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(注)6月15日に書いた記事。今、夫と共に和歌山県高野山に、高速バスで向かっている。流行りの宿坊を、一泊二日で楽しむ予定。和歌山県というところは、同県出身の作家、中上健次もエッセイ中に書いているように、深い修行山もあれば広大な漁場もあるという、山場でも海場でも、さらには平場でも川場でも、つまりとこでも楽しめるスポットを持っている、なかなかに興味深い地である。当然、食べ物も美味しい。風景も素晴らしい。特急を使えば日帰り出来ない距離ではないため、仕事ではちょこちょこ訪れている和歌山県。それなのに、プライベートで訪れたのは、65年生きてきた中で、多分10回もないのではないかしら、、、通り過ぎたのみを入れるなら、もう少し増えるかも知れないけれど。その数少ない和歌山県プライベート旅。楽しんでこよう。写真は、高野山への入り口近くの道の駅。
2022.06.22
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(注)6月14日に書いた記事。夫の治療食が始まって2ヶ月が過ぎた。まだまだ試行錯誤の連続。下処理や前工程に一手間かかる割には思うような味が出せず、落ち込んだり、時に苛立ったり。仕事でも、作る料理にまず自分自身が満足出来ないと他人に提供出来ないタイプである。そのため、一度も作ったことがない試食メニューを披露する場合は、必ず自宅で予行演習をしていった。納得する味になるまで、量や火加減を調整しつつ、何度も繰り返す。料理と言うより、理科の実験だった。そうして得た「データ」をレシピに付加し、現場に立つ。データは我が脳の中では数値化かつ可視化されているから、そりゃもう、絶対の自信ですよ。逆に言えば、己のカンで初めての料理もササーッと作れる仲間が羨ましかった。羨ましかったが、その方面のヒラメキはゼロに等しいので、私は私のやり方を通すしかない。もっとも、料理初心者のお客さんにはすごく喜ばれたけれどね、、、〇〇を大さじ□杯振りかけたらすぐに鍋をゆすって材料全体になじませる、△△がクタっとなるまでは強火で、、、なんて、極めて具体的に説明出来たから(どれも「実験」過程で学んだこと)、「お姉さんは、親切に教えてくれはるワ」と、よく言われた。治療食の「実験」を楽しいと感じられるようになるまで、あとどれくらいかかるのだろう?
2022.06.22
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(注)6月10日に書いた記事。以前、「定年退職後の俺様夫」との同居が耐えられずに熟年離婚をした(10数年前のこと)、他社所属の同業者の話を紹介した。先だって立った現場で久々に再会した仲間にこの話をしたところ、「その人、勇気ある。私なら家のことしか出来へんのに1人でやっていけるはずないと考えてしまうけど、その人は逆に家のことが出来るということを売りにしたんや、、、。そこからして、やっぱり違う」。ですよねー。もっとも、家事代行業は、今や天下のイ◯ンも参入しているほどの有力ビジネスよ。つまり、家のことが出来るのは、報酬に結びつく立派なスキルなのだ。ずっと家庭にいた人が、何かのきっかけで「また働きたい。でも、自分には何の資格も特技もないし、、、」と悩むケースは多い。結果、医療事務や簿記など、主婦に人気がある資格がとれる講座にお金を払って通うケースも。それも悪くはないが、もし家事が得意なら、それを活かすのも手。家事全般でなく、料理専門、掃除専門という方法もあるし。ちなみに、我が親友。某家事代行会社の掃除専門に登録し、「大好きなお掃除をして、きれいにしてくれたと喜んでもらって、お給料までいただけるなんて」と、マイペースで仕事を楽しんでいる。
2022.06.22
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(注)6月10日に書いた記事。昨日に続き、今日も仕事が入ってきた。果物関連を中心に、まずは推奨販売という形で、少しずつ宣伝販売は復活してきている。明日からの2日間、京都府内の、具体的には京都市から急行で30分も走れば着いてしまうまちのスーパーに赴く。仕事があるのは嬉しいが、別の観点からは、ちと憂鬱になる。マスク付着による弊害である。小鼻のまわりに、痒みを伴ってポツポツ出来た赤いコレって、ニキビですかね?いや、65歳にもなってそれはなかろう。いわゆる吹き出物だ。特に皮膚が弱いわけでもないのに、長時間マスクをつけていると、決まって口から鼻にかけて息苦しさと共にむず痒さが走り始め、そのうち耐えられなくなってこっそりとマスクを外してその部分を掻く。刺激された皮膚はますます症状を悪化させ、やがて熱を帯びた隆起物となっていく。見た目も、まことに汚い。アトピー性皮膚炎同様、自然塩ペーストで治療出来るが(ただし、相応のヒリヒリ感は覚悟せねばならない)、よくなりかけた時には再び仕事が入って終日マスクをするので、また元に戻る。困ったことだ。ネット検索をかけたら、同じ症状に悩んでいる人は多く、そのほとんどがノーマスクを心より望んでいると思う。タイミングよく、オカミだって公言してくれたじゃないか、屋外にいても人との距離がとれていたり会話をするのでなければマスクはしなくていい、と。にもかかわらず、相変わらずほぼ全員がマスクをつけているよね、、、。写真は京都御苑内。本格的な梅雨に入る前、新緑の煌めきを心身に浴びながら、ゆったりとした時間を持ちたい。
2022.06.22
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(注)6月9日に書いた記事。登録派遣会社4社のうち、1社から仕事が入ってきて、今月も仕事日は10日。先月、及び先々月と同じ。夫の療養サポートがある現在、これくらいでいいのかも知れない。ちなみに、先だって我がズボラさを几帳面な夫にきつい口調で指摘されて大喧嘩したのも、明日は遠方に行くので(特急を使っても徒歩時間を入れたら片道2時間半。6時半のバスに間に合わないといけない距離)、昼過ぎから療養のための特性スープを何時間もかけて作っているのに、やれ、匂いがどうの、あと1時間したら患者さんがくるのに鍋も隠していないの(我が家は夫の仕事場の住居が同じ。台所を通って患者さんは2階に上がる)、言い出したので、カッとなったわけ。片付けが苦手という地雷を踏まれた。この地雷。実は、私たち販売現場でも、しばしば問題となる。
2022.06.14
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(注)6月8日に書いた記事。気持ちの上では楽でない日が続いているせいか、連続仕事が終わった日曜日の夜は、身体は疲れているのに寝付けず、偶然YouTubeで見つけた不朽の名画「風と共に去りぬ」の映画を観ていた。同名の原作は、中学校1年生の夏休みに一晩で読了(首都圏の大学に在学していた姉の下宿先に遊びに行ったところ、この本が置いてあり、夫婦間のことなどわからない点は無視し、とにかく先へ先へと読み進めた。主人公スカーレット・オハラを始め、個性豊かな登場人物が織りなす起伏に富んだストーリーはまことに面白く、夢中になってページをめくった)。映画は大学に入ってからTVで。つまり、半半世紀以上経っての再観なのだ。観ていて、以前から好きだったメラニーにますます惹かれた。典型的なサザンベルの彼女は、天使のように寛容で純粋で、しかも愛する者のためなら自己犠牲も厭わない。それは、「神様、私は絶対に負けません。人を殺してでも生きていきます」と、戦禍で荒地となった実家の綿花畑の中で天を仰ぎながら誓うことからもうかがえるように、生の本能のままガムシャラに突き進むスカーレットとはまた別の意味での「強さ」だ。また、最終的にはスカーレットと結婚したレット。いい旦那さんじゃありませんか。行動力に加えて包容力もあり、時折り女性の心を掴む繊細な面ものぞかせる。にもかかわらず、妻となったスカーレットにあんな態度を示され続けたら、そりゃ出て行きたくもなりますわな。いろいろなことを考えさせられた一夜。同時にあらためて感じた。あくまで架空のキャラクターではあるが、それを承知の上でも、スカーレット・オハラにしろレット・バトラーにしろ、島国の日本からは絶対に誕生しないタイプだと。写真は映画「風と共に去りぬ」のアメリカ公開時の宣伝ポスター(public domain)。スカーレットを演じたヴィヴィアン・リーは主役であるにもかかわらずこの映画に出演した頃はまだ役者としてのキャリアが浅かったことから、クレジットは4番目になっている。
2022.06.13
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(注)6月6日に書いた記事。試食があった頃、我々デモンストレーターにとって困ったことの1つに、材料、主に調味料などの分量を、「カップ◯杯」だとか「□□大さじ半」だとかの具体的な数値でなく、「適当に」だの「気持ちだけ」だの、曖昧な語句を多用したレシピをよこすクライアントがいたことがある。つまり、現場に立つ者に味付けを丸投げしているのだ。 これと同じことを、マクロビやヴィーガンをはじめとした自然食を扱う料理家に感じることがある。ああいう方は、おおむね、料理は得意というか、自分の舌に大いなる自信を持っておられる?レシピを拝見すると、やはり、通常料理のそれに比べ、スカスカでユルユルのものが多いのよ。世の中、料理が得意な人オンリーではない。同じく、自分の舌に自信があるタイプばかりでもない。しかも!自然食料理を試す人の中には、重篤な病を患う家族のケアを担う人もおり、そのための時間と労力に配慮する意味合いからも、なるべく「効率的に」治療食を作りたい人もいる。そこいらの点も考慮して欲しいと願う。
2022.06.12
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(注)6月6日に書いた記事。4月5日に夫が進行性大腸がんであることを告示されて、今日で2ヶ月。療養生活の一環として厳しい食事管理が要求されることは、これまで幾度となく繰り返して述べてきた。家計の都合もあり、それに付き合ってきた私。もともとネオベジタリアンな食生活を送っていた背景もあってか、さほど苦痛には感じないのだが、それでも時折り「夫には禁止されているけれど私自身は好きなもの」が無性に食べたくなる。数日前、冷蔵庫に少し残っていた李錦記を前に、閃いた。「焼豚と水菜がある。これを具材に、自分用にパスタを作ろう。李錦記の風味をもう一度味わいたい」。さっそく実践。「おいし〜い!!!」口に運ぶたびに、心でそう叫び、元気が出てきた。ネット上の某サイトには書いてある。「家族に、塩分や糖分、油分制限などの食事療法が必要な人がいたら、その人の食事内容に合わせましょう。それ(食事療法)は、栄養的には健康によいものがほとんどですから」。ううむ。理論の上ではそうなんだろうけれど???
2022.06.12
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昨日、ブログを書きながら、あらためて思った。「整理整頓を基本とする某ノウハウものが、特に中高年女性にこんなに受け入れられたのは、主宰者が、片付けられないあなたは悪くない、と一貫して言い続けているかも知れないな」と。私もこの主宰者の入門DVDを取り寄せ、それだけは熱心に観て(つまり入門の段階で辞めたわけ)、大いに慰められたものだ。「片付けられないのは、単にモノが多過ぎるから。または、過去に執着したり未来に不安を抱いたりして思考の流れに障害が生じ、物事の優先順位が決められなくなっているから。あなたが悪いんじゃないのよ。まして、片付けられないダメな女である私と卑下する必要なんかない」。私も含め、掃除や整理整頓など、スペースや空間を快適に保つことが苦手な女性は多い。そして、そういう女性の大半が「女のくせに、、、」と、女性性、ひどい時には人格を否定されるに等しい言葉を投げかけられたり、仕打を受けた体験を持つ。そんな女性にとって、あなたは悪くないと言ってくれる主宰者は、ああ、救世主以外の何者でもないわ。性格は変わりませんって。特にADHDの傾向を持つ私は、今後もきれい好きで几帳面な夫と些細なことで揉めることがあるだろう。なお!ADHD傾向は持ちつつも、同時にコツコツと1つのことに取り組み突き詰めていく作業も嫌いではない私は、実は理科実験や収集した資料分析も好き。このキャラを活かした生活術を自分なりに考案しているのだけれど、実践上の完成度はまだまだ。あと数年はかかる?完成したら、性格は変わらずとも行動は変えられることの証明になるだろう。
2022.06.01
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(注)5月31日に書いた記事。某、配偶者が重篤な病を患った体験を持つ人から、メールをもらった。「(罹患した人から)当たられたら同じ土俵にあがらず、仕事なり趣味なりに逃げましょう」と。ううむ、、、。夫と揉めるのは、いつも、掃除や整理整頓。几帳面できれい好きだから、もうイライラするみたいで、時に怒鳴る。今後、身体の自由がきかなくなったら、それ、進むだろうな、、、我が実母みたいに。実母。きれい好きはいいんだが、晩年はそれが顕著になり、ヘルパーの掃除の仕方がどうのと、クレームばかり言っていたらしい(実姉に実母が亡くなった後に聞いた)。これ、奇しくも、夫の母(=姑)と同じよ。とにかく、イザとなったら逃げます。私は、掃除や整理整頓が苦手な、だらしない、ズボラ主婦ながら、長所もあるサ。天職である試食販売の仕事、大切にしたい。
2022.06.01
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先々週の5月21日と22日に続き、先週末の28日と29日も、再び舞鶴の某店で同じ商品をデモ。その時、店の部門責任者から、先々週の担当商品売上がそのチェーンでトップだったことを知らされた。驚いた。そこは本社(本店)やその他の大型店よりずっと小粒なローカル店。商圏人口も多くない。それなのに、、、。嬉しいな。現在、精神的には弱っているから、こんな話を聞くと素直に元気になる。写真は、舞鶴駅前にて。
2022.06.01
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(注)5月31日に書いた記事。5月28日と29日。仕事でまたもや舞鶴へ。途中駅の綾部で特急電車から普通電車に乗り換え、窓枠を流れる、昔ながらの農村風景(舗装していない地道やセメントで固めていない水路など)を眺めながら、ふと想った、、、こういうところには、まだトノサマガエルもいるだろうなあと。「トノサマガエルが絶滅の危機に瀕していると言うけれど、時代さ。あんなの、いなくても、別に(人間に)困ることないじゃん」と、おっしゃる人もいるかも知れない。そんな方、ようく考えて。トノサマガエルが絶滅するということは、遠からず他のカエルやイモリその他の両生類もその道をたどる危険にさらされることであり、カエルを食料としてきたサギやヘビにも影響を与えることでもある。反対に、カエルが餌としていた田畑の昆虫は天敵がいなくなるのだから、異常発生する。ね、わかるでしょ。生態系のバランスが崩れるのよ。引いては、我々の食糧にも関係してくるのよ。もっと単純な例では、皆さん、あの可愛らしいオタマジャクシが見られなくなる。トノサマガエルに限らず、絶滅しかかっている生物の保護に、人間はもっと真剣にならないといけないのではないかと感じる。写真は、オタマジャクシ(Wikipediaより)。
2022.06.01
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(注)5月28日に書いた記事。今日も舞鶴で仕事。行きは、かの城崎温泉が終点の特急「きのさき」にてまずは綾部まで。そこから東舞鶴行きの普通列車に乗り換えるのだが、窓枠を流れる風景がまるで30年ほどバックしたかのような錯覚に囚われ、ある種の感慨にひたってしまう。この感慨については、我が原風景とも関連してくるので、熟考のうえ別記事で詳しく紹介したい。ともあれ、今日は帰ってきた。明日もまた行く。写真は京都タワー。
2022.06.01
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(注)5月27日に書いた記事。当時小学3年生だった私に強い印象と深い感銘を与え、カエル・ラバーとなるきっかけを作ってくれた、教育雑誌「小学3年生の科学1965年5月号」(学研)に掲載された、トノサマガエルを主人公にした童話は、こんな内容だった。(なにぶんにも57年前に読んだので、細かいところで記憶違いがある可能性あり。そこはご容赦を。大意は合っていると確信)。出だしは、"畑のまん中で、トノサマガエルがじまんしました。「ケロケロ。わしよりえらいカエルはおらんじゃろ」"(もしかすると「わしのほかにカエルはおらんじゃろ」だったかも)。そこへ、ちょうど飛んできたスズメ(またはツバメだったか)がそれを聞き、「世のなか、いろんなカエルがいるよ。見てきてごらん」と、トノサマガエルに言う。トノサマガエルは、旅に出ることにした。スズメが言ったことは本当だった。アマガエル、ヒキガエル、ツチガエル、、、などなど、行く先々で多種多様なカエルにトノサマガエルは会い、その過程でウシガエルの大きさに驚いたり、カジカガエルの声の美しさに感心したり。どのカエルも独自の個性を持ち、おのおの懸命に生きていることを知る。カエルはわしだけではないし、わしよりえらいカエルもいない。世の中は広い。この単純ながら大切なことを胸に刻んだトノサマガエルは、生まれ変わった気持ちで帰路につくのだった。このストーリー。人間社会にも通用しないか。「井の中のかわず」とは、よく出来た言葉である
2022.06.01
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(注)5月26日に書いた記事。整理してみた。なぜ、重篤な病(大腸癌)を患った夫の治療食に付き合えばストレスがたまるのか?もともと、野菜と豆中心で、動物性蛋白質は主に卵と乳製品で撮る、ネオベジタリアンの私なのに。原因は、わかっている。糖分。夫の病による治療食では、糖分厳禁。砂糖どころか、その代替品である蜂蜜はおろか、果物に含まれる果糖や味醂もダメという徹底ぶり。この療法で、切り干し大根や若竹煮や金平牛蒡はうまくいったが、糖分の優しさが活きる、例えば、めんつゆや昆布佃煮や煮豆などはねえ、、、。多大の時間を費やした「実験」の結果、麹をうまく使えば、、、に到達し、ルンルンのはずなのだけれど、、、うーん???なお。糖分は麹のみで作った甘酒を代用。あれこれ、実験中。
2022.06.01
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(注)5月26日に書いた記事。カエル大好き人間の私にとって、田植えから梅雨にかけては、一年で最も楽しい時期になる。だって、いろいろなカエルさんに会えるんだもん、、、哲学者然としたアマガエル、ずる賢そうなヒキガエル、愚直ゆえに生命力逞しいツチガエル、、、などなど。おっと、エラそうにしているトノサマガエルを忘れちゃいけない、と思ったところで気付いた、、、皆さん、トノサマガエルって、ここ数年、いやもっと前々から見かけないよね、、、以前は、京都市山科区の田園地域に住んでいて、周りには田畑が豊富にあったんだが、ついぞトノサマガエルに会わなかった。絶滅した? いや、そんなことはないでしょう。このトノサマガエルを主人公にした童話が、「3年生の科学1965年度版6月号」(学研)に掲載されていて、読後57年経った今なお、出だしとあらすじをなぞらえることが出来る。それほど面白い話だったのだ。"畑のまん中で、トノサマガエルがじまんしました。「ケロケロ、わしよりえらいカエルはおらんじゃろ」"この書き出しから始まる、トノサマガエルの諸国漫遊の記。カエルのみならず人間社会を生き抜く上でもなかなか含蓄に富んだ内容だった。近々、紹介したい。写真は、トノサマガエルの無料イラスト(カエルが苦手な方、ごめんなさい)。
2022.06.01
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(注)5月25日に書いた記事。本当は、大好きな酒も断ち、癌と闘っている夫を励まさないといけないのだろう。なのに、それが出来ない私は、堪え性のない、自己中な悪妻なのだろう。夫の体調には波がある。先週の水曜日は、全身の倦怠感が半端ではなく、階段も1人で登れないほど。夫の背中を押しながら、涙が出てきた。それが、土日で持ち直し、昨日など絶好調。このままいくかと思ったら、今日は一転。朝から何度も下痢があり、ガン告知後の2ヶ月で体重が7キロも落ちたこともあって、脱水の疲れですぐに横になる。もっとも、痩せたのは、ガンのせいばかりではない。玄米と野菜を中心とし、糖分一切ノー(味醂や果物の糖ですらダメなのだから、その厳格さがわかっていただけるかと思う)の食生活にもよる。その治療食を作る妻の私も、主に経済的な理由からそれに合わす。これ、メニューによっては、ものすごくストレスが溜まるのね(ここいらも、夫に合わさない悪妻?)。これまでの記事で明かしたように、私は、子ども時代から胃腸が丈夫ではない関係で、食事はずっと野菜と豆中心。動物性蛋白質は主に卵と乳製品から摂り、そのことにさして苦痛を感じたこともない人間だった。そんな私でも、「糖分一切ノー」には、例えばめんつゆとか昆布佃煮とかには、強い拒否反応があり、特に規定通りに出汁(昆布と椎茸)と醤油だけで味付けしたつゆで作ったうどんを食べた時には「これから先、こんな不味いうどんやそばを食べ続けるのか」と想うと、鬱々とした気分に襲われた。今日もそうだ。ガンが治る食事法のレシピで作った煮豆。醤油味がまさってまさって、亡母が作ってくれていた砂糖味が強いけれど優しい味の煮豆に郷愁を感じている私には、塩辛くて仕方がない。こういうの、食べるの、私も?レシピでは、出汁を効かせ、大豆本来の甘味を活かすとあるが、ダメなのよ。私は、糖分の味がする煮豆が好きなの!そういうのを食べたいの!家族の治療食によるストレス。感じたことがある人はいますか?
2022.06.01
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