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龍門の女滝相変わらず暑い。暑い時は汗を流すのがいちばん。白鷹町は近いので、昼前にひょいと出かけた。瑞龍院をいっぱつでは見つけられなかったが、釜の越桜の西とけんとうつけてなんとか。先週の雨で林道はずたずた。相当さきまで車で行けそうだが歩いた。30分も行ったかな? 滝らしいものは見えず、砂防ダムの堤体から出る滝を3箇所みた。あの角まで行ってだめなら別の機会に・・と思った。重い足をひきずってその角。なんと不思議、滝だ。 先週の集中豪雨のすごさを物語る。沢は河川敷きだ。砂防ダムがあってもだ。しかし、滝は崩れず、そっくりきれいに流れていた。ただ、水量が多い。三段になってる滝で、多分手前が女滝、上奥が龍門の滝であろう。 瑞龍院は栄えた寺だが、この滝と寺は一体のもの?と思える。何かありそうな予感が働いて・・・・気味わるい。伊達政宗は17代目、持宗は11代目だから6代先の当主が開基した寺である。 ここ鮎貝は鮎貝家が治めていた地で、それを正宗は強引に焼き払い我が傘下にした歴史もある。 伊達家はそもそも鮎貝家であったという謂れもある。詳しい人に聞くと奥深い話である。 鮎貝家によって相当に栄えた地なのでこの寺も勅願所の論旨が使わされている。現在は荒れ果てて見る影もない。 ただ、滝だけは元気良く流れてると言えようか?全身びっしょり。足はひきずる。朝の散歩の数十倍だ。わが車にたどりついたら、急に腹が減ったのに気づく。
2004.07.28
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今朝の散歩、久しぶりにキューリセンターコースをとる。稲の伸びたことびっくりした。あの田植え時期以来だと思う。田んぼだけで単調で、なんか気合が入らない。 そんな気分でもたもた歩いて、あの自販機まで来た。缶コーヒーでも飲もうと思い、120円を入れた。なんか、音がおかしい。 おつりが出る皿に金が戻ったみたい。あっ故障か?と思い手を入れたら、なんと340円あるではないか。もうかった。悪い気はしない。これが、「早起き三文の得」というヤツか? 一文はだいたい今の価値で10円ほどとネットで調べた。なんと私は22文の得をしたことになる。 蛇に出会うといいことがあるという。 なんと、なんと、今年はすでに4回出会ってる。見るだけで身が縮む思いになる。我が家の庭で一度、秋田に行って一度、山で二度である。「いいことがある」・・・これがそうだったか? 福井県知事に2億円の宝くじの当たり券を匿名で寄付した人がいた。かっこ、いい。私にもそんな機会がないものか。蛇に対面4回程度ではだめか? 蛇はごめんだ。ではだめだ。22文で我慢します。この文を見た方、どうぞ、内緒に・・・・・・お願い。
2004.07.27
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払い込みを確認してから送る方式なので手元に届くのに時間がかかる。さっそく飲む。 あの十和田湖での利き酒と同じ味がする。口にふくんで、あっ、きつい。という感じはそのとうりだが飲み込むときに、なんか、ワイン風な味もする酒だ。 ビンがしゃれてる。「一生勉強一生青春」「その時自分ならばどうする」といった相田みつおの言葉がいい。本当にこの人は素直な表現ながら鋭いところを突く言葉だ。感心する。飲み終わったら一輪差しにしてくださいとも書いてある。 例年夏はビール一辺倒で冬は酒にしぼる私の飲み方なのに今年は何故か酒が多い。 why?「じょっぱり」は意地をはる意味でよく「ごうじょっぱり」という。良い意味にも悪い意味にも使うが、この酒は津軽の伝統を頑なに守るという・・ごうじょっぱりの精神を酒に託してるのであろう。じょっぱらずに気軽に飲みます。
2004.07.25
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どうも山形市に住所を持つ滝が少ないときずく。紅葉川渓谷でも行けば幾つかありそうだが、かねてから見ていた馬見ヶ崎川原の滝を入れてみた。落差5m以上が滝名簿搭載の基準だがまあ、そこのところは!今朝4時40分頃うちを出た。日の出が45分頃だからと思い。若い二人が釣りをしてた。滝までの河川敷は1m50ほどの幅でくるぶしまでぐらいの深さの人工的に作った浅瀬が延々と続く。橋の近くの芝生の広がる辺りにテント3基張ってあった。いい雰囲気だ。 散歩に歩く人の姿も二人ほどありまさに河川公園だ。上流は蔵王ダムだから今の時期は水量調節でほんの少ししか放流してないのだろう。 もう少し下流に行くとほとんど水の流れはない。かってはかやが密生していてうっとうしい河川敷だったが、こんなに変貌した。まさに公共事業のおかげだ。 飛行機に乗って見ると日本の田んぼのきれいなこと、きちんと区画され稲が風になびく様はこの国の豊かさを説明してるように見える。 同じく河川も大きい河川は少ないが整備された河川敷は生活のゆとりを感じさせるに違いないのだ。 そんなことを考えながら散歩がてら滝へ向かう。結構迫力あるではないか?滝シリーズの仲間に入れることにする。
2004.07.24
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今日も雲一つないいい天気?・・・暑いのだ。東根のジャングル・ジャングルスキー場すぐ手前にある野川水系の滝。行く途中、熊出没注意の看板があちこちにある。道路から藪をこいで川べりまで。滝つぼへは木のつるからつるへと手で掴んで体を支えながら降りてゆく。 しかも周囲を気にしながらだ。こんなにしてまで滝巡り・・・・と瞬間思う。 滝つぼに着いたらひとりの男性が釣りをしていた。言葉は交わさなかったが心強く思ったっけ。 やああ、いい滝だ。道路の脇に黒滝不動尊という大きな石碑があるのですぐわかったが、川べりにある説明書きが感心しない。不動尊の説明が多くて肝心の滝の説明がちょこっと。 クロは色の黒ではなく田の畔であること。次郎左衛門が流木などをとり除いたので次郎左衛門の滝とわかった様なわからんようなこじつけ。水量多し,落差10m、はば7m程度のごく普通の滝。勢いよくカメラに飛沫がかかる。距離はないが帰りも大変。 全く暑いと感じない。もう一つ滝があるはずだと道路沿いに車を進める。すぐわかった。小さいが元気のある滝。無名の滝だ。帰り東根温泉に寄る。市立厚生会館に公衆浴場があった。@150円多分休日勤務の人。「黒滝の上流の滝の名は?」と聞くと「????」でそんなとこありますか?と言った態度。話にならない。「調べておいてくださいと」伝えて入浴。熱い。熱い。風呂が熱い。東根温泉は湯がぬるくて有名なのだがこんなに熱い。どうして?沸かしてるのかな?長野の「白骨温泉の事件を」知らないな? でも、汗を流して余は満足じゃ。たった、2箇所の滝紀行だが、疲れた。暑いからと半袖で出かけたが、腕が傷だらけ、滝を甘く見てはだめ。幾ら暑くても長袖に厚いズボン。今度、気をつけます。これで、私の頭に描いた滝はこれで全部。これからは調査そして探索となる。思いつきでそら出かけるぞ・・とはいかないのだ。
2004.07.23
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ビデオレンタルの会員になる。最初に借りてきたのが「ラストサムライ」である。まず、なんの予備知識もなくDVDを観た。2時間30分。お茶も飲まず、酒もビールも飲まず。いっきに観た。それからNETで調べて今書く。まず第1感、従来アメリカ映画に登場する日本人は出っ歯で貪欲、武士は腹きりや融通の効かない単純ばかに描かれていたと思う。しかし、この映画は尊敬の対象として描かれている。武士道はかって新渡戸稲造の著で爆発的に売れた歴史があるが、それ以上に近代化という動乱の中で変容してゆく武士の心情を批判的にではなく容認する目でとらえていると思う。 それは現代日本への批判でもあるように思えてならない。アメリカも近代化への苦悩はあった。トムクルーズ演ずるオールグレン大尉の南北戦争、インデアン撲滅の闘いの人間性否認の現状への疑問と焦燥の心情と渡辺謙演ずる勝元の心情がぴたりと合うことになる筋の運びが物語をイヤがおうにも盛り上げる。 トムクルーズはインタビュウで「武士の思いやり」と話してるが「義」ということだと思う。「正しいと思うことには命をかける」「約束は守る」「主に命を捧げる」ということかな。 映画のスケールの大きさは戦闘場面に思う。日本映画にない迫力だ。それからよく西部劇にみる戦闘の最中にオールグレンと勝元の会話にユーモアーと思えるものを感じさせたところがアメリカ流ということか?闘いにも名誉を重んじる武士道とアメリカ魂の差も感じられた。 小雪演じるたかとその世話になるオーグレンの心の葛藤も見どころの一つであろう。監督のズウイツクの黒澤の「七人の侍」への傾倒や「西郷隆盛」の生き方への共感がこの映画の真髄になってるそうだ。 最後の戦闘場面で撃たれても撃たれても前へ進む武士たちの戦闘姿勢に明治政府軍の兵士達も撃つのを止めて跪くシーンがあるが、ここがもっとも表現したいことの一つではなかったか?涙を誘う。最後に明治天皇の台詞が時代の苦悩を表現しそして日本人の日本人らしさを守らねばという意思が表現されて、現代への忠告ともとれる。 とにかく構想の遠大さ画面のスケール、心情の切なさ、日本人よもう一度日本の歴史をみなさいよという忠告に私は感じた。是非観なさいと友達にすすめたい。
2004.07.20
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すずしさを 砕けてちるか 滝の玉 ー正岡子規ー正岡子規記念館・俳句展示室の630番の作品に載っていた。ドライブインの店に入って、主人らしいオヤジがいたので聞いた。「この滝について何でもいいですから記述されたものはありませんか?」「ああ、正岡子規について書いた看板がある」と言って見せてくれた。しかし、その木製の看板は2つに割れていて、隅に置かれていた。「棄てるに棄てられなくて」という。それには明治26年に子規が奥羽紀行に出かけて来たとき、8月6日にこの滝に寄り、この歌を読んだと記されていた。ここ関山街道は明治15年、初代県令三島通庸により開削されたことは余りにも有名。14年に工事人夫23名が爆発事故で死亡した。その殉職慰霊碑がドライブインの正面にでかく建っている。 正岡子規は芭蕉の奥の細道を足で歩いてみたいと企画した旅であったろうが 山刀伐峠を越えないでこの新道を来たに違いない。病苦をおしての旅立だったから。 私は申し訳ないが正岡子規の歌があるとは知らなかったのである。”ああ、収穫”と思った。ここのドライブインも何度となく通つて来た。滝もろくに眺めたこともなかった。 今、滝めぐりという名目であちこち歩き回ってるが、ほんの少しの目線を変えることによって、これまた別の発見。 午前の銀山といい大滝といい。大変勉強になった1日だった。ドライブインのパンフレットには 涼しさを 砕けて散るか 滝の玉・・・とある。子規記念館の表現が正しいと思う。今度あったらご指摘しょうかしら。
2004.07.19
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この銀山も何度か泊まったことありながら全く周囲を歩いていない。イヤーいい所だ。遊歩道はきちんとしてるし、白銀の滝、斉藤茂吉歌碑、銀鉱山の坑道跡など見るものがある。勿論、白銀の滝はスケール、迫力、形、などから文句ない。昨日雨だったせいか水量が多くて周辺の細い滝も加えると4本ほどの滝が見えた。 滝を見て温泉街へ向かったら突然の雨。旅館の軒下で雨宿り。小降りになったので共同浴場「しろがねの湯」へ。よかったなあ・・・・・・・・。これが温泉よ。誰もいないおれひとり。肌がすべすべになる湯。少し熱い湯。頭から湯をかぶって「ああああああ」と、おれひとりだから。 その後温泉を出て間もなくに「だんごや」がある。ここでそばを食わないことには「そば通」とはいえない。食べて東根の「大滝」へ向かう。記述は明日の日記で。 ※坑道跡での説明で初めて知った。「焼き掘り」という 採掘方法があるのだ。岩盤を木で燃やして焼く。 それに水をかけて急速に冷やす。鉱石と普通の岩盤では 伸縮の度合いが違う。 鉱石だけを分離して取り出すのだそうだ。 そんな工法でめずらしい鉱山だったようだ。 江戸時代230年ほど続いた銀鉱山だが往時には2万5 千人の集落ができたとある。
2004.07.18
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朝起きたらまたも雨。散歩はならないと思い、何の目的もなかったが、高瀬部落へ車を走らせた。べにばなトンネルを抜けたら左右の畑に「べにばな畑」と親切に立て札が立ってた。「なるほど」と思ったが、その4つほどを見て驚いた。花が咲いてない。顎というのだろう、花弁の下の部分がべにばなの場合丸く膨らんでる。そこから針のような黄色い花弁が360度無数に広がってるのだが。畑の花は、顎の部分も花弁も真っ黒に変色してるのだ。思わず車を止めて花を手で持ってみた。べにばな特有のあのいがいがしたとげは感じられない。 あの日の爺ちゃんの言葉を思い出した。連作障害か?今年の気候か?肥料のせいか?栽培の難しさを知らされた思いだ。それにしてもべにばなの里を標榜する高瀬の人達が我々素人が考えるようなテツは踏まないと思うのだが。私のさつきの鉢植えは今年は花が咲ききらなかった。一応開くだけは開いても花びらが地に落ちて丸い実を着けるまでに至らなかったものが数本あった。地植えのさつきは完全に咲き切った。これと原因は似てるのだろうか? 広大なべにばな畑を要求する私だが、その難しさを思い知らされた. 商売にならないのだ要するに。 前に行ったときなかった立て札はさればどんな目的か?まさか、ドライフラワーの畑でもあるまいに・・・・・・・。
2004.07.16
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泊まったホテルでのこと。夕食が部屋に運ばれてきた。幅5センチ、長さ20センチほどの板にそこの深い盃が3つ並んで酒が入ってる。仲居さんが「利き酒です」という。「へえ」と発して、まず左の一つを口にした。「辛い」と言った。盃を手に持つと、その底の部分の板が丸く彫られていて酒の名がある。「じょっぱり」とあった。次の酒。ワインのような味がした(出羽の鶴)。そして次。普通の酒、まろやかな味がした(あさ開き)。それぞれ青森、秋田、岩手の吟醸酒で各県とも販売に力の入ってる酒であろう。「うううううんんん」しゃれた企画だと思った。 このように酒を並べて飲んだことはない。しかも、特徴があるから違いがわかる。 いま、若い人達の酒離れが強い。出羽の鶴は女性がターゲットであろう。 あさ開きは一般向きであろう。じょっぱりは頑固者という意味が示すとおり、おれの酒と頑なに伝統を守ってるのかも。 申し訳ないが私も初めてこれらの酒を知って味わった。家内のお膳にも付いたので私だけ計6杯飲んだことになる。こんなこと知らなかったから銚子2本と予めお願いしていたので、換算して銚子3本は飲んだことになる。 翌朝売店で買えばよかったのに「滝めぐり」のパンフレットに没頭して売店に寄らずじまい。今ネットで調べて注文した。結論として、私は「じょっぱり」を選んだ。味もあるが、ビンが白磁器風で相田みつおの言葉が印刷なってる「一生勉強一生青春」と。 (こんなに固有名詞をあげていいものか?)初めての経験で当ホテルか?酒造組合か?その企画に感心した。旅での思い出はそれぞれさまざまであろう。PRの策に乗ったようだが、酒好きにはうってつけの企画と言えるだろう。客の顔を見て運ぶのかも知れないっすね・・・・。おかげで熟睡。
2004.07.14
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誰がなんと言おうと私は十和田湖が大好きである。もう何度行ったかわからない。行くたびに新たな感慨を持つ。一度奥入瀬を蔦温泉ぐらいまで足で歩いてみたいのだが、いまだ実行していない。車で走ると駐車が思うようにできないのでついつい先を急いでしまう。 この度は平日のせいか非常にすいていた。ホテルのロビーでみつけた「奥入瀬滝めぐり」のパンフレットを頼りに滝をメインにまわってみた。 足で歩けばもっと多くの滝を見つけられたと思う。前日の雨で奥入瀬も滝も水量が増していた。川の流れに逆らう岩といい石といい、皆、コケが生えていて、流れをさらにやわらかく見せている。 まさに今が新緑といってもいいのではないか、6月までは雪があったはずだから。道路を囲む樹林はブナ一色。これが秋なら燃えるような赤一色のトンネルになるはずだ。故あって、毎年秋田へ行くが、その都度十和田湖へ寄ることにしている。 幸せでもある。◎ 住まば日の本 遊べや十和田 歩けや奥入瀬 三里半 大町桂月◎ 琅かんの玉をとかして いまだたらず 何秘めたるや この湖の色 九条実子 という歌がある。奥入瀬の魅力と湖水の美しさはこの歌にうたわれてる とおりだ。命ある限りこの十和田湖の自然にひたることを喜びとしてゆきたい。 ページ一覧の奥入瀬の滝を見ていただきたい。
2004.07.13
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今日は、ばあちゃんはデイサービス。家内は上の娘と仙台へ買い物か、なんだか知らない。こんな日程がわかってたので、4時頃目が覚めたがまた寝て9時頃まで寝ていた。昨日の疲れもあるしね。食卓に朝食が準備なってた。こんな時しかないなと思い、ビールを取り出し2本飲んだ。うまい、うまい。 外が騒々しくなった。電線を交換するので9:30から12:00まで停電だという。 いやいや、PCもだめ、ラジオもだめテレビもだめ電話も駄目なのだ。なにげなくトイレに行ったらこれもウオシュレットはだめと来た。 仕方なく熊対策用の携帯ラジオを持ち出し、音楽番組を選んで聞きながらビールだ。 しかし、次第に気温が上がりはじめ32度を示してる。これではビールがさらにうまいわけだ。午前中から酔っ払っているわけにもいかず、昼食兼用の食事をしてうううんんんと、とろとろしてるうちに電気が通じた。電気のありがたみがわかる。 我が城は2階の狭いところ暑いあつい。汗が出るのは体にいい。ドンドン出ろ。PCをいじってるうちに4時になった。そろそろばあちゃんが帰ってくる。ばあちゃんが来たらマロンをはなす。そのうち女達は帰ってくるべ。今日のビールはことのほかうまかった。と言って今また飲んでる。家内の声が聞こえるようだ。
2004.07.09
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去ること千三百年昔、米沢の茂林寺の僧が修行の際に発見した温泉と滝である。 夕方だったので夕日が映えて炎が燃えるごとくだったことから「火の吠え」の滝と名づけたようだが、後の日に何時か「火焔の滝」(ひのほえの滝)となったみたい。ここ温泉までは、ブナ林の細い道路を登る。ガードレールもない。眼下に集落がみるみる遠ざかる。山の頂上あたりに狭い駐車場がありそこに止めて歩く。急な坂を約20分谷底へ向かって歩く。つり橋を渡り温泉へ。温泉で標高1050M。宿に荷物を置いて滝に向かう。露天風呂の脇を通り川原に入り登る。最上川の源流。吾妻山系の一部である。ここから酒田の河口までは230キロあることになる。でかい巨岩が無造作にごろごろ転がっていてその隙間を探しながら登るのである。何か簡単な道でもと思うがそんなこと出来ないと後で気づく。 滝は間もなく見えた。高さ50メーター程度の滝で「ひのほえ」というイメージはない。 岩がきちんと四角に割れる質のものでその段々に水があたり、飛沫をつくる。きちんとしたきれいな滝だ。まさに秘境の秘湯にふさわしい訪ねるに価値ある滝だと思う。これがなければただ露天風呂に入って酒飲んで終わりだ。夕食が済んで9:00頃すさまじい雷と雨が叩きつける。見る見る間に谷川は濁流になり氾濫状態になる。旅館は床高に造られてるので心配ない。ごうごうという音の中私は疲れから寝てしまう。朝2:30に濁流の音で目が覚め寝付かれない。あの谷川の巨岩がこの濁流に流されるのも理解できる。そこに探索の道などできるはずがない。夕食の時同席した人たちがいた。千葉県市川市から二人の女性。庄内から夫婦一組。新潟からひとりの男性。そして山形男二人である。ちょっと声をかけたら乗ってきて、たあいのない話をしながら和やかに食事ができた。 我々は滝が目的だが彼らは「秘湯」が目的。不自由極まりない温泉だが、そこがいいのだそうだ。湯は混浴にすべきだと頑張っていたが我々は歓迎だが、といっても若い女の集団に襲撃されたらやはりすごすご逃げることになるかもね。まあ、楽しい一夜だった.
2004.07.08
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そう遠く 行けそうにもない 文月にB判大きめの 時刻表買う 栗山繁 朝日新聞「折々のうた」から。作者は90歳の母親と二人暮しだそうだから旅行などできるはずもないのである。 駅の売店でものぞいたのであろうか?買わなくてもいい時刻表をしかも大きいやつを買ってしまった。というのである。 わかるような気がするのである。 私は家内とふたりだからまだこの作者よりは随分恵まれてる。週2回のデイサービス。 月1度、3泊4日のショートステイ。というサービスもあるから、ショートステイの時、近距離旅行ができる。先日滑川温泉へ行ってきたのがそれである。退職したら北海道1周という計画があったが、なかなか実行できないでいる。 1週間預かってといえば何とか出来そうな感じなのだが全くの自己都合なので基準では不可である。母親と二人暮しで世話をやく毎日で、時には旅行でもしたいというその切実さは、投げ出したいような、じれったいような、人間つて何だろうとか自問を繰る返す苦しさではないのか。 さればといってどこかに預けて行ったとしても脳裏から離れず、結局はなんのために旅行へ来たのかと思うのである。そんなもんだよ人生は。私はそんな時、小さい頃を思い出すようにしてる。満州から帰るときの話を思い出すようにしてる。文月は陰暦の7月の別称とある。夏休み期間中にとかの意味になるのかな? 皆が出かけるときにおれは出来ないのか、という気持ちもあるのかもね。ひょと見て同感をおぼえたので書いてみた。
2004.07.05
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これだけ「べにばな」・・・と騒ぐのだから、どこか広大に栽培して「これがべにばな」だよと見せる場所があってもいいのではない?・というのが私の主張である。 昨日は朝早すぎて(5時頃)なのか、地元の人と会えなかった。今朝また出かけた(6時半)。東山方面という情報を得たので向かう。286号。宝沢橋を渡りすぐ左。べにばなトンネル(1971m)をぬけて間もなく右、山方面へ。部落の中ほどに車庫兼倉庫の前にべにばな1束500円とダンボールに書いたものを見た。「ごめんください」「おはようございます」と玄関を開けた。 中から面倒くさそうに「あーーーい」と爺ちゃんが出てきた。「あのべにばな売って下さい」「ああ」ということでようやく話ができた。 べにばなは連作が効かない。広い面積に植えると来年困る。 手間も掛かるしせいぜい1反歩です。この辺には大きくやってるうちはない。というのだ。 馴染んでくれたのか?いろいろ話ができた。かって宮崎駿雄の「思い出ぽろぽろ」という漫画作品があった。14-5年前という。それに登場する爺ちゃんは自分がモデルであるという、なんと偶然。 この地区は昔山形から宮城県へ抜ける街道だった。この上の地区はその街道の宿場町だったと。山寺から秋保へ、高瀬東山から秋保へ2つの道があったので二口林道という。この話は聞いていたが実感が持てなかったがここ地元に来てなるほどと思った次第。 べにばなトンネルができてこうしておめさんのようにここを訪ねる人も増えた。ありがたいことだと。 そんな話を聞いて1束と思った紅花を3束買ってしまった。 ああ、今朝きてよかった。 芭蕉が来た時代は紅花は大変な商品価値があったが今では観光用としか言いようがない。 私のようにデジカメを持って写真を撮りたいという要望にこたえるために紅花を栽培するには余りにもリスクが多すぎるのだ。 ドライフラワーにもできるので姉達に送ることにした。実益が少なくてせいぜい花屋に卸す程度なのだろう。今まで考えてきた自分の考えがちゃちだったと実感した。爺ちゃんよありがとう。
2004.07.04
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紅花は山形特産。余りにも有名。原産はエジプトという説もあって一昨年花笠舞踊団がエジプトを訪れた。 平成4年の紅花国体を契機に県で開催されるイベントすべてに紅花がかかわる。 「眉はきを 俤にして べにの花」という芭蕉の句がある。今で言えばアイシャドウというところか?口紅やほほべにに使われたのも紅花である。芭蕉は40台で山形に来てるので江戸?京都?どこかで会った女性を紅花をみて思い出したに違いない。俤(おもかげ)という言葉を動詞的に使ったところがみそだと、俳句愛好家から聞いたことがある。 今では紅花染めなどというものは高価で手が出ない。鈴木清風という尾花沢の紅花商人の所に1週間ほど世話になるのだがそこでは「涼しさを 我が宿にして ねまるなり」とよほどゆっくり気分を味わったような印象を与える。紅花栽培は村山付近が北限という話も聞いたので、尾花沢では紅花は栽培されてなかったということか? この鈴木清風さんは金持ちで大名に金貸すほどの商人だったらしい。彼の住んでる地域では紅花栽培はなかった。山形方面から運ばれる紅花は三難所があるため船での運搬は禁止という文があった。するとどうしても山形中心で栽培、陸送ということになる。その高瀬地区で「べにばな祭り」が開催されてる。一反歩や五畝程度の畑はあるが一町歩規模の畑は何処に行ったら見れるのか?どうもわからない。 写真では良く見かける。今朝高瀬地区で東京から来たというご夫婦が私を止めて聞く。「私も知りたいのです」と答えるしかない。明日の朝、また高瀬地区へ再挑戦する。一度この目で見て一枚の写真を撮りたいのである。結論まで来るのにめんどう、時間がかかった文章になった。
2004.07.03
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ついに行って来た。板谷から温泉まで道路標識が親切で迷うことはない。しかし、疑いたくなる。本当にこの道路でいいのかと?その日に予約してOK.。目的は滝「滑川大滝」。旅館「福島屋」に駐車の了解をとってから登りはじめた。滝まで20分とある。いやいや見えるところまでは20-30分。写真を撮るためだから少し下る。ついに滝の直下まで行った。川石を渡り、側岩の縁を歩き、または飛び跳ねて、滝の直下までは約1時間はかかったかも。 そこで持っていったおにぎりをほおばる。ウーロン茶も持参したが、私は谷川を直接飲んだ。滝の水量が少ない。展望台から右手上に布滝が見える。この滝は岩が濡れてるようだが水の流れが見えない。 よって、迫力がない。この大滝を見ると、もう他所の滝をみたくなくなるのではないかと実は心配した。 写真では何度も見ていたので驚かなかったがその迫力不足はもう一度来ねばならないという気にさせた。 真下から見上げる滝は大きい。別掲のシリーズにはその写真を載せる。とにかくくたびれた。1週間分の散歩を消化した感じだ。旅館に帰り風呂に入る。白濁色の温泉。少々熱めの湯。たまたま風呂で一緒になった自分よりすこし年配と思える客は、熱くて入れないとぶつぶつ言ってた。私は「あああああ」と声を出して気持ちいいとつぶやいてた。トイレの臭さがなければいい旅館。トイレの向かいの部屋にされた人は多分鼻がまがるぞ・・・。 マグロの刺身は出なくて幸い。岩魚のあらいだった。まあまあの料理。天気も良く写真もまずまずだと思うし、横になったら朝まで熟睡。4時に起きて露天風呂へ。外にある分お湯がぬるい。岩ごろごろの川原の脇に作った露天風呂。丁寧に作られた岩風呂で自然にできた露天風呂の感はない。 はじめてきた温泉、大滝。まさに秘湯である。この夏から秋までが勝負だろう。 すぐ目の前の川原で水力による自家発電をしてる。電気だけは充分のようだ。秘湯だけの魅力でいいのであろうか? この秋の紅葉にまた来る。
2004.07.02
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