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現在37歳の娘がお腹にいた時の話だから、1984年。某テレビ番組で、こんなイベントが行われた。20代の男女5人とその母親の計10人がスタジオに集合し、母親たちにはスタジオ内に設置したキッチンで、豆腐だけの味噌汁を作ってもらう。もちろん、子どもたちには見えないよう、キッチンは目隠し代わりのカーテンで覆われている。出来あがった味噌汁を、誰が作ったかは伏せたまま、子どもたちは順番に飲み、どの味噌汁が自分の母親が作ったかを当てる。結果は、5人とも正解。お見事お見事。この事実は、つまり、少なくとも当時は各家庭に「我が家の(味の)味噌汁」が存在していたことを意味すると同時に、家族間の絆もそれなりのものであったことをもあらわしている。だし入り味噌が普及した現在では、どうなのかしら?「便利」「簡単」「時短」の名目のもと、失われてしまったナニカもあるのではないか。そもそも企業に味覚をコントロールされるなんて、よく考えたら、恐ろしいことだと思いません?この一件をはじめとして、他にもいろいろあり、約20年携わり、天職だとも感じていた宣伝販売の仕事。ちょっと、見直してみようかなと、考えている。
2022.11.24
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勤労感謝の日である今日、娘一家が訪ねてきた。真ん中の孫が染めた、じいじのためのバンダナ。夫も巻いて大喜び。大腸がん同様、原発の前立腺がんもステージ2だった。希望はある。
2022.11.23
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夫の手術退院後、初めての外来診察。もちろん、妻の私も付き添っている。心配された、がんを患った部位部分の周辺リンパへの転移はゼロ。よって、大腸がん自体のステージは2A。再発率は10%から15%。以上の理由から、抗がん剤治療はオプションとなり、受ける受けないは任意、との先生の説明。「肛門と前立腺と膀胱を摘出してダブルストーマとなった割には症状は軽かったね」と、ここで一安心してはいけない。実は1週間ほど前、手術に立ち会った泌尿器科医から、こんな電話をもらったのだ。「前立腺にも、(大腸に出来たがんとは別に)、原発性のがんが出来ていたことが認められました」。こちらのがんのステージはどうなのか、これからの診察でわかる。写真は、京都御苑にて。秋もいよいよフィナーレだ。
2022.11.21
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値上がり続出の昨今。それを反映してか、ネット上の主婦向けサイトには「食費〇〇円で1ヶ月やりくりする方法」なんて記事がさかんに載っている。ぶっちゃけ、低所得層の我が家も、その中身には大いに、いや、状況が状況だけに、「大いに」をはるかに超えて興味がある。とは言え、療養しないといけない家族を抱えている環境においては、残念ながらほとんど参考にならない。基本、無農薬、無添加、かつグルテンフリー。所得そのものが高くない我が家に、この縛りでは、必然的にエンゲル係数は高くなる。いや、別にオーガニック何たらにこだわっているわけではなく、まして自然派を気取っているつもりは毛頭なく、まさにイノチがかかっているからそうしているだけなんだけど。もっとも、コンソメなど各種の出汁もぽん酢もドレッシングも手作りするようになって感じた。「基本素材さえしっかりしたものを使えば作るのにさほどコストがかかるものではない」とね。としたら、やはり私のやり方に問題があるわけで、工夫の余地あり?ただ、スープ1つとっても、夫のために「玉ねぎをしんなりするまで炒め、輪切りした人参なりさつまいもなりゴボウなりの根野菜を加え、ベジブロス(野菜の皮や根など、本来なら捨てる部分を煮つめて作ったスープ)で30分煮、冷ました後にミキサーにかけてなめらかにし、プラスした豆乳と共に再度温め、必要に応じて塩胡椒(私の体験ではほとんどない。ベジブロスが出す野菜本来の美味しさで十分)」の方式で作り続けてきたのを私も飲んでいたら、それまで時折り飲んでいた市販のスープが、リキッドにしろ粉末にしろ、何となくではあるものの人工的な味に感じられてきた。いや、「何となく」ではないのだろう。市販スープは原材料以外に、防腐や利益のため、様々な要素をプラスしていて、そのぶん、「本来の味」を犠牲にしている部分もあるのだろう。もっとも、スープを1から作るのは、忙しい世帯には無理だしな、、、。写真は、京都御苑にて。
2022.11.20
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大腸がんで10時間半もの手術を受けた夫が退院して、今日で12日目。まだまだストーマの扱いには、注意が必要ね。昨夜も、異変に気がついて深夜に目が覚めた時には、排便パウチの方が風船みたいに膨らみ、パンパンだったとか。何より腹痛。料理好きな夫は、昨日も近所の魚屋で買ってきたアジを造り用におろし、さばいた残りはレンジで骨せんべいを作って食べてご機嫌だったのだが、前回のサバを食べた時同様に、、、。また、当分は辰巳芳子氏考案の「しいたけスープ」のお世話になる可能性が高い。しいたけスープ。精進料理風のこのスープを、私も夫の入院期間中に2度いただいた。知らず知らずのうちに様々なストレスがたまっていたのだろう。極めて深刻な胃腸障害をおこしてお粥さえ口にしたくなくなり、手持ちの干し椎茸と出汁昆布、梅干し(食べた後の梅干しの種でもよい)で作ったのだ。作り方は簡単。1時間ほど水につけた椎茸と昆布を、戻し汁とと共に、梅干しまたは梅干しの種を加えて40分蒸すだけ。立ち上る香りそのものからして、「これぞ元祖和風スープの極みだね」と、感激に包まれた至上の時を過ごすことが出来るが、時間がかかることと材料費が割高になってしまうこと、この2点がネック(素材がシンプルなぶん、その素材にはこだわらないと美味しくない)。ただ、夫にも退院後、何度か作ったが、私同様に「飲むと不思議に元気が出てきた」そうだから、効能は期待できるだろう。ともあれ、腸を切ったのだ。消化能力は落ちているはず。ここをふまえ、食欲と食事量とのバランスをとる「実験」は、これからも続くだろう。写真は京都御苑にて。
2022.11.19
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(注)11月15日に書いた記事。自らのがん闘病を公言しているミュージシャンの坂本龍一が、インタビューで、「若い頃は、暴飲暴食や徹夜など、ムチャをしていたが、中年以降は周りに健康オタクと呼ばれるくらいに身体のことには気をつけていた。その自分ががんになるなんて、当初は信じられなかった」と語っていた。もっとも、がんに限らず、いや、病気に限らず災害やら事故やら家庭内の難事やら、すべての「災」はそんなものなのかも。勝ち組そのものの晴天人生を歩んでいた人が人生の黄昏時になってとつぜん台風に見舞われた。こんなケースもあるから。トランプのババ抜きゲームに例えたなら、ババを引いてしまったのだ。重要なのは、それへの対処の仕方。ここで初めて、その人が生きてきた軌跡が、考え方も含めて問われる。写真は、京都駅にて。落ち着いたら、暖かい南国に行きたいね、と話している、、、障害者手帳を交付されたら、JRを利用する時も特典があるしね。
2022.11.19
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(注)11月15日に書いた記事。11月も半ばを過ぎた今日、12月に予定されている仕事は、今のところ7日。経済面を考慮すれば、あと3日は欲しいが、まあ、もうヨシとしようか、今年は。それより、夫婦共々、少しずつ「日常」を取り戻すことに力を入れよう。10時間半にも及んだ夫の手術から、明日で丸1ヶ月。各方面でのダメージは、想像していたよりずっと少なかったが、もちろんゼロではない。例えば、退院日の翌日(8日)、もとは非常なきれい好きである夫は、さっそく自室の掃除にとりかかったが、「だるい」と、半日でダウン。その日の残りを布団の中で過ごすことになってしまった。医療保険や金融関連の機関に赴いた時も同様。途中で体力が続かなくなって、タクシーで帰宅したこともある。食事もそうね。腸を切り取り、その短くなったぶん消化能力も落ちるから、内容も量も今までと同じというわけにはいかない。妻の私も、明らかに細かい疲労が蓄積している。と言うのは、つい先日、夫の障害者手帳交付申請行為の一環として区役所まで足を運んだ際、区役所前に並ぶプランター内に咲き誇るハイビスカスの赤い色(写真)を、一瞬、「重い」と感じたから。赤は私の大好きな色の1つで、いつもなら元気をもらうのに、、、。幸い、牛歩のごとくではあるけれど、夫の症状はゆるやかに回復。少なくとも気持ちは、来月からの復帰に向けて早くもはやりつつある。私も心しよう。
2022.11.19
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(注)11月14日に書いた記事。直腸がんを患った夫が、肛門と前立腺および膀胱を摘出する手術を受けた夫が退院して、今日で1週間。リハビリで歩行と階段の上がり下り、プラス腸と膀胱につないだ2つのストーマ(人工肛門と人工膀胱)交換も自力で出来るようになってこその退院。もともとマメで、ほぼ自分のことは自分でする人だったこともあり、妻の私の負担は、驚くほどない。それでもねえ、、、。手術前より腸が短くなったことと関係があるのか。少し脂身が多いとされる魚、具体的にはサバを食べただけで昨日からひどく下し、2日目の今日の夕方、ややマシになった。まだストーマの扱いに慣れていないこともあって、一度は薄氷ものになった、、、万が一、布団やマットレスに、ストーマからあふれた便や尿がもれた事態をご想像下さい。スムーズに日常を送るまで、しばらく時間がかかりそうだ。
2022.11.19
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(注)11月12日に書いた記事。50代の終わり頃より、くしゃみやセキをすると、その反動で尿漏れをするようになった私。ある時、ひどい風邪をひき、絶え間なくくしゃみとセキが出、トイレに間に合わなくなり、そこにいたるまでの廊下に漏らしてしまったことがあった、、、山科(京都市東部)に住んでいた頃だから、7年か8年前か。きれい好きの夫は激怒。面と向かって、人格を誹謗するような言葉を発した(ただ、夫の偉いところは、そうやって怒りながらも後始末はきちんとしてくれたこと。私は発熱もしていたので)。時が経ち、大腸がんを患い、自らの意思なく頻繁に便漏れするようになった夫。「こんな身になり、あの時の、漏らしたくないのに(尿を)漏らしてしまうお前の悲しみが初めてわかった。キツいこと言って、ごめんな」。こんなもんだ、人間は。病に限らず、災害でも事故でも夫婦間や親子間などの家庭問題でも政治的な諸々でも介護でも、その当事者になってこそ、初めてその悲しみ苦しみがわかる。だとしたら、我々にせめてもの出来ることは、ただ一つではなかろうか。「その人の気持ちに寄り添う」。それは、もしかして、こういうこと?「私はあなたではありません。だから、あなたが現在受けている悲しみや苦しみは、あなたが感じているようには、つまり、本当にはわからないでしょう。でも、私はあなたと一緒にいますよ。いつでも、どこでも、あなたを気にかけていますよ。あなたの幸せを、心より、祈っていますよ」。
2022.11.18
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(注)11月11日に書いた記事。どうこう言っても、お米は日本人の心の故郷。1957年生まれの私が子どもだった頃に比べると、パン食は比較にならないくらいに普及した(しかもパンそのもののバリエーションも豊かになってきている。私の少女時代には、少なくとも農村や地方のちょっとした町ではパンと言えば食パンか給食に出てくるロール型のパンが主で、あとはあんパンなどの菓子パンやサンドイッチ、せいぜいホットドッグくらいしかお目にかかることがなかった)し、パスタ(昔はスパゲティと言っていたな)をはじめとする麺類も然り。それでも、そんな令和の時代においてさえ、少量の塩とともに手のひらサイズに握って海苔を巻いたおにぎりに親しみを覚えない日本人は、世代を問わず、ほとんどいないのではないかと想像する。故郷ゆえ、こだわり(好き嫌い)が生じる。「米どころ出身の私が食べてきた米は、もっとまったりとした風味だった」とか「私は〇〇米でないと食べられへんねん」とか。心象風景も含めて、「故郷」とは、そんな偏狭さをも内包するものだ。とは言え、ほぼ20年デモンストレーターをしてきて、米の宣伝販売も数限りなくこなしてきた私には「日本人が美味しいと感じる米」には、一定の共通点があると感じられる。それは、ズバリ、「粘っこさ」。もっちりとした粘り気があり、食べると、口中に米本来の甘味がふんわりと広がる。これが、基本中の基本路線。ここに、粒の光沢感や形の美しさ、ほのかに漂う香があれば、尚よし。地方に方言があるように、米にもそのお国ならではの風情がある。仕事絡みではあっても、日本各地の米を実際にカラダで体験出来るということは、幸せなことだね。写真は、典型的なおにぎり(Wikipediaより)。
2022.11.17
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(注)11月10日に書いた記事。一昨日は、大阪府内北部で、ブランド新潟米の新米のデモ。販売数も、「爆発的」とまではいかないにしろ、よく売れた。嬉しいねえ、、、。デモ中、あらためて感じたこと、多々。アップしようと思いきや、昨日は頭も身体も重くてたまらず、なんともならなかった。ここ半年の諸々のの疲れが一度に出てきたのか?とりあえず、今日は少なくとも昨日のようなどよんとした感覚は五官のどこにもないので、これからアップしていこうと思う。
2022.11.17
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著名な翻訳家のさくまゆみこ氏はコロナ禍を機会に、都会を離れて木曽の山中に移住。現在は空き家だった小さな家に住み、広い畑を借りてじゃがいもや枝豆やきゅうりなどを育てている。そのさくま氏、エッセイ(「Apro No.531」に掲載)中で、こんな趣旨のことを語っていた。野菜作りは面白いけれど大変だということがわかってきて、店に行くと(都会で暮らしていた時とは)異なる感想を持つようになった。「えっ、なぜトマトやナスがこんなに安いの? 都会にいる時は少し値上がりするとなぜこんなに高いの? と、腹を立てていたのに」。これ、わかりますよね?きゅうり1本でも、食べるのは数分。でも育てて収穫するまでは発芽から数えても2ヶ月ほどかかるから、その何万倍もかかるのだ。値段を話題にする前に、自然と生産者に感謝して、いただきたい。
2022.11.05
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(注)昨日、書いた記事。さて、土曜日の仕事の件。日にちが迫った今なお、指示書も資材も届かない。そもそも、販売商品を使って何を作るかも不明。派遣会社に火曜日に電話をかけ、今回の仕事を派遣会社にまわしたエージェント、Aに聞いてもらったら、そこの社長、「僕も知らないんですよ。エージェントのBがうちに仕事を持ってきたし、指示書や資材はそこがデモンストレーターさんの自宅に送ることになっていますので。Bに聞いてもらえますか、エヘヘ」。あまりに無責任な発言ではなかろうか。社長はBに聞く義務があるし、派遣会社は、Aにもっとバシッと言う責任がある。実は、これと似たことが日曜日の現場で発生し、現場にいるデモンストレーターだけがすべての責任を負って走り回らねばならず、それでも業務をどうにか終え、疲労困憊して帰宅した。派遣会社によると、Bなるエージェントは、「とにかくやることが遅い。いつもギリギリで行動する」。それをあらためてくれるよう提言しても、常にモゾモゾ。結局、BもAも「コロナで仕事が少なくなった中、こちらは仕事をとってきてお前ら派遣会社やデモンストレーターに回してやっとるんや。ガタガタ文句を言うな! こちらは仕事を出す立場。お前らはもらう立場やがな」のスタンスでいるのだと思う。何よ、これ?確かに向こうは仕事を「出す」立場で、私たちは「もらう」立場。出してくれる側が存在しなければ、もらう側も存在しない。でも、そのもらった仕事を実際にこなしてフィードバックしているのは、他ならぬ私たちだよ。どちらが上か下かではない。立場は対等のはずだ。こんなケース、他の業界でも多いんだろうな。親会社と子会社、大手企業の下請け、その他。で、こういうノラリクラリなところほど、予期せぬハプニングがおこっても、課題は末端にいる現場の人間に丸投げするのだ。
2022.11.04
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