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中学校区の保・幼・小・中の連絡会に行った。内容は今年度の報告や反省などだったのだけど、ある小学校の取り組みがいいな~と思った。 その小学校では、高学年が荒れていて、学校を引っ張って行くはずの六年生がまるで機能していなかったそうだ。そこで、秋から「縦割り清掃」というのを始め、一年生から六年生までのメンバーで同じ場所を掃除するようにしたら、それまで掃除を全くしなかった六年生がするようになったとのこと。 心の荒れた六年生も、低学年の前では掃除をさぼるわけにいかなかったらしい(^^;) 年齢の違う子どもたちのかかわりは素晴らしいな~と思った。きょうだいの数が減り、近所で群れて遊ぶこともなくなった今の世の中では、小さい子の世話をしたり、大きい子と一緒に活動したりする機会がない。それって子どもたちの成長を阻害しているんだなあと思う。 もうひとつ気になったのは、ある幼稚園の話。 発達障害の子がいて、子どもたちは障害のことなど気づいているのかいないのかごく自然に受け入れ助けながら生活していて、いい人間関係が築けているのに、保護者の理解が得られないという。 「あの子と一緒に小学校に行ったら、授業が成り立たなくて迷惑だ」とあからさまに言う人までいるらしい。 そんな保護者の無理解には驚くけど、その幼稚園と上記の荒れた小学校は隣接で、幼稚園の子はごっそりその小学校に入る。何だか、無関係とは思えない。 地域の子どもたちを受け入れられず、迷惑扱いするような保護者集団だったら、その子どもたちだっていつかはそうなってしまうだろう。 子どもたちを人間性豊かな子に育てたいなら、まず自分がそうしなければ。口ではきれいごとを言っても、子どもたちにはちゃんとわかってしまうのだから。
2006.02.28
「こんなに小さくても、世話したいものなんですねえ。」とお母さんがしみじみ言った。 毎日、お兄ちゃんについて幼稚園に来ている1歳になるかならないかのチビちゃん。テラスで飼っている子ウサギが大好きで、えさをやるのに余念がない。パンの耳を食べさせたり、背中をなでてやったり...。 自分はまだよちよち歩きを始めたばかりの赤ちゃんなのに、ウサギは自分より「小さい」と思うのか、世話しようとするんだよね~。 子どもたちは本来、とても世話好き。 4月から入ってくる新入園児たちが、保護者会やら体験入園やらで時々やってくるのだけど、3歳児ちゃんたちは、世話したくて仕方がない。 自分だってまだトイレに行くとズボンの上げ下ろしを手伝ってもらったり、帽子や靴を置き忘れて右往左往したりしているくせに、新人が来ると言えば、「教えてあげる!」「手伝ってあげる!」と大張り切り。 赤ちゃんは赤ちゃんなりに、3歳児ちゃんは3歳児ちゃんなりに、自分より小さいものを世話することで、自分の成長を感じ取っているのかもしれないなあ。
2006.02.27
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「過保護のススメ」(佐々木正美 著 小学館)を読んだ。 過保護はいいけど過干渉はいけない、という内容だけど、一般的には過保護と過干渉は同じ意味で使われることが多いと思う。 過保護は「子どもが望んでいることを望んでいる通りやってあげすぎること」過干渉は「子どもが望んでいないことをやらせすぎること」 でも、親には「子どもがほんとうに望んでいること」と「望んでいないこと」の区別がつかないことがまず問題なんだろうなあ(^^;)。それに、たとえ望んでいることでも、子どもが言う前から先回りしてやってしまうとやっぱり過干渉になると思うし。そのあたりが難しいところではある。 心に残った一節。 「待つことが喜びになったら、育児、ものを育てるというのはうまくいくと思います。(中略) 草花を育てるのも農作物を育てるのも、待つことに対する喜びではないでしょうか。」 ああ、そうだな~と思う。今の子育ては、「早く、早く」と結果を急ぎすぎる。その子なりのペースでやっているのに「早くしなさい」とせかす。学校に入ってからでいいことを小さい頃から習いに行く。失敗したり遠回りしたりすることが許されず、最短距離で目的地に着くことが求められる。無駄も許されず、「費用対効果」なんてことが子育ての世界でさえ言われる。 種をまいて、水をやって、日々大きくなる過程を楽しみながら、時には心配もしながら、育てること。楽しみながら待つこと、それができたらいいなあ。 過保護のススメ
2006.02.26
今日は「不審者対策」の避難練習をした。 避難練習も年間計画があって、「火事」「地震」「台風」「不審者」とそれぞれにしている。 ほんとうならリアルな訓練をするべきなのだろうけど、なにしろ恐がりな3歳児もいる。不審者役の人が出て来て先生と格闘なんかしたら、怖がってもう幼稚園に行かないなんて言いかねない(^^;)。 だから、「たとえ優しそうなお姉さんが来て、お母さんのお友達だよと言っても、お菓子やおもちゃをあげると言われてもついていったらいけないよ。」という話とか、それでも連れて行かれそうになった場合は、「たすけて~!」「いやだ~!」と大きな声で叫びましょう、という話をした。 年長組さんがモデルになって、先生に引っ張られて「たすけて~!!」と言う練習をした。 真剣に見ていた3歳児ちゃんたち。 ...それはよかったんだけど、その「劇」がよほど楽しかった?らしく、自分たちもやりたくてたまらない。 年少組の部屋に帰ると、友達同士引っ張り合って「たすけて~!」「やめて~!」「だめ~!」「キャー!」と楽しそうにやっている。 その上、「あっ、先生、あやしいおじさんが来た!」なんて大嘘八百を言い出す子まで...。 「そんなことを、遊びでするもんじゃありません!もしほんとうの時に、遊びだと思われたらどうするの!」と一喝するはめになった。 お迎えのとき、お母さんたちにも「今日、こんな練習をしたんですよ。」とお話しすると、 「ああ、それで...。手をつないだとたんに『たすけて~!』って言うんで、どうしたのかと思いましたぁ。」 まったく3歳児ちゃんたちはっ...(^^;)
2006.02.23
3歳児ちゃんたちは、紙で工作するのが大好きなんだけど、とにかく使い方がダイナミック。 細かく切り刻んだり、破ったり、細く丸めて剣にしたり、しゃくしゃにしてボールにしたり、...で、使ってぐちゃぐちゃにしては捨てる(^^;) 1日にしてゴミ箱がいっぱいになるほどなので、画用紙を使うにはもったいないため、主に使うのは広告紙。おかげさまで、我が家の新聞折り込みチラシは資源ゴミにしなくていいほど消費されている。 幼稚園にチラシを持って行くのを忘れると、「もうっ、先生、紙持って来てって言ったでしょ!」と叱られるし、たくさん持って行くと、「やったあ!」と小躍りする。こんなに喜んでもらえると、新聞チラシも本望であろう(^^;) 車の写真がたくさん載っていたり、おもちゃの広告だったりすると、奪い合いになることも...。 チラシなので、タダだし、思う存分使ってもらえばいいんだけど、子どもにとってはチラシも画用紙も色紙もたいした違いはないらしく、誰かがたくさん使っていたりすると、「先生っ!○○くんが独り占めしてる!」「○○くんがたくさん使ってる!もったいないよねえ?」と苦情を言ってくる。 「...そうだね、たくさん一度に使ったら、もったいないね。」と言いつつ、 チラシといっても立派な資源。やはり一枚ずつ大切に使うようにするべきか... チラシなんだから、思い切り創造力を発揮してもったいないなんて遠慮せず使えばいいのか... としばし悩んでしまった。 たくさん使うことに必然性があるのならいいし、チラシでもむやみに無駄遣いしたらいけない...とは思うけど、3歳児ちゃんの必然性ってよくわからないしなあ(^^;)
2006.02.22
3歳児ちゃんたちと外で遊んでいると、去年担任した子たち(今年中組)が「ひよこ組(仮名(^^;)のせんせい~!」と呼びかけてきた。 私 「あら、あなたたち、先生の名前、もう忘れたの?」 子どもたち「忘れるわけないよ~!まりか先生でしょ~。」 私 「ああよかった、忘れないでよね。」 子どもたち「忘れないよ、一生忘れないよ!」 ほんとに一生忘れないのね~?! 約束したからね? でもまあ、幼稚園の先生というのは...ましてや3歳児担任の先生なんてものは...普通、忘れられてしまうのよね(^^;) と思いつつ、何だかうれしい私だった(^^)
2006.02.21
幼稚園の保護者が園児を殺害した事件には衝撃を受けた。 どこでも起こりうる、と思ったからだ。 「グループ登園」というシステムがあったり、その保護者が外国の出身だったり、というところは同じではないにしても、幼稚園に「孤立する保護者」がいるのは決して珍しくない。 私が担任した子どもの保護者だけでも、そういう保護者は何人もいた。 子どもはちっともいじめられてないのに、心配して毎日「いじめられていませんか」と聞きにきたお母さん。いくら幼稚園での様子をくわしく伝えても、どうしても「いじめられている」という思い込みから抜けられないようだった。そのお母さんは、「幼稚園から帰っていると、近所の人が悪口を言う声が聞こえる。」とも言っていた。園長先生と一緒に、ずいぶん相談に乗ったなあ...。 年長組になってから、違う土地から引っ越して来たために、クラスのお母さんになじめなくて、「みんなが私をのけ者にしている」と言っていたお母さん。クラスのお母さんが意識的にのけ者にしてはいなかったと思うけど、とても疎外感を感じているようだった。よく夕方まで幼稚園のテラスでお話を聞いた。卒業する時にくださった手作りのミニテディベアは、それから10年、私の本棚に座っている。 とてもおとなしい性格で、みんなと親しくしたいんだけど、クラスの派手目なお母さんのグループに入れなくて悩んでいたお母さん。「あいさつしようとしても、知らん顔される」と言っていた。でも、途中から引っ越して来たお母さんと気が合って、それからは明るくなったのでほっとした。 大勢とワイワイするような活動が苦手で、親子で一緒にする行事がある時は、なぜか子どもが熱を出すか何かでほとんど休んだお母さん。小学校ではそんなに親同士つきあわなくてすむので、あまり休まなくなったみたいだけど...。 お迎えに来たお母さんたちは三々五々と集まっておしゃべりするのだけど、迎えに来ても木の陰に隠れてじーっとしていたお母さん。私が話しかけてもめったに話さなかったけど、卒業する頃にはちょっと笑顔が見られるようになったかな...。 同僚の先生とも話していたら、「孤立する保護者」は枚挙にいとまがない。その人たちは凶行には及ばなかったけれど、心情的には同じだったのではないだろうか。 それに、不安な気持ちを態度に出してくれる人はまだいいけど、表面上はニコニコしてつきあっていても、心の中では死ぬほど悩んでいる人だっているかもしれない。 私たち幼稚園の職員も、できるかぎり話しかけたり、相談に乗ったり、愚痴を聞いたりしてはいるけれど、それだけで救えたとも、救えるとも思えない。相談内容は嫁姑問題から夫婦関係、近所のつきあいまで多岐にわたるし...。保護者同士のことだと、仲立ちするのも難しい場合が多い。子どもどころでなく扱いが難しいのが保護者だから(^^;) PTA活動も、保護者同士のつながりを深めたり、助け合える友達作りの場にもなれば、ストレスの元になることもある。私たち幼稚園の職員に何ができるのか...職員室であれこれと話し合ったけど、結論は出なかった。
2006.02.20
今日は年少組の「発表会」。年中、年長は12月だったので、今日は私のクラスだけの発表会である。 合奏、劇、歌、踊りといくつかするのだけど、どれも、普段の遊びの中でしているものを、形を整えたくらいで、特別に練習というほどのものはしていない。しかし、ひとつひとつはいつもやっている簡単な歌や合奏とはいえ、それを全部続けてやるのはこの日一日だけ。果たして、集中力が続くのか、とっても心配(^^;) 運動会の時は、かけっこと踊りで出番は10分ほどだったけど、一クラスだけの発表会なのに10分で終わりというわけにもいかないしね~(^^;) 親たちは、我が子の初めての発表会、ものすごく楽しみにしている。ビデオとカメラが次々にセッティングされ、有名人の記者会見でも始まるのか?!という感じ(^^;) 予想に反して(?)、子どもたちは、しっかりと親の期待に応え、元気よく歌を歌い、楽しそうに劇を演じてくれた。お母さん、お父さん、おばあちゃんたち、うれしそうだったなあ。 「発表会って、お母さんへのごほうびよね。」と同僚の先生は言う。 忙しくストレスも多い子育ての毎日だけど、それが報われることって少ない。日々一生懸命子どもを育てても、別に誰もほめてくれない。 そんな中に、「発表会」というイベントがあって、「ああ、我が子もこんなに大きくなったのね。」と感動し、夫や家族と一緒にビデオでも見ながら、「我が子がこんなに上手にできて」と共感する。それは報われることの少ないお母さんへのごほうびになっているのだと言う。 それもなるほどな、と思うし、私は、どっちかというと「子どもたちのお母さんへのサービス」みたいな気がする。 3歳児ちゃんにとってみれば、ずっとお客さんの前に立って歌ったり踊ったりするのは、うれしい反面、とっても疲れたと思う。 それでも子どもたちががんばっていつにない集中力を発揮したのは、お母さんに見てもらって、喜んでほしいから。それは子どもたちの、お母さんへの「いつもありがとう」というお礼みたいな気がする。 それはともかく...。 プログラムの最後は、親子で一緒に触れ合う手遊びやリズム遊びを組んでいたのだけど、その時も必死でビデオを撮っている親がいるのには驚かされる。 片手にビデオを持ってファインダーを覗きながら親子でじゃんけん遊びをしたり、「お母さん、一緒にしようよ!」と我が子が手を引っ張っているにもかかわらず、「いいから、こっち向いて、撮ってるからね!」とビデオを回し続けたり...。「そうまでしてビデオ撮りたいか?!」と衝撃である(^^;) 子どもたちが舞台でやっている時には撮ればいいけど、親子遊びはビデオを置いてできないものかしらね。何が大事なんだか...?
2006.02.17
年長組さんが、「1日入学」に行ってきた。 午後、様子を聞くと、年長組担任が少しがっくりしている。 なぜかというと、一年生たちと一緒に机に座らせてくれて一年生気分を味わわせてくれたのはいいけれど、その時した「プリント」ができなくて、すごく落ち込んだ子どもたちが数人いたという。 どんなプリントかというと、薄く書いてあるひらがなを鉛筆でえどり、その横のマスにはそのひらがなを真似して(こんどはえどるのではなく)書くというものだったらしい。 「こい」とかならまだ書けても、「まめ」とかになると全然書けない子がいて、「...できなかった...」と涙ぐんでいた子もいたとか。 今時、入学前でも字が書ける子はざらだろうし、多くの子はできるだろう。でも、できない子もいる。小学校側も、「入学までに自分の名前は書いて読めるように」というくらいで、ひらがなが全部書けるようにしておいてくださいとは言ってない。それなのに、なんだかなあ。 1日入学というのは学校によって、というより先生によって千差万別で、バラエティに富んでいる。 遊んでくれるばっかりという場合もあって、そういうときは「せっかく勉強の気分を味わいたくて来たのになあ」と思うし(^^;)、授業を見せてくれるだけでもおもしろくないし(^^;)...。 ある時は学習発表会のときにしたという見事なピアニカの演奏を聴かせてくれて、音楽苦手な子が「あんなのしないといけないんだったら、学校行きたくない」と言ったこともある(^^;)。 学校の先生の身になって考えると、「1日入学」というのは難しいなあと思う。
2006.02.16
先日、3,4、5歳全部を連れて、「人形劇」を見に市民会館に行ったのだけど、気になったことがある。 この人形劇は人気の高い劇団がするもので、質もいい。生の演劇を見ることは子どもたちにとってとてもいい経験だと思う。私も毎年のように園児を引率して見に行っている。 しかしここ数年、やたら「怖い」と言って泣く子が増えた。 子ども向き人形劇といっても、悪役はいるし、暗い森のシーンとか、主人公が危険に陥るとかいうことはあるので、もちろん怖いところはある。怖そうに身を縮めたり、先生にしがみついたりということは昔からあった。 それでも、怖いシーンが終わればまた楽しいお話の世界を楽しみながら見ることができて、最後には「あ~、おもしろかった~!」と満足して終わることができていた。 しかし、ここ数年は、やたら「怖い」と泣いたり、外に出たがったりする子が多い。もちろんたいていの子は、怖さも含めて大いに楽しんで見ていられるのだけど...。 昔の子に比べれば、今の子どもたちは、普段からずいぶん怖いものを見ていると思う。「仮面ライダー」だって、すごく怖い。「ハリー・ポッター」だって怖い場面はたくさんある。子どもによっては、大人向けホラー映画を親と一緒に見ていたりもする。 私なんか、子どもの頃「バルタン星人」が怖くて、テレビのある部屋に近づけないくらいだった(年がわかっちゃう?!)けど、あんなの、今の子どもたちは笑い飛ばすほどチャチなのではないだろうか? にもかかわらず、人形劇に魔女が出てきたくらいで怖い、と泣くのはいったいどうしたわけだろうか?テレビと違って暗くて臨場感があるというのはあるだろうけど、感受性が強くて本当に怖いのとはちょっと違う表情で、ただ甘えているというか、少し嫌だったらすぐ逃げようとするというか...。何だか違うぞ、という感じなのだ。 個人差があるので感受性が強い子はいるだろうけど、劇団の方も何十年もやっているプロだから、そんなに恐ろしい演出をしてないと思うのだけど...。 怖いシーンあってこそ、それを乗り越えた主人公が輝くわけだし、ずっと楽しくて明るいだけの劇なんておもしろくない。楽しいシーンあり、手に汗握る場面あり、ハラハラドキドキする場面あり...でこそおもしろいのだ。大げさにいえば、それは人生も同じだろう。 それを少し怖いからと言って泣き、会場から逃げ出そうとする...というのは、情けない気がする。主人公も怖くても戦い、乗り越えるのだから、もうちょっと我慢して乗り越えてほしい。 それができない子が増えたのは、何にせよ我慢することなく育ってしまったためなのか、それともお話の世界を味わう体験が少ないためなのか...。
2006.02.15
もうすぐさようならの時間、という時、Mちゃんが、「私のティッシュがない」と言い出した。 うちのクラスの3歳児ちゃん、よく「私の帽子がない」とか「ハンカチがない」とか「上靴がない」とか言う。 たいていの場合、どこかに落ちたか、置き忘れたか...なのだけど、3歳児ちゃんというのは、自分が置き忘れたりちゃんと片付けていないことは棚に上げて、「ない」と言い出したら見つけ出してやらないと納得しないので、大捜索をすることになる。 どこかに落ちているだろうとはいえ、幼稚園中探すのはなかなか大変なのだ。ましてや、自分の行動をまったく覚えていないとぼけた3歳児ちゃんなので、予想外のところにに落ちていることもある。 探す時間がある時ならいいけど、今日みたいにもうすぐお迎えの時間、となると、かなり焦る。 「どこかに落ちていないかな?」と床やロッカーの下をのぞいてみたけどない。 「トイレに忘れていないかな?」とトイレを探してみたけどない。 「みんな~!Mちゃんのティッシュがないんだって~。探してくれる?青いティッシュなんだって。」とクラス総動員することにする。こういう時は、けっこう3歳児ちゃんは友達思いなので、一生懸命探してくれる。 ...のはありがたいけど、幼稚園中を駆け回り、下手すると目的を忘れて道草を食って戻って来なくなったりするので、収集がつかなくなるリスクもあるが(^^;) 「ぼくが見つけてあげる!」 「わたしも探してあげる!」 とみんなが臨戦態勢に入ったとたん、Mちゃん、 「あっ、あった。」 ...Mちゃんのポケットの奥の方に入っていましたとさ。
2006.02.14
うちの幼稚園は、20代ふたり、30代ひとり、40代ひとり、50代ひとりという、実に年齢構成のいい(?)幼稚園である。 気になるのはやっぱりお肌...じゃなくて、体力。 元気が資本の仕事なので、今はめったに病気もせず、常に子どもたちと動き回っているのだけど、いつまでも元気に動き回れるかどうかは誰しも気になるところ。 幸か不幸か、ウォームビズだとかクールビズだとかいうのとは無縁(いつも戸外で遊んでいるから(^^;)なのはいいけれど...。 一番年上の先生いわく、 「このごろ疲れやすくて、何とかしなくちゃと思って、A先生おすすめの○○社の△△を飲んでみることにしたの。」 A先生とは、幼稚園の園長を定年退職後も、私立幼稚園の園長としてバリバリ活躍中の、めちゃくちゃ元気な先生。 「わー、ほんとに効くんだったら、私も飲もうかな。」 「じゃ、先生がこれから何ヶ月かで、すっごく若々しくなったら、私も飲むわ!」 と盛り上がってしまった(^^;) ファッションやメイクの話では盛り上がらないのに、こんな話で盛り上がるのは、私たちってやっぱりオバさん集団なのかしら?? 生涯現役で子どもたちと走り回れるように、体力つけなくちゃなあ...とは思うのだけど、なかなか...(^^;) いい方法ないかしら。
2006.02.13
ペン習字を習い始めて一ヶ月。細々と練習しているのだけど、とっても楽しい。 先生は数々の著作で有名な山下静雨先生で、課題を提出したら丁寧に添削して返してくださる。自分の字のヘタさに絶望しながら清書を出すのだけど、先生の美しい字の温かなコメントを見たら元気が出て、また提出しよう!と思う。 自分の字じゃなく、お手本を一生懸命真似して書いたものを送っているつもり(^^;)なのに、私の性格を言い当てているようなコメントなのでまたびっくり。どうしてわかるのだろう??字は人を表すというけれど、本当なんだなあ...恐ろしいことだわ(^^;) いつも人に教えるのが仕事の私にとっては、「教えられる」という点でも貴重な体験になっているなあ、と思う。何を学ぶのでも、習い事であれ、学校であれ、塾であれ、一番大切なのはやはり「人」。尊敬できる師を持てたらほんとにラッキー。私も人を勇気づけ、元気が出るような教師でありたい。 でも、ほんとに字がうまくなるには3年、いや5年、いや10年かかりそうね...(^^;) まあぼちぼちがんばるしかないか。
2006.02.12
私のクラスの子たちは、紙や空き箱でいろんなものを作るのが大好き。 でも、3歳児だともちろん自分たちで満足のいくものは作れないので、リクエストに応じて80%くらいは私がせっせと作っていたりするのだけど...(^^;) 「ウルトラマンネクサスの変身するもの作って」と言ってきたSくん。 聞けば、お面じゃないらしい...剣でもないらしい...。 「手で、こうやって、変身するものなんだよ。」 と教えてくれるものの、Sくんは言葉が達者な方ではないので、それでなくてもイメージがよくわからない。どんな形なのか、どんな色なのか...とか、さっぱり要領を得ない。 試作してみるものの、こだわりが強く決して妥協しないSくんのイメージには合わないらしく、「ちがうちがう、だめだめ」と言い続け、とうとう「わあ~ん」と泣き出してしまった。 で、若い男性用務員さんに助けを求めてみた。 ...「ちがう」と言われた。 若い先生にも古い先生にも?助けを求めてみた。 ...「そんなのだめ」と言われた。 泣いているSくんを心配して、クラスメートが数人「ぼく、わかるから、作ってあげる」と言って作ってくれた。一生懸命作ってくれるけど、当然、Sくんのイメージには合わない(^^;) 年中組さんに助けを求めることにした。ウルトラマン大好き少年が、それはそれは精巧なのを作ってくれた。(家に帰ってからネットで実物を調べてみたら、ほんとにそっくりだった。) 輪ゴムをつけて、手にはめられるようにまでしてくれた。周りの年少組たち、「うわあ、すごい、いいなあ~(・o・)」とあこがれのまなざし。 しかし!!肝心のSくんは、 「そんなの、いらない」 万事休す。 「Sくんに作ってくれたんだけど、Sくんはいらないらしいから、欲しい人?」と聞くと、大喜びで手が挙がったので、年中組さんは気を悪くしなくてよかったけど...。 そんなに苦労してきた私たちを尻目に、Sくんはその話題に飽きてしまったのか、「紙ヒコーキ、作って!」 めでたしめでたし??
2006.02.10
出入りの児童書専門店さんが来てお話していた。 週に一回は「ノー・テレビ・デー」にしようというのを提唱している大学の先生がいるのだけど、一番の障害は子どもではなくて「お父さんが反対すること」なのだそうだ。 確かにそうかもしれないなあ...我が家でも、「テレビを見ない日にしよう」なんて提案したら、たぶん一番嫌がるのは夫さんだと思う(^^;)。 テレビの見方にもいろいろある。 私は、見たい番組は真剣に見る主義。始まったらテレビの前に座り、画面から目を離さず真剣に見る。セリフ一つ聞き逃すのもイヤ。お茶を飲んだりはするけど、何かをしながら見ることはめったにない。その番組が終われば、スイッチを切ってその場を離れる。もっとも、最近はテレビ番組を見ているのではなくて、WOWOWで録画した映画と海外ドラマばっかりなんだけど。 しかし夫さんは、とにかくのべつまくなしにテレビをつけている。帰宅したら寝るまでテレビをつけっぱなしで、リモコンを手に次々とチャンネルを変えて、どれを見るというわけでもなく見ている。しかも、テレビを見ながら新聞や本を読んでいたり仕事をしていたりもする。 そのテレビを見ていない私は、ちょっと離れたところでパソコンに向かっていたり本を読んでいたりするのだけど、聞いていないといっても音はどうしても耳に入るので、次々とチャンネルを変えられるのは意外とイライラする。 「いったいどの番組を見てるの?」と聞くと、「別にどれも見てない」と言うし、「どうしても見たいのじゃなかったら消したら」と言っても「でもおもしろいのをするかも」と言う。 何となくテレビの前に座っているなんて私には考えられないのだけど、夫さんにとってはテレビを見ながら(というかろくに見てない気もするが)のんびりするのが一番の疲れを癒す時間であるらしいので、むげに否定もできず、がまんしている(^^;) しいてメリットとして、私がテレビを見てなくても、夫さんを通じて世間一般の情報が入ってくるというのがあるので、しょうがないか~と思ったりして...。(夫婦とも私みたいだと、たぶん流行ものなんて何も知らない(^^;) ノー・テレビ・デーどころか、そんな状態の我が家なので、子どもたちの集中力に多大の影響を及ぼしているに違いない、と嘆かわしくなってしまう(TT) さて、うちの子たちは注意力散漫な子になってしまうのか、はたまた小うるさい環境の中でも何とかやっていくすべを身につけるのか...(^^;)
2006.02.09
私のクラスのFちゃんのお母さん、最近パートに出るようになった。幼稚園のお迎えに支障がないように午前中だけだけど。 お母さんは、久しぶりに仕事に出るのは楽しいし、労働の喜びを感じます!とうれしそう。 でも、幼稚園に預けたらすぐ出勤しないといけないので、朝は少しバタバタするようになり、Fちゃんがちょっぴり不満顔だったそうだ。 それで、Fちゃんにお話ししたそうな。 「あのね、お金がないと、Fちゃんがほしがっているプリキュアのパジャマも買えないんだよ。ママが仕事に行かなかったら、パジャマ買えないけど、いい?」 この説明でFちゃんは見事に納得し、「ママ、行ってらっしゃい!」とすんなり言えるようになったのだそうだ。 う~ん、なんだかなあ(^^;) 「ママが仕事するのはプリキュアのパジャマを買ってくれるため」と思われていいのかな~? そりゃあ、私も働いているのは、主に経済的理由だ(^^;) 子どもたちの教育にもお金がかかるし、私もいろんなものが買いたいし、海外旅行もしたいし、年金も破綻しそうで老後も心配だ。 どうせ働くなら今の仕事は好きでやりがいも感じるので、私にとってはベストだと思うけれども、もし経済的に何の心配もなかったら、たぶん働かないと思う。だって働くのはほんとに大変だもの(^^;) すごいストレスだし。 だからプリキュアのパジャマのために働くと言うことに抵抗を感じる資格は私にはないのだけど、それでもやっぱりひっかかってしまう。「仕事をして楽しい」「人の役に立ててうれしい」という気持ちを少しでも子どもに伝えたいと思う。実際、お母さんは仕事を始めて楽しいと思っているわけだし。 3歳児のFちゃんには「ママの生きがいで」働くというより「プリキュアのパジャマを買うため」の方がわかりやすいというのはよくわかるのだけど...(^^;) まあ、お母さんが生き生きと暮らしていれば、自然にFちゃんもお母さんの生きがいを感じ取ってくれると思う。
2006.02.08
今日は、「クッキー作り」という行事の日で、年中・年長組は朝からエプロンをつけ、型抜きクッキーに挑戦していた。一人一人、割りあての生地を伸ばしては型で抜いていく。 平行してオーブンで焼くので(用務員さんとフリーの先生はオーブンにつきっきり)、一日中幼稚園はクッキーの香りが充満していた。 年少組はクッキー作りには参加しない(明日のクッキーパーティで食べる)のだけど、隣の部屋で型抜きをしているのがうらやましくてたまらない。 邪魔をしたりほこりを立てたりしてはいけないので、「見るのはここから」と言われたところで人垣を作って、ギャラリー状態。香ばしいにおいは漂ってくるし、もはや遊びも手につかず、1時間くらい眺めていた子もいた(^^;) 「食べるのは明日」と言われているものの、「早く食べたい!」の大合唱。 すると、年長組の先生が、「たくさんできたから、焼けた分をちょっとだけあげようか」と言ってくれた。年少組、もう舞い上がって、万歳三唱!! もらえたのは、小さなサイズのクッキー一個。 指先ほどのクッキーを大事に大事に持って、「おいしいね~」と友達と顔を見合わせて感動しながら、食べるクッキーのおいしいこと。 この飽食の時代に、家では小さなクッキー一個でとうてい満足するような子どもたちでもあるまいに、この感動ぶりといったら。 食べ物というのは、こうでなければ...作る人、作る過程、食べる人、すべてがつながっていてこそのものなのだなあと、しみじみ感じさせられた。
2006.02.07
年少組は2月に発表会があるので、ぼちぼちと練習をしている。...といっても、私のポリシーは「無理せず、楽しく、元気よく」で、練習らしい練習はしない。普段遊んでいるものを、ちょっと形を整えてできあがり、という感じ。 劇は「さんびきのやぎのがらがらどん」 毎回、やぎになったりトロルになったり、好きな役になって楽しんでいる。一人一人の表現を見ていると、おもしろくて笑いがこみあげてくる。 Mちゃんは、トロルの役がお気に入り。背が一番小さくて、顔は人形のように可愛いので、化けもの?のトロルなんて似合わないように思うけど、実はすごいはまり役。 Mちゃんは顔に似合わず気が強く、言葉もきつい。「も~っ!Mちゃんがするんだからね~っ!とらないでよっ!」と友達に叫ぶ時なんか、もうトロルそのもの(^^;) 私も怖いくらい。 Mちゃんのトロルは迫力があり、「だれだ~!おれの橋をがたごとさせるのは!」と言われると、ぞくっ彡(-_-;)彡 地でやれるのね。 みんなそれぞれに個性あふれたヤギやトロルで、脚本&演出&音響&衣装の私が一番楽しませてもらっているのかもしれない。
2006.02.06
先日行われたPTA主催の講演会。...のことで主任の先生が落ち込んでいる。 PTA主催なので、あくまでも主体はお母さん方。会場準備をするのも、講師接待をするのも、託児をするのも、役員さんを中心にお母さんたちがすることになっている。もちろん職員もいろいろなお手伝いはするが、職員の役目も役員さんが割り振るわけで、仕切るのはお母さんたちである。それに、私たちは保育があるので、準備はともかく当日は何もできない。 でも、その辺の立場がわかっていないお母さんが多い。 準備にやってきても、他人事のように職員の指示を待っているし、当日の託児係の人は「先生、託児のおやつは何時頃食べたらいいんですか~?」という具合に計画も立ててないし、後片付けも、椅子を片付けただけで、演題は貼ったままだし、ペンやらガムテープやら出しっ放しだし、講師に渡すはずだった菓子折りも渡さずに忘れたまま(^^;) そりゃあ、慣れてないんだからそういうことはあるだろう。別にそのことを嘆かわしいと思うわけではない。私たちだって失敗はたくさんするし。 でも、PTA行事はPTA主催だから、責任もってするという気持ちだけは持ってほしい。...ということで主任の先生が最後まで責任もって確認してくださいね、というふうなことを言ったら、露骨にむっとされてしまったのだそうだ。 どうやら「したくもないのに役員やらされてるのに、文句言われちゃかなわないわ」って気持ちらしい。(^^;) その気持ちもわかるけど、責任とか社会性とか、そういうことは誰が教えたらいいんだろう?と思ってしまう。幼児教育の世界では、「親育て」が重要であると言われている。でも、苦言を言われたからといって腹を立てていては、学ぶことはできないだろう。 子どもを育てるのは好きだけど、親を育てるのは難しすぎる(^^;)
2006.02.04
楽しみにしている「豆まき」の日。 みんな自分の鬼の面を作り、豆まきするぞ~!と張り切っている。 うちの幼稚園では、「みんなの心の中には、泣き虫鬼、いじわる鬼、おこりんぼ鬼、いろんな鬼がいるよね、豆まきをしてやっつけてしまおう」ってことで、みんなが鬼になり、みんなが豆をまく。 由来を話したり歌を歌ったりしたあと、さあ豆まきをするぞ、というときに現れた園長先生。園長先生は隣の小学校校長との兼務なので、めったに幼稚園には姿を見せないが、今日は四月からの新入園児(4歳入園の子たち)を数人招待していたので、来てくださったのであろう。 「鬼は~そと!」「福は~うち!」とにぎやかにまき始めると、園長先生いわく、 「さあ、豆に当たらないようにしっかり逃げるんだよ~(^^)!」 ちがうでしょ! この豆まきは、「豆に当たって自分の中にいる鬼をやっつけよう」って趣旨なのっ! 「しっかり豆に当たろうね~!!」とフォローしたけど、子どもたちはすでに走り回って逃げるモードに入っているではないか。 「先生、ぼく、ちっとも当たらなかったよ!」と自慢する子までいる始末(^^;) あーあ。子どもには一言言うにも責任があるんだよね...。
2006.02.03
PTAの講演会があり、うちの幼稚園の元保護者だった方が講演に来てくださった。 そのAさん、一応「普通のお母さん」なんだけど、ボランティア活動に打ち込んでいる方で、近所の参加者を組織していろんなボランティア活動をしておられる。 講演会の後でお話していたら、今、一番心配なのは、お母さん方が追いつめられている、というか、病んでいるというか、輝いていないことだと言われる。お母さんたちが自分を「幸せだと思っていない」のだという。そんな人たちに育てられる子どもたちの未来がとても心配なのだそうだ。 う~ん、確かにそうかもしれない。 とはいえ、自慢じゃないけど、うちの保護者、はたから見るととても幸せな人たちである。郊外の新興住宅地で、ほとんどの人が家はピカピカの新築。ほとんどみんな専業主婦で、核家族で、経済的にもまあまあ裕福。田舎なので生活は派手じゃないけど、みんなおしゃれだし、映画や遊園地やテーマパークにはしょっちゅう行っている。子どもは少子化どころか、3人いるのが普通。この人たちが幸せでなかったら、いったい誰が幸せなのよ?!と言いたくなるような人たちなのだ。 でも、幸せと思えない、その気持ちもわかる気がする。輝けないつらさも、わかるような...。それは、経済的にも物質的にも恵まれて豊かな日本の子どもたちが決して幸せそうでなく、発展途上国の子どもたちの方がよほど生き生きしているのと同じような理由なのかもしれないと思う。 お金があって環境がよくても、不幸せになるのは簡単。 ...でも、どうしたらいいかっていうのは、結局自分で考えるしかないのかな? 私の好きな野田俊作先生の本の一節。(「続アドラー心理学トーキングセミナー」より) 「幸福な人間と一緒に暮らしていて、不幸でいるのはかなり難しい。」 だから、私は家族を幸せにするためにも、クラスの子どもたちを幸せにするためにも、自分が幸せでいようと思う。
2006.02.02
今日は幼稚園内でPTAの講演会があった。 3歳未満の下の子の託児のため、私のクラス(3歳児)は、講演会の間、保育室を「託児部屋」として明け渡すことになっていた(^^;) 託児担当はPTAのお母さんたち数人。 不運なことに雨が降っているため、外で遊ぶこともできず、年中組の部屋で遊ばせてもらうことにした。 「お部屋を小さい子たちに貸してあげたから、ここで一緒に遊んでもいい?」と言うと、年中組の子どもたちは「いいよっ!」と大張り切りで答えてくれて、一緒に遊んでくれたり、おもしろそうなおもちゃを出してくれたり、遊び方を教えてくれたり、至れり尽くせりで遊んでくれた。ちょっぴり狭かったけれど。 3歳児ちゃんたちは目新しいおもちゃに興味津々で、とても楽しく遊んだんだけど、やっぱり緊張しているのか、いつもケンカばっかりしている子たちも妙におとなしく、おりこうさんにして遊んでいるのがおかしかった。 おやつを一緒に食べる時も、いつもおしゃべりでにぎやかなのに、今日ばっかりは手をおひざにして、お口はチャック。「あらまあ、年少組さんのほうが、う~んとお行儀がいいのねえ」と年中組担任にほめてもらった。 でも、これはお行儀がいいというよりも、「借りてきたネコ」で、慣れたら絶対はじけるんだけどね。まあ、たまには緊張するのもいいかな。
2006.02.01
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