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可愛いけど・・・ちょっとじゃま。
さて、庭園シリーズ第二弾です。宮殿内部は相変わらず撮影禁止なので、ささやかに庭園だけの紹介です。
オーストリア共和国(Republic of Austria)ウィーン(Wien)
ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere) Part 1
ベルヴェデーレ宮殿 1 (プリンツ・オイゲン)
プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)と下宮(Unteres Belvedere)
今はウイーン南駅から(上宮は)ほど近いところにある都会の宮殿ですが、当時は城壁の中は過密になっていたので、城壁の外、いわゆる郊外に建てられた一貴族の宮殿だったのです。
この宮殿の見所はウイーンを代表するバロック様式と、さらに展示されている絵画部門
なのです。(上下宮殿は美術館として公開)
ベルヴェデーレ(Belvedere)は、「美しい眺め」の意
だそうで、
下宮から上宮にかけてのゆるやかな登り傾斜の庭園とその向こうのバロックの宮殿の「美しい眺め(ベルベデーレ)」も見所
です。
A 上宮(Oberes Belvedere)・・・・迎賓用宮殿
B 下宮(Unteres Belvedere)・・・居住用宮殿
庭園は現在AからBの宮殿の間をさしています。
上宮の正面入り口
下がって全体が撮影出来ないのでこれが限界
従軍建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントの設計

この宮殿近くのカールス教会と共にヨーロッパの建築史上に残る美しいバロック様式の宮殿です。
元々は、サヴォイア家の血を引くフランス生まれの貴族
でレオポルト1世に仕えてオーストリア軍の将校となった プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)(1663年~1736年)の夏の離宮として建設された宮殿
だったそうです。
彼はフランス出身でありながら、オーストリアに渡り、 ハプスブルクの皇帝3代に忠誠してフランスを敵に回してオーストリアの為に戦った大功労者
なのです。
その皇室の彼に対する評価は、死後、ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるシュテファン大聖堂に葬られた事からも伺えます。
ただ、相続する家族がいなかった為、 彼の死後(1752年)財産と宮殿はハプスブルグ家の所有になった
ようです。
もともとハプスブルグ家の宮殿ではないので、紋章は双頭の鷲ではないようです。ではこれはどこの? どこかで見たんだけど・・・。
上宮の宮殿側
次回もっと良い写真を紹介します。
A 上宮からB 下宮方面を撮影。
最初に建てられたのは下宮で、1714年~1716年に建設。
上宮は1720年~1723年に建設。
上宮からの眺めは今一であるが・・・参考に・・・。
ここは、下宮から丘をなめるように見る上宮の景色の方が素敵なのです。
下宮の全体がこのあたりから見えますが、庭の手入れが今一で残念です。
もしかしたらこれから植木でラビリンスを造ろうとしているのかもしれません。だとすると完成するのは数年後ですが・・・芝だけか?
下宮(Unteres Belvedere)・・・居住用宮殿
最初に作られた居住用の宮殿はシンプルです。
現在バロック美術館として公開されてますが、プリンツ・オイゲン(オイゲン公)の寝室や東洋趣味的な部屋なども公開。
噴水からの下宮
かなり昔、入っているのですが、下宮の美術館は入った事しか記憶にないかも・・・。
庭園内にはスフィンクスの彫像がいっぱい・・・。
洗練されたスフィンクスの像は、主だったプリンツ・オイゲンの趣味かな?
つづく
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リンク ベルヴェデーレ宮殿 2 (美しい眺め)
リンク ベルヴェデーレ宮殿 3 (オーストリア・ギャラリーと分離派とクリムト)
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