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わたしは2chで先輩から「あみちゃん」の掲示板に登場した「ばばあ40」の主張を紹介されました。このとき、ランナーさんはすでに活躍中でした。しばらくランナーさんを見掛けなかったのですが、独自のブログを開かれました。一般人の「少ない(少彦名)」さん、元ヤマギシから協会員拉致反対論者になった「t鳥」氏は、元協会員ではなく、あねご45(ばばあ40)もシンパに過ぎません。ランナーさんも、統一協会脱会者ではないのですが、私は誤って記憶していました。ご本人はもちろん、若人36さんにも、間違った認識から失礼なことを申し上げました。謝罪いたします。
2007/06/30
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かんぽちあ、かぼちゃ、カンプチア、カンボディア。「キリング・フィールド」の舞台になった国。毛派の農本主義者たち(ポルポト派)は、親米政権を陥れるために占い師に扮して都市住民を混乱させた。王室と野合して権力掌握。苛政を布き、都市、商工業、教育・学問・宗教を壊滅させた。日本の農本主義の思想家、安藤昌益は、武士だけでなく儒学者なども、農民に寄生する者として糾弾する。http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/tokugawa/shoeki.htm初代のプロテスタントたちが教会 (当時の西欧ではカトリックのみ) の聖職者を糾弾し、勤労を尊重したのにも似ている。(その後、現実には、プロテスタントも職業的宗教家を抱え、もうひとつの組織として並立するようになったが。)一方、昌益は自らの思想を隠匿したため、迫害されることはなく、また、弟子達が現実に合わせて思想を修正(歪曲)することもなかった。余計なことを考えず仕事に没頭する、という倫理観は、ピューリタニズムに代表されるが、オンカー (ポルポト派の支配機関) が求めたものでもある。わが国の百姓は、見ざる聞かざる言わざる、を教えられていた。ミートホープ社の従業員も似たようなものだろう。その反省に立って、見るべきものを見、聞くべきことを聞き、言うべきことを言いたい。「考えると、サタンが入る」 という脅しには耳を貸さないようにお勧めする。
2007/06/28
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2005年、カトリック平和団体の内外で東洋の武術が話題になりました。 5月には内部のフィリピン社会変革グループから日本の武術を紹介する記事があり、他方、11月には外部の韓国系新宗教団体関連組織との共催イベントが宣伝されました。【引用開始】初の内的外的平和のための武術フォーラム、国連で開催2005年11月3日国連ビルで、第一回、内的外的平和のための武術フォーラムが持たれた。 催しは、武道の実践で平和を理解することを目的にPAX CHRISTI NGOによって組織化されて、IRFFと世界統一武道連盟World tongilmoodo Federationによって後援された。 催しは、およそ2時間続いて、周知の太極拳師範ウィリアム・チェンさんと他の武道師範の名誉参加を含んでいた。催しは1つの抜粋の読書で詩のTAO TE KINGの周知の本から開いた。 その後、国際師範・高橋ケンイチはIEF哲学に関する相当の講演をして、普遍的な価値の習慣を強調し、他の武道から最も良い技法を統一し、また、新しいやり方を発明したという。講演に続いて、TIMDグループはヴィンセント・ベルモンテ、ルイス・カレーニョ、ラリーV. 各師範、および白帯の学生ペペ・カストロによる15分間の性能のために招待された。 ・・・・中略・・・・。TIMDデモンストレーションのとき中国の自衛と太極拳の技の本質について説明するために太極拳師範が招待され、・・・・中略・・・・。 ティファニー・チェンはそれらの動きを示し、そして、チェン師範は自衛アプリケーションの後、解説した。・・・・中略・・・・太極拳概念と非常に近似する。催しはグループ写真があとに続く1分の沈黙で締めくくった。 それは平和のための道具として国連に武道を紹介する好機で、より多くの催しが主要な会議で持たれることができて、武道がいつか世界平和を開発して、世界中で普遍的価値を広げる際に大きな役割を果たすことができることを願った。津曲イチノリIRFF事務局長のご尽力に格別の感謝を捧げる。ルイス・カレーニョ【引用終了】IRFFhttp://quicksitemaker.com/members/irffusa/martialartsUN.html 統一武道http://www.tongilmoodo.com/news051103.html カトリック系平和団体のなかで、合気道の哲学が紹介されています。http://www.paxchristi.net/archive/html/2000s.php?show=193®ion_id=&year=&issue_id=【引用開始】 Pb.13.E.2005パックスクリスティ・フィリピン非暴力社会変革アジア太平洋2005年5月20日「合気道 衝突と踊ること」パトリック・クープ合気道の天才は、極めて乱暴な攻撃を迎え入れることによって、それをダンスに変えている。 合気道は豊かで魅惑的な哲学がある日本の武道だ。 多くの人々が初めて合気道の動きを見て驚いている。 技は、踊るように見え、美しく円満な振り付けされたダンス! 本当に合気道は調和と深い関係がある。合気道は普遍的なエネルギーと調和する方法だ。「アイ」は調和ないし愛を意味し、「キ」は普遍的なエネルギーないし精神、「ドー」は道を意味する。・・・・中略・・・・。愛し合う人々が踊り、互いを感じ、互いに触れ、互いを支えるのを見るとき、私達は合気の大きさと意味を想像することができる。【引用終了】ここで、補足すると、「パックスクリスティ」は国連ビルでの武術イベントを記事にしていません。巨大な組織であり、関心がないのでしょうか、他の記事でもIRFF等を無視しているようで、実際にどういう関係を持っていたのか、まったく不明であります。
2007/06/26
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http://www.tongilmoodo.com/workshops/200303costa-ricab.jpg 2003年2月26日~3月10日、中米コスタリカの首都サンホセ市で「統一武道」のワークショップが開かれた。記念撮影は、格技用の部屋ではなく、オルガンなどもあって教会風である。壁の左手にはまいどおなじみの教祖夫妻の写真。http://blogs.yahoo.co.jp/go_phils_go_cavite/folder/595592.html フィリピンでも行われているが、他の活動と重なるなかで、とても忙しそうだ。http://tongilmoodo.com/instructors.html この系列でニューヨーク道場の師範に津曲氏がいたが、http://www.irff.org/staff/ 人事異動というべきか、IRFFの在米組織の役員となった。米国では募金団体の格付け信用調査機関があるが、募金の必要経費として抜いてもよいのは35%以内で、超える場合は募金時に説明すべしという。米国の所得税法は寄附金を所得から控除できるので、脱税に使われる惧れもある。特段の規制はないと聞くが、外部監査も義務付けられていないのだろうか。
2007/06/25
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http://like700.hp.infoseek.co.jp/1.html 3年前、2004年9月のランナーさん(元食口のクリスチャン)と南雲さん(現役)との議論が記録されています。ランナーさんはイエスを証する福音書を基礎として創世記を解釈するのに対し、イエスに代わるキリストに帰依し、科学的知識と創世記の字句の組み合わせを基礎とする新たな教理を支持する南雲さんとの間で、平行線に終わりました。神の陰陽二性性相説は、悪い木であるとランナーさんは指摘されましたが、むしろ、大人が母親からもう一度生まれる血統転換の儀式、合婚式のような活動(変な実)を導きだす教理(変な木)であり、霊感商法(悪い実)は主に万物復帰説(悪い木)の結果であって、神の陰陽二性説とは直接の関係が無く、この点、ランナーさんの主張は、どうかな?と感じました。また、聖書は無謬の書であるかないか、あるいは、議論するには神観を共有する必要があるのではないか、という別次元の議論もあり、錯綜している面があります。ランナーさんが引用したイエスが弟子に説いた言葉では、「天のみ使い」は、めとることもとつぐこともないとされていますが、南雲さんは、これには触れません。聖書の中の取るに足りない矛盾とみているのかもしれません。これについて、南雲さんの疑問に沿う方向で、さらに論考を補足、深化させたいと思います。イエスも弟子達も神を「父」と呼び、父母とは呼ばず、当時のユダヤ人もその後のすべての人々も神は一人の父のように想定してきました。じつは、この認識の根拠を私は知りません。むしろ、イエス(または他のキリスト)が天の(父なる)神の子であり、もともと父なる神とともに居られた方(子なる神)であり、 ■母なる神から生まれた子なる神であると読むことはひとつの可能性として、認められると思います。(←ヲイ生みの母であるはずのマリアに対して、何の事情からか分かりませんが、イエスが「小母さんよ、僕の何なのか」などという(・・・罰当たりな)言葉を口にしていることも傍証になるかもしれません。これを検証しましょう。さて、天のみ使いは結婚しません(・・・とイエスの時代の人々は考えました) が、これは神と同じなのでしょうか。被造世界を注意深く観察して得られた知識によれば、一般の生物の個体の寿命は有限であり、世代交代をしており、雌雄の別によって遺伝子の組み合わせを変えています。さらに、今日の知識によれば、特殊な生物では個体の寿命が無限であり、世代交代は無く、雌雄の別がありません。まことに合理的な仕組みでありましょう。福音書の聖句にある「天のみ使い」は、後者の生物と同様らしく、結婚が無いのは至極当然で、現代人には素直に納得できます。創世記の記述では、人間の素材は (吹き込まれた生命を除いて) 造物主とは異なり、命を失えば素材に還元することが教えられます。造物主は素材に「かたち」を与えましたが、それによって人間は男と女の2種類になったと説明されます。それは造物主の「かたち」を与えたものだ、というのですから、造物主は両性具有(雌雄同体)か、ご夫婦(雌雄のつがい)であるという解釈はかなり納得できます。(←ヲイ世界の宗教では、妻帯する神がいないわけではありません。 道祖神やイザナキ・イザナミという神がいます。多神教となる所以。道教の神もつがいです。しかし、夫婦からは子どもが生まれます。そして「神の子ら」となります。創世記・天地創造物語にも、そういう男神達が堕落して地上に降りたというくだりが見えます。巨人族の祖先だとか。古事記の神代の伝説を遺した日本人と同様で、創世記を編纂した人達の素朴な歴史観が窺えます。近代の几帳面な日本人は、たいがい、このあたりで旧約聖書を投げ出すわけですが、賢明なユダヤ人はこの種の伝説を素通りしました。しかし、千数百年前の古代ローマ帝国の各地で活動し、使徒行伝、信徒の間の書簡、福音書を編纂した人達は、昔々、創世記の天地創造物語を遺した人達とは違います。衆知を集めて注意深く記述している様子が窺えると思います。そのような文書を読むときには、真意を汲み取り、方向性を読み違えないようにするためには、ケンチャナヨではなく、一字一句と全体の繋がりに注意する必要があります。さて、神は夫婦か両性具有であり、世代交代する個体で、その寿命は限られているのでしょうか。これをクリスチャンや他の現代人は納得できるでしょうか。つまり、永遠なる唯一神が男と女の要素を持っているのは余計なことであり、矛盾ではないかと思われます。そこで、もうひとつの解釈をご用意申し上げました。神は人の助け手として、連れ合いを作った、つまり男女2種類を造った、と書かれていることに私は着目しました。もともと神は「天のみ使い」を自分の助け手としているのだから、この「かたち」に人を造ったのだと解します。神と、天のみ使いと、「死人の中からよみがえるときの人々」は、いまの地上のわれわれとは違い、結婚も男女も世代交代もなく、その生命は永遠である。しかし、神も人間も、助けられる存在、助け合う存在である点では同じだ、という結論に到りました。(神学者の皆様。素人が勝手に神学しておりますが、到らぬ点はご指導賜りたく。)【引用開始】8 :南雲:2004/09/04(土) 10:29:17:00Subject: ランナーさんへ投稿者:南雲一つお尋ねしますが、結局のところランナーさんは神について、原理講論でいう二世性相の中和的主体という以外の見解をもっているのでしょうか?聖書には『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、 神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』という聖句をみれば大腸菌がどうであれ神の性質は、人間の男という要素と女という要素を兼ねて持っている存在ではないのでしょうかね?No.6330 2004/09/04(Sat) 10:29【・・・引用中略・・・ 】27 :ランナー:2004/09/19(日) 20:11:58:00南雲さん>どうして私がイエスの言葉を無視していたといえるのですか?南雲さんは,以下のように,私(ランナー)も南雲さんと同じくイエス様の言葉を無視していると言っていましたね。これは,当然,南雲さんがイエス様のことばを無視していることが前提のことばでしょう。>私に言わせてみれば、あなた(ランナー)も(南雲さんと同じく)>イエスの言葉通りに行ってるようには感じられません。こんどは南雲さんがイエス様のことばを無視してはいないと言ったので,イエス様のことばを聞いてみましょう。//////// マルコ12章 //////////////////12:18 また、復活はないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問した。12:19「先生。モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、兄が死んで妻をあとに残し、しかも子がないばあいには、その弟はその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない。』12:20 さて、七人の兄弟がいました。長男が妻をめとりましたが、子を残さないで死にました。12:21 そこで次男がその女を妻にしたところ、やはり子を残さずに死にました。三男も同様でした。12:22 こうして、七人とも子を残しませんでした。最後に、女も死にました。12:23 復活の際、彼らがよみがえるとき、その女はだれの妻なのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのですが。」12:24 イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。12:25 人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。12:26それに、死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の個所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。12:27 神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。あなたがたはたいへんな思い違いをしています。」//////////////////////////////////////////イエス様は,人が死人の中からよみがえるときには,男女の関係が無くなると教えていますので,神様もそうでしょう。そのため,「神の二性性相」(「神」に男女の関係がある)という教義の「神」は,イエス様の教える神様ではありません。29 :南雲:2004/09/21(火) 19:28:00:00Subject: ランナーさんへこんばんは> 南雲さんは,「神の二性性相」説が宗教の教義であることが分かっていないのではないですか。少なくとも科学ではありません。そのため,その信者にサギを働かせる原動力となっている教義ですので,「神の二性性相」説(教義)は誤っています。なんか言っていること、めちゃめちゃじゃないですか?どうも理解ができないのですが。30 :ランナー:2004/09/23(木) 07:05:13:00南雲さん おはようございます。(第1の意見)南雲さん聖書には『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、 神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』という聖句をみれば大腸菌がどうであれ神の性質は、人間の男という要素と女という要素を兼ねて持っている存在ではないのでしょうかね?--------------------------------------------(異論1)ランナー神という言葉の意味が定まらない。それゆえ、「神の二性性相」という言葉が意味を成さない-----------------------------------------------------(異論2)南雲さんわたしが聖書が無謬の書ではなく、矛盾や誤謬があるものだという-------------------------------------------------------------(異論3)ランナーサギの原動力となっているのが「神の二性性相」という教義ですので、「神の二性性相」という教義は、誤りの元であり、悪い木です。-------------------------------------------------------------(異論4)ランナーイエス様は,人が死人の中からよみがえるときには,男女の関係が無くなると教えていますので,神様もそうでしょう。そのため,「神の二性性相」(「神」に男女の関係がある)という教義の「神」は,イエス様の教える神様ではありません。-------------------------------------------------------------最初の第1の意見に対して以上の4つの異論が提示されました。異論が増えたにもかかわらず、第1の意見の正当性を主張できる論拠は、何1つ提示できないでいます。そのため、南雲さんは、第1の意見の正当性は主張できないと考えているのでしょう。【引用終了】
2007/06/25
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「霊感商法は所詮赤旗が命名したもの」と信者TANAKAKJ氏はいう。 他国には霊感商法は無い。 独裁体制の国(かつての台湾など)では「サタンの警察」が目を光らせるから不可能。 日本は緩い国だからできたといえるが、上前をはねる有力議員もいたのではないか。 しんぶん赤旗は霊感商法の告発記事のおかげで大衆の信頼を得た側面もある。 出遅れた社会新報は、地域に浸透できないまま、連合の離反から党勢そのものが削がれ後塵を拝する。 忘れがちだが、大規模な共産党が先進国にあること自体、ユニーク、異常である。 そういう土壌をだれがつくったか、といえば、 親韓派議員や統一教会関連企業が解放同盟関連企業、創価学会、金丸訪朝団などといっしょに作ってきたのではないか。 一蓮托生。 敵を憎むよりも、怪しい商売をやめさせ、しんぶん赤旗に載るような記事が無い国を創ろうではありませんか。
2007/06/22
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我が家は前世紀から富山の薬売り、日配を置いています。同業他社では富士薬品が大手です。ご近所の某教団信者は富士薬品を置いているようですが、かの教団と関係あるのでしょうか。富士薬品の経営者一族には醜聞が伝えられています。http://www.shiokinin.com/series_fuji/report_fuji11.htmlライバルを蹴落とすということも想像できますが、配置薬業界全体の信用が落ちると、日配にも良くない影響があるでしょうね。【追記2007.06.27】もちろん、日配が統一協会傘下の企業群のひとつであると認識している方は、そんなものを利用したいとは思われませんね。しかし、誰でも知っていることではなく、反対本か反対サイトを読むしか知る方法がありません。家内は、知らずに契約しました。解約すれば、私達家族、とりわけ私自身が反対派の一人であることを悟られる惧れがありますから、解約しないことにしました。100%潔癖、熱烈な反対派にはご不満もあろうかと思いますが、ご理解賜りたく。
2007/06/21
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ハンカチ、靴下売りが来たので、1000円で1点買いました。チラシももらったので、掲示します。多少のサヤ抜きは致し方ないが、なるべく本来の目的に使っていただきたいと願うものです。【追記07.06.21】98%が横領される、というご指摘はごもっともです。一人暮らしなら徹底的に反撃したり、嫌味を並べてやるか、または、歓待していろいろ余計なことをしゃべらせるところです。(笑)しかし、家族を巻き込んで反カルト運動に邁進するつもりはありません。それは、もうひとつのカルトです。だから、人の善意を信じようという純粋な(お人好しの)家内に反社会的カルトの醜い実態について講義をしたり、こどもたちに、人を見たら詐欺師と思え、という情操教育をしようとは思いません。子ども向けのキャラクター商品はがまんさせて、お父さん用のものを選んだのは、えらい。非原理の家庭を見下す誤った認識を正すことができたら幸いです。また、実地に騙されて悔しい思いをすることが真の闘争心を育てると思っています。その機会を奪うのは過保護でしょう。安い店なら200~300円の品物を1000円で買ったのですから、700~800円は捨て金ですが、これが文氏の自己宣伝に消費されるのでしょう。自己宣伝の方法は、暇な学者、もと元首、目立ちたい宗教者の国際会議であったり、暇なチームを集める半島内のサッカー大会であったり、荒唐無稽なトンネル計画であったりするわけですが、これだけネット上に正確な情報がある今日、宣伝効果は期待薄で、浪費に終わるでしょう。公共事業費、政党助成金、企業献金がどこかへ行ってしまうことと比べれば、どうということもないかと。「原理側」に盗られることも織り込み済みで、家庭の平和・安穏を保つ必要経費と考えていますから、もしも2%(15円)でも有益な活動に使われれば、その分は、「非原理側に復帰」します。盗んだ者はその報いから逃れられるのでしょうか。というか、現にみずからの地上人生を浪費しているのではないでしょうか。
2007/06/20
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そもそも一人が入信すれば、家族もついでに救済されるというのは、ほんとうなのか。使徒パウロとシラスの2人は、マケドニア州第一区のフィリピの町で、霊媒女の主人とのトラブルから、宗教の敵とみなされて投獄された。憑霊を追い出したために占いができなくなって大損したという事件だ。ここで看守の一家に洗礼を受けさせることになるが、初代のクリスチャンによる家族への接し方を見よう。[使徒16:26-34 ] ■ 突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。 まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。 ■ ここには、新しく受洗する者とそれに対して賛同しない家族との間の対立というものは微塵も無い。彼ら看守の家族は諸共に大地震の恐怖に慄いており、心から一つである。したがって、救う方も、初対面であっても個人の付き合いではなく、家族ぐるみの付き合いである。当然のごとく家族ぐるみ一緒に救おうとしている。 「まずは一人だけ救おう」などというせこい発想は無いのである。とくにカルトとされる皆さんには、見習っていただきたいものである。 http://homepage2.nifty.com/nonsect/logs/0007.html 親鸞会関連親鸞会の活動に対して猛反対する親に対しては、心の中で「群賊悪獣」と思っていることは間違いないように思われます。(被害家族の会事務局 ジョー)http://www.jwic.com/forum00/080100.htm エホバの証人関連反対する家族を「サタン」と彼らは教えるのです。そうすると、サタンからは逃げ、エホバを選択するようになるのです。(元証人)http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/form241-.htm 統一協会関連『先祖の救いの代表として歩んでいる私に対し反対する親は背後にサタンがあやつっている』などと、たしかに教える人もいました。本当に愚かな考えであるとおもいます。(船井幸雄=クローン1号)
2007/06/19
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モーセは神の言葉として「父母を敬え」と命じた。 しかし、エルサレムの律法学者たちは「コルバンの規定」によってそれを空文化させていた。イエスは宗教裁判所によるそのような例外規定を非難し、モーセの律法を改めて支持したらしい。[マルコ 7:9-13](更に、) イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」※ 「コルバン」というのは神殿の財庫に献げる供物を指す用語である。当時のハラカによれば、息子の資産のうち両親の扶養に用いられる部分について、息子が「これはコルバンです」と唱えて誓願を立てた場合、神への誓願が人間の義務に優先するので、親は息子の資産を利用することは許されないとされた。それで息子は実際に神殿に資産を献げることなく、形式的にコルバンの誓願を立てるだけで、資産を親の扶養に用いる義務から免れることができた。こうしてハラカの規定を利用して、「父と母とを敬え」という律法の根本精神が無視され、それを表す神の言葉が無効にされているのである。http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/mark_037.htm ところが、イエスは追従する群集に対しては、自分に付いて来るつもりなら家族と「敵対せよ、愛するな、憎め」ともいっている。[マタイ10:34-36]わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。[ルカ14:25-26]大勢の群集が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に、自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない......」。 まるで反体制派、革命政党のような指導ぶりだ。何時の日か、イエス・キリストは再臨することになっており、もしも再臨すれば、彼についてゆこうとする弟子は、モーセの律法を差し置いて家族に敵対し憎悪しなければならなくなる。そこで現代の自称・再臨主は、信者の実の父母は偽りの父母だと宣告した。 [ファミリー 1995年2月号P48 文師の説教]「文総裁は真の父母だと言い、そこに自分がニムの字までくっつける。そのような驕慢な代表者がどこにいるか?」というのです。わかりましたか?(はい)ニム。なんのことですか?「チャンプモ(真の父母)ニム(様)」では、皆さんを生んでくれた父母は何の父母ですか?(偽りの父母です)真の父母は一人しかいません。絶対に二人ではありません。一人しかいないので、自分を生んでくれたお父さんとお母さんは間違いなく、偽りの父母だという結論がでてきます。これはとてつもない命題です。とてつもないタイトルだということを知らなければなりません」 誰でも、自分は再臨主であると宣言すれば、若い人を信者として勧誘し、親を侮辱するように指導して構わない、自分達の組織はいくら親不孝を働いてもよい、ということになる。「UCの活動に反対する親の背後にはサタンがいる」と指導してきわけだ。このようにして、この組織においては、モーセから伝わる神のことば、十戒の一つは空文化させられた。
2007/06/19
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2千年前、パリサイ人は真面目な「良い子」で、おまけに律法学者の先生はお節介なので、食事の前に手も洗わないような「悪い子」のことをわざわざ言い立てて、彼の新しい先生イエスに議論を吹っかける。マルコの福音書 7章1-5節さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。イエスの弟子のうちに、汚れた手で、すなわち洗わない手でパンを食べている者があるのを見て、――パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。――パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」たしかに、経口感染する危険な伝染病はあり、衛生上有益な生活習慣である。不潔な集団生活で厄介な皮膚病が蔓延することもあるから、言いつけは守ったほうが良いに決まっている。ディズニー映画のアニメ「白雪姫」では、顔や手を洗う場面が延々と続き、その製作に費用がかさみ、映画の完成が危ぶまれたという。アニメ映画としても、公共性・社会貢献をアピールしたかったのだろう。ある元シックによると、グループが販売する高麗人参の汁を料理などに混ぜて家族に食べさせていると、自然に家族がUCに反対しなくなる、と指導を受けたと回顧している。韓国製品で体から清まる、という教えだ。しかし、母親がシックになって困っている人からは、・・・そんな効き目はなかった・・・とも。 いまも家族は反対しているのだから、そうだろう。もっとも、我が家では日本配置薬の薬を使っているが、どうということもない。長年携わってきた 往時携わったことがある古株の元シックの談。・・・はじめは、自分達は信じておらず、売らんが為の、口から出任せ、嘘だらけのセールストークだったが、そのうちに、自分達もはまってしまった・・・と。福音書に戻る。マタイによる福音書 15章17-20節・・・ すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」マルコによる福音書 15章21-23節・・・内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」さんざんパリサイ人や律法学者の悪口を聞かされたような気がするが、どうなのだろう、とは思うが。
2007/06/18
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「ものみの塔」という冊子を発行している団体が、「王国会館」に集まる信者(エホバの証人を自負している)に輸血拒否を勧めている。聖書の中の律法や注意の中から拾い出し、肉を食べる場合、どんな種類の肉でも必ず血抜きするように、また、抜いた血を食べないように、という箇所を示して、根拠としている。しかし、日本人には肉のさばき方はなじみが薄く、分かり難い。そこで、魚から見てみたい。魚の関あじ、関さば、は美味しい魚のブランドとして確立している。遠隔地に輸送する場合や消費者に直接販売する場合、鮮度を保つため、生けすから魚をすくいあげた直後に、脊髄を切断し、血を抜き、氷で冷やす作業を行っているそうで、これを古来より「生けじめ」「活け〆め」という。新約では、古来からの律法を強調するのではなく、不品行など、道、真理、愛に反することに絞って、戒めている。使徒言行録/15章16節~ 『「その後、わたしは戻って来て、/倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、/元どおりにする。それは、人々のうちの残った者や、/わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、/主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、/こう言われる。』 それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。 ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。 モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。」 具体的には、(割礼の習慣は知らないが)モーセの律法を知る異邦人(の仲間)に対してどのような手紙を書くのか、という指示ひとりの意見だ。その異邦人にはもともと日本人は含まれていない。初代クリステアンは日本人を知らず、日本人もモーセの律法を知らされてこなかったのだから。むしろ、肉食はほどほどにすること、魚は生けじめすること、くらいが適当ではないかと思う。偶像、不品行は当然に(心に刻まれた律法に照らして)排斥 忌避されるべきで、古代の律法を引くまでもない。それ以外に足す必要があるのか、疑問だが、「生けじめ」奨励は、日本人から見れば、美食の勧めと受け取れるので、大いに歓迎したい。(笑)初代クリステアンは、割礼を知らない異邦人にはそれを求めず、心の割礼を勧めるように、不合理な判断をしていない。だから、ユダヤ人にはあまり認められなくとも、異邦人の間に広まって今日まで続いたのだろう。仏陀もインドの風習には敢えて逆らわなかった。献血で必要を満たしている日本で、輸血拒否という誤った方針に従う集団が永続するとは考え難い。命そのものを食べるな、という趣旨は結構かもしれないが、血は命を象徴するのだから輸血するな、とすると、信者の子ども達まで生命が危険に曝され、その一方で、ものみの塔の意気が揚がり、組織の結束は強まり、冊子の発行に携わる人々の給料が賄われることになり、結局は、信者たちの生命を職員が食べること(生き血をすする鬼か?)になるのだが。
2007/06/15
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http://ysaki777.iza.ne.jp/blog/entry/196201日経の記者、杉嶋氏は内調と公安庁から依頼を受けて、北朝鮮へ入り、活動した。注文通り収集した資料を自国の機関に提供したところ、敵側機関の手元に還流し、逮捕拘留されたと。愛国的にスパイを働いていたのだから、自業自得、ともいえる。民間人を唆して危険なスパイ活動に利用しながら、裏切った公安庁に対して、妻が苦情をいうのはよく分かる。が、日経記者の立場でスパイ活動に従事するのは、そもそも規律違反だろう。われわれ新聞読者から預かった購読料は、すべて新聞報道のために充てられるべきであり、それぞれの新聞社の信用も含めて、他に流用されるべきではない。報道という聖業を裏切ったのである。記者としての誇りと矜持を日本人としてのそれよりも低く置いてしまった。杉嶋記者は、「日本が有機的統一体として機能し、かけがえのない祖国の平和と安全を守り、新しい時代の国民的連帯感を醸成するため」と高邁な理想を掲げてみせるが、これもおかしい。「共和国が有機的統一体として機能し、かけがえのない祖国朝鮮の平和と安全を守り、新世代の民族的連帯感を醸成するため」という毎度おなじみのチュチェ思想その他の民族有機体論と何が違うのか。北を担当している人達は、いつのまにか熱烈な愛国心思想に感染し、本来の任務を忘れる。新聞記者だけでなく、元長官、弁護士が偽装取引による差し押さえ逃れを図るのである。本来の任務は国云々よりも高い次元に立脚しているのであり、国云々に引きずられたときには既に北と同じ立場に転落しているのである。国を思う(自分の)気持ちが昂じて、国を思う総連幹部の気持ちにまで情が通じてしまうのはわかる。しかも、それを公言しているくらいだから、「愛国無罪」を信じているらしい。・・・情けない。
2007/06/15
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子どもの頃、近所の子どもたちから、他所の宗教のようすが伝わってきた。カトリック系幼稚園の子どもたちは、お祈りの仕方を自慢げに話した。学会の名よりも先に佼成会や天理教が浸透していて、近所の年長の子どもたちが、どちらがいいかと争ったのを見た。また、イスラム式の礼拝をまねる遊びもしていた。お盆に菩提寺の住職が来た。よく太っていて、正座している後姿の大きなお尻を記憶しているが、お経の類は意味不明だった。カトリックの幼稚園から来た子たちがどういうわけかコックリさんに熱中していた。クラスに青共、いや、聖教新聞を毎朝配達する小学生がいて、担任の先生は、家のためにアルバイトをする良い子として褒めた。本人は皆に公表されて、貧しい家と思われるのが嫌だったのか、理由は定かで無いが、激しく泣いた。近所の蕎麦屋は正本堂の建設資金に大金をお布施として払ったと噂された。このころ、親戚の学会員たちは経済的に窮迫しているようだった。親戚にも新興宗教が浸透し、お通夜は新興宗教、本葬は家の菩提寺という例があったり、兄弟で争って分骨し、別々に法要し、納骨したこともある。選挙になると父の従兄弟にあたる学会員までが父に接触してきていた。やばいことになっているな、と、子どもながらに漠然と感じていたものだった。
2007/06/14
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TANAKAKJと名乗り、UCグループというBLOGを持つ人がいます。http://plaza.rakuten.co.jp/suwako/青ワニさんに対して「共産党」のレッテルを貼って、問題視されました。http://plaza.rakuten.co.jp/sasoriza/diary/200706090002/#comment韓国には海外の民族を誹謗する宗教団体があり、その教理解説書では、日本は先祖代々、天照大神を崇拝してきたサタン側の国、と公言しており、蕩減のためという口実で法外な献金を強行してきました。海音寺はKJと略記される統一教会の関連団体。そこに田中という人物が参加しているのでしょうか?裁いてはならない、裁かれないためである、と、いにしえの聖人は言ったが、忘れっぽい教団ですな。
2007/06/10
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覚せい剤とソーセージを持って、新潟へ。海流を計算できず、青森に漂着。昔の耕運機に使ったようなぼろいエンジンだったと。ニュータイプの脱北ですな。もちろん、こういうのがたくさん来ると困るわけだが、船やエンジンの数にも限りがあるわけで、成功する者は毎週1組がいいところか。ソーセージとは高級食品かな、とも思えるのだが、煮炊きできない小舟なら、パンと缶詰くらいしか食べられない。魚肉ソーセージは保存しやすく缶切り不要で便利。人民元を持っている階層なら、手に入るだろう。http://www002.upp.so-net.ne.jp/gyonikukan/zukan/zukantop.html覚せい剤は大衆にも蔓延している、と。当局に捕まったら自決したほうがましだろう。その殺鼠剤かと。自由が欲しいとか人権が保障されている国に行きたいとか、もっともらしいことを言うが、今に始まったことではなく、少数民族、特定宗教、政治活動などとは一切関係ないだろう。マンギョンボン号、ニイガタを知っていて、「ドコ?」という日本語を知る者で、多少の国際的知識がある。むしろ、自由や人権保障という難解な言葉を適切に操れるのだから、党員の可能性がある。生活苦からの移住か、せいぜい、何かの責任を問われての海外逃亡に過ぎないかと。むしろ、経済事情の好転によって、燃料の調達など、脱北の手段が整ったからではないか。日本海に沈むボートピープルを防ぐため、さらに経済制裁の締め直しが必要ではないかと思う今日この頃。
2007/06/05
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日本兵捕虜が英兵から同じ人間とは見てもらえなかった、というトホホな体験記がある。日英混血の民間人などのように、境界をまたぐ者は、いったいどちら側に分類されたのだろうか?と想像させられる。人種政策は、人種的な特徴を前提として組み立てられた秩序である以上、人種的にどちらか判然としない存在は許されない。何がなんでも区分しなければならない、ということになる。南アでは人種間の男女交際を禁止していた。某有名サッカー選手の場合、両親の一方が生まれながらの創価学会員、という微妙な立場で、宗派間対立に巻き込まれる惧れ無しとしない。オセアニアに辿り着いた白人たちは、ビルマの捕虜収容所で英兵が日本兵を同じ人間とみなさなかったように、先住民を土地の主人とは認めず、カンガルーと同類であるかのように駆逐した。オーストラリアでは、いまでもアボリジニーという有色人種出身の少なくない部分が、市民として同等に生活できてはおらず、むしろ保護政策の下で商店の前で物乞いしていたり、アルコール依存症になっている実態があり、また、問題無く暮らしているはずの大都市の住民でも警察施設での変死が多発した。未解決の問題とみられる。人口政策から見た場合、文明社会に融和しない先住民を‘隣り人’と認めて土地などを保護し、戦力にならない人口を抱えなければならないとすれば、他国との軍事的競争にも不利と考えられただろう。先住民の人口が増えれば、法的には白人が勝手に使っている農地を返さねばならず、鉱山開発の余地も狭まる。先の世界大戦では、日本軍の攻撃が豪州に及ぶと、白人は初めて先住民に賃金労働者の地位を与えた。日本の真意はどうあれ、結果としては、先住民保護政策(と称する差別)に風穴が開いたのだった。映画 裸足の1500マイルこの映画は、人種政策の一環として、白人社会への適応を目的とした1931年における国の「教育」政策を背景としている。アボリジニーの家庭からこどもたちが拉致されていたのだった。ストーリーには触れないが、「差別」の実体を少し掘り下げる必要があると感じる。当時は、白人のためだけのオーストラリア、にもかかわらず、先住民が‘政府の保護の恩恵により’絶滅を免れていた。(もちろん、いまも絶滅していない。)しかも、白人との間に生まれた子どもたちが母親の元で、アボリジニーとして育っていた。映画では明らかにメラネシア系としか見えない子役が使われているが、実際には、見た目には白人に近い肌の色や顔立ちをしていたという。先住民保護政策から見た場合、文明を享受する白人は豊か、先住民は貧しい、という認識(…を不変の事実とみなす現実主義)に立ったうえで、自分たち白人の子どもを「救出」することで、保護の対象から除外する効果もある。教育政策から見た場合、白人の子、つまり‘本来は白人’なのに、しかるべき教育を受けられず、粗末な暮らしをするアボリジニーになってゆくのは、見るに忍びない、可愛そうだ、という‘博愛主義’が政策を正当化したと。近代の英国内では、農地を追われた貧民に対し、軍隊・監獄・流刑地などで隔離教育が行われ、ソ連にもこれに倣った収容所が作られたが、豪州の白人政府も同じ発想に立ったのだろう。教育は何を目的にするものなのか、国家が教育するとはどういうことか、と考えさせられる。
2007/06/04
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三色旗の教団は、亡くなった人に戒名を付けるのは意味が無い、と指導し、俗名に「・・・之霊」と加えた位牌を作っていると。キリスト教では、臨終に駆け込みで「緊急洗礼」する例があると聞く。伝統的な「幼児洗礼」については、プロテスタントの一部から疑問視されてきたのと同様で、怪しげな感じがするが、日本仏教の戒名も同じことが言える。だから、戒名の必要性を斥ける主張の内容には十分に理はあるだろう。しかし、初代会長は戒名(尊号)を授かり、以下、会員が亡くなるたびに必ず教団の寺から僧侶を招いて通夜を行い、葬儀を行い、戒名を授かってきた事実もある。牧口常三郎会長 「冷然院感得日常大居士」、戸田城聖会長 「大宣院法護日城大居士」と。これら代々の会長や幹部の判断はいったい何だったのだろうか。取り敢えず利用してきた、というのが真相であろうか。利用するのはさほど悪いことではない。東洋の仏教はみな葬式の機会を利用してきたし、仏陀もインド在来の死後観念をあえて否定しなかった。だが、不確かなことを断言し、他宗の葬儀や戒名を貶めてみずからの教団(檀徒講+宗門)の戒名などを絶対化しつつ、日頃から多額の金銭を提供させたのではないかとなると話は違ってくる。(下記参照)親の遺骨が正宗の寺に納められたまま放置されている、という非学会員の困惑もあるように、遺骨を奪い合って兄弟が争うなど、葬儀の現場で長年にわたって混乱を巻き起こした傷跡は簡単に消せるものではない。一般に無宗教の友人葬も見られるようになった今日、どこかの寺で葬式をして戒名を付けてもらうという古めかしくありふれた営みが、創価学会員(公明党員)ではないことを遺族がすすんで闡明する機会になっており、見方によっては、天下のご政道を左右する現世利益の功徳を帯びるに到った。右派系の「日本専門情報機関」による批判http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/sokagakkai_kaimyo.htmlhttp://page.freett.com/sokagakkai_komei/www.sokagakkai.or.jp/Siten/Syuukyou-Bunka/index.html日蓮正宗の寺院による反論http://homepage3.nifty.com/y-maki/syakbk/318.html日蓮宗へ改宗した元幹部による解説http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_066.htm浄土真宗僧侶と遺族が改宗を相談http://hachisu-net.com/cgi-local/soudanbbs/treebbs.cgi?mode=setview&code=79顕正会会員による本部批判http://sanity1.at.infoseek.co.jp/vsub3Xseacret8.html
2007/06/01
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