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「・・・海に行けば、鮫なども、その種が生じてから二億五千万年、鯨は二億年以上です。大きい動物は、そのような長い歴史時代を過ごしてきたのです。二億五千万年です。・・・」(真の愛の主人に侍ろう-1999年6月13日韓国・本部教会---より)サメは「水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物」の一つであろう。その登場はもっと古く、4億年前(ドリオダス・プロブレマティクス、体長50~75センチ程度)のことであると古生物学者はいう。http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/4515/history.htm#ursprung 一方、クジラはもともと「土を這うもの」「地の獣」から、水の中の「怪物」に進化したとダーウィンの弟子たちは考えている。古代クジラの登場はずっと新しく、5千万年前とされるが、実際、それより古い化石は見つからないのである。http://ecolumn.net/kujira.htm すなわち、常識的には、サメは創造第5日、クジラは創造第6日に造られたという生物(動物)たちの仲間にあたるだろう。「・・・そこで、神様が万物の主人である人間をつくられるうえで、その必要条件として巨大な万物をつくられたのが二億五千万年前であるとしてみましょう。そうであるとするならば、万物の主人を迎える準備の為に費やしたその二億五千万年を度外視して、アダム、エバを今から六千年前につくられたというのでしょうか?それは見当外れも甚だしいことです。それでは、二億五千年前に万物をつくられたとするならば、・・・」(同)「二億五千万年前であるとしてみましょう。そうであるとするならば」とか、「二億五千万年前に万物をつくられたとするならば」 というのは曖昧だ。「巨大な万物をつくられた」という時期は断定ではなく仮定に後退しているようだ。「・・・神様は万物をつくられた後、その主人たり得るアダム、エバを今から、何年前につくられたのでしょうか?動物の主人を立てるのですが、準備したその動物を管理することのできる主人をつくろうとすれば、管理者を直接、すぐに立てられたでしょうか、何億年も過ぎた後に立てられたでしょうか?考えてみてください。そのように考えれば、人間の創造は、今から何千万年前のことなのです。・・・」(同)巨大な動物の管理者を置くため、間を空けることはできないと(勝手に)考え、「人間の創造は、今から何千万年前のことなのです。」という。しかし、仮に万物創造はサメが登場したとする「二億五千万年前である」といい、かつ、すぐにでも管理者が必要だという考えなら、人類創造もその直後の同じ二億五千万年前といわなければならない。6千年前は論外としても、管理者不在期間を疑問視するならば、何故に何千万年前といえるのか。古代クジラの登場を「二億年前」ではなく「四千万年以上前、何千万年前」と訂正し、それをもって万物創造の完了とするならば、それを管理するための人類創造も四千万年以上前に必要だという主張もありうるだろう。「・・・このような根本的な問題を知らないのです。無知で堕落したので、無知の歴史を経て、数多くの蕩減的歴史を経てきました。そうして選民圏を立てるために、今から四千年前にイスラエル民族を立てたということを考えたならば、人類の誕生から四千万年以上の歴史が過ぎていったということを考えなければなりません。」(同)もちろん、実際に古代クジラ登場の直後に人類が登場したなどという科学者はいないようだが、どちらが無知なのか。クジラを乱獲したのは近代的な大型船で海に進出した人類(とくにキリスト教国)であり、陸上でも大型の野生生物の生存を狩猟によって趣味的な銃器の的として直接に脅かしてきた。管理が必要なのは、自分たち自身である。創世記 1章 20-25節神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」夕べがあり、朝があった。第五の日である。神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi?cnt_here=1&flag_pre_next=next&cmd=search&trans=ni&book=gen.old&chapter=1&vers=&keyword=追記鳥は恐竜から派生したという説が普及してきたので、創世記の創造神話も限定的に解釈すべきと思われる。人類創造は6千年前だったとする説の否定が目的ならば、古生物学のサメやクジラではなく、人類および猿人などの年代に直接言及するしかなかろう。
2008/06/30
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六曜に対応する旧暦日付の一覧表日付先勝 友引 先負 仏滅 大安 赤口朔1月2月3月4月65月6月2日6月1月2月3月4月5月3日5月6月1月2月3月4月4日4月5月6月1月2月3月5日3月4月5月6月1月2月6日2月3月4月5月6月1月7日1月2月3月4月5月6月8日6月1月2月3月4月5月9日5月6月1月2月3月4月10日4月5月6月1月2月3月11日3月4月5月6月1月2月12日2月3月4月5月6月1月13日1月2月3月4月5月6月14日6月1月2月3月4月5月15日5月6月1月2月3月4月16日4月5月6月1月132月3月17日3月4月5月6月1月2月18日2月3月4月5月6月1月19日1月2月3月4月5月6月20日6月1月2月3月4月5月21日5月6月1月2月3月4月22日4月5月6月1月2月3月23日3月4月5月6月1月2月24日2月3月4月5月6月1月25日1月2月3月4月5月6月26日6月1月2月3月4月5月27日5月6月1月2月3月4月28日4月5月6月1月2月3月29日3月4月5月6月1月2月晦日2月3月4月5月6月1月朔 7月 8月 9月10月11月12月2日12月 7月 8月 9月10月11月3日11月12月 7月 8月 9月10月4日10月11月12月 7月 8月 9月5日 9月10月11月12月 7月 8月6日 8月 9月10月11月12月 7月7日 7月 8月 9月10月11月12月8日12月 7月 8月 9月10月11月9日11月12月 7月 8月 9月10月10日10月11月12月 7月 8月 9月11日 9月10月11月12月7 7月 8月12日 8月 9月10月11月12月 7月13日 7月 8月 9月10月11月12月14日12月 7月 8月 9月1810月11月15日11月12月 7月 8月 9月10月16日10月11月12月 7月 8月 9月17日 9月10月11月12月 7月 8月18日 8月 9月10月11月12月 7月19日 7月 8月 9月10月11月12月20日12月 7月 8月 9月10月11月21日11月12月 7月 8月 9月10月22日10月11月12月 7月 8月 9月23日 9月10月11月12月 7月 8月24日 8月 9月10月11月12月 7月25日 7月 8月 9月10月11月12月26日12月 7月 8月 9月10月11月27日11月12月 7月 8月 9月10月28日10月11月12月 7月 8月 9月29日 9月10月11月12月 7月 8月晦日 8月 9月10月11月12月 7月
2008/06/30
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グレゴリオ暦で13日の曜日年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月1980日水木日火金1日水土月木土1981火金2金3月水土月木日火金4日1982水土土火木日火金5月水土月1983木日日水金6月水土火木日火1984金7月火金8日水金9月木土火木1985日水水土月木土火金10日水金111986月木木日火金12日水土月木土1987火金13金14月水土月木日火金15日1988水土日水金16月水土火木日火1989金17月月木土火木日水金18月水 西暦旧暦六曜19801 6月13日 5月 1日大安19812 2月13日 1月 9日先負 3 3月13日 2月 8日先負 411月13日10月17日先負 19825 8月13日 6月24日大安19836 5月13日 4月 1日仏滅 19847 1月13日 12月11日仏滅 8 4月13日 3月13日先負 9 7月13日 6月15日友引 198510 9月13日 7月29日大安 1112月13日11月 2日赤口198612 6月13日 5月 7日大安198713 2月13日 1月16日仏滅 14 3月13日 2月14日先負 1511月13日 9月22日赤口198816 5月13日 3月28日赤口198917 1月13日12月 6日大安 1810月13日 9月14日仏滅 ・・・ 1980年代の13日金曜日のうち、13番目が1987年2月13日です。(爆六曜に対応する旧暦日付の一覧表より抜粋日付先勝 友引 先負 仏滅 大安 赤口朔 1月 2月 3月 4月 6 5月 6月16日 4月 5月 6月 1月13 2月 3月11日 9月10月11月12月 7 7月 8月14日12月 7月 8月 9月1810月11月
2008/06/27
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「テロ」ではない。テロとは、恐怖支配のための暴力である。ここから派生して、政治目的の威嚇、暴力が含まれる。暴力とは、法的に正当化されない実力行使である。大規模な実力行使は戦争であるが、外国に対する戦争は「私戦」、政府に対する戦争は「内戦」すなわち「内乱」である。小規模な実力行使は破壊、攻撃などと呼ばれ、これらのうち、政治目的により民間人によって為され、法的に正当化されないものはテロである。しかし、北による拉致は、誰かを脅迫する目的ではなく、被害者も政治活動に携わらないまったくの私人に過ぎず、営利誘拐と大差がない。「支援」ではない。実行者は北の公務員または独裁政党の職員すなわち公人であり、誰かを支援したのではなく、自ら実行した。「国家」は悪くない。国家は当然に実力行使するうえに、自らを正当化する権能を有する。それが、国家というものの全てに共通するきわめて自然な姿なのである。国際法には違反しているだろうが、それは国際司法裁判所や国連総会で議論するか、国家間の交渉で扱うべきことだろう。米国の都合で作られた法律に依存するのは、いかがなものか。
2008/06/27
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「成約時代講義」 という資料が「世界新聞構想-イスラエル」に公開されています。 いやな臭いがするので、埃を叩いてみたいと思います。http://www.geocities.com/MadisonAvenue/8203/setsuri/chap2.htm 第二章 カナン定着時代 第一次七年路程 1、前半三年間(1986~1988年) 2)1987年 a)日本 86年の12月に、不可能と思えた100数という目標のために、全国が一丸となった。久保木会長、小山田先生、古田社長が父母の日にTV100の目標を受けた時、君たちが一体化すれば勝利するんだ、といわれ、本当に結束した。超組織的に結束して12月を迎えた。それゆえに、この調子で行けば、これから1月、2月もやっていけると、非常な自信を持って87年を迎えた。基盤もしっかり築いて、上昇気流に乗っていた。しかし、87年は二年目であり、二月は二数、十三日の金曜日はイエス様が十字架に架かられた日で不吉な数であり、おまけに仏滅でもあるその日に、被害弁連という弁護士会が初めてマスコミにいわゆる霊感商法問題を登場させた。87年の2月13日は、何十年に一度しかない13日の金曜日と、仏滅が重なる日だった。ここからあらゆる攻撃が、テレビ、新聞、週刊誌、あらゆる雑誌を通して始められた。それで今までの献金摂理の上昇運が完全に頭打ちにされた。ここから日本の摂理は受難の時代を迎えた。・・・・1987年2月13日は、金曜日で仏滅です。(仏滅については六曜をご参照ください。) さて、そんなに珍しいことでしょうか。13日は毎月1回あり、金曜日は毎週1回あり、六曜の仏滅も6日毎にあります。1980年代の毎月13日は、もちろん、全部で120日。(12ヶ月×10年)このうち、金曜日は18回。 また、その18回のうち仏滅は、4回。(83年5月、84年1月、87年2月、89年9月の各13日 ⇒ 詳細) 10年間に4回あるのに、「何十年に一度しかない」 とは、大ボラです。( なお、実際に数えるまでもなく、12 × 10 ÷ 7 ÷ 6 = 2.9 回/十年 になることは中学卒業に必要な基礎学力ではないかと。ブログ主様の真の親のご尊顔を拝したいものですな。)
2008/06/26
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Re:ストックホルム・アピールと韓国人の新宗教(06/25) あいうえお5532さん 教会にいた頃アベルから聞いた話ですが、文爺は「原爆を落としてでもベトナムの赤化を防がなければいけない」と言ったそうです。\(◎o◎)/(2008/06/26 12:44:33 AM) ・・・・ 挑発的な宣伝でした。 1969年 ニクソン・ドクトリン (ベトナムとの秘密和平交渉開始)1971年10月 ニューヨーク・タイムズ紙に「ペンタゴン・ペーパーズ」連載開始1972年 8月 アメリカ軍、ベトナムから地上兵力撤退完了 ~11月 大統領選挙 (ニクソン再選、マクガバン落選) 12月 アメリカ軍、北爆再開を無制限停止1973年 1月 パリ協定締結 2月 上院ウォーターゲート特別委員会設置 3月 アメリカ軍がベトナムから撤兵完了1974年 8月 ニクソン大統領辞任 文教祖の動き1965年6月 アイゼンハワー元大統領(1961年退任)を訪問1973年11月 ウォーターゲート事件に関する声明文を発表1974年2月 ホワイトハウス訪問、ニクソン大統領に面会 以上の通り、彼が大統領に会って核攻撃を進言する機会はありませんでした。
2008/06/26
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2008年2月創刊の同誌は、「紙風船」誌の後継雑誌である。15ページには「紙風船」のクイズ当選発表がある。配置薬会社の「ニチハイ」が使っていたフリーダイヤルは、・・・・メディカルシステムズ へ引き継がれた。首都圏メディカルシステムズ千葉営業所の紹介記事が10~12ページにあるが、3年間、高麗人参を飲んだ「おかげ」で脳梗塞が消えた、と宣伝している。以上、報告終わり。
2008/06/26
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朝鮮戦争後、韓国人の中に、メシヤ(教祖) が降臨する国は2つに裂かれなければならなかった、38度線は神が愛する一線である、などと説く新宗教が登場します。その教祖は、朝鮮半島統一のために、米国が早く原爆の威力を利用すべきだったとしています。1945年8月、この教祖は、妻の家族が用意してくれた家に暮らし、定職を捨ててソウルの街を徘徊する電気工事技師でした。もともと両親の宗教は伝統的なプレスビテリアン(長老教会) で、 実家の宗教は儒教で、両親は子どもたちが大きくなってから、プロテスタントに改宗し、伝統的なプレスビテリアン(長老教会)に属したそうですが、本人は、神学校に学んだことはないものの、キリスト教系の新しい団体に加わりました。本人の後日談によれば、8.15解放後、政治活動に少し関わり、キリスト教の国教化を目指す宗教政党の結成を思い付いて提案したそうです。李承晩 (右派系独立運動家) を支持し、北進統一を成し遂げるため、マッカーサー元帥とトルーマン大統領に訴えて、原子爆弾の使用を懇願(進言)するつもりだったとか。もちろん、このような企図は牧師たちに却下されたといいます。政治活動は諦めたのか、翌年、妻子からも離れ、封鎖されている38度線を越えて平壌へ去りました。それから4年後、1950年11月30日、トルーマン大統領はソ連軍をはじめとする共産勢力に対抗するため、原子爆弾の使用を声明します。強硬路線を顕示し、米国内の強硬な保守派の期待に応える意味も込められていたのでしょう。他方、この年の3月25日、既に多くの著名な科学者が「ストックホルム・アピール」を宣言して、核戦争・核兵器開発に強く反対していました。ストックホルム・アピール支持の動きは日本でも広がり、「キリスト者平和の会」の人たちが街頭宣伝を行ないました。が、それらの人々に対して公安刑事が尾行、内偵を行なって職場に乗り込むなど、重苦しく不穏な空気に包まれました。 朝鮮半島では、李承晩大統領が北進統一を唱えて緊張を煽る一方、金日成首相も用意周到かつ隠密裏に南進を準備し、戦端を開きました。米軍優勢の局面もありましたが、決め手に欠き、「3度目の原爆」は許さないという国際世論が米国を抑え、核兵器に執着するマッカーサーは解任され、半島統一には到りませんでした。 朝鮮半島分断のはじまりにも原爆投下が影響しています。ソ連軍南進と米国の原爆投下が重なって、日本降服の時期が決まりました。もしも、の話ですが、日本の降服がソ連軍進攻開始よりも早ければ、大韓民国 (李承晩をはじめとする政権) が半島全土を掌握したはずです。したがって、ギリシャ、トルコ、オーストリアのような国々の体制になっていたでしょう。あるいは、国共内戦に連動し、鴨緑江を挟んで中国対米韓の衝突に進んだかもしれません。一方、日本の降服が遅ければ、半島は全てソ連軍に占領され、モンゴル、バルカン半島の国々、もしくは、フィンランドのような体制のいずれかに落ち着いたはずです。したがって、韓国の視点で見れば、ソ連軍参戦よりも早く原爆投下して欲しかったということになります。すなわち、原爆歓迎、です。こうしてみると、日本人が熱心に支持した反核兵器運動は、韓国側からすると無意味だったのですね。
2008/06/25
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お約束していました欲望論を続けます。私は欲望に対して警戒しておりますが、そのご説明に代えて、以下の話を取り上げます。あるアフリカの村または熱帯の島に2つの会社からそれぞれ靴のセールスマンが送り込まれた。1人は直ちに本社に打電して、「原住民には靴を履く習慣が無い。需要が無いので直ちに帰国する。」と。しかし、もう1人は「原住民には未だ靴が普及していない。いまに大きな市場になるから増産せよ。」 と。この話を基に、資本主義国の経営コンサルタントは後者を褒める。ポジティブな思考だというわけです。なるほど、弁証法的ではありますが。靴の需要は、棘のある小さな硬い木の実を他の土地から大量に持ち込んで撒くことで、「創出」できます。過剰生産力の捌け口を作り出すのが資本主義的なセールスの目的で、靴に限らず、水虫薬、阿片、武器、奴隷、花瓶型石器、石塔、石仏にも及びます。人々の欲望(欠乏、苦痛、悲哀) が大きくなるほど市場経済も「成長」し、社会は「発展」します。限られた耕地面積の中で、穀類をそのまま調理して食べるのか、それとも穀類をいったん飼料に回して家畜の肉として食べるのか、という違いで人々の満足は大きく偏ります。中国の思想家は、乏しきを憂えず均しからざるを憂う、と教えますが。地上に武器が増えて平和が維持 (支配欲が満足) され、人々(支配層) が喜ぶ世界は、天国とは遠く、劣勢に立つ人々の苦しみを増し、次なる危機を深刻にします。さて、さる経典によると、・・・我々が、往々にして罪であると考えるところの欲望なるものは、元来、神より賦与された創造本性である。なぜなら、創造目的は喜びにあるのであり、喜びは欲望を満たすときに感ずるものだからである。したがって、もし人間に欲望がないとすれば、そこには同時に喜びもあり得ないということになるのである。そうして欲望がないとすれば、神の愛を受けようとする欲望も、生きようとする欲望も、善を行おうとする欲望も、発展しようとする欲望もないということであるから、神の創造目的も、復帰摂理も、達成することができず、人間社会の維持とその発展もあり得ないのである。・・・この後、神を中心にすれば万事解決する、指導者(神からの愛の中心であるメシヤ) に地上権力を復帰しよう、という単純な論理に続いて行きます。しかし、そのように、神の意思(メシヤの命令) を中心にすれば欲望を満たすことの一切が聖化されるのでしょうか。貪欲、野望の類も欲望の表れですが、それを満足して喜ぶ世界は「創造目的」に適う被造世界ではありません。そのような欲望のためには、他の人々を苦しめなければならず、より良く生きようと願う人間本性に背反しています。エピクロスは欲望と快楽にまつわる疑問に対して回答を出しました。ただの貪欲と歪んだ野望から離れて静穏に暮らすことが最も快適であるという説です。過度の刺激、過当競争、需要喚起に晒されて疲れている現代人にはよく理解できるのではないでしょうか。そこで次の常識的な考えを提示しておきます。彼らが、往々にして罪なるものと誤解するところの欲望は、元来、神より賦与された創造本性である。なぜなら、創造目的は喜びにあるのであり、喜びは欠乏と不足が満たされるときにも、すなわち欲望が満たされるときにも感ずるからである。人間には生理的な不足と欠乏を補おうとする本性、すなわち生きようとする本性があり、また、より良く生きようと願う本性もあるが、仮に、これらの欲望が人間にないとすれば、人間社会の維持と発展改良もありえない。そうして、欲望とその満足とが調和する健全な社会においてこそ、創造目的が実現するのである。
2008/06/24
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■欲望という名の欠乏さる経典には「善を行おうとする欲望」という未来形のような言い回しが登場しますが、違和感があります。進行形で「善を成し遂げようとする欲求」と取ればよいかもしれませんが。・・・我々が、往々にして罪であると考えるところの欲望(1) なるものは、元来、神より賦与された創造本性である。なぜなら、創造目的は喜びにあるのであり、喜びは欲望を満たすときに感ずる(2) ものだからである。したがって、もし人間に欲望がないとすれば、そこには同時に喜びもあり得ないということになるのである。そうして欲望がないとすれば、神の愛を受けようとする欲望(3) も、生きようとする欲望(4) も、善を行おうとする欲望(5) も、発展しようとする欲望(6) もないということであるから、神の創造目的も、復帰摂理も、達成することができず、人間社会の維持とその発展もあり得ないのである。・・・「欲求」と「欲望」は似ている言葉です。基礎的な要求(衣食住)には欲求が選ばれ、過大な要求(貪欲、野望)には欲望が当てられる傾向はあるでしょう。しかし、明瞭な差を示すことはできません。ちなみに、心理学では欲求という用語を採用しています。「生活体の内部で生理的・心理的に必要なものが不足または欠乏しているとき、それを補うための行動を起こそうとする緊張状態。動物や人間を行動にかりたてる原因となる。要求。」・・・・と国語辞典には書かれています。(心理学者マズローは、承認されたいという欲求などを欠乏に基く欲求に分類する一方、欠乏に基かない自己実現の欲求をその上の段階に位置付けた。)人は日常的に善意(愛)を抱きます。が、その時点では「不足や欠乏」には陥りません。善良な計画(すなわち、人々の欠乏を補い、欲求を満たし、喜びを与える事業計画)の立案に着手した後では、資金・時間・情報などの不足と格闘します。しかしながら、すでに善(愛)を行なう過程の中にあります。このように、(自己実現としての善行を欲求する偽善者を除けば) 未来形で「善を行おうとする欲求」を抱く局面に立つことはありません。⇒(5)その他の内容について検討します。■立って半畳、寝て一畳生理的欲求つまり、体温の維持、水分・栄養補給、排泄、睡眠などの基礎的なものは、無限ではありません。⇒(4)これに対して生得的ではなく文化的な欲求は多様です。たとえば、美食は味覚の伝統に依存しており、たとえば、不味くて食べられないと感じられる食物も、食文化によって異なります。⇒(3),(6)■札束で焚き火金銭が生理的欲求を直接に満たすことはないのですが、むしろ、金銭欲は際限がありません。雪山で札束を焚いて暖を取ったり、子どもが硬貨をおはじきにして遊んだりするかもしれませんが、例外です。金銭(貨幣)は交換手段であるだけではなく、漠然とした将来への不安に備えて貯蓄するという形で用いられることも多いでしょう。貯蓄を少なくするのは度胸が要り、増やすには我慢と汗などが要ります。⇒(6)エピクロスは快楽主義を唱えたのですが、欲望を3つに分類しました。自然で適度な欲望、自然だが過剰な欲望、そして、歪んだ欲望です。すくなくとも、さる経典よりも賢明で理に適っているように思いましたので、それは次回に。
2008/06/19
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石川啄木・作 (青空文庫公開中) 新らしき都の基礎やがて世界の戦(いくさ)は来らん!不死鳥(フエニツクス)の如き空中軍艦が空に群れて、その下にあらゆる都府が毀(こぼ)たれん!戦(いくさ)は永く続かん! 人々の半ばは骨となるならん!然(しか)る後、あはれ、然る後、我等の『新らしき都』はいづこに建つべきか?滅びたる歴史の上にか? 思考と愛の上にか? 否、否。土の上に。然り、土の上に、何の ―― 夫婦と云ふ定まりも区別もなき空気の中に果て知れぬ蒼(あを)き、蒼き空の下(もと)に!古代オリエントの奴隷(捕囚)の中のある人は、「神の像」と称えられる帝王ではなく、ただの男や女のごとき人々に神の権威が委ねられていると考えたそうだ。わたしの くには あなたがたの あいだにある、と言い置いて刑死した人は、そのように創世記・天地創造を読んだのだろうか。特別の優れた指導者ではなく、来るべき世界において人民の欲求を満たすと予言する扇動家ではなく、男だけではなく、女、子どもも含む雑多な人々によって、神の栄光が地に行き渡ると聞こえます。
2008/06/18
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「存在するものは全て合理的である」とヘーゲルはいいました。同じく、流出説、理神論にとどまる限りは現状が合理化されてしまい、(社会に対して問題意識をもつ人々から見ると) 無意味です。流出説に加えて、神の性質に男女のニ性を付け加えると、「神」は宇宙を産み出す雌雄同体の生物の幽霊に変貌します。二性性相の説は、被造物からの連想によって、この宇宙の性質をそのように描いたに過ぎず、そのままでは世間で通用しませんし、それだけを取り上げて評価することもできません。カントは『純粋理性批判』によって、自然界の観察から神の存在を捉えようとする試みを斥けたとか。以下、元に戻って考えます。人間が初登場したとき、神のかたちに似せられていたといいます。神に似せられたと聞いて、なんとなく、誇らしく思われるかもしれません。(書かれた当時、バビロニアなどでは、王を称える用語だったそうです。)しかし、天地創造を読んでも、「神のかたちに似せられた」という意味は判然としません。・・・人間だけの「神の似姿」とは何か。たとえば、永遠なる神の栄光、神性を帯びていたのでしょうか。そして、たとえば、死なない生物だったのでしょうか。助け手ならば性別は不要です。死なないのであれば、男女一対にする理由がありません。したがって、死ぬ生き物として創造されたはずです。(「男と女」とは、多様な人々の集団を指すに過ぎないかもしれません。)形状だけでなく性相があると聞かされました。が、他の獣、たとえば霊長類も体だけでなく心があります。ヒトの心に近い性相があるわけです。心は「神の似姿」とは直接関係無いようです。ヒトの知能は類人猿より高いので、意思をもって本能・習性を制御したり、環境を変えたりする理性、計画性、自発性そして創造性を持ちます。(地球環境を保全・制御する高い能力を有するともいえます。)神は自発的に天地を創造していますが、人間も道具などを作り、また、好んで作品をつくることもあります。おそらく、それらを「似ている」というのでしょうね。(王ではなく、人々の集団に権威が与えられているという意味を込めて書かれたようです。)・・・「神の作品」として再創造された者は善い行いをする、と新約の書簡に書かれていますが、自発性・自由意志と善い行いとが結びつくとき、つまり勇気、義侠心を発揮するときに、はじめて、誇らしい「神の似姿」であるといえるのではないでしょうか。(括弧内は、ヨシュアさんのところで紹介された論文を参考に付記しました。2008.6.18 10:00)
2008/06/17
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http://hiroba.jpn.org/12devine/12daraku.htm#(三)目的性から見た善と悪これ↑に対して、思うところを申し述べておきます。梵天は、バラモンたちが最高神として奉じるインドの神様でした。「生類の王」という輝かしい肩書きで称えられる天地創造の神様です。ちなみに、お釈迦様は悟りを開いたものの、あまりに鋭い内容であるため、これを秘密にしておこうとしましたが、梵天は人々に広めるように、お釈迦様に熱心にお願いしたそうです。永久不滅と仰がれる太陽にも寿命があります。天地創造の神様にも寿命があるのでしょうか。梵天は神様ですから、もちろん不老不死のはずなのですが、一説によると、それでも輪廻転生から逃れられないとされます。鳥獣のような被造物には、ヤハウェの神の神性に似た稟性があるという説を聞かされました。しかし、動植物の性質すなわち生命や自然界の法則と、創造神とを混同するならば、ジャングルの掟(弱肉強食)だけの世界観になってしまうのではないでしょうか。「勝てば官軍」といいます。古来、専制君主は人民に道徳を訓示するのが好きなのか、明治天皇も日本国民が守るべき徳目を「教育勅語」というお説教で列挙し、勇躍、戦陣に赴くことが究極の徳目になりました。また、台湾・韓国では「姦通罪」がありましたが、旧日本帝国から引き継いだ罪の概念でした。日本では、「教育勅語」「不敬罪」「姦通罪」は、米軍進駐後に廃止されました。すなわち、権力の交代によって国家公認の徳目や法規範も変わってしまいます。また、東西冷戦時代、亡命する者は、亡命先の西側世界では英雄、共産圏の故国では裏切り者とされました。過激派や一部の新宗教は独善的な正義を信奉し、その呪縛から脱することができたメンバーは、一転、その手の正義(組織の倫理観)からも解放されました。このように、立場によって徳目も異なっていることが分かります。そこで、私たちは善悪に対して虚無的な想いに陥りそうです。ちなみに、レーニンは「目的は手段を正当化する」と唱えましたが、鋭い見方で、怖しい言葉です。そのように、すべての残虐な戦いが正当化されていることに気付かされます。毛沢東は官僚による搾取に対する労働者・農民の闘争はいつまでも継続されると予言しました。革命は終わらないというのです。いうまでもありませんが、教祖や党の最高指導者を絶対なる基準と仰ぐことは、経験則から見て愚行でありましょう。指導者の指示、帰依する宗派の経典、信奉する思想書などにもっともらしく文字で書かれたことと善悪は関係があるのか疑わしいと思います。むしろ、人々が所属や立場を超えて、先天的、個人的に善悪を弁別して助け合って暮らしている姿を見るとき、そこに絶対的な善の世界への入り口があるのではないでしょうか。
2008/06/16
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被造物には各々性稟がある。日本語では「稟性」というほうが多い。 天から稟(う)けた性分のことである。漢籍には、愚かさは濁った気に触れて受けた性で、清い気から受けた性は賢さだ、ともある。 さて、万物に共通する性質がある。それは、すべて有為転変することだ。大気や海水に寒暖があり、それが対流・還流するように、万物の間には陰と陽の対比が見られるが、自然界の法則すなわち所詮は被造物の性質である。 「万物■■」 ← この2文字に入るのは、世の常識では「流転」である (ヘラクレイトスの哲学) 。衆生は輪廻転生に束縛されて、四苦八苦に呻吟しているという。もともと流転するものを絶対視するという錯覚により、思い煩いに陥っているようだ。 パウロは滅びに言及する。被造物は虚無に服しており、滅びに束縛されて呻いているという(ロマ8:20-22)。ヘブル人への手紙でも、創造と滅びに触れ、地の基と天は神の創造によるが、それらも他の全ての物も衣服のようにぼろぼろに古びて滅ぶという。(ヘブル1:10-11)伝統も古びると示唆しているのか、伝統的な祭礼は実物を伴わない「影」であるとして(ヘブル8:5,10:1)、ユダヤ人の同胞には昔ながらの儀式からの自立・自由を勧めている。他方、豊かで享楽的な都会人であるローマ市民の仲間に対して、パウロは人間を脅かす自然の猛威および病気などを念頭に置いているようで、天からの警告を強調し、ロマ1:18The wrath of God is being revealed from heaven against all the godlessness and wickedness of men who suppress the truth by their wickedness, (NIV)悪意から真実を抑圧する者の不信仰と悪徳の全てに対し、天から神の怒りが啓示されようとしており、(じじい50訳)伝道を妨害するローマ人たちは、学問があるはずなのに、永遠の神を滅び去る被造物(自然界の法則)と混同する結果、次第に神を畏れなくなり、価値観と規律を失ったと厳しく指摘しているようだ。ロマ1:23and exchanged the glory of the immortal God for images made to look like mortal man and birds and animals and reptiles. (NIV)また、永生不滅におわす神の尊さから、これを命に限りがある人間、鳥獣、這う生き物に似せて作られた神の像へ取り替えた。(じじい50訳)また、ヤコブの手紙には、「移り変わりや、移り行く影」に触れているところがある(ヤコブ1:17)。自然界で見られる天体などの法則は神には当てはまらないと示唆するものだ。生物と神との違いをいうパウロと同様である。大概の動物で雌雄が番うことが知られる。しかし、結婚・独身の是非は絶対的ではなく、ケース・バイ・ケースである(マタイ 5:32, 19:10-12, 22:2,25 ルカ14:20, 16:18 Iコリ7:8-11,28,33-39 Iテモテ4: 3, 5:11,14 ヘブル13:4)。すべての被造物が神の作品であると断定する前に、確かに神の作品なのか、作品といえる稟性を備えているかが問われる。 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ 2:10)この作品すなわち「あなたがた」は永遠である(ヘブル1:11)。「あなたがた」が良い行いができるのは、有為転変の束縛から解放されている神の子たちだからである。そして、復活のときには、雌雄で番(つが)う鳥獣のような性稟を持たず、天のみ使いのようであって、嫁ぐことも娶ることも無い(マタイ22:30)。
2008/06/10
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http://www.eigotown.com/eigocollege/marie_english/backnumber/marie_english26.shtml箱舟に乗ったが、飢え死にした恐竜。ノアが餌を十分に用意できなかったから、ということなら、人間の責任なのでしょう。石油産業の技術者は古生物学に貢献してきましたし、米国の経営者たちも地質学の常識に従って探査活動を推進してきました。創造説が正しければ、別の考え方で探査しなければなりませんが。その結果、大発見に到れば、けちな献金や韓国系宗教の悪質商法は要らなくなります。 【2008.6.4追記】石炭は陸上の植物の化石ですが、石油は海、湖などの底に降り積もった堆積物からできたと考えられています。葉緑素やコレステロールに由来すると見られる物質が含まれることから、生物(動植物)の遺骸が堆積したと推定されます。しかし、有孔虫のような微小な化石のほかには、動物の骨格の痕跡が残っていないので、当然、骨格を持つ大型の動物ではなかったと考えられます。化石が発見されないことなどから、生物に由来しないという見方(無機成因説)すらあります。ジュラ紀と白亜紀に堆積したことから、ちょうど恐竜が繁栄した時代ですが、石油は主に恐竜の遺骸からできた、とは考えにくく、素人向けの挿絵などで恐竜の死骸をイメージしたものが描かれることがありますが、誤解です。http://www.jogmec.go.jp/recommend_library/qa_oil/index.html#08 ・・・いろいろな生物が石油の元になっていると考えられますが、プランクトン、藻(藻類:「そうるい」といいます)、草、木などが主です。恐竜の生きた時代(ジュラ紀~白亜紀)の地層から出てくる石油が一番多いのですが、恐竜が石油の元になった可能性は小さいようです。・・・【2008.6.9追記】恐竜は陸上に棲息していました。陸上の植物は堆積して石炭層になりましたが、恐竜はどうなったかというと、恐竜の死骸は小動物に食べられてしまい、そのままでは堆積せず、骨も酸性の水によって溶けてしまったと考えられています。死んだ後、たまたま食べられたりせずに海・湖まで流され、酸性の水から離れて堆積したものが化石になったということです。
2008/06/02
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