2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全6件 (6件中 1-6件目)
1

千葉市に幕張という土地がある結構全国的にも有名だと思います。幕張メッセ、千葉マリンスタジアム、高層ホテル群高層オフィスビル群幕張と聞いて、思い浮かべるのは列記したように「海浜幕張」しかし本当の幕張とは海浜幕張から内陸へ行ったJR幕張駅付近が幕張と言われている土地です。古くは江戸時代、八代将軍吉宗に命ぜられた青木昆陽さんが幕張の地でさつまいもの栽培を成功させ、その後の飢饉で沢山の人々を救ったという事でJR幕張駅と隣接している京成幕張駅の近くには青木昆陽さんが祭られている、昆陽神社がある。昔は国道14号線から先は海だったそうである。稲毛の14号線近くにある定食屋は大広間みたくなっていて食事が終わったらそこで寝てもいいようなシステムになっているかっては海の家だったそうである。海岸が埋め立てられ海の家が海岸から3km位離れた場所に取り残されている。海浜幕張の新都心も出来たのもここ15年位の話で昔は本当に何もなくて、開通したばかりの橋でナンパするかゼロヨンするか位の場所でした。ここ10年は海浜幕張に遅れをとっていた古くからの幕張町しかし最近は昭和の建物をリノベーションし若い感性で商売をはじめる若者が多くなってきた。私の10年来の友人が昨年スペインバルをオープンさせた大工さんと二人で手作りで10坪程の小さい店をオープンさせた。そうすると、瞬く間にそこでがんばっている飲食店オーナーコミュニティが出来た。古くからの幕張町を盛り上げていこうと言う事で町内会ではないが仲間内で話が盛り上がり、各店舗共通のアイテムを作った。アド街っく天国の薬丸印で紹介されそうだが幕張町ライター参加した店舗が書かれています。都市部の飲食店は同じテナントビルでもだれがオーナーかわからなかったり、階下では看板の場所を巡って店同士が喧嘩したりもめてる話を聞きますが、ここではみんなが街を良くしょう、盛り上げようという大変良い流れがある。前にブログで裏幕とかいって裏幕張が盛り上がると言っていたが今千葉で勢いのある飲食店オーナーは幕張町の物件狙ってます。
2007.03.30
コメント(2)
先日つけ麺の元祖 東池袋大勝軒が閉店した。1軒のラーメン店の閉店に徹夜組を含め最後の400杯を目指して長蛇の列を作るそれを取材するマスコミの報道もすごくてワイドショーではかなりの時間を割いて放送していたのを見て改めて飲食店のすごさを思い知らされた。その当時は今ほど飲食店に対して興味があったわけではないので知らないが日本を代表する高級フレンチ、帝国ホテルのフォンテンブローが幕を閉じた時はこんなに人々に惜しまれたであろうか?推測ですが一部の人々にしか受け入れられなかった為、閉店に追い込まれたのではないか?ラーメン屋とフレンチを比べるのもなにかと思いますがお客様を料理でもてなすという点ではどちらもかわらないのではないかつけ麺の元祖で今やつけ麺は日本全国大抵のお店がふつう盛でも麺が多いのは最初に山岸さんがたくさん食べて欲しい、お客様を喜ばせたいという気持ちからだと思う飲食店とは本来そのようなものでいつからか外食産業と呼ばれ、そういう心のようなものを忘れてしまっているのかもしれない。山岸さんには100名を越えるお弟子さんがいるそうである。その期間が重要か短い期間でも濃密な修行をすれば問題ないと思うが1年いなかった人でも大勝軒ののれんを出すことが出来る驚くことに加盟金・のれん代・ロイヤリティは一切ないそうであるまさに山岸氏の人柄であるだからお客様に愛される多分ロイヤリティをとったり私腹を肥やすような事をしていたら大勝軒本社という大きなビルが建っていたかもしれないでも大きなビルが建っていたら、のれんの灯を消すときにこんなにも大勢のお客様に惜しまれながら閉店することはなかったと思う。閉店の日、通勤で通る「千葉大勝軒」は夜通ると電気が消えていた多分ここのマスターは東池袋大勝軒を手伝いに行っていたのだと思う。ここの大勝軒は僕も大好きでよく通っているが、山岸さんの遺伝子をしっかり受け継いでいると思う。その週の休日、店の前を通るとここも長蛇の列TVの影響でしょう。お客さんを喜ばせたい、人を喜ばせたいシンプルだけど出来ていない飲食店って多い気がします。自分自身も自分の周りの人々に喜んで頂けるよう生活できているか自分の働きは誰かの役に立ち、喜ばれているだろうかそこに哲学や理念があるだろうか、色々考えさせられた。前職で16年間お世話になった会社で「恩返しの達人は常に繁栄の芽を出し続ける」と教わったが最近いろいろ考えることが多い日々を送っています。
2007.03.28
コメント(4)
僕には沢山の友人・知人がいるあまり付き合った年数は関係ないみたいで、案外短期間で深い付き合いになってしまう。そんな仲間からは色々吸収したり刺激を受ける事が多いここ1、2年は仕事の内容が変わったからかもしれないが新たな交友関係が加速度を増して広がってきている。もちろんこのブログからという関係も大きいそんな中でも同い年だけどすごく尊敬できるドリーマーズ株式会社の中村社長と知り合えた事は大きい、創業して間もなく知り合った時はまだローカル店舗のオーナーでしたが年内には50店舗位までには行ってしまう勢いだそしてその中でお知り合いになったFCオーナーの皆さんとのご縁も貴重だ最近知り合った仲間の中で異色なのはこのブログにもリンクしてもらっている助川富雄この男との出会いもおもしろいブログでまだ4店舗しかない頃の串屋横丁の事をブログで紹介したら、すごく早い決断でFC加盟し鬼のような修行を経て店舗のオーナーになってしまった最近知ったのだが小学校六年生の時に競輪選手になることを心がけ独自のトレーニングをして多感な思春期に身辺調査があると言う事でというか元々やる気がなかったかもしれないがやんちゃな事もぜず、黙々と己の夢に向かい、そして競輪選手になった。僕の友人も競艇選手の訓練生で山中湖まで行ったがその後、帰ってきたのは学生時代のやんちゃが影響していたのかも、坊主頭で日の丸が入っていて世界は一家人類は兄弟と刺繍されているジャージを一家ジャージというんだと説明してくれた事を思い出した。話がそれてしまったが、そんな僕の大切な仲間、助さんを支えてくれたスタッフの侑太君が先週、上福岡駅前の串屋横丁を卒業していった。はじめて会ったときは、むつみや東松山店に行った時でした。僕と助さんが話しているとき丁度まかないの時間だったんだけどよく食べて元気だなって思っていた。助さんが串屋横丁に加盟する為、埼玉と千葉の二重生活に入った時も中心メンバーとして店を支えていた。上福岡駅前の串屋横丁のスタッフとしてオープニングメンバーに選ばれた時、多分はじめて行ったであろう千葉県の茂原市というところで泊りがけで研修に行っていった。助川富雄と言う男は熱い男であるが、どうやら不器用なようだ侑太君を厳しく育てたそんな侑太君が店を去っていったとき助さんのロッカーに便箋4枚にびっしり手紙を書き残していったそうである。それは4年にわたる助さんとの付き合いでの思い出話毎日辞めようと思っていた事すごく厳しい指導でも、そんなやりすぎとも思える愛情溢れる指導で自分が確実に変わっていった事や感謝、助川さんを好きだと僕は助さんのブログを読んでいて短い期間だったけど、頑張っている侑太君を知っているのでちょっとうるうる来てしまった。助さんとの4年間は社会人として巣立つ前の最高の修行の場だったはず。助さんも感謝しているはずなのにこれといった言葉もかけず、送り出し手紙を読んで感動しているのに、メールで誤字が多いと送信してしまうそんな不器用な男、助川富雄でも彼らの師弟愛はぼくなんか想像が出来ない位深い侑太君の最終日は常連さんからの花束とプレゼント攻勢だったそうである。飲食店のお客さんと店、そしてそこで働くスタッフの絆の深さに感動ほんと飲食店っていいですよね池袋大勝軒の閉店日に400名のお客さんが前日から長蛇の列を作ったりまた話それましたがもう上福岡の串屋横丁で彼のやんちゃそうな笑顔に会えないのは寂しい気もするが大阪に行くことがあったら一緒に飲みたいななんか最近、自分も色々考えている事があるんですが仲間からそして仲間の仲間から本当に色んな刺激を受けている。侑太君おつかれさまでした。ご活躍をお祈りします。
2007.03.26
コメント(2)

最近、車で走っていると若葉マークを付けた車をよく目にする。今から20年前は僕も若葉マークを付けて走っていました。基本的に車は大好きで、高校生の頃から仲間で集まると結構、車の話題になって誕生日の早い奴とかは、もう免許持ってる奴とかいて車も持ってて富士スピードウェイで当時やってたグランチャンピオンシップ通称グラチャン観戦に改造車で行くのが当時の流行で僕も仲間や先輩の車で土曜日の夜に行くんだけど富士スピードウェイまでたどり着けなくて、警察に帰されたりしてました。海老名サービスエリアで先輩の430セドリックの竹やりマフラーを糸ノコで切らされたり今にして思えば、バカらしくもいい思い出です。18歳の僕は免許取得できたのが嬉しくて暇さえあれば仲間とつるんで走りに行ったり一人で横浜のほうまでドライブに行ったり、ただ運転しているだけで楽しくて今でも車を運転するのは好きなんだけど、当時のわくわく感ってないですね。18で不慣れな2tトラックに乗って運転技術を磨き朝早くから夜遅くまで働いて、仕事が終わってから、お気に入りの車でカーステガンガンかけながら買える。そんなんが好きでした。免許とってすぐは姉のスターレットを借りてその後自分の車としてアウディを買いました。アウディクレスタスーパールーセントハイエース(レーシングカート積載用)スカイライン2000GT改ワゴンRセドリック3000ターボシボレーアストロハイルーフ(現在)印象に残っているのはクレスタとスカGクレスタは高校の頃から乗りたくて、当時はハイソカーブームといってマーク2、クレスタ、チェイサーのマーク2、3兄弟が人気でした。職場でも、その3車種の占有率が非常に高くて、みんな白ばかりでスーパーホワイトでした。当時乗っていた車の写真があまり残ってなくて、自分の乗っている車の写真を撮ると事故るというような迷信が伝えられていて、今見たく携帯電話のカメラなんかあれば結構気軽に撮影できたしデジカメやパソコンなんてない時代でしたからそれでもクレスタとスカGは超~気に入っていたので少し写真が残っていました。矢沢さんのコンサートに行く前、後輩の作ったカッティングシートを貼って矢沢さんの横顔の自作カッティングシートこのハコスカHTは自慢の車でした。ソレ・タコ・デュアルという三種の神器(ソレックス・タコ足・デュアルマフラー)エアコンがなくて夏は暑くて冬は寒い車でしたが最高に楽しかったです。なんかマニアックですが当時の車雑誌らしく紹介すると46年式スカイラインGT改L20エンジン換装L28、ソレックス、タコアシ。38Φデュアルマフラー軽量フライホイール、メタルクラッチ、ジャパン用5速ミッション換装ストラトタワーバー、足回りコニー、タナベ強化サス、F185-60-14R235-60-14 ホイールはRSワタナベ排気音と加速と操る楽しさがあった最高の1台でした。いつかもう一度チャンスがあったら手にしたいです。
2007.03.18
コメント(6)

今週は食の世界の住人にとって大切なイベントフーデックスとホテレスがありました。大切なリンク仲間のKfさんと接点が出来たのも2年前このイベントに行ったことを書きこんでから今年も行って来ました2日にわけて僕の今の立ち居地としては、バイヤーでもないし会場に行って今の食の風潮やこれからきそうなものを肌で感じる1年に1度のイベント今回は14日(水)にホテレスへこちらはモノというより食品機械や厨房機器といったコトの展示食器も凄い数でみるのも大変サンプルのイワサキビーアイホテレス会場で感じたのは、昨年、一昨年と厨房機器の展示のほうに展示されていたコーヒーマシンやエスプレッソマシンが別の場所に展示され展示ブースの数がやたら多い、喫茶店が斜陽産業として死語となり、それに変わりドトールなどの低価格FFスタイルコーヒーショップの台頭とスタバに代表されるシアトル系カフェそして、大人カフェなど次々と変化してきましたがここにきて又カフェの重要性やドリンクバーやファーストフードの本格的コーヒーの提供など、ますますコーヒーマシンの必要性や重要性が高まってきているのだと感じました。本日16日はフーデックス最終日へこれと言った真新しさはなかったものの各国のブースを周り、韓国ブースの大きさが気になりました。食の世界の韓流はますます広まるのか?スペインは立ち飲みのスペインバルブームなどの影響か人気があったように思いました。ハモンセラーノめちゃくちゃ多かったです。まだまだスペインブーム続きそうですねあとベルギービール、これも展示が多かったです。引き続き人気でしょうね。なんかざっとですが、そんな事を感じました。
2007.03.16
コメント(4)

またまた久しぶりの更新になってしまいました。今週はかねてから懸案になっていた、うちの本家のHPをリニューアルというかほとんど1から作り直す作業と平行して、色んな案件がありました。飲食店のメニュー変更に伴う、試食会と写真撮影が月と水曜日の夜食事が出来て、色々言いたい事も言える素敵な作業なんですけどね。そして6日火曜日の夜は埼玉遠征助川さんが経営する上福岡駅前の串屋横丁へ串屋横丁を展開するドリーマーズ株式会社の僕の尊敬する中村社長と3人で飲みました。最初串屋横丁で、中村さんと色々語っていると熱いんですね、新しいお店のファサードを紙ナプキンに書いてくれて熱く説明してくれたり、そして助川さんもシフトを終え合流し場所を上福岡の反対方向の駅の出口にある江戸切そば英さんへ、すごくいいお店です。料理もおいしいし、中村社長とも、わかるよね店主の本気さと話しました。やっぱ店っていい店悪い店よく分かりますね。ここは近くにいったら、また確実に行きたい店のひとつですね。でも上福岡で助川さんが串屋横丁開店して今日でまる1年、移動している時、街の人々が助川さんに声をかけ、挨拶します。地域に愛されているのが自分の事のように嬉しかった。助川さん、大変な一年だったと思います。開店一周年おめでとうございます。1年間、私のデスクマットにはさんであった、開店の時のレシート凄く楽しい一夜を過ごし、移動オフィス「シボレーアストロHR」のセカンドシートを回転させ、三列目シートを電動フルフラットでベットにすると180cm近くある、僕もゆったり足を伸ばし寝ることが出来ます。翌朝、6時起床、川越街道を南下、都心を目指します。丁度、通勤ラッシュで混みましたが、板橋を越えたあたりから順調に池袋、後楽園を抜け、靖国通りを南下14号で千葉へ、スーパー銭湯でもと思いましたが11時からと言う事で思惑が外れ事務所に入りました。今度は11時半にスペインバルを経営する古くからのオーナーとランチにの約束をしていたのでピックアップこれまた僕の10年以上からのお付き合いのオーナーが経営するイタリアンOreajiひび野店へ残念ながらオーナー不在でしたが、店内はウェイティングが出っ放しの大繁盛出会ったときは、まだライバルメーカーの商品を使っていて10坪位しかない店だけど、人気店で非常扉みたいなドアを開けるとすぐ調理台があって、オーナーと当時いらした料理人さん二人が立っていたら、そこを移動できないような狭い厨房でがんばってらっしゃいました。思い出に残っているのはoreaji打瀬店のオープン後、夜、訪問すると時間ある?と聞かれベンツで建設中のビルの1階に建築事務所でヘルメットを借りて入っていって、ここの物件どう思う?松崎さんがやるなといえば、やらないと言われプレッシャーを感じつつGOでしょと言った事が思い出されます。そんな単なる物件だったところに素晴らしい店ができ活気が湧き人の笑顔があふれます。なかには「お子様お断り」みたいな店もありますが、ここはおしゃれなんだけど堅苦しくなくて、好きです。テラスは犬もOK!高感度な女性のお客様が多い、この層に受けていると言う事は成功している証だと思う。料理も、おいしくて感動します。ピザは石釜で焼きます。こういう前菜はなんか「ぐっ」ときます。超うまかった「定番小海老とバジリコのスパゲティ トマトクリームソース」ノルウェイ産ムール貝と法連草のリゾット これも味がしっかりしてます。うまさにぶったまげたクレームブリュレカプチーノ大満足のランチでピザを抜かしたコースで一人1350円(プリフィックス)値ごろ感ばっちりそして昨日木曜日はサーバーの日本一を決める「S1グランプリ」に行く為、都内へ昼にくるみ屋Diningへ うちの本家ホームページに登場して頂いてます。おいしい料理を食べながら情報交換&軽口を叩いて帰ってきました。京王井の頭線で渋谷に出て一時間位余裕があったので恵比寿まで歩く事に色んな飲食店をみたりすると楽しいです。S1グランプリって日本一のサーバーを決める大会なんだけど全国から選ばれた5名のファイナリストの面々が実際にあったエピソードとかをロールプレイで壇上で再現したりして日頃のサービスを競うものです。皆さん笑顔と最高のサービス、こういうのを見ると、この業界いいなぁ~って素直に思いますね。サービスは人間力裏で舌だすようなサービスはお客さん確実に見抜くしメッキははがれますねみなさん輝けるサービスでした。協賛企業CMのサッポロビールさんのコピーが気に入ったんですね「ないものは作るしかない」投資ファンドに負けるな!がんばれ!サッポロビールブースで生ビールご馳走になりホロ酔い加減で外に出ると、すっかり暗くなっていました。帰りに特急に乗って崎陽軒のシュウマイ弁当、これなんでこんなにうまいんだろう!この間、食べた串屋横丁のまかない丼もうまかったなぁ~食の仕事で本当に良かった(笑)
2007.03.09
コメント(2)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


