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4月の最終日、京都は朝から雨が降っています。京都観光について、4か月で一巡してきましたが、果たして宗派が入り乱れて、判らないとご質問がありましたので系統的に記してみます。13派有ります。奈良時代 律宗 大本山 唐招提寺 華厳宗 大本山 東大寺 法相宗 大本山 薬師寺 何れも開祖は 中国人平安時代 真言宗 大本山 高野山 金剛峯寺 空海 大本山 東寺 教王護国寺 天台宗 大本山 比叡山 延暦寺 最澄鎌倉時代 末法思想を救うために、民衆に拡がりました。 融通念仏宗 大本山 大念仏寺(大阪) 良忍 浄土宗 大本山 知恩院 法然 大本山 光明寺 浄土真宗 大本山 西本願寺(本願寺派) 親鸞 大本山 東本願寺(大谷派) 時宗 大本山 清浄光寺(神奈川県) 一遍 臨済宗 京都五山・鎌倉五山 栄西 曹洞宗 大本山 永平寺(福井県) 道元 日蓮宗 大本山 身延山久遠寺(山梨県) 日蓮 以上、開祖が日本人の僧侶 黄檗宗 大本山 万福寺 中国人 隠元鎌倉時代に生まれた開祖は、隠元を除き、比叡山延暦寺で出家・修行を積まれ、経文の思想により、開山となって仏教の教えがひろがりました。一方、高野山の真言宗は、真言宗派として分けてあります。真言宗 善通寺派 善通寺 御室派 仁和寺 山階派 勧修寺 泉涌寺派 泉涌寺 豊山派 長谷寺(奈良) 智積派 智積院臨済宗 妙心寺派 南禅寺派 方広寺派 永源寺派 建仁寺派 東福寺派 天龍寺派 相国寺派 大徳寺派観光もこうした組織を考慮して、訪問しますと趣が豊かになると思います。 清水寺 北法相宗東寺 真言宗 高野山東寺派比叡山延暦寺 天台宗総本山知恩院 浄土宗大本山 西本願寺 浄土真宗 本願寺派 大本山南禅寺 臨済宗五山の上水路閣龍安寺 臨済宗妙心寺派 枯山水の石庭金閣寺 臨済宗相国寺派万福寺 黄檗宗 佛教の宗派如何だったでしょうか。ご案内では大抵宗派を添えていますのでご参考にして下さい。
2013.04.30
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京都物語の今回最終です【比叡山】【延暦寺】比叡山から琵琶湖を望む世の中に 山という山は 多けれど山とは比叡の 御山をぞいう 慈鎮和尚 根本中堂根本中堂延暦寺は東塔・西塔そして横川(よかわ)の三塔からなり、【根本中堂】(国宝)(こんぽんちゅうどう)【阿弥陀堂】【釈迦堂】さして【横川中堂】があります。 見渡す緑の山林の一木一草にも、伝教大師の精神が染み渡り人々の心のふるさととも申すべき聖地でもあります。根本中堂 開基 最澄(伝教大師) 世界文化遺産に登録 平安京の王城鎮護の役も務める。都の丑寅(北東)鬼門の位置にあります。 今から1200前延暦4年(785) 伝教大師最長が、19歳の時に山上に草庵を結ばれ、山川草木一切のものに、「仏性」が宿ると感得され日本仏教の母山と称せられる様になりました。 伝教大師の教えで、【亡己利他】(もうこりた)己の欲を無くし、人の利になるよう、常に心掛けること。 (注 私のプロフイールの座右の銘としています。)【一隅を照らす。これ国の宝なり】その人の存在により、その周囲を明るく照らす。されば世の中は、平和であり、国の宝となるでしょう。 【東塔】【大講堂】僧侶の学問所で、本尊 大日如来 脇侍 弥勒菩薩・観音菩薩延暦寺を本山とする、伝教大師を始祖とするも、経典の解釈に従って、山で修行の結果、各宗教の始祖として、分かれて行きました。空也・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・一遍 等その扁額が堂内飾られています。他には、桓武天皇・中国天台大師・聖徳太子・伝教大師・十大弟子大講堂【開運の鐘楼】自由にお願い事して撞けます。合掌されて余韻の音を聞かれると何ともいえない神々しさを感じます。【根本中堂】【国宝】【延暦寺の総本堂】三代将軍徳川家光が再建•1. 本尊【薬師如来像】は、伝教大師最澄が刻まれた•2. 本尊の前に1200年間と灯し続けられています【不滅の法灯】が輝いています。織田信長の焼き討ちに会いましたが、山形県立石寺の分灯により、受け継がれています。ここから【油断】が生まれました。•3. 須弥壇のある【内陣】が【参拝者】の坐る中陣・外陣より低い谷底の様な場所にあり、仏像や法灯が参拝者の目の高さに来ているのは、「仏も人も一つ」と言う仏教の【仏凡一如】の思想を表現している意で、僧侶は低い内陣から祈祷されています。即ち天台宗の仏殿様式は、僧の謙虚さを表しているとも思われます。•4. 中陣は、挌天井形式で、板には、百花の図柄が掲げてあり、家光により、各大名が献花したもようです。•5. 太い檜の柱は、一本の木の芯を避け、4分の1の柱で、原木の太さが想像されます。同じ「東搭」ですが、「講堂」より西の方に、【阿弥陀堂】が有ります。阿弥陀堂阿弥陀如来像【西塔】 「東塔」から奥比叡ドライブウエイで自動車から降りて、暫く歩を進めますと、【常行堂】(じょうぎょうどう)と【法華堂】(ほっけどう)とが廊下で結ばれています。弁慶が両堂を担ったという伝説から「弁慶のにない堂」と称されています。この両堂で、修行僧が、「朝題目」そして「夕念仏」日毎に唱えておられます。【常行三昧】(じょうぎょうざんまい)慈覚大師円仁が五台山から伝えた修行法で90日間堂内を阿弥陀仏の名を唱えながら回る行といわれています。【転法輪堂】(てんぽうりんどう)【釈迦堂】三井寺の「金堂」を移築された建物で、山内で最も古いものとされています。 【横川】(よかわ)【横川中堂】慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩【恵心堂】(えしんどう)恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が念仏三昧にすごした所です。【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。「横川中堂」からの道中に、西国三十三ヶ所観音霊場が第1番から順次観音像を辿っていきますと、「元三大師堂」に至ります。殆ど人気がなく、静かな雰囲気で回れます。 【四明ケ嶽】(しめいがたけ)839m比叡山の頂上に、遊園地と360度回転展望台があります。遊園地の各所に、「モネの陶画」が飾られ、池には、モチーフの蓮が咲いている時があります。回転台からは、京都市街・鞍馬・大原・琵琶湖大橋・大津・瀬田大橋が順次眺められます。 「将門岩」(まさかどいわ)・「純友岩」(すみともいわ)が頂上近くに存在します。•935年 藤原時平(左大臣)・菅原道真(右大臣)の頃、平の将門と、海賊の首領藤原純友とが、この岩の上に立ち、広大な絶景を見渡していた将門が純友に「お前は西日本を取れ、わしは東日本を取る。同時に事を起こして、再び此処で会おう」と約束したが、反乱は鎮められ再会は適わなかったという、言い伝えが有ります。岩だけが未だに残っています。叡山は良く見えます。訪問された気持ちで東山三十六峰の最北端のお山を偲んで観てください。
2013.04.29
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長岡京市の悲話二題を跡にして、宇治市に飛びます。 禅宗には、臨済宗・曹洞宗そして本日の黄檗宗があります。曹洞宗では、観光寺院としてはなく黄檗宗では、庭園がありません。座禅・修行本意に造られています。 【黄檗山万福寺】 (おうばくさん・まんぷくじ) 黄檗宗総本山宇治は日本でも有名な茶処、JR黄檗京阪黄檗駅の近くにあります。【駒蹄影園碑】が、総門の前に建っています。 駒蹄影園碑 鎌倉時代の初めごろ宇治の里人たちが、茶の種の蒔き方がわからず困っているところへ、通りかかった栂尾(とがのお)高山寺の明恵(みょうえ)上人が、馬を畑に乗り入れ、その蹄(ひずめ)の跡に種を蒔くように教えたと伝えられています。この碑は明恵上人の感謝とその功績を顕彰するために建てられました。世界文化遺産の【高山寺】の開祖です。 「栂山(とがやま)の 尾上(おのえ)の茶の 木分け植えて 跡(あと)ぞ生(お)ふべし 駒の足影 明恵総門前の碑の側に龍の目の井戸がありました。 総門は、龍の頭 総門 龍の蛇腹を象った菱形の敷石(禅寺では多く見掛けます) 龍の蛇腹を模した参道 菱形石 山門山門の前の碑 にんにく・酒を口にした人、入るべからず。中国風の門 「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄 菊舎尼万福寺は、開山 隠元(いんげん)禅師で10代まで中国の僧でした。従って、境内は中国風の雰囲気に充ちているため詠われたもの。 【布袋尊】(ほていそん) 都七福神 巡礼所のひとつ。正月には、七福神巡りで賑わいます。 布袋尊 みやこ七福神のひとつ写真撮影許可をもらいました。僧の姿だけは撮らない様にと 開版(かいばん)魚版で、木魚の原形となっているものです。 広々とした境内 開版 お魚の形 時を知らせるもので、禅寺の座禅で、魚は寝ていても目は開くことを諭しているとも言われています。本堂には、釈迦三尊が祀られています。一般には脇侍(きょうじ)は、釈迦如来の場合。【文殊】【普賢】菩薩ですが、此処では 十大弟子の筆頭【迦葉】(かしょう)【阿南】尊者が祀られていました。 羅怙羅 (らごら)父の釈迦の顔を胸に抱いている姿の像羅怙羅(らごら)尊者 お釈迦さんの実子で、出家して修行の末悟りを開かれ、心に仏性を抱くとして、胸を開けた場所に仏の顔が仏像として祀られていました。法堂(はっとう)砂紋が素晴らしいです。 法堂 舎利殿隠元和尚の開山堂隠元は中国人で万福寺を創設されました。豆知識次回は、京都物語の最終遍 世界文化遺産 【比叡山】に参ります。5月から再度始めたいと思います。インゲン豆は、メキシコ・中央アメリカの原産ですが、1654年に中国の僧隠元和尚さんが、中国(明)から日本に持ち込まれたことからの説もあるようです。
2013.04.28
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急激に寒冷前線の影響で激しい雷雨が押し寄せたようですね。中々素直に暖かさを味わえません。平安遷都に祈祷を大切にした由来が、長岡京での出来事から始まります。 奈良の平城京から長岡京に遷都2年目にして、都造りの総責任者【藤原種継】(ふじわらたねつぐ)が何者かに暗殺されました。反勢力の「大伴一族」として、桓武天皇が、早々に処罰されました。その中に桓武天皇の弟君【早良親王】(さわら)も、疑いを掛けられ【乙訓寺】に幽閉されました。早良親王は、そうではないと、断食されて身の潔白を計られました。挙句、小豆島に配流の途次、餓死して果てられました。その後、近親に病死とか不幸が次々起こり、その上「暴れ川」が氾濫し、疫病が蔓延しました。桓武天皇は、弟の呪いとして、僧に祈祷を続けるだけでなく、死者に【崇道天皇】(すどう)と、称号を与え京都の高野川上流、上高野の地に【崇道神社】の祭神として祀り、上御霊・下御霊神社にも,鎮霊のため祀りました。後に、弘法大師さまも幾度となく菩提を弔うべく、十三の塔を建てて、霊をなぐさめられたそうで、弘法大師さまゆかりの寺として、何時しか、美しい牡丹で、飾られ、早良親王への無念さを偲ぶようになりました。弘法大師さまゆかりの寺 十三の供養塔 本堂 美しい牡丹の名所早良親王の霊が安らかに憩われますように。長岡京市には、平安京の前に、呪われた都として10年で長岡京から平安遷都されました。昨日の菅原道真公とともに悲しい歴史が偲ばれます。明日は宇治市の黄檗山万福寺に参ります。
2013.04.27
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4月もあと僅かとなって、漸く暖かい日和になりました。快晴に映えるキリシマツツジがまぶしいぐらいに咲いていました。菅原道真公の無念の気持ちを偲びつつ訪問してきました。菅原道真公を祀る北野天満宮は学問の神様として有名ですが京都市から大阪よりの、長岡京市にも長岡天満宮があります。樹齢150年のキリシマツツジが4月末に最も華麗です。長岡天満宮とキリシマツツジキリシマツツジの参道【長岡天満宮】 長岡京市 祭神 菅原道真公菅原道真公は、生前 歌人 在原業平と共にこの地で詩歌・管絃に甚く興じられていました憩いの場所ともいえます。後に、左大臣藤原時平の妬言で、右大臣であった菅原道真公が九州の大宰府に左遷されることになり、その道中此処長岡の里に立ち寄られ「わが魂 長くこの地に とどまるべし」 と 名残りを悔やまれたそうです。後の世に、その想いを留めるべく、道真公ご自身作の像を祀られました。朝廷からの信仰も厚く、後に桂離宮創設者 【八条宮智仁親王】が更に境内を広げ、【八条の池】が皆さんの憩いの場所ともなっています。八条の池向かいに見える家屋は【錦水亭】(きんすいてい)筍の高級料理店です。長岡京市は筍の産地として有名です。八条の池樹齢百五十年のキリシマツツジ長岡天満宮本殿昭和14年に平安神宮の旧本殿を移築されたものです。長岡天満宮本殿前学問の神様として此処もお参りが堪えません。やはり牛が臥しています。菅原道真公と臥牛菅原道真公のお誕生日 承和12年6月25日 (845) 遷化日 延喜 3年2月25日 (903) 58歳逝去何れも、丑年に当たります。そして25日も一緒で 天神さん日として縁日にもなり、親しまれます。京の都から大宰府に左遷されるときに、時平の刺客が構える街道で牛が臥して動かず、安全な街道に導かれて事なきを得たそうです。菅原道真公が亡くなられた時、遺骸を牛車で運ぶ途中やはり牛が臥して動かず。道真公の遺言通りその地に墓所安楽寺に葬られたとのことで、大宰府天満宮が祀られました。牛の臥している姿は此処から採られたともいわれています。明日は同じく「長岡京市」にある牡丹の寺【乙訓寺】に参ります。
2013.04.26
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4月もあと少し残して、漸く暖かさを感じる気候となりました。本日は25日北野の天神さんの日ですね。明日にも樹齢150年のキリシマツツジが満開と言う事で、【長岡天満宮】をご案内したいと思っています。本日は昨年の秋の訪問です。 泉涌寺には、幾度か訪問してきましたが、ついぞ時間的余裕もなく同じ境内に塔頭として、京都らしい素晴らしい庭園のある寺院を初めて訪問しました。そして感動受けました。【雲龍院】 真言宗泉涌寺派広い庭園を囲んで赤い毛氈がひかれた畳部屋からの眺め悟りの窓 迷いの窓 障子越しに紅葉鑑賞悟りの部屋から庭園拝観清浄の間から紅葉鑑賞この和服姿の方は殆ど動かれず 観想の世界へ 掃除の行き届いた美しい庭園大輪の間 大石良雄の額 (大輪の間)伯父様が来迎院の住職で此処にもよく来られた 霊明殿 霊明殿前提燈籠の下菊花のご紋徳川慶喜が寄進した燈籠本堂薬師如来・日光菩薩・月光菩薩が祀られています障子4枚に夫々ガラス窓を配し しきしの景色を部屋から味わう梅・燈籠・楓・松と4枚違った眺めを間接的に観る仕組み玄関に真言宗ですが、龍の絵が皆様を迎えてくれました東福寺そして清水寺の大勢の観光客に押されることなく、静かにそしてお部屋の仕組みで間接的に紅葉を鑑賞をゆっくりたのしめました。足腰の悪い人のために部屋からも腰かける小さい座椅子が用意されお寺さんの心遣いが籠っていて嬉しかったです。 tya118 さんのブロフィルのコメント「128577÷40ヶ月=3214日々107の御方様が京の都を楽しまれておられるのですネー有り難いことでございます御礼申し上げます」ブログ名:京都観光をご案内し・・・総アクセス数:128646 アクセス(平均 106 アクセス/日)開設日数:1219日(開設日:2009/12/23)日記記入率:95.4%計算までされての熱い思い遣りにとても報われた歓びを感じましたTya118さん本当に有り難うございました。
2013.04.25
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孝明天皇の話題はあまり定かでは有りませんが今回「八重の桜」のドラマで、会津藩主に京都守護職の忠誠に「ありがと」とねぎらいのみ言葉の後崩御されたシーンが焼き付きました。平安神宮の祭神でもあり、御陵として泉涌寺に眠っておられます。 背景が東山で鎮かな雰囲気が漂っています。 昨年の秋に訪問しました。 今回乗せてもらった、タクシーの乗務員の方に「泉涌寺さんに行かれたら是非そのそばの来迎院によってみられては、もみじがきれいですよ」と私も初めての訪問です。そこで関東から来られた紳士に出会いました。「JR関東では、泉涌寺を今年の京都の推奨寺院としてますのできました」と【御寺泉涌寺別当・来迎院】 真言宗ですから、弘法大師さんが 唐の国で学ばれた【荒神尊】を奉安されました。またの名を【胞衣荒神】(えなこうじん)と言われる、安産祈願に参拝する方があります。大石蔵之助の伯父さんが、当院のご住職の関係で都在住中は山科の住まいから身を寄せられた場所でもあります。尚、茶の湯を好み、茶室合翠軒があり、弘法大師さんが、掘られた【独鈷水】(どっこすい)から湧き出た清水で茶をたてられたとされています、入り口の門 門をくぐるともみじの歓迎です 右の建物 荒神堂です 左・荒神堂 右奥本堂 小さい庭園へ 茶室・合翠軒大石蔵之助が茶をたしなまれた茶室 苔の緑 此処で関東の紳士と出会いしばし美を讃え合う 荒神堂来迎院からさらに渓谷伝いに、西国巡礼三十三箇所霊場第15番札所【今熊野観音寺】があります。今熊のかんのん 西国三十三箇所観音霊場第15番札所参道清水寺は16番札所です。今回も、84歳にして京都に住み、初めて知りえた寺院でした。寧ろ、地方から来られる方の方が情報でよき場所を教えられて来られることに感心しました。明日は同じく泉涌寺の塔頭 【雲龍院】の庭園にご案内します。京都物語もお正月から再活し、4か月でほぼ周り尽しました。何回観ても時季それぞれの気分で味わいがあるとおもいますが、5月から続けるかどうかは思案しています。5月5日満85歳となります。皆様の温かいご支援有っての3年4か月を続けることが出来ました。皆様のお陰と有り難く感謝しています。
2013.04.24
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この日曜日に「八重の桜」で紹介された、孝明天皇にもゆかりのある泉涌寺、昨年の秋に訪問しました。 【泉涌寺】(せんにゅうじ)真言宗泉涌寺派總本山 開基 月輪大師(がちりん) 山号 東山 御寺と書いて、「みてら」と称します。皇室に縁あり、天皇両陛下お揃いで、「京都国際会館・世界大会」に御臨席の際に、行幸が有りました。当初、弘法大師が草庵を建てられ、「法輪寺」とされましたが、後に月輪大師が再興されたその落慶の時に泉が湧き出したので「泉涌寺」と改名されました。現代でも残っています。 「山門」をくぐりますと、左側に「楊貴妃観音像」の祀られたお堂があります。 楊貴妃観音堂そして再び「山門」に戻り、広場の坂道を下った正面に、【仏殿】があり、高坐に「運慶作」と言われる「釈迦・阿弥陀・弥勒」の三尊が祀られています。天井の龍の絵と堂裏に画かれた「白衣観音菩薩」絵は、「狩野探幽」の作です。「涅槃図」も有名です。仏殿が坂下にそして仏殿にまつられた三尊像の高さと門をくぐる人間と同じ高さに仕組まれています。 【霊明殿】四条天皇を始め、歴代の天皇・皇后・親王のご位牌が奉納されています。 霊明殿 特別に別拝観料を払って、入れます。是非皇室の雰囲気を味わって下さい。本坊霊明殿の奥には、別世界の様に、東山を背景にシーンと鎮まり返った雰囲気の御陵「十二帝陵」が有り、今回も両陛下が玉串の奉納を捧げられました。小鳥もさえずり自然の静けさは心が洗われます。御陵の入口 十二帝御陵東山が背景【舎利殿】(しゃりでん) 御釈迦さんの分骨を祀る舎利殿 【泉涌水屋形】 (せんにゅうすいやかた)今でも泉が涌いて居ます。泉涌水屋形 【清少納言の歌碑】屋形のそばに建てられています。清少納言の歌碑並んだ位置屋形のもみじ菊花展 華道のお泉涌寺境内にぴったりでした。師匠さんが和服姿で明日は、此処泉涌寺境内の【来迎院】に参ります。
2013.04.23
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昨日も、寒風き荒れる中で、ねんりんビック高知大会に出場するゲートボールの京都市の予選会に行ってきました。優勝・準優勝そして三位チームは、出場権を獲得しました。 東福寺の本山の境内には塔頭寺院があり、夫々見所が有りました。 【退耕庵】(たいこうあん)塔頭 北門の近くに有ります。小野小町作と伝える高さ2mの【玉章地蔵】(たまずさ)(文)と「小町100歳」像が有ります。伏見区醍醐の「小野の随心院」にも有ります。 玄関までの路 入口の門 入った右側に お地蔵さんがあります。 岸信介基総理大臣の植樹 【霊雲院】(れいうんいん)塔頭 重森三玲作枯山水庭園。【臥雲の庭】(がうん)と【九山八海の庭】(くせんはっかい)金閣寺にも「九山八海の名石」(中国より取り寄せた)が有りました。凹凸に飛んだ又美しい庭園です。九山八海は、「蓬莱山」の形を現しています。 九山八海石塔 九山八海石塔 霊雲の庭龍吟庵にも黒い雲の表現としてありましたね。 庭園 六地蔵尊入口に新しいお地蔵さんが歓迎してくださいました。明日は、泉涌寺にまいります。
2013.04.22
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此処二・三日寒気が戻り冷え込みます。体調にご留意願います。東福寺の塔頭には、殆ど見向きもしませんで、初訪問のところとなります。夫々に趣があり、教えられることもあり勉強になりました。桔梗の咲くころに中を観ました。そして紅葉の頃外側の紅葉を撮りました。昨年の12月の紅葉です。12月の天得院の玄関東福寺の塔頭では、珍しい苔庭が見られます。別室では、精進料理も楽しめる料亭ともなつています。筆塚石組みと苔の中の桔梗 秋に撮ったものです 花頭窓から庭園を眺める 苔庭禅寺でも珍しい枯山水以外の庭園でした。明日は東福寺塔頭最終となります。
2013.04.21
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昨日は、温度差12度冷えて、風も強く、ゲートボールの親睦会もちじこまって、過ごしました。雪舟はわたしの幼い頃、漫画でみたことのある、画聖でなんでも、和尚さんにお仕置きを受けて、お堂の中で小僧として柱にくくられ、涙していたところ何時しか絵心ついて床に足でねずみを描いたところ、ねずみは生き物のように歩いたというほど絵が上手だったそうです。 【芬陀院】 (ぶんだいん) 東福寺の塔頭参道 雪舟庭園【鶴亀の庭】 雪舟は少年時代備中(岡山)の【宝福寺】ですごしました。東福寺の末寺法縁あって東福寺に起居していました。たまたま絵描きだけでなく庭園も作庭していました。ある日亀島を造ったところ住職が夜半にそっと窓を開けると、亀が動き出したので、驚いて雪舟に知らせましたら「重石をつけましょう」と石を載せることでとどまったそうです。今も石が乗っかっています。此の話を聞いた、後陽成天皇第九皇子【一条家第十四代の恵観】が雪舟にお願いして、【鶴亀の庭園】を作庭されました。 鶴亀の庭 曲玉の手水鉢と崩家形灯篭 茶関白 一条恵観公好みの茶室が鶴亀の庭の奥にありました。 真ん丸い悟りの窓 四角張った迷いの窓 外側から 関白 一条恵観公の【図南亭】 表玄関 東福寺は、如何だったでしょうか。塔頭まで皆様方は観られるゆとりがないようですが、隠れた素晴らしい変化のある庭園でした。斯く記す私も初訪問なのです。ブログを書くことにに感謝です。
2013.04.20
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東福寺の塔頭で日頃は、非公開寺院ですが、昨年の秋に特別公開されました。【龍吟庵】 (りょうぎんあん) は、 東福寺第三世住持 大明国師の墓所が有り、室町時代 足利義光の揮毫の 龍吟庵の額縁を拝する 日本で最古の国宝の方丈が 遺されており 書院造り・寝殿造りとして 貴重な建物が拝観することが出来ました。通天橋と同じ渓谷洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた偃月橋(えんげつきょう) 方丈庭園 枯山水 竹垣は 龍を呼ぶ 稲妻模様 西側庭園 龍の庭龍が海中から黒雲を得て昇天する姿竹垣は稲妻模様重森三玲 作庭龍の庭黒い雲を表現開山堂 東側の庭園 不離の庭長方形の赤砂はめずらしいです長石を臥せ その前後に白黒の二石を配し幼少のころ狼に襲われそうになられたとき国師の身を二頭の犬が守ったという故事により配されましたやはり竹垣には 稲妻模様国宝 寝殿造りの方丈額縁は正面から写すことは禁じられましたもみじ 熊笹 表門 重要文化財奥に寝殿造りの屋根がみえますもみじの美しさも少し見えました
2013.04.19
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京都の禅宗には各派がありますが、今回は南禅寺を五山の上位とする第4位東福寺にまいります。 【東福寺】臨済宗東福寺派総本山 開基 聖一国師 山号 慧日山「東福寺」をはじめ塔頭が、存在します。「紅葉」の時期には、京都駅にも近いことからか、立錐の余地も無いほどに、人出が殺到します。足利義満の決めた、禅宗の五山の第四番目に当たります。大きさを誇張するように、寺名も奈良の東大寺と興福寺から、一字ずつ採って名付けられたそうです。【七堂伽藍】(しちどうがらん)形式を採り、【伽藍面】(がらんづら)ともいわれています。 三門【三門】【国宝】禅寺としては、日本一古く大きいとのことです。扁額には【名雲閣】(みょううんかく)と書かれ、足利義持公の筆跡です。三門の上に登りますと、正面に釈迦如来像・十六羅漢像は定朝作と云われています。特別拝観で内部は拝観出来ます。 法堂【法堂】(はっとう)釈迦如来が祀られ、天井の龍の画は、【堂本印象】作です。時節(3月14日~16日)に【涅槃図】が、拝観できますが、此処も【猫】が神妙に構えて画かれている事で話題と成っています。何故なら「お釈迦さま」が亡くなる前に中毒の病で、空から「摩耶夫人」(まやふじん)母上が薬袋を投げられたところ【投薬の語源】【沙羅の小枝】(さら)に袋がひっかかり、【ねずみ】が木に登り取りに行こうとしたとき、猫が阻み、お釈迦さまのもとに間に合わなかったとのことで、十二支からも外され、功を得て、ねずみから始まる事に。 市松模様の庭園【本坊】方丈の西と北庭には、苔で【市松模様】で飾られ、芸術を感じさせられます。庭園は「重森三玲」(しげもりみれい)作です。塔頭寺院の【龍吟庵】も【霊雲院】の枯山水も同じ人の策定です。 方丈庭園 通天橋【通天橋】(つうてんきょう)この周辺が、「紅葉」で最も楽しめるところです。渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)のもみじは、最高に美しいです。【開山堂】【普門院】開基聖一国師の入定の地で、ちょっとした庭園が広がります。通天橋のもみじ明日から、東福寺の塔頭をご紹介します、
2013.04.18
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昨日は世界文化遺産の西本願寺をご紹介しましたが、本日はJR京都駅の玄関口から、最も近い寺院 東本願寺を訪ねてみます。東本願寺御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り千畳敷の畳は日本一祈りと法話を聞く所東西のお堂の位置を何故か敢えて変えています。御影堂も読み方が 師匠の知恩院浄土宗の法然上人は「みえいどう」そして弟子の親鸞聖人の東西本願寺は「ごえいどう」とお寺さんにも意地があるのでしょうか。 西本願寺 世界文化遺産御影堂 阿弥陀堂 東本願寺阿弥陀堂 御影堂浄土宗開祖法然上人の弟子として親鸞上人は 浄土真宗の開祖となり師匠の受け継ぎで、一般庶民でも只「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土に阿弥陀さんを通じて召されるとして、全国に信者さんが大幅にふえました。時に、徳川家康は、信徒の結集に畏れ、本願寺に土地を与え東西に勢いを分けたことから東西の本願寺があります。京都タワーを望む右東本願寺勅使門左、イチョウの樹本願寺の火災の時に、水を吹きだして消火に役立ったとの謂れ。京都駅前が近いです本願寺前の噴水イチョウの樹平成の大修理で阿弥陀堂は平成25年までかかる予定です。御影堂はすでに完成しました。御影堂廊下堂内入り口 堂内撮影禁止千畳敷の一部を龍の手水京都タワーと伽藍 タワー建設に当たって東本願寺は伽藍にそぐわないとして反対しましたが、京都はお寺の多いことより京都駅前に「ローソク」を1本立てることでの妙案が生まれ現在の蝋燭型の塔が実現しました。そして人口130万人に合わせ高さ130mです。 JR 京都駅 JR京都駅正面駅構内の吹き抜け改札口入場した改札口1番線 2番線に電車右手の建物が 新幹線乗降の場所。京都駅のご紹介で、旅情を楽しんで下さい。明日から再び、禅寺東福寺の庭園をご紹介します。
2013.04.17
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西本願寺の春の大法要として、4月13日から15日に掛けて盛大におこなわれました。その間日頃非公開とされている国宝飛雲閣と国宝書院の特別拝観がされました。昨日、私としても一生で2回目の鑑賞ができました。飛雲閣国宝が多く存在するので、世界文化遺産に西本願寺は、登録されました。京都の三閣として、金閣・銀閣と合わせ貴重な存在ですが、常時鑑賞出来ないだけに、ラッキーでした。大徳寺の芳春院の呑湖閣も合わせると京の四閣とも、非公開です。阿弥陀堂 御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り、祈りと法話が行われます西本願寺の境内にある龍谷大学 大谷学舎生徒さんたちはこの正門から学舎に対して一礼して去られる姿を観ました国宝 唐門飛雲閣への入口の門新緑が美しいです 水鳥国宝 書院の玄関山吹の花が咲いていました特別名所(国宝) 虎渓の庭 三尊石 鶴島亀嶋 石橋 が観られます国宝 能舞台 日本最古のものと言われます。参拝教化部 入り口に信者団体のチューリップの寄贈イチョウの樹本堂が火災に合ったとき、水が噴き出て消したという謂れがあります太鼓楼八重の桜 先週写された 太鼓楼です。新撰組の屯所となってお寺としては太鼓で、お祈りを始める合図とされていましたが、大砲を鳴らしたりして新撰組が暴れたので迷惑していました。
2013.04.16
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徳川家康には、日光東照宮という、豪華な祀られた場所がありますが織田信長の祀られた此処建勲神社は、人知れず密かに建っています。 枯山水の庭園と茶室に恵まれた大徳寺を出ますと近くに織田信長を祀る【建勲神社】があります。 入り口の鳥居平地から石段を可也登っていきます。偉い人は高いところを好むののでしょうか。 石段の参道 参道 幾つか屈折した石段の最上部やっと石段の参道を登りつめました。本殿が見えてきました。 本殿で静まり返っています 本殿からは、京都の都が見下ろせる位置に鎮座まします。本殿前からの写真です、彼方に大文字山がみえます。本殿の境内は広くその奥に隣接した、市民の広場が開けます【船岡山】 と称します。昨日ご紹介しました大徳寺塔頭の弧蓬庵(こほうあん)は寺院の庭園の借景として、船岡山を小堀遠州は採り入れています。頂上ではこのラジオで朝のラジオ体操がおこなわれています。 頂上広場頂上からは、京都市街並びに御室嵯峨方面の北山連峰が見えます。 京都市街 御室・嵯峨北山連峰 一番奥が愛宕山船岡山を西に降りますと、金閣寺が直ぐ側です。賑わいの陰にひっそりと佇んでいます。船岡山は中国の風水によりますと、京の都の基点になり、二条城側の神泉苑に風水の瑞線が繋がっていると言う、神聖な山とも言い伝えられています。都の西北に織田信長の神社が、そして明治維新以降に建てられた豊臣秀吉の豊国神社が東南に斜線で繋がっているのも偶然でしょうか。平安遷都で、都造りにも、中国の易を大切に、【四神相応】【風水】を基盤に、厄害呪い等を避けるべく、大切に扱いました。船岡山は、風水の霊地として存在価値があります。四神 百虎(東) 西龍(西) 朱雀(南) 玄武(北)亀・黒現在の【千本通】゛風水の道で、都が出来たときの大内裏から朱雀大路(100m幅)が広がっていました。
2013.04.15
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メンテナスで遅れました。大徳寺の最終です。此処だけでも日本の歴史の流れを偲ぶ内容が多く存在していました。 大徳寺非公開文化遺産の特別公開で、聚光院と真珠庵を目指して訪問しましたが、偶然大徳寺塔頭では、初めての公開とも云える二ヶ所をたまたま訪問することができました。金毛閣の直ぐ側に建てられている興臨院に先ずまいりましょう。【興臨院】石川県能登の戦国大名 畠山義総 の戒名からの命名で畠山家の菩提寺です。火災に逢いその後加賀の前田利家により再興以後前田家の菩提寺でもあります。興臨院唐門は室町時代のものムラサキシキブ方丈庭園蓬莱山方丈裏の庭園 もみじ みつけました茶室【黄梅院】 織田信長公28歳のころその父君 織田信秀の追善菩提のため当時の羽柴秀吉により小庵を造営しました。 開祖の僧の出身地中国黄梅県破頭山により寺名がつけられました。従って日本の禅寺で一番古いとされています。秀吉は、庭園として千利休に命じ【直忠庭】を遺しています。三尊石を中心に広々とした苔の庭でした。後に信長公が本能寺の変で急逝するや、庵では、小さいとして【総見院】を建て大徳寺焼香も盛大に催しました。後に、毛利元就の子小早川隆影が普請奉行となって、両親元就夫婦の墓も信秀と共にあります。庵を院に改めました。寺格として 寺・院・庵・坊・軒黄梅院の入れ口玄関前の苔庭参道間口は小さいので小さい寺院と思いました女性群写真撮って居ます。もみじがありました茶室直中庭回廊があって向かいまで廻ります。広さを感じます。恐らく織田信長の菩提寺総見院と同じ広さ枯山水の一部破頭庭の方丈枯山水三尊石と一直線の砂の紋単純的ですが中国の景勝地そして厳しさの伝統を忍ばせますこの一週間大徳寺について、ご紹介しましたが、歴史の流れが追悼菩提でささえあっているようで、戦国時代の様子が偲ばれました。活躍した秀吉の足跡面影が此処に存在しないのが不思議です。禅宗と枯山水の庭園は見所が飽きることがありません。大徳寺が【茶面】(ちゃづら)と言われるように茶室に興味ある方はまた趣が深いでしょうね。明日は、織田信長の祀る 建勲神社にまいります。
2013.04.14
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本日は、伏見区のゲートボール親睦大会でこれから参加してきます。只今6時33分、近畿・四国地方に淡路島震度6そして京都にしんど4の可なり強い地震が発生しました。東日本の方たちは常に体験されているていどかもしれませんが、怖いです。今のところ落ち着いています。大徳寺は非公開寺院が殆どですが今回主役ともいえる千利休の菩提寺を特別公開で訪れました。 聚光院の門聚光院の玄関千利休の墓京都に住みそして観光に何回か大徳寺を訪れましたが、85歳にして初めて、念願の千利休さんのお墓詣でが実現しました。受付の方の計らいで、「お参りしたい」意向で案内を受けました。感激。【聚光院】 (じゅこういん)織田信長が眠る、【総見院】の東隣に位置します。三好義継の父長慶の菩提寺でその戒名から名付けられました。開祖 笑嶺和尚さんは、大阪堺に海眼庵の茶室も建て、そこでの俗弟子に千利休が居りました関係で、縁となり、茶道三千家の菩提寺ともなっています。【笑嶺和尚の面影を偲ぶ挿話】「太閤記」によりますと、織田信長の「大徳寺大焼香」の葬儀にあたり笑嶺和尚が焼香の纏め役に当たり、織田家の嗣子に対する秀吉の取り扱い方に誤りのあることを感じ、衣装の間に短刀を秘して秀吉の態度如何によっては、彼を刺そうと構えました。弟子の古渓がそれを知り驚き、強いて退席させ、代わって古渓がその役を務めたので、焼香場の争い無く済んだと伝えられています。 秀吉の野望が見え隠れします。【方丈の襖絵】狩野永徳画 4箇所 国宝指定真珠庵 特別公開 一休さんの寺左参道は、【大仙院】です真珠庵の入口受付の女の方に尋ねましたが、此処も庭園全て撮影禁止でお寺さんが決めておられるのでとのことでどうもとで、諦めました。七五三の庭園が有名で、一休さんが僧侶として務められたお寺でもあります。大仙院前のもみじです大徳寺境内を西へ出たところに今宮神社が゛ありました。【弧篷庵】です。弧篷庵境内弧篷庵玄関弧篷庵大徳寺への参道左邸宅の御婆さんと立ち話杖をついて、弧篷庵へその面前の邸宅のおばあさんに呼び止められ「どちらまで」「どちらから」此処はとても静かなええとこやけど、最近一人で話す機会がないので、とても淋しおすわ、京に住んでまだ二条城にも行ってまへんわ、何時もこの坂道からご来光をおがましもろてます。ありがたいことですわ。あんたはんも気を付けて下さいや。 大徳寺境内より、飛び地になったやはり塔頭の【弧蓬庵】が今宮神社の参道を越えたところに位置します。此処も非公開で、特別に予約して、見せていただいても、撮影は全て禁止で、とても残念です。 大徳寺は、戦国時代の各武将家の菩提寺が集結しています。でも此処には、豊臣も徳川もありません。【弧蓬庵】 (こほうあん)非公開 (中国風景に出てきます、菰の帆かけ小船)「小堀遠州」が故郷「近江八景」を庭園に作庭。「船岡山」を借景に採り入れています。茶室 【忘筌】 (ぼうせん)中国の諺に「得魚忘筌・得兎忘蹄」 (とくぎょぼうせん・とくどぼうてい)があり、其の中から名付けられたようです。説明では茶人の心得といわれました。魚や、兎を手にすると、人は、世話になった魚や兎捕獲の器に感謝する事を忘れてしまう。戒めとも考えられます。功成れば師の恩を忘れてしまいがちの戒めでしょうか。中国の漢詩は、随所に、ことば短くして至言を伝えます。中国の歴史に、何故中国の人たちは、誇りを持てないのでしょうか、惜しまれる現実です。
2013.04.13
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季節に冷え込む様になりました。体調が整わない感じです。皆様も大事にしてください。北朝鮮のXデイが12日とも囁かれています。前回も12日発射だったからです。世界を敵に回して自国の国民の平和安定は望めません。本人が4月1日より公の場に姿を見せないのも、不可思議なことです。亡命? 臨済宗(禅宗)の寺院は、京都に世界文化遺産17箇所の内、 金閣寺・銀閣寺・天龍寺・龍安寺・西芳寺と5箇所含まれるほどに、文化的に高く評価されている傾向にあります。大徳寺シリーズも今回まで、此処だけでも心が和みます。大徳寺では、多くの塔頭が有りますが、特別公開以外には4箇所の常時拝観できる塔頭(たつちゅう)が有ります。【大仙院】【高桐院】【瑞峰院】そして【竜源院】です。【大徳寺4.】【竜源院】大徳寺塔頭能登の畠山氏、豊後の大友氏、周防の大内氏が建立しました。 参道本堂は、室町時代最古の応仁の乱以前に建てられた禅宗方丈建築で 本堂庭園は土塀を背景にした飾り気のない枯山水の竜吟庭と苔庭と一枝坦(いっしたん)そして小さい壷庭があります。 竜吟庭 苔庭 一枝坦の庭園 壷庭 部屋には豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝える碁盤があります。 秀吉と家康が対戦したという豪華な碁盤臨済宗禅宗の寺院では、龍の絵画を大切に表現しています。庭園の清掃は行き届き、観る人の心に清浄感を与えます。
2013.04.12
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春とは言え、一人の異端者独裁の存在で不安で落ち着かない日が続きます。歴史の栄枯盛衰が思いやられます。本日も、キリスト教禁令の中での大友宗麟の菩提寺をご紹介します。 枯山水の庭園で、荒波をあしらった表現は珍しく印象に深く残ります。 【瑞峰院】 (ずいほういん)公開。キリシタン大名【大友宗麟】(おおともそうりん)が菩提寺として建てました。豊後の戦国武将大分出身霊名 ドン・フランシスコ瑞峯院は禅宗の戒名から名付けられています。玄関入り口 禅宗の入り口に【韋駄天】峨祀られ守護されています。 坪庭庭園の一箇所に、十字架の庭がわかり易く、鑑賞出来ます。 十字架の庭石組みが斜めに十字架と組まれていますが隠れた形で信仰を保っています。何と云っても【方丈庭園】は、枯山水で、荒波が岬に。怒涛の如く押し寄せる風景に、砂をするどく、深めに形作っています。外に類例が無い、豪壮な姿を表現しています。 方丈庭園・枯山水の怒涛逆巻く豪壮な砂の彫り方は他に類例ありません。信仰を貫く精神が垣間見られて、私の最も好みの枯山水です。茶室で国宝は3箇所その一つ、大山崎に有る【待庵】(たいあん)のモデルが新装なり、特別に申し込まれましたならば観られると思います。【聚光院】(じゅこういん)非公開 千利休・三千家の墓有り菩提寺。 【龍光院】黒田長政が父如水の菩提のために建てました。日本国宝三茶室【蜜庵】 (みつたん)が有ります。外に愛知県犬山市【如庵】(じょあん)そして京都府大山崎の【待庵】(たいあん)です。【三玄院】非公開 石田三成の墓があります。【芳春院】非公開 前田利家夫人芳春院の創建です。【呑湖閣】(どんこかく)小堀遠州作といわれ、前田家は、上洛の際「琵琶湖」に関係有り、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)と京都の四閣にあたります。特別拝観時観られます。 塔頭が外にもあり、何れも織田信長・豊臣秀吉に関係した武将達の菩提寺で、「茶室」もあり、京都では、【大徳寺】 を 一名【茶面】(ちゃづら)とも云われています。明日に続きます。
2013.04.11
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北朝鮮の挑発が本日にも複数でと脅威を与えています。「欲しがりません、勝つまでは」と飢えにも辛抱させられている状況は過去の日本でもありました。豊臣秀吉と千利休、本日の大仙院でお茶をかわしたとされる部屋が ありました。美しい枯山水の庭園を眺めながら、然し秀吉には自分より秀でる者をもうとみました。利休の弟子が「金毛閣」の二階に師匠を崇める木像を安置、その門を秀吉に潜らしたと難癖を付け怒って切腹を命じてしまいました。利休が誤ってくれると信じてのたわごと、でも理は通らず、「お前が頭さえ下げてくれればそれで済むのじゃ。頼む」としても利休は切腹を選びました。 【大徳寺2】【大仙院】 塔頭で公開している中で最も大きく、見所も多いです。入り口の隣に一休禅師の住持された【真珠庵】が有ります。非公開で特別公開の時は、七五三の石組みの庭園などが観られます。 大仙院 臨済宗(禅宗)の寺院を訪問するときに、掃除の行き届いている姿に、驚き且つ気持ちよく拝観が出来ることに、幸せを感じます。禅宗では、座禅を主としますが、日常の「作務」(さむ)として特に掃除する事を大切にされます。「大仙院」の入り口を入ると、お釈迦さんに関係する樹が植わっています。一つは「菩提樹」で、お釈迦さんが、こ樹の下でよくお説教なさったそうで、他の一つは「沙羅双樹」で、お釈迦さんが、亡くなられたときに回りに有った樹とされています。「涅槃図」(ねはんず)に良く出てきます。更に門をくぐると、十二支に因んだ石が、各方向に並べて有ります。庫裏の入り口に【何妨】(かほう)の額が掛っていました。禅宗では来訪者は、どなたでもさまたげないの意味だそうです。 受付を済ますと、直ぐに【庭園】に遭遇します。【特別名勝・史跡】ですから国宝級です。院内庭園も含め撮影禁止でみなさまにご紹介できず残念です。渡り廊下の【花頭窓】から【透渡殿】(すいわたどの)が庭園の中心にあり、それを通して、枯山水の絵が美しく、瀧の滔々と流れる姿を想像させます。そして下流には、船石が有り、何れは、【方丈庭園】の白川砂で広がる、大海へとそそぐ形式を採っています。庭園の中程の茶室は、過って「豊臣秀吉」と「千利休」が対峙した場所で、当時何を語り合ったのか、考えさせられます。「鶴島」「亀島」そして「石橋」もあり。庭園の要素を全て整っています。方丈の北側には、【拾雲軒】(しょううんけん)が有り。「沢庵禅師」の書院で、「宮本武蔵」とも対面したことでしょう。【方丈】(本堂)は【国宝】で、襖絵 【四季花鳥の図】狩野元信筆 【四季耕作の図】狩野之信筆 【四季山水の図】相阿弥 筆広々した方丈庭園も、座して暫し眺めますと、心が静まります。右奥に【沙羅双樹】が配置されています。芳春院【芳春院】 加賀前田家の菩提寺 非公開【呑湖閣】(どんこかく)加賀藩から琵琶湖を眺めながら都へ上洛するために付けられたようです。金閣・銀閣・西本願寺の飛雲閣と呑湖閣で 京の四閣と呼ばれています。 わが国の歴史では、「踏み絵」等でキリスト教徒への、弾圧が厳しく公には信仰を保てなかった中で、此処大徳寺の塔頭で2箇所公に信仰を守っこうた人物の菩提寺が有ります。一つは【高桐院】(こうとういん)【細川ガラシャ夫人】です。公開しています。明智光秀の娘で、千利休の七哲の一人細川忠興の正室【玉】でした。石田三成の「人質政策」に反抗して死を選ぶ際に、キリスト教徒は、自殺は禁じられていますので、家臣の刃で亡くなりました。【欠灯篭】 豊臣秀吉の名石狩りをさけるためと、銘に「無双」と印し完全を忌(い)む公自身が一部を欠いたそうです。茶室【松向軒】(しょうこうけん)は、黒壁で質素に造られています。高桐院の入り口参道・玄関庭園細川忠興とガラシャ夫人の墓所次回に続きます。
2013.04.10
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桜シリーズも皆様方に多く観て戴いて嬉しかったです。今回は、禅宗寺の庭園シリーズをご紹介します。 歴史の舞台には登場する人柄がそれぞれ遺跡で偲ばれます。 禅宗・臨済宗大徳寺派の本山に参ります。戦国時代の将者の菩提寺になっています。何故か豊臣秀吉の名は有りません。 【大徳寺1】臨済宗大徳寺 開基 宗峰妙超 (大燈国師) 山号 龍宝山紫野大徳寺と言う、広い境内の中に21の塔頭 (たっちゅう)が有ります。殆どが一般公開されていませんが、4箇所は、常に公開されていますので、序々に訪れたいです。先ず本坊からまいりましょう。「大燈国師」により、創建され、位も臨済宗として「五山」の上位に有りましたが、三代足利義満により、十刹(じゅうさつ)の内9位に寺格を下げられた為、辞しました。現代「南禅寺」が「五山」の上位にされたままです。応仁の乱で、焼土化し衰退しましたが、一休宗純により、難波堺の豪商の支持で再建されました。一休さんの庵は、「大仙院」の隣に「真珠庵」として今も残されています。1582年豊臣秀吉は、全国大名に対しての威信を保つ為、主人「織田信長」の葬儀を「総見院」で執り行いました。いわゆる 【大徳寺焼香】 として、歴史に残されています。たまたま、特別公開に恵まれ写真が撮れました。日頃は、非公開寺院のため、中には入れません。 入り口の門本堂茶室茶室織田信長の墓 千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、 「聚光院」 にあり、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。「石田三成」も有ります。石田三成の墓所【大徳寺の七堂伽藍】(ひちどうがらん)【勅使門】御所の陽明門を後に下賜されました。桃山時代の遺構です。 勅使門 【三門・金毛閣】 (きんもうかく)初め初層のみの唐様の三門の上に「利休」の弟子たちが上層の【金毛閣】を建て増し、「利休像」を置きました。そして秀吉をその門をくぐらしたことから、秀吉の逆鱗に触れ、遂に切腹の原因の一つと成りました。 金毛閣【仏殿】(本堂) 本尊 釈迦如来 狩野元信の図があります。 仏殿の釈迦如来本尊昨日4月8日はお釈迦さんの誕生日甘茶で濡れたお誕生姿の像が祀られました【法堂】(はっとう)法要を営む。狩野探幽の龍の図があります。 法堂【浴室】昔、和尚さんが入浴された場所。浴室【経蔵】(きょうぞう)天平時代から、南北朝時代の写経が納められています。経蔵【鐘楼】(しょうろう)この鐘の合図で、現在も一山の和尚さんたちの諸行事に、出頭されます。【大徳寺本坊】(非公開)【唐門】本坊に据え付けられています。「聚楽第」(関白豊臣秀勝の御殿)の遺構とされています。本坊が非公開でも、外から観られます。獅子・松・孔雀・滝に鯉。見渡している内に日が暮れると言うところから、【日暮門】とも言われています。 七堂伽藍の参道順次、大徳寺境内にある、塔頭をご紹介してまいります。
2013.04.09
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京都の桜だより最終日となりました。本日は、京都らんざん大覚寺の大沢の池を巡りての桜の景色をご紹介します。 納経堂 遍照山が池に映る大沢の池遍照とは遍く照らすから太陽の意大沢の池 湖畔の入口左の建物大覚寺境内水鳥が遊泳左大覚寺境内 大沢の池大沢の池 大沢の池 赤い橋がみえます。時代劇の撮影によく使われます。大沢の池を振り返りますと嵐山の連山が借景となります。大覚寺境内の土塀ここもよく時代劇のロケによくつかわれます。大覚寺表門の桜桜の満開に合わせて、3度観桜の取材に出たのはこの歳で初めてです1週間京都の桜如何でしたでしょうか。明日から本来に戻って、京都の社寺をご紹介したいと思います。明日は、禅宗の大徳寺に参ります。
2013.04.08
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日本各地で、桜の花を謳歌していましたが、爆弾低気圧の影響で皆さんに惜しまれつつも、散って行ったようです。此れからは、東北・北海道へと変遷していくことでしょう。嵐山は、外人を含む観光客で賑わいました。渡月橋嵐電駅前にある【美空ひばり館】の桜渡月橋を渡ったところに【法輪寺の塔】がみえます。子供の十三詣まいり知恵と福徳を授かって橋を振り返らないで渡れば知恵が授かるといわれています。可愛い和服姿の子供さんたちの姿もちらほら見かけました。中之島の桜渡月橋を西側からの眺め保津川の堰対岸の山肌に桜の疎ら咲き明日は、大覚寺の大沢の池の桜をご紹介します。
2013.04.07
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桜の花の満開と共に、会社の新入社式そして入学式が行われています。夫々希望を胸に一杯込めての門出の日でもあります。本日は、世界文化遺産の二条城の桜をお届けします。外堀の櫓大手門二の丸御殿と桜二の丸庭園と桜二の丸庭園と桜二の丸庭園 小堀遠州作特別名勝(国宝)の庭園です。内堀清流苑清流苑の桜外人さんも櫻苑桜苑桜苑桜苑 青空に恵まれました。明日から嵐山そして大覚寺大沢の池と京都の桜をご紹介します。
2013.04.06
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昨日は、23度の陽気で、桜の花も散り初めていました。二条城・嵐山そして大覚寺の大沢の池に取材に行ってきました。何処も、平日でありながら花見客で混雑していました。随時、映像をアップしていきたいと思います。本日は、 【哲学の道の桜】 です。琵琶湖疎水の支流に当たり、南禅寺の 【水路閣】の高さから水の流れは、鴨川とは逆に南から北上して 哲学の道を流れています。京都の街の北方 【松ヶ崎浄水場】 に達します。そして途中では、各屋敷の庭園の池にも注がれています。琵琶湖疎水の構想の趣の深さに感動します。 銀閣寺道の橋のたもとに石標 ソメイヨシノ桜の間から「大文字」南禅寺境内の「水路閣」「水路閣」の上を疎水の支流が勢いよく流れています。 哲学の道」の桜お日柄も良かったのでしょうか 大安 結婚式の艶姿が見られました。 哲学の道」の桜 1.8キロ川の流れと桜並木でした。哲学者、西田幾多郎先生は、何を感がへて、この道を散歩されたのでしょうか。明日は、世界文化遺産二条城の桜をご紹介します。
2013.04.05
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ダルビッシュ投手、米国の初舞台であと一人で「完全試合」逸す。本人ニッコリと観衆の地元米国人があと一人の時に手を合わせて祈る姿が親善を感じました。京都の桜二日目岡崎公園疎水べりのソメイヨシノの満開風景写真で送ります。蹴上インクラインから降りた場所の噴水観光船はここから乗船右手に岡崎動物園珍しく「黄桜」が咲いていました。向かいが岡崎動物園バックが大文字山京都市美術館観光船平安神宮の鳥居がかすかに見えます。平安神宮の橋から東を向いて平安神宮の橋から西を向いて。明日はいよいよ哲学の道のソメイヨシノ桜をたっぷりとお届けします。
2013.04.04
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昨日、小雨も降りましたが、ソメイヨシノの満開ということで、取材に行ってきました。【琵琶湖疎水】の一環として、琵琶湖から運河で、トンネルも幾つか超え此処蹴上の小高き水位から水を一気に落として【水力発電】 の構想を造り上げた場所で、運河を利用した荷扱いの船は、 【インクライン】 と言って傾斜鉄道で、平地まで運ばれました。桜の並木で順次その過程を写真で知っていただければ幸甚です。 地下鉄「蹴上駅」下車右手の斜めの坂が傾斜鉄道跡階段を上り詰めた蹴上公園以前にご紹介しました疎水考案者 田辺朔朗工学博士像東京工大(東京大学前進)の卒業論文が採用されました。銅像の前から望む銅像の前から岡崎公園を望む銅像の横に水力を利用する傾斜の土管傾斜鉄道の桜並木京都一流ホテル 「ウエスティンホテル都」日本初の水力発電所明治煉瓦造りインクライン 船を載せています。並木の桜並木の桜傾斜鉄道を望む傾斜鉄道が平地に無事到着下の水面にもぐり込み船は浮かびます。噴水が彼の偉業を感謝と讃えをしています。どれだけ多くの人たちが文明をあじわわしてもらったかを 明日は岡崎疎水の観光船着き場利用 1000円 時間待ちが長く歩きました。【蹴上】 (けあげ) 地名伝説源義経が16歳の時、鞍馬山から奥州平泉へにおもむくとき、此処で家来と一休みしているときに、平氏の群れ9名の馬が蹴上った土が義経の鎧を汚したことで 全員切り殺したということです。明日は、岡崎疎水の写真を送ります。
2013.04.03
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京都のソメイヨシノも、今が満開となりました。本日、曇り時々小雨でしたが、時期を逸してはと出かけました。明日から三日間に映像だけでもお届けしたいと思います。蹴上疎水・岡崎疎水そして哲学の道疎水と廻って来ました。何処も、桜を愛でる人特に外人さんが目立ちました。取り敢えず、自宅の側の山科川に沿った桜です。自宅付近は、初めてです。山科川に沿った桜並木犬の散歩にもよく使われます。雪柳も美しいです。ゆきやなぎバックは近鉄もものスーパーで近所にイズミヤ・イトーヨーカ堂と三店が競争しています。
2013.04.02
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京都では、一気にソメイヨシノも満開となりました。円山公園・岡崎疎水・哲学の道・二条城・平野神社そして嵐山昨日ヘリコブターで放映してくれました。本日は3月末に訪問しました京都御苑の花の様子をご紹介します。 建礼門広場 背景の山は大文字 花 黄桜花猿が辻の八重の桜猿が辻【鬼門の猿】京都御所の東北角を鬼門として夜な夜な飛び出さないように網で覆われた猿たまたま説明されているお父さん明治天皇の生誕地明治天皇生誕地の門鴨川バックは大文字山鴨川バックは比叡山鴨川分水域左・加茂川 右・高野川ソメイヨシノの川沿いに満開柳も負けていません出町の小さいお寺とソメイヨシノの桜
2013.04.02
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今日から4月に入りました。末に京都御苑の桜を求めて訪問しました。建礼門前の枝垂れ桜 建礼門と紫宸殿京阪三条駅下車 東海道五十三次の終点 【三条大橋】三条大橋 三条大橋を背景にソメイヨシノの桜 タクシーで一路京都御所の西側に存在する 【護王神社】へ 【護王神社】 (ごおうしんじゃ) 祭神 和気清麻呂 平安遷都の際、【桓武天皇】に忠実に使えた人で、将軍塚で京の都に天皇を狩りに事寄せお誘いして、定められました。 或る日、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が皇位を奪わんとした事件があり宇佐八幡の神託をもって其の野望を封じました。そのため鹿児島の大隅に流され、【宇佐詣で】の際、周りの草むらに火をつけられ、殺されかけたところ、【猪300頭】ほどが現れ、火は消され、何れともなく姿を消した謂れがあり、宇佐の神のお使いとして、狛犬の替わりに珍しく【猪】が護っています。 美濃傘着けた土地の援軍が猪に見えたかも。護王神社本殿 猪の狛犬 阿形 猪の狛犬 吽形 有栖川宮邸の枝垂れ桜護王神社の南隣烏丸通に面して右側御所 現代も京都御所の西側に有って、歴代天皇を見守って使えています。 【蛤御門】 (はまぐりごもん) 先週大河ドラマで出ました。【蛤御門】は、京都御苑の西側、【護王神社】の東向かいにあります。【天明の大火】【光格天皇】のとき(天明8年1月30日)京都御所も炎上蛤御門は、開かずの門でしたが、大火のため、初めて開門、「蛤も焼くと蓋を開ける」ところから、「蛤御門」と呼ばれるようになりました。その後、 【蛤御門の変】 (1864.7.19.) でも激戦地と成りました。新しい日本を考えた、長州藩は、徳川幕府と対抗、そのため京都では【池田屋騒動】等で長州藩の志士は、暗殺され、遂に兵を挙げ、徳川慶喜を要する御所防御の【会津藩・桑名藩・そして薩摩藩】との激戦で、結果、長州藩は敗北その上、天皇に背いた逆賊扱いにされ、長州藩の居場所に 火をつけました。 【どんど焼き】 として、再び京都の街は火の海となりました。住民の恨みを受けました。蛤御門 蛤御門の戦いの傷跡 蛤御門側の梅の花京都御苑の中様子明日に続きます。
2013.04.01
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