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6月9日月曜日今日も起きたら快晴。今日はサルデーニャ中部にある、Nuoro(ヌオロ)という市に向かい、その後 Orgosolo(オルゴーゾロ)という町に行く事にする。今回のサルデーニャの旅行を計画した時、海を楽しむのもいいけれど、やっぱり内陸部に行ってみたいと思っていたのだ。朝食の後、朝9時に出発する。アグリツリズモから ヌオロ市まで90kmくらいだ。最初は田舎道を走っていたのだが、途中から「高速道路まじき」の大きな道路に入り、みんなかなり飛ばしている。 右をみても、左をみても、こんな乾いた山ばかり・・・・内陸に入っていくと、あたりには何にもない。あるのは、山、牧草地、羊の群れ。それが何キロも続く。最初はヌオロ市でお昼でも食べようかと考えていた。しかし丁度お昼前の11時で、街の中はすごい交通量。ただでさえ知らない街で、道路標識もなんだか怪しい。何度も道を間違え、やっぱり目的地のオルゴーゾロに行く事にした。イタオヤ運転、にきーた地図を見ながらのナビゲーターというコンビである。道が分かれる所に道路標識がある。それを何度も確認して、右折、左折しているのに目的地に向かう道路ではなく、住宅街に出てしまった。仕方なく、そこで庭のお世話をしていたおじさんに、道を聞いてみる。「ああ、オルゴーゾロなら、この道を右に曲がって・・・・」ととても親切だ。私はつい、「道路標識をしっかり確かめたのに、どうしてここに着てしまったのか・・・」というと、「サルデーニャの道路標識はいい加減だからねぇ・・・まあ、気をつけた方がいいよ、わっはっは・・・」などと、冷や汗が出そうなコメントをしてくれた。気を取り直して運転する事30分。オルゴーゾロの町並みが見えてきた。 イタリアでは、市や町に入る前に標識がある。オルゴゾーロの町の標識は、何年か前に山賊に撃たれたと報道されていたのを思い出した。 あっ、今もあのままのお姿で・・・噂に聞いていたとおりだ。8発くらいぶち込まれている。みなさん、一体何の事かと思われるだろう。ここでちょっと説明したい。サルデーニャには、マフィアのような悪党がいるようで、この島に住む、リッチな実業家などを誘拐しては身代金を要求するというような事件を起こしていた。サルデーニャは回りは美しい海で、今では一流のリゾート地ではあるが、内陸に入ると乾いた山ばかり。こんな山に育つのは、オリーブの木くらいだ。そんな環境であるから、仕事といえば羊飼い。羊の乳で、チーズを作ったり、オリーブの収穫をしたりと農業もかなり厳しい。内陸は過疎化が進んでいるのだ。そしてこんな山あり、谷ありの内陸は、悪党達にもいい隠れ家になっているという。誘拐された実業家達も、サルデーニャの山奥の誰も行かないような所に監禁されていたりするようだ。何故私達が、この山奥のオルゴーゾロに来ようと思ったのか?それには訳がある。オルゴーゾロの町の中には、いたる所にMurales(ムラレス=壁画)が描かれている。市民が住む家や、町役場、その他のいろんな片隅に壁画がある。その壁画も、メルヘンチックなものから、政治的なもの、社会的な問題を批判したものなど、豊富である。町に着いたのはいいが、もうお昼時。何か食べようと、庭掃除をしている(またか!)おばさんにお食事処について聞いてみた。さて、昼1時に近いというのに、客は私達だけ・・・・という何ともいえない雰囲気のレストランに入り、私はパスタを頼んだ。 散々迷って頼んだのは、「ニョッキサルデーニャ風」皆さんご存知のポテトのニョッキではございませんぞ。硬質小麦粉でねったパスタである。トマトソースにエビも入っていて、なかなかおいしい。 イタオヤの注文したものはこれ。ポテトで作ったクレープの中に、チコリだの、なんだのと入っている。白いソースは羊のミルクで作ったチーズ、ペコリーノを溶かしたもの。本当は私もこれにしたかった・・・(またかい?)味見をしたら、ほほう~~!!と言ってしまいそうな美味しさなのだが、チーズソースがあとで胃にもたれるな~~と思った。このあとアイスクリームも食べて、エスプレッソも飲んで、28ユーロ。納得のいくランチだった。ランチの後は、楽しみにしていた壁画を見て回る。 もう誰もすんでいないアパートの壁。画像では見ずらいのだが、ここにも撃った跡が、何発か・・・・ マッシモ・トロイージの「Il postino」という映画の一場面。 町じゅうこんな感じで壁画で一杯。時々観光客も歩いているのだが、私達の行ったレストランはとてもおいしかったのに、開店休業状態だったし、町の中も活気がない。車を駐車した近くに公園があるのだが、手入れもされていない。 ペットボトルなどのゴミがいたる所に投げ捨ててあるし、芝生も枯れてしまっている。今朝着た道を戻りながら、陽の強さを車の窓ガラス越しに感じ、おなかはランチでまだ一杯でけだるく、そして気持ちは何となく重い。帰り道、イタオヤとサルデーニャの内陸について話し合ってみた。ここら辺の山は、標高800~1000mくらいだ。私達が住んでいる村から近いアルプスは2000mくらいある。サルデーニャの内陸が貧しいとか、過疎化が進んでいるとかいうけれど、北イタリアのアルプスだって似たようなものじゃないかと思う。 オリーブの木があるだけ温暖なんだから、生活はそんなに変わらないんじゃないかとも思った。しかしイタオヤには、別の見解があった。アルプスは寒いけれど、農業もできる、牛などの家畜も飼える、そして山から下りていけばすぐに大きな市がある。水が豊富だ。 りんごや栗の木だってある。イタリア側に降りずに逆の方向に行けば、フランスがある。でもサルデーニャの内陸は、乾いた土地で周りには大きな市はヌオロ市くらいしかない。水だって豊富というわけではない。みんながみんな羊を飼っているから、乳製品がパルメッジャーノのように特別高い値段で売れるわけでもない。そんなわけで、イタリアの他の豊かな都市からは切り離されて、忘れられてしまったようで、若者達はそれぞれの将来を考え、内陸を後にするという。この日は今までイメージしてきた、リッチなリゾートとはかけ離された世界を見てきて、なんとなく複雑な気持ちだった。さて、この日の夕食。トマトソースのペンネにフライドチキン。お昼のニョッキが結構重たかったようで、食欲はイマイチだった。そろそろお肉料理にも疲れてきたかも・・・・・ 続く
Jun 29, 2008
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昨日サッカーのイケメンについて ぼそっ と書いたら、ステップマザーさんが、ドイツのオリバー・カーン選手が好きだというコメントをくださり、昔の古傷が痛み出したような感覚を覚えたので、ここに書くことにしました。えっ? そんなのどうでもいいって?サルデーニャのことを書けって? はは~~っ、失礼いたしまする~~ 日本で開催されたワールドカップで活躍してくれたドイツのオリバー・カーン選手。イケメンとは間違ってもいえないルックスではあるが、実は私も御ひいきにしていた。 そう、こんな感じややっぱり男らしいし、フィリッポ・インザギのように ナヨっ としてないし、頼りになる男というイメージがあるからだろうか?彼も本国では普通の選手なのに、日本のマスコミが持ち上げ、ファンがゴソっとでき、日本女性の(オヤジ)アイドル的な存在になってしまったような感じがした。練習中も日本女性の「キャ~~~」という黄色い声と、サインを求める列。ロックスター並みの扱いをされているのを、遥か遠いイタリアから私は毎日のように見守っていたのだった。ワールドカップ中は日本に住んでいるMちゃんと、この話題で大いに盛り上がる。ベッカムやトッティを批判する我が家のイタオヤも、何故かカーンに対しては辛辣な言葉は発しなかった。さて、ワールドカップが終わった後の冬だったと思う。夕食後の片ずけをしていたら、スポーツニュースを観ていたイタオヤが、「大変だぞ~~~!!」 と呼ぶ。何かと思って見に行ったら、なんとあのカーンが謹慎処分を受けたというような事を報道していた。脚の故障を理由に試合を休んでいたのだが、その期間中 なんとディスコで踊りまくっていたのだった・・・・自宅で大人しくしてりゃいいのに、ディスコに踊りに行くなんて、そしてそれをマスコミにぱくられるなんて・・・・あのストイックなイメージは、あの星一徹のような頑固なイメージは一体なんだったの?????猿の惑星のキャストのような顔で踊る彼。このビデオを観た時の私のショックは、とても言葉では表せない。人って、変におだてられたり、人気が出てしまうと変わってしまうものなのね・・・・・・その後カーンがどうしているのか、ご存知の方、ご一報ください。物好きな方へ検索中にこんなん見つけました。お洒落なカーン右下のSlide showをクリックすると、なかなかお洒落なカーンのフォトギャラリーがご覧いただけます。
Jun 27, 2008
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サッカー 「ユーロ2008」のセミフィナーレを見ながらこの日記を書いているのだが、気が付いたことがある。どーでもいいような、すっごくくだらない事なんだけど、スペインの選手達、イケメン選手はどこに???確か2年前のワールドカップの時、もっと素敵なルックスの選手がいなかったっけ?サッカーは能力であって、もちろんルックスなんて関係ない ハズ。でもちょっと気になったのだった。失礼しました。
Jun 26, 2008
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昨日ネットで見つけたニュース。 岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き 6月24日20時37分配信 読売新聞 岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、13世紀から15世紀にかけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きしたと発表した。 同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。 発表によると、6人はいずれも現在2年生。大聖堂の大理石の壁に縦約30センチ、横約20センチにわたって、日付や自分の名前、短大名などを油性フェルトペンで落書きした。 同3月、日本人旅行者が発見、同短大に連絡して発覚した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。 同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。 大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられている。 海外旅行中の興奮はわかる。でもあまりにもお粗末過ぎる。どこの国の遺跡を見に行っても、隠れたところにイニシャルとか、日にちなんかが彫りこまれているもんだ。 でもさぁ、名前と学校名まで書くかい??ハートのマークも沢山書いてた。言葉がきついけど、バカ丸出しってこのことだよ。あまりにもおバカさんで、怒る気にもならなかったんだろうな、大聖堂の管理人達。そして今日みた、このニュースの続編。毎日新聞より いたずら書きの画像ありこの短大の学長さんが、「修復については、今後も大聖堂と協議し 現地への謝罪訪問も行う。」とおっしゃったようだけど、もういいよ、来なくて。
Jun 25, 2008
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6月8日日曜日朝起きたら晴れだ。よし、今日はやっぱり海に行こう!ドライブをしながら南下する事50km。Putzu Idu(プツゥ・イドゥ)という村のビーチに行く事にした。 アグリツリズモのおねーさんの説明によると、ビーチは細かい白い砂で、とてもきれいだという。 白い砂浜。 エメラルドの海。 ひゃ~~きれい!! こんな感じのビーチが5kmくらい続いている。早速膝まで水の中に入ってみる。10mくらい入ったが、どこまでも浅瀬。細かい砂の上を歩くのが気持ちいい。ここで1時間くらい休む事にした。日曜日だというのに、午前中だからかほとんど人がいない。プライベートビーチって、こういうのを言うんだろう。なんていい気になってたら、風が出てきた。それまで寝転んで本を読んでいたのに、細かい砂が風に踊らされて舞い上がる。本のページの隙間にも入ってくる。敷いていたマットレスの上にも、既に砂がかかっている。ふーむ、人が少ないのはこれが原因か???とやっと気がつき、そろそろランチの時間なので軽食を食べれるところを探す。夕食はアグリツリズモでたらふく食べるから、できればサラダがいい。というイタオヤの希望を叶えようと、ビーチの近くを探すが、あるのは簡単なホットドッグとか冷凍ピッツァのようなもの。フランスだったら、お昼時にサラダを売っている屋台のようなお店が沢山あるのに・・・・結局見つからず、この村でたった1件開いている、「リストランテ・ピッツェリア」に入る事にした。ピッツァなら食べてもいいだろう。ところが、ランチタイムはピッツァは焼かないという。パスタとか、肉、魚類にしてください、と言われた。お昼からパスタなんて、これは胃がもたれそう・・・・と心配になりながらも、空腹にはかなわん!というのでオーダーして出てきたものは・・・・ イタオヤのシーフードパスタ。 う~ん、マンダム。 (*^^)v私はズッキーニとエビのスパゲティにする。なかなか美味しかった。自宅でも作ってみたいな~~と思いながら食べる。慌てていたので写真を撮ろうと気が付いた時は、すでに半分なくなっていた。(すみません)イタオヤの注文したシーフードパスタはとても美味しくて、私は心の中で「あたしもこれにすりゃ良かった。」 と内緒でつぶやく。やめときゃいいのに、その後デザートまで食べてしまった。というのも、スパゲッティを食べ終える頃、隣のテーブルで既にデザートの注文を終えていて、運ばれてきたデザートがとてもおいしそうだったのだ。 レモンシフォンのクリームがおいしい。アイスクリームのように見えるけれど、中はスポンジケーキとレモンのクリームが入っていた。クリームは口の中で溶けてしまうように、ふんわりしていた。2人でケンカせずに半分ずつ食べる。その後エスプレッソを飲み、お会計は30ユーロだった。ランチとしては高いなぁと思ったけれど、なにせパスタの量がすごくて、満足できる食事だった。さて、これからどこのビーチに行こうか?風がまだ出ているので、さっきの白い砂浜はダメだろう。地図で見ると、このあたりにあと数ヶ所小さなビーチがあるようだ。岩場なら、風除けになって気持ちがいいはず・・・・そう思いながら見つけたのがここ。 Su pallosu(ス パロス)丁度干潮の時だった。風に押された強い波がこの岩場の前までドドーっと押し寄せ、岩にぶつかって崩れる。そして勢いが弱くなった海水がビーチのあたりの岩場に入り込む。こんなミニプールみたいな所にある岩の陰に寝転がると、強く感じた風もただの気持ちのいい ブリーズ に変身。ああ、気持ちがいい!!ちょっと太陽がジリジリと暑くなってきたので、思い切って肩まで水の中に入った。 ひゃ~~冷たい!! でも気持ちいい~~~と極楽を味わったのであった。 さて、夕食について書きたい。私達がこのアグリツリズモを予約するにあたって、2食付というパッケージにした。朝食と夕食である。昨日、2日目はテレビのないことにあまりにも打撃を受けて書き忘れてしまったが、お決まりの時間、夜8時に食堂(っていう雰囲気はまったくない、素敵な所なんだけれど)に行くと、ドイツ人カップル、リトアニア人のカップル、そして私達と計6人だった。昨日食べたものはタリアテッレのパスタをキノコのソースで和えたもの。そしてサルデーニャの名物、「子豚の丸焼き」だった。とてもおいしかったのだが、初日なもので、緊張してデジカメを部屋に忘れる。さて、今晩のメニュは何だろう?事前に聞けば教えてくれるのだろうが、何故か私たちは聞かずにお楽しみにする事にした。今晩は昨日のゲストたちは既にチェックアウトしており、なんと私達だけ!!ほほう~~これは貸しきりという事ですな。 量が3人前はあるの・・・気前がいいねぇ~~普通のラヴィオリより2倍くらいある大きさのラヴィオリ。それにトマトソースがかかっている。ラヴィオリの中はリコッタチーズだった。そしてその後ラム肉をオーブンで焼いたもの。とても美味しかったのだが、写真うつりが悪いので画像はパス。その後お決まりでフルーツがでる。今日も何となく食べ過ぎた感じ。食事が終わったのが9時半で、11時過ぎに床につくまでにはどうしても消化が難しいというのが少し難点である。えっ、散歩でもしてこいって??ええ、あたりは舗装されていない凸凹道で、そこら中に羊が歩き回っているんですの。 べぇぇぇぇ~、 べぇぇぇぇぇぇぇ~~~車で出かけるならともかく、散歩はねぇ・・・・・こんな感じで3日目は終了したのだった。 続く
Jun 23, 2008
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あれ? 楽天ブログ、22日日曜日の午前2時から7時頃まで定期メンテナンスだったんじゃ・・・・何気なくクリックしたら、もうメンテは終わってる。今日の昼、今夜はアップできんと、慌てて日記を書いたのにぃ~~いけずね~~~
Jun 21, 2008
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6月7日土曜日なかなか寝付かれなかったフェリーでの旅。朝5時半には2人とも起き上がってしまい、洗面を済ませ甲板に出てみた。そしたら結構人がうろちょろ。やっぱり眠れない人が多かったんだ~~と変に安心。6時には昨夜のカフェテリアに行って、朝食をとる。イタオヤはバールのおじさんに「思い切り強いコーヒーにしてくれ。」と頼む。そんなこんなで朝7時には「客室を掃除するからチェックアウトするように」とアナウンスが入り、その後なんと1980年代のディスコミュージックがガンガンかかったのだった。このミュージックは8時半に30分遅れでポートトレスに到着するまでかかりっぱなし・・・・ や、か、ま、し、い~~~!!! (ー_ー)!!いくら眠たくても、こんなのがガンガンかかっていたら起きないわけにはいかないだろう・・・(-_-;)私もイタオヤも睡眠は1時間くらいで、これは完全に 夜勤明けのまま知らない土地をめぐる というシナリオになってしまった。まずここから35kmくらい南下したところにあるAlghero(アルゲーロ)という町に行く事にする。田舎道をノロノロ走る。このあたりは牧草地なんだろう。 あたりは羊で一杯・・・・・30kmくらいはこんな感じで過ぎてしまった。そして9時半にはアルゲーロに到着。 アルゲーロの中心街はこんな感じ。 大通りを横に入ると、こんな眺めも。今朝の朝食がちょっとしょぼかったので、もう小腹が空いてしまった。早速近くのバールに入って、また朝食を食べなおす。風が強い。暑いはずのサルデーニャなのに、その風がちょっと冷たい。まさかサルデーニャまで、異常気象かしら?と不安になる。街を歩き回って、小さな広場で一息ついていたら こんな風にニコっとして写真のポーズをとっていたら・・・知らない子供が独りで近寄ってきた。私を見て、英語でこう言った。「Where are you from?」= 「どこからきたの?」いきなり尋問されたら、無視するわけにはいかないだろう。「I'm from Japan, where are YOU from??」=「日本よ。 あんたはどこからきたのよ?」と今度は私が尋問する番だ。まさか質問されるとは夢にも思ってみなかったんだろう、この子、ハッ!! とした表情で、それでも「イ、イタリ~~」と返事をした。すかさず、「で、イタリーのどこなのさ?」とまた尋問。彼は「サルデーニャ。」と答えたのだった。そんな事をしているうちに、この子のおかあちゃんがやってきて、「マッシモ、あんたそこで何やってんの!!」とでかい声で呼んだので、マッシモ君は「チャオ」と言っておかあちゃんの元へ帰って行ったのだった。 やっぱりおかあちゃんの一声には、かないませんって・・・ 思わず笑ってしまうにきーた。アルゲーロを出て、アグリツリズモのある Sennariolo(センナリオーロ)という村にゆっくり向かう事にする。だいたい60kmくらいだ。海岸の道路からこんな景色が見れる。 走っては止めて写真を撮り、景色を堪能し、また走る。途中で昼食を済ませ、午後3時にこれから私達が9泊するアグリツリズモの入り口に到着した。途中でアスファルトの道が途切れ、そこを曲がると、舗装されていない道が300mくらい続く。舗装されていない道路なんて、何年ぶりだろう。ここを毎日通って出かけるのかぁ・・・・と思うと、ちょっと心配になる。 建物はこれアグリツリズモはその奥にひっそりとあった。周りは牧草地だらけ。何ともいえないのどかな所だ。部屋に案内され、ほっと一息ついて気が付いた。 あれ、テレビがない。もしかしたら、テレビはみんなが寛ぐサロンにしかないのかな?と思い夕食時にさりげなくチェックしたが、 やっぱりテレビがない別にテレビ依存症でもないけれど、朝のニュースを観るのが好きな私達にとって、ちょっと残念だった。 続く
Jun 20, 2008
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去年の夏に日本に一時帰国した時、1ユーロ=168円くらいで取引されていた。ユーロで暮らしている私には、とても助かった。その後秋、冬、春とどうも為替レートがあまりよくなかった。1ユーロ=159円とか。そしてこの2~3日、またレートが変わりつつある。今朝は1ユーロ=166円くらいだったので、思い切って銀行に行ってきた。田舎の銀行なので、普通はxxユーロ分の円を注文して2~3日が過ぎる事は当たり前。その間にレートが変わるという皮肉なこともあるようだ。それで、今朝2000ユーロ分、思い切って交換しちゃえ!!と銀行に乗り込んだら、「少しなら確かキャッシュありますよ。」という信じられないお言葉・・・・・この田舎銀行に日本円が置いてあるって???結局1800ユーロ分だけだったが、すべて交換してもらった。レートは1ユーロ=165,08円。普段これとは別に2%の手数料がかかるが今回は銀行内にあったものなので、手数料もなし!!気になったので窓口のおにいさんに聞いてみた。「この村で日本円の需要ってあるんですか?去年注文した時は3日待ちでしたよね。今回はすぐに現金を交換できてうれしいです。」と。銀行のおにいちゃん、ニヤリと笑ってこう言った。「実は去年ご主人が日本円を買いに来た時、頼まれた額より多めに注文しておいたんです。」なるほど!とにかくささやかな小銭を稼ぐ事ができた。なんとなく、しあわせ。
Jun 19, 2008
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6月6日から16日までサルデーニャ島に休暇に出かけていました。これからのんびりと、旅の記憶をたどりながらサルデーニャでの思い出を語りたいと思います。 6月6日(金)出発の日だ。昨日は晴れていたのに、今日は朝からまた雨。そして肌寒い。南の島に旅するというのに、こんな天気じゃ気分は盛り上がらない。昨日もスーツケースの準備をしながら、暑いはずだけど、今年のイタリアは異常気象だから・・・と寒くても暑くても大丈夫なように衣類を選ぶ。本当はTシャツだけ入れて出かけたいのに・・・・さて、今回の旅で心配だったことは、ジェノヴァからポートトレス(サルデーニャの港)まで10時間フェリーに揺られていくという事。出発前に同僚から散々脅かされ、「にきーた、あまり飲まないで、なるべく胃に負担にならないものを食べなよ。」などとアドバイスを受ける。酔い止めの薬もしっかりと買い込むのだが、やっぱり心配。フェリーは夜10時発なのだが、我が家で昼ごはんを食べた後、どうもおなかがクルクルする。落ち着かない。ジェノヴァの交通状態もよく知らないので、不安と何ともいえない気持ちで夕方4時に家を出たのだった。無事ジェノヴァの港に着く。金曜日の夕方6時過ぎで、交通状態はかなり込み合っていた。やっと私達が乗るフェリー、Moby(モービー)の埠頭に着く。 乗船は8時半からというのに、既にこんなに沢山の車がスタンドバイ。前に見えるのはジェノヴァの街並み。サルデーニャに行く事に決めた時、飛行機(1時間くらい)にしようかそれともフェリーで行こうかとちょっと考えた。フェリーの10時間は長いけれど、車にいろいろ積み込んでいける。サルデーニャ内を自由に動き回れる、そして飛行機 + レンタカーと比較すると料金が安いという点で10時間のフェリーの旅を決めたのだった。私達が乗るフェリーはまだ入って来ていないので、サンドイッチと食べて待っていると おおおおっ~~~!!きたよ、きたよ、これだね!!と思って写真を撮っては見たものの、隣の埠頭に入って行ってしまった。Mobyフェリーの特徴は、フェリーの船体にルーニーカートゥーンのイラストが描いてあるところ。ネコのシルベスターとか、黄色い鳥のなんとかちゃんとか、アニメに詳しくない私は、シルベスターしか覚えていないのだが、こういうおこちゃまタイプのフェリーもいいかなぁ~~と思って予約したのだった。その後無事乗船する。イタオヤは車を乗り入れ、私は徒歩で乗船する。 フェリーの中には、こういうラウンジとか ピッツアポイントという、ピッツアを焼いてくれるところとか こういうパブなんかもある。その他、おこちゃま専用の広場、プール、セルフサービスのカフェテリア、お洒落なレストラン、音楽がガンガンかかっているディスコっぽいラウンジもある。10時に出港し、イタオヤと船内を歩いている時、カフェテリアが見えた。イタオヤは何か食べたいという。私は「もう10時だし、まだおなかの調子が心配だし、酔ったら困るし。」なんて気弱な返事を返したのだが、イタオヤは腹ペコだというので付き合うことにした。そこで見てしまった。カフェテリア内にはもう列が出来るほどの人が入っていたのだが、前菜、パスタ、肉類、そして付け合せなど皆さんトレーに入りきらないくらい食べ物を選んでいる。気分はもうバカンスなんだろうな~~イタオヤはフレンチフライと魚介類をフライしたものを見つけしっかりとゲットする。 いいのかねぇ、こんなに食べちゃって・・・・ 後で船酔いして泣くのはあんた達だよ・・・・山盛りのスパゲッティをほお張る子供達を見ながら、私は小さなサラダとパンを1つトレーに乗せてささやかな夜食を済ませた。食事のあと、甲板を散歩してみるが、暗いし強風で寒いしで興味半分で外に出てみるものの、みなさんすぐ中に非難していた。船内は禁煙なので、喫煙者が風のあまり当たらない所でタバコを吸っていたのがちょっとかわいそうだった。今回の旅は、客室は予約しなかった。ポルトローナという、映画館のリクライニングシートのようなイスを予約しておいた。10時に出港で寝るのは12時頃。サルデーニャに到着は朝8時なので、7時には客室から出なくてはいけないという。それなら6時起きで、多分安眠はできないだろうと思ったのだ。どうせ安眠できないなら、安いこのリクライニングシートでいいや!という考えだった。乗客の中には最低料金を払って、フェリーの片隅で寝袋で寝ている家族もいた。キャンピングをする人たちは、マットレスや毛布なんかも持ち込んで、ひと目を気にしなければ結構快適のように見える。そして今日思うこと。リクライニングシートはどうもいただけない。確かにかなり後ろまで倒れるのだが、足置きがないので結局腰痛になるような姿勢になってしまう。そして私達のシートがあった所は、結構洗面所に近くて音がうるさい。リクライニングシートを予約しなかった人たちが、真夜中の1時、2時頃空いた席を求めて徘徊する。こんな時間なのに、しゃべりながら入ってくる野郎達もいてそのたびに目が覚める。イタオヤが起き上がってガンを飛ばす。というわけで、次回はちょっと高くても客室を予約しようと心に決めたのだった。 おまけ結局ザワザワしながら乗船してサラダを食べて、なんだかんだ言っているうちに、酔い止めを飲むのを忘れて寝てしまった私。朝方少し揺れたが船酔いはしなかった。ラッキーだったのだろうか。あんなに散々脅かされて、不安だった私って・・・・ 続く
Jun 18, 2008
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昨夜11時半に無事サルデーニャから帰ってきました。心配していた船旅も、大丈夫でした。うわさに聞いていたサルデーニャ、いっや~~ 涙が出るくらい良かったです。現在洗濯物の山を見つめながら、ボーっとしております。これから少しずつ更新していきますので、お楽しみに~~~そして出発前に暖かい言葉を添えてくれた皆さん、どうもありがとうございました。
Jun 17, 2008
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突然ですが、金曜日の夕方からちょっと早い夏休みに出かけます。行き先はサルデーニャ島。イタオヤの出身地です。でも今回は家族と涙の再会とか、そういう事一切なし。勝手に行って、遊んできます。実は心配な事があります。Genova(ジェノバ)からフェリーに乗って、サルデーニャまで 10時間 (@_@;)私、頑丈で船酔いなんてへへへのへっちゃら~~~に見えるけれど、案外デリケートでございます。もちろん酔い止めもしっかり準備していく予定。イタオヤももちろん酔い止めを飲むんだろうな~と思っていたら、「俺は平気だ。」という力強いお言葉。2人でゲーゲーしててもしょうがないから、なんとなくホッとしたわ。ブログの更新がしばらくお休みになりますが、帰ってきたらまた頑張りますので、よろしくお願いいたしま~~す できれば海水浴もしたいけど・・・・ 南フランス、アンティーブの石ころビーチ
Jun 5, 2008
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降ったりやんだりの雨。今日は天気が良かったのに、急に雨が降り始め、それでもお日様はそのままという、雨と太陽のもめ事状態が少し続いた。そして外を見ると 写真では全部まとめて撮れなかったけれど、橋のような虹がかかっていた。何年ぶりかで見た虹。消えてしまう前にデジカメにおさめる事ができた。
Jun 4, 2008
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我が家の洗濯機は、結婚前からイタオヤが使っていたもので、今年18歳である。時々どこからか水漏れがするし、もういい加減古くなっていたのだが、壊れたわけでもない。洗濯物を入れて、スイッチを押すといつもどおりに頑張ってくれる。というわけで、心の中ではそろそろ新しいのを・・・・と考えていても決心がつかなかった。ところが2週間前のある日の事。脱水をしてたら、トラックが目の前を通り過ぎたかと思うような大きな音を立てて回り始めた。うるさくて、うるさくて近所の子供が泣いてしまったくらいだ。というわけで、ついに新しいのを買うことにした。今まで使っていたのは、イタリア製のアリストン社のもの。前開きで、洗濯物を入れたり、出したりする時はしゃがまなくてはならない。それがどうも面倒だ。 時代を感じさせるつくり。 お年頃の18歳です。それに、洗濯機のスイッチを入れて、水が入ってからは後でソックスを片方入れ忘れても、フタを開けて追加する事は出来ない。フタを開けるには、スイッチをオフにして排水してから開けることになる。過去に、「あ、これも入れれば良かった。」ということが数回あった。全く融通が利かないのだ。しかしイタリア国内のお店で販売しているのは80%がこの前開きタイプである。安いのから高級品まで、色々ある。私が今回欲しかったのは、日本で母が使っているような上から開けるタイプ。種類は少ないが、やっと気に入ったのを見つけた。アメリカの Whirlpool社のものだ。上開きの洗濯機の特徴は、スリムで場所を取らないという事。場所はいくらでもあるからどうでもいい。私は上から開けて、入れ忘れた片方のソックスを追加したいのだ。 スリムでシンプルなルックスが素敵 (^・^)古い洗濯機のサイズが、幅59cm、奥行き56cmに対して、新入りは 幅44cm、奥行き59cm である。上のフタを開けると、こんな感じ。 タンブラーが閉まっている状態。洗濯物を入れるには、このぐるぐる回るのをまず開けなくてはならない。 タンブラーを開けた状態数回使ってみたが、やっぱりしゃがみこまなくていいのがうれしい。それにサイクルも色んなのがあって、選べる。脱水も1分間に800回転から、もっと弱めの脱水など5段階で選べる。私は今のところ40℃の水温で1時間洗うコースが気に入っている。クイックサイクルの30分もある。これも便利そうだ。お古の洗濯機の許せないところは、実は他にもある。まずサイクルが3つだけ。サイクル1はひどい汚れの物を洗うサイクルだ。前洗い、そして普通の洗いで3時間半かかる。 3時間半・・・・・この間に水温を3度くらい温め直すので、電気代がかかる。すご~~~くかかる。そしてサイクル2。前はいつもこのサイクルを使っていた。水温は40℃くらいで1時間半かかる。私達夫婦は泥遊びをしたりはしないので、ジーンズもシャツもそんなに汚れない。それでも1時間半かかる。サイクル3 はデリケートなものを洗うサイクル。40分くらい。 でもほとんど使ったことがなかった。デリケートなものは結局手洗いで済ませるからだ。この新入りの洗濯機、量販店のセールで379ユーロ。今のところ元気に働いてくれている。
Jun 3, 2008
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宮本輝氏の「流転の海」を読んだ。数年前に、トリノ付近に住むお友達が、「彼の本は面白いよ。」と教えてくれたのだ。去年里帰りした時、早速古本屋で試しにこの1冊を買ったのだった。 あらすじは、敗戦から2年目、裸一貫になった主人公が大阪の闇市で、戦前に経営していた会社の建て直しをしようとしていた時、妻にあきらめていた子宝が授かった・・・・・主人公の松坂熊吾は50歳である。この主人公がわがままで、好色で、気難かし屋で読んでいてハラハラする。そして戦後の闇市の立つ大阪で、裏切られたりヤクザまがいに絡まれたり、いろんな事が起きる。彼の事業の建て直しをベースに話は進んでいくのだが、時々脱線して彼の生い立ち、妻の生い立ちなどにも話はどんどん広まる。最近ちょっと昭和モノにはまっているのだが、「流転の海」は戦前、そして終戦後の話で自分の知らない昭和に、ドップリと頭の上まで浸かってしまえる。宮本輝氏は、このシリーズを5部作にしたという。是非続きも読んでみたい。会話のほとんどが、関西、大阪の言葉で読んでいてとても気持ちがいい。お勧めの1冊だ。
Jun 1, 2008
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