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東京では18℃に迫り、桜の蕾も一気に膨らんだ。明日からはまた雨や雪の悪天候となり、気温も一気に下がるとか。三寒四温もここまで気まぐれだと、毎日何を着ていいのか困ってしまう。特に今日は、やっと時間が取れたので美容院に行く。社会人になってからずっと私の髪を任せているОさんは、私の変化や成長というより老化?を、男性で誰よりも長くそばで見続けている。私の体調、精神状態、今の気分などなど、美容師という細やかな所に気づくのが得意で美的センスに優れた専門家だからかそれとも彼自身の性格や特技なのか、毎回彼のひとことにハッとしたり喜んだり・・・嘘をつかないからこその鋭いコメントは、的確すぎて素直に聞き入れてしまう。他のお客さんに同じように言っているのかは知らないが、私は彼のコメントが、怖いけど聞きたい。そんな美容室だから、一度たりとも気が抜けない。癒しを求め気を抜くために楽しみにして行く、私の《聖域》みたいな場所だから、もちろんあの場所で髪を整えられたその後には、全身の毒素が抜けてまた前向きに頑張れそうな気分になるのだけど・・・あの店の扉を開ける瞬間までの緊張感と高揚感は格別。Оさんに会った時、その日の私をどう表わすのか、期待と恐怖が入り混じる。今日はかなり気温が上がりそうだし、四月間近なので、服装を春仕様に。そんなに迷う程服を持っていないけど、精一杯のおしゃれをして、イザ!珍しく会って早々、コートを褒められる。「(私っ)ぽいね。」とОさん。私もひと目ぼれして手に入れたものだから、そう言われるのは素直に嬉しい。「今日はトータルで春っぽくて、いいね!」とのありがたい言葉。ファッションにうるさい人だし、お世辞を言わない人なので誰にコメントされるより、ぐっとくる。彼はいつもその日着た服から私の心を見抜き、それに合わせて髪を切る。だからこそ手を抜けない。毎回が“真剣勝負”みたいなもの。こっちが手を抜いた格好で行けば、互いの想いはマッチしない。私の服装や話の内容から、彼が何を感じどう仕上げてくるか、それが三か月に一度の私の楽しみになっている。襟足を切って、だいぶ軽い雰囲気になった。今年に入ってからも姑に振り回され続けて、なかなか髪を切ることも叶わなかったけれど、なんとかギリギリ春の訪れに間に合った。頭も心もラクになり、足取りも軽くウインドーショッピング。店先に並ぶオススメファッションを、見てるだけでも楽しい。色も柄もデザインも大胆になり、手に取るとワクワクする。若い頃なら間違いなくどんどん買ってしまうとこだけど、そんなにおしゃれする機会も場所もないから、見てるだけ見てるだけ・・・でもこの“おしゃれ心”は忘れたくない。最近薬の副作用で肥えがちで、ここで諦めてしまうと多分もう今までのお気に入りが着れなくなってしまう。そんな時こそ目の保養はしっかりと。自分がもし着るとしたら・・・と組み合わせを想像するだけでも背筋がシュッと伸びる。美容室のある街は、すれ違う女性のファッションも刺激的。彼女たちの着こなしも大いに参考にしつつ、私という者の個性を考えて。見た目の衰えを加齢や病気のせいにして、そこに甘えてしまってたらほんとに今度こそ、自分の理想のおしゃれが楽しめなくなる。歳相応に、凛とした所も見え隠れする大人の女にいつか辿り着けるよう・・・そのために欠かせないОさんの存在と街歩き。三か月後にまたОさんに花マルをもらえるよう、ある種の緊張感をもって心と体を磨いていこう。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「“運命の日”から一年。○か×かは後日。」
2017.03.31
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大小の心配事は尽きなくて、心は正直晴れないけれど・・・今日。駅に向かう途中の、野原みたいに好き放題草木が生えてる個人宅の敷地にこの時季になると楽しみな土筆の群れを確認し、自然と口元がゆるむ。この町に移り住んでもう10年以上になるが、いくつもの店や通りの景色が変わっても、ここの家のこの放置気味の庭のいや、庭と言えるのかも怪しいが、そのあまり手入れされない広場の中に、春は毎年やって来る。どんなに日が当たりづらい場所だろうと、どんなに手入れされない芝の上であろうと・・・ムーミンのニョロニョロみたく細長く、ちょこっとだけ小首をかしげた格好で、健気に春を告げに来る。きっとこんな所に注目するのは、私ぐらいだろうけど田舎生まれの私にとっては、子供の頃から土筆はなじみのあるものだったから。まさか都心にも近い場所のこんな人の行き交う通りで、広場を埋め尽くす土筆に毎年出合えるとは思ってもいなかった。そして今年もまた。いつもの土筆を見たせいか、頭の中はすでに春。「明日、春が来たら」by 松たか子 「春咲小紅」by 矢野顕子あたりがぐるぐるヘビーローテーション。ふんわりと温かく前向きに届く声に、目の前の何もかも少しの間せめて忘れられたら・・・・・・* * * * * * * * * *この前TVでやってた【心理テスト】。ダンナに試してみたら、私の結果とまるまる同じに!!これにはふたりでビックリ。思わず握手(なぜ?)。同じもん食べて、同じもんに笑い怒り泣き、時にはぶつかって同じ悩みをどう解決していくのか考えるうち、夫婦って、似るんだな。心理テストは意外に当たる。特にこのテストは大当たり。自分を見失いそうなとき、占いするより、こっちが結構参考になったりね。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「お気に入りのクリーニング店が移転するので困ってる。」
2017.03.25
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あちこちで桜祭りの準備が進む三連休初日。我が家の働き方は暦と全く関係がないので、連休と言われてもピンとこない。ただ、ダンナの休みが1日とれたので、お彼岸の墓参りに行くと決めていた。アジアを中心に世界各国の言葉が飛び交う都内観光名所近くのお寺まで、人の波に逆らいながら、なんとか目標の時刻に辿り着く。いつもの流れでサクサクと墓周りの作業をこなし、花を活け、墓前で目を閉じる。私にとっては義理の家族だから、毎回同じ事を思い、手を合わせてるけど、ダンナは何を父親やおばあちゃんに報告してるのだろう? 一度も聞いたことはないが、聞くつもりもない。何かと理由をつけて墓参りしたがるので、墓前に向き合うわずかな時間で何かしら“救われる”というのなら、それはそれでいい。私もついて行けばそれなりに、嫁のツトメができた満足感に浸れるから。墓参りの後は大体いつもの場所で、店自慢の美味しいビールを飲みながらのランチ。飲み比べセットを頼み、スタッフのアドバイス通りの順番に飲んでみていっちょ前に感想を言い合ったりして。ランチメニューがまた少し変わって、前よりグレードアップしたような。2種類頼んでシェアして味わう。どちらも美味。満腹とまではいかない品のいいボリュームではあるが、胃袋の充実度は高め。珍しく酔わなかったが、いい気分で店を出る。人が多いが、空が青い。桜にはまだ少し早い時期。それでも春の気配に足取りも軽く・・・ご機嫌なまま、賑わうエリアの誘惑を振りきって、ひたすら歩く歩く。途中で見つけた地元で有名らしい神社でお参りもしつつ、更にまっすぐ歩く歩く。いくつのメトロ駅を通過しただろう? 地図で見たら結構な距離じゃないのか?長歩きに適した格好でなくても、気分がよければどこまでも歩いてしまう私達。今日も間違いなく“かなり”遠くまで歩いた。辿り着いた先のお目当ては、新島のくさや。くさやのために、どんだけ歩いたことか!こういう珍味類が大好きなダンナ。このエリアに来たら食べたくなるらしい。私もそこそこゲテモノ系はイケるけど、くさやは前に一度食べて、んーーーって感じ。沢山の種類を前に目を輝かせ、魚1匹丸ごとの大きいヤツを掴んだダンナに、グリルに臭いついてとれなくなるのはイヤと必死で訴え、瓶詰で折り合う。夕食時。うきうきで瓶を開け、全部食べそうな勢いで味わうダンナ。ひと口分けてくれたが、やっぱり、これだけは・・・んーーー。前のよりはいくらか臭いも味も平気だが、一瞬感じるあの何とも言えない・・・「よく言えばブルーチーズだけど、やっぱり○○の後味がする」と言ってやったらもの凄く強く首を振って否定された。彼にとっては、墓参りの想い出の味、らしい。こんなものを子供の頃から食べてるなんて・・・生まれつきのおっさんか。出掛ける数日前から、あまりにくさや、くさや言うもんだから墓参りがメインなのか、くさや買うのがメインなのか、あやしいところ。それしか頭になかったせいで、私のおみやげ、買うの忘れた。んーーーーー。★ ★ ★ ★ ★今日の長めのひとこと。「好きな海外ドラマの先が観たくて、10数年ぶりレンタル会員に! ネットで観ればいいんだろうが、お皿世代なので店でじっくり選びたい。けど久々すぎて店でわなわな・・・観たいのが沢山あるのに、大量の作品タイトルを前に頭が真っ白」
2017.03.19
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あの日の事は今も忘れられない。空の色も、澄んだ空気も、ダンナや同居姑のやりとりも近所の人達の騒いでる声や話の内容も・・・・・・ぜんぶ丸ごと忘れやしない。家のTVが点いてから、そこに映し出されたこの世の終わりの始まりのような見たことのない惨状に、どれだけの恐怖と哀しみを感じたことか・・・東日本に大震災をもたらしたあの日から、今日で6年。当日の自分を今もなお忘れられないでいるのに、その後の私が、あの日抱いた思いをどれだけ自分への教訓や糧にできたのかわからない。ただ、どこに居ても、誰にでも、予期せぬことは起きるのだと人間には自分の力だけではどうにも避けられないことがあるのだと・・・・・・だからこそ、平々凡々な毎日でも、取るに足りない出来事でもひとつひとつ、自分にとって何かしら意味があるのだとありがたく受け止めて、自分なりに向き合うようにはしている。あの日を境に、そういう気持ちが、更に強まった気がする。とはいえ、実際に何をがんばれたのかと振り返っても、ここ数年の我が家に起きた事が濃厚すぎて、よく覚えていない。記憶は確かに刻まれている。けれど、すべてがヘビーで辛すぎてそれを乗り越えるのに必死だったこと、それしか思い出したくないというか・・・震災の辛さを経験した人達に比べれば、全然スケールは小さいしどこにでも起きうる主に家庭内の問題だったりするから、そんな小さいことで・・・と突っ込まれそうだが、休みなく次々とふりかかられては、さすがにきつい。みずみずしくまぶしい若さ溢れる頃なら、気合や気力体力に任せて何だって跳ね返せる自信があったし、何でも来てみろ!くらいの生まれつきの気性の荒さも手伝って、切り抜けた後に充実感さえ味わっただろう。この歳にもなると、もう。気持ちはあっても・・・と言いたいが、はっきり言ってそれほど気合も入らない。枯れ始めているのは、自覚している。ただ、あの震災から6年経って思うのは。より一層、今まで以上に当たり前の毎日を、なんてことない出来事を大切にしたい、と思うのだ。当たり前って、難しい。特別なことをしないで、“普通に生きる”ことこそ、なかなか手に入れられないと、歳を重ねる度に思う。私もダンナも生まれつき体が弱く、私はもう20年程、薬や通院が欠かせない病と闘っている。だから、健康面での普通は、どんなに医療や新薬が進歩しても、手に入らない。だからこその、普通の大切さ。当たり前に生きること。今日一日、体の痛みを感じず、副作用に怯えることもなくあくびが出る程退屈に過ごせたことへの感謝を・・・・・“ふつう”じゃない分、しなければ。ありがとう。ありがとう。今日が普通でありますように。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「何をしたわけでもないのに、人さし指がじんじん痛む。」
2017.03.11
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