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前編の『何でもあり!自由な街、オランダ・アムステルダム』はこちら⇒ 良~くご覧頂きたい。建物が曲がっているのだ。そう、上に向かって地面と90度真っ直ぐではなく、斜めになっている。今回お世話になったマリオンズハウスの部屋でも、床が曲がっていた気がする。まあ地盤が弱いから仕方ないのであろう。アムステルダム中央駅から列車で20分くらいの町に行ってきた。 そう、オランダといえば風車だ。ここにチューリップが咲いていれば完璧なのだが、春先で終わってしまっていた。 そこには、緑豊かな田園風景が広がっていた。その風車や素晴らしい田園風景が見えたのは、駅から歩いて橋を渡り川を越えてからだった。 橋の上に遮断機があって、今は停車中それは、何と橋が折れ曲がり、道路が持ち上がったからだ!!大きな帆のボートやフェリーが通るときは、橋の道路が開いて、そこを通過出来るようになっていた。この船ではコスチュームを来た人たちが、何かの演奏をして盛り上がっていた。 自家用ボートを楽しむ人たちここアムステルダムでは、3泊したB&Bのマリオンズハウスで有意義な時間を過ごしたり、マリファナの匂いがする街中を歩いたり、飾り窓地区やその近くの繁華街を歩いたり、のどかな田園風景や風車を見に行ったり、フォーレンダムという所に行ったり、とにかく自転車好きのアムステルダム市民に追い抜かれながらスーパーで食材を買い込んだのを持って歩いたり、天気が悪くて寒く、駅の有料トイレに行くのを渋り停車中の列車のトイレを勝手に使ったり。とにかく、オランダ人の大らかでフレンドリーな気質のためか、アムステルダムというある意味何でもありの街のせいか、とても雰囲気が良く、精神的にもかなり楽しめた気がする。最終日に、トラムで駅に向かおうとしたら、トラムパスが微妙に1、2個分足らなかったのだが、車掌の若い兄ちゃんが、オマケしてくれたこともあった。トラムの車掌でさえ、英語もほぼ完璧だった。もともとオランダ人は好きだったのだが、オランダのことをもっと好きになった気もする。 またアムステルダムに是非とも行ってみたい。7月8日実は、ヨーロッパを一緒に旅していた友人が一足先に国に帰るため、アムステルダム・スキポール国際空港まで見送りに行った。 アムステルダム・スキポール国際空港 ヨーロッパ有数のフライト数を誇る友人に別れを告げ、再び一人旅が始まった私は、国際列車に乗るためにアムステルダム中央駅へ戻った。 ICEという国際高速列車に乗ったアムステルダムの運河を横目に、列車はドイツへと向かっていった。いよいよヨーロッパでの旅も佳境を迎えようとしていた。~以下、ドイツ編へ続く。~⇒⇔海外旅行ブログランキングへ
2007.11.26

7月5日ベルギーのブリュッセルからオランダの首都アムステルダムにやって来た。アムステルダム中央駅前にあった看板駅前を散歩していたら、 「Hi!」と、タバコを吸いながら歩いてきた地元の若い女性3人組に声をかけられた。いきなり、ノリノリな感じで、テンションもグーッと上がってきた。 予約していた宿に向かおうとトラムを探していたら、フランスからやって来たという若い女性2人組に話しかけられた。思いがけず、ラッキーなことにトラムのパスが余っているから譲ってくれたのだ。お礼を言って快く受け取った。念のため、本当に使えるのかどうか、近くにいたおばさんに聞いてみた。そのおばさんは、期限までならまだ使えるわよ、と陽気に親切に教えてくれた。オランダ人は、陽気でフレンドリーな人が多いのは確かなようだ。どのトラムに乗ったらいいか、聞いてみたらアムステルダム在住のタイ人女性が教えてくれた。そして、トラムでマリオンズハウスという宿へ向かった。マリオンズハウスはこの並びにあった かなり急で狭い階段を20kgのバックパックを背負って上がったこんな素敵な部屋だここのオーナー夫妻も、とてもフレンドリーで、3連泊希望のうち2泊目だけ予約出来ていなかったのだが、何とか3連泊出来るようにしてくれた。朝食付、キッチン利用可、TVも見れて抜群なB&B。客室として提供している部屋数は少ないが、アムステルダム式の住居を体験出来る貴重な宿だった。ここアムステルダムでは、色々と面白いものを見ることが出来た。中央駅前から真っ直ぐ伸びている繁華街の途中に、こんなものがあったので入ってみた。中に入ってみると、名前の通りありとあらゆるポルノの展示がしてあって、そのリアル過ぎるオブジェの数々に驚いた。 賛否両論あるとは思うが、せっかく見てきたのだから写真を載せておこう。ここには載せられない数々の展示物があった。女性の方が多いくらいで、これは観光客が冷やかしで楽しむためのものかもしれない。もちろん、そこには湿っぽさの欠けらもなく、みんなが笑って楽しむような所なのだ。 街中で見かけた。これは男性の小用か?無料だけど、昼間はかなり恥ずかしいはずだ アムステルダムの代名詞でもある『飾り窓』地区そのエリアでは、売春が合法化されている飾り窓地区に行ってみた。昼間だというのに、観光客やヨーロッパの他の国から来たのであろう、若い白人の男達が何人かで楽しそうに窓をのぞいたり、ショーをやっている店に入っていったりしていた。窓越しに飾られている女性の方も、昼間から際どい格好をしながら客に色目を使いながら誘惑していた。飾り窓のことを知らない人向けに説明してみると、外から丸見えな小さなガラス張りの個室がたくさんあって、中には主に白人の女性がいて、客が女性と交渉をして成立したらその中で売春が行われる、というシステムである。ここも、どちらかというと観光客向けっぽい所で、オープンな雰囲気であった。一部、怪しげな男達もいたが。 繁華街の中でもトラムが活躍していた。すれ違う男性からは、たまにマリファナの匂いがしてくるのもアムステルダムならではだ。以下、再度更新予定。⇒⇔海外旅行ブログランキングへ
2007.11.25

7月4日パリを満喫した後に、列車でベルギーへ向かった。今回は、パリ北駅からの発車だ。少し早めに駅に行って、列車を待っていた。どうやら到着が遅れているようで、発車時間の間際にようやく乗車が始まった。 ご覧の通りホームは大混雑このタリスという国際列車は、パリからベルギーのブリュッセル、オランダのアムステルダムを結んでいる有名な列車らしい。 大きな荷物を持った大勢の乗客たちに紛れながら、急いで自分の車両を探した。すぐに自分の車両が見つかると思ったら、日本の新幹線に勝るとも劣らない長い編成車両の分だけホームを駆け巡り、何とか乗り込んだ10秒後には列車は定刻通り発車していた。まさにギリギリの乗車であった。ようやく乗り込んだと思ったら、座席に着くまでも大変だった。デッキには、同じように荷物を持って座席を探す人で溢れ、通路も人で塞がっていた。やっと席に着いたと思ったら、進行方向と逆向きの座席だった。。すでに疲れ果てていた。あっという間に、国境を越えベルギーのブリュッセルに到着した。この間、たったの約80分。値段は2等で78ユーロ。(約13000円)1分=1ユーロである。そのくせ、乗車時間が遅れ、大勢の乗客に負担がかかり、車内は狭いし逆向きの座席。このとき、日本の新幹線が間違いなく世界一だと確信した。同じ値段なら、格段に快適な新幹線で東京から京都に行くことが出来るのだ。ベルギーの首都・ブリュッセルに着いてからは、雨に濡れながら安宿を探し、雨が止んでから散歩に出掛けた。グランプラスという歴史的な建物に囲まれた広場が有名らしい。 こちらは市庁舎 王の家 これでも夜9時前くらい 左側にベルギーワッフルとアイスクリームのお店これらのエリアと小便小僧があるエリアはとても近く、この狭い範囲にブリュッセルの数少ない観光名所が集約されていた。 出た!小便小僧とそれに群がる観光客 アップで小便小僧! 土産物屋に無数に置かれた小便小僧ベルギーのブリュッセルの滞在時間は約22時間であった。南駅周辺の泊まった宿があるエリアには、イスラム教徒の男達がたくさんいた。チェックした1軒目の安宿は、ベッドに彼らの体臭が染み付いていて、セキュリティーにも問題がありそうだったので却下した。3軒目の宿に泊まったのだが、その通りはイスラム教徒、特にモロッコ人のエリアとなっていた。おそらく宿の経営者もそうであろうし、レストランもイスラム教徒の男達で賑わっていた。女性の姿は少なく、とにかくイスラム教徒の男が多かった。これから、中東に向かおうとしていた私に、早くも、男だらけのムスリム世界の体験が待っていたのであった。こんな、首都ブリュッセルの中心駅近くに、ムスリムのエリアがあるなんて驚いた。小便小僧とムスリム世界を後にして、翌朝、オランダのアムステルダムに向かった。~以下、続く~⇒⇔海外旅行ブログランキングへ
2007.11.23

6月30日ゲイパレードを満喫した後、パリの名所・エッフェル塔を見に行ってきた。 こちらはエッフェル塔を背景に写真が撮れるスポット 歩いてエッフェル塔を目指した ↑エッフェル塔を見上げる↑まあご覧の通り、東京タワーのパリ版といった感じであった。ちょっと割高なチケットを買えば、エッフェル塔の上に昇ってパリの景色を展望出来るのであるが、かなりの時間並ぶのも、高額なチケットを買うのも嫌だったので、そのまま帰ることにした。次回は、夜のライトアップを是非間近で見てみたい。 エッフェル塔近くを流れるセーヌ川7月1日この日は、電車でベルサイユ宮殿を見に行ってきた。 ベルサイユ宮殿前の広場 広場から見た駅の方面ベルサイユ宮殿前の広場前には、黒人の土産物売りがたくさんいた。 彼らも必死だ早速、中に入ってみた。 ベルサイユ宮殿 ベルサイユ宮殿内このベルサイユ宮殿を中に入って見るのにはチケットが必要であったが、敷地内の広大な庭園だけなら無料であった。後で思ったのだが、宮殿自体はたいしたことなくて、庭園の方がとても綺麗に整備されていて良かった。 とにかく広くて綺麗緑豊かなベルサイユ宮殿の庭園個人的には、ベルサイユ宮殿より、黒人の土産物売りの方に興味を持った。どこの誰の許可を得て、どこの国から来たどんな人が、どうやってこの職に就いて、どれ位の稼ぎを得ているのだろうか?おそらく、大した稼ぎではないと思うのだが、それでも職に就けているだけいい方だと思う。ベルサイユ宮殿より彼らの社会的背景の方が気になったのだ。やっぱり、観光地をただ見物するよりも、現地人のこととか、その社会背景とか、そういった方に目を向ける方が面白いことが多いとも思う。7月2日この日は、もう一つのパリの名所・凱旋門を見に行ってきた。 凱旋門 こうして見ると、やはり大きい パレードを見学する観光客凱旋門の壁にはこういった彫刻が施されている 凱旋門のあるシャルルドゴール広場よりこの日は、凱旋門の前で、何かのパレードが行われていた。制服を着た人たちが音楽に合わせ、凱旋門の前を行進していた。ここ、パリの街では6日間を過ごした。やはり印象的だったのは、5泊もさせてもらった友人のマンションで過ごしたことであった。 リビングからのサンセット ライトアップされたエッフェル塔も見える彼女の旦那さんはパリで鉄板焼き屋をやっていて、毎日仕事で忙しいのだが、夜遅くに帰ってくるといつも一緒にワインを勧めてくれた。仕事で疲れているのに、いつもニコニコしていて、初対面でお邪魔させてもらったのに、こちらがそれほど気を使うことなく、有意義に過ごすことが出来た。カンボジア人のお手伝いさんのおばちゃんも、東南アジアらしい陽気で気さくな人で、みんなで買出しに行ったり、色々と料理を作ってくれたり、一緒にゲイパレードも見に行った。(笑)そして、今回お世話になったマリさん。大変な時期なのに、ゲイパレードや色々な所に連れて行ってくれ、とても楽しかった。また、いつの日かヨーロッパに来ることがあったら、このリビングからの景色を再び見るためにお邪魔させて頂きたい。~以下、ヨーロッパ編は続く~⇒⇔海外旅行ブログランキングへ
2007.11.18

6月29日~フランス・パリ、初日編~はこちら⇒6月30日この日は、パリの中心部の一角であるモンパルナスという所で、大規模なゲイパレードが行われた。もちろんゲイではない私は、最初は行くのを迷っていたが、友人のせっかくの誘いということもあり、とりあえずは冷やかしで見に行くことにした。ところが、実際に行ってみると凄い人だかりで、特に大勢の若者たちで開始前から大賑わいであった。 土曜日なのに、このエリアの道路は完全に封鎖されていていた。予想外にも、面白い写真がたくさん撮れたので、とりあえず公開してみる。(以下の写真の半分は、同行者が撮ったもの) ポリスのコスプレ こんな人があちこちに TVカメラも結構来ていた パレード前の様子の映像はこちら!!⇒ パレードが始まる前から異常なほど盛り上がっていた。そして、いよいよゲイパレードが始まった。 ゲイのバイクライダーたちがバイクに乗ってパレードを始めた こちらはレズビアン 何の団体だ?? こんなキワどいおばちゃんまで。。。 色んな人たちが行進し、それを大衆が見学 とにかく皆が楽しそうだった 路上でウエイトレス 少しはまともな被写体が撮れた(笑) パレードの映像はこちら!!⇒あまり期待していなかった分、実際はかなり楽しめた。なぜならば、ゲイやレズの人たちだけではなく、かなり大勢のパリ市民や見物客たちを見ることが出来たからだ。普段、地下鉄や市バス車内で見かけるパリ市民たちは、何か浮かない、冴えない、疲れたような顔をした人々が多かったのだが、そのうっ憤を晴らしているかのように、ゲイパレードの参加者や見物客たちは、とても楽しそうな顔をして盛り上がっていたのだ。何万、何十万人参加したかは知らないが、これほどの人々が集まった大規模なイベントであった。その中で、ちょっとした事件を目撃した。写真を撮り終え、オープンカフェでパレードを見ていたら、目の前を1人の若い白人と5・6人の黒人が殴ったり、逃げ、追いかけながら私の前を通り過ぎていった。1人の白人に対し、5・6人の黒人が暴行を加えていたのだ。しかも、思いっきり蹴飛ばしていた。。見たことはないのだが、それは、まるで、治安の悪い南アフリカで、強盗を捕まえて犯人を集団でリンチしているかのような、ショッキングな光景であった。。。後で聞いた話によると、携帯電話を黒人に奪われた白人が取り返そうとしたところ、殴り合いになって、関係ない黒人がその黒人に加わって集団で暴行していたようだ。パリは、アメリカと同じように、黒人がたくさん住んでいる。友人が住むエリアにも、黒人やアラブ人のコミュニティがあり、表向きは何事もないように上手く共存して平和な感じであった。しかし、過去の欧米諸国による植民地政策、少数の白人が黒人をコキ使ってきた歴史は今も残っている。そして、現在はお互いが共存しながらも、貧富の差や異人種間の争いもなくなっていないようだ。色々な物事を見れた1日だった。⇒⇔海外旅行ブログランキングへ
2007.11.11

前日の、フランス・リヨンはこちら。6月29日前日、リヨン駅の自動販売機でパリ行きの切符を購入した。時間をかけて頑張ってみたのだが、どうしても安い切符は見つからなかった。ローカル列車で、丸一日移動にかかったとしても構わなかったのだが、どうしてもTGVというフランスの高速列車しか予約出来なかった。正規運賃で59.9ユーロだ。 リヨン駅で発車を待つパリ行きTGVTGVという名前は有名だし、さぞかし立派な列車だと思っていた。しかし、2階建ての車内は圧迫感があり、2階席に座った私はとても窮屈に感じた。 TGV2階席の車内おまけに、座席は固定の対面式で前の2人の顔が常に視界に入ってきた。ちょっと、これでは落ち着かなかった。車窓からの景色は、同じようなフランスの田園風景が広がるばかりで、面白くはなかった。スピードも新幹線の方が速いし、車内環境も圧倒的に新幹線の方が快適だと思い知らされた。車内の人々も、心なしか浮かない顔をしている人が多いような気もした。さて、列車はいくつかあるパリのターミナル駅の一つであるリヨン駅に到着した。 パリのリヨン駅に到着 大都会のパリ。テンションも上がってきた!リヨン駅からは、 重いバックパックを背負ってパリのメトロに乗車そして、駅前で友人と待ち合わせをして、近くに住む友人のマンションへ向かった。 リビングからの眺め!! 左奥の小さく見えるタワーがエッフェル塔!早速、友人のマンションにおじゃました。彼女とは、タイ・アユタヤのゲストハウスで知り合って、もしパリに行くことがあればお会いしましょう、という話をしていたものだ。ある意味、このヨーロッパ旅行の中での楽しみの一つだったパリのお宅訪問。この景色の素晴らしさに驚き、かなり感激した。 初日のディナーは、日本・タイ・カンボジアと多国籍な皆さんとタイ料理を食べた!この素敵なマンションには、1週間ほどお世話になることとなった。夜はサンミッシェルというエリアに連れて行ってもらい、人々で賑わう通りを散歩した。 サンミッシェル界隈の賑やかな通り 観光客も多く、パリ土産のショップも多い これはギリシャ料理のレストランこの日は金曜日の夜ということもあって、とても賑わっていた。このギリシャ料理レストランでは、美味しくて気に入ったら、皿を地面に叩きつけて割るのが礼儀らしい。その後、セーヌ川沿いを歩いたりして、パリの夜景を楽しんだ。美しくライトアップされていたコンシェルジュリーコンシェルジュリーは、かつての牢獄で、フランス革命当時は必ず死刑にされるという意味で『死の牢獄』と呼ばれていたらしい。とても牢獄とは思えないほど、綺麗にライトアップされて輝いていた。エッフェル塔もライトアップ!!セーヌ川とパリの夜景の映像はこちら!!⇒パリの街は優雅な感じがして、とても綺麗だった。様々な美しい建物がライトアップされていて、パリの夜景と絶妙にマッチしていて、さらに幻想的に輝いていた。すっかり、パリの夜景に魅了され、気づいたら終電の時間になっていた。地下鉄サンミッシェル駅のホームサンミッシェル駅で終電を待つ間に、かなり面白い光景を目にした。サンミッシェル駅ホームでの『ミニライブ』映像はこちら!!⇒ほろ酔い加減のパリの若者たちでごった返していたホームで、突如、1人の若者が太鼓を叩きながら歌い始めたのだ。パリっ子たちもノリノリで、手拍子でヒートアップさせ、歓声を上げたりして大盛り上がりであった。パリ初日。色々な素晴らしい光景を目にすることが出来た。世界のパリ。特に憧れはなかったのだが、かなり面白そうな街だ!!⇒⇔海外旅行ブログランキングへ
2007.11.10

トップページを変更しました。6月28日前日の、スイス・ジュネーブはこちらジュネーブを朝8時前に出発し、フランスへと列車で向かった。イタリアからスイスに入国する時も、列車内でパスポートチェックがあったのだが、今回は、ジュネーブの駅で専用のレーンを通り、パスポートチェックが行われた。間もなく、列車は国境を越えフランスに入国した。 寂れた田舎町に止まっていたフランスの列車あれだけ、綺麗でクオリティの高かったスイスからフランスに入国すると、ちょっとしたギャップを感じた。通り過ぎた駅やフランスの古びたローカル列車や街並みや建物など。果たして、フランスという国はどんな国なのであろうか。リヨンには2つのターミナル駅があり、ジュネーブからの列車は新市街にある駅の方に着いた。安宿は、旧市街の方にあった。予約していなかったので、メトロを乗り継いで旧市街へ移動した。それにしても、『地球の歩き方・ヨーロッパ』は全然使えない。まず、地図上に新市街の駅が載っていないし、それに地図自体正確さにほど欠けている。おまけに安宿の掲載件数は少なく、そのロケーションも悪い宿が多いのだ。今回も、歩き方を参考に1軒目を探した。メトロの駅から場所が分からず、英語の出来ないフランス人に何とか教えてもらったら、急な坂上の丘にあり、荷物が重いので却下した。仕方なく、ベルクール広場という中心部へまたメトロで移動した。 ベルクール広場そこのインフォメーションで、安宿を予約してもらうことが出来た。受付の若い女性は、あまり愛想がなかったが。。苦労して、ようやく安宿が確保出来た。ここリヨンには1泊の予定なので、早速街歩きに出掛けた。 ソーヌ川と旧市街の街並み 色が統一されていて見事に綺麗だった ペットボトル専用の特大ゴミ箱。この写真を撮った後、少年達に大笑いされた 旧市街の街並み 写真を撮ってもらおうとしたら、通りがかりのおじさん(左)に商売道具のハットとギターを持たされた(笑)ここリヨンに、フランスでは『美食の都』として有名で、数々のフランスレストランがあるのだが、残念ながら、もちろん縁はなかった。行く所は、決まってマックとスーパーマーケットだった。でも、ここリヨンの街並みもとても綺麗だった。インフォメーションで予約した安宿も、レトロな感じで素敵な宿だった。翌朝、いよいよパリに向かうことになった。以下、続く。⇒⇔海外旅行ブログランキングへ
2007.11.05

6月27日スイスのルツェルンに3泊し、アルプスの絶景を満喫した後はジュネーブに移動した。ここ永世中立国スイスのジュネーブは、国連ヨーロッパ本部や国際赤十字の本部など、重要な国際機関が置かれている都市でもある。街並みも綺麗に整備されていて、街行く人々はハイソな感じの人が多かった。 ジュネーブの繁華街 ジュネーブの象徴・レマン湖 この橋にもスイス国旗が掲げられていた特にこれといって見るものはなかったので、街歩きに終始した。まあ、この後フランスに向かうルート上でもあったし、ジュネーブという知名度は抜群なので、寄ってみることにしたのだ。ジュネーブ、と言っても日本人にしか通用しない。英語だと、Geneve(ジェネェバ)と発音する。ちなみにルツェルンは、英語では Luzern ルザーンと読む。パリも、Paris パリスだし、北京はベイジン、ウィーンはビエーナ(ウィーンはドイツ語)、モスクワはモスコーと読むのが正しい。でも、日本の小学校か中学校、あるいは高校で習う社会科では、日本でしか通用しない世界各都市の読み方でしか教えないのだ。例えば、英語が分からないまま中国へ旅行し、北京へ行きたいのにペキン、ペキンと言っても誰も理解出来ないのだ。そんなのでは、せっかく北京について勉強していたとしても、ペキンには行くことが出来ないのだ。ヨーロッパに来て、そんなことも考えたりしてしまった。1泊して翌朝ジェネェバの駅を出発ジュネーブからはフランスへ国際列車で向かった。そういえば、ジュネーブの駅でタイ人女性にあった。たまたま見かけた、タイ料理屋でも食事をした。もちろん従業員はタイ人であった。ルツェルンでも、駅で現地在住のタイ人に会って、携帯電話を借りた。ルツェルンの街中でも3人組のタイ人女性に会ったりした。そして、そこのタイ料理屋でも食事をしたものだ。彼女達は、スイス人と結婚してスイスに住んでいるのだそうだ。タイのバンコク、他の町ででも欧米人の男性とタイ人女性のカップルを無数に見かける。ここスイスに、これほどタイ人女性がいるとはちょっと驚いた。スイスは、アルプスを始めとする大自然の絶景、綺麗な建物で整備されている街並みが素晴らしく、人々も親切な人が多く、あらゆるモノのクオリティがとても高かった。その分、物価も高いのだが、(マックの最安値がチーズバーガー単品 2.5スイスフラン=約250円!!ちなみに、イタリア・ミラノだとハンバーガー約85円)そこまで劇的に高いわけでもなかった。高い分、それに比例する以上に、あらゆるモノのクオリティがとても高かったのだ。(チーズバーガーなどを除く。。。)ちょっと高かったが、家族へのお土産もスイスで結構買い溜めしたものだ。スイスは当初、予定していなかったのだが、間違いなく行って良かったと思える国であった!!また次の機会にでも、もっともっと綺麗なアルプスや大自然を眺めてみたい。以下、フランスへ続く。⇒⇔海外旅行ブログランキングへ
2007.11.05
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