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後年、書いた「ラファエロ前派」のリンク先を追加しました。
19世紀と言う時代はいろんな意味で激動の時代であった。むろん産業革命は大きい。フランスにおいては特に政治体制が2転3転している。当然、市民生活も変わり思想も変わらざる終えない。
カメラが登場し、肖像画と言う分野を失った画家らは新たな境地を求めざる終えなかった。実際、写実画は衰退し写真に取って変わっている。
※「ボタンを押すだけ」と言う一般大衆向けのカメラ(Kodak)が発売されたのは1888年。世に出したのは現「Eastman Kodak Company」の創業者である。
もはやリアルでは勝てないとリアルな描写を放棄した印象派が現れたのもこうした時代背景があったからだ。
一方、昔に固執する者は当然いただろうし、全てに嫌気をさして虚構の世界を構築して内にこもる者もいた。
詩人は感情を文字にして表現。画家は絵で示してみせた。19世紀後半は世紀末思想も含めて特にいろんな思想家が現れた時代でもあったのだ。
さらに、ややこしいのは、思想は同一でも、国により呼び方が違ったりする事だ。
○○派がとにかく多すぎる。でも非常に面白い時代です。
そんなわけで今回は美術ネタです。
以前、「世紀末の画家ビアズリーとサロメ(Salome)」を紹介した時に、いつかギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)のサロメも紹介したいと思っていた。ビアズリーのサロメと同じだけ思い入れもあるしモローのサロメは幻想的でとても美しいのだ。
ビアズリーのサロメと同様に最初に見付けたのは高校時代。画家の他の絵も含めてより興味を持ったのは20代になってから。ラファエロ前派の流れから再びたどり付いた時だ。
当時、今もそうだが、この画家はあまり日本で知られていない。
尚更、画像も限られていた。時々美術書でとりあげられるサロメと数点の神話画? くらい。
※ インターネットの無い時代である。自ら美術書で見付けなければ出会えなかった。
私が最初に興味引かれたのはサロメをテーマとしていたから。そして魅惑的なサロメと、他にない幻想的世界感の作品に衝撃を受けたものだ。
そのうち、 画家の美術館がパリにある事を知ると、いつかそこに行き他の作品を見たいと願ったのだ。
その願いが叶うのはずっと後の事
。
今回はその美術館で撮影した写真をベースに紹介予定ですが、2007年の撮影です。デジカメの能力があまりよく無かった事。(たぶん解像度が低かった。)その日パリの天気が曇天だった事。また、美術館は古い屋敷が利用されているので絵画を撮影するには暗すぎた事。
つまり写真が暗い事と絵画に関してはボケて直接利用できない事がネックとなって、なかなか紹介に至れなかったのです。
それ故、今回、絵画に関しては、ウィキメディアや本などから引用させていただきました。
全体にギュスターヴ・モローの解説書のようになってしまった感があります。f^^*)
ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)のサロメ(Salome)
サロメ(Salome)
とは?
モローのサロメが象徴派に与えた影響
モローのサロメ(Salomé)
ヘロデ王の前で踊るサロメ
出現(Apparition)
初期サロン作品
オイディプスとスフィンクス(Oedipus and the Sphinx )
オルフェウス(Orpheus)
ヘリオフィル(大陽愛好)とヘリオフォビー(大陽恐怖)
ギュスターヴ・モロー美術館(Musée national Gustave-Moreau)
シャセリオーの弟子?
ヘシオドスとミューズ (Hesiod and the Muse)
求婚者(未完成) The Suitors [unfinished]
ユピテルとセメレー(Jupiter and Semele)
モローの水彩画
耽美(たんび)な象徴派
パエトーン(Phaëthōn)
耽美(たんび)な水彩画
妖精とグリフォン(gryphon)
キマイラ(Chimaira)
死せる詩人を運ぶケンタウロス
ヴェネツィア(Venezia)
象徴主義
(symbolisme)
スカイア門のヘレネー(Helena)
パリスの審判からのトロイア戦争
サロメ(Salome)とは?
サロメ(Salome)は1世紀頃のパレスチナを支配していたイスラエルの王ヘロデ・アンティパス(Herod Antipas)(BC20年~AD39 年)(在位;BC4年~39年)の義理の娘。
実在の人物。
※ デカダンス(décadence)は「退廃的な」の意。異常で奇っ怪が好きなどのフェチ(特殊な性癖)が求めた退廃的で耽美な美。また在り方。
※ フェチ → フェティシズム( fetishism)
モローのサロメ(Salome)
ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)(1826年~1898年)
1870年~1876年にモローは複数のサロメを描いている。なぜサロメに焦点を当てたのかはわからなかったが、モローの描くサロメは魅惑的だった。
モローのこの頃の作品は、間違いなく「女性の魔性」を表現する事に注がれている。
1876年の官展(サロン)に2つのサロメが出展。
1.ヘロデ王の前で踊るサロメ(Salome Dancing before Herod)油性
2.出現(Apparition) 水彩
モローの中で長く温められていたであろう妖艶で神秘的なサロメ。それは神がかって巫女的な存在にさえ見える。彼女は歴史的悪女である。
当然、普通のそこらへんの女性では到底なり得ない存在であるはずだが、一歩引いて見ると 何があってもひるまず意志を通す強い女性像
も浮かび上がる?
モローが描こうとしたのは狂気の中で自我を満足させるべく踊る異常な女? ではなく、本当は彼の当世の女性への認識? 世の女性はみんなこうじゃないか? と、思って描いていたのではないか? とも思える。
つまり選ばれた女性ではなく、女性誰もが共通して持つ内面? を表現してみせた作品?
彼は実際、女性に対して消極的だった。もっと言えば消極的だったのは女性ばかりではないが・・。
「女性はかくも美しいが怖い」そんな畏怖(いふ)がモローの描くサロメに見え無くもない。
本当の所は本人に聞かないと解らないけどさ・・。
ヘロデ王の前で踊るサロメ
ヘロデ王の前で踊るサロメ (Salome Dancing before Herod)1876年 油性
ロサンゼルスのハマー美術館(Hammer Museum)
この作品は、1876年パリのサロンに出品された作品で描くのに7年かかったと言われている。
構想が固まる前に試行錯誤があった? 1876年には「出現」、他複数のサロメが描かれている。
驚くべき所は、様々な文化的要素が複合された作品でもある事。
全体にオリエタルの意匠が観て取れるが、それこそ、モローの勉強の成果なのだろう。
彼の両親はモローが芸術方面に向かう事を全面的にバックアップし、その為にギリシャ語やラテン語、古典文学を学ぶ事も進めているし、芸術家としてのキャリアを積む意味でプライベートのイタリア旅行にも長期に出している。
※ イタリアには2度大旅行に出ている。
実際、 モローの家は父が建築家、母が音楽家で裕福であった。彼は終生お金に苦労する事はなく、現在美術館となっている彼のアトリエ兼住居の家も父が購入して残してくれている。
彼が意欲的に作品を売らなかったのもお金に困っていなかったからだろう。
そう言う意味で世に流れた作品は多くはなく、世界的な知名度は低いのかもしれない。
下の作品はモロー美術館で撮影。構想段階の習作と思われる。
下の作品も「ヘロデ王の前で踊るサロメ」なのであるが、こちらにはサブタイトル? 別名で仕分けされている。
入れ墨のサロメ(Salome Tattooed) 油性 1876年の制作 ギュスターヴ・モロー美術館
同じくヘロデの前で踊るサロメなのであるが、サロメの体や兵士などに文様が描かれている。
確かにサロメの体のは入れ墨に見え無くもないが、これはあくまで サロメに着せるドレスの下絵の構想段階と思われる。
次に紹介する出現の衣装に近い。
兵士の方もこれからかぶせられる帽子? 衣装の下絵? つまり入れ墨のサロメは習作の一つと考えられる。
ただ、この作品はこれだけで確かに完成している。これはこれで十分美しいのでこのまま残したのか?
※ こちらの作品には水彩バージョンも存在。ルーブルにあるらしい。
出現(Apparition)
Apparitionは「幽霊」とか「幻影」など「 死者が突然現われる現象」の意味がある。
サロメでは日本訳が「出現」となっているので、Apparitionには「出現」がタイトルにあてられているが、知らない人から見たら「何のこと?」と思うだろう。
出現は、まさに 斬首されたヨハネの首がサロメの前に浮かんで現れた所?
普通はそう思う所だが・・。
「名画への旅 音楽をめざす絵画」では違う解釈がされていた。
踊るサロメの前に、まだ斬首されていないのに、血のしたたるヨハネの生首の幻影が現れた。
しかも、他の者らにそれは見え無い。
それは一瞬の事だったようで、サロメは何事もなく舞を続けるのである。
そして、見事な舞の褒美として、「ヨハネの首を銀の盆に乗せて賜れ。」とヘロデに希望を伝え、ヘロデはサロメの望み通り、この後、斬首したヨハネの生首を銀の盆に乗せてサロメに与えるのである。
幻影は、予知夢的な啓示?
と、とれるかも・・。
確かに、こちらの方が理にかなっているかも・・。
ヨハネの首と対峙(たいじ)するサロメ。
普通のダンスバージョンと違って、出現の方はサロメの顔が険しい。
出現(Apparition) 1876年 油性 ギュスターヴ・モロー美術館
油性の「出現」は自前の写真しかなかったので、ボケてて拡大ができません。
ウィキメディアのは色調調整されているようで、バックに書き込まれたイレズミ部分が出過ぎてたので却下しました。
一説には、モローはこの油性の絵を手元に残していたのでイレズミ部分を後年書き足したのだと言う。
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