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本日で120日京都観光一巡しました。感謝。【東塔】 【阿弥陀堂】阿弥陀堂 阿弥陀如来像 阿弥陀堂前に【水琴窟】 根本中堂の本尊が、薬師如来でした。 【西塔】常行堂と法華堂弁慶が担ったという。 「東塔」から奥比叡ドライブウエイで自動車から降りて、暫く歩を進めますと、【常行堂】(じょうぎょうどう)と【法華堂】(ほっけどう)とが廊下で結ばれています。弁慶が両堂を担ったという伝説から「弁慶のにない堂」と称されています。この両堂で、修行僧が、「朝題目」そして「夕念仏」日毎に唱えておられます。【常行三昧】(じょうぎょうざんまい)慈覚大師円仁が五台山から伝えた修行法で90日間堂内を阿弥陀仏の名を唱えながら回る行といわれています。【釈迦堂】国宝・釈迦堂 【横川】(よかわ)【横川中堂】 慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩【恵心堂】(えしんどう)恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が念仏三昧にすごした所です。【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。「横川中堂」からの道中に、西国三十三ヶ所観音霊場が第1番から順次観音像を辿っていきますと、「元三大師堂」に至ります。殆ど人気がなく、静かな雰囲気で回れます。【四明ケ嶽】 (しめいがたけ)839m比叡山の頂上】 山頂の回転展望台比叡山の頂上には、遊園地と360度回転展望台があります。遊園地の各所に、「モネの陶画」が飾られ、池には、モチーフの蓮が咲いている時があります。回転台からは、京都市街・鞍馬・大原・琵琶湖大橋・大津・瀬田大橋が順次眺められます。 苑内各所に「モネ」の絵が見られます。 花壇 「将門岩」(まさかどいわ)・「純友岩」(すみともいわ)が頂上近くに存在します。•935年 藤原時平(左大臣)・菅原道真(右大臣)の頃、平の将門と、海賊の首領藤原純友とが、この岩の上に立ち、広大な絶景を見渡していた将門が純友に「お前は西日本を取れ、わしは東日本を取る。同時に事を起こして、再び此処で会おう」と約束したが、反乱は鎮められ再会は適わなかったという、言い伝えが有ります。岩だけが未だに残っています。以前は「将門岩」の標識が立っていましたが、今は苑内の案内書からもなく、苑内の管理女性に聞いて確かめました。ロマンがなく惜しまれます。将門岩眼下に琵琶湖が見渡せます。琵琶湖帰りは、京都方面に、「空中ケ-ブル」と「ケーブル」で 「八瀬」(やせ)に降りました。 空中ブル 空中ーブル ケーブル 八瀬(高野川の上流)
2013.08.31
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京都物語の今回最終です私の青春期に育った天台宗の環境でした。伯父二人が麓、坂本の地の大僧正で、特に二番目の伯父は天台宗第50世天台座主にまでなりました。【比叡山】 【延暦寺】比叡山から琵琶湖を望む世の中に 山という山は 多けれど山とは比叡の 御山をぞいう 慈鎮和尚 根本中堂根本中堂延暦寺は東塔・西塔そして横川(よかわ)の三塔からなり、【根本中堂】 (国宝)(こんぽんちゅうどう)【阿弥陀堂】【釈迦堂】さして【横川中堂】があります。 見渡す緑の山林の一木一草にも、伝教大師の精神が染み渡り人々の心のふるさととも申すべき聖地でもあります。根本中堂 開基 最澄(伝教大師) 世界文化遺産に登録 平安京の王城鎮護の役も務める。都の丑寅(北東)鬼門の位置にあります。 今から1200前延暦4年(785) 伝教大師最長が、19歳の時に山上に草庵を結ばれ、山川草木一切のものに、「仏性」が宿ると感得され日本仏教の母山と称せられる様になりました。 伝教大師の教えで、 【亡己利他】 (もうこりた)己の欲を無くし、人の利になるよう、常に心掛けること。 (注 私のプロフイールの座右の銘としています。)【一隅を照らす。これ国の宝なり】 その人の存在により、その周囲を明るく照らす。されば世の中は、平和であり、国の宝となるでしょう。 【東塔】【大講堂】僧侶の学問所で、本尊 大日如来 脇侍 弥勒菩薩・観音菩薩延暦寺を本山とする、伝教大師を始祖とするも、経典の解釈に従って、山で修行の結果、各宗教の始祖として、分かれて行きました。空也・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・一遍 等その扁額が堂内飾られています。他には、桓武天皇・中国天台大師・聖徳太子・伝教大師・十大弟子大講堂【開運の鐘楼】自由にお願い事して撞けます。合掌されて余韻の音を聞かれると何ともいえない神々しさを感じます。【根本中堂】【国宝】【延暦寺の総本堂】三代将軍徳川家光が再建•1. 本尊【薬師如来像】は、伝教大師最澄が刻まれた•2. 本尊の前に1200年間と灯し続けられています【不滅の法灯】が輝いています。織田信長の焼き討ちに会いましたが、山形県立石寺の分灯により、受け継がれています。ここから【油断】が生まれました。•3. 須弥壇のある【内陣】が【参拝者】の坐る中陣・外陣より低い谷底の様な場所にあり、仏像や法灯が参拝者の目の高さに来ているのは、「仏も人も一つ」と言う仏教の【仏凡一如】の思想を表現している意で、僧侶は低い内陣から祈祷されています。即ち天台宗の仏殿様式は、僧の謙虚さを表しているとも思われます。•4. 中陣は、挌天井形式で、板には、百花の図柄が掲げてあり、家光により、各大名が献花したもようです。•5. 太い檜の柱は、一本の木の芯を避け、4分の1の柱で、原木の太さが想像されます。同じ「東搭」ですが、「講堂」より西の方に、【阿弥陀堂】が有ります。阿弥陀堂阿弥陀如来像【西塔】 「東塔」から奥比叡ドライブウエイで自動車から降りて、暫く歩を進めますと、【常行堂】(じょうぎょうどう)と【法華堂】(ほっけどう)とが廊下で結ばれています。弁慶が両堂を担ったという伝説から「弁慶のにない堂」と称されています。この両堂で、修行僧が、「朝題目」そして「夕念仏」日毎に唱えておられます。【常行三昧】(じょうぎょうざんまい)慈覚大師円仁が五台山から伝えた修行法で90日間堂内を阿弥陀仏の名を唱えながら回る行といわれています。【転法輪堂】(てんぽうりんどう)【釈迦堂】三井寺の「金堂」を移築された建物で、山内で最も古いものとされています。 【横川】(よかわ)【横川中堂】慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩【恵心堂】(えしんどう)恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が念仏三昧にすごした所です。【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。「横川中堂」からの道中に、西国三十三ヶ所観音霊場が第1番から順次観音像を辿っていきますと、「元三大師堂」に至ります。殆ど人気がなく、静かな雰囲気で回れます。明日は、西塔の写真と比叡山の頂上にまいります。
2013.08.30
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ツクツクホウシや夜には虫の鳴き声が聞こえる様になりました。いよいよ秋遠からじのかんじです。宇治の最終黄檗山万福寺です。中国風の境内に浸ります。 紫陽花の三室戸寺の次の京阪電車の駅が 「黄檗山万福寺」です。 禅宗には、臨済宗・曹洞宗そして本日の黄檗宗があります。曹洞宗では、観光寺院としてはなく黄檗宗では、庭園がありません。座禅・修行本意に造られています。 【黄檗山万福寺】 (おうばくさん・まんぷくじ) 黄檗宗総本山宇治は日本でも有名な茶処、JR黄檗京阪黄檗駅の近くにあります。【駒蹄影園碑】 が、総門の前に建っています。 駒蹄影園碑 鎌倉時代の初めごろ宇治の里人たちが、茶の種の蒔き方がわからず困っているところへ、通りかかった栂尾(とがのお)高山寺の明恵(みょうえ)上人 が、馬を畑に乗り入れ、その蹄(ひずめ)の跡に種を蒔くように教えたと伝えられています。この碑は明恵上人の感謝とその功績を顕彰するために建てられました。世界文化遺産の 【高山寺】の開祖です。 「栂山(とがやま)の 尾上(おのえ)の茶の 木分け植えて 跡(あと)ぞ生(お)ふべし 駒の足影 明恵総門前の碑の側に龍の目の井戸がありました。 総門は、龍の頭 総門 龍の蛇腹を象った菱形の敷石 (禅寺では多く見掛けます) 龍の蛇腹を模した参道 菱形石 山門山門の前の碑 にんにく・酒を口にした人、入るべからず。中国風の門 「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄 菊舎尼万福寺は、開山 隠元(いんげん)禅師で10代まで中国の僧でした。従って、境内は中国風の雰囲気に充ちているため詠われたもの。 【布袋尊】(ほていそん) 都七福神 巡礼所のひとつ。正月には、七福神巡りで賑わいます。 布袋尊 みやこ七福神のひとつ写真撮影許可をもらいました。僧の姿だけは撮らない様にと 開版(かいばん)魚版で、木魚の原形となっているものです。 広々とした境内 開版 お魚の形 時を知らせるもので、禅寺の座禅で、魚は寝ていても目は開くことを諭しているとも言われています。本堂には、釈迦三尊が祀られています。一般には脇侍(きょうじ)は、釈迦如来の場合。【文殊】【普賢】菩薩ですが、此処では 十大弟子の筆頭【迦葉】(かしょう)【阿南】尊者が祀られていました。 羅怙羅 (らごら)父の釈迦の顔を胸に抱いている姿の像羅怙羅(らごら)尊者 お釈迦さんの実子で、出家して修行の末悟りを開かれ、心に仏性を抱くとして、胸を開けた場所に仏の顔が仏像として祀られていました。法堂(はっとう)砂紋が素晴らしいです。 法堂 舎利殿隠元和尚の開山堂隠元は中国人で万福寺を創設されました。豆知識インゲン豆は、メキシコ・中央アメリカの原産ですが、1654年に中国の僧隠元和尚さんが、中国(明)から日本に持ち込まれたことからの説もあるようです。明日は、京都観光一区切りの最終比叡山延暦寺に参ります。
2013.08.29
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可成り朝夕涼しく成って来ました。 私の住まいのお隣が宇治市で其処にある広々とした山肌にある寺院です。【三室戸寺】西国三十三箇所観音霊場代十番の札所です。宇治の平等院から、京阪電車一駅目に三室戸があります。 三室戸寺脊柱坂を上るまえの表門蓮池を伴う本堂前広場兎歳に作られた兎、地名を莵道(とどう)と名付け宇治上神社でご紹介しますが宇治の地名に繋がります。龍の蟇股本堂鐘楼と三重塔源氏物語【浮舟】歌碑三重塔本堂前のつつじ庭園庭園 【5月つつじの頃】昨年写しました。つつじの苑 新緑の三室戸寺 ツツジ 20,000本となっています。シャクナゲ・紫陽花そして蓮のときもすばらしいです。 新緑とつつじ つつじ苑 一人で鑑賞もよいですが、家族で「あつ、綺麗」とことばをかけあつて観るのも、また幸せを一層深めるものです。アジサイもツツジに代わって、 10,000株が見られます。明日は、黄檗宗万福寺に参ります。
2013.08.28
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今朝も可なり冷え込みました。京都にも小さい地震が有りました。現代大阪府堺市にある、古墳【仁徳天皇陵】が話題になっていますが、宇治の地に祭神としても祀られています。兎角跡目相続で問題になりますが美談がのこされています。 あまり、世間で著名でなかったと思われる、古い歴史を残す宇治に【宇治上神社】の方が世界文化遺産に登録されました。直ぐ隣接して、「宇治神社」も有りますが、戸迷う感じでした。 宇治上神社の鳥居【宇治上神社】 (うじかみじんじゃ)日本最古の神社形式(平安・鎌倉時代)世界文化遺産に登録 京都に世界文化遺産に登録17箇所のひとつです。【祭神】菟道稚郎子命 (うじのわきのいらつこのみこと)父・応神天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、異母兄・大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られるます。応神天皇第15代。菟道稚郎子命の父。仁徳天皇第16代。菟道稚郎子命の異母兄。宇治平等院から宇治川を渡った位置にあります。 宇治橋京阪宇治駅を宇治川に沿って、上に直ぐの所に、「宇治神社」が有ります。 宇治神社 近代的でまさかと思いきや、【さわらびの道】を 早蕨の道の入口付近 さわらびの道 更に通り過ぎて、少し坂を登った所に【宇治上神社】が有りました。世界文化遺産と言うことで、訪問しても、実にこじんまりとして、古さだけが目に映ります。 参道の紫陽花の花でも歴史的には貴重な建物【本殿】【拝殿】共に【国宝】に指定されています。 拝殿 清めの砂 上賀茂神社にもありました。 本殿 本殿の狛犬 阿吽の狛犬 祭神が【応仁天皇・仁徳天皇】そして【菟道稚郎子皇子】(うじのわきいらっこ) (応仁天皇の皇子で仁徳天皇の弟)宇治の地名の基とも言われています。父応仁天皇の寵愛を受けていましたが、兄との皇位継承を譲り合い、自殺して兄仁徳天皇を立てたと言われています。珍しく心優しい弟でしたね。宇治上神社の蟇股 ここでの見所は、 【日本三蟇股】(かえるまた)【宇治上神社本殿】【上醍醐・薬師寺】(上醍醐ブログに記述)【奥羽中尊寺金色堂】【龍安寺】で由来を記していますが、 日光東照宮の左甚五郎作の有名な【眠り猫】も、蟇股の中で眠っています。裏には鼠が居るとか、要は、木製の建物は、火災から魔除けのために、水に関係する、蟇を飾ったと全国的に採用されています。清水が今でも湧きます 宇治の名水 桐原水 もう一つは、【桐原水】(きりはらすい)と言って、「宇治の七名水」の一つとして、未だに、清水が、湧き出ています。【源氏物語】にも関係するようです。自宅の付近で、歴史的に遠く昔を偲ぶことが出来る社寺があり恵みに感謝しています。明日は同じ宇治の【三室戸寺】に参ります。
2013.08.27
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今朝は全く久しぶりに、ひんやりとした肌に気持ちの良い環境と成りました。酷暑で外出もままならず、でも何時かまた凌ぎよい季節に巡り合えることありがたいです。本願寺が親鸞聖人の崇められる阿弥陀さんも、此処でも鳳凰堂に阿弥陀さんの素敵な国宝の仏像が中心です。 私の住む伏見区のほんの近所に、世界文化遺産の社寺が三ケ所もありとても恵まれています。醍醐寺・宇治平等院そして宇治上神社です。 阿弥陀さん の指と手の形の組み合わせ しるしてみました。浄土にも段階があるようです。 【平等院】 宗派は単立(天台宗と浄土宗) 開基 明尊 琵琶湖「瀬田」から流れてきました「宇治川左岸」に「宇治上神社」と対峙して存在しています。国宝・鳳凰堂 池に写される 初代仏師【定朝】 じょうちょう)作の【国宝】【阿弥陀如来像】が実に落ち着いて素晴しい一語につきます。付随した【天蓋】【雲中供養菩薩】そして【壁画】も【国宝】で 「藤原頼道」が1000年前に末法思想が取り沙汰された時代で、生前中でも「極楽浄土」を再現しょうと考え、(金閣庭園を足利義満も同じ)貴族と僧侶によって、建てられました。 阿弥陀さんの座します【鳳凰堂】(ほうおうどう)もそして屋根の両端に飾られる【鳳凰】一対も【国宝】です。お堂の前に池があり鳳凰堂を池越しに眺めますと、池にも反射してとても美しい情景が観られます。「十円硬貨のデザイン」ともなっています。 丸い窓を設けて、庶民にも阿弥陀さんのお顔だけ拝せる仕組み 頼道の思い遣りが、「阿弥陀さん」の顔の前面に、「丸窓」が見えます。「極楽浄土」を庶民にも一部垣間見ることが出来る様に、存在しています。 国宝・鳳凰堂 【日本三名鐘】「形の平等院」【国宝】 「音色の滋賀・三井寺」 「銘の高雄・神護寺」 日本三名鐘の形の美本物は宝物館で観られます。【鳳翔館】(宝物館)では、名鍾・雲中供養菩薩像・壁画・鳳凰【国宝】その他が展示されています。 【藤棚】藤の花が咲く頃は、とても美しいです。【阿弥陀さんの九印相】阿弥陀如来は、西国極楽浄土を支配されてると言う事で、鳳凰堂の壁画も、 【御来迎の図】 が画かれ、九壁画に分かれているそうです。平等院の阿弥陀如来像は、 【上品上生印相】 (じょうぼんじょうしょうのいんそう)で最高位。阿弥陀さんの手の指が、「親指」と「人指し指」 【上品】「親指」と「中指」 【中品】「薬指」と「親指」 【下品】円く交わる事で、夫々、「上品」「中品」「下品」と称し、阿弥陀さんの両手の位置か゛「膝の前で結ぶ」 【上生】「両手を開いてお説教するように、上に揚げる」 【中生】「右手を揚げて、左手は手の平を開けて膝の上に」 【下生】 (施無畏・与顔)(施無畏・与顔) (せむい・よがん) Google画像で出て来ます奈良の大仏さんの形右手は不安畏れを無くす施し。 主の平安(キリスト教)左手願いを適う与えましょう。 求めよ開かれん(キリスト教)「上生」「中生」「下生」(げしょう)と称します。この組み合わせで、九印相の阿弥陀像が表されます。極楽浄土への位置付けでしょうか。「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」太秦の広隆寺には、「中品中生」の阿弥陀像が見掛けられますが、殆どは、「上品」クラスのようです。 御家庭での仏壇では、「上品下生」(じょうぼんげしょう)の即ち、施無畏・与願の型で指は親指と人差し指を交えた形の阿弥陀さんが多いです。一度試してみてください。 宇治上神社から宇治川を渡って平等院への橋 魚の供養のための十三重の塔 源氏物語・紫式部の像宇治橋の側に建っています。 宇治橋現在 鳳凰堂が 大修理されていますので その面影はしばらく観られません。来年3月完成予定です。
2013.08.26
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私の日記によれば、30度以上赤で記しいますが7月16日から28日に1度28度があり、昨日漸く28度に下がりました。 昨日は世界文化遺産の西本願寺をご紹介しましたが、本日はJR京都駅の玄関口から、最も近い寺院 東本願寺を訪ねてみます。こちらは国宝級のものが無く世界文化遺産に登録されていません。東本願寺御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り千畳敷の畳は日本一祈りと法話を聞く所東西のお堂の位置を何故か敢えて変えています。御影堂も読み方が 師匠の知恩院浄土宗の法然上人は「みえいどう」そして弟子の親鸞聖人の東西本願寺は「ごえいどう」とお寺さんにも意地があるのでしょうか。 西本願寺 世界文化遺産御影堂 阿弥陀堂阿弥陀等と御影堂の位置もかえています。東本願寺阿弥陀堂 御影堂そして以前より、主たる阿弥陀さんのお堂が小さく人間親鸞さんのお堂が広く造られていてとても疑問にある時和尚さんにきくところでは、阿弥陀堂は念仏するところ御影堂は信徒に法話をするところと浄土宗開祖法然上人の弟子として親鸞上人は 浄土真宗の開祖となり師匠の受け継ぎで、一般庶民でも只「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土に阿弥陀さんを通じて召されるとして、全国に信者さんが大幅にふえました。時に、徳川家康は、信徒の結集に畏れ、本願寺に土地を与え東西に勢いを分けたことから東西の本願寺があります。京都タワーを望む右東本願寺勅使門左、イチョウの樹本願寺の火災の時に、水を吹きだして消火に役立ったとの謂れ。京都駅前が近いです本願寺前の噴水イチョウの樹平成の大修理で阿弥陀堂は平成25年までかかる予定です。御影堂はすでに完成しました。御影堂廊下堂内入り口 堂内撮影禁止千畳敷の一部を東本願寺は後から御影堂を建てたので畳の数が多くつくられました。威信のためでしょうか。龍の手水京都タワーと伽藍 タワー建設に当たって東本願寺は伽藍にそぐわないとして反対しましたが、京都はお寺の多いことより京都駅前に「ローソク」を1本立てることでの妙案が生まれ現在の蝋燭型の塔が実現しました。そして人口130万人に合わせ高さ130mです。 JR 京都駅 JR京都駅正面駅構内の吹き抜け改札口入場した改札口1番線 2番線に電車右手の建物が 新幹線乗降の場所。京都駅のご紹介で、旅情を楽しんで下さい。次回、阿弥陀さんに関係する宇治の平等院に参ります。阿弥陀さんの九つの姿を手と指の変え方で表現されます。
2013.08.25
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各地で雷が大暴れです、猛暑そして熱帯夜の記録は更新中です。でも秋の気配は何と無く顔を覗かせているようです。もうしばらくの辛坊でしょうか。世界文化遺産の西本願寺の春の大法要として、今年4月13日から15日に掛けて盛大におこなわれました。その間日頃非公開とされている国宝飛雲閣と国宝書院の特別拝観がされました。私としても一生で2回目の鑑賞ができました。飛雲閣国宝が多く存在するので、世界文化遺産に西本願寺は、登録されました。京都の三閣として、金閣・銀閣と合わせ貴重な存在ですが、常時鑑賞出来ないだけに、ラッキーでした。大徳寺の芳春院の呑湖閣も合わせると京の四閣とも、非公開です。阿弥陀堂 御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り、祈りと法話が行われます西本願寺の境内にある龍谷大学 大谷学舎生徒さんたちはこの正門から学舎に対して一礼して去られる姿を観ました国宝 唐門飛雲閣への入口の門新緑が美しいです池面に映されています。 水鳥国宝 書院の玄関山吹の花が咲いていました特別名所(国宝) 虎渓の庭 三尊石 鶴島亀嶋 石橋 が観られます国宝 能舞台 日本最古のものと言われます。参拝教化部 入り口に信者団体のチューリップの寄贈イチョウの樹本堂が火災に合ったとき、水が噴き出て消したという謂れがあります太鼓楼八重の桜 写された 太鼓楼です。新撰組の屯所となってお寺としては太鼓で、お祈りを始める合図とされていましたが、大砲を鳴らしたりして新撰組が暴れたので迷惑していました。明日は京都駅の前にある東本願寺です。
2013.08.24
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イチロー 4000本安打達成 おめでとうイチロー語録 4000回の嬉しさのために8000回の自分に対して口惜しさをあじわいました。 全国高校野球選手権大会優勝戦前橋育英 4対3 延岡学園初出場初優勝の前橋育英おめでとう健闘空しく準優勝の延岡学園素晴らしい試合ありがとう胸を張って故郷に報告してください。 徳川家康には、日光東照宮という、豪華な祀られた場所がありますが織田信長の祀られた此処建勲神社は、人知れず密かに建っています。 枯山水の庭園と茶室に恵まれた大徳寺を出ますと近くに織田信長を祀る【建勲神社】があります。 入り口の鳥居平地から石段を可也登っていきます。偉い人は高いところを好むののでしょうか。 石段の参道 参道 幾つか屈折した石段の最上部やっと石段の参道を登りつめました。本殿が見えてきました。 本殿で静まり返っています 本殿からは、京都の都が見下ろせる位置に鎮座まします。本殿前からの写真です、彼方に大文字山がみえます。本殿の境内は広くその奥に隣接した、市民の広場が開けます【船岡山】 と称します。昨日ご紹介しました大徳寺塔頭の弧蓬庵(こほうあん)は寺院の庭園の借景として、船岡山を小堀遠州は採り入れています。頂上ではこのラジオで朝のラジオ体操がおこなわれています。 頂上広場頂上からは、京都市街並びに御室嵯峨方面の北山連峰が見えます。 京都市街 御室・嵯峨北山連峰 一番奥が愛宕山船岡山を西に降りますと、金閣寺が直ぐ側です。賑わいの陰にひっそりと佇んでいます。船岡山は中国の風水によりますと、京の都の基点になり、二条城側の神泉苑に風水の瑞線が繋がっていると言う、神聖な山とも言い伝えられています。都の西北に織田信長の神社が、そして明治維新以降に建てられた豊臣秀吉の豊国神社が東南に斜線で繋がっているのも偶然でしょうか。平安遷都で、都造りにも、中国の易を大切に、【四神相応】【風水】を基盤に、厄害呪い等を避けるべく、大切に扱いました。船岡山は、風水の霊地として存在価値があります。四神 百虎(東) 西龍(西) 朱雀(南) 玄武(北)亀・黒現在の【千本通】゛風水の道で、都が出来たときの大内裏から朱雀大路(100m幅)が広がっていました。
2013.08.23
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京都15日間連続猛暑日・戦後記録更新。全極高校野球選手権、東北勢2校よく頑張りました。胸を張って故郷に錦を飾られご報告ください。 大徳寺の最終です。此処だけでも日本の歴史の 流れを偲ぶ内容が多く存在していました。 大徳寺非公開文化遺産の特別公開で、聚光院と真珠庵を目指して訪問しましたが、偶然大徳寺塔頭では、初めての公開とも云える二ヶ所をたまたま訪問することができました。金毛閣の直ぐ側に建てられている興臨院に先ずまいりましょう。【興臨院】石川県能登の戦国大名 畠山義総 の戒名からの命名で畠山家の菩提寺です。火災に逢いその後加賀の前田利家により再興以後前田家の菩提寺でもあります。興臨院唐門は室町時代のものムラサキシキブ方丈庭園蓬莱山方丈裏の庭園 もみじ みつけました茶室【黄梅院】 織田信長公28歳のころその父君 織田信秀の追善菩提のため当時の羽柴秀吉により小庵を造営しました。 開祖の僧の出身地中国黄梅県破頭山により寺名がつけられました。従って日本の禅寺で一番古いとされています。秀吉は、庭園として千利休に命じ【直忠庭】を遺しています。三尊石を中心に広々とした苔の庭でした。後に信長公が本能寺の変で急逝するや、庵では、小さいとして【総見院】 を建て大徳寺焼香も盛大に催しました。後に、毛利元就の子小早川隆影が普請奉行となって、両親元就夫婦の墓も信秀と共にあります。庵を院に改めました。寺格として 寺・院・庵・坊・軒黄梅院の入れ口玄関前の苔庭参道間口は小さいので小さい寺院と思いました女性群写真撮って居ます。もみじがありました茶室直中庭回廊があって向かいまで廻ります。広さを感じます。恐らく織田信長の菩提寺総見院と同じ広さ枯山水の一部破頭庭の方丈枯山水三尊石と一直線の砂の紋単純的ですが中国の景勝地そして厳しさの伝統を忍ばせますこの一週間大徳寺について、ご紹介しましたが、歴史の流れが追悼菩提でささえあっているようで、戦国時代の様子が偲ばれました。活躍した秀吉の足跡面影が此処に存在しないのが不思議です。禅宗と枯山水の庭園は見所が飽きることがありません。大徳寺が【茶面】(ちゃづら)と言われるように茶室に興味ある方はまた趣が深いでしょうね。明日は、織田信長の祀る 建勲神社にまいります。
2013.08.22
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夏の全国高校野球選手権大会も、昨日大会史上初の休養日を設けました。灼熱の猛暑の中連戦に公平さのためとありました。本日いよいよ準決勝日大山形 対 前橋育英花巻東 対 延岡学園何れも接戦を勝ち抜いて参りました。悔いの残らない健闘を祈ります。 大徳寺は非公開寺院が殆どですが今回主役ともいえる千利休の菩提寺を特別公開で訪れました。 聚光院の門聚光院の玄関千利休の墓京都に住みそして観光に何回か大徳寺を訪れましたが、85歳にして初めて、念願の千利休さんのお墓詣でが実現しました。受付の方の計らいで、「お参りしたい」意向で案内を受けました。感激。【聚光院】 (じゅこういん)織田信長が眠る、【総見院】の東隣に位置します。三好義継の父長慶の菩提寺でその戒名から名付けられました。開祖 笑嶺和尚さんは、大阪堺に海眼庵の茶室も建て、そこでの俗弟子に千利休が居りました関係で、縁となり、茶道三千家の菩提寺ともなっています。【笑嶺和尚の面影を偲ぶ挿話】「太閤記」によりますと、織田信長の「大徳寺大焼香」の葬儀にあたり笑嶺和尚が焼香の纏め役に当たり、織田家の嗣子に対する秀吉の取り扱い方に誤りのあることを感じ、衣装の間に短刀を秘して秀吉の態度如何によっては、彼を刺そうと構えました。弟子の古渓がそれを知り驚き、強いて退席させ、代わって古渓がその役を務めたので、焼香場の争い無く済んだと伝えられています。 秀吉の野望が見え隠れします。当時からその傲慢さ秘策さに憎まれていた節がみえます。【方丈の襖絵】狩野永徳画 4箇所 国宝指定真珠庵 特別公開 一休さんの寺左参道は、【大仙院】です真珠庵の入口受付の女の方に尋ねましたが、此処も庭園全て撮影禁止でお寺さんが決めておられるのでとのことでどうもとで、諦めました。七五三の庭園が有名で、一休さんが僧侶として務められたお寺でもあります。大仙院前のもみじです大徳寺境内を西へ出たところに今宮神社が゛ありました。【弧篷庵】です。弧篷庵境内弧篷庵玄関弧篷庵大徳寺への参道左邸宅の御婆さんと立ち話杖をついて、弧篷庵へその面前の邸宅のおばあさんに呼び止められ「どちらまで」「どちらから」此処はとても静かなええとこやけど、最近一人で話す機会がないので、とても淋しおすわ、京に住んでまだ二条城にも行ってまへんわ、何時もこの坂道からご来光をおがましもろてます。ありがたいことですわ。あんたはんも気を付けて下さいや。 大徳寺境内より、飛び地になったやはり塔頭の【弧蓬庵】が今宮神社の参道を越えたところに位置します。此処も非公開で、特別に予約して、見せていただいても、撮影は全て禁止で、とても残念です。 大徳寺は、戦国時代の各武将家の菩提寺が集結しています。でも此処には、豊臣も徳川もありません。【弧蓬庵】 (こほうあん)非公開 (中国風景に出てきます、菰の帆かけ小船)「小堀遠州」が故郷「近江八景」を庭園に作庭。「船岡山」を借景に採り入れています。茶室 【忘筌】 (ぼうせん)中国の諺に「得魚忘筌・得兎忘蹄」 (とくぎょぼうせん・とくどぼうてい)があり、其の中から名付けられたようです。説明では茶人の心得といわれました。魚や、兎を手にすると、人は、世話になった魚や兎捕獲の器に感謝する事を忘れてしまう。戒めとも考えられます。功成れば師の恩を忘れてしまいがちの戒めでしょうか。中国の漢詩は、随所に、ことば短くして至言を伝えます。中国の歴史に、何故中国の人たちは、誇りを持てないのでしょうか、惜しまれる現実です。
2013.08.21
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戦国時代が最も歴史で様変わりのある時代でした。織田信長 鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス 鶯は間違いでした豊臣秀吉 鳴かぬなら 鳴かせてみようホトトギス ご免なさい徳川家康 鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス臨済宗(禅宗)の寺院は、京都に世界文化遺産17箇所の内、 金閣寺・銀閣寺・天龍寺・龍安寺・西芳寺と5箇所含まれるほどに、文化的に高く評価されている傾向にあります。大徳寺シリーズも今回まで、此処だけでも心が和みます。大徳寺では、多くの塔頭が有りますが、特別公開以外には4箇所の常時拝観できる塔頭(たつちゅう)が有ります。【大仙院】【高桐院】【瑞峰院】そして【竜源院】です。【大徳寺4.】【竜源院】 大徳寺塔頭能登の畠山氏、豊後の大友氏、周防の大内氏が建立しました。 参道本堂は、室町時代最古の応仁の乱以前に建てられた禅宗方丈建築で 本堂庭園は土塀を背景にした飾り気のない枯山水の竜吟庭と苔庭と一枝坦(いっしたん)そして小さい壷庭があります。 竜吟庭 苔庭 一枝坦の庭園 壷庭 部屋には豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝える碁盤があります。 秀吉と家康が対戦したという豪華な碁盤臨済宗禅宗の寺院では、龍の絵画を大切に表現しています。庭園の清掃は行き届き、観る人の心に清浄感を与えます。 全国高校野球選手権大会も四国勢と東北勢ての準々決勝では東北勢に僅か1点差で勝利の女神は微笑みました。負けた四国勢も良く頑張りました。エールを送ります。選手権初めての休養日を設けました。日程の公平性からだそうです。
2013.08.20
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八重の桜で【女紅場】(府立第一高等女学校)で女子のみの教育の場として、政府が女性の教育の大切さが始まりました。僅か日本も100年前の歴史です。キリスト教も常に弾圧されて、信仰の自由も許されても軍事政権下では、日の目を見ることが出来ませ下でした。 本日も、キリスト教禁令の中での大友宗麟の菩提寺をご紹介します。 枯山水の庭園で、荒波をあしらった表現は珍しく印象に深く残ります。 【瑞峰院】 (ずいほういん)公開。キリシタン大名【大友宗麟】(おおともそうりん)が菩提寺として建てました。豊後の戦国武将大分出身霊名 ドン・フランシスコ瑞峯院は禅宗の戒名から名付けられています。玄関入り口 禅宗の入り口に【韋駄天】峨祀られ守護されています。 坪庭庭園の一箇所に、十字架の庭がわかり易く、鑑賞出来ます。 十字架の庭石組みが斜めに十字架と組まれていますが隠れた形で信仰を保っています。何と云っても【方丈庭園】は、枯山水で、荒波が岬に。怒涛の如く押し寄せる風景に、砂をするどく、深めに形作っています。外に類例が無い、豪壮な姿を表現しています。 方丈庭園・枯山水の怒涛逆巻く豪壮な砂の彫り方は他に類例ありません。信仰を貫く精神が垣間見られて、私の最も好みの枯山水です。茶室で国宝は3箇所その一つ、大山崎に有る【待庵】(たいあん)のモデルが新装なり、特別に申し込まれましたならば観られると思います。【聚光院】(じゅこういん)非公開 千利休・三千家の墓有り菩提寺。 【龍光院】黒田長政が父如水の菩提のために建てました。日本国宝三茶室【蜜庵】 (みつたん)が有ります。外に愛知県犬山市【如庵】(じょあん)そして京都府大山崎の【待庵】(たいあん)です。【三玄院】非公開 石田三成の墓があります。【芳春院】非公開 前田利家夫人芳春院の創建です。【呑湖閣】(どんこかく)小堀遠州作といわれ、前田家は、上洛の際「琵琶湖」に関係有り、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)と京都の四閣にあたります。特別拝観時観られます。 塔頭が外にもあり、何れも織田信長・豊臣秀吉に関係した武将達の菩提寺で、「茶室」もあり、京都では、【大徳寺】 を 一名【茶面】(ちゃづら)とも云われています。明日に続きます。
2013.08.19
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大徳寺は豪成るものに屈せす、傲慢な足利義満の禅宗京都五山の誘いも断り、あるじの織田信長の葬儀も、シメヤカに営なまず。自己誇示のための全国の諸諸将に号令して、総見院の前でいわゆる【大焼香】をしました。功績と捉えればこの大徳寺には最も大切に菩提寺が有ってしかるべしで、その上心の師匠千利休をも切腹に追いやりました。石田三成の菩提寺すら有りながら、秀吉の菩提寺は有りません。大焼香の前には、その横暴さに僧侶の中で秀吉暗殺計画もあったそうでその師匠によって未然に防止されたほどで、当時の世情が察せられそうです。豊臣秀吉と千利休、本日の大仙院でお茶をかわしたとされる部屋が ありました。美しい枯山水の庭園を眺めながら、然し秀吉には自分より秀でる者をもうとみました。利休の弟子が「金毛閣」の二階に師匠を崇める木像を安置、その門を秀吉に潜らしたと難癖を付け怒って切腹を命じてしまいました。利休が誤ってくれると信じてのたわごと、でも理は通らず、「お前が頭さえ下げてくれればそれで済むのじゃ。頼む」としても利休は切腹を選びました。 【大徳寺2】【大仙院】 塔頭で公開している中で最も大きく、見所も多いです。入り口の隣に一休禅師の住持された【真珠庵】が有ります。非公開で特別公開の時は、七五三の石組みの庭園などが観られます。入り口で、ブログ取材のため写真をと尋ねましたが、庭園すら撮影禁止で皆様にはご紹介で残念です。 大仙院 臨済宗(禅宗)の寺院を訪問するときに、掃除の行き届いている姿に、驚き且つ気持ちよく拝観が出来ることに、幸せを感じます。禅宗では、座禅を主としますが、日常の「作務」(さむ)として特に掃除する事を大切にされます。「大仙院」の入り口を入ると、お釈迦さんに関係する樹が植わっています。一つは「菩提樹」で、お釈迦さんが、こ樹の下でよくお説教なさったそうで、他の一つは「沙羅双樹」で、お釈迦さんが、亡くなられたときに回りに有った樹とされています。「涅槃図」(ねはんず)に良く出てきます。更に門をくぐると、十二支に因んだ石が、各方向に並べて有ります。庫裏の入り口に【何妨】(かほう)の額が掛っていました。禅宗では来訪者は、どなたでもさまたげないの意味だそうです。 受付を済ますと、直ぐに【庭園】に遭遇します。【特別名勝・史跡】ですから国宝級です。院内庭園も含め撮影禁止でみなさまにご紹介できず残念です。渡り廊下の【花頭窓】から【透渡殿】(すいわたどの)が庭園の中心にあり、それを通して、枯山水の絵が美しく、瀧の滔々と流れる姿を想像させます。そして下流には、船石が有り、何れは、【方丈庭園】の白川砂で広がる、大海へとそそぐ形式を採っています。庭園の中程の茶室は、過って「豊臣秀吉」と「千利休」が対峙した場所で、当時何を語り合ったのか、考えさせられます。「鶴島」「亀島」そして「石橋」もあり。庭園の要素を全て整っています。方丈の北側には、【拾雲軒】(しょううんけん)が有り。「沢庵禅師」の書院で、「宮本武蔵」とも対面したことでしょう。【方丈】(本堂)は【国宝】で、襖絵 【四季花鳥の図】狩野元信筆 【四季耕作の図】狩野之信筆 【四季山水の図】相阿弥 筆広々した方丈庭園も、座して暫し眺めますと、心が静まります。右奥に【沙羅双樹】が配置されています。芳春院【芳春院】 加賀前田家の菩提寺 非公開【呑湖閣】(どんこかく)加賀藩から琵琶湖を眺めながら都へ上洛するために付けられたようです。金閣・銀閣・西本願寺の飛雲閣と呑湖閣で 京の四閣と呼ばれています。 わが国の歴史では、「踏み絵」等でキリスト教徒への、弾圧が厳しく公には信仰を保てなかった中で、此処大徳寺の塔頭で2箇所公に信仰を守っこうた人物の菩提寺が有ります。一つは【高桐院】 (こうとういん)【細川ガラシャ夫人】です。公開しています。明智光秀の娘で、千利休の七哲の一人細川忠興の正室【玉】でした。石田三成の「人質政策」に反抗して死を選ぶ際に、キリスト教徒は、自殺は禁じられていますので、家臣の刃で亡くなりました。【欠灯篭】 豊臣秀吉の名石狩りをさけるためと、銘に「無双」と印し完全を忌(い)む公自身が一部を欠いたそうです。茶室【松向軒】(しょうこうけん)は、黒壁で質素に造られています。高桐院の入り口参道・玄関庭園細川忠興とガラシャ夫人の墓所今は、安らかに憩われておられることでしょう。
2013.08.18
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大文字の送り火は、天候に恵まれ、読経と共に炎はもえあがりました。創設されたことについては、やはり文献が無く、一説には、法大師さんの伝説が有りますが、足利義政が先に戦死した義尚の為に作った説が有望と佛教大学の講師の説明でした。大の字は向かって左の線がながいのは、真西でなくやや北向きに金閣寺そして本山相国寺に足利家の墓が有るのでその方向とも考えられるとのことでした。 歴史の舞台には登場する人柄がそれぞれ遺跡で偲ばれます。 禅宗・臨済宗大徳寺派の本山に参ります。戦国時代の将者の菩提寺になっています。何故か豊臣秀吉の名は有りません。 【大徳寺】 済宗大徳寺 開基 宗峰妙超 (大燈国師) 山号 龍宝山紫野大徳寺と言う、広い境内の中に21の塔頭 (たっちゅう)が有ります。殆どが一般公開されていませんが、4箇所は、常に公開されていますので、序々に訪れたいです。先ず本坊からまいりましょう。「大燈国師」により、創建され、位も臨済宗として「五山」の上位に有りましたが、三代足利義満により、十刹(じゅうさつ)の内9位に寺格を下げられた為、辞しました。現代「南禅寺」が「五山」の上位にされたままです。応仁の乱で、焼土化し衰退しましたが、一休宗純により、難波堺の豪商の支持で再建されました。一休さんの庵は、「大仙院」の隣に「真珠庵」として今も残されています。1582年豊臣秀吉は、全国大名に対しての威信を保つ為、主人「織田信長」の葬儀を「総見院」で執り行いました。いわゆる 【大徳寺焼香】 として、歴史に残されています。たまたま、特別公開に恵まれ写真が撮れました。日頃は、非公開寺院のため、中には入れません。 入り口の門本堂茶室茶室織田信長の墓 千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、 「聚光院」 にあり、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。「石田三成」も有ります。石田三成の墓所【大徳寺の七堂伽藍】 (ひちどうがらん)【勅使門】 御所の陽明門を後に下賜されました。桃山時代の遺構です。 勅使門 【三門・金毛閣】 (きんもうかく)初め初層のみの唐様の三門の上に「利休」の弟子たちが上層の【金毛閣】を建て増し、「利休像」を置きました。そして秀吉をその門をくぐらしたことから、秀吉の逆鱗に触れ、遂に切腹の原因の一つと成りました。 金毛閣【仏殿】(本堂) 本尊 釈迦如来 狩野元信の図があります。 仏殿の釈迦如来本尊昨日4月8日はお釈迦さんの誕生日甘茶で濡れたお誕生姿の像が祀られました【法堂】(はっとう)法要を営む。狩野探幽の龍の図があります。 法堂【浴室】昔、和尚さんが入浴された場所。浴室【経蔵】(きょうぞう)天平時代から、南北朝時代の写経が納められています。経蔵【鐘楼】(しょうろう)この鐘の合図で、現在も一山の和尚さんたちの諸行事に、出頭されます。【大徳寺本坊】 (非公開)【唐門】 本坊に据え付けられています。「聚楽第」(関白豊臣秀勝の御殿)の遺構とされています。本坊が非公開でも、外から観られます。獅子・松・孔雀・滝に鯉。見渡している内に日が暮れると言うところから、【日暮門】とも言われています。 七堂伽藍の参道順次、大徳寺境内にある、塔頭をご紹介してまいります。
2013.08.17
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お盆も13日にはご先祖様の精霊を迎え感謝の供養を捧げて、16日には送る日なりました。京都では、大文字の送り火が今夜8時から灯されます。火の勢いは、人の心を荒ましく掻き立てます。魅力があります。正に精霊さんがお帰りになる相応しい光景です。大文字・妙法・舟形・左大文字そして嵯峨野にある鳥居の五山です。修学旅行生の質問「おじさん何で銀閣寺の大が大きくって金閣寺の大が小さいのですか?」「そうね金閣の方が主の筈だよね」実は祖父と孫の関係にあって祖父の義満に観てもらう方が主で大きく、その影を孫の義政が観ているのではなすかな」と答えました。大文字の出来上がった文献が乏しく一説によれば。義政が銀閣寺を建てて、応仁の乱が妻富子と弟の義視の跡目相続で不幸な戦いになり、結果義尚に継がれるも戦の先人に立ち戦死。義政は初盆に裏山に人型の大の字を描いて送り火とした。とも言われその1年後゛悲しみと共に義政もこの世を去りました。 東福寺の本山の境内には塔頭寺院があり、夫々見所が有りました。 【退耕庵】 (たいこうあん)塔頭 北門の近くに有ります。小野小町作と伝える高さ2mの【玉章地蔵】(たまずさ)(文)と「小町100歳」像が有ります。伏見区醍醐の「小野の随心院」にも有ります。 玄関までの路 入口の門 入った右側に お地蔵さんがあります。 岸信介基総理大臣の植樹 【霊雲院】 (れいうんいん)塔頭 重森三玲作枯山水庭園。【臥雲の庭】(がうん)と 【九山八海の庭】 (くせんはっかい)金閣寺にも「九山八海の名石」(中国より取り寄せた)が有りました。凹凸に飛んだ又美しい庭園です。九山八海は、 「須弥山」 (しゅみせん)の形を現しています。仏の世界でお寺に行きますと仏像を祀っているお逗子とか祭壇があります。これを須弥檀と言います。 九山八海石塔 九山八海石塔 霊雲の庭龍吟庵にも黒い雲の表現としてありましたね。 庭園 六地蔵尊入口に新しいお地蔵さんが歓迎してくださいました。
2013.08.16
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68年目の終戦の日を迎えました。戦前・戦後の体験者として日本は大きく変わりました。民主主主義として、自由は得たものの権利のみを主張して責任を果たす義務は薄れつつあります。お盆の最中になりました。器の盆が先祖供養への供え物を捧げることで、お盆の語源になったことこの年で知りました。何と無く盆休みとは、家族親戚が一堂に会し、憩うひとときと思いました。また本日は、日本の終戦の日に平和を与えて下さったように。カトリック教会では【マリアさま被昇天】のお祝い日でもあります。全世界の教会で祝典が行われます。再び枯山水の庭園をご紹介します。-【芬陀院】 (ぶんだいん) 東福寺の塔頭 雪舟寺とも参道 雪舟庭園【鶴亀の庭】 雪舟は少年時代備中(岡山)の【宝福寺】ですごしました。東福寺の末寺法縁あって東福寺に起居していました。たまたま絵描きだけでなく庭園も作庭していました。ある日亀島を造ったところ住職が夜半にそっと窓を開けると、亀が動き出したので、驚いて雪舟に知らせましたら「重石をつけましょう」と石を載せることでとどまったそうです。今も石が乗っかっています。此の話を聞いた、後陽成天皇第九皇子【一条家第十四代の恵観】が雪舟にお願いして、【鶴亀の庭園】を作庭されました。 鶴亀の庭 曲玉の手水鉢と崩家形灯篭 茶関白 一条恵観公好みの茶室が鶴亀の庭の奥にありました。 真ん丸い悟りの窓 四角張った迷いの窓 外側から 関白 一条恵観公の【図南亭】 表玄関 雪舟の逸話幼少のころ小僧として悪戯して、和尚さんから叱られお堂の柱に括り付けられて、お仕置きを受けました。哀しくって泣き仕切る内に涙が床に流れ、何時しか足先で床にネズミ君の絵を描いていました、すると画かれたはずのネズミ君が動き出したというエピソードは有名です。此処でも重動く亀石に石を置くほどに。東福寺は、如何だったでしょうか。塔頭まで皆様方は観られるゆとりがないようですが、隠れた素晴らしい変化のある庭園でした。斯く記す私も初訪問なのです。ブログを書くことにに感謝です。
2013.08.15
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お盆も最中、故郷に帰省されて家族の絆を深く味わい愉しまれて居られることも多いでしょう。観光勉強会でお盆について習ったことがあります。講師が「だからお盆と言われています」一同笑って済ませました。ジョークと思っていました、盆語源を調べて見ましたら、お供えするお盆からでジョークでないことが判りました。十大弟子の祀られた霊堂宇治・万福寺お釈迦さんの息子十大弟子のひとり【らごら尊者】胸にお釈迦さまの顔を戴いています。お盆にまつわるお話お釈迦さんの十大弟子のひとりに【木蓮尊者】が居られました。弟子の中でも特殊な才能を持ち、【神通力第1位】とされ何でも見通せました。ある日、既に亡く成られたお母さんの様子を伺ったところ、何んと手足を縛られ逆吊りの姿でとても苦しまれておられる【餓鬼道】におられることを見通しました。食事を与えようにも成らず心が張り裂けるよう痛み、お師匠さんであるお釈迦さんに助けを求めました。十大弟子では、法力は適わなかったのです。お釈迦さまは、木蓮に説かれたことが、7月15日に90日間の夏の修行が終わるので、その日に【供えもの】をささげ、僧侶に供養してもらいなさい。と木蓮は、お師匠さんの言われる通り、お盆に農作物や供え物を載せて僧侶に供養してもらいました。親孝行の木蓮の意向が届きお母さまは【極楽浄土】に召されました。目出度しめでたし。お盆は、先祖の霊を供養し感謝も込めて、家族ぐるみで愉しい平和なひとときをすごすためにあるようです。墓参りもその一環でしょうか。盆は暗いイメージでなく「盆と正月が一度に来た」という表現もあります。盆は供え物を載せる要で感謝と供養の象徴ともいえます。きゅうりは馬を早く馬に乗ってご生来下さい。なすは牛でごゆっくりしてお帰り下さいの意義だそうです。二日間にわたっての和尚さん法話、9年前は速記も出来ましたが今は駄目です。和尚さんは本山知恩院でのNO2の大布教師で全国各地での法話は人気が在りました、この時すでに癌によるご自身の死を予期されてのお話の貴い内容ともそのご1か月後に遷化されました。59歳。惜しまれてなりません。ご冥福を改めてお祈りします。7月15日は旧暦で、関東ではその通りですが、8月15日が一般的です。新幹線・高速道路の混むのも日本人は故郷を愛しく感じておらること誇りに思います。京都38.1度でした。
2013.08.14
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お盆過ぎに 六地蔵巡り として大勢の参拝者で賑わいます。つつじと阿弥陀堂 浄土宗・阿弥陀堂 六角堂の地蔵堂 千手観音堂 徳川秀忠の娘・東福門院(千姫)の安産祈願の寄贈の釣鐘 総本山知恩院布教師会 副会長 羽田 恵三 大善寺和尚さんの法話 その2 お釈迦さまの反対の親指に砂が残った。その数は人間として目覚めた人として、真の目的に達した人の数。 この世に何をする為に産まれて来たのか? 楽しい目先の目的要素に拘らず、人間の本当の目的は? 癌の専門医が2,000人の患者から、癌の告知をして最後に立ち会った。 死を迎える場合、諭す医師の手を掴んで、最も多かった言葉は•1. 遺して行く家族・子供が心配。•2. 先生、助からんとして、死んだらどうなるの?•3. 色々して来たが、振り返ってこの世に何をして来たか?癌が克服出来たらどれほど安心か。一度しかない人生そして必ず訪れる死。「おぎゃ」と産まれたら、種を抱える 【因果応報】死の縁は無量。 (この時、敢えて癌の告知の心境を話されたことは、今思えばご自身に降り掛かった闘病を語られたと思われます。3ヶ月後示寂されました) 女性の漢字の推移 娘 嫁 嬶 姑 婆 (一同笑う)ハハ にご褒美を上げると ババ チチにご褒美を上げると ヂヂ(更に皆が笑う) お金で長生き出来る訳でもなく、総理大臣になっても 小渕さんの様に気を使って早死にする。 四苦 生老病死八苦 愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五陰盛苦 私の一生何処から産まれて、何をするために、命が亡くなったらどうなるのか?生きている内が花。見た事、行ったことの無いあの世。見て来て帰ってきた事がない世界。釈迦の信仰を信じて極楽浄土を目指すことが、人生の目的。【臨死実験】死ぬ1歩手前。意識がなくなって、共通して、遠き昔は平安時代そして西洋でも、アジアでも科学的証明がなされています。京大教授 カールベッカー氏死の瞬間のメツセージ15年前 のぼり・たくろう氏がバス停で大型トラックに触れ大怪我殆ど即死情態で、お医者さんもお手上げ、霊安室に置かれた。塩沢先生(29歳)は成りたての医師集中治療室で、50日目にして、意思が取り戻されました。 ゼスチァーで何ぺーじにも書留められた。 【付合有体分離】 心が離れ、自分の身体を外から見て、生まれた時からずーとみている。カナダに旅行してアヒルを追っかけてたり、真っ暗闇で、一人ぼっち。其の内に、小さい光が見えた、長い暗闇のトンネルを出ると川があり、桟橋に白い髭のお爺さんが立って居られた。舟は川上へ川上へと昇り、得も云えぬお花畑が広がった、絵描きさんに描いて貰っても、首を縦に振らなかった。画がけられない程、神秘的風景であつた。 そこへ一人のお爺さんが「きさくか?」と父の名前を呼ばれた。首を横に振ると「お前が噂に聞く、たくろうか?」そうですと答えたら「お前は帰れ」お花畑を逃げ廻って、3回繰り返し舟に乗った。長い行列の最後に自分が並んでいた。閻魔さんのもう4人目になって「たくろう・たくろう」と呼び名で目が覚めた。 お花畑のお爺さんの特徴を言葉遣いで描くと、たくろうお前のお曽祖父さんや、お母さんの祖父で写真を見せるとこのおじいちゃん眼鏡をかけていなかったよ。と 極限の状態になったとき、私は経験していないので何ともいえないが、 カールベツカ氏の特徴的お話です。 夢ならお爺ちゃまは解からない。 生命が終わり、仏さま・神さまのお家に行ける様に、今日の日を大切に暮らしましょう。 死後のお手本が無い。然し人のお世話にもなり、お米もただでは食せられない。生命の手間賃として三度の食事で前後、両手を合わせて感謝しましょう。 親が拝めば、子も拝む。お手本を示しましょう。小さい子は身に付くものです。 お陰が無ければ、自分の本当の姿は見えません。 【振り向けば、ご恩を受けた人ばかり】自分の本当の姿に気付く事の大切さ。動物も生きている。無益な殺生はしない様に。 自分の尊い生命を授かり、相手さんの立場が考えられる。 もう物の時代では無い。 心の教育が大切。 今日の本当の姿を形に表して行く。親の姿で育てて行く事。 忙しさに、心の在り方を忘れがち、 合掌の後ろ姿をそして心を残して行くことは難しい。 仏さま・先祖に手を合わせることは、宝物で有ります。* 8年前に伺った法話、人間の一生の反省とお恵みを感謝して読み直す次第です。
2013.08.14
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お盆特集地区老人会での法話を筆記したものです。地元【六地蔵】【大善寺】の和尚さんでこのお話後3ヶ月して、癌のため遷化されました。59歳とても愉快な方でした。奥様もその1年後に同じく癌で亡くなられました。夫婦仲もとても良かったのですね。先祖の大切さが印象に残ります。 総本山知恩院布教師会副会長 羽田 恵三 (はだけいざん)大善寺和尚さま【心 やわらかに】 平成16年3月2日和歌山では暖かつたですが、京都に帰ると今晩は特に冷えますネ。でも何処となく春の兆しを感じます。皆さん眠かったら【幸せ者】どうぞお話を聞きながら眠ってもらって結構ですよ。(一同笑い)豆電球でも眠れない。何か音が聞こえても眠れない。一杯ひっかけないと眠れない人が居られます。 大善寺は1200年の歴史があり、【小野 篁】(おののたかむら)が六体のお地蔵さんを奉られ、その後、後白河法皇の信仰により、平清盛に命じて京都の各街道の辻に分けて奉られました。その中でも大善寺のお地蔵さんは、最も美しく【所願成就】として願い事を敵えて下さいます。 何が幸せか? 三つの要素があります。 身(健康) 命(長生き) 財(遣って困らないお金)でもこれらが揃って果たして幸せでしょうか? この場に皆様が居られるのも健康だからでしょう。長生き人生生涯50年と云っていた時代があります。昭和20年の平均寿命でした。現在、少子化・高齢化によって 男 78歳 女 82歳 (平成22年 男 79.59 女 86.44 世界一長寿) そこまで生きなければ、損したみたい。 平成8年に金さん銀さんが知恩院に法然上人が80歳で亡くなられたので80歳の方60名と共に来訪ありました。何処へもお堂中黒山の人だかり。新幹線でご一緒しました。姉の金さんは前の席其の後ろに銀さんの席またその其の後ろに私が居ました。 金・銀・坊?(一同笑い)お姉さんの貫禄、握手攻めで、ここでは良い気分でも、家に帰れば蒸しタオルが真っ黒。そしてハイポーズ(坊主)と(又笑い)100ばん・100ばん(ダスキン) 嬉しいような悲しいような、長生きしたばかりにつらい日も多く共に味わった。今や100歳以上2万人。床に付かれたままで周りでお世話する人も大変。 財 お金が有っても邪魔なものでない。然し、大金持ちのお爺さんが医者に「時間の問題ですよ」と言われ、息子達は銀行から現金化して回った。三個のミカン箱を何処にしまおうか、火をつけられたら大変、考えに考えて天井裏に、そして夜もおちおち休む間が無かった。 お経の中に 【有田・憂田】 【有宅・憂宅】田が有れば、田によって憂う。邸宅が有れば邸宅で憂う。世の常。 【唯、何の苦もなく水鳥の、足に暇なき我が思いかな】水戸黄門の歌ですよ。世間で名高い、先の副将軍水戸の光圀公にあらせられる。 【娑婆】(しゃば) 仏教の世界から見て、俗世界のこと。インドの言葉で、忍耐する意味 【堪忍土】お互いが、許しあい、辛抱しあっていく世界。 幸せと思われる 【身・命・財】に満たされないのは【器】(心)ここが立派に耕されるかどうかが大切です。 【持つ人の受ける器で 宝とも仇ともなる 黄金かな】 お釈迦さまが手の中に砂を握られた。そしてこの一握りの砂と大地の砂とどちらが多いか?弟子達に問われた。勿論大地の砂です。と答えた。 そこで、人としてこの世に生を受けしは、この手の砂ほどであると。 また、糸を天井から吊るし、海底にある 【針孔】(めど)針の穴に通ずる確立は本人 両親 祖父母 曾祖父母 ・・・・先祖25代にして3,355万4432名の先祖の末裔である 尊い生命出生。(真理) 本来なら存在しない自分の姿。この世に生ある親の恩。確率は、お母さんのお腹の中で十月十日、お腹の中で亡くなることもある。よう産んで下さった。 今日の私の生命に関わる事ですぞ。【咲いた花にて 歓ぶならば 咲かせた 根元の恩を知れ】枝があり、葉っぱがあり、その下に根が有ったからこそ。この世に人として、生ある事即ち立派なエリート。尊い生命大地の動物に比べて人間として感謝。 次回この続きを更新します。
2013.08.13
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京都37.8度でした。東福寺の塔頭で日頃は、非公開寺院ですが、昨年の秋に特別公開されました。【龍吟庵】 (りょうぎんあん) は、 東福寺第三世住持 大明国師の墓所が有り、室町時代 足利義光の揮毫の 龍吟庵の額縁を拝する 日本で最古の国宝の方丈が 遺されており 書院造り・寝殿造りとして 貴重な建物が拝観することが出来ました。通天橋と同じ渓谷洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた偃月橋(えんげつきょう) 方丈庭園 枯山水 竹垣は 龍を呼ぶ 稲妻模様 西側庭園 龍の庭龍が海中から黒雲を得て昇天する姿竹垣は稲妻模様重森三玲 作庭龍の庭黒い雲を表現開山堂 東側の庭園 不離の庭長方形の赤砂はめずらしいです長石を臥せ その前後に白黒の二石を配し幼少のころ狼に襲われそうになられたとき国師の身を二頭の犬が守ったという故事により配されましたやはり竹垣には 稲妻模様国宝 寝殿造りの方丈額縁は正面から写すことは禁じられました方丈の額縁は足利義満のが書いたとされます・もみじ 熊笹 表門 重要文化財奥に寝殿造りの屋根がみえますもみじの美しさも少し見えました
2013.08.13
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昨日の京都の気温39度でした。八重の桜 昨夜は、八重は兄(盲目)に京都に誘われ、同じ日本人同士で戦い、恨み憎み合うのでなく、知識と知恵を学び新しい日本を造りだそうと諭され、英語の通訳も必要と、兄の考案した初の女学校に学ぶこととなりました。 京都の禅宗には各派がありますが、今回は南禅寺を五山の上位とする第4位東福寺にまいります。 【東福寺】 臨済宗東福寺派総本山 開基 聖一国師 山号 慧日山「東福寺」をはじめ塔頭が、存在します。「紅葉」の時期には、京都駅にも近いことからか、立錐の余地も無いほどに、人出が殺到します。足利義満の決めた、禅宗の五山の第四番目に当たります。大きさを誇張するように、寺名も奈良の東大寺と興福寺から、一字ずつ採って名付けられたそうです。【七堂伽藍】(しちどうがらん)形式を採り、【伽藍面】(がらんづら)ともいわれています。 三門【三門】【国宝】禅寺としては、日本一古く大きいとのことです。扁額には【名雲閣】(みょううんかく)と書かれ、足利義持公の筆跡です。三門の上に登りますと、正面に釈迦如来像・十六羅漢像は定朝作と云われています。特別拝観で内部は拝観出来ます。 法堂【法堂】(はっとう)釈迦如来が祀られ、天井の龍の画は、【堂本印象】作です。時節(3月14日~16日)に【涅槃図】が、拝観できますが、此処も【猫】が神妙に構えて画かれている事で話題と成っています。何故なら「お釈迦さま」が亡くなる前に中毒の病で、空から「摩耶夫人」(まやふじん)母上が薬袋を投げられたところ【投薬の語源】【沙羅の小枝】(さら)に袋がひっかかり、【ねずみ】が木に登り取りに行こうとしたとき、猫が阻み、お釈迦さまのもとに間に合わなかったとのことで、十二支からも外され、功を得て、ねずみから始まる事に。 市松模様の庭園【本坊】方丈の西と北庭には、苔で【市松模様】で飾られ、芸術を感じさせられます。庭園は「重森三玲」(しげもりみれい)作です。塔頭寺院の【龍吟庵】も【霊雲院】の枯山水も同じ人の策定です。 方丈庭園 通天橋【通天橋】(つうてんきょう)この周辺が、「紅葉」で最も楽しめるところです。渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)のもみじは、最高に美しいです。【開山堂】【普門院】開基聖一国師の入定の地で、ちょっとした庭園が広がります。通天橋のもみじ明日から、東福寺の塔頭をご紹介します、
2013.08.12
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京都38.2度でした、質問が有りました・「何故みてらの境内に清少納言の歌碑が?」 「夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも、よに逢坂の関はゆるさじ」 清少納言(966~1027)夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人を騙そうとしてもこの逢坂の関(男女が夜に成って過ごす)は決して許しませんよ。中国の故事函谷関のようには、鶏の鳴き声を部下にさせて、関守をだまして、関を開門させた逸話。清少納言は66代一条天皇の時、中宮定子(ていし)に仕えましたが、定子が24歳の若さで亡くなり宮仕えをやめました。そして晩年は定子の墓「鳥戸野陵」の近く、つまりこの辺り「東山月輪」で余生を送ったそうです 泉涌寺には、幾度か訪問してきましたが、ついぞ時間的余裕もなく同じ境内に塔頭として、京都らしい素晴らしい庭園のある寺院を初めて訪問しました。そして感動受けました。【雲龍院】 真言宗泉涌寺派広い庭園を囲んで赤い毛氈がひかれた畳部屋からの眺め悟りの窓 迷いの窓 障子越しに紅葉鑑賞悟りの部屋から庭園拝観清浄の間から紅葉鑑賞この和服姿の方は殆ど動かれず 観想の世界へ 掃除の行き届いた美しい庭園大輪の間 大石良雄の額 (大輪の間)伯父様が来迎院の住職で此処にもよく来られた 霊明殿 霊明殿前提燈籠の下菊花のご紋徳川慶喜が寄進した燈籠本堂薬師如来・日光菩薩・月光菩薩が祀られています障子4枚に夫々ガラス窓を配し しきしの景色を部屋から味わう梅・燈籠・楓・松と4枚違った眺めを間接的に観る仕組み玄関に真言宗ですが、龍の絵が皆様を迎えてくれました東福寺そして清水寺の大勢の観光客に押されることなく、静かにそしてお部屋の仕組みで間接的に紅葉を鑑賞をゆっくりたのしめました。足腰の悪い人のために部屋からも腰かける小さい座椅子が用意されお寺さんの心遣いが籠っていて嬉しかったです。次回は京都五山第4位の東福寺にまいります。
2013.08.11
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秋田県に過って無い記録的豪雨により、多くの犠牲者が出されたことお悔やみとお見舞い申し上げます。 京都は 東山の南部にある東福寺の側に、皇室にゆかりのある泉涌寺があります。「八重の桜」で紹介された、孝明天皇にもゆかりのある 泉涌寺、昨年の秋に訪問しました。 【泉涌寺】 (せんにゅうじ)真言宗泉涌寺派總本山 開基 月輪大師(がちりん) 山号 東山 御寺と書いて、 「みてら」 と称します。皇室に縁あり、天皇両陛下お揃いで、「京都国際会館・世界大会」に御臨席の際に、行幸が有りました。当初、弘法大師が草庵を建てられ、「法輪寺」とされましたが、後に月輪大師が再興されたその落慶の時に泉が湧き出したので「泉涌寺」と改名されました。現代でも残っています。 「山門」をくぐりますと、左側に 「楊貴妃観音像」 の祀られたお堂があります。 楊貴妃観音堂そして再び「山門」に戻り、広場の坂道を下った正面に、【仏殿】があり、高坐に「運慶作」と言われる「釈迦・阿弥陀・弥勒」の三尊が祀られています。天井の龍の絵と堂裏に画かれた「白衣観音菩薩」絵は、「狩野探幽」の作です。「涅槃図」も有名です。仏殿が坂下にそして仏殿にまつられた三尊像の高さと門をくぐる人間と同じ高さに仕組まれています。 【霊明殿】四条天皇を始め、歴代の天皇・皇后・親王のご位牌が奉納されています。 霊明殿 特別に別拝観料を払って、入れます。是非皇室の雰囲気を味わって下さい。本坊霊明殿の奥には、別世界の様に、東山を背景にシーンと鎮まり返った雰囲気の御陵「十二帝陵」が有り、今回も両陛下が玉串の奉納を捧げられました。小鳥もさえずり自然の静けさは心が洗われます。御陵の入口 十二帝御陵東山が背景【舎利殿】(しゃりでん) 御釈迦さんの分骨を祀る舎利殿 【泉涌水屋形】 (せんにゅうすいやかた)今でも泉が涌いて居ます。泉涌水屋形 【清少納言の歌碑】屋形のそばに建てられています。清少納言の歌碑並んだ位置屋形のもみじ菊花展 華道のお泉涌寺境内にぴったりでした。師匠さんが和服姿で京都らしいです。昨日の血液検査の結果、血小板数値90から99と回復傾向にありました。医師も首を傾げるほどに不思議な回復にお恵みとして感謝しています。
2013.08.10
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京都は、連日36.1度、本日は.38度の予報が出ています。盆地の関係からか湿気も高いです。只今から5週間ごとの診察に京都医療センターへ出かけます。 安楽寺は、庶民の信仰上由緒ある寺院になってしまいました。此処暫く、法然上人の威徳を偲びご紹介しましたが、哲学の道沿いにも幾つかの社寺があり、散策する人の目を引いています。銀閣寺・法然院そして安楽寺夫々に古の雰囲気を忍ばさせてくれます。 【霊鑑寺】 臨済宗・南禅寺派哲学の道のほぼ半ばを東に入った少し小高き所に有ります。安楽寺に隣接しています。 門跡尼寺で、谷御所とも云われています。特別拝観のときしか内部は観られません。本堂・書院・居間が佇み立石を多く使った石組みで、池泉回遊式庭園はこじんまりしても心和みます。後水尾上皇の遺愛の散り椿ほか、黒に近い濃い紫の椿など各種の品種が見事で,【椿寺】としても有名です。。代々皇女が尼僧として継がれ、寺宝には、皇室で使われた宝物が多く、特に御所人形は200点にも及ぶといわれています。 【大豊神社】 哲学の道沿いにあります。神社は、此処「鹿ケ谷」(ししがだに)・南禅寺地区の産土神(うぶすな)として信仰されています。鼠の狛犬が珍しいです。 ねずみくんの狛犬阿吽の呼吸 片方は口を「あ」と開け、片方は「うん」と口を閉じています。 哲学の道は、「道」として日本百選に選定されています。京都大学教授哲学者 西田幾多郎博士が 何時も考えもって散歩されたところから誰言うと無く その名が付けられたそうです。東天王町にある 【岡崎神社】 にも狛犬に変わり「兎」が居ました。 岡崎神社 狛犬の「うさぎ」
2013.08.09
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昨日は暦の上では、【立秋】然し全国的に猛暑が訪れました。京都は36.5度でした。熱中症で大勢の方が病院に運ばれています。 法然院の側にやはり念仏修行の安楽寺があります。(非公開)キリスト教への弾圧だけでなく、解かり易く一般民衆にも会得出来る法然上人・親鸞上人の説かれた宗教に法難の歴史がありました。安楽寺山門の前に掲げた「京都市の立札」です。 安楽寺住蓮山と号し、浄土宗の寺院である。鎌倉時代の初め、現在地より東一キロメートルばかりのところに法然上人の弟子住蓮坊、安楽坊二僧が、念仏場を建てて人々に念仏をすすめた。たまたま後鳥羽上皇官女松虫、鈴虫が教化をうけてひそかに出家する事件がおこり、上皇の立腹をうけ、「念仏停止」の宣下によって、二僧は死刑、法然上人は土佐へ親鸞上人は、越後へと配竜流された。これがいわゆる建永二年(一二0七)の法難であるが下って室町時代の末、天文年間(一五三二~一五五五)二僧の供養のため伽藍を之の地に再興したのが、当寺である。本尊阿弥陀尊像を安置し傍らは、住蓮、安楽両上人松虫、鈴虫両姫の座像、法然上人張子の像等をまつっている。また境内右手に住蓮、安楽両房の五輪石塔東方山林中に松虫、鈴虫両姫の五輪石塔がある 京都市 入口の門 本堂 本堂の背景庭園 千両 【安楽寺の縁起】「紫の庵の明け暮れに 心を澄ます谷水の流れを人の聞き伝え 人里まれなる鹿ケ谷(ししがだに)なお山深く分け入りて 紫の庵を結びつゝ」 「御門の寵愛浅からず 数多の官女の嫉妬よりとかく浮世を厭い捨て 菩提の道を求めんと一念心を傾けて 剃髪染衣を求めんと」 安楽寺和賛 住蓮上人・安楽上人お二人の念仏のお話に惹かれて、大勢集まり、精進の妨げと更に山深く庵を求められたとき、一匹の白い鹿に導かれ鹿ケ谷の山中で姿を消したので、仏の導きと、其処に紫の庵を設けられました。 一方、後鳥羽上皇の寵愛を一身に受けた 女官、松虫・鈴虫は、当初清水寺で法然上人のお話に救われ、後に 上皇の紀州へのみゆきの留守に、宮中を抜け出し、此処「紫の庵」に駆け込み、上人の宮中へ帰ることを進めるも、仏道への志高く、両姫は見識も高く美しい姿も投げ捨て、両上人によって、剃髪をされ、出家されました。松虫19歳・鈴虫17歳でした。 女官 鈴虫・松虫の五輪石塔 五輪石塔に至る 小さい門 後鳥羽上皇の逆鱗は恐ろしく、兼ねてより意向に適わぬとして、住蓮・安楽上人は斬首。 法然上人は讃岐国(高松市)・親鸞上人は越後国(上越市)に流罪。【建永の法難】 (1107年) 仏道の僧でありながら罪とされました。 (謹んで訂正しました。)心無い権勢は出来ません、それから14年後に【承久の変】(1221年)鎌倉幕府を打倒されるはずが失敗後鳥羽上皇は隠岐に順徳上皇は佐渡島へ天皇が配流され土御門上皇は自ら土佐で過ごされました。天皇が配流なんて、私の時代には教わりませでした。 松虫・鈴虫尼僧は、自分の行いが原因で、両上人が、殉教されたと知り、嘆き悲しみその後、瀬戸の生口島(いくのしま)(尾道市)で念仏を捧げ松虫35歳・鈴虫45歳で入寂。 後に、法然上人が戻られ、此処に両上人の菩提を弔う為、草庵を復興「住蓮山安楽寺」と名付けられました。 仏足石【鹿ケ谷かぼちゃ】(ししがだにかぼちゃ)無病息災のために、7月末の夏場の健康維持のためにも、寺院で炊き出し行事が行われます。帰路からみた表門
2013.08.08
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『冥に薫じ 密に益(ヤク)す』神仏の存在は目にはみえません、然し暗いところでも花や香のかおりは体験することが出来ます、善行をつくせば冥利を賜り、神仏は何時しかご利益を賜る。開経偈(かいきょうげ)お経の始まりの中に採り入れていました。過日平和行進で、僧侶のお弟子さんにもらった「はがき」のちらし経文であって、僧でも聞いてもわからないといわれたそうです。お経はとても難しいです。読経で念仏がとなえられるのですね。依って唯「南無阿弥陀仏」と唱えることで信仰が守られ広まりました。 此処暫く【法然上人さん】の威徳を偲んで、更新しています。 銀閣寺から岡崎・円山そして清水寺に亘っての足跡が遺されています。特に清水寺では、釈迦堂と並んで阿弥陀堂があり、その場所で法然上人が念仏道場として初めて開かれたとされて上人像も祀られています・【法然院】 浄土宗 開基 万無 山号 善気山「安楽寺」を更に北へ歩きますと、茅葺(かやぶき)の優雅な門が見当たります。明日安楽寺ご紹介します。 参道 此処でも法然上人が住蓮・安楽坊と念仏を唱えた道場で、須弥壇(しゅみだん)には、四季折々の生花25組が飾られ、彩りしています。阿弥陀如来御来迎の三尊の外に、眷属25菩薩を表現しているそうです。 本堂には、恵心僧都(えしんそうず)作と伝えられる「阿弥陀如来坐像」と「法然上人」自作の木像が安置されています。 境内 境内 境内 萱葺の内から撮った門 椿の名所でもあり、墓地には「谷崎潤一郎」「河上肇」が眠っています。 かくして鹿ガ谷は、「法難の地」でもあり、「哲学の道」も西田幾多郎博士が、考えを深くして、歩まれた道で、歴史的にも過去を振り返る場所でもありました。
2013.08.07
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8時15分広島平和式典で、68年前原爆投下の時間に合わせ黙祷を捧げました。日本人だけが無残にも味わった原爆の悲劇です。謹んで哀悼の誠を捧げます。本日は、法然院の予定を変えて、知恩院に隣接する青蓮院にご案内します。法然上人のお弟子に関係します。宗派は、【天台宗】です。 浄土真宗を広められた、親鸞上人さんも、天台宗の門跡寺で僧になる、得度式を迎えられ、隣接する知恩院の境内で、お師匠さんとして、法然上人さんの教えを確りと会得されました。このあたりは、天台宗→浄土宗→浄土真宗の経緯が生まれた聖地かもしれません。 【青蓮院】 (しょうれんいん) 天台宗 開基 最澄 山号 なし天台宗五門跡寺の一つとして、【粟田御所】とも云われる、格式の高い寺院です。 玉座「天明の大火」で御所も焼失した時に、「後桜町天皇」は此処を「仮御所」とされ、その玉座の間も残されています。 樹齢八百年目楠木一昨年親鸞聖人八百回年忌が行われました。門前には樹齢800年の楠木が、迎えてくれます。5本の筋塀を見ながら 親鸞上人童形像 (9歳) 表御門を入り、受付より、履物を脱ぎ、廊下伝いに「勅使門」からの玄関間に至ります。その勅使門の院内に歌碑が有りました。実は、【親鸞上人】がこの寺院で、【得度】 (とくど)(出家なさること)されました。未だ幼少の身で、出家の決意に悩まれた結果の句が書かれています。 歌碑 「明日有りと 思う心の仇桜 夜半(よわ)に 嵐の 吹かぬものかわ」たまたま父上3歳時、母上5歳時に亡くし世の無情を感じられ、出家を覚悟されたとき、司式の和尚さんに「明日得度式をしょうか」と問われた時に、「本日お願いします」といって歌詞を手渡されたとか。美しく咲き誇る桜の花でも、明日のことは判らないとして、僅か9歳で得度式を決意されたようです。 宸殿前の左近(さこん)の梅・右近(うこん)の橘 100代後小松天皇後は左近の桜ま宸殿前庭 廊下伝いに【宸殿】に、此処には、堂内に「親鸞上人・得度をされた場所」として、立て札が立っていました。此処も「宸殿」の前は、左近の「梅」右近の「橘」が配置されていました。本堂の西部屋には、「浜松の襖絵」が、東部屋には、【青不動三尊】【国宝模写】の掛け軸が、掛けてありました。【日本三不動】園城寺(おんじょうじ)(滋賀・三井寺)黄不動・高野山明王院の赤不動が有ります。黄は、人間の皮膚の色、赤は動脈そして、青は静脈、を表わすとか。更に渡り廊下を進みますと、先ほどの「後桜町天皇」の玉座の部屋が有ります。格式の高い「格天井」(ごうてんじょう)の間に中国風の襖絵がきらびやかに画かれていました。 滝と池を伴う回遊式庭園が最も相応しく、鑑賞出来る部屋でも有りました。 「一文字の手水鉢」更に廊下伝いに、【一文字手水鉢】一の字が長く彫られた手水鉢が、目立ちました。そして 庭園書院造りの間】へ、此処からの庭園の眺めも落ち着きが有って良いものです。亀島・鶴島・石橋・滝そして灯篭・茶室が眺められました。一旦、履物を履いて、庭園を巡る事も出来ます。 昔は、庭園の芝生の上で、舞妓さんたちが、お琴の演奏を興じて居られた時がありました。一般には、出来ませんが、庭園の奥から山道を辿りますと、【将軍塚】に、至ります。【青蓮院別院】としての尼寺に成っています。
2013.08.06
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法然上人が説かれた、 【浄土宗総本山】 です。 弟子の親鸞上人も同じく 【浄土真宗】 として、本願寺があります。全国から法要のため多くの信者さんたちが、お参りにこられます。 鐘楼-【知恩院の除夜の鐘】大晦日と言いますと、テレビでも表題のシーンが放映される事が多いですね。108つの煩悩を振り払う、僧侶十数人掛かりで、撞かれます。【重さ70トン】 御影堂(みえいどう)大瓦の頂上の真ん中に瓦が三枚ほどくくられてあります【知恩院】(ちおいん)は、浄土宗の総本山とされ、法然上人が開祖で、一般大衆でも難しいお経を唱えなくっても、ただ 【南無阿弥陀仏】 と唱えるだけで阿弥陀さまの世界【西国極楽浄土】に召されるということで、日本全国信者さんが大勢信仰を持って居られます。 御影堂(みえいどう)は法然上人が祀られ、大きい建物です。何でも、【左甚五郎】の作と言われています。 過日、疑問にずっと感じていましたが、信仰の対象と成るはずの【阿弥陀堂】が西側に小さくって、聖人とはいえ【御影堂】がとても大きいことに、和尚さんの説明では、阿弥陀堂は 【礼拝堂】 であり御影堂は、 【説法堂】 として広く多くの人達が法話を聞くお堂と。やっと納得できました。 長い竹の棒で位置を説明します。 有名な【忘れ傘】が正面向かって右側の軒下に見上げるとひなびて居ますが、見られます。実は忘れたのでなく、木製の建物として、最も恐ろしいのは、【火災】です。それに対応して、水に関係する【傘】を置いたのでしょうね。 屋根の頂上の中央に【瓦三枚】が縛られて置かれています。和尚さんのお話では、作者は半永久的に残したい意味で、「この建物はまだ未完成ですよ」の意図と考えられます。人間も慢心しないで未だまだ足らない事が多々あります謙虚さを説かれていました。寺社では、隠れた為になる教訓が気付かない所に有るようですね。 各観音開きの高さ3mはありましょう扉も、指一本で動くほどに。真っ直ぐ削られた名工が証明されます。錠前の下部にカッパとかスッポンが出入り口を守る魔よけとして存在していますよ、実に微笑ましい存在です。 西側に阿弥陀如来の祀る阿弥陀堂があり、阿弥陀像の両手の指をよく見ますと、親指と人差し指を交えて居られます。皆様の仏壇を観察してみてみられては!、(仏像の観察) 更に奥に行きますと、廊下が【鴬張り】になっています。そして更に進みますと、大柄杓(ひしゃく)が手の届かない、梁(はり)に掛けられ、【シャクに触るな】につながります。又、柄杓は、多くの人を救いとるの意。 あまり上手に画けて、【抜け雀】【三方正面真向の猫】観る者が位置を変えても、親子の猫の目がこちらを見ている。日本一大きい三門 一度は観られると良い豪華な【三門】は日本一大きいとされています。その上層部には、建築の責任者寺社奉行【五味金右衛門夫婦】の【白木の棺】と像が置かれています。予算超過でその責めを採り自刃。三門は、徳川二代将軍秀忠公によって建てられ、楼上には、お釈迦さんが、祀られて居ます。お釈迦さんは両手の指を伸ばしておられます。(仏像の観方) 三門から御影堂まで、急な石段【男坂】となだらかな【女坂】があります。七不思議のひとつ【瓜生石】 二条城に通ずるミステリ地下道の出入り口される【瓜生石】この石の上に祇園の牛頭(ごず)天皇が降り大石から瓜が実った。 以上を【知恩院の七不思議】とされています。知恩院は、徳川のお城でも有ったようです。 御殿の東北には、東照宮があり、家康・秀忠を祀って居ます。庭薗も観られます。 知恩院境内の最も聖なる地法然上人御廟所石段を登りつめた場所 御影堂の東に急な石段を登り詰めますと、【勢至堂】(せいし)即ち法然上人のご幼名でありそして、【御廟】が有ります。その勢至堂の裏側即ち北側に、NHK大河ドラマ天地人で話題となった、徳川家康の孫、豊臣秀頼に嫁がされた【千姫の墓】があり、後に【東福門院】京都の市街が、美しく見渡せます。千姫の墓千姫も。父秀忠公と静かに京都を見守ってくれていましょう。 東照宮への庭園 御影堂の東側から勢至堂・御廟への石段登り口
2013.08.05
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NHK大河ドラマも本日から京都が舞台になるようです。100年前で、日本人同士が、尊い生命と大切な人権が奪い合う悲劇を展開されいました。民主主義思想の現世も平和のため真剣考えていきたいものです。法然上人さんの辿られた寺院をご紹介してみます。 寺院も一つのテーマーでリンクしてみますと、全体図の夫々関与していることで、興味がわくような気がしてまいりました。三千院の道中、熊谷直実の大原問答で師匠法然上人に若し危害が加わればと腰掛けて鉈を持って待機した石を紹介しましたが、今回は鎧を掛けて武士を捨てた松が話題です。一の谷で源義経に仕えた直実が、敵将の平敦盛の首を仕留めたか15歳と言う若武者に戦の哀れを感じて、京にもどり、法然上人に帰依し、菩提をとむらったといいます。(平家物語)御影堂(みえいどう)法然上人を祀る 熊谷直実の鎧掛けの五葉の松【金戒光明寺】(こんかいこうみょうじ)(黒谷)浄土宗大本山 開基法然 開山 紫雲山 吉田山(神楽岡)の南端に位置します。【真如堂】の奥に三井家の廟所があり、地続きに南へ歩みますと、 会津藩の墓地【会津藩殉難者】の墓地が広く繋がっていました。此処「黒谷」に本陣を構えて駐屯していたと言うことです。平和の時代を迎え、思わず当時の悲惨な歴史を顧みて、霊の安らかに眠られん事を念じました。 地元では、「くろだにさん」と愛称で呼ばれています。法然上人が比叡山で修行され、43歳のときにこの地で念仏を唱えられたとき、光明があたりを照らされたことから念仏道場を開かれたとのこと。浄土宗の建物形式にそって、山門・御影堂・阿弥陀堂があり、特に変わった処といえば、 三重の文殊塔石段で高く登った所に三重の搭があり、【くろ谷の文殊さん】として「文殊塔」が一際、美しく建って居ます。 【日本三文殊】で、丹後天橋立の【切戸文殊】・大和【阿部文殊】そして【岡崎文殊】(黒谷)黒谷文殊塔は、徳川秀忠菩提のために立てられ、運慶作と云われています。 「三人寄れば文殊の知恵」賢いと言うよりも、健康的な判断が出来る智恵の授かることを願いたいです。 阿弥陀堂 【阿弥陀堂】豊臣秀頼の再建で、この寺院で最も古い建物で、本尊の阿弥陀如来像は、 「恵心僧都」の最終の作で胎内に「のみ等器具」が納めてあり、「おとめの如来」または「ノミ納めの如来」とも云われています。内部は、非公開。 山門 【山門】額縁に「後小松天皇」(一休さんの父君)宸翰で何故か【浄土真宗最初門】勅額 が掲げてあります。それは、浄土真宗の意味でなく、法然上人が説かれた、浄土経の真の教え を始めた最初の門の意味だそうです。法然上人は、比叡山から降りて、最初に真如堂の阿弥陀如来にお参りされた後、此処黒谷に草庵を持たれたそうです。浄土真宗の開祖親鸞上人も「真如堂」の阿弥陀如来にお参りされたと云われています。【吉備観音】(きびかんのん) 中国から持ち帰ったもので、栴檀香木(せんだんこうぼく)で造られた観音像で、御影堂内に安置されています。撮影禁止です。 御影堂の裏に、最近庭園を散策できるようになりました。紅葉の頃最適です。 次回は知恩院に参ります。
2013.08.04
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今回ノーベル賞を授与される、山中教授の京都大学に最も近い観光寺院の【真如堂】です。旧三校の校歌 くれないもゆる に出てくる「吉田山」に位置します。金戒光明寺に隣接し、奥に存在する「会津藩の墓地」を通り抜けますと、「三井家の墓地」から真如堂に通じています。 法然上人さんが、比叡山からの辿られた寺院関係を続けています。 応仁の乱を免れた阿弥陀如来さんを祀る 三重塔【真如堂】 (しんにょどう)【眞正極楽寺】(しんしょうごくらくじ) 天台宗山門派 開基戒算山号 鈴声山(れいしょうざん) 銀閣寺庭園の小高き枯山水の滝組の道から望める前方に見えます「吉田山」 (旧三高の校歌で有名)を一名【神楽岡】(かぐらおか)とも言われます。即ち「山号」として「鈴声山」で「仏法有縁真正極楽の霊地とされていました。その岡の南の方に「真如堂」が建てられています。 本尊阿弥陀如来像は、 【頷ずき弥陀】 (うなずき)と呼ばれ、作者は、慈覚大師円仁(天台第三世座主)が比叡山で彫り終えられたとき、 「修行者の本尊に成って下さい」 と問いかけられると弥陀は頭を三回横に振られ否定されたそうで、「それでは都に降りて一切衆生、特に女性をお救い給え」 と念じられましたら、弥陀は三度うなずかれたそうです。比叡山常行堂に安置されていましたが、後に開山戒算上人が「真如堂」の本尊としてお招きされました。ひととき女性と言う事で「一条天皇の母君」「藤原詮子」離宮に安置されたともいわれています。「来迎の阿弥陀像としては、最古で、応仁の乱でも逃れておられます。 向井去来の歌碑法然上人・親鸞上人も比叡山から悟りを開いて先ず此処の阿弥陀さんに礼讃されたことで、向井去来も詩を残しています。 涼しさの 野山に満つる 念仏かな 去来そして、去来の大きい墓が境内・塔頭に有ります。嵯峨野落柿舎にも小さい墓がありましね。【日本三如来】 信濃善光寺の阿弥陀如来・嵯峨清涼寺の釈迦如来・真如堂の阿弥陀如来 左端が大文字です。8月16日送り火が灯されます。 涅槃の庭 ねはん背景大文字如意ケ嶽 涅槃の庭の別庭に近代感覚の石庭【涅槃の庭】 (ねはんのにわ)大文字「如意ケ嶽」東山を借景として、石組みで釈迦の横たわれた姿が見られます。別に【涅槃図】も掛け軸として存在し、珍しく猫くんが神妙に画かれています。何故ならお釈迦さまが中毒で、お母さんの摩耶(マヤ)夫人が天より、薬袋を投薬されましたが、周りに「沙羅双樹」が有り。その樹の枝に引っかかって届かず、(絵にもあります)ねずみくんが、登って取りに行こうとしたときに、猫くんが阻んで、お釈迦さまに届かなかった次第。猫くん「ご免なさいと反省しきり」借景の東山も、大文字山(如意ケ岳)がお釈迦さんの頭として寝て居られる姿が見えます。 春日局の桜【春日局の桜】 本堂の横に「春日局のお手植えの桜」家光の乳母で父上の「斉藤利三」の菩提を弔うために植えられました。其の側に「利三の墓地」が又恩人の絵師「海北友松」(かいほうゆうしょう)その外「落柿舎の住人」芭蕉門下十哲「向井去来」の墓も有り眠っています。奥には「三井家の墓」が広々と有りました。 境内に去来の寺がありました。わらべ唄にもうなづき阿弥陀さまの庶民の暮らしへの思い遣りが伺えるようです。 ああ 真如堂(しんど) めし黒谷さん(くったか) ここらで一ぷく永観堂(ええやろう) お茶漬さらさら南禅寺(何杯や)何れも、最近アップしました関連のお寺が当時から数え歌として民衆の人々に親しまれた寺院であることが、伺えそうです。次回は、その黒谷さんに参ります。
2013.08.03
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昨日は、【八朔】(はつさく) 祇園街では舞妓さんがお茶屋を訪問「おめでとうさかどす。相変わりませず、おたのもうします」と挨拶周りされました。農家では1年の豊作を祈願する日でもありました。 京都の観光寺院の仏像・襖絵など撮影禁止で皆様にご紹介出来ません。 仏像のお姿は、文章では現されず、ふと思いついて訪問しましたら、ボスターが、貼ってありました。せめてイメージを味わって下さい。三門前のみかへり阿弥陀如来石塔 境内広場 観光堂内玄関 パックに多宝塔(開山の御廟所)【永観堂】 浄土宗西山禅林寺派本山 開基 弘法大師の弟子真紹僧都山号 聖衆来迎山【紅葉の名所】法然上人八百回遠忌 内庭 勅使門の市松模様の砂紋 龍が巻き付く唐灯篭 四百年前のもの 臥龍廊下 多宝塔通路に繋がる。 仏像は撮影禁止のため、イメージとしてボスターで 【見返り阿弥陀】 全国でも珍しく、阿弥陀さんのお顔が後ろを振り向かれた形の仏像が安置されています。「永観律師(ようかんりっし)」が念仏を唱えつつ歩んで居られる時、本尊の阿弥陀さんが永観の先に立ち、共に念仏行道をされ始められましたので、その不思議さにたたずんでしまいました。そこで阿弥陀さんが永観の様子を温かく見られて「永観よ遅いよ」と見返られたという伝説があります。「先導する者(リーダー)・目上の者・強き者達は、時には、後ろに続く者に振り向いて、想い遣りの心で優しく手を差し伸べる事も大切なことを教えておられるようにも感じられます。 【永観堂の七不思議】. 抜け雀 火除け阿弥陀 大火事にも燃え残られた阿弥陀像 念仏蛙 人影の無い「御影堂」で木魚の音が絶えなかった。ふと覗くと「蛙が木魚の側で念仏を唱えて居たとか。 三鈷の松(さんこのまつ)松の葉が三本ある木があり、其の葉を持ち帰ると「三つの幸せ」がもたらされるという。「臥龍の廊下」廊下は、龍がうねるように曲がって造られています。涙を流される観音菩薩像。.本尊「見返り阿弥陀如来像」境内はとても広く、入り口の門の小さいわりに奥行きの深いことに、驚きます。観光される穴場かもしれません。境内の池楼閣への階段 一番奥に阿弥陀堂があります。 多宝塔 多宝塔からの京都の街 永観堂境内展望 【みかえり阿弥陀と永観律師】 広い寺院の境内で高所の奥に「阿弥陀堂」があり、そのみかえり阿弥陀像の前に、お寺さんの手書きで素晴しい,ことばが書かれていました。 このみかえり阿弥陀如来のお姿勢を現代に問うならば 「遅れる者たちを待つ姿勢」 「自らの位置をかえりみる姿勢」 「愛や情けをかける姿勢」 「思い遣り深く周囲をみつめる姿勢」 「衆生とともに正しく前へ進むリーダーの把握のふりむき 真正面から おびただしい人びとのことを案じて 横を みかえる事には しばられない姿勢」 これがこの仏さまの み心ではないでしょうか。と 春の陽気で水鳥が 境内にある永観堂幼稚園児のために思い遣り
2013.08.02
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8月に入りました。週間予報で連日最高気温が35度となっています。終戦の日そして翌日16日は、大文字の送り火がともされます。死者を弔うお盆の行事も各地で行われます。 関連性をもつて、観ていただけますと、それぞれの意向に、共通する深い趣がうかがえそうです。 南禅寺は、鎌倉中期に禅宗として、建てられましたが、 応仁の乱または火災で焼失してしまいました。庭園は有る程度遺されました。徳川時代に再興された南禅寺そして塔頭が現代のこされています。本日の金地院(こんちいん)は徳川家康と懇意にあった崇伝和尚が庭師、小堀遠州に庭園を造りました。 【金地院】 東照宮への道 鳥居が立っています。 南禅寺の塔頭の一つで、「三門」の前の「中門」の外に位置します。徳川家康に仕えた「崇伝」が京の地に【東照宮】を造営し、今に残っています。 苔庭 参道 本殿入口 東照宮本殿 本堂の前には、枯山水の「鶴・亀の庭」として大きい岩が横たわっています。東照宮に対して吉慶を象徴した【祝儀の庭】とされ、「小堀遠州」 作と云われています。二条城の庭園も同じくです。 鶴・亀の庭枯山水庭園 方丈庭園「八窓席の茶室」は遠州好み「三畳台目」の茶席で名席とされています。明日、文章のご案内で、永観堂をご紹介してみます。昨日アクセス14,000とブログに喜んで書いていました。最近誤字が多く成りました、歳の老いにかないません。140,000でした。でも多くの先輩には適いません。京都観光とそれにまつわる京都の歴史を斯くも多く観て下さったこととても光栄で嬉しかったです。これからもよろしくお願いいたします。
2013.08.01
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