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結婚記念日なので、どこかコ洒落たレストランでディナーをと行き込んだが、予約をしていなかったのでどの店でも門前払い(笑)。とんだ結婚10周年だ。仕方がないので普段行きつけの焼き肉店「くいどうらく」に雪崩れ込んだ。ここは焼き肉店というか韓国料理店で、お値段がリーズナブルな割に肉も良いものを出してくれるし、キムチや韓国ノリをオーダーするとお皿にてんこもりで出てくる嬉しいところだ。カルビはもちろん、シロなどの内臓系肉好きな私。この店のシロは新鮮でとても美味しい。もちろんカルビも上質で、一皿1000円弱で結構な量を食べられる。冷麺も美味しい。さまざまなお店で冷麺を食べたが、ここのはベスト3に入れられる。結婚10周年記念日は、焼き肉に舌鼓ということで終わってしまった(笑)。
2008.11.22
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11月22日は私たち夫婦の結婚記念日である(笑)我々は今から10年前に結婚したんですわ。スイートテンダイヤモンドですわ(意味不明)。10年前の11月22日は、やたらに天気の良い日で、友達やら親戚やらが皆さん祝ってくれました。当人たちはさておき、結婚式そのものはなかなかよかったような気がする。ホテルのチャペルで結婚式を挙げたのだが、神父さんがどこかの教会にいる本物だったのもよかった(笑)。親友3人にそれぞれお仕事を割り振った。大学時代の友人には、披露宴の受付。大学時代の先輩で、その後ダチに成り下がった友人には結婚式の介添え人。大学を卒業して入社した出版社で出会った友人には友人代表スピーチをお願いした。この割り振りはなかなかよかったと我ながら思う。しかし、この3人が揃いも揃って集合時間に遅れたのはご愛敬であろう。特に友人代表のスピーチをしてくれた友人には当時いろいろ迷惑をかけていた。いや、今もずっと迷惑をかけ続けているけど(笑)。彼女は心に残るスピーチをしてくれた。「いろいろ不安だけれど、彼女の(私のことね)選択を信じたい」みたいなことを言っていたと思う。それまで涙なんか見せるもんかと思っていたのに、この友人のスピーチで一瞬にして陥落してしまった(笑)。友達とはありがたきものである。昨日新宿で会った広島の友人も結婚式に出席してくれて、歌などを披露してくれたのであった。娘も私のように素敵な友人に恵まれる人生を送って欲しい。いろいろ不足している私だが、友人には恵まれていると思うので。
2008.11.21
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本日も友人と新宿でランチ。この友人は広島県人で1年に1回ぐらいの頻度で遊びに来る。いつもは我が家に1泊するのだが、今回はスケジュールが詰まっているらしく、ランチのみとなった。ランチ場所は、新宿の高島屋の鼎泰豊(ディンタイホン)。ニューヨーク・タイムズに世界10大レストランの1つとして掲載された小龍包の名店である。本店は台北にある。この本店には何度も足を運んだことがあるが、日本の鼎泰豊に行ったのはこれが初めて。カニ小龍包が美味しかった。海老ラーメンはまぁ普通。カニ炒飯は結構いけた。ただ、当然かもしれないけれど台湾にある本店の方が何倍も美味しい。日本人用にアレンジしちゃっているんだろうか。う~ん、残念。なんか無性に台湾の鼎泰豊に行きたくなってしまった。夜は久しぶりに実家に行く。ボジョレーヌーボの解禁日なので、ボジョレーとステーキ、チーズなどを父母、娘と楽しんだ。なかなか楽しい一日だったけれど、やらなければならないことは全くしていない。仕事もたまりまくりである。来週日曜日に、シャンソン歌手のクミコさんを取材する。クミコさんの取材は2度目。来週に水曜日には、なんと、島倉千代子さんの取材である。大御所だ。緊張する。
2008.11.20
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本日は友人二人と池袋でランチ。この二人とは、20代の頃に勤めていた出版社の同僚。今から15年以上前のお話だ。池袋西口丸井前で待ち合わせをして、そのすぐ近くにあるタイレストランメコンに行った。このレストランはお勤め人だった頃、1週間に1回は通っていたお店だ。3人とも同学年なので、43歳~44歳。20代前半で出会ったのに、今やおばさん集団である(笑)間違いなく、3人とも老けた。しかも太った(笑)でも、当然のことながら人間性はあまり変わらない。街の雰囲気もあまり変わらない。何か不思議な気がした。3人で池袋の街を闊歩していると、20代の頃の生活がそのまま続いているかのような錯覚が起きる。もちろん、そんなワケはない。でも、そんな錯覚が起きるような間柄というのは悪くないなと思う。格好つける必要もなく、嘘をつく必要もなく、無理をする必要もない。そういう人間関係を維持し続けられて本当によかったとも思う。
2008.11.19
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日常生活からの離脱という意味では、現代の世の中ではどこに行ってもそれは果たされにくいような気がする。中国しかり、カンボジアしかり。今から20年以上前の中国であればそれも可能だった。今から20年以上前の日本の八幡平の湯治場でもそれは可能だった。20年以上前に私はどちらにも行ったことがあるのでこれは確かである。どちらにも世界中を駆け巡っている世界情勢を伝える媒体が入り込む余地がなかったのだ。中国はわかるけれど、なぜ、国内の八幡平が?と思われるかもしれない。しかし、20年前のあの地域の湯治場にはテレビもなければ新聞も雑誌もなかった。私はそこに取材に行って数日間寝泊まりしたが、その短い時間でまるで浦島太郎になってしまったようが気がした。俗世間の情報を入手する方法がまるでなかったからだ。そう、私は今から20年前に、取材で八幡平の後生掛温泉オンドル小屋に2泊3日したのだ。あの体験はかなり衝撃的で、今も私の脳裏にクッキリと刻まれている。宿泊場所はオンドル小屋である。そこには、療養を目的にした高齢者が集まっている。朝の4時、5時に起床して、オンドル小屋にある炊事場で朝食をつくる。朝食が終わったら、温泉に浸かる。昼食もまた自炊して、午後にまた温泉、夜にまた温泉に浸かって、夕飯も自炊。夜の8時、9時には就寝。そんな生活である。そんな生活が続くのである。津軽弁は下手な英語より難解で、何を言っているのか、宿泊客から話しかけられてもよく理解できなかった。そんじょそこらの海外より疎外感満載だ(笑)。オンドル小屋から旅館に向かうと、そこにはテレビも新聞もあり普通の日常が営まれていて、何か妙な気がしたものだ。取材が終わり下界に復活した私は、正直ホッとしたことをよく覚えている。あんな生活はもう懲り懲りだと思った。世の中の情報が全く入ってこない生活は、わずか数日だろうが耐えられないと思ったのであった。取材に同行した編集者さんはそんな環境がとても気に入った様子だったので、感じ方は人それぞれだろう。中国にフリーで旅行したときも似たような感じだった。テレビも見ても、報道規制されていた当時の中国では、必要な情報は全く入手できなかった。中国大陸を旅行中の20日間は、ほとんど日本人とも出会えず、何もわからないままに必死で生きていた。当時の中国には海外資本が入ってすぐだったので、流通している商品はほとんど国内産。コンビニもファーストフード店もほとんどなかった。缶飲料もペットボトルもインスタント食品も、英語も日本語もない。スーパーマーケットもない、新聞も雑誌もすべて中国産、中国語と中国料理とお茶に囲まれる日々だ。中国を離れ香港に戻る前日に広州入りして、初めて一流ホテルに宿泊した。確か名前は「スワンホテル」だ。そこで、20日振りに英語音楽と純粋な日本語と日本料理と洋食に触れた。ホテルのラジオ(?)から流れてきた当時人気の映画『プラトーン』のテーマ曲を聞いたときは、「私は自分の世界に戻ってきた」と思ったものだ。それだけ、自分が属する世界の文化、情報から隔離されていたのである。翌日、広州から香港に向かう船の中で自販機を見つけたときは、喜び勇んで飲みたくもないジュースを買った。どちらも楽な経験ではなかったけれど、人は自分が属する常識、日常から隔絶されることは必要な気がする。そこで改めて気づくこと、考えることがあるからだ。日常が連続している中ではなかなかそういう境地にいたらない。日本のように、ひたすら平和でひたすら豊かでひたすら連続している日々を送っていると、自分が何者でどこに向かっているのかを見失いがちではなかろうか?20年前に私が感じた世の中との隔絶感を、今、感じられる場所はあるだろうか? 少なくとももう中国はそういう場所ではなくなった。八幡平の後生掛温泉はどうだろう?もっとひなびた温泉地はどうろだろう?中国を旅行中、後生掛温泉を取材中、移動中と夜はずっとウォークマンを聞いていた。それが唯一のよりどころだったからだ。当時好きだったのは、TMネットワーク。特に「レジスタンス」がお気に入りで、何か自分の境遇と重ね合わせて聞き入っていたものである。
2008.11.12
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何故か中国に惹かれる。理由は全くわからない。単純に面積の広いところは好きだ。歩道より車道を歩きたくなる、そんなレベルで(笑)狭いところは気持ちが窮屈でつらくなる。日本では自殺率が高いというのは案外こんな単純な理由かもしれないとも思う。世界と地続きの国なら、どこかに自分の居場所があるかもしれないという一途の望みを託せるけれど、違う国に行くためには必ず海を越えなければならない国に住んでいると、何もかもが面倒臭くなるのかもしれない。いろいろ海外には行っているので日本の良さはよくわかる。でも、この国は生きづらい。
2008.11.12
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小室 哲哉やら泰葉やら、私が青春時代に活躍された人たちが袋叩きにあっている(笑)。いや、泰葉と小室哲哉を同一線上で語ってはいけないのかもしれないけれど。さまざまな意味で、愚かな不始末をしでかした人たちではあるが、私は彼らを否定しきれない。泰葉の混乱、迷いはよく理解できるし、小室哲哉の弱さもまた、理解できる。彼らは、たくさんの人たちに迷惑をかけていることを考えてもだ。人生は思い通りにいかないし、正しい答えがあるワケでもない。最終的に、すべての答えを自分自身に問い続けて、自分自身でその答えを出すしかない。たとえ、その答えが間違っていたとしても。今から20年ぐらい前に、友人と中国に旅立った。天安門事件が起こる少し前の開放政策が軌道に乗る前の中国であった。私たちが中国を訪れた少し前に、ケンタッキーフライドチキンが中国進出をはかり、その一号店が北京に出店した直後でもあった。中国に旅立ったのは、高い志や意味があったワケじゃない。そうせざる得ない何かが、私の中にあったからだ。バブリー世代。世間は私たちのことをそう称する。私たちは「甘い」とか「ぬるい」とか、よく言われる。就職氷河期の時代には、企業のお荷物とも言われていたらしい(笑)実力もないのに、大風呂敷を広げすぎるそうである。しかし、風呂敷ぐらい、大きく広げてもいいんじゃないの。未来に夢も希望もなくて、どうやって生き続けたらいいんだろう?子ども時代に「もはや戦後ではない」と言われ、努力すれば報われる意識を植え付けられた。過酷な受験戦争を乗り越え、大学時代は女子学生ブームがあり、就職戦線は空前の売り手市場。社会にデビューしたら雇用機会均等法が待ち受けていた。すぐにバブル真っ只中に突入して、その後OLブームとなった。30代では謎の小マダムブーム(笑)。そして今や「アラフォー」世代である。バブル世代は常に夢見ている。それが悪夢だとしても、私たちには夢がある。
2008.11.05
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