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・・と言いながら書いているうちに違う方向に走ってしまい、聖バルバラ教会は次回になってしまいました![]()
クトナー・ホラ(Kutná Hora)と銀貨
チェコ共和国(Czech Republic)クトナー・ホラ(Kutná Hora)
プラハ・グロッシュ(Prague groschen)銀貨
ヨアヒムスターラー(Joachimsthaler)銀貨
ドル(Dollar)銀貨
ユネスコ世界遺産に登録された街、クトナー・ホラ(Kutná Hora)
は、プラハ近郊とは言え、チェコ共和国の田舎の小さな街です。
しかし、 13世紀後半に銀鉱が発見されると、国王ヴァーツラフ2世はそこに王国造幣局を設立。宮廷都市となり、街は中世期のボヘミアでは第2の都市に成長
したそ
うです。
街は写真中心で紹介。
聖バルバラ教会前からの街
遠くに見えるのが街の中心にあるヤコブ教会
下の写真は季節が春です。
街並と路地
聖ヤコブ教会の裏路地
聖ヤコブ教会
聖ヤコブ教会
街には当時を紹介する鉱山博物館がありますが、残念ながら中の写真撮影は禁止でした。(外観も微妙)
プラハ・グロッシュ(Prague groschen)銀貨
クトナー・ホラで鋳造される「プラハ・グロッシュ(Prague groschen)」と呼ばれた銀貨は、16世紀まで神聖ローマ帝国内の基準通貨となり欧州中に流通したそうです。
その為ボヘミア王国はものすごい収益をあげたわけです。
通称イタリアン・コート(旧王宮ヴラシュスキー宮)は王国造幣局
中は撮影禁止でしたが、造幣局と王宮両方が見学できる。
王宮内に造られた王国中央造幣局では、フィレンツェから招かれた熟練工に鋳造を依頼した為に通称「イタリアン・コート(Italian Court)イタリア宮廷」と名がついたようです。
鉱山で働いていたのは主にドイツ人(最盛期には数千人)で 、国王はベテランの技師や職人を招き入れ、銀貨は製造されたそうで、当初純度は高く品質は良かったようです
。
因みに鉱夫は修道士のようなフード付きの長いコートを着用した事から鉱山の事を修道服の山と呼ぶそうですよ。
参考・・プラハ・グロッシュ(Prague groschen)銀貨(ヴァーツラフ2世時代)
ウィキペディアによれば、 直径27mm前後、当初の重さは3.5~3.7g程度、
純度933‰(パーミル)
クトナー・ホラの銀山は15世紀には枯渇しはじめ、銀の含有料が減って劣化。
銀貨(プラハ・グロシュ)は1644年まで鋳造され造幣局は1726年に閉鎖
されます。
ヨアヒムスターラー(Joachimsthaler)
銀貨
プラハ・グロッシュの価値は落ちて 次世代銀貨として脚光を浴びたのが、大型銀貨のターラー(Thaler)銀貨でした。
それは欧州の銀の主流がプラハ・グロッシュからターラー(Thaler)銀貨へと
取って代わり新たな商取引の基準となった銀貨です。
参考・通称ターラー(Thaler)銀貨(1525年のターラー銀貨)
同じくウィキメディアより写真を借りてきました。
正式名はヨアヒムスターラー(Joachimsthaler)銀貨
銀貨が鋳造されたボヘミアのザンクト・ヨアヒムスタールに由来して命名
。
ドルの語源にもなったタール(thal)(谷)
銀は渓谷地帯で鋳造される事からタール(thal)(谷)の名称
が付き各地で「・・・タール銀貨」と呼ばれる銀貨が発行されています。
それらは大きさと重さがターラー銀貨を基準にして鋳造。同等の価値のある銀貨として欧州を流通したそうです
。
だからターラー銀貨は複数の種類が存在します。
19世紀まで通用していたターラー銀貨は通貨名称として今もアメリカのドル(dollar)等に呼称として残っています。
ドル(Dollar)銀貨
初期 ドル・コイン
紙幣への不信感から硬貨の鋳造が望まれたそうで
、アメリカ合衆国造幣局は、1794年から1803年までシルバー・ダラー硬貨を鋳造
。
しかし1794年10月15日に鋳造された分は、社会的に高位な立場にある人達に土産として配られ、以降も銀貨は収集家に好まれたり海外への土産に使われ、
あまり流通はしなかったようです
。
アメリカ建国200年、自由の女神像(Statue of Liberty)が贈られた100年目
の記念で販売された 1ドル銀貨


コレクション用の1ドル銀貨なので値段は1ドル以上、それなりに・・。
でも公式用の通貨か不明。
1840年以降のドルコイン
シーテッド・リバティ・ダラー(1840年~1873年)
トレード・ダラー(1873年~1885年)
モーガン・ダラー(1878年~1904年、1921年)
ピース・ダラー(1921年~1928年、1934年~1935年)
1ドル硬貨の流通は最小限に抑えられ、財務省は1967年までには兌換銀券(だかんぎんけん)と銀貨の交換を廃止。
年度が跳んでいるのは、硬貨の流通を制限して流通を調整。発行しない年があるからです。
そして 以降のダラーには記念硬貨以外銀は含まれず安い合金になった
ようです。
アイゼンハワー・ダラー(1971年~1978年)
1978年製造の1ドル・アイゼンハワー・ダラー硬貨です。
残念ながらこれには銀は含まれていないそうで、1ドル銀貨風の硬貨です。
直径38.1mm、重さ20g
大きく、重く、自販機にも入らない不便なアイゼンハワー・ダラーは一般には流通せずカジノで最も多く使用され、一時はマシンのコインがこの硬貨であった時代もある。
(現在はカジノもお札である。)
アンソニー・ダラー(1979年~1981年、1999年)
アイゼンハワー・ダラー硬貨と同じく、銅とニッケルの合金
今もたまに見かけるアイゼンハワー・ダラー硬貨以外
、 1ドル硬貨は一般の流通用には販売されず、記念硬貨として1ドル銀貨が販売
されているだけです。
銀貨の呼称だったダラーは銀ではなくなりアメリカの通貨そのものを指す名称になった
と言う訳です。
写真はクトナー・ホラに戻って・・
聖母マリアを頂くペスト柱像

バラツキー広場界隈
聖バルバラ教会(左)と旧イエズス会大学(右)
次回予定の聖バルバラ教会の前振りでした。
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