わたしのこだわりブログ(仮)

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2012年09月12日
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カテゴリ: 歴史の旅



・・と言いながら書いているうちに違う方向に走ってしまい、聖バルバラ教会は次回になってしまいましたぽっ

クトナー・ホラ(Kutná Hora)と銀貨
チェコ共和国(Czech Republic)クトナー・ホラ(Kutná Hora)
プラハ・グロッシュ(Prague groschen)銀貨
ヨアヒムスターラー(Joachimsthaler)銀貨
ドル(Dollar)銀貨

ユネスコ世界遺産に登録された街、クトナー・ホラ(Kutná Hora) は、プラハ近郊とは言え、チェコ共和国の田舎の小さな街です。

しかし、 13世紀後半に銀鉱が発見されると、国王ヴァーツラフ2世はそこに王国造幣局を設立。宮廷都市となり、街は中世期のボヘミアでは第2の都市に成長 したそ うです。

街は写真中心で紹介。

聖バルバラ教会前からの街
pict-クトナー・ホラ 1.jpg
遠くに見えるのが街の中心にあるヤコブ教会

下の写真は季節が春です。
pict-クトナー・ホラ 2.jpg

街並と路地
pict-クトナー・ホラ 4.jpg

聖ヤコブ教会の裏路地
pict-クトナー・ホラ 5.jpg

聖ヤコブ教会
pict-クトナー・ホラ 6.jpg

聖ヤコブ教会
pict-クトナー・ホラ 9.jpg

街には当時を紹介する鉱山博物館がありますが、残念ながら中の写真撮影は禁止でした。(外観も微妙)

プラハ・グロッシュ(Prague groschen)銀貨
クトナー・ホラで鋳造される「プラハ・グロッシュ(Prague groschen)」と呼ばれた銀貨は、16世紀まで神聖ローマ帝国内の基準通貨となり欧州中に流通したそうです。

その為ボヘミア王国はものすごい収益をあげたわけです。

通称イタリアン・コート(旧王宮ヴラシュスキー宮)は王国造幣局
pict-クトナー・ホラ 3.jpg
中は撮影禁止でしたが、造幣局と王宮両方が見学できる。

王宮内に造られた王国中央造幣局では、フィレンツェから招かれた熟練工に鋳造を依頼した為に通称「イタリアン・コート(Italian Court)イタリア宮廷」と名がついたようです。

鉱山で働いていたのは主にドイツ人(最盛期には数千人)で 、国王はベテランの技師や職人を招き入れ、銀貨は製造されたそうで、当初純度は高く品質は良かったようです 。

因みに鉱夫は修道士のようなフード付きの長いコートを着用した事から鉱山の事を修道服の山と呼ぶそうですよ。

参考・・プラハ・グロッシュ(Prague groschen)銀貨(ヴァーツラフ2世時代)
ファイル:Grossi pragenses avers.jpg ファイル:Grossi pragenses revers.jpg

ウィキペディアによれば、 直径27mm前後、当初の重さは3.5~3.7g程度、
純度933‰(パーミル)

クトナー・ホラの銀山は15世紀には枯渇しはじめ、銀の含有料が減って劣化。
銀貨(プラハ・グロシュ)は1644年まで鋳造され造幣局は1726年に閉鎖 されます。


ヨアヒムスターラー(Joachimsthaler) 銀貨
プラハ・グロッシュの価値は落ちて 次世代銀貨として脚光を浴びたのが、大型銀貨のターラー(Thaler)銀貨でした。

それは欧州の銀の主流がプラハ・グロッシュからターラー(Thaler)銀貨へと
取って代わり新たな商取引の基準となった銀貨です。

参考・通称ターラー(Thaler)銀貨(1525年のターラー銀貨)
ファイル:Joachimsthaler 1525.jpg
同じくウィキメディアより写真を借りてきました。
正式名はヨアヒムスターラー(Joachimsthaler)銀貨
銀貨が鋳造されたボヘミアのザンクト・ヨアヒムスタールに由来して命名
。

ドルの語源にもなったタール(thal)(谷)
銀は渓谷地帯で鋳造される事からタール(thal)(谷)の名称 が付き各地で「・・・タール銀貨」と呼ばれる銀貨が発行されています。

それらは大きさと重さがターラー銀貨を基準にして鋳造。同等の価値のある銀貨として欧州を流通したそうです 。
だからターラー銀貨は複数の種類が存在します。

19世紀まで通用していたターラー銀貨は通貨名称として今もアメリカのドル(dollar)等に呼称として残っています。


ドル(Dollar)銀貨
初期 ドル・コイン
紙幣への不信感から硬貨の鋳造が望まれたそうで 、アメリカ合衆国造幣局は、1794年から1803年までシルバー・ダラー硬貨を鋳造 。
しかし1794年10月15日に鋳造された分は、社会的に高位な立場にある人達に土産として配られ、以降も銀貨は収集家に好まれたり海外への土産に使われ、 あまり流通はしなかったようです 。

アメリカ建国200年、自由の女神像(Statue of Liberty)が贈られた100年目
の記念で販売された 1ドル銀貨
pict-1ドル銀貨 2.jpg
pict-1ドル銀貨 3.jpg
コレクション用の1ドル銀貨なので値段は1ドル以上、それなりに・・。
でも公式用の通貨か不明。

1840年以降のドルコイン
シーテッド・リバティ・ダラー(1840年~1873年)
トレード・ダラー(1873年~1885年)
モーガン・ダラー(1878年~1904年、1921年)
ピース・ダラー(1921年~1928年、1934年~1935年)

1ドル硬貨の流通は最小限に抑えられ、財務省は1967年までには兌換銀券(だかんぎんけん)と銀貨の交換を廃止。
年度が跳んでいるのは、硬貨の流通を制限して流通を調整。発行しない年があるからです。

そして 以降のダラーには記念硬貨以外銀は含まれず安い合金になった ようです。

アイゼンハワー・ダラー(1971年~1978年)
1978年製造の1ドル・アイゼンハワー・ダラー硬貨です。
pict-1ドル銀貨.jpg
残念ながらこれには銀は含まれていないそうで、1ドル銀貨風の硬貨です。
直径38.1mm、重さ20g

大きく、重く、自販機にも入らない不便なアイゼンハワー・ダラーは一般には流通せずカジノで最も多く使用され、一時はマシンのコインがこの硬貨であった時代もある。
(現在はカジノもお札である。)

アンソニー・ダラー(1979年~1981年、1999年)
アイゼンハワー・ダラー硬貨と同じく、銅とニッケルの合金

今もたまに見かけるアイゼンハワー・ダラー硬貨以外 、 1ドル硬貨は一般の流通用には販売されず、記念硬貨として1ドル銀貨が販売 されているだけです。
銀貨の呼称だったダラーは銀ではなくなりアメリカの通貨そのものを指す名称になった と言う訳です。


写真はクトナー・ホラに戻って・・
聖母マリアを頂くペスト柱像
pict-クトナー・ホラ 7.jpg

pict-クトナー・ホラ 10.jpg

バラツキー広場界隈
pict-クトナー・ホラ 8.jpg

聖バルバラ教会(左)と旧イエズス会大学(右)
pict-聖バルバラ教会 3.jpg

次回予定の聖バルバラ教会の前振りでした。






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Last updated  2012年09月13日 22時08分09秒
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