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「ユナイテッド93」をDVDで視聴した。見たい作品がレンタル中だったので軽い気持ちで手に取ったこの作品。すごい良い拾いものをしたという感じだ。アメリカで同時多発テロが起こったのは2001年9月11日。7年経った今でも、崩れ落ちる世界貿易センターが映し出されたあの映像を忘れることはできない。当時、私はアメリカ留学に関する書籍を執筆していて、実際にアメリカの大学を卒業してニューヨークで働く日本人女性に電話インタビューを行うことになっていた。ところが9月11日に、彼女の知人が貿易センターで事件の犠牲になってしまったために、ショックが落ち着くまで電話取材を延期したことがあった。当時、ニューヨークに在住している他の方からも、「窓から見えていたあの貿易センタービルが突然見えなくなって、ものすごくショックを受けている」という内容のメールを頂いたことがある。だから私にとってもあの連続テロ事件は対岸の火事どころでの話ではなく、相当なインパクトで脳裏に刻まれることになった。同時多発テロでは計4機の飛行機が犠牲になっている。そして、本作が取り上げているのは、この日最後の犠牲となったユナイテッド航空93便である。テロ事件に巻き込まれた飛行機の中で、唯一目的地に到達することなく墜落した便である。この映画の特徴のひとつとして挙げられるのは、著名な俳優が一切出演していないということ。さらに、映画を観終わった後に印象に残る俳優もまた存在しない。というのも、この作品には視聴者が感情移入してしまうようなセンチメンタルなエピソードの類が一切描かれていないからだ。犠牲者となった乗客や乗務員がヒロイズムで描かれることもないし、事件を計画実行したテロリスト達をことさら悪人に描くこともない。カメラはただ淡々と、事件当日の様子を時系列で追い続けていく。物語の序盤、93便に乗客が次々と乗り込んでいく様子が、まるで誰かがその場にいてカメラで撮影しているかのようなリアリティーで丹念に映しだされていく。地味なシーンながらこのシーンの演出は見事というほかはない。そこにあるのは、名もない平凡な人々の当たり前の日常。ひとりひとりに生活があり人生があり、93便を降りた後に行くべき場所がある。そう、普通だったら通過点のひとつでしかなかった飛行機が、実は人生の最終地点になってしまう。目の前で繰り広げられるありふれた日常の顛末を視聴者である私たちだけが知っている。この日常と非日常の対比が見事なのだ。リアリティーと言えば、パイロットや客室乗務員役にはその職業の経験者が起用されているという。特に管制官役の一部は、事件当時実際に勤務していた管制官が本人役を演じ(CASTでは「As Himself」と示されている)、さらに空港との無線等には、事件当時の実際の音声が一部使用されている。これだけのこだわりで演出してるだけに、事件が発生してからの緊張感はものすごい。軍、航空会社、管制室、全てが混乱し、誰も事態を把握できぬまま飛行機が次々と墜落していく。呼びかけても反応しなくなる飛行機。初めは誰もその意味がわからない。そして、ディスプレイいっぱいに広がる飛行中の機を示す何千もの赤い点滅が、事件勃発と共にものすごい恐怖感で人々に迫ってくる。その点滅のどこかハイジャック犯が潜んでいることに気がつくからだ。パニックを起こす管制官。あやうく接触しそうになる飛行機。混乱する現場。ついに、テレビのモニターが、煙を上げて崩れ落ちるセンタービルを映し出す。この後、カメラは93便内に戻る。機内電話で地上と連絡を取り合った乗客たちは、次第次第に状況を把握し始めていた。そして、自分たちには選択肢が残されていないことに気がつくのだ。生きのびるためには、犯人たち倒して操縦桿を取り戻すしかない! 犯人グループと乗客たちの息の詰まるような攻防戦。犯人たちをじりじりと追い詰めていく乗客たち。逃げ場を失う犯人たち。そして、ついに乗客達がコクピットに詰め寄ってドアを打ち破る…。その瞬間の生々しいやり取りが、ボイスレコーダーに記憶されているという。さらに乗客の一部は、機内電話から乗客と犯人グループの攻防の様子を実況し続けていた。冷徹なまでのリアリズムな姿勢を貫き透した監督が、自身の強い意思を封じ込めたシーンが、作品の最後に用意されている。飛行機が地面に衝突する寸前、乗客たちは神に祈る。そして、犯人グループもまた神に祈る。それぞれの違う神に、人々は最後の祈りをささげている。このシーンに彼はどんな思いを込めたのだろう。監督は『ボーン・スプレマシー(04)』で有名なイングランド出身のポール・グリーングラス。骨太な演出家だ。
2008.07.27
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湯浅美保(あるいは加藤美保)個人としてはいろいろうまく運ばない日々が去年からずっと続いている。デカい仕事をコケてから、ライターとしてはいいところナシ。つられてプライベートでもいいところ全くナシ。ところが、ココが怖いところなんだけど、結婚して子供がいたりすると妻としての母親としての生活が大きな部分を占めるので、この部分で積極的な活動をしていると、なんなく満たされたように錯覚を起こしてしまうから不思議である。しかし、それはあくまでも妻として、子どもの人生に付随した母親としての行動に過ぎない。がんばっているのはあくまでも夫や子供本人であり、私ではない。だから私個人の人生を考えるとき、頭を抱えてしまうのだ。私が今、独身であれば、ライターとして仕事が冴えなければ即、生活の困窮に直結してしまうだろうし、充実感を得られなければ幸福感とも切り離される。ところが、結婚して子供がいれば、夫の生活力に依存できるし、子供の達成感に自分に自分のそれを重ね合わせて疑似満足感を味わうことができてしまう。これは、幸福なようでいて、実はとんでもない欺瞞が隠されている。
2008.07.21
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今週、来週、再来週と、マザーウィーク・マンスである。17日(木)は、娘の保護者会。クラス代表として皆さんに伝達事項を報告してなくてはらならない。19日(土)・20(日)は、地元の夏祭りで、ガールスカウトとしての活動が目白押し。夏祭りでは、ガールスカウトの正装をしてパレードに参加するのでその準備とか、夏祭りの人日とか、いろいろある。8月2日~5日まではガールスカウトの夏キャンプがあり、私もキャンプ地で1泊する予定。キャンプの準備も大変だ。これで仕事が忙しいとキレそうになるが、今年は仕事がゆったりめで結構余裕がある。
2008.07.15
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音楽というのは不思議なもの。音楽は時代を映す鏡だから。リアルタイムでは少しもいいと思えなかった流行歌が、10年後、20年後に聞くと、突然違う音と色で、迫ってくることがある。高校生の頃、オフコースが流行っていた。「さよなら」や「yes no」。当時は、女々しい詞だと思っていて好きではなかった。でも、高校生のときいちばん仲良かった子はオフコースのファンで、彼女はフォークソング部に所属していた。その友人はデュオを組んだ友人と文化祭でオフコースの曲をギターで披露した。彼女が歌うとき、私は声援を送って紙テープを投げた。今、オフコースの「さよなら」を聞く時、このときのことが脳裏をよぎる。米米クラブ特に好きではなかったけれど、彼等の「浪漫飛行」を聞くと、大学を卒業して入社した出版社で悪戦苦闘していた時期のことが蘇る。
2008.07.13
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今日、午前中は娘のガールスカウトの活動で、夕方から家族で東京タワーに遊びに行った。台北にある世界一高い101ビルや、ソウルにあるソウルタワーに行ったことはあるけれど、東京タワーは初めてのうちの娘。東京タワーのフォルムの美しさにまず感心した様子で、テンションが俄然上がっていた。展望台から見る夜景はそれほどでもなかったけれど、タワー内のアトラクション・トリックアートがかなり気に入っていた模様。人の目の錯覚を利用してさまざまな仕掛けを繰り出してくるああいう見世物は、わかりやすく子供向きなのかもしれない。夕飯は、タワー内にあるフードコートで、マックハンバーグやらラーメンやらのジャンクフードで済ました(笑) ジャンクフードといえどお値段はそれなりで、味玉子をトッピングした800円の岩のり醤油ラーメンは高いのにかなりマズかった。このフードコートのあるところには、20年前お好み食堂があった。20年くらい前、東京タワーを取材したときこのお好み食堂で食事をした記憶がある。これもあまり美味しくなかったけれどね(笑)正直、貧しい食事を摂るとかなりテンションが下がる私(笑) 対して、夫は食べることが苦手で、豪華な食を目の前に並べられるとこれまたテンションが下がるらしい(笑) 我々夫婦はま逆である。ところで、明日は靖国神社のみたま祭とやらが行われるらしい。夫が娘をそこに連れて行くという。私は、246万6千人もの人々が亡くなられた戦争を引き起こした責任者たちが祀られているような神社に遊びに行く気にはならない。ドイツでいうと、ヒットラーを祀っているところに行くようなもんだろう。それだけはゴメン蒙る。
2008.07.12
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