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昨年(2004年)のノーベル賞受賞者、ワンガリ・マータイさんが「MOTTAINAI」という言葉を使ったことから、今さらながらのように日本語の「もったいない」が見直されているようだ。それ自体は大いに結構なことなのだが、同時に疑問もいろいろ湧いてくる。そもそも、オイルショックの影響で、トイレットペーパーも塩もなくなるという国内パニックを経験した後、1970年代の一つの合言葉は「省エネ」だったはずだ。それ以前の1960年代には、公害問題や都市問題が日本でも噴出していたのだから、ヨーロッパで「静かな革命」と呼ばれた脱物質主義的な価値観が日本で出てきても本当はおかしくないはずだった。実際、1970年代当時は、子供向け雑誌にさえも「石油はあと30年でなくなる」といった類の記事が載っていたし、使い捨て文化はもう続かないといった危機感はそれなりにあった。だから、ロボットアニメの世界でも、無公害のエネルギー開発の必要性というものが設定の基礎に置かれたのだろう(光子力エネルギーとか、ゲッター線エネルギーとか――しまいには、宇宙コロニーや植民星への移住に至る)。なお余談だが、小松左京原作『日本沈没』がテレビドラマ化され話題を呼んだのは、1974~75年。ただでさえ資源の乏しい日本が、物理的に海の底に沈むとしたら、日本民族はどうなるのか――といった切迫感は、ドラマといえども非常にリアルなものだったと記憶する。しかしながら、その後に続いた1980年代は、「世界の経済大国ニッポン」「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉が並んだように、未曾有の経済的繁栄の時代であり、それがバブル経済につながっていった。80年代前半、私は中学~高校時代だったが、「ふーん、もうみんな『省エネ』なんて言わないんだ」と素朴な疑問を抱いていたものだ。そして、「省エネ」の次に来たのが過剰な使い捨て文化・消費主義的資本主義だったとすれば、それは一体どうしてなのか? 人々はなぜ、かくも容易に「省エネ」という言葉や考え方を忘れることができたのか? 80年代という10年間の功罪は、(アイドル文化が全盛だったことも含めて)改めて問い直されなければなるまい。ヨーロッパの政治理論・政治哲学の入門書をひも解くと、エコロジーやフェミニズムといった項目は当たり前のように出てくる。だから欧米の大学生は、1~2年生の内にそれらの基礎を学んでいることになる。転じて日本の場合はどうか。「エコロジー」という言葉をいまどき知らない人はいないだろうし、「地球にやさしい」とは、二酸化炭素を出しまくっているような企業でさえアピールするお決まりの言葉だ。しかし、それが一つの思想的問題だと考える人ばかりではない。ちょうど、バブルがはじけた後の現代にあっても、今だに、80年代のような景気を理想視する「バブリーな思考」の持ち主がいるように、世界が変わるような激動を経ても人の思考はなかなか変わらないものと見える。日本でも、世界的な水準での政治理論の入門書が書かれなければならないのかもしれない。
2005.04.30
世間一般で「ごーるでんうぃーく」と呼ばれているものの初日、実に久々にさだまさしの1992年ライブのCDを聴きながら、遅々として進まない翻訳に取り組んだ1日。原著は、英国シェフィールド大学教授の Michael Kenny が去年上梓した、The Politics of Identity。文字通り、「アイデンティティの政治」に関する理論的な書物だ。留学中にお世話になった Kenny 教授は、私にとっては Mike (マイク)である。最初は、発音にクセのある彼の英語を聞き取るのに苦労したが、今にして思えば、典型的なイギリス英語をしゃべっているのかもしれない。若手の政治学博士として大学院生の面倒を見てくれたマイクは、私の直接の指導教官ではなかったにもかかわらず、北米流の「リベラル・コミュニタリアン論争」の英国でのとらえ方、俗に言う「ポストモダン」の意味、思想史の方法論、左派的なラディカル・デモクラシー、等々について折に触れて語ってくれた。シャンタル・ムフやウィル・キムリッカ、アイリス・ヤングを私に読むように勧めてくれたのも彼だった。それはちょうど、日本でようやくラディカル・デモクラシー論や差異の政治、アイデンティティの政治が語られ始めようとする直前の頃だった。さらには、日本からの留学生である私に対して、西洋批判としてのポストモダンの観点から、非西洋的な思考からする政治理論への貢献に期待を示してくれたのもマイクであった。あいにく、当時も今も、その期待に応えるだけの力量を持ち合わせていない私だが、今日に至る私の問題意識や問題関心は、振り返ってみれば彼から受けた知的刺激に端を発しているものが少なくない。留学当時、日本を代表する民衆指導者の海外大学講演の英文原稿を彼に読ませ、その反応として「あまりに理想主義的過ぎる。いや、自分が悲観的なだけかもしれないが…」というコメントをもらったきりになってしまっているが、それに対してきちんとした形ある応答をしていくのが、これからの私の課題でもあるのだろう。そのマイクが、アメリカでのリサーチの成果も踏まえ、2冊目の単著をものした。それが本書 The Politics of Identity である。この本が発刊される以前から、彼がそれを執筆中であることは、私の留学時代の指導教授から聞いて知っていた。その翻訳を、奇しくも私が引き受けることとなった。決して容易に理解できる内容ではないが、北米発の情報が圧倒的に多い中で、英国流の議論をきちんと日本に紹介することが、少しでも彼から受けた知的恩義に報いることだろうと思っている。なおマイクは、私のPh.D.の最終試験(viva)で試験官を務めてくれた一人でもある。「お前は、ヨーロッパの議論の文脈をきちんと理解した上で、Ph.D.を仕上げた」と言ってくれた彼は、異なった文化のそれぞれの文脈を理解するということの困難さを分っていたのだろう。あまりに実力のなさ過ぎる自分ではあるが、彼の知的友情に応えられるよう成長するよりない。
2005.04.29
「知性」とか「英知」と言うが、それはいったい何なのだろうか?私は、世間一般で言う、頭がいいの悪いのということには、あまり意味がないのではと考えている。記憶力がよいからといって、思考力や創造性に富むとは限らない(もちろん、記憶力が悪くていいということにはなるまいが)。有名な学校を卒業しても、お世辞にも知的とは言えない場合もあるだろう。「インテリ」という言葉には胡散臭さがつきまとうが、しかし「インテリジェンス」という資質は、学歴の有無や職業に関係なく、生きる上で必要なものである。しかもこの資質は、単に高学歴だとか物知りだからといって、自然に備わるものではないし、まして生まれつきの頭の良し悪しなどで決まるものでもない。要は、どれだけ訓練したかの問題ではなかろうか。「知性」のために大切なのは、どれだけ物事を知っているか、よりも、どのような疑問を持っているか、の方ではないかと思う。普通の人が「当たり前」として通り過ぎてしまうところに問題を発見し、多くの人が「面倒だ」といって考えるのを避けてしまうことを執拗に探究し続ける、そうした態度にこそ「知性」が宿るとしたら、それは人一倍の疑問を心に抱いている人の態度ではないか。すべてを疑う悪しき不可知論者では不毛なニヒリズムに通じてしまうが、そうではない健全な懐疑、瑞々しい批判精神は、いつの時代にも必要だろう。しかもそれは、常に研ぎ澄ませておかなければ、たちまち錆付いてしまう。「才能ある畜生」という言葉があるが、確かに、頭のいいオロカモノというのは存在すると思う。たとえ「君は勉強不足だ」と言われることがあっても、「君は愚かだ」とは言われない自分でありたいもの。けだし、「英知を磨くは何のため?」を常に自分に問いかけることは、不可欠の自己錬磨だろう。これがあってこそ、単なる自己満足を越えた、豊かな想像力、強靭な思考力、確かな構想力がキラリと光るようになると思う。単なる知識の集積で終わらない、無尽蔵の「智慧」(wisdom)を発揮できる自分に成長し続けていきたいものだ。あぁ、勉強しなきゃ!
2005.04.28
英国の友から、ロンドン近郊の鮮やかな桜の写真がメールで届いた。ヨーロッパの冬は、暗く長い。国にもよるが、大体午後3時頃には暗くなり始め、また朝は9時ぐらいにならないと日が昇らない。日本でも春が待ち遠しいことに変わりはないが、それでも英国にいた時には、「春の訪れというのは、こんなにも感動的なものなのか」という感覚を抱いたものだった。春の訪れを象徴するのは、英国でもやはり桜だった。ソメイヨシノにはお目にかかったことはないが(どこかにあるのかもしれないが)、濃いピンクの八重桜は美しい。曇天が続いた冬を越え、春の青空に映える八重桜を見る季節になると、心が洗われるような思いを何度も経験した。今、友から届いた写真に写る桜も、変わらぬ英国の桜である。殺風景な工業都市シェフィールドでも、私の住まいから大学図書館に向かう途中の公園には、道路に沿って何本もの八重桜が植えてあった。公園自体は何の変哲もない四角い小さな公園だが、桜の咲き誇るその道を図書館に向かって歩く時には、不思議と自分の奥から生命力が湧き、封印されていた創造力が解放されるような感覚を味わった。あの春から今年で10年。自分にとってそこの桜は、文字通り「青春桜」である。5月から6月にかけて、英国は1年でもっとも美しい季節を迎える。
2005.04.27
英国ロンドン・ウェストミンスター大学の John Keane 教授が、5月末に初来日する。4泊5日という短期間の滞在ながら、多くの政治学研究者との面会や、都内の大学でのセミナー、政治思想学会での特別講演などをこなす予定になっている。Keane 教授とは、奇妙な縁である。そもそも Keane という政治学者が存在することを知ったのは、無知蒙昧な(苦笑)修士課程の院生時代、崩壊した直後のベルリンの壁を見がてら、ロンドン大学に資料収集に行った1990年2月のことである。当時、大英博物館付近にあった書店 Dillons (今は Waterstones になってしまった)で、訳も分らずとりあえず買った政治学の本の1冊が、彼の Democracy and Civil Society だった。しかし、その当時の自分の研究テーマに直接関係しなかったため、そのまま書棚のインテリアと化していたが、やがてシェフィールド大学大学院に留学し、Ph.D.論文の指導を受ける中で、「デモクラシー論や市民社会論を理解したいなら読め」と言われた中の一人が Keane であった。その本を買ってから4年余りの時を経て、改めて Keane 教授と「出会う」こととなった。そして結果的には、Ph.D.論文の最終章で、日本のデモクラシー論と比較する際の対象の一人として、彼の市民社会論について触れた。思えば、23歳の時のロンドンでの買い物は無駄ではなかったわけだ。教授に直接、不躾なメールを送ったのは、Ph.D.論文の最終章の原稿ができた後のことである。2003年夏の渡英の折には大英図書館で待ち合わせをし、初めてお目にかかった。内容はともあれ、英語で書いたものが自分にあることの強みを実感したのはこの時だった。世界的に著名な政治学者にもかかわらず、日本語に翻訳されたものがほとんどない Keane 氏だが、オーストラリア生まれの彼は非常に気さくで、彼が進めているデモクラシーの歴史に関するプロジェクトの観点から、日本のデモクラシー(論)について立て続けに質問された。こちらが当初用意していた質問の半分も聞けなかったくらいだが(苦笑)、その時に分ったのは、意外にも彼が直接面識のある日本の研究者がほとんどいないということだった。彼に来日の計画があることを聞かされたのは、2度目の会見となった2004年8月、彼のオフィスの近くのパブで、若者たちが大騒ぎをして飲みまくっているなかで語り合った時だった。結果として、私のような若輩者が、今年の彼の来日のお手伝いを及ばずながらすることになっている。「市民社会」という言葉は civil society の訳語だが、「civil」な社会とはどういう社会をいうのだろうか? 人々が政治など「公共のことがら」に関心を持ち、自発的に団体(アソシエーション)を作って活動する社会のことか? それとも、洗練された文化を持つ「文明的」な社会か? 「civil」の反対である「uncivil」な社会は、暴力に満ちた社会のことだろうか? Keane 教授の該博な諸論を読み解くのは容易ではないが、少なくともベルリンの壁崩壊後、世界的に「市民社会論」がおびただしく登場し、昨今ではグローバル市民社会まで語られている、その20年近くの知的蓄積を、分ったふりをしてやり過ごすのでなく、きちんとした形で消化し継承する自分でありたいと思う。なかなか困難な、遅々として進まない作業ではあるが(涙)。
2005.04.26
先週はめずらしく飲み会が続き、その中で職場の同僚と、科学的なものの見方について、酔った勢いで語り合った。同じ「科学」とは言っても、自然科学が、データの収集・分析・仮説・検証といった手続きを曲りなりにもとることで一定の客観性を担保しようとするのに対して、社会科学の場合はそうはいかない。また、物理学をモデルにした自然科学の方が「科学性」に優れていると言い切ることも、今日ではできない。では、個人の主観がどうしても入り込んでしまう社会科学は、いかにして「科学」たり得るのか――かなり古典的な問いではあるが、こうした問いが今日「不必要」とか「解決済み」だとして済ますことはできないと考える。ところが、90年代後半からの約10年間、こうした問いにかかわるような緊張感が、失われてしまったのではないかと思えてならない。むしろ、「本人がそう思うんだからいいじゃないか」「いろんな見方があるんだ」ということで、どんな意見をも正当化してしまう、「何でもあり」の知的状況になったのではと懸念している。科学的な見方に比較はつきものなのだが、「自分らしい意見」を隠れ蓑に他者との比較を嫌い、他者から学ぶことを嫌う、臆病な倣岸さが広まってはいないだろうか? 挙句の果てには、「何が正しく、何が間違っているのか」ということ自体が、どーでもいいこととして隅に追いやられてしまってはいないだろうか? それがそのまま、「国によって(文化によって)立場が違う。だから見解も違うんだ」という安易さにつながってなければいいのだが…。そんなことを語り合いながら飲む酒は、この上なく美味しい。その飲み会の結論は、「改めてマックス・ウェーバーを勉強しようね」という、いかにもありがちなものだった(苦笑)。
2005.04.25
「一つの記憶は、人の中で絶えず増幅を続け、色とりどりの意味を与えていく。それに支配されるのが、人の悲しい性なのだろうか」――とは、エルガイムのよく知られた冒頭の導入部。人は確かに現在に生き、未来を作り出していく存在だが、疑いもなく現在の自分は過去の蓄積の上にある。そして、過去のあらゆる出来事を記憶して生きるというのは、ある意味で拷問でさえある。「忘れる」というのは、人が健康に生きるための大いなる能力なのだろう。しかし同時に、「忘れないでいる」ことの重要さも否定すべくもない。私は学生時代から、現在の自分の状況を、5年前からの流れの中で、10年前からの流れの中で、15年前からの流れの中で…というふうに、意識して時の流れの中に位置づけて理解しようとする癖がついてしまっている。そして折に触れて、忘れていた記憶が蘇っては、そこに新たな意味を見出して、現在の自分の位置を再確認していく。それを「歴史的なものの見方」と言うなら、私たちは過去との対話なくして未来に向かえないことになる。意識して「忘れないでいる」ことはしんどいことだが、日々の多忙な生活をただ消費していくだけでは、その時々の「思い」「思索」が経験として血肉にならない。やはり時に立ち止まって、その時点での自分の思いを言語化することは重要なのだろう。年年歳歳、時の流れがスピードアップするように感じるので、余計にそう思う。愚かな過ちを繰り返さないためにも…。
2005.04.24
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