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サラリーマン最後の日。39年と7ヶ月。よくぞ、今日まで使ってくれたことに感謝しねばなるまい。ありがとうございました。 しかし、終わった。終わった。本当に終わった。宮仕えは2度としたくない。自分にかい性なければ使われの身。仕方ないのかな? ああ、でももう沢山。この度の役員会で私は言いたいことを披瀝した。これで、なんかすーとした。 忍耐の忍の一字とよく言われたがもう限界。よくぞ今日まで忍耐したものよ。自分をほめたい。とりあえず今日はゆっくり寝たい。 明日以降なにかにと書いてみたい。今晩はおやすみ・・・・・・。
2004.03.31
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今日はかってなく温かい日であった。散歩していてうっすらと汗をかいた。帰って我が家のワカシの湯にひたる。狭いながらも癒すのに充分だ。 農家の畑の隅に福寿草が5つばかり小さな芽を出していた。 水仙がつぼみをつけていた。チューリップの茎が大きくなっていた。もう春だ。 今日は風もなく温かい。 向かいのおやじが雪囲いを外していた。また、降るぞ・・・・・。3月20日前後かならず雪が降る。これまで何度もゴルフが中止になった経験ある。今週は送別会やら飲み会が3回ほど予定ある。飲んで騒いでるうちに3月は足早に終わる。 4月は希望を持ってスタートできる若い人たちを祝福したい。私は祝福もなく静かに噛み締めたい・・・・これまでのことを。「桜咲く 希望を持って 丘に立つ」・・・・とS先生は言っていた。たしか、高浜虚子の句だと思った。 多分優等生の句かな?普通は複雑な心境でいっぱいだろうと思うのだが。凛として希望をもって丘の上から眺望するとは見上げたもの。春はいずれにしてもひとつの区切り。丘に立って大きく深呼吸したいものだ春は名のみに 風の寒さや谷のうぐいす 歌は思えど時にあらずと 声も立てず時にあらずと 声も立てず ・・・・・・と感傷にひたてっるひまはない。あらゆる人の前途よかれと願わずにおられない。
2004.03.15
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夕べ山響の定期演奏会。今年は入院のせいもあって2回しか行けなかった。昨日はベートーベンの交響曲第5番「運命」のプログラムだったせいか盛況だった。前段の演奏がゆるやかな作品だったからか、歯切れ良くて聞いていて気持ちよかった。特にフルートの音が澄んだ音色で印象的。 演奏が終わると隣の席の女性が大きな声をかけていた。余程興奮したのであろう。驚いた。何時ものことながら、帰ってきて同じ曲をCDで聞いてみる。ウィンフィルハーモニーの演奏だがはるかに迫力が違う。どこがどうと言えないが音の切れとリズムが違うように思えるのだがどうだろう。飯野という指揮者は山響の実力を国内でも上位と褒めていたが国際的にはまだ程遠いのかな? 時にコンサートでなんとなく目をつぶって聞くのもなかなかいいものだ。4月からはまた違った気持ちで聞けるのでは・・・・・・・・。
2004.03.13
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今日は休み。りんご温泉へ走る。PH8.7と書いてた。確かに肌にぴりりとくることがない。浮いてるりんごが近くに寄ってくると、りんごの香りがぷーんとする。先日NHK「ためしてがってんだ」で肘折温泉と小野川温泉を舞台に「温泉の入り方」のこつをやっていた。 むやみに入ればいいのではない。人間のからだ24時間体温の上下の波がある。 その波の下がり目に風呂に入ると効果抜群とか。 1日3回、4回入っても意味がないそうな。湯治して1週間なら1.2.3.休み・3.2.1と入るそうな。せっかく湯治してもったいない入り方だ。これが「べてらん」というらしい。 長く、多くだけが能でないそうだ。全く自分流に入って所要時間を計ってみた。なんと25分だった。狭い売店、ホールをうろついてきた。誰かの色紙が飾ってある。「りんごの湯 女房艶だし 惚れなおす」とあった。随分無理した句だ。しわだらけが艶出しても仕方なかろうに。しわなければこんな句の対象になり得ない。まあ、いいではないか、そんな気持ちになったということよね。おれの顔もさわってみた。ツヤツヤしてるではないか?
2004.03.08
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団地の南側に美容室がオープンした。名前がONLY ONE。あのSMAPの歌「世界でただ一つの花」からとったのだろう。美容室はベストワンにはできないがONLY ONEを目指すということか?いいことだ。女性は女であることだけで魅力的・・・・という人もいた。多分、女性に飢えた人か? 男性、女性にかかわらず何かに熱中してる顔はいい。魅力的だ。何かに集中して行動をしてる人は魅力的だ。 顔のつくりではない。内面がおおいに物を言う。人間とは本当に不思議な生き物。昨日の「たそがれ清兵衛」の画面で明日果し合いへ行くと決意した清兵衛は寝静まった家の土間で刀を研ぐシーンがある。 そのときの清兵衛の顔つきと体は何時ものとは違っていた。異様なまでの殺気と妖気が漂つていた。土門拳は仏の顔を撮るとき、仏のもつ人間離れした柔和な心と作られた材質まで表現するためにほとんどの作品がアップでの構図がおおい。 そこにはありのままに表現する以上にプラスアルファの表現を目指してる。美容師さんも土門拳並みに表現を試みるとしたらどうなるものか?いやいや、繕いがあるのだろう? 一口にONLY ONEと言っても個性の表現はむずかしいものだろうと思うよ。きれいな人はきれいに、そうでない人はそれなりにということかな?
2004.03.06
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映画館へ行って観ねばならないと思いつつ1年が過ぎた。昨晩テレビで放映してたので、これ幸いと思い観た。山田監督の初の時代劇だそうだ。新聞では江戸時代の下級武士の生活状況に関する資料が極端に少ないそうで時代考証に大変苦労したとあった。庄内弁とくに、鶴岡弁なのだがよくぞあれまで表現したし練習したものだと感心した。冬の地吹雪などの画面はなかったが、海坂藩気質は方言でないと無理かも。 時は江戸末期直前。清兵衛と子供が「勉強するとどんないいことあるんだ?」「自分でものごとの判断ができるようになる」という会話が印象的。途中の画面と最後の語りで剣から鉄砲に移ってる時代の流れが説明されてる。 時代は移りつつあっても武士の身分は未だ変わらず、小さい子供のため痴呆の母親を抱えての一家の主として欠くことのできない存在だが「藩命」という縛りによって決闘させられる。選択を許されない。ここのところを焦点にしてみるのか、それとも何処にでもいる下級武士階級のささやかな幸せ追求の厳しさの現実を語ろうとするのか?いずれにしても時々の環境を無視できないが、私は後者で観たい。 映画は戊辰戦争から新明治への移りを語りで表現するが、何もこの時代だけが飛びぬけて武士階級の厳しさがあったとはいい得ないのでは? 宮沢りえ扮する朋江さんとの淡いというか純粋というかその情感は子供を介してより強く感じさせられ、決闘へゆく直前の朋江さんへの訴えは涙を誘ったし、これまた武家制度の悲しさを強調していた。しかし、朋江さんの言動、行動にはすでに始まってる時代の変化を予想させるものが随所にあったし彼女の存在感が明るかった。 ここ決闘直前の場面が本当の山場かな?宮沢りえがいちだんと垢抜けてきれいだった。最後の屋内での決闘場面に監督の集中した演技があったようだがテレビ画面では暗くてよく解からん。 全体的に屋内画面が多く、暗い。よく見えない。真田真之の好演技を褒めるべきだろう。山形県庄内の「海坂藩」だが月山も鳥海山も写っていたが、釣りは海でのものにしないと地理的説明が薄いのかなと思った。 最後の長渕剛の「決められたリズム」という歌詞が大きく流れる。選択不可、強制の人生という意味か?映画の主張はやはりこの言葉か?
2004.03.05
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天気はいいのだが、風が冷たい。耳が凍傷になるような痛みを感じた。寒いといってもプラスの温度。雪が融けてるではないか?かってはよく那須あたりまでゴルフに行った。この辺は東北人が多かった。東京人は寒いといって来ない。0度までなら我慢できた。零下になるとボールがコンコンとはずんで止まらない。グリーンなどあってないが如し、止まるものではない。今ではなつかしいゴルフ狂い時代。東の山並みは高く真っ白。龍山の陰で蔵王連峰は見えない。かみのやま方面に行かないと見えない。東、西、北、南どちらを向いても山ばかり。狭い盆地である。東の山からの川が造った扇状地。西側の駅から東の県庁まで勾配が70メーターあると聞いた。自転車では行きがつらく帰りはぺタル踏む必要なし。この盆地を一望に眺めて散歩が出来る。しかし、あの山ヤマの名を知らない。仙台方面に鋭くとがってハマグリの付け根のような頂をもつ山が見える。はまぐりやま・・・・というそうだ。小さいときの山で遊んだ記憶もない。地物でない者が語っても迫力がない。 必要に迫られて勉強した事もない。またなかなか載ってないのだ。地図にも。そのうち調べておきましょう。田んぼにもほとんど雪がない。屋根には完全に雪はない。それにしても融雪が早いので驚いた。五郎と康がまたくるという。おいで、おいでといってるが桜咲く4月20日前後がいいだろうと言っておいた。温かい気温に私は救われるだろう。桜と温泉が目的。
2004.03.01
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