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とは言え事前にチケット予約していたので変更するわけにも行かずついていない出発。
もっともその旅行自体ほぼ全体の7割が雨だったような・・
しかし厳しい旅行の時ほど記憶に残るのは確かです。
今、1年半前の記憶をたぐり寄せながらの書き込みです f^^*) ポリポリ
アウグスブルク 3 (市長舎 黄金ホール)
アウグスブルク(Augsburg)
市庁舎(Rathaus)とぺルラッハ塔(Perlachturm)
市長舎 黄金ホール(Rathaus Goldener Saal)
アウグストゥスの目先に建っていた 市長舎と塔は共にアウグスブルク
出身の有名な建築家エリアス・ホル(Elias Holl)が手がけた作品
です。
※ エリアス・ホル(Elias Holl)(1573年~1646年)
ルネッサンス様式のアウグスブルグの建築家。
ドイツ・ネルッサンス様式の最高傑作として建てられた街の自慢の建築物ですが実は 1944年2月、第二次大戦の戦火に巻き込まれ現在のものはほぼ再建されたもの
です。
栄華を誇った当時に莫大なお金をかけて建造された建物だけに、その修復費用も莫大であり、特別予算を立てて市では修復を計ってきたようです が
、まだ全ての部屋・・までは完了していないようです。
外観も当時はもっとカラフルだった可能性があります。
左が ぺルラッハ塔(Perlachturm)
右が 市庁舎(Rathaus)・・現役です
ベルラッハ塔の方は監視塔として989年には存在していたようです。
建築家エリアス・ホルはその土台の上に市長舎とマッチするように監視棟を鐘楼に造り変えたらしい。
以前からこの場所にはゴシックの役場があたようです。それがアウグスブルグの繁栄の元で街にそぐわないものとなり、建て替えが検討。議会で承認され予算も付く。
時は1615年8月25日。最初の礎石が置かれ着工。
正面エントランスを入った1階部分
入ってすぐ右が売店
その隣の戸口を入るとトイレがありますが、市庁舎内にもかかわらず有料です。
黄金の間に入った人のみその半券を入れると扉が開くしくみになっています。
左のみ階段がオープンされていてそちらがルート。
階段を上ると正面に巨大ホールの入り口があります。
ホール入って右に職員のデスクがあり、そこで料金を支払うシステムです。
来訪しているのはほぼツアーの人達なのでかち合うと混み合います。
縦32.5m、横17.5m、高さ14m。ホールは広くて写真に入りきらないです。
栄華を誇ったアウグスブルグの冨の象徴として建てられた建物ですが本当に見事です
当時流行のドイツ・ルネッサンス様式の外観だけでも市民の自慢。加えてその内装はまるで王宮のような豪華さ。これが当時の市民の物だった
そう 改めて考えると当時のアウグスブルグ市民の経済力とレベルの高さに驚く広間
ででもあります。
(見学する時はその辺を踏まえて見なければ・・。)
金銭の問題だけでなく、大変だったのはそれに携わる職人や建てる為の石を始めとする様々な資材の調達です。
石工のギルドの調達。また200人を越える手工業職人、工芸職人、芸術家などの各種ギルドを統率しての工事はその指揮だけでも他とスケールが違ったと言う
。
黄金の間天井画は左右と中の楕円と3つに分割して意味が込められている。
中心楕円の中には3つの単語がある。
Per me(私が)、 Reges regnant(王の治世)、 Sapentia(知恵)
女神はSapentia(知恵)の女神。彼女は賢者と法律学者がひく凱旋車に乗っている。
知恵こそが統治する者(王)の重要な徳と言う事らしい。
しかしせっかくの建物が300年後の夜空爆により損壊して1946年に再びラートハウスの着工式が行われ、現在の外装は1955年のもの。
黄金の間に昇る二つの階段だけで900万ユーロ(1980年代)かかったそうだ。市では何期かにわけて予算を工面して修復にあたる。
最も大変だったのはフレスコ画の復元。木彫を含めた黄金の間の天井。正面入り口にある大型の金箔貼りの彫像。選定侯爵の暖炉など。
床板の修復には当時使用されたハレイン近郊アドネットからのものでゾーンホーフェンからの石。
市長舎の再建に使われた石全てが当時と同じ場所からの採掘で、限りなくオリジナルに近い物とこだわっているらしい
。
これら像は木彫。扉の上の女神像には2.6kgの金箔がコーティングされているらしい。
扉の柱の木彫
入り口側である北側の壁のフレスコ画にはローマの八皇帝(異教徒)が描かれている。
対して反対側南の壁にはキリスト教徒の八皇帝(おそらく神聖ローマの皇帝)が描かれているそうだ。
それぞれにラテン語の標語があり、シーザーの言葉を借りれば「来た。見た。勝った。」に対して、カール5世が「来た。見た。神が勝った。」と相対してキリスト教側の神の勝利を示しているそうだ。
黄金の間にメイン階段から入る入り口は北側と南側で2箇所ある。
その両左右に少し小さめの戸口が4箇所。
それは選定侯爵の間と呼ばれる控えの間だそうだ。
各部屋はクルミ材とオーク材でシンブルに彫刻が施された造りになっている。
床は松材の寄せ木造り。
珍しいのは各部屋にある4基の暖炉。
縦5m。重さ3トン。鋳物に見えて実は陶器製のようだ。
なぜ鋳物に見せる必要があったのか解らないが、外装を黒鉛を被っているのだそうだ。
次回 、ぺルラッハ塔につづく
。
リンク アウグスブルク 4 (ペルラッハ塔・Perlachturm)
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