わたしのこだわりブログ(仮)

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2012年09月08日
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人骨だらけですが、ここまで多いと本物には見えなくなります。
とは言え、一人では入れないでしょうね スマイル

さて、この納骨堂を飾らせたのは誰か?
興味がわいて調べていたら、誰かはおよそ推定できたのですが、シュヴァルツェンベルク家の家系が複雑で最後の特定に手間取ってしまいました。
以前スペインのコミーリャス公爵家を調べた時と同様爵位の流れはとてもややこしいです しょんぼり

セドレツ納骨堂とシュヴァルツェンベルク家

チェコ共和国(Czech Republic)
クトナー・ホラ(Kutná Hora)セドレツ(Sedlec)
セドレツ納骨堂(Kostnice)(Sedlec Ossuary)
誰が発注したのだろうか?
シュヴァルツェンベルグ家(Schwarzenberg)

18世紀、 神聖ローマ皇帝で、オーストリア大公、ハンガリー王、ボヘミア王を兼任していたヨーゼフ2 世(1741年~1790年)は農奴解放令や宗教寛容令等いろいろな改革をした皇帝として知られています。(ほとんどは頓挫しているらしいですが・・)

その中で 帝国の財産を増やす意味もあり皇帝は領内の修道院を閉鎖してその財産を没収 。
その結果1787年に、この由緒ある墓地や骸骨堂及び全聖人教会は領主であったシュヴァルツェンベルグ(Schwarzenberk)家がこれを後見し、買い取り をする事になったようです。

pict-チェコ 19.jpg

先に紹介したように シュヴァルツェンベルグ(Schwarzenberk)家はこの墓地教会の装飾をスカリツェ出身の木彫家フランティシェク・リント(František Rint)に依頼 。
そして、このような 素材が骨だけと言う異常な装飾教会ができあがるに至った のです。

pict-チェコ 20.jpg

誰が発注したのだろうか?
シュヴァルツェンベルグ家側からの依頼・・と書いているものもあるが、私は疑問である。
もし、そうであるなら木彫家に発注するであろうか?
バロック様式の教会には木彫の天使のオブジェの方がはるかに似合う。

私的に推察するに 木彫家がスタンド・プレーで骨を使ったオブジェを制作したのではないか?  とも思える。骨のオブジェだけなら大工で十分。彫刻家はいらない。

さて、話を戻 してこの教会堂を装飾した頃、シュヴァルツェンベルク家から教皇に継ぐ最高位の聖職者である司教枢機卿が誕生 している。

6代目枢機卿 フリードリヒ・ヨハネス・フォン・シュヴァルツェンベルク(Friedrich Johannes von Schwarzenberg) (1809年~1885年)
ザルツブルグの大司教(在位1835年~1849年)
司教枢機卿(在位1835年~1849年)
プラハ大司教(在位1849年~1885年)
1885年プラハ大司教として死亡。

プラハ大司教(1849年~1885年)の時代に教区のセドレツ納骨堂を改修したのではないか? と思う。
彼は芸術の庇護者であったと言う。
とは言え、やはりお骨でオブジェを造れ・・などとは言わなかったと思うのだ。

余談ですが・・。
若くして枢機卿になったのに1846年のコンクラーベに参加できず、しかもこの時の教皇、ピウス9世(Papa Pio IX)(在位1846年~1878年)は31年7ヶ月という最長の教皇在位記録を樹立。
次に彼が出席できた1878年のコンクラーベではすでに69歳。病で弱っていたようです。


祭壇前には大きな四角錐の燭台が4機ある。
pict-チェコ 21.jpg
形的にはバロックである。

領主であったシュヴァルツェンベルグ(Schwarzenberk)家とは?
ボヘミアの名家シュヴァルツェンベルク家の歴史は10世紀に遡ります。
戦功による報償で爵位をあげ、土地を拡大。
17世紀よりボヘミア(旧チェコスロバキア領)一帯の、農地森林、沼沢地、教会、城など莫大な財産を所有した大貴族の1つで、ウィーンのシュヴァルツェンベルク宮殿はナチに取り上げられるまでは数ある城 の1つ でした。

シュヴァルツンベルグ家の紋章(Schwarzenberg coat-of-arms ) を骨で表現。
制作者はもちろんFrantišek Rint
pict-チェコ 14.jpg

シュヴァルツンベルグ家の紋章

シュヴァルツェンベルク紋章   - Schwarzenberg coat-of-arms


家紋の説明
pict-チェコ 15.jpg
王冠はPrince(大公or 皇族など特定の領域を支配する貴人の称号)

pict-チェコ 16.jpg
右・・・本来 赤い山3つは 、シュルツのマリー・アンナとの結婚でフェルディナンドzuシュヴァルツェンベルクによって 領地に付け加えられたシュルツ支配権を象徴 しているそうです。

左・・・ 銀と青のストライプは、シュヴァルツンベルグ家の最初の家 紋

シュヴァルツンベルグ家を最も象徴するのがこの部分
pict-チェコ 17.jpg
右・・ ・オスマントルコ人の生首の目を突く大カラス。これはラーブ(トルコの要塞)の征服後に加えられた らしい。シュヴァルツェンベルグ家はここで活躍したようです。

左・・・ 燃えている小枝を表していて、ブランディス支配権を象徴 。

どうも紋章は功績により加えられて進化しているようなので、現在の紋章については不明。
ところで、先の英国王子の挙式の時に、后となるミドルトン家が平民で紋章がなかった事から式の為に急遽造らせた・・と言う話を聞きました。 貴族同士には必要な家紋 のようです。

因みに 骨の紋章にはないが、エンブレムには金羊毛勲章が付いている事から金羊毛騎士団(Order of the Golden Fleece)のメンバーである事がうかがえる 。
リンク ​ 金羊毛騎士団と金羊毛勲章​(Toison d'or)​ ​

星イングランドのガーター騎士団をまねてブルゴーニュ公フィリップ3世により1430年に設立されたこの騎士団は十字軍を想定した修道士による 騎士修道会とは一線を画し、各国の王・貴族が作った騎士団の1つ である。
実際の騎士としての活動より 名誉や儀礼的な意味合いが強く、その印は勲章システムとして残っている。

シュヴァルツェンベルク家(Schwarzenberg)の歴史はまた後で・・。
セドレツ納骨堂おわり

これはクイズ形式で出した物でした。写真だけでもback number見てください。
リンク ​ これは何でしょう? クイズ (チェコ編) 1 骨? ​
リンク ​ これは何でしょう? クイズ (チェコ編) 2  (セドレツ納骨堂の・・・) ​

その他関連
リンク ​ クトナー・ホラ(Kutná Hora)と銀貨 ​
​リンク  クトナー・ホラの聖バルバラ教会 1 (St Barbara) ​
リンク ​ クトナー・ホラの聖バルバラ教会  2 ​
リンク ​ クトナー・ホラの聖バルバラ教会 3 (ステンドグラスとドイツ騎士団) ​
リンク ​ 聖ヴィート大聖堂 (ミュシャのステンドグラス) ​








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Last updated  2020年12月14日 06時46分50秒
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