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リンク ミュンヘン(München) 11 (レジデンツ博物館 4 宝物館)
タレットは中世から現れた防衛施設であるが、屋根が付くのはさらに後だ。
※ ルートヴィヒ2世(Ludwig II)の城は、あくまでイメージで城を造ったので、実際の防衛施設としての城が建てられた訳ではないし、タレットも実用ではない。
タレットは確かに中世の防衛の最前線である要塞に見られる特徴。
ライン川や、ドナウ川沿いに残る古城には必ず付いている。
つまり、日本の物語に出て来る西洋の城はフランスやイギリス系よりはむしろ、ドイツ系の城のイメージだったのか・・と言う事だ。
まさか全てノイシュヴァンシュタイン城がモデルだったりして?

ノイシュバンシュタイン城と言えば、冬の方がイメージがある。
なぜなら、ルートヴィヒ2世(Ludwig II)が雪ぞりで夜な夜なソリ遊びをしていたからだ。
夜中に活動を始める王はもはや奇人と思われていた。![]()
下は 2015年09月「ニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg) 5 (馬車博物館 馬ソリ)」
で1度紹介した事がありますが・・。
リンク ニンフェンブルク宮殿(Schloss Nymphenburg) 5 (馬車博物館 馬ソリ)

まさしくこのノイシュバンシュタイン城の山道を下っている絵である。しかもソリは下の天使のソリ。
夜用にライトが搭載されている。
ルードビッヒ2世のこだわりは、乗り物にも及んでいる。ニンフェンブルク宮殿(ミュンヘン)には彼の豪奢な馬車やこんな豪華なソリがコレクションとして残されている。あれは一見の価値ありです
城と麓(ふもと)のシュバンガウの街の往復に冬は馬車か徒歩しか無い。
かつてルートヴィヒ2世が雪ぞりで滑っていた道である。
秋ではこんな感じ
玉座の間のバルコニーからの眺め(秋)
左にアルプ湖。右にシュヴァーン湖(白鳥湖)。その間にホーエンシュバンガウ城。
湖の後方の山はオーストリアとドイツの国境となっている。
ホーエンシュバンガウ城は前回紹介したが、ルードビッヒ2世の父 (マクシミリアン2世)が建てた中世風の城であり、王は青春時代のほとんどをここですごしている。
ここが玉座の間のバルコニーと言う事もあるかもしれないが、王がここから城を眺める姿が絵画に残されている。
同じバルコニーからの白銀の景色。
こちらのバルコニーは立ち入り禁止。中から窓越しの撮影である。チビの雪だるまは職員のご愛嬌?
ちょっと邪魔![]()

ザックリしたデフォルメ地図ではあるが街から城へのルート図である。
下の 黄色いのが前回紹介したホーエンシュヴァンガウ(Hohenschwangau)城
上の地図がデフォルメしすぎて方位が入れられなかったが、実際はノイシュバンシュタイン城の西方に存在。
薄いパープルが通年城に向かう道。
冬場はバスは登れないので歩きか馬車のみ。ルードビッヒ2世がソリですべったルートである。
ピンクがペラート峡谷(Parat-Schlucht) マリーエン橋(Marienbrücke)に至るルートです 。(冬場は閉鎖)
※ マリーエン橋から城へは徒歩で15分~20分。
マリーエン橋(Marienbrücke)
12月初旬、年によってち違うのだろうが、この時は橋は閉鎖されていたので城の全景は撮影できていない。
つまり マリーエン橋(Marienbrücke)からの城の全景は春から秋でないと撮影できない
のである。

12月下旬にはこんな感じ

9月

最 初にペラート峡谷(Parat-Schlucht)橋をかけたのは1845年、ルードビッヒ
2世の父 (マクシミリアン2世)である。それは木の橋であり 1866年ルードビッヒ2世により鉄橋に掛け替えられた。
橋の名、
マリーエン橋(Marienbrücke)は、ルードビッヒ2世の母、プロイセン王女であったマリー・フォン・プロイセン(Marie von Preußen)(1825年~1889年)に因んでいる。
マリーエン橋からの城の全景10月

ある意味秋はスッキリしているので城をしっかり見たい人には良いかも。
東面は城の正面玄関にあたる城門館。
12月、テラスからは撮影ができないので落葉した後の方が撮影しやすい。
しかし、これで城の事情が解っちゃう事がある。
実はこの城は大半がコンクリートでできているのだ。
つまり成りは中世でも中身は近代的な城なのである。
詳しい建築事情は次回にまわすが、1879年~1880年に使用された資材の統計が残っている。
セメント600トン。砂3600㎣。石灰50トン。木炭40トン。
ザルツブルグの大理石465トン。ニュルティンゲンの砂岩1550トン。レンガ(帝国サイズ)40万枚。
足場用木材2050㎣。
これはあくまでその時期に使用された資材である。
何しろ城の礎石は1869年におかれているし、それ以前に山を削って基板も整えている。
1869年~1873年までに上の写真の城門館が建てられているのだが、1872年の一年間でセメント450トンが納品されている。
かなたに見えるのは巨大なフォルクゲン湖 (Forggensee)
フュッセン(Fussen)北東部に位置するフォルクゲン湖 (Forggensee)は、アルプスの雪解け水で起こる洪水を防ぐ為にできた人造湖だそうだ。![]()


ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)次回につづく
リンク ルートヴィヒ2世(Ludwig II)の城 3 ノイシュヴァンシュタイン城 2 タンホイザー
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