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長かったベット上安静も終わり、とうとういつ出てきても大丈夫な時期までこられました。散歩をしたりできるようになって、検診以外の外出もできるように。。。ただ、赤ちゃんがすごく下がっている(ずーーーーっと下にいるんですね)ので、あまり遠出はできません。10月18日が主人の誕生日なので、同じ日になるかなーなんて思いながら過ごしていたんだけど。。。妊娠の最後の方ってみんな同じ気持ちだと思いますが、妊娠していることに疲れてくる。10月15日のお昼頃になんかその気持ちのピークがきちゃって「もー早く出てきてよー」と何度もおなかに話しかけてたら。。。その夜なんだか生理痛のようなおなかの痛みが。。。そしておしるし?その夜は全然なんだかお腹が痛い(生理痛と同じ感じ)から眠れず、朝になってやっと「陣痛?」というリズムのある感じになってきました。ちょうどその日(10月16日)は主人がグアムから来る日。朝から陣痛が始まったのですが、出来るだけ主人を待とうと思い、お昼くらいまで待ってました(笑そんなに激しい陣痛でもなく、母とも早くエリックこないかなーなんて話ができてました。12時頃になって「ただいまーっ」と主人到着。すぐに病院へ電話「5分おきです」と伝えると「病院へ来てください」ということだったので、タクシーでいきました。病院へついたときも、結構元気で話をしたりしてましたー。内診してくれた助産婦さんが「あっすぐそこにいますねー」とびっくりした様子。っていうか。。。本当に下にずーーーーーーーーーーっと居る子。なので「ずっとそこにいるんです」と答えました。。。笑陣痛がきつくなってきたのは出産する3時間前くらいでした。痛みがキツイのではなくって、陣痛をいきまないで過ごすのがもう大変。分娩台にのってからは5回くらいいきんで終わりでした。12時に病院へついて、19時20分の出産、安産でしたー。感動というか「終わったー」という気持ちの方が大きかったです。凛を胸に置かれたときは「重い」と思いました。そして、ぐるぐる回る目で私を見てた顔。。。一生忘れないと思います。生まれてた赤ちゃんを取り上げてくれた助産婦さんは「この子、しろっ」と思わず。。。私には赤紫に見えましたが、何人も赤ちゃんを見ている人にはすごく違ったんでしょうね。すぐに、母とダディーに抱っこしてもらえてよかったです。この分娩のとき、実はお尻のしっぽの骨?にヒビが入っていたんだと思います。出産2日目にちょっと体操をしたら、そのあとものすごく痛くなって。。。でも「赤ちゃん生んだんだから。。。」なんて言われて、自分もそうかなと思ってました。後で、カイロでレントゲンをとった時に、実は折れていた事が判明。。。びっくりでした。
2006.01.13
ラッキーなことに私の夫は1ヶ月の内13日間の連続の御休みをとることができました。なので月の半分は日本の私のところに来ることができたんです。私だけじゃなくて母も隣に住む叔父も田舎に住む親戚もみんな夫が来るのを楽しみにしていて、一緒に山に行ったり、母の実家で作っている「枝豆」を畑でもらったり・・・この「枝豆」がおいしいんですよぉ・・・甘いんだよね。大好物の「エビスビール」も、みんなが買ってきてくれて夫は毎日叔父と「飲み友!!」とかいいながら飲んでました・・・おかげでなんかお酒強くなったらしいです。それから夫はよくランニングに行っていたんだけど、すっごく遠くまで走っていくので帰ってこられるかすごく心配でした。山道なんかを見つけるとすぐに入っていくのでね・・・彼は。今では町のことを彼の方がよく知ってるくらい。しかも外人をあまりみかけないので子供からお年寄りまで「グットモーニング」とか言ってくれたらしいです・・・珍しいんですよね・・・でかいしね(笑)近所にはブラジル人はたくさんいるんですけどね・・・たくさん実家で過ごしたことで近所の人にもよくしてもらって、夫もすっかりなじんでくれたことが唯一良かったことかな・・・
2006.01.12
26週から長い長い安静生活が始まりました。リビングのテレビの前にベットを移して寝たきり・・・母は仕事の為に朝から夕方までいないので、ネコのシェリーと私の二人きりです。テレビも毎日一日中みてると飽きてくるし、お腹の張りも良くなったとはいってもトイレに行ったりすると張ってきます。お腹が張るとすごく不安になったし、ストレスを感じていました。泣きたくなったこともあるけど、泣いてもなにも変わらないといつも言い聞かせていました。まずは30週まで・・・だけど1ヶ月って長いです。寝たきりで背中や足も痛くなるし・・・夫とも別居だし・・・ただただ寝てるだけ・・・本当に辛い日々でした。切迫早産だけに友達や親戚とにも帰国を報告していなかったし、やっぱり母ともなんとなく赤ちゃんのことは話しませんでした。出産準備も何も買いませんでした。相当後になってから通販で準備しました・・・今こうして振り返ってるときも、きっと切迫早産で安静にしている妊婦さんたくさんいるんでしょうね・・・毎日毎日カウントダウンでした・・・一日が本当に長かった・・・
2006.01.12
帰国した次の日に総合病院に母と行きました。一応「里帰り出産」という形になるそうで、日本式にすべての検査をしなおすことになりました。もちろん私もそうしたかったし・・・予約優先だったので長い時間待ちましたが、気分が悪いようなら遠慮なく言ってくださいとか横になりたい場合も言ってくださいねと言われたのですごく気が楽でした。初めての日本での診断はやっぱり「切迫早産」でした。ただ、子宮口も内側も4センチしっかり閉じているという超音波での結果だったので、薬を飲んで自宅安静ということになりました。安静といってもいろいろとあるのですが、家事はダメ、食事に起きるのも最小限、シャワーとトイレに起きる以外はベットで寝ていてくださいというレベルでした。グアムからは私のカルテのコピーをすべて持参しました。そこに書いてあったのは・・・「切迫早産」そして子宮口も40%開いている(薄くなっている)ということでした。最後の診断のときにも「30週までもてばいいでしょう」ということを言われてたし・・・それで日本に帰る決心をしたわけです。日本のドクターもこの診断に驚いていた様子でした、だけど実際にお腹の張りは頻繁でしかも強かったので安静第一ということにはかわりないということで、これからは日本のお薬に切り替えて治療すること、もし悪くなった場合は入院して点滴、それでもお腹の張りが止まらなければほかの薬をつかうこと、そしてさらに悪化した場合は数種類の点滴を使うことになるということでした。どうでしょうこのちがい!!!グアムではもうこれ以上の処置はない・・・というところまできていた私なのに・・・日本に帰ってきたらあとなんステージも対処のしようが残っている・・・精神的にもすごく救われました。このとき26週だった私は37週まで薬を飲んで安静に過ごすことになりました。日本に帰って本当に良かった!!!
2006.01.12
入院は5日間でしたが、その間24時間の点滴と張りをみるモニター、赤ちゃんの心拍のモニターを体につけられて「動かないように」過ごしました。だけど、よくなる兆しが本当に見えませんでした。ドクターには「超音波で子宮口の開き具合なんかを具体的に調べてほしい」と何度もお願いしたんだけど「内診で分かることだから必要ない」と言われました。その他にも切迫早産の原因として感染が考えられるともきいたから自覚はないけれど検査してみてほしいとも言いましたが結局これも内診で分かるということでしませんでした。良くならないまま退院をリクエストして家に帰りました。相変わらずの薬を飲んで安静。だけど、この頃には寝返りをうってもすっごい張りがきていました。そこで、インターネットでいろいろと調べたり、日本のドクターにもメールで相談しました。日本では私のような状態の場合は入院して点滴で様子を診るということでした。薬の種類も私が飲んでるものとは違うものが日本にはあって、切迫早産はめずらしくないというふうに感じました。だけど、実際の早産のパーセンテージは日本の方が低いんですよね。そこで、やっぱり自分の納得する医療を受けたいと思って思い切って日本に帰りました。飛行機に乗るということ自体にもリスクはあるんだけど、自分のベストを尽くしたいと思ってあえて乗りました。空港では車椅子、飛行機のなかでもヨコになって、空港からも車のなかでヨコになって実家まで帰りました。
2006.01.12
6月8日・・・やっとグアムに帰ってきました。夫も帰ってきたし、つわりも随分楽になってきた!!これからはショッピングにもレストランにもいけるわぁ・・・・とうかれていました。帰ってきてから1週間くらいしたころから午後になるとお腹がキューーーッと張るようになりました。午前中に動き過ぎてるかなぁと午前中もなるべくヨコになるようにしてみましたがいっこうに良くならず・・・クリニックに電話してすぐに診てもらいました。ドクターは「便秘じゃない?」とか「胎動と勘違いしてない?」とか言ってたけど、そんなわけないですよねぇ・・・自分のことだし。そこで器械をつけてみるとやっぱり・・・「規則的に」張ってました。急にまぁ大変・・・みたいなことになって注射をして張りを止めました。その夜はまぁまぁ張りも弱まって良くなったかなぁと思っていたんだけど、2日後にはまた張りが頻繁になって日に日に強くなっていきました。そのたびにクリニックにいって注射・・・ドクターはいつも「破水したり、痛みがでたら病院に行ってね」そう言ってました。だけど、それって・・・終わりってことじゃない?と私は思いました。その前にできること、破水や痛みが起こらないように何かできることはないの?とすごく疑問に感じました。薬を4時間おきに飲んでもいっこうに良くならなかったので結局病院に行くことにしました。病院に行ってからは入院。。。。そして24時間の点滴をうけました。
2006.01.12
検査当日の朝8時30分に入院。11時半頃に検査をするということでそれまでは血圧を計ったり胎児の心拍を確認したりして過ごしました。そしていよいよ処置室に呼ばれました。ベットに横になってお腹をだしてまず超音波で赤ちゃんの位置を確認してどのあたりに針を刺すか説明がありました。そのあと、お腹を消毒・・・かなり広い範囲でした。消毒済みの緑の布をほぼ全身に掛けられて触らないように言われました。検査は2人のドクター、1人の看護婦さん、そして3人の医学生が立ち会いました。1人のドクターが超音波で赤ちゃんの位置を確認しながら、もう一人のドクターが針をお腹にさしました。痛みは・・・生理痛のような痛みで強くはありませんでした。ただびっくりしたのは長い針をゆっくりと刺していくと思っていたんですが、勢いをつけて「プスッ」と刺されたこと・・・ちょっと怖いですよね。そのあと注射器で羊水を採取。色は透明な黄色でした。針を抜いて絆創膏を貼っておしまい。アメリカではすぐに帰宅できるようだけど、私は検査の直後に「張り止め」を寝たまま看護婦さんが飲ませてくれて、20分後超音波で赤ちゃんが動いているのを確認してから部屋まで歩いて帰りました。夜、翌日の朝と張り止めと抗生物質を飲んで、朝の超音波で羊水の量が戻って、赤ちゃんに異常もなかったので退院となりました。羊水検査のあとすぐに帰宅してその夜破水・・・病院に部屋が空いていなくってすぐに入院できずに流産した人がいるそうです。羊水検査が問題だったかどうかは誰にもわからないけれどその妊婦さんは部屋が空いていなかったから流産したと思い込んだそうです。それからは、その病院では一泊入院をしてもらってると聞きました。私の検査の結果は異常なしでした。結局、日本で検査して良かったなと思っています。用心には用心を重ねて・・・という考え方は日本独特です、だけど、命に関わるようなリスクがある場合は、日本人として後悔しないためにも日本で検査して良かったと思っています。
2006.01.11
大学病院ではひたすら待たされた・・・2時間以上・・・つわりもあったしきつかったぁ・・・そのあとカウンセラーやらドクターやら誰だか分からない人やら・・・結局3人の人と別室で面会して羊水検査について説明を受けた。私は32歳・・・羊水検査を受ける歳ではないということ、流産の可能性もあるということ、もしも胎児に異常があった場合の対処・・・本当にいろいろと話がありました。日本というお国柄多少は覚悟していたので落ち着いて話を聞いていましたが2時間を超えたところでちょっと頭にきてしまいました。なにがあったとしても辛い思いをするのは私なんです。そんな私が安易な気持ちで羊水検査を受けるわけがないですよね・・・最後の言葉はこうでした。「日本での常識もふまえた上でアメリカ人の主人と夫婦として話あって決めたことです。今は夫も連絡の取れないところにいるし、どんなことを言われても私一人の一存で考えを変えるわけにはいきません」ということで、ようやく羊水検査を受ける方向で話が進みました。その病院では念の為「一泊入院」が必要ということでした。
2006.01.11
まだつわりが残る4月の終わりに夫と日本に帰ってきた。2、3日してから夫は「登山」に出掛けていった・・・1ヶ月の別居・・・その間に私は一人でトリプルマーカー、羊水検査・・・そしてもしかしたら・・・いろいろと重大なことをこなさないといけない。まずはトリプルマーカー・・・血液検査なので簡単な検査だった。結果が出るまでどきどきの毎日だった・・・結果は・・・「ちょっとポジティブ」・・・ドクターは「これだから賛成できないんですよね、この検査」と言った。だって1%違ってもネガティブとポジティブになるわけでしょ・・・だけど、私は「ポジティブ」となったいじょう「羊水検査」に踏み切ることにした。だって夫と約束したから・・・すぐに大学病院に電話してもらって、その足で大学病院に向かった。
2006.01.11
日本では「羊水検査」に批判的なドクターが多いと聞いた。差別だという人もいたり・・・日本で羊水検査を受けるということはかなり難しそう・・・アメリカでは「羊水検査」だけをうけることができるんだけど、日本ではその前に「トリプルマーカーテスト」という検査をうけるのが一般的だということがインターネットで分かった。ただ、トリプルマーカーテストも判定はパーセンテージで出るだけなのでどうか・・・という声もいっぱいあった。まず、日本に病院のドクターにメールで羊水検査、トリプルマーカーを実施してるかどうかを確認した。検査の時になってからいろいろと「批判的な意見」を言われるのも嫌だったので私たち夫婦の意見と決意を尊重してくれるドクターを探したかったから。そのなかで妊娠発覚のときに伺った病院のドクターがトリプルマーカーにはあまり賛成はしていけど希望すれば実施してくれるということだった。もし結果が「ポジティブ」だった場合は大学病院のドクターを羊水検査の為に紹介してくれるということだったのでお願いすることにした。
2006.01.11
4月・・・検診に行くと「羊水検査」を受けるかどうか次回までに決めてきてくださいといわれた。「羊水検査」にはいろいろな意見があることは知っていたので、ドクターにどのくらいの割合で受けられているのか尋ねてみた。アメリカでは「約半数」の妊婦さんが受けているらしい。日本では・・・ほとんど受ける人はいない。しかもその少数の妊婦さんは最低35歳以上の妊婦さんだということだった。夫はリスクも考えた上で「検査をしてほしい」ということだった。グアムで出産した人に聞いたら「異常があったらおろすと決めているんだったら受ければいいけど、そうじゃないんだったら必要ないじゃない?」と言って、彼女はどんな場合も「産む」と決めていたので検査しなかったと言っていた。そりゃそうだ・・・だけど結局私たちは「検査する」ということに決めた。だけど、ここで問題発覚・・・羊水検査は受ける期間が決まっていてその頃ちょうど夫が「登山」に行く予定で1ヶ月近く留守にすることになっていた。私は一人ではつわりもあって辛いので日本の実家に帰ることにしていた・・・ということは「日本で検査を受ける」ことになる・・・
2006.01.11
グアムで検診に行ったときドクターに言われたのは「生ものは絶対に食べないように!!」しかも私は日本人なのでさらに念を押されて「お刺身食べちゃダメよ!!」だって!!なにがいけないかというと「トキソプラズマ」という病気になることを考えてのことらしい。日本では妊娠したからって食べてはいけないものってないよねぇ・・・私が知らないだけかな?お菓子を食べない、カルシウム、鉄、葉酸をとるとか・・・食生活の改善は指導されるかもしれないけど、何を食べてはいけませんとは言われないよね。でも・・・アメリカに住んでる日本人の妊婦さん・・・みんな食べてますよ「お刺身」私は日本食が結構ダメになったので食べなかったけど・・・そうそうフランスでは「サラダ」を食べてはいけないそうです。やっぱり「生もの」という考えらしいです。それから「サプリメント」アメリカでは妊娠前から飲む妊婦用のサプリメントがあります。クリニックでも処方されました。だけど匂いがきつくて私はたまにしか飲みませんでした。いろいろ思い出すと「食」に関しては妊娠中はぜんぜんダメでした私。サプリも飲まず、食事もできず、食べられるようになってからも欲しいもの中心に食べてました。ただ、貧血で倒れてからは「鉄」と「葉酸」を飲みました。
2006.01.10
日本では妊娠すると「すっぱいもの」がほしくなる・・・というのが定番だ。たとえば「みかん」「酢もの」「レモン」とか・・・だけど私の場合「いちご」がむしょうに食べたかった!!1パックなんていっきに食べられてたし。ある日お友達に電話中の夫が「そうそうウチ妊娠発覚でねぇ」なんて話したらその友達が「じゃあイチゴばっかり食べてるんじゃない?」って!!!!夫婦で「なんで分かるのぉぉぉぉ」ってビックリしてしまった。だって妊娠して「いちご」が欲しくなるなんて聞いたことないもん・・・だけど・・・その友達・・・フランス人なの!!フランスでは女性が「いちご」ばっかり食べてると「もしかして妊娠???」なんて話になるらしい・・・国がちがうとこういうことも違うのねぇ・・・感心しました。そういうことで、アメリカ人の夫との間に出来たこの子は「フランス人」らしい?????
2006.01.10
3月につわりが始まって毎日毎日「あぁいつまで続くんだろう・・・」って思うばかり・・・この頃は日本から送ってもらった「たまごクラブ」を愛読してた。つわりに苦しむ人がそれぞれ何が食べれるとか食べられないとか・・・体験談があってそれを見ては食べられるものを探してた。誰もが食べられると言っていた「フライドポテト」脂っこいかなぁとも思いつつ夫にリクエスト。食べられたよぉ!!だけど、こういう何が食べられるというものはたいてい1、2回しか食べられない。1回食べられたからと言ってずーっとOKというものはほとんどなかった。たとえば「ポカリスエット」初めに飲んだときは「あぁおいしーーーーーー」って思った。そこで、パウダー状のものを大量にオーダー・・・だけど2回目以降やっぱり飲めなかった。ずーっとOKだったものは「イチゴ」たいていOKだったものは「トマト」だった。
2006.01.10
新しいアパートに引越しはしたものの・・・私のつわりは日に日にひどくなっていく・・・しかもつわりのせいなのか、正常な人にもそうなのか「アパートの匂い」に耐えられない!!最悪・・・だって住んでる家の匂いがイヤってどうしようもないよねぇカーペットクリーナー・・・アロマキャンドル・・・ルームスプレー・・・しまいには業者からでっかい「カーペット用のスチームクリーナー」までレンタルしてお掃除をしたんだけど・・・やっぱりメインのベットルームでは眠れなかった。。。なので、昼間はリビングのテレビの前にブランケットをしいてころがってた。検診にも行ったけど、検診に行くのもイヤだったので、1ヶ月先に延ばしてもらった・・・日本では公共の交通機関を使って検診に行く人も多いと思うけど、つわりの時はどうやって病院まで行くんだろう・・・私にとっては不可能なことのように思える。だって夫が運転して連れて行ってくれる産院は5分のドライブ&小さい建物なので駐車場からもすぐ・・・だけどとにかく動きたくなかった私です。
2006.01.10
母との温泉への旅行をしっかり楽しんで、、夫の待つグアムの家へ帰ってきました。住んでいるコンドーの隣のビーチバーが、夜も昼もなくうるさくなってきたので「引越し」を決意!たまたま夫の知り合いが、ステイツに帰ることになったと聞いたので、その人が住んでいたアパートを借りることにする。夫の給料も少しカットになったし、少し家賃もセーブできるかなぁと思って・・・だけど、いっぱい想い出の詰まったコンドーを引越すのは本当に寂しい・・・リストラになってヒューストンに引越し、そしてリコールされてグアムに帰ってきたら、たまたま前に住んでいたコンドーが空いてて・・・何もないその部屋に入ったときに感じた「あぁ私たちの家だぁ」という感覚・・・あぁなごりおしい・・・3月の初め・・・引越しの準備を始める。その頃から「ん?????気分が・・・悪いかも・・・」と感じるように。なぜか私にはつわりはないと硬く信じてた・・・だってだって、私の友達って一人としてつわりで苦しんだって人いなかったから・・・結局夫がほとんど・・・いやすべて一人で引越しをしてくれた・・・ごめんよぉ・・・手伝ってあげられないことがすごく辛かったわ。つわりとの長い戦いが始まった。
2006.01.10
今日から新しいブログを開くことにしました。2005年は、すっごく大変で私の人生のなかでとても大切な1年だった。妊娠から出産、そして育児とブログを続けるつもりだったけど、妊娠中はブログどころではなくなってしまったから、ちょっと後悔してた・・・なので今日から再スタートです。
2006.01.09
2005年の2月・・・日本に一人で住んでいる母と「温泉」に行く為に私は実家に帰っていました。なんとなく今回は妊娠してるかも・・・と思ってはいたけれど「妊娠検査薬」って5日以上遅れてないと使えないんだよね。旅行に出掛ける2日前、待ちきれなくって試してみたら「超うっすら」反応が・・・だけど、判別不能・・・次の日「産婦人科」に行ってみた。やっぱり旅行前に知りたいなぁと思ったから・・・病院では尿検査、超音波をしてもらったんだけど、これまた「超うっすら反応」それに超音波でも何も見えなかった。最終月経日からみると超音波でも見えるはずなんだけど・・・結局「排卵がおくれてたんでしょう」ということであと1週間もすれば見えるようになるということだった。だけど「妊娠は確実!!」病院を出てすぐに携帯でグアムにいる夫に電話・・・「うれしい?」と聞くと・・・「・・・ビミョウ・・・」と日本語で返事が帰ってきた・・・そりゃそうだよね。夕方母にも報告・・・「びっくりしてた・・・」この時はこの妊娠がどんなものになるかなんて想像もしていなかったわ・・・あたくし。
2006.01.09
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