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詐欺集団なのに何故無くせないのか。実は、手加減しているからではないか。それは選挙運動の手足として利用するためではないか。・・・実は、それだけではない。攻撃を受けた左翼政党はもちろん激しく反撃するが、自衛の目的を達すると撤収する。報道も同じで、継続的に掘り下げてはいない。総合的に見て、手加減しているのだ。内部から組織を潰滅させたとしても、沢山の分派が発生すれば、もっと厄介なことになるかもしれない。外部からの批判によって包囲し、自然死を待ちつつ、貴重な教材として利用し、社会教育の底上げに活かす方針であります。
2008/09/30
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あいべつりく 愛別離苦 とは、家族友人などと別れる苦悩をいいます。この世間において、愛は苦しみのきっかけになります。愛は、哀しく辛いものではないでしょうか。博愛も愛ですが、人類の苦しむ姿を見て、哀しく思う辛く切ない心情でもあります。さて、博愛にも真偽があります。表面(建前)は博愛なのに、残念ながら、内心(本音)は違うということはあるでしょう。極端な例では、牧師や神父が信者に対して性犯罪を働いていることがあります。私が通っていた複数の教会では、信者間の政略結婚を画策する聖職者がいたり、また、不動産活用策や幼稚園経営を巡って、嘘を吐かないように家族から諫言される聖職者もいました。偽りの愛もあるわけです。愛憎は対立する概念ですが、その他に、無関心、冷淡もあります。好きなのに素知らぬふりをすることもあります。そのように、それらには真偽がありますから、真の冷淡もあるし、擬装の無関心もあります。見える価値はたとえば美・利・善に収斂しますが、それらの上に真実があるはずです。真実の善でなければ、愛にはなりません。真実の愛でなければ、善になりません。偽善は善ではありません。堕天使も光り輝く美しい天使に擬装するといいますが、美しいからこそ、人々は悪魔に魅惑されるのです。都合良く「夢」などを見させて人間を操る悪魔がほんとうにいるならば、怖ろしいことではありませんか?
2008/09/29
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キリストは「わたしのくには あなたがたの あいだにある」と説いたように、その弟子たちも地上権力による信仰強要や他宗教弾圧を望んでいたわけではないでしょう。しかし、4世紀、キリスト教はローマ皇帝によって公認されただけではなく、皇帝の権力によって他宗教や分派を禁圧するに到りました。宗教的に多元的な社会すなわち、分派が生まれたり類似する他の宗教が活動する環境に何か不都合があるとすれば、地上の権力によって、非キリスト教の宗教行事に干渉し、聖職者の人事に介入し、伝統文化を廃することはありえます。当時、キリスト教は内部分裂していました。アリウス派ではイエスも人間すなわち被造物で、敢えて神とは考えなかったが、アタナシウス派はイエスを「子なる神」として神格化し、父なる神と同質であると強調して対立しました。アリウス派は決して弱小勢力ではなく、数人の皇帝が帰依し、いくつかの司教の座を占めていました。病気を機にキリスト教に帰依した皇帝テオドシウス1世は偶々アタナシウス派に属し、アリウス派の排斥と他宗教弾圧へ突き進みました。一方、皇帝が暴動鎮圧の挙に出ると、ミラノの司教はこれを過酷であるとして謝罪を要求し、破門の脅しによって屈服させました。378年 テオドシウス1世がグラティアヌスにより東ローマ帝国の共同皇帝に任命される382年 テオドシウス1世が病気になり、洗礼を受ける 公休日以外に行なわれる非キリスト教の祭礼を非難383年 アリウス派のコンスタンティノープル司教を追放しアタナシウス派へ交代させる384年 非キリスト教の神像、寺院への参詣と犠牲を供える儀式を禁止 古代ローマの国家儀礼に仕える女祭司の廃止389年 元老院の決議により、古代ローマの宗教を廃絶391年 テサロニケのキリスト教徒による暴動で、ミラノ司教が武力鎮圧に抗議、皇帝が謝罪394年 古代オリンピック廃止これらのことから、政教分離が崩れてゆく過程を見ることができます。宗派間の対立が深まり、これに民衆暴動が結びつく惧れがあるならば、帝国の統治は危機に直面します。そこで、皇帝は最も有力な宗派を庇護し、宗派間対立を決着させ、この一元的な権威を盾とする、という策です。結果として、皇帝はその宗教権威に呑み込まれ、また、多様な教理解釈は許されなくなります。1945年朝鮮半島では、敗戦とともに連合国による「解放」を迎えました。キリスト教徒(カトリック メソジスト)の李承晩が占領軍の信任を得て、新政府樹立の準備にあたったが、その周辺で「キリスト教の神」を与党の綱領に書き込もうとしたり、文潤国牧師(文鮮明教祖の親戚)を長官に就任させようとする構想があったとか無かったとか。もちろん実現しませんでしたが、もしも実行されていれば、4世紀における前車の轍をふんでいたかもしれません。北朝鮮では、金日成が日本天皇や再臨のキリストになりかわって、絶対的な権威に納まりました。おそらくは当時の韓国でも同様の事態を想定することは可能です。313年ミラノ勅令は宗教間の平等を旨とし、これによってキリスト教に対する迫害は完全に終わっているはずです。これに対して、「迫害」は400年間続いたと説くのは、ただの間違いではなく、・・・地上権力と一体化しない限り、教理批判を遮断できず、自分たちが無理矢理に自分に言い聞かせようとしている教えと救済とを心から信じられないから・・・ではないのか、と指摘しているわけです。
2008/09/24
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古代ローマの皇帝はキリスト教を禁じましたが、やがて東ローマ側で容認するようになり、さらに東西両皇帝連名で公認しました。(313年ミラノ勅令)しかし、異教は禁じられず、国教になるまで競争が続きました。(皇帝はキリスト教徒の復権を認めて、既に没収した資産を返還しました。)この間には、皇帝の庇護を受けたキリスト教にいちおう帰依しながら内心では動揺する者もいたでしょう。異教を禁じない限り、動揺を収められない偽信者にとって、異教徒が発言することは迷惑であり、有害であったので、自分達への『迫害』と見えたかもしれません。自分はキリスト教の会衆に所属しているから来世を約束されている、と自分に言い聞かせるような人々は、同じ会衆に不信者を発見し、厳しく咎めるでしょう。・・・自分は同じように疑問があっても、忘れようと努力し、会衆の一員らしく振る舞っているからです。その辛い努力を嘲笑されているようにしか思えないのです。いつの時も偽信者は哀れです。先に「救われる者」が選ばれ、それらが神の力によって「信じる」状況に置かれるのだとしたら、内心の疑いに蓋をするような(自己欺瞞の)努力など、徒労だからです。無心に隣人を愛する人には何の関係もないことですが。
2008/09/15
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「神仏にすがる」「神のみぞ知る」などの慣用表現がありますが・・・。誰も頼れない、誰も知らない、という場合に登場するのが神仏です。神が命ずる、とは、誰も命じないことを、または、経営者、政府など(この世の神々)や某教団(偽りの神)が認めないことを自発的に敢行しようとする意図を指しているかと思います。ノアは偽善者ではなく、偽りの神やこの世の神々にへつらわず、ひたすら防災意識に徹した無垢なKYだったのではないでしょうか。
2008/09/13
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ノアは箱舟を作りました。これは「神の命令」であったと聖書には明記されていますから、クリスチャンにとっては、別の解釈はありえません。わたしはクリスチャンではありませんが、歴史ではなく物語に過ぎない以上、ただの読者の立場であり、否定することはありません。ただし、ノアの立場に立ってみた場合は、リアルタイムで、何をもって神の命令とするのかは疑問です。(神様の身分証明書はあるでしょうか?)一方、ハムの失敗については、何が失敗だったか明記されていませんから、さまざまな解釈が可能です。ノアがすることは全て神の命令に随うものであると解して、どんな恥ずかしいことでも妨害せず、応援し、積極的に参加すべきだった、という読み方もありえます。泥酔して裸で寝る父親からパンツも脱がせて、自分も全裸になるのが神の命令である、とか。このような解釈が出てくるのは、ノアの「成功」に対する誤解が先にあるからです。ノアは「神の」命令に盲従したのか否か。これを先に明確にすべきです。 ノアは心配性なので、日々の営みに終始せず、大洪水に備えるべきだと考えたのでしょう。神は創造の7日間において、「見よ、よかった」と祝福されていますから、神様は大洪水を起こしたりなさらず、人類をお守りくださる、という思想・信条が当時は優勢だったと察します。当時の普通の人々の常識的な考え(都合の良い神観)からすれば、ノアは特異な思想(非情な神観)をもつ「不信者」として、謗りを受けたのではないでしょうか。しかし、「人事を尽くして天命を待つ」という(堅実な)考えからすれば、隣人たちこそ、神に甘える怠惰な態度でもあります。神の保護を疑う異常な者(マイノリティー)が自己防衛に成功し、安直な宗教の盲信に浸っていた普通の人々(マジョリティー)が滅んだということが言えると思います。このように解するならば、既に実績があるノアがすることは(権威があり)全て神の命令に随うものであるというような解釈は、大洪水前にノアの警告を黙殺した人々の考えと同じように、安直です。
2008/09/11
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ノアの箱舟の物語に対して、どのようにして信念の根拠を求めればよいか、という疑問を追究したいと思います。孤立を怖れずに信念を貫くことを教えている物語のようですが、根拠の無いものが信念になるでしょうか。この物語では、ノアという人が選ばれたことしか分かりません。また、実際に大洪水が起きたという筋書きで終わっていますから、結果オーライだったとしかいえません。ノアは何らかの根拠によって大洪水を予見しましたが、それを十分に説明できず、そして、隣人たちは不運にもノアの予見を理解できませんでしたが、ひとりノアだけは幸運にも信念を貫きました。未知の領域におかれたとき、私たちは何も選ぶことはできず、単に、与えられるだけではないかと思われます。 実際、わたしが統一教会の勧誘を斥けたのは、信念の賜物というよりも、いまになってみると幸運に過ぎなかったような気がします。
2008/09/09
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ノアの箱舟は洪水の上を漂い、「アララト山」に漂着したと書かれていますが、これは史実でしょうか。え~と、聖書を疑うとは良い根性をしているな、と思われますか? さる教理解説書によれば、現代人は科学的な教えでなければ信じられなくなっている、といいます。空中再臨や処女懐胎を否定している統一教会の「原理講論」という経典ですが、なるほど、史実でなくても信じる人こそ好い根性をしている、と思います。 まず、アララト山ですが、実際にアララト山と呼ばれているトルコ東端の高山は、「12世紀以降にヨーロッパ人により命名」されたといいます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%88%E5%B1%B1 和文http://en.wikipedia.org/wiki/Mount_Ararat 英文 ご覧の通り、創世記では複数形の「山々」であって、ウラルトゥ地方のどこかの山であるとのご指摘があります。標高5,137mではなく、どこか別のあまり高くない山を指しているのかもしれません。 中国古代史において、その平野が水没しなかったことは明白ですから、中国大陸の中原には影響しない局地的な洪水だったか、または東洋文明発祥以前の超古代の事だったといえます。 局地洪水説大きな湖やカスピ海、アラル海のような内海の沿岸が洪水になるというケースはあるでしょう。そのような局地的な洪水であれば想定可能です。アフリカのどこかで木から降りて暮らしていた猿人の群れが洪水に襲われて絶滅するのは、ありそうなことですから、全人類がほとんど出口の無い盆地の底で、一つの湖の周りに住んでいた時代に遡ればよいのではないでしょうか。ただし、そのような原始人に600歳などという大きな数を扱う知能はなかったでしょう。もっとも、旧約では、ソロモン王の宮殿を描いた部分を見ても、円周率を知っていた形跡がありませんから、書かれた数字にも正確さを期待できません。 全世界水没説中国の有史以前、全世界で平地が水没したのであれば、大きな洪水というだけでなく、もっと壮大な海面上昇を意味します。現在の地表上の水の量であれば、海水が蒸発して南極大陸、シベリアなどに雪として降り積もることによって海面が下がり、また、それらの陸上の氷などが溶けることによって海面が上がることが知られています。つまり、温暖化による海面上昇、寒冷化による海面低下です。しかし、ウラルトゥの高原地帯が水没するような極端な海面上昇となると、そうはいきません。おなじく南極大陸も海水に没しており、現在とは比較にならない多くの水が陸海を含めた地表に存在していたことになります。そうすると、その水源はもともとどこにあったのか、そのときの洪水の水はどこへ隠れたのか、深刻な疑問があります。たとえば、地殻より深く浸み込むと、マントルと接触して爆発してしまいます。海水/水は地殻よりも上の地層の間にもありますが、短期間で海底から噴出したり吸い込まれたりするような現象がありうるのか、まったく想像を絶します。 そんなことが想定できるならば、空中再臨や処女懐胎をあえて疑わなくてもよいように思います。
2008/09/08
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宇都宮美術館で開催されていた「わたしが選んだ いわさきちひろ 展」が昨日、閉幕しました。最終日は多数の来場により、正規の駐車場のほか、公園内の駐車可能なスペースが満杯になり、会場内では行列が途切れず大盛況となりました。おむすびなどを持参して正解でした。地元新聞社とトラック業界の皆様、ありがとうございました。・・・夏休み最後の遠出で、お父さんは疲れました。入場券 特別協賛: 栃木県トラック協会http://www.soon.co.jp/truppy/manga/12.html・・・子どもたちにとって理想的な家庭環境、地域づくりのために、ちひろの作品を多くの方々に見ていただきたいと思います。 ・・・いわさきちひろ展の作品輸送をはじめ、栃木県トラック協会は、いわさきちひろ展を応援しています。・・・ 主催: 下野新聞社http://www.shimotsuke.co.jp/media/chihiro/hp_index.html下野新聞創刊130周年記念:わたしが選んだ いわさきちひろ展/展示作品紹介
2008/09/01
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延岡市での演説会を聴きに来た自民党員は、「今自民党は変わっている最中。自民党は討論のなかで進んでいく。」と語った。記者(赤旗の藤川氏)から「政党としてどうするか一つにまとめて国民に示す必要」があるのではないかと問われて答えたもの。自民党は「一つの意見が出た時に反対の意見が出るバランス感覚」があり、「対極の話を聞いて今の状況を判断したい」から小池晃氏(共産党参議院議員)の話を聴きたい、と説明。広い視野から学ぼうとする自民党員と、それを聞き出して機関紙で報じる共産党。“明日が見えて来る”ような記事に出会って、嬉しい。
2008/09/01
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