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tomoさんと仰る統一教会の信者から、大阪などで強制改宗を目的とする拉致監禁が頻発している、という相談(?)がakiさんのところにありました。元教会員のネットワークでの議論を求める、という要請のようです。もしも、大阪などで蠢いている過激な拉致監禁グループを推定、ないし特定できるようなら、対策を考えましょう。そもそも、統一教会の日本における監禁問題とは、1970年代にG・T氏が率いる「原理運動○正会」が組織化したと聞いていますが、大学生などの会員を親が自宅や親戚の家などに閉じ込めて説得してみたり、態々元信者やキリスト教の牧師などを招いて解説を聞くよう強要したものです。一般紙では産経新聞が早くから統一教会の動きを捉え、「茨木事件」を積極的に報じました。また、個人として、日本で最初に統一教会批判の先頭に立ったのは、牧師でした。森山牧師(故人)は自分たちの宗派の教会で、信者2世の青年が突然原理運動(統一原理の青年サークル、通学を止めて合宿生活し、資金集めのために廃品回収などをした)に転向し、その対応に取り組んだ体験から、韓国のクリスチャンからも情報を得て、日本初の「反対牧師」になりました。キリスト教会の牧師と対話させたところ、憑き物が落ちたように脱会した、という体験談が広まって、親が相談しに来るようになり、敏腕牧師の説得に熱い期待が寄せられるようになりました。森山牧師は職務多忙のため、親がクリスチャンである者、少なくともキリスト教会に通っている者に限って対応することとしました。同牧師の談によると、対話を続けた青年の3人に1人は統一教会に残り、3人に2人は脱会して家に帰り、そのうち1人がキリスト教会に来るようになった、といいます。一方、教会員や学生サークル会員たちは、仲間が牧師と対話すると脱会してしまうと怖れ、さらに、そういう機会を自ら極度に避けるようになり、親たちはこれに対抗して、そこまで事を運ぶ巧妙な技術を発達させました。こうなると「親子の化かし合い」です。手荒な真似をする親はもともと珍しくありませんが、それを指図する専門家まで登場しました。これに対して、進歩派の牙城である朝日新聞の編集委員は、個人の自由を絶対的に尊重する立場から特に問題視し、紙面でも大きく取り上げました。このときの動きを無駄にすべきではなかったと感じます。(これは、スパイ防止法の推進運動が主として統一教会を資金源・人材源としている、という指摘が前面に出るまえのことでした。)日本では、統一教会の組織、会員の家族、反対する宗教者の3者間で、30年くらい前からこんな非常事態が続いているのです。一部過激な反対勢力の中核は「聖戦思想」に転落しているのかとも想像されます。森山諭牧師は少数派プロテスタント(福音派)の古参牧師ですが、その教会に所属するM氏は「脱会コーディネーター」として、秘書役の若い信者とともに出向き、統一教会を批判する非クリスチャンと接触していました。監視役を兼ねた秘書と見え、牧師はM氏の活動が暴走することを警戒していることが言葉の端々から窺えました。ここに矛盾があります。日本では、クリスチャン人口は数十万人に留まる少数派であって、家(いえ)の宗教とは別の、個人の宗教として出発しています。血統にしたがって親子間で宗教・人生観を継承するというような規範とは相容れないものです。しかし、もちろん、家族内では国の法律が介入できないという場面が多くあり、日本人は学生などを一人前の大人とは認めませんし、親が親心から子に拳を上げても、怪しみません。社会は個人を基礎として成立し構成されている、という進歩的な社会観に対して、家庭が国家・社会の基礎単位であるという伝統的な国家・社会観があり、対立してきましたが、子に対する親の権威・権利を尊重する草の根保守層は侮れないものがあります。さて、統一教会は政治活動において、伝統的な国家・社会観を強く支持しており、その点では保守層から熱烈に歓迎されています。しかし、実際に身内からマッチングを受けようという信者が現れれば話は違います。家に連れ帰るために何でもしたい、と、その親達は真剣に考えます。厳正に法を執行するはずの国家機関ですら、その親心には涙するようです。牧師はそれに反対します。連れて帰った後、どうするつもりなのか、やめておけ、と。親は困り果てます。そして、そこに専門家が入ってきます。私としては、どちらの言い分も分かるので、親は子の、兄弟姉妹はきょうだいの幸せを第一に考えて最良の選択をしてもらいたい、と願っています。統一教会員は一般人よりも悪行を働き、あるいは不幸になるに違いないという観念が迷信であると事実をもって立証しつつ、強制改宗は精神的打撃が深刻で、少なからず不幸にさせる、ということを訴えて欲しいと思います。そのために内部改革が求められています。拉致監禁の問題が何かの言い訳として使われないように注意しなければなりません。蛇足ですが、もちろん、個人の自由を尊重し、その信教の自由を認めさせるよう、現実の社会に対しても、変革を図る必要があるようです。・・・いや、これは教理と矛盾するのかもしれませんね。
2007/02/26
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http://search.yahoo.co.jp/search?p=%C0%C4%C4%C5%CF%C2%C2%E5&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1&x=24&y=11国際女性問題研究所を探したら、こういう人を見かけました。ジェンダーフリー騒ぎに関係しているようです。http://kenseisyokyo.blog71.fc2.com/ 高知県の団体ですが、共生共栄共義主義の下、祖国を「創建」するそうです。何か情報があれば、ご一報願いたく。
2007/02/23
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柳沢発言よりもはるか以前に、共産党の綱領改定案の中で、同質の誤った表現があり、党員たちの批判によって書き換えられた。原案を書いた人たちの人権感覚、国家観は、柳沢大臣と同じレベルだったようだ。この24回大会で不破議長は引退したが、引責辞任だったのではないか。 http://www.mhl.janis.or.jp/~k-ikeda/nissi-0401.htm (池田国昭市議)・・・少子化対策は、それこそいまや社会の責任で、行うべきものだ。 今回の新綱領の中には、 〔経済的民主主義の分野で〕 4 国民各層の生活を支える基本的制度として、社会保障制度の総合的な充実と確立をはかる。 子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する。 日本社会として、少子化傾向の克服に力をそそぐ。 と明確にしている。 それに関して、不破議長が、最終的に決定する前に行われた、結語の中で、次のようにその決定の経過も明らかにしている。 「経済的民主主義の分野で」の4項です。 原案では、子どものための施策の問題と、少子化傾向の克服の問題とを、ひとつの文章にまとめていました。 しかしこの問題は、目的と手段という関係ではなく、それぞれが独立した重要な課題であります。 その意味で、二つの課題を独立した課題として文章をきって表現することにしました。 問題の性質からいって少子化傾向の克服の問題を後段に移し、それが、日本社会がとりくむべき課題であることを明記するように改めました。 注) 原案は、 「 少子化傾向を克服する立場から、子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する。」・・・・・・・・〆少子化傾向が克服されても、産む選択、子育て支援、子どもが健康に育つ権利は尊重されるべきではないの?という批判に応えたものだが、産みやすく育てやすい環境をつくることが手段でではないのだろうか、また、少子化傾向克服が目的(重要な課題)でないあるとすれば、「日本社会」としては、どのように克服するのかという手段(過程)を明示していないことになる。内容に矛盾があるので、適切な接続詞を付けることができなかったということだ。「日本社会」を主体とし、少子化傾向克服を「重要な課題」とする以上は、その手段ないし過程として、産む役割の女性に1人頭でより多く出産してもらうことは欠かせない。つまり、「産む機械」となる。老革命家といえども日本人の子孫繁栄を願う点において、ただの愛国老人に似る。 愛国主義の党であることは承知しているつもりだが、「日本社会」なるものは日本民族、日本国、国家体制とどれほど違うものだろうか、それを主体として認めるのは、「国民が主人公」という立場から、いかがなものか、という疑問は消えない。
2007/02/22
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共産党は現在の綱領へ改定するとき、少子化傾向を克服する立場から、という一句を書き足しました。そのときには異論が多々出てきました。自民党員もこれをよく読めば、厄介な問題であるという認識を体恤、いや、体得できるのではないでしょうか。http://www.shii.gr.jp/pol/2003/2003_07/2003_0715_01.html2003年7月15日(火)「しんぶん赤旗」綱領改定案について志位委員長が縦横に語る 日本記者クラブで講演と質疑 ~ 高齢化は歓迎すべきだが、少子化は社会全体として克服すべき重大な課題となっていると強調。綱領改定案でも「少子化傾向を克服する立場から、子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する」と明記している ~http://blogs.yahoo.co.jp/hiroseto2004/41869337.html 広島瀬戸内新聞・・・・・・「少子化克服」か、「人権保障」か?という、大変重要な論点だと思います。「少子化克服」としてしまうと、「お国」の政策目標に、国民を従わせることであり、これは「公の秩序」で人権を制限する今の「自民党新憲法草案」に通ずるわけです。・・・・・・・・・・・・「少子化傾向を克服する立場から、子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する。」 右の「 」内を「子どもの権利条約を具体化し、子どもを保護の対象から権利の主体とする立場から、こどもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する。また、大人も憲法第25条に謳われる人間らしい生活ができるような社会を目指す。日本国憲法第24条第2項にのっとり、人生の自由な選択が認められるような環境を整備する。」に修正することを提案します。 政治のあるべき目的はあくまで、「少子化傾向を克服する」ためではなく、憲法に沿った、大人も子どもも人間らしく生きられる社会の実現です。 豊かなはずの日本で子どもが、人間らしく生活できない状況があります。また、とくに若手労働者の多くが低賃金・不安定労働条件にあり、人間らしいまともな暮らしができていない状況もあります。あるいは、親に経済的に頼ってなんとか暮らしている状況があります。 こうした状況のもとで、人々が自主的に選択した結果、起きているのが少子化です。自主的に、といっても選択肢が限られているもとでの「自主」であり、「自由」とは程遠いと思います。 「2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」これが、憲法第24条第2項です。・・・あくまで、個人が人間らしい生活が出きるようにすること。ここを出発点にすれば、少子化も自然と歯止めがかかると思います。 パート・派遣の均等待遇やサービス残業の根絶など、労働・賃金・生活条件面での整備も盛りこめれば盛りこむべきとも愚考いたしますが、別のところで触れれば良いでしょう。 絶対に「産まない選択」「結婚しない選択」が否定されるべきではありません。もちろん、「専業主婦(夫)」なども含めあらゆる選択肢が尊重されるべきです。 「生めよ増やせよ」の圧力が物理的にはもちろん、精神的にも個人にかかるようなことだけは絶対にあってはなりません。「彼氏いないの?」「彼女いないの?」の何気ない問いも当人にとっては拷問のことがあるのです。政府の政策がそうしたことを誘発しないよう配慮も必要です。 ・・・・・・・・・・・〆http://space.geocities.jp/sazanami_tusin/congress2/23th/discussion/d23_03/d230320.htm 「少子化傾向を克服する立場から、」に反対---- 本間一郎(東京)・・・・一点、反対の部分があります。第4章の、「少子化傾向を克服する立場から、」の文言です。 「子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する」のは、「少子化傾向を克服する立場から、」天下り式に出る結論ではありません。にもかかわらず、「少子化傾向を克服する立場から、」の文言があるため、論理的には、少子化傾向でなくなった場合に、「子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視」するのか、しないのかについては、何も言及していないことになってしまいます。 また、少子化傾向を克服すべきとする立場自体にも反対です。 第1に、人口が減少することは衰退だから克服すべきというのは、国家主義的であり、とるべき立場ではありません。現在、わが国で子育てがしにくい状況を改善する必要があることは事実ですが、そのことと、少子化自体を問題視する立場とは、別次元のことです。 第2に、このままでは、人口が50年たったら2分の1、100年たったら、4分の1になるから衰退に向かうということが理由になっている点です。仮に、その予測のとおりとしても、日本の総人口を1億2千万人として概算すれば、2分の1は6千万人となり、現在のイギリス、フランス、あるいはイタリアの総人口と同程度です。4分の1は、3千万人となって、現在のカナダと同程度です。総人口が、この程度であってはいけない理由は、何もありません。したがって、人口の減少が衰退であるということには、根拠がありません。 第3に、全世界的に見れば、人口は爆発的増加傾向にあることです。 1971年に、約37億人であった世界人口は、1997年には、約58億人になっています。わずか4半世紀の間に、5割以上の増加です。そのことが、食糧、資源、エネルギー、環境問題に与える影響を、わが国だけが受けないということは、考えられません。個人の意志に反して、行政的な強制力で産児制限をせざるを得ない状況に追い込まれることこそ、警戒しなければならないと思うのです。従来、この問題は、新マルサス主義的であるとの見方からかどうかはわかりませんが、十分には検討されてこなかったように思われます。しかし、地球が有限であることが強く意識されてきている現在においては、改めて解明をしていく必要があると思います。 以上の理由により、「少子化傾向を克服する立場から、」を削除すべきと考えます。---- 〆http://space.geocities.jp/sazanami_tusin/congress2/23th/discussion/d23_03/d230319.htm 「少子化傾向を克服する」点についての補強意見---宮島正(大阪) 少子化傾向を克服することが目的で、施設と措置を確立するという文章は、子育て世代にとって抵抗を感じます。少子化であろうとなかろうと、そうした施設と措置の確立は重要です。 少子化の要因については、夫婦の努力だけでは解決できない、社会的な諸問題があります。少子化は、働きざかりの男女の労働と家庭生活との両立が困難となっており、この現状が現代日本の深刻な社会問題になっているのではないでしょうか。 子育て世代にとっての不安は、1)経済上の諸問題として、低賃金と長時間労働、休暇や早退が取りにくいこと、1人1000万円と言われる高い教育費、2)社会施設等については、保育所の不足、小児科や保健所などの減少、3)競争教育が進められることから起こる教育の諸矛盾、4)核家族化や地域社会との結びつきの希薄化と前記 1) 2) 3)が絡み合い、育児中の母親が社会から疎外される。その他、様々な問題があると思います。 綱領のこの部分の文章では、子育てと労働の矛盾、保育や教育など子どもを取り巻く社会の矛盾から、少子化の解決に取り組んできた日本共産党の立場が伝わってこないと思います。したがって、「子どもの健康と福祉、子育て援助のための社会施設と措置の確立を重視し、少子化傾向を克服する。」とした方が、すっきりすると思います。 あわせて、前記 1)から 4)のような諸矛盾は、「2、現在の日本社会の特質 (6)」の文章と重なります。この部分の現状規定に、教育問題を含めて少子化の問題として記述することを提案します。 ---〆
2007/02/21
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民主党幹部・菅直人議員。かねてから、~地域の「生産力」は必ずしも大都市の方が高いわけではない~、として、出生率の低さを指摘していました。結婚・子育てしにくい街は、繁栄しているようでも、じつは貧しい、ということでしょう。それで最近、・・・民主党の政治家も人間の出産を物の「生産」と同列に扱っていたではないか・・・と反論・非難されました。もっとも、母性保護の対象をリプロダクティブ・ヘルスといいますが、直訳すると、再生産的健康、と読めます。共産党の執行部はどうでしょうか。・・・少子化対策についても疑問符です。「少子化を克服する立場」に立つとしますが、「こどもと親の幸福を追求する立場」とすべきです。あくまで人権を守ることが出発点にあるべきではないでしょうか?・・・という異議申し立てがあります。http://www.janjan.jp/government/0401/040113212/1.php同様の異議が、じつは当日の大会の議論でも代議員から提起され、これに対して、不破議長(当時)は ~人権擁護を大前提として、先々、われわれの社会を維持することに責任を負い、対策を講じるのは、政党・政治家として果たすべき責務である~ という趣旨の回答をしたと記憶します。結局のところ、出産する役割の人々(女性)を、「社会を維持するための手段」としていないわけではなく、柳沢大臣と異なるわけでもありませんが、この微妙な問題に早く気付いて、考えを整理していたかどうかの差が出ています。保守政治家の主たる役割は利害調整であり、政治家は言葉が命ですから、利害関係者である女性への細やかな配慮が必要でした。老いた男性の政治家では無理ではないかと思う今日この頃。
2007/02/21
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6者協議の合意は、核兵器放棄や核実験停止の実効性が疑われている。「米朝枠組み合意」の失敗を再演しようとしているようだ。米国は拉致や核よりも、イラク、イラン、・・・つまり石油とイスラエルに気を取られており、さらに、経済界(ウォールストリート)の期待から中国に引きずられているのかとも見える。「日米同盟」の重み、というが、軽さが透けて見える。だから、重みを回復する必要があるだろう、と、勇ましく核武装論が登場するわけだ。非核3原則を国是とする姿勢が大きく揺らいだ観がある。他国すべて(世界人民)を滅ぼしても自国(の体制)だけは防衛する、と公言した将軍様の国に 大きく近づいた観がある。 少しでも近付いたとすれば哀しい。 核感染症かもしれない。
2007/02/20
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有田芳生の『酔醒漫録』2007/02/13・・・さてここで「今週の山崎拓」だ。まずは統一教会が総選挙で組織的に支援していた証拠を明らかにする。2003年の総選挙で「重要事務連絡」という指示が出されている。ここで「全食口」というのは統一教会信者のことをいう。「KYK長」とは教区長のこと。・・・〆_______________________________証拠の「重要事務連絡」について。まず、比例区で公明党への投票を指示しているのは巧妙で、自民党政権の骨抜きを狙っているのだろうが、絶妙なバランス感覚というべきか。さて、有田氏によれば「山拓支援の証拠」というものの、少しおかしい。福岡県内の「全食口」に宛てたものらしく、選挙区候補は県内のみ列挙されており、もちろん、山崎氏もその一人だが、6人の中の1人でしかない。さらに、2つの異状が目に付く。ひとつは、立候補を予定しながら、直前に出馬辞退した富永氏の名前があることと、もうひとつは、5人の自民党公認候補が掲載されていないことだ。鳩山邦夫、古賀誠、三原朝彦、西川京子、山本幸三の5氏が無視されているのだ。この選挙区には1人も食口がいない、とか、別の教区だ、という事情があるのだろうか。彼らは、小選挙区で最大野党の候補者たち、すなわち、古賀一誠、中屋大介、北橋健治、城井崇、稲富修二の5氏と対峙していたのであり、惜敗率によって復活当選が左右され、組織的な棄権は、自民党候補にも民主党候補にも影響を及ぼすことは気になる。鳩山氏や古賀氏らが統一教会に恨まれるようなことをしたのだろうか、それとも、相手方の民主党候補を統一教会が間接的に支援(手加減)する意図でもあったのだろうか。外野からは窺い知れない暗闘があるのではなかろうか。http://www.mapion.co.jp/topics/el2005/admi/40.html2005年9月総選挙/福岡県また、宗教法人の役員である教区長が信者に対して、投票すべき政党や立候補者を一律に文書で指示するのは、いろいろと問題があるわけだが、党員(食口)個人の政治的自由を許さない一個の革命政党としては当然のことだろう。
2007/02/14
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大臣の公式記者会見を添削しました。なぜ、柳沢大臣は添削前の稚拙な表現をしてしまったのか、推理してください。(記者) 少子化対策は女性だけに求めるものなのか、考えはいかがか。添削前(厚労相)(1)若い人たちの雇用形態が、例えば婚姻状況などに強い相関関係を持ち、雇用が安定すれば婚姻率も高まるような状況なので、まず若者に安定した雇用の場を与えていかなければいけない。(2)また、女性あるいは一緒の所帯に住む世帯の家計が、子どもを持つことで厳しい条件になるので、それらを軽減する経済的支援も必要だろう。(3)もう一つは、やはり 家庭を営み、子どもを育てることには人生の喜びのようなものがある という意識の面も若い人たちがとらえることが必要だろう。(4)そういうことを政策として考えていかなければならない。(5)他方、当人の若い人たちは結婚をしたい、それから子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけだから、本当にそういう若者の健全な、なんというか希望というものに我々がフィットした政策を出していくことが非常に大事だと思っている。添削後(厚労相)(3)もう一つは、やはり 家庭を営み、子どもを育てることには人生の喜びのようなものがある という意識の面も若い人たちがとらえることが必要だろう。などと心配する向きもあるようだが、実はそうではなく、(5)他方、 当人の若い人たちは結婚をしたい、それから子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な 頼もしい 状況にいるわけだから、本当にそういう若者の健全な 頼もしい 、なんというか希望というものに我々がフィットした政策を出していくことが非常に大事だと思っている。(1)若い人たちの雇用形態が、例えば婚姻状況などに強い相関関係を持ち、雇用が安定すれば婚姻率も高まるような状況なので、まず若者に安定した雇用の場を与えていかなければいけない。(2)また、女性あるいは一緒の所帯に住む世帯の家計が、子どもを持つことで厳しい条件になるので、それらを軽減する経済的支援も必要だろう。(4)そういうことを政策として真面目に考えていかなければならない。
2007/02/13
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070206-00000132-mai-pol(記者) 少子化対策は女性だけに求めるものなのか、考えはいかがか。(厚労相)若い人たちの雇用形態が、例えば婚姻状況などに強い相関関係を持ち、雇用が安定すれば婚姻率も高まるような状況なので、まず若者に安定した雇用の場を与えていかなければいけない。また、女性あるいは一緒の所帯に住む世帯の家計が、子どもを持つことで厳しい条件になるので、それらを軽減する経済的支援も必要だろう。もう一つは、やはり 家庭を営み、子どもを育てることには人生の喜びのようなものがある という意識の面も若い人たちがとらえることが必要だろう。そういうことを政策として考えていかなければならない。他方、当人の若い人たちは結婚をしたい、それから子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけだから、本当にそういう若者の健全な、なんというか希望というものに我々がフィットした政策を出していくことが非常に大事だと思っている。_____________________________国民(多数の若者)の意識にフィットする政策をしたいのか、それとも国民(文字通り全員)に健全な意識を植え付けたいのか、どちらだろうか。事実は「結婚をしたい、それから子どもを2人以上持ちたい」という希望を圧倒的大多数の若者が抱いているという望ましい状況にあると報告されている。自民党員の価値観として、自発的なDINKS(ダブル・インカム・ノー・キッズ)を不健全と評価することは十分に理解できるし、私も同感だ。審議会の有識者ならば、これで十分だ。しかしながら、「若い人が意識の面をとらえる」とは何か。表現が稚拙で曖昧だ。事前に準備していなかった部分なのだろう。大臣は「お前たち国民全員に健全な意識を植え付ける政策が必要だ」と宣言したのだろうか。単なるお説教親爺だとしたら、公私混同というべきである。大臣の公式記者会見の席で言うべきことではない。なんとしても、悪いのは不健全な意識を持っている国民(若者)なのだ、と思いたいらしい。しかし、自ら認める公式のデータに反しており、これを最後に言及したため、前後が矛盾している。支離滅裂だ。
2007/02/07
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2003年6月26日のこと。鹿児島市での公開討論会。全日本私立幼稚園連合会九州地区が主催した。3人の政治家が求めに応じて討論会に出席し、少子化について発言した。主催者側の狙いは、むろん、公費負担(補助金)の維持に向けた世論醸成である。幼児期の教育は健全な次代の育成に必要であり、その経費を親に負わせるのは、少子化への配慮に欠けている、という結論を狙っていると察せられる。森喜朗・子供を沢山作った女性が、将来国がご苦労様でしたといって、面倒を見るのが本来の福祉です。ところが子供を一人も作らない女性が、好き勝手、と言っちゃなんだけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって・・・税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ。太田誠一・プロポ-ズする勇気のない人が多くなっている。・(プロポーズできないから集団レイプするのか? と司会者に訊かれて)・・・まだ元気があるからいい。そんなことをいっちゃ怒られるけど、正常に近いんじゃないか。・(後日釈明)それほど強く異性を求めているのであれば、きちんと結婚する相手を探すべきだ、といいたかった。この二人の意図を汲んでみよう。森元首相は、年金制度を攻撃し、出産しない女性には税金を使いたくないと仄めかした。教育予算増額(アメ)の要望に対して年金削減(ムチ)をチラつかせて矛先をかわしたともいえる。さらに、太田氏は少子化の原因は男が女にプロポーズしないからで、政策ではどうしようもない、今どきの異常な男たちが悪いのだ、と。性質の悪い放談に紛らせて本題から逃げようとしている。さて、今回の柳沢・厚生労働大臣の発言はどうだったか。「産む立場の女性に一人頭頑張ってもらうしかない」とは、評論家や学者のような言で、無責任であったことは確かだが、はぐらかそうという意図は無く、人口統計学を説明しただけである点は認めてよい。むしろ、よく似た先輩がもう一人いる。渡辺美智雄http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc_text.cgi?SESSION=24939&SAVED_RID=3&SRV_ID=5&DOC_ID=195&MODE=1&DMY=26910&FRAME=3&PPOS=244#JUMP1http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc_text.cgi?SESSION=13195&SAVED_RID=4&SRV_ID=6&DOC_ID=2773&MODE=1&DMY=16085&FRAME=3&PPOS=258#JUMP1・老人(の医療など)に金を使うのは、枯れ木に水をやるようなものだ。1983年11月24日、東京都内で・乳牛は乳が出なくなったら、と殺場へ送る。ブタは八カ月たったら殺す。人間も働けなくなったら、死んでいただくと、大蔵省は大変助かる。経済的にいえば、一番効率がいい。1983年11月23日、福井県で・お金を支払いたくなければ、さっさと死んでください、そうすればお金はかかりません。これらの罰当たりな暴言も、客観科学(酷薄な算盤)としては成り立つ。その意味では、柳沢発言も同系統の一貫した失言である。本来、厚生労働大臣は財務省に対して、「女性を励まして出産して貰うしかないのだから、せめて財源を手当てしてくれ」と主張すべき立場であるが、その部分を公開の場では言えない以上、いくら合計特殊出生率を「面白く」説明しても、無責任な放談にしかならない。1986年3月6日、渡辺美智雄氏、予算委員会で釈明・福祉社会を実現するためには非常にお金がかかるのですよ、そのお金をどうして我々が集めていくか、みんないつかは老人になるのだから、みんなで出し合って、働いた老人をみんなでいたわっていかなければなりませんという結びになっておるわけです。渡辺美智雄氏の場合、本人のキャラクターのほかに、この結論部分があるので、命脈は保たれたが、柳沢発言には落ちが付いていないただの軽口だとすれば、物議を醸すだけでは済まない。今回失言の結論部分は「がんばってもらうしかない」なのかと。大臣から産む立場の国民(49歳以下の女性)へ、あるいは、侍従から産む立場の皇族(妃殿下)のような方々へ、公然とご出産をご期待申し上げる発言をするのは、みずからの奉仕する立場を弁えていない、というべきである。香西泰氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E8%A5%BF%E6%B3%B0)は、少子化で(企業が)困るなら、外国人労働者を連れてこよう、という意見であり、(私も「宮家再建」を強調しているが)それで困るなら、本人(国民など)がどうにかするしかない。少子化に合わせた社会整備としては、移民導入以外に、バリアフリー化による高齢者の就労などが提案されている。車椅子で行列して仕事へ向かう通勤風景。それも一法である。(歩行困難な障害児が幼稚園入園から分離されてしまっている現状は改善の余地が大きい。)産む立場の貴重な女性に低賃金で就労を強いている現状こそおかしいのであって、働く意欲のある高齢者が代わりに働けば、これも効果がある。国家財政の不均衡の危うさを強調する財務官僚を前にしたとき、今の政治家と国民は異常に萎縮していて、覇気・勇気がないようだ。政府予算の「家族政策」の支出増などを獲得すれば、結果的に少子化の解消につながり、経済に必要な未来の市場と労働力とを生み出すだろうが、それは余禄に過ぎない。・・フランスの家族政策(http://www.ambafrance-jp.org/article-imprim.php3?id_article=478)(http://www5.hokkaido-np.co.jp/motto/20060812/)その前にわれわれが、フランス並みに「幸福追求」を図々しく堂々と実践する正常な国民になるのが先だ。
2007/02/06
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http://d.hatena.ne.jp/kilemall/20070131/p2(←笑人口統計学の考え方をわかりやすく説明すれば、15歳から49歳までの女性をいわば「産む機械」に還元し、その「稼働率」から将来の人口を推計することである。人口減を止めるように操作するには。死亡率低下、移民流入などを別とすれば、この稼働率つまり「合計特殊出生率」を下支えする以外に、方法はないわけだ。ここまでは柳沢大臣が官僚から教わった通り。さて、中国文革直前。人口を操作・操縦・管理する、というところから、毛沢東主席は躓いた。彼は、官僚が一般の人々の結婚・出産に介入するおぞましさ、を嫌ったのだろうか。後に、中国の人口政策がファンダメンタル派の米国人から非難されるようになるのは、毛主席の文革終結後の現実的政策に対してである。当時、人口はあくまでも自然に任せ、農場や工場などを人口に合わせて開拓・増設しよう、と毛は考えたのだ。山も開拓して天まで耕す、と。そして、人口学者は放逐されたが、毛の夢想は叶わなかった。英国の古典経済学では。マルサスの人口論は、失業の原因を人口増加に求め、餓死、間引き、植民、戦争などを不可避とみなした。これを修正したのが新マルサス主義で、晩婚・避妊を奨励した。高等教育を女子に普及することもまた、晩婚化をもたらしたが、結果的には新マルサス主義の一翼を担った。公衆衛生・医療水準の向上に女子教育も加わって、未成年とりわけ乳幼児死亡率は、低下した。これによって、死亡と出産との量的競争から脱し、合計特殊出生率も低下。懐妊・出産を休み無く続けるような「無教育」な夫婦はいなくなった。いまさら、女性を「産む機械」に戻そうとするのは、もちろん無理。ご存知のように、女性は誰からも「産む機械」と見なされることを拒絶する。おそらく近代市民は誰でも、家族も含めて本人のために良縁を願い、自分たちのために結婚を決意し、子宝を願う。人口統計学は客観科学であり、それ自体に誤謬があるわけでもないが、現実に世の中で実践すべきことは、人口操作のおぞましさを弁えたうえで、人々が新生児の誕生を自然に歓ぶ心情を、そのまま大切にし、結婚年齢・出産回数に上から介入するのではなく、世の中の平凡な女たちの喜怒哀楽に満ちた暮らしと人生を後ろから応援し、ひとつひとつ障害を取り除くことだ。
2007/02/02
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柳沢厚労相の発言「なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。・・・ブツブツ・・・あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。」これだけなら、話題にもならなかったようだ。しかし、よく読めば、おかしい。「産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。」 国民に「頑張ってもらう」とは、 担当大臣が気軽に言ってもよいことだろうか。「なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。」「なかなか○○してくれない。」とは、ただのボヤキに聞こえる。 担当大臣が公然と気軽に言ってもよいことかどうか。「もっと産んでくれ。そうでないと困る。」とも聞こえるのだが。しかし、困るのは大臣ではなく、本来は国民のはずだ。そうは心得ていないから、まるで国民は産む機械かのような説明になる。一部の女性たちが、さんざん五月蝿く言ったのに聞こうとしなかった。3人は産みたいけれど、1~2人しか産めない困った環境の下、ずっと困ってきたのが、無駄に辛抱強いわが国民である。無闇に切開手術したがる産科医。産院の都合に合わせて産まされる分娩。地方の産院は閉鎖。里帰り出産も叶わない。子どもの急患がたらいまわしされる救急病院。子どもたちだけでは外で遊べない道路事情。住宅、幼稚園、塾通い、高等教育などの負担が親にのしかかる。一旦仕事を辞めたら復帰できない。再就職できても急激に給与水準が・・。その安い時給のパートを当てこんでいる企業・業界ばかりが繁盛する。がんばって働き続けようとしても、保育所・託児所は・・。旦那は職場のノルマと競争に呑み込まれ、過労・・・。子育ても家事も母親が負う。大方の女性が「たくさん産まれてよかった」と手放しで喜べる条件がどこにあるのか。大臣なら、それを深刻に考えた上で、「これからは、安心して結婚・出産・子育てできるように、私がなんとかしますから、これまでのことは忘れて、楽しみにしてください。」・・・と約束するのが大臣の役目であって、頑張るべきは「今の女性」ではなく、今の厚生労働大臣だ。「なかなか今までの大臣は一生の間にたくさん子どもを産めるようにしてくれない。大臣は公僕の頭だ。しもべ、と言ってはなんだが、国民の厚生を司る役目の人びとに頑張ってもらうしかない。」
2007/02/01
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