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切り込み隊は、突破口を開く者であり、また開拓者とも言える。
階級闘争においては、前衛隊である指導者達、芸術の分野では先駆的な、革新的な、従来にない世界を追う芸術家達(いわゆる抽象画家達)がそれにあたった。
ピカソやカディンスキーが有名になると、軍隊用語は革新的な芸術家達を指す言葉として定着してしまった。
ところで、アヴァンギャルド(avant-garde)は20世紀から使われるようになった言葉ではあるが、芸術の分野には常に開拓者がいたわけである。
近代絵画が生まれる前、19世紀には、しとやかに新しい芸術の表現方法を実践する者達が各地で生まれていた。
印象派と呼ばれる人達だってアヴァンギャルドな人達だし、古典から一気に近代芸術にのしあげた19世紀末ウイーンの分離派(ゼセッション・Sezession)もアヴァンギャルドな芸術家の一団と言える。
前回はその分離派の本山を紹介したが、今回も分離派の一員であった建築家の作品を紹介。
オットー・ワーグナー(Otto Wagner)の集合住宅
オットー・ワーグナー(Otto Wagner)の駅舎
メダイヨン・マンション(Medaillon Mansion)
マヨルカ・ハウス(Majolika Haus)
オットー・ワーグナー(Otto Wagner)(1841年~1918年)
2010年8月「オーストリア、ウィーン、 カールス広場界隈 Part 1 ワーグナー設計のカールスプラッツ駅舎」でも紹介しているので詳しくは省きます。
オットー・ワーグナー(Otto Wagner)の駅舎
当時ウイーンの人口は増え、リンクの外に住み市内まで通う人が増加。市は市街への鉄道計画とともに新しい都市計画をオットー・ワーグナーに任せた
。
1890年に市の都市計画顧問に就任
。
1894年から始まった市街鉄道では、そのうち 2路線の駅舎と鉄橋をオットー・ワーグナーが担当
したと言う。(現在は地下鉄U4とU6になっている)
前に紹介した カールスプラッツ駅舎(Karlsplatz)はその1つである。
鉄道とは言えウイーン市内を走るのでその美観を損ねてはならないし、まして駅舎も街の装飾の1つでなければならない。
デザインの均一化を図る目的もあり路線単位でデザイナーが統一されたようだ
。
カールスプラッツ(Karlsplatz)駅舎

右に見えるのがカールス教会で駅舎は左に向かい合う相似の建物。
1899年開業。
ワーグナーがデザインした当時の鉄道ラインは地下に潜ったがカールスプラッツ駅はハプ駅であり、地下鉄だけでなく、地上では今も複数の路面電車の軌道が交錯している。

カールスプラッツ駅が地下鉄になった時(1981年)本来駅舎は取り壊される予定だったそうだ。
現在ワーグナー・デザインの駅舎は喫茶レストランと、地下鉄入口の一つとして利用されている。
ケッテン・ブルッケン・ガッセ(Ketten Brrucken Gasse)駅舎
当時ワーグナーがデザインしたラインの駅舎の一つ で
、今回紹介するワーグナー・デザインの集合住宅に至る最寄り駅がここ。

1899年開通するも第一次世界大戦で閉鎖( 1918年)。1
925年鉄道は電化され再興
。
現在の駅舎は一部ワーグナーのデザインが残っているのみ・・となっているようです。

カールスプラッツ(Karlsplatz)もケッテン・ブルッケン・ガッセ(Ketten Brrucken Gasse)の駅舎も鉄とガラスと言う当時では斬新でモダンな素材でデザインされている。
メダイヨン・マンション(Medaillon Mansion)
ワーグナーが手がけた集合住宅がナッシュマルクト(Nasch Markt)前にある。
最寄り駅がケッテン・ブルッケン・ガッセ(Ketten Brrucken Gasse)で半地下のホームからもよく見える。
Linke Wienzeile 38 のメダイヨン・マンション(Medaillon Mansion)

1898年~1899年施工



メダル状のデザインからメダイヨン(Medaillon)と呼ばれるようになったが、
実は壁面装飾は分離派会館でもお馴染みのコロマン・モーザー(Koloman Moser)によるデザインである。

シュロの下にメダルがあり、その中の少女? のデザインは全て異なっている。


マヨルカ・ハウス(Majolika Haus)
Linke Wienzeile 40

1898年~1899年施工

イタリア、マジョリカ焼きのタイルで外壁が装飾されている事からそう呼ばれているが
、実はこのタイルのデザインもワーグナーではない。
アロイス・ルードヴィヒ(Alois Ludwig)(1872年~1969年)
1895年~1898年までウイーンの美術アカデミーでオットー・ワーグナーの下で学んだ教え子で、1898年からワーグナーの下で働いている。
壁面に施された花の装飾はアロイス・ルードヴィヒのデザインである。

ウィリアム・モリスのテキスタイルのような花柄プリントである。

メダイヨンとマヨルカは隣あった建物。
接続部は別の建物か?
こちらもマヨルカ焼きのタイル装飾。 よく見れば2階のテラスの手すりが続いている
。

こちらでは建物の間は接続させなければならない法律があるそうです。

双方の建物とも、現役で住居になっている為に内部に入る事はできない。つまり見学は出来ないのである。
内部こそオットー・ワーグナーらしい造形が見られるかも知れないのに・・ ![]()
通りを走っていると、とにかく目に留まる。
皆が賞賛する外側のデザインは、実はワーグナーのデザインではなかった。
が、それでもアイアン・ワークとガラスの美しい駅舎、それにこれらマンョンはやはり世紀末ウイーンを飾ったユーゲント・シュテールを代表するオットー・ワーグナーの作品なのである。
おわり
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