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昨日は久しぶりに京都嵐山に行ってきました。
昨年行きそびれた嵯峨帝の御所だった大覚寺が目的だったのですが、大覚寺は利便が悪い割に結構混んでいたので驚きました。それも若者(女子)がものすごく多かった。 (
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その理由がなんと刀剣育成シュミレーションゲーム「刀剣乱舞」のキャラとなる薄緑(膝丸・ひざまる)と言う名刀がこの寺に伝わっていたからだそうで、美形の青年と化した刀の出身地をめぐるスタンプラリーが嵐山電鉄をあげて行われていたかららしい。
大沢池バックに膝丸(ひざまる)のプレートが立っている。それを写真パシパシ彼女らはどこうとしない。一般の人からするとちょっと迷惑な・・。
それにしても刀剣の来歴にもせまるシュミレーションゲームなのに女子が多い。それはやっぱり擬人化されたキャラが女子好みだからなのだろう。中身は知らないがなんとなく乙女ロード系の臭いが・・。
アウグスブルク 2 (クラウディア街道)
アウグスブルク(Augsburg)
クラウディア・アウグスタ街道(Via Claudia Augusta)
さて、 アウグスブルク(Augsburg)はドイツの観光街道であるロマンティック街道の一端を成す都市
ですが、「ロマンティック街道」と銘打ったツアーでさえ、ハイデルベルクで昼食程度。ローテンブルクで一泊。シュヴァンガウで白鳥城を見てミュンヘンに泊まる・・と言う程度の内容のツアー。(ほとんど形だけ)
アウグスブルグなどかつては少しは立ち寄る事もあったようですが、今はそこから高速に乗るので近づくだけ。街には全く入らないのがほとんどだそうです。
実は 「ロマンティック街道」ツアー衰退の理由は街に宿泊しない観光バスの乗り入れが禁止 になった
街の外にバスを止めて街の中の観光場所まで歩くのには時間が必要。短いツアーにそんな時間は無い
と言う事です。
アウグスブルク(Augsburg)は泊まる程の街ではないか? と言うとそうでもない。実は 古代ローマ時代にできたこの町は欧州の歴史の中では重要な街の一つ だったのです
。
第二次世界大戦の災禍で街の50パーセントが破壊されたと言うが町にはローマ時代の遺構が次々発掘されるし、中世には交易により大金持ちだったので当時の素晴らしい文化的財産が残っている街。
しかし 中世にあった街を囲んでいた城壁は街の拡張の為に(西側壁)はずされたそうだ
。
だから写真左は拡張された新街の部分。赤色部分がアウグスブルグの駅舎となっている。
今 回は街の目抜き通りであるマクシミリアン通り(オレンジのライン)から紹介します。
ロマンティック街道の道でもあり、ローマ帝国にも通じていたこの道は古の時代、クラウディア・アウグスタ街道(Via Claudia Augusta)と呼ばれていました。
クラウディア・アウグスタ街道(Via Claudia Augusta)
アウグスブルク(Augsburg)はその名の通り古代ローマの皇帝名から由来
している。
※ ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス(Gaius Julius Caesar Octavianus Augustus)(
BC63年~AD14年)である
。
紀元前15年くらいにローマの植民都市(属州ラエディア)の州都
アウグスタ・ヴインデリコールムとしてできたのが街の発祥
だそうです。
市長舎前広場(Rathausplatz)のアウグストゥスの噴水

ローマ兵が作った道はローマ帝国に通じていたわけで古代ローマ帝国が終焉した後もこの道はイタリアとの貿易で使用され続け、大いに街は潤い栄えたそうです。
ここはほぼ街の中心。アウグストゥスの目先には街を象徴する市役所(ラートハウス)右とベルラッハの塔左が建っている。
これについては別の回で紹介![]()
市長舎からの広場
街は広いようで狭い。トロリーやバスは走るがほぼ歩いて回れる。
確かに観光バスなど入って来たらゴチャゴチャである。
実はこの日は天気が微妙。雨が降ったり晴れたり・・と写真が一定していませんが全て同じ日です![]()
かつ、この時広場は補修が行われていて雑然としていました。
市長舎前の道 がかつてのクラウディア街道です。

現在通りは細切れに名前を変えています。このあたりから南のウルリヒ&アフラ教会までがマクシミリアン通り(Maximilianstr)です。
この通りはギルドハウスなどで賑わった所です。
天気のせいではないと思うが人が少ない。たぶん人口そのものが少ないのかも・・。

右折するとBgm Fischer St。
コーナーにはかつてのギルドハウスが再利用されている。
いつも思うが看板もほとんど無いのでただの家なのか? ショップなのか? オフィスなのか解りにくい。
そしてお洒落なんだか老朽化しているのかよく解らない。
この交差点には見るべき噴水が一つ
マーキュリーの噴水(ヘルメスに同じ)である。
アウグスブルグは1276年に帝国自由都市になった。
それは司教の手から市民が自治権を獲得した事でもある。
商人は働けばそれが収入になる。通商は クラウディア街道を利用した交易で、街にはイタリアの文化やイタリア経由で世界の物資が流入。商いは盛んになった
のだ。
何しろ当時のイタリアは既に世界に繋がっていた。地中海貿易の拠点がアドリア海にあったのだから イタリアの繁栄と共にアウグスブルグにも冨がやってきた。
アウグスブルグの全盛期は15~17世紀で当時「黄金のアウグスブルグ」と謳(うた)われたそうだ
。
その中で名のある豪商が輩出される。彼らの事は次回にするが、街にある豪華な噴水は当時の豪勢さを示したものなのである。
アウグスブルグは実は二つの街が別に拡大して合併してできている。
一つは北にある大聖堂の周りに領主である司教のお膝元に集まって商いをした人々。
もう一つは南のベネディクト修道院の門前に集まって住み、イタリアとの通商の為に商人が集まってきてできた街である。
このあたりはその後者であり、当時の豪商が建てた宮殿が現在美術館として公開されている。
ヘラクレスの噴水
噴水に付いての記述は無いが観光局の資料によれば1600年頃のブロンズ製だそうだ。
写真はドシャブリの中で撮影しているのでめいいっぱい明るくしてこんなものです ![]()

目抜き通りなのに車もほとんど走っていない。
マクシミリアン通りの南のつきあたり。見える教会の塔がウルリヒ&アフラ教会です。
つづく
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