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フランスはとてつもない熱波に襲われているらしい。 今月28日、南部モンペリエ近郊のガラルグルモンテュと言う町で、史上最高気温45.9度を記録したらしい。 過去の記録では、2003年8月の熱波では同地域で44.1度が記録され、全土で1万5000人が死亡した。今年の熱波はそれを超える壮絶なものとなった。 首都パリは緯度的に北海道とほぼ同じ位置にあるから、南部よりは少しはましかも知れないけど、古い時代に完成された街では建物の構造上からもクーラーの普及率がイマイチ。ただ、私がいた頃には7月の後半までウールのセーターを着ていた夏もあったりして、過ごしやすかった。 そんなフランスも毎年暑い夏を迎えている。地球温暖化の影響はフランスにも日本にも分け隔てなくやってくる。日本でも決して対岸の火事なんて言ってられない、足元からジリジリと灼熱が絡みついてくるようだ。 昔はよく寒さが足元から絡みついてくるって書いたものだけど‥‥。 亡くなられた方が出来る限り少ない事を祈って、合掌。
2019.06.30
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大阪で開催されるG20。首相や大統領等各国の要人が一堂に会するだけに大阪は大騒動。更に各国の報道関係者も沢山来日しているから、てんやわんやのしっちゃかめっちゃかだ。 ある日本のTV局がプレス関係者に振る舞われた浪速の味の感想を来日したロシア女性に聞いていた。彼女が食レポしたのは大阪人のソウルフード「たこ焼き」。 彼女曰く「ロシアにもよく似た『ピロシキ』と言う食べ物があります」。ピッ、ピロシキ?。どこが?。私は『パルナス』と神戸のロシア料理店『バラライカ』のピロシキしか知らないけどどこも似とらん。断言する。 最近「お好み焼き」は広島に押され気味だから、決め打ちで浪速の味とは言い難いようだが、神戸で育った私は小学生の頃からお好み焼きをお店で食していたけど、それはメリケン粉(古!)だけでベースを作り、その上にキャベツの千切りを乗せ、そこに具材を乗せていくスタイル。 「それ、広島焼きやん!」て言われそうだけど、1950年代はその焼き方がスタンダードだった。それがいつの間にか小麦粉もキャベツも玉子もゴッチャに混ぜて焼くようになっていった。いつ頃からか定かじゃないし、お好み焼きソースの代名詞となった広島の「おたふくソース」がグローバルブランドになってしまった今となっては「いや、それは違う!」って否定も虚しい。更に何もかもごちゃ混ぜの代表選手「千房」の「ぬかるみ焼き(大阪発信のラジオ番組『ぬかるみの世界』から)」が有名になった頃からゴチャッと混ぜるスタイルが大阪では当たり前になっていたから否定は出来ない。でもこれはあくまで私の独りよがりの意見なのでまったく信憑性はない。 元々は「一銭洋食」がルーツと言われるお好み焼き。大阪発祥でも、広島発祥でも、美味しけりゃどっちでもいいんだけどね。 話をたこ焼きに戻すけど、ヨーロッパにはたこ焼き擬きがある。 そんなこと言うと「全然違う!ど素人が!」ってお叱りを受けそうだけど、オランダのポッフェルチェとデンマークのエイブルスキーバーは見た目まんまたこ焼き。鉄板も絶対たこ焼き。なんだけど、実は粉砂糖とかシロップとかをかけて食するスイーツ。丸いパンケーキだ。甘くて美味しかった。でも願望としては青のりと削りかつおが揺れ踊るソース味であってほしかった。 最後に大阪らしい落語ネタを。 お好み焼き屋で客同士が言い争っていた。鉄板の上でお好み焼きを切って口に運びながら「これはコテや!」と客A。すると客Bが「ちゃうちゃう。これはテコや」と反論。テコや、コテやと言い合っても結論が出ず「ほな、おやっさんに聞こやないか。おやっさん、これはコテやなぁ?」と客A。「いやいや!これはテコやなぁ?」と客B。黙々とお好み焼きを焼き続けていたおやっさんは手を止めて、たった一言、「ヘラや」。 お後がよろしいようで。デンデン!。
2019.06.29
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今日テレビで阪急西宮ガーデンズにあるフランスのスポーツ用品店デカトロンの日本上陸1号店を取材していた。 先日ペタンクの話を書いたけど、その時にビュットとブール4個で30000円とか書いたのに、何と940円で売ってるらしい!。 なんてこった!ちっくしょ〜である。 絶対買いに行ってやる。 少しショックだ‥‥。
2019.06.28
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今では縁日やお祭りの定番になってるケバブのサンドウィッチを初めて食べたのはパリの露店。 街のあちこちで見掛けるけど、なんの肉かもわからないし、見掛けは中々ワイルドだった。 縦位置にセットされた電熱器で肉の塊を炙りながら、火が通った所からデッカくて鋭いナイフ(包丁だけどね)で肉を削ぎ削ぎ。 切腹したバケットに玉ねぎとダラット野菜を沢山入っているように敷き詰め、削いだケバブを数枚。閉じたバゲットからはみ出すように盛り付けられる。成る程、旨そうだ。 ガキの頃にテレビで聞いた「串カツソング(歌唱 江利チエミ)」が頭の中でグルグル。江利チエミが熱唱していた。 「ア〜、焼きたてのシシカバブ〜」 とても食べてみたかった。旨そう。 5Frだから300円ちょっとだ。そう言えば€ユーロに代わってしまったから、もうフランはないんだね。 取り敢えずシシカバブ(ケバブけどね)のサンドウィッチを買って公園で食べた。 想像していた以上に美味しかった。 アァ、パリに来て良かった。 単純だけど、感激した。 今でも縁日や祭りの屋台の焼きたてのシシカバブならぬケバブが大好きだ。 私にとってケバブはサン・ミッシェルの味だから。
2019.06.26
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私がボウリングを始めたのは中学3年生の時、新神戸駅から北野町に上がっていく坂道の途中にあった北野ボウルで生まれて初めてボウリングをした。 それから21歳になるまで6年ほど続けていたけどいつの間にかボウリング場から足が遠のいていった。 パリにいた時期、日本でボウリングはまだまだ流行っていたけど、パリでボウリング場は見かけた事がなかった。 一度だけ体育館に隅っこに2レーンだけ手でピンをセットするボウリングを見た事があったか、ボウリング場の記憶はない。 元々ボウリングは紀元前5000年頃には古代エジプトにあったらしい。ヨーロッパで盛んに楽しまれ、17世紀には清教徒達によってアメリカにも広められたとか。アメリカっぽいスポーツと思ってたけどね。 で、ボウリング場も卓球場もパチンコ屋も麻雀屋も見当たらんパリの街で、フランス革命を起こしたパリ市民達は一体何やってんのかと言うと、ただただセーヌ河岸で愛を囁いてるだけじゃなくて、かったいフランスパンをタダタダかじってるだけでなくて、ラジオ体操のようにフランス全土で流行り、老若男女こぞって打ち興じていたものがあった。 それがペタンク。名前だけ聞くとジッチャ、バァッチャのゲートボールのような感が否めないが、パリ市内の至る所、公園の中にペタンク場があったりして、昼間っからやっているのはまあ、爺さんだけど、子供用のペタンクもあるし、ペタンク専門店もあるし、さしずめ当時の日本での卓球的な位置付けかも。 内容は至極単純で、テラン上に基点となる円を描いてそこから的となるビュット(木製の玉)を投げ、その的に出来るだけ近いところにブールと言う鉄の玉を投げ的までの距離を競うもので、比較的分かり易い言い方で言えば土のグランド上でカーリングのルールに近いスポーツとでも言えるかも。カーリングと大きな違いは的を弾いて動かしてもいいし、鉄の玉はカーリングのストーンと違って空高く投げ上げようが構わない事。ただし砲丸投げのように投げるんじゃなくてソフトボールのピッチャーの如くアンダースロー(?)で相手のプールを弾いたり、変化球を投げてビュットにフワリと寄せたりと、結構テクニックが必要だと言える。また。ローンボウルと言う殆ど同じルールの球技もあるけど、大きな違いはローンボウルは英国生まれで芝の上で転がしてプレイされる事だ。 私はペタンクを買って帰って来たけど、誰も知らないし、やりたがらないし、今じゃどこに仕舞い込んだかさえ覚えていない。 ただ、日本で購入するとブール4個のセットで3〜4万円もするらしい。 早速、家捜しして見つけ出し、メルカリで売ろうと思っている。
2019.06.24
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35年振りにボウリングをした。 私は個人的に兵庫県連に所属してボウリングをしていたが、幼友達が大阪の大学でボウリングをしていたのでこの大学のボウリング部の練習によく参加させて貰った。学連の試合には応援に出掛けたし部員の方々とも仲良くさせてもらっていたから、神戸で部活の同期会があるとの事で参加させて貰った。幼友達とはよく会っていたけど他の部員の方々とは47年振りの再開。皆んな歳はとったけどボウリングを始めると70歳とは思えないダイナミックなフォーム。ところが私だけが情けない状態で、2ゲームの途中から腕に痛みが走り散々なスコアに終わった。皆んなに慰められながら終わった同期会。懐かしい一時だったけど、その日の夕食時には右手に箸が持てない程の痛みが走り、その夜は痛みで寝られなかった。翌日、医者に行くと腱鞘炎との事。医者に「歳を考えて」と笑われてしまった。 残念だけど歳には勝てなかった。 幼友達はダブルス西日本第2位なった二十歳の当時を彷彿とさせるフォームで投げていたのは流石だった。 私がパリに出掛けた当時、日本のボウリングブームは下火になっていたがパリでは「何じゃそりゃ?穴掘りかい」程度の人気でしかなくてボウリングをする機会は全くなかった。最近、日本では女子プロボウリングリーグ、Pリーグが発足されたそうだが、フランスではどうなんだろうね。
2019.06.21
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思った以上に暇。赤十字病院はwi-fiはない。タブレット持ってきたのに役にたたなく重いだけ。仕方なくiPhoneで書き込んでいるけど、若い方達はとんでもないスピードで書き込んでいるのを見るけど、どうやったらあんなスピードで入力出来るのか尊敬する。大して早く入力出来ないけどやっぱりキーボードがいい。私はかな入力しかできないのでローマ字入力もペケ。いまの時代ならスカイプとかLINEとかでテレビ電話のように海外と通信できるけど、1970年代は電話を掛けるのにも一苦労だった。ホテルにしてもダイアル直通でなかったし(安宿だったから‥).国際電話に慣れてないぽっと出が、まず海外から電話など掛かってこないドメスティックな日本人に電話するのだから、タイムラグが理解できず、話が伝わらずに料金ばかりが掛かる無駄通話が延々と続いた。結局、重要な用件は手紙に託すことになる。何のための電話じゃ!。無駄な努力と出費がかさむよね。
2019.06.17
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バリに5年間に延べ4年2ヶ月程沈没していたけど、その間に病気らしい病気は先日書き込んだ消化不良だけで風邪もひかず、結構腸が弱いのに下痢になることもなく過ごしていた。毎回長期の保険を掛けていたけど、保険を使ったのは消化不良の一件と、悪名高いロンドンはヒースロー空港で荷抜きにあった時だけだった。流石に保険というだけに「保険を掛けてるから安心」程度の保険。医者代は結構掛かったから保険で返金されたのは嬉しかったけど、荷抜きはビクトリノックスのアーミーナイフ1本で日本で買うと当時1本1万4千円程したけど、海外で免税だから8千円程だったので保険で返金されたけど、ナイフの方が良かった。返せヒースロー野郎!。返金は日本に帰国後。何ヶ月も経ってからだから有り難さがなかった。まぁ、保険だから‥。
2019.06.17
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1日だけの検査入院。2015年4月4日に冠動脈の手術を受けて7月まで入院していた病院に4年振りの一泊入院。色々検査機器を付けて寝るらしいが、夜中のトイレが気になって看護師さんに聞いてみると、機械が結構重いので小はシビンにしてと言われた。はっきり言って使ったことがない。以前の入院は殆ど寝たきりだったので管を通していたから、どうするのか心配だったけどシビンとは。あまり経験したくないなぁと思う。まぁ、何でも経験かな。
2019.06.17
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睡眠時無呼吸症検査の結果が出た。 前回は検査機器を自宅に持ち帰って検査をした。その結果から再度入院しての検査となった。そんな事になるのでは‥と、案に違わず検査入院となる。検査結果では寝る時になんらかの器具を使う事になるのかも。まぁ、それで安心して寝られるんだったらいいと思う。 初めてパリに長逗留した時、どれだけ滞在中に経費が掛かるのか分からないから目一杯切り詰めて生活していた。ある日、夜中に目覚めると下半身に全く感覚が無くなっていた。足が動かないし冷たかった。慌てて腰から下をマッサージしてみる。感覚の無かった下半身に血が巡るのがわかった。腰から下に感覚が戻ると足全体が痺れはじめ感覚が戻ってきた。翌朝、ノートルダム寺院近くで、体重計に乗ってみたら、日本を出た時はボクシングで言うとウエルター級の体重があった(65kg)のに、なんと48.5kgしかなかった。節約も大切だけど病気になったら元も子もないので食べる事をケチるのはやめる事にした。 健康で長生きできたら儲け物だと思う。 一度拾った命だから。
2019.06.11
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パリで医者に掛かると‥ 毎回、出かける時は旅行保険に入って行く。 1年のうちに9〜10ヶ月を海外で過ごしていたので、毎年出掛ける前に保険期間を1年にして保険を掛けていた。3年目に初めて保険を使う事になり、ホテルに頼んで医者を呼んでもらった。 激しい腹痛で医者を呼んだものの、食べ物が合ってなくて消化不良を起こしているとの事だった。処方箋を貰い薬局で薬を買って飲んだらケロッとなおってしまった。医者に1万5〜6千円払って、薬局で5千円ほど払って、保険でお金が戻ってくるのは日本に帰って申告してから。その日暮らしの身には痛い。友人と食事に出掛け、医者代と薬代で2万円程の出費は痛いなんて話をしてホテルに帰ると、昨晩の医者が待っていて、また診察された。お腹を押さえ、聴診器を当てただけで8千円も取られた。翌日、ホテルを変えた。 こんな話を書いたのは、今病院で睡眠時無呼吸症の検査結果を待っているところだから。 日本の健康保険制度は有難い。
2019.06.11
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古い書き込みを読み返してみる。テーマから外れた事ばかり。それでも書くだけましかも。なんとか毎日書くように努力しょうと思う。少し頑張ってみるか。
2019.06.03
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