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おそるおそる-パー3コンテスト-右足のこむらがえしから2日、恐る恐るパー3コンテストに出場。入賞者による半期に一度の『ラウンド+温泉宿泊』を懸けての決勝大会である。案内が来ていないので出場権はないのかも知れないが、支配人の誘いもあって出掛ける。アプローチの練習にはなる。確かめると、4月の月例では優勝しているが、前年度下半期は入賞なしだった。グリップ、ウェッジ・ショートアイアンの「しっかり握る」パーム・グリップ。トップではなく、フォロースルー重視のスウィング。ライによっての振り抜きと打ち込みの使い分け、メリハリ。曖昧になっていた技術面の気付きと反省の半日であった。清水 明
2011.04.29
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過小申告と過大通告-スコア-ベント(賭け)はゴルファーを賤しくさせる。意図せざる過少申告はマーカーあるいは同伴競技者によって訂正されて然るべきだ。他者のスコアを先回りして申し立てることは、余計なお世話である。言われたプレーヤーは一般に不快に感じる。上級者には同伴競技者のストロークを数える余裕があるが、ダッファーは自分のストローク数さえ覚束ない。まあグリーン上の事なら初心者も同伴競技者のストロークをカウントすることが出来からオリンピックなら騒動にはなるまい。そんなこんなで、昨日のラウンドはいささか不快なものとなった。ベントに参加していない同伴競技者には、さらに愉快ならざるラウンドであったろう。反省しきりである。「2打目以降池に入れた場合、特設ティーからプレーすることが出来る」ローカルルールがあった。これを知らず「誤所からのプレー」を言い出した。また、再三先回りして他者のスコアを言いたてた。このプレーヤー、ベントに固執するタイプである。また常日頃は触りまくりのプレーヤーである。クラブヘッドで沈んだボールを動かす。この日はクリークにボールを入れ、グリーンサイドから打ち出していた。指摘すると、「わざわざ戻って打つのかい」と言う。「ゴルフとはそう云うものです。」と答えたた。自己に厳しく、他者に優しくがゴルフのマナーである。何時もは眼をつぶっているのだが、今回はいささか拘りを持ってプレーした。その結果がその他のプレーヤーに不快な思いをさせてしまった。名護 和久
2011.04.28
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習慣化した右足こむらがえし埼玉比企地方の河川敷コース。連休前の割安プレーフィーに誘われて2組8名のコンペをした。集合後コンペと決めたのであるから、用意が充分でなく、ハンデを決めていなかった。オネストジョンの申告スコアからのプラスマイナスにするかペリア、ダブルペリアにするかと迷った。ダブルペリアは計算が難しかろうとまず案から脱落。ペリアはどうか。あみだで隠しホール決定の準備をして待ち受けた。パーティー会場に現れた順に事情聴取、Mさんのみ計算できますの返事。申告スコアからのプラスマイナスに決定。―3のOさんが優勝。会計責任者のベスグロはMさん。さて、タイトルの件。風呂に入ろうとロッカールームで靴を脱いだ時、右足にこむらがえし。1月以来の再発。習慣化してしまったのか。ともあれ、それで風呂に入らず、早々とレストランでメンバーの参集を待つことになったのであった。横山 孝義
2011.04.27
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書き下ろし連載小説「華蘇芳」清水 明7.冬の休日三郎は年末年始をスキー場で過ごす。三郎の実家は北海道にあるが、年末に出張で行っていても実家に寄る事はなく、学生時代からの友人とスキー場で過ごしていた。その友人が結婚してからは、知り合いの長野のペンションで過ごすようになっていた。朝の配膳や夜のバーを手伝い、食堂に寝泊まりする。アルバイト半分遊び半分の過ごし方だった。部屋が空いていればそこに泊まることもあるが、年末年始はそうは行かない。小菊と付き合うようになって初めての正月、彼女は家で両親や兄夫婦と過ごすと云う。それが何時もの事と云う。三郎は長野で過ごすことにした。年始の小菊家への訪問も、続く連休の行事としては日にちを要するものではない。年明けの仕事始めの直前に済ませば良い事だった。それとても、進まぬ縁談の事もあって、小菊のゴーサインを得てからの話となっていた。縁談に転勤、ふたりにとって連動する話なのだが、小菊の両親にとっては序での話では受け容れがたいものであった。そう小菊は思っていた。泊まり客が出払うと、片付けを終えた三郎はスキーを履く。アルバイト仲間はそれぞれにリフト乗り場に向かう。三郎は、リフトを乗り継いでひたする上を目指す。終点からさらに徒歩でコルに出、一気に滑走する。時にはリフト下の新雪にシュプールを残す。昼食をはさみ3本も滑っていると、気温が下がり雪質が変わる。まだ夕刻には早いが、スキー板を合わせて肩に担ぎ、ペンションへ戻ることになる。小菊とのこれからを考える筈の休暇なのだが、遊びに取り紛れてしまう日々であった。
2011.04.26
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書き下ろし連載小説「華蘇芳」清水 明6.小菊の選択小菊は、兄夫婦が親達と同居する事から、独立を考えなければならなかった。兄夫婦が同居する理由は、単に兄が長男だからと云う事だった。兄も両親も、小菊の独立を求めてはいなかったが、兄嫁は小菊の独立を条件にしていた。尤もなことなのだ。小菊の逡巡は、三郎と一緒に住むか別なのかで住まいの選択が違う事にあった。一緒に住むのならば、結婚をも強制することになる。一方、独り住まいを選択すれば、結婚を拒否することにも為りかねない。その懊悩を伝える手段を小菊は持っていなかった。小菊が実家を出なければ兄嫁は同居しない。同居話が進まない事の責めを小菊が感じていた。「マンションを買おうと思うの。独りでは不安だから、三郎さんに一緒して観て欲しいの。」意を決し、小菊は三郎に願った。鼓動を早めて三郎の返事を待った。「実は転勤の話がある。大阪と言われているけど、他にも求めている所があるかと聞いたら、仙台にも誰かを派遣する話があるらしい。」「大阪か仙台。」「大阪は先輩と一緒の転勤、仙台なら増員で向こうに上司がいる。」「4月なのでしょう。」「時期は4月、まだ4ヶ月あるけど、いずれどちらかには出されるようなの。」一呼吸入れて三郎が小菊を見据えて言った。「小菊さんには付いて行って欲しい。小菊さんに希望はあるかな。これはプロポーズだよ。結婚しよう。」
2011.04.25
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書き下ろし連載小説「華蘇芳」清水 明5.三郎の思い三郎は結果としてあまのじゃくな選択をしてしまった。大学の選択に於いて理数科系を選んでしまった。色覚異常者にとってハンデのある選択であった。それは文類が理類を上回る成績を必要とし、高校の成績から理類を選ばざるを得なかったのである。しかし、勉強へのモチベーションは中学時代に既に失っても居たのだ。高校での勉強は、1年から全力投球とも云える立場の者たちと、三郎の様に2年・3年で頑張り国立大学に進めれば良いとした者たちとに分かれていた。昭和40年代の進学事情から、三郎が色覚異常でなければ多様な選択肢を持つ事が出来た筈だった。少なくも、彼は進路を選択する気力を持っていなかった。大学を出れば程度の考えになっていたのだ。1年から2年目前半までの教養部の成績で希望学部・学科を選択するのが規則であった。教養部でも気力を持てなかった三郎は結局理学を選んでいた。そうして地学は色覚異常には実は不向きな学科だったのだ。三郎は担当教官と教官の指示で助力してくれた院生の協力で卒論を終え、教官の勧めで就職した。就職した建設系の調査・設計会社では、設計部門が主流派であった。ここでも早々と出世を期待しないサラリーマンとなってしまった。あまのじゃくの選択の連鎖が斜に構えた三郎を作りだしてしまっていた。全てが中学時代に自覚した己の疾病が原因であった。そうしてその負の螺旋から逃れられない生活の中に居た。したがって、小菊を選択した事もまた、影を彼自身が自覚しない訳にはゆかなかったのだ。小菊の本心が何処にあるか、三郎自身懐疑的であったのだ。
2011.04.19
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書き下ろし連載小説「華蘇芳」清水 明4.小菊の思い小菊は自身のこどもを希望していた。三郎を得る為にこどもを諦める事にしたに過ぎなかった。39歳の年齢を、不可能とは思っていなかった。小菊の兄夫婦にはこどもがいなかったから、両親も孫を小菊に期待していた。三郎がこどもを希望していない事の理由は明快だった。彼は色覚に異常があって、それが遺伝するからであった。しかし、小菊が思うに三郎自身が不自由なしに生活しているのだから、今ひとつ納得してはいなかった。39歳の年齢でこどもを作れば生まれるのは早くても40歳になる。充分に妊娠も出産も可能性があるだろうが、それとても確かなことではない。出来れば良し、出来なければそれもあり得る事で、その時は二人切りの生活を考えれば良い筈と思っていた。一方、三郎は色覚異常によって人生さえ違ったように考えていた。色覚は、日常生活では意識されない程に、正常である事が求められるものである。彼の異常は、赤緑の区別が付きづらいものだった。例えば、林・森などの緑色の中の赤色に気付きづらかった。ゴルフでいえば、林を背景にした赤杭が見分けづらかった。自然の中で原色はむしろ少ない。緑ががった赤と赤みがかった緑との区別を健常者は意識することなく峻別しているが、三郎には違いが分からなかった。道路の信号の赤黄の黄色はオレンジ色と云って良い。赤みがかった黄色である。しかし、信号の黄色は中央にあるから色よりは位置の情報が三郎を間違えさせない。一方、運転免許所での更新の時見せられる赤黄は、単色を示されその色を言い当てなければならないから、彼を緊張させる事になっていた。色覚異常者の特徴は、区別出来ない以上に色覚に自信が持てないのだ。忌避される職業、忌避すべき職業がある。色覚異常には実害があるのだ。
2011.04.18
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書き下ろし連載小説「華蘇芳」清水 明3.不承知「親も納得させられない男との結婚は認めないということだね。」水族館を出て同じビルの展望台に居て、三郎が言った。夕刻が迫っていた。「そういう事じゃなくて、親御さんの了解が欲しかったということなのよ。」「でも、説得して欲しいと、お父さんは言っていたよ。」「希望ということよ。」三郎は小菊を見ず、視線を遠くに据えていた。「私達駄目なのかしら。」「我々次第さ。良い大人なのだから、親の許しも、了解も要らない。説得しようとしても納得しない親ならば仕様がないでしょう。」「認められなくてもと云う事。」「納得しない親をどう説得するの。息子の選択を否定する人間をどう説得するの。僕は無駄な努力はしない。はっきり無駄と考えるからね。」「一度きりの話では、歳だけでもご両親承知できないと思うのよ。母も言っていたけれど、普通に考えてこどもも期待できない女を息子の嫁には出来ないでしょう。」「こどもは造らない、いらない。小菊さんも承知してくれたじゃない。」「私は承知よ。でもそれは三郎さんの本心じゃない。娘を思って無理に言ってくれていると父も母も思っているのよ。」「本心を言って、本心じゃないと言われたのでは話にならない。」「どうしましょう。」「どうにでも。」「私、悲しいわ。」
2011.04.16
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書き下ろし連載小説「華蘇芳」2.帰省仕事柄、三郎は北海道と四国・中国地方とを仕事場としていた。先輩の担当地域で現場の代理人を務めていた。札幌が出張時の宿泊先になっていて、そこから現場と発注元の役所での打ち合わせに行く。現場付近に宿をとる事も少なくはなかったが、夜には札幌に戻り食事後在札時からのスナックで時を過ごすことが何時もの事だった。親元の室蘭には、三郎の現場の出先機関がないことから訪ねる事はなかった。修羅場と云って良いのかも知れない。三郎の久々の帰省は親子・姉兄との怒号の中で終わった。息子が勝手に結婚する。親姉兄の縁は求めるものではないが切れた。それが、三郎の帰省の結末であった。「私達、これからどうなるの。」小菊が三郎の顔に小首を傾げ、仰ぎ見ながら言った。「どうもこうもない。勝手に遣るさ。小菊さん次第だけれど。」「予定通りで良い。」「父や母にはどう言うの。」小柄な小菊が更に身を縮めるようにして言った。「どんな時も本当の事を言わなければいけない。後で話が違ったでは不実でしょう。」「そうね。でも親達はどう言うかしら。」「ふたりで決めて言うことだから、出来れば了解して欲しい。小菊さんは祝福されたいのだろうけど、相手も居る事だから、特に家の方はああいった結果になったから、せめて小菊さんの方には賛成して貰いたいよね。」「家の方は良いの。出来たら三郎さんの方に許していただければと思っているのだけれど。」「だから、許すとか許さないとかの問題じゃない。そこは確り分かっていないと。」
2011.04.15
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ペリア-コンペの楽しみ-コンペの楽しみは表彰式・パーティーである。上位入賞は叶わなくても飛賞がある。ブービー賞はさすがに恥ずかしくはあるが、留守の家人への土産にはなる。さて、13日のコンペ。113名の参加者であるから、コースとしても盛況の部類のコンペであった。メンバーの篤志家主催なのだが、誰もが参加出来る。K氏フロント9は4オーバーパーの好成績、バック9は順当45のスコア。ベスグロが81であるから、上位の成績である。賞が競われるネットはペリアのハンデキャップから求められる。最近のコンペはダブルペリアが多いのだが、ペリアは運不運の振れが大きい。当日の優勝者はグロス100、ハンデキャップ38.4でネット61.6であった。ちなみにグロス100のプレーヤーを探すと、ハンデ26.4、24.0のひと達(3名)・19.2、14.4(2名)と居る。38.4の優勝者は隠しホール6ホールで16オーバーの計算になり、恵まれないハンデ14.4のひと達は同じ6ホールで6オーバーという事になる。ダブルペリアはそこそこ上級者に有利で、ペリアは運不運の振れが大きい。ハンデキャップ算定方式の違いである。筆者らの組からは飛賞1名、ニアピン1名の2名が賞を得、筆者ともうひと方は参加賞も貰って家路に着いた。横山 孝義
2011.04.15
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華蘇芳清水 明(A.Kiyomizu)1.華蘇芳庭木の蘇芳が春の先駆けで咲いていた。出張帰りの三郎を小菊が羽田に迎えに出ていた。土曜日の午前の事である。モノレールが都心に入るまで黙り混んでいたふたりだが、微笑を浮かべ見つめ合っていた。山手線に乗り換え池袋に着いた。「朝早かったの。」三郎が小菊に訪ねた。少し早い昼食であった。メニューから目を離した小菊が応えた。「ええ、何時もと同じよ。」ためらいの後、再び小菊が口を開いた。「北海道には何時行くの。」「月曜日に会社に出て、火曜日の予定だよ。」「お家には何時いらっしゃるの。」「木曜日かな。金曜日中には帰って来ようと思っている。」「日曜日までお家に居るように言われない。」「そうかも知れないが、週末はこちらに居たいから。」埋まりつつある客席に目を遣りながら小菊が言った。「反対なさると思うわ。ご両親。それが普通だから。」「許しを貰いに行く訳じゃない。知らせに行くだけだから。」「一廻りも違うのよ。絶対反対されるわ。」「賛成を求めるじゃなくて、親子だから知らせる。」「でも。」「黙っているのが良いの。」
2011.04.14
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踏んだり蹴ったり、つまずいたり友人・知人と100名オーバーのコンペに参加した。友人は何時ものK氏で、フロント9は好調で4ボギー5パーの40。筆者は何時ものペースで51。悪くはないが好調のK氏にハンデ6では話にならない。後半もK氏は45とまあまあ、筆者は59で話にならない。ベントの負けとオリンピックの負けが「踏んだり蹴ったり」、さらに精算段階での自身の間違いがあって、これが「つまずいたり」。集計役は何時も筆者が務めるのだが、計算間違いやら精算間違い。ベントする能力を失ってしまったのだろう。ベントする資格もなしと云うところか。横山 孝義
2011.04.14
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計画停電下のゴルフ場三ヶ月振りの本コース・ラウンドをしてきた。計画停電時のコース運営を聞いてみた。食事は通常メニューとはならないが、それなりの物を出すとの事。レストランは『キャンドルサービス』らしい。なお、風呂は使えないとの事であった。埼玉北部の山岳コースでの話である。コンペだったのだが、三人で参加しふたりが飛賞を獲得した。筆者はバスケットに入ったクッキー詰め合わせ、K氏は豚肉の味噌漬けだった。大叩きが幸いしたのかも知れない。横山 孝義
2011.04.04
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3ヶ月ぶりのラウンドパー3ながら久しぶりにラウンドした。パー3コースの月例で、3位入賞を果たした。同ネットがもう一人居たのだが、年齢で3位入賞となった。コンペで年齢で上位となったのは初めてのような記憶だ。上は少なくなり、下が多くなるのは年を取った証左だ。明日は本コースでのコンペとなる。計画停電も中止だから、心おきなく楽しめる。今日の反省、ここという所で打ち過ぎたパッティングがあった。そこに注意しよう。横山 孝義
2011.04.03
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