わたしのこだわりブログ(仮)

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2010年05月23日
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ハワイ統一王朝 1 (ハワイアンのカプ、マナ、フラ)

ポリネシアンからハワイアンの精神に・・。
キャプテン・クックとカメハメハ王の出会い

ポリネシア人の移民
ハワイ諸島に最初に入植したのは、マルケサス諸島からやってきたポリネシア人
時は4~6世紀、マルケサス諸島から ハワイまで3500kmの距離をカヌー(双胴の遠洋航海用のカヌー)だけで渡ってきた ようです。
ハワイ島 15
ポリネシア人が太平洋を航海した船が復元されています。全長十数mホクレア号はホノルルにあります。

11世紀頃にはタヒチからハワイへ集団移住 があったようですが、飢饉か? (真相は不明)途中寄れる島もなく、一気にここまで到着するのは すぐれた航海技術を彼らが持っていた からのようです。
それ以後、 キャプテン・クックが到来する18世紀まではポリネシア人だけの社会 を造っていたようです。
ハワイ島 16
人々は 首長を頂点とする階級社会を構成 。生活は カプ(タブーor禁忌)と呼ばれる約束事によって成り立っていた と言います。

カプ(Kapu)
禁止事項 ・・・といった事ですね。
縦社会を形成する上での規則・・と言う役割は大きかったでしょう。
例えば、王族は王族内でなければ結婚できない。男女が席を共にする事、女性がタロイモ畑に入る事を禁止、など。カプを犯した者には厳しい罰則(死)が与えられた・・。

カメハメハ1世は伝統を受け継いでカプを徹底 したようですが、 欧米流の教育を受けたカメハメハ2世は女性が蔑視されるカプを嫌い 、神官との戦いにも至りますが、結局カメハメハ2世(国王軍)が勝ち、 以降偶像崇拝とカプは無くした ようです。

ハワイ島 18
カメハメハ大王の鳥の羽の衣装に似ています。ビショップ・ミュージアムにカメハメハ大王のマントが所蔵されていますが、この衣装のせいで鳥が絶滅したそうです。

首長同士も時には団結? 
ハワイ島 17

カメハメハ大王(1758年? ~1819年)が全島を統一するまで統一王朝はなく、それまで幾つかの首長国に別れていたと言います。
ハワイ島 21
キャプテン・クックが殺されたのは、クックの一行が原住民の泥棒行為を咎めて騒動を起こし、首長の一人を誤って殺してしまった事によります。

霊的で超自然的な力・・マナ
マナの存在は、ハワハイアンの生活を支配し、神々と同じくらい日常の生活に浸透。
マナは、神や死者の霊、祖先の霊をはじめ、人間自身や海や山、石、さらには生活道具など森羅万象に存在 しているそうです。

マナの考えは、日本の付喪神(つくもがみ)に似ている ようです。
長く生きた依り代に、神や霊魂などが宿る・・・と言う古い民間信仰で、多種多様な万物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)となる・・・と言う神です。

ハワイアンの マナは、信心の強さやそれを持つ人物の純粋さで性格や効果が変わると信じられていた ようで、常に彼らの信心が試されていたと言います。

ハワイ島 19
彼らのマナへの思いは、フラダンスで確認できると言います。

ホテルのデイナー・ショーもなかなか趣向が凝らされているようです。
ハワイ島 22

フラ(hula)
フラの起源は、 ペレ神話の中で、火の女神ペレとその妹ヒイアカがポーポエと言う半神から踊りを教わったのが最初 とされている そうです。(伝説的には・・。)

ペレとの特別な意味は無いようですが、実際ハワイアンは昔からフラに宗教的な意味合いを込めてきたと言います。
ハワイアンは文字を持たないので、踊りの中に神託的な意味が込められ、踊りを通して神のメッセージを伝えると言う役割を果たしている のだそうです。

さらに楽器で拍子を取り、 詠唱者(メア・オリ)によって、メレ・オリ(チャント)と呼ばれる神の言葉等が唱えられる メレ・フラ と言うのがあるそうです。
それは主に誕生や死、首長の就任などの 重要な儀式で唱えられる、聞く者に与えられるメッセージ で、恐らく、森羅万象の中に存在しているマナが唯一言葉と言う形をとって伝えられる・・感じ取れる・・と言う瞬間のフラなのだと思います。

そして、 元来このフラを踊るのは男性のみ
神の御前とはヘイアウの中。そこに女性は入る事は許されなかった場所なのです。

ハワイ島 20
フラに託される願いは、豊穣、平和、戦いの勝利などさまざまあり、当然踊りのスタイルも異なるようです。島毎に独特のスタイルもあるようです。
(恐らく古くは部族での違いもあったでしょう・・。)

ジェームズ・クック(James Cook)(1728年~1779年)
イギリス海軍の大佐で、太平洋を3度、航海。
この頃まだ太平洋の地図は白地図だったようで、太平洋の地理的全貌をヨーロッパに知らせた 他、多数の地域を正確に測量して報告。
Captainjamescookportrait.jpg
写真はウキペディアから(パブリックドメイン)

1778年1月キャプテン・クック(ジェームズ・クック)が3度目の世界航海の時にニイハウ島とカウアイ島を発見。
そして1778年11月ハワイ周辺で冬を凄そうと停泊していた時にカラニオプウ王の一行がカヌーでやってきたのだそうです。
キャプテン・クックの日記によればこの時に王の甥であるカメハメハも同行し、彼は船内に一泊し、大砲や鉄砲などの銃火気に衝撃を受けた・・と言います

ハワイ統一王朝の誕生
カメハメハが即位したのは1795年。全 島を統一したのは1810年
この石を動かす者は、ハワイ全島を治める者になれる」と言う伝説の「ナハ石」を転がした(強いマナを持っていている)・・と言う伝説 がありますが・・・。

彼が カメハメハ王朝を確立できたのは西欧の武器を導入し、白人の参謀(ジョージ・バンクーバー)を雇っていたから・・ のようです。
カメハメハ大王像
ハワイ統一を成し遂げたカメハメハ大王の銅像。

つづく
リンク ​ ハワイ統一王朝 2 (ハワイ王国とイオラニ宮殿) ​​

リンク ​ バーニス・パウアヒ・ビショップ博物館 1 (ホノルル)
リンク ​ バーニス・バウアヒ・ビショップ博物館 2 (鳥の羽のマント)






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Last updated  2020年10月18日 07時29分00秒
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