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ラマ2世期に築かれたラーチャブリー城壁をこの目で見られて満足した私は、城門を通った道をさらに北へと歩いて行きます。奥に見えてきましたよ。さらに歩くと、ラーチャブリー県柱廟です。県柱(ラックムアン)とは、かつてムアン(たいていが城壁で囲まれた町)を新たに建設する際に、まずその中心や縁起の良い場所に建てた柱のことです。バラモン教の影響ですが、家を建てる時にまず柱を建てることに倣った風習のようですね。ここの県柱は、ラマ2世がラーチャブリーの町を対岸から移転させた際の1817年に建てられました。それから城壁や町を整備したのだそうで。かつてのムアンが現在では各県の中心部になっていることが多いことから「県柱」と訳しましたが、県になれず他の県に組み込まれたムアンにもラックムアンが残っているところがあります。そのため例えばプーケット県には4つもラックムアンがあったり。軍の敷地内なので商業施設はお供え物の売店以外皆無にもかかわらず人がひっきりなしにやって来ます。それだけご利益があって信仰されている存在ということなんですね。内部を覗きましょう。県柱(ラックムアン)が金箔をびっしり貼られた姿で建っています。県柱というと、柱の下には人柱が埋まっているという話をよく聞きますよね。確かにいくつかの県の県柱にはそのような伝承が言い伝えられています。バンコク都のラックムアンもにも4人の男性が生き埋めにされたという話を聞いたことのある方も多いかもしれませんね。バンコクはラマ1世期(1782年)とラマ4世期(1852年)の2本のラックムアンがあり、いずれの際も儀式の詳細な手順を記した文書が残されていますが、そこには四方から集めた石と護符の石版を穴に入れてから柱を建てたとしか記述がないんです。他の県のものも人を埋めたという公式記録が残っているところはありません。プーケット県史に妊婦を埋めたとの伝承が記載されてはいますが。単なる言い伝えだけであってほしいものですね ^_^;)そもそもラックムアンを建てる風習はいつからタイにあったんでしょう?ちょこっと調べてみました。13世紀のスコータイ朝時代から続く風習との記述を見かけます。でもバラモン教自体は当時すでに伝わっていたものの、ラックムアンに関しては書物でも物的な面でも明確な証拠はないようです。国内最古とされているペッチャブーン県のラックムアンは石碑で、1021年にクメール文字で記されたサンスクリット語の「シヴァ神を讃える内容」と、1516年にクメール文字で記されたタイ・パーリ・クメール語の「仏教に関する内容」という2つの時代に文字が刻まれているのですが、元々は県内のお寺に建っていたもの。それを1900年に移設してラックムアンとしたんです。じゃあスコータイ県のラックムアンは?かのスコータイ遺跡の中にあるんですが、ラマ6世期の1907年の遺跡調査で、四方の柱に囲まれた遺跡の中心の穴から不鮮明な模様が書かれた石版を発見。ゆえにここにスコータイのラックムアンがあったと推定されたことから現在、スコータイ県のラックムアンになっています。うーん、それじゃアユタヤ県のラックムアンはどうだ!?アユタヤ王朝年代記には初代王ラーマティボディー1世が1350年にアユタヤを建設したと記されていますが、ラックムアンを建てた具体的な記述はありません。1767年にビルマの攻撃で陥落した後ずっとアユタヤにラックムアンは無し。1982年になってラタナコーシン朝創始200年記念行事として現在のラックムアンが建てられたのです。ここまで見た限りでは、現チャックリー朝(ラタナコーシン朝)が始まった18世紀後半以降に建てられたものばかりなんですよ。でも全ての県のラックムアンを調べたわけではないですし、証拠がないだけでスコータイ朝時代から本当にラックムアンの風習があったのかもしれませんよね。さてさて、そんなラックムアンの参拝を済ませたので、また対岸に戻りましょう~。近くには軍の詰所が。สห というのは「憲兵」の略称。おぉ、なんだか怖いのでさっさと去ることにします ^_^;)西側に出て国鉄線路に沿った道をメークローン川へ向けて歩いていると、左手にわかりますでしょうか?新しい壁の裏側にぴったり張り付いてレンガの壁が続いているのが。これ、さっき見た城壁の続きなんです。で、ここで終わっています。西端ってことですね。この先はというと、道を挟んだ向かいに国鉄南線の盛り土が。今見た城壁は南側城壁で、西側城壁はたぶんあの盛り土の場所にあったのでは?ラマ5世期の国鉄線路建設で取り壊されたんじゃないかな。そんな気がします。で、そのラマ5世のお名前が冠されたチュラロンコン橋を再び渡り対岸へ。見どころは見尽くしたので帰ることにしまーす。最初の歩道橋を渡ったその下にバンコク行きロッ・トゥー乗り場があるんです。他にメークローン川沿いのラーチャブリー国立博物館近くにもありますが、こっちの業者が私は一番好き。お姉さんからチケットを購入して待ちます。すると何分と経たずにロッ・トゥーが現れました。なんとラッキーな!時刻は、13:12。車内で爆睡しているうちに1時間ほどでバンコクの南バスターミナル前を高架道路で通過。でも2016年10月25日から乗り場が強制移転になった今では、このロッ・トゥー路線も南バスターミナルが終点なんでしょうけど…。この時はまだ移転前だったので、戦勝記念塔近くのセンチュリーに戻ってきました。時刻は、15:14。これにて今回の旅も完結です。水瓶ケーキ(ケーク・オーン)を食べることが目的だった今回の旅ですが、歩いて見聞きしているうちに予想以上にディープな旅になっていました(笑)最後までお付き合いいただきありがとうございました!次回は、バンコクの西はずれにあるミュージアムを訪ねる旅をお届けします!<旅費交通費>ロッ・トゥー:100バーツここまでの合計:210バーツ<参考>『タイ事典 』,日本タイ学会,めこん,2009年เที่ยวราชบุรี.com "ศาลเจ้าพ่อหลักเมืองราชบุรี"สารคดี "พิธีฝังคนทั้งเป็นในหลุมหลักเมือง"MGR Online "ศาลหลักเมือง” ความศักดิ์สิทธิ์ในความแตกต่าง"เรื่องเล่าชาวเมืองสยาม "เรื่องเล่าเสาหลักเมือง"ペッチャブーン県文化評議会議長ウィソン氏facebook "เสาหลักเมืองเพชรบูรณ์ ศรัทธาและคุณค่าทางประวัติศาสตร์ !!"※旅は2016年5月28日(土)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/02/27
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「アーティー・コーピー」を後にしました。時刻は、12:24。ラーチャブリーに着いてから4時間近く経っています。さあ、今度こそラーチャブリー城壁へと向かうぞ!まず向かったのは、またしてもメークローン川渡し船の船着場。対岸にいた船が私に気付くと向かってきてくれました。ありがとうございます~。でも船を往復させて稼ぎはたった5バーツってことですか。きっと陸軍から補助金が出てるんでしょうね。そうじゃないとやってられないと思います ^_^;)対岸の陸軍工兵局パーヌランシー基地内船着場に到着。階段を上がって、川沿いの道を東へと歩きます。人っ子一人いませーん。で門を出て振り返ってみると、詰所に警備兵の姿がないぞ。陸軍基地がそんなにユルくていいのか?(笑)ちなみに正門はこの右手の方にあります。そのまま真っ直ぐ歩いてチュラロンコン橋の下をくぐります。どうやらあちら側も基地の敷地内ってことみたいです。ちょっと先の左手に工兵博物館なる施設が現れました。が、今日は休館日のようです。裏手の四つ角にある詰所で警備兵のおじさんに尋ねると、外から見る分にはいいとのこと。では裏側から柵越しに軽く眺めてみますか。屋外には工兵局が使用した様々な重機が展示されてました。ブルドーザーにショベルカー、モーターグレーダー、クレーン車とかそういった工事用車両のようですね。建物内には工兵局の歴史や業務、国民への支援の様子、歴代重要人物の略歴などが展示されているみたいです。ちなみに工兵博物館は1969年設立、手狭になって現在のかたちに拡張されたのが1984年とか。で、屋外展示はここ以外に路地を挟んだ北側にもあって、そこにはなんと蒸気機関車と客車が展示されてました。工兵局との関係性やいかに?と思ったら、やはりそう首をかしげる見学者がいるのか、案内板に説明が書かれています。工兵局はラマ5世の時代から国鉄路線の建設にトンネルを掘ったり、線路を敷設したりと従事していたんだそうで。蒸気機関車は1918~24年の間にイギリスのWeak Poor & Beyer Peacock社で製造された車両で、オランダが蘭領東印度(現インドネシア)で使用していたのを太平洋戦争時に日本軍が接収してタイへ運び使用していたものだとか。感慨深いものがありますなー。としみじみ眺めていて何気なく奥へと視線を移したら、あ、あれは!!思わず小走りに近づきます。あったーーーー!ラーチャブリー城壁だ!!修復が多少されているみたいですけど、歴史を感じさせる痛み具合がいい感じで素晴らしい!先ほど訪れたラーチャブリー国立博物館のパネル展示によると、ラーチャブリーの町は元々メークローン川のさっきいた側にあったのをラマ2世(在位1809~1824年)年が戦略上好ましくないとの理由でこちら側に移転させたのだそうです。とは言っても200×800mの敷地という狭さ。この城壁は、その当時に築かれたもの。その後、海を渡ってきた華僑らがメークローン川対岸に住みつき、商売を始め賑わうようになったため、再度あちら側に町が移って現在のラーチャブリーになったというワケです。つまりコイキー市場が町を向こう岸に引き戻したってことですか ^^町がもぬけの殻となったお陰で、町の発展の中で破壊された他の町の城壁と違い、ラーチャブリーの城壁は残ることができたんですね。軍の基地が置かれたことも幸いしたんでしょう。城壁がどこまで続いているのか東へ辿ってみることにします。隣の敷地には軍の独身寮らしきアパートが建設中だか改修中だかでごちゃごちゃしています。その裏にも続いてますね。寮の敷地の東端まで来ました。お、ここで城壁が終わってる!この右側にはフェンスがあってその向こうには細い運河があります。しかし今にも崩れ落ちそうな荒廃っぷりだな。足元にも城壁のものと思われるレンガがゴロゴロと。こっちの辺りも修復してくださいな!今度は蒸気機関車のあったところから西側へと辿ってみます。隣のテニスコートが終わると縦に道が通っています。その道を北へと歩くと、ん、城門?通って振り向いてみると、確かに城門だ!でも傷み具合の違いなどから見て、城門は後世に作り直されたものっぽいですね。これじゃ門の役割を果たしていないし。実はラーチャブリー国立博物館のパネルには、ちゃんと扉のある城門の写真があったんですよ。最近改修されてこの姿に変えられちゃったのか、はたまたまだ他に城門が残っているのか。いつかもう一度調べにくる必要がありそうですなー。<旅費交通費>渡し船:5バーツここまでの合計:110バーツ※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/02/20
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ベトナム・コーヒー店「アーティー・コーピー」に今度こそ向かいますよ~!ラーチャブリー国立博物館を出た目の前はメークローン川。川に沿った道を左へ歩いて行きます。ほどなくすると、正面突き当りにお寺が見えます。あそこがワット・チョンロムだな。水瓶ケーキ(ケーク・オーン)を買った店「バーン・カノム」のご主人が道を教えてくれたとおりです。右手の並びにあるはず…。というかもうこの手前の建物がそうでした(笑)上部に水瓶ケーキにもあった顔のイラストが掲げられてますね。アーティー・コーピー(อาตี๋ โกปี๊)漢字で「大廣頼」とも。ん? 「バーン・カノム」には「勝長頼」と書いてありましたね。左右逆に読んで「頼」が姓で両方とも名前なのかな?よくわかりませ~ん ^_^;)そんなことよりも私が狂喜したのは、左ののぼり。なんと「カイガタ」と書いてあるじゃないですか!こりゃあ食べないわけにはいきません。入ってみますか。エアコンがなくシーリングファンがいくつも天井で回っている店内。カウンターはこんな感じ。店主らしきおじさんに一人ですと告げると、「一人だろうが何だろうがどこでも座っていいよ」と軽く突き放されつつ、まあそんなもんだろうと気にせず着席。席から逆側を眺めてみると、ほお、棚には昔のおもちゃや道具が陳列されています。レトロな雰囲気を醸し出そうとしているのが伝わってきますね。渡されたメニューを見て、カイガタ 49バーツと当初の目的のベトナムコーヒー 40バーツを注文。どうもアーティー・コーピーは朝食がメインの食堂って感じみたいですね。サンドイッチから、お粥、カイガタ、ゆで卵、点心、パトンコーにバクテーまでメニューには載ってます。タイ、イサーン、マレー、欧米、中華となんでもありですね(笑)さすがエスニックグループのるつぼラーチャブリー。しばらく待ったらやってきましたよ!この写真の中にもイサーン、ベトナム、南タイ、中華系が同居しています ^^おまけにティッシュ入れが水瓶ケーキと同じ竜柄水瓶の容器が流用されてるし~。まずはカイガタ(鍋焼き玉子)。うーん、ニンジンが入っているせいで味の調和が崩れている気がする。この数日前にバンコクで「カイガタ食べ歩き」をした際にブログで目玉焼きの上にクンチアン(ソーセージのようなもの)とムーヨー(ハムのようなもの)がのっているだけの素朴な味が本来のカイガタだという旨を書きました。でもその後調べてみると、地方や店ごとに様々なトッピングのバリエーションがあることがわかったんです。中には目玉焼きではなく玉子焼きなところもあるんだそうで。でもなあ。それでもニンジンはないだろうというのが私の個人的な感想です ^_^;)気を取り直して本来の目的だったベトナム・コーヒーをば。ちゃんとアルミフィルターが乗っかって出てきたのが嬉しいですね~。底の練乳と混ぜて飲んでみます。うん、こっちは美味しいぞ。濃すぎずにちょうど良い塩梅ですよ。そしてお茶がセットで出てくる南タイ式もポイント高し。薄すぎて味がよく分からないのですがたぶん烏龍茶です。でもそんなお茶でも飲むと気分がほっとしてこのまましばらくお茶を飲みながらぼーっとしていたい気になりました。この店、以前はコイキー市場のチュラロンコン橋近くにあったんですよ。2013年4月に訪れた時は閉店してて「近日中に新装開店」との垂れ幕が架かってたんですが、その後ここに移転して再オープンしたってことなんですね。「バーン・カノム」の系列店ということで、ここでも水瓶ケーキ(ケーク・オーン)を販売しています。ラーチャブリー国立博物館の見学後や近くのロッ・トゥー乗り場からバンコクへ帰る前にベトナム・コーヒーだけ飲みに立ち寄るには良さそうなお店ですね。さて、ラーチャブリー城壁へ向かうぞ!<情報>アーティー・コーピー(อาตี๋ โกปี๊)営業時間:毎日6:30-16:30地図:グーグルマップ詳しくは、公式facebookページ(タイ語)参照。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:105バーツ※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/02/13
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ラーチャブリー名物水瓶ケーキ(ケーク・オーン)の店「バーン・カノム」で教えてもらった系列のベトナムコーヒー店「アーティー・コーピー」への行き方のとおりに歩いて行きます。メークローン川沿いのコイキー市場より西側にあるそうで、川に出て左へと進んでいくと左手にあ、そうか。ラーチャブリー国立博物館があったんだっけ。以前来た時にはあいにくの閉館日で入れなかったんですよ。せっかくなので入ってみますか。この建物、元々はかつて置かれていたラーチャブリー省の省庁舎としてラマ6世時代の1922年に建てられたものなんだそうで。1983年から博物館として使われています。どうりで戦争ものの映画に登場する昔の役所っぽい建物だなと思ったんですよね ^^入口で入館料を支払います。「20バーツ」とのことなので何の疑いもなく払ったら、後でウェブサイトで確認したところ「外国人100バーツ」との記載が。後の祭り。ま、いっか。荷物は持ち込み不可なので、すぐの部屋にカバンを預け、預かり札を受け取ります。カメラはOKだそうで持っていくことに。中庭を囲んだ「口」状の建物に従って時計回りに回って行きますか。ラーチャブリーの地理を概説する部屋の次は、先史時代のコーナー。出土した2~3千年前の土器や装身具の展示と人骨発掘のパネル展示がされています。そんな昔から人が居住してたんですね。次の部屋は3~4世紀の「扶南」の次に栄えた6~11世紀のドヴァーラヴァティー朝時代。ドヴァーラヴァティー文化を感じる出土品が展示されています。私が行きたいと思っているクーブア遺跡もそうですが、ラーチャブリー県内にはこの時代の遺跡や遺物が出土した場所が数多くあるということを展示から知りました。次は11~13世紀のクメール朝時代の部屋!が、期待ほどは展示品が多くなかったです。こんな手に触れられるかたちで無造作に展示されているのがタイらしくていいですね ^^でも興味深い事実をパネル展示から知りました。航空写真に写っている縦長の遺構、実はクメール統治時代の都市を囲む堀と土塁の跡なのです。クメール朝のジャヤヴァルマン7世(在位1181~1220年頃)がアンコール遺跡の一つプリヤ・カーンに遺した碑文に記された「ジャヤラーチャブリー」という都市がここだと推定されています。曲がりくねりつつもほぼ「L]字なのがメークローン川で、この博物館の位置はちょうどその曲がる角あたり。なんだ、歩いて行ける距離じゃないですか!今度ラーチャブリーに来たら見に行ってみま~す。中庭に面した回廊に出ると、ん? クーブア遺跡の模型かな、たぶん。次のスコータイ朝&アユタヤ朝時代の部屋には、スコータイ朝ラムカムヘン王時代のかのラムカムヘン王碑文(1283~92年頃と推定)にもラーチャブリーの名が刻まれているとの説明がありました。またナコンサワン県で出土した同時代の碑文にもやはりラーチャブリーの名が見られるんだとか。結構歴史があるんですねぇ。トンブリー朝時代の部屋の次は、現王朝のラタナコーシン朝時代の部屋。このパネルにまたもや狂喜!なんと城壁の写真じゃないですか!ってことは、城市だった時代の城壁が現存しているってこと!?城壁マニアの私としては見逃すわけにいきません!(笑)今日必ずこの目で見てやるぞ。そしてチュラロンコン橋を訪れた時に説明しましたが、メークローン川に架かる国鉄南線鉄橋の開通式(1901年)にラマ5世が行幸された時の写真です。上から2列目の左から2枚目に当時のチュラロンコン橋が映っています。これは、「省の剣」なのだそうですよ。なんでもラーチャブリー省が置かれていた時代の1916年にラマ6世が行幸された折、下賜されたのだとか。各省に剣があったんでしょう。でも地方自治の省制はこのラマ6世時代に廃止されちゃったんですけどね。次の部屋は、ラーチャブリー県内のエスニック・グループ展示でした。パネルによると、ラーチャブリーは国境県でもあることからエスニック・グループのるつぼとなったんだそうです。県内には、タイ系、中華系、黒タイ族、ベトナム系、モン族(モーン)、カレン族、ビエンチャン・ラオ系、元クメール・ラオ系の8種族が居住しているんだとか。各種族の来歴や文化の展示があるんですが、これはそのうち「黒タイ族」の展示。ラオスにかつてあったルアンパバーン王国とベトナムとの中間あたりに元々は居住していたのが、度重なる戦争を避け難民として散り々に。タイ領内に流入したグループは、時のトンブリー朝タークシン王によりラーチャブリー南隣のペッチャブリー県に住まわされます。が、その後も次々と流入してきてペッチャブリー県を溢れ出た黒タイ族の一部がラーチャブリー県内に移り住んだのが始まりとのこと。元クメール・ラオ系も、かつての戦争では侵略地の住民を自国にごそっと強制移住させるのが常だったんですが、クメールとラオの間を強制移住で行ったり来たりした末にタイに連れて来られた人達の末裔のようです。それで3つの言語がごっちゃになった特異な言語を話しているんだとか。どの種族も数奇な運命を辿ってラーチャブリーに居住するようになったんですね。このガラス板には、見づらくてすみませんが、ラーチャブリー県の「県の標語」(カム・クワン)が刻まれています。韻を無視してざっくりと訳すと、ポーターラームの美人 バーンポーンの麗人竜柄水瓶の中心市街 影絵のワット・カノーン目を見張る美しい洞窟に ダムヌーン水上マーケット億のコウモリに夢中になり 良魚イーソップの住む処てな感じです。おっ、竜柄水瓶は、やはり県の誇りなんですね!ちなみにイーソップは、タイガーバルブっていうコイの仲間の魚のようです。続く文化遺産の部屋には、籐製品が展示されています。そういえば2010年の「バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅」で訪れたバンコクのタラート・プルーで触れたことがありましたね。タラート・プルーがかつて水上マーケットとして栄えていた頃、ラーチャブリーから特産品の籐製品が舟で運河づたいにタラート・プルーまで運ばれ売られていたんです。メークローン川→ダムヌーンサドゥアック運河→ターチーン川→パーシーチャルーン運河→バンコクヤイ運河…というルートに違いありません。竜柄水瓶だっ!!これらが昔ラーチャブリーで生産されていた本物の竜柄水瓶なんですね。実物を初めて見ることができて、思わず感動です(笑)前々回にラーチャブリーの竜柄水瓶の歴史を解説しましたが、パネル展示によると最盛期には水瓶工場が50か所もあったんだとか。あと中国から渡ってきた焼き物職人が1933年にラーチャブリーで初めて開いた焼き物工場は名称を「タオセンリー」といったそうです。「現在のラーチャブリー」の部屋は県内産業の紹介なのですが、このパネルの中央の写真は、バーンポーンのバス車体工場ですね。2009年に当ブログで触れたことがあるんですが、太平洋戦争中、県内のバーンポーンには泰緬鉄道建設の基地として日本軍が駐留していたことから、軍用車両の修理技術が雇われていたタイ人に伝承されたのが元で、戦後に国内最大の車体工場集積地となったんです。タイのテレビ番組にバーンポーンの車体工場オーナーがその旨を語ってくれている部分があるので貼っておきますね。タイ語ですけど02:17あたりです。一周して見尽くしました。いやぁ、ラーチャブリー国立博物館は、軽い気持ちで立ち寄ってみたら予想外に面白かったですね。大いに勉強になりましたし!中庭を囲む回廊になっている造りが、コロニアル風というかレトロかつ優雅な雰囲気を醸し出していていいですね~。入口に戻り、カバンを返してもらいつつ、男性スタッフに尋ねてみました。ラーチャブリー城壁ってどこにあるんですか?「基地の中ですよ。県柱廟の近くです。」よっしゃ、行くぞ!!でもその前にアーティー・コーピーに寄らねば ^_^;)<情報>ラーチャブリー国立博物館(พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติราชบุรี)場所:グーグルマップ休館日:月・火曜日、公休日開館時間:9:00-16:00入館料:タイ人 20バーツ、外国人 100バーツ<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:105バーツ※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/02/06
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