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この、1時間ほどの間に、すさまじいアクセス数をいただき驚いています。 もう、ほんとにつまらない内容ですみません!! ブログを書いている間に、モモの相手をしたり、友達に電話をしたり、なんやかやしていて、別にブログばかりを書いていたわけではないのですが、こうも更新が一気に続くと、延々とパソコンに向かっている人みたいです。あはは。 昨日は、引越しのピークで、って2日の間ですから、2日間ともピークだったのですが、私も家族も出たり入ったりで、玄関先にも、荷物がいっぱいでいろいろと片付け物をしたりで、一気に、モモの落ち着きがなくなりました。 昨日は、散歩中も気もそぞろで、私が玄関でごそごそしているので何度も何度も、玄関まで様子を見に走ってきては、何をしているのか自分の目でも確認し、最後は、早く散歩にきなさいとえらく催促をされて、ベランダに出ました。 すると昨日は、満月でした。とても大きくて、きれいなきれいなお月さんで、月明かりでモモの顔もよく見えて、あ~、月明かりもやっぱり素敵だなあ、と思いながら、月を眺めたり、モモの相手をしたりしていました。 梅雨の雲が、少しだけささーっとハケでなぞったみたいに、月に少しだけ薄く雲がかかって、真ん丸お月さん見ては~ねる、と月とウサギさんの歌を思い出したりもしていました。 心に絵を描いたり、音楽をのせてみるのは、人生素敵なもんだと、引越しの忙しい最中に思ったりしていたのですが、実質3ヶ月しかできなかった一人暮らしは、とても貴重な経験になりました。 この3ヶ月は、私の病気が凝縮された期間でもあり、てんこもりでいろんなことが起こった期間です。今、思うと、私の人生の中でもあんなに荒波激しい3ヶ月はない、と断言できるほど、生き死にも含めて、こゆかったなあと思います。 一人で生活ができるのか、という根本的な不安も病気のために、とてつもなく大きくなっていたのもあり、親と一旦離れないと、両親も私の病気でへとへとになっていたこともあり、いろんな意味で、大事な時を迎えました。 親と離れてわかることも多く、傷つけることもいろんな意味で多く、それでもいろんな人と絆が深まったきっかけになりました。 生活という意味でも、公共料金のこと、生活に必要なものは何か、ということ、(カーテンとトイレットペーパーはいります・笑)仕事ではなく、自分が契約を交わすということ、それに伴う、もろもろの知識と含めて、人生全部勉強です。 一人暮らしできたことに感謝。まっ、最も生きる根幹の、「食」という部分の勉強はほとんどできませんでしたが、これも今は、何とかなるでしょう、と思えるようになりました。 えっ、「食」を学ばない一人暮らしって、というツッコミはあると思いますが、まずは病気が治ってきたことでよかったよかった、細かいことは気にしないのが一番です。なんちゃって。
2007.06.30
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短いと、どんどん進みます。久しぶりに、一日5回更新です。まだまだ引越し以外にも、書きたいことは小山のようにあるのですが、まあ今日は最後になるでしょうか。 ちょっと、管理会社とのバトルを書いてみて、こんなことなら、あんまり掃除もしないで、さっさと引き渡せばよかったと思いました。掃除をしても、しなくてもいいなら、母と私の今日の完璧なまでの掃除はいらなかったわけです。もっと有意義に時間を使えばよかったかなあ、と思いましたが、それでも大変心に重~くなっていた引越しが思わぬ事態から、一気に、しかもたった2日で終わってやれやれです。 病気の時ならできなかった速さです。しかも、何でこんなにスムーズに進んだのかと少し考えてみました。これも、元気だった頃の自分が戻ってきたんだと思って、うれしく思っています。季節労働者みたいでしたが、出張事務所みたいなのを京都や奈良や神戸と、非常にバタバタとしつらえる仕事を5年ほどやっていたことがありました。そのときは、こんなスピードどころではなく、多くの人が、一気に出たり入ったり、とても緊迫していたので、移動事務所のその前段階の準備をほとんど静かに数人でやっていて、レイアウトに備品、設置、掃除をして仕事を出来るようにしつらえ、後始末にいたってはほとんど一人で、黙々とやっていたので、その時の訓練のたまものだなあと思いました。 人生、学んできたことは、いろんなところで生かされます。今回の引越しのことは、今の自分にとってかなりの自信になりました。以前は、仕事をバリバリしていたなあ。でも前のように、むちゃはせず、優先順位も明確にして、70%をめどにがんばる。治りかけが一番大事なので、少しづつ少しづつ、です。 そして、実家には、多くのものがあふれかえっています。またまた思います。 一人暮らしへの引越しと出戻りの違い。自分の部屋の荷物が、激増しているということです。とほほ~。近所の人が聞いてきました。「引越しですか~」って。出て行くときも見ていた人でした。「え~、ま~」
2007.06.30
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分割がいいか、もう少し長めで回数少な目がいいか、ご意見、ご感想をお聞かせください。あはは。 さて、管理会社とのバトルです。部屋を開けました。なんてすがすがしい、美しい部屋でしょう。ここからは、こんな雰囲気で、会話・バトルが繰り広げられたことを想像ください。 一通り見て、それではハウスクリーニングは、15000円から20000円ですね~。 なぬ~。大体、退去時に必ずかかる金額は、重要事項説明書に記入するのは、不動産を扱うものなら、当然のことです。(宅建を取得しているので、不動産会社はとても丁寧に説明してくれました。こういう時、もっててよかった~と思います)それが、今回の場合、重要事項説明書には記入されていなくて、契約書で、最後にさら~と書いてありました。これでは、どれだけ法外な値段を要求されても、法的対抗手段がありません。その点、明確でなかったので、随分突っ込んで話をして、もし高い値段なら、契約書には書いていないので、こちらが指定したハウスクリーニング業者でもいいですか、と聞くと、あわわと急になって、だいたい目安は25000円くらいですかね~、と言っていました。1年間で、25000円。今回、4ヶ月で、15000円~20000円。他の業者でも大体の金額を確認しましたが、この美しさではありえない額でした。短い間に、いろいろと手を打ってみました。退去する時だけ現況確認です。当初は、入居時も現況確認すると言っていたのに、ありませんでした。ということで、私は、こまかく写真に残しておきました。 そんなこんなを、担当の人に話し、今回の突然の退去についても、こちらからは書面で7月31日と明確に書いていましたが、家賃の引き落としがされておらず、気になっておととい確認をして、6月退去の予定で進められていることがわかりました。エアコンも、一番寒い時期に壊れて、直していただくのも遅くて、随分嫌な思いをしました。こちらで、前もって、あらあらの金額をすでに見積もっていただいていますので、そちらも、どれがどれだけ金額がかかるかきちんとお見積もりしていただけませんか。入居時よりきれいにして、それだけの額というのは納得がいきませんね。 あ~、だいたい、1Rはこれくらいの値段ですし、礼金、敷金もいただいていませんので。不動産会社にもそのように伝えています。 金額がかかるものが重要事項説明書に記入されていない、またお話をされている礼金、敷金云々については、あくまでもそちらの管理会社としての都合であって、こちらの落ち度、というわけではないでしょう。契約にのっとって、進めているわけですから、どうしても金額が高額になるのなら、こちらも法的な手続きを通して、こちらの指定する業者でハウスクリーニングをさせていただきます。こちらが指定してはいけない、とは契約書に書かれていないので、それでも法的に問題はないと思いますが。私も宅建取得者で、そういう関係には強いですし、弟も士業を営んでいますから、きちんと対応させていただきます。 あは、最後は脅しです。大体、こういう交渉ごとは母が強いのですが、ほとんど発しませんでした。帰り際、「お母さん、私、病気治ってきたかなあ」というと、母が、「あんなに、論理的に元気に話すのは病気でなくてもできひんよ」と笑っていました。 ということで、毎月毎月不快な思いをしていたことは今日きた人には伝えられていなかったみたいで、いつもの担当の人に、もう一度その旨を持ち帰るということになりました。返事は月曜日にやってきます。 ちょっと元気すぎますね~。でもね、ほんとに担当の人、お詫びをするということが今まで一度もなかったんです。ということで、この管理会社ではなく、担当者に怒っています。怒らせると、こわいですよ~。あ~、とりあえず、引越しがすんでよかった。
2007.06.30
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分割だと、ますます筆が進み困ったもんだと思っていたら、長いときでは、気をつけていたのにやってしましました。消えた~。ひょえ~。短いとあっという間に、ブログを書き終えてしまうので、少しづつコピーしておくってことをしなくなってしまうんですよね~。仕方ない、つづきです。 さて、今日30日は、病院も休みになったので(休みにしたので・涙)1時から、行動開始です。まずは、行き先がまたまたなくなって、私の中に重くのしかかった懸案事項。 ソファーベッド・・・。買うときにあんなに悩んで、一番高かったのに、一番扱いに困る上、大きすぎます。 う~ん。仕方ない、私の車の後部座席に乗せて、いつでも車の中で寝れる状況にしてしまえ~、って、十分今の車で寝れますから~。 とりあえず、部屋から出さなくては何にもなりませんが、今日は、父も母もまだまだ合流できません。ということで、いつもお世話になる人に、運ぶのを手伝ってもらえませんか、と聞いてみました。今ならいける、ということで、すぐに来ていただいて、なんとなんと、引き取っていただけることになりました~。ばんざ~い!!! ここで、古くからある名言が浮かびます。「捨てる神あれば、拾う神あり」神さん信仰ではない上、こんなつまらないことに使う言葉ではないと思いますが、とりあえず、心をどんよりさせていた最大の悩みが解決です。ほぅ~。 と思っているうちに、2時過ぎに母が合流しました。ソファーがないので、掃除もスムーズに進みます。キッチンの水周り、洗濯機の水周り、ベランダ磨き、窓、網戸、サッシ、枠まで、ピッカピカ。ユニットバスの配管、トイレのタンクの中まで、もちろん壁から全部吹き掃除もし、じゅうたんについては、掃除機も何度もかけて、最後は、固く絞った雑巾で拭き掃除をして、乾拭きまでして、フィニッシュ。完璧です。完璧すぎます。入居してきたときより、美しくなりました。 本当は、うつ病に完璧は禁物ですが、今回は、管理会社とのいろいろな問題があり、ハウスクリーニングをぼったくられる可能性があるので、今日だけは100%です。普段、70%までであればいい、ということもわかって、今日だけ、あえて100%でいってみよう!とやってみて、できることにも自信が少しつきました。 4時前には、完璧に仕上がり、母と近所の商店街で買い物をして、ご飯まで食べる時間が残りました。余裕です。余裕。 母と一緒にボサボサの格好で一人暮らし先に向かって帰っていると、いつもいつもご心配とご迷惑をおかけしてばかりのおばさんにお会いしました。とても元気になったこと、随分痩せたことを、言ってもらって私も本当にうれしく思いました。「憑き物が取れたみたいです」と自分で口走ってしまいましたが、本当にそうだなあ、と思いながら、母とマンションへ向かうと管理会社らしき人が立っていました。 会ったことはないけれど、あの様子では、いつものお詫びの言葉、というものを忘れてしまった担当者ではないようです。そして、管理会社との戦いが始まります。
2007.06.30
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28日に決まってから、何度かちょこちょこ行って運ぶのは少なく、徹底して計画を立てました。2日間の上、人手もないし、車は私しか運転できません。 引越しは、運び出すのはあっという間なのですが、それまでの細々としたものをどうするのか、というのが、結構大きなウエイトを占めるので、細かいものを、それぞれにまとめて、いろんな箱やかばんや巨大ベランダボックスも駆使して、個数を減らすことに重点をおいてみました。それで、あらかたまとめて28日の夜は終了。 29日のお昼から作業を開始しました。途中、テレビの電源コードが父と母の手によってブチ切れ、私も切れるという状況もありましたが、計画通りに事は進み、雨の合間に、うまい具合に車に載せて、2往復で、ほぼ終了しました。所要時間、4時間弱。一旦、休憩。まだまだ無理は禁物な体です。そして、夜から、弟の新居への引越しが始まりました。父は、弟側へ合流。 ということで、今度は母と二人で一人暮らし先へ移動。洗濯機を運びだしてもらっている間に、残っていた細かいものを、整理して、大まかの掃除もして終了。2時間弱でした。その後、実家に運び込まれたものを、整理して、1時には終身。そういえば、30日の朝は、病院ということを思い出しました。とりあえず、寝よう。 そして、朝、9時に起きて、朝ごはんを食べたりしていたのですが、ふと眠くなってうとうと寝たら、ガビーン!11:40、ということで、病院をあきらめ、お薬を郵送で送ってもらうことにしました。減薬計画、断念、残念~。以前は、熟睡するのも難しかったのに、今日は2度寝という、非常に、高度な技を使えたので、確実に進歩です。 そして、お昼ご飯を食べてから、引越し最後の仕上げに入ります。ということで、次へつづく。
2007.06.30
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激動の2日間に、(一旦)終止符が打たれました。管理会社の、またまたとんでもない間違いから、えい、っと一人暮らし先の6月退去を決めたので、大変でしたが、先ほど、入ったときよりも美しい状態で、鍵を渡してきました。ほぅ~。この部屋では、私のマメこぶりがいかんなく発揮されたので毎日、水周りもきれいにしすぎるぐらい掃除をしていましたが、今日は、ユニットバスの配管もはずして、トイレのタンクの中まで、ピッカピッカにして、すがすがしい部屋になりました。写真にとって、ここにのせたいくらいでした・笑。 まあ、おとといのお昼に決断をしたにも関わらず、実質1日分くらいで、終わりました。そして、またまた管理会社にきれる。ブログが長すぎるという指摘を今日もいただきました。毎回、1回分を長くして、回数を少なくするか、短くして、回数を多くするか、悩むところですが、久しぶりに、今回はパート1、ということで、次に続きます。
2007.06.30
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先ほど、ブログを書いてから、30分後に連絡がきました。(字の訂正をしたので、20:20分頃に更新されています) やっぱり・・・。今月退去扱いになっていました。担当の、○○さんいわく、「今月退去予定ですが、そちらの都合でどちらでも結構ですよ」ブチッ。もともと体調の具合があるので、引越しを6月末までにできるかが不安で、7月末までにしていました。この言葉で、思わず、「それなら、今月退去することにします」「あ~、そうでしたら6月30日までには、当社立会いの下で、部屋の現況を確認しないといけないのですが~。いつにされますか」って、そのことも、心配だったので解約通知書を送ったときに、わざわざ電話して、 7月31日にします、と言っておいたのも全部、忘れられています。今日は6月28日。あぶないところでした~。確認は、あさって17:00。向こうの都合です。 ということで、早速、一人暮らし先に行ってきたのですが、あんなにシンプルで短期間の生活でも、こんなにも、あるのかと、ちょっとげんなりして帰ってきました。ふぅ~。確かに、毎日コーナンのオープンセールや100円未満の店にもせっせと通ったので、多いはずです。(エアコンも壊れたりと)寒かったので、毛布や冬服などがやたらと多いことも確認しました。かさばるものばかりです。 ホンダのフィットなので、後部座席を倒すと、かなりの広さになりますが、引越しの初日、両親とけんかをし、家出のように車いっぱいいっぱいで3往復もしました。一人で運ぶのつらかった~・涙。しかも、風邪を引いていたので、その後、体調もうつも悪化させ、救急で運ばれるという悲惨な始まりになりました。多くの人に、かなり迷惑をかけました。随分長くカーテンもなかったなあ。 今回は、何往復しないといけないでしょうか。考えていて、頭が痛くなったので、整理することに力を入れて、持って帰ってくるのは、少しだけにしました。沖縄の旅のコロコロバッグも持っていったので、帰ってきたら、沖縄帰りのようでしたが、あくまでも車で10分未満のところです・とほほ~。 でも、今回ナイスタイミングでした。弟が、マンションをやっと買うことができて、リフォームをしていたのですが、明日の朝にそれが終わり、夜から引越しをすることが決まりました。決して、夜だからといって、夜逃げではありません・笑。ということで、そのまま我が家の洗濯機、そして大きな懸案だったソファベッド、ベランダボックスや、お風呂のふたなど、もろもろが弟の家にいくことになりました。なんだか、そのために用意してきたようなものもあります・笑。 子どもがいてはいけないマンションを借りていて、将来設計も立たない状況だったので、よかったよかった、です。ソファベッドの行き先が決まって、何より何より。あ~、それにしても、一人暮らし先で荷物を増やしたら、もう実家には入りませ~ん。涙・・・。・・・。
2007.06.28
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ふと心配になって、昨日引き落とされているはずの一人暮らし先の家賃の状況をインターネットバンキングで確認しました。先々月も、振込み先変更がうまくいってなくて、先月は、「資金不足」と請求書がきて、また引き落としがされておらず、こういうことがよくある管理会社なので要確認です。 ・・・!!! 引き落としされていませんでした。先月は、銀行の手続きがうまくいってなくて、できなかったようなので、請求書先にお振込みいただけますかと言われて、「来月の引き落としが最後になりますので、もうこのようなことはないと思います」と謝ることなく言っていました。 電話をすると、さらに驚愕の事実!!!「え~、お客様は、今月退去の予定ですよね」!!! ブチッ。きれました。「きちんと書類もお送りしていますが、来月退去の予定のはずですし、今月退去だったら大変です。また先月、『来月の引き落としで最後ですので、このようなことはもうないと思います』と言われてましたよね。」引き落としよりも振込みの方が、手数料もかかりますが、そんなことは細かいことなので、いいかな、と思ってましたが、どうして、こう何度も続くのでしょうか」少しきれました。こんなことばかりの会社です。実名をあげたいくらいです。「すぐに折り返し、電話をします」と言われましたが、かかってきません。次の入居者が決まっているのかもしれません。むむむ。 今まで、仕事で携わってきた関係からも、この土地(建物)の賃貸、売買の契約というのは面倒ですが、細かいところに目を向けないとえらい目にあいます。また、やっかいな会社や、○と△と□が関わっている土地などは絶対に手を出さないほうがいい、というのもあります。ちなみに、地元の不動産会社で知り合いがいれば、いろいろと相談に行ったり、不動産会社の噂を聞いたり、その会社の財務帳票を調べたりするのも、大事です。管理会社と役員で、暴利をむさぼっているマンションも近所であります。えげつないです。そういうところは、管理費が高い割りに、全く管理されてないので、すぐボロボロになります。弟が、建設許可を中心とした行政書士をしているので、司法書士や、税理士さん、不動産屋さんでいい人もたくさん知り合いになって、最近、我が家はいろいろと助かっています。 退去時が一番厄介な問題が起こりやすいので、私の場合、不動産会社も交えて、このことについては結構突っ込んで話をしたり、途中、エアコンが壊れて交換になった時の工事で、部屋に傷がいった分も、ちゃんと契約書に記入してもらうように言っているので、ハウスクリーニングの法外な請求がないように、おさえています。 結構、文面になってないと、法的対抗手段がないので、エステでもなんでも契約、というのはいいかげんにするとえらい目にあいます。 と書いている間も、電話がありません。むむむ。もう今月退去しろというのなら、それで、明日あさってで、一気に引越しをしてしまうことにします。ほんとにもう、プンプン。 あ~、ソファベッドだけ、行き先決めておくべきだったかなあ~。
2007.06.28
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精神的には、のんびりしていますが、昨日から、女性の日が始まり、そこに食べては戻す、という繰り返しに、体は若干弱っています・あはは~。モモとともに、夏バテも重なっているようです・とほほ~。何だか、去年に比べて、熱風がひどいのですが、家族で話をしていて、去年、新しい巨大マンションが向かいにできたので、その影響かなあ、という一応の仮説をたててみました。全身毛皮のモモは、ウサギの熱のバランスを取る大事な耳の裏が、ガンガンに毎日熱いままです。この熱さは、公園やベランダで猛烈ダッシュやジャンプで遊びまわって、パタッと横になった時の温度と同じなので、毎日、寝ながらにして、全力疾走しているみたいなものなのか見てるだけで、かわいそうになります。扇風機も専用で回していますが、追いつきません。モモ、暑いね~、ていうか、熱いね~・涙。 去年の今頃は、沖縄の暑さと自分の太り過ぎで、おいしいものを食べては、戻すという過酷な生活をしいていました・笑。食べ物がおいしくて、いっぱい食べるのに、全部夜に戻す。あ~、かなしかった~。以前は、頑強な胃で、胃痛というのを感じたこともなく、よっぽどでないと戻したりしなかったのですが、ここ数年は、虚弱体質のように、弱ると戻したりします。 といっても悪いことばかりではありません。だいたい女性の日を境に、体重計の数値が動き始めるので、今回弱っていることもあって、ここ2日で、1キロも痩せていました。まだ、目標体重までは余裕があるので、よしとします。基礎代謝が下がっているので、ちょっと筋力アップは挑戦しないと、よくないですね~。特に今は、ダイエットを意識してやっていなくて、ともかく、体の裏側、体側(体の横側)を中心にイタ気持ちいいくらい伸ばす、体をひねる、という普段の生活では動かさないところを意識して、動かしています。岩盤と言われた背中も、少しこり気味の人、ぐらいになり、前屈も、床から20cmくらいまでしか曲げられなかったのが、手のひらをつけれるようになりました。えらく体が柔らなくなりました。ちなみに、老化は、足のかかとの硬さにも出るというので、お風呂で半身浴して、柔らかくするのも大事です。リバウンドもなく、順調にここまできたので、あと少し減らしたら、それ以上はせず、維持に努めます・笑。前の部署の人たちも、激太りから、一気に痩せてきた姿を見て、喜んでくれています。 女性の日も、ここ1年の、激痛、苦しさからだんだんと戻ってきたので、あともうちょっと。もうちょっと。その前は2年もなかったので、大前進。だんだんよくなってきてるので、あせらず、ゆっくり、のんびりこのゆっくり、のんびりが苦手なので、やりたいことは少しづつすることにします。 ふぅ~、戻さずに食べる方法、ないかなあ。そうめんすら入らない、って辛いですよ~・とほほ~。
2007.06.28
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今日は、うつ病の人のブログがいっぱい書き込まれると思います。私も、高島忠夫さんのうつ病の闘病記録の番組を見ました。 単純な表現ですが、とても感動しました。ものすごく泣きました。 状況も、症状も、家族もみんな違いますが、その苦しみが、痛いほどよくわかったし、高島さんの2002年の実際に歌っている姿、 最後に高島忠夫さんと寿美花代さんの二人が、桜の下でうれしそうに歩きながら、あなたの周りに今うつ病の人はいますか?でも負けないでください。うつ病は必ず治ります。というメッセージが伝えられて、本当に感動しました。 途中の本人の苦しみ、家族の壮絶な苦しみもものすごくよくわかるし、能面のようになってしまった苦しみ、病気を併発して、その病気も一緒に乗り越えないといけなかった苦しみ、涙が止まりませんでした。発症してから10年の歩み、ドラマでは4年間の闘病生活を2時間にまとめられていたので、実際の苦しみとそこから見つけた喜びや幸せは、描ききれないぐらいあふれるほどにあったと思います。 4年という時に、自分の年月も重なりました。母も見ながら、発症してからの2,3年のことを思い出して、感無量のようでした。そう思うと、本当によくなりました。私は、サードオピニオンで、自分に一番あった先生も見つけ、一気に薬は減りました。 高島さんも、一人の人の生き方に感動したことが、うつ病に負けない、こんちきしょうと初めて治す方向へ転換できたとあって、やっぱり薬で治ってきたら、次は、心が前へ向くきっかけや感動や、人との出会いが大事だと思いました。 私も、これからですが、最後のシーンのように、無理してつくる笑顔ではなく、自然と浮かぶ笑顔で生きる喜びを持ちながら、心から大切にしたいと思う人と歩いていける人生が必ずくるんだと、希望であふれました。 私も、うつ病を克服して、苦しんでいる人の一つの光になりたいです。
2007.06.26
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えっちらおっちらと、心を引き上げています。毎月の会議は、以前は出席することすら、無理だったので、随分進歩したと思うようになりました。 久しぶりに、ものすごい揺れました。うつ病は、地震にたとえられることがあるように、激震の時も、ものすごい支えがあって、耐えられたので、大きな揺れでも、耐えられるようになりました。震度にして、大きかったと思います。 今の最大の課題は、自分でいきなり揺らしにいくところがあり、その揺れた被害に、自分で落ち込んでいるというところです。自分の運転する車で、自分が酔うようなものです。教習所で、一度だけ経験しました・涙。他の人からの揺れには、あまり動じなくなってきたので、自分で揺らしてしまうこと、自分で疲れてしまうこと、実に個人的な課題にいきつきます。 どうして、わざわざ毎月自分から揺らしにいくのかについても、じっくり考えてみたのですが、おそらく、周りの進んでいる時間と自分の進んでいる時間の差をこの会議のときに、ものすごく感じてしまい、その差を埋めようと、一気にフルスピードで走ってしまうのかもしれない、と思いました。なので、自分の人生のことも含めて、何でも一気に進めたり、決めたりしようとするきらいがあります。まだ舵取りもうまくないので、方向自体も違う気がします。会議に出席できなかったときは、この進むスピードの差を見ることがこわくて、逃げていました。 書いてみて、ものすごく自分で納得しました。ここまで立ち直れるようになって、人生も立て直すには、うつ病そのものを完治しないといけないですが、そのためには、時間の感覚をまともに戻さないといけないようです。といっても、以前のようにむちゃな生活をするということではなくて、矛盾するようですが、私の場合、もう少しおおらかな、ゆったりとした感覚が持てるようになったときに、周りの人との差を一気に埋めないと、と思わないでいいのかなあ、と思いました。もう少し、肩の力を抜いて、自然になっていけたら、治ってきているということです。 揺れの辛さも人から見えないですが、時間の感覚の差は、もっと人から見えないので、ますますうつ病は、わからない病気です。もうちょっとゆっくりしたら、もう少しのんびりとした、読みきれない長いブログも脱出できるかもしれません。あ~、頭が痛い~。
2007.06.26
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書いてみて、随分よくなってきたけれど、やっぱり私は、今うつ病の人間なんだと思いました。心の振れ幅が、まだまだ大きすぎます。この振れの大きさには、家族すらついてこれないので、周りの人には、まず無理だなあと思いました。私と接するのが、みんなおっくうになりがちなのも、わかる気がします。 すみません。本当にすみません。やっぱり今は、とても極端な人間のようです。思いついたら、周りのこともよく見えなくなって、感情のままに、すごい勢いで走りだしてしまい、それを止めるブレーキもまだ治っていません。よかれと思って始めたことが、結果として周りの人を追い詰めていっている現状もあります。泉谷しげるの「春夏秋冬」を思い出します。 前から、こんな人間だったのかすらわからなくなってきました。少なくとも、もうちょっと周りの人の心をくんだり、もうちょっと思慮深かったような気がしますが、それも、今はそうでないことだけは事実です。傷つける方が、得意になってしまいました。 ハリネズミのようなものです。近づけば近づくほど、傷つけてしまうという哀しい動物です。 昨日、話を聞いてもらった人も、今までの私ならよっぽどの人でないと、そんなにギクシャクするようなことが起こったりすることはない、と言われました。相手が、よっぽどではなく、私がよっぽどの状態ということです。家族にも、感情的になったりします。病気になる前は、そんなことを繰り返して、家族を悲しませるようなことはありませんでした。親不孝者だとつくづく思います。人の心を傷つけることが一番嫌いだったはずなのに、そうしないと生きていけない自分が 本当に申し訳ないです。 自分自身の状態を見ての打撃。昨日、結果として起こったことからの打撃。今日は、久しぶりにうつ特有の何ともいえない嫌な気持ちがまとわりついています。また、この気持ちが引き上げられるでしょうか。今日は、少し自信がありません。
2007.06.26
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いつも同じ会議の日の後に、突拍子もない行動に出ることに、家族も驚き、私も少なからずショックを受けています。ともかくこの日は、休職をする直前頃から、いろんな人から、いろんなことを言われて、いろんな思いをして、とても決意をする一方で、ものすごく傷つくことが多かったです。心がある意味、大変クリアな状態で、いろんなことを受けるので、帰り際には、とても不安定になっています。そしてそのまま後先を考えずに、家に帰る前に、突拍子もない行動に出て、多くの人に迷惑をかけるのも、この日です。 先月は最悪の日でした。家族と夜に話をしていて、今月もだった、と寝る前に初めて気づいて、一ヶ月ぶりに泣いています。さすがにちっぽけな人間だと、落ち込んでいます。やっぱりまだまだだなあ、と思います。山デジさんがおっしゃるように、精神の鍛錬が必要です。 他の人にとって、2,3週間、あるいは2,3ヶ月というのはあっという間かもしれないですが、次から次へといろんなことがブログ以上に起こる毎日の中で、私にとっては今、一日がとても長いです。まず一日を、何度も区切らないと辛いです。1週間が1ヶ月、1,2ヶ月が、1,2年にも感じる長さなので、家族や他の人からすると何をそんなに急いでいるのと思われたり、どうして結論を急ぐのかと思われるようです。杓子定規だと言われたり、嫌気をさされることも多いです。ちょっと前まで、こう言っていたのに、こうだったのに、どうしてそんなに急に、また変わってしまうのか、と不思議に思われることもあります。私にとっては、ちょっと前ではなくて、だいぶ前なので、急に変わったわけではないですが、時間の流れがまだ普通ではないので、それも、乗り越えないといけない大きな山かもしれません。ブログを見ても、毎日がものすごい展開になっているように私の中では、ものすごい時間が流れています。でも、今の私には、仕方のない、どうしようもないことなのです。この半年の間、とてつもなく長い時間が流れています。そのことをわかってくれる人もいないので、仕方ありません。 今日は、ひとしきり泣くことにします。まだ完治にはいたっていません。
2007.06.26
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今日は、母も一日バタバタしていましたが、思わぬ哀しい出来事が結果として、いろんな問題を一気に解決させることになり、人生って、本当に何が一番かわからないなあ、とつくづく思いました。何でも、時って大事だなあ、と思った一日です。 考えると、毎月、同じ会議の日に、私はあることでひた走る傾向があることに気づきました。直行です。感情が、いろんな意味で爆発する日です。何でかわかりませんが、確実です。あ~、おそらくいろんな人から、いろんなことを言われて、いろんな思いを一度にする日だからかもしれません。 若干、その日は思考が直線的で単純になっています。山デジさんが、書いてくださったように、私には、じっくり考える、という課題が残されました。ふぅ~。ほんとに、毎月です。バカだなあ、と思いつつ、ゆっくり眠るとします。
2007.06.25
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最近、ブログが長くなっていて、「反省」という制御装置がついているから大丈夫です。と言われつつ、また走ってるなあ、と思っていました。ずっと、ここ数年出せなかったものが、一気に噴出している感じです。 たとえると、水を吸い込みすぎたスポンジを、ぎゅーっとしぼっている感じです。 今日は、一途すぎる自分や、思い込みや勘違いをよくする自分に久しぶりに、少し落ち込んだりしたのですが、私が一番、元気にがんばっていた頃を知っている人と話をして、本当に安心しました。 このブログを見て、以前の私の考え方や価値観、生活リズムが戻ってきていて、うつ病になる前よりもさらにパワーアップしていること、あとは日にち薬で、完全に元気な頃の私に戻れるよ、と励ましてもらって、安心しました。ブログが読みきれないくらい長くなってきた、と笑ってらっしゃいましたが、心から喜んでくださっている様子に涙がでるほど、うれしく思いました。 この2ヶ月近くで、劇的によくなってきました。家族を除いて、近くにいる人ほど、みんな具合はどうか?薬はどうか?と聞いてこられることが多いので、どんどん良くなってきてるのがわかるよ、ほんまによかったなあ。と喜びだけを言ってもらうと、ものすごくうれしいです。久しぶりに会った人ほど、よくわかるみたいで、痩せてきたことも・笑、言ってくれて、うれしいです。今日、ただただ喜んでくれる様子に、心の奥にある氷のような不安が、とけていくようでした。 自分も、薬を飲むというのは続いている、渦中の人間なので、ただただ良くなってきていることを、喜んでくれる人がいてくれる、そのことがこんなにうれしいとは思いませんでした。ブログでコメントをもらってうれしいのは、こういう純粋な思いだけで書いてくださっているからだろうなあ、と思いました。 とても悩んでいたことがあったのですが、わけもわからず執着していたことにも気づいて、やっと気持ちにも整理がつき、「病気が治ったら、間違いなく新しい人生が開けるよ」という言葉に、安心して、前に進もうと思いました。具体的に、いろいろとアドバイスしてもらって、人生の先輩の言うことはなるほど、よくわかるなあ、と改めて思いながら、最後に「祈ってる!」と言ってもらって、またまた感動です。やっと病気が治ってきたんだから、30歳から止まってた人生を大きくやり直すチャンスです。 うんうん、まだまだ人生これからです。病気のときの私みたいに、引きずることもないので、自分の短所は、直しつつ、いいところがこれから生かせていけるように、自分らしく明るくのびのびとスタートしたいと思います。元々、くら~い雰囲気が似合わないキャラなので、また、あははは、笑いながらがんばりま~す。 いろんな人に、感謝感謝。
2007.06.25
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最近、思うがままに書いているので、とっても長いです。すみません。気をつけます~。 さっきのは、中学高校と地理嫌いの私が、何だか地理好きみたいなブログになってます・あはは。高校時代は、あまりに嫌いで、試験の時間すら忘れていて、受けれなかったことがありました。そう思うと、人間、何に興味が起こるかわかりませんね~。 今日は、さっきのブログ以外に、無数に思いついたのですが、マズイ!と思って、一応気をつけています。病気が治ってきて、今は、22歳~28歳くらいの一番積極的に脳が動いていた時代に戻ってきているみたいですが、吐き出す場所がないので、ここにぶつけています。みなさん、長かったら適当にスルーしてください。 今は、薬が私の制御装置でしょうか。まだもうちょっとゆっくり動くくらいでいいですが、スピードが出すぎてます~・とほほ。でも、脳が若返ったって感じで、うれしいです。
2007.06.24
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今日は、楽しみにしていた「愛知の会」のお友達2人が大阪に遊びにきてくれました。実質移動する時間は、ものすごい短時間しかなかったので、今までの私なら、完全なまでに計画を立てていたのですが、今回は、食べるお店だけにして、その場で考えることにしました。すごい進歩です・笑。 今から、また私の中のあいまいな知識のままで、書いていくので、間違ってたら、コメントで訂正ください。そこまで調べるのは、また前の私に戻るので、あえてしません。(ぺこり) 大阪は、太古はほとんど海の中で、隆起をして、大地になったので、東京と違うところは、元から緑があったわけではなく、後から緑を植えたので、関東に比べ非常に緑は少ないです。京都や奈良などは、海には沈んでない上に、長く都であったので、樹齢が何百年、1000年という木もありますが、大阪ではありません。その代わり、大阪は水(川)の都です。大阪が商人の町になった大きな要因に、無数の川が流れ、人と荷物が船でそこかしこを行きかったことがあげられます。 ということで、今回は川を中心にいろいろと解説しながら、回ろうかなあ、と思って、まずは、新大阪駅から車で、淀川を渡り、大阪キタ(北部)の中心梅田を通り抜けました。ここは、2,3年後に三越もくることが決まっていて、現在、日本一売り上げを誇る阪急百貨店が改装中。今、ものすごい勢いで、開発・変化が続いています。 そして、梅田を抜けると、淀屋橋です。ここは、大阪市役所が有名ですが、その奥には、中之島図書館、中之島中央公会堂などの重要文化財指定の大正ロマンあふれる大阪のイメージでは思い浮かばない趣のある建物が並びます。旧日本銀行の建物も素敵です。少し目をぐるーと回すと住友系の古い建物も見えます。川沿いには、バラ園、また陶磁器の美術館もあって、大阪のテレビのイメージとは違う上品な空気が流れます。 この淀屋橋を抜けて、東に向かうと北浜という地名が出てきます。このあたりは、大阪の経済の中心地で、大阪証券取引所もあります。またバブルも乗り越えた、中小の老舗の証券会社などの金融機関も立ち並びます。地味な土地です。しかし、この淀屋橋、北浜が、大阪の中心地になっていったのにも、川が重要な意味を持ちます。淀屋橋は、二つの川に囲まれた中州。その淀屋橋と対岸になっているのが、北浜ということで、人と荷物の積み下ろしが、非常に多く、経済が発展していきます。 大阪市内には川が無数にあり、一番は淀川が有名ですが、堀川、大川、蜆川、堂島川、道頓堀川など小さな川も非常に多いため、その数に比例するように、橋の数も無数です。地名でも、淀屋橋(確か橋をかけた人の名前でしたか)、心斎橋などありますが、心斎橋のように、橋という名だけ残って、埋め立てられた川も多いです。心斎橋は、橋の跡地だけ残っています。この川の多さは大阪の人でも、意識しないと気づかないですが、橋にもめがね橋、水晶橋など、作りが素晴らしい上に、夜にはライトアップされて、趣があって美しい橋もとても多いです。 大阪の橋の多さは、浄瑠璃作家で名をはせた近松門左衛門の作品の中でもたくさん出てきます。曽根崎心中に並んで有名な、心中天網島(しんじゅうてんのあみしま)には「名残の橋づくし」の段だったか、治兵衛・小春が心中先の寺に向けて、数々の橋を名残惜しく思いとどめながら歩き、駆け落ちしていく姿が非常に美しい文章で綴られています。今日は、世界に誇る遺産でもある「国立文楽劇場」の前も通り紹介しました。 北浜を越えると、すぐ大阪城が見えるところに出てきます。大阪城は上町大地と呼ばれ、ここだけは太古から小高い丘で、大阪を見渡せるので、豊臣秀吉もここに城を建てたのでしょうか。(想像。)北浜も川がありながらも、なだらかな坂で上町大地につながっていたため、川の氾濫でも残ったものと思われます。 現在の大阪城は、戦時中などで、何度か消失しているので、立て替えられ、現在のものは、平成の大改築で立てられたものです。非常に派手になり、ライトアップされるようになりました。実際の大きさは、はるかに今よりも大きかったようです。また、大阪城公園の周りのお堀が、いわゆる内堀であり、外堀は、相当遠くにありましたが、徳川家康によって、埋められたので、今は、残っていません。なので、実際の大阪城の敷地は、大阪市内の地図をかなり塗りつぶせるくらいの大きさでしたが、今は、広いとはいえ、小さいものになっています。ということで、大阪城の周りをぐるりと回り、非常にユニークな(空中庭園)と同じ設計者の手になる、NHK大阪放送局・歴史博物館を周り、今回行く予定だった、ブラバというシアターを目指しました。 大阪の文化と切り離せないので、天神祭についても。 来月の7月24日(宵宮)、25日(命日)は、菅原道真を祀った大阪天満宮を神体とした天神祭が行われます。25日は、陸渡御で、天満宮から神体が運び出され、夜には、大川(だったかええかげんです)に場所を移して、船渡御と呼ばれる多くの船、どんどこ船が先頭だったと思いますが、今は、各企業の船、人形浄瑠璃の船などが行きかい、奉納花火も行われる、日本を代表する祭りです。宗派は違うので、あくまでも、文化として紹介です。 1000年以上続いていて、豊臣秀吉の時代に、今の船渡御の原型が作られました。船が行きかう際には、大阪手打ち(締めとも)という手打ちをします。「う~ちましょ」パンパン「もひとつせ」パンパン「」「いおうて3度」「パパンガパン」とやります。まあ、大阪商人らしい習慣で、この時期は、いろんなところで、この大阪手打ちが行われたりします。 非常に長くなりました。イベント後、夜には、鶴橋で焼肉を食べ、ミナミ(大阪の吉本のイメージです)を車でスルーし、日本橋(東京の秋葉原みたいなものです)を回り、もう一度北浜に戻ってきて、昼とは違う美しい橋と中之島公会堂のあたりを車から眺めたりして、御堂筋を通り、新大阪へと帰ってきました。 短時間で、大阪歴史観光タクシーのような感じになりましたが、えらくみんなで、盛り上がったので、愛知行きも、大阪行きもまた第2段、3段と続けていきたいね、とザンザン振りの雨の中、別れました。 う~ん、やっぱり大阪っていいなあ。テレビの大阪や、パンフレットにのってない、素敵な大阪はまだまだあるので、次回お迎えするときは、もう少し探して、勉強して、大阪いいとこ発見!みたいな案内をしてみたいと思います。あ~、楽しかった~。おなかもいっぱいだ~。
2007.06.24
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今日は、沖縄戦没者慰霊の日でした。21日に書いた日記、 「沖縄戦没慰霊の日を前に」に対して、沖縄の方からコメントいただきました。今日を中心に、沖縄各地で慰霊祭が行われたと思います。去年の今日前後も、沖縄は朝から晩まで、新聞各社もこの記事でたくさんでした。宿のおじさん(マスターと呼びました)と奥さんも朝から出かけて、誰もいませんでした。去年は、小泉首相がきていたようですが、各地を回っていたので、平和記念公園に着いたのは午後になってからでした。 今年、新たに韓国出身の戦没者の方など、235人の方の名前が刻銘されて、24万609人となったと報じられていました。一人一人、どこに名前が刻まれているのか、調べられる機械も設置されていて、遺族の方が、その途方もない数の名前の中から、場所を調べて、その碑名の前に足を運んでいました。 今日の産経新聞を読んでいると、中学2年生の少年が平和の詩「写真の中の少年」を朗読したとあります。おじいさんの少年時代、母親、親戚と防空壕に隠れ、いよいよ米軍に発見された時のおびえた様子を、米軍が撮影した写真とありました。このおじいさんは、座間味島の方です。この写真が撮影されたころ、座間味島では、集団自決で100数十人が命を落とした。とありました。 ここでも、また怖い落とし穴があります。このわずかの紙面の中で、強調されているのは、米軍の怖さですが、実は、この米軍に発見されたおじいさん(当時14歳の少年)は2年前まで生きて、この事実を、語り聞かせました。そして、米軍に見つからなかった、座間味の人たちは、米軍の恐怖から逃れられたはずの人たちは、日本軍から手榴弾と毒薬を渡されます。そして、100数十人という人たちが、集団自決するわけです。この戦争で、座間味は壊滅状態に追い込まれました。 日本軍を命がけで助けてきた人たちが、米軍に捕まれば、米軍のスパイになる、あるいは日本国軍の名を汚す、という本土の命令というより、戦争独特の空気の中で、犠牲になるわけです。米軍に捕まれば、男は八つ裂きにされ、女性は乱暴され、死ぬ以上に恐ろしい目にあうと、日本国軍に毎日毎日言い聞かされた沖縄の人たちは、結局、渡された手榴弾を唯一の救いとして、一族で死に、母親が子どもに毒を飲ませ、そうして、集団自決が沖縄最後の悲劇として、歴史に刻まれることになります。それまでにも、ひめゆりの少女の話で有名なように、筆舌に尽くしがたい地獄の中で、経験し抜いた末の、結末です。 物事の捉え方はいろいろありますが、人間の命がどう扱われ、どういう現実が起きたのか、という真実は、絶対に曲げられてはいけないものだと思います。当然、全員が日本軍に殺されたわけではありません。米軍の砲撃でなくなった方、上陸でなくなった方も実際に数多くいて、そのことも忘れてはなりません。ただ、事実を変えていこうとする動きそのものが、一番怖いことだと、最近特に思います。 命の重さに、鈍感になればなるほど、社会は、時代は、ゆがんでしまいます。今の時代の、何となく流れる不安な空気も、命の重さを感じれなくなった、人間の鈍感さからきている気がします。戦争でもないのに、家族の命を家族が奪う。毎日、当たり前のように起きるようになった事件の数々。自ら命を絶ってしまうこと。 うつ病は、とても大変な病気で、こんなに辛い経験を自分も親も周りの人間もするとは思いませんでしたが、あきらかに乗り越えてきたという実感のある今、命の尊さを、机の上の学問としてではなく、自分の体験として、実感しました。 うつ病を乗り越える人が増えて、命の尊さを感じる人が増えていけば、むしろこの時代が変わる力になるのかもしれません。それぐらい、うつ病が増えてきたということは、どうして人は生きなければならないのか、そして、どうして人を殺してはいけないのか、という人間の根本の問いが今、社会全体に突きつけられている気がします。 沖縄戦没者慰霊の日、心からお一人お一人のご冥福を祈り、このような過ちが二度と起こらないことを祈り、誓いながら、今日のブログを終えたいと思います。
2007.06.23
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あさっては、こないだのゴールデンウイークにお世話になった「愛知の会」の仲のいいお友達2人が大阪に来てくれます。電話でまたえらい盛り上がってしまいました。そのことで、「愛知の会」の人の間でも話題になっているようです。 またここで、「愛知の会」って何ですか?って聞かれそうです・笑。ある趣味で、えらく広がっていったのですが、私以外、全員が愛知の人たちなので、「愛知の会」って去年の春ぐらいに名前をつけてみました。そこから、さらに人数が増えて、年代もいろいろなのですが、とっても楽しいいい人たちで、こないだ初めて会って、昔からの知り合いみたいで、一挙に大阪と愛知の距離が縮まりました。 大阪案内では、私の車も出して、短時間ですが、食べに行ったり、今回は上品なところを回ります・笑。あるの~?って、ありますよ~。ほんとは、国立文楽劇場という、世界に誇る文化もあるので、行きたいですが、時間が今回ありません。一方で、吉本のNGK(なんばグランド花月)で吉本新喜劇の本物を一緒に見たいですが、今回は、あるイベントがあってくることになったので、イベントものは、またの機会にします。 焼肉!を食べたい、ということで、店も決め、粉もんの食べ物も決めました。と決めていると、今度は、こちらのおなかがぐぅーです。あ~、おいしいたこ焼きが食べたい。豚玉のお好み焼きでもいい。今なら、豚うどんモダン焼きまで入りそうです。 って、そんなに食べたら、また太ります。今、ダイエットは、いつもの停滞時期。あと半月でまた動き出すと思うので、焦らないで、じっくり減らすとします。 去年の今頃は、三重あごぐらいだったなあ・あはは。1年で人間どうにでもなるもんですね~。
2007.06.22
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病気の時には、随分ゆっくりしていたので、というかゆっくりせざるをえなかったので、自分でもえらい怠け者でだめだなあ、何にもできないなあ、と思っていたのですが、治ってくると、あ~、そうそう私は、生真面目すぎるくらい生真面目だったな~ということに気づきました。 最近のブログを見て、病気になる前の私を思い出しました。この4回くらいで、原稿用紙10数枚くらいの量になるでしょうか。とほほ。病気になる前は、休む、ということを知らない人間だったのですが、そのことを、今日ブログにコメントしてもらって、お~、あぶないところだった、と思いました。脳と体を休ませないといけないなあ。 ということで、母が、体にいいというシソジュースなるものを2つのグラスに、とくとくと並々と入れてくれました。えらく黒い液体。「お母さん、何か、ビン違うんとちゃうかなあ」「違うビンに入れてるから、大丈夫やよ」「ふ~ん・・」 ちょっと、飲む前ににおってみました。「お母さん、においがちゃうような気がするねんけど、やっぱりビン違うんとちゃうかなあ」「そんなことないよ」 「・・・。何だか、においがポン酢・・・、それに、ビン 味ポン って書いてるよ~!!」「えーッ、ほんまや~、これポン酢やわあ」「・・・。(爆)」 真っ黒な並々とつがれたポン酢。確かにポン酢も体にいいかもしれないけど、こんなに飲んだら、体に悪いです。真っ黒な液体は2つのグラスから、味ポンのビンへと戻されました。酸っぱいにおいが、一気に広がる中で、300mlのお茶!のペットボトル!に入っているシソジュースが冷蔵庫から出されました。紫色でした。 そうですよね~。シソジュースが、あんなに真っ黒なわけないですよね。あぶないところだった。せっかく私が治ってきたのに、お母さん、ボケるには、まだ早いよ~。とほほ~。
2007.06.22
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真剣なブログを続けます。国会の会期延長が取りざたされています。 こないだまで、年金のことを取り上げて、毎日不安をあおるだけあおって、結局評論家という人たちが、そのための案を真剣に必死に出し合う姿は見えませんでした。中には、スウェーデンと比べている番組までありました。税金が60%とか高額で、社会保障制度そのものが根本から違うのに、年金だけ取り上げるのは賢い人たちのすることではない、と思いました。 今度は、会期延長の根本的な原因に、重要法案の成立、ということが実際にあるわけですから、今はこの重要法案にはどんなものがあり、そのことについて、どういう対案があるのか、そして、どうしていくべきかという提案を含めて、国民に示すのが、公的な面でいうマスメディアの最大の使命と思うのですが、ワイドショーみたいになってしまいました。 政治的番組のように見えて、ワードショー的な手法で、その場で、切り取られた情報に対して、ポッと意見を無責任に言う人たちを見て、ほんとに勉強してんの!!!とツッコミたくなることが非常に多いです。 昨日もたくさんの法案が通りました。教育改革関連法や、改正イラク特措法も大事でした。これには、もっと積極的に議論が交わされるべきでした。そのほかにも、とても気になっていた法案が改正されて安心したものがありました。改正刑事訴訟法です。先日も、奥さんと子どもさんを惨殺された夫の方が憲政史上まれに見る大弁護団を率いた18歳の被告人に対して、テレビを通して、思いを述べていました。その思いが、被告人に届いているのかもわからない状況でした。この法案が改正されたおかげで、被害者本人もその遺族も、被告人に対して、直接質問、意見陳述、証人尋問ができることになります。裁判員制度が、進む前に、通ってほしい法案でした。 そのほかにも、企業の不正会計を見逃した監査法人への罰則強化を柱にした改正会計士法や、観光とエコを考えたエコツーリズム推進法、また詳しく書きませんが、電子記録債権法などの大事な法案も昨日成立しました。まだまだたくさん控えています。年金問題、社保庁、官僚の天下りなど、一番の大問題も抱えています。小さくて見えにくいけれど、私が、ずっと見守ってきた改正補助犬法というのもあります。補助犬の法律そのものも、長い時間かけてやっと数年前に成立して、若干ながら補助金も出るようになりました。公的機関にも、堂々と連れていけるようになり、障害者の方の道が少し開かれました。今回の改正案で、社会進出が少し応援されます。これらは、どれも長年かけて審議してきて、少しづつ少しづつ、法案提出までこぎつけたものです。時間がないのは、現実です。以前も書きましたが、切羽詰った問題が山積みです。 不信任・解任決議案、審議拒否が毎日乱発されていますが、どういうことでしょう。こんなことしてなかったら、会期延長にならなかったかもしれない。会期延長になったら、選挙のために何でもするっていうのは考えられないですね、という意見が出るのはどういうことでしょう。それなら、会期延長にならないように、もっと力を出し合って、防ぐべきだったのではないでしょうか。「数の暴挙」「民主主義の崩壊」という言葉の前に、どんどん鋭い対案を出して、この法案はすごい、という案の乱発でどしどし審議してほしいです。国民にとって、「数の暴挙」も「本会議欠席」も結果として同じだと感じるからです。 さっき書いたブログの「自由主義史観研究会」の人間は、与党にも野党にもたくさんいます。私の一つの持論に、右よりの人も、左よりの人も、究極行き着くと、全部円のようにひっつく、というのがあります。 なので、 国民は、ちゃんと見て、民主主義という多数決主義の中で、選挙という義務と権利を果たさないといけないし、政治家は、ちゃんと国民のために働かないといけません。マスメディアは、そのための判断材料を、党利党略の流れだけでみないで、興味本位の、他人事のワイドショーみたいにならないで、しっかりと専門家として、鋭い責任ある論説を各新聞、テレビが示してほしいです。私も、単なる評論家にならないように、真剣に勉強して、一つ一つ判断しないと、と最近特に思います。 どの分野もそうです。人のためになってるのか、なってないのか、これが、あいまいな時代は怖い時代だと感じながら、私も一国民として、国会を厳しく監視したいと思います。
2007.06.21
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長いブログですが、何よりも大事なことだと思うので、あえて長いまま綴ります。 あさって23日は、沖縄の戦没慰霊の日です。去年の6月22日、沖縄へ行き、その翌日、沖縄の最も悲しい歴史が凝縮された南部戦跡を回りました。ひめゆりの搭はもちろんのこと、沖縄健児の搭、米軍責任者の墓、沖縄平和記念公園など多くの碑の元へと1日バスとタクシー、徒歩で、各地を歩きまわりました。 大変ショックを受けました。沖縄の本土が、米軍というよりも、日本軍によって、4人に1人が悲惨な死を遂げていました。残りの3人も、何もなかったわけではなく、自分の周りの家族が死んだり、大事な人を数多くなくして、自分一人生き残ってしまった罪悪感、中には家族を自らの手であやめないといけなかった苦しみ、を今も抱えている人たちがたくさんいました。20万人なくなったうちの、12万人が普通の住民です。数というのは、不思議なもので、一人が死んでもショックなのに、万人という単位がつくと、たちまち想像できなくなります。あの辛かった阪神大震災もすさまじい出来事でした。自然の力でさえ、です。ましてや、戦争は人によってしか起こすことのできない、もっとも人間の愚かしい所業です。 沖縄の人が言う、「命どぅ宝」という意味がとてもよくわかりました。去年だったか、明石家さんまのザワワで有名になったドラマの本質的なところは、本当でした。最後米軍が上陸した際、米軍の捕虜になった沖縄の人は、無事に生きながらえ、それ以外の人は、本土から来た日本軍によって殺されたようなものでした。あのドラマの衝撃的な最後そのものです。それぐらい、すさまじい歴史がそこかしこに転がっていて、夕方、一人で静かに歩いた、さとうきび畑は風に寂しく揺れていました。 日本軍の大将は、南部各地に張りめぐるように沖縄の人の手で作らせた洞窟で、最後まで、日本軍のために戦い抜くことを遺言として、自決しました。有名なひめゆり学徒も、少女にして、すさまじい状況に追い込まれていきます。その生き残った人たちが、戦没慰霊の日ということで、ひめゆりの搭に、全国から集まっていました。沖縄平和記念公園には、都道府県別の慰霊の碑と全戦没者の名前が、刻まれていました。この時の衝撃は、広島の記念館に行ったときよりも大きかったです。その事実を知らなかったからです。 日本軍の大将が死んだ墓、知らずに足を運びました。そのあたりは、他の場所とは全く違って、薄気味悪いくらい暗くて、人気がほとんどありませんでした。後で、誰の墓かを、宿のおじさんに教えてもらい、誰もそんなところには、行かないとおっしゃっていました。南部は切り立った崖に囲まれていて、崖にさえも、慰霊の碑がたくさんあります。多くの人が、自らその切り立った崖から飛び込んでいったからです。 その事実を、去年の教科書検定から、変えられつつあることをニュースで知りました。その裏に、あの「自由主義史観研究会」がいました。私が、大学生の頃にできたと思いますが、アジアへの侵略の事実を、死んだ数はもっと少なかった、あるいはそんなものは元からなかったと言い放っている。あえていいます、輩(やから)です。 戦争そのものを正当化する輩です。人を殺す、という行為は、どんな理由であれ正当化することが絶対にできないことです。人間の生命以上に、重いものはないからです。たった一人の人の命にも、多くの人の命がつながっていて、それを断ち切る権利は、誰にもありません。国は、人間のためにできたのであって、国のために死ぬなら、目的と手段の大きな過ちです。私自身が去年、沖縄で数限りない衝撃を受け、泣きに泣いた沖縄戦没慰霊の日が間近なので、あえてまた、はっきりと言います。「自由史観主義研究会」「ゴーマニズム宣言」は同じグループで、教科書検定にじわじわじわじわ影響力を持ち、現実に歴史を塗り替えつつある、恐ろしい輩です。 「自虐史観」という言葉を広げつつあるのも、この研究会です。国のためなら、戦争に出るのは国民の義務である、と言い放つ輩です。ある雑誌を使って、ナチスのユダヤ虐殺、ガス室の存在すら、なかったと堂々と書きたて、世界的問題を起こした輩です。 私は、世の中になんの影響力もない、普通の人間ですが、こういう人たちの台頭を絶対に許してはならない、と去年、沖縄を去る前日 6月30日、深く決意をして、7月1日大阪に帰ってきました。その決意をあらためて今、思い起こしています。
2007.06.21
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さっきの日記の続きを書きます。私は、職場でいろんな部署に行った関係もあり、文章を書いたりまとめたり、宅建をとったりということもやってきたので、文系と思われることが非常に多いですが、中学理科の中の物理専攻だったので、バリバリの理系の人間です。なので、自分で検証して納得いかないと、実行するまでにためらいますが、間違いないと思うと、ものすごい驀進します。 大学時代は、経済的にも大変で、学費免除を勝ち取らないと、学校に通えるかどうか、という瀬戸際を進んでいたということもありますが、せっかく予備校まで行って大学に行かせてもらったから、同じやるなら、大学一勉強しようという、密かな思いを抱いて、大学生活を始めました。 まあ、理不尽なことも感じました。一番、力を入れて勉強した、「物理数学」は、レポートも試験も必死でがんばって、ちゃんと成績も収めていましたが、「可」でした。優・良・可・不可の「可」。毎回、レポートに赤字で「Very Good!」と書いてあったのですが、何だったんでしょう。卒業研究は、「非線形ハニャララララララの安定性」というタイトルでした。ハニャララララララというところが、一番肝心ですが忘れました・笑。ブランコで立って(座っても)膝を曲げたり伸ばしたりすると、更に振動が大きくなりますが、そんなような現象の研究で、数式とグラフ(3次元の手書き!!)を駆使して、ものすごく面白い結果が出ましたが、どんなだったか忘れました。とほほ。パソコンが今並みの機械なら、もっと早く美しく結果も出たでしょうに・涙。 パワーポイントもあれば~。 私が理系好きな一番は、世の中のありとあらゆる四次元の現象を、数式で表すという非常に大胆不敵な試みが好きだからです。宇宙の始まり、人間の遺伝子や、自然現象、あらゆることを、追求していく姿勢は、人間の生命、宇宙とは何か、という哲学にも相通じる姿勢です。難しそうに、言うのは、誰にでもできる気がするのですが、難しいことを簡単に言うのは、とても難しいです。世の中、簡単なことを難しそうに言って、なんだか、我賢し、みたいな人も多いので、余計に思うのかもしれません。 今ふと気づきましたが、人生の転機は、7歳、14歳、21歳、28歳とあれ!7年ごとに迎えています。そして、この10月が35歳。 7歳の時に、人生の師匠ができました。 今の自分がいるのは、この時があったからです。 14歳の時に、今の職場に入る最大の出来事がありました。 15歳にして、勉学でわが世の春を謳歌し、16歳で挫折したとき、 高校時代、予備校、大学時代とこの出来事があったから、 道を踏み外さす、進んできました。 21歳の時に、人と接するということについて、 師匠の姿を見て、非常に衝撃的な感動を覚えて、 そういう人になりたいと決意しました。 翌年、その決意のままに人生の一大決心をして、 あることを決めました。 28歳の時、1年の中の節目節目に、人生の宝物のような 出来事がたくさんありました。 倒れ始める一歩手前の状況でしたが、良くも悪くも いろんな経験をしました。 人生の思い出深い年は、もちろんたくさんあるのですが、節目を決める出来事となった転機の年は、7年ごとです。書き始めて気がついた、今年の10月。今は、まさに人生の新しい出発で、転機を迎えようとしています。 この半年、わけもわからないまま、嵐の中進んできたので、これからもう少し、じっくり自分の人生を考え直そうと思います。今なら、いろいろと冷静に判断ができる時です。長い目で見て、でも人はいつか必ず死ぬ時も迎えます。それだけは、確実なことです。それなら、それまでどう生きるのか。それを今、深めるときです。 と、また書物をひもとくと、このことが書かれていました。「『死』を学ぶことは、『人生をどう生きるか』を学ぶことなのです。フランスの哲学者アランは、哲学の試験に、こんな問題を出した。‘今にも欄干を乗り越えて、飛び込み自殺しようとしている若い女性がいる。彼女を引き戻して、どんな対話をするか?‘生きるか死ぬかという瀬戸際に、人間として何を語れるのか。そこに真の『哲学』がある。『人はなんのために生きるのか』という問いは、いつでも、どこでも、だれにでも問われている根本問題なのです。」 そしてまた、「これには参った『死ぬこと』と『生きること』とは、反対のことのように見えて、表裏一体のものである。相手に『死んではいけない』と言える人は、自分の生きざま、生きていることの意義をはっきりと答えることのできる人なのである」 この病気を通して、人生で大事な経験をしたと思います。辛いことも、哀しいことも、苦しいことも、山のようにあったし、これからもあると思うけれど、どれもこれも、「死」を考え抜いたこれからは、意味のあることに全部変えていけると思います。うつ病は、自分の人生にとって、通るべき道だったかもしれません。 やっぱり、うつ病は悪いことばかりではありません。
2007.06.20
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ちょっと更新ができていなかったので、2回分続けて書きます。今日も、暑い一日でした。夕方帰ってきたのですが、最近ちょっとオーバーワーク気味なので横になってみました。30分ほどぐっすり眠りました。特に今週に入ってから、やりたいこと、やらないといけないことなど、いろいろとずっと忙しくしていたので、寝るのが遅くなっているのが、反省ですが、短時間でも熟睡できるようになり、体の回復力が戻ってきました。夜から出かける予定でしたが、明日に延期です。ブレーキをかけることの大事さも、覚えてきました。 2週間昼となく夜となく、減薬による苦しみでさんざん痛めつけられ、眠れない日々が続きましたが、それを乗り越えて、またパワーアップです。乗り越えると、また強く。たんこぶで、乗り越えると、また強く・笑。人生、少しづつ少しづつです。 18日の日記に、また温かい言葉をいただきました。でも、申し訳ないことに、本当に小さな人間です。確かに、うつ病が治ってきた!という実感は、私も家族も日に日に深くなっています。集中力や記憶力や判断力も戻ってきました。ついでに、過去に記憶して、この数年間忘れていた内容も思い出してきてるような気がするので、人間の回復力もなかなかのもんだな、と思っています。 何だか、人生の新たな節目を迎えたようです。新しいスタート地点に立ったようで、いろいろと振り返り、新しくこれからどこにどう歩いていくのか、を考えています。考え過ぎじゃないかと言われそうですが、この病気を通して、生きること、死ぬことについて悩み抜いてきて、いろいろと物事の考え方、捉え方が大きく変わってきた気がします。深くなってきた? 大事なことは、目に見えないんだよ。「星の王子さま」のテーマに戻ってきました。簡単に見えるものは、簡単に状況によって変わってしまうもので、「星の王子さま」に出てくる変わった人物たちは、私たちの周りにもたくさんいます。お金も地位も名誉も学歴も服装も、本当は人生で、あまり価値がないように感じています。(全くないとは言いません)一方で、価値のない人なんか存在しなくて、上に書いたようなものがあってもなくても、それでその人がどんな人かを判断する基準にはなりません。というより、人から見られてどうかより、自分の心次第で、いくらでも幸せだと感じることができる、と実感するようになりました。幸せ、という価値観そのものが人それぞれ違うので、一概に言えませんが、大切なものは、目に見えないところや案外自分のすぐ周りにたくさんあるように感じてきました。 人生を生きる、というのは当たり前のようなことですが、本当は奇跡的なことで、とても大切にすべきことです。言葉にすると、やっぱりうすっぺらく見えるので、自分の表現力のなさにかっくりです。 小学校入学時、わがままいっぱいでした。体にハンディをもっていた子をはやし立てて、女性の担任の先生に呼ばれて、「あなたのような子を、陰日向(かげひなた)というのよ」と厳しく叱られました。その後、すぐに陰日向という言葉を辞書で調べてショックを受けました。人生で、この言葉を聞いたのは、今のところこの時だけですが、それ以来、裏表のない人間になろう、と思いました。なので、小学生高学年まで、いじめがあれば先生を連れて一緒にその場面に行くほどでした。(今思えば、先生は一緒に連れて行くべきではなかったですが・涙)校内暴力が、小学校で吹き荒れて、窓ガラスも毎日割れて、先生も泣いているぐらいの中だったので、次の日から、いじめられても大丈夫なように、ズボンのバンドを持って登校していました。それぐらい正義感が強いはっきりした子だったので、いじめられませんでした。中学生では、優等生のようになりました。中3の時には、勉強が楽しくて、ご飯を食べる時間以外、朝6時から夜1時まで、1年間ずっと勉強し続けました。何でも徹する人間には、荒れて(感情を発散して)いた子も、からんでこないようで、放課後に「勉強を教えて」と言われて、一緒に教室で勉強したりしていました。なので、この時代大ヒットした「BOWY」などは、一度も聞いたことがありませんでした。(ある意味、奇跡的です) その後、大阪で有名な進学校に入学しました。エリートと言われる人が多い中に入り、非常に傲慢な人間になりました。しかし、勉強しすぎて、入りたい学校にも入って、目標が達成されて、燃え尽き症候群で、全くその後勉強しませんでした。ここで、初めての「人生の挫折」と「傲慢になることの怖さ」を徹底して知りました。卒業式で聞いた、校長の「あなたたちはエリートです」という言葉が、とてもバカバカしく聞こえました。こういう人たちが、官僚になったり、役所のえらいさんや、大手の企業で社会を動かす(!?)ということの恐ろしさを、知りました。勉強ができるかどうか、成績が、そのまま人の価値にはつながらないことを知りました。(努力したことは、価値あるものだと思います) ということで、予備校生活で、学生でもなんでもない、あの予備校生特有の、何にも属していない、という不安感を味わいました。そして、教育大に入って、中学理科の過程へと進みます。 まずは、第一段。少しゆっくりしてから、第二段を。
2007.06.20
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ほとんど、私は以前のブログを見返さないのですが、最近、いろんな方が訪問してくださるのを見て、私のうつ病が快方に向かい始めたのが、ほんの少し前、ということがわからないかもと思って、何気なくあけた3ヶ月前、3月28日付けの日記の一部にこうありました。 昨日お医者さんに行って、私はこの不安といらいらに、再発したのではと聞いてみました。すると、再発ではありませんよ、とはっきり言ってくれて、治りかけの大事なときだから、ゆっくりするのが今の義務です。気になることは、あるかもしれないけれど、自分の体を大事にすることが、今一番大切なことです、と言われました。 あの時は、3ヶ月弱でここまで回復するとは思いませんでした。というより、このあたりから急激にひどくなっていって、自殺願望が急上昇して、多くの人を嵐に巻き込みました。そして、実行もしてみますが、致死量にはいたっていなかったこと、日本で確実に自殺する方法は、2つぐらいしかないということ、を知りました。その中でも、本当に確実なのは、1つだけだと思います。これは、この病気で戦っている人は知っていることだと思うので、中身は言いません。自殺願望は、生きたい願望との背中合わせ。紙一重であることを知りました。 そして、この病気の本当の原因も、私は自分の体験と今までのブログにあるように徹底して追及する性格から、一つの確信を得ました。これは、多くの人があてはまると思うのですが、これもあえて、ここでは言いません。私の3年9ヶ月といううつ病との長い闘いの中でも、今年の春ほど、不安定で、危ない時はなかったわけです。 実際に、うつが回復してきたという実感を持ち始めたのは、5月3日あたりからですから、1ヶ月半しかたっていません。随分長い時間がたったような気がします。この半年間だけで、2、3年ぐらいの長さを感じるぐらい自分も周りもいろんなことが起きました。韓国ドラマに使えそうなぐらいの展開の速さです・笑。体重も、7キロ更に減って、スーツが入るようになり、薬も半減しました。 今の職場に移った頃は、薬がまだきつくて、頭がボーっとしていて、エクセルの表でコピーして貼り付ける、という当たり前のできこともできなくて、ぽちぽち数値を打っては、何度も何度も確認していたことがとても印象的に、記憶に残っています。それぐらい、できないことへの衝撃が大きかったです。なので、自分よりも、家族や近しい人の方が、私の回復ぶりに驚いているかもしれません。 そして、これから自分の中でも整理しないといけない、沖縄の旅について、またブログで書いてみたいと思います。そろそろ今年も、沖縄戦没慰霊の日6月23日を迎えるからです。去年、復職か退職かも含めて、自分の生き方を見直すために出た沖縄の旅。沖縄に着いた翌日が、この日でした。いろんな意味で、衝撃の旅になりました。たくさんの涙を流し、こんなに複雑な思いをした旅はありませんでした。多くの人との素敵な出会いもあり、自分の人生が、大きく拓かれた転機です。 うつ病になると、時間の感覚が異常に長くなったり、異常に短くなったり、アインシュタインの相対性理論を、少し考えたりします。でも、いつまでも続くものでもなく、病気が治ってくれば、その考え方、感じ方自体が病気だったことを実感してきています。 以前は、出勤が憂鬱だった月曜日。減薬による、本当に辛かった頭痛と微熱と吐き気も2週間ついに乗り越えて、今はたんこぶの痛みだけ(涙)。少しづつ、少しづつ、着実に、うつ病の親分を追い詰めていきます。
2007.06.18
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さて、最新のたんこぶ情報をお送りします。愛知のお姉さんからも、私のたんこぶ姿を想像していただいたようで、わざわざメールをいただきました。いつもいつも温かく見守っていただいて、ありがとうございます。ほんとにつまらない限りで、すみません。とほほ。 正直言って、たんこぶが似合う方だとおもいます。世の中に、34歳独身女性はものすごい数存在すると思いますが(いい大人です)、その中でも、「たんこぶが似合う女」大会が開催されたら、上位入選する自信があります。しっかり者のように見えて、随分うっかり者です。 痛みですが、髪をかきあげる、というまあ普通の女性がやると素敵!という行為(私にはあてはまりませんが)すら激痛が走ります。しかし、この頭部の打撲痛は、痛み止めが効かないことを以前、実につまらないことで、大きな事故・事件!?を起こした際に、確認済みなので、今回は飲むことすらやめました。この事件については、あまりにもつまらないことすぎて、まだこのブログに書くことをためらわせています。 ということで、この痛みを抑えるために、先日に続いて登場です。「熱さま透明ジェリー」先日の頭痛・微熱の残りがあって、助かりました。いろんなところで、活躍してくれます。髪の生え際であることが、救いです。赤くなっているので、おそらくもう少し強くぶつけていたら、きっとエスカレーターの縦2本分くらいの線が付いたと思われます。34歳の独身女性のでこに残る、2本の赤い縦線。想像しただけでも、笑ってしまいます。いえ、笑われてしまいます。 血が出ると、跡に必ず残るタイプなので・涙、よかったのですが、その分、痛みが強い気がします。 減薬の苦しみをやっと越えたと思ったら、そこには、もっと直接的な痛みが待っているとは。 人生、本当に一寸(3cm)先すらわかりません。痛いよ~。でこが出てるよ~。とほほ。
2007.06.17
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今日のアクシデント。病院に行くのに、またギリギリになりました。焦った私と母は、多くの大阪人と同じく、駅のエスカレーターをせかせかと歩いていたのですが、母がさらに焦らせてきて、ついにサンダルを滑らせ、エスカレーターのザクザクの金属のところに、おでこから、ツッコミました。 ボケは、いないので、一人ツッコミです。オチがない分、大阪人として非常にツライです。 おでこから、ぶち当たりながら、必死で左手で支えたら、左の指の皮が向けて、腫れました。血が出なかっただけ、ましです。以前の私なら、そのまま足を踏み外して、確実に、骨を折ったりして重傷間違いなしだったと思うので、やっぱり人生上向きのようです。 といっても、34歳にしてできた、たんこぶ。今どき、たんこぶ、という言葉すら死語のような気がします。というか、これ、標準語ですか?こんな疑問まで、沸いてきました。 せっかく薬の影響の頭痛がなくなったのに、12時間以上たって、ますます腫れあがって、痛みがますなんて、私バカよね~。おバカさんよね~。「その状態で、爽やかな顔になってるから、うつはよくなってるよ~。それにしても、すごい丘になってるねおでこ。」と、言い放つ、この母め~・涙。
2007.06.16
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私にしては、随分久しぶりすぎるブログ更新です。今日は、16日ぶりにまたまた母と病院に行ってきました。先生も、涼しげな夏のポロシャツに変わっていました。 一番、乗り越えないとと思っていた薬を、一回も飲まず、しかも、その頭痛や微熱もほぼ治まってきたということで、先生も随分安心されていました。「これで大丈夫やねえ。そしたら、これからさらに薬を減らしていこう。」 「えっ!ほんまですか!!!」ということで、数は減らないですが、量が減って、朝・夕の薬の1種類がまた小さくなりました。眠る薬も減りそうだったのですが、睡眠だけは確保しないと、私の場合、今は非常に弱りやすい状況もあるので、そのことはちゃんと伝えて、減らさないことにしました。「落ち込むのは、引きずらなくなってきたでしょう?」「はい、その日のうちに、下がっても上げれるので大丈夫です。落ち込むのは、誰でもあることやなあ、とも思うようになりました」「そう! それはもう うつちゃうわ。ちょっとづつ、薬減らしていこうか」と、簡単に書くと、こんな具合でした。先生ともわいわい笑ったりして、先生も「表情が、明るくなってよくなってきたよ。良かった。良かった。」ととても喜んでくれていました。女性の日のために、一応飲んでいる漢方薬が、一日3回あり、「薬を飲まないお昼にも、飲まないといけないのがちょっといやなんです」と言ってみたら、朝に1包、夜に2包飲んでもいいと言ってくれて、ほっとしました。これで、朝と夕方と夜寝る前だけになります。朝と夕方に飲むのは、仕方ありません。 ちょっと講座。こないだも書いたように、薬で、脳の充電をしていくのですが、常に血中濃度が一定に保たれていないと、効き目がなくなります。食後にとあるので、食べてないから飲んでません、ということも昔はありましたが、気が付いた時点で、飲むのがいいということで、それ以来、飲み忘れはなくなりました。ずっと飲んでいないと、最初の処方量から(始めから)やり直しする場合もあるので、気をつけないといけないです。ちなみに、以前は、この持つ時間が、8時間ものが多くて、一日3回食後の後、というものも多かったですが、12時間効き目が持つものが開発されて、今は、朝・夕だけでもいける薬が多くなりました。 寝る前の薬は、睡眠そのものの質と量の確保のためなので、これはうつであってもなくても、よく処方されるものなので、あまり深刻になる必要もありません。不安が強い場合は、ここで、安定剤やパニックを抑える薬なども処方されます。 ということで、調子はいいですが、今日は本当につまらないアクシデントで、おでこが痛いです。せっかく頭痛がなくなったのに、こんなことで痛いなんて。ほんとに、私は、アホやなあ。とほほ。 まだまだ、ボチボチです。
2007.06.16
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頭痛はおさまったものの、微熱で病んでいる状況ですが、ブログを更新します。最近、お気に入りブログの方や、コメントを書いてくださる方などを見て、生き死にの、しかも相当切羽詰った状況が、非常に多く続いているので、今日は、応援ブログです。 うつ病になってから、私が言われて、悪気はないと知りつつ、傷ついた言葉を少し。「この病気は、結局心の持ちようだろう(心の病気だろう)」「気力を持ったら治るんだろう(気の持ちようだろう)」「強くなったら、治るんだろう」「がんばれ!」といったものから、よく思われていて傷つくことは「甘えている」「なまけている」「いつまでこんな状況を続けるんだ」「困った存在だ」「やっかいだ」「どうしてそうなったの」といったものです。 こうして書くと、私の最近のブログと矛盾しているように思われるかもしれませんので、今日は、私のうつ病を学んでの感想と自分の状況とを、もう少し突っ込んで書いてみたいと思います。 うつ病になる、きっかけ、理由は、人それぞれですが、明確なことは、脳に、生理学的・機能的に支障が現れていて、その中の神経伝達物質、セロトニンやノルアドレナリンなどが少なくなっている、あるいは働きに異常が現れているという状況に陥っているということです。でも、こないだ書いたように、それを数値で測るまで、現代医学は追いつけていません。なので、客観的に、うつ病の症状を見て、判断するのは、非常に難しいわけです。 たとえにするのも難しいですが、電池を考えてみました。電池を脳、電池内のものを、脳内の神経伝達物質と思ってみてください。電池の大きさは、人それぞれです。うつ病というのは、何らかのきっかけで、この電池がこわれている状況です。そのため、充電していたものが、もれてしまったりして充電状態が、赤信号のような状態です。これを、心や気力で、増やすというのは、超能力やハンドパワーのような世界の話であって、無理なわけです。ちゃんと、充電装置が必要で、時間もかかります。いわば、薬というのは、この電池内のものを少しづつ増やしていくためのものです。さらに、アルカリ電池、マンガン電池など、中身も人それぞれなので、薬もその人に合ったものを選ばないといけませんが、これまた外からはわかりません。ということで、先生によって処方される薬が違います。三環系や四環系の古い薬は、早く効果が表れますが、私が即、苦しんだように、副作用も非常に早く表れて、眠気、眼のかすみ、動悸、便秘、排尿困難、立ちくらみなどが強いので、最近は、SSRIやSNRIなどの薬が出ました。これらは、上のような副作用は弱いですが、吐き気が出たり、併用できない薬があったりします。 そして、薬を飲み始めるのですが、脳内のものがそんなに簡単に充電される薬は、むしろこわいわけで、ゆっくりゆっくりたまっていきます。だいたい、薬が効いているかを見る目安は2週間です。それで、合わなかったら、薬を変えたり、合っていたら、増量して、充電がスムーズにいくように調節します。十分な量になるまで、一定の期間がかかります。だんだん増えてくると、気力といわれるものが戻ってきますが、まだ生活ができるまでではないので、毎日の生活に焦ったり、いつまでもそのままの状況が続きそうな気がして、不安に襲われる上、自分なんて存在する意味がないと責めたくなるのもこの時期で、気力すら出なかった時に比べて、自殺を図ろうとすることが多いのはこの時期です。 充電期間中に、自分の強い心と弱い心と戦う必要は全くないわけです。それが、ある人のブログでは、お医者さんが「敵は自分です」と告げています。はっきり言って、この病気を全くわかっていない医者です。 また私のことですから、あえて叫んでみます。「自分で、病気になって体験してみー!!」 絶対に、「敵は自分だ」などと無認識な言葉は言えないはずです。この言葉は、元気な人にかけるべき言葉で、うつ病で、薬を飲んで苦しんでいる人にかける言葉では絶対にありません。 私の場合は、随分時間をかけてきて、自分でも、電池が充電されてきたことが実感できてきました。電池が充電されれば、今度はこの電池をこわれにくくしたり、充電を減りにくくするために、工夫しないといけないです。そのために、認知療法やカウンセリングなど、それぞれの方法で、うつ病になりやすい性格をうまくコントロールしたり、物事の捉えかたを変えていったり、そこから自分の苦手なこと、克服しないといけないことを探さないといけないということです。 私のブログでは、最近、弱い心と、強い心がよくでてきますが、自分でもうつ病の最大のヤマは、乗り越えたので、今は、自分が充電しきると決めて、不安におおわれて、充電が減りやすい状況を変えようと思っています。 今、この病気で苦しんでいる人は、そこら中にいます。そのど真ん中に、私もいます。どこかの遠い病気でも、特定の誰かだけがなる病気でもなく、普通に、いつでもなってしまえる病気です。ブログで書いて支えてもらっている人、誰かに見守ってもらっている人は恵まれています。私も、恵まれたその一人です。 むしろ、孤独に一人で苦しんでいる人が多いのに、心が痛みます。一人でも多く、一日でも早く、悩みから一緒に抜け出せる人がいればと思う今日この頃です。 死ぬ勇気で、何かをできないか、と言われることもありますが、死ぬことを考えているときに、生きる何かをすることはなかなか考えられません。ただそれを乗り越えると、今まで以上に強くなれるということ、生きるということの意味が深くなる、ということも、実感しました。ともかく、一緒にジタバタしながら、みんなで乗り越えたいです。
2007.06.14
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久しぶりに、携帯からです。頭痛は、痛みの一部をもらってくれた人がいて、ガンガンからドンドンぐらいになりました。前頭葉、集中攻撃です。うつの親分に、最後の総攻撃をかけて、えらい抵抗をされているようです。夕方から、また微熱で弱っていますが、峠を越したと思うことにしました。やりたいことはたくさんあるので、こんなことにいつまでもかかずらわっている場合ではありません。今日は、今回の症状について「薬物依存」であるかを検証しました。私は、この数年、古い種類の三環系から最新のものまで、いろんな種類の薬を一巡した感じです。中には、今は合法ドラックとして、や、が付く人が集めることから、処方が難しくなっているものもあります。私の場合、調べた限り、「この薬を飲むとこういう症状が出る人もいます」という例に、ほぼ例外なく素直に当てはまりました・涙。そこで、実感したこと。薬は、間違いなく毒でもあるということです。肝臓は、栄養代謝とともに体の解毒作用という、非常に重大な使命をおびています。うつの人が、定期的に肝臓の検査をしたほうがいいというのは、こういった理由からです。前の病院は、副作用が出ると、それを押さえる薬を出して、どんどん処方が増える割に、肝臓などへの影響には無頓着で、体重の激増も不安になってきていたので、こちらから検査してください、と言って、ハッと私の体重増加にも気付き、検査してくれました。って、普通一年に25キロも太るペースは、尋常ではないはずですが、毎回深刻にとらえられることなく、むしろ食欲不振を治す薬が出されていて、私の先生への、不審が増しました。とここまで書いて、本筋からずれてることに気付きました。パソコンみたいに、全体が見えないので、すみません。「薬物依存」の話でした。調べても、今回止めた薬は「薬物依存」にならないとありました。なのに、こんなに症状が出るなんて、納得がいかなかったのですが、ハッ。「薬物依存」でないことに気付きました。「薬物依存」のような代表例は、お酒、タバコ、麻薬があります。やめると、必ず体に症状がでますが、最大の違い。なくなって、それを手にしたいかどうか、です。それが、我慢できなくて、みんな苦しむわけです。私は、体はしんどいですが、別にその薬を手にして、「く、くすりを」「の、のみたい…」というわけではないので、「薬物依存」ではないということにしました。今は、決めることが大事です。もうちょっとで2週間。しばらく我慢すれば、この薬は全くいらなくなります。数年間も散々痛め付けられて苦しめられてきて、体は疲れてますが、みんなにもたくさん応援してもらっているので、うつの親分なんかに、負けるのは、腹が立つので、がんばることにします。そろそろ印籠を出して、「はは~」と言わせてやりたい!!
2007.06.13
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今日は、一日のたうちわまりました。頭はガンガン、目もガンガン、微熱が延々と続き、立ってはフラフラ、座って疲れ、たまらず横になって、更に頭がガンガン、微熱でフーフーと、ほんとに辛い一日です。 あともうちょっと。お医者さんからも、我慢しなさい。と言われたものの、これではたまりません。ブログもいすに座るので、一気に疲れがアップです。かと言って、横になっても更に頭が痛くなるので、座ったり立ったり、外に出てみたり、家の中をうろうろしてみましたが、どうにもなりません。 我が家で一番効く頭痛止めの薬は、全く効きませんでした。ということで、アイスノンみたいなのはどうか、という意見もあり、今回、母が「熱さまシート」でも「熱さが~るシート」でもなく、さらに進化した、強冷「熱さま透明ゼリー」というのを買ってきました。透明のシートをはずすようなものではなく、薄いアルミのパックに、透明のゼリー状のものが入っていて、それをおでこに乗せるだけで、下を向いても、横に向いても落ちません。3~4時間効くとあるように、ず~っと冷たいままです。これは、なかなかの代物です。本当の、高熱になった時に、もっとこの効果がわかると思われます。微熱で使うのは、非常に残念ですが、汗をかいて熱が下がっても、また上がっての連続なので、よしとします。 それにしても、うつ病のたくさんの本を読んできましたが、この数年間、だいたいの段階・症状を経験してきたので、今は、どれを読んでも自分の体験としてよくわかるようになりました。ただ、減薬による影響は、全く考えていなかったのでふいうちにあったようです。 これいつまで続くんだろう。どの病気も同じですが、いつまで続くんだろう、というのが一番いや~な気分にさせます。あ~また、私の心の声 弱い私: ぎぶあっぷ。もうだめです。 うつの親分さん、もうやめてくれ~。 強い私: ねばーぎぶあっぷ。もうちょっとがんばるぞ!! うつの親分さん、もうそろそろいいでしょう。 まだしばらく、この苦痛は続きそうです。あ~、ねばーぎぶあっぷ!
2007.06.12
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先日から、気を抜くと(気が付くと)頭痛と目痛と微熱と若干の吐き気で、目の下のクマ吾郎も相変わらず同居生活で、ちょっぴり今日は、クタッとしていました。気力はあるのに、体力め~、と思いながら、あまりにも、つらいので、SOSをしたりしていたのですが、その中で、その症状は、自律神経か肝臓か更年期(!?)かという案が思い浮かばれ、早速、私のことですから調べてみました。その結果・・・、わからない。・・・。 そこで、次に思いついたのが、止薬の影響です。というのも以前、10日間ほど、風邪やらなんやらで、薬がなくなって飲めず、これより随分ひどい症状が出たことがあるので、もしや一番なくなってほしいと思っていた、あの薬をこないだ病院でやめることにしたからでは、と思い、またまた早速調べてみました。すると、やはり止めてから数日後~2週間、ひどい場合では、2~3ヶ月、止める影響が出るとありました。細かい症状も、ほぼ合致。納得がいきます。やめるのが、早すぎたのかと思いましたが、十分な期間を経て、少しづつ減薬してきて、一番少ない量をなくしたので、これを復活させれば、また飲み続けることになり、やめる副作用を我慢するか、飲み続けるか、どちらかしかありません。しかも手元には、一応のために2週間分もらっています。今の私にとっては、大きな問題です。日々の辛さを軽減させるか、長い目で見て、今我慢しきるか。やめるか、やめざるべきか、そこが問題です。 ということで、こんな時は、いつもの先生です。今まで診てもらった先生で、症状も経過も短い時間で的確に把握してくれ、その上、薬の知識が非常に豊富です。って、わかるぐらい私も勉強したということです。患者は、そんなに勉強するもんじゃないんだよ。ばかだね~。あはは。だから、病気になるんだよ。と自分でも自分に言ってみたりします。 今日は、急ぎですから初めて電話で聞いてみました。そして、結論です。「止める方向ですから、飲まずに我慢しましょう。」 それを聞いて、私の心の中の声。 弱い私 : え~、この状態を我慢するのか~。 強い私 : ヤッター!これを乗り越えれば、この薬ほんとに飲まなくていい~!! いよいよ完治へ~。(パラララ~:頭の中の花満開) ということで、ここ数日、ブログの更新数が一気に減っていたのは、この症状のためだったわけです。あやうく気力も吸い取られそうでしたが、今日の先生の言葉にまたまた気力をアップ。完治まで、まだまだ道のりは遠いですが、ボチボチ、チビチビいくぞ~!
2007.06.11
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うつ病は、必ず治る病気とみんな書いてあります。うつ病が治る、ということはどういうことかなあ、と昨日から少し考えていました。 数年前に比べて、うつ病の本は、ものすごい数が本屋に並ぶようになりました。どういう症状から始まるのか、どういう性格の人がなりやすいか、どういう経過をたどるのか、どういう薬を飲むのか、たくさん情報が並んでいます。私は、全部で12冊ほど読んできました。読みすぎです・・・。 そして、一つの結論。どの本も、うつ病のある段階の時をターゲットにしぼられていて、1冊では全貌はわからない。本人が、ぼんやり眺めるといい本。家族が読むといい本。職場の人など周りの人が読むといい本。など、対象もバラバラで、その段階、対象にはまっていない本を読むと、全く納得がいきません。逆に言うと、段階がはまるとそれまで、全く納得いかなかった内容がものすごく理解できたりします。 そして、もう一つの結論。うつ病の完治、ということを明確に書いている本(ブログもです)はほとんど皆無であるということ。それは、大きな原因として、明確に数値などのデータがあらわれないことがあります。ガンや動脈瘤、白血病は、目に見えたり、数値やレントゲンなどではっきりと患部というものがわかります。一方で、うつ病というのは、MRIをとってもわかるはずもなく、その状況というのは、本人しかわからず、客観的に周りの人が知ることはできません。本人の症状、感覚から、お医者さんも想像するしかない、ということです。しかも、大きな問題として、他の病気ももちろんありますが、再発の可能性が高いので、予防のために、半年から1年、長いときは2年も薬を飲み続けることになります。薬を飲まなくなったときが、完治、というと非常に長い間かかるということで、かっくりきます。 しかも、予防の薬に入る段階というのが、本当に治っている、と医学的に言えるのか、それは、やっぱり患者本人にしか本当はわからないということです。再発をしたのか、小康状態だったのがひどくなったのか誰にもわからないということです。 これは、困ったことです。なので、うつ病の本は、冒頭にも書いたように治る病気だと言われますが、どういった状況が治った状況かを詳しく書いている本は見当たりません。誰も、はっきりとわからないからです。なので、ブログを始めてから、本当に多くの人が同じように長い間、苦しんでいるということを知って、安心と驚きを覚えました。本には、何だか薬ですぐに治る、といった書き方しかないからです。 私も当初は復職が治った証、と思っていましたが、そうはいきませんでした。なら、以前の自分のように元気いっぱい生活していることが治った証だろうか?これも、違うと思いました。以前の生活を続けて、病気になったので、完全に以前の自分に戻ってはいけないわけです。う~ん。困りました。 そして!自分なりの完治の姿、を決めました。誰も決めてくれないなら、自分で決めてしまえ、ということです。 人間、生きていれば、憂鬱なとき、哀しいときも必ずあります。これは病気でなくてもあります。それなら、心と体をコントロールできるようになること。落ち込んでも、引きずらないように、持ち上げることができる。やらなくてはならないと、気力と体力を無理してでもがんばっていた自分を、コントロールできるかです。 言い換えると気力と体力の限界を知って、その限界までは全力でがんばるけれど、それ以上は壊れるほど無理をしすぎない。という状態を完治と呼ぶことにしました。 当たり前といえば、当たり前ですが、このコントロールが難しいので無茶をしすぎます。無理もしすぎます。クマ吾郎も相変わらず、目の下に居座っています。 もう一歩。あと一歩。薬が減るのはもちろん大事ですが、自分で治ってきたという実感はもっと大事で、それが今の自分の支えです。 光の中にいることは間違いありません。あとは、どこに向かっていくか。私のうつ病の旅は、続いているけれど、以前のように弱い自分には負けたくないから、私の「完治」を目指します。 そして、同じように苦しんでいる人が、それぞれの「完治」へ希望が見えたら、私のブログの存在意義もあるというものです。人生は、波乱万丈。でもそのドラマの主人公は、間違いなく自分自身です。
2007.06.10
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今日は、お昼から大事な会議がありましたが、疲れは休みの日に一気に出すという癖が出て、部屋でのたうちまわっていました。3時過ぎから、小学生時代の友人と会う約束をしていたので、その約束も果たせないかと心配しましたが、必死で、その直前に汗をかいて、フラフラしながら、会いました。4年ぶりの再会です。子どもも3人が大きくなって、それから、いろんな友達とも会い、さっき友達を車で送って帰ってきました。とてもいい時間になりました。その一方で、疲れが倍して、ピンチです。目の下のクマ吾郎も両目に3頭づつぐらいひっついているみたいで、えらいことになっています。明日は、朝からどうしても出かけないといけないので、何とか、たまっている熱と疲れを今夜で出し切ることにします。まだそこまでの体力は戻っていません。 って書きながら、病気になる前は、予定がある日は全力で動いて、休みが出来た時にいつも熱(疲れ)を一気に出すことにしていたから(笑)、リフレッシュする時間も作れず、体を壊したんだなあということも思い出したので、あまり無理をしないようにしたいと思います。 今日は、母がここ一ヶ月関わっていて、心臓病と脳動脈瘤でとても大変だった方の、手術の日でした。手術にできる状態になったのも奇跡で、その前の大きな病院で手術していたら、おそらく心臓が持たなくて、間違いなくしんでしまっていたという状況でした。以前、母がお世話になった病院に連れていって、何度も精密検査をして、医院長先生自ら、綿密に計画を立てて、今日の手術に至りました。6時間から7時間といわれていたのが、3時間で終わりました。終わってすぐに、ビデオで全て手術の様子を詳しく説明してくれたようで、奇跡的に全てがうまくいって大成功。母も一安心です。少し安静ですが、今までの経過を思うと、どう考えても奇跡の手術です。 生きること、死ぬこと、みんないろんな悩みを抱えていますが、生きていてくれる、それだけでうれしいと思う今日この頃です。 それにしても、目の下のクマ吾郎、早く家に帰ってくれないかなあ。
2007.06.09
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ここ数年、この季節からは母のアサガオ作りが始まります。去年は、少し遅い種まきだったのですが、支えのついたてや、ベランダいっぱいにひろがるネットでジャングルのように、下から横から上から、アサガオでいっぱいになりました。アサガオは、その名前の通り、朝咲いて、お昼ごろに静かに花が美しさを終えるので、風情があるように思うのですが、我が家のアサガオは愛情を注がれすぎているのか、その愛情にこたえないといけないと思うのか、夕方くらいまで、元気いっぱい咲き続けます。 しかも、その季節は夏を越え、去年は10月頃まで毎日100近い花が朝から夕方まで、ベランダいっぱいに広がりました・・・。ここまでくると、お花好きの私でも、きれいだなあ、と思うより、こわいくらいです・・・。何でこんなに咲くのでしょう。 今年も、ベランダ中に、プランターがいくつも並び、元気いっぱい芽をスクスクと出しています。ところが去年の秋から、ベランダがモモの大事な散歩場所になりました。アサガオの芽が出る季節に、散歩に出るのは初めての経験です。お昼と夜の散歩ですが、そこら中に、青々とした芽がたくさんあるわけです。ご馳走のように見える芽が、自分の周りを囲っている。その芽に、気がいかないわけありません。というわけで、人間とモモとの戦いが繰り広げられます。●をいっぱいして、掃除をした隙を狙って、パクッ。プランターへの臭い付けの振りをし続けて、安心させてから一瞬にしてパクッ。ちょっと後ろを向けば、パクッ。柵を周りに置いてみたのですが、その柵から少し伸びてきた芽をパクッ。そんな戦いを日々繰り広げ、何とかおさまってきました。 我慢させること自体が、モモへのごうもんなのですが、実は、アサガオは、ウサギにとって毒草にあたります。毒草を、ベランダいっぱいに育てる我が家。 モモへのごうもん、必死で守らないといけません。だから、モモ、食べちゃだめだって~・涙。今、モモのために、「かんたんごち草」という水だけで、簡単に育てることができる草を必死で育てている私です。モモ、あと1週間で食べ頃だから、もう少し待って~。
2007.06.08
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今日は、ちょっといい一日でした。日一日と調子がよくなっているのも実感できる上に、ダイエットもいよいよあと3.5キロで目標体重です。しかも、この目標体重は11年前の入社当時の体重です。冷え性だった体も体質改善したので、筋肉がついて基礎代謝が上がり、体脂肪が減りました。同じ体重でも引き締まってきたので、拒食症で痩せていた時のスカートも入るようになりました。3.5キロ減らすと、一番痩せてたときみたいに貧相になったと言われそうなので、あと3キロぐらいでしょうか。随分食べているのに、消化してくれる体になりました。コツコツやって、大成功。 さて、昨日ちょっといやだなあという気持ちにさせた家賃未納問題。管理会社に電話しました。いつもの担当者です。お互い、第一声で誰だかわかるくらいになりました。 請求書には、「資金不足」とはっきり書いてあったので、まず、確認です。「残高が多いので、おかしいと思うのですがどうしてでしょうか」「確認してみます。あ~、一度引き落とし口座を変えたので、そのせいでしょうか」「あ、5月始めに、6月分から新しい口座から引き落とすという書類が届いていましたし、5月15日付けの請求書で、新しい銀行口座がのった書類が届いていました。この口座は給料振込の口座で「資金不足」というのはありえないんですが」「・・・。あ~、どうやらこちらの書類への記入ミスで、新しい銀行が引き落とし手続きがまだ完了していないのに、間違って、そのように記入してしまったようです。記入の口座へ、引き落とし口座手数料を引いた金額でお振込みいただけますか。来月、退去されるので、このようなことはもう二度とないと思います」「わかりました」・・・。 引き落とし手数料引くって、新たに振込み手数料がかかってこっちの方が高い手数料なのに。2ヶ月続いて。と思いつつ、すぐに振り込みました。管理会社の完全な記入ミスでした。そして、どうやら銀行というより、管理会社の手続きミスのような気がします。こんなことが、何度この管理会社とは続いただろう。ふぅ、やれやれ。 とりあえず、家賃未納問題は解決。ちなみに、先月の電気代は1380円でした・・。今日も、少しだけ一人暮らし先により、3つ落としていたブレーカーを完全に落としきって帰ってきました。誰もいない、空き部屋です。そして、そろそろ10時半。隣から、ビクッと驚くぐらいの大きな奇声が聞こえてくる頃です。 今日は、何を叫んでいるだろう。毎日、叫びたいことがたくさんあるって、大変な毎日なんでしょうね。公務員であるということ、「誰もが~おおうおおうおお~」と浜田省吾を歌う世代である、という非常に少ない情報しかない分、私の妄想はやはり膨らみます。おじさんも、明日は素敵な花金に!そう思う木曜日の夜です。
2007.06.07
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今日は仕事が終わってから、友達のOさんと会いました。ご飯を食べて、随分話もしたりして、とても楽しい時間を過ごしました。今日は、その中身は、長いので割愛。日曜日には、小学校時代の友人と会います。体の調子は、大変よくなってきました。うつの親分が弱くなってきたのか、私が強くなってきたのかわかりませんが、いよいよ「もういいでしょう」の頃でしょうか。 先日、少し社会派ブログを書きました。このブログは、人生について書き綴っているので、あまり論調も鋭くしていないし、社会派というには申し訳ない程度でしたが、ふと今日何気なく、病気になる前は、新聞を見たり、ニュースを見ては、いろんな新聞社に投稿していたなあ、ということを思い出しました。ブログと違って、どこの新聞社も500~600字の制限があるので、論点をまとめるのは多少難しいですが、かなり書いていたような気がします。学生時代は、経済的にも大変だったので、投稿して載るとうれしい、しかも図書券がもらえて倍うれしい、と調子にのって書いていたものです。今や、ブログという場がありますから、隔世の感があります。 と真面目なブログのふりをして、今日は久しぶりに一人暮らし先のことについて。家賃が引き落とされていないので、もしやまた、あの管理会社から郵便がきていないか、不安になったので、夜に母と行ってみました。やはり、ありました。残高不足。何だって!!今日銀行で、あまりにも残高が多いので、おかしいと思っていたら、残高不足、といいます。また、電話しなければなりません。こういうことが非常に多いので、本当にこまったものです。この管理会社、こんなことの連続でした。 随分、ほったらかしにしていた部屋なので、気になっていってみたのですが、警察と管理会社名で、このマンション内で、最近ドアののぞき窓を外から少しづつ緩めて最終的に、ドアを開けて侵入する不審者が出ているので、ご注意ください、というチラシが入っていました。5月付けです。 実家に帰っててよかった。こんなチラシが入って、女性の一人暮らしはつらいです。オートロックなのに。といっても、これを読んでいる一人暮らしの女性のお家がみんなそうではないので、不安いっぱいにさせるためではなく、くれぐれもご用心を。中から、きつく締めておくことが大事、とありました。 そして夜10時頃に行って、少しだけ持って帰るものを整理していたら、久しぶりに始まりました。 「やっほー! やっほー! あっほー!!」 母がビクッとします。ああ、母は初めての実体験でした。隣のおじさんです。久しぶりの登場です。時計を確認します。ピッタリ10時半。おじさんの中では、10時半(朝の7時半)に奇声(気勢)をあげるのが目覚まし時計よりも正確に動くようです。ハックション、連続10回もすさまじい勢いです。母は初めて体験して、大層驚いていましたが、私は、ああ、おじさんは元気に生きているんだな、と少し安心しました。母の中では、5、60代のおじさんと決め込んでいたようで、40代くらいの若い声に、非常にビツクリしていました。「どういう人生を過ごしてきはったんやろうねえ」泥棒が入っていないこと、空気がよどんだ部屋になっていることおじさんが元気であることだけは、確認できました。とりあえずよかったです。何がよかったのかは、ちょっと冷静になるとわかりません。 ということで、ボチボチもいかずチビチビ、荷物も運んでいるので、一目見て、何が減っていっているのかは、少しわかりづらいですが、まだ2ヶ月弱あるので、ゆっくりゆっくりということで。 管理会社への電話は、明日必ずします。ふぅ~。それではおやすみなさい。
2007.06.06
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昨日は、過去最高の7回更新になりました。しかもほとんどが、夕方から一気に6回更新です・笑。今日は、一日調子よく進みました。 「戦争と平和」進んでいます。以前は、新潮文庫で漢字が小さくて、多くの人が出てくるのにその立場・関係がわからなくて、「三国志」以上に何度も戻りながらで、なかなか進みませんでした。しかも、ナポレオン統治時代の世界地図もわからなかったので、ちんぷんかんぷんの出だしだったのですが、今回思い切って岩波文庫に買いかえました。すると、この最初の課題を解決してくれるために、人間相関図があり、当時の世界地図(同盟諸国等の関係)、年表までついてあり、非常にわかりやすく進みます。 しかも、もう一つこの本の冒頭から、どういうことだろうか、とずっと悩んでいたことを、岩波では一気に解決してくれました。その冒頭からの悩み。出てくるのは、ロシアの人たちなのに、どうして流暢なフランス語をみんな使うんだろう???しかもこれから戦うべきフランス、敵国語です。(本では、もちろん日本語で書かれています)日本なら、非国民ですぐに非難されただろうに、どうしてこんなにと思っていたのが、合間合間に、コラムとして、その悩みにちゃんと答えてくれるようになっていました。 「ソクラテスの弁明」は古本で昔買って、昭和40年代の本だったので漢字も旧字体で随分難しかったですが(50円と書いてました・笑)、「戦争と平和」は新訳で非常に読みやすくなっていました。ただ昔の訳の方が、格調高い文なので、どちらがいいかは悩むところです。訳は、岩波の方がとてもわかりやすいです。一語一語の解説も丁寧です。やはり、岩波氏の、後世に名著を残したいという情熱に心動かされた訳者も多くて、岩波の本はなかなかだなあ、と最近見直しています。4巻から6巻と増え、値段も新潮よりものすごく高いですが、売り上げが圧倒的なのは、こういうところからくるのかな、と関係ないことも思ったりしています。 まあ、いろんなことを考えています。時間があるので、今のうちに自分がずっとやりたいと思っていたことを、やり過ぎない範囲で(すぐ超えようとするので・・涙)。いろいろとやってみようと思います。今日は、ブログ更新はあるでしょうか。ブログも、これからさらに気ままになる気配です。
2007.06.05
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今日最後のブログです。毀誉褒貶(わかる人だけ読んでください)にまどわされないで、自分らしく、自分の挑戦を忘れず、がんばろうとまた決意しました。一番自分が大事にしていることを、大事にし続けることだと思いました。そこがずれなければ、大丈夫です。そこがずれると、根無し草みたいにフラフラします。根っこが大事です。人間の心も根っこが大事です。ちょっとわかりにくいと思いますが、個人的なものなので、そうなんだ~、と読んでください。 コブクロの「轍(わだち)」という曲がやっと聞けるようになってきました。前は、メッセージが強すぎて、弱っていた私には聞くのがとてもつらかったのですが、心にストンと入るようになりました。 トルストイの「戦争と平和」も進み始めています。まだロシアとナポレオンの関係が出てきたところです。始まったばかり・・、随分長い道のりになりますが、今回は挫折せずに、これも挑戦。いろいろと、できることが増えてきました。まだまだ落ち込んだり、泣いたり、ジタバタしていますが、自分の弱さに負けない。うつの親分を追い出す。このことに、挑戦して、ちょっと器の大きな人になるぞー!あ~、またさがった心が夜にあがってよかった。あがるのが早くなってうれしい。
2007.06.04
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今日は思いっきり書きます。と書いたところで、今から、心の充電に出かけてきます。遊びではありません。遊んで逃げても、同じ所に帰ってくるからです。 自分の心に強くなって、うつの親分を頭の中から、追い出したいです。多くの人の頭の中にも、うつの親分が大暴れする時代です。苦しむ人、悲しむ人は、少ないほうがいいです。喜んでいる人が、多いほうが、世の中、きっといい世の中です。 まずは、自分のうつの親分退治です。光は見えています。何度も、自分が試されている気がします。長い人生で、この病気を乗り越えると、すごく強くなれる気がします。なかなか体験できないことを、この数年間、延々体も心も悲鳴を上げ続けながらきたので、やっぱり最終戦です。といいながら、何回も戦いは続くかもしれないけど、絶対に最後は自分の心の中にも、「水戸黄門」みたいに「助さん、格さん、もういいでしょう」と言って、おもむろに印籠を取り出して、頭の中のうつの親分にはは~、と言わせたいです。 それでは、出かけてきます。アジャ、ファイティン!!
2007.06.04
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前の私とは違います。ここまでくるのに、長い時間がかかったから、落ち込んでも、またあがります。 みんな生きていれば、泣いたり笑ったりですから、今日の私もその一日です。うつなんかに、もう負けないんだ。あんな病気に戻るのは、まっぴらごめんなんだ。あんなに苦しい思いを、長い間、自分も家族もずっと続けてきたんだから、もう終わっていいと思う。 泣いても、一日ですむように。そのために、ここまで生きるや死ぬやを乗り越えてきたから、今日の落ち込みは、今日で終わり。生きるか死ぬか、言葉にすれば簡単な7文字だけど、心にすれば、壮絶な苦しみと絶望と不安と焦りだった。みんな言葉にできない苦しみと背中合わせで生きている。誰からも見えない苦しみや悲しみを背負いながら生きている。 でも、それ以上の喜びや楽しみもきっとたくさんもっている。私にも、たくさんの素敵な友達と、素晴らしい生き方を教えてくれる人生の師匠がいる。その人たちに、こたえていきたい。支えてくれた人たちにも、喜んでもらいたい。きっと、この病気を乗り越える。 今が、大きな山なんだ。山をいくつも越えて、これからも越えていくだろうけど、その力が、私にもあるはずだから、信じてがんばる。 前の私とは違うんだ。うつ病なんか、消えてなくなってしまえ。えい!
2007.06.04
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うつ病に負けたくない。こんな病気になんか、負けたくない。うつ病で、周りの人も傷つけたり、迷惑をかけたくない。 死にたい気持ちが、今日出なかったわけではないけれど、もうその選択肢はなくすことにしたから、もう二度とそんなことはしない。 たくさんの人が、毎日優しいメールや電話をくれる。私のブログを見て、今日も愛知の優しいお姉さんがお昼にメールをくれた。韓国語の応援つきで。私は、弱いちっぽけな人間だけど、多くの優しい人たちがたくさん応援団でいてくれるから、また少しづつ心の力を充電。前みたいに、しんどい気持ちを何日も引きずりたくないから、一気にたくさん夕方から書いてみた。 心も体も今日は随分疲れていて、大事な人をまた巻き込んでしまった。いつも私の一番しんどいところを思いっきりぶつけてしまって、そのたびに落ち込んでしまう。今日は、私が人生の中で、とても大事にしているものを、これ以上ないくらいひどく扱った。これには、自分が一番ショックを受けた。自分がとても大事にしているものだったから。何回、そんなことを続けてきただろう。本当にひどい人間だと思う。とても。私の人間性がなせることなのか、私の病気がなせることなのか。きっとどちらも重なってしまってるからだと思うと、心が、海よりも深く沈んだように、反応しなくなる。 でも、うつ病にはもう負けたくない。
2007.06.04
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うつ病の人は、みんな泣いている。うつ病の家族の人も、みんな泣いている。うつ病のまわりの人は、みんな困っている。うつ病になると、みんなが困る。 うつ病になると、苦しいことがふえる。うつ病になると、逃げたいことがふえる。うつ病になると、逃げられないことがふえる。うつ病になると、強くなることもふえる。うつ病になると、苦しい人の気持ちが少しわかるような気がする。うつ病になると、心のあたたかさや優しさをたくさん感じるようになる。 うつ病になると、悪いことだけじゃない。
2007.06.04
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モモが一緒にたくさん泣いてくれました。ウサギは涙腺が一つだから、涙をボロボロ流すことなんてできないのに、たくさん涙を流すウサギになりました。 私が部屋にこもりきりの時、どうしてもウサギが飼いたくて、3代目のウサギのモモが、生後2ヶ月の時に私の部屋にやってきました。ずっと一緒にいままでいました。 笑うと、飛び跳ねて喜ぶし、私が泣くと、一緒に泣きます。私の調子がいいと、モモはひねりもいれたジャンプもして、野うさぎのように走り回ります。私の食欲がないと、一緒に痩せていき、私が過食だったときは、デブウサギになりました。夕ご飯を食べるとき、一緒に夕ご飯を食べます。特に、褒めてもらえるように、牧草をたくさん食べます。 人間の言葉が通じないはずの、動物ですが、言葉もよく理解するし、何よりも人の心をよく理解します。動物は、心が一番だから、私はとても大好きです。植物も、心が、姿に形を変えます。動物も植物も、それぞれの生命が、それぞれの個性となって、一生懸命生きています。 人間も、心が一番のはずですが、まわりにいろんなものがたくさんついてわかりにくくさせるので、とても難しいです。心しか大事なものはないと思うのですが、人間の世界はとても難しいです。自分の心まで、閉じないように、と願います。
2007.06.04
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いろいろとありました。ここ最近いろいろとありました。この世の中は、弱肉強食の世界です。非常に、生きるのがつらい世の中です。この世の中で、これからも一人で生きていかないといけません。 いろんなハシゴがはずされ、自ら最後のハシゴもはずしました。最後のハシゴについては、つながっている方が双方よくないと思いました。愛知の大好きな方からは、優しいメールが届きました。優しい人がたくさんいるのに、私は優しい人になれません。せっかくここまできたのに、せっかくここまできたのに、いろんなことがたくさん起こります。3年9ヶ月、長いです。とても長いです。もうこれ以上いやです。もう嫌です。早く治りたいよ。せっかくここまできたのに。あともう一歩なのに。理不尽なことが多い世の中です。
2007.06.04
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いろいろと1ヶ月がたちました。以前の私の感覚に比べると、とても早く時が過ぎましたが、一方で、とても長い1ヶ月でした。家族にも、何気なく言うと、「あれから1ヶ月か~、たった1ヶ月やったけど、長かったなあ。」と感慨深げな返事でした。それを思うと、この1ヶ月で考えられないくらい病気がよくなりました。近くにいる人ほど、信じられないくらいの早さでよくなってきています。 以前は、「生と死」という問題が最大の問題でした。今は、いよいよ次の段階、「どう生きるべきか」です。最近の私の中の大きな存在である「ソクラテスの弁明」は、あれほどの短編なのに、かなりの衝撃と感動を私に与えました。プラトンは死後すぐに、この本を書いたようですが、一緒に、「クリトン」という、この「ソクラテスの弁明」の続きとなる超短編の対話集を残しています。これは、ソクラテスが死刑を宣告された後、獄舎につながれ、いよいよ明日死刑が執行されるのではないか、という前日(実際には、当時のアテネの神事があり、30日後です)獄舎を訪ねて、脱走を手助けするから逃げてほしい、と嘆願する親友であり老友のクリトンと対話を重ね、クリトンを説得させるところを描いています。死ぬ、その前にして、堂々としたソクラテスの姿に大変な感動を覚えました。死ぬことを恐れぬ、自分の信念、生き方を貫いてきたからこその姿です。 それとともに、ソクラテスがどれほど偉大で素晴らしいかをこれほどまでに生き生きと描ききり、ソクラテスが「後世、死刑の判決を下した諸君らが裁かれるであろう(要旨です)」としたその言葉通り、あくまでもその裁判で裁かれるべきは、デマと中傷とねたみから死刑を下した当時のアテネ大衆であった、と、プラトンが真実を書き残したことに、とても心揺るがされました。これは、紀元前200数十年前の話です。実際に、ソクラテスが死んで、すぐに、同じく無実の罪で死刑となった人間(名前を忘れました・笑)の悲劇が上映され、ソクラテスの悲劇と重なり、みなの心に深く重くのしかかったようです。やはり名著と呼ばれるものは、思索してもしつくせない深さがあると感じる日々です。 そして、明日からも、平行読書形式は続けますが、いよいよトルストイの「戦争と平和」に入ります。えらい長丁場に挑戦してしまうことになります。ロシア文学は、長編で大変難解で深いものが大半なので、随分避けていたことを、反省しつつ、その時間をもらったことに感謝しつつ、挑戦を始めます。 みんな悩んで生きてるんだ~。あまりにも、自分の悩みの小ささと器の小ささに、反省ばかりですが、現実の世界で自分の弱さに勝つしかないので、勇気をたくさんもらって、また明日からがんばります。がんばる、という言葉も、使うことにしました。ブレーキのかけ方がわかってきたので、アクセルを踏むのもそろそろやってみます。でもスピードの出しすぎは、厳禁で!
2007.06.03
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今日は、「愛知の会」の一番お姉さんの人と話をしました。昨日は、北海道のお姉さんのようなお友達に出した長文のお手紙への返事のメールがきていました。この北海道の「お友達」の方とは、1年半前ぐらいから文通が始まって、とてもきれいな字を書いてくださる人だと思っていたら、後で日本でも有名な書道の大家のお弟子さんだとわかって、辞書を片手に、震える手を抑えながら書いていた頃の手紙だったたので、とても恐縮しました。去年の夏から、いろいろと自分の病気のこと、それまでのことなど、ありのままに全部話してきた人です。なので、今年に入ってからも、随分心配をかけ続けてきました。そのたびに、ご自分のお父さんのことなどを通して、とても励ましてもらいました。幸せの形も、祈る対象も違いますが、とても尊敬しています。 今回の手紙を見て、力強い手紙になってきて、うれしいですとあって、とても心があたたかくなりました。 今まで、何度も、とうもろこしやたまねぎやじゃがいもや、北の大地の恵みまで贈ってきてくださって、その時ののし紙は、今もパソコンのすぐ横にはってあるのですが、何でも知ってくれている人がいる、というのは、本当にとてもありがたく、力強いことです。久しぶりに韓国語で、ありきたりの言葉すぎますが、「チョンマル コマスミニダ」 去年の今頃、「人生の旅」沖縄行きを真剣に検討していました。退職するか、復職するかを決めるために、出た旅です。 有給消化も休職中も、結局は闘病中で、焦りの中、プレッシャーを感じずに、ゆっくり時間を過ごすということができませんでした。休職前に、有給も使い果たし、欠勤も規定日数になり、今思えば無謀な薬の量の中、復職しました・笑。改めて、処方箋を元に、薬一つ一つの量、種類を分析して、よく復職宣言をしたな、とびっくりしています。ちょっと常識では考えられないです。復職後も、一日ボーッとしていたのも、休み(有給はないので欠勤)が多くなったのも当然だと思いました。あの量は尋常ではなかったわけです。おそらく、普通の生活も営めない量だったはずです。気力だけで、復職を決意して、えんやこらと出勤していたようです。 そして、欠勤が増えに増えて、休職委員会にかかるまでになり、危険なところを、みんなに守っていただいて、何とか、2月を乗り越えました。やっと一旦清算です。その間、病院が変わり、薬が変わり、劇的に量が減っていき、遂に、半分まできました。相変わらず、有給は年に2日くらいしかもうつきません。今年度についた2日も当然のことながら消化しました。なので、欠勤というのは、私にとってはこの数年間、ずっとプレッシャーのかたまりだったのですが、このプレッシャーからも開放していいかな、と思いました。もう少し、体もしっかり作って、じっくり着実に完治したいです。細かなことにこだわっている、まだ視野の狭い状況をしっかり治しきっていこうと思いました。 ということで、職場でも欠勤を使うことに対して、病気をしっかり治しきる時と決めて、あまりこだわらないことにしました。今が、一番大事なときです。長い人生で見て、この時に治しきってよかったという時にしよう、と決めました。こだわることとこだわらないこと、いろいろと見えてきました。私の病気との闘いは、最終段階に入ったと思っています。あれだけ苦しめられて、多くの人も苦しめてきたのだから、もう自分の弱さに負けないように、でも焦らず、たゆまず、朗らかにいきたいと思います。もう私のように、苦しんでほしくないです。早くに気づけば、早くに治るものだから、誰にも、こんな風に苦しんでほしくないです。まずは、完治を目指します。私の完治への最終闘争宣言です。
2007.06.02
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昨日から、静かに待ち構えていた女性の日がきました。先々月まで、月の10日間ほどをこのことで苦しめられたので、こんなに痛みも苦しみもないなんて、劇的すぎて、感動すら覚えます。調子が非常によくなっています。 陰で、黙々とがんばっている人がいます。誰も知らないところで、必死になって走っている人がいます。そのことを思いながら、昨日は眠りについていました。夢を見ました。夢を見るのは当たり前のことですが、これも体も心もよくなっている兆しがとても見える夢でした。また鮮明に、今日も4話分覚えています。一夜連続の続き物なので・・。 詳しく書くと、一晩かかるので、簡単に。 1話目は、自分ひとりで、夜空でしたが、天高く自由自在に飛んでいました。好きなところを、好きなように、です。空を飛べる、喜びでいっぱいの夢でした。2話目は、モモを抱っこして、友達の手をとって、もう一匹別のウサギも一緒に、自由自在にモモを連れて行ってあげたいところへと飛びました。緑の青々としたおいしそうな草がたくさん広がる場所に行き、その次は、モモを連れて行くには少し勇気がいる海辺へと一緒に行き、楽しく時間を過ごしました。3話目、また追っ手が現れました。モモと私だけが追われています。いつもの展開ですが、今回は里見浩太郎のような手合いではなく、韓国の大物脇役俳優が続々と追ってきました。これは、私にとっていつも以上に緊迫感のある状況です。モモも連れての逃避行ですから、いつものように、息を止めて姿を消す、というヘナチョコな技を使っても、モモの姿が見えてしまいます。非常に悩んで、いろいろと難易度の高い技を駆使して、逃げとおします。 そして、いよいよ最終の4話目です。追われてばかりいたのですが、その4人ほどの追っ手と思い切って、会うことにしました。間をはしょりますが、結果として、その4人はウサギの餌を販売する職業に変わりました。えらい展開です。ということで、追われることなく、最後は、モモはもちろんのこと、家族や多くの人と楽しく過ごしているところで、夢が終わりました。 追われる、ということは、ユングの夢判断でもあるように、現実の生活でも何かに追われるような状態であることをさします。しなければならない、という思いがある状態です。それが、以前のように、里見浩太郎に切られて終わる、という結末ではなく、こんなハッピーエンドで終わることがここ数年であったかなあ、と思い返し、とても気持ちよく朝を迎えました。 陰で黙々とがんばっている人は、今日も朝から必死で、奮闘していました。みんな見えないところで、苦労をして、苦労とも思わず、毎日を生きています。私も、この1ヶ月でもやっぱり視野はまだまだ狭かったということに気づきました。病気は、もう一歩、二歩です。 いろいろといい兆しが、たくさん見えてきたから、自分から逃げないで、負けないで、もうちょっとがんばる~!と思う今日です。
2007.06.02
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久しぶりにリフレッシュブログです。あがったりさがったり~もう~あがったり~ですか~♪誰の歌かはわかる人だけわかってください。 まあ、よくジタバタします。ほんとに、ジタバタします。なんで、こんなにジタバタできるのでしょう。ただ、私が恵まれていると思うことは、北海道から沖縄まで、私の人生をよく知ってくれている友達、お姉さんのような存在の人が全国にたくさんいて、みなさんが見守ってくれている、ということです。そして人生の師匠がいる、ということです。 私自身は弱い弱い人間ですが、こうした人に支えられて何とかかんとかです。愛知のいろんな人から、最近毎日のように連絡をもらいます。電話やメールですが、お互い1年以上待ちに待った「愛知の会」の開催で、こないだみんなと顔を合わせることができました。初めて会ったのに、何度も会ってきた人たちのように本当に楽しく、笑って、しゃべって、大盛り上がりの集いでした。直接会って、心の距離も一気に近づきました。 みんないい人ばかりです。親友のSちゃんも、いつも気にかけてくれています。たまちゃんも、一緒に今の波を乗り越えようと挑戦中です。 私は、まだまだの人間だけれど、多くの素敵な人たちが、たくさんたくさんいるので、勇気をいっぱいもらって、心優しい、(自分の心に)強い人になりたいです。 今日、九州が、梅雨入りしました。マンションの下には、青い美しいアジサイが咲き誇っています。これから、(ちょっぴり嫌なときもあるけど)雨が降って、このアジサイたちが、色とりどりに変化し、競演することになります。私も、私らしく、自分の人生が開けるように、雨の6月も、笑ったり泣いたり、ドラマいっぱいで、いい1ヶ月になりますように。 母の日に続いて、父の日(父の誕生日もあります)。親孝行したいなあ。
2007.06.01
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ともかくよかったです。一人の人が、大事に至らず、生きていてくれてよかったです。 最近、自分の人生を長く見ることにしました。ああ、長いとは限りません。明日、交通事故にあうかもしれません。誰にも、自分の人生の長さはわかりません。ただ、焦らないで、じっくり自分をつくる時間をつくろうと思いました。 人間は、生まれるまでに、他のどんな動物よりも長くお母さんのおなかの中に、いて、一人で生きていけるようになるまで、どんな動物よりも長い時間がかかります。平均寿命は、他の動物の心臓の大きさに比べて、生物学的にとんでもなく長く生きる生き物です。 この数年間、毎日生きるので精一杯だったので、少し長くゆっくりと、自分の人生を考えることにしました。ジタバタしても始まらないし(訂正:ジタバタし通しです)、あとで振り返って、あの時があったから、と人生の転機になるような時にしたいと考えました。焦ることは何もないなあ、と思いました。生きることができる、ということが全ての始まりです。そして、どう生きるかが、次の問題です。 まだまだ、自分は小さな自分です。誰かと生きる、というところまで、全くいたっていないことにも気づきました。もう少し、自立しないといけません。もう一歩、完治までじっくり時間をかけないといけません。 いろいろと考えることが多い毎日です。それも、全部人生です。 死ぬことを考え抜いて苦しみぬいて、初めて人は生きる意味を考えることができる、ということを実感しています。私の人生も、これからです。
2007.06.01
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