2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全29件 (29件中 1-29件目)
1
2時だったか3時だったか、テレビをつけたら奥様情報番組をやっていて、松尾伴内りリポートで「おちょうじゃ夫人」なるコーナーが始まった。おちょうじゃ夫人。セレブの中のセレブっていうのんですかな、そりゃすごい暮らしぶりでしたわ。イタリア製大理石のフロアに2000万円もの(たぶんそれぐらいではないでしょうか…と金額も定かでないご様子よ)豪華シャンデリア。リビングのペルシア絨毯なんてあなた、ネコのツメ研ぎになってますのよ(ちなみにこちらも2000万円)。ほほほほほ。毎日お義父様は特別に仕入れましたお刺身を、ご家族は毎日良質なお肉を召し上がられるんだそうですの。お肉は「ほんの少しだけ」と言いながら、グラム3000円ですって。1ヶ月、肉代だけで90万円ですとー。ひょえーっ!!!!おちょうじゃ夫人のアクセサリーもケタをはずれていらっしゃって、けれど自分でどういうのをお持ちなのかとんと無頓着。1000万円するのが1個ぐらいなくなってもヘッチャラみたい。ああ、仕事してんのがバカくさくなっちゃうよ。それで生活への満足度が「40点」なんて言えば、人に言えない苦労もあるのねと同情もするってもんだけど「99点」ですってよ。「まあ、気持ち的には満点なんですけどね」って。キーッ、くやしー。逆立ちしたっておちょうじゃ夫人にはなれないのね、アタシ。
2004年03月31日
姑ちゃんが春休みに孫を連れてどこかへ行きたそうだったので、彼女のフトコロをアテにして高松まで行って来ましたわ。ふほほほほ。去年の春は京都・奈良に一泊旅行だったけど、今年は私もダンナも仕事の都合がつきそうになく、日帰りでどこかにということになったのだ。空いているのは今日のみ。天気が悪いことはわかっていたので、わざわざ遠方まで出かけてガッカリすることもないよねと近場を選んだ。「雨の日にフェリー乗ってみたい」というKAIのリクエストもあって、行き先はサンポート高松。名前を聞いたことがある以外、ほとんどどんなところかわからないまま、「たぶんフェリー乗り場から見える場所だよね」程度の知識でGO!!フェリーを降りて右に行けばたぶんサンポート。そこを左に曲がって、まずは12月に友人たちと行った「北浜アリーナ」に向かう。上海からの輸入家具を売っているお店やお洒落な雑貨屋さんやカフェなど、アンティークな倉庫を改装したショップが集合している一角だ。輸入家具のお店では、チベット製の小さなたんすがとってもかわいくて、思わずカードで買って帰ろうかと。ま、結局は思いとどまったんだけどね。でもさー、ここには私の気をひくモノたちがいっぱいあって、ちょっと余分に時間を費やしてしまったわ。韓国の薬棚、上海のバンブーベッド。欲しい欲しい!!!KAIは別のアジアンショップで、バリ雑貨なのかな、カエルと黒ウサギの小さな置物をお小遣いで買っていたわ。一通りショップを回って、雨の中しばらく歩いてサンポート高松へ。どういうものがあるところなのか、なーんの情報も持たないで行ったら、サンポートタワー周辺は平日というのに結構な人。テレビの取材らしきクルーも何組か来ていて、ふーん、ここって人気のスポットなのねと思っていたら、なんと今日は「マリタイムプラザ高松」というショッピングモールがオープンしたところだったのよ。あぁ、そう言えばテレビでCMやってたな。高松のことだから関係ないやと気にとめていなかったのよ。でも規模は大きくない。ちょっと歩いて回ったら、それで終わってしまった。姑ちゃんもあまりにお金がかからず安心したのか(笑)、帰りはなんでも食べたいものをおごってあげるわと太っ腹のお言葉。シャブシャブをたらふく腹に収めて来ましたわ。春休み、バンザイ。
2004年03月30日
生理痛なんてあんまり経験したことがなかったのが、7年前に卵巣の手術をしたとたんに、これを感じるようになった。3ヶ月に一度だった生理も月に一度きちんきちんとやってくる。んー、これが「普通」というものなんでしょうなぁ。でも、女の体を持ちながら、ちゃんと機能していなかった私には特別なことに感じるよ。とにかくだるい。痛い。何よりこんなことが月に一度なんてめんどくさぁ~~~このにぶい痛みは陣痛の弱いやつだよな。どうして子宮ってやつは、自分の痛みをこうもストレートに体に感じさせてしまうんだろうかな。んもぅ!!!ははは、男にゃわからんネタですみませんね。
2004年03月29日
本日の「題名のない音楽会」にテノール歌手・新垣勉さんがご出演。森山良子や夏川りみでもおなじみの「さとうきび畑」だが、私は彼のが一番心にしみる。胸の奥が熱いような、苦しいような、そんな気分になるのだ。おとといの朝日新聞「天声人語」に、森山良子がこの歌のことを「自分の歌唱の非力さを痛感させられた初めての曲」と述懐した旨が書かれてあったけど、歌詞の「ざわわ」に込められた想いの深さは相当なものがあるんだろう。戦後の沖縄、米国軍人を父に生まれた新垣さんは、盲目というハンディもしょって生きてきた人。神様から与えられた声の才能は、そういう人生によっても磨かれてきたのかなぁと思う。「さとうきび畑」は彼のための歌、という気がするんだよね。
2004年03月28日

高校の校舎が新しくなるという。その前に、思い出の校舎で会いませんかと「ホームカミングディ」なる一日が設けられた。現在の校舎に馴染みがあるのは、昭和46年卒以降の人らしく、幅広い年代の同窓生たちが一堂に集まることとなった。ちゃんと幹事がいるような、活気のある年度の卒業生には、それぞれの教室が与えられ(たとえば私の年度なら2Hに集合というように)、そこに行けば懐かしい顔に出会える。ほかにも校歌演奏があったり、先生の講義があったり、模擬店やOBが参加しての部活動など、いろんな場所でいろんな催しがある。一種のお祭りだ。家族連れOKとのことだったので、KAIも連れて行った。同窓生にはKAIのことは知られていないはずだったのに、校門をくぐったらすぐに友人に手招きされて、「ああ、これがKAIくんなのねー」と囲まれた。テレビでは私の旧姓は出ていないし、なんで知ってんだろう?と思ったら「だって、miraicciは全然顔変わってないもん。テレビも新聞もすぐにわかっちゃった」んだって。えー。私、自分ではむちゃくちゃ顔変わったと思っていたからびっくりしたよ(笑)。そうなの?私、あんまり印象変わらないのかなぁ???学生の頃から、人の顔も名前もあんまり覚えられない私は、やっぱり今日も誰が誰だかわかんなくて、「知らない人」といっぱい話してきました(笑)。今、甲子園に出ている高校の校長先生している人が、当時化学を教えてくださった先生で、「おめでとうございます」と言ったらとっても喜んでくださったり、苦手だった数学の先生に「お元気ですか?」と声を掛けたらとってもにこやかに話が弾んだり。あーこんないい先生だと気づいていれば、当時いろいろ質問して、もっと数学の勉強しとくんだったわ~。赤点スレスレのところを歩いていた私、今になって後悔しきり。マネージャーやってたサッカー部は、今日はいろんな年代が集まってのOB戦も開かれて、あの頃のようにグランドのはしっこに座って見てみました。毎年開催するOB会に出席できない先輩や同級生の姿もあって、ものすごく懐かしい気分。暑い日も寒い日も、いつもこうしてマネージャー業やってたんだよなぁ。練習日誌つけたり、ゼッケン洗ったり、部費の徴収でオニと呼ばれたり…。くーっ、泣けるぜ青春時代。高校の記念グッズの販売もやっていたので、こういうの買ってみました。私が通っていたA高校、夏服を着た熊ちゃんです。かわいいでしょ?
2004年03月27日
うちのぼっちゃん。元気よく通知表を持って帰ってきたよ。え、内容?そんなことは、別にどうでもいいわ。問題は、袋の中に、通知表と筆記用具しか入ってなかったことかな。「あんた、上靴はどうしたんよ?」「あれっ、持って帰ってない?」「ないから聞いとんのじゃ」「そういえば学校で記念品みたいなのもらったよ。筆箱の中、見て」「それもないよ」「えー」「えー」はこっちのセリフよ。小学3年生最後の日、いろんな忘れ物をして帰った我が息子よ。2学期の最後の日にもいろんなものを忘れて来て、またそれを取りに学校に逆戻りしたの、なーんの教訓にもなってなかったのね。もしかして、お・ば・か、さん?ふぅ。おばかさんは絵が好きってとこだけを認めて、それを伸ばすしかないのかね。今日は天気も良かったので、ついに自転車に絵を描かせたわ。地味にね、爽やかにね…と言っておいたのに、私の自転車にはショッキングピンクのハートやら鳥やらが描かれている(小さいけど目立つのよ)。ぼそっと小さい声で、「おれはこんな自転車乗りたくないなぁ」とつぶやいたの、聞き逃さなかったよ。じゃあ、私が乗るのはいいってわけですかい!!!……なんて、せっかくの絵を描く意欲をそいではならない的なことを、今日テレビで教えられたとこだった。NHKの番組で、画家のマヤマックスって人と先生っぽい男の人が子どもの絵を批評(?)してた。その中で、「9歳」というのは、絵の壁にあたる時期なんだそうで、それまでただ好きで描いていたのが「自分の絵は他人からどう見られているか」とか気になり始めて、きれいに描かなきゃというのが壁になるらしい。それを上手に乗り越えさせるためには、親や大人たちが「ここがステキよ」なんておだてまくらなきゃならないって(ん、随分かいつまんだ説明だけど、たぶんそういうことだと思う)。ま、うちの場合、ハナからうまく描こうとは思ってないし、「今のままがいいんよ」と周囲からおだてまくられているから、9歳の壁の心配はないわね。番組では、「この子はシャワーの水を描きたかったんですねぇ。ほら、水の描き方に技術を使ってますよぅ」「この屋根には夕日が差し込んでいたんでしょう。このオレンジはたぶんその色です」と子どもの絵を解説してた。みんなとっても上手だったけど、夜、同じNHKでやっていた“みうらじゅん”のアート番組に投稿してきた子どもの絵の方が、数倍バカバカしてくおもしろかったな。
2004年03月26日
寝ちゃいました。昼寝ですわ。お~ほほほほ、私ったら2時間も。優雅?怠惰?昨夜もいつもより早い時間に寝ちゃってるんだよねぇ。睡眠時間、子ども並じゃーん!!!これは、おそらく自転車磨きの疲れだわ。今の自転車、購入したのがKAIが1歳になる前だったから8年にはなる。その間に掃除したの、1回。乗り物に関しては「乗れりゃいい」という性格で、このあたりかなり私のズボラさが浮き彫りになってきているのよね。でもこの頃、私が自転車に乗っているのを見かけた人から続けざまに「あれっ、あんたの自転車こんなにきたなかったっけ」と言われて(他人に指摘されるほど。よっぽどだ!!)、よくよく見てみたら(いや、よくよく見なくても)サビだらけ!!買ったときにはそりゃもうかっこいい自転車だったのよ。泥よけは木製、サドルは茶色い革。車体はグレーがかった水色。たとえ後ろに子供用シートが乗っかっていたとしても、おしゃれな感じだったのよ。不便とわかっていても、あえて前カゴ付けなかったし。ほほほ、今じゃ見る影なし。この前後ろタイヤがやられて、ダンナが新品のを付け替えてくれた。せっかくだし、車体もきれいにして、これにKAIに絵を描かせちゃおうと思ったのね。サビ落としのブラシでこすったり、ひどいところは紙ヤスリでゴシゴシ。KAIにも「あんたも後ろに乗ったんだから一緒にきれいにしなきゃならない責任はある」とか何とか言って、一緒に掃除させた。ふぅ。でも、まだまだ。やりだしたら止まらないのよね。明日、雨が降らなかったらまた掃除しよ。日曜日にはペイントできるかしら。どんな絵を描いてもらおうかな。“斬られ侍自転車”になるのだけは避けたいけど。
2004年03月25日
いかりや長介の告別式、あれだけ大勢の涙を見ると、さすがにこちらも泣けた。喜劇人の葬儀の時にはいつも感じるけど、あの人は楽しい雰囲気が好きだったから「笑って送ってあげたい」というの、うらやましいなぁ。私もしめっぽいのはいやだから、誰かがこんな風に言い出してくれたらどれだけ幸せだろうか。弔辞とか弔電とかさ、そんなの全部「一発ギャグ」にしちゃうとか。寒くなるのは困るから、どうか皆さん、私の葬儀の時までにとっておきのネタを温めといてください。まだまだ先は長いけど。
2004年03月24日
友達のライブに行って帰ってきたとこ。ライブハウスは満員、この前の時はうっかりスピーカーの真ん前に陣取ってしまい、耳が大変なことになったので、今回はおばさんらしく後ろの方で遠慮がちに体を揺らしてみました。KAIとダンナは一番前。友人はギター担当なので、その前でかぶりつきで見ていたみたい。「オレ、すごい汗かいちゃったよぉ」と言っていたから、KAIはノリまくっていたんだろうな。ステージから飛んできたサルの人形と風船は、どういうわけか私の手に。ま、十分に楽しませていただきましたということで、今日はもう寝ます。おやすみなさーい。
2004年03月23日
みなさま、覚えておいででしょうか。かれこれ2年ぐらい前になりますか、(私の周辺では)爆発的にヒットした「アブジムニック」。ほれ、テレビショッピングでもよくやってた、これをつけるだけで1分間に600回の腹筋運動が…とかいうやつよ。ほほほ、私、これを二つも購入してますの。一時期は朝起きてお腹に装着して位置を変えながら数十分腹筋運動(ホンマか?)をやり続け、実際に体重にも変化はあったのだ。最初は痛かった刺激も慣れすぎて、最大値で普通に仕事したり昼寝ができるほどだったのに――でもね、こういうラクチンなことでも長続きがしないのですよ、私。夜中の通販を見ていると、無性に商品が欲しくなって、ここだけの話、私はスチームバギーもスカイウォーカーも購入している。でも、今ではスカイウォーカーは実家の物置へと追いやられ、スチームバギーは年に一回出番があるのみ。ま、こんな性格だから、アブジムニックも忘れ去っていたわけで。わざわざ二つ買ったのも、両腕や両足に同時に使うことがあるだろうと思っていたのに、結局お腹だけ試して終わっていたしな。あぁ、ダメダメな私。ところがよ、この頃太股のセルライトがボコボコで、風呂で揉んでも「こりゃどうにもならんわな」という状態。去年までは水着になったけど、今年の夏は確実にムリ!!んぎゃー、来るところまで来てしまった。忘れ去っていたアブジムニックが急に懐かしく思い出されて、最後の頼みの綱とばかりに今日は大活躍。あひゃひゃ~、揉まれるぅ~。いったぁ~~~い~~~。今週末に迫った同窓会には間に合いそうにないけど、ちょっと無駄なあがきをしてみることにします。
2004年03月22日
この夏、KAIは二人展やります。8月6日から10日間、パートナーは歳が同じ女の子で、会場のギャラリーオーナーさんの紹介で組むことに。場所は岡山市天神町にあるガレリエ・プント。まだ3年目のギャラリーながら、現代アートを中心に、多彩なアーティストの作品展を企画。そのほとんどは岡山県外の作家さんで「自分の目にかなったものしか作品展をさせない」というかたくななオーナーの信念によるもの。でも、今年は岡山の若手作家たちも支援しようという気になったようで、最年少のKAIに話がきたのだ。一人よりまったくタッチの違う子どもと組ませた方がおもしろいんじゃないかということで、絵画教室に通っているという女の子をパートナーとして紹介され、この話が進んでいるとこ。日程等を決めなきゃならないので、今日はオリエント美術館の喫茶「イブリク」にて打ち合わせ。名物のアラビアンコーヒーを飲みながら、いろんなことを少しずつ前に進める。搬入は前日、搬出は最終日、オープニングパーティーは初日、DMのデザインはこの日まで…。あああ、去年の大変さが再来だ。忙しさは身に染みているので、戦々恐々。相手のお母さんはのんびり構えているけど、会期が近づくに連れて慌ただしさを思い知るよ~。打ち合わせの後、プントに寄って、今開催の作品を観る。若いアーティストで、パーティーで何度か話したことのある人だ。今日は日曜というのもあって、彼女の元同僚という人たちがワンサカ押し掛けていた。私もKAIもパートナー母子も、別々に鑑賞していたら、一番奥でKAIがお客さんたちに囲まれていた。あれっ、KAIくんってテレビに出ていた子じゃないの?と。ここでもマスコミ効果を思い知る。みんなよく覚えているよなー。もうずいぶん前の話よ。私なんか、自分に関係ない人の話題なんて、すぐに忘れちゃうけどな。ましてや子どものネタなんて。今度のがどれほどの話題になるかは知らないけど(親切なオーナーさんはいろんなところにPRしてくれている様子)、がんばった内容にはなりそうです。KAIはアクリル、ポスカラ、水彩などの作品約20点、ドローイング数10点を出展予定。お楽しみ(?)に。そうそう。それと、今日からいつまでか知らないけれど、岡山城すぐそばの衛生会館喫茶にKAIの絵展示しています(私が搬入したわけじゃないので、よくわかんないけど)。お近くに寄られる方はついでにのぞいてみてねー。
2004年03月21日
祖母が亡くなって6年、祖父が亡くなって3年経った。祖母は花の開花を楽しみにしていながら、3月の末に倒れ、4月を迎えて静かに亡くなった。あれほど見たかったのだからと、どなたかが開き始めたばかりの桜の枝を持ってきてくださったのを思い出す。残された祖父はその後に痴呆が進み、亡くなる前には孫の私の顔はわからないようだった。元気な時代も物静かな人だったけれど、いよいよ無口になり、最後に会った日にも私が「元気でね」と一方的に話しただけのような気がする。その翌日からKAIと旅行に出かけ、上海で4日間を過ごして帰った空港で「亡くなったよ」と聞いた。ちょうどそれが葬儀の最中で、急いで教会にかけつけたらいよいよ棺を閉めるところ。その絶妙のタイミングに周囲を泣かせてしまった。偶然にも、どちらも桜の時期に召されてしまった。社交的な祖母と寡黙な祖父は、むちゃくちゃ対照的だったのに――。今日は敬虔なクリスチャンであった二人のために牧師さんを招いて、追悼記念会(←法事とは言わないのよ)を開いた。父は二人兄弟なので、一族が集まるといっても大した数にはならないけれど、孫・曾孫まで集まるとそれはにぎやか。従妹とも久しぶりの再会だ。賛美歌を歌い、聖書からのメッセージを送られ、祈りがあり、そして召された二人の「思い出を語る」というのがある。父はまだ自分が幼かった頃、空襲ですべてを失った祖父の苦悩を語り、一番年若い従妹は、祖母が自分の就職をとても喜んでくれた話をした。私は80歳ぐらいの祖父から(彼は90歳を過ぎて痴呆が進んだのだ)「この頃あまり走れなくなった。前は40キロぐらい大丈夫だったのに、今は20キロぐらい…」と言われたことを話した。車酔いの激しかった祖父は、どこにでも自転車か走りで出かける人で、趣味は山を走ること。私はそれに一度も付いていったことはないけれど、お弁当と着替えのシャツをリュックに入れて、一人で山のお気に入りの場所まで行っていたようなのだ。恐るべし!!二人の遺骨は教会のお墓に分骨してあり、百合やデルフィニウム、バラのようなトルコキキョウの花束を抱えて行く。お墓のすぐ近くで、あれはカンヒザクラか、色鮮やかな桜がちょうど見頃だった。
2004年03月20日
マネキン人形たちが演じるブラックなお話「フーコンファミリー(オー!マイキー)」でおなじみの「バミリオンプレジャーナイト」。その総集編をCSでやっていたので、ビデオに録っておいた。その中で、“ママミルク”が奏でるアコーディオン、やっぱりいいよねぇ。
2004年03月19日
小学校の卒業式だったので、小3のKAIは自宅学習(…という名目の休日)だった。ゆっくり起きてくるのかと思ったら、いつもより30分遅いぐらいの起床。朝からとってもマニアックなCD「ちょんまげ天国inDEEP」で過ごす。いつもはチョコチョコ落ち着きなく動いている愛犬・みかんが、今日はトリミングにお出かけ。市内の専門学校のアニマル系コースで、トリマーの卵たちに“きれいきれい”してもらうのだ。朝車で迎えに来てくれて、夕方送ってきてくれるのでとってもラクチン。しかもトリミング料金は1500円と破格なのだわ。ほほほ。で、今日はKAIとふたりっきりよ。ある施設の一角にギャラリースペースを提案したいから、よかったら子どもの絵をという話があって、今日、KAIは四つ切りの画用紙に絵を描いた。大きな桜の樹があって、そのしたで二人の町人が宴会してる、なんとものどかな絵。重箱にはちゃんと柄が描き込まれていて、その中になんだか知らないけど料理がぎっしり詰まってる。満開の樹からはヒラヒラと桜吹雪。岡山市内の桜開花は25日頃になりそうと、テレビで言ってたわ。えっ、もう来週じゃん。みんな、花見はどうするの?
2004年03月18日
クラシック界の世界三大コンクールに数えられる「チャイコフスキー国際コンクール」(4年ごとにモスクワで開催)のジュニア部門、「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」が、倉敷で開催されている。今回が5回目、日本での開催は2度目なんだって。簡単な説明を読んだら、世界22の国と地域から予選通過者160人が集まっての開催なんだそうな。部門は、ピアノとヴァイオリンとチェロ。今日はチェロの最終審査2日目で、その様子を見に行く。…と、まるで私が熱心なクラシックファンかのように書いたけど、実は「チケットあるよ」とデザイナーの友人からご招待をいただいたまでのこと。チケットあるなら見に行ってみようかのノリ。だってチェロのことはよく知らないんだもん。うちにはパブロ・カザルス(有名なチェロ奏者らしいよ)のCDが1枚きり、それもほとんど忘れかかってるし。デザイナーTさん、Jさん、私にKAI。みんなほとんど知識のないまま会場に向かう。ステージにはオーケストラのセット。チェロの独奏なのかと思っていたから、違うのね。会場の中央にはずらりと審査員席が取ってあって、それ以外は自由席。意外に観客は少なくて、いい場所でゆったり見られそう。チェロ部門に何人の出場者がいたかは知らないけれど、3日間に渡る1次審査と2日間の2次審査を通過した7人が最終に残っている。昨日の1日目で4人が、今日の2日目で3人が演奏することになっていた。プロフィール写真を見ると、奏者のなんと幼い表情か!!1987年生まれ、1988年生まれ……1990年生まれって、ついこの間誕生したばっかって気がするじょ。そういうジュニアたちがここにやって来てるのね。すごいわ。クロアチアのルカくんは、色白の美少年。指揮者も見ないでまるでワルツでも踊っているかのように優雅なリズムで演奏した。最初は若い音だなぁと思っていたのが、どんどん調子が出てきて、心地よい演奏を聴かせてくれた。ロシアのアレクセイくんは、無表情のままチェロを操る。初めの方は走りすぎているような気がしたけど、感情のこもった深い音を出していた。オトコマエのルカくんもよかったけど、彼のはチェロの魅力をたっぷり聴かせてくれる弾きっぷりだった。最後のフョードルくんもロシア出身。写真では幼く見えた顔も、実際の彼は堂々として、一人前の奏者の風格だ。ダイナミックな弾きっぷりで、バックのオーケストラを「従えている」という風に見えた。そりゃ、すばらしいもんでしたよ。演奏後には拍手が鳴りやまず、声援に応えて3度もあいさつに出てきたほど。審査員(ロシアの人なのかなぁ。音楽家ですって感じの人がいっぱいで、ここはどこの国?と思うほど。ちなみにオーケストラは「ロシア・シンフォニー・オーケストラ」。こんな身近でレベルの高い演奏が聴けて得した気分!!)のひとりが身を乗り出すようにして見ていたのもナルホドとうなずけるわ。30分以上の間があって、それから結果発表となった。昨日の演奏を知らないので、どうなのかな?とは思っていたけど、1位はフョードル・アモソフくんに決定。うんうん、感動的な演奏だったもんねぇ。まだ16歳の彼が、この先どんな音楽家に成長するか楽しみだわ。
2004年03月17日
あぁ、どうしてこう仕事のペースが落ちたかねえ。若い頃のバリバリ感はどこへいっちゃったんだろう。仕事をためこんでは煮詰まってばかり。会社案内1冊ぐらいあっという間に仕上げてしまっていた私、あれは手抜きしていたわけじゃなかったよねえ?コピーを書くというのは、実はとっても地道な仕事だ。アイデアはぽーんと浮かぶことはあっても、それは柱まででしかなくて、形に組み立てていく工程でいろんな調べごとも生じてくる。若い頃に比べて少しは考えるようになったのか、それとも仕事の仕方がずいぶんと丁寧になったのか、言い回しひとつにも結構悩んでいる自分がいるよ。あぁ、こだわりが過ぎるようになったんかぁ?!トホホ、頑固ジジイの極致かよ。いよいよ銭形平次が始まるんですな。朝、KAIと一緒にワイドショー見ていたら村上弘明が出ていたわ。遠目に映っていた時、「えー、こんなやつ平次には似合わん!!」とご立腹だったKAIも、村上氏がちゃんと目張りをしているのを確認して「よしっ、平次はこうでなくっちゃ」と放送を楽しみにしているようだ。大川橋蔵ファンのKAIは、平次のイメージにかなり執着している。目が3倍になってる!!というほどの橋蔵の厚いアイラインが特にお気に入りで、なぜか次に平次役やるなら同じアイラインばっちりの杉良太郎と勝手に設定していたのだ。時代劇チャンネルの見過ぎで、どうも彼の中では杉良太郎は“駒形の新五親分”から歳を取っていないらしい…平次の子分・八五郎には「アリtoキリギリス」の石井正則。顔見せで、「ぼくは小さいので、てっきり銭の役かと思いました」と言っていたのは腹がよじれるほど笑ってしまったわ。
2004年03月16日
ラジオを聴いていたら、EPOの「う、ふ、ふ、ふ」が聞こえてきた。懐かしいなぁ。今日のような陽気にふさわしい春の歌だ。夜中に、この歌をberetという今時の人のヴォーカルで聴いたところだった。私にはボサノヴァ調とフレンチポップの聞き分けができないんだけど、とにかくそんなカフェっぽい「う、ふ、ふ、ふ」だったわ。高鈴というユニットが「リトルダンス」というのを歌っている。ワルツのような…と彼らを紹介するページで表現していたのが印象的。そうだ、ワルツ。とっても心地よくてまた聴きたくなるようなリズムだった。高鈴がどのぐらい認知度があって、どの程度人気なのか、最近の音楽事情に疎い私にはわからないけど、いい感じだったよ。
2004年03月15日
日本画家、アラン・ウエストさんの個展最終日。オープニングのパーティーにはどうぞと声を掛けていただいていたのに、体調不良でやむなく欠席していた。同じギャラリーで作夏に開催された前回の個展がすばらしく、アランさんご自身もかなり素敵な方だったので、早く足を運びたいと思っていたのに、最終日の今日になってしまった。今日はアランさんが会場に来られ、講演があるというので、もう何が何でも行かなきゃと、姑からの「温泉行かない?」の誘いを断って足を運んだ。このギャラリーは規模が小さく、目立たない場所の2階にある。けれど周囲には美術館やギャラリーが集中し、一度この場所を覚えてしまえば美術ファンにとっては都合がいい。展示の壁は白いペンキを塗っただけ、天井はコンクリート剥き出しのような感じで、床も寒々しい。妙にお化粧を施していないので、どうとでも作家が自由に形を変えられるから、それがまたおもしろいところでもある。今回は床に畳を敷き詰めて、風雅な和室が完成していた。そこに掛け軸やら屏風やら、アランさんの作品が並ぶ。御神木と題した掛け軸は6本、それぞれに梅や銀杏や、さまざまな樹が描かれている。すばらしい!!アランさんは東京に在住のアメリカ人。この頃はテレビや雑誌などにもよく取り上げられているようだ。最初にお目にかかった時にはあまり知識がなかったのだけれど、広くご活躍の方なのだと知った。夏には、地元の美術家の方々が口々に「アランさんの作品が、まさか岡山で観られるとは思わなかった」と興奮して話しておられた。うん、そうなんだろうな。ここのオーナーがかなり“熱い方”で、アランさんに直接電話して「すぐにそちらに向かいますから」といきなり東京のアトリエに現れて、話が進んだのだという。地元にこんな活動的なギャラリーオーナーがいるというのは、私たちにとっては心強い。アランさん曰く、掛け軸にしろ屏風にしろ、作品が持ち運びしやすいから作家にとってはありがたいのだと。大きなパネルやキャンバスをそのままというのは送料を考えるだけで頭が痛いけれど、実際このアランさん、アメリカで作品の時には、自分で掛け軸もって飛行機に乗ったのだと。大学時代の恩師が、中国の美術館で作品展をした時、コンテナの輸送料を考えるとびっくりだよと言っていたのを思い出す。いいぞ掛け軸、日本文化ってすばらしい!!!屏風に関してもおもしろい考察をされた。キャンバスなどに描かれる一枚の絵は、窓枠から外を見ているようで、自分と絵を遮断するものがあるけれど、屏風は絵として観ながらも自分がその世界に入っているような雰囲気があるのだと。角度を変えて飾れる屏風は、奥行きや空間を感じさせられる、と。日本人の多くが見向きもしなかった日本画に、彼は新鮮な目を注いで、自分の世界を投影する。その作風も、“外国人が描いた日本”という突飛なものではない。かといって、わざわざ日本風にしているのでもない。日本の床には畳があり、木の幹のように柱が立ち、枝のように梁が伸びる。一方、アメリカなどでは床に樹を感じさせるフローリング、壁には花や植物をあしらった壁紙。人間が自然とともにに生きることがいちばんやすらぎを感じられる所以、と彼は語る。ふーん、なるほど。そうであったか!!…そして、アランさんの作品には、四季の自然が盛りだくさん。機会があったらぜひご覧いただきたいわ。アラン・ウエストHPはこちらhttp://www.allanwest.jp/japanese/index.html
2004年03月14日

こんなチョーカー作ってみました。古いペンダントをほどいて取り出した古い革ひもに、それにインドだかアジアのどこかだか、20年前に買い付けたというビーズと、金色のワイヤーを組み合わせて。ほかにもふたつ。麻ひもに素焼きのような色合いの玉をつかったのと、ガーネットのような赤い色のガラス玉をつなげたの。なかなか充実した時間でしたわ。えっ、私にこういう趣味があるって意外?
2004年03月12日
「徹子の部屋」に福本清三氏ご出演。ラストサムライの、トムクルーズの護衛役で一躍有名になった人だけど、それを言わなきゃハリウッド映画のイメージからは随分と遠い。注目も高まって、きっと彼を取り巻く環境や目は変わったことだろうと思うのに、相変わらずの口べたぶりになんだか安心。いや、見ている間は、「トークで失敗しないだろうか」と子どもを見るような思いでちょっとハラハラしていたのだけど(60歳を過ぎたおじさまに対して…)。テレビに出るよの情報をくれた友人Tさんに、感謝。“暴れん坊将軍スペシャル”が待ち遠しいわ。…………ホワイトデーが近づいた。なんとKAI、バレンタインには10個のチョコをもらっている。おばあちゃんたちからのもあるから、純粋に友人からのは5個。学校に持っていくのもなぁ~と思っていたら、昨日はそのうちの2人の女の子と遊ぶというので家まで持って行かせた。例のSさん。あれほど頻繁にデート(?)していたヒータンとは、この頃ちっとも約束をしてこない。席替えしたこともあって、学校でもあんまり話さないんだって。それをいいことに、もうオレらの関係は終わった…と勝手に自然消滅させちゃってるKAI。Sさんとの関わりはますます親密になったようで、そういや週に一度は遊んでいるよな。自由帳にメモっていた電話番号もたぶん彼女のものと思われる。軽い男よのぅ…。今日は別の女の子2人が一緒に遊ぼうとやって来た。好きな子が混じるとイソイソと出かけて行くのに、ただの友達となると準備がおそいこと。で、ひと遊びしたらさっさと帰ってきたわ。なんだ~、こいつ!!
2004年03月11日

10年来のおつきあいの美容師さんが、去年の年末、急に仕事をやめなきゃならないかもと言い出した。お父様が闘病生活に入られ、もう長くはないとのこと。年老いたお母様も体調を崩され、一人息子としては放っておけなくなったのだ。こういう色にしたい、こういうヘアスタイルにしたいと言わなくても、その時代時代の私らしい雰囲気を作ってくれた人だから、彼がいなくなると非常に困る。でも、その事情を思うと「やめないで」とは言えなかった。しばらくして、父親の看病のことはあるけれど、週に1,2度になるかもしれないけど、しばらくはこのペースで仕事を続けていこうと思うと電話があった。私も、店の前を通りかかって開いているようならその時にお願いするようにするわと答えておいた。今日、たまたま買い物があって店の前を通りがかったら、シャッターが開いていた。電話したら「今来たところ」と。ラッキー!!今年に入ってすぐにお父様が亡くなられたと聞いた。そして、お母様が本格的な闘病生活に入られたのだとか。四十九日が終わったところで、生活のペースも元通りというわけにはいかない。…と、淡々と話す彼を見ていたら、不覚にも私が泣いてしまった。それでも、今日のピンク色の服に映えるようにと、そして私の仕事の展望も明るくなるようにと、軽いヘアスタイルにカットしてくれた。カラーリングは「あまり明るくないのがいい」と、こげ茶っぽくしてもらった。少しやせた?今日はオッパイのラインがかっこいい!とお世辞ももらって、いい気分で店を出た。独身の彼、いつも「結婚するならmiraicciみたいな人がいいなぁ」と、だーれも言ってくれないことも言ってくれるので(商売トークとはわかっちゃいるが…それに、その理由ってのが「だってダンナに頼らずバリバリ働くタイプだから、何があっても安心そう」っての)、ヘアスタイルと同様に心の中も華やぐような気分になるのよ。こういう時間があるって、やっぱ幸せだ。初公開、髪を切った私(スクープバージョン)↓
2004年03月10日
なかなか手に入らないコンサートチケットを、なぜか手に入れてしまった。別に興味があるわけじゃないライブ。でも、周囲から「ええっ、これに行かないなんてもったいないじゃない」と言われて、どこの席だかわからないままとにかく会場に足を運んだ。ドリカムのコンサートだって。会場は熱気が充満。どこの席だ?なんと前から3列目。それも中央の通路のかたわら、ほぼど真ん中の席だ。時間ぎりぎりだったから、もう開幕間近。早くあの席に着かなきゃ……と、思ったところで目覚ましが鳴った。おかしいと思った。私がわざわざドリカムのコンサートに行くわけないのだ(笑)。別にきらいじゃないけど(昔はカラオケでよく歌ってたし)、特に興味もないもんね。なのになんでこんな夢見たんだろうかな?今日、KAIは学校である冊子をもらって帰った。「少年少女の詩」、夏休みに書いたのを出しておいたのが佳作になったのだった。1年生の時には、KAIにしてはなかなか可愛い詩を書いて同じく佳作だった。でも内容からすると、あまりに当たり前でつまんなかったんだよね、私的には。けど、今回のはすごいよ。他の子どもたちが親兄弟や友達との感動の詩を綴る中、KAIのタイトルは「ぼくは時代げきファン」。プププ、もうこの段階ですでに浮いちゃってる。夏休みの作品には、親が手取り足取り指導するというのもよく聞くけど、うちは放ったらかしだからねー(きれいな字で書きなさい程度は口出すけど)、こういうヘンテコなのもそのまま提出しちゃったのだ。 ぼくは 時代げきが大好き。 ちょんまげ頭は かっこいいし、 着物すがたもいなせだね。 いつもどこかで事件が起きて、 お江戸の町は にぎやかだ。 ぜに形平次も、北町ぶぎょうも、 みんな悪に立ち向かって、 そして、かならず正ぎが勝つ! ぼくは そのシーンを見ると、 むねがすっとするよ。 時代げきの世界に入れたら、 ぼくは ぜに形平次の子分になりたい。 頭をちょをんまげにして、 着物を着て、 十手を持って、 町の平和は ぼくが守る!
2004年03月09日
友人たちが「いいもの」を抱えてやってきた。手作りパンとババロア。うははは、なんという美味さよ。持つべきものは料理上手の友人ね。お腹も心も満たされましたわ。また来ていただかなくては。月曜から取りかかりますからと泣きを入れた仕事、これがなかなか進まない。静かすぎる環境は苦手なので、CDやラジオやテレビで音を流し続ける習性のあるmiraicci。今日はテレビをつけておいたら「コックと泥棒、その妻と愛人」が始まった。これ、何度も観て、最後に後悔している映画。あまりにもグロすぎなんだもんっ!!でも、ゴルチエの衣装はかっこよくて、映像は美しい。皿洗いの少年のボーイソプラノがまたなんともいい雰囲気なのだ。エロチックで高尚で、暴力的。そして最後には「観るんじゃなかった」と思う――ので、今日はチラチラ横目で映像を楽しんで、いよいよというところでチャンネルを変えた。仕事が一段落した午後5時。KAIと一緒に土手を散歩した。運動不足を解消しないと、体が重くてたまらないんだわ。ツクシが一面に広がっているというヒミツの場所に連れて行ってもらったら、本当だ。いっぱいツクシが生えていた。去年はこの比ではなかったらしく、しきりに「いつもはこんなもんじゃないんだよ」と言っていたけれど、ほんの10分ぐらいの間に、今日二人(ダンナは今日は夕食いらないと言って出ていったのだ)が食べられるぐらいの収穫はあった。今年初めてのツクシ、おいしかったわ。
2004年03月08日
日曜日の朝というのに今朝の起床時間は5時半。私にしてはあり得ないほどの「早朝」。ボーッとしたまま服を着替えて適当にお化粧して、宗教関係のテレビ放送を見た(いや、別に好んで見ていたわけじゃないんだけどさ)。県中北部の町に取材だった。どのくらい寒いんだろう?わからないのでとりあえず着込む。黒のセーターの下には久々のババシャツ。保温効果はバッチリだ。ディレクターT氏とカメラマンH氏とともに、現地には8時着。地域の奉仕活動みたいな取材だったんだけど、代表のおじさんがとっても人なつっこい方で、取材に直接関係ないことまでよくしゃべる(笑)。話の端々から自分が生まれ育った地元を大切に思う気持ちが感じられて、こういう人がいてこそ地域というのは活性化するんだな、と思う。土地の形状や歴史や、いろんなことを知っているから、行政の仕事に関してもNOと言える――そういう強みも持っている。子ども時代からの長年のつき合いで、それぞれの個性も知っているから、おのずと役割分担ができて、それで地域活動がうまく回っているという気もする。この前の勝山もそうだけど、小さな町だからとあなどってはいけない。そういう町だからこそリーダーの声は届きやすく、団結した時の力というのは強いんだよなと思いながら取材した。ただ、今でさえ町内の活動にほとんど無関心な私としては、この町で暮らすにはちょっと息苦しいかも…。昼前には取材終了。テレビで紹介されていたお店を探し当てて昼食をともくろむも、残念!!たどり着いたら今日は定休日。どこで食べよう?と散々考えた後、石焼き釜で焼いたピザを食べさせてくれるお店へ。大好きなマルゲリータを食べたよ。Tさん、ごちそうさまでした。
2004年03月07日
昨夜からゴックンとするとノドが痛い!!ひぇー、この症状、1週間前となんだか似ている。もう高熱で寝込むのはご免だ、と思って用心のため朝から病院に行く。明日は早朝から取材が入っている。日曜日だからと寝てはいられないし、「今仕事が手いっぱいなので」と私にしてはめずらしく納期を待ってもらっている仕事もあるのだ。病院で処方された薬は4種。それに熱が出た時のためにと解熱剤ももらっておいた。おそい朝食の後に薬を飲んだら効きすぎ、もうろうとする意識の中でFAXが届いたのはわかったけど、その後の電話は取ることもできない。代わって対応したKAIが「お母さんは寝ています」だと。そんなー、グータラな母親みたいじゃないかぁ…もうずーっと、土曜日はKAIや私の体調不良でつまらない時間を過ごしていたので、今日こそはギャラリー巡りでもしたかったのだけれど、残念。薬のせいで1時間ほど動けなかった以外は仕事で過ごしている。こんな母を不憫に思ったか、KAIに買い物を頼んだら、自分のおこづかいで「たこ焼き」まで買ってきた。なかなか帰ってこないと思っていたらそういうことか。激安スーパーの前にあるたこ焼き屋、大きいたこ焼きが6個入りで100円という安さで人気なのだ。今日も行列だったそうで、それに並んでいたんだって。KAIはKAIで、今日は誰とも遊ぶ約束をしていないらしく、めずらしく長時間を同じ部屋で過ごした。人から頼まれている絵があるので、さっと済ませてしまいなさいと言ったら素直に従った。母はPCでコピー書き、息子は机でイラスト。将来もしかしたらこういう仕事関係になったりするんだろうか?今日はCDもつけずテレビで過ごす。時代劇チャンネルで萬屋錦之介の「隠密奉行」というのがあって、それに福本清三さんご出演。本日の福ちゃん、めずらしく派手なレンガ色の衣装を着ておいで。いつもは「どこ、どこ」と目を皿のようにして探すところが、すぐわかる。それも長いセリフまであって、母子で“うほほほうほほほ”言いながら楽しみました。チンピラの親分格といった役柄ながら、わが家では「主役」的扱いで。午後からは吉本新喜劇で、島木譲二のくだらないギャグに失笑。秘かに“なかやまきんに君”ファンのKAIには、物足りなかったかな。
2004年03月06日

勝山町は、今日雪が降った。岡山県の県北、古くは出雲街道の宿場町としてさかえた町だ。白壁の土蔵、格子窓の商家。かつてはこのたたずまいと酒蔵(御前酒蔵元)が有名だったぐらいだけれど、最近では新しい魅力で観光客を集める。勝山を、岡山の田舎町とばかにしてはいけない。パワーみなぎる町というか、とにかくアイデアマンの多い町――と私は見る。“新しい魅力”と先ほど書いたけれど、ほんとに「へぇ」と感心するほどこの町にぴったりの企画を、この町の人自身が生み出しているのだ。たとえば酒蔵はレトロなレストランとして生まれ変わり、さらにコンサート会場としても定着している(しかも、綾戸智絵やケイコ・リー、辻久子もここで演奏している!)。古いたたずまいの「街並み保存地区」では、町の草木染め作家の手による「のれん」が家々の軒を飾る。全戸というのではないけれど、年々「のれん」をかける家は増え、今ではすっかり勝山の街並みの顔となっているような気がする。こののれん、ひとつとして同じものはなく、それぞれの家のイメージでデザインされているというのもスゴイ。そしてもうひとつ。ここ数年、春の勝山と言えば「雛祭り」が恒例となってきている。商家や民家の軒先や家の中まで、それぞれの家のお雛様で飾るこの祭りは、地元のニュースでもよく紹介されているので「いつかは行きたい」と思っていた。今年は3日から7日まで。ここの町の紹介コピーを書くこともあるので、自分の目で確かめる必要もある。そんなところに、母から「木曜日、勝山行かない」と電話があった。ラッキー!!小さな街並み、2時間もあれば十分見て回れるさと踏んでいたのに、それは甘かった。白酒を飲んだり、蔵元で生酒を試飲したり…の時間も入れて3時間はたっぷり。バスツアーなのか、狭い通りはおばちゃんたちでいっぱい。「あかりをつけましょボンボリにぃ~」なんて口ずさみながら、ウキウキ見て回る彼女たちのまあ可愛いこと。ま、行動はズーズーしいので、どの軒先もごった返していましたが(笑)。お雛祭り、読むよりやっぱり「見る」のがいいでしょう。本日、これ以降は写真にてお届けしますね。 私は昭和30年代始めぐらいのお雛様が好きかなぁと思いました。そうそう、昭和40年代のお雛様、わが家の玄関に飾ってあるものも後日アップしますね。勝山のお雛祭りについて、詳しく知りたい方はこちらへ。http://www.town.katsuyama.okayama.jp/kankou/eventjyouhou/ohinamaturi/index.htm
2004年03月04日
KAIとヒータンの恋物語、その後どうなっているでしょう?それがさ、どうやら終盤を迎えたとこみたいなのよ。今日、「ただいまー」と言うなりさっさと服着替えて出かけていったKAI。お目当ての友人に約束の場所で会えなかったとガックシで帰ってきたんだけどさ、どうやらその相手は例のSさんらしいのよね。昨日は親友のYくんが電話してきて「ヒータンちの電話番号教えて」なんてKAIに言っている。そういやこの前、Yくんやその他の男友達と遊んだ時、一緒にヒータンちにも行ってみたと言ってたな。やけにヒータンがYくんにくっつくんだって。「えー、ついに彼女とられたワケ?」とちゃかしたら「いや、オレはもうヒータンはええんよ。それよりSさんとTさん、どっちにするかなー」だってさ。おいおい。ま、YくんはYくんで別に本命がいるらしくて、なんだかややこしい。おーい、誰が誰を好きで、誰がどうくっついてんですかい!!小三の恋愛ごっこなんて、しょせんこの程度なのね。もっとドロドロメラメラすごいものを見せてくれると期待してたのに残念。いや、でも。このドラマのヒロインであるヒータンだけはこれからも目が離せないかもっ!!さてさて、学校では性教育の授業があったらしく、精子と卵子がどう出会うか、そして双子ができるのはどうしてかを夕飯を食べながら詳しく教えてくれたわ。この歳になって初めて一卵性と二卵性双生児の違いを知りました(しかも子どもから聞かされて)。ちょっと奥手な私なのでした。ははは…
2004年03月03日
本日の夕飯は姑ちゃんと。ダンナの休みが火曜日というわが家。男手がいる仕事や姑を連れての買い物は、この日と決まっているのだ。姑ちゃんも火曜日は孫に会えるのをひそかに楽しみにしているらしい。私が「買い物行くけどどう?」と電話する時には必ず、「今日はごはんみんなの分も炊いているから」なんて言うんだもんな。で、今日はこの頃わが家ではとんと姿を見なくなったお刺身が並んだ上、私たちのごはんはマグロ丼。残り物よと言いながら、鯛の塩焼きまである!うははぁー。7時からは「伊東家の食卓」なんてアットホームな時間を過ごし、8時からは姑ちゃんがどうしてもこれは見たいというもんだからさ、雛祭り企画で“天童よしみ”とか女性演歌歌手ばかりが出演するNHKの演歌番組(泣)。横で姑ちゃんに「この子はイメージ変わったよなぁ」とか「前は着物ばかりだったのに、この頃はドレスが多いよなぁ」とか、イロイロ言われるけどちっとも話弾まず。見ないってば、演歌番組なんて…。頼むよ、私に同意を求めるのはやめてくれ。出演者たちがみんなで「黄色いサクランボ~」なんて歌ってる。うう、コワイコワイ。すごい雛祭り見た。
2004年03月02日
ふー、エライ目に遭ってしまった。大人が高熱出るとああなるのだな。金曜の夜中に急に熱が出たみたいで、あっという間に動けなくなってしまった。で、翌土曜日は39度から下がることはなく、布団と布団の間に毛布を2枚かけてもゾクゾク悪寒が。このまま脳味噌が煮詰まっては大変なので、さすがの私も病院に行きましたわ。日曜の朝になって。日曜の朝の市民病院。救急外来なんて初めての私は“自力でやっと立ってます”状態ながら、周囲がどういう状態か知りたくてウズウズ。あー、いるいる。私と同じ、眉毛のない人たち。いつもはきちんとお化粧しているであろう若いお姉ちゃんも、そんなことは言っていられないのね。みんなスッピンでぐったり(笑)。ヴィトンのバッグのねーちゃん(推定20代前半)なんか、長椅子に死んだように寝ころんで「大丈夫ですか!!」と揺らされてるし。嘔吐下痢が止まりませんという子は力無くただ泣いている。わかるよー、私も意味もなく涙出てるもん。熱が出ると、人って泣くのよねぇ。すぐに診てもらえるはずが、救急車が入ってきて私はその後ということになった。腰が痛くて座るのがツライ。不本意ながらダンナに寄りかかる。以前、KAIが夜中に脱水症状が悪化した時に、緊急病院として書かれてあったここに電話したら「小児科医は今いないからなー」と、なにが市民病院じゃーというほど冷たい対応をされたことがある。以来、私はこの病院をまったくアテにしてなかったのだけれど、なんとまあ看護士さんの優しいこと。サービス徹底してますって感じよ。やっと呼ばれて入った診察室でも、先生の優しさに驚きよ。「はい、アーンして。痛いことしないからねぇ、こわくないよー」って。あの~、私一応“大人”なんですけど。そんなこんなで診察も終わり、インフルエンザでもなさそうということで薬3種類をいただいて帰る。行きも帰りも車の後部座席で倒れ込んだまま運ばれました、って言った方がいいかも。前日あんなに寝ていたのに、薬を飲んだらまた記憶がないぐらい寝てしまった。やっと38度代に下がり、夜には平熱に。ずっと寝ていたせいか、歩くとフラフラ酔っぱらいみたいだけど、今日は朝から人と会う約束をしていたので外出。素敵な男性(?)と初めてのカフェでお茶して帰りました。あれは夢なのか、それとも現実だったのか。昨日まで「現実」と信じていたのだけれど、冷静になるとそりゃ違うわなと思うことがひとつ。病院の帰り道、コーンヘッドの男がすっごい乱暴な運転していたのだ。なんだ、あのコーンヘッド!!漫画みたいなへんな頭!!と、腹が立っている私。でもさー、私は後部座席で寝ていたわけだから、外の様子はわかんないよねぇ。やっぱり夢だったんだよね???
2004年03月01日
全29件 (29件中 1-29件目)
1