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ちょっと珍しいボトルを発見。
ワインの味に関しては語れないので、ボトルだけ紹介。
シャトー・ラフィット・ロートシルトのボトル
ラフィットの歴史
1999年シャトー・ラフィット・ロートシルト
シャトー・ラフィット・ロートシルト(Chateau Lafite Rothschild)
ボルドー地方(Bordeaux)
村名AOC、シャトー1級 メドック(Medoc)5大シャトーの1つ
1855年のパリ万国博覧会でのメドック(Medoc)公式格付け、シャトー第1級格付けの筆頭として最高評価のワイン
。
すべて樫の新樽を使って醸造。
ポーイヤック村の北端に位置する。シャトーの敷地面積は123ヘクタール。石灰質を基盤とする砂利質のテロワール(土壌) はメドックでも最上とされるそうです。
ラフィットの歴史
当初は「ボルドーのワインの王」と言われたセギュール侯爵の所有だったそうで、当時はボルドー・ワインの需要の中心地は、歴史的経緯(12世紀~15世紀はイングランドの支配)もあってイングランドが主だったそうです。が・・・。
ロマネ・コンティの畑の争奪戦でルイ14世の宰相コンティに負けた事で、 ポンパドール夫人(1721~1764)が、ブルゴーニュ・ワインの代わりにひいきにしたのがラフィット
だそうです。
夫人はヴェルサイユ宮殿の晩餐会で必ず使った事からボルドー・ワインが宮廷で脚光を浴び、 フランス革命前にはラフィットの名声は既に揺るぎのないものに確立
。
当時アメリカ合衆国大使として赴任していたトーマス・ジェファーソン(1743~1826)も生涯の愛好者となり、アメリカ大陸でのワイン造りを思い立ったとされています。
18世紀半ば、セギュール侯爵には男子がいなかったためブドウ園は分割されラフィットとラトゥールは再度分離。
数人の所有者を経て 1868年
、ロスチャイルド財閥創始者マイヤー・アムシェルの5男が買収し、 ロスチャイルド家に引き継
がれます。
第二次世界大戦でフランスがドイツ軍によって占領され、ラフィットはロスチャイルド財閥の財産であるこを理由に解散され、セラーも略奪をうけますが、戦後所有権を取り戻し、シャトーは再生。
1999年シャトー・ラフィット・ロートシルト

(赤フルボディ)
1999年、ヴィンテージは、20世紀最後の皆既日食を記念して「ECLIPSE(エクリプス)太陽・月の食」のデザイン
がボトルに描かれ、85年の彗星以来の記念ボトルだそうです。
(1985年は、ボトルの上にハレー彗星が浮き彫りに)
グラン・ヴァンになったのは収穫のわずか3分の1だった希少な年。
飲み頃予想:2007年~2030年 最終試飲月:2002年9月 ポイント95
2005年シャトー・ラフィット・ロートシルト

(赤フルボディ)
2005年は日照量や降雨量など奇跡的な調和を生んだ年だったとのことで、調和の象徴、太陽と雨雲の天秤
がボトルに記されたそうです。
飲み頃:2015-2050+年
こうした特殊なボトルは滅多に造らないようで、見つけたのは3本のみ。ラフィットのこだわりボトルですかね。
ボルドーのワイン・スクールの看板
本場ボルドーで勉強できたら凄いですね。
でも、・・その前にフランス語ができないと駄目か・・・。
関連
リンク シャトー・ラトゥール(Château Latour)
リンク エチケット(シャトー・ムートン・ロートシルト)
リンク ボルドー 1 (シャトー・マルゴー)
リンク ボルドー 2 (メドックのブドウ畑)
リンク ボルドー 3 (サンテミリオン)
他
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