2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全26件 (26件中 1-26件目)
1

今日からは、今回の旅について色んな角度から振り返ってみようと思います。第一回目は、パートナーとして今回の主な持ち物を紹介します。 何といっても、一番世話になったのがこのバックパックです。これは、以前勤めていた会社を退職する際に、餞別として頂いたものです。カリマーというイギリスのブランドのもので、しかもブラックは格好良くて欲しいなーと思っていました。そして、会社の同僚が自分の好みを選ばさせてくれたので、しかも世界一周に相応しいサイズとしてこのバックパックに決まりました。最大で何と約95リットルも収納出来るという、トップクラスの大きさです。とにかくデカいです!ダウンジャケットや寝袋はもちろん、ありとあらゆる衣類、多種多様なガイドブック等が全て簡単に入ってしまいました。子供はもちろん、小柄な大人でもパッキング出来てしまう大きさです。欧米人のバックパックもデカいですが、私のも相当デカいです。今回の旅で、私のバックパックよりデカいのを持っていた日本人旅行者は皆無でした。デカいのは何でも入れることが出来て都合がいいことは確かなのですが、やはり難点もあります。何といっても重い。。MAXでオーストラリアの国内線・メルボルン-ブリスベンをヴァージンブルーという航空会社を利用した時に、チェックインカウンターで22kgもあることが判明しました。ラッキーなことに、ヴァージンブルーの預け荷物の重量制限は、何故か25kgだったので超過料金を払わずに済みました。でもさすがに、中国の昆明で、駅から40分も歩いて安宿まで行ったときには相当疲れましたが。。。(当時は推定17kg)あと、肩から背負う部分がやたらとゴッツくて、背負うときに何度か自分の腕を引っかいてしまったり、ある時は腕時計のベルトを引きちぎってしまいました。。それからは、ベルトの片方が取れた状態で使っていましたが、最終的に何故かミャンマ-からバンコクに戻ったときに失くしてしまいました。。まあビックカメラで買った、1000円位の安物だったので諦めはつきましたが。それでも、このバックパックにはかなり世話になりました。今回の旅を、このバックパック無しに語ることは出来ません。さて、次はバックパックと同じくらい世話になった、サブバックこと貴重品が入った手荷物用バックです。 確か、結構前に無印かどっかで買ったものですが、これがまた使いやすいのです。ブラックだから汚れも目立たないし、前掛け出来るので非常に安全です。それにメインスペースと、さらに前後にサブスペースが付いていて、しかもメインスペースの中にもサブポケットがあるので、かなり役に立ちました。パスポートや現金・航空券類の最重要ポシェットや、ペットボトルの水、デジカメやガイドブック、ペンやメモ帳、折り畳み傘やウォークマンまで、一通りの必要品が納まりました。寝るときも、枕元に置ける大きさですし、いざとなれば抱えて寝ることも出来ます。彼のおかげで、何の被害もなく旅を終えることが出来ました。ちなみに、キーホルダーは乗ったこともない、ガルーダインドネシア航空のものです。格好良かったから、つい買ってしまいました。次に、彼らを紹介します。 115日間、洗いもせずに、臭くても履き続けたプーマのスニーカーです。こいつは、とても軽くて、しかも足にピタッとフィットする優れもので、メチャクチャ歩きやすいのです。何かあったら、快足を飛ばして走れるし、一度この味を占めてしまうと、他メーカーのスニーカーなんて履けません。それぐらいの逸品です!!右のサンダルは、ベトナム・フエで買いました。日本から持ってきたサンダルは、何故か大理の宿で失くなってしまったので。。こいつも、次第に履き慣れてきて、快適に歩くことが出来ました。 続いては、寝袋です。これは、弟が買った新品のものを借りてきました。春秋用なのでそれほど防寒効果はありませんが、今回の旅では十分なくらい活躍しました。ある時は防寒対策に、ある時は南京虫やダニ・蚊対策として。。この寝袋も非常に役に立ちました。寝袋の上に乗っかっているのは、ミャンマーで買ったロンジーです。ブルーとブラックのチェックが気に入りました。 最後に頂き物です。(笑)ご覧の通り、エミレーツ航空の毛布とヘッドフォン、ユナイテッド航空の毛布です。エミレーツのロゴが格好いいので、毛布は予め狙っていました。あと、たまたまですが、ヘッドフォンのイヤフォンジャックが、体外は飛行機内用だと2つなのですが、エミレーツの場合は汎用タイプの1つ口で、こりゃーウォークマンやコンポから使えるなーと、頂いてきました。ユナイテッドのやつは、成田から香港行きの機内でも頂いて、しばらく使っていましたが、ブリスベンの空港でバックパックの軽量化のため、捨ててしまっていました。別にいらなかったのですが、ついつい頂いてしまいました。。(笑)ちなみに、デザインはエミレーツに断然軍配が上がりますが、暖かさはユナイテッドが勝っています(笑)良い子の皆さんは、もし頂くなら気づかれないように頂いて下さい(笑)考えようによっては、かなり価値のあるお土産ですよね。エミレーツ航空なんて、なかなか乗る機会はないと思いますし。。ちなみに、エミレーツ機内で、3枚ほど毛布を羽織っていた中国人のおばちゃんは、飛行機を降りる時に、アテンダントに向かって、毛布頂戴よー。と頼んでいたようですが、 それは差し上げられませんわー。という感じでアテンダントに丁重に断られていました(笑)
2006.02.28

昨夜は本当に良く眠れました。あんなに爆睡したのはいつ以来でしょうか、記憶にありません。。やっぱり日本だと何もかも安心出来ますね。いつものくせで、貴重品が入ったバックは枕の隣りに置いて寝ましたが。。 ここカオサン東京の個室からは、隅田川が目の前に見えます!あいにく、ドミトリー(2200円)が満室だったので、今回は初めて個室に泊まりました。(私の場合3700円) かなり狭くて、特大な私のバックパックを通すのに苦労しましたが、綺麗な2段ベッドの部屋からは隅田川と、うんこのオブジェで有名なアサヒビール本社が見えます。 そして、地下鉄の浅草駅から3分くらいで、雷門も5分とアクセスは抜群です!ネットも無料で使えるし、冷蔵庫やホットシャワー、ウォッシュレットトイレやTV付リビングも使えます。かなりお勧めな宿です。成田空港からも1時間半弱と、観光地浅草という立地のおかげで外国人を中心に賑わっていました。 個室のある3階のフロアです。さらに洗濯物が干せる、結構広い屋上もあります!11時のチェックアウトの時間になり、バックパックを預けて外出しました。 目指した所はもちろん雷門と浅草寺です。雷門前には、人力車の若い客引きや、外国人と国内からの観光客が大勢いました。そして、私は初詣をするために、雷門をくぐって浅草寺まで歩いていきました。 浅草寺に何のご利益があるのかは知りませんが、この際ですので、ここで初詣を行いました。5円や50円玉がなかったので、111円をお賽銭として放りました。これからの旅の成功や、家族と自分の健康を祈願しました。そして、近くにあったおみくじを引いてみました。すると、な、ナント、何と。。。 旅行:見合わせましょう願望:叶いにくいでしょう病気:長引くでしょう待ち人:現れないでしょう結婚・付き合い:見合わせましょう・・前略・・・しかし、今まで見えていた月にも霞がかかり、迷いも生じてくるでしょう。・親しき友と別れることがあり、しばらく悲しみを含んだ物思いに心が沈むでしょう。・無事ではいるものの、くよくよと嘆き悲しむ事が多いので、気持ちを切り替えましょう。はっきりいって、かなり当たってしまっていますが、最悪です。7つあるうちの4番目の半吉ですが、内容は凶に等しい感じです。過去形になりますが、確かに今年の初めから、アクシデントが続いていました。旅行も、見合わせましょう だなんて。誰が見合わせるもんか!!!おみくじでも当たってしまいましたが、過ぎてしまった良からぬことは水に流すとして、旅行やその他は、おみくじを信じずに、気合で乗り切ろうと心に決めた次第です!!おみくじを真摯に受け止め、且つ謙虚に、地道に日々を過ごしていけば、やがて好転していくでしょう。おみくじも、そうフォローしていました。(苦笑)浅草駅への帰り道に、美味そうな立ち食い寿司屋をみつけました。OH-!!美味い!700円分だけ食べて帰りました。そして、電車を乗り継ぎ、埼玉県の実家に帰宅しました。電車の中でたくさんの若い女性を見かけました。やっぱ、日本人の女性は綺麗だなーー。でも化粧が濃すぎるし、ファッションは立派だし、金かけてるなぁーって感じでした。また、外回り中のサラリーマンも結構見かけましたが、ふ、太りすぎ!と感じました。酒の飲みすぎか、イイもん食いすぎか。。軽くカルチャーショックを受けました。。でも、日本が一番!!最寄り駅から、特大のバックパックを背負い、自宅まで歩きました。池袋から電車で30分の、30万人都市に住んでいますが、まだまだ田園風景も残っています。しかし、年々田んぼも減ってきて、また新しい家が建っていました。月日の流れを感じました。ともあれ、無事に帰宅致しました!!
2006.02.24

遂に、この旅最後の朝を迎えました。心くんに借りた目覚まし時計で6時半に起き、A22のバスに乗り空港へ向かいました。 今回の旅の始めには、このユナイテッド航空のマイレージ特典で、無料の航空券を使って香港インしました。ということで、最後もこの飛行機で成田へ向かうはずでした。飛行機は、定刻通りに滑走路に向かっていました。ところが、モジモジしていて、なかなか走ろうとしませんでした。そんな状態が続き、何のアナウンスも無いまま、まるで、私の旅を終わらせたくないような如く、1時間ほど滑走路で停止していました。もちろん、乗客は訳も分からず、シートベルトをしたまま固まっていました。やっと、アナウンスが入りました。当機の第一エンジンのバルブが故障している模様で、このままターミナルに引き返して、修理を行います。。そんなことを言っていました。そして、修理は45分くらいの見通しでした。のろのろとターミナルに引き返しました。一層のこと、フライトキャンセルになって、ホテルでも手配するか、他社便に振り替えてくれれば。。。そんな願いは、叶うはずもなく、1時間後にやっと離陸しました。今度はどうやら、ちゃんと飛んでくれそうです。出発が遅れ2時間も機内で缶詰にされた挙句、出発日のような悪夢が再現された日には。。。と、その時の自分史上最悪なフライトを思い出していました。しかし、ユナイテッドの対応は良くありません。Sorryという単語は一度も耳にしませんでしたし、アテンダントも誰一人侘びもしませんでした。笑顔もほとんどなく、確かにアジア系のアテンダントが多かったのですが、サービス精神には欠けまくっていました。おまけに、シートピッチ(前の席との間隔)はかなり狭く、昨日乗ったエミレーツの半分くらいに感じました。私は、無料航空券を使っているから仕方ないと割り切るとしても、お金を払ってユナイテッドの航空券を買おうとは考えられないくらいです。実際のところ、今回の旅行で初めてユナイテッドの国際線を使いました。提携しているシンガポール航空などで、主にマイレージだけ貯めさせてもらい、唯一去年の10月に、ロサンゼルス-ラスベガス間を往復した時にユナイテッドに乗ったものです。成田空港には、16時頃に着きました。イミグレーションまでの道のりでは、空港の外を眺めていて、確かに飛行機がたくさん並んでいましたが、心のどこかで、ここは成田空港ではなく、他の国の空港であって欲しいような気持ちでした。見ようによっては、ど田舎にある成田空港は、他のアジアの空港に感じるのかもしれません。そんな妄想の中、日本人 と書かれた入国審査の列に着いてしまいました。メガネをかけ、いかにも役人といった感じの、無表情なおばさんやおじさんが入国審査をしていました。次は、問題の荷物検査です。90リットルの日本人離れしたバックパックを持っている私は、色々と調べられるのではないかと思っていました。しかも長期旅行だし。。別にヤバいものは、もちろん一切持っていないのですが、こんな所で時間がかかってしまったら面倒です。どちらからですか??私は、ちょっと若目で、人のよさそうな検査官を選んで、彼にそう聞かれました。香港とタイです。(もっとたくさんありますが。。。)タイと言った瞬間、ちょっと質問が多くなりました。しかも、2度も入国しているので。。パスポートを念入りに調べられ、ラオスとミャンマーに入国したことも発覚しました。土産物は絵葉書だけだと答え、タバコも一切吸わないし、現地に知り合いもいないし、荷物運びも頼まれていないし、大麻や薬物も興味ないしと。。。手持ちの小さなバックだけ念入りに調べられました。やっと、検査を終え公衆電話を探しました。もしもし、ショータローくん?電話したのは家族ではなくて、自称ビンラディン、又はインターナショナルニートくんこと、たまにコメントを書いてくれているショータローくんでした。彼とは中国の成都で会い、お互いに旅ブロガーとして、アメリカ好きとして意気投合し、旅の最中もお互いのブログを気にし合い、連絡を取っていました。バンコクで再会か、というタイミングも僅かにずれ、今回は、明日のビーマンでバンコクへ再出発という彼と、間一髪タイミングが会い、久々に再会して浅草で飲むことになったのでした。そして、私はカオサン東京という浅草にあるゲストハウスを予約しました。19時過ぎに、彼とカオサン東京で再会しました。 そして、ゲストハウスが最近オープンさせたバーに行って、お互いの再会と旅の無事を祝して乾杯しました。 宿泊者は最初の1杯が無料で、他は全てオープン記念価格で333円でした。彼は、次の旅行のために立派な一眼レフデジカメを購入していました。久しぶりに、お互いの旅話で盛り上がりました。彼は、若かりし頃にアメリカへ留学し、日本のくだらない大学など行きもしなかったのですが、その後、某外資系PCメーカーの営業マンとして稼ぎ、21才にしてはとてもしっかりしていて、熱いハートを持った旅人です。間違いなく、大学に行っているような同世代とは、いい意味で違います。(ちょっと、おやじ臭いとこも見え隠れしてるかもしれませんが、ご愛嬌ということで 笑 )そんな彼は、明日から失業保険を貰いながら、旅を再開します。http://ameblo.jp/international-neet/そして、締めは世界に誇る日本食の代名詞、寿司を食べに行きました。浅草は夜が早いらしく、21時過ぎなのに1軒しか回転寿司屋が開いていませんでした。久々に魚を、しかも生の刺身を美味しくいただきました! 自称・インターナショナルニートくん(ビンラディンな写真を見たい方は、彼のブログから探してください 笑 )彼を、つくばエクスプレスの駅まで見送りました。そういえば、こんな立派な鉄道も開通していました。お互いの旅の無事と、再会を願って別れました。遂に、日本に帰国しましたが、今のところ実感があまりありません。しかし、無事に今回の旅を終えることが出来てホッとしました。
2006.02.23

今朝は、和豊くんに起こしてもらい、8時半に宿を出ました。タクシーでファランポーン駅まで向かい(57バーツ)列車の切符を探しました。9時半の列車があるというのを事前に知っていて、それを買おうとしました。すると、空港があるドンムアンまでは211バーツ、という答えが返ってきました。思っていた金額より、桁が1つ増えてしまい、唖然としました。。数十バーツで行けると思っていたのですが、よりによって特急列車のようでした。和豊くんは、235バーツでアユタヤまでの切符を買いました。私はタクシーで空港まで行くか迷いました。迷った挙句、列車を選びました。各駅停車の3等なら5バーツで空港まで行けるようですが、タイミングが悪過ぎました。たまには、ガラガラの特急列車で空港まで行くのもいいのかもしれません。 女性のアテンダント付き列車 立派なエアコン付きの車内ドンムアンまでは45分くらいで着きました。最初はガラガラだったのですが、途中駅から意外にも金持ちタイ人が結構乗ってきました。女性のアテンダントが2人いましたが、何をするわけでもなく、ケータイで電話したり、2人でしゃべっていました。空港に着くと、エミレーツ航空のカウンターでチェックインしました。ミャンマーから戻ってきて、最後の楽しみがこのフライトに乗ることでした。 ドバイからバンコクへ飛んできたエミレーツ機UAE(アラブ首長国連邦)の航空会社で、あまり馴染みがないと思いますが、実はゴージャスなフライトで有名なのです。シンガポール航空で、成田-シンガポール-ドバイ-カイロというルートでエジプトに行ったことがありますが、その時に寄ったUAE・ドバイの空港が半端なくゴージャスな空港でした。壁には、たいまつの炎がなびいていて、高級ブランドショップがずらり。高級車もドカンとショッピングエリアに置いてありました。そして、トイレの水はホット!流れる水がホットなのです。しかも、個室には大きな後の為に、ホットシャワーで綺麗に出来るのです。日本線は成田発が就航していなくて、関空発になりますが、その場合は結構高額です。しかし、バンコク-香港間は別で、総額で5400バーツ(約16,200円)とかなりお買い得でした。キャセイパシフィック航空やタイ航空よりも安いのです。しかも、私が持っているユナイテッド航空のマイレージにも加算出来るので、これ以上ない条件でした。 空港ロビーでフライトを待つアテンダント機内に入ると、ガタイのいいアラブの男達が、既にたくさん乗っていました。 シートに座ってみると、前の席との間隔がとても広く感じました。そういえば、結構大きな機体の割には、最後尾は50列でした。60列以上あってもおかしくありませんが、やはりガタイのいいアラブの男達のために、シートの間隔をかなり広くしているようでした。久しぶりに見たアラブの男達はデカく、ポーカーフェイスで出発を待ったり、席に座るのが疲れたのか、表情一つ変えずに立ちつくしている人が結構いました。 機内食のプレートはこれまたデカイものでした。味は普通でした。また音楽やゲーム、映画を楽しめるパーソナルTVも付いていました。日本の曲も流れていたり、説明書に日本語で書かれていたのを見つけたときにはビックリしました。少しだけ残念だったのは、私の周りに中国人がたくさんいて、いつものごとく雰囲気をボカしてしまったことです。おばちゃんたちはガヤガヤうるさいし、毛布を空席から3枚くらい持ってくる人もいたりして、中には、アテンダントに普通に中国語で頼みごとをして、中国語は話せませんので英語でお願いします。。と半ばあきれ気味に言われていました(苦笑)彼らは、世界中の誰もが中国語を話せると思っているのでしょうか??ちょっと興味深かったのですが、アテンダントは、インド系やアジア系、白人といったアラブ圏以外の人種が多かったです。乗客も、アラブ人女性はほとんどいなかったような。。やはり、ムスリムの女性はあまり外に出ないようですね。香港に到着すると、ラッキーハウスというこの旅の始まりに世話になった宿へ電話しました。ラッキーハウス聞き覚えのある、宿のおじさんが応答しました。空きがあるのを確認して、エアポートバスA22に乗ってジョーダンの上海街まで向かいました。(39HK$) (写真は10月当時のもの。右下のベッドで地獄を味わった。。。)そして、食中毒で苦しんだベッドは空いていなかったので、その上のベッドを選びました。宿の中で、チャリダーが自転車を整備していました。話しかけてみると、これから3年くらいかけてチャリで世界一周をするとのことでした。 彼の名前は、伊東心くんです。夕食はマックに一緒に行って食べました。地元福岡の西日本新聞に記事が連載されていたり、富士写真フィルムからフィルムの提供を受けたりと、なかなかの役者ぶりです。彼も私も、旅行業界に籍を置いていたこともあって、話が盛り上がりました。 私が大理で会った、スーパーチャリダーの安東さんとも面識があるようでした。心くんも、この旅が成功すれば彼以上なスーパーチャリダーの称号を得られるかもしれません。そして、お互いのブログアドレス等を交換しました。再び旅に出る私と彼は、ひょっとしたら再会の可能性もあるかもしれません。旅の最後に、なかなか良い出会いでした。
2006.02.22
今日は、一日中大したことはしませんでした。朝起きてみると、胃が痛くて胸焼けがしました。1階の食堂で朝ご飯セットを食べると、再びベッドに戻りました。15時前にようやく体を動かしました。といっても、カオサン付近をフラついただけですが。夕食を食堂で食べ終えた頃、はるかさんが戻って来ました。彼女とは昨日たまたま、2階のマンガや雑誌が置いてある休憩スペースで会ったのですが、聞いてみると、今日はインドの地球の歩き方を買うことが出来なかったとのことでした。彼女は、オーストラリアのワーホリをしていて2年目に突入したのですが、タイとインドを1ヶ月ほど旅行するそうで、この度バンコクにやって来ました。昨夜は、お互いのオーストラリアの話や、彼女がブリスベンからシンガポールまでエミレーツ航空に乗ったそうで、明日には香港行きのエミレーツに乗る私とは話が盛り上がりました。私は、たまたま昼間にカオサン裏のお寺近くのストリートショップで、インドの地球の歩き方の古本を見かけていました。そのことを彼女に伝えると、一緒にそこまで行くことになりました。しかし、残念ながら22時前だったので、昼間とは違うお店になっていて、買えませんでした。明日の朝に買えることを願って、他の本屋を探し歩きました。結局は、インドの地球の歩き方を見つけることが出来なかったので、宿に戻りました。そして、彼女が持っている他のガイドブックを見ながら、インド情報を教えてあげることになりました。昨日、空港からカオサンまでタクシーをシェアした和豊くんは、明日はアユタヤに行くとのことでした。交通手段を決めていなかった彼ですが、話の流れで、列車で途中まで一緒に行くことになりました。私は、ドンムアンという空港がある駅まで乗り、彼はその先のアユタヤまで乗るというわけです。タイにまだ慣れていない彼は、私と途中まで一緒に行くことが出来て、嬉しかったようです。そんな彼は、今朝2件ほどのアクシデントに見舞われていました。一つは、チャオプラヤー川で超悪質なボートの乗ってしまい、何と5000バーツも巻き上げられたとのことです。実は、この手の詐欺は有名で頻発しているようです。先日会った女子大生二人組みもやられていました。。もう一つは、昨日会ったポーランド人のおじさんと朝日を見る約束をしていて、実際に待ち合わせてみたら、相手はゲイだったと。。。素直で人の良い彼なのですが、何とも残念なことが起こってしまいました。今後は、トラブルなく旅を続けて欲しいと願います。さて、特に何もしなかった一日でしたが、事実上タイでの最終日になりました。長旅なので、最後だからと時間を惜しんで観光とか、活動しまくることはしませんでした。バンコクには、結構な日数いましたが、カオサンから出たのは1日のみ。写真もほとんど撮っていません。恐らく、長期旅行者は私と同じように、そんな感じなのかもしれません。実は、酷使していたかもしれない体をいたわってあげました。さて、明日は今回の旅の出発地・香港へ1泊だけ戻ります。明後日には日本です。。
2006.02.21

今日は、ミャンマーを去りバンコクへ戻る一日でした。当初は、少し早めにバンコクへ戻りたくて、19日か18日に航空券を変更しようとしましたが、満席で出来ませんでした。今思うと、色々とヤンゴンで楽しめたので、それで良かったと感じます。宿を出発する前には、仲間やオーナーと写真を撮ったり、連絡先を交換したりしました。東京ゲストハウスには11泊もして、約$80も投資した形になりますが、とても居心地がよく、ナイスなメンバーに恵まれていたので、十分に楽しむことが出来ました。色んな意味で、今回のミャンマー旅行が素晴らしいものとなった要素として、東京ゲストハウスの存在が半分かそれ以上のウエイトを占めていたといっても間違いのないところです。 ロンジーとミャンマーTシャツの後ろ姿。今回の旅で結構痩せたのと、Tシャツがやや大きいので、若干アンバランスに見えます。。宿の仲間と金子オーナーに見送られ、タクシーで空港へ向かいました。(4000チャット) これがヤンゴン国際空港の全国際線チェックインカウンター本当は乗りたかったミャンマー国際航空。希望日が満席だったので断念しました バンコクエアウェイズ ヤンゴン国際空港私は最後尾の窓側に座り、他に最後尾は誰もいなかったので、ゆったりとバンコクへのフライトを楽しみました。そして、バンコクへ到着すると、気のせいでしょうか、かなりホッとした気分になりました。入国審査待ちの時に、東京からシンガポール航空で来た和豊くんに声をかけ、タクシーを相乗りしてカオサンへ向かいました。タイが初めてだという彼は、かなり嬉しかったようです。高速を使って、30分であっという間にカオサンへ着きました。この味をシメてしまうと、空港からカオサンまではタクるしかないです。カオサントラベラーズロッジは運良く空いていました。夕方の17時頃だったので、あまり期待していなかったのですが、ラッキーでした。こうしてミャンマー旅行の幕が下りました。期待通りの旅を楽しむことが出来ました。ヤンゴン11泊、バガン3泊という、あれっ!?という感じですが、とても充実した旅でした。またいつの日か、ミャンマーへ!?
2006.02.20

前日の2月18日分はこちら今日は、明日のバンコクへの移動を控え、実質ミャンマーでの最終日になりました。今までの、のーんびりとした滞在が嘘のように、かなり動き回った一日でした。まずは、昨日来たばかりのムラコウさんと、新婚カップルさんとボーチョーアウンサンマーケットへ行きました。ムラコウさんは、36才に見えないくらい若々しく、アフリカや南米が好きで、仕事の休みを取ってはよく行ったそうです。自営の仕事なので、休みが1ヶ月ほど取れるらしく、なかなかいいなぁーと思いました。4人でタクシーに乗りマーケットへ行きました。(1000チャット)新婚さんは挙式のの衣装探しに、私は土産物を探しました。Tシャツが欲しかった私は、何件かチェックしてデザインやサイズを選びました。時間をかけたのですが、気に入ったのは1枚のみでした。黒のTシャツで、白でミャンマーの形と、ビルマ語と英語でHAVE YOU BEEN TO MYANMAR ?と書かれた、私が探した中では一番カッコイイと思われるものでした(2500チャット)このマーケットで、バンコクのカオサンで知り合ったタカくん(バンコクから一緒にミャンマー入りした、彼とは別人です)とバッタリ会い、雑談をしているうちに、彼と連れの友達がミャンマーのディスコに行っていないので、今夜私が連れて行く話になりました。また、私がトイレに行きたかったので、新婚さんのミャンマー人女性に連れて行ってもらいました。有料だったのですが、いいよいいよ!と言って、前払いしてくれた50チャットを受け取りませんでした。その後は、新婚さんとは別行動になり、我々はムラコウさんの希望でミャンマーレストランへ行きました。 私が食べたチキンカレー美味しかったのですが、カレーの量が少なすぎでした。。それから、サクラタワー20階にあるカフェに行きたかったのですが、日曜日はやっていませんでした。その後は宿に戻り、Hさんと3人でまた日本語学校に行きました。しかし、今日も休講でした。仕方がないので、学校近くの路上喫茶店でティーを飲んで帰りました。夕方に、私が気に入った美容院に行きました。Hさんと見てみたいとのことで、一緒に来ました。前回と同じく、シャンプーと顔エステ、マッサージのセットを頼みました。 マッサージがかなり上手かったので、前回と同じ18才の女の子にやってもらいました。今回も前回と同じく、かなりリフレッシュ出来ました。前回よりも長い、1時間半くらいかけてくれました。(2500チャット)その後は、一人でゴールに行きました。 日本で一稼ぎしたいアンレン君。なかなかのイケメンだけど、彼女いたことないようです。。美味くて安いチャーハンとミャンマービールを頼みました。そして、アンレン君とまた色々と話をしました。最後には世話になったお礼を言って、少しばかりのチップをあげました。そして、ホワイトハウスホテルに行って、待ち合わせをしていたタカくんたちと合流して、近くのディスコに行きました。いつものように、3人の我々が席に着くと、15人位の女の子に囲まれ媚を売られました。お構いなしに3人でビールを飲みながらダンスフロアを眺めていたり、雑談をしていると、いつの間にか彼女たちはどこかへ散らばっていきました。2時間半くらい席にいました。途中で、気分が悪くなってしまい、次第にヤバくなってきて仕方なくトイレに行きました。悪臭のする個室に入ると、吐くのは容易でした。。吐いていると、トイレ専属のボーイが背中や腰をほぐしてくれました。タイガービールが口に合わなかったのか、胃腸が弱っていたのか、疲労が蓄積していたのか、ゴールではジョッキ1杯のみで、ディスコでも缶ビールを半分飲んだだけでした。冷静に分析した結果、普段ビールや紅茶さえもほとんど飲まない私が、毎日のようにビールを飲んで、毎朝と昼間にも紅茶を飲んでいたので、胃が悲鳴を上げていたのは間違いありません。コーヒー紅茶は、胃が痛くなるので普段はほとんど飲まないのです。せっかく食べた、ゴールの美味いチャーハンも吐き戻してしまいました。。まあ、たまにはこんな締めもありかなと。。でも、色々と動き回って楽しい一日には違いありませんでした。
2006.02.19

今日は、午後に日本語学校に行ってみましたが、日本人の先生の体調が悪く、休講になってしまいました。生徒達はドアの貼り紙を見て、残念そうに帰っていきました。 ミャンマーではビタミンが摂取しづらいので、スーパーで見つけたポッカの野菜ジュースを買って飲んでいます。(約700チャット) 路上の古本屋で見かけた日本の教科書。2年1組ささきよういちろう君のが使ったものです。。夜は、宿に泊まっている新婚さん2人と串かつ亭に行きました。2人とも、美味しい日本料理と立派な店内を気に入っていました。この新婚さんなのですが、日本人のヒロさんとミャンマー人女性の国際結婚カップルなのです。2人は中国の昆明で中国語学校で出会ったらしく、今月中に彼女の出身地であるマンダレーで挙式するそうです。ヒロさんは、4年も日本に帰っていない35才のちょっと変わった面白い人です。頭はスキンヘッドに刈り込んでいるので、最初は仏教関係の人かと思ったのですが、そうではないようです。大阪出身なので、たまに変なことを言うので面白い人です。結構、浦島太郎状態になりつつあって、それ古い!!という突込みが何回も必要でした。彼女の方は、華僑の家庭なので顔も中国系です。いつもニコニコしていて、亭主関白のヒロさんを支えています。そして、よく中国語で話しかけてきますが、私はほとんど理解出来ません。。小柄な2人はなかなかお似合いで、しょっちゅう口げんかをしている姿が微笑ましい感じです。そして、2人の会話は中国語で行われています。彼女がタイビザと日本ビザを申請・取得するのに手間がかかったようで、2週間ほど東京ゲストハウスに滞在しています。そして、見事に3ヶ月滞在可能な日本のビザが取れました。しかも爆安の約160チャット!!(約15円です)ちなみにタイのビザは$20か$30だったと言っていました。私は、ミャンマーにいる大部分の間を東京ゲストハウスに泊まっています。ミャンマー人男性と日本人女性、日本人男性とミャンマー人女性の2組に囲まれて、なかなかいい雰囲気です。なので、彼らから幸せを分けてもらえそうです。というか、幸せな人といると、(期待を込めて)それが伝つるような気がします!!
2006.02.18

今日は、Hさんと一緒に日本大使館へ行きました。彼女は、ミャンマー人の日本ビザ取得に必要な書類の一覧用紙や、質問を大使館員にしていました。私はというと、世界一安い!!と数少ない人のみ知る、ミャンマーでパスポートのページを増強することにしました。Hさんと共に必要書類に記入し、パスポートを差し出し10分くらいしてから分厚くなったパスポートが返ってきました。 以前の状態ですと、インドビザと所有者である私の住所氏名等が書かれたのが最終ページでした。ご覧のように、インドビザの後にS-1頁から始まって40頁ほど増補されました。見た感じでは、ざっと厚さが倍くらいになったように見えます。そして、お会計は 138チャット ($1=約1130チャット)何と、日本円にしておよそ14円前後でパスポートが40頁も増やせました。夜は一人で、ゴールに行って軽く食事をしました。すると、例のVIPが突然来店して私のテーブルにやってきました。いつものように、ルー大柴をさらに小柄にして、色黒にしたような彼の真顔で握手をしてきました。とりあえず飲めよ!みたいな感じでミャンマービールを出してくれました。彼はどうやら2人の男性秘書というか手下を連れてきていました。傲慢な態度で2人に頼みごとをしていました。いつものように、テーブルの上にあるトイレットペーパーで顔を拭いて、手鼻をかみ、ビールをジュルジュルと飲んでいました。特に会話も無いので、そこには微妙な空気が流れていました。しばらくして、私が既に自分で食べていた料理やドリンクも含めて、彼が全て払ってくれたようです。アリガトウゴザイマ!彼はそれだけの日本語のみ発しますが、末尾のスを毎回言わないので、かなりウケます。ルー大柴ばりのギョっとした顔と共に、思い出すだけで一人笑いしてしまいました。次に店内にいた、ゴールの日本人オーナー松本さんと飲みました。彼は50代後半(推定)にしてミャンマー人の若奥さんと再婚しました。28才の彼女も同席したので、彼女とは少しだけ英語で会話しました。なかなか綺麗な彼女は、彼のミャンマー語の先生だったらしいようです。オーナーには、ゴールというビアレストランを立ち上げた話から、従業員の給料や、従業員との問題、お店の経営方針や従業員とのコミュニケーション、ミャンマー社会(表と裏)の実情、等など色々と熱っぽく語ってくれました。彼は、昔は単なるエロオヤジだったらしいですが、今はしっかりとした信念を持ってミャンマーでビジネスをして、従業員とも家族的な雰囲気を作って、頑張ったら報いてあげたいと話していました。もちろん、奥さんのためにも夜遊びはしないと言っていました。彼ら夫婦は、串かつ亭に移動しました。私も宿に戻り、Hさんを誘って彼らと再合流しました。いろいろな話が聞けて、とても有意義な夜でした。
2006.02.17

前日2月15日分はこちら今朝は、8時過ぎに宿で依頼していたタクシーに乗り、バガンの空港へ向かいました。 4000チャットとかなり高額な割には、たった10分足らずの距離でした。見た目は結構立派なバガン空港に着くと、係員がバックパックをタクシーからチェックインカウンターまで運んでくれました。 ヤンゴン行きの航空券は、ゴールデンミャンマーゲストハウスで数日前に予約していました。エアーマンダレーで$75と思っていたよりは若干安かったです。エアーバガンという航空会社が新しく設立されたようで、その分競争原理が働いたようです。ちなみにエアーバガンは、J100というジェットの機材を所有しているようで、土曜日ならジェットのヤンゴン行きに乗れたようです。ジェット機なら1時間ジャストでヤンゴンに着きます。エアーマンダレーやヤンゴンエアー等、ほとんどはプロペラ機なのでたったの600km位の距離なのに1時間20分もかかります。ちなみにこれは、バンコクエアウェイズのバンコク-ヤンゴン間と同じ時間になります。 さて、エアーマンダレーのカウンターでチェックインしました。預けるバックパックは、係員がどこかへ手で運んでいました。どうやら私の飛行機はマンダレーから飛んで来るようです。本日のフライトスケジュールが書かれたホワイトボードにはM-B-R と書かれていました。Rはラングーンというヤンゴンの別名称の頭文字です。 ボーディングパスは、このように無記名で日付や時間も書かれていませんでした。しかも、パスポートチェックやIDチェックは全くありませんでした。定刻は9時20分のはずでしたが、同刻のヤンゴンエアーの乗客のみが搭乗を開始して、我々は取り残されました。マンダレーからの到着が遅れたらしく、結局は10時前に離陸しました。パゴダが見える席は右側だと聞いていたので、右側の通路よりの席の最後尾に座りました。約70人乗りの機内は欧米人客を中心に満席でした。思ったよりパゴダは見えませんでした。機内はいつも通り寒いのかと思っていたら、エアコンがほとんど効いていなくて暑いくらいでした。。 間もなく軽食のサービスが始まりました。ドリンクとカステラとフルーツデニッシュが配られました。後ほどヤンゴンの宿で食べたのですが、美味しかったです。ヤンゴンには無事到着しました。ほとんど揺れることもなく、快適なフライトでした。発展途上国の国内線を利用するには、少々の身のリスクを考えますが、やはりミャンマーではエアーマンダレーが無難かもしれません。チェンマイからヤンゴンとマンダレーに国際線も運航していて、時期にバガン-バンコク間も就航の予定があるようです。 飛行機を降りて、おなじみの神奈川中央バスのお古だと思われるバスに乗り、ターミナルへ移動しました。空港からはシェアタクシーに乗りました。(3000チャット)私ともう一人ミャンマー人が乗りました。東京ゲストハウスへ戻って来ました。日中はネット屋に行った以外はのんびりしていました。夕食はHさんと一緒に日本料理屋の串かつ亭に行きました。私は、豚カツミニ丼とミニうどんのセット(1500チャット)、串かつとジャガイモの串を頼みました。(各350チャット)評判通り、串かつは絶妙な味でした。値段も良心的で、味も確かなので通いつめそうな感じです。Hさんとはトントンくんのことについて話しました。特に問題なかったらしく、もう他の男と出かけない約束をしたそうです。トントンくんが思っていたことを、Hさんにも伝えてあげました。4月くらいまではオーバーステイしながら彼と一緒にいたいようです。
2006.02.16

朝、外に出てみると、数種類の楽器の演奏とともに、行列が見えました。宿の日本語が出来るスタッフに聞いてみると、子供が小僧になる儀式を行うらしく、お寺に向かう行列が見えました。 みんな随分と立派な衣装を着ていました。なかなか見ることの出来ない光景が見られてラッキーでした。さて、今日も自転車を借りました。午前中はニャンウーの町の東側に向かい、エーヤワディー川の船着場に行ってみました。ここはマンダレーからのフェリーが着く場所でもあり、乗った人の話では、エクスプレスフェリーは快適で良かったとのことでした。まずは、ボートに乗らないかと客引きに声をかけられました。いらいないよ、というと明日空港まで行くなら俺のサイカー(自転車の横に更に2人分の椅子を付けた乗り物)に乗らないか、と言ってきました。私は、宿でタクシーを頼んだよ(4000チャット)、というと俺のサイカーなら1500チャットでいいよ、と売り込んできました。確かに安いので一瞬心が動きました。でも、よく考えてみると20kgもあるデカいバックパックを積むには、余りにも小さな荷台だし、朝から凸凹道に30分も揺られたくないな、と思い彼のオファーを断りました。彼はしぶとく、3000チャットでタクシー出すよ、と言ってきましたが断りました。たかが10分足らずの道のりで、タクシー代が4000チャットというのは、かなり高過ぎですが、宿の主人がノーマルプライスだよ、と言ったように、後に確認しましたが、空港の看板にも4000チャットと書かれていました。ヤンゴンなら、ダウンタウンから空港より更に先に行ける値段(40分位の距離)ですが、バガンは極端に車が少なく、仕方ないといったところです。彼らから離れた後は、船着場近くの集落を自転車でうろうろしてみました。すると、私に気づいた子供たちや大人までも好奇心を持ったような表情で、こちらを見ていました。中には、ハローと声をかけてくれる人も結構いました。 地下水なのか、単なる溜め水なのか分かりませんが、水を汲んでいました。 若奥さんと子供この家庭に招かれました。おばさんや近所の人が手招きで、どうぞどうぞ、家に上がってて下さいみたいなジェスチャーを笑顔いっぱいでしてくれたので、中に入ってみました。写真は公開しませんが、その家は馬小屋と馬車置き場、小さなテーブルと狭い寝床があるくらいでした。どうぞ座って下さい、と通されたテーブルも、すぐ脇には馬のえさが入ったバケツが置いてありました。馬小屋と家が一緒になったような粗末な家でしたが、そんなことはお構いなしに、招いてくれたことが嬉しかったです。特に何の差し出しものはありませんでしたが、気持ちだけで十分でした。少ししてから彼女たちに別れを告げ、再び自転車でうろうろしてみました。すると、帰宅途中の小学生の集団に遭遇しました。カメラを構えると、あっという間に少年少女に取り囲まれてしまいました。 ハロー!!オヮツ ユア ネーム!?写真撮ってよ、撮ってよ!!見せて見せてー!と大騒ぎになりました。 男の子?女の子?すぐ近くのどこかの国のように、ペン!チョコレート!!ルピー!!何て言わないところがミャンマーっ子の素朴なところです。 一番右の女の子は9才なのに、見事な英語を話していました。将来有望です。ここバガンでは、ヤンゴンよりも人々が素朴で、とてもフレンドリーな感じがしました。観光地化が進んでいるようですが、まだまだ素朴な人々も多いようです。夕方には、ミンガラーゼディパゴダに行ってみました。このパゴダもシュエサンドーパゴダと並んで、パゴダから見える景色が素晴らしい所です。 パゴダを登る階段が壊れかけていて、ちょっと登りづらいものでした。 ミンガラーゼディパゴダからエーヤワディー川を望むサンセットの時間が近づくと、シュエサンドーパゴダに移動しました。ここでは昨日と同じように、綺麗なサンセットを楽しむことが出来ました。相変わらず大勢の観光客がいましたが、日本人個人旅行者は私だけでした。ツアーで来たようなおばちゃんたちは何人か見かけましたが、まだまだミャンマーを訪れる日本人個人旅行者は少ないのでしょうか。今晩も熱々のお湯に浸かって疲れを癒しました。日本食レストラン富士で食べた豚汁定食も美味しかったです。
2006.02.15

今日は、バガンに無数あるパゴダを見学しに行きました。ゴールデンミャンマーゲストハウスで自転車を借りました。(700チャット)ちなみに、ここでは昨日洗濯を頼みました。(Tシャツが50チャット。1週間分で約750チャット)貸し自転車と洗濯は、自分の泊っているピン・サ・ルパゲストハウスだと高めです。(洗濯は1つ200チャット) 遺跡のあるオールドバガンへは、ゲストハウスやレストランが集まるニャンウーというエリアからは、自転車で約40分ほどの道のりです。その道のりは、デコボコな個所や坂が多かったりして、距離の割には時間がかかりました。 自転車をこぎながら、道行く地元の人々や馬車を貸し切っている西洋人観光客の姿が目につきました。そんな中、ちらほらとパゴダが見え始めました。 歩き方等に紹介されているように、幾つか見所的なパゴダがあるようですが、私はまず先に有名なパゴダに登って、そこからバガンの象徴的な風景である無数に点在するパゴダを眺めて見たかったのでした。ちょこちょこと、他のパゴダを見学するのも良いのかもしれませんが、私は真っ先に、バガンに来た目的を果たしてみたかったのです。そのパゴダは、シュエサンドーパゴダといいます。早速、裸足になりパゴダに登ってみました。なかなか急な階段でした。 すると早速、絵はがき売りの少年少女がやって来ました。とりあえず、あとであとでね! と日本語でその場をごまかしました。真昼間だったせいでしょうか。このパゴダには私と、先客の西洋人しかいませんでした。3人の少年少女が、私についてまわりました。私のサングラスをかけてみたり、写真を撮ってくれたり、周りのパゴダを英語で説明してくれたり、私の家はあそこだよ、と教えてくれたり。。 おそらく1時間くらいでしょうか。私は3人をほぼ独占していました。途中で何回も絵はがきを指しては、3人とも10枚1000チャットね!と繰り返していました。すぐに買ってしまうと、子供たちも愛想が尽きて、どこかへ行ってしまうと思いました。じらす格好となったわけですが、なかなか楽しい時間が過ごせました。私は、先に2人の少女がいない時に、少年から絵はがきを買いました。次に少年が親に呼ばれて家に戻った後、親族関係にある2人の少女の年上の方から、全く同じ絵はがきを買いました。そして、その子に頼まれて、年下の少女へと50チャットを渡しました。10枚1000チャット は相場なのか知りませんが、1000チャットはミャンマー人にとっては結構な金額なのは承知していました。でも私は、彼らにその金額で絵はがきを買ってあげる価値がある、と判断したので、その金額や同じものを2セット買ったことについては十分に納得してのものでした。 絵はがき売りの少女(年下の方)事実、その時にパゴダで過ごした時間が、バガンでのハイライトになりました。その後は、エーヤワディー川沿いにある、ブーパヤーパゴダに行きました。 キラリと光るパゴダもさながら、そこから見えるエーヤワディー川も綺麗なものでした。 ニャンウーに戻る途中にランチ休憩をとり、その後は夕方まで部屋で昼寝をしました。夕方になり、夕日を見に再びシュエサンドーパゴダを目指しました。パゴダに登ると、昼間は5人しかいなかったのに夕日を見るためにやって来たツーリストが群れていました。それは、ミャンマーにこれほどツーリストがいるのか!?という位でした。やはり大多数は西洋人の中年層以上のツアー客です。意外なことに日本人バックパッカー、というか日本人は私だけなようでした。そこから見えた、エーヤワディー川の向こうの山に沈んでいく夕日や、薄暗くなっていく中で見渡した無数のパゴダは、素晴らしいものでした。日没後に次々とパゴダの階段を降りていく中、私はイギリス人の若いバックパッカーに話しかけられました。彼は、私が日本人と答えると嬉しそうに、日本語の練習がしたいんだけど、と言いました。私は何でまた??と聞くと、訳があると答え、日本人の彼女がいるんでしょ?と聞くと案の定でした。 パゴダから出ようとすると、昼間絵はがきを売っていた少女(年上の方)と再会しました。昼間見た、汚れて穴の開いた洋服とは大違いな、学校の制服を着ていました。(どっちが本当なんだ??どっちも本当か?)暗い夜道を二人で日本語を中心に会話をしながら、ニャンウーの町まで戻りました。彼は、昨日会ったアメリカ人女性のレベッカと同じで、文教大学の湘南校舎で英語の先生をしていました。そして、海から3分の片瀬江ノ島駅近くに住んでいるとのことでした。セミロングでかなりイケメンな彼は、これからインドに行き、そこで日本人の彼女と合流出来ればいいなぁと言っていました。そして、日本にはずっーといてもいい、とも言っていました。ニャンウーに戻ってからは、彼ともう一人メキシコ人との3人で日本食レストラン富士に行きました。メキシコ人の彼はメキシコの観光庁で働いているとのことでした。20ヶ国近く個人旅行をしてきましたが、メキシコ人の個人旅行者に会ったのは初めてでした。2人はマンダレーからバガンまでのボートで知り合ったようです。それにしても、カツカレーは劇ウマでした!(3000チャット)カレー粉は日本のものを使っているようで、下手な日本のカレーよりも全然美味かったです。なかなか楽しい一日でした。
2006.02.14
ヤンゴンからの列車は、何とかバガン駅に着きました。思ったよりも早く、朝の7時過ぎに到着しました。列車から見えた景色は、ミャンマーらしいものばかりでした。線路沿いの所々では、銃を構えた兵士が何人も警戒にあたっていました。超特大なゴミの山も見えました。線路上で用を足す子供も見えました。貧しそうな集落が幾つも見えました。まるで一昔の日本の田舎のような田園風景が広がっていました。何度もすれ違った、古い日本の車両には所狭しとミャンマー人が乗っていました。いつの間にか乗ってきた乗り合いタクシーの客引きに声をかけられました。1000チャットでニャンウーまで行ってくれるそうです。鉢野くんと後ろの荷台に乗り込みました。バガンの朝は少々寒かったです。途中で、$10のバガン入域料を徴収されました。さて、ゲストハウス探しです。最初に、東京ゲストハウスの情報ノートで1番人気だった、ゴールデンミャンマーゲストハウスに行きました。一人$4や$5の部屋がありましたが、評判ほど部屋と設備は大したことがありませんでした。ただ、洗濯を格安でやってもらえるようでした。次に、ピンサルパゲストハウスに行きました。ここは、バスタブとホットシャワー・トイレ付でしかも2ベッドを一人で使って$4でした。列車の中では開けっ放しの窓から入ってきた風のせいで、二人とも体が冷え切っていたので、我々はこのゲストハウスに即決しました。早速、バスタブにお湯を溜めて、恐らく出発前夜の10月28日以来、初めてお湯に浸かりました。おかげで、体も温まり疲れも癒されました。今日は、終日のんびり過ごしました。激しく揺れまくった列車での疲れと、睡眠不足が体に応えていました。夕方にネット屋に行きました。その店はたった1台しかPCがなく、西洋人の女性が待っていました。彼女は、私が日本人だと分かると、日本語で話しかけてきました。レベッカはアメリカのサンフランシスコ出身で、神奈川の文教大学や大宮の芝浦工大で英語を教えていたとのことでした。仕事が一段落したので旅に出たとのことでした。レベッカは日本が結構気に入っているようで、旅が終わってからも日本で仕事をしたいと言っていました。今はサンフランシスコに住んでいる私の元彼女は、逆に日本があまり好きではありませんでした。物事は皮肉なことが多いものです。さて、明日からはバガンのパゴダを見に行きます!!(バガンのネット事情は非常に悪いので、→日本語が読み書き出来るPCは恐らく1.2台のみ。しかも超スロー。さらに20分1000チャット→ヤンゴンの約5倍!! ヤンゴンに戻ってから写真等をアップします)
2006.02.13
前日に買っておいたカップラーメンと、宿の人が出してくれた紅茶とトーストを口にして、バガンへ向けて準備をした。7時半過ぎにタクシーを捕まえ、ヤンゴン中央駅まで向かった。外国人ツーリストなどいない待合室で列車を待った。軍人らしき人に、バガン行きの列車について聞いてみると、そこに来るよ、と1番線のホームを指した。続いて、近くにいたミャンマー人が、Where you go? と話しかけてくれたので、Bagan と答えると、橋を渡って2番線だよ、と時間を気にしながら教えてくれた。その時、8時15分頃であった。バガン行きの列車は8時半出発である。2番ホームに行ってみると、既に多数の乗客が乗車していて、ホームには見送りの人で一杯であった。はっきりいって、バガン行きの列車はショボ過ぎだった。庶民用の普通車両が3両と、少しだけマシなファーストクラス(?)が1両。たったの4両編成だ。これがミャンマー随一の観光地・バガン行きの列車であった。もっと、長くてマシな列車を他のホームで見かけたのだが、残念ながらそれは、我がバガン行きではなかったのだ。自分の席を見つけた。勝手にかなりリクライニングされていて、逆に普通の位置には戻せないシート。ちょっと硬めな、会社でお偉いさんが座るようなゴッツいシートであった。左側のひじ掛けは、外装がはがれてむき出しになっていて、気をつけないと飛び出ている金属の角で腕を引っかいてしまいそうだ。発車間際に、今朝朝食時に宿で会った、同い年の鉢野くんがやって来た。6日しかない休みで、昨日にヤンゴン入りした彼は、今日バガンに行くか迷っていて、列車で行きたいなら8時半だよ、と教えていたのだ。どうやら、閉まっていた外国人用の窓口で何とか切符を買い、間に合ったようだ。列車は定刻通りにヤンゴンを出発した。結構頻繁に列車とすれ違った。中には、かなり昔に日本のローカル線で使われていたような列車を、何度も見かけた。列車は貧しそうな集落や、ゴミの山、ショボい駅などを次々に通過していた。そのような、列車に乗らないと見えなそうな光景が続いた。しかし、この列車は揺れに揺れまくった。噂には聞いていたが、やはりそれ以上に凄かった。驚いたのは、単なる直線を走っているだけなのに、揺れまくることだ。。。何でこんなに揺れるのだろう?しかも船のように左右に揺れまくり、時には凸凹道を走っているかのように、上下に跳ねるように揺れまくった。日も暮れた夕方頃、列車はどこかの駅に1時間位停車した。そして、無数の乗客が乗り込んできた。我々の車両は、全席指定なのだが、お構いなしに通路に人が溢れていた。列車の走る向きが換わるらしく、乗務員が座席をひっくり返した。こうして、最後尾だった我々の車両は先頭車両になってしまった。そうすると、もし脱線した時にヤバいことになりそうだ。。。さっきまでは、後ろの車両なので脱線しても平気だろうと思っていたのだが。。車両には電気すらなかった。夜は真っ暗だ。こんなんじゃ、トイレすら行けない。しかも、夜になったら一段と揺れが激しさを増していた。それこそ、いつ脱線するのかぁー!?といった状況で、揺れが激しい時には、両足で踏ん張ってみた程だ。夜風が寒いのに、前列のミャンマー人は窓を全開にしていた。寒くて仕方のない私は、寝袋を被り、万一の時に頭を守るため、パーカーのフードを被っていた。半分寝て半分起きている状態の中、列車の無事をただ祈った。
2006.02.12
今日も一日のんびりと過ごしました。明日は、朝から列車でバガンに向かうので、体力を温存しました。宿の情報ノートを見ていると、ヤンゴン-バガン間の列車で2人が脱線を経験したそうです。私の列車は大丈夫でしょうか??午前中は、宿で働いているトントンくんから、恋愛相談というか、話を受けました。日本人の彼女のことについてです。彼女は、日本人の男子旅行者と2人でインレー湖に昨日向かいました。まず、このことにはトントンくんが反対したそうですが、彼女がカンボジアで知り合った日本人男子との約束を破りたくない、との理由で彼の反対を押し切ったそうです。彼はこの時点で、恋人と旅先で会っただけの友人と、どちらが大切なのか、と疑問に思ったようです。それは当然だと思いました。しかも、3月には彼女の大学時代の男友達がやってくるそうです。それも気になる、とトントンくんは言っていました。インレー湖に2人で行くこと以外にも、ほぼ終日一緒に行動していることを、彼は気にしていました。そのことは、私も気になっていたというか、彼らのトントンくんに対する配慮のなさに疑問を感じていました。ただでさえ、トントンくんは夜以外は時間もないのに、夜も2人で出かけて行ってしまっていると、彼はこぼしました。そして、トントンくんは彼らの宿泊先に電話をして、二人が別の部屋に泊まっていることを、心配そうに確認したそうです。彼は、私に、日本人ってみんなそうなの?と尋ねてきました。私は、中にはそんな人もいるけど、彼らはちょっと気遣いが。。。と正直に答えました。客観的にみても、トントンくんがかわいそうで、彼らが、ちょっと無神経と思われても仕方がないと思います。トントンくんは、私に、彼女が帰ってきたら、ちょっと色々言って欲しい、と頼みました。私は了解しました。私は、彼女が今後彼とどうしたいか、少しは聞いていたので、それも含めて今度会った時にでも話そうと思います。トントンくんの為に。日本人男子には、もし今度会ってもそのことについてはノーコメントです。今さらこちらが何を言っても仕方ないでしょう。旅先で知り合っただけの人に、何も言うことはありません。本人の自覚だけが必要かもしれません。各種情報ノートには、各国各地で男女関係のトラブル的なことが結構書かれていますが、何れにしても、日本人は軽率なんだ、と思われても仕方がないことが、結構起きているのは事実です。そして、かなり批判を受けていることも事実かもしれません。昼間に再び両替をしました。こないだのセントラルホテルに行き、$40($20x2枚)を両替しました。$1=1100チャット になりました。これから、夕食を食べに行って、またマッサージに行く予定です。今夜は、久々に禁酒となりそうです。頼むから脱線しないでバガンに着いてくれ!!
2006.02.11
今日は、終日のんびり過ごしました。午後には、タクくんと近くの中華料理を食べに行きました。歩き方にも載っているこの店は、それほど繁盛していなさそうですが、そこそこ立派な店内で、料理も美味しく値段も1品が$1前後と手ごろなので、よく食べに行っています。二人で麻婆豆腐と酢豚とご飯を頼みました。いつも通り美味かったです。彼は早稲田の政経学部5年生で、今春から就職します。今回の旅行は、バンコクからインド経由で、インドを旅した後にケニアに行って周辺諸国を旅した後にミャンマーに来たそうです。その前にも10ヶ月ほど中国、ネパール、インド、パキスタン。。。とシルクロードを行って、帰りはシベリア鉄道で北京まで帰った旅をしていたようです。インドの政治を勉強していたそうで、インドの投資信託もやっているみたいです。ナイロビでは3回も強盗の現場を目撃したそうです。彼は、チャラチャラしていなくて、なかなかしっかりした大学生という印象でした。食事をした後は、近くの美容室に行きました。ヒデくん情報によると、マッサージを安い値段でやってくれたとのことで、その美容室に行ってみました。若い女性スタッフがたくさんいる店中に入ると、ソファーに通されました。そして、英語が出来る女性と話をしました。隣の席では、インド人とアジア系のハーフっぽい綺麗な女性がカラオケを歌っていました。話をしてみると、彼女はスタッフのボスで24才とのことでした。タクくんは髪を切ってもらうことにしました。ヘアカタログも立派に揃っていて、日本人のモデルもたくさん載っていました。しかし、タクくんの希望として、バンコクで散発した私の髪型のようにして欲しい、と注文しました。ヘアカットは1000チャットです。しばらくして、私はシャンプーと顔エステとマッサージのセットを受けました。別にマッサージだけでよかったのですが、マッサージ台に横になったらシャンプーが始まったので、まぁいいかということで。。これがまた最高でした。単髪なのに、2度も3度も丁寧に髪を洗ってくれました。顔エステなんて勝手に始まった感じで、そばらくは何とも言えない感じでした。そして、頭から始まって手の指、腕、肩、首...。と壺を押さえた丁寧かつ力のこもったマッサージが始まりました。私を担当してくれた女の子はまだ18才だそうで、とても18才とは思えないくらい確かな腕前でした。1時間くらいして全てが終わりました。2500チャットでした。かなり気持ちのいいマッサージで、リフレッシュ出来ました。彼の髪型もなかなかいい感じに仕上がっていました。その後は、ゴールでタクくんと待ち合わせをして、タクシーでまたディスコに行ってみました。JJというディスコはミャンマー人にも一番人気らしく、他の日本人旅行者も良かった、という評判を聞いていました。タクシーを降りると入り口までボーイが連れて行ってくれました。そこからは日本語が堪能なボーイが案内してくれました。2500チャットで1ドリンク付です。中に入ってみると、確かに他のディスコより大きくて立派でした。人も大勢いました。早速、女の子はどう?とボーイに勧められたので、2人の女の子が同じテーブルにつきました。彼女たちは、英語も日本語も出来ないし、あまりやる気もなさそうでした。盛り上がりもしないまま、しばらくしてボーイがやって来て、どうするの?と聞いてきました。我々はノーと答えると、女の子はどこかへ行ってしまいました。ボーイが他の女の子を連れてきては、どうだ?と聞くばかりでした。会話もしていないのに、女の子もやる気なさそうに、OK?といきなり聞いてくるだけで、何だかシラけました。結局は、我々は2人でしばらくビールを飲みながら音楽を聴いたり、ファッションショーを眺めていました。それが1時くらいまで続き、終わったらタクシーで帰りました。かかっている音楽が良かった方なので、今までのディスコに比べたらマシでした。でも、もうミャンマーのディスコはお腹一杯です。。
2006.02.10

今日は、タカくんとHさんが午前中にチェックアウトして、インレー湖に向かいました。それを知ってか知らぬか、午後にはHさんの彼氏のお母さんが宿に来ていました。二人で色々と話をしていたようで、何故かは分かりませんが、途中からお母さんが泣いているのが聞こえました。。。お昼過ぎに日本語学校へ行ってみました。金子オーナーに場所を聞いて、歩いて探しました。MOMIJIという日本語学校の周りには、ミャンマー人用の学校がいくつかありました。制服があり、教育熱心なお母さん方が門の近くで子供を待っていたり、見送る姿が目立ちました。MOMIJIは雑居ビルの2階にありました。ドアを開けてみると、小さな教室に女性スタッフが4人いました。私のことをミャンマー人と思ったらしく、ビルマ語で話しかけられました。私は日本人らしき女性に日本語で話しかけました。彼女が唯一の先生で、もう7年も教えているそうです。彼女も私がミャンマー人に見えたらしいです。どうやら、平日は17時からの授業しかないらしく、名刺を頂いて出直すことにしました。その後は、列車の切符を買いに行きました。途中で、男子生徒しかいないような大きな学校がありました。 ロンジーをはいてサッカーやドッジボールをしていました。皆楽しそうに見えました。恐らく裕福な家庭の子供たちでしょう。 道路を挟んで、サクラタワーのほぼ正面に列車の前売り券売り場がありました。中に入ると、カウンターがたくさんあり、しかもビルマ語表記なので、どこへ並んでいいか分かりませんでした。 それらしき所に並び、カウンターでバガンに行きたい旨を伝えると、違う列に行くように言われました。そのカウンターでは英語が通じました。本当は11日の土曜日に乗りたかったのですが、その日はバガン行きの列車がないらしく、しばらく考えた末、12日の日曜日発のバガン行きの切符を買いました。アッパークラス(2クラスのうち上のクラス)で$31と、寝台でもないのに、ミャンマーの物価を考えたら法外以上に高いです。これは外国人料金の為で、ミャンマー人料金はいくらか知りません。時刻表上では21時間くらいですが、24時間で着けば御の字でしょう。ほとんどの個人旅行者はバスを利用するようですが、私は列車があるならば迷わずそちらを選びます。バスなら世界中どこでも走っていますが、列車はその路線独自なものなので、そこでしか乗れず、価値が高いと考えています。しかもミャンマーの列車は相当なものらしく、特に縦揺れが半端ではないようです。マンダレーも行きたかったのですが、ヤンゴンで沈没しかけていますし、あまり移動はしたくなくて、のんびりしたいのでバガンだけ行って来ることにしました。 これが$31もする手書きの切符です。。。そういえば、あのCBで始まる$100札は北朝鮮製の偽札の可能性が高いらしく、ミャンマーでは使用不可能と思っていたのですが、ダメもとで切符の支払いに使ってみました。すると、何の迷いもなく係員はその$100札を受け取りました。パスポートとお釣りと切符を受け取るまでは、札を取り替えるように言われそうで、ちょっとドキドキしました。鉄道駅の係員は米ドル紙幣に無関心なのでしょうか。あっけなく$100札を使用出来ました。ラッキーー!!!夜はアンレンくんとディスコに行く約束をしていました。たまたま宿のメンバー二人もディスコに行くつもりだったらしく、4人で行くことにしました。彼らとは、ゴールで落ち合いました。宿のメンバーのうち1人が腹を壊しているらしく、しかも明日の早朝にバンコク行きの飛行機に乗らなければならないとのことで、行くのをやめました。そしてアンレンくんは23時まで仕事があるので、また今度にするとのことで、タクくんと2人で行くことにしました。アンレンくんが近くのディスコまで連れていってくれました。2500チャットでビール1杯が付きました。場内は広くかなりの人がいました。しかし、ほとんどはテーブルに座って、ただステージでのファッションショーを見ているだけでした。途中で英語が話せる女性が二人来ましたが、1人5000チャットを払って、彼女たちがステージにいる時に花輪を買ってあげなければいけないらしく、我々は断りました。2時間半くらいいましたが、タクくんと黙ってビールを飲みながら周りを見渡しているだけでした。ディスコといっても、ミャンマー式は客が踊るのではなくて、女性が踊るのを見てそれから・・・。という方式らしいようです。はっきりいって面白くありませんでした。まあ、これもミャンマー文化ということで。。納得です。
2006.02.09

今日は、行きつけの店・ゴールのアンレンくんと、11時に店で待ち合わせをしていました。 彼とは昨日、ロンジー(ミャンマーの民族衣装)を買いに行く約束をしていたのです。早速アウンサンマーケットに行きました。何軒かロンジーを売っている店に行って、柄や値段をチェックしました。なかなか気に入った柄は見つかりませんでした。ようやく、ある店のロンジーが気に入りました。試着もさせてもらい、最後は値段交渉です。交渉役はアンレンくんです。私が気に入ったロンジーは質の良いものらしく、彼女たちの言い値は4500チャット(約$4)でした。私は、他の店のロンジーをもう一度見たい、と告げると焦ったのか、値下げしてくれました。最終的には3000チャットまで落ちました。それでも、念のため他の店に戻り、比較して最終的にこちらの3000チャットのロンジーに決めました。 アンレンくんのおかげで、いい買い物が出来ました。その後は、マーケット内をブラついたりしてから、昼飯を食べに行きました。 途中で見かけた広告。首長族は7年前に見に行きました私の希望で、ヤンゴン駅の裏にあるアウンサンスタジアム近くの、シャン料理と日本料理を扱う日本人オーナーのレストランに行きました。我々はシャンヌードルと卵料理を頼みました。(ヌードル1つ400チャット)シャン地方の料理はさっぱりしているらしく、このヌードルもとても食べやすく美味かったです。 アンレンくんは、自分の分は払おうとしましたが、色々と案内をしてくれたお礼にと、私はご馳走しました。その後は、宿で知り合ったフォトジャーナリストをしていて、今日まで彼女の写真展がある、ということで、アンレンくんと行ってみました。 写真は、ヤンゴンナウ より彼女とはあまり話していなかったので、詳しくは知りませんが、日本の芸大を卒業してからミャンマーに留学して、それからミャンマーの写真を撮っているようです。彼女の写真からは、ミャンマー人の素朴な笑顔が伝わってきました。その後はゴールに戻って、昼間からビールを1杯だけ飲みました。そうしたら眠くなってきたので、部屋に戻って昼寝をしました。アンレンくんは17時から仕事です。今度はディスコに行く約束をして別れました。彼曰く、日本人はミャンマー人と同じく、たまーに嫌な人がいるけど、ほとんど良い人ばかりなので日本人が好きだと言っていました。中には、お礼や金品目的のガイドっぽい人もいるかもしれませんが、アンレンくんは違います。22才ですが、とてもしっかりしています。同じ世代の職場仲間のリーダーのようで、他のスタッフは白いTシャツを着ていますが、彼はいつもカラーのTシャツを着ています。 昼前から売り上げのチェックをするアンレンくんもちろん、営利目的ではなく、日本人とコミュニケーションしたくて、色々と付き合ってくれるようです。彼のような人物と各国各町で出会うことが出来たら、非常に有難いです。そういう意味で今回はラッキーというか、とても有難い思いがしました。※女性陣の方、ちなみに、アンレンくんは彼女いませんよ。
2006.02.08
今日の午前中は、東京ゲストハウスのメンバーや金子オーナーと、合計5人でトランプの大貧民をやりました。そういえば、金子オーナーは暇さえあると、一人でトランプをいじっていたような気もします。1人200チャットを出し、1位が500.2位が300.3位が200もらえるというルールです。1時間ちょっとゲームをして、各ゲームの1位が3.2位が2.3位が1ポイントもらえて、その合計で勝敗を争いました。ちなみに、ミャンマーではトランプは禁止されていて、他のミャンマー人はカーテンを閉めて行うようです。結構、細かいルールを採用しました。例えば、Jが出たら10以下を出すことになる、イレブンバックや、同じマークや連続した数字を出した場合の縛りが、結構キツメでした。私は、最後に4連勝しましたが、最初に全然勝てなかったのが響いて、結局は同着の3位でした。ちなみに、1位は前半勝ちまくったタカくん、2位はHさんでした。午後は、ヒデくんに場所を教えてもらった日本語学校に行こうとしました。しかし、残念ながら見つけることが出来ず、今日のところは諦めました。続いて、メールが出来るネット屋に行きました。yahoo-mailも出来ると思ったのですが、yahoo JapanのIDとパスワードを入れても、ログイン出来るだけで、メールサーバーにはアクセス出来ずメールは出来ませんでした。結局は、ほとんど使っていないhotmailだけが送受信出来ました。宿に戻ろうと歩いていたら、突然に超激しいスコールが降ってきました。これほど一瞬にして、しかもこれほど激しいスコールは初めてでした。雨宿りをしようと思い、たまたま近くにあった行きつけの店・ゴールに入りました。すると、タカくんとHさんがいました。彼らは、常に一緒に行動しているので、私は、余計なお世話かもしれませんが、恐らく日本では考えられないくらいの安給料で、毎日終日ゲストハウスで働いている、Hさんのミャンマー人彼氏が気の毒で仕方ありませんでした。しかも、今後は2人で一緒にインレー湖に行くようです。居心地の悪さを少々感じながら3人で飲んでいると、しばらくしてミャンマーのVIP(念のため役職は伏せます)とその友人らしき人物が現れました。どうやら、Hさんが先日オファーしたビザ延長の件で何らかの答えが出る模様です。Hさん曰く、そのVIPとはこの店で知り合ったらしく、彼の力で3ヶ月のビザ延長を頼んだようです。しかし、期待外れな結果に終わりました。$120の現金とパスポート等を彼に預けましたが、戻ってきたのはビザの延長が出来なかったパスポートと、$70と何かの書類でした。彼曰く、政府機関がヤンゴンから郊外に移転しているため、今はビザの延長が出来ない。一日$3で3ヶ月オーバーステイしたらどうか?$50はお偉いさんとの飲み代に使った。。。出国時に、私か、或いはもっと偉い友人が空港で責任もって面倒をみてあげる。ネバーマインド!。。。といった内容でした。ビザの延長が出来ると思っていたHさんには、気の毒な結果でした。$50が消えたのは、ちょっと違和感を感じました。彼は、ビールや食事をご馳走してくれました。多少酔っていた為でしょうか。1000チャットの札束を見せびらかして、テーブルに叩き付けたり、小切手を見せびらかしたりと、若干モラルに欠けているようにも思えました。思わぬ形でミャンマーの、お偉いさんと同席してビールで乾杯して、しかも自宅の住所付の名刺までもらってしまいました。その後は、宿の近くのネット屋に行きました。2時間半やったのですが、精算時のディスカウントゲームで、80%を叩き出してしまい、1500チャットのところが、何と300チャットで済んでしまいました。2時間半で約30円。ミャンマーの素晴らしい?一面でした。
2006.02.07

昨夜は、美味いと評判のミャンマービール2杯を飲んで、早々とベッドに倒れこみました。おかげで、よく眠れました。朝食は、東京ゲストハウスのスタッフが出してくれました。トースト2枚と、野菜ラーメンとコーヒー又はチャイ!、オレンジです。今の部屋の条件は、狭いツインルーム(エアコンと蚊帳付)と共同のホットシャワー・朝食付で一人$6です。その後は、両替をしに行きました。昨日と同じくセントラルホテルで行いました。タカくんと$50ずつ出し合い、$100札で両替しました。$1=1110チャット($100札の場合)最初に、私が持っていた$100札を差し出すと、「CB イズ ディフィカルト。。」と言われました。どういうことかといいますと、お札の番号がCBで始まる$100札は、例の北朝鮮製の偽札の疑いが強いらしく、ここミャンマーでは両替がほぼ不可能なようなのです。事前調査で知ってはいたのですが、それを知ったのは、CBで始まる$100札を手にしてからでした。つまり、ここミャンマーでは鼻紙と同然なのです。ミャンマーを出国するまでは、他の誰かに交換してもらう以外は、使い道がなくなりました。ちょっと不本意な両替を済ませた後、スーレーパゴダに行きました。ここはヤンゴン市内の中心部にあるパゴダで、無料で入場することが出来ます。 しかし、ここヤンゴンでは不思議なことに、スーレーパゴダのすぐ近くに、イスラム教徒の集会場があったり、他にも市内各所に、キリスト教会、そしてパゴダが点在しています。東京ゲストハウスにすぐ前にも、イスラム教徒の集会場があり、たまにアザーンが聞こえてきます。Hさんが、生まれた曜日毎のお祈りする場所を案内してくれました。たまたま、私とHさんは木曜日で一緒でしたが、タカくんは知らないとのことでした。結局、3人して同じ所へ座りました。ミャンマー人は、真剣な表情でお祈りをしていました。私は、しばらくの間、座りながら祈るミャンマー人を観察していました。他の2人は、デジカメの写真を見ながら、しばらく雑談をして盛り上がっていたようなので、私はその場を離れました。ミャンマー人がお祈りをする場所で、そのようなことは相応しくないと思ったからです。私は、しばらくスーレーパゴダを徘徊し、ミャンマー人を観察しました。その後は、一人で食事をしに行きました。昨夜ビールを飲みに行った、ゴールという店に行きました。ここでは、日本語が堪能なミャンマー人青年と話が出来るので、ミャンマーのことについて聞くのに最適です。私は、彼の出身地のことや、何故今の仕事をしているのか、その他ミャンマーのことについて色々と聞きました。なかなかいい時間を過ごせました。一つ行きつけの店が出来て良かったです。その後は、ヤンゴン市内のメインストリート近辺で、写真を撮りまくりました。 超満員の市バスや、手すりにしがみついて飛び乗らなければならないピックアップトラック、大声が飛び交う露天や屋台、道を行きかう様々な人種のミャンマー人たち etc...そう、ヤンゴンはとてもエネルギッシュな街なので、写真を撮りたくなる衝動に駆られるのです。 宿に戻ってからは、近くのネット屋に行きました。ここでは、パスポートを提示して、会員登録のような手続きをして、IDやパスワードを作成しました。日本語も読み書きOKでした。ただし、yahoo.hotmail等のメールは出来ませんでした。USBも各々のPCではブロックされているので、サーバーPCで接続してもらって、そこでデータを落としてから自分のPCに送ってもらいました。 こうして、ここミャンマーでは、このようにブログの更新も可能なのです。ただし、スピードが遅いので3時間半くらいもやってしまいました。ここのネット屋は、1時間600チャットと安くて、しかも精算時にPCを使ってスロットのようなことを行い、出た%の数字分の値引きをしてくれるのです。私は、10%引きでした。20時に宿へ戻り、待ち合わせをしていたヒデくんと会いました。彼は一年近い旅の終わりを迎えようとしているところで、そのうちミャンマーは今回で3回目とのことでした。彼に今朝会った時、インドで偽ポリスに身包みを剥がされたことや、ミャンマーで友達が出来て3回も訪れたことなどを話してくれました。そして今夜は、そのミャンマー人の友達と私と3人で、ディスコに行くことになりました。ミャンマー人の友達は、既に居酒屋で飲んでいました。彼は30才で無職なようです。なぜなら、彼の姉が日本人と結婚した関係で、家族や親類が稼いでいるらしく、劇的に少ない給料のミャンマーでは働く気にならないようです。彼は、見た目やや胡散臭く、遊び人風な感じがしました。実際、酒と女が好きなようで、新宿や川崎でも遊んだようです。しかし、後ほど分かったのですが、結構気遣いが良くてなかなかイイ奴でした。適当に飲んだ後、夜の街をブラつきました。イスラム教徒の彼が、色々と案内してくれました。ここの店は美味いとか、ここはムスリムのエリアだとか、ヤンゴンの中心部なのにイスラム教徒に占領されていて、政府は不本意だとか、仏教徒とインド人、ムスリムは仲悪いとか、何かあったらポリスにお茶代か酒代を出せばOKだとか、あの女たちは幾ら位だとか etc..なかなかイイ所を解説してくれました。そして、しばらく歩いた後にチャイナタウン近くにあるディスコ街に着きました。彼が、ボーイに値段や評判を確認していました。ちなみに、昨夜はヒデくんの、朝までコース、の値段交渉を彼が行ったようでした。そして、1人2500チャット($2ちょっと)で入場料と缶ビール2本付というディスコに入りました。中に入って、まずソファーに通されると、店にいた女の子が大勢やってきました。私の両脇に女の子が座り、右側の子が腕をつかんできました。彼のアドバイスで、気に入らない女の子だったら構わない方がいいとのことでした。あまり盛り上がらないまま、大半の女の子はどこかへ行きました。途中で、ステージ上で女の子のショータイムがしばらく続き、それが終わると、客の若いミャンマー人男子たちが音楽に合わせて踊り始めました。どうやら、中途半端にナイトクラブ的な部分と、踊るクラブ的な要素が混ざっているような所でした。23時半頃に店を出て、3人でタクシーで戻りました。辺りは真っ暗でした。こんな中を一人で歩くには、ちょっと怖いかもしれません。しかも、銃を構えたポリスが市内中心部の重要ポイントに座っていました。そして、露天で私はチャイを、2人はチャーハンを腹に入れました。日本語が堪能な彼のおかげで、色々な部分を見ることが出来ました。これもミャンマーの一部です。彼は、色々とアドバイスをしてくれました。気の利くタイプの男です。しかし、ヒデくんが毎回彼におごっていることだけが気になりました。しかし、ヒデくん曰く、たまに彼の家で食事をもらったり世話になっているので、構わないとのことでした。
2006.02.06

今朝の8時過ぎに、さくらハウスへ行ってタカくんを起こしに行きました。そして、2人でタクシーに乗り込みドンムアン空港へ向かいました。日曜日の朝ということもあってか、カオサンから高速道路を使って30分で空港に着くことが出来ました。 我々のバンコクエアウェイズ・ヤンゴン行きは12時前にバンコクを離陸して、いざミャンマーの首都・ヤンゴンへ飛び立ちました。 3席x3席が30列くらいの機種でしたが、我々の23列以降は空席でした。乗客は、西洋人が多く、タイのお坊さんが何人かと、インド系ミャンマー人がちらほらと見受けられました。間もなくして、ランチタイムとなりました。 何より、オレンジジュースが一番美味かったです。 ヤンゴンが近づいてくると、上空からパゴダが見えました。田園風景もかなり見ることが出来たのですが、あまり豊かな田園には見えませんでした。 約1時間のフライトは定刻通りに、ヤンゴン国際空港に到着しました。普通の空港なら、かなり広範囲にわたってアスファルトの部分があるのですが、ヤンゴン国際空港の場合は、滑走路や到着路の最小限だけで、周りは土ばかりでした。機内からターミナルへの移動は、日本の古い路線バスに乗った。思わず、≪ピンポーーン≫と降車ボタンを押してしまいました。見た目も小さくて工事中の所が結構あり、相当ショボい空港でした。これまた小さなイミグレーションで入国審査を受けました。 我々のフライトのメンバーだけなようで、並ぶ間もありませんでした。税関を抜けた後、荷物検査があるようでしたが、日本人だと分かると、ノーチェックで通してくれました。意外だったのは、ミャンマーは軍事政権の国なのに、空港での写真撮影に関して、何のクレームもつけられなかったことです。少なくとも、隣の国・インドでは空港での写真撮影はNGなのです。さて、ターミナルの外に出て市内へ向かうタクシーを探しました。言い値は1台で$5くらいなのですが、$3まで落とせることは知っていました。2人で何人か交渉をしましたが、他の人と乗り合う条件であれば、2人で$3になりましたが、1台を貸しきった場合は$4以下にはなりませんでした。一番まともそうな運転手を選びました。彼は、少しだけの日本語と、非常に聞き取りづらい英語を話しました。でも結構いい人そうな青年でした。タクシーから見たミャンマーの第一印象は、『地味な国』でした。やがて、市街地が近づいてきました。交通量が増え、市バスやピックアップ・乗り合いバス(正式名称が分かりません。。)や日本の中古車、タクシーがたくさん走っていました。そして、『東京ゲストハウス』に到着しました。2人部屋で$6x2と決して安くはないのですが、日本語の情報ノートがかなり充実しているので、とりあえず1泊することにしました。また、この宿でタカくんがシェムリアップで知り合った、Hさんと会いました。彼女は、この東京ゲストハウスでミャンマー人従業員と半年前に知り合い、会って2日目で元カレを振ってまで付き合うことにした、というなかなかイケメンな彼氏がいました。彼も、日本語が堪能です。どうやらミャンマーには日本語が話せる人がかなりいるようです。Hさんは、長旅をしていて、中近東とアフリカを少しだけ周って、ミャンマー人の彼氏に会うために、ここ東京ゲストハウスに戻って来たようです。部屋で一休みした後は、両替をしに街へ出かけました。 まず、サクラタワーという航空会社オフィス等が集まったビルに行ってみましたが、日曜日なのでクローズされていました。仕方がないので、アウンサンマーケットに行ってみました。マーケット内でも、そこへ行く途中でも何度となくインド人を中心に「チェンジマネー?」と闇両替を持ちかけられました。ガイドブック等に記されていますが、ここミャンマーでは、闇両替が主流というか、メインになっています。銀行で両替すると、とんでもなく桁違いな極悪レートになってしまうので、現状はホテルや旅行会社、路上等での闇両替をする必要がある国なのです。結局は、$10分だけセントラルホテルで両替しました。$1=1090チャットこれが$100を両替した場合だと、少しレートが良くなります。また、マーケットの近くにhotmailとyahoo-mailが出来るネット屋を見つけました。情報ノートをもとに見つけたのです。歩き方によると、メールはもちろんネットですら難しいように書かれていますが、ヤンゴン市内について、実際はほぼ日本語の読み書きは場所によって可能で、かつメールも何とか出来るレベルまできているようです。こうして、ブログも何とか更新出来ています。その後は、もう一つのゲストハウス候補である『ホワイトハウスホテル』の下見に行ってきました。こちらは、ベッドがズラッと並んだドミトリー($4)やシングル・ツインの部屋がたくさんあって、宿泊客もたくさんいました。明治学院の学生がNGO活動か何かをするために、団体で泊まっているようでした。また、例のインド人経営の代理店で、飛ばなかったビーマンバングラデシュ航空のヤンゴン-デリー・・・・という航空券を予約してしまった女の子にも会いました。夕方になると、沖縄という中華レストランで食事をしました。ここでタカくんと分かれ、私は宿に戻りました。途中で寄った、ムーン・ベーカリーのホットドックとホットチャコレートが美味かったです。その後は、Hさんと宿で会ったので、食事に付き合いました。ゴール、という庶民向けビアレストランのような所へ行きました。私は生ビールとポテトフライを頼みました。この店にも、日本語が堪能な若いミャンマー人男子がいました。彼は、顔も日本人に似ていて、これまたイケメンです。ミャンマー人の若い男性は、インドに近いせいか、タイと違ってキリッとした感じで細身なイケメン風人が多い気がします。Hさんには、ヤンゴンのことや、今までの旅のことについて等々を聞きました。予定では、早めにバガンにでも向かおうか、と思っていましたが、ヤンゴンでローカルと触れ合いながら、のんびり滞在してみたくなりました。ミャンマー初日の感想として、・タイなどの東南アジアとは違う雰囲気・インド人またインド系が多いせいか(3割くらいか??不明。。)、どことなくインドを感じることが多い・ビルマ語は東南アジアの言葉と違って、ヒンズー語のように多少キツめで、早口に聞こえる・屋台やピックアップバスの客引き等、かなり活気があって大声が飛び交っている・軍事政権ではあるが、それほど重苦しい雰囲気ではなく、穏便に感じる・ミャンマー人はかなりいい人そうだ・インドやバングラデシュのように、ジロジロ見られることが結構あるミャンマーでは、この旅が始まって以来、最も何かを期待させてくれるような、ワクワク感を感じることが出来ました。今日のところは、この旅のメインディシュに相応しい、感触を得ることが出来ました!! 夜の東京ゲストハウスの入口付近
2006.02.05

今日は、たまたまカオサン付近で再会した、タカくんと一緒に航空券探しをしました。彼は、先日カオサンのさくらゲストハウスで知り合って、お互いミャンマーに行くということを話していて、しかも彼は明日にでも行きたいと言いました。私も明日のフライトでミャンマー入りするので、ひょっとしたら一緒に行くことになるかもしれませんでした。彼は、インド人経営の店に行ったり、他の代理店にも行きました。結局、ミャンマー航空とバンコクエアウェイズと迷った末、私と同じフライトでヤンゴンへ向かうことになりました。ついでにブータン航空のデリー行きも予約していました。2つの航空券とも、MPツアー手前の代理店で手配したようです。 例のインド人経営の旅行代理店また途中で、彼と面識のあった女子大生2人と会い、安く証明写真が出来る店を教えてあげたり、国際電話がかけられる場所を教えてあげました。先日彼女たちは、自称マレーシアの女性に、口上手くボートに乗せられ、4500バーツほど巻き上げられたらしいです。見た目が今ドキの女子大生は、ボッタクリのターゲットにされてしまうのでしょうか。これ以上、日本人には被害に遭って欲しくないものです。これまた偶然ですが、彼女たちの1人は私の家と近く、自転車で10分かからない所に住んでいるいうことが分かり、地元の話で盛り上がりました。昼飯は、タカくんとイスラエル料理を食べました。場所は、宿の3軒隣です。私が頼んだ、シュニッツェルサンドウィッチ 彼が頼んだヤツ約7年振りに食べました。かなりウマかったです。その後は、akoustam氏の自転車の梱包を見守ったり、彼がエアポートバスで出発するのを見送ったりしました。 さくらゲストハウスから自転車を運ぶakoustam氏トラベラーズロッジ前に置かれたakoustam氏の自転車 自転車を空港へ運ぶため梱包に励むakoustam氏そういえば、昨日また昆明の宿で一緒だったメンバーにカオサン付近で再会しました。あの部屋のメンバーで、ここバンコクで再会したのは5人目になりました。結構な確率です。また、インド人経営の店で、バンコク-ヤンゴン-デリー//カトマンズ-バンコクのビーマンバングラデシュ航空の航空券を予約していた、日本人がバンコク-ヤンゴンのフライトがキャンセルになったため、払い戻しを要求したところ、払い戻しの代わりに、他のフライトに振り返るように強制されたようです。つまり、入金した金額を返金せずに、他の航空券代に差し替えるということです。何とも微妙な対応です。。。さて、いよいよ明日はミャンマーへ入国します!!!
2006.02.04

今朝の7時半過ぎの、ほぼ定刻通りにノンカーイからの列車は、ファランポーン駅に着きました。 昨夜は、車両と車両の境目の寝台だったため、列車の騒音等が激しくて、よく眠れませんでした。。タクシー乗り場に向かって、ドイツ人女性とフランス人の男性とカオサンまで一緒にタクりました。タクシー乗り場は混雑していて、なかなか拾えませんでした。私は赤と青のタクシーを拾おうとしましたが、フランス人の彼が真っ赤なメータータクシーを捕まえたので、それに乗ることになりました。最初はメーターがついていたのですが、途中で若いドライバーの彼がメーターを消しました。それに気づいた私はクレームをつけました。3人でクレームをつけましたが、彼は、カオサンまではノーメータだ。100バーツ。と言って譲りませんでした。渋滞で時間がかかったので、まぁ仕方ないということで、30バーツx3人払いました。その後は、彼らと別れ、カオサントラベラーズロッジに向かいました。ベッドメイクに時間がかかるとのことでしたが、今晩は空いていました。早速、4階のドミに行ってみると、私の元同僚で、スーパーチャリダーのakoustam氏が爆睡していました。起こすのは悪いと思い、1階の食堂で朝ご飯セットを食べました。すると、1週間前に見かけたアメリカ人がご飯を食べていました。彼と色々と話をしました。サンフランシスコ出身で、インド系とロシア系の血を引いているそうです。ジャーナリストっぽい仕事をしていて、なかなか面白い話をしてくれました。タイからミャンマーへ入った時に24時間拘束された話や、パキスタンやインドの話や、彼の友人がアフガニスタンへ行った時の話など、ちょっと変わった趣味というか嗜好を持った34才でした。彼と話していると、akoustam氏が下りてきました。akoustam氏とメールで連絡を取り合っていたので、彼が前夜にバンコク入りしたことは知っていました。そして、約3ヶ月振りの再会となりました。彼に会った瞬間、劇ヤセしてる!と感じました。私もヤセましたが、彼はそれ以上に体を使っていた為、ムダな肉がまるでなさそうなボディでした。それは、彼の旅の過酷さを鮮明に物語っていました。とにかく、お互い無事に順調な旅をしてきたことが確認出来ました。その後は、MPツアーに行ってミャンマー行きの日付を変更してもらいました。夕食はちょっと奮発して、akoustam氏と竹亭に行きました。そこで、お互いの旅について語り合いました。明日の夜に日本へ帰国する彼は、しばらくは、つまらない生活、を送ろうかと話していました。私は、23日に帰国しますが、まだやり残したことが多いので、春になったら再び旅に出ることを話しました。ちょっとだけ日本が近づいてきたような気がした夜でした。
2006.02.03

昨日は名残惜しいながらも、ラオス・ヴィエンチャンでの最後の一日となりました。はっきりいって、今回の旅でラオスに行く予定はなく、全くのノーマークでした。良く、日本人旅行者から、ラオスって、イイとこですよー。と何度となく耳にしていましたが、私としては、いまいちピンときませんでした。しかし、オーストラリアを1ヵ月で早々と切り上げ、時間的な余裕が出来ました。そして、ミャンマーとともに、自分的な未知なる国・ラオスに行ってみるか!と自然に思った次第です。今回はヴィエンチャンだけでしたが、行ってみたらとても良い国でした。ほとんど観光もせず、特にやることもそれほど無かったのですが。それでも約1週間も満足な滞在が出来たのには訳があります。1、雰囲気がとても良い・人々はのんびりとしていて、笑顔がよく見られました。サバィディー!という挨拶も、旅人の心を癒してくれました。2、物価が安い・宿代は$2前後からです。自転車は1日$1ちょっとで借りれます。ネットは2時間やっても$1強です。ただし、食費が若干タイよりも高いかもしれません。3、歩いて周れる・これは重要なポイントです。私が沈没してしまう町の第一条件かもしれません。交通量は少なく、スピードも遅めで、マナーが良く、危ないと感じたことは皆無でした。さて、ここタイとラオスの国境の町ノンカーイも、のんびりしている町でした。 対岸はラオスです。 奥に見えるのは、タイ・ラオスを結ぶ友好橋です そして、宿近くにある船着場です ここではラオス人とタイ人(ノンカーイ県民のみ)だけが行き来出来ます。イミグレーションに誰もいなかったので、またしても中に侵入して、写真を取りに行ってしまいました。1つ気になることがありました。ヴィエンチャンでも見かけたのですが、西洋人のおじさん(50代以上か?)と若い女性との2人組です。手をつないだりして、昼間から仲良さそうにしていました。ここノンカーイでは、特にたくさん見かけました。 このメコンビューのレストランにいた彼らもそうです。いったい何なのでしょうか?援助交際なのか、冷やかしなのか、夫婦なのか。。夕方の18時前に、宿の前からトゥクトゥクを拾ってノンカーイの駅に向いました。ドライバーは珍しく、30代くらいの女性でした。こちらの言い値に素直に同意してくれて、穏やかなドライブとなりました。ノンカーイ駅のホームには、こんな看板がありました。 こんなファンキーな車両もありました。 左側は、バンコク・ファランポーン駅までは行かない先発の列車で、右側は私が乗った後発のファランポーン駅行きです。こうしてメコンに別れを告げました。
2006.02.02

2月1日前半・ ヴィエンチャン国際空港敷地内に自転車で侵入。職員に怒られる。。 はこちら ヴィエンチャンのバッタイ空港を後にして、そのままミャンマー大使館へ向かいました。自転車で40分くらいでしょうか。先日、大使館員のおじさんは、明後日の16時に。と言いましたが、16時に閉館するだけのことで、午後にはミャンマービザが出来ている、と確信して大使館へ行きました。14時過ぎでしたが、予想通りミャンマービザを無事に受け取りました。その場で、$20払いました。 ビザには氏名が載っていません。パスポートとビザの番号だけです。ちなみに左はラオスビザです。ここで、バンコクとヴィエンチャンで取るミャンマービザについてまとめてみます。ヴィエンチャンの場合1、月曜の午前申請の場合、水曜の午後ピックアップ可。2、写真4枚、$20。3、場所は、市の中心部(タラート・サオ前のメコン川に平行した道)から東へ。自転車で20分ほど。トゥクトゥクでも可能。(要・値段交渉)詳しくは、ガイドブックやゲストハウスの地図に載っています。4、申請も受け取りも、ほぼ誰とも競合しませんバンコクの場合(注意:これは実際に行った人からの情報です)1、朝7時くらいには行った方が良いらしい2、整理券制で、それでも申請するのに6時間前後は並ぶことも3、運が悪いと、その日に申請すら出来ないらしい4、場所はBTSのSurasak駅近く。カオサンからは、タクシーかチャオプラヤー川のボートとBTSか、市バスを使うか。結構面倒らしい。5、3日:810バーツ。2日:1035バーツ。即日:1250バーツ6、旅行代理店での代行は、現在受け付け無しの所が多いようです※※ヴィエンチャンはとてもいい所ですし、バンコクからも、そう遠くはありません。ラオスビザ代が$30位しますが、ミャンマービザ代はバンコクより安いし、何しろ待ち時間はほぼゼロです! 大使館員とプライベートな雰囲気でビザが取れます。※※申請日の様子はこちら そして、この後は宿に戻り出発の準備をしました。すると、ロビーで日本人女性と会いました。今日来たようで、6年ぶりのヴィエンチャン、そしてRDゲストハウスだそうです。ちなみに、今回の目的は知り合った現地人との再会だそうです。国境行きのローカルバスターミナルまでは、歩けるのですが、ちょっと距離があるので、トゥクトゥクに声をかけてみました。ある人は$2ー。とか、別の人に、こちらが3000キップ!というとふざけるな、という顔をして諦めていました。フザけているのはどちらでしょうか!?彼らの相手をするのがバカバカしくなり、20kg近くあるバックパックを背負い、20分くらい歩きました。別に200円くらい痛くも痒くもないのですが、彼らには払いたくない、ただそれだけです。同じ金額でも、払う価値のある相手、と、そうではヤツがいます。結構疲れましたが、マーケットの2階に上がって、もう1枚Tシャツを買いました。昨日も1枚買ったのですが、もう1枚欲しくなったのです。ラオビアTシャツは20,000キップ位で買えます。言い値は各々ですが。そして、隣にあるバスターミナルに行き、今にも出発しそうな14番のマイクロバスに飛び乗りました。車内は超満員でした。ドア付近にいた女の子が、私のバックパックを固定して置いてくれました。運転手は若い男性で、かなりニコニコしながら、車内のラオス人とともに運転を楽しんでいました。 ローカルバスから見える風景です。こうして、ラオスとタイとの国境である友好橋までの40分間を楽しみました。(4000キップ)2500キップの手数料を払い、ラオス出国です。そして、友好橋を渡るバス代も2500キップです。タイのノンカーイへ付き、再入国しました。そこから乗り合いトゥクトゥクでノンカーイの駅まで行きました。そして、明日のバンコク・ファランポーン駅行きの夜行列車の切符を買いました。行きと同様に、ファンの2等寝台上段を選びました。(418バーツ)そして、トゥクトゥクでゲストハウスのある町中へ向かいました。1軒目がフルだったので、2・3軒と下見をして、ルアン・タイゲストハウスに決めました。歩き方には、シングルで300バーツから、と間違って記載されていますが、120バーツの部屋がありました。扇風機・飲料水・トイレットペーパー付き、綺麗なホットシャワー、蚊のいない部屋で閑静な敷地内、と値段の割には好条件でした。 しばらく休憩して、ノンカーイの町を歩きました。夜の早い町なのでしょうか。21時を過ぎると、あまり人がいませんでした。宿の近くの、リバーサイドカフェで、タイガービアーと、豚肉とモヤシ炒めご飯を頼みました。この夕食は劇ウマでした。機会があるとしたら、また食べたいです。
2006.02.01

今日は、また自転車を借りて、ヴィエンチャンのバッタイ空港に行ってみました。空港の様子や、あまり良くなさそうな、ラオス航空の飛行機がどんなのか見てみたかったからです。空港へは西の方に向かって約3kmだそうです。ルアンパバーン通りをひたすら真っ直ぐ走りました。この空港へと続く道沿いは結構栄えていました。交通量も多く、道路の両側には商店やガソリンスタンド、レストランやホテルが見られました。25分くらいして空港に到着しました。 こちらは国際線のターミナルだけあって立派です。ちなみに、右側にある国内線ターミナルはかなりショボかったです。さて、自転車をこいでいると、飛行機に近づけそうな立入り制限エリアを見つけました。ゲートに係員がいましたが、ダメもとで空港の敷地内に入ってみました。すると、係員は何も言わなかったので、そのまま、飛行機が待機している敷地内を自転車で走ってみました。 ここまで来ても、誰も止めず、何も言いませんでした。そして、まいっか、と思って、さらに飛行機に近づいて写真を撮りました。 近づくこと、この距離です。ちなみに、この飛行機は後にルアンパバーンへと飛んでいきました。 この機体は新しそうです。なかなかいい感じのデザインです。 これは危なさそう。。。。ラオス航空の写真も撮ったし、そろそろ出ようと思ったときに、誰かが私を呼んでいました。手招きされたので、彼に近づくと、胸の職員バッジを指し、何か怒っているようでした。すぐに状況がつかめたので、ラオ語が分からないのをいいことに、申し訳なさそうにして、もと来た道へ戻りました。日本だったら逮捕は確実だったかもしれません。アメリカだったら撃たれたかもしれません。でも、ここはラオスです。そんな殺気立ったこともなく、穏便に注意されただけでした。というか、何故、立入り制限エリアのゲートにいた係員は制止しなかったのでしょか。だから、まいっか、と思って思わず空港の敷地内に入ってしまったのです。 本日の国際線の出発フライトです。少ない。。。2月1日後半はこちら
2006.02.01
全26件 (26件中 1-26件目)
1