立ちして採餌するタイプのカモ類のすべてが、この機能を身に着けているようです。 すべてのカモ類に共通しての現象ですが、限りない回数での採餌は大変苦労が多いらしい。 水上やこのような水際で一休みする傾向がある。 首から上の頭部を後ろに回して羽毛の中に入れて睡眠の姿勢。コガモの観察の後、郷の音ホ-ル、演奏終了後妻への手土産として近くいある”王将”へ立ち寄り餃子を持ち帰りを受け取り、再び武庫川べりに出てお殿橋から右岸に渡って下流に向かった。三田大橋から上流の瀬戸橋の間、やく2.5kmの間、主として中岸を見て歩くのがウォ-キングの重要な日課になっている。三田はもちろん、内陸部には比較的少ないらしい「イソヒヨドリ」が、西谷川の武庫川との合流地点付近にいる可能性があり、その出会いを狙っての事です。 ついに出合いました。 3月12日 16:17 おおよそ10m近く離れた西谷川の対岸から300mm望遠で撮ったままの姿です。 情報によるとミミズが大好きらしい。 後日、改めて詳しく書きますが、偶然この写真の中で、地面にミミズの死骸らしいものが 見えております。 たぶん、2年前に武庫川の上流、瀬戸橋の下流で出合ったこの珍しい野鳥が西谷川下流にも 生息しているらしいことがつかめてラッキ-でした。4月8日(土)三田市 さくらウォ-キングに参加を考えて、長く歩く訓練をこれから回数多く取り入れることになりますが、今回はそこまで考えたことではありませんでした。結果的に長く、数多い歩数を稼げて嬉しい一日でした。§ Δ 〇第20回 関西学院大学室内楽の演奏プログラム 1. ベ-ト-ベン 劇音楽『エグモント』序曲 Op.84 2. シュ-マン 序奏とアレグロ・アパッショナ-ト ト長調 Op.92 (ピアノ:田村幸造) 3. シュ-ベルト 交響曲第4番 ハ短調 『悲劇的』 D.417
2017年03月15日
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はじめに:11日(土)県立有馬富士公園と福島大池に出かけて、坂の途中で転がったので用心して12日(日)ウォ-キングは御休み。 午後、畑へ自転車で出かけてダイコン、ハクサイなど野菜の収穫を行った。13日(月)曇り時々晴れ 市内有馬高校前方にある大きな溜池で昨年3月に出合ったクイナ科の「バン」の 観察と有馬高校の並びにある「宝篋印塔」昔のお墓らしい石造物)の撮影したい と思って出掛けた。1. 川除御霊神社の横の空き地で”キジ”のメスらしい5,6羽を見てうろたえたこと。 ウイキペディアの”キジ”からお借りした写真を縮小させてもらいました。感謝 こうして拝見すると或いは同じキジ科の雌は58cmと大きいらしい。 あるいは同じキジ科のヤマドリかウズラの雌かもしれない。 カメラのスイッチが入ってないのに、つんのめった心境でシャッタ-を数回押してダメ! そのすきに記事の雌らしい鳥はとっさに右と左に分かれて藪の中へ逃げ込んだ。 悔しさもあり、今後ここでこの野鳥の観察と撮影をするためにウォ-キングの仕方を変更 しよう・・・などと考えながら歩いた。2. おおよそ1年ぶりの有馬高校前の溜池、湖面の野鳥はあまりいなかった。 その前に、電線に止まっていた小鳥、何かな? ムクドリ(椋鳥)だった。 市街地で大集団になって並木などをねぐらにして公害発生で話題になる”あいつ” 大原、貴志地区などで見かけますが、数羽のあつまりで話題にもなりませんね。 (1) アオサギが1羽、池の中の浅瀬にいて冠毛が綺麗に伸びていたのに、撮影に失敗 今日は2回目の失敗 (2) オオバン(クイナ科)が広い池の面に数羽。 L39cm クイナ科では2番目の大きさらしい。意外でした。 (3) バン(クイナ科)はこの日はいなかった。L32cm バン はこんな鳥 2016.03.31撮影 ヒクイナ(クイナ科)よりは大きいが、オオバンに比べて小さい。 この池で繁殖行為が見られるかもしれないので、これから時々出かけたい。 三田市内ではクイナ科の仲間の内、ヒクイナ、オオバン、バンが見られる が、クイナは現在は居ない(福島大池傍の湿地に関して)。 市内の他の地域の関する情報は得てないので、関心をもって過ごしたい。3. 「宝篋印塔」(ほうきょういんとう)の”整理物”の撮影(合掌をしながら) 有馬高校の並びにある台地には、複数の「宝篋印塔」(ホウキョウイントウ)を整理して 敷地の隅に片付け、残していることを昨年3月31日偶然見つけた。 ここにある遺物の一部です。聞きかじりですが宝篋印塔に見えます。 原義はともかく、宝篋印塔は鎌倉、室町幕府のころは貴人のお墓として建設され、現在も お墓として、あるいは遺跡として大事にされているようです。 三田・興福寺の宝篋印塔 2012.06.19 撮影 2012年頃、三田高齢者大学の講義で教わった。 三田市の文化財でもありますが、お墓でもあります。三田市の興福寺の境内にあり墓地 の一画にあります。 今では、花山院に花山院上皇の宝篋印塔があり、興福寺のそれと共に公式にも残っている ことが知られている 同じ敷地の中には”針塚”もありました。 この有馬高校横にあるこの写真の物については、折を見て三田市の関係者に情報を尋ねて みたい。 江戸時代の三田・九鬼藩の諸施設もこの辺に集中していたはずであり、いろいろの話題が ありそうです。4. 深田の伍大力菩薩の春の例祭日だった。(2月13日と9月13日例祭) 三田消防署の前方、深田川沿いにあります。 この三田市の五大力菩薩のみならず、全国に同じような施設と信仰が現在も続いている ようです。 今回は”火祭り”の時間前だったので2013年の例祭の写真でその雰囲気をご理解下さい ご参考までに:2013.02.13撮影 14:41 この火が燃え尽きたのち、行者さんが地面に残った灰を確かめたのち、信者さんが裸足で この灰をはだしで踏み、渡ります。 渡る § Δ 〇クイナ科のバンと呼ばれる野鳥の今現在の写真を撮影したいと、それなりに張り切って出かけたものの1羽もいなかったので、かなりがっかり。あくまでも手前勝手の話ですが、上の写真のようにクイナ科の野鳥として目立つので勢い込んで溜池にたどり着いたというわけです。 ウォ-キングの有様;朝、8時30分頃家を出てから歩き回り、12時前に家に帰り着いた。
2017年02月17日
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町内の、名前も知らない木の頂上に小鳥がいた。スズメ? 帰り道、有馬富士公園と遊びの王国をつなぐ陸橋の手前で「野鳥観察の会」らしいグル-プ にあった。素晴らしい大木の梢にいた2,3羽の小鳥をリーダ--の指導で観察していた。 家で図鑑を見たら初めて見るアトリ科の「イカル」らしい。 野鳥観察と言うのは、このように高木や遠い場所の野鳥を(大汗をかきながら)双眼鏡など で見て、新しい出合い、しかも綺麗な野鳥と出合いを楽しむことかもしれない。早速カメラを300mmの望遠にして撮ってみたが、綺麗な腹部のみしか見えていないので、名前は分からない。野鳥の専門家、或いはこれまで野鳥観察の趣味がないからいい加減な名前も付けられないが、今年に入ってのウォ-キングで感じることは。野鳥のかなりはこのような木それも大木の頂上付近にいることまでは分かってきている。一見雪が残っていないかに見える道路も車の通行が少ない(あるいは全くない)ので、うっかりするとスッテンコロリンと転がる恐れがあり有馬富士公園に辿り着くまで神経を使った有馬富士の山(海抜374m?)山の斜面はいくらか雪が残っている感じだ。 1. 無人の遊びの王国、いつも挨拶する?ツグミも不在だった 2. 有馬富士公園も出合う人のほとんどない所を通過して坂道にかかる。 3. 西北側の窪地にある福島大池におりるには斜面も道路もかなり雪が解けていなかった。兎も角、ここまで来て帰るのは嫌だから用心100%で降りた。いつもは「シロハラ」やシジュウカラ、ヒヨドリに出くわす斜面で、草地の落ち葉の上に雪が残っている所をへっぴり腰で降り、ここまで来たらの頃も少ないので大丈夫といい加減な判断。道路へ出たら、いきなりスッテンコロリン、腰から思いっきり落ちてしまった!幸い右手の打撲程度だったが危ない、危ない!!何時も行う実後周りの湖面外周道路一周はやめて、西北側の、太陽光線をいっぱいに浴びた道路を歩くことに決めた。行ってみたら予想にたがわず、道路はぬれてはいたものの見るからに安全だった。 西側の山の斜面に小鳥がいて、チラリチラリ 最初の出合いは、カメラのセットに手間取り逃げられた。 また歩き、池の奥にいるヒクイナの湿地に向かう。 コゲラ(小啄木鳥)らしい影を発見 日本産の啄木鳥で最も小さいが最も身近になら眼られる存在らしい。これで3回目であり 大池の東岸床の西の岸、そして有馬富士公園の事務所付近で出合った事になる。 かなり奥まで透けて見える山肌ではあるが木立の中を右往左往。失敗のあげくに合計2枚 の写真を撮影できたが、そうしているうちにその辺の木々が賑やかなざわめきになった。 アッ、エナガだ! その場で1回転したり、横に伝い歩きをしたり、隣の枝へ飛び移ったりで目まぐるしい。 尾羽と体が半分半分か? 他の鳥に比べて体が小さいのが特色だろう。それだけに身軽で 素早く体を動かすことが出来るかもしれない。 どの写真がブログ向きかわからないから撮りまくっている。 その内、メジロが1羽、ヒョイッと顔を出した。 収穫はこれ。この池の周辺でやっと目白を見ることが出来たと思ったらアララ!。 2015.03.13 貴志御霊神社で初めて出合った混群の中にメジロがいて撮影できているので その1枚を紹介 混群とまでは言えないが、やがて3月に入る頃にはシジュウカラやヤマガラなども加わり 大きな群れになると思わるる。楽しみです。 この日の折り返し点していたこの池の奥の端、「ヒクイナ」の居る湿地ではカメラを撮影 モ-ドの「マニュアル」に設定したつもりで準備してヒクイナを待っていたら、タイミング よく現れてくれた。 結果は勉強不足で大失敗。12日以降のウォ-キングでこの大池に行くことが実現できた時に は、マニュアルモ-ドで思い通りに画面ゲットを目指したい! 大池の岸に止まった「ハクセキレイ」 頭部の色があまり黒くないのは羽毛の生え替わりでしょうか? 西の林縁にもジョウビタキ(雄)が1羽いた。 1羽1羽が縄張りを持つので、今は群れの行動は見られないが北へ帰る時は多数の群れに なるだろう。外周道路だけでも少なくとも6羽であったことになる。 大池に目を向けながら有馬富士公園へ帰る歩きを続けているとカモ類が目につく。 池の中央付近にいることが多かったこの鴨も次第に岸辺に近付きつつあります。 かっこいい冠毛も風による乱れもすこしだけ。 最近見なかった「ハシビロガモ」 レディ-ファ-スト? つがいでしょうか。 この池で、カモ類としては最も数が多い「ヒドリガモ」、理由、原因は不明ですが集団で 突然飛び去り、また飛んで来ることにしばしば出合います。 今回はその群れの飛翔の波が3,4回あった。 人の目で見ても綺麗な撮り方があるだろうが、今は飛行中の姿を撮影出来る事だけで満足 の段階です。この後、公園がある台地への坂道で雪の斜面にいた「シロハラ」の写真もゲットできましたがこれはシロハラの紹介の項へ採用。10,000歩以上のウォ-キングを日課にしていましたが、この朝は池の西側の実の往復でしたので少し足りなかった。
2017年02月15日
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1月9日(月) 成人式の日 三田市は8日(日)に行ったらしい これは昨年2016年度の成人式にたまたま出会い、撮影しておきました。 この写真2枚は2016年(平成28年)1月11日の撮影でした。 今年の1月8日はあいにく悪天候でお気の毒でした。§ Δ 〇 1月9日(月) ウォ-キングに出かけました。 1. 誠に惨憺たる一眼レフによるマクロ写真の撮影結果で、反省ばかりが山積みの昨年。 今年こそマクロ撮影の撮り方マスタ-を心に決めて、家を出ました。 2. 武庫川へ着いたらレンズを望遠の55-300mmに変えて、水鳥の撮影を狙ってみました。 § Δ 〇庭の西洋シャクナゲの蕾 真っ赤な花が咲きます。友が丘町の一角、「マユミ」の果実 マユミの果実にみられた滴 しずくの中に垣の格子とマユミの花びらが写っておりますが、このしずくの中の映像を意図的 に行ったら背景を意図的に考えて撮影すると素晴らしい作品が生まれるようです。 「マクロ撮影」の本で紹介されていた滴のマクロ写真、その素晴らしさをふとこの時思い出した そのものズバリ! の演出はできるはずもありませんが、これから時々降雨の後の景色場面など 遭遇の機会が多いので、滴の撮影練習は価値ありと思った。 道路の側溝にこぼれて育ち花を付けた耐寒性宿根草の花・マガリバナ・イベリス 我が家のマガリバナは未だ蕾も見えない。 友が丘一丁目から杉が丘町の側道に通じる辺りに「斑入りアオキ」が1株、元気です 今年も大きな実を付けてました 今年の果実にはこのアオキ固有の昆虫の卵が産み付けられていないらしくて、青いままでした 青木の葉 昨年に1例 果実の中で虫が卵からかえり活動中と思われます。友が丘町と杉が丘町の間にあった欝蒼と茂った森は太陽光発電施設の建設の為にかなり伐採され明るい陽射しの中を歩きましたが、複雑な心境でした。 杉が丘町から三輪地区に差し掛かり、歩道にみられた花(キク科) 金盞花 専門書によると40mmのマクロレンズでは、いわば筒先から6cmの所に写したい相手の的を おいて撮影するのがコツらしい。(1倍に撮影条件での話) マクロと言う事でそれ以上に近付きたがるのが欠点で、相変わらず”素晴らしい”写真撮りが できた気がしない。 § Δ 〇キク科の花を撮影の後、武庫川までの間には三菱電機三田工場や、国道176号線の三輪交差点、JR福知山線の線路、三田市役所などがある。※ 市役所の土手でレンズを好感して望遠タイプに切り替えた。武庫川べりに至る。 哲学者めいたアオサギ 突然飛び出したアオサギ ピンボケながらその大きな羽ばたきぶり、雰囲気がわかる!! こちらの方を見ているから飛び立ち、逃げる可能性が高いと思って、カメラをシャッタ-優先 に切り替えたが、そこまででアオサギに目を移したら飛んでいたので慌てて撮った。 武庫川を上流に向いて歩き続けた。 キンクロハジロ カルガモ・2羽 日本に年中いる唯一のカモだそうだ。 マガモ・渡り鳥 郷の音ホ-ルの横を歩きながら野鳥を見て歩いたが、警戒心が強くて対岸側の川もにいるので鳥の姿はご覧の通りでした。ともかく今年も福島大池その他、野鳥の姿の撮影を心掛けたい。 川除上橋の所から左にそれて三田消防署のある県道に出て、薬局やマックスバリュ-などのお店にも寄りこの日のウォ-キングは御終いにして家に帰った。我が家の近くの溜池にてキンクロハジロなどの撮影も行った。 キンクロハジロ 多くの写真ではハジロの部分はこんなに真っ白に写ります。 冠毛が見事。◎ ▲ ×
2017年01月13日
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速報 キヅタ(ウコギ科)の雄性期の花が咲きだした。 1. ツボミが主な散形花序 「」 2. 雄性先塾の花 5枚の花びらと5個の雄しべがみえる。この花弁と雄しべがが落ちると雌性期に入る。 かなり多い散形花序の花の中でも、これは開花度合いが高い例。 やがて雌性期の花へ移行する花も観察できるだろうが、10~12月開花と資料にあった が、念のため観てみたらかなりの花序で雄性期の花が開花していた 大変地味な花で、近接しないと分からない。さて : 本来のテ-マに戻ろう。 1. 城山運動公園下の山陰でタンキリマメの赤い果実に遭遇、嬉しかった。 9月1日付けのブログでこのタンキリマメの奇妙な花と3出複葉のご紹介をさせてもらった。 今回は2週間ぶりでしたが、資料などでも紹介されていた赤い鞘の果実が複数の箇所に あった。 「」 濃い緑の葉に赤い実。結構綺麗です。 資料によると、しばらくすると鞘がはじける。その開けた鞘に黒い実がくっ付いて見える。 次回のウォーキングが楽しみです。2. タンキリマメの花が今もなお続けて咲いていた。 子細にみると右端の花にやぶ蚊らしいコムシが居て、果汁か蜜を吸っているらしい。 この数多い花が熟れてその鞘が過く色づいた頃、出合うといっそう目立つだろう。 大原の同じような環境(藪かげ)でも咲き続けていた。ここも楽しみです。3. ヤブガラシの葉の観察 5出複葉と言うのでしょうか。 茎から出ている柄に近い所が小さく中の2枚がそれに次ぎ、先端の1枚が大きい。 個の先端の葉もやや長い柄がある。 この形が「ヤブガラシ」の紋章の様なもので、今除草後の道端や花壇などで若くて短い つるにこの葉が付いた物が沢山見られる。ヤブガラシの多さに驚く一時でもある。 参考情報 トキリマメ(吐切豆)とタンキリマメ(痰切豆)の見分け方 吐切豆の葉の形 漢方で痰切に特効のあるタンキリマメとこの吐切豆は大変良く似ているらしい。 その見分け方 タンキリマメは上の写真のように葉の付け根に近い所が一番広くて、「タンキリマメ」は 葉の先端に近い方が一番広い。 これが見分け方のポイントらしい。 タンキリマメには未だであっていないので写真はありません。 吐切豆葉の出方は、3出複葉ですが、これは5出複葉と呼ぶのが専門的でしょうか。 4. ママコノシリヌグイの「托葉」 既報の通りですが、野草の育ち方参になる。 その花 5. 三輪北バス停で見た花-1 下りのバス停にはこうして年中お花がありま。感謝、感謝! 花壇の花にカメラを向けていた時、ふと「前ボケで撮った」 ヒガンバナ・・・なんて 言葉が頭をよぎり、撮ってみた物。6. その塀外で毎年清楚な白いフヨウの花 : ひたすら清楚! どんどん歩いて国道176号線の三輪の交差点を渡り、JR福知山線の線路も渡った。 7. アメリカタカサブロウの良く茂った株に出合った。 アメリカタカサブロウは史前帰化植物である「タカサブロウ」に比べて、その茎は 青いとされているが、日の光にさらされている部分はいくらか赤く色が付いている。 見分けのポイント 枝の出る下の部分の茎がかなり肥大する 分かりやすいように茎を横に倒してみた例 枝・葉の出た茎の部分がやや肥大しているうえに、赤紫の色が濃くてよくわかる。 もちろんこの例だけであまりかタカサブロウはこうだと決めつけるつもりはありませんが 細長い葉と茎の肥大が「アメリカタカサブロウ」の識別ポイントであることは理解できる。 果実と花 ※ 目を前方の線路に向けると、線路の向こう側には「ひっつき虫」のオオオナモミが 線路沿いに沢山生えていた。しばらく歩いて、左に曲がり武庫川の右岸(対上流)に出た。これから1.5kmぐらい武庫川べりに歩くことにしていたので、そのまま進んだ。8. ダイサギ(又はチュウサギ) L90cm やはりかなり大きい。 相変わらず用心深くこちらを見ている。9. 右側の田んぼにいたダイサギ 綺麗に飛ぶ 7.白いフヨウの撮影後、武庫川べりで出合うであろう野鳥達に備えて、300mmの 望遠レンズに切り替え済み。 それでもシラサギなどは注意深くみているらしい。カメラをくけるとこんな姿勢で 逃げてしまう。10. アオサギ さすがにでかい。少し近くまで寄っても逃げないのでこんな姿が撮れた。 L93cm やはり大きいですね。 一先ず歩いて逃げる。 ついに飛んだ!! やはりでかい! 水平飛行まではこうした羽ばたきが見られる。 遠くへ逃げるかと思いきや、100mぐらい先の岸へやっこらさ! 昨年は友が丘の溜池の向こう岸にある枯れ木にかなりの割合で見られたが、今年は全く その姿を見ていない。その生活習慣がよくわかっていない感じだ。11. キジバト。 ひっそり暮らしている感じで、ドバト(堂鳩、カワラバト)とはかなり 暮らし方が違うように見える。 日本古来のハト。つつましい。 1羽か2羽で行動するらしい。派手さが全くないので目立たない。こうしてシラサギ、アオサギ、キジバトの観察と撮影を続けながら堤防道を歩き続けた。堤の左右は先般清掃班が大々的に草刈り、清掃を行ってくれたので綺麗。そこで一番目立つものは何だ…と思われますか?アレチヌスビトハギの株と花です。この堤防の上だけでも数万本かその上のオ-ダ-で生育しているでしょうね。この後、武庫川を離れて国道176号線へ戻り、錦幸園の手前から谷川を家庭菜園の方へ歩いた。 ヒガンバナがだいぶ沢山咲いていた。 ネット検索で、ありきたりの撮り方の「ヒガンバナ」、つまんない! こんなことを思い出して撮影をひるんだ。武庫川の歩きと観察中に同行者が出来てしばらくの間おしゃべりを楽しんだ。この堤防道の川側の肩まで黄色いがつるが細い「アメリカネナシカズラ」が、小さな広がりながら、点々と目につきこの帰化植物のネナシカズラと在来のネナシカズラについて話題としたことだった。いずれも寄生植物で、他の植物に絡みつき、その幹などから栄養を吸収して育つ逞しさ。今後の展開は分からないが増える傾向にはあるようだ。
2016年09月19日
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8月22日は、暑かったが実にいいお天気で空が青く澄み美しかった。この日の折り返し点である武庫川沿いの土手で、キツネノカミソリやヤマノイモ科のオニドコロなどを観察し、撮影して折り返しJR福知山線沿いの農道と接触する地点で農道側へ移り、我が家へ戻る足取りとなった。兎も角、あまりにも繁茂する藪で足元は分かりづらいが、農業用水が武庫川へ樋門を通じて、流れ落ちる施設沿いに堤防と農道をつなぐ通路が出来ている。そこに葛の花がいっぱい咲いていた。 桜の小枝に絡む葛 葉柄にも毛が見える葛 順次咲きあがる葛の花 ”そで群落”とマント群落と言う言葉を最近学んだ。 クズ(葛)はマント群落と位置付けられているようです。 この堤防の左右もそうだが、葛の生育が盛んであり今から当分の間、花盛りです。 葛 クズとは 1. 科 名 マメ科クズ属 秋の七草のひとつでもある。 2. 別 名 クズバイン、マクズ 3. 原産地 日本,中国 4. 草 丈 つる性 (盛夏には1日に1mも伸びるらしい)(全体で10mも) 5. 花 径 18~20mm 6. 花 期 7月~9月 7. 生 育 山野 ともかくこの何とも言えない恰好をした花は何処でも撮れるが、この根から穫れる 澱粉の利用も常の事とてなじみが深い。葛の花の写真を撮ってから農道沿いにJR新三田駅や武庫川の下流へ向かって歩いた。ここはJR福知山線と武庫川の間に広がる、平坦でそこそこの田んぼがある中に、数戸の民家と熊野(皇)神社が存在する。 あまりにも良いお天気で、空の蒼さも気持ちが良いので、農道に近いその鳥居と神社 青い空をカメラに収める気になった。 参道の入り口に在る鳥居。その足元から見上げた空、右の森は熊野神社の杉の木など よく見るとこの鳥居も中央で継ぎ石になっている。 2011年8月19日 たわわに実った田んぼと熊野神社の全貌 この左側が武庫川で、車は通らない道路になっていてこれからはアレチヌスビトハギなど あるいは、葛の花、ヨウシュヤマゴボウの花などの宝庫?です。 見事な青空、神様の御蔭? この神社は昔風な言い方では「小さな社」となりそうですが、私の好きな神社でもあり お口に石の玉を含んだ狛犬さんも可愛い。 ここは武庫川の対岸が西野上町で、この神社のある場所は東野上町です。 武庫川の改修とも相まっていろいろ歴史がありそうですが、別の機会に地元の方に お聞きしてみたい。豊かに実る田んぼとJR福知山線の線路を守る土手には野草がいっぱいあり、観察と撮影に目を向けると時間がいくらあっても足りないのでこの日は無視、無視! それでも目がJR福地山線沿いのこんもりした丘に向いた。 なんと、なんと、 クサギのかなりの木が葛の覆われ乍らも懸命に、いっぱいの花を 咲かせていた。 この木は雄性先塾で、ご覧のごとく交配の終わった花や咲き始め、雌性期の花などが入り 混じり幾分見場が悪い。 人にはわからないがその花が放つ匂いにより、昼間はアゲハ蝶など、夜は蛾が活発な活動 を行い、この株の開花の狙いをきちんと果たしているそうだ。 なるほど!、なるほど!! 昔大原で撮ったこの花の綺麗さ 白い花弁から突き出た4本の雄しべ、その先の葯の青紫色の綺麗さ! この花の雌しべは中央で折れ曲がっている1本だろうか? 左上の花は、雌性期に入り雌しべが交配態勢が整った姿であろう。 この3行のコメントは今現在の情報からの話で、ほぼ4年前の8月以来ぞっとこの綺麗な 花の姿に改めて出合いたい・・・そう希求していた。 足元は茂り放題の雑草、マムシも居るかもしれないので恐る恐るつま先立ち、なおかつ手が 届きにくい枝を左手で引き寄せ、右手一本で撮った写真、ぶれないほうが可笑しい? 8月22日の写真で見る 花が多く写っているが、雄性期が過ぎて、活動期に入ったらしい雌しべが1本見える。 あくまでも素人の判断ですが、そう見えます。 雌性期らしい花が7個、雄性期らしい花が1個見えますが、沢山の花の群れで2012年8月 の写真のように雄性期の美しい花の姿をすっきり撮れる機会ではなかったらしい。 大原の家庭菜園に向かう谷川の土橋際に生えていたクサギの株が農家のご都合で切り 倒されて 4,5年になる。 やっと見つかったクサギ、クマツヅラ科と覚えていたが今はシソ科らしい。 「マント群落」と専門家が名付けた葛の枝がこの約10坪~20坪の小さな丘で、1本だけ それなりに大きく育ったクサギ。 その葉の上さえ葛が覆い、苦しいでしょうね このクサギの可哀そうな姿をやるせなく思いながらも、一方では長い間探せなかったクサ ギに出合えた満足の足取りで帰路を急いだ。この時、右側に見える田んぼ越しに武庫川堤の桜の巨木と雑草が長く続いている様相が見えた。その上は熊野神社の写真と同じような雄大な青空だった。
2016年09月05日
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7月14日(木)ウォ-キング続きこの日の真の狙いは、昨年大水で全滅したオニユリが同じ場所で回復しているか確かめることにあった。⇒お見事、回復していた。 葛が我が物顔で繁茂して、鬼百合も負けまいとして懸命に伸びあがっている ここは水の流れている武庫川の水面から1m余りに築かれた中岸で、様々な 野草が茂っても管理はされていない。その生死は野草達にお任せなので写真 葛が派手に写っているし、地面はマムシが居る恐れがあり、こわごわだった。 オニユリの花 一輪 花びらと雄しべ・雌しべの先端とはずいぶん離れている。ここにこの野草の 成立ちの秘密がありそうです。見栄えがします。 花びらの根元に突起があると昨年知り、大いに興味を感じている。 ムカゴも沢山出来ていた。 オニユリはムカゴにより繁殖するらしいので、今年もその辺に落ちることだろう この中岸の現場でオニユリは2,30株育ち花が咲いているが、仮にムカゴが1株に 30個として、この現場では500~600個のムカゴが地面にばら撒かれることに なる。 結果的に昨年の氾濫で流れたムカゴが下流で繁殖の元になっているかもしれない。 このオニユリの花びらの付け根には突起がある。 その1 マクロの写真により突起の有様を見てみました。 昨年あるブログで紹介されていて教わった情報です。 この突起から匂いとか、甘さなどが出ていて虫を誘っているのかもしれない。 ▲ 〇田んぼの大敵であるアメリカコナギの開花に気がついた。 昔から存在していた大昔の渡来品「コナギ」はほぼその姿を消している。 今夏も探せれば幸せだが、どうだろうか。花と葉が大きく違っている。 これだけ数多く生えると稲の育成を阻害するはずであり、普通はおりを見て 除去(農薬などにより)されるだろうと思った。 家庭菜園近くの農家に取材したが、発生の数により除去するかどうか判断 するらしい。水草、ミズアオイ科。北アメリカ原産の帰化植物。今回は情報量の多いオニユリから最初に載せることにしたので、この日歩いた時間的な経過とはチグハグな表示になりました。Θ ▲ 〇7月14日 ウォ-キング: 後半の歩き順に戻る右側は桜の巨木が並び、左は武庫川へ傾斜する草原を見ながら土手上の道に歩いたその左にフェンスが続き、ひどい野草の群れの中にヤブカンゾウが一輪咲いていた。 ユリ科ワスレグサ属 どんなに繁殖力が強くてもこの草原では生き残るのがやっとかもしれない。JR新三田駅前方を武庫川が流れており、幾分新三田駅に近寄る形で湾曲した角の草むらに小鳥が数羽、賑やかな鳴き声と共に飛び立った。 とっさに望遠で撮り、一応何という名前か確かめたかった。 桜の巨木が張り出した枝葉が影を作り、薄暗い場所で写っているの心配でした やっとこの通りで、図鑑によるとカワラヒワだった。雄らしい。 複数の群れに逃げられて写った一羽。 22日に逆方向から自転車で通過したが、数十羽居て警戒心が強いことも分かった 同じ場所で観た「オオキンケイギク」と蝶々 武庫川の土手道のこのコ-ナ-は昔、約500mの花壇がありフランスギクや ルドべキアなどと共にこのオオキンケイギクも大々的に植えられていた。 その 名残とも言うべき花で望遠で撮ったら背景はこんな色になってしまった。Θ ▲ 〇 以上が7月14日(木)ウォ-キングの概要ですが、オニユリは以前は大原の 田んぼの岸で数株が見事な花を見せてくれましたが昨今、消えてしまった。 近年、武庫川の中岸にはこのような群れがかなりのグル-プで存在しており 今回ご紹介させてもらった場所は、土手道から川原へ降りるのにコンクリ-ト の階段があり、その直ぐ傍に纏まってオニユリが咲いていたし、川上の100m ほど先には「オオマツヨイグサ」もある程度まとまって咲くという絶好の観察 場所でしたのに昨年の洪水で全滅したのには参った! ションボリ! 昨年の洪水後の回復を喜び、今回は優先させてトップで見て頂きました。 今年は見事な復活 大喜び
2016年07月22日
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7月14日(木)晴れ我が家の門を出たらオミナエシが大きな鉢の他にジャ-マンアイリスやフジバカマのプランタ-にも種を飛ばしたらしい。初めての芽生えだった。やった!! 秋の風物詩として貴重な存在ですが今ではめったに見られません。 こうして我が家では鉢植えで秋を感じることにしております。ムクゲの花が咲き始めたのを感じたのも中庭でした。 2016.07.10 松が丘小学校前の駐車場に咲いていたムクゲの八重 3m余りの樹高でもはや身近でこの花は観賞できない。市内の街路樹なども 程よい剪定がきいて入れは良し、多くは1個1個の花は頭の上が多い、。こうして今日はいつも歩くコ-スを避けて、真っすぐ武庫川の土手道を目指した歩いた大原荘園町の草原で満開の ”ハナハマセンブリ” 今年は沢山の株が育ち、満開でした。 この花は小さいが黄色い葯と柱頭があり、その姿は花ごとにちがいもあり 様々な写真を撮って眺めている。 この花の葯は1本に2室があり、捻じれて開室する作業が見られるし、また 雌しべの柱頭がこの写真とは異なり葯とは離れている例も見られる。この野草が茂る広場を武庫川に向かって歩くと、右は住宅地だし左は小規模な家庭菜園がある。そこにオニユリが咲いていて写真も勿論撮ったが武庫川の上流で多くの写真が撮れたので割愛させてもらって先へ進む。ヤブガラシの花がいっぱい咲き出した。 国道176号線の青原寺口へ至る道の右にあるフェンスに沿って猛威を振るって いる写真のほぼすべてが「ヤブガラシ」ですが、金網で出来たフェンスでヤブ ガラシも枯らすことはできない。 この花も雄性先塾の花であり、沢山果実が出来ても劣性遺伝を避けたい工夫が ここにもあり・・・ということだろうか?川除の広々とした田んぼに出る。昔は武庫川の対岸まで川除地区だったらしいが近年の改修でその面影は想像もできない。ここが故郷の方にとっては無情な話だろう。シラサギの中のダイサギかチュウサギ 1羽が居た。 飛び上がった姿からダイサギかチュウサギと分かった。 脚の指が黒いので「コサギ」ではないことが分かるが、ダイサギ又はチュウサギ かは判別できない。長い長い首も折りたたんで飛んでいる。 着地の動作が印象的だ! 全長が90cmもありサギ類の中で一丸大きい仲間、着地となると迫力がある! 其の内群れで集まり行動するのでこのような望遠でなくできるだけ身近な姿を撮り 見分けできるようになれば良いと思いながら歩いた。武庫川の土手道は約1mの草丈を誇る雑草が生い茂り、その茎に巻き付いてヒルガオの花が所々みられた 工業団地に中にある保育園、お子さん達の水遊びが楽しい。 楽しそうだったので、望遠で失礼させてもらった。クララの実がいっぱいなっていた。 近年クララがあちこちで芽生え、生息地が広がりつつあるように思う。 クララの花 2012.06.02 武庫川の土手道で最初に気が付いた頃の写真です。 まるで長くつを洗って竿面白い形の花の列です。ナンテンハギなどマメ科には この形の花が多い印象です。 確かなことは言えませんが、この実が鳥に食べられてフンの形で運ばれて移動 落ちた先で発芽する形で広がっているのではないでしょうか。 クララと言う和名について : この木の根っこをかめば思わずくらくらっとするくらい苦いところからこの 和名が付いたとされているらしい。 センブリなどと同じように漢方薬に利用されて時代があるかもしれませんね。7月14日のウォ-キングの話が長くなるので今回はこの辺で終わります。新三田駅横からウッディ-タウンへ向かう道路にかかる橋の下を通る武庫川の土手道の左側、川よりに数多くの株が見られました。Θ ▲ 〇
2016年07月19日
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この日はカメラのレンズを望遠の55-300へ交換してみたり、クロ-ズアップレンズにしてみたりの一日だったので撮影結果ははなはだ不安定なものとなった。24日 その一に続く:8. 貴志の里でトケイソウの花に出合った。 トケイソウ科トケイソウ属。 トケイソウは雄性先塾の花だと思う。 一見焦げ茶色に見える三つに分かれた柱頭がバンザイの形なので雄性期だろう。 黄色い5つの葯の上部に子房があると説明されている情報からこの写真を みるとなるほどそんな感じだ。 次に咲く蕾2個と花。子房が伸びあがった姿がわかる斜め横からの花 以前に撮った雌性期の花(大原荘園町) 花粉を出して役割の終わった葯に並ぶように3つの柱頭の先端が葯の横まで 来ている図。花粉を運ぶ昆虫が蜜を求めて徘徊してもここまで柱頭が来てい ないと虫から花粉を受け取れないそうだ。9. リュウゼツランの花 アツバキミガヨランだと思う。 毎年大原の里で出合うが、今回は貴志の里で出合った。 代表的な”リュウゼツラン”が伝説的には100年に一度の開花で花が咲くと 枯れる・・・こんな伝説がある植物の仲間で毎年花が咲く種類だそうだ。 10. ノキシノブ ウラボシ科ノキシノブ属 常緑シダ植物: 葉の裏の先端側に胞子嚢(のう)が見える 葉を切り離して裏返しにしてみた写真 シノブ科のシダ植物”シノブ”に似ているところから命名されたシダとか。 葉の形はまるで違うが裏に胞子のうがあるところと同じシダ植物という 所から”ノキシノブ”という名前をもらったのだろう。11. ハシブトガラス 嘴太鴉(又は烏) 電信柱の上に止まっていたのでハシブトガラスだと思った。 頭がもりあがっているなあ・・・ 大原、貴志の里、もっと大胆に言えば三田では群れでの行動は最近見ていない。 鳴き声 ”カア-” ”カア-” 澄んだ泣き声でハシブトガラスと思った。 ハシボソガラスはガ-、ガ-と濁った声でなく。また野原に多い。 ハシボソガラスに多い田んぼでの行動をあまりしないのかもしれない。 ハシブトガラスは歩かない。ホッピングと名付けられている飛び方で移動する由。 ハシボソガラスは人間そっくりの歩き方だし、ハシブトガラスがピョンピョン 飛ぶのであれば、この2者は大きな違いがあることが分かる。 ハシブトガラスのホッピングはまだ見ていない。 歩いて移動するハシボソガラスの例 なるほど嘴も細く頭も滑らか、その上この歩き方。のっしのっし歩き。 余談ながら、スズメはホッピングで移動することをこのほどやっと見つけました12. ケリ(野鳥) 集団で飛び交う。子供が育ち親離れ前かもしれない??? ケリとは: チドリ科 2016.03.30 300mmの筒を目いっぱい伸ばして撮ったケリ。 大型のチドリ科の野鳥であり、水田、草地、河原にいる。 残念ながらその後、別の方面へ足が向いたこともあって今日までケリの近影を 撮ることが出来なかった。 空中を飛ぶ時もこの姿だからケリは紛れが無い。 翼の先端から黒、白、褐色の3色で出来ているので分かりやすい。 6月24日(金)11時24分頃。 ここは貴志地区の三田よりの田園、ポツンポツンと人家もあるが・・・ 山側からゆるく下ってきた道が突き当り、左右に延びている場所で、前面は 県道まで田んぼが広がり下っている場所。 私の足音に驚いたらしい、稲の中からケリが数羽飛び上がった。 推測ですが、この田で餌をあさっていたらしい。 次の行動 : いったん遠くへ舞い上がりやがて右側の前方50mにある田んぼへ集まった。 田んぼに仕切りと水中にいるケリ 少なくとも15羽のケリが田んぼの仕切りにたち、数羽は水中で餌をあさっていた。 この後、少し接近したので多くのケリが飛びあがった。 まだ飛び立っていない数羽もカウントすると20数羽のケリがこの2枚に田んぼ にいることが分かった。 春先は1か所では多くても2羽しか見られないケリ。 子育てが終わり、全てが大人の行動が出来るまでの期間こうして集団で暮らす のがケリの習性かもしれない。巣立ち或いは巣立ち後と言えるのだろうか。◆ Θ ◎
2016年06月29日
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6月24日(金)曇りのち雨 帰宅前には雨が強くなって大分ぬれた。ずっと気になっていた野鳥「ケリ」(チドリ科の最も大きな小鳥)の子育ての様子。その観察を頭に置いてのウォ-キングのコ-ス 大原~貴志~大原荘園町を歩いた。Θ ▲ 〇1. 塀外の花壇でへメロカリスの花が目にも鮮やかな黄色でした。 カメラのレンズ18-140mmの前にクロ-ズアップレンズNO.3を付けたり 外したりで撮影を試みたが、利用の可否を判断せずにトライした結果の一つが こんな映像。 2. 山際を下り家庭菜園のある地域に向かった。 アフリカハマユウが満開だった。 ここには大きな株があって、何株なのかわからないがお花があふれるようだ。 インドハマユウで知られているが、元祖はアフリカだそうだ。 アジサイのある畑から100m余りで我々の畑がある。 ここは畑花壇というべき場所で、アオキやチュ-リップなどがみられる。 アジサイの花の種類の多さにも驚かされますね。3. 畑へ立ち寄り、生育状況などを観察した。その一例です。 カボチャの実:今年は沢山実が付いたがイノシシやアライグマなどが心配だ。 2株を離して植えているが枝が伸び、からんでいるのでその実も団子状だ。 オクラ : 株はまだ背丈が低いが早くも花が咲き始めた フヨウの仲間のはずですが畑仲間は花としての観賞は気を使っていない。 イチゴの苗づくり 太郎が出て、次郎まで芽が出てきている段階。次郎、三郎・・・苗を利用する と沢山の実が穫れるとされている。今年初めてランナ-を一定方向に伸ばす工夫を している様子の写真です。(大原荘園町で耳にした情報を試みた) 4. 大原の田園の中道を貴志に向かう JR福知山線の線路際で久しぶりにウツボグサが元気に花を付けていた。 いつも思う事ですが、ハンカチを2枚に折ってベルトにさしたような花の形。 弓の矢を入れる靫(ウツボ)に似ているところからの名前とか。 この花は順次咲きあがるように見えます。 ◆ ◎ 野鳥のケリは見当たらなかったが、シラサギとアオサギがそれぞれ数羽いて 緑を増していく稲の育つ田んぼの中で何かをあさっていた。 飛び立ち、逃げるシラサギとアオサギ、その中でカメラが届いたアオサギ アオサギが飛び立ち羽根を広げて飛ぶ姿はしばしば見受けるが、その下に 居て、こんなにまで首を曲げて飛ぶ姿は初めて撮った。 特にシラサギはその数が増えていき、数十羽にまでなり田んぼでその白さが 目立つ時期も遠くないと記憶している。 5. 保育園児の遠足? 貴志の御霊神社に至る参道を私は左回り。 保育園児は右回りで歩いたらしい、 神社の境内ですれ違った。 このお子達、おおよそ2,3kmも歩くことになるだろうか。感心した‼ 子細に観ると、園児を横抱きにして歩き、箱車に乗った園児をサポ-トするなど 保母さんの御活躍に驚かされた。6. ネジバナ ; ラン科ネジバナ属 気が付いてその辺の草むらを眺めてみたら、まとまりは無いが沢山咲いていた。 ラン科であり。一つ一つの花は”シラン 紫蘭”に似ている。 この写真は前に写したものですが、色と言い形と言いシランに似ている。 きっとラン科の花の特徴である雄しべと雌しべが合体してできた蕊柱(ズイチュウ) があるのだろう。 シランの花の部分部分の名前 様々な情報を基に私が注記した花の部分部分の名前但左右対称だそうです。 蕊柱(ずいちゅう)の例 シラン 葯と柱頭が合体している。 庭に咲いていたシランの花から見つけて蕊柱を起こして撮ったものです。 実際は下向きになっております。 いずれにしても”蕊柱”と呼ばれるこの部分があるのが蘭ランの証拠とされて いると知りました。このネジバナは小さくで分かりづらいですがきっとこの 蕊柱に相当するものがあるのだろう。 尚、ウイキペディアの情報によると、蘭の特色のもう一つであるバルブと 呼ばれる根っこがふくらんだ状態が実在するらしい。この日はいろいろな花や鳥にであったので6月24日(金)その一はこの辺で区切ります。
2016年06月26日
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5月15日(日) ウォ-キングの前半はドイツアヤメ、別名ジャ-マンアイリスの話などご紹介しましたが、後半は同じように野鳥と花が中心です。Θ ◆ 〇ハトに2種類があり、其の内「キジバト」と呼ばれる種類が日本古来のはとであるが、群れをなさない、1羽か夫婦としての2羽居ないらしいことを学びました。キジに羽の色・模様が似ているからキジバトと命名らしい。似ております。ドバトもこの時期は田んぼにはあまり見かけませんが、もともとあまり数が多くないキジバト。遠くの電柱にとまった姿から「キジバト」と分かった。本当に静かに暮らしている野鳥と言われている情報通りでした。ダイサギ(又はチュウサギ) 今日2回目の出合い 孤影!この日、2回目の出合いだと思う。この野鳥は行動半径が広いし、この時期はたいがい1羽の事が多いと感じます。たぶん同じ鳥だと思います。対岸の川除地区の田んぼでもよく1羽が居て、少しじっとしていた後大きく羽ばたいて飛び去る例から見ての判断です。今日は2回目の出合い。ダイサギ(又はチュウサギ) その2ダイサギ、チュウサギ、コサギと3種類のシラサギが居て、そのどれもが三田市内の武庫川を挟んだ田園地帯にて過ごすのか定かではありませんが、それぞれがやがて繁殖期を終えた時期になると田んぼやその岸に数十羽が見られます。懐かしい岸焼き。岸焼き-2左は上深田方面から流れ下る川で、道路を挟んで田んぼがあり道路の付け根は窪地になっている。ここには”ひっつき虫”の”オオオナモミ”が最深部の溝に沿って群生する場所であり、一時期その撮影に通った場所でもあっていわゆる気になる場所でもある。Θ ◆都会ではこのような岸焼きはあまり歓迎されないだろうが、岸の草刈りと野焼きはお百姓さんにとっては最重要事項に人とであると見えて、我々お借りしている家庭菜園の岸も年に数回草刈りとその岸焼きが行われる。”閑話休題”武庫川でウォ-キングの大きな団体に出合った。2016.05.15 11:09 晴天で気温が上がったお昼前、この団体は何処へ向って武庫川沿いの道を歩くのでしょうか。そのガイドなどが居る先頭部分?最後方は100m近く離れているからガイドさんは大変だろう。この後、武庫川沿いに歩けば4,5km先に青野川の合流点があり、ウォ-キングには最適のコ-スです。フランス菊やオオキンケイギクも咲いており、春紫苑やヒメジョオンなどの花も咲き、近々セイヨウヒキヨモギなども観察出来て素晴らしい散歩道です。Θ ◆大原荘園町に入り、坂道の右側にあるお宅に深紅のバラの花がお見事その2兵庫中央病院の壁に沿って大きなバラの株があり、よく手入れされた茎に見事な花が咲いているのを数日前に妻と共に見ながら帰宅したことでしたが、こうして見るとバラは今が見ごろらしい。Θ ◆家庭菜園の一画、見事なジャ-マンアイリスの花この家庭菜園はまめに花の手配もされるので、いつもその出会いを楽しんでいる。観賞を楽しみつつも、はたしてジャ-マンアイリス? の気分見事に発達した花の出来に驚き、疑問が湧き、やがて園芸品だからここまで出来ているジャ-マンアイリスだろうと納得。茎の様子なども写しておいた1枚。新種の端かと一時は疑ったことでしたが、ジャ-マンアイリスはアヤメ科の園芸品であって、その改良や工夫は際限がないだろうと考えるとこんな花があっても不思議はないかもしれない。Θ ◆ 〇歩道にある花壇の歩道側、ツワブキの新株を発見(オ-バ-ながら)1. 我が家の庭にもツワブキがあるのでその種が飛んでここで芽生えたのかもしれない。2. 5月8日(日)町内会一斉清掃で我が班に方々が雑草をぬいているはずなのに、ツワ ブキなので残したらしい。3. 幾分不思議に思っておるのですが、ポピ-(ひなげし)もこの我が班が受け持ちの 地点でもプツンと育ち、やはり一斉清掃でも保護されていた。 町内のどの地域でも同じ現象だったと見えて、今ではこのひなげしがかなりの規模で 数が増えている。 この日の写真ではありませんが、こんな感じ 生え具合、やや上から見ると。 友が丘1丁目と2丁目の境にある交差点付近ですが、この辺りはサツキの植木が 近々見事な花を見せてくれるが、いずこの同じようにその端は荒らされてサツキが 枯れる。近年4,5年、或いは10年でひなげしが此処まで増えてしまった。 このひなげし、花壇の全般にも隙間を見つけて点々とその数を増やしている。Θ ◆ 〇余談ながら : この歩道の花壇を管理されている三田市役所がいずれひなげしの増加現象に対応してどのような対応を打ち出すか思案中と思われますが、道路の目地に生えるマツバウンランやツタバウンラン、母子草、ミチバタナデシコ、ツメクサなどはこれまでどおうり住民に任されるのかもしれない。目立たないし花壇に支障がないので。目地デがんばている母子草
2016年05月22日
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5月15日(日)晴れケリと名付けられた野鳥が巣作りに入ることだろうと思い、観察コ-スの大原の田んぼ道からケリが多く生息するとされている貴志へ回りました。結論てきにはまだまだ遠いし上空を旋回したり、逃げるので近影の写真はお預け。大原の田園にて、耕うん機で耕す風景を見て。この付近の田んぼや岸にケリ(鳧)が巣作りをするので、このように耕うん機が入り耕し始めるとケリが警戒する。ケリケリッ、ケリリィッ・・・こんな風に聞こえる声で鳴きながら飛んでいるケリ。同時に巣作りに入りつつあることも感じられるので、間近で見るケリにもであえるだろう。貴志の道端で白い花の庭石菖に出合った。庭石菖は赤い花も多いが、この白も多い。個人的にはこちらが好き。貴志の広い田園地帯を武庫川と並行して下流側へ歩く。この頃ここでヒバリに出合う。突然隠れたところから飛び立つので望遠のカメラでキャッチするのが至難で、未成功。この日は、中道を歩いていたら左土手下の全く見えないところからシラサギ、たぶんチュウサギかダイサギだそうが突然飛び上がり逃げられた。ああ残念。また歩く・・・突き当りをいったん山側へ右折して歩くと、2年ほど前にアヤメ科の花の株を頂いたお宅の前に出た。今年我が家もその苗から花が咲いた。ドイツアヤメ 我が家の例日本のアヤメに似ているが花の色が大きく違う。その立ち姿ここで比較のために日本のアヤメ、こんな花古い写真ですが、2012.05.22さて、元へ戻って。元々このドイツアヤメを頂いたお宅の塀の外にある広い花壇にアヤメ科の花がみごと。この花も沢山咲いていたが、お家の方がいらっしゃらないので、この花の名前を聞く事が出来なかった。諦めて歩いていると、この地区はどのお宅もこのドイツアヤメの花が咲いていた。一例さらに歩く。ついに男性が家の周りで作業をしているお宅に出合った。ここもこのドイツアヤメの花が咲いていたので失礼ながらこのお花の名前をご存知ですかと質問させてもらったが、???だった。結局、この日に我が家へ帰り、パソコンでアヤメ科の花を検索して、やっと遭遇。ドイツアヤメと分かった。別名 ジャ-マンアイリス。それでこのブログでは最初からドイツアヤメと記録しております。ドイツアヤメと言えば別名が”ジャ-マンアイリス”、あの派手な花の姿、それと日本語で”ドイツアヤメ”としておられるものはだいぶ違う感じもします。やはり日本語で”ドイツアヤメ”と書いた方がこの黄色い花の場合はよりふさわしい感じ。・・・ ・・・ジャ-マンアイリス下に垂れ下がる3枚の花弁は同じ感じですが、上に立ち上がる2枚の花弁がおおぶりで派手に咲くのがジャ-マンアイリスと決めつけたくなる例です。一般的とか、代表的と言えるジャ-マンアイリスも当然のことながらこの貴志で点在する屋敷地でしばしば出合いますし、その花が咲き終わる頃に出現するのがこの黄色い花です。つくりも小ぶりで、ややシンプル、別種類のアヤメ科だと思ったんですが・・・この貴志地区は幅も長さもかなりあるので、武庫川にそっても3本ほど道路が走り、また左折し右折るというわけです。その所々に人家がある。 過日ご紹介させてもらった「オオカワディシャ」が用水路に生えている通りを選んで歩いたその「オオカワディシャ」はすべて清掃され、皆無だったがその岸に咲いていた花。ミチバタナデシコの花真上から見た花ミチバタナデシコが生えていた草むらとこの株の様子スギナなど雑草がみっしり生えているこの岸にあって、こんな小さな花が咲いていても誰も意識しないでしょうが、繁殖力が旺盛なこの花、この地域でも川の上下でさらに増えていくことだろう。※ あちこちにイヌコモチナデシコ又はコモチナデシコが育ち、花も沢山見えるので インタ-ネット検索でおさらいしました。 なんと!! 近年、この名前が誤りとあって、改名されておりました。 ” ミチバタナデシコ” この市内でも県道三輪~後川線の沿線で、歩道の植木の周りなど沢山の花が見えます。 ともかく、ミチバタナデシコを今後りようっせていただきます。ミチバタナデシコの花にカメラを向けた時ナナツボシテントウ虫が現れた。小さな用水路がある道路からまた田んぼ道を歩き、最後には県道三田~篠山線に出て市内方向へ下った。歩道に沿った右側のお宅の塀に沿った小さな排水路?とその岸に黄色いアヤメ科の花が大よそ10mほどの長さで続いていた。キバナショウブかなと思ったが自信がないので、今回は撮らなかった。シャガやダッチアイリスなどを除き、アヤメ科の花は見分けが難しい。一度並べて比較してみたいとおもった。Θ ◆ 〇5月15日のウォ-キングと花は長くなるので、ここまでを前半として一先ず区切ります。
2016年05月20日
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ヒメハギとは、こんな野草です。2013.05.19 現在の写真で、一見花びらに見える萼が変化し、色が変わり・・・こんな経過をたどります。たまたま2枚の花弁が重なり、開口部が見えるこの段階とこれからご紹介できる花には違いがあることもご理解ください。この花の先端についている”附属体”この先端の白いサンゴのようなものを附属体と呼ぶらしい。この附属体にはおそらく何らかの匂いがあり、それに引き寄せられて虫が近付き、触れると筒の開口部が開く・・・こんな仕掛けでこの花は成り立っているようです。2013.05.27虫を真似て、白い附属体に触れてみました。左の白い附属体に触れてみたら、黄色い葯が飛び出したので慌てて撮った1枚です。これでもこの花の生きざま、切ないしきたりが理解できました。〇 § Δお花の先端には専門家が付属体と名付けているサンゴのようなきれいな付属物がありそれに何物か(蜂など)が触れると、筒が自動的に開き中から雄しべや雌しべが現れて虫が蜜を吸う行動の際、雌しべが花粉をもらい受けて受粉が出来る。この情報がインタ-ネット検索で見つかったので、私が試しに行った実験です。ピンボケですが、確かに雄しべの葯(黄色い物体)が見えております。2013.05.27 大原の田んぼの岸にて撮影。今でもこの岸に生えているヒメハギは花を咲かせますが、2,3株で撮影が難しい場所なので2014年頃を境に観察が減っておりました。Θ ◆ 〇2016.04.10 ウオォ-キング大会にて出合ったヒメハギ ヒメハギ-1 オムスビころりんという言葉がありますが草を刈り取った小さな丘で撮りました。 ウォ-キングの皆さんがそこで三々五々集まり、お昼を食べているのを湖畔の道路 から眺めて私も駆け上がりました。 丘の端で足を投げ出してオムスビにぱくついた時、紫の小さな物が目に飛び込ん で来ました。それが「ヒメハギ」は、本当に驚きました。 2番目の驚きはヒメハギがこんなに群生していることでした。 葉のついた茎が地面から立ち上がって伸びている様と花 草丈が低いので野草が茂り、日陰になるような地域では育たないと思われる。 中央や右に伸びだした茎が見える。「」 1個の花。 筒に見える2枚の花弁と先端に附属体が付いた1枚の花弁でこの花は成り立っており 今、派手に花びらに見える部分は萼であって、開花後さらに大きくなって10mmほ どになり、緑色に変わるとあります。 立ち上がって咲いている例 ここまで茎が伸びて立ち上がると草地でもはっきりと見えますが、普通10cmぐらい の草地では、このヒメハギを探すこと自体が運しだいだと思います。 駒宇佐八幡神社下の7Kmポイントでもらったオムスビの弁当をここまでリュックで 運び、この丘へ登れたラッキ-さ!! ほんとうに\(^o^)/、万歳の心境でした。 群生といえると思いますが、とびとびの生え方で、この野草の観察例が卑小な私のこと このヒメハギの習性がわかりませんが、ともかくその株数はかなりでした。 地面に沿ってこんな具合に広がる傾向がありそうです。 前述のとおり付属体に何者かが触れると、筒状の部分が自動的に開くので、早速カメラを片手にして地面にはいつくばって体を支え、付属体に触れてみました。残念ながら今回は開きませんでした。あるいは時期的に早すぎるか、或いはヒメハギに似て他の植物かその辺のところに自信がありませんでしたが、こうして写真を見ると、間違いなくヒメハギであり、受粉の準備の出来ていない株を相手に試みたかもしれません。このヒメハギがどうしてこんな複雑な手続きで交配の作業をするのか?この野草の長い歴史の中にそのカギが隠されているのでしょうね。ヒメハギとは:1. ヒメハギ科ヒメハギ属2. Polygala japonica3. 4月~7月 開花 4. 花の色は紫色 誤って編集途中でアップしたが、おおよその情報は入っているのでこのままにさせてもらいます。
2016年04月28日
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フデリンドウの花 : 今年は開花が遅れている? これは花数の多い例で普通に育ったと思われる昨年4月12日、ウォ-キング 大会で初めて観察、撮影のフデリンドウの株です。 このウォ-キングも残り少な、千丈寺湖湖畔の道路をフデリンドウが昨年以上 に沢山見つかることを期待して道路右側、山際を見つめながら黙々と歩いた。 見つからない、見つからない、無い、無い。 今年は見つからないかもしれないと諦めてこの湖にかかる橋近くまで来たとき、 やっと数株、ひっそりと育っていた。 4月10日(日) やっと出合ったフデリンドウ あまりにもひっそりとしていて、本当に探すのに一苦労だった。 少ない花数をあれこれ撮ったことでした。 雄性先塾の花と昨年学習させてもらったのにもう忘れてしまっていた。 花と蕾 写真はピンボケですが、花の中の様子から雄性期の花だと見えます。 後に記載した、秋に咲くリンドウの観察からして言えることは、この写真右下の 花は雄性期が終わりかけで、花粉を出し切り葯が柱頭から離れだした現象かもし れない。 今回学習したところでは、非常によく似た「ハルリンドウ」もあるが、こちらは 一つの茎に一つの花しか付かないそうだ。 この写真でもわかるように一つの茎に多数の蕾も見られるのでフデリンドウと分かる フデリンドウ1株の立ち姿 草丈は5cm~10cmと資料にあるので、写真の株も成長済みだろうか。 草丈も短いので根元がすっきり見えないが1株が立ち上がり数輪の花と蕾が見える。 改めて一つ勉強したこと : 5つの花弁の間に小さな花弁がある(副片) 副片がついているのがリンドウ系の花の特色かもしれない。 左端の花が分かりやすい。大きな花びら5枚の間に小さな花びらが見える。 昨年出合ったこの株は、茎も十分に育ち花数も標準的なものの様です。 こうしてブログを綴る機会に学んだことは、雄性先塾のこのフデリンドウは雄性期 と雌性期の花があることを頭に置き撮るべきだった。 やっと出合った嬉しさが優先して、この辺のことを失念しておりました。 資料によると・・・ 雄性期の雄しべは柱頭に寄り添って集まり、花粉を出し切ると花びら側に倒れ込み 雌しべの柱頭の先端が二つに割れて、多の花の雄しべの花粉を受け入れる状態が 仕上がる・・・こんな過程で劣性遺伝を避けている。 ご参考までに : リンドウとは 昨年このウォ-キング大会(2015.04.12)で「フデリンドウ」に出合ってから、 はて、リンドウってどんな花だったか? 実は言葉で言えるぐらいの具体的な印象を形の上で持ち合わせがなかったので、早速 園芸品店で購入して育てて写真にしたのが次の例です。 こちらは秋のお花です。 リンドウ科リンドウ属 全体の様子 花の様子 鐘型の花を付ける(季節の野草・山草図鑑より) 花弁の間の副片の事を意識してないから副片が分かりづらいが、やはり副片が あります。ハルリンドウなども同じだろうか。 雄しべは雌しべに寄り添っている 雄性期と呼べれる時期 この状態で時間が経過する際、花粉を放出しきる。 他の花の雄しべの花粉を虫により受け取るその姿勢が下の写真の状態だろう。 雄性期には葯が寄り添い隠れていた柱頭がこうして現れて、成長して、まるで 虫さんたちへ花粉の受け取り姿勢が出来ましたよと意思表示しているみたい。 他方、仕事の終わった葯は崩れて花びらにもたれ込んでいる。 こんなことが見とれる。 1. 科 名 リンドウ科リンドウ属 多年草 2. 原産地 日本、中国 3. 草 丈 20~80cm 4. 花 期 9~11月 花の径 4~5cm(花長) 5. 環 境 野山 上の写真は園芸品店ので苗を購入して我が家で育てた花の例ですが、野山に生える リンドウは雰囲気が少し違うかもしれません。 ◆ 〇 ◎フデリンドウに戻ります。 ※ 日本では、北海道~四国、九州に分布し、山野の日当たりがよ場所で生育。 根生葉はロゼット状にならずに小さい。茎葉は広めの卵形となる。 以上は「季節の野草・山草図鑑」から抜粋 この観察場所は樹木が大きく育った山際を切り開いて出来ている道路の山側、側溝 に近い歩道の縁でしたが、上述の情報から判断するとこの辺りはフデリンドウには あまり元気が出る場所ではないように思います。 今回は花の咲き始めての時期の出合いでもあるし、周辺の地形などを今一度観察して フデリンドウの出現場所を確かめてみたい。 開花期が4~5月とあるので、実現したいものです。
2016年04月27日
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4月10日(日)花もそこそこ残っていた桜 さくらウォ-キングの名前が生きた形だ。 武庫川の堤 右の岸にてここから左へ蛇行する。三田さくらウォ-キングの記録 野草、花の部の2回目はここからです。 クサノオウ:瘡の王 須磨田と呼ばれる地域にて ケシ科クサノオウ属の花 この時期でもかなり目立つ黄色い花の野草ですが、なぜかこの市内でも昨年はこの 須磨田と呼ばれる地域の1か所で初めて目に入りました。 今年は武庫川沿いの岩倉の辺りでも見つかりました。 沢山の葯と先が曲がっている柱頭 蕾には沢山の軟毛が見られるし、この奇妙に曲がっている雌しべの柱頭、不思議だ。 なんでこんなすがたになったのであろうか? また、市内全域で流行しても可笑しくない綺麗な花なのになぜ地域限定版か? 道路から元畑らしい狭い地形があって1、2mの段差のあるその際にこの野草が 数株花を付けていたので、ウオ-キングで次々に通過される方々はお気づきになら ないままで通過された。 1. 科 名 ケシ科クサノオウ属 1~2年草 2. 原産地 日本 3. 花 色 黄色 4. 草 丈 30~80cm 5. 花 期 5~7月 (三田では4月10日、この通り) 皮膚病の民間療法に使われて歴史があるらしい。 非常に毒性が強いらしいので民間での内服は禁止されているとか。 水仙やカロライナジャスミンなど非常に毒性の強い性質がある花が庭に植えられて いて、ハラハラする。特に水仙の葉っぱと庭に繁茂するニラ、混同して問題を起こす。 十薬(ドクダミ)はその点問題なさそうでうすが、我々の生活は微妙なバランスの 中で成り立っているようです。 ともかく、葉と茎には縮れ毛が密生、茎先に付く花は花弁が4枚 ※ 以上は「季節の山草・野草図鑑」 抜粋させてもらった。 クサノオウの株立ち その葉の様子 葉には深い切れ込みがある(先述の図鑑より) これから先、ウォーキングでここを通過する際、地元の方に出合ったらこの花の これまでのいきさつについて聞いてみたい。 ◆ 〇 ◎ ミツバツチグリ : バラ科キジムシロ属について 中須磨田の岸で「クサノオウ」を観察してしばらく歩くと小野から四辻へ通じる 道路が見えてくるが、その手前で道下の田んぼにつながる路肩などで再び黄色い 花の群れに出合った。 「オヘビイチゴ」の花らしいとおもったが「ミツバツチグリ」だった。 この写真でも幾分ご理解いただけるかと思うが、レンズを向けると雄しべが くっきり目についた。茶色になっている。 ミツバツチグリの花 雄しべが役割が終わり、黄色から焦げ茶色に変わったらしいこの状態がこの花の 特色だと思って撮ったもの その株の様子 バラ科キジムシロ属の中で、見分けるポイントの1つらしい。 根が食用になる「ツチグリ」に似て葉が3枚だから「ミツバツチグリ」の名前が ついた…とされているが、素人には吃驚の存在だ。 ともかくまた一つ勉強になった。 雄しべの様子を見たいと近寄ったが不十分だった。 本当は雄しべも雌しべも黄色い時を経てこうなるのだろうが共に数が多いことが 目立つ花らしい。 1. 科 名 バラ科キジムシロ属 2. 原産地 日本、朝鮮、中国、シベリア 3. 草 丈 15~30cm 4. 花 期 4月~5月 花は黄色 参考資料 昔 ウイキペディアからお借りしたヘビイチゴの写真です ヘビイチゴの花と葉 3枚の葉ですが、形が違うようです。 花びらの先の真ん中がへこむのは同じと見えます。 こんな実が生る(私の写真) バラ科ヘビイチゴ属 このヘビイチゴは市内の至る所にあり、大原の家庭菜園前の谷川の岸などに顕著です。 これまでに保存している写真のなかで、ヘビイチゴとして整理しているなかにも、 今見ると「ミツバツチグリ」と見られる花の写真がありました。 全体の印象が似ております。 尚、ヘビイチゴにはオヘビイチゴ(雄蛇苺)という仲間もあるとか。 ヤブヘビイチゴと言ってヘビイチゴに酷似した種類もある(季節の野草・山草図鑑) ◆ 〇 ◎
2016年04月25日
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ムラサキケマンとキランソウ、キュウリグサについて ムラサキケマン : 株の様子 山間の開かれた平地で飛び飛びに数株がこんな様子で見られた。 花もご覧になってお分かりのように、纏まって咲いてはいるが絡み合って スイスのアルプスで見るホルンのように長細い花を付けている。 花の様子-1 駒宇佐八幡神社の参道ながら、石段のある正規の道とは異なり、やや蛇行した 開けた道路を下りながらこのムラサキケマンの咲いている少しの平地に辿り着いた。 おおむね下向きに咲いている花 : 下から見ると 長い筒の先端が唇形の花だそうです。 素人の推定ですが、この筒の中に密が貯められていて、特定の虫のみがその蜜を 吸う事が出来る仕掛けかもしれません。しかもその向きがマチマチ。 背が低い株の下向きの長い花、そのホルンの口の中がどうなっているか、知りたい のが人情ですが、この程度でいまいち。 上から見て、こんな様子 1株の全体の様子、地面に沿って枝が広がり花が3か所で咲いていた。 なにしろ2,3株しかないのでこの野草の在り方はどうか? 何てことを考えるのも どうかと思われる。この後の載せるキランソウはこの武庫川沿いの至る所にあって 見られるが、このムラサキケマンはこれだけと言うことはあまり競争力は強くない かもしれない。 ムラサキケマンとは: 「季節の野草・山草図鑑」から抜粋 1. 科 名 ケシ科キケマン属 2年草 2. 原産地 日本、中国、台湾 3. 花 色 紫、白 4. 草 丈 20~50cm 5. 花 期 4月~6月 6. 環 境 山野 7. 別 名 藪華鬘 ヤブケマン 花は長さ12~18mmの筒状で先頭は唇形、茎の上部に密につく。 花の先端だけ紅紫色になるのはクチベニケマン。延胡索(エンゴサク)の花と 酷似しているがこちらは青紫色でL区別がつきやすい。 ヤマエンゴサク 写真は特に花の部分がピンボケ? それでも似ていることは分かる。 (越前、一乗谷朝倉邸への道脇にて 2012.04.13撮影) Θ ◆ 〇 キランソウ; 黄瘡小草 たぶん気が付いたのはこの株が最初だと思うが、歩道のコンクリ-トの割れ目など にも育っていて、今が咲き時だと思われた。 こんな群れも見られた。 この野草はその茎は伸び上がらず地面に沿って広がっているから、その気が無ければ そこにある事も気が付かないだろう。 近寄ってみるとこんな奇妙な姿 黄瘡小草と漢名で表される処からキランソウの名前となったらしい。 別名が「地獄の釜の蓋 ジゴクノカマノフタ」 漢方薬で、切り傷から胃腸薬にまで使われ、地方によっては「医者いらず」とか -季節の野草・山草図鑑- 習慣的にその辺を見て歩くと、この市内は至る所にこの小さな群れが地面に張り付 いて見られる。 1. 科 名 シソ科キランソウ属 多年草 2. 原産地 日本 3. 花 期 3月~5月 4. 花の形 唇形 キランソウの仲間には、お花の様子はそっくり同じで、株が立つアジュガという 仲間があります。 アジュガ キランソウは茎が地面に沿って伸びますが、こちらは立ち上がる。 この写真は友が丘の花壇の花です。4月25日現在我が家の庭でグランドカバ- として植えてあるアジュガはさらに背が伸びております。 σ 〇 〇 キュウリグサの花 今、最も多い野草の一つだろう。 この花もその気にならなければその存在する気が付かない。小さな野草の小さな花。 ハコベ、ノヂシャ、ノミノフスマなどと並んでこの時期には最も多い野草の一つで オオイヌノフグリやホトケノザなどと共に勢力の強い野草が出てこない今の内に きちんと子孫を残そうとする努力をしているに違いない。 次々に花をつけ乍ら釣り竿のように曲がった姿が見られる。 1. 科 名 ムラサキ科キュウリグサ属 胡瓜草 2年草 2. 別 名 タビラコ 3. 原産地 アジア 「ワスレナグサ」や「ハナイバナ」などもその仲間だとおもいますが、丸い副花冠が あって可愛い存在。 穂の先端に蕾が付き、順番に咲きあがる。一度には咲かないので長い釣竿状になる。私が特に興味を持っていたムラサキケマン、ヤクノオウ、フデリンドウなど様々な花にであったのでこの項はこれで終わります。Θ ◆ 〇
2016年04月22日
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第12回三田さくら回廊ウォ-キングに参加して:藍本駅: 出発風景 1. 市長さんの御発声 さあ出発! 市長さんも1200人のお仲間としてご参加くださった。 幸い桜もだいぶ残っている感じだ。 08:30 出発! JR藍本駅を出発点として、武庫川と千丈寺湖畔を歩き歴史を感じる神社、武庫川沿いに植えられている桜の花、何気ないが豊かな自然の野草などに触れながら13kmコ-スを完走して満足、満足の一日でした。 有名な酒滴神社の鳥居 今回は見なかったがここには江戸時代に盛んだった和算の算額が掲揚されている 隋身門に。 今ここにあるのは、コピ-ですが、こんな算額でした。 あの有名な関さんをはじめ有名無名を問わず数学者の交流は驚くべき流行だった と思われます。 久しぶりに個々の狛犬のご紹介 阿形狛犬 この間に石段があり、山の法面を上がると神社がある。 吽形狛犬 この一対はなかなか風情がありますし、善い雰囲気で境内を護っている感じ。 この神社の真正面、しばらく歩くと次に紹介する石の鳥居がある 1395年、応永2年(乙亥)に建設の石造の鳥居 室町幕府の時代、宝塚の原石で作られ、兵庫県下最古の石造鳥居だそうです。 鳥居から神社まで参道が続いていたと思われる道が続いている。 ムラサキサギゴケ 「」 その群れ この花は常に群れで見ることが出来る。 ここを出て平坦な田んぼが続き、ムラサキサギゴケやカキドオシなど今時の野草の 花が多々見られる中を武庫川の堤道に近付いた時、道の右側のお宅に1本の木であり ながら、3色の花が満開だった桃の木があり、皆さんの注目を浴びていた。 今回初めて気が付きました。 この後、武庫川沿いに歩き、恒例の鯉のぼりを右の農道に見ながら進む その先からウマノアシガタやつるニチニチソウ、白い花の咲くスミレなど野原の 花を楽しみながら歩くと駒宇佐八幡神社に到着。 7kmコ-ス ゴ-ル 駒宇佐八幡神社 参拝 7kmコ-スのゴ-ル位置からすると4、50m高い位置にある神社とその境内、施設 ウオーキング参加者の大半にご参拝頂きたいのに道がきついので少なかった。 スミレ 三田はスミレ王国とか。一輪ながらやや大振りの花が咲いていたので撮った。 神社へ上り下りする道の傍で咲いていた。 ※ ここで注文済みの弁当を頂き、お茶を手当て後、残りの約6kmへ出発 ムラサキケマン、クサノオウ、フデリンドウ、ヒメハギとその群生、キランソウの花 ムラサキサギゴケ、ウマノアシガタなど野草の花を楽しみながらゴ-ルに向けてしっ かり歩き、気持ちよく完歩出来てよかった。 次回にこれらの野草についてご披露できることを楽しみにしております。 ムラサキケマン この場面しか生えている場所を知らない珍しい野草だと思います。 藪の中ではなくて、何かの作業に使われる平地とそのそばの疎林めいた木々の 根元に見られました。 ヒメハギ 沢山の写真の中からその内の1枚 この花もなかなか見つけることができない野草であり、今回は驚きました。 お昼の弁当を食べる為に皆さんが小高い丘の上にいるのを見て、登ったその 斜面に紫の落とし物がある感じで、アレッ、何だろうと思い目を凝らしてみて 分かった、私にとって宝物。次回詳しく紹介の予定です。 ウマノアシガタ この野草はほとんどの場面で見られました。 今回は全般の印象のご紹介と特に力を入れて注目した草花の撮影について、ごく一部を ご紹介します。 ◆ 〇 ◎ 13kmゴ-ル 青野ダムサイト これは昨年の風景ですが、ここで完歩お楽しみの抽選があり、やあ、6等当り! ある渓流の魚釣り入場券だった。 尚、健脚コ-スは約22kmで、ゴ-ルはJR新三田駅の辺りですが、確認しておりません。来年以降で体調が向上したらこの最終ゴ-ルまで歩きたい気持ちがあります。いつものことながら、お子さん連れ、特に乳母車とお母さんが歩いているのを見るとお父さんも。家族のお楽しみに出合う事が嬉しい。尚また、今回の歩数は万歩計によるとドアからドアで24,500歩でした。
2016年04月21日
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青原寺の下、大原の里を歩いた後、久しぶりに大原の田んぼから瀬戸橋に出た。そこから上流もあったが、まず、武庫川を下った。青原寺下で小枝に止まった小鳥が誘ってくれた。 小鳥 ツグミだろうか 昨年同じころ、ジョウビタキに出合っていて、一見似ているので考えた。 2015.03.21 ジョウビタキも縄張りを持つらしいので1羽での暮らしだろう。 上の写真の隣の木です。左下方の田んぼと右上の森の中間で野鳥が楽しめます。分厚い竹林を抜け、家庭菜園のある野道を国道176号線へ向かって下る。谷川の向こうでヒヨドリが1羽 野菜を熱心に啄んでいた。普段は数羽が飛び交っている ヒヨドリ そういえば我が畑のブロッコリ-5株、濃い緑の葉がつらいち(面一)になっている。 これもカラスやヒヨドリが啄んだ為らしい。 ドバト たまたま1羽ですが普段数羽、数十羽で群れているのに出合います。 昨年、我が家の庭で小鳥の餌付けをしてみたらキジバトも来た。 このキジバトが日本の本来の鳩である事を昨日今日学んだ。 首に入っている模様が目印だそうだ。あまり群れないらしい。 その事からドバトにも関心の目が向き始めての最初の写真が上の1枚です。 ドバトの存在も今回初めて興味を持った。大原、川除の田んぼにも沢山おります。 キジバトとドバトについては後日もう少し情報を得て載せたい。 大原の田んぼとトウカンマンション(500戸弱)の後方にはケリ(鳧)が巣作りを始めているはずだ。やがてトンビが輪を描く姿も身近になるだろう。 早速番らしいケリ2羽に逃げられた。 この時期にはとにかく逃げられる。たぶん”つがい”だろう。 2羽がいた。 巣が出来て抱卵したら、こちらが巣に近づいたら飛び上がると思われるが あまり遠くには逃げないだろう。大きな姿で写真が撮れる。 ケリってこんな鳥 : 昨年の3月末ごろ こんなに足がながい。田の中、川の浅瀬や海の波際などで餌をあさる体つきだろう。 ケリ、ケリ-って鳴く(きつい響きも)のでこの名前が付いたらしい。瀬戸橋では対岸に渡らずその手前を左折した。川に沿い下る。ト-カンマンションに沿って下流に向かい歩く形になったが、大きくなった桜の木が連続して茂っていて右に武庫川の流れ、左に溝があって田んぼが広がる地形だ。そこで小鳥に出合って早速撮影。 こんな鳥 小鳥の中でかなり親しみがあるもののその姿をしっかりと見た経験は皆無でした。 スズメ目と呼ばれる分類から考えても、似ている小鳥が沢山いる。 知見のない小鳥に出合うとその見分け、名前探しで考えてしまいがちです。 どうやらモズらしい。 眼過線と呼ばれ、目を横切る黒い羽毛が見分け方の一つらしい。 雌はその眼過線が褐色だそうだ。下の写真の眼過線から雌かもしれない。 様々な小鳥の声を真似て泣き、襲い獲得した肉、虫などを突き刺してかざす独特 の行為が知られている。 今後このト-カンマンション付近の歩きで観察の楽しみが増えた感じ。三田市へ移住して28年近い。武庫川から日本海に向けて植えられているとされている桜も巨木になった。神戸市東灘区御影に住んでいる高校の同級生がこの桜の事を話題にしてくれた。べた褒めだった。近々開花するがその枝にモズ、ちょっとそぐわない感じもするが、近くには小鳥も多いし田んぼや武庫川の土手などモズの棲息にふさわしい環境かもしれない。これも今後撮影のチャンスを沢山作ってもっと知りたい。武庫川で出合ったカモの仲間 : コガモ 雄(左)の頭の模様からたぶんコガモだと思います。 武庫川の遠い位置に居て泳いでいたので分かりづらいし数も少ない。 それでも数多いカモ類の一つ、コガモを見ることが出来て満足でした。お殿橋から見た武庫川と三田の風景川上に向かっての景色。お殿橋 この右側、桜の列の下をここまで歩いてきた。このお殿橋を渡り向こう岸を下り、三田大橋からまた戻り、川上へと歩いた。この時期はこの下流域にコサギが居たので、写真撮りを考えての行動です。ドンキホ-テという量販店へ寄って買い物をする仕事も兼ねていて、知らない小鳥と遭遇出来ればラッキ-だと思いながら歩き続けた。ある地点でまた武庫川を離れてJRを越す道路へ向かって歩いた。そこで出会った数羽の小鳥 ホオジロらしい ホオジロ科ホオジロ属 其の2 ホオジロには冠毛もあるらしいがこの程度の出合いではそこまでは撮れない。 どこを歩いても一定の面積で1羽のツグミが居る地域を歩くので、こうして小鳥 に出合うとまたツグミ? と思い込みやすいがいろいろ居るようです。 鳩の事だって、キジバトの綺麗さなど知らないことだらけなので、これから学ぶことが多いと感じた一日だった。◎ ◆ Θ
2016年03月15日
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2月25日(木)建立有馬富士公園内の福島大池にて大まか乍ら野鳥の観察と写真撮影は2年目に入ったが、まだ野鳥の図鑑等は傍に無い。そんな生活環境の中で、今回は一気に野鳥の出合いが広がった。今回は3種類目、ハシビロガモ(嘴広鴨) 雄 雨覆と言う熟語が出てきて理解に苦しんでいる。羽根の一種らしい。 雄 顔が反対に向いているが同じ鳥 水鳥のカモは尾部が跳ね上がっている・・・だとするとこのカモは水鳥 一気に飛び上がる事が出来るとされている。 雌 同 上 一見地味でもあるが、しっかりした模様が見える。尾部は跳ね上がっている。勿論初めての出会いであり、広い福島大池の湖面を泳ぎ回るこの鳥、しかも初めてで名前も分かっていないから、撮り方の要領も分かっていない。これから足繁く通って様々な場面を撮ることで素人なりにその生き様の一端をつかみたい。嘴広鴨の生態について 1. 科 名 カモ科マガモ属 2. 学 名 Anas clypeata 3. 生 態 北アメリカやユ-ラシア大陸の高緯度から中緯度地域で繁殖、日本へは 冬季に越冬の為飛来し(冬鳥)、北海道で少数が繁殖する。 4. 特 色 全長43-56cm 雄 雨覆が青灰色。虹彩は黄色。嘴は黒。 雨覆(雨覆い)とは何を指すのか: 鳥の場合、風切り羽の根元を覆っている短い羽毛のこと。初めてこのカモに接した場合、嘴が幅が広くて長い印象があるが、それ以外はあまりわからない。ヒドリガモやマガモ、オオバンなどは福島大池では餌付けで慣れているかもカメラを持った人間が岸辺に近づいても逃げないでいるから比較的観察しやすい。その点このハシビロガモは少し沖に逃げる感じでした。鳥の飛び立ちなどに役に立っているらしい「雨覆」と呼ばれる短い羽毛などもウイキペディアの情報でその存在がわかったが、肉眼でこの野鳥を見てみない限り、その働きも理解できない。今回のブログでは福島大池にハシビロガモが居るというご紹介になりそうです。マガモについて:カモ科マガモ属 昨年、我が家の近所溜池でも数回撮影しましたが、対岸の木陰に逃げ込みまともに 撮れなかった。福島大池でも出合った瞬間飛び立ち、警戒心が強すぎると思い込ん でいた。2月25日、ヒドリガモやオオバンが群れている池の中で群れの真ん中に居て 近づく鳥たちを追っ払ってはいたが、共に浮かんでいたのでいささか驚き、かつ、 今後は観察しやすいと楽観した。 その2 マガモも結構クチバシの幅が広い感じですね。 Θ ◆ 〇ここで気が付いた事 この1羽の雄も繁殖期の羽になっているらしい。 この時期になると「つがい」でいるケ-スが多いのではないかと思う。 今回は雄だけでしたので、その点ちょっと残念です。たまたま昨年2月20日、訪問先の神戸市・生田神社の池で一見マガモと見える番に出合って写真を撮ったことを思い出した。 マガモ またはアヒルでマガモに似たつがい 雌はこんな地味な羽根になると思われます。 この池にはアオサギやアヒルとみられる白い鳥もいて結婚式会場から見える池の面でした が、マガモであれば番の様子が分かるので参考になります。Θ ◆ 〇昨年から見てもマガモの観察例が少ないので全てがこれからの事だし、ハシビロガモも留鳥であれば今後も観察の機会は続くので楽しみたいと思っております。
2016年03月05日
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これまで2回に分けて昨年出合った野鳥の整理を行ったが、なお不徹底な面もあるし未知の野鳥出合いも期待が出来ると思って出かけた。さて、早速これまで気が付かなかった野鳥に出合い嬉しくなりました。1. 新しい出合い ホシハジロ 鴨 カモ科ハジロ属で、主として海にいる鴨と言う情報が定説らしいが実際は福島大池の の如き淡水で出合う場面も多いらしい 。(水面に尾部がつかっているのが海のカモ?) ホシハジロ(鴨) (星羽白) 45cm 2月27日の写真です。水中の足の動きまで見えている。 雄の目の虹彩は赤く、雌は褐色。 ヨ-ロッパからシベリアで繁殖、日本へは越冬の為に飛来するが、近年北海道とか 本州内で繁殖する例が報告され始めているようです。 17,25,27日と3回観察できましたが、昼寝?スタイルのこの姿が多い。 首を後ろに回して静止していた。昼寝らしい。 私の疑問は「夜間に採食するのでその分昼間寝るのではないか」 その答えもずばりイエス! 水に潜って植物質をよく食べるようです。 羽づくろいか 顔を見せてくれたホシハジロ 目が赤く、くちばしの先端は黒で大部分が白いホシハジロの雄 嘴は黒、青灰色の帯模様が入る。青灰色と言ってもほとんど白に見えるが。 和名 ホシハジロの由来 : 残念ながらこのホシ(星)がこの野鳥のどの分を指すのか、明確な答え、位置 状態などを示している情報も無いし、写真を見ても白い羽の上で斑があるとも 思えない。 沈思黙考中のホシハジロ 浅い湖面でウトウトしているのかもしれない。 何しろ夜間の採食で疲れているだろう ホシハジロのつがい 前方が雌で、手前が雄だろう。番(つがい)でいても日本は越冬地だから 食べて体力をつけ、北へ帰ることに備えているとみるのが普通だろう。 Θ ◆ 〇 オオバン オオバンも今年初めて見る野鳥で、知りませんでした。 オオバンを「大きいバン」と誤解して ⇒ 「小バン」はどんな鳥と考えないよう 説明してくれている情報もあった。 ⇒ 「バン」が居るそうだ。 オオバン 2016.02.27 これも海のカモか ツル目クイナ科オオバン属の野鳥だ。 全長 32~39cm 初めて見る野鳥が次から次へと出てきて、てんやわんや。 学 名 Fulica atra 冬鳥又は留鳥 留鳥と言うことはこの大池に年中生棲息しているのだろう。 目の虹彩は赤褐色、嘴は白い。 上嘴から額にかけて白い肉質(額板)で覆われている。 ヒドリガモの傍で泳ぐオオバン 水辺の草の茂みで繁殖する。この福島大池にも芦の茂みがあるのでオオバンは この池でも繁殖が見られるかもしれない。 オオバンはあまりにも突然の出合いであり、固体が少ないのでこの段階では様子 が分からない。出来るだけ多くの機会に福島大池へ通ってオオバンを観察し、 夏鳥であるバンが登場したらこれも観察できることを期待している。 ◆ 〇 ◎ バンについて : オオバンとの違い ウイキペディアのバンからお借りしました。 ツル目クイナ科 1. バンは嘴や額が赤いのですぐに区別できるとされている。 2. 嘴の先は黄色い。 鳴き声はキュキュ-だそうだ。 3. 全長 35cm オオバンとほぼ同じ大きさらしい。 4. 西日本では留鳥とされているので、この福島大池へもやがて現れるであろう。福島大池へ行きだして2,3回でこれまでどこでも見たことのなかった野鳥に出くわして目を白黒させている。Θ ◆ 〇詳細は不勉強ですが、海鳥と水鳥のカモでは飛び上がり方に大きな差があるようです。水鳥は一気に飛び上がる。海鳥は滑走しながら飛び上がる。そういえば前に見てもらったカワウの飛び上がり型が滑走しながらですから、正式には海鳥かもしれません(余談ですが)
2016年03月02日
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高い木に鳥の巣がある事を見つけて以来、高い木の上を見ながら歩くことが習慣になりつつあります。(前説)兵庫中央病院(独立行政法人 国立病院機構)の広い構内の西、崖の縁に銀杏と楢の高木が並んでいる(推定 全高さ 25m) この楢の木に鳥の巣がある。この場所に2個の鳥の巣がある。こんな景色の中で新緑が幹を覆い木の枝が見えなくなった頃に鳥が育雛を始めるのだろう。(地元の者しかしないがここを通り福島大池へ出る道に出て行くことがある)今日は:すぐに引き返して病院の東側、県道?三輪-後川線(篠山市)を越えて、上野郵便局と三田ゴルフクラブの間をさらに東へ歩いた。久しぶり。おおよそ10年は御無沙汰。日曜日とあってゴルファ-達がプレ-している様を左目にしながらさらに歩いた。右側は数十mの崖になっていてその所々に盛り土が突き出て広場になっている所がある。初めて写真にした野鳥 : シロハラツグミ 調べてみたらツグミの仲間で シロハラツグミと言う小鳥らしい。アカハラツグミ、シロハラツグミ、ツグミ この仲間には3種類がいる事も今回知った。直ぐに崖の縁から消えてしまったので観察もこれからの事になった。Θ ◆古道で「上野の三叉路」と呼ばれる四辻へ到着(今は四辻的存在と分かった) その中の一つ: 道しるべ : 三津ヶ関保兵衛の石碑 左花山院 右妙見 の陰刻も見える。 比較的文字が判読しやすい 三叉路の左肩に全てが纏まっているなかの一つである。 古代からそのままの史跡か不明。あまりにも纏まりすぎているので、 或いは明治以 降に整理統合されたのか知れない。(県道三輪-後川線が交通の主役で、いつの間 にかこの道が古道と呼ばれる存在なったと思われる) 残り二つの道しるべは古くて判読できなかったので今回は選び出しての撮影はなし。文字が読める石碑(灯篭)を撮影。 妙見宮と陰刻されている灯篭台 はて妙見さんは神社? その左側面にやはり陰刻されていた。 明治十一戊寅(ボイン、つちのととら)十一月吉日 (西暦1878です) 明治時代に入って11年、干支の利用が便利で分かりやすいという習慣が生きていた のだなそんな印象を感じた。 年号は、文化元年(1804)、文政、天保、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、 慶応(3年1867)、明治元年・・・明治11年(1878) 文化元年から明治11年、この間74年ですが年号は11回も変わっている。 そこへ行くと干支は少なくとも東洋では古代から不変で60年で1回転を繰り返している こんな面からも干支の刻印習慣は簡単に捨て去れなかったと思われます。今一つ、三津ヶ関保兵衛と個人の名前らしい印象でしたが、お相撲の有名人?が納めた石碑かな・・・そんなことを考えながら歩いた事だった。三叉路か四差路か? 昔からそんな疑問を持っていた。 この際、東に向かう道へ探検ウオ-キングにトライ。目は高木に当てながら・・・ 1. 左の野末にみた高木の鳥の巣 平地の先、150mから200mの所に高木が並んでいてこれも楢らしい。 葉がないので鳥の巣らしい様がよく見える。 大きくして観ると鳥の巣に間違いなし。 なんという野鳥の巣か、不明。 2. やがて道路を遮断する施設に出合った。その先は確かめようがないから引き 返した。 砥石川にと言う川と地名もあるらしいがそこにつながる道か。三叉路に戻って三田ゴルフクラブのヘンスにそって香下の方向に向かって歩き、途中から三叉路まで引き返した。上野の三叉路の手前、民家の屋根越しに育つ杉の木の中にも鳥の巣があった。 鳥の巣 見えにくいが鳥の巣。旧上野三叉路に戻って(東に向かって右側)三輪神社のある市内へと急坂を下った。つまりここだけが古道の原型が残っているはずの道と感じながら歩いた。この途中に三田青磁の古窯史跡があり、今は展示や青磁造りの勉強施設がある。Θ ◆ 〇この施設の反対側はさらに窪地になっていて、溜池があり対岸は小山でありその中腹まで畑があって野菜などが見えていた。溜池の野鳥 シラサギ 足の指が黒いのでコサギでは無いが、大鷺かチュウサギかはわからない。 この日の折り返し点である三輪神社に到達 三輪神社 三輪神社と言う石碑の右横に道しるべがある。 即ち、この石垣沿いに右上に向かえば1kmあまりで「上野の三叉路」に至る。 その石段の根元にある古道の道しるべ シュミダス 兵庫県三田版で分かった.設置年 元治2年(1865)※ シュミダス 兵庫県三田版に上野三叉路に見る3つの道しるべのご紹介、特に それぞれの左右の方向の案内が紹介されております。 引用させていただく予定でおりましたが、ひとまず終わります。Θ ◆ 〇
2016年03月02日
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2014年(平成26年)末、多少望遠がきくカメラを手にしたので、撮影の対象が野鳥にまで広がり、2015年は貴志の平野や福島大池など観察と撮影の機会が増えてきた。外科の先生から歩け歩けの号令がかかったのが背景にあってダッシュがかかった!1. ケリ 田んぼなどで子育てしても、やがて武庫川など水辺で暮らすのだろう。 初めて見た。 飛び立った姿をうまく捉まえるとなかなか魅力的な鳥です。 警戒心が強くて逃げるので地上ではあまりはっきりと撮れなかった。 今年はこの姿を鮮明に撮りたい。 チドリ科 田んぼや岸で子供を育てるので、トンビや人間への警戒心がすごい! 2. トンビ 大原の田んぼ道 2015.04. 空中を飛翔しながらねずみや小鳥などを捕食するのでこうして空中を飛び回っている 昨年は大原や貴志の田んぼだ、遠くにいるトンビを目にしながらケリの観察をしている 大きく輪を描きながらも、あっという間に真上に来てケリとの空中戦に出合った。 3. コサギ 2015.01.13 武庫川右岸 サギ科 ダイサギ、チュウサギ、コサギと呼ばれる3種のサギの中で脚の指が黄色いのが コサギ。この点を撮れると判別しやすい。4. ダイサギ又はチュウサギ : 判別に苦労している情報が多い。 この写真はダイサギと思われる 2015.04.18 冬羽では黄色い嘴が、夏には黒くなる。この時期は移り変わる時期だろうか。 かなり首が長くて、脚や指が黒い。 口角の切れ込みが目より後ろに来るのでここの撮影が出来ればチュウサギとの 区別が出来るとされている。 5. アオサギ 飛んでる姿が綺麗なので大好きなアオサギ このアオサギを「ゴイサギ」と子供の時から思い込んで79歳の年まで来たのは笑止 千万だったが、ゴイサギは夜行性の野鳥とあって信じられない思いだった。6. ヒヨドリ 平成28年2月末現在の話ですが、友が丘の住宅街ではこの鳥が群れで行動する形で 家々の間を移動して見えるが、その理由などは未知です。 ◆ 〇 ◎7. 長年の課題は、庭にエサ台を置いて、エサを継続して与えて小鳥の来訪を観察した。 2015年は実行してみた年だった。 スズメ 家の庭には普段スズメは皆無か、時に移動中の1,2羽が見える程度だった。 エサ台を置いてみたら1,2羽のさえずりが「エサが此処にある」・・・呼びかけ。 みるみる羽数が増えて毎日こんな有様。 平素バラバラなこのスズメ、エサの有無を知らせ合っているらしいことが分かった 20羽近くいるのだろうか。 フクラスズメ 出先で知った羽を膨らませて暖をとる「フクラスズメ」 2015.02.08 宝塚 Θ ◆ エサ台には結果的には、圧倒的に多数のスズメが来訪し、次いでヒヨドリ、ハト、 カラスなど。 メジロなどの来訪を期待していたのに結果が違いすぎたのでガッカリした。8. ジョウビタキの雄と雌 人懐こいので助かる。 雌 2015.02.23 青原寺下にて 毛髪が銀色でないので雌鳥だと思う。 この人懐こい小鳥が最初は大原、ついで貴志の里でその人懐こい姿を至近距離で 見せてくれたのは望外の喜びだったし、今年も福島大池など出合いが広がっている。9. セキレイは3種類 セグロセキレイ、白セキレイ、黄鶺鴒の撮影ができた。 セグロセキレイ ハクセキレイ 2016.02.22 武庫川 セグロセキレイとハクセキレイの違いについては自信がりません。 2016年の中で、正確に区別したい。 キセキレイ 2015-02-16 大原 田んぼ 予想以上に綺麗なセキレイで魅力的だ。 10. ヒバリ 2016.04.09 素敵な鶏冠(トサカ)をしていることを初めて知った。 非常に強い縄張り意識を持ち、仲間のヒバリと壮烈なバトルをすることでブログの 動画など人気が高いことを知った。2015年に出合った野鳥の写真を整理して並べてみると、おおよそ18種類。一日のブログでは整理できないので残りは次の回に纏めることにしました。2016年にその生きざまをより生き生きと捉まえる事の為に整理しております。11. メジロ12. ヤマガラ13. エナガ14. ツグミ15. ヒドリガモなどカモ類16. ヒワ17. カワウ18. イソシギ 2016年は前年の情報の精度アップと新しい野鳥との出合が楽しみです。
2016年02月28日
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今も近年も同じ課題が続いておりますが、お花の写真に満足できない。一番の悩みは、肉眼で観た花の色と写真の花の色に差があると感じます。そこで時折おりにネット検索などで調べた解決策をウオ-キングなどカメラ携帯のおり試すことになります。2月24日 パンジ- 白い花と黄色い花 黄色い花 いずれもコンデジでの撮影 1. 晴天ではお花の撮影は失敗しやすいらしい。 2. 傘を持参して撮ることをお勧め 3. 少なくともホワイトバランスは曇りにするとよい結果が得られることがある 4. 露出補正は-0.5~+1.5で撮ってみる。行きずりに1枚か2枚でいつも満足な花の色を得るなんとて”お目出度い” ・・・なんて言われそうですが、上のパンジ-もそんな情報の元、試しに撮った物 暖冬だったり寒が戻ったり、高齢者には出歩きがたいこの頃ですが、我が家は車無しの生活に入ってるので、私がウオ-キングと自転車で健康維持もかねて外出するのです。時期の花: クリスマスロ-ズ 下向きに咲くので、撮影しがたいが時期の花なので撮らせてもらった。 我が家がそうでしたが、毎年よく茂り、沢山の花を付けてくれるものの、下向きの に咲くので、次第の疎遠になり枯らしてしまった。 ご近所の垣根の花、足元付近のをコンデジでエイヤッ!・・・の1枚でした。有馬富士公園花壇の「夏水仙」の芽の群れ ここはある年、新聞記事で20,000株の夏水仙の花が咲くと紹介された花壇 今年も沢山咲いてほしい 往年の花盛り 2013.08.13 上の写真の付近の昔です。 今夏もこんな感じで咲いてほしい。 花壇へ踏み込まないよう注意書きがあちこちに見られた。庭の満月蠟梅、その一枝 植わっている位置がやや日陰のせいか、他所より開花が遅れるし、花数も少ないと嘆きながら・・・ 夫婦で買い物の往復で通過する兵庫中央病院とこの友が丘町の境、丘に咲く。オオイヌノフグリ 午後の西日のひと時、ここで歩きに弱い妻が一休みする場所でですが、季節に 応じて様々な花が見られます。 これは畑の岸で冨栄養でしょうかこの花も元気がいいし沢山咲きます。 別名 ”星の瞳” はこんな状態からの連想だと思います。 ホトケノザ この野草も咲き続けておりますが、家庭菜園で猛威を振るうのはもっと先になります。 水 仙 町内のあるお宅の垣根にて 冬咲きの花 所々でこんな感じで咲いているが、一般的にはもっと先に咲くだろう。富貴草 同一株で雌雄異花 蕾乍ら頂上に近い部分で目につく雄の蕾 葉っぱの付近似つき出た形で見えるのが雌しべで、開花しつつある状態だろう。 その下に寄り添う形で開き始めた雌しべ(専門的には柱頭と言うのでしょうか) いくぶん雌しべが先行して開花しつつあるように見えるが、観察例が少ないので 何とも言えない。 例によって沢山の雄しべ(花びらは無い)が花柄の上部に折り重なるように付き その元の部分に5,6個雌しべ(これも萼と雌しべのみ)が花びらのない、むき出しの ままついている。劣性遺伝を避ける工夫でしょうか雌雄異花? ヤツデや富貴草などのように気温が低い時期に咲く花でも劣性遺伝を咲く得る工夫 には驚かされます。 県道?三輪-後川線の道路花壇で杉が丘町の出口でしか見られませんのでウオ-キング が偏ると開花の瞬間を見逃す。 2月9日(火)の写真ですが、その後経過を把握できていない。 今年はなんとか雌雄の花の開花状態を揃って撮りたい。Θ ◆ 〇余談ながら :今のシ-ずンは花より団子(野鳥)に目が行きがちですね。25日(木)も午前は畑、午後は福島大池へ野鳥との出合を楽しみに出かけました。ジョウビタキなど昨年学んだ野鳥は、今日はの感じですが未知の野鳥の遭遇もあり、また勉強の課題が増えた感じです。例年この時期にはお雛様の撮影も楽しみです。
2016年02月23日
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今年も渡り鳥が武庫川や周辺の田んぼなどへ姿を見せつつある2月8日にも南ヶ丘の図書館へウオ-キングで出かけた際 ジョウビタキ に出合った。(写真は昨年の例) とっさに腰に携帯していたコンデジで撮影にかかったが逃げられてしまった。 ともかく今年も楽しめそうだと思いながら歩いた事だった。また、ツグミにも出合う機会が多くなった。 枯草の中のツグミ この鳥は普段1羽で縄張りを持つらしいので集団化は飛び立ちの時かもしれない。さて:福島大池が久しぶりなのと、渡り鳥がどれだけ飛来しているか楽しみで、18日(木)午後出かけた。家を出てから約1km、兵庫中央病院と友が丘の境から西北をみると白い雲が出ていたので撮影。白い雲なので露出補正 +1 で撮ってみました。 福島大池へこの病院の周りから移動する道は幾つかあるが、今日は最も志手原よりの虫尾の郷から回り込んだ。雑木林の中、人通りが全くないまま歩き続けた。 これは兵庫中央病院・病棟4Fからの展望ですが、この日の歩きもこの角度から 有馬富士山の麓を目指して歩き、近づいたのが”虫尾”郷です。 虫尾郷の石碑 この辺りには古墳も沢山あるし、西国33番札所の番外札所で有名な花山院も近いので様々な由緒があると思われるが、この日はそれらの寄り道は避けてひたすら福島大池へ進みたかった。 それでも吃驚した「長屋門」らしい構えの門を構えたお宅 あくまでも推測ですが、長屋門らしい風情で驚き撮影させてもらった。 妻入りの茅葺民家の鉄板張替えこそないものの、すごい構え。 その近くには茅葺民家が今でも存在している。 一応、渡り鳥の観察をこの日のメイン作業と考えているのでこれらの事には通過儀礼としての撮影にして福島大池に至った。昨年10月第3日曜日の友が丘ウオ-キング以来なので4か月ぶりだ。 ヒドリガモの群れが優雅に泳いでいた。 雄の緋鳥鴨 岸辺に近づいている。 横から見た緋鳥鴨の雄 雌 : 岸辺に辿り着き、沖へ向かう状態で、逃げるという動作ではありません。 仲の良い雌と連れ合いで泳ぐ緋鳥鴨 ヒドリガモも武庫川にも来ているはずだが、未確認。 試みに口笛でこの鳥の鳴き声らしい声を真似てみたら集まってきた。 雄が6羽、雌が4羽 後日、このような場所では人がえさをまく習慣があり、野鳥もある程度警戒を解く ・・・ こんな情報もありこの池の野鳥も他の場所よりか人になつきやすいかもしれない キンクロハジロ 金色の目を意識してのご紹介は下の写真。 金色の目と黒に白い羽からこの名前が付いたらしいがよくわかる。 友が丘の溜池のキンクロハジロは数は多いし,飛来以来常時見られるが警戒心が 強くて通常のカメラではこうも撮れなかった。 あまり警戒心が無いのをいぶかしく思ったが、緋鳥鴨同様幾分警戒心が薄い雰囲気 になっているかもしれない。 尚、この日は雄鳥しかいなかった。 初めて出合った渡り鳥らしい野鳥 ホシハジロと言う鴨かもしれない。逃げはしないが少し遠いので頭部が分からない もっともっと接近して大きく写さないと真偽のほどは分からない。Θ ◎シ-ずンに入ると、鷹類やカワセミ、ジョウビタキなど様々な野鳥がこの池の中や周辺で観察できると、この公園の事務所や休憩所のあるコ-ナ-に写真と野鳥の名前などが展示されていた。愛好家の力作らしい。この辺を参考にして今年は昨年よりも野鳥に近づきたい。マガモの綺麗さがお気に入りですが、警戒心が非常に強いらしいので、より望遠倍率の高いカメラの携行が鍵かな。宿題でもあります。Θ ◎ ◆有馬富士山にかか白い雲 露出補正 +1 露出補正 -1昨年から青い空と白い雲にも関心が出ていて、この日も締めくくりはこの有馬富士と白い雲の写真でした。やはり露出補正 +1と-1など素人の試みです。 Θ ◆ 〇
2016年02月21日
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2月8日(月)南ヶ丘に在る市立図書館へ本の返還と借り入れをウオ-キングで行った際三輪神社前へ差し掛かる細い道から門前町経由の歩き方だった。三輪神社へ差し掛かると社務所や石段の上にある三輪神社を意識してしまう。社務所建屋の左端の下に道路があり、そこから眺めると社務所の屋根と手水舎の屋根が目に入りいやでもその懸魚が「梅鉢懸魚」で統一されており、しかも細かく彫り分けている様が見てとれた。 懸魚-1 懸魚-2 懸魚-3 懸魚-4 手水舎の妻面に懸かるもの。 この手水舎はコンクリ-ト造りらしいが、懸魚も同じ材質のようだった。 尚、破風への取り付け方の影響か上端の1角が破風に隠れて5角形に見える例もある◆ 〇 ◎最も多いはずの「かぶら懸魚」ではないが、この梅鉢懸魚も市内の神社仏閣、天理教教会の屋根などでお馴染みです。 三輪地区で、杉が丘町の下にある同教会の屋根 元へ戻って、三輪神社の拝殿、ご本殿の建物にももちろん懸魚は失火を防ぎ、消防を意識してそのお呪いとして妻面の破風などに取り付けられております。この三輪神社でも、江戸時代から以前にどのお寺さんが別当寺てかかわったか、そのお寺は、何処にあったか。三輪地区も前は三輪村であり、其の住民の戸籍はお寺さんの檀信徒帳に記載されていたらしいので、別当寺の支配を免れることは無かったと思われるからです。 ◆ 〇 ◎拝殿の屋根の破風(唐破風?)に飾られているヒレツキ梅鉢懸魚? 大胆な推測で誤解であればお許し願うとして、本来6角形の梅鉢懸魚に飾りをつけている。 最も多い「かぶら懸魚」もヒレツキ蕪懸魚だとこんな形になる。 じっと眺めると、蕪懸魚に飾りにヒレが添えられて取り付けられている様が見える。
2016年02月14日
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この三田市内へ移住してからおおよそ28年、最初は雪が多いのに驚き,かつ困った。しかし年々雪の回数とその積雪ぶりが衰えて、いっそ雪景色を楽しむ機会が乏しいのでいくぶん残念な気もする。2月7日(日)朝 ちょっと積もった。せっかく降るのであればもっと積もってほしい! 中庭左の景色 玄関のイヌツゲの雪 家の北東側 玄関、南天の雪 2015年末から2016年2月7日までに降った雪は2回目でして、最初は風花の程度だった。ご承知のように暖かい冬に染まっているので、、大げさに言えば雪が目づらしい。◆ 〇 ◎そこでこれまでの雪景色で我が家の周辺を眺めてみると: :2014-01-19 この年の初雪 この程度の雪だった。 槇の枝に積もった雪 このくらい積もると雪らしい。◎ ◆ 〇昔は三田地域も豪雪地帯だったと言い伝えられてる。ここから約20km北になる篠山市も豪雪地帯であったと石碑がお城の近くに建っていると記憶しておりますが、これらの豪雪地帯から稲作が終わった冬季には灘五郷へお酒の仕込み―杜氏として出かけた習慣があったらしい。今では世の中の変容と天候の異変でこの地域の方々が灘五郷へ杜氏として出向く習慣が維持されているか、あるいはもうほとんどその習慣が無くなっているのか。たぶんその習慣はかなり薄れているかもしれない。当地にも岡村酒造がありますし、篠山にも銘酒があるはずですが、さらに日本海よりの地域の酒蔵とともにいいお酒が造られるのは、一つには昔からの灘五郷への杜氏がその技術を故郷の酒蔵で活かした可能性があると、想像が飛躍している次第です。話が大いに滑りました。この三田へきて観た大雪の姿 2007.01.07の例 2007.1.07の例-2 外付けの写真保存を繰っていたら、2005年(平成17年)に積もった雪で、ここに来た頃に近い雪景色の写真が見つかった。 その一 2階から南の方に見える街 その2 庭の景色 2階から西側の街を望む 近くの森、ケヤキや楢の大木に積もる雪化粧を撮りたかったが、だいたい こんな方角の撮り方が多い。ここに移住した平成元年1989年からしばらくは大変だった。 その雪の写真をさがしている。 1996年1月の雪 紙焼きの写真からの取り込み。◆ 〇 ◎1989年(平成元年8月)移住後しばらくは、大雪が降ると長靴を履いて駅まで歩いたり(妻の車での駅行き運休)でクタクタになったことでしたが、これからはその機会はもうなさそうですね。◎ Θ ◆文中でご紹介させてもらった岡村酒造 茅葺民家 2012.01.17 撮影 写真の茅葺屋根の家は、モデル的な小屋と見ましたが平入価格れている右側の妻に 入口が造られているかもしれません。 即売のお店と妻入り建物 遠 景 宝篋印塔や種子のある興福寺からこの道路へ降りてくるとこの茅葺の屋根が見えた。 このお店が妻入りの民家風に拘っているらしい外観ですが、この建物がある道路の三田市内よりの一画に古い民家も観光用に公開しているお宅があったと記憶している。かつて多かった茅葺屋根の故郷を岡村酒造さんも意識されていることだろう。但し、今はこの萱の確保には大変ご苦労されていることと思います。
2016年02月13日
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2月8日(月) よく晴れてこれからご紹介する茅葺の民家も綺麗に撮れました。おおよそ10Kgの荷物(本など)を背負い、急坂の上り下り、いい運動になると”やせ我慢”。この往復で12000歩あまり、やく10kmと見ました。最初に撮影したのは、古代の都奈良に縁のある三輪神社、その鳥居の記録部分国道176号線すぐ傍この文字を読みますと。 元禄14 辛巳(シンシ、かのとみ)年二月建立 (1701年) 今度阪神淡路大震災ニヨリ再建 (元禄14 かのとみの年 二月 之を建てる) この鳥居に刻まれた元禄14年と言う文字から思い浮かぶことが様々にあります。徳川幕府も5代綱吉公の時代、この年の三月江戸城の松の廊下で播州赤穂の殿様が吉良上野介に切りかかり、即日切腹を命ぜられた年でした。また、干支でいう辛巳の年は干支の組み合わせで21番目で、「かのとみ」とも表現されますが、天満神社の鳥居にも元禄14,15年の刻み文字が見られました。ほぼどの鳥居も住民の寄進でしょうから元禄の頃、住民の民力が揚ったとも考えられます。番外札所花山院への道案内三輪神社へ上る石段の右横に、ひっそりこの道案内があることを今はじめて発見。(この花山院は花山院天皇(のちの上皇)の墓地でもあり、その宝篋印塔があると 伝えられております。西国33番札所の番外札所として巡礼が足繁く訪れた、今も 訪れているはずです。この他にも花山院の道案内が多い)この神社の右横に沿って上ると花山院や永沢寺のある地域に通じる道があり、現在の三田ゴルフ場の角にも古い道路標識などが残っている。三輪神社の社務所かなり立派な社務所で、今、フト思った。江戸時代以前にはここに別当寺があったかもしれない?このクラスのお宮さんでも神主さんなどが事務所などに詰めていないので、ここの別当については、後日調べたい。社務所の屋根に見られた梅鉢懸魚◎ ◆この鳥居の下をくぐり、国道176号線の交差点を渡って三輪神社の門前町で、かつて繁華な商店街があったと伺われるまっすぐな道を南下、JR三田駅近くの街を通り抜けて(中央町)南ヶ丘へ向かう。その最初のとっつきが、旧大歳神社で今もすべたが残っているが、その神様は天神町の三田天満神社へその他の神様と共に合祀されたと言い伝えられている。中央町の道路にあるマンホ-ル蓋マンホ-ルの蓋がなぜ丸いか? 何かに理由で開いても絶対に穴に落ちないからだ。◎ ◆武庫川を渡って最初の商店街に昔風に言えば「古道具屋さん」があった。そこで獅子の置物を発見 その1 少し角度を変えての1枚 いかにも古道具屋さんの店先らしい商品で、ご主人もこれは(あくまでも)獅子の置物ですといった感じのご説明でした。長い間この前を通過して図書館や中央公民館へ通ったが、立ち止まったのは今回が初めて。次に見たのが、設楽焼の狸 いつ見ても楽しい! まだまだ楽しい掘り出し物がありそうだった。 ◎ ◆三田町には江戸時代などに支配者がこの地の集めたお寺が並んでいるが、この日は観察しながら通過。詩人三好達治さんが少年時代に過ごしたとと堪えられている日蓮宗妙三寺もこの道路沿いだ。南ヶ丘町へ入った。ここにも昔から在る南ヶ丘大歳神社が鎮座している。不思議な表現になるが、この神様は天満神社へ合祀されていると天満神社に記録されているのに、建物も2組の狛犬、さらに木彫りの狛犬もそのまま残っているはずだ。古老にでも出合った時に経緯を聞いてみたい。八頭稲荷もここに鎮座。ほぼ5km歩いて図書館が近づいた。そこにある茅葺屋根の家現在、どなたかお住まいかどうか、ふめいですが妻入りではなくて平入の民家です。屋根のトップは千木が載せられている。(知らないので鰹木と書いてきた)少なくとも当分の間、使用が可能なお宅に見えた。その近くに堂々たる鉄板葺き、妻入りに民家の屋根が見えたので撮影しばらく歩くと図書館に到達できる。図書館では9冊返還し、9冊お借りして帰宅した。健康の為に歩く距離として、かなり良い距離を歩いたと思っている。◎ ◆ 〇こうして歩きながら観察したり、写真撮影をしたりして整理しながら考えることは人々の生きざまの事で、知らないこと、気が付かないことが多すぎるのでこれからも市内を駆け巡って少しでもその息遣いに迫り、ひいては故郷高知県は四万十町の生きざまにも思いをはせたい。
2016年02月12日
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三田市のあちこちをウオ-キングしていて目につくことがいろいろある。 1. 様々な野草の生きざま 2. 神社と狛犬、布団太鼓 懸魚 3. 野鳥、中でも渡り鳥のあれこれ 4. 三田固有と言われる妻入りの建物 有馬富士の近くで出合った民家と屋敷のたたずまい。2015.01.14 妻面の下に入り口がある。右側に別の棟の家が建ち門構えの塀に囲まれている。 左に白壁の土蔵が立っている例もあり、堂々たる屋敷となっている。 神社の屋根の鰹木に似た屋根おさえが見られる例 妻面に屋根下に懸魚のかわり? 家紋が飾られている例も多い。 江戸時代など特例を除き、民家は懸魚を取り付けることは許されていなかった。 その他、消火の御呪い? 懸魚のさまざまや神社仏閣の建物に見られる蟇股や虹梁も彫刻など興味は尽きません。今回は、昨年春先、大原から錦幸園横をぬけて田んぼ道を歩き貴志御霊神社へ歩いた時に偶然目に入った 妻入り建屋の屋根の吹き替えの様子 金属板の屋根材の下には果たして茅葺の屋根が残っているかどうか。その屋根の張替の始まりから完了まで写真撮影が出来たので、ここにその写真をご披露させてもらって平素の疑問の解明に努めた。 屋根の吹き替え中の民家 2015-03-02に出合った 何年、或いは何十年前に下に見える茅葺屋根に鉄板の覆いをしていたと思われる。 今回、その覆いの張替を始めたと推定している。 推測ですが,昔空気抜きを兼ねた格子が取り付けられていた妻面の旧部分も見えている 新しい垂木の格子 その下に古い茅葺の状態が見える 長い間、鉄板の屋根覆いに保護されて残っている旧茅葺の屋根材の現在の姿。 軽いうえにそれ自体が呼吸するので、冬は暖かく夏は涼しいさを保つ役割もある。 ◆ 〇 長い間、この地方に見られた茅葺屋根の民家がその茅葺を残したまま、その上に 新規に鉄板の屋根を載せている方式が発展して今日に至っていると思います。 ◎ ◆ 28年前に三田へ移住してからこの鉄板覆いの屋根の下がどうなっているのか? ずっ大疑問を抱いていて28年ぶりにその謎を解く機会が来たわけでした。 今回の出合いでそれが氷解した。 そう。茅葺屋根がきちんと残っておりました。 残る疑問はなぜ妻入りが多いか? これは次に課題に置いておきます。 ともかく 冬は暖かくて、夏は涼しい、最も合理的な素晴らしい構造だと思っています。上の写真の作業に続くその後に進行具合 妻面の屋根に家紋入りの部分を張り付け 2015.03.17の写真 軒先を残して屋根全体の貼り付け完了 2015.03.25 写真 この辺の作業は見事な晴天のもと順調に進んだことだろう。 4月 日 ウオ-キングで通過してみたらすべて終わっていた。 妻面がほぼ東を向いた構造になっていて、その下に入り口があるのが三田固有の 茅葺民家だとされている。 カイズカイブキの良く育った垣根に囲まれて見えないが、それなりにお庭があって 日差しが玄関に届いていることだろう。また、この三田固有の妻入りの茅葺民家から発展した鉄板覆いの建屋は、様々な様式の塀に囲まれている例が多い。国道176号線沿いの塀その上、場合によっては白壁の土蔵蔵と倉庫などが備わり豊かな感じが多い。この写真は屋根の張替を最初に見た2015.03.02 撮っておいたものですが、国道176号線沿いに歩き撮影した場面です。◎ ◆ 〇余談ながら:茅葺の屋根が古くなるとどうなるか? 勿論草が生えるだろう。 その上、カブトムシの幼虫(私の故郷、高知では”ゴンジュウ”と呼んでいた?) が育つなど、次第に土に近づくように思います。屋根は釘を使って組み立てているか? 三田の民家の例では、解体ご新築などの場面を見ておりませんから分かりませんが 田舎の我が家では納屋(倉庫と牛馬の部屋、2階は作業部屋)の解体と瓦ぶきへの 変更がありました。 茅葺屋根の部分はすべて縄で括り付けており、釘は使用しておりませんでした。 萱を取り払い、縄をほどいていった際、屋根がギイギイ鳴り、少し傾いたので 震え上がった記憶があります。 怖かったですよ。
2016年02月08日
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昨年の春先、大原の武庫川よりの田んぼで、足の長い「ケリ」と言う鳥を初めて見た。ケリ チドリ科この野道を通り抜けて瀬戸橋経由で貴志の丘へ上がったが、再び春が近づいている。◆ 〇この野鳥のケリはむしろ貴志地区に多いということを御霊神社境内を清掃の為に奉仕に来て居た農家の方に教わった。それ以来、豊かな広がりとなだらかの農道を毎日のように歩き回ったことだった。さまざまな出合いがあるこの地域で、26日は御霊神社のおさらいになった。御霊神社・貴志の本殿 ご本殿 正面3間、側面2間の入母屋造り(同神社チラシより) 国指定重要文化財延文元年(1466)焼失、文明2年(1470)再建 応仁の乱(146年 始まる)で全国的に戦乱が波及して不安定な国情の中で再建されている。 その向拝上の蟇股(かえるまた)に種子キヤとその周りの彫り物がある2012.02.20撮影武庫川の対岸にある大原の大歳神社(1510年再建)の近くには大原城があり、貴志には貴志城があったとされているが、この地区の精神的な支えはこの御霊神社だっただろうが、お寺が栄えて神社もその傘下に収めた形が普及して長かったので、その形として本殿の向拝に種子のキヤ(十一面観音)が彫り込まれて今日まで残ることになった。具体的には、この神社の近くには金性院と呼ばれるお寺があり御霊神社の別当であったらしい。明治2年に廃寺になったので、今わそのかかわりを知る人はごくわずかなようです。◆ 〇境内から見た貴志御霊神社。昨年の秋祭りの写真ですが御霊神社の外観この日は久しぶりにご本殿のある敷地を訪れてご本殿を撮影した。ご本殿(身舎、ミヤと読むらしい)正面に彫り込まれている神仏習合の例が此処に見られる。種子(シュジ)の一つ、「キヤ 十一面観音」が彫り込まれている姿を撮影した。種子 キヤ 十一面観世音菩薩 または 十一面観音菩薩文字で示された種子のキヤ 十一面観音、(お借りした例です)。撮影した向拝に彫り込まれたキヤ(ピンボケですが)15世紀末頃にこのキヤに向かって信仰された方々がイメ-ジとして、仏像の十一面観音像を思い浮かべられたのか、この文字キヤですべてご理解されたのかわかりませんが、こんな小さな彫り物であっても”仏さま”として相当意識されたものと思われます。◆ 〇 ◎ さて:現在のわれわれにとって仏教の信仰対象の一つである「種子 シュジ」は、なかなか理解が出来ないものの一つです。墓地でお墓の後ろに建てる卒塔婆にこの種子が筆書きされているはずで意識すれば分かる。ともかくこの写真のような彫り物については馴染めないのが正直なところです。しかし、中世の社会では例えば:弥陀三尊種子板碑 アミダサンソンシュジイタヒ中央に阿弥陀如来を配し、脇侍として右に観音、左に勢至菩薩が彫り込まれている。元来、塔婆であることから種子を表す梵字が彫り込まれている(興福寺レポ-ト)三田市内では木器の興福寺に一尊(阿弥陀)種子板碑と共に存在する。興福寺の墓地にこの板碑2基が並んでみられる。可なり硬い石に彫り込まれているので、消滅しないので長く維持できている。ともかく貴族や武士、豪農などハイクラスの方々にとっては仏教が信仰の対象であり、死者を弔うために建てられ、今日に残っているらしい。また、平安時代、鎌倉、室町を経て戦国時代と次第に現代に近づくに従って、神仏習合が進み仏教が支配勢力になってきた中で、神社の建物に上の例のような種子の彫り物などを設けなくても、神仏習合の制度の中にある事がすべての人々に受け止めらるようになったものと思われます。この意味で、この御霊神社の種子キヤの彫刻は貴重な存在だと感じます。改めて貴志御霊神社の種子キヤの彫り物 上掲の筆書きの形とよく似ております。1470年建立の神社の向拝上の蟇股。今となっては地味な存在ですが、大変貴重な彫り物だと思われます。大昔から仏教の台頭に悩んだ神様やその信徒は、この種子キヤの彫り物は或いは悩みの種だったかもしれませんが、そこは別当である金性院が傍に存在するので複雑な気持ちで付き合って来た、それが歴史であった。◆ 〇 ◎「別 当」この神社で特に惹かれるのは上掲の種子キヤの彫り物と拝殿のある境内に設置されている灯篭を寄贈されたお寺、別当の寺「金性院」が担った別当の事です。 別当とは何か 別当寺とは ここでは別の場所にあったが、多くな神社の境内にあったらしい。 お寺と神社を結んだ別当の役割 特に現代に見られる市町村役場の役割を背負わされたお寺の仕事と住民の気持ちなど、どんどん疑問がわいてきます。ほとんどの方が別当の事はご存じないと思います。ここでも(この神社の別当であった)明治2年(1869年)この金性院(読み不明)が廃寺になり、(その情報は他のお寺へ収納されたらしい)その情報は不明。◆ 〇 ◎私は歴史が好きですからこんな中世の仏教的遺跡の事にも多いに興味がわき、ウオ-キングの観察事項として、野草や狛犬、鳥居など共に親しんでおりますが地元の方も普段このような遺物にあまり興味を示されないので遺跡の維持はなかなか難しいことだろう。◎ ◆ 〇次回までに日本における別当について、インタ-ネット検索などで別当、別当寺について調べて載せたい。
2016年01月30日
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1月24日(日)は大原の山裾にある集落が”いわゆる三田固有の民家”とされている妻入りの茅葺の家に鉄板などを被せた大きなお家が点在する中を歩き、大歳神社の狛犬ご報告や料亭”がんこ”が元々は大原家のお宅であったことについて考えてみた。参考までに最も三田らしい妻入りの民家の一例(裏側からの展望)神社の屋根に見られる鰹木らしい物が屋根に見られる民家。ちなみにこの鰹木のような屋根のおさえはすべてに付いているわけではない。東に向かって妻面(入口)が見られるがこの家は高い塀の裏側まで綺麗な仕上がりが分かるおまけに白壁の土蔵まで備わっている。又、旧福島村の歴史的な匂いなども考えながら歩いた事を書いてみた。◎ ◆ 〇ここからが1月24日の後半です。武庫川から青野川の土手まで歩き1時間2分経過し、そこから折り返して自宅へ向かったところで出合った物について触れてみたい。武庫川は今はあまり水もないし、渡り鳥もまだまだその姿が見えないので静かだった。平日だがジョギングしている男女とすれ違いながら上流へ歩く。夏や秋になると、鬼百合、キツネノカミソリ、メマツヨイグサ、オオマツヨイグサ、葛など花の観察を兼ねて歩ける絶好の環境になる地帯だ。福島川が武庫川に流れ込む所から上流に歩き支流の青野川の途中にオオマツヨイグサが生える土手があるのでそこまで歩いた。時計は1時間2分を示していた その途中にある上水用の取水用堰堤 (ここに浄水設備がある)「」この材料は何等かの繊維で出来た袋であり、取水の必要性が無くかつ水を円滑に下流へ流したらよい時には、その空気を抜くこともできる仕組みになっている。 余談ながら: 青野川にもこの堰堤があるが、大雨でダムの放流が必要な時には堰堤があるとその 水が土手を越えて氾濫する恐れも考えられる。 そんな場合にもこの繊維製堰堤は空気を抜いてしまう。 ぺしゃんこになって川底が見えると水位は一気に下がるだろう。 そんな可能性も秘めた許容性の高い堰堤がこの武庫川には多数設置されている。◆ 〇 ◎ 折り返し点と考えた青野川のオオマツヨイグサの自生地オオマツヨイグサの花2015.08.16の写真です。勿論今はこの花はないが、今夏もこの花が咲く青野川の土手まで通うことになるだろう。武庫川の中岸にもこの花の株が沢山あったが、昨年は大水で全部流されてしまった。この夏に鬼百合が武庫川の土手で繁殖出来たら、このオオマツヨイグサの花も復活を確かめに中岸まで下りる楽しみがでてくるが・・・・帰りがけに見た三田市民病院 いい場所に建っている。晴れているので綺麗に見える。元々は市内の天神町にあったはずだが。◆ 〇80歳にこだわることはないが、数年前を境にして歩くスピ-ドが衰えつつあり、嘆きのもとになっている。それで歩くスピ-ド回復を心掛けていて今日は途中からいくらか元気が出てきた。◆ 〇大原荘園町の豪壮な住宅の屋根に見る面白い鬼瓦魚の鬼瓦に近づいてみると、鯉ではないかもしれないがすごい迫力だ。魚が逆立ちしている。シャチ? わからない。そして、塀の上に置かれている恵比寿大黒天の置物、入口近い塀の両サイド。その一つこのような豪壮なお宅には、ほぼ全部と言ってよいほど立派な塀がめぐらされている。また白壁の倉庫が設置されている場合が多い。残念ながらこのお宅の方に出合う機会が無いので質問も出来ていないが屋根に置かれた瓦焼の「鬼瓦」。どうしてそれが鯉か、その他の魚であるのか。本当に残念ですが、今の所分かっておりません。昨年ゴ-ルデンウイ-クの「小樽と積丹半島」を親子で旅した時に小樽の街でこれに似た鬼瓦に遭遇。この小樽の鬼瓦は「サケ」かもしれない。丸々と太っていて魔除けではない?二棟に揃って乗っかっている珍しい風景で繁華街から路地へ抜ける屋根で発見。いっそ可愛い鬼瓦だ!◆ 〇元へ戻って、大原荘園町のお宅の魚の鬼瓦について:或いは、全国版でこの形式の狛犬が確立しているかもしれない。ここ5年か10年前からこのお宅の前を通過するたびに知りたいと思いながら探らなかったことを反省したい。◎ ◆ 〇大原荘園町に差し掛かったので出来るだけ急坂を選んで歩いたが、最後は松が丘小学校を通り過ぎて少し下り、そのくぼ地に溜池がある。キンクロハジロと呼ばれる鴨の群れ 右側の2羽はたぶん雌。20mあまり離れ、木陰から撮っているのに池の奥へ向かって逃げている。キンクロハジロのつがい2015.03.04 上の写真にも2組の雌雄がいるようです。池の面が見えた時にはすでにその集団は岸から奥地へ逃げ泳いでいる有様だった。とにかく警戒心が強いカモだ。12,700歩でざっと10kmかもしれない。 武庫川の下流を宝塚方面や神戸市との境から神戸市に踏み込んで歩きながら、その歴史と神社仏閣、狛犬 様々な鳥居や野草などに親しむ機会が減っているが、これからの歩きで武庫川の下流へも訪問が実現できれば面白い話が出来そうだ。◎ ◆ 〇
2016年01月28日
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この日も寒し結構風もあったが9時半ごろから2時間で帰宅と考えて、武庫川の上流へ向かい歩いた。結論を先に書くと12700歩、概算10kmだろう。◎ ◆19日ほどではないが風があるし寒いが、もっと寒いのがこの地域の気候の例なので、其の内慣れることだろう。大歳神社 大原の山すそ 割烹料亭”がんこ”の地続き1間社で兵庫県の重要文化財。 永禄3年(1510)再建の記録があり、古い歴史がある。謂れが示されている掲示板が境内の建てられており、創建の頃には有馬郡の北部はこの大歳神社が各集落に鎮座と伝えられている。ここはその中で残ったお社と思われる。阿形狛犬境内の狛犬はその設置の仕方として、この例の如く狛犬同士が向かい合う形と、参詣者に向かって顔を向ける様式があるとされている。吽形狛犬このように体が丸みを帯びている昔の狛犬が私は好きです。この狛犬も狛犬の研究家上杉千郷氏が示唆されている短足型―関西型」の1例で、三輪神社や篠山の春日神社、御霊神社のそれと同じ形かもしれない。神社に狛犬が普及したのはたぶん江戸時代からの事だろうが、その当時大阪の石工によりこの形が量産されたのかもしれない。狛犬の頭部いい横顔です。その尾部尾部この形で年代が分かるそうだ。明治40年(1907) 設置 三田の狛犬(三田市教育委員会 発行 上下あり、上巻38ペ-ジ)参照この尾部もその当時当時により流行がありそうだ。◎ ◆ 〇ここで割烹料亭”がんこ”の名前を出したのは、ここで写真は示さないがこの地方の豪農、地主の大原氏の邸宅跡をそのまま料亭の部屋として活用されていて大原氏の威勢がしのばれる。地名も大原一族の祖先がこの地方を領有したことで生まれたのかもしれない。そんな大きな屋敷が昔から在りその傍に神社が鎮座している雰囲気に気が付く。しかしながら、この地域には三田固有とされている妻入りの民家で、背の高い塀に囲まれたお宅が多いので、大きな大原家とその他の民家がどのような付き合いで暮らしてきたのか、その辺もこれから調べる楽しみが残されている。◎ ◆ここから歩いて左へ曲がりながら下ると5,600mで国道179号線の交差点にでる。渡るとロイヤルホ-ムセンタ-になる。ここは昔 神姫バスの駐車場だった。ホ-ムセンタ-へちょっと寄って、A4洋形封筒30枚ワンセットの価格を調べてから、三田工業団地へ向かった。この地方としてはかなり巨大な面積の団地で、様々な企業が進出していたが、ご多聞に漏れずさらに国内外へのジャンプがあり、現在では学校やパチンコ店、駐車場など様々な企業、団体が事業を営んでいる。葬儀を行う企業も進出でこれからも変化しそうだ。クロネコヤマトもここにあり、我が家もかなりの頻度で利用させてもらっている。ともかく今日はその工業団地の外側、山側を歩き、陸橋からJR新三田駅の構内から田んぼに出て右に曲がり、左に折れて(福島)大池川に出て左折し右折して上流に歩いた。◎ ◆ 〇突き止めてはいないが、この辺も三田九鬼藩が三代将軍家光公の命令で三重県から移封され入部した頃は一つの集落、例えば福島村と言った存在であり、いくつかのお寺と神社が存在したそうだ。それが九鬼藩の治世で、大部分が整理されたり、或いは統合されてその姿が失われてしまったそんな歴史が息づいている地域だそうだ。福島大池がこの上流にあり、その豊かな水が比較的平坦でかつ適度な流れが生まれるこの地域を豊かなものにした歴史の所産らしい。江戸時代は住民を統括するのにお寺さんを活用し、神社をその傘下に敷き、別当と言われる制度で統括した歴史がある。先述の大歳神社の掲示板にもこの福島にあるお寺が別当であったと明記している。住民にひそむ「神社がお寺に従うくやしさ」みたいな心理が示されたのがこの掲示板の言葉の意味ではないだろうか。「・・・・・当神社の別当は福島村の世応山普門寺であった・・・」江戸時代は神社のお祭りでも神主とお坊さんが並んでお祭りをするという習慣だったらしい◎ ◆ ともかく江戸時代は意外にも沢山の住人が旅をしたが、其の旅手形には必ず宗門を証明 する事が明記されていたが神社名などは無かった。 裏返すとその領内のいずれかのお寺さんに所属しない限り、一歩も外へ出られない仕組み で、住民を支配したらしい。(三田市高齢者大学で学んだ事)今は何事もないように見えますがそんな歴史がある地帯でした。◎ ◆ 〇あまりにも長くなったので、この日のウオ-キングのご報告はここまでで一先ず纏めたい。尚、このウオ-キングコ-スとは関係は無いが、九鬼藩が行った住民のへの統制の一つとしてお寺の整理集中がある。その名残が三田町にあり、数多くのお寺さんが細い路地を挟んで、或いは並んで今も存在している。勿論この政策は三田の九鬼藩だけの事ではなくて、全国でその例を見るようです。神社でもその例を免れることはできなかったかもしれません。◎ ◆ 〇
2016年01月25日
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長い間続いた暖冬が突然幕切れとなった感じで、この日は武庫川の上流から南東にある下流の方向に向けて冷たい強風が吹き荒れた。時として体が揺れ動いたが、しっかりと踏みしめて歩く内に何か元気が出てきた。我が家へ帰り着いた時には、満足した気分になったから我ながらおかしい。笑止千万ながら、最近マクロレンズによる野草などの撮影をマスタ-したい一心なので、この日も(半分ためらいながら)持ち歩いた。マクロレンズを用いて撮影して置いた百合、「トライアンファイタ-」の新芽年末から芽が出てここまで大きくなった。カサブランカの球根はまだ目を出していない。2015年の球根を掘りあげすそのまま鉢に残して、その結果がどうなるか様子を見ているその結果ですが4株から分球して8株になったらしいことが推定できる新芽の出方。今夏、この8株がどのように成長して花を咲かせるか、大いに興味があります。 トライアンファイタ-の花はこんな花 ファイブリッドリリ- 日本のユリの掛け合わせ。さて、少々風が吹いても、こんな新芽の撮影ではあまりミスが目立ちませんが、ウォ-キングで最初に狙ったホトケノザは強風で揺れ動いていて写真にならなかった。2016.01.15に練習した花「ホトケノザ」オオイヌノフグリと共に岸辺や畑にあって、緑の濃い葉っぱを従えて咲くこんな花の形が面白いが、この写真も含めていまいち。2016.01.15ともかくこの日の強風ではいかんともしがたいので、早々に諦めてこの日の進路、貴志の御霊神社へ向かった歩を進めた。貴志の御霊神社2015.10.11 秋の例祭の写真。布団太鼓、子供神輿、狛犬の全部見える。丘陵地帯で古墳もあるし、縄文人も弥生人も生き生きと暮らしたに違いない。この風の中でもマクロレンズのカメラで撮影できそうな狛犬に目を付けた。阿形狛犬阿形狛犬 反対側から見て足の長さなどを見た。吽形狛犬吽形の頭上角は無いが、やや盛り上がっているので形が良い頭。この吽形狛犬は、昔はこの頭上に角があったが、ある時から角無しになった。この吽形にも無いが、ややその頂が盛り上がっていることに興味を覚えた。この狛犬はその顔を形など大変おとなしい姿であるが、それもこの足が短い、小型の姿から短足の関西型と言えなくてもその流れかと思った。狛犬の研究家上杉千郷氏が「短足型―関西型」と命名して、その例としてご紹介された堺市: 菅原神社の狛犬 阿形狛犬 短足型―関西型の吽形 こうして上の御霊神社の狛犬を比べてみると、この堺の菅原神社の狛犬は、より 足が短いことが分かった。 従って、上杉千郷氏が命名された関西型と決めつけることはできないだろうが、 篠山市の春日神社の狛犬とは非常によく似ており、穏やかな全貌から関西の石工さん 好んで制作した1例かもしれないここでポケットの中に10円玉が1個あることを思い出した。先日のウオ-キングで路上にあった10円玉。この次に神社へ立ち寄ったら賽銭箱に投じようと思った事を思い出した。落とされた方の気持ちが生きれば幸いだろう.合掌。それから境内を下り貴志の田園地帯にある道路を歩きマックスバリュ-のお店へ歩を進めたここで2月13日に毎年例祭がある「五大力菩薩」の事を思い出した。五大力菩薩 板の像 伍大力菩薩と表現するのが正しいかもしれません。2月13日例祭の一端昨年はうっかりしてこの大祭に来れなかったが、今年は来たいと思っている。気持ちを強く持ちたい人の信仰の仕方に関して、この板の像を拝みお経をあげ、熱い灰の上を歩いて息災を祈るお気持ちに触れたい。ここから県道沿いで消防署の前にあるマックスバリュ-までは近い。買い物を済ませてからリュックザックの入れて、強風が強い武庫川を渡り大原荘園町に辿り着いた。この頃ちょっと目につく黄色い花 ”黄梅” モクセイ科ソケイ(ジャスミン)属カロライナジャスミンも花は似ているが、仲間ではないらしい。ここから我が友が丘町は一段と坂道なので頑張った。ちょうど母親が付き添ったお子さんたちが松が丘小学校から三々五々帰りつつあったのでお帰り…と声をかけたことだった。子供にはできるだけ声を掛けるようにしているが今日は特にしゅれ違う人がほとんど皆無なったから嬉しい。友が丘にある溜池では渡り鳥のカモが数羽泳いでいたキンクロハジロ「金黒羽白」だった。今年初見。ウイキペディアの写真 昨年春お借りした物です。虹彩が黄色いのが目立ちます。虹彩が黄色で黒い羽と風切り羽が白いところからこんな名前が付いたとか。今年も楽しく観察できそうだった。このキンクロハジロの写真も沢山撮影したし、其れなりに撮れているもののこの鳥はきわめて警戒心が強いカモらしい。相当遠い場所から三脚に乗せたカメラで撮っても大体ご紹介の写真のようにはいかない。キンクロハジロの名前のキンは金で虹彩が黄色を意味しているようですが、ぶれるとこの虹彩が見えにくい。その点この写真はお見事。同じカモ類でも羽毛が白と黒というのはこのカモだけのようでうすから虹彩の色までこだわる必要は無さそうですが・・・◎ ◆ 〇20日、21日と寒い日が続いていてこれからしばらく寒い日が居座っているか。21日も自転車で強風の中、買い物を兼ねてホ-ムセンタ-とドンキホ-テへと漕ぎまわり急坂を駆け上がって足腰の鍛錬の足しを心掛けた。
2016年01月20日
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先日、新聞の記事か広告にてアレルギ-で苦しんでいる人を対象にした睡眠時にノドの湿度を保つマスクの販売情報に接した。一度普通のマスクに湿したありあわせの紙を示した物を添えて就寝時にテストしてみたらある程度咽喉(ノド)が楽に感じたのでこの情報の商品をテストする気になった。アレルギ-でノドに悩みの在る方向き?13日よると14日夜,さらに続けてこのマスクをして寝てみた。残念ながらそのまま朝まで保持出来ていないが、夜中に気が付いたら再びあてがって続けた。今回購入したマスクは3枚入り小箱で、毎日交換が求められている。保湿が対象であり、他の薬用効果は無いが、私が5,6年前から急速に鼻炎アレルギ-が悪化したのに病院からもらっている薬ではノドの苦しさは改善されなかったので、特に空気が乾燥する冬季にこのような濡れマスクにより就寝時の咽喉が保護されれば苦しさが減殺されるのでは無いかと期待しております。◎ ◆ 〇ウォ-キングのコースは大まかに言って4コ-スあって、その一つが今回も歩き回った市役所前から三田大橋経由で県道を武庫川に沿って上流に向かい瀬戸橋のある三田工業団地当たりまで歩き、ここから右折して国道筋をさらに右折して家庭菜園などから自宅に戻るコ-スを正月以来歩いている。その前に、道路三輪~後川線沿いの歩いて下り、この日に最初に撮るきになった植木最近2回目の撮影ですが、この実の色に見合う撮影の試みだった。マクロレンズでこの始末。更に歩いて市役所から三田大橋に至る。その手前左側にあるマ-ケット ”タチブキ”その入り口に置いてる野菜が目についた。徳島産の大根で、カブではなかった。桜島大根とも違うが、青首宮重大根などの如き長細いタイプではなくて、丸くて太いので驚いた。この日1回だけの接触だからいい加減な感想ですが国道沿いに昨年オ-プンしたドンキホ-テに似た商品の展開ながら、ここは店外の軒先にまでこうして野菜やその他の商品が所狭しと繰り広げられているのが独特の売り方かもしれない。ともかく、店内も所せましと商品が並んでいて親しみやすい展開だった。昔から在るマ-ケットが発展して今日まで続いているのだろうか。県道沿いに歩く。この県道沿いには左側に建立有馬高校がある。午前中のある時間、このグランドでは男女の学生さんがランニング中で、先生かコーチがストップウオッチを持って激励していた。見るともなく見ながら歩いていると、同じように走っていても早い子と遅い子が目につく。だいたい遅い子は状態が前のめりになり、早い子は上体が膝の上の乗っている感じでうまく体重の移動が出来て早いのかもしれない・・・など思い付きを考えながら歩いた。昨年この歩道のこの場所でキキョウ科の植物で、かつキキョウソウ(ダンダンギキョウソウ)の仲間でもある「ヒナキキョウソウ」を偶然見つけて毎日うおーぉ-キングを重ねてこのヒナキキョウソウの写真を撮りまくった。 ヒナキキョウソウの雌性期 柱頭が開いて他の花の花粉を受け入れ完了か。 この野草にも閉鎖花が沢山あり、沢山の種がそれからも生まれて放出されている。キキョウソウの株と花はこのヒナキキョウソウにかなり似ているが、開花時期が異なり又、株における花の付き方、閉鎖花の在り方など微妙に差異がある点も楽しく遊ばせてもらった。排気ガスと騒音にまみれたこの道路際でもこうした営みが見られました当然今年もこの県道を歩き、三田市の消防署のある所まで繰り返し歩くことになるだろう。花壇の花ですが、たしかタツタナデシコとよばれるかなり印象の変わったナデシコも県道沿いのある病院前の花壇で出合っている。別名がサクラナデシコ、ジョウカセキチクとありました。ナデシコ科又。これも旧聞に属する花ですが、花壇の花が逸失して、かなりきわどい繁殖を遂げていると思われるナデシコの仲間にも出合いましたから今年はこれももう少しはっきりと撮って置きたい。ナデシコ科の花武庫川の中岸にもこの花が逸失していて咲いておりますし、その名前も調べておりましたが、次々に開く花のシ-ズンになるとブログに乗せる機会が去っておりました。今年も当然この県道を度々通過するので、より観察してみたい。◎ ◆ 〇
2016年01月15日
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はじめに:今年の干支は「丙申」ヘイシンとも「ひのえさる」とも読まれる。 早見表 : 一つの干支の組み合わせは60年で1回転するところから。 2016÷60=33 残り36 60×33回転=1980年 2016-1980=36年 干支の組み合わせ表36番目 ヘイシン、丙申 ひのえさる。因みに甲子園野球場が出来た1924年甲子(きのえね)は西暦年表と干支のからみからやはり4番目に相当しています。大正13年甲子の年に発足したから「甲子園」ウム・・・・・そうか、わかったとなる。尚、12支を動物に例えたのは、もちろん中国ですが後漢の時代とか、庶民が覚えやすくする狙いとか、言われているらしい。さてさて11日(月)祭日でお休みの街へウォ-キングで出かけた。出だしの写真は、「斑入り青木」の赤い実全て揃って赤くなるのが待ち遠しい。家を出てから1.5km余り歩いた所、三輪交差点が近い歩道からとあるビルの入り口にこの赤い実が目立った。濃い緑と対照的な赤い実がこの植木の魅力であろうか。今頃赤い実と言えばモチノキ(例えば黒鉄黐など)が多いがこの植木も黐の木だろうか?国道176号線三輪交差点の手前ツルニチニチソウの花今時咲くのが珍しい、やはり暖冬のせいか。三輪の交差点を過ぎて三田市役所の新しい建物の前から右折して武庫川方面へ向かう。歩きながら気が付いた。今日は成人式の日だから郷の音ホ-ルに若者があるまっているかもしれない。行ってみよう。市役所前交差点から5乃至600m ぐらいで郷の音ホ-ルに至る。その手前から着飾った若者たちに出合い、おめでとうと声をかけた。郷の音ホ-ル入り口付近郷の音ホ-ルの前を走る道路を歩きながら、若者の興奮を楽しませてもらった。 私の成人式は1955年昭和30年でしたが、式典があったのかどうか? 大学の2年生で、この年には中学校の同窓会も行われたが、子連れもいたような気が する。60年前だし敗戦の昭和20年から10年目で今のような華々しい雰囲気は無かった と思う。 そんな事を考えながら武庫川の左土手を上流の瀬戸橋に向かって歩いた。◎ ◆ 〇武庫川の左岸にて :アワダチソウの綿毛もぐさの材料になるかもしれない? と思ったこともありました。このアワダチソウの花から生まれた綿帽子は、もちろんアメリカ渡来の野草であり、ふとんの中に詰めた蒲の穂とは何ら関連はありませんが、フト連想しました。ふとんを蒲団と書くのは、昔蒲の穂を集めて布団に詰めたところからであり、今でも蒲団と書かれるかもしれません。今では昔の歴史的遺産の話で、この地方でも蒲の穂を見る機会もないが、この武庫川の左右の土手にはアワダチソウが絨毯を敷いたという表現が似合うくらい沢山咲くので、この綿毛を丹念に集めたら布団が出来るかもしれないなど、無根拠ながら想像しながら歩いた。◎ ◆大原の里 :ビワの花ヤツデの花、オオイヌノフグリ、ホトケノザなどと同様に、一般的な花のシーズンである春から夏、秋のシーズンを避けて、冬に咲くので独特の寂しさが感じられる花です。当地はビワの産地でも無いので、6月麦秋の頃ビワの実が成熟して食べごろを迎えてもこの地方で見る機会はあまりありませんが植木としてそこそこあります。わが家のビワの木で今年実が成熟したら、頑張ってその実を撮影してみたい。◎ ◆
2016年01月12日
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今回、久しぶりに出合った「カロライナジャスミン」の花は、黄色くて鮮明な花ですが、ジャスミンはお茶などで飲用されるのに反して、これは毒草なのでくれぐれもご用心、ご用心。それが鉢植えとは言えある病院の庭先に他の鉢と共に並べられていた。 カロライナジャスミンの花 2014.04.21 撮影一瞬、エッとなったが、歩いている内に家の庭やその辺でこの時期に普通にみられる水仙が毒草であり、これまた庭に勝手に広がりやすいニラの収穫時に誤って食べて大騒ぎを引き起こしやすい・・・その普及の度合いを考えても誤ってこのカロライナジャスミンの葉などを飲用する機会は極めて乏しいだろうとの考えに行きつき、安堵して歩いた事だった。1. 市役所の塀(石垣、頂上の真ん中は花壇だが・・・) 見知らない野草と花 2015.12.07 その茎と花 全体 こうしてみると食べることが出来そうな草ですね。 (1)この野草の名前もなかなか辿り着きそうにないが、数が多い。 (2)ヒルガオや野菜にもなるなどこの市役所の塀の上は、私にとって 結構魅力的な場所でもあります。2. 三田大橋を渡って県道を右に曲がり篠山方向に向かう。 坂井産婦人科と県道の間に花壇と鉢物が並んでいる。今回は少し建物の真下、鉢物 まで回り込んでみた。 ホソバヒイラギナンテン 実と葉 その実 接近して見る。 その花 ※ 細葉柊南天(ホソバヒイラギナンテン)の仲間として、ヒイラギナンテンや テンチョウサキヒイラギナンテン(天頂咲柊南天)、支那柊などがあると思われ ます。その名前の元になっているヒイラギ(柊)もあります。 時期的には、今、天頂咲柊南天(テンチョウサキヒイラギナンテン)の花が 咲いておりますので、この仲間については別項で見てみたい。 ともかく、通りがかりの人はその葉に隠れている花と実はあまりお気づきにならない と思いますが、愛好者も多いと思われる。 ◆ 〇 この交差点からしばらく歩いた時、道の右側で見た花と花 カロライナジャスミン その花 ジャスミンという名前が付属しているが、ジャスミンとは科名が異なり、しかも 毒があるのでくれぐれも誤って飲用に用いないでください・・・と言う代物。 花の横から見ると: 名前の通りアメリカのカロライナ州などの原産らしい。三田では2例目。 この鉢に並んで見えた花 : 名前不明の鉢 いわくがありそうでもあり、結構有名だろうが不勉強で名前がわかりません。 万両の鉢 この仲間には、千両、百両、十両と呼ばれる植木が市内でも見られる。 私の写真書庫では埋もれて発掘不能かもしれないが、この三田へ移住の頃は雪が 多かったので、雪の白と万両の実の赤 綺麗です。 万両は実が頂上の葉の下につくので雪景色が生える絶好の写真材料の感じだ。作成中に公開してしまったらしくて、お恥ずかしい次第ですが今回はここまでとしてこの続きは別の項で書き綴りたい。
2015年12月12日
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