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今月の鳥写真はたいしてありません。毎週東京港野鳥公園か葛西臨海公園に行って、ほとんど鳥は撮れずに笛練習だけして(東京港野鳥公園の場合は、笛練習は近くの城南島海浜公園など)帰ってきています。8月10日東京港野鳥公園キアシシギシギ・チドリの秋の渡りシーズンが始まっています。もっともよく見るシギですが。コチドリ。東京港野鳥公園内で繁殖したのでしょうか。親子らしき数羽がいました。他の多くのシギ・チドリは日本では旅鳥か冬鳥ですが、コチドリは数少ない夏鳥、つまり日本で繁殖して冬は南方に去るチドリです。8月18日三番瀬海浜公園東京港野鳥公園にシギが渡ってきているなら、ここにも絶対にいるだろうと思って行ってみました。またキアシシギメダイチドリメダイチドリメダイチドリ左ソリハシシギ、右キアシシギメダイチドリオオソリハシシギオオソリハシシギ腹の黒い3羽はダイゼン。手前で向こうを向いている2羽はミユビシギ中央ミユビシギ、左端がダイゼンシギ・チドリはいましたが、正直あまり多くはありませんでした。チュウシャクシギも来ているようですが、この日は見られませんでした。8月24日カワセミカワセミ正直に言いますと、ヤマセミがいるかなと思って行ったのです。しかし、ヤマセミには会えずにカワセミにあいました。(私が着く直前にヤマセミも出たようですが、出るまでずっと待つのは夕立の可能性と笛練習も考えて断念)というわけで、定番の鳥しか撮っていない8月でした。
2024.08.31
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兵庫・斎藤知事 最後までパワハラ認めず「百条委員会とか第三者委員会が判定するもの」兵庫県の斎藤元彦知事が30日午後、職員らへのパワハラの疑いなどをを告発する文書をめぐり、同県議会の調査特別委員会(百条委員会)に初めて出席し、証人尋問を受けた。証人尋問では、告発文書や職員らへのアンケートで数多く指摘されているパワハラ疑惑について回答した。昨年11月、県立考古学博物館を訪れた際、公用車を降りた後、約20メートル歩かされたことで職員を叱責したという疑いや、片山安孝・前副知事に物を投げつけた問題、さらに深夜に及ぶチャットでの公務指示の問題などについて厳しい質問が飛んだ。片山氏に投げつけられたものについて、質問者からは「5センチ角で厚さ1ミリ未満の付せん」であるとの証言が紹介された。しかし、斎藤知事は、手元のメモを見ながら「片山(前)副知事に向かってではなく、机に向かって投げられた。付せんは1枚の付せんです」と否定した。また斎藤知事は、投げた原因について、片山氏らの仕事上の伝達ミスがあったことを指摘した。「重要な仕事だったのに、伝達内容を忘れていたということに、残念だという思いがあったので注意した」とし、「付せんを手に持ちながら話を聞いていたが、大変残念な状況がある中で、思わず卓上に向けて放り投げた」と釈明。「パーティションかディスプレーが(投げた先に)あった。真正面に向けて投げたので、片山副知事に投げたわけではなくて、当たったわけでもない」とも訴えた。数々のパワハラ疑惑の指摘に対し、「不快に思われたのであればお詫びしたい」と、紋切り型の謝罪で押し切ろうとした斎藤知事。質問者から強い口調で「知事、ここはパワハラを認めて反省するということではないんですか?」と問い詰められても、「パワハラかどうかは私が判定するというより、百条委員会とか第三者委員会が判定するものだと思う。私は自分が行った行為で不快に思われた人がいるならお詫びしたいと思います」とかわした。結局、最後までパワハラを認めることはなかった。(以下略)---以前にも取り上げた話ですが、パワハラ人間は、自分がパワハラをしている、なんて自覚はないからこそパワハラに走るわけですが、それにしても狂っていると言わざるを得ません。「ものを投げつけた」という批判に対して、「副知事に対してではなく机に向かって投げた」という弁解が、弁解として成り立ち得ると思っているのですから、「語るに落ちた」としか言いようがありません。「仕事上の伝達ミス」に対して、誰かに向かって直接ものを投げつけなければ、「机に向かって」ものを投げつける姿を見せつけることがパワハラという認識がないのだから、この人の脳内では、何事もパワハラではないのでしょう。そのことに加えて、各所で贈答品を要求、せしめた贈答品はぜんぶ独り占めして自宅に持ち帰り、周囲に分けたりはしない、また、儀礼の範囲では済まないような高額な贈答品の要求(40万円の革ジャンなど、そこまで来たら贈賄要求のレベルでしょう)など、一言で言ってあまりに「俗物」の極みであること、阪神とオリックスの優勝パレードのための寄付が集まらず、地元の信用金庫に補助金を増額してその一部を寄付金としてキックバックされた疑惑(この実務を担った課長が自殺に追い込まれています)など、パワハラ以外にも「ごめんなさい」では済まないような問題がいくつもあります。にもかかわらず、知事は辞任をかたくなに拒否しているのが現状です。斎藤知事の任期は来年7月ということです。これから更に1年近く、その地位にしがみつき続けるのでしょうか。もはや知事の求心力など無きに等しく、政治的には死に体ですが、それでも知事という地位に居座り続けることが、そんなに大事なのですね。そして、斎藤知事は自民党と維新の会の推薦で当選したわけですが、自民党は元々一枚岩で斎藤を支援したわけではないこともありますが、早々に「反斎藤」な舵を切って百条委員会の設置など斎藤を追及していますが、維新はこの期に及んでなお、斎藤擁護の姿勢です。大阪以外で初めて推薦知事が当選したのが斎藤だからでしょう。それに、はっきり言ってしまえば、維新の馬場とか足立を見ていると、同じ穴の狢というか、パワハラ体質にどっぷり漬かっているから、斎藤知事の振る舞いが悪い、という認識にも欠けているのではないかと思います。知事を強制的にクビにする手段は、リコール(解職請求)か不信任決議の可決しかありません。しかし、いずれも敷居は極度に高いです。リコールに必要な署名数は、兵庫県の有権者数は約450万人なので、約67万筆になります。そもそも知事選の投票率が41%しかなかった中で、住所・氏名・生年月日まで記載して捺印も必要という時点で、その署名に応じる人を67万人集めるのは、どう考えても無理と考えざるを得ません。そして、兵庫県議会は斎藤知事を追及しているものの、不信任案を可決するには、未だに知事擁護の維新が反対することを前提に考えると、その他の会派の全員が賛成することが必要です。しかし、不信任案に対して、知事は議会の解散で対抗することが可能です。もちろん、議会が解散されても、選挙後の新しい議会で再度不信任案が可決されれば知事は今度こそ解職されるわけですが、県議会議員が余計な時期に選挙になることを好むとは思えないので、これも期待薄です。結局、この最低最悪な知事が任期満了まで居座り続けることを阻む手段は、事実上ない、ということになります。したがって、県政の混乱はあと1年間続く、ということになるのでしょう、残念ながら。
2024.08.30
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ウクライナ、ロシア国境で新たな越境攻撃 地元知事「状況は厳しい」ロシア南西部ベルゴロド州のグラトコフ知事は27日、ウクライナ軍の地上部隊が同州への侵入を試みているとSNSに投稿した。ロシアの複数の軍事ブロガーは同日朝、ウクライナ国境沿いの複数の国境検問所が攻撃を受けたと伝えている。グラトコフ氏は「ロシア国防省によると、国境の状況は厳しいままだが統制されている」とし、冷静な対応を呼びかけた。ただ、同省はまだ状況についての発表を行っていない。軍事ブロガーの情報では、ウクライナ軍の部隊は60~500人規模で幅がある。装甲車も参加しているという。一方で、「撃退した」との情報もある。ウクライナ軍は今月6日、ベルゴロド州に隣接するクルスク州での越境攻撃を開始。ウクライナのゼレンスキー大統領は19日、同州の集落92カ所と1250平方キロ超を占領したとしていた。---ロシアのウクライナ侵攻以来、空爆等のわずかな例外を除いて、戦場はひたすらウクライナ領内であり続けました。しかし、ここにきてウクライナ側はまさかのロシア領内への逆侵攻を図り、ロシア西部のクルスク州で1200平方キロを占領したと報じられています。1200平方キロは日本で言えば沖縄本島と同じくらいの面積ですから、かなり広大ですが、ただロシア軍が占領しているウクライナの領土はどのくらいか。ウクライナ側の反抗作戦が開始される前の時点では、開戦前からロシアの傀儡政権が支配していた地域も含めれば、国土の2割、12万5千平方キロというので、今回ウクライナが占領したロシア領の100倍の面積です。その後ハリコフ州などでかなりの領土を奪回してはいるものの、依然としてウクライナが占領したロシア領に数十倍の面積のウクライナ領を、ロシアは占領しています。明らかにロシアの侵略によって始まった戦争なので、ウクライナがロシアに逆侵攻することの、道義的な是非は言っても仕方がないでしょう。ロシアに一方的に攻め込まれたままで、戦場はただただウクライナ領内だけであるべきだとは、必ずしも思いません。ただ、戦術、戦略面で見たら果たしてどうでしょうか。ロシア側の虚を突いて領内に攻め込んだウクライナの作戦は、なかなか見事だったと思います。これによって、ロシア軍は自国領内をがら空きにして、全神経をウクライナ領内だけに注ぐことはできなくなります。自国領内に大兵力を貼り付けなければならず、その分ウクライナに攻め込む兵力は減ります。でも、逆もまた真なりです。ウクライナ軍もまた、自国領内に攻め込んだロシア軍と戦う貴重な戦力を、ロシアへの逆侵攻に割いてしまっています。ロシア軍は敗戦を重ね、戦車などの兵器を相当に失ってはいるものの、それでも兵力はいまだウクライナ軍より圧倒的に多いはずです。私が思うに、ウクライナにとってベストな作戦は、ロシアの虚を突いてロシア領に逆侵攻し、その戦果を大々的に宣伝する。そして、ロシア軍が反撃に出るころには、サッサと撤退してしまう、というやり方だったのではないかと思います。いわゆるヒットアンドアウェイです。ウクライナ軍がこれまでもミサイルやドローンによってロシア領内に不意打ちを喰らわせた、それの陸上戦闘版です。撤退してしまえば、その兵力はそのままウクライナ領内での防戦にまわせるけれど、ロシア側は敵が撤退したからと言って、奪還した地域の兵力を安心して空っぽにはできないでしょう。次にまたいつ不意打ちで逆侵攻を喰らうか分からないし、体面上問題もあるでしょうから、少なからぬ兵力を奪還した領土に張り付けざるを得なくなります。このようにすれば、ロシア側だけに一方的に兵力の分散を強いることができたでしょう。しかし、おそらくウクライナ側も体面上の問題で、「ロシア領土に逆侵攻して占領地拡大中」という目に見える果実を欲してしまったのでしょう。しかしそれは、判断ミスではなかったかと私は思います。人口と国力の差を考えれば、ウクライナは信じられないくらいロシアに対して善戦していますが、冷静に見ると、ウクライナがロシアに対して大規模な反撃に成功したのは、緒戦の時点で北部に侵攻したロシア軍を撃退した時(ロシア軍は様々な戦術的失態を重ねた)以外は、ロシア側の虚を突いた、つまり戦略的奇襲に成功した時だけです。2022年9月にハリコフ州を大規模に奪回した時がそうでした。ロシア側が反撃の準備を整えると、それ以上ウクライナが一方的に占領地を奪還することはできず、一進一退の状況が現在まで続いています。そして、今回のロシア領への逆侵攻も、占領した地域のほとんどは越境攻撃開始から最初の1週間で掌握し、その後、攻撃のスピードは落ちていると指摘されています。つまり、ロシア軍が反撃する準備が整わないうちに占領地を拡大したものの、ロシア軍が態勢を整えて防備を固めると、もうそれ以上勝つことはできないわけです。この手の話は、過去の戦史に掃いて捨てるほどの例があります。緒戦期に、相手の態勢が整わないうちに奇襲によって一方的に勝利を重ねるものの、やがて敵が態勢を整えると、もうそれ以上は勝てない、それなのに緒戦の一方的勝利の幻想から、退き時を逃して回復不能の敗北を喫する、太平洋戦争時の日本が、丸ごとその状態だったわけだし、もっと小さな戦場単位でも多く例があります。インパール作戦とか、スターリングラードの戦いとか。ロシアの国力も軍事力は無限ではありませんが、ウクライナの国力、軍事力は、そのロシアより少ない、これは動かしがたい現実です。兵器や弾薬は欧米諸国からの支援を受けられても、兵隊の頭数は自前で揃えるしかありません。長く続く激しい消耗戦で、ウクライナ軍の兵士が疲弊の限界に達しています。また、欧米諸国からの軍事援助を受けて以降、ウクライナ側にも作戦ミスがあり、貴重な西側兵器を、無謀な作戦ですり潰してしまう事態もあったようです。ウクライナがロシアと同じ土俵、同じ戦い方でがっぷり四つに組んでしまったら、先に国力、軍事力が尽きるのは、どう考えてもウクライナです。このままいくと、どこかの時点で破断界に至り、急激に壊滅的な事態に陥るのではないか、という懸念を抱かざるを得ません。
2024.08.28
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土曜日ですが、神奈川県の宮ヶ瀬湖の上流にある早戸川林道行ってきました。宮ヶ瀬湖自体はバイクのツーリングスポットとして知られているそうですが、そのためではなく、鳥撮影が目的です。早戸川林道入口ここにゲートがあり、一般車はこの先に入ることはできません。なのでここでスクーターを止めて、徒歩で進みます。ゲートのところの橋から下流側を望みます。この先に宮ヶ瀬湖があります。一般車は立入禁止ですが、林道は舗装されて立派です。実は、早戸川林道が探鳥スポットだというのは知っていたのですが、夏のこの時期に何かいるとはあまり期待ですに行ったのですが、この橋のに別のバードウオッチャーさんがおられて、ある鳥が見られるそうです。ただし、残念ながら私は撮影できませんでした。私が着く直前に見られたそうですが。惜しーーー。なお、早戸川林道の名前で、先程の林道入口の橋は早戸川にかかっていますが、この橋は宮ヶ瀬湖に注ぐ別の川、金沢川にかかっているようです。橋から下流側を望む。樹間の向こうは、ちょっとしか見えませんが宮ヶ瀬湖です。上流側。待っても目指す鳥が出てこないので、林道の更に奥に進みます。ここからは金沢林道に名前が変わります。しかし結局ここでも鳥には振られました。8月も下旬だし、そんなに標高も高くないのですが、アジサイがまだ咲いていました。橋のところには、さらに数人バードウオッチャーが集まってきましたが、どうも目指す鳥は出てきません。そのうちに私は夕立が気になってきました。実は一瞬雨がぱらつくときもあったし(すぐやみましたが)、遠方で雷鳴が聞こえたような気もしました。他の皆さんは車ですが、私はスクーターだし。なので途中で引き返し、林道のゲート近くで、お昼+例によって笛吹き大会挙行です。ただ、この辺り、標高が高いわけではなく、かなり暑く、汗びっしょりです。顔とケーナの吹口が汗で濡れると、滑ってしまい、そうなると3オクターブが全然出なくなるのです。最初の2〜3曲はいいのですが、その後は3オクターブが辛い練習になってしまいました。復路、せっかくなので宮ケ瀬湖畔園地に寄ってみました。バイクがいっぱい並んでいます。駐車場は何箇所かありますが、二輪車が止められるのはここだけみたいです。二輪の駐車料金は100円でした。宮ケ瀬湖。長い吊り橋がかかっていますが。どうせなら歩いてみたいところでしたが、雨雲レーダーを見ると、この時間、すでに関東内陸の各所に雨雲が湧いており、神奈川県内も、丹沢の奥の方に雨雲が湧いているようでした。なので、ササッと見て、すぐ帰路に。往路は町田の方を経由して、グーグルマップの案内するよく分からないルート(笑)を通りましたが、復路は、内陸寄りだと夕立がより近そうなので、往路よりは海に近い国道246号で帰りました。距離も遠いし、渋滞も何回も遭遇したのですが、雷雨に遭うよりはましです。が、結局雨が降らず、というか帰宅後に雨雲レーダーの履歴を見たら、往路の道でも雨雲には遭遇しなかったようです。ああ、それならもう少し粘ってもよかったかな。鳥に関しては成果なしでした。
2024.08.26
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令和の米騒動「売り場にコメがない!」品薄・高騰…原因&今後は?各地のスーパーで、お米の品薄状態が続いています。『令和の米騒動』という声も出ています。なぜ、売り場にお米がないのでしょうか。今、お米不足が深刻化しています。「スーパーを4軒回ってコメがない。コメが売り場にない状況を初めて見た」「2週間くらい前から、どこにもコメが売ってない。もう今夜の分しかなくて絶望」「コメ売り場に、袋麺や切り餅がたくさん置かれている」各地のスーパーでは、棚が空になったり、お米の入荷が不安定のため、購入制限をかけている店舗も出ています。~そして、販売している国産米は、5キロと2キロのみです。お米不足により、10キロ入りの国産米を仕入れることは難しいということです。さらに販売価格にも影響が出ています。2024年3月は5キロ約1500円でしたが、今は1000円値上げして約2500円です。~なぜ、お米が品薄になっているのでしょうか?1つ目に考えられる原因は『猛暑と水不足』です。2023年、記録的な高温や少雨の影響によって、米どころの新潟や秋田で不作となりました。収穫量を示す作況指数は、全国平均では101と『平年並み』でしたが、新潟県や秋田県では、『やや不良』となりました。「とくにコシヒカリは暑さに弱い。コメの中に養分をため込む時に、暑すぎて稲そのものが弱ってしまった」といいます。考えられる原因2つ目は『政府による生産調整』です。農水省は、人口減少により、毎年10万トンペースで国内消費が減ることを前提に、主食用の米の生産をコントロールしています。2021年と2022年のお米の民間在庫量は、コロナでお米の消費が低迷したため、適正水準を上回りました。2020年から2023年までの3年間で60万トン以上減少し、2023年は、661万トンで過去最少でした。一方で、消費量は、2022年から2023年にかけて、702万トンと、10年ぶりに増加しました。コメ不足の原因3つ目は『訪日外国人の増加』です。農水省の試算では、2024年6月までの1年間で、訪日外国人が約3万トンお米の消費を押し上げたということです。原因4つ目は『コメの“お買い得感”』です。日本では小麦はほとんど輸入なので、ロシアによる、小麦の産地であるウクライナへの侵攻や円安の影響で、パンや麺類など小麦製品の価格が上がりました。一方、お米は国内生産なので、パンや麺類と比べると価格の上昇が緩やかでした。こういったお米の割安感が、お米の消費を押し上げたとみられます。さらに、直近の原因としては『南海トラフ地震臨時情報』の発表です。8月8日~15日、南海トラフ地震の想定震源域で大規模地震への注意が呼びかけられました。(手下略)---何日か前、facebookで友人が「スーパーに行ったら米がない」と書いていて、そんな事態になっていることを知りました。そうしたら、一昨日、実家の母から電話がかかってきて、やはり米を買いに行ったらスーパーに在庫がなかったと言っています。母は、5kgの未開封の米を開けた時に次の米を買いに行くそうです。だから、まだ開封したばかりの5kgの米が丸々残っているので、すぐにコメがなくなる心配はなさそうです。一方我が家はというと、5kgの米2袋+米櫃に2~3kgの米があります。3人家族で、1か月くらいはもつでしょう。かつて、1993年に「平成の米騒動」騒ぎがありましたが、あの年は、観測史上唯一「梅雨明けがなかった年」でした。長雨と冷夏で、特にコメどころの東北地方で壊滅的な不作となりました。それに比べると、今回は、昨年が外見的には作柄指数101で平年並みのように見えながら、内実は目に見えない不作だったことが、米の端境期の今の時期に響いてきているようです。別の記事によると、作柄指数の判定基準となる玄米では平年並みだったものの、精米したら例年より歩留まりが悪かった、という指摘もあるそうです。直接的には、南海トラフ地震の巨大地震注意に加えて、東京周辺では先日の台風7号が当初直撃する予報だったため(結果的には少しそれて大きな被害はありませんでしたが)少なからず買いだめが生じたことがとどめを刺したように思います。ただ、コメ不足が表面化したのは8月になってからですが、関係者は速い段階でその事態を予想していたようです。2024年6月26日逼迫する米需給 現状と24年産の展望は2か月前に、すでにこのような記事が出ていました。4月末の段階で、すでに「過去に例のない在庫量(の少なさ)」だったそうです。この事態になって、初めてそんな記事に気が付きましたけど。ただ、今年に関しては1993年の時のような事態にはならないで済みそうです。昨年の作柄が「目に見えない不作だった」と言っても、1993年の壊滅的な状況とは比較にならないからです。1993年の作柄は全国平均で73、特に北海道40、青森28、岩手30、宮城37という惨状でしたが、一説には、この数字ですら「かさ上げされていたのではないか」ともいわれます。今年のコメの作柄は平年並みであり、あと1か月か1か月半もすれば新米が出荷されます。それで当座の米不足は解消するでしょう。ただし、今年の作柄についても、この記事によると、大雨被害を受けた秋田と山形や、日照不足があった新潟などは、作柄は「平年並」とされているものの、実際にはこれらの影響はある、ということです。ということは、やはり昨年同様の「見えない不作」で、来年の今頃にまた米不足が生じる可能性は否定できません。お米に限ったことではありませんが、現代社会は様々な生活必需品の生産や流通が、文字どおり「自転車操業」状態であり、どこかで一つ歯車が狂うだけで、簡単に品不足が起こってしまいます。なくてもあまり困らないものなら「仕方がないね」で済みますが、米となると、われわれ日本人にとっては、なくてはならない主食であり、それが足りくなるのは、「仕方がないね」で済ませられる話ではありません。
2024.08.24
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日本共産党を除籍・解雇されました私・神谷貴行は、2024年8月6日付で日本共産党から除籍されました。また、本日(2024年8月16日)付で日本共産党福岡県委員会から解雇されました。これらについてはいずれも到底承服できないものです。詳しくはまた別の機会に書きたいと思います。今後のことは弁護士と相談して決めたいと思っていますが、もし訴訟になったらぜひみなさんに応援していただければ幸いです。---またまた残念過ぎる事態が生じてしまいました。松竹伸幸さんの除名に端を発した騒動で、漫画評・書評サイト「紙屋研究所」を主宰する紙屋高雪こと神谷貴行さんが、共産党を除籍され、党の専従職員を解雇された、ということです。正直なところ、私は松竹氏とは違って、神谷氏の主義主張は詳細に知りません。「紙屋研究所」の漫画評論は時々読んでいましたが、共産党員という認識はほとんどなかったので。安倍元首相のモリカケ疑惑の際、「ご飯論法」という言葉の発案者が紙屋氏であることを知って読み始めたものの、予想に反してそこに党派性を感じさせるものはほとんどありませんでした。多分、福岡市長選に出馬された際に松竹氏が応援していたのを見るまでは、党の専従職員ということを認識していなかったように思います。というわけで、神谷氏の主義主張については、基本的には「松竹氏に近いもの」という以上の認識はありません。ただ、その主張が松竹氏除名前と後で変わった、ということはないはずです。除名された松竹氏と近いから、そして松竹氏の除名に公然と異を唱えたかたら党から放逐されたのは明らかです。松竹氏のときと同じことが繰り返されたわけです。心が寒くならざるを得ません。広範な市民と野党の共闘で自民党を追い詰めるべきときに、肝心の足下では、広範などころか狭い違いで(もちろん、党中央の認識では重大な違いなのでしょうが、少なくとも今共産党が共闘対象としている立憲民主党との差ほどには大きくないでしょう)異論を党外に放逐する、そんなことで支持を拡大できるのだろうか、と思ってしまいます。そしてもう一点、松竹氏は除名の取消を求めて裁判に訴えています。私は除名に反対だし、提訴にも賛同しますが、純粋に勝ち目という意味では厳しいのではないかと思います。何故なら、松竹氏は党専従職員をかなり以前に退職しており、除名の時点では一党員に過ぎなかったからです。雇用関係はなく、単に党費を払うだけの立場では、誰を党員として受け入れ、誰を排除するかは、党の側の主体的判断が重んじられるのではないか、私は法律の専門家ではないので、自信があるわけではありませんが、何となくそう思います。しかし、神谷氏の場合は違います。現に党の専従職員だった方ですから、雇用関係があります。こいつは気に入らないから放逐してやる、ではブラック企業と変わらない。もちろん、ものは程度もがあります。党専従職員が「安倍万歳、共産党解体」と叫び始めたら、そりゃ除名も解雇もやむを得なかろうと思います。でも、そのくらいの客観的な妥当性がなくて、このような解雇が通るのか、私には極めて疑問です。神谷氏が裁判に訴えるかどうかは分かりませんが、その場合は結果に大いに注目します。それでも、以前に共産党に二度と票は投じない、と宣言したのは早々に取り消し、熱意低めながら、今後も2票に一票くらいは票は投じると思いますけどね。少なくとも自民、維新、国民民主よりはマシですし、あのような立ち位置の左派政党は必要である、というのが私の信念ですから。それだけに、支持に値する正当であってほしい、と願わざるを得ません。
2024.08.22
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【速報】岸田総理再選不出馬表明後初の調査では、自民党支持率・内閣支持率ともに回復!2024年8月選挙ドットコムリサーチ選挙ドットコムはJX通信社と共同で、8月17日、18日に日本国内の18歳以上の方を対象としたハイブリッド調査(電話調査とインターネット調査を同じ設問で同時に行う方式)による全国意識調査を実施しました。~「あなたは普段、どの政党を支持していますか?」と聞いた結果が上の図です。自民党の岸田文雄総理が来月予定されている次期総裁選への不出馬を表明してから初めて行った調査で、同政党の支持率が上がりました。自民党は電話調査で約4ポイント増で3割弱まで回復し、過去1年間で最も高い割合となりました。ネット調査でも約1ポイント増でした。日本共産党も比較的大きな変動があり、ネット調査は前月と同水準だった一方で、電話調査で4ポイント落としました。一方、先月の電話調査で6月比で4ポイント下落した立憲民主党は1ポイント増で少し持ち直しました。---岸田がどうしようもないのは事実ながら、どうしようもないのは岸田だけではありません。裏金問題、秘書給与詐取、パパ活不倫議員、カジノ汚職、他にも問題は多々ありますが、それらは岸田の責に帰す問題ではなく自民党全体の責に帰す問題のはずです。それなのに、岸田が次期総裁選不出馬を表明しただけで、まだ次に誰が首相になるかも分からない時点で、もう自民党の支持率が上昇し始めているそうです。岸田さえ退陣すれば、自民党の多くの不祥事や失政は全部不問ですか、そうですか。今からこれでは、今後、自民党総裁選の話題が新聞、テレビで垂れ流し、新しい首相が選ばれたらどうなるか。支持率は爆上がりし、間髪を入れずに衆院解散して、その度に自民党の支持率は爆上がりして、衆院選は自民党大勝利。3年前の選挙と同じことの繰り返しです。そう、有権者は、自民党の不祥事、失政を、首相が退陣表明しただけで、すぐに忘れるのです。その代わり、民主党の不祥事、失政は10年経っても決して忘れませんが(笑)もっとも、選挙後次第に新首相のメッキがはがれて、国政の課題にも有効な対策が打てず、支持率は急降下するでしょうけど。しかしまた3~4年後、その次の衆院選前にまた首相が退陣表明し、以下振出しに戻る。同じことの繰り返しで、就任直後、瞬間風速的に上がった支持率の力だけで政権を握り続ける自民党、そのような見え透いた策略に何度も引っかかる有権者、そしてその間着実に悪化し続ける日本の政治経済社会、きっと日本が衰退しきって地獄に転落するまで、こうやって自民党政権は安泰なのでしょう。まったく、素晴らしすぎて、涙が出ます。まだ、そうなると決まったわけではないのですが、悲しいかなそれ以外の未来図が私の頭には思い浮かびません。悲観的過ぎるのかな。
2024.08.20
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先に小型二輪AT限定から普通二輪に限定解除したという話を書きましたが、教習所で技能検定に通ったところまでしか書いていませんでした。その後、無事に免許試験場に行って免許の書き換えが完了しました。ただ、限定解除って、免許証が新しくなるわけではないんですね。裏面にこの印字をして終わりなんですね。おもて面には「普通二輪は小型二輪のAT車に限る」と記載されたままなので、裏を見ないと限定解除したことは分かりません。北海道に行く前に卒検は通っていましたが、実際の免許書き換えは、平日でないとできない関係で、北海道旅行後になってしまいました。まあ、北海道でレンタルしたのは125ccのPCXだったので、小型AT限定免許で何も問題なかったわけですが。それにしても、6月半ばから教習所に通って、改めて通った日の気温を確認すると(東京・大手町)、6月中は最高気温は30度、7月も、猛暑日になったのは卒検のだけなのですが、卒検の時間帯は朝だったので、その時間帯にはまだ35度以上にはなっていなかったと思います。それでも、特に7月に入ってからは相当暑かったし、とくに卒検は強烈な暑さでした。しかしもし教習が7月下旬や8月にかかっていたら、相当辛かったでしょう。何しろ長袖長ズボン必須でプロテクター着用、出す速度もほぼ40km/h止まりですから。安全上仕方のないことではありますが、暑いときにはきついです。夏は、二輪免許を取るのに適した時期とは言えなさそうです。最初に小型AT限定の免許を取ったのは、2月から始めて5月半ばまでかかりましたが、気候的にはずっと楽でした。長袖は、普段もスクーターに乗るときは極力長袖を着るようにしていますが、今夏はさすがに耐え難く、今週先週などはTシャツ1枚で乗った日もあります。さて、それはそれとして、免許は限定なしの普通二輪になっても、愛車は変わらず110ccのDio110であるわけですが、本日その走行距離が1万kmに到達しました。1万kmピッタリのところで写真を撮りたかったのですが、あいにくと国道357号(湾岸道路)を走っている最中でした。実質高速道路みたいなバイパスですから、その途中でスクーターを止めることなどできるわけもなく、バイパスを降りたところでメーターを撮影したため、10,002kmという、ちょっと惜しい写真になってしまいました。しかし、たまたまその数日前、わが尊敬すべきかつての仲間(いや、今でも仲間なんですけど)である月刊「地平」の熊谷編集長は、先週末に愛車スティード400の走行距離が25万kmに達したとか。メーターは5万kmを指しているのですが、実際にはメーターは3周目の5万kmだそうです(驚)。25万km!!四輪車ですか?って思ってしまいます。それに比べりゃ、私などまだその25分の1ですから、全然たいしたことはありません。そういや、スティード400もDio110も、どちらもホンダ製です。メーカーが同じ、という以外何も共通点はありませんけど。私も25万kmを目指して、と言いたいところですが、400ccのミッションバイクと110ccのスクーターでは耐久性に相当の差があるでしょうから、Dio110で25万kmはおそらく不可能かもしれません。それに、せっかく普通二輪の免許を取ったので、来年の今頃には軽二輪に買い換えているかもしれません。まあ、これはまだ分かりませんが、来年5月で自賠責が切れるので、その前に更新するか買い換えるか、悩むことにします。そして、Dio110の燃費ですが、この後自宅近くで給油して、最初の給油から本日の給油まで、走行距離10,010kmで累計給油量が179.19L、累計燃費がリッター55.86kmとなっています。リッター60kmを超えることも時々ありますが、たたし毎回の燃費は「満タン」の量が毎回おそらく50ccか、下手をすると100ccくらい変わっていると思うので、参考程度にしかなりません。でも、さすがに1万km走っての累計燃費は、相当正確なものだと思います。カブ系列にはかなわないにしても、極めて燃費のよい部類の二輪ではないかと思います。
2024.08.18
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「巨大地震注意」呼びかけ終了後も日ごろから地震への備えを 気象庁南海トラフの臨時情報「巨大地震注意」について、特別な注意の呼び掛けが終了したことを受けて気象庁などが会見を開き、特別の防災対応が終了した後も日頃から地震に備えるよう強調しました。8日に発表された南海トラフ臨時情報「巨大地震注意」について、想定震源域で特段の変化はないとして政府は15日の午後5時に特別な注意の呼び掛けを終了しました。これを受けて気象庁などが会見を開き、8日の地震発生以降、南海トラフの想定震源域で地殻変動などに特段の変化は見られていないと改めて説明しました。その一方で、「日本国内では、いつどこで強い揺れを伴う地震が発生してもおかしくない」として、政府による特別な注意の呼び掛けが終了した後も日頃から地震への備えを行うように強調しました。---8月8日に宮崎県沖で起きた地震を機に出された「巨大地震注意」の臨時情報が15日に終了しました。予想どおり、というのもなんですが、この間特に何事も起きませんでした。客観的に考えて、この1週間で巨大地震の蛾起こる可能性がものすごく高かったか、というと、そうではないだろうと思います。ただし、ではこの臨時情報がまったく無意味なものだったかというと、そんなことはないだろうと私は思います。先の記事にも書きましたが、南海トラフ周辺では100~150年に1回、大きな被害をもたらす巨大地震、超巨大地震が繰り返されてきました。具体的には1944/46年 昭和東南海地震/昭和南海地震1854年 安政地震(東海地震と南海地震が約30時間の時間差で発生)1707年 宝永地震1605年 慶長地震(南海トラフ地震ではないとする説もあり)1498年 明応地震1361年 正平地震と、なります。この間、もっとも発生間隔が短かったのは安政地震から昭和と東南海地震の間の約90年であり、最も発生間隔が長かったのは宝永地震から安政地震までの147年です。とすれば、次の南海地震、東南海地震も、前回昭和東南海/南海地震の90年から150年後である2035年頃から2095年頃までの間に起こる可能性が高いだろう、と考えることができます。つまり、「臨時情報」は終わったけれど、実際に地震が起きる可能性は、これから上がることはあっても下がることはないだろう、ということです。そして、南海トラフ地震はいつか「必ず」起こるので、最終的な発生確率は100%、ということになります。ただ、そうはいっても「いつ」起こるかを断定することは、現在の人類の科学力では不可能です。そして、これから60年間にわたって平常活動を犠牲にして地震を警戒し続けることはできないのが現実です。そういう意味では、南海トラフ地震に対して「備える」ことは、現実的には不可能です。それでも、平常活動を犠牲にしない範囲では、今後半永続的に備えをしていくしかないのだろうと思います。
2024.08.17
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前回の続きです。岩場をどんどん登っていきます。オンタデ。富士山、御嶽山など火山に多い高山植物です。そういえば八ヶ岳も火山でした。ヤマハハコ(中央の白い花)ウラジロナナカマド。もう花は散って実がなっています。キツイ登りが続きます。トウヤクリンドウ。まだ咲いていません。山頂までもう少しです。天狗岳(東天狗)山頂に到着。こちらが西天狗。行きたかったけど、というか行こうとしたけど時間の余裕がなく断念しました。行っていたら帰りのバスに間に合っていなかったです。硫黄岳の山頂がかすかに見えただけで、赤岳他はガスの中でした。早朝なら見えたはずですが。天狗岳から見た蓼科山と北横岳。下山は速い・・・・・のが通例なのですが、岩場続きであまりスピードが出ません。例によって笛吹きタイム、なのですが、時間が遅れ気味で帰りのバスが怪しくなってきたので、ケーナとサンポーニャ1曲ずつ、合計5~6分吹いてそそくさと出発。黒百合平に到着。ここまで、下山の標準タイムが1時間なのに、わずか5~6分の笛吹きタイム込みとはいえ、1時間半もかかってしまい、やや切羽詰まってきました。そのため、ここから渋の湯までの下りは写真をまったく撮らず、ひたすらすっ飛ばして下山しました。おかげさまで・・・・・、途中で転倒してしまいました。右足をちょっと捻挫しましたが、歩くのに支障はなく、そのまま更に1時間ほど下山を続けました。上部は岩が濡れていたので、転倒後しばらくは歩速を落としましたが、下っていくと紙面が乾燥してきたので、再び猛ダッシュで下山。渋の湯に到着。下山標準タイム1時間45分のところ、1時間半ですっ飛ばしてきました。おかげで、茅野駅行きの最終バスが14時55分発ですが、14時30分頃到着しました。汗ダラダラだし、あと15分早くついていれば渋の湯でお風呂に入りたかったのですが、バスの出発まで25分では、ちょっとね。あきらめて、渋の湯でのみ物だけ買って帰路につきました。それにしても、あれだけすっ飛ばしても標準タイムより15分早いだけとはね。体力落ちてるなあ。渋の湯で缶ジュースを飲んだものの、それでは足りず、茅野駅でこんなのを売っていたので飲みました。野口果樹園のリンゴジュース。これが美味しかったです。それにしても、夜行日帰りで麦草峠から天狗岳は余裕と思っていましたが、最後はギリギリになってしまいました。やはり年齢相応に脚力が落ちてきています。あまり無理のない行程にしないといけないようです。(って、自分では無理のない行程にしたつもりだったんですけどね)
2024.08.15
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「仕方がない」広島地元で驚きの声 岸田総理 自民党総裁選不出馬を表明岸田総理大臣が来月の自民党総裁選に出馬しない意向を明らかにしました。広島県民「辞められるんですか?印象自体があまり…これをしたというのがあまりないですよね」「景気のこととか減税のこととかちょっとなと思うところもあったので 仕方がないと思いました。残念ですけど。」岸田総理はさきほどから官邸で行われている会見で来月の自民党総裁選挙に出馬しない意向を明らかにしました。「自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くこと」だと説明しました。岸田総理は来月の総裁選で次の総裁が選出されると退任することとなり、「総裁選で選ばれた新たなリーダーを一兵卒として支える」と述べました。---岸田が首相を降りること自体は、そりゃ当然そうなるだろう、という以外の感想はありません。ただ、菅前首相が辞任した時も、やはり支持率が低迷して次期総裁選出馬を断念しているので、この経過は既視感があまりに強いというしかありません。菅首相退陣の際は、首相が交代して「ご祝儀相場」で支持率が上がった間に選挙をやって、自民党が勝ったから、今の岸田政権があるわけです。次に誰が首相になるかは分かりませんが、次期首相も当然先例に従って支持率が高い間に選挙に打って出ることを考えるでしょうね。どのみち衆院の任期は来年10月までしかないし、いずれ化けの皮がはがれて支持率は落ちてくるのは確実ですから。そこでまたまた自民党が勝てば、本当に歴史は繰り返す、です。「自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くこと」だそうですが、はっきり言って岸田が辞めて自民党が変わるなんて、幻想もいいところです。だって、裏金騒動、架空公設秘書事件、違法寄付、自民党の数々の不祥事の多くは、岸田あるいは岸田派とは直接的にはあまり関係はありません。自民党という政党の歴史と体質に根差す問題です。当然、岸田が退陣すればその種の不祥事がなくなるはずがないからです。それでも、こういう言葉にコロッと騙される人は少なくありません。新しい首相の下で自民党が次の選挙で勝ち、柳の下の二匹目のどじょうを手に入れるようなら、日本の政治は破滅的だと思わざるを得ません。しかも、残念ながらそうなる可能性は多々あるように思えます。もちろん、そうならないことを期待しますが、期待しても報われないことがあまりに多く、政治になかを期待すること自体に億劫になっている自分がいるのが現実です。
2024.08.14
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三連休ですが、地震があったり巨大地震注意なんてものが出たりで、いろいろ騒がしく、どうしたものかと思いましたが、結局山に行きました。毎日あるぺん号で八ヶ岳の麦草峠まで行き、そこから天狗岳に登って渋の湯に下山しました。国道299号線、標高2127m、毎日あるぺん号で早朝に到着しました。麦草ヒュッテ。6年ほど前にここに宿泊したこともあります。眼前に茶臼山がそびえていますが、向かうのはそちらではなく、反対側です。麦草ヒュッテと蓼科山周囲は亜高山帯針葉樹林です。この鳥がなんだか、撮影しているときは分からなかったのですが(このアングルでは、さすがにね)、後で色々考えると、白黒模様で胸か腹が赤っぽい、というところから、ノビタキのオスのようです。高見石小屋脇の高見石より。遠方左手は志賀高原の山々、四阿山、浅間山。白駒池が見えます。中山より。蓼科山と茶臼山・縞枯山・北横岳が良く見えます。手前は、縞枯山の名前の由来でもあるモミ属の針葉樹(シラビソとオオシラビソ)の縞枯現象も見えます。ハイマツみたいに見えますが、ハイマツにあらず、ハイコメツガ(笑)でした。コメツガがおそらく冬季の強風と多雪のため、伏せた樹形になっています。「ハイコメツガ」の隣には本物(?)のハイマツも生えていました。写真の右側から左側へと常時強風が吹いているので、このように左側だけに枝が伸びています。北側から南方向を撮影しているので、右側は西、左側は東になります。西からの風、つまり偏西風の威力でこうなっているわけです。奥秩父の山。金峰山の五丈岩が見えます。縞枯れ現象に中に入ると、こんな感じです。モミ属のシラビソ、オオシラビソが一斉に枯死した、その下では次の世代の稚樹がワーッと育っているわけです。この日の目的地天狗岳。左側が東天狗、右側が西天狗。東天狗岳。冬は何度も登っていいるのですが、無雪期は、多分20世紀の終わりに一度登ったきりです。あれ、入門の山じゃなかったっけ、こんなに岩場連続だったっけ、ひょっとして、アイゼンピッケルフル装備の冬季の方が、登るの簡単じゃね?なんて思ってしまいました。岩場が続きます。というわけで、次回に続きます。
2024.08.12
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北海道に行った翌週、先週日曜日は超手軽な山登りに行ってきました。高尾山の奥に連なる陣馬山です。陣馬山自体手軽な山ですが、なんと標高690mの和田峠まで行って、そこかに855mの陣馬山に登るというお手軽ぶりです。ただし・・・・・例によって、これで来ました。和田峠までの登りはヘアピンカーブ連続、2車線はなく、1車線のみの細い道です。舗装はされていますが、その細い道にロードバイクと徒歩の登山者が多く(ここまでバスは来ません)、そしてかなりの斜度なので、スピードは出せません。駐車場代はバイクは500円。途中で笛吹き大会決行。多分40分くらい吹いたのですが、途中5人くらいしか通りかかっていません。この道、意外に通る人が少ないかも。笛を多分40分くらい吹いていたのですが、それを除けば実質20分くらいで山頂に到着。陣馬山山頂。854.8m和田峠からの標高差はわずかに165m。そりゃ20分程度で着くわけです。樹林帯の日陰は涼しかったですが、ここはさすがに暑いです。連行峰、1000mを超える山です。標高差165mを登って山頂に到着、本日の山登りはここまで・・・・・とはなりませんね、さすがに。いくら何でも歩き足りないので、少し先に進みます。何とかギボウシ陣馬山から先に進むと、どんどん下って行きます。この先の景信山も高尾山も、陣馬山より低いので当然ですが、そのまま高尾まで縦走するわけにはいきません。車で(二輪だけど)山に登る際の欠点ですね。登山口に戻らなければなりません。なので、この辺りで引き返しました。往路は東京都側から行きましたが、和田峠からの下りは神奈川県側に下りました。こっちの方が道幅がだいぶ広く(それでも2車線はありませんが)歩行者や自転車も少なかったので(歩行者はゼロ、自転車は1台か2台追い越しただけ)、東京都側よりははるかに走りやすかったです。ヘアピンカーブの連続なのは思児でしたが。復路は相模湖に寄って帰りました。写真は撮っていませんが、甲州街道の大垂水峠も、結構ヘアピンカーブの連続でした。
2024.08.10
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【解説】今後、大地震が起きる可能性は… いつまで備え? 帰省は? 南海トラフ「巨大地震注意」8日、宮崎県日南市で最大震度6弱を観測した地震。今後1週間程度、巨大地震への注意が呼びかけられ、備える動きが広がっています。「南海トラフ地震が最大クラスで起きてしまった場合、地図に赤色で示されているところが震度7、オレンジ色のところが震度6強を示しています。東海から九州にかけて、強い揺れになることが想定されています」「南海トラフ地震は高い津波がすぐ来てしまうことが特徴で、想定される死者数は最大で32万3000人。これは、あの東日本大震災の約17倍に相当します」「8日に『巨大地震注意』の情報が出されましたが、南海トラフ地震がどの程度の確率で起きるのかは、分かっているのでしょうか」「確率でどのくらいかは分からないんですね。ただ、世界的に過去の事例をみると、次のようなことが分かります」「1904年から約110年間で、正確に地震の規模を示すことができるモーメントマグニチュード(Mw)7.0以上の地震は1437回起きました。この後1週間以内に、震源から50キロ以内でモーメントマグニチュード7.8以上の地震が6回起きています」「では国内ではどうだったかというと、2011年3月9日にマグニチュード7.3の地震が宮城沖で起きました。その2日後に同じ領域で、今度はマグニチュード9.0の超巨大地震、いわゆる東日本大震災が起きたんです」「こうした過去の経験と、今回の地震を照らし合わせた結果、検討会は巨大地震が起きる可能性が平常時より数倍高まったと評価しています」 (以下略)---宮崎の地震は、東京では感じなかったので、帰宅後に報道を見て仰天しました。この地震を契機に史上初めて、「巨大地震注意」が気象庁から発表されています。少なくとも、これまでより南海トラフ地震が起こる可能性が高まっていることは確かです。ただし、例えば1か月以内の発生確率が0.0001%から1%に上がったら、それはもちろんリスクが急増していることは確かなのですが、「必ず地震が起こる」というものではないこともまた確かです。残念ながら、東海・東南海・南海地震についての過去の科学的観測データは非常に乏しいです。観測記録が残っているのは、1944年/46年の昭和東南海・南海地震だけです。44年の東南海地震では、進言近くで測量が行われていたところ、何度測量しても誤差が大きい、それが後から考えると地震の「前兆滑り現象」が原因であった可能性が高いと考えられています。この時の経験に基づいて地震予知の体制が組まれていますが、次の巨大地震も同じプロセスで発生するがどうかなんて、だれにも分かりません。従って、東海、東南海、南海地震が予知できるかどうかかははっきり言って不明です。一般市民が把握しきれない多くのデータに基づいて気象庁が「巨大地震注意」を発表しているのですから、地震の可能性が高まっていることは確かです。別報道では南海トラフ地震の1週間以内に別の巨大地震、最大で「平常時の3600倍起きやすい」ということですが、3600倍上がって何%になったのでしょうか。そこは報道されていませんすが、現実に明日明後日にも起こる可能性が5割6割、というものではないでしょう。(そうであったら、もっと大騒ぎになっているはずです)過去の東海・東南海・南海連動地震のなかで、発生頻度が最短だったのは、1854年安政地震から1944年/46年のまでの約90年間です。現在は昭和東南海/南海地震から約80年ですから、少なくとも過去の例からは、「まだ早い」ということが言えます。もちろん、今後も必ず過去の例のとおりであるという絶対の保証はありませんし、80年と90年なんて、誤差の範囲だろう、とも言えます。ただ、その一方で、プレートの動きが一定であれば、ひずみが限界まで溜まるまでの所要時間は、過去とそんなに変わるものでもないだろう、とも思うわけです。それらを総合して考えると、確かに巨大地震が発生するリスクは高まりつつあるし、近いうちに発生する可能性も、ゼロではない、「ほとんどゼロ」から1%とか2%に上昇した可能性は高いとは思いますが、今すぐ非常に高い確率で発生するとは言えないのではないか、と私は考えます。そしてもう一つ、今回発生した地震は日向灘で、南海トラフの西の端です。東海・東南海・南海連動地震が起きた場合は、日向灘から東海沖までの全部が連動していっぺんに揺れるので、当然静岡や神奈川にも甚大な被害が生じますが、そのような超巨大地震の発生頻度は低いですし、相当大きなひずみのエネルギーをため込まないと、そうはならないでしょう。というわけで、日向灘を起点とした地震で静岡までの全域で超巨大地震が発生する可能性は、もちろんありますが、それが直近のうちに起こるかというと、「その可能性はゼロではないけれど、可能性が高いかと言われると・・・・・」というしかないように思います。というわけで、なかなか微妙なラインではありますが、極度に不安になる必要はないのかなと考えています。とはいえ、9日の晩には神奈川を震源として震度5弱の地震がありました。久しぶりに緊急地震速報が鳴って、さすがにドキッとしました。東京の揺れはたいしたことはありませんでしたが。いろいろ不安定な状況にあること自体は、間違いないようです。それに、今回の巨大地震注意がいつまで続くかは知りませんが、仮にそれが今後取り消されたとしても、本質的には、時が経てば経つほど地震発生のリスクは高まります。だって、「いつかは起こる」のは100%確実だからです。東海・東南海・南海連動地震の記録に残る過去最短の発生間隔は1854年安政地震から1944年昭和東南海、1946年昭和南海地震までの90/92年ですが、過去の例ではだいたい100年から140年程度の間隔で南海トラフの巨大地震が繰り返されています。したがって、今起こらなくても、遅くとも2080年頃までには南海トラフで次の超巨大地震が発生するのは、ほぼ確実です。
2024.08.09
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7月に撮影した鳥です。すべて北海道で撮影したものですが、今回は鳥撮影に関しては空振りで、珍しい鳥はほとんど遭遇しませんでした。7月24日ウトナイ湖コサメビタキかキビタキのメスか迷ったのですが、キビタキのメスのようです。メジロ。東京の公園にもいっぱいいますが、南方系の鳥ですが北海道にもいます。キビタキ・メスキビタキのメス7月25日十勝岳温泉アオジのオス、東京では冬鳥です。アオジ普段見るアオジと違うので、ちょっと迷いましたが、アオジで間違いなさそうです。7月26日、富良野岳の登山中ノゴマ。かなり遠いです。ノゴマ。ビンズイ、東京でも冬場はよく見かけます。ビンズイ。セキレイ科です。7月27日上富良野「ノルテ・ポトシ」前ノビタキ・オスニュウナイスズメのメス。オスは以前に濤沸湖で撮影したことがありますが、メスは初見です。ニュウナイスズメのメスホオジロのオスノビタキのメス同じ7月25日支笏湖畔キビタキのオスキビタキゴジュウカラ。初めて見る、初めて撮影する鳥は皆無でした。支笏湖は、時間をかければもっい色々な鳥が見られたはずです。ウトナイ湖も同様です。東京で見られない鳥は、ほぼノゴマだけだったと言ってよいでしょう。それも初めての撮影ではありませんでしたが。まあしかし、それ以外の面で充実した旅行だったので特に問題はありませんでした。今回の北海道の写真は、これでおしまいです。
2024.08.07
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速報】日経平均株価が過去最大の上げ幅で反発し3217円高の3万4675円46銭に 市場関係者「今日も昨日も異常な状況」前日に日経平均株価が過去最大の下落幅を記録した東京株式市場は6日、取引開始直後から一転、全面高の展開となり、平均株価の終値は5日に比べ3217円高い3万4675円46銭で取引を終了した。上げ幅は過去最大となった。5日までの2営業日では、6600円以上値を急速に下げた反動から、6日は上げ幅が一時3400円を超え、取引時間中としても過去最大を更新した。円安が進んだことや、アメリカの経済指標が市場予想を上回ったことも相場を押し上げた。ある市場関係者は「アメリカの景気は、リーマンショックみたいに危機的な状況ではない」とした上で、「きょうもきのうも異常な状況」と分析している。また別の市場関係者からは「この乱高下は、今週続くのではないか」とも声も出ている。---日経平均株価“過去最大”の下げ幅 ブラックマンデー超え ドル円相場は一時1ドル=141円台まで円高進行週明けの東京株式市場は、かつてない大暴落です。日経平均株価は先週末の終値より4400円以上値下がりし、1987年のブラックマンデーを超え、過去最大の下げ幅で取引を終えました。きょうの日経平均株価は、先週末より4451円28銭安い、3万1458円42銭と年初来安値をつけて取引を終えました。1987年に起きた「ブラックマンデー」の翌日をも上回る、過去最大の下げ幅です。かつてない株価暴落の背景にあるのは急速な円高です。円相場はさきほど、およそ7か月ぶりに1ドル=141円台をつけました。---北海道の鳥写真は次回にします。昨日史上最大の株価大暴落があった翌日の今日は、史上最大の株価上昇だそうです。ただし、比較すると、昨日の下落幅の方が今日の反発幅より大きいし、そもそも先週金曜日から株価が暴落しているので、トータルでは下がったままと見ることかできます。幸いにして私は株もNISAも一切やっていないので、影響はありません。ただ、米ドル預金が、大半を解約していますが(これも解約せずに持っていればねえ)、まだ残りが2000ドルほどあり、これが少し前に1ドル160円だったときには32万円相当だったのが、145円になったので29万円相当になり、約3万円ほど含み損が発生した、とは言えます。ただ、元々が1ドル92円の時に始めた米ドル預金なので、それでもまだまだ大きな含み益があります(笑)まあ、私が直接的に受けた小さな小さな影響など、どうでもよい話です。この株価暴落が、一部の人々の言い分によると「日銀が利上げをしたからだ」ということになるそうです。でも、これはいささか怪しい話です。だって、株価暴落は全世界で起こっています。日本だけの株価暴落なら、利上げが原因というのは分かりますが、日銀の利上げで全世界の株価を下げるほどの力が、今の日本円にあるでしょうか?もちろん、その中でも日本の株価がもっとも下落幅が大きいようなので、その部分については、利上げの影響もゼロではないでしょう。でも、基本は米国の景気後退懸念が理由であり、もっと言えば経済の実態以上に株価が膨らんでいたのが、針の一刺しで破裂した(つまりバブル崩壊)ということではないでしょうか。さて、最近の物価高の原因は、多くは円安に起因するものだったと思われます。そして、円安の原因が日銀の低金利(というかゼロ金利)政策にあることは衆目の一致するところです。そのままゼロ金利を続けて、株価は上がり続け、円は下がり続け、物価は上がり続ける状態が良かったのでしょうか?もちろん、これから先がどうなるかは分かりません。でも、物価の上昇に見合う給与水準の上昇はなく、多くの人の生活は苦しくなる一方だったのが現実です。今回の利上げによって、円高になり、物価の上昇はある程度一息つける可能性は高そうです。といったって、現状1ドル141円台になった(今日は145円まで戻ってしまった)だけです。上記で米ドル預金の大半を解約した残りと書きましたが、私が、その米ドル預金の大半を解約したのは1ドル116円か17円の時です。そんな昔ではない、たかが8年足らず前の話です。その時に比べりゃ、まだまだ大幅な円安です。雇用環境がどうなるかは気になります。うちの子があと何年かで就職なので。ただ、景気の動向とは別に、少子高齢化による労働人口の減少という条件は変わらない(いや、これからさらに拡大する)以上、これによって町に失業者があふれる、という事態にはならないだろうと予想します。ともかく、二律背反のすべての問題を解決する策というものはありません。燃料価格をはじめとする物価高を収めつつ、給料は上げ、株価も上げ、好景気を維持する、そんな魔法のような策はないのですから、相対的にどちらの方が「より害が少ないか」という、ある意味正解のない問いです。ただ、資本主義の世の中である以上は、物を買うにはお金を払わなければならない、ものを借りるにもお金を払わなければならない、当然お金を借りるにも金利を払わなければならない、というのは経済における基本原理です。物を買うのにタダというのは、一時的にはともかく市持続可能性のない不正常な状態であることは、誰にでも理解できることでしょう。金利がタダというのもまた同様ではないでしょうか。それを永続的に続けようというのは、基本的に無理のある話と言わざるを得ません。というわけで、金利を上げるも上げないも、どちらもベストの選択ではないことは承知のうえですが、金利を上げる方が「まだマシ」、というかこれ以上ゼロ金利を続けることは弊害が大きすぎる、というしかないのだろうと私は思います。まあ、より根本的に言えば資本主義という経済システム自体が、あらゆる意味で限界なのだろうと思うのですが、今それを言っても何の解決にもなりませんから。
2024.08.06
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最終日、7月27日です。早朝に起きたのですが、鳥撮影と笛練習に時間を費やし、7時15分か20分頃上富良野のノルテポトシを出発しました。途中中富良野でスクーターを止めてちょっと撮影。なかふらの北星山ラベンダー園だと思います。芸のないことに、復路も途中までは往路と同じルートで国道452号線をたどりました。三段滝公園。往路は立ち寄っていないので(というか、往路は記憶に残っていません)、寄ってみました。芦別川のかかる滝です。確かに滝があります。三段なのかどうかはよく分かりませんが。一番上流側の滝。周囲に人家はまったくありませんが、公園はよく整備されています。周囲はトドマツと各種広葉樹の針広混交林です。三段滝公園からちょっと先、ちいっても10km以上先のはずですが(北海道を走ると距離感覚がおかしくなります)、桂沢湖に近いどこかでスクーターを止めて、例によって笛練習です。周囲に人家はなく、人影もなく、ただ車が通るだけ(バイクの人には聞こえたかもしれませんが)。今回の旅最後の目的地、支笏湖に到着。上富良野から遠かったです。160kmくらいありました。着いてみればさほど涼しくはなかったのですが、途中スクーターを飛ばしていると、山用の生地が厚めの長袖シャツを着ていても寒かったです。雨は降っていなかったのですが、微妙に霧雨があったらしく、服は全然濡れなかったのですが、ヘルメットのシールドが霧吹きを吹きかけたような細かい水滴がついていました。そして、千歳から支笏湖まで、前を行く車が65km/hくらいの速度で走っていたので、私としてはその後ろに付いて走るのが非常に走りやすく、快適に走っていたのですが、ふと後ろを見たら、車が30台くらい数珠つなぎに。北海道基準ではこの速度は遅すぎらしいです。支笏湖着は11時40分か50分頃だったので、4時間半かかりました。三段滝見物と笛練習(併せて40分くらいではないかと)を除くと4時間切っているかもしれません。距離はおよそ160kmなので、平均時速40kmほどになります。ここでお昼を食べました。コロッケとホタテ。美味しかったです。しかし、前述のとおり、体に感じる雨は降っていなかったけど、微妙に霧雨がある(感じないし服も濡れないけど、ヘルメットは濡れる)状態。雨雲レーダーを確認すると、支笏湖の対岸のちょっと先は雨が降っているようです。というわけで、雲が低く垂れこめ、遠方視界はまったくありません。先ほどの写真の千歳川にかかる赤い橋を渡って、休暇村支笏湖へ。先ほどの三段滝の辺りと同様、針葉樹と広葉樹の入り混じった針広混交林になっています。ここでしばらく鳥撮影。といっても、時間に余裕がなく、じっくり撮影はできませんでした。次回来る機会があれば、もう少し時間を取るようにしたいです。休暇村から駐車場に戻ります。支笏湖からは千歳川が流れ出し、石狩川に合流して、最終的には石狩湾にそそいでいます。千歳川の下流側。そして、いよいよ旅の終わり、千歳空港へと向かいます。途中千歳市内で給油して、空港近くのレンタルバイク店に、2時過ぎに到着しました。3日間の相棒、ホンダPCXに別れを告げます。走行距離は約443km(ただし最後の給油までは約437km)、給油は2回(上富良野と、返却直前の千歳)給油量は9.7lLで、燃費はリッター45.0kmになります。ただし、最初に距離計を確認しなかったので、走行距離は2~3kmは誤差があると思います。良いスクーターでした。私が普段使っているDIO110は、ステップ(足の置き場)がフラットですが、PCXはのステップはたいらではなく、真ん中が盛り上がっていて、そこに燃料タンクがあります。スクーターにまたがるときは、ステップが平らなDio110の方がまたがりやすいですが、PCXもミッションバイクに比べれば、またがるのは簡単です。燃料タンクの容量はDIO110の4.9Lに対してPCXは8.1Lなので、相当大きいです。私が走った際の燃費リッター45kmに基づけば、航続距離は360kmくらいです。Dio110の方が燃費はよいですが、リッター60kmで走ったとしても、航続距離は300km弱なので、PCXの方が航続距離は長いようです。DIO110よりは気持ちパワーがあるようですが、110cc対125cc、まあ大同小異でしょう。普段もそうですが、北海道でも急加速は一切していません。そして、乗り心地が良いです。Dio110は、ちょっとした路面の凹凸も体に伝わってきますが、PCXはある程度(勿論、ある程度でしかありませんが)そういった衝撃を吸収してくれます。シートもん、一挙に4時間も走っても、そこまで尻や腰が痛いことはありません。Dio110は、かなり慣れましたが、長距離走ると腰が痛いです。話は違いますが、北海道の道路の流れの速いこと速いこと。70km/hで走っても後ろに迫られるので、何回脇にそれて道を譲ったか、数知れません。普段もすり抜けはそんなにしないのですが、北海道では一度もすり抜けはしませんでした。だって、先頭になんか立ってしまったら、後ろから迫られて、結局道を譲るのです。なら最初から後ろに付けている方が楽です。個人的には時速60kmに少し届かないくらいのスピードが一番快適で、時速70kmくらいまではなんとかなりますが、それを超えると向かい風がキツいです。さてさて、スクーターの返却後、新千歳空港まで送ってもらい、まだ飛行機の時間まで2時間ほどあったので、まずお昼ご飯(支笏湖で食べた昼食だけでは足りませんでした)、そしてお土産を買い、空港内に入浴施設があったので入ろうかと思ったのですが、入場料が2600円もするのに、時間が充分にはない(まあ、私としては、30分あればお風呂には十分すぎる、25分あれば何とかなる、のですがさすがに2600円も払ってカラスの行水ではねえ)ので、それはやめにして、チェックインしてしまいました。往路はヘルメットは機内持ち込みしたのですが、お土産を買った分荷物が増えてしまったので、復路はヘルメットは預けてしまいました。笛も、普段なら預けないのですが、絶対割れない塩ビ管サンポーニャと、ほぼ割れない木製ケーナは預ける荷物に入れてしまいました。残りの笛は機内満ち込みにしたのですが、保安検査の際、係員に「これはいったいどういったものですか?」と聞かれてしまいました。今まで北海道、沖縄、九州、何度もケーナとサンポーニャを機内に持ち込んでいますが、意外にもそれを聞かれたのは初めてです。もちろん「笛、楽器です」とお答えしました。北海道で最後に食べたのはソフトクリームそして、さらば北海道。往路は通路側の座席でしたが、復路は窓側にしました。しかし翼の上なので、下界の視界はあまりなし。それに、そもそもずっと曇っていました。特に関東が近づくと、積乱雲だらけ。写真は撮れませんでしたが、雷も何度か見ました。こうして今回の北海道旅行は終わったわけですが、改めまして北のフォルクローレは暖かい、本当にそう思います。カルロスおっちゃんこと皆川さん逝去後、「ノルテポトシ」の建物を維持し続け、今回も「泊って行って」とおっしゃっていただいた「サリーリ」の木下さんには感謝あるのみです。皆川さんがいらっしゃらなければノルテポトシもありませんでした。亡くなられて6年になりますが、未だノルテポトシという遺産は生きています。なお、北海道の記事はこれで終了ではありません。まだ鳥写真が残っていますので。
2024.08.04
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前回の続きです。美しい稜線です。コヒオドシゴゼンタチバナエゾリンドウ十勝岳方面はガスがかかっていて見えません。山登りは大変ですが、登山道を作るのはもっと大変です。ウサギギクヨツバシオガマお昼を食べ、ついでに例によって笛を吹きました。大きな笛はノルテポトシに置いてきて、ケーナとサンポーニャ1組ずつです。通りかかった方と「きれいな音色ですね、なんて笛ですか?」「ケーナです」「あっ、やっぱり。上富良野でもやっている人がいるんですよ。」「その方のところに泊まっているんです」なんてやり取りがありました。オオヒカゲ1時頃に凌雲閣の駐車場に戻ってきました。お風呂があるので、ニューヨークへGo!(笑)た、た、大変だ、ヒグマが出たー!!!!剥製ですけどね。ちなみに、凌雲閣のお風呂は、湯船(内湯)の脇に巨岩がドーンとそびえたっているすごいお風呂です。残念ながら、お風呂なので写真は撮れませんでしたが。かいた汗を洗い落としてさっぱりとして、帰路につきます。吹上上富良野線のヘアピンカーブを激下り。木下さんが「ここは毎年のように事故で死者が出ているよ」とおっしゃっていました。しかし、そのまままっすぐ上富良野へ戻るのではなく、途中で分岐して吹上上富良野線から分岐して十勝岳温泉美瑛線に入り、吹上温泉白銀荘に到着。実は、木下さんに「ノルテ・ポトシに泊まりませんか」と誘われる前は、ここに泊まることを計画していました(先の凌雲閣の宿泊は、もう予約がいっぱいでした)。食事なしの素泊まりの宿です。建物は凌雲閣より新しくてきれいな感じです。お風呂には入っていませんが、どんなお風呂でしょうか。ここは海抜1000mちょっと、森林限界より下で、針葉樹林帯です。更に十勝岳展望台へ。立派なシェルター(ビジターセンターでもあるようです)があります。オンタデが咲いていました。火山でよく見かける高山植物です。名前の由来は木曽御嶽山によくみられることからです。富士山には高山植物が極めて乏しいのですが、このオンタデだけは結構生えています。下界の眺めは素晴らしいです。しかし十勝岳方面はガスに閉ざされていて見えません。このまま進めば美瑛に下って、そこから上富良野に戻ることもできるのですが、結局来た道を引き返し、吹上上富良野線に戻って上富良野へと帰りました。
2024.08.03
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7月26日、3日目です。ノルテ・ポトシから、所要30~40分で登山口到着。途中他の車にはまったく遭遇せず、信号もなくひたすらすっ飛ばしてきました。ただ、終点直前は斜度がきつくて、アクセル目いっぱい回しても50km/hに達しませんでした。登山開始は6時半過ぎでした。その時間はごらんのような曇天でした。登山口は標高1280mですが、そこが高木限界で、ハイマツ帯の始まりになっています。だんだん日差しが出てきましたよ。安政火口が見えてきました。まだ雲があります。チシマフウロシナノキンバイが点々と咲いていました。シナノキンバイわずかに雲をかぶっているものの、山頂がよく見えます。晴れです。コマクサヨツバシオガマイワギキョウ気持ちよく登っていきます。イワブクロ、東北北部と北海道の高山のみに分布する高山植物です。チシマフウロの大群落エゾツツジ山頂に到着。9時45分頃着なので、登りは所要3時間10分くらいでした。原始ヶ原方面の稜線は晴れています。次回に続きます。
2024.08.01
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