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情報を伝えるメディア機器の能力が向上した為に、毎日世界中のありとあらゆるニュースがほぼ現在進行形で配信される昨今である。
世界で今こんな事が起きている・・。
それは単にマスコミの通信能力が向上したからではない。
地球の裏側にいても、目の前にいる人と同じように情報を共有できるようになったのは、私たち一般の人間にもメディア機器が普及して、情報ソースになれるようになったからである。
しかしどんなに情報機器が進化しても、古(いにしえ)と変わらない方法を遵守する物もある。
例えばローマ法王を選定する会議、コンクラーヴェ(Conclave)がそうである。
システィナ礼拝堂にこもった枢機卿達からの合図は
法王が決まらない時・・礼拝堂の煙突から黒い煙
法王が決まった時・・・・礼拝堂の煙突から白い煙
※ 2005年の選挙からは決定の白い煙が出た直後、サン・ピエトロ大聖堂の鐘を鳴らして正式な合図とする。
多少の変更はあったがデジタル社会の今、それは超アナログである。
それでも、古来の方法に固執するのはその方法自体に意味があるからなのだろう。
ヴァチカンとシスティナ礼拝堂
今回は新法王誕生にちなんでバチカンとシスティナ礼拝堂を載せました。
チカン市国(Stato della Città del Vaticano)
サン・ピエトロ広場
システィナ礼拝堂(Cappella Sistina)

写真中央奧のアンテナ塔はヴァチカンのラジオ局。
ドームより手前の町並みはローマ市です。
ところで、「法王」か?「教皇」か?
ラテン語で「Papa(パパ)」の日本語訳は以前は「法王」だったような気がしますが、
近年日本のカトリック教会は「王」と付く事をさけ、「教皇」と訳す事を推奨しているようです。
ウィキメディア・コモンズ パブリックドメインより ヴァチカン市国の図
ヴァ
チカ
イタリアの中にあってイタリアではない法王を国家元首とする独立国家がバチカン市国
です。
面積わずか0.44 km 2
。
ディズニーシー(面積0.49km 2
)より少し小ぶりな領土ではありますが、 世界信徒11億8千万人をかかえるカトリック教会の総本山、ローマ法王庁の本拠
があります。
国と言うよりは、ヴァチカン市国(Vatican City State)自体が、ローマ法王庁オフィス・・と言った所です。
先日のコンクラーベによりアルゼンチン出身、ブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)が選出され、
第266代 法王フランチェスコ(Franciscus)1世 の誕生
※ 正式な即位は2013年3月19日
サンピエトロ広場から
広いし、人も多いので全てを入れて撮影はなかなか難しいのです。
下の写真はウキメディア・コモンズから借りて来ました。 作者Diliff
寺院の上から広場を撮影。
こちらもウキメディア・コモンズから借りて来ました。作者François Malan
広場側から寺院と広場を撮影。
サン・ピエトロ広場
バロックの巨匠、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計
によるサンピエトロ広場は、4列のドーリア式円柱284本による列柱廊と140体の聖人像に囲まれた広場の中央にオベリスクが建つ・・と言う壮大なもの。
1656年に着工 1667年完成
。
そのデザインの根底には聖堂を体とし、腕を広げて信徒を包み込むように広げた愛が表現されているらしい。
オベリスクは実はサンピエトロ広場の中央にある。
現存するオベリスクは世界に30本。ローマに13本、エジプト7本。
このオベリスクは 紀元前1世紀にエジプトのヘリオポリスで制作され、37年に第3代ローマ帝国皇帝カリグラが持ち帰り
競技場に建てていたものらしい。
1586年に法王シクストゥス5世が現在の位置に移築
。
赤い矢印下あたりがシスティナ礼拝堂の位置。
式典がある時はオベリスクの前まで椅子が並ぶ。
日本ではあまり流れませんが式典はよくあるようです。
昨年ハワイアンやインディアン系の人達が聖人に加えられアメリカでは話題になっていました。
今回の法王も欧州外からの初法王です。世界規模になってきて、法王庁の考え方もだんだん開かれてきたようです。
サンピエトロ寺院正面入り口
前にも紹介していますが、 キリストの使徒ペテロの埋葬場所の上に建築された寺院です。
それ故、聖堂は聖ペテロのバシリカ(サン・ピエトロ大聖堂)なのです
。
(イタリア語ではBasilica di San Pietro in Vaticano)
創建は4世紀。現在の聖堂は1506年法王ユリウス2世がブラマンテに命じて始まった。
1626年に完成するまで120年
。
法王だけでも19人近く入れ替わり、、 ラファエロ
、 ミケランジェロ等も建築設計にかかわっています
。
システィナ礼拝堂(Cappella Sistina)
ヴァチカンと言えば、ペテロの座像とこの礼拝堂は絶対外す事はできない見どころの一つです。
何しろこの部屋を飾る装飾画はルネッサンスの巨匠ミケランジェロ・ブオナローティ (Michelangelo Buonarroti)の手による創世記と最後の審判の図なのですから・・。
普段はカメラでの撮影は禁止の部屋ですが、この時は何があったのか? 係員の0kが出たようです。だからこれは奇跡の撮影です ![]()
ところで写真は若干明るくしています。本当はかなり薄暗い部屋です。
今は空調が悪く人が入りすぎると湿気がこもりフレスコ画に害を及ぼすので、入室制限をかける・・と言う話もあるくらい文化財的に貴重な部屋なのです。
前述のコンクラーヴェ(Conclave)も、古よりこの部屋で行われるのが慣習となっています。
こんな薄暗い冷たい部屋の中で決まるまで缶詰にされるのですから、枢機卿の方々も大変だったと思います。
※ 缶詰状態の選定会議は2005年に廃止され現在は出入りできるようになったようです。
正面に見えるのが最後の審判図
ミケランジェロは特に天井画の制作に苦労したようです。
上を向いて描いているので絵の具が目に入るのだそうです。
あまりの辛さに一度女装してまで逃亡しているようですよ ![]()
そういえばこの隣あたりの部屋にラファエロ制作のアテネの学堂の絵画があります。
当時同時期にラファエロとミケランジェロはニアミスしていたわけです。
アテネの学堂の絵画の中に悩むミケランジェロらしき人がいるのは彼がミケランジェロをこっそり見ていたからかもしれません ![]()
天井に描かれているのが創世記の図解です。
写真中央上が「ノアの洪水」。
3つ目が「アダムとイヴの原罪と楽園追放」です。
システィナ礼拝堂最後の審判の図については以前一度紹介しているので良かったら見てね。![]()
2009年07月12日「最後の審判 1 (ダンテの神曲)」
リンク 最後の審判 1 (ダンテの神曲)
2009年07月14日「最後の審判 2 (福音書と黙示録)」
リンク 最後の審判 2 (福音書と黙示録)
ところで使徒ペテロは「岩」と言うあだ名だそうです。
本名はシモン (Simon)
ユダヤ名はシメオン (Simeon)
今度の法王はラテン語でフランチェスコ1世と名を改めたのは、アッシジのフランチェスコを崇敬しての事らしいです。
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