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飛んでいって見てみたら、自衛隊が隊員募集を兼ねて子供達を車に乗せていたのである。(私も乗って見たかった・・)
さて、なかなか賢い勧誘方法である。祭りに来る暇な若者をゲットできれば・・と言う事か? もしくは、将来チビッコ達が自衛隊に来てくれたら・・・と言うところかな?
アメリカでは小学校に軍が行って親しみをもたせるのは、当たり前の事なのだが、日本の学校は日教組がうるさくて出来ないからね・・・。
オーストリア共和国(Republic of Austria)ウィーン(Wien)
ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere) Part 3
上宮(Oberes Belvedere)オーストリア・ギャラリー
グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)とウィーン分離派と世紀末芸術
帝政時代のバロックの上宮殿は、今19、20世紀の美術館として活用されています
。
ハプスブルグ家の終焉(962年~1806年、1918年)
オーストリアの歴史と言えば、当然ハプスブルグ家の歴史であり、神聖ローマ帝国の歴史
です。
962年~、ハプスブルグ家は現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部に領地を展開していた当時は小さな豪族で、 1273年にルドルフ1世が最初の神聖ローマ帝国の皇帝となってからハプスブルク゜家の栄華
は始まっています。
婚姻による血の拡大によって大きくなっていったハプスブルグ家ですが、その 栄華が終焉に向かうのは1805年10月のウルムの戦いでナポレオンの勢力がオーストリアに及んだ頃
からでした。
そして1806年ハプスブルク家のフランツ2世は退位するのですが、帝室として存続し、 最終的には第一次世界大戦が終了後、1918年に最後の皇帝カール1世が亡命してハプスプルグ家は崩壊
しています。
宮殿から美術館に
プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)(1663年~1736年)の死後、この宮殿を手に入れた女帝 マリア・テレジアは、ハプスブルグ家の膨大な美術コレクションを収容する場所
に使いました。
以来 19世紀末までは帝室美術館
となり。 1953年にオーストリア美術の歴史を伝える美術館
となっています。
オーストリア・ギャラリー
下宮は中世オーストリア美術館とオーストリア・バロック美術館。
上宮は世紀末からウィーン分離派等のオーストリアの画家を中心にした19、20世紀の美術館
。
中でもここの 目玉は上宮の世紀末ウィーン美術のコレクション
です。
庭園を見るよりも、むしろ美術品を見る為に館内の滞在時間が長くなるので、ツアーの場合は、なかなか庭園まで回る時間はないかもしれない。
シェーンブルン宮殿、ベルヴェデーレ宮殿、カール教会は、バロックの都市ウィーンを象徴する建築で、「失われた帝都の遺産」なのだそうです。
上宮の宮殿庭園正面
ウィーン分離派の出現
17世紀バロックや偉大な音楽家の輩出など文化面でも中心となっていたウィーン
パリやロンドン、ベルリンに比べれば、近代的な国際都市とは言い難いおくれがあった
ようです。
ウィーン分離派の出現は、ヨーロッパ
近代美術との積極的な交流による国際化であり、ウィーン芸術界の古さと閉鎖性を象徴する存在
だった・・と言う事です。
ウィーン分離派
1897年にウィーンで画家グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)を筆頭に結成されたウィーン分離派は絵画、彫刻、工芸、建築などの会員が集まり、過去の様式に捉われない、総合的な新しい芸術運動を目指した工芸家の運動
です。
よく世紀末的とか退廃的とか例えられますが、今までなかった革新的な芸術運動は、当時においては近代的過ぎた運動です。それらは今見ても革新的
ですし・・・。
クリムトのギャラリー
宮殿内も美術館も撮影禁止ですが、参考に、ギャラリーで買って来たクリムトの写真集から何点か紹介。(重かったぞ・・。)
ここは、 クリムトの作品の代表作がたくさん集まっています。クリムトの好きな人は、絶対にここに来なければならない聖地
です。
The Kiss(抱擁)
(全部は入らないので多少トリミングしています。)
クリムトの作品は、世紀末的・・官能的と表現されますが、世紀末は余計な気がします。
今見ても斬新な作品です。
fulfillment (成就)
今回は解説は入れませんが、 クリムトの絵画に用いられる文様は、日本の意匠をモチーフにしたもので、彼の日本趣味が伺えるところです
。
Judith 2 (Salome)
(全部は入らないので下部はトリミングしています。)
このタイトルのユーディットとサロメは別人なので、疑問。実はカットした下に男の生首があります。
旧約聖書のユーディットなら敵の大将の寝首を掻(か)いた聖女ですが
サロメはキリストの洗礼者であるヨハネの生首を望んだ悪女で、ユダヤの王女です。
時代的にはサロメがブームなので、悪女サロメが正解でしょう。
実は、クリムトの作品には別の見方が存在します。
人物のシルエットのみ、形で捕らえると、それらは全て性器を象徴しているのです。
彼は絵の中にダブルでエロスを暗示しているのです。
今回は長くなったので、こんなところで・・・。
ベルヴェデーレ宮殿おわり
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リンク ベルヴェデーレ宮殿 1 (プリンツ・オイゲン)
リンク ベルヴェデーレ宮殿 2 (美しい眺め)
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