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勝新太郎の大ヒットさせた座頭市である。居合い抜きの達人。アンマ。女には手を出さない。口数が少ない。あらすじは「勧善懲悪」である。ドラマのすじの運びはどうでもいいようだ。座頭市の仕込み刀の切れ味のすごさを見てるといいのだ。かって、黒澤監督が椿三十郎で見せたリアルな殺陣。切った時血が噴出す。刀が胸から背中に抜ける。そんなシーンがやたらに出る。サイコロを振るやくざの腕がすっぱり切られる。見ごたえがある。 多分、かってないほどリアルさを表現してるかも。女の色気をふりまくシーンはほとんどなくめずらしい。あらすじの最後に悪の総元締め「くちなわ」の棟梁があの人の良い居酒屋のおやじと爺だったとは見抜けなかったし、意外性をだしていた。 そして、たけしの「座頭市」だが顔がいまいち迫力がない。勝新太郎の方がどぎつさがあって良かったように思う。 カメラというかいろんな場面での気の利いた配慮を見せる。例えば土砂降りの雨が雨どいを伝わって石臼の中に流れ落ちる。そこには、赤い小さな花が乱れ浮いてる。ふーんと思わせる。全体的に台詞が少なく何処の誰という名前が耳に残らない。しかし、すじの運びは充分に解かる。 まさに「座頭市」の座頭市らしさを追求したのであろう。ああ、あとひとつ。バックに流れる音楽がいまいち特徴がある。なんというリズムか知らないが村人が解放されたように踊りまくるのだがそれがタップダンスだとは恐れ入った。でもそれに違和感がないから面白い。約2時間。イタリア、ベネチヤでの銀獅子賞に輝いたというからじっくり見ようと身構えた。 国際的にみれば、日本のsamurai,やくざ、用心棒、切腹、というおなじみの筋書きがリアルにしかも泥臭く描いたところが良かったのかもね。一般の時代劇はオモチャの刀を振り回してる感じだが、この度は真剣を思わせるように配慮されてた感じが迫力あった。 たけしの顔にいまいち迫力を持たせたかった。終
2004.05.29
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須川の川べりにニセアカシアの木が街路樹のように生えている。植えたものではなく多分自生だと思う。白い花が満開でもう散りかげんである。以前からどうしてニセなのかと疑問に思っていた。ネットで調べると明治時代にアメリカから移入されたが、その後にいろいろな種類のアカシアが入ってきて、区別するためにニセアカシアとしたと、解かったような解からないような説明である。 ほんもののアカシアを知らないものだから、どうも府に落ちないのである。花の形も全く違うという。アメリカと言えば桜とはなみずきの有名な話がある。植物の移入は結構相互にあったものらしい。ニセアカシアは針槐 (ハリエンジュ)ともいうらしい。マメ科で根には根粒バクテリアが共存していて肥料分の全くないところでも生育するらしい。あの札幌の見事な街路樹を思い出す。花は天ぷらでも食えると言うからこれまた重宝だ。写真を撮るチャンスは逸したが来年忘れないようにしよう。 ただ、偽という呼び方にいまだに抵抗を感じるのは俺だけだろうか?
2004.05.27
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NHKホットモウニングから、年をとると何故時間が過ぎるのが早いか?明確な結論めいたものはなかった。ただいえることは① 好奇心、期待感、感動するという気持ちが薄れてること。② 時間に縛られたりすることが減ってること。③ あくまでも心理的であること・・・などが挙げられていた。1000人の老人へのアンケートでは81パーセントの人が早く感じると答えたが、なにも感じないと答えた人が19パーセントもいた。20人のボランテアに一人ずつカプセルに入り3分経ったと思ったらボタンを押すという実験で、若い人は2分55秒平均。年配者は3分20秒程度かな?それだけ感じ方の違いがある。その分だけ過ぎる速さが違うことになる。 生物時計と言うのがあらゆる動物が持っており、その違いが研究されてる。ねずみの心臓は象の心臓の3倍の速さで鼓動する。いずれの動物も15億回である。早く鼓動回数が終了したものは早く命を閉じる。 人間は15億回を終了するのはちょうど50歳の時点である。だから、50歳以上生きてる人は特別な時間を生きてることになる。 平均年齢からすると解せないことになるが、全動物との比較からくるのか、どうか、そのへん説明不足である。 ただ、特別な時間を生きてると言う指摘が、嬉しいではないか。だから、せっかくの特別時間を楽しく、有意義に使わないと神様に申し訳がたたないことになるからだ。 象からねずみを見るとすごい速さで生活してる。人間をみてもそうである。「何故、もっとゆっくりエンジョイできないのか?」とさめた目で見てる。何もあせることも、無駄な心配も不要だ、象のようにもそもそ歩き、どんより声をあげ、ゆったり食べてるといいのだ。 そんな、気持ちの持ち方が長命へと繋がるのである。特別な時間という考え方が気に入ったしだいである。死ぬまで生きることは象のように・・・・ということか。
2004.05.26
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いまさら、年をかくしても何の意味もない。64回目の誕生日。昨日22日である。ちょうど山響コンサートがありこりゃちょうどいいやと思っていたが、小泉総理の北朝鮮訪問の特集がありこれを見ずして歴史に遅れると判断して行かなかった。結果的に最後まで見れず、早々に寝てしまった。 小さい頃から誕生日祝なんてした事がない。貧しかったからね。だから、小さい子供は別だが、祝う会など経験がない。ところが、今回どんな風の吹き回しか、家内、娘二人が共同出資で祝い品を買ってくれた。 頭がはげて来たから、帽子。ゴルフウエァー以外持ってないので半そでと、長袖のシャツである。どうせ家内の発案だろうが。 それでもかってない試みで私は感激した次第である。退職祝ということで豪華な食事をご馳走したからな。その返礼かもね。誕生日というのは夢中で生きてるときはそれどころではない。ああ、一年過ぎたか・・・。また一年と考えるに違いない。昨日、北朝鮮から帰ってきた5人の子供達はどんな心境か?子供は何も知らなかった訳だからね。これからの人生、すばらしいものになることを祈るしかない。 テレビ新聞での主張には触れないが、日本という国はなんで金や物ばかりばら撒く国なのか? 拉致というのはどんな行為なのか?国交がないから戦時中と同じという人もいるかも知れないが、まさに誘拐以上ではないか。重刑に値する。なめられてるもいいとこだ。 拉致された人たちの人生を察してどれほど悔しいか。人生は短い。失われたものは帰ってこないのだ。横田滋さんの無念の表情に同感をおぼえる。 やりきれない感情がぎりぎり騒ぐ。彼らの誕生日は祝いなんてものではないはずだ。生きてる一里塚でもあるのだから、この世の中いつまで悲惨な事件が続くのだろう。
2004.05.23
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どうして結びつくのかな?と思うのかもしれない。中学時代の美術の先生。勿論、絵はうまかった。その先生が言う。「何事も、線で囲ってはだめ」「みんな生きてるのだから、線で決めてはかわいそう。」「色と色でその境を解かるように書くのが絵のうまさ」まさに、印象派的考えの先生だった。「あのような人間と言われないように、あのような人と言われるように」とも口すっぱく教えた。先生の一言を今までも覚えている。 線でかこってはだめというその心が私は好きだった。浮世絵を真似たゴッホが悉く線で決めた。 さつきの盆栽も皆、松ノ木のように互い違いの枝振りを再現し、上へ上へと伸ばすつくりが一般的だ。しかも無理やりにだ。それではかわいそうだ。 私はそれに反発。反発というより先生に従順にということだろう。だから、私の持つさつきは一木一木、皆形が違う。 横に這う。上に伸びる。ブロッサム的にまとまって咲く。中でも、パレット上では出来ない色のさつきがある。今日も、増やすべく、挿し木を数本セットした。反発するわけではない。 本当に嬉しいひと時といわざるをえまい。
2004.05.22
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春は万物を発生させて去り夏はそれを成長させて去り秋はそれを就熟させて去り冬はそれを収蔵させて去る宇宙の原理はこのように整然としている。人間も与えられた時期に精一杯の仕事をなし整然と後輩に道をゆずることがいいのだ。綿々とポストに居座るものではない。・・・・・という中国の話なのだが、味があるではないか?人間引き際が大切だと教えている。朝の散歩をしながら思った。燃えるようなという表現がどうか解からないが、若葉のはちきれそうな勢いとむんむんする草の匂いを感じる。みんな生きている。 とくに春は万物の発生を促し、宇宙の変化に敏感に反応してるのが否がおうにも解かる。だから、春を嫌う人はいない。 そう、俺も春に生まれた。発生したのだったなあ・・・・・・・。
2004.05.17
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正面の山、龍山。頂上のほんの少しを残すだけ。緑の色が山全体を蔽っている。少し離れたところから眺めると龍山の後ろに控える蔵王連峰がいまだ白い頂を光らせて横たわっている。 もう、ブナの峰渡りは終焉に近い。 とくに今年は3月以来温かい日が続き桜の花から始まって全てが早まってる。私の記憶には水芭蕉は6月。皐月も6月という認識が固まってるのだが、つつじも皐月もすでにいっしょに咲いてるから、経験則が根底から崩れている。tomyさんから教えられて大平の水芭蕉群生地を訪ねたがすでにあの白い大きな花は散り象の耳のような葉っぱだけが活きよいよく立っている。 水芭蕉の花を画面いっぱいに写して楽しむつもりが残念だった。今度はブナ林の新緑が狙いとなるかな。 昨日、一昨日と少量の雨が降った。雨が降ると鉢植えも庭の芝生も活き活きとなるから不思議だ。水道水では本当ではないようだ。いっきに伸びた芝生を先ほどきれいに刈ってやった。 毎日日曜日の人がいる家は草茫々では申し訳がたたない。ふっと思い、ふっと行動する。これでいいのだろう。
2004.05.15
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”繭ひとつ 自力でしあげたさみしい牢屋 生まれかわるために”フィリピン小学校5年生のジーン・クウィンテロ君の作。A single cocoon/a lonely self-made prison/for renewing lifeこれを大岡信さんが訳した。生まれ変わるために自分で牢屋をつくってひとり閉じこもった・・・という意味であろうが繭を牢屋と捕らえ、生まれ変わるためににじいっと堪えてる姿が見える・・・子供の感覚というものはこういうものか。もう硬くてどうしようもないわが頭とは比較にならないとlonely thinkingしたしだいである。 最近手に入れた「折々のうた365日」大岡信著から5月14日のうた。
2004.05.14
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希望したわけでもなく、事前に打診があったわけでもない。いつの間にか役員になっていた。幹事会といっても、一方的な提案と了解を求める会議で意見を言わせない。言って貰ってもいいのだが、それほど難しいことをしてるわけではない。 自分で出した会費で飲みたいように飲んでいるのだから、文句もないはず。 「元気になったね」「ゴルフはしないのか」とやたらに声をかけられ、嬉しかった。 術後だからと言ってビールオンリーでいたが最後は酒を飲んだ。結果的に最後までいた。家にいると、もうとっくに寝てる時間にまだ飲んでるのだから、相手がいると違うのだ。 飲んで、話す。これが元気のもとか?俺の人生全く変化なし。 でも今日は楽しかった。
2004.05.13
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新聞とテレビの予告編で知ってはいた。まだこの地方では放送なってない。解かったような、解からないようなことを日記に書いた。だけど、訂正する気にならない。ビデオを見たその日の記述だから興奮があったのであろう。舞鶴港に着いて検疫やら検査やらで1日船の中で過ごし、翌日上陸。歓迎の人ごみ、あの白いおにぎり。味噌汁。コーリャンしか食べてない毎日だったから、感激したことを思い出す。 そう、10年ほど前。舞鶴港へ行った。引き揚げ者記念館(?)なるものがあった。あの「岸壁の母」のモデルになった東京のおばあちゃんの記事の切抜きなどあって思いを馳せた。母を連れてきたらどんな感想を述べるだろう?今、連れて行けと言われリャはい・・・とすぐ実行するが、いかがなものか? 妹がそのビデオみたいので取りに来るという。内地に帰ってから生まれた妹だからどんなふうに見るのかなあ? 引き揚げ船に乗るまで1年から2年という人もいたはず。その間住む場所も追われ収容所とかいろんな所での生活があったはず。小さい子供は足手まといにもなり、またその子のためにもと思い少しのお菓子を与えられ放置されたケースが多いと聞く。それを満人が拾い育てた。 今、「残留孤児」としての報道のとおりである。中国人はすごいと思う。日本人がその立場なら可能だったろうか? あの舞鶴港から私の場合、すでに60年過ぎてる。厳しかった父はもう40年も前にすでに亡く、当時の詳しいことは長女の姉が知るのみである。私は帰って翌年の4月小学校入学だから、ぼんやりの記憶。 生きるのよ。日本に帰るのよ。・・・と励ましあう会話は現地ではどんなものだったのか想像に絶する。心からというより魂からという感じか?日本に帰れば全てが解決するような思いも与えるが、日本本土で思うようにいかず満州へと来たはずなのに、祖国という思いの一点のみだったのだろう。 しかし、生きるということの厳しさのなかで、人間愛に根ざした行為のかずかずはどれだけ多くの人を励まし奮い立たせたか? また、それぞれ個人が良心を持っていたからでもあったのだと信じたい。我々子供ながらに「我慢する」「親を困らせない」「無駄な口は出さない」といったことに忠実だったように思う。その後の生き様はいろいろご指摘のとおりである。 戦争は惨い、二度と起こしてはならない。今日読んだ雑誌に「政治は清浄を愛し、潔白を求める者の入らんと欲くする所ではない」とあった。しかし、全て政治のなせる結果であったことを思うと、高みの見物とも行くまい。
2004.05.11
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栄養失調でか病気でか?亡くなった小さい子供をミカン箱にいれて船尾から投げ捨てる。渦巻く白い航跡は一瞬の間にのみ込み、みるみるまに遠くへと離れてゆく。泣き叫ぶ母親。声をからして子供の名を呼ぶ。引き揚げ船の一場面である。そんな光景を母親から何度も聞いた。今こうして生きてるのも母が守ってくれたからだ。その母も今はわかってるのか解からないのかつかみ所がない。 なかにし礼作「赤い月」。埼玉の姉がビデオに撮って送ってくれた。狭山の新茶と一緒に。牡丹江や引き揚げの話などがあるので母に見せろという。私はまだ3-4歳の頃で記憶が不確か。新茶を飲みながらビデオを見る。ドラマの筋書きが解かるのどうか解からないが真剣に見てはいた。 なかにし礼の構成がうまいのか、ドラマの骨格というか、高島礼子演ずる森田波子の恋愛遍歴というかその生き様が中心である。単に満州での日本人の苦労を強調したり反戦的内容では見る人がいないであろう。あの、「風と共に去りぬ」のように意地を張る女性という姿に多少似てるようにも思うが。時代背景が全く違う。「人生はすばらしいはずよ」と引き揚げ船の船尾で叫ぶ波子の心は何をさしてるのか? 波子の生きたすさまじい愛することのしたたかさを物語ってる。そして重要性を。 エリーナ・ロシア人のスパイ密告の犯人が波子だったというこの構成もサスペン的で目を引くことの一つであろう。要するに嫉妬の証明を国を守ることとかけている。関東軍は日本人を守らず軍隊の安全を優先して考える。見殺しにされた日本人達。波子が言う。人間を愛せず、国家を優先して考える軍人には息子をしたくないと。沖縄での戦跡を思い起こさせるが、軍隊の無力さを指摘しながら人間の心の必要性をつよく訴える。鋭い皮肉もたっぷりだ。 これからの平和を語るためにも是非必要な過去の歴史の検証であろう。最後の氷室と咲美との京都の寺での会話。「全て戦争が悪いのよ」という咲美。氷室は答えないが戦争にまぎれて本当に愛したエリーナを自分の手で殺したその一点が一生頭から離れないのであろう。生きるということは妥協ではないとも強調してるのか? あまりテレビを観ない自分で申し訳ないが最近にないドラマではなかったのか?ちなみに私は満州へ渡る直前に生まれたので「満」という。
2004.05.09
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酒田の義兄、義姉を訪ねるため112号を走る。高速からみる月山は布団着て寝たる姿に。在来線からみる月山は大きくぼこんぼこんとこぶが3つにみえる。途中の山肌の残雪。ブナの新芽の淡いみどり。そしていまだ芽を吹かない高度の高いブナの樹が薄むらさきにかすんで見える。 私の文章では表現できない、むらさきと白と緑のコントラストと言おうか?残雪の風景は冬の厳しさからの解放感。そして春というもえいずる躍動感というのか、こころあたたまる風景だと私は思う。 かって、庄内勤務時代に朝早く(5時頃)出かけたときに始めて見たが、「霧氷」というのか?・・・・・新芽の未だ出ないブナの枝に着いた水滴が悉く凍ってきらきら朝日があたって光るのである。 クリスマスツリーなんていうもんではない。別の世界に迷い込んでしまったかという感じ。あの感動を忘れられない。 朝日村につい最近「GOO」という産地直結店がオープンした。その入り口でびっくりした。あのザゼンソウがバケツに入って売ってるではないか?雪の下からあのエンジ色した花弁を突き出し咲く写真がよく紹介されて、ザゼンとは座禅なのかと思ったりしていたが、まさかこの季節にここでおめにかかることができるとは思っても見なかった。まさに水芭蕉とおなじようで常に水が湧いてるような所でないと生育できない感じだった。 値段も安かったが面倒見切れないと判断して買わずじまい。 それから、山菜の安いことにびっくり。わらび、たけのこ、しどけ、こごみ、うるい、うど、などで、山形のスーパーの半値である。しどけの栽培は可能かしら?あの朝日で今頃? 天気は最高、あの残雪を今一度ゆっくりと眺めたい。
2004.05.08
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この2~3日のうちに一挙に新緑の度合いがましてきた。山の裾野から次第に上に向かって緑がかってゆく。この様をぶなの峰渡りと言うそうだ。勿論ブナは平地では生えず一定の高さ以上なのだが、峰渡りで勘弁してもらう。 残雪とブナの新緑のコントラストを撮らねばならないのだが、明日にでもまた112号へ行って見るか? 残雪の形にも各種あって吾妻山には上杉謙信が馬上で刀を振りかざしている姿が見えるし、鳥海山には農夫が種を蒔いてる姿がみえる。こんな現象をとらえて農作業の始期を知るという。昔の人はなかなか情緒がある。 しかし、このような現象も桜の咲く時期が毎年早まっているように微妙に変化してるのではあるまいか? スーパーに行っても春でなければ見えないはずの鱈の目が年中売られたりしていて食物から感じる季節感は完全に狂っている。山菜のあの「きどさ」はかってのような強さはない。すべて栽培が多いからだ。すでに「しどけ」が売られているから驚く。
2004.05.03
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奥松島の民宿に泊まって、 地名を出したら悪いかしら?普通、私達はホテル、旅館に泊まる。その時、ホテルだから、旅館なのにとか、決して一人の相手を考えていない。もし悪ければそのホテルという法人の悪さを指摘する。旅館の主を指定して非難する。 しかし、民宿となると、最近は民宿のための宿泊施設として別棟の建物とか部屋を準備するとかが多いのだが、 この度はまさに自宅そのものだった。個人の生活の一時期をお借りして泊まると言うことなのである。なんか息苦しい感じである。 奥さんの忙しさ、親切さ、家族総出の接待である。ホテル、旅館での泊りとは違いいきなり個人との話だから疲れる。わがままもいえないし金を払えばいいと言う割り切りもできない。 こんなこと初めての経験である。民宿という経験はあってもほとんど準旅館的な施設へのものであった。 その家は漁師さんで船を持っていて、自宅の額縁とかを見ると相当に地域に貢献されてる実績がわかり、地元の名士?とも受け取れる。 その息子夫婦がいま実権を握りいろいろ挑戦してるひとつに民宿があるようだ。夜の食事の料理はすばらしかった。まさに海鮮料理。野菜ひとつもなし。野菜嫌いだからそれでいいが、初めてだ。 この魚なに? これなに?と思っても高校生か大学生か?娘さんに聞いても答えが「さあ」である。 料理はすばらしかった。でもとまりとなると風呂やトイレや洗面所や配慮は随所に見えるが個人住宅、何か息苦しいのだ。こんなものだとは思いつつも、何もいえる訳もなし、一夜を過ごす。民宿というイメージを私は間違って捕らえていた。まさに民宿だったのである。 感謝をし、お礼を言って去って来たが、宿のイメージではなく個人宅にお世話になったのである。 安い料金であんなに働いていそがしい振る舞いにただ感心するだけである。朝、近所を散歩したが、いやいや民宿の看板の多いことおびただしい。まさに民宿村である。 一歩家を出ると波が打ち寄せるあの音が大きく聞こえる。岸壁で糸をたれてる釣り人も多い。浜辺で手をつなぐ若いカップルも一組。浴衣姿の私がひとり、夜明け直後の浜辺の一風景である。 その家で売るわかめと海苔を買って帰る。高速道路は行動半径を広くした。かっては5時間はかかったであろうあの松島のさらに奥の宮戸島の先端である。 ほんの2時間少しで我が家に戻る。 終>
2004.05.02
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