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阪神優勝おめでとう!!テレビも新聞もblogも野球の事ばっかり、そこで全然関係のない話もいいのでは。 親のない子は夕陽を拝む 親は夕陽の真中に 有名な民俗学者・柳田国男が、日本全国各地に伝えられた珍しい子守唄を採集しておりますが、その中の子守唄の一節です。 つまり、いつの時代でも親のない子はたくさんいるわけですよね。両親がそろっていても、夫婦喧嘩ばかりしていれば、これは「親のない子」も同然です。別れている親、毎日のように働きに出ている親の子供、これも「親のない子」のようなものです。寂しい子供です。それは今も昔も変わりはありません。 そういう親を失っている寂しい子供たちは、夕方になるとその夕陽の中に、親のイメージが現れる。その親のイメージが、あるときは観音さまに変わる。お地蔵さんに変わることもある。仏さんになることもある。マリアさんに変わることもある。これこそが自然に対する信仰、日本人の生命観、自然観というものを最も素朴に表している事柄ではないでしょうか。 山 折 哲 雄(やまおりてつお) 国際日本文化研究センター所長 が 「今の幼児たちが子守唄を聞いてむずかりだすと言います。それは朝から晩まで民放が流しているCMソングの影響だろうと思い、代表的なCMソングをTVから採集して分析したら、その全てが長調の音楽でした。日本の代表的な子守唄のメロディは短調であります。 今の子供たちというのは朝から晩までTVにしがみついて、にぎやかな、騒々しい長調のCMサウンドばかりを聞かされているので、たまに子守唄のあの哀調を帯びた悲しげな歌が聞こえてくると、拒否反応を示すのではないか」と。 現代日本はいつの間にか短調排除の時代になってしまったようです。「悲しみの旋律を聞くことのできない子供たちは、他人の悲しみがわからない子供たちに育つかもしれない。」と思いました。 その後、横浜で中学生たちがホームレスの老人を襲って殺害したという事件が起こりました。 最近、どれだけの少年犯罪が続発したでしょう。今にして思えば、子守唄の話と横浜の事件との間には関係があるのかもしれません。 他人の心の痛み、他人の心の悲しみを理解できない子供たちがもし大量に発生しているとすれば、少年犯罪もそれに応じて凶悪さを増すことになるのではないでしょうか。 歌われなくなった子守歌ですが、たっぷり日本の伝統的な子守唄を歌っているCDが1枚だけあります。誰が歌っていたと思いますか。渥美清さんであります。『男はつらいよ』シリーズのあの渥美清さんがお亡くなりになって、彼の仕事を追悼するための記念アルバムCDが編集された、その中に出てきます。『日本人の叙情曲集』というものです。ちょっとくせがあるんですね、渥美さんの歌は。だけど、あれがたまらない。『五木の子守唄』良いですよ。『中国地方の子守唄』も。 と話をされました。 日本の近代というのは、遅れた日本が近代的な進んだ社会を創るために悪戦苦闘した百年でした。この近代化の路線を辿ったことは多分正しかったと思います。今日の我々の繁栄した社会生活はそのおかげであります。 しかしそのことによって失ったものもあります。それはあの悲しみの旋律ではなかったか。 他人の悲しみ・苦しみ・痛みを理解する歌声だったのではないでしょうか。 我と来て 遊ぶや親の ない雀 一茶 (八歳の時継母を迎えて)
2005.09.30
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← 夕日「あつささむさも彼岸まで」のことばがあらわしているように、春も秋も「彼岸」のころはとても気分のよい日がつづきます。 9月23日は秋分の日(お彼岸)です。 法令に春分、秋分は祝日であると規定、そうして主旨には「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「祖先をうやまい、無くなった人々をしのぶ」と書かれています。 (味も素っ気もないですね) 春分と秋分は、農耕民族と言う観点から眺めると、 春分:種苗の時期 秋分:収穫の時期 にあたり、作物を育てる太陽と自分たちを守る祖先神への信仰と言う、土着の信仰が仏教伝来以前からあり、春分には豊穣を祈り、秋分には収穫に感謝して供え物をしたことが原型と考えられます。 仏教が伝来すると、春分・秋分がそれぞれ彼岸の中日にあたることもあり、仏教の習俗と古来の風習が混交して現在の姿になったと思われます 煩悩に満ちたこちらの世界を現世、涅槃の世界を死後の極楽浄土ととらえ、あちらの世界と考えたところから、亡くなった先祖たちの霊が住む世界を「彼岸」と考えるようになりました。このことから「彼岸に墓参り」と言うことはわかりますね。 彼岸の語源は「日願」であるという説もあります。これは古来からある太陽信仰の系統のものです。 春分・秋分は太陽が真東から出て真西に沈むとともに昼と夜の長さが同じということで、これは非常に重要な節目でした。「日の願」ということばもあり、これから「日願」になったとも言われています。 彼岸会は『到彼岸』の意味とされる。すなわち現在、我々が住んでいるこの迷妄の世界は此岸(しがん)であり、仏菩薩の悟りの世界である彼岸に渡ることを目的とするのが彼岸会の仏教的な意味です。 そうして太陽が真西に沈む彼岸には、その方向に向かって念仏すればかならず極楽に往生ができるとされています。 彼岸会の時には在家では仏壇を丁寧に掃除し、また墓参りするのが習慣であり団子をつくって供えることは日本中広く行われています。 春に作るものをボタ餅、秋につくるものをおはぎと呼ぶという説もあります。「彼岸花」 秋の彼岸前後に開花し、一週間もすると忽然と消えてしまう不思議な花です。 彼岸花の名前は、「慢珠沙華(マンジュシャゲ)」をはじめ、「地獄(ジゴク)花」「死人花(シビトッパナ)」「幽霊(ユーレイ)花」「きつね花」「ほとけ花」「天涯(テンガイ)花」「捨子(ステゴ)花」「忘れ草」「毒百合」等々、里の呼び名を入れると数え切れないほど(約900)あるといわれます。 「彼岸花 忌みては見れど美しく」(南畦(なんけい)の有名な句に表現されているように、人々には非常に興味と関心がありながらも不吉な花、毒っ花といったイメージが根づよく残っています。 しかし根のところに”リコリン”という毒がありますが、 この毒は水で何回もさらせば取れるので 昔の人はこの根の部分からデンプンをとって 飢饉の際の食料としていたと言われています。彼岸花は、「人里植物」と分類され、人の住んでいる村や町だけに生植するとのことで、人間との縁はたいへん深いですね。
2005.09.23
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朝、晩はすっかり秋めいてきました。秋と言えば十五夜の月。これは旧暦八月十五日の空に昇る満月の月をめでる風習です。またの名を「中秋の名月」、別名「仲秋の名月」又「芋名月」。 これは十五夜の月が元々芋の収穫を祝って行われる祭りの一種であったからでしょう。 さて次にもう一つのお月見、十三夜の月(後の月見)。十三夜の月とは旧暦九月十三日の夜に、昇る満月の二日前の月のことを言い、またの名を「豆名月」・「栗名月」と言います。これは芋よりも豆や栗は収穫が遅く、九月に行われていた豆や栗の収穫祭の一種だったからといわれています。 「片見月」という言葉を知ってますか?。 この言葉は十五夜の月と十三夜の月のどちらかしか見ないことで、片見月をやってしまうとよくないことが起こるといういわれがあります。古くから崇拝や信仰の対象となっていました。お月見といえば…? お月見といえば月見団子とススキ。この飾り方知ってますか? 普通年は12個と閏年には13個の月見団子をピラミッドのように飾るのが基本で、お団子には丸く作る関東風と、芋みたいに作る関西風があって、そのほか、地方によって数や形も色々あるらしいが、一般的にはこの二種類です。これは月見が元々サトイモの収穫を祝って行われる祭りの一種だったからといわれています。また関東風は、芋が丸く見えるということで丸になったといいます。 お団子は月見団子だけには限らず日本全国に数え切れないほどの種類が存在します。そんな団子は縄文時代の頃より、作られてきたといわれています。 縄文時代、木の実を食べていた縄文人は木の実をすり潰し、団子にしたらしく、それを粢(シトギ)といいます。米・粟・ひえ・きび・豆・楢やくぬぎの実などを粉にし、水で練った団子のことです。そんなお団子と一緒に飾られるススキの飾り方は誰でも知っているでしょう。当然花瓶にススキをさすのが、飾り方の基本。だがこれの処理の仕方を知ってますか?飾った後には門口や屋根に挿しておくと魔除けになるといいます。またススキを水田に挿すことで、稲が 丈夫に育つという言い伝えもあり、お月見はただ月をめでるではなく、魔除けのためや豊作を願うための行事でもありました。そしてお月見といえば、まん丸の満月の中に見えるウサギですね。 このウサギ、実は国によってウサギではないところもあります。 ウサギとして見ているのは日本以外にアメリカ・ヨーロッパ・インドなどなどの人なのですが、地方によって月に見えるものはウサギではないという人が沢山います。たとえば月に見えるのがカニやロバだというのはヨーロッパ、カエルに見るのは 中国、幽閉された男と見るのがドイツやオランダ、デンマークなどなど。その他ライオンと見たり、 女性の横顔と見たり、水をくむ人と見るところも あります。昔話を一つ。むかしサルとキツネとウサギが仲良く暮らしていました。そこに一人のおなかをすかせた老人がやってきたので、(その老人は帝釈天という神が姿を変えた者であった)その老人の空腹を満たすために、木登りが得意なサルは木の実をどっさり持って来、キツネは川で魚を沢山取って持ってきて、老人にさしだしました。だが何の特技も持たないウサギは何も取れず、困ったウサギは自ら炎の中に飛び込み、自分を捧げたといいます。そんなウサギをかわいそうに思った老人、つまり帝釈天という神はウサギを月の中によみがえらせました。これは有名な仏教説話の一つです。ここで心配があります。昔から十五夜の月がでる秋の中頃、つまり旧暦では八月、現代では九月は台風が沢山来る頃であり、秋の長雨の時期でもあるので、十五夜の日は晴れないことが多いのです。昔の人は「中秋の名月、十年に九年見えず」と悔やんだといいます。(今年は9月18日) 名月や 池をめぐりて 夜もすがら ・ 芭蕉
2005.09.16
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台風の月別進路とっても目がパッチリしてる台風14号でした。直径が100kmくらいあり、沖縄本島がすっぽり入るくらいの大きさです。そして、雨台風と言われた雲の大きさは、1500km以上あって、日本列島がすっぽり入るくらいの大きさがありました。あの、ハリケーン・カトリーナの2倍くらいです。宮崎、鹿児島、大分各県で大きな豪雨災害をもたらした台風14号。九州東部で記録的な大雨が降り続いた理由は、(1)九州の西海上を北上するコースを取った(2)雨雲の範囲が大きかった(3)速度が遅く降雨時間が長かった―の三点が挙げられます。 4日0時から7日4時までの雨量は、九州南部で1300ミリ、九州北部、四国、近畿地方で900ミリを超えている所があり、空っぽのダムが満杯になりました。しかし昭和51年台風第17号は,ゆっくりと北上したこともあって6日間にわたって各地に雨を降らせました。徳島県木頭村では1日だけで1,114mmの雨を降らせ,これは1日の降水量の日本記録となりました。また,木頭村での総降水量は2,781mmと,東京の2年分の雨に相当する大量の雨となりました。 過去20年間で、台風が上陸した地点が1番多かったのは、鹿児島県で12回。2位が高知県、3位が和歌山県です。あれ? 沖縄は??とお思いの方…沖縄県は「上陸」ではなく「通過」なのです!名前は長らく、米軍が付けた英語の人名が使われていました。キャサリンやジェーンなど女性名が多いのは、太平洋戦争の頃、出征兵士が故郷の恋人や娘の名前を台風に付けたのが始まりだから、といわれています。日本では「台風第○号」のように、その年の1月1日から発生順に番号を付けて呼びますが、海外では番号よりも名前リストに基づく命名が一般的です。それで2000年から北西太平洋で発生する台風にはアジア地域固有の名前を付けることになったんです。これには日本を含め14カ国が参加し、140個の名前リストが作成されました。日本からは、「テンビン」「ヤギ」など星座の名前が出されています。一番最初は、平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、平成17年の台風第14号は「ナービー」( 蝶)でした。 昭和の三大台風として上げられるのが昭和34年(1959年)の伊勢湾台風、昭和20年(1945年)の枕崎台風、昭和9年(1934年)の室戸台風の三つです。これらの台風は死者・行方不明者の数が伊勢湾台風は5098人、枕崎台風は3756人、室戸台風は3036人にものぼりました。最近の台風では多くても100人以下で、三大台風に比べると30分の1以下になっています。これは台風の観測技術の発達、伝達する手段の充実、また防災対策が進められた結果です。地震と違い予測可能な台風です。遅いものは11月30日(平成2(1990)年)に和歌山県南部に上陸しています。まだまだ気をゆるめずに、注意しましょう。
2005.09.09
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泉市江戸十二景道灌山下 広重江戸風景版画大聚成(小学館)(現在の日暮里) 二百十日も過ぎると、ぐっと過ごしやくなってきました。これから、虫たちの競演は盛り上がります。日本で、鳴く虫の声を楽しむ”虫聴き”は、平安時代ごろに貴族たちによって始められました。江戸時代になると、俳句などをたしなむ風流な人たちの間で「虫聴き」が行われるようになり、とくに賑やかな事の好きな江戸っ子は、春は桜、夏は花火、秋は虫聴き、と大いに庶民も楽しむようになりました。 桃さくら鯛より酒のさかなには みどころ多き日くらしの里 (十返舎一九)太田道灌の山城があったことから、その字を宛てたとする「ひぐらしの里・道灌山」は薬草が豊富で、一年中採取者が訪れていたといいます。特に「虫聴き」が有名で、文月の終わりころを盛りとして、松虫、鈴虫などその清音を珍重する詩人、吟客の来訪が跡を絶たなかったところです。道灌山は虫の声ばかりでなく、桜の花の咲くころから夏にかけては、路傍の崖際に茶店も出ました。広重の道灌山下図には桜の木と崖上の茶店が描かれています。おとなり中国でも千年以上昔から、鳴く虫たちは人々に親しまれています。キリギリスなどは籠(かご)で、スズムシなどは小箱で売られています。キリギリスは籠のまま、スズムシなどは小箱、コオロギは素焼きの入れ物「罐(かん)」で飼い、鳴き声を楽しみます。とくに面白いのは、ヒョウタンでできた容器です。人々は冬に、この容器にコオロギやキリギリスを入れ、ふところにいれて持ち歩くそうです。そうすると体のぬくもりでコオロギは暖まり、同時に歩きながら虫の声を楽しむことができるのです。忙しい昼間を過ごした夜は、月を見ながら虫が鳴く中に座り、俳句を作ったり、鳴き声を摘み(つまみ)にお酒を楽しんだりしたいものです。
2005.09.02
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