わたしのこだわりブログ(仮)

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2010年02月18日
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カテゴリ: 歴史の旅

ヴァイキング 15 (北方ゲルマン人の民族移動総括)

ヴァイキング(Viking)総括
ヴァイキングと呼ばれた 民族
北方ゲルマン人(ヴァイキング)のさらなる民族移動
北or西ルート
東方ルート
南or西ルート

ヴァイキングと呼ばれた 民族
4世紀から5世紀にかけて欧州や北アフリカで起きたゲルマン人の民族移動をゲルマン民族の大移動と言いますが、 遡ればもともとBC9500~8000年前のアナトリア(現トルコ)あたりにいたインド・ヨーロッパ語族が起源 となっています。

そしてその後、 幾多の民族に分裂と移動をしながら彼らはヨーロッパ大陸に散り 、BC6100年頃ケルト語と分離し、 BC3400年頃ゲルマン語派 やイタリック語派の 民族が誕生。( 要するにヨーロッパ大陸の人々のDNAは同じ所に集約するようです。)

ヴァイキングと呼ばれる彼らは、ヨーロッパ中北部に広まり、そこを原郷としたゲルマン語派北ゲルマン語群に属し古ノルド語を話す人々 です。

スカンディナビア半島や北海沿岸に定住した彼らは8世紀から11世紀あたりに幾度めかの民族移動 をしています。
それは 必ずしも移動と言うものではなく、一部略奪と言う海賊行為で、ヨーロッパ大陸で静かに暮らしていた人々を恐怖に陥れる元凶ともなり、憎しみを持った国からの伝えにより、「凶暴な野蛮人」と言う私たちの知るヴァイキング像を植え付けられたようです。

彼らの記録は公式には欧州各国の歴史の中に現れるだけで、彼らの真実を知るものはありません。唯一北欧に伝わるサガ(Saga)「語られたもの」と呼ばれる散文の叙事詩の中で伝説のように伝えられて来たものが手がかりのようです。

また、 最近になって出土する彼らの遺跡群から彼らの生活や文化の高さなどが少しずつ解明 されて、今、私たちの植え付けられていたヴァイキング像が大きく変わりつつあるようです。

現在のヨーロッパのゲルマン語派


ノルウェーのヴァィキング達の故郷 フィヨルドの奥地
ノルウェーのフィヨルド
海岸からはほど遠くない程度のフィヨルドの谷間に暮らしていたヴァィキング。
冬の寒さはかなり厳しかったはず・・。
彼らが進んだ海はもっと厳しい土地だった。

国土の一部は北極圏にかかっているアイスランド
アイスランドの海
火山島なので地熱があるから同緯度のフィンランドやスウェーデンよりははるかに暖かかったようですがヴァィキング達が定住するまでほぼ無人に近い島でした。
彼らが大挙してやってきたので(主にノルウェー)食べ物は不足。また新たな入植地を求め西をめざしたヴァイキング。

魔除けの船首
ヴァィキング船のヘッド

海洋を渡れるヴァィキング船
ヴァィキング船

彼らの開拓の先に北米大陸、発見。ここは伝説のヴィンランド「葡萄の国」
言い換えれば密の溢れる楽園。
ランス・オ・メドウ 30
先住民とうまくやっていけたら・・ここに生き残れたのに・・・。
グリーンランドから渡った彼らは程なく帰国。よほどの事があったのでしょう。

そのグリーンランドも14世紀には極度の飢餓に陥り誰もいなくなってしまった。
西に進んだヴァィキングには辛い航路だった。
ランス・オ・メドウ 31

北方ゲルマン人(ヴァイキング)のさらなる民族移動
ヴァイキングと言う呼称は「ヴィーキングル(Vikingr)」から来ていると言われますが、実は語源は曖昧で先に紹介したように「入江」、「湾」、「フィヨルド」を意味する「ヴォーク」と推定されます。
しかし、当時は国により彼らを呼ぶ呼称はたくさんあり、その中で 彼ら自身は「ヴェストフォルトの民」、「ホルザランドの民」、「ウップランドの民」と特定地域の住民を意識 したようです。「北欧の民(Norgmenn)」は主にノルウェー人を指す呼び名で、広義にスカンディナビアを指したようです。

敢えて彼らを北方ゲルマン人としたのは、彼らの略奪も含める商路開拓や植民移動を総じて新たな北方ゲルマン民族の移動と位置づけできるのでは? と思ったからです。

先に紹介した「ヴァイキング 1 (民族移動) 」の中で彼らの移動を東西南北の各ルートで大別していますが、その各ルートに赴く段階で、すでに新たな民族の分離と考えられるのではないかと思います。

北or西ルートをとったのは、主にノルウェーにいたヴァイキング です。
アイルランドで行われた略奪を除けば、アイスランド、グリーンランドへの移民は 静かな植民移動 です。(先に写真で紹介)
とは言え、このルートは過酷なルートです。 食糧が無くて命を落とした者が多かったルートだからです

東方ルートをたどったのは、主にスウェーデンにいたヴァイキング です。
バルト海を横断しラトガ瑚からロシア域に移動した彼らは略奪しながらも 奴隷貿易など商人色の強い人々 です。
東はボルガ河を下ってカスピ海へ、西はキエフ(キエフ建国)をへてドニエプル川から黒海経由でコンスタンティノープルの商路を開拓。
奴隷貿易で商売をする者とローマ(ヴィザンチン)皇帝の傭兵になった者達がいます。

南or西ルートをとったのは、主にデンマークにいたヴァイキング です。
デンマークは当時北欧の中でも大規模な組織的な進行を行いフランク王国、イングランド、アイルランドに攻め入った人々です。
海賊行為の略奪の代わりに 一流の武将が率いる訓練された部隊を編成しての軍隊 としての侵略です。 これは国盗り合戦に近い進行 だと思われます。

2度に渡るイングランドの征服で イングランド地方に定住した者
フランク王国との戦いではパリに700隻のヴァイキング船、3万人で襲撃。
この戦いはフランクの王と金銭的取引で収められ、そのまま住み着いた者や取引して(懐柔)土地をもらっい 貴族となり(ノルマン王国建国)フランク王国支配下に 組み込まれたりしています。

デンマークのヴァィキングはノルウェーのヴァィキングとも戦っているのです。
ヴァイキングを私たちは一括りに考えていましたが、 船や家、家族商売などの共通項はあるものの全く別の民族です。
彼らはもはや、単一民族として捕らえるのは誤りがある
気がします。
少なくとも「東のヴァイキング」、「南のヴァイキング」と細分化して呼ぶべきでは? とも思います。

復元 デンマーク イェリングの石碑の1つ
イェリングの石碑 復元
スカンディナビア最古のキリスト図と言われるこの碑はデンマークのハーラル王が960年頃に改宗したのを機に建立されたようです。

突然ヨーロッパ史から消えたように見えるヴァイキング、その大きな要因はやはりキリスト教化した事なのでしょう

東方ルート、南ルートのヴァイキングの事がわかったらまた続きあるかも・・・。
とりあえずヴァイキングおわります。

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リンク ​ ヴァイキング 1 (民族移動と船)
リンク ​ ヴァイキング 2 (ロング・シップとクナル)
リンク ​ ヴァイキング 3 (竜頭柱とヴァルハラ宮殿)
リンク ​ ヴァイキング 4 (副葬品)
リンク ​ ヴァイキング 5 (奴隷と宗教とスターヴ教会)​​​
リンク ​ ヴァイキング 6 (ロム・スターヴ教会)
リンク ​ ヴァイキング 7 (ヴァイキングの里)
リンク ​ ヴァイキング 8 (民族の祖語とルーン文字)
リンク ​ ヴァイキング 9 (アイスランド入植からアメリカへ)
リンク ​ ヴァイキング 10 (カナダ、ニューファンドランド島)

リンク ​ ニューファンドランド島 (グロスモーン国立公園)

リンク ​ ヴァイキング 11 (ランス・オー・メドウ)
リンク ​ ヴァイキング 12 ( ヴァイキングの家)
リンク ​ ヴァイキング 13 (ヴァイキングの生活)
リンク ​ ヴァイキング 14 (ヴァイキングのオシャレと鍛冶)
ヴァイキング 15 (北方ゲルマン人の民族移動総括)






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Last updated  2020年10月12日 07時17分39秒
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