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★試行錯誤 本格的に毎日ベーグルを焼いては送る毎日が続くと、ほっと一息つく間もない。気がつけば、髪の毛ものびっぱなしになっていて驚く。 パパを7時半過ぎ、光太を8時前に行ってらっしゃいと送りだすと、ラジオをオンしてベーグルの仕込みが始まる。粉を計量し、少し時間差を作ってはもう一つのこね機でも仕込みを始める。 生地を発酵させている間が、家事の時間。30分あると頭の中ではあれとあれができるなと考える。あと10分のベンチタイムの時は、『お風呂掃除がいれられる!』など。ちょうどベーグル作りの合間合間に家事を効率的にはめこんでいく。それはジグゾーパズルみたいにパチリパチリとおさまっていく感じがして気持ちがいい。 先日はパパと光太がいる休日に新作のベーグル作りをしていて、発酵中の30分を使って急いで買い物に出かけた。パパにメモに書いて頼めば大抵きっちりと買ってほしいものをそのまま間違いなく買ってきてくるのだが、やはり主婦の買い物というのはその場で見て「あっ今日はこれが安いな、これを買おう。」とか、「これがきれていたな。買っておかないと・・・」など見てから思いついたりするものが多いはず。それがメモでお願いしていただけではできないので、その日は「今日は私がぱっと行ってくるね。」と飛び出したのだが、近い場所への買い物とはいえ30分というのは短かった。 お店は日曜でごった返していて、なかなか思うように動けない。その上、買い物を目移りしたりしていると予想以上に時間がかかる。『発酵がオーバーになると困る!!』と心の中では気になりながら大急ぎで家に着くと玄関でパパからの携帯がなった。どうやら1次発酵終了してパン焼きがピーピーなっているのを知らせてくれようとしたようだ。私も「ギリギリセーフ!、パパ、車と荷物いれておいて!!」と交代して、すぐ準備して台所にたつ。 まさに、一人赤ん坊がいるようなものだ。なんだか光太が赤ちゃんの時を思い出すようで懐かしい。あの頃は光太が寝たと思うと近所のお店に1週間のまとめ買いをしにいっていた。どちらかが留守番していてもよかったがけっこうドカっと買い込むので一人ではたぶん荷物も運びきれなかった。帰ってきて真っ先に外からリビングに寝ている光太の様子を見ると寝ているであろうに、眠りが浅かったのか泣いているのが見えた時には置いていったことにすごく罪悪感があった。 今、生地が寝ている間に急いで買い物しにいってるとあの頃を思い出す。二人目の赤ちゃんを欲しくて欲しくて涙した時期が長かった。それで、結局自分でいつまでも引きずっていてもいけないと思って前に向かって歩き出した。そしたら、この毎日はまるで赤ちゃんを産んだお母さんのようなものだと気付いた。 もちろん、私の大事な子供(ベーグル)は毎日誰かのお口に運ばれたりする。美味しかった!!の言葉をもらえるとすごくうれしくてやっぱりこういう仕事が自分の天職だと思う。本当の子育てとなるとこうばかりはいかない。色々とまだまだ悩みはある。 会社でOLとして仕事をしていた20代の頃は会社に勤めながらもケーキの道に進むことばかり考えていた。パンの道に目覚めたのは仕事をやめて料理教室に通っていた友達がパンを習い始めてだった。一緒にパンを習いに行き、気がつけばその子はすぐ辞めてしまったのだけど私はすっかりパンの世界にのめりこんだ。それから自分で習ったパンをすぐに家に帰って復習し、毎日毎日パンを焼くようになった。 パンを習うのが楽しくて楽しくてたまらず気がつくと師範の免許ももらった。今でもご近所の方から「教えればいいのに。。」と言われるが、私は教えることより、家で自分の段取りを組んで一人楽しく焼いているのが好き。そして、それを色々なところに送っては美味しいと言ってもらうのが何より嬉しい。こういうやりとりが何より楽しいひと時だ。 先日会社の先輩から「ところで何でベーグルなん?儲かるの?」とメールもらったが、儲けようと思っている人はパン作りなど選ばないだろう。たぶん好きでないとできない仕事だと思う。毎日せっせと作ってそれが色々な人の口に入って『美味しいな、幸せだな』と少しでも思ってもらえれば、それが私にとっての幸せだと思う。 9年ぶりに以前やっていたリクエストパン工房をベーグル専門にしてやり始めた。大きさを変えたり、粉を変えたり、色々と試行錯誤の毎日。以前はかなり大ぶりなサイズで出していたけれど、食べきりサイズで色々な種類を食べたいというお客様の声を反映して、小ぶりにしてみた。ただ、やはりベーグルを食べる時の満足感、価格との兼ね合いもあり、あれこれ試行錯誤の結果、、もう少しサイズ的にボリュームもアップして、1セットを3コ入りにしていたけれど2コ入りにして3月1日からはやってみようと思う。 今はあれこれと試行錯誤しているが、こういうことができる生活自体、幸せなことだと神様に感謝している。 父がおととし倒れて明日をも知れぬ毎日だった時、光太のひざが痛いといってもしかしたら何か病気なのだろうかと思って悩んだ時、そして二人目がなかなか授からず、いたずらに時間を費やしたあの日々。そういうことを思うと、今、何の障害もないことが私にとって万歳なのだ。 ちょうどリクエストパン工房が軌道にのって全国へ私の作品を送り出して楽しくて仕方なかったあの頃、それがだんだん自分一人では大変になってきて、その頃妊娠していることがわかり中断。そして今再びやりだしたわけだが、細々とでいいから長くやっていけたらいいなと思う。ライフワークというのか、やっぱり私はこの仕事が大好き。 色々な新作を作り出す為に試作を繰り返したり、とてもいい感じにしあがってくると本当に嬉しくなる。ただ、うまくいかないことだってある。思うように味が出なかったり、ボケた味になったり。それでも毎日毎日ベーグルを作ることを続けていきたい。もっともっと美味しいベーグルを作っていきたい。この熱意だけは誰にも負けない。 一つ一つが手作りだから量産はできない。大手のベーグル屋さんと違って成型も機械ではなくて一つ一つが手成型。でもそれがまた楽しい。機械で大量生産するのではない手作りの良さをわかってその美味しさを感じてくれる人が確実に増えている。そのことが今の私を支えてくれる。 20代のOL時代に夢としていたところに今はいる。長い間あたため続けてきた「人の記憶に残るような味を出すお店を持ちたかった。」このことを実現するのには、自分だけの力ではなくてパパの助けがあってこそ。ベーグル作りを手伝ってくれているわけではないが、HPの制作はパパがいてくれないとできなかった。本当に感謝している。例えば、材料も思いがけずあるベーグルの注文が増えると急きょ材料が足りなくなることもある。明朝焼きたいのが足りない、そういう時に会社帰りに材料を買ってきてくれることもある。本当に大助かり。 次元は違うけれど、オリンピックに出ている選手がメダルをとるまでには色々な人の支えがあると聞く。そして毎日毎日すごい努力をしているのだろう。私にとってオリンピックに臨む選手のように金メダルという目標はないけれど「美味しいわ!またお願いね!」の一言が私にとって毎日のご褒美の言葉なのだ。これからも毎日試行錯誤して日々前進するぞーー!
February 28, 2010
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★ラブレター 光太が少し前に同じクラスの女の子からラブレターをもらってきた。「じつはこうたくんのことが大すきなんだ!・・・」と女の子らしくかわいい絵つきでかわいい便せんと封筒に入ったものだった。 「ママ、ぼく、今日こんなのもらったよ。」と照れるでもなく私に渡してくれるので「何何?」と言ってみると1枚の便せんにびっしりとしっかりとした文字で書かれてあって驚いた。小学1年生でもこうやって自分の気持ちを隠すことなく正直に手紙を書いてくれるものなのだなぁと思うと、かわいいなぁと思った。 以前、近所の女の子がやはり小学1年生の頃だったかに光太はラブレターをもらい(きっとあれが一番最初)私も「お返事を書いてあげたら?」と言うと、一生懸命覚えはじめたばかりの文字でたどたどしく書いて、渡しに行っていた。それも今思えば、今ぐらい寒い時期だった。 今日はバレンタイン。女の子が男の子に告白をする日というのは、もう遠い話なのか最近は友チョコといって女の子から女の子に贈るものもあると聞く。 光太はバレンタインが来る前に、「ママ、ぼく3月にあの子に何かあげようかな~」と言うので、「光太、3月のホワイトデーというのはバレンタインにもらったお返しで渡す日なんだよ。」と言うと「別にいいじゃん!」と言う。ラブレターもらった女の子のこと、まんざらでもないらしいのだ。 先日、学校行事があり、光太に聞いてこっそりその女の子を見てきたが、メガネをかけてすっごくかしこそう~な顔をしたかわいい子だった。まさしく才女という感じ。それに比べ、光太を見ると友達とふざけてケタケタ笑っていて本当に3歳ぐらいの年の差を感じた。小学生のうちは女の子の方がほんと見かけはしっかりしているものだ。 私はとても奥手の方だったので、小学生の時男の子に告白するなんてとんでもなかった。ただ、あの頃はなぜか男の子に人気もあって色々な男の子に告白された。今思うと、きっと好きだとか嫌いだとかいうのはまだ小学校のうちは、もっと幼い感情なのではと当時を振り返る。「あなたともっとあそびたい。」というぐらいの気持ちに近いと思う。 それでも「○○ちゃんのこと好きだよ!」と面と向かって言われたり、紙飛行機になっておうちにラブレターがとんできたりした時は素直にうれしい気持ちがしたものだ。小学4年の時に私は転校したが、その時に私のことを好きだと言ってくれた子が大学になった時にどうやってか私の家に夜中やってきた時はちょっと怖かった。いわゆるストーカーというものか?どうやって知ったのだろう??もちろん、その場でバイバイしたけれど・・ 思い出は思い出の中で美しいのが一番なのかもしれない。初恋の相手とも会わない方がいいというのは言い得ていると思う。お互いが思い出の中で若く綺麗なままで覚えているのがいいのであって、おっちゃん、おばちゃんになって「あの時の・・・」となると興ざめだろう^^お互いに。 私がバレンタインでチョコを渡した記憶は高校生になって意中の先輩に渡したことだけど、あれも今思えば、周りの友達もほぼ全員意中の先輩に渡していてブームみたいなものだった。友達らとチョコ売り場に行き、どれにしようかと悩んだことを覚えている。 どちらかというと、自分から積極的に告白する方ではない。いいなと想っていてもそんなそぶりは全く見せずといった感じで接するのできっとわかられないことだろう。恋愛においては全くといっていいほど素直ではなく屈折していた。 そのことをある時後悔して、すごく素直になった相手が今のパパだ。それこそ毎日のようにラブレターを書いていた。パパからは一度もお返事をもらったことはないが。 私は両親にもことあるごとに手紙をよく書く方だった。父や母は今でも小さい時からの手紙をよくとっておいてくれている。私もそういえば、手紙というのは大事にとってファイルしている。ちょっとへこんだ時や、原点に帰りたくなったときはそのファイルを見てくすっと笑ったり、元気になったりする。 先日、母から久しぶりに手紙をもらった。いつも私が手紙を書くので、たまにはと思って筆をとってくれたらしい。いつもは字を書くのを嫌がる母だが、達筆でさらさらと長い手紙だった。父が入院した時を思えば今こうやって元気にくらせていることは感無量であると。本当に私もそう思う。 そして、私も今、パン屋さんを再開し始めたわけだが、それも家庭をおろそかにしてはいけませんよ、と。一番は家庭ですよと。いつも厳しかった母らしく、最後はたしなめてあった。言われるまでもなく、家庭をおろそかにしてまでパンをやろうとは思っていない。パパや光太に迷惑かけない範囲でやっていこうと思っている。 ただ、まだ慣れていないのか、パン焼きがたび重なると好きなこととはいえ、疲れて倒れ伏していることが多い。光太を産む7年前やっていたのとは確実に体力が衰えているということだ。もっと鍛えなくては! 母からの初めてといっていいほどの長い手紙に母の私への温かい気持ちを感じて思わず涙してしまった。手紙というのはやはり電話で話すより、メールでやりとりするよりもっと相手の心を動かすものなのだ。 母からパパと光太にもらったバレンタイのチョコを私もつつきながら、この年になっても子供のことを想ってくれる親がいるというのは有り難いことだと、とても感謝している。 今年のバレンタインは私からパパと光太に早めにガトーショコラを焼いた。父にもそのうちの一つを贈った。よく昔から焼いているので失敗することもない。かなり甘さを控えて作ったがちょうどいい感じ。 こうやって心をこめて作ったものを渡す人がいるというのは幸せなことだと思う。
February 14, 2010
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★復帰 光太はやっと2月からスクールに復帰した。接骨院の先生が「2月からは様子みながらですがサッカーやっていいですよ。」とOKサインが出たのだ。長かった。2ケ月は休んだかな・・・それがスクール復帰の初日はあいにく雪が降った翌日だったので超寒かった。じっとしていると足先が凍ったようになってきた。 それでも、元気に嬉しそうに走り回る光太を見ていると、本当に意外と早く復帰できてよかったと思っている。専門の先生の話だと時間がかかると言われたので、サッカーが出来るようになるのは春かなと思っていた。予想外に早くきた春に夫婦共々ほっとしている。 とはいっても、まだそのスクール初日も実は足が痛いといっていた。サッカーの後に接骨院の先生のところにいくと「おそらくこの寒さなので冷えて、のびていた筋肉ががまた縮んだのでしょう。」と言われた。でも、それは仕方のないことで別に気にすることではなく、2月いっぱいぐらいで治療も終了する方向らしい。 光太のひざが痛いといって出かけられない日々が続いて、私はすっかりパン焼き人になった。しかも焼くのはベーグル専門。ご近所さんにも焼いてはせっせと配っている毎日。毎日のように美味しかったという反応を聞くと、嬉しい限りだ。 やっぱり私はこのダイレクトなやりとりが好きなのだ。美味しかったと反応が来ると俄然またがんばる気がする。そして次回はもっとどんなのを作ろうかと考える。こういうのを作ったらどうだろうか?というアイディアが浮かぶ→試作する→家族に食べてもらう→これはいけるとなると出してみる。この繰り返しなのだが、毎日とてもハリがある。体力もいるが。 色々な要因が私をこういう毎日を送ることから遠ざけてきた。でも、いつまでもうまくいかないことを引きずり続けても人生の持ち時間がもったいない。数十年先から今までの自分を眺めると、あの時の数年は先に進みたくても進めなかったんだなぁと自分を憐れむことだろう。 でも、もういつまでもうまくいかないことに時間とお金をかけて生きていくわけにはいかない。自分は何のために生まれてきたのか自分は何をしていると幸せなのか、それを探して生きていてやっとたどり着いたのが今の自分なのだと思う。 人生の70%ぐらいはうまくいかないことの方が多いのかもしれない。うまくいくことは残りの30%ぐらい。しかもうまくいかない期間はもがいてももがいても先に進めない。こんな自分はいやだと自分で自分のことが嫌になるのに、そこから脱出できない。泥沼にはまりこんだような状態。 ただ、ひょんなことからその泥沼から脱出することが出来る時がある。それは自分でも予想外のことで、全く想像さえしなかったことでもあるのだけど、今の私はまさにそういう状態。光太がひざを痛めて動けない時はとにかく家族みんなが暗く沈みこんだような状態だった。それがそのことがさほど心配しなくてもいいのだとわかり、時間がたてば治るとわかると、一筋の光がさしてくる。 そして、ふと自分に出来たこの自由な時間に、今までできなかったことを思いきってやってみようかと思った時にはもう行動していた。気が付いたら毎日忙しくパンを焼いている毎日になっていた。これはまるで、光太が産まれる前の状態だ。毎日毎日明けても暮れてもパンを焼いていた。そのパンがベーグルに変わっただけ。 でも、私はすごく今幸せを感じている。家族が健康で(光太も間もなく完治する)自分がやりたいことができる。これ以上に何も望むことはない。たぶん、何をやってもうまくいかない状態から、気がつけば隣の道にうまい具合に迷いこめて結果的にはその道は自分が以前から通りたい道だったのだ。 同じようなことが独身の時、仕事をやめるべきか否かで悩んだことがあった。そこで自分を偽って生きていくより、やりたいと思ったことをやって生きていく方がいい。と行動してみてあとから色々なことがついてきた。頭の中であれこれと悩んでいるうちは何も変化は起こらないのだ。 神様はリスクを伴う行動を起こした人にだけ幸せを感じられるようにしているのかもしれない。いつまでもうじうじと悩んで先に進まない人は一生変化がなく「○○することが夢だったの。」と年をとってから後悔することになるのだろう。行動することからすべてが変わる、そして全てが始まる。 今、私はようやく長年足かせとなっていたことから解放され自分の目指していた方向へ歩いていこうとしている。自分が歩いていく先々にも色々な障害はあるだろうが、それでももっと若い時に私が夢としていたことを今実現している。自分の作ったものを誰かに食ベてもらえるお店をしたかった。仕事しながらもそんなことをずっと夢想していた。それが今現実のものとなっている。 まだ一歩も歩んでいない時は、どうすれば夢に近付けるのかそんな本ばかり読みあさっていたが、ほんの少しの勇気と行動力さえあれば夢は自分のものになるのだ。 やっと長い時間をかけてたどりついた自分の夢のステージを大事にしたい。そしてこれからが本当の人生の始まりなのだと思っている。
February 6, 2010
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