2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全5件 (5件中 1-5件目)
1
宮本顕治氏の訃報に接し、ご遺族にはお悔やみ申し上げます。 ご冥福をお祈り申し上げるべきところかも知れませんが、宮本氏自身の世界観にそぐわないようですから、差し控えます。 池田大作氏は弔電を贈ったそうですが、内容は存じません。 いずれ評伝を書きますが、選挙妨害になるのは本意ではなく、今は控えます。 柏崎の海底大地震では、原発や体育館の強度不足が現実化しました。 道路や干拓よりも耐震化を優先すべきかと。 年金問題では行政監察の不徹底が浮かんで来ました。昭和33年に杜撰さを指摘し、そのあと、再調査も改善勧告もしなかったと。 なお、宮本氏の評伝に加えて、曜日についての研究を取り纏めており、来月アップの予定です。
2007/07/21
コメント(0)
http://www.asahi.com/international/update/0707/TKY200707060462.html・・・明らかに人倫犯罪だ。 (北朝鮮の政府広報紙「民主朝鮮」)おまえに言われたくない、とはいうものの。「目的はどうあれ」は気に入った。目的は手段を正当化する、と唱えたレーニンの功利主義、プラグマティズムはソ連崩壊後も依然として猛威を振るっているように思うのだが、北朝鮮はそういう英米流プラグマティズム(つまりは物質主義) とは少しは違う (と言いたい) らしい。そうであれば、拉致という人倫犯罪を犯した国として疑念には丁寧に答えて行くしかない筈だが。核兵器開発の放棄も当然。もちろん、中国の核の傘に入れてもらえ、というだけであって、丸腰の非武装を求めてはいない。核兵器即時廃絶の理想(空論)とは矛盾するが、核軍縮推進の運動は、矛盾とともにある。・・・ 運動だから。危うい綱渡りである。小池新大臣が 「核兵器使用は一切許されないか?」 には全く答えないのも、この矛盾を踏まえれば当然だ。・・・久間前大臣のような軽い人物を選んではいけない。
2007/07/09
コメント(0)

仏陀(お釈迦様)は「世間解 = せけんげ」と称されます。人々が暮らす俗世 (世間)と仙人、聖者たちの世界 (出世間)とをよく知っている先生、という意味の肩書きです。両方とも知っているところに意味があります。ふつうの人間は、悟りを聞いて理解することはできても、これを実践するとなると話はまったく別です。たとえば、富貴は泡沫(うたかた)であると聞き、そうだろう、と納得することはできても、いま持っている自分の金融資産、不動産、事業などを清算、換金して、マンガ喫茶を流浪する多数のフリーターに分配してあげることは、たしかに「出来ない相談」でしょう。同時に両方を知ることは難しいと言わなければなりません。真理を会得 (仮説に納得) したら、それを個々人の地上生活において適用し、実践する過程を通して、真理を顕現 (仮説を検証) することになります。協同農場を「実顕地」と呼ぶ団体がありますが、特定の場所に限らず、ふつうの社会生活は仮説の実験場です。ところで、資産家が死亡すると、その財産は遺族に相続されますが、相続税が課せられて、国の歳出に充てられ、それなりに良い政治の下では、失業対策事業にも回ります。人の生命が有限であることを利用した、よくできた仕組みだと思います。わたしは、より良い税制を支持する観点からも、欠かさず投票に行きます。とある日曜日に誰に投票するのか、ということも仮説の実験である、と考えているからです。 【参考サイト】http://www.geocities.jp/dhammini131/howa49.html (テーラワーダ仏教)「すべてのものは変化する。」・・・地震はいくら心配してもしても、起きた時は起きた時でどうにもなりません。そこで、出世間の知識のある人ならば、そういうものに動揺しない。冷静でいられる。苦しみがなくなる。これ大きなポイント、生きる苦しみがなくなる。出世間の真理の場合は、またいくつかありますが。知識探検に結着がつく。これはすごいことです。知り得るもの、知るべきものは全て知り終えた。と結着がつくのです。これは世間では絶対あり得ません。・・・・・・無常変化は観察すると発見するものです。無常は研究して発見するものではない。本を読んで発見するものではない。考察して発見するものではない。観察するんです。観るんです。それで、変わっているんだと分かるのです。事実ですから。・・・http://plaza.rakuten.co.jp/ksyuumei/diary/200706130000/ (秀0430さん)「弁証法は科学ではない。」・・・三浦さんの言語学は、言語に関するあらゆる知識を求めて、その知識の中での整合性を取っているが、実験によってその正しさを確認するという手続きはない。三浦さんは、あらゆる角度から対象を眺めて、よく考え抜いた末の結論は、その思考の深さによって真理を与えると思っていたようだ。これは板倉さんが語る「科学」の概念とは違う。・・・・・・現実に存在する対象は、いくらよく考え抜いたとしても、そのすべての属性を把握することは原理的に出来ない。未知の部分は発見されてから未知だと判断されるのであって、発見されるまではその存在すら思考できない。未知の部分が存在するという可能性は、現実存在に対しては、それが現実にあるということを前提にする限りでは排除できないのだ。・・・・・・弁証法というのは、対象に対する考察で、ある命題が正しい場合もあるし、正しくない場合もあるということを教えることに価値がある。常にそれが正しいのだということを証明することは弁証法の仕事ではない。それは形式論理の仕事であり、現実を語るときは科学がその仕事をする。・・・
2007/07/03
コメント(0)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%A6%8B%E9%8A%80%E5%B1%B1かつて、殺鼠剤に「石見銀山」「猫いらず」という名前が付けられていた。近くの銅山から採れた砒素を商品化して、有名な石見銀山の名前を借りたのだとか。石見の銀鉱脈そのものは江戸時代に掘り尽した。たしかに世界的な規模の銀鉱山ではあったが、いってみれば「ただの跡地」に過ぎない。南米ポトシ(セロ・リコ) 銀山も有名だが、先住民を奴隷として使役したもので、繁栄と同時に治安の悪さでも世に聞こえていたという。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%88%E3%82%B7日本は南米やフィリピンのようにポルトガル、スペインの植民地にならなかったが、戦国大名(武士団)と石山本願寺などの仏教勢力が無ければどうだっただろうか、と空想する。石見銀山の坑道は細く、貧弱であり、かえって自然の景観を破壊しなかったので、今回それが「自然にやさしい」とされ、かえって評判が良く、「世界遺産」に認められた。跡地ごときに価値が認められたというのは、宣伝の妙というべきか。文化的な防衛力を発揮しているようにも思われ、希望の光が射したかのような気分でもある。
2007/07/02
コメント(0)
北海道の分割占領を防ぐためには、「しょうがない」ことだった、と。今日、撤回したという。大臣発言の詳細を見ると、米国は勝利を確信していたことを指摘し、あえて原爆まで使用する必要はなかった・・のではないかという思い、にも言及している。もともと日米間には歴史認識、評価を巡る不一致がある。が、触れないようにしてきた。核兵器先制使用の是非は、大国間で対立しているが、日本は米国に同調しようと腐心してきた。そこまで米国に合わせるつもりならば、国民の歴史を書き変えなければなるまい。そこで、大臣の発言は日本も核兵器を保有し使用しうるとの論調と類似すると見られた。しかしながら、もはや恨まないが、これからも認めない、という基本線をはずすと、日本国の独立性は怪しくなり、同盟関係の先行きも暗くなる。大臣は、これからも認めないという姿勢について、国内に疑念を抱かせ、撤回したのだろうが、米国の現在まで続く核政策の原点にも批判を加えることになった。
2007/07/01
コメント(2)
全5件 (5件中 1-5件目)
1