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鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り16日報徳記巻之八【5】先生衆民を教諭し新溝洫を開き開墾撫恤の實業を行ふ高慶曰く、先生夙に不世出之才を懐きて而して堅忍不抜の行を躬(みずから)す。然れども小田原候の明之をケン(田に犬:みぞ)畝の中に擢きんで委するに衰を振ひ頽を擧ぐるの擧を以てするに非れば則ち眇然たる一農夫にして止んのみ。蓋し候の先生を擧ぐる其の初め命ずるに野州三邑の事を以てし、且つ將に之を小田原封内に移し偉功已顯るを待て更に幕府に禀し天下萬姓をして皆洪澤を被らしむ。其の心を設くる遠且つ大と謂ふ可し。惜いかな事業未だ央ならず奄然として館舎を棄つ。後の人能く候の志を繼ぎ先生をして其の業を壙張するを得せしむ者有る無し。先生の至誠之を以てすと雖も亦之を如何ともするなきのみ。既にして幕府先生を登庸す。亦一縣令に從ひ之が屬爲るに過ぎず。毎事掣肘先生終に其の志を展るを得ず。復十有餘年を經始め命以て日光神田の衰を擧げ且つ遍く諸州に推行するを得。是の時や先生齢將に古稀ならんとす。加ふるに疾病を以てす。復た安んぞ大業を海内に施すを得んや。嚮に此の命をして十年の前に在らしむ。先生已に神田の衰を振ひ其の民をして業を安するを得せしめ而して諸侯の先生に倚て政を封内に爲す者亦皆功を就す。是に於て更に之を擴めば則天下の蒼生皆其の澤を被り菽粟水火の如く富強の術備はりし。以て萬世に傳へて弊無かる可はりし。嗚呼先生の雄才卓行を以て終身轗軻遂に其の業を擧る能はず人をして慨歎已む無からしむ。豈命に非ずや。報徳記 畢補注報徳記(佐々井典比古)より著者(富田高慶)が思うに、先生はつとに不世出の才を抱いて、堅忍不抜の行いを躬行しておられた。けれども賢明なる小田原候がこれを農民の中から抜擢し、衰退を振興する事業を委任しなかったならば、取るに足らぬ一農夫にとどまったであろう。思うに、候が先生を挙用した意図は、初めまず野州三箇村の仕法を命じ、その上でこれを小田原領内に移し、その偉功があらわれるのを待って更に幕府に上申し、天下万民ことごとくに、その洪大の徳沢を被らせようとしたのであって、その心組みは遠かつ大と言うべきである。惜しいかな候は、事業が半ばに達しないうちに奄然(えんぜん)として長逝された。後に残った人物中には、よく候の志を継いで、先生が事業を拡張することのできるように努める者がなかった。先生の至誠をもってしても、どうすることもできなかったのである。やがて幕府が先生を登庸したが、これまた一代官の配下で属領たるに過ぎなかったから、事ごとに束縛を受けて、先生はついにその志を展べることができなかった。それからまた十余年を経て、始めて日光神領の衰廃を起すことを命ぜられ、かつ、あまねく諸国に推し広めることができるようになった。この時には先生はまさに古希の年齢になろうとし、その上病気にかかられた。それでどうして大業を海内に施すことができようか。仮にもし、この命令が十年前にあったならば、先生はつとに神領の衰廃を振興し、その民を生業に安んじさせることができ、そして諸侯中先生の指導によって領内に仕法を行っていたものも、みな功を成就することができたであろう。ここにおいて、さらにこれを四方に拡充したならば、天下の人民は皆その恵沢を被り、米麦は水や火のように得やすく、富強の方策は完備し、万世に伝えて弊害のない理想郷となっていたはずである。実に、先生ほどの雄大な才能、卓抜な行為がありながら、終身不遇で、ついにその偉業を十分に振るうことができずに過ごされ、人を慨嘆させてやまないのである。まことに天命と言うよりいたし方がない。
2023.12.30
<a href="https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show">鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング</a><font color="#FF8B00">終了まで <font size="6">残り17日</font></font>報徳記 巻之八【5】先生衆民を教諭し新溝洫を開き開墾撫恤の實業を行ふ日光山神領往古(わうこ)より水田を開かず。獨(ひと)り圃(はたけ)を耕(たがや)して以て活計を爲(な)す。漸く三十年以來(いらい)邑々(むらむら)些少(させう)の水田を開くと云ふ。是の故に邑民(いふみん)雜穀を以て常食と爲(な)す。稲梁(たうりやう)の如きは疾病(しつぺい)の者あるに至りて僅(わず)かに之を購(あがな)ひ得て、以て之を與(あた)へ醫藥(いやく)に換(か)ふと。其の衣食に窮乏なること推(お)して知る可(べ)し。先生民の艱難を愍(あはれ)み、地の理を察して曰く、此(こ)の地西北に高山あるが故に、平地と雖も自然に西方高くして東方低し。而して大谷(おおや)川郡邑(ぐんいふ)の中央を東流す。此の川の左右に溝渠(こうきよ)を鑿(うが)ち之を諸村に漑(そゝ)がば、順流至らざる所なく村落の潤澤(じゆんたく)擧(あ)げて數(かぞ)ふ可(べ)からず と。是に於て野口村より平(ひら)ヶ崎(さき)千本木(ちもとぎ)村に至る迄(まで)、長さ二里餘(よ)の水路を穿(うが)ち、大谷川の水を引き、之を數邑(すういふ)に注ぎ若干の荒蕪を墾(こん)し之を民に與(あた)ふ。民大いに喜ぶ。諸村之を聞見(ぶんけん)し競(きそ)ふて新用水開鑿(かいさく)を請求す。其の需求(じゆきう)の先後に由つて數(すう)箇所の溝洫(こうきょく)落成す。或(あるひ)は三千間(げん)或(あるひ)は二千間難易長短同じからずと雖も、能く地の理を測り其の宜(よろ)しきを得るが爲(ため)に一も成功あらざるはなし。抑々(そもそも)神領の荒蕪地調査反別(たんべつ)千有餘(いうよ)町歩なりと雖も、實地に至りては此の數(すう)に止まらず。然して土地瘠薄(せきはく)隨つて租税はなはだ薄し。故に荒田多しと雖も税額を減ぜず。民も亦(また)敢て減租を請はず。故に數(すう)千町の荒蕪皆邑民(いふみん)の内荒(うちあれ)にして郡村の衰弊極り僅(わず)かに餘業(よげふ)を以て活計を補ふと雖も、衣食足らず民心浮薄にして些少(させう)の得失損益を争ひ、訴訟を以て常(つね)とし其の費用の爲(ため)に自他共に窮(きゅう)し、家財田圃(でんぼ)を失ひ或(あるひ)は賭博の爲(ため)に家産を破るもの尠(すくな)からず。日に月に衰貧艱苦に陥りて、而して艱苦何に由つて來(きた)るを知らず。先生愀然(しうぜん)として大息し邑民(いふみん)に諭(さと)して曰く、汝等の困苦此(こ)の如し。何(いず)れの時か繁榮(はんえい)安心の道を得んや。夫(そ)れ富貴貧賤安危存亡共に他より來(きた)るに非ず。自ら之を招き之を求るもの也(なり)。何を行ふて富裕を得、何を爲(な)して貧困に至るを知らず。日に富裕の道をナゲウちて衰貧亡滅の域に至る。豈(あに)哀しまざる可(べ)けんや。當(たう)神領の如きは土地瘠薄(せきはく)なりと雖も、租税の輕(かろ)きこと他に其の類(るゐ)を見ず。是れ他なし神領の民なるを以て税斂(ぜいれん)を薄くし、永く百姓を安堵(あんど)せしめ、薄地の民をして沃土(よくど)の民に均(ひと)しからしめんが爲(ため)ならずや。其の恩洪大(こうだい)なりと謂(い)ふべし。而(しか)して邑々(むらむら)高恩を忘れず、毎戸(まいこ)力を田圃(でんぼ)に盡(つく)し、節儉(せつけん)以て有餘(いうよ)を生じ、互いに信義を以て相交わり、聊(いさゝ)か無頼(ぶらい)の所行(しよぎやう)に渉(わた)らず子孫の安榮(あんえい)を謀(はか)らば、家家(いへいへ)足り人々給(きふ)するに至らんこと疑ふ可(べ)からず。然るに此の如き高恩を忘れ、本源の業(げふ)を怠り良田を荒蕪(くわうぶ)に歸(き)して顧みず、嚴禁(げんきん)の博奕(ばくえき)を犯し、細事を争ひ怨恨(ゑんこん)を招き、先祖傳來(でんらい)の家産を失ふに至るまで其の非を知らず。官之を憂勞(いふらう)し玉ひ、予に命じて教諭を下し、荒蕪(くわうぶ)を開き許多(きょた)の米粟(べいぞく)を生じ、多年の衰廢(すゐはい)を擧(あ)げ再榮(さいえい)の道を得せしめんとす。汝等(なんぢら)今より宿弊(しゆくへい)を洗ひ、專(もつぱ)ら勤儉きんけん)以て農事を勵精(れいせい)せば、衰村の再興難からず。凡(およ)そ人たるもの衣食住にあらざれば生養(せいやう)を安んずること能(あた)はず。而(しか)して此の三つの者の出(で)る所何ぞや田圃(でんぼ)是也(これなり)。然るに其の根源たる田圃(でんぼ)を荒(あら)し幾百年を經(ふ)ると雖も一粒(りふ)を生ぜず。而して衣食の裕(ゆた)かならんことを欲す。猶(なほ)泉源を閉塞(へいそく)して水の多きを求むるが如し。豈(あに)惑(まど)ひの甚しきに非ずや。今神領の荒蕪(くわうぶ)凡(およ)そ千町、薄地と雖も平均一反四苞(へう)を生産す。反(たん)四苞(へう)を生ずれば一年の産粟(さんぞく)四萬苞(まんへう)、十年間の生穀は四十萬苞(まんへう)、五十年の産する所二百萬苞(まんへう)なり。此の地の荒蕪將(まさ)に七八十年に及ばんとす、今概して五十年と視るも二百萬苞(まんへう)の穀粟(こくぞく)を失へり。邑々(むらむら)の民之を省みずして、他に衣食の道を求むるに汲々(きふきふ)たりと雖(いへど)も何を以て窮せざるを得ん。何を以て衰弱危亡を免るゝを得んや。故に速やかに荒蕪を開き、衆民安息の源を開かざる可(べ)からず。若し汝等此の理を解(かい)し直ちに斯(こゝ)に從事(じゆじ)せんと欲し、自ら開かんとする者には賃銀を與(あた)へん。力足らざる者には此を開きて以て與(あた)ふべし。開墾一年遅滞せば一年の産粟(さんぞく)を失ふ。豈(あに)勉力せざる可(べ)けんやと。 邑々(むらむら)の民大いに感發(かんぱつ)し争ふて開拓に力を竭(つく)し、數年(すうねん)にして五百有餘町(いうよちやう)を開き、年々の産穀(さんこく)内荒(うちあれ)の故を以て悉(ことごと)く民の有(もの)と爲(な)る。加之(しかのみならず)厚く良民を賞し貧民を撫し、或(あるひ)は家作を與(あた)へ或(あるひ)は破屋(はおく)を修葺(しうしふ)し、借債(しやくざい)又は質地を償ひ、農器を與(あた)へ無利息金を貸與(たいよ)し、人民の憂苦を除き之を教へ之を安んず。是に於て累年(るいねん)の汚俗一洗、怠惰變(へん)じて勉勵(べんれい)の民となり、邑々(むらむら)風化(ふうくわ)行はれ興復(こうふく)の時至れりと勸喜(くわんき)せり。
2023.12.29
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り18日報徳記巻之八【4】先生日光祭田の荒蕪を開き百姓安撫の命を受け巡村開業す是より先(さき)此の地の庶民(しょみん)先生命(めい)を受け、廢田(はいでん)を開き邑民(いふみん)安撫(あんぶ)の道を行はんが爲(ため)に此の地に至らんとするを聞き、大いに疑心を發(はつ)す。奸民(かんみん)村民を煽動(せんどう)して曰く、古(いにしへ)より租税定(さだま)りあり。田圃(でんぼ)荒蕪(くわうぶ)に就(つ)くもの甚だ多しと雖も、荒地(くわうち)の爲(ため)に聊(いささ)か貢税を減ぜず。何ぞや日光祭田の故を以て他邦(たほう)に比すれば租税甚だ少(せう)なり。是(これ)を以て定租(ていそ)を納むることを得たり、今に至りて此の荒地(くわうち)を開かんと爲(な)せば、必ず多分の用費なくんばあるべからず、多分の用財を以て廢田(はいでん)を起こす時は、必ず開田より新(あらた)に貢税を出(だ)さしめん。然らざれば用財を補ふ所有らず。此(こ)の如くなる時は開田の爲(ため)に永久の租税を増し、村々の憂ひとならんこと必(ひつ)せり。是(こ)れ何ぞ下民(かみん)の爲(ため)を主とせんや。表に衰邑(すゐいふ)再復百姓撫育(ぶいく)を以て名となし、其の實(じつ)は貢税を増(ま)すにあらん。若し二宮某(ぼう)此の地に來(きた)らば、速かに村々より仕法開業無(なか)らしめ玉ふべしと日光官廨(くわんかい)に訴へ出(い)でん。然らば此の憂ひを免るべしと。衆皆之に同(どう)じ疑念を益々盛んにして仕法を拒(ふせ)ぐの謀(はかりごと)をなせり。然るに數月(すうげつ)を經(ふ)ると雖も先生至らず。傳言(でんげん)す先生長病(ちやうびやう)の故を以て來(きた)ること能はず。又(また)仕法開業の事は止みたりと云ふ者あり。遂(つひ)に奸民(かんみん)の思慮を空しくして、其の術を施す所なく、日を重ね月を經(ふ)るに及びて疑念漸く散じ、之を拒(ふせ)がんとするの念も亦(また)怠りたり。時に六月下旬に至り先生忽然(こつぜん)として登山し、直ちに回村見分して民を惠(めぐ)むこと甚だ厚く、開田の道を諭(さと)すこと誠に仁術にして、下民(かみん)を子の如く惠(めぐ)むことを聞き、或(あるひ)は驚き或(あるひ)は感じ曾(かつ)て疑惑を生ぜし事を顧(かへり)みれば其の懸隔(けんかく)霄壤(せうじやう)の異なるが如し。是(これ)に於て衆疑(しゆうぎ)解散し、互ひに仕法を願ひ求る者擧(あ)げて數(かぞ)ふ可(べか)らず。嗚呼(あゝ)二月命令を受る時に當(あた)り、速かに登山開業に及ばゞ、必ず下民(かみん)疑惑の爲(ため)に一旦は仕法の風化ふうくわ)を妨ぐる事あらんに、先生自若(じじやく)として江都(かうと)にあり。其の發(はつ)するに及びては病苦を忍び炎暑(えんしょ)を冒(おか)し、夜を以て日に繼(つ)ぎ仁澤(じんたく)を施し大いに教誨(けうくわい)を下し、一時に風動せしむることの神速なるは、凡慮の豫(あらかじ)め慮り知るべきにあらず。從者(じゆうしや)皆先生の大知自然の時を慮り、其の機に應(おう)じて其の宜(よろ)しきを行ふことを感歎せり。先生炎熱を冒(おか)し八十九ヶ村周(あまね)く巡回し、盡(ことごと)く土地の肥磽(ひこう)人民の勤惰(きんだ)得失を察し、光山(くわうざん)に歸(かへ)りて之を舊復(きうふく)するの策(さく)數(すう)十ヶ條(でう)を記(しる)して奉行某(それ)に呈(てい)す。甞(かつ)て諸侯の封内(ほうだい)を再復するや數(すう)十年の租税を平均し、其の平均度(ど)を以て分度(ぶんど)と定め、興復(こうふく)安民の仁政(じんせい)施行に由つて餘外(よぐわい)に生ずる所の米財を以て分外と爲(な)し、此(これ)を以て開墾撫術(ぶじゆつ)の用度に充(あ)つ。故に毎歳の用度盡(つく)る事なく、仁澤(じんたく)の及ぶ所窮(きはま)りなし。譬(たとへ)ば川源(かはもと)一たび開(ひら)くる時は、末流(まつりう)の潤澤(じゆんたく)疆(かぎ)り無きが如し。然(しか)るに神領(しんりやう)の租税に於(お)けるや僅々(きんきん)たる薄税(はくぜい)なり。是れ山間幽谷(いうこく)の土地瘠薄(せきはく)にして民(たみ)食(しよく)甚だ乏し。往々(わうわう)餘業(よげふ)を以て生活の一助となす。故に租税を薄くして以て此の民を永續(えいぞく)せしめんとの恩澤(おんたく)なるべし。租税の定額此(こ)の如し。田圃(でんぼ)廢蕪(はいぶ)に歸(き)すると雖も敢(あへ)て税額を減ぜず。是を以て許多(きよた)の開田を成すと雖も些(すこ)しも租税を増す所なく、惟(たゞ)民食(みんしよく)を裕(ゆた)かにし生養(せいやう)を安(やす)んずるの仁術のみ。更に分外(ぶんぐわい)となす可(べ)き仕法用度の由る所なし。故に先生興復の大業を開くに當(あた)り、從前(じゆうぜん)開墾安撫の浄財幾千金を光山(くわうざん)官廨(くわんかい)貸附所に託し、毎歳(まいさい)利子を以て仕法の資本となし、且(かつ)積年諸侯の封内再興の爲(ため)に數(すう)千金をナゲウち其(そ)の領民を安んず。光山(くわうざん)良法開業の際返金あれば之を撫育(ぶいく)の費用に加ふ。奥州(あうしう)中村候報恩の爲(た)め日光開墾撫恤(ぶじゆつ)用度金(ようどきん)として五千五百兩(りやう)を年賦(ねんぷ)に獻(けん)ず。官(くわん)之を先生に附與(ふよ)し、以て撫恤(ぶじゆつ)せしむ。嘉永七寅年二月幕府先生の長男彌太郎(やたらう)に命ずるに父と同じく安民法(あんみんほう)を施行す可(べ)き旨を以てす。是に於て父子同力(どうりょく)黽勉(びんべん)益々(ますます)興國(こうこく)の良法を擴張(かくちやう)せんとす。
2023.12.28
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り19日報徳記巻之八【4】先生日光祭田の荒蕪を開き百姓安撫の命を受け巡村開業す是(これ)に於て前々(ぜんぜん)仕法を下す所の諸侯の大夫(たいふ)に談ずるに、將來(しやうらい)の仕法取捨(しゆしや)如何(いかん)と云(い)ふを以てす。日々に高談(こうだん)辨解(べんかい)して後年良法の永續(えいぞく)する所以(ゆゑん)を盡(つく)し速やかに開業せんとするの意念(いねん)なきに似たり。門人其の深意を知らず大いに苦心(くしん)せり。時に四月に至り先生病に罹(かゝ)れり。隨身のもの大いに驚き曰く、今良法發達(はつたつ)の時に當(あた)り、先生の病若し病ならば、如何(いかん)せん。大道(だいだう)の興廃(こうはい)此の時にありと、良醫(い)を招き之を診察せしむ。衆醫(しゆうい)皆曰く、心力共に勞(らう)すること其の度(ど)に過ぎたり。是を以て其の虚(きょ)に乗じ邪氣(じやき)の爲(ため)に病を發(はつ)せり。遠からずして治(ぢ)すべし。然れども二たび身體(しんたい)を過動(くわどう)して發病(はつびやう)せば、其の憂ひ量るべからざるものあり。快氣(くわいき)せば向後(かうご)を愼み、再發(さいはつ)の端を拒(ふせ)ぐべしと、治療十有餘(いうよ)日にして病(やまひ)間(あん)を得たりと雖も、未だ全癒(ぜんゆ)に至らず。先生起きて諸方に往來(わうらい)し、安民の談論常の如し。然れども疲労(ひらう)して食進まず、歩行自ら力を得ず又以て憂ひとせず。誠に道の爲(ため)に身を忘るゝに似たり。從者(じゆうしや)皆之を憂ひ屡々(しばしば)保養の道を述ると雖も、更に意に介せず。五月に至り諸事悉く辨(べん)ぜることを得て江都(かうと)を發(はつ)し、野州東郷の官廨(くわんかい)に至り、開業の順序を計り、六月下旬將(まさ)に登山せんとす。親族從者(じゆうしや)諌(いさ)めて曰く、疲勞(ひらう)未だ除かず。病根(びやうこん)全く去るに非ず。此の炎暑(えんしょ)を冒(おか)し光山(くわうざん)に登らば、豈(あに)再發(さいはつ)の憂ひなしとせんや。冷氣(でいき)を待ちて至るに如(し)かずと。先生肯(がへん)せず、遂(つひ)に登山し、奉行某(ぼう)に謂(い)ひて曰く、廢田(はいでん)を開き此の民を安撫(あんぶ)するの命を受くるより以來(いらい)、速やかに開業せんことを欲すと雖も其の順序を考ふるが故に遅々(ちゝ)に及べり、先づ村々を巡回し、土地の肥瘠(ひせき)諸民の貧富(ひんぷ)人情の向背(かうはい)を察し、然る後に愚意(ぐい)を言上せんと將(まさ)に發(はつ)せんとす。奉行先生の病後未だ本快ならざる事を察し、駕(が)を命じて之に乗じ回村すべしと云、先生肯(がへん)ぜずして曰く、某(それがし)民の窮苦を憂ふること急にして自ら病を省るに暇(いとま)あらず、且(かつ)邑中(いふちゆう)の微細を洞察するにあらざれば、救助の道其の宜(よろ)しきを得べからず。駕(が)して以て回村せば、艱苦の實情(じつじやう)廢衰(すいはい)の根元を了知する事能はずと固辭(こじ)して徒歩し、大暑(たいしょ)を冒(おか)し一邑(いふ)を見分するに、必ず既往(きわう)を考へ將來(しやうらい)を察し、邑中(いふちゆう)の大小事(だいせうじ)悉く胸中に了然(れうぜん)たらざれば他の邑(むら)に至らず。夫(そ)れ光山(くわうざん)の村々(むらむら)山岳丘陵(きうりよう)多くして平地甚だ稀(まれ)なり。此の邑(むら)より彼の村に至るに、或(あるひ)は高山を超え數里(すうり)を隔つるもの多し。栗山郷(くりやまがう)十邑(いふ)の如きに至りては、最も深山の邑(むら)にして道路甚だ嶮(けん)なり。或(あるひ)は高山の頂(いたゞき)に村あり或(あるひ)は深谷(しんこく)の邑(むら)あり。壯強(さいきやう)のものと雖も頗(すこぶ)る嶮路(けんろ)になやめり。然るに先生年既に六十七歳、病後(びやうご)未だ快然(かいぜん)たらず。食も亦(また)平生(へいぜい)に復せず。炎暑(えんしょ)燃ゆるが如くなるに、此の嶮路(けんろ)を推歩(すゐほ)し、村々の盛衰を鑑(かんが)み厚く善人を賞美(しやうび)し、鰥寡(くわんか)孤獨(こどく)身に便りなきもの又困窮のものを惠(めぐ)みたり。各々(おのおの)其の次第に由(よ)つて或(あるひ)は金(きん)壹兩(いちりやう)より五兩(りやう)に至る。又は農業を勤(つと)め、衰貧に陥ざるの村に至りては、或(あるひ)は十金十五金を以て邑中(いふちゆう)の民を賞(しやう)す。且(かつ)教ふるに孝悌(かうてい)を以てし、導くに田圃(でんぼ)の尊き所以(ゆゑん)、勤業(きんげふ)の徳甚(はなは)だ大(だい)なることを以てし、或(あるひ)は堤(つゝみ)を築き水田渇水の憂ひを除き、荒地(くわうち)を開き之を與(あた)へ、民の生養(せいやう)を安んず。諸民大いに感動し悦服(えつぷく)せざるものなし。先生高山を越え深谷(しんこく)を渉(わた)り、疲勞(ひらう)極(きはま)るに至つては路傍(ろばう)の石上(せきじやう)に休し、又は草原に息(そく)して推歩(すゐほ)せり。從者(じゆうしや)手に汗を握り病(やまひ)の發(はつ)せんことを恐るゝと雖も、先生自若(じじやく)として困苦を厭はず。惟(たゞ)下民(かみん)を安んずる事(こと)而已(のみ)に勞(らう)せり。人々其の誠心慈仁(じじん)の至れることを感歎す。
2023.12.27
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り20日報徳記 巻之八【4】先生日光祭田の荒蕪を開き百姓安撫の命を受け巡村開業す先生幼(えう)より老(らう)に至るまで己を棄(すて)て、萬民(ばんみん)の困苦(こんく)を除き之を安んじ、貧邑(ひんいふ)衰國(すゐこく)を再興する所の良法實業(じつげふ)、一世の間(あひだ)諸州(しょしう)大徳(たいとく)を慕ひ教へを受け、其の良法を行ふもの枚擧(まいきよ)すべからず。徳化(とくくわ)の及ぶ所大略左(さ)の如し。伊豆(いづ)駿河(するが)相模(さがみ)甲斐(かひ)遠江(とほとうみ)武蔵(むさし)下總(しもふさ)上野(かうづけ)下野(しもづけ)常陸(ひたち)陸奥(むつ)惣(そう)じて十一ヶ國(こく)に及べり。尤(もつと)も國々(くにぐに)により仕法の大小は異なり、或(あるひ)は一國(こく)中に數郡(すうぐん)數邑(すういふ)の仕法あり。一邑(いふ)の仕法あり。一家の仕法あり。手を下す所限りありと雖も、人民(じんみん)の其(そ)の徳を慕ひ私(ひそ)かに法(のつと)り、其の道を行ふものに至りては、豫(あらかじ)め其の數(すう)を擧(あ)ぐること能はず。初め小田原候の命に由(よ)り、野州に至る時に、一家を廢(はい)し萬家(まんか)を安(やす)んぜんと心を定めたりし誠心(せいしん)空しからず、仕法の徳澤(とくたく)に依(よ)つて、艱苦を免れ、永安の道を得たるもの幾萬家(いくまんか)なることを知らず。弘化(こうくわ)元辰年(ぐわんたつとし)幕府日光祭田(さいでん)の廢蕪(はいぶ)を起し、窮民を安んずるの策を命じ玉ふに由り、良法の條々(でいでう)微細に書記(しょき)して之を奏(そう)す。後(のち)眞岡縣令(まおかけんれい)の屬吏(ぞくり)となり實業(じつげふ)を以て數(すう)ヶ村の衰廢(すいはい)を擧(あ)ぐ。言行(げんかう)共に合(がつ)し、彌々(いよいよ)良法なることを試み、嘉永(かえい)六丑年(うしとし)先生(せんせい)を江都(かうと)に召して命じ玉ふ。其(そ)の文(ぶん)に曰く、日光御神領(ごしんりやう)村村(むらむら)荒地(かうち)起返(おこしかへし)難村舊復(きうふく)の仕法取扱(とりあつかひ)仰付(おおせつけらる)間(あひだ)見込通(みこみとほり)御料(ごれう)私領(しりやう)手廣(てびろ)に取行(とりおこなひ)申可(まうすべく)候(さふらふ) との命也(なり)。先生謹(つつし)みて命を拝し、退きて此の大業(たいげふ)を成就し、上下(じやうげ)の大幸(たいかう)を開き、萬代不朽(ばんだいふきう)の規則を立て、大いに富國(ふこく)安民(あんみん)の大道を行ひ、上(かみ)國恩(こくおん)を報じ下(しも)萬民(ばんみん)を安(やす)んぜんとし、沈黙數日(すうじつ)彌々(いよいよ)開業の順序を慮(おもんぱか)り、門下を招き教誨(けうくわい)して曰く、今是(こ)の如く命令を受くると雖も、我(われ)老體(らうたい)にして大業(たいげふ)の成功甚だ難(かた)し。二三子(し)志(し)を勵(はげ)まし此の方法の基本を確立し、永行(えいかう)の道を盡(つく)すべし と教示(けうし)す。門下皆曰く、謹(つつしみ)て命を聞けり且(かつ)曰く先生先年六十巻の書を献ずるより斯(こゝ)に年あり、今開業の命を受け玉ふ事、他(た)なし。至誠の貫通する所なり。速かに彼(か)の地に至り仁術を布(し)き、萬民(ばんみん)永安の道を行ひ衆心(しゆうしん)を安んじ玉へ。某等(それがしら)惟(たゞ)開業の後(おく)れんことを恐(おそ)るゝなり。先生曰く、天地間(かん)萬物(ばんぶつ)共に其(そ)の時あり。其の時を得ずんば一物(もつ)をもなすべからず。況(いはん)や大業をや。我が進退其の時を以てす。何ぞ其(そ)の時を誤ることを爲(な)んや と云(い)ふて自若(じじやく)たり。
2023.12.26
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り21日報徳記 巻之八 【3】先生野州石那田村の堰を堅築す野州河内郡(かはちごほり)石那田(いしなだ)村は公料(こうれう)にして、隣村徳次郎村は宇都宮領なり。某年(それとし)に至つて徳次郎村も公料(こうれう)となる。同村の用水は石那田(いしなだ)村の地に於(おい)て川を堰(せ)き水を引き以(もつ)て田に灌(そゝ)げり。石那田(いしなだ)村用水も亦(また)此の堰(せき)より分水す。年々用水足らずして互いに争ひ、徳次郎村へ順水せしむる時は石那田(いしなだ)より之を破り水を引き、徳次郎より又石那田(いしなだ)の用水を塞(ふさ)ぎ、四五月の節(せつ)に至つては、毎夜(まいよ)之が爲(ため)に家々安眠することを得ず。兩村(りやうそん)仇讐(きうしう)の思ひをなし争論止まず。加之(しかのみならず)一邑(いふ)中に於(おい)て互(たがひ)に水を争ひ、或(あるひ)は他の用水を塞(ふさ)ぎ己(おのれ)の田に注ぎ、彼又來(き)て之を破り、近隣怨恨(ゑんこん)忿怒(ふんど)を懷き、家業(かげふ)を怠り衰弱困苦に陥り、平年飢渇を免れず、而(しか)して訴訟争論甚し。縣令(けんれい)之を憂ひ屡々(しばしば)此の堰を見分すといへども、一邑(いふ)をして便ならしむる時は、一村稼穡(かしょく)の道を失ふ。是を以て至當(したう)の處置(しょち)を下すこと能はず。縣令(けんれい)先生に問ふて曰く、兩村(りやうそん)をして争論を止め、平穏に歸(き)せしむるの道あらんか。先生曰く、兩村(りやうそん)の患ひ其の本(もと)田水(でんすゐ)の不足に在り。苟(いやし)くも田水(でんすゐ)餘(あま)りあるときは制せずと雖も必ず平穏に歸(き)せん。豈(あに)惟(たゞ)平穏のみならん。兩邑(りやういふ)の廢衰(すゐはい)も亦(また)是(これ)に由つて再興す可(べ)し と。令大いに悦びて此の事を先生に委(まか)す。是(これ)に於て先生徳次郎石那田(いしなだ)に至りて水理(すゐり)を熟見し、堰の高低を量(はか)り、邑(むら)の父老(ふらう)を招き古來(こらい)の事を尋問し、深く思慮を廻(めぐ)らし兩全(りやうぜん)の道を施さんとし、兩村(りやうそん)の民を諭(さと)して曰く、數年(すうねん)水を争ひ隣村と敵讐(てきしう)の如くなるは、汝等の心に於て豈(あに)快しとせんや。我(われ)今此(こ)の用水をして十分ならしむるの道あり。然れども我が處置(しょち)に任ぜずんば成す事あたはず。汝等之を欲するか、又從來(じゅうらい)の如く互(たがひ)に相争ふを欲するか。若し汝等永安の道を求め、互(たがひ)に十分の水を得て兄弟の如く交わらんことを欲せば大幸(たいかう)なるべし。若し我が處置(しょち)に從(したが)はず、是の如くにして年を經(へ)ば、連年衰廢(すゐはい)に歸(き)し終(つひ)に兩村(りやうそん)の亡滅に至らんこと疑ひなし。故に官(くわん)我(われ)をして此の憂ひを除かしめんとす。汝等の心に於て如何(いかん)。兩村(りやうそん)の民答へて曰く、積年用水足らずして耕耘(かううん)の力を盡(つく)すことを得ず。是を以て是(こ)の如く困窮に陥りたり。水を争ひ忿恨(ふんこん)を懷く者何ぞ某等(それがしら)の欲する所ならんや。然りと雖も争はざれば忽(たちま)ち一滴の水をも得ず。直ちに飢亡に及ばんことを歎き、已むことを得ずして多年の争論に及べり。今兩村(りやうそん)をして用水十分ならしむるの道を成し玉はゞ、何の幸(さいはぎ)か之に如(し)かんや。然れども舊來(きうらい)此の如きの堰(せき)にして一方の田地(でんち)を利せんとすれば忽(たちま)ち一方の田地(でんち)水を得る所なく、積年兩全(りやうぜん)の道を得ること能(あた)はず。若し術(じゅつ)あらば願(ねがは)くは之を施し玉ふべし。素(もと)より願ふ所なりと云ふ。退いて互(たがひ)に其の成すべからざるを嘲(あざけ)りたり。元來(ぐわんらい)石那田(いしなだ)の田面(でんめん)は土地至つて卑下(ひか)なり。唯(たゞ)分水口(ぶんすゐぐち)の傍(かたはら)の田地(でんぢ)三反歩(たんぶ)、高地(かうち)にして水利に便ならず。故に堰高からざれば此の田に灌(そゝ)ぐことあたはず。堰の高きが爲(ため)に屡々(しなしば)破れて保たず。是(これ)を以て徳次郎村年々渇水に及べり。且(かつ)石那田の地に水を引く時は、土地卑下(ひか)なるが故に忽(たちま)ち水落て、徳次郎村に至らず。其の難場(なんば)なること斯(かく)の如し。先生此の事實(じじつ)を以て縣令(けんれい)に達し、然る後土功(どこう)を起こし自ら指揮して力を盡(つく)せり。先づ堰を立(た)つるに石枠を三段に据(す)ゑ、如何(いか)なる洪水といへども破損(はそん)の憂ひなからしめ、次に徳次郎用水口に石の水門を据(す)ゑ、出水の節(せつ)といへども流水限りありて用水路破壊の害なからしめ、次に石那田(いしなだ)の分水口をも石垣を以てし、分水限りあらしめ、高地の田地(でんち)三反歩(さんたんぶ)の土を他に運搬(うんぱん)して之を卑下(ひか)ならしむること或(あるひ)は三尺(じやく)より二尺一尺に及べり。故に舊來(きうらい)の堰の高さを減ずること三尺にして、順水せしむ。數日(すうじつ)にして全く功を成す。是に於(おい)て用水兩邑(りやういふ)に餘(あま)りあり。下流(かりう)他村に潤澤(じゆんたく)す。兩村(りやうそん)男女共に先生の深智(しんち)を感じ、永世不朽の寳(たから)を得たりと大いに悦び、年來(ねんらい)の争論忿心(ふんしん)一時に解散せり。是より後(のち)水餘(あま)り有りて稼穡(かしょく)の道に力を盡(つく)すことを得(う)。人心(じんしん)平和にして貧困の憂ひを免る。又徳次郎村古來(こらい)の用水路廢棄(はいき)するあり。是をも再興す。長(ながさ)千有餘間(いうよけん)渇水の邑(むら)十分の田水(でんすゐ)を得、積年の憂患(いうくわん)を去り永安の道を得せしむ。人皆感歎止まず。或(あるひと)問て曰く、兩村(りやうそん)用水足らずして、貧苦のみならず争奪の心盛んにして、更に推讓(すゐじやう)の道を知らず。鶏犬(けいけん)相闘(あひたゝか)ふが如し。先生一度(たび)手を下すに及びて積恨(せきこん)頓(とみ)に消(せう)し、互(たがひ)に分水口(ぶんすゐぐち)に板を施し、水をして己(おのれ)が邑(むら)に多く至らざらしめんとす。何ぞ人情の向背(かうはい)是(こ)の如く速かなるや。先生曰く、凡そ人心の道(みち)心を害する者困窮より甚しきはなし。飢渇の憂ひ旦夕(たんせき)にあり。何を以て良心を存(そん)することを得ん。兩村(りやうそん)の民素(もと)より暴(ぼう)なるに非ず困苦の爲(ため)に相争ふに至れり。困苦の本(もと)水の足らざるにあり、今其の本を優(ゆた)かにす。是れ教へを待たずして相和(あひわ)する所以(ゆゑん)なり。然して多年水の足らざるを憂ふるもの誠に川流(せんりう)の不足なるにはあらず。水の大いに費(つい)ゆるが故なり。其の費(つい)ゆるところを塞(ふさ)ぎ、之を田地に注ぐのみ。源水(げんすゐ)の増加するにあらずして兩村(りやうそん)水に飽くものは、只(たゞ)費水(ひすゐ)を止むるが故なり。何ぞ水而已(みづのみ)ならんや。百姓貧窮に苦しむ者も又猶(なほ)是の如し。天下の米財空乏(くうばふ)なるには非ず。米財あまりありといへども、大小各其の分を忘れ財を費やすが故に、常に貧困を免れず。一旦(たん)其の分度を明らかにして其の無用の散財を止むる時は、米財餘(あま)りありて富優(ふいふ)に至ること、一度(たび)此の堰を堅築して用水十分なるが如し。萬物(ばんぶつ)の理一にして別なるにあらず。只(たゞ)其の處置(しょち)に依(よつ)て或(あるひ)は富盛となり或は衰貧となること、推して知るべし と諭(さと)せり。或人(あるひと)先生の深智を感ず。
2023.12.25
「現代語 安居院義道」のクラウドファンディングが12月24日のクリスマスイブに 50人目の支援者が出現サンタクロースみたい^_^昔、子どもがクリスマスの日、スーパーの上に飾られたサンタクロースの大きな風船を見て「ありがとう サンタさん」と叫んだ。周りのお母さんたちは笑っていたが、幸せだったあの日クリスマスイブにはそんなことどもを思い出すクラファン、あと19日で終了元気だして頑張って前に前にと進もう(^^)
2023.12.24
「心をととのえるスヌーピー」という本をプレゼントされて読んでいる登場人物の個性がはっきりして面白い実際にはこれほど単純にはなれないが、個性が際立つルーシー if everybody agreed with me, they,d all be right!もしみんなが私と一致したら、みんな正しくなれるわ!ライナー I don't like to face problems head one.僕たち問題に真向からぶつかるのは嫌なんだNo problem is so big or so complicated that it can't be run away from!どんな問題であれ逃げ出せないほど大きくも複雑でもないルーシーの自己中心もライナーの問題逃避も自分のうちにあるような一休禅寺の遺言「なるようになる」時間軸と空間軸を遠くにすれば、悩むような問題などはない今ここで感謝して行うのみかhttps://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show
2023.12.23
Peppermint Patty Rats! Another Dminusペパーミントパティ チェ またDマイナスマーシー Life has its sunshine And its rain,sir.人生晴れあり雨ありです先輩Its days and Its nights 昼もあれば夜もあるits peaks and its valleys山もあれば谷もPatty It's raining tonight in my valley!今夜は私の谷は雨だわテレビを見ていたら菊池一夫の「トンガリ帽子の赤い屋根」の歌誕生秘話を放映していた。子供の頃親に養子に出されその養父母に捨てられという凄まじい少年時代を送っていたそういう中で戦争孤児などへの愛情深い歌が生まれた「あなたの心の力でよい一日にしなさい」まことに人の心の力の大きさ安居院先生の弟子荒木由蔵は静岡県の報徳教師として生涯を捧げた鉄舟に「お前たちは報徳報徳と言うが、報徳とは一体何か」と聞かれ「報徳とはいったん死に切ることです」と答えた鉄舟は膝をぽんと叩いて「それは良い教えだ」と了解したhttps://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show
2023.12.23
「心を整えるスヌーピー」34ページ千宗旦は晩年茶室を作りました席開きの日、参禅の師の大徳寺清巌和尚を招きましたところが約束の期限に和尚が来ません急用があった宗旦は弟子に「和尚が来られたら明日また来ていただくように」と言い残して出かけました宗旦が用事を終えて戻ると和尚はすでに帰られていて「懈怠比丘 不期明日」と筆で書いてありました宗旦はその戒めをその茶室に「今日庵」と名付けて明日はない今日一日一日を大切に生きるとしたのです「現代語 安居院義道」に石田村仕法の話があり、12月17日の第10回報徳講座で3人演じました安居院先生役のTさんが貫禄のある声で聴衆を魅了しましたその話の中で石田村の代表七人が安居院先生の説く報徳の教えに感銘を受けて、村人の総意を受けて安居院先生を村に招くことになります。ところが約束の時日に村人の代表は遅れてしまいます安居院先生は「これは村で異論が出て遅くなったのであろう。私はいかない。神が私を戒められることこのようである」と言われます。村民代表はお詫びし先生を村に招きますが、安居院先生の厳しい指導に音を上げる者が続出し、村の鎮守の森に集まって反対運動に発展します。代表者達が必死の説得で村を立て直すにはこの方法しかないと納得して一村仕法は急速に進み十年後には巨額の借金を返済しさらに十年後には村に巨額の資本を持てるまでになりましたhttps://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show「現代語 安居院義道」は、後からの来る者のための道案内の書です。あと二十日余りでクラウドファンディングは終了します
2023.12.23
探検ファクトリーを見ていたら保湿ティッシュの誕生物語の再現していた社長がひどい鼻炎で工場長に柔らかいティッシュの開発を頼んだ二枚の紙の間に甘味料と同じ成分の水を吸収するものをいれるというアイデアで開発が進んだが、紙質が一定にならない。ある夜、家に帰るとカレーを出され奥さんが「カレーは一晩寝かせると美味しいのよ」の言葉にはっと保湿ペーパーも一晩寝かせようとひらめいたこれはセレンディピティ、偶然に発見する力にほかならないセレンディピティは待ち受ける心構えがある人にのみに訪れる安居院庄七が桜町陣屋で二宮尊徳が門弟に「元手商いができる者はやってみよ」を障子の外で聞いていて、「電流が走るような衝撃」(稲盛氏が松下幸之助の「ダム経営」の話を聞いた時)を覚えた。秦野に帰って自家の穀物商で元手商いを行って成功するまた近隣の横曽根村からの依頼を受けて一村仕法を成功させる「このまま元手商いをすれば成功出来よう。また一村仕法も成功させる事がわかった。報徳の教えを知った今、一村から二村へ二村から郡国へ、郡国から万国へ」(「万作徳用鏡」の安居院先生の言葉)と報徳伝道の志を実践したのである。https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show「心を整えるスヌーピー」でライナスが「どんなことも永遠に続きはしない。よいことはすべて終わる」というチャーリーは「よいことはいつ始めるんだい」と問う高い志(lifty ambition)の星に自分の人生を結びつけて今を大切に生きる
2023.12.23
Aさんに本をプレゼントされた感謝きっとどんな本がいいのだろうと一生懸命探されたのだろう「心を整えるスヌーピー」漫画は著作権上の問題があるので掲載しないサリーが いかに生きるかについてリポートを発表するThey say The best way is just to live One DAY at a time.最善の生き方は一度に一日ずつ生きること♥森信三先生の「人生一度きり」を思い出す今ここしかない今この生を有難く生きる!https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show今「現代語 安居院義道」クラウドファンディング支援募集中です 終了まであと20日余り目標金額の51%ですこれまでの支援者の皆様に感謝残り一日一日の出会いに感謝します
2023.12.23
「現代語 安居院義道」クラウドファンディング支援者が49人になりました 感謝します 目標金額の51%ですhttps://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show出版した本は支援者へのリターンのほか大学図書館、静岡県の公共図書館に寄贈して 次の世代そして今を共に生きる人に広く伝えます今回9月27日に秦野市農協宮永組合長の案内で鷲山大日本報徳社社長らと秦野視察を行った結果、新たな事実を発見しました。これまで安居院義道俗名庄七は米相場で失敗し無利息のお金を桜町陣屋におられた二宮尊徳に借りに行き、そこで初めて報徳の教えに出会ったというのが定説でした。しかし本書に原文と現代語訳併記で収録した「西曽根村仮趣法帳」及びその10年後の大山日記を精読すると、桜町陣屋に行く「八カ年以前から二宮先生の大名を承り、御師の教諭を蒙りたい」と念願していたことがわかります。それでは庄七は8年前どこで二宮先生の大名を聞いたのでしょうか?庄七の生まれた朝田家(後に神成家に改める)は、大山御師(おし)の家で蓑毛にあり、相模国大住郡、足柄上郡、足柄上郡、駿河国駿東郡、伊豆くになどを巡回し大山講を組織させたり維持していました。大山講は御師自らが組織し、お互いに人の講に介入しないため「開導記」を作成し、どの御師の家がどの村に何軒の村の講を組織しているか記録していました。「開導記」によると神成家は足柄下郡にも多くの講を組織し、二宮尊徳の生まれた栢山にも神成家の講があります。庄七が桜町に行ったのが天保13年ですその8年前というと天保5年、その前年頃から天保の大飢饉が始まります。庄七は栢山や足柄上郡で二宮先生が飢饉に備えてそばやひえを栽培させ飢饉に備えさせ、更に周囲の飢饉に苦しむ村々を救った話を聞いていてぜひお会いして直接に二宮先生からお話を聞きたいと切望していたと思われます。真理は誰の上にも降って来る。しかし待ち受ける心構えのある人だけが聞き分けることができるのです^_^
2023.12.23
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り22日報徳記 巻之八 【2】常州眞壁郡棹ヶ島村外五邑に良法を發業す野州眞岡(まをか)の支配所(しはいしょ)常州眞壁郡(まかべごほり)棹ヶ島(さをがしま)村極貧にして、民(たみ)飢渇(きかつ)を憂ふ。民戸(みんこ)減少土地荒蕪(くわうぶ)し殆(ほとん)ど亡村に至らんとす。往昔(わうせき)某年(それとし)前縣令(ぜんけんれい)の時に當(あた)りて官府(くわんふ)に達し、八丈島の民を移して此(こ)の邑(むら)の民となし、荒蕪(くわうぶ)を開かしむといふ。此の邑(むら)再復の方法を先生に命ぜり。時に某(それ)年某(それ)月なり。先生自ら此の邑(むら)に至り見分(けんぶん)するに、毎戸(まいこ)貧困にして家屋破壊衣食乏しくして業(げふ)を怠り、人情浮薄博奕(ばくえき)無頼(ぶらい)を以て常とす。是(こゝ)に於て一村再興永安の道を諭(さと)し、家なき者に新家(しんや)を與(あた)へ、馬屋(まや)灰屋(はいや)を與(あた)へて其の居(きよ)を安んじ、米穀を與(あた)へて其の飢渇を救ひ、農具を與(あた)へて其の耕作を助け、荒地を拓(ひら)きて田圃(でんぼ)の不足を給(きふ)し、道を作り橋を掛け其の往返(わうへん)を安からしめ、善を賞し不能を教へ、勸農(くわんのう)の尊き所以(ゆゑん)を示し、力を盡(つく)して下民(かみん)の憂苦(いうく)を除き之を安撫(あんぶ)す。邑民(いふみん)蘇生(そせい)の思ひをなし大いに悦服(えつぷく)し汚俗一洗して淳厚(じゆんこう)勤業(きんげふ)に歸(き)せり。縣令(けんれい)至つて之を見分し、感歎止まず。民家の整齊(せいせい)開田の方正(はうせい)道路溝洫(こうきよく)の美なること郡中に比類なく、良法の徳粲然(さんぜん)として遠近之を稱(しょう)す。続いて同郡(どうぐん)花田村興復の仕法を歎願す。縣令(けんれい)之を許容し先生に委任す。先生又花田に至り心力を盡(つく)して此の邑(むら)を舊復(きうふく)す。恩澤(おんたく)を布(し)き下民(かみん)を撫育(ぶいく)すること棹(さを)ヶ島村の如し。花田村の貧困衰廢(すいはい)棹ヶ島村よりも甚(はなはだ)し。仕法の仁澤(じんたく)に依り年來(ねんらい)の窮困(きゆうこん)を免(まぬが)れ專(もつぱ)ら業を勵(はげ)み老若(らうじやく)感泣して其の恩を謝す。縣令(けんれい)棹ヶ島先生の仕法に由つて舊來(きうらい)の衰貧を除き、邑民(いふみん)欣躍(きんやく)互(たがひ)に其の業を樂(たのし)むに至れりと江都(かうと)官府(くわんぷ)に言上す。官(くわん)評議ありて先生の丹誠を賞し用度金(ようどきん)四百兩(りやう)を下し、且(かつ)拾ヶ年の間其の邑(むら)の貢税十分の二を減じ、此の二分を以て再復の用度に充(あ)つ可きの命あり。先生四百兩(りやう)を元資(ぐわんし)となし自金を加へ、野州山本村本村大島村山口村徳次郎村歎願に依(よつ)て仕法を下す。其の實業(じつげふ)棹ヶ島花田兩邑(りやういふ)に異ならず。是(これ)に於て郡邑(ぐんいふ)先生の徳行(とくこう)良法を欣慕(きんぼ)せり。
2023.12.23
「現代語訳 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』」を出版します「現代語 安居院義道」クラウドファンディング終了まであと22日5千円以上支援者に出版記念絵葉書10枚セットをリターンします 安居院先生の書(大日本報徳社所蔵)、相州御領分絵図(個人所蔵ー縮小)等の貴重な或いは新発見資料を含みます現代語版『安居院義道』「現代語 安居院義道」 はしがき安居院義道(庄七)先生は相州の生まれ、報徳界の高弟で、早くから我が駿州・遠州の地に報徳の種を蒔きつけて育て上げた、第一人の開拓者である。その事蹟はしかし先生の晩年のことで、五十八歳から七十五歳の終焉に係る。その青壮年の経歴は残念であるが、全く不明であって、初老の時に商業に従事して最後に一敗地に落ちた時が、報徳への序幕となる。 しかしその失敗が幸いにも、二宮先生の報徳に縁を結ぶ機会となって大転換をしたのである。しかも天地をひっくり返したほど百八十度の逆転換をした。今までは勤・倹・譲を裏返しに着て、独酔的な良い心持ちで高歯の下駄をはいて歩いていた。つまずいてから、恐れ入ってはだしになり、怠・奢・奪を引っ込めて、表を出して着替えて見れば、一ちょうらの晴着で通用する立派なふん装である。 暫く陣容を整えてかかれば、本来の人物はまた光を放たずにはいない、報徳の先生として出発する。そして我よく二宮先生の道を広めんと唱えて、その郷里を去った。 以上のような先人の歩みは、ぜひ調べておきたい。出版するという考えもなく、書き綴っていたのが明治の四十二年から始まる。 資料を与えられた先輩は 高山藤七郎老、中遠袋井町の人、青年時代、 家道失脚のため、報徳式に取り直した権威者で、安居院先生の著及び説話は大体筆記してある。晩年遺稿として我が家憲の一書を残されている。また老は我が父と同年で、親交もあって特別に知遇をこうむっている。 竹村篤老、浜松在入野の人、若くして商業を浜松に見習い、その間より厚く報徳の道に帰依して安居院先生門下の人々に教えを受けてよく記憶している。また丹念に道歌のようなものは記録してあった。淡山先師(岡田良一郎)、安政六年二宮門を辞して以来、文久三年安居院先生没年まで最もよく先生を見ている。特に明治四十二年浜松において先生墓参追吊会の時、講演も筆記していた。 中上信英氏・静岡の人、「報徳」雑誌を発行して安居院先生の記事は多く載せられている。同雑誌は明治二十五年第一号を発行して同三十六年に五十六号を発行して中止された。 また明治の末年、相模(神奈川県)中郡において井上福松氏等を中心として報徳の大運動が起こされ、私も各村ごとに講演し、時々安居院先生をはさんで対話したが、到るところ先生の事はほとんど知られていなかった。後に山田霞洲兄が十日市場の家について一端を聞き取ってくれた。 以上がこの伝記の全部であって、内容として貧弱なものであった。あるいは先人の余栄を傷つけるなきやと懸念して、空しく箱の底にしまっておいたのだが、昨年まとめてみたいと一大念願を起して、おいぼれの最後の努力を試みた次第である。 顧みて安居院先生が亡くなって今年で九十年(本書発行は昭和二十八年(一九五三))になる。この間に実に大きな変動が二回も起こっている。その第一回は明治維新の改革で、諸制が刷新されて、報徳の仕法は日光御神領をはじめとして廃止された。ただ安居院先生によって伝えられた民間同士の結合になる報徳社だけはお構いなしであって、ついで福住正兄先生、岡田淡山師等がその全力をそそがれたので、漸次隆盛に向かったことはうれしい。その第二回は敗戦日本の末路であって、根本的に取り除かれて、新しいアメリカ式の風になびかされている。加えるに混乱怒涛中にさまざまな思想が入り込んでいる。したがって報徳社徒の中にまで影響し、不振の状態におかれている。 今、安居院先生の伝記を出版しようとする事は、あるいは「落花深き所、南朝を語る」の評もあるかも知れない。しかし私は前に眺めて後ろに鑑みて、後に腹は切れない。あえてここに安居院先生の伝を編集することは誠に止むを得ないからであり、幸いに報徳社同志が、一顧されんことを切望する。 終わりに、この念願を不敏として河井社長は題辞を寄せて激励され、ついで神谷副社長は賛辞を尽し序文を投ぜられ、光栄の至りと肝に銘ずる。更に本社の中山、小野、太田の各位は陰に陽に援助をたまわり、いわゆる「死に花を咲かせる」の同情をこうむる。深く謝意を表する次第である。 昭和二十八年初秋 八十二老 鷲山恭平誌す ⑴ 原文では「安居院翁」と「翁」を使っているが、本書では「安居院先生」と「先生」で統一した。秦野市市史研究第一号(一九八三年三月)に井上靜男氏「安居院庄七と報徳」が掲載され、そこに井上氏が浜松の報徳店を初めて訪れた時の挿話が載っている。「昭和二十四年(一九四九)夏、初めて下石田報徳店を訪ねた時、松の手入をしていた主人が、わざわざ床に庄七の肖像を掲げ、一句一言の中に安居院先生と呼び説明された。庄七を尊敬している様子が偲ばれ、その指導の偉大さを知らされ、今にしてなお、庄七は遠州に生きている感を強くした。」(六十六頁)(太字は編者)💛2023年12月17日大日本報徳社大講堂でI先生が来られ、壇上のポセンチアを指して「私からです。花言葉は『祝福』です」とおっしゃられた。そのお心に感動した。講演が終わって新幹線で帰った後、お礼にと虎屋の羊羹をお送りした。すると同日、本が2冊送られてきて「宇宙へ」と題された一冊の冊子には実に豊かな人との出会いと交流が記されていた。「報徳の精神」で動けば「尊い」出会いがあるということがよくわかる!
2023.12.22
I先生に「I先生が 『報徳の精神』で動くからこその尊い出会いがあるのだと御本を読んで思いました」とショートメールしたところ返信のメッセージに「私の今年の収穫は、5月30日に出会った〇〇観世音菩薩様と先生です。(略)」観世音菩薩と同列においてくださること、恐れ入る。そのお心になんとかお答えしようと12月10日、17日の「安居院義道」連続講演の資料をUSBにおさめてお送りする。「「<からだ>の声を聞きなさい2」(リズ・ブルボー)の200ページに『鏡の技法』が載っています。イエスは「あなたはひとの目の中にある塵は見えても、自分の目の中の梁は見えない[聖書マタイ伝7-3]」と言われた。私たちは他人の中に欠点を見るが、本当はそれは自分自身の欠点であり、しかもそれは他人よりはるかに凄まじいということを教えようとされたのです。<鏡の技法>を使えば「私もあんなふうに振舞っているのではないだろうか?」と気づくことができます。あなたが他人をどう見るかが、あなたの心のありさまを反映していることを気づく必要があります。もし、あなたにとって自然がますます美しく見えるようになり、人々がますます美しく見えるようになったら、あなたは自分自身をもまたそう見ているのです。・あなたがある人の性格を素晴らしいと憧れるとき、自分自身はとてもそんな性格をしているとは思いません。自分が憧れるような面を自分が持っているとは思えないのです。でも、あなたがある人の優しさ、思いやりなどにあこがれるときは、実はあなたの中にもそれと同じ優しさや思いやりがあるのです。イエスも「あなたが他人のなかに見るものは、すべてあなたの中に、もっとたくさん存在している」といっています。つまり、あなたが憧れる他人の一面は、もっとたくさんあなたの中にあるのです。」つまり、I先生のなかに もっと素晴らしいものがもっとたくさんあるということにほかならない、💛しばらくブログをお休みします。良いお年をお迎えください。「らんまん」の脚本家・長田育恵さんが師の井上やすしさんからかけられた言葉を一つ紹介します。「今日一日を、あなた自身の心の力で、良い方向に向かわせなさい」今日の一日、一日が、皆さま一人一人の自身の心の力で良い方向に向かわせることを願います。
2023.12.22
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り23日現在目標金額の50%報徳記巻之八【1】先生眞岡縣令某の屬吏となる令(れい)色(いろ)を變(へん)じて曰く、我が言上(ごんじやう)せんとするは二宮の道を廢(はい)せんとするにはあらず、公料(こうれう)に行はれずして日を送らば、從來(じゆうらい)丹誠施行(しかう)の私領までも共に廢(はい)せんことを憂ひ、小田原に歸(かへ)りて十分行ふことを得ば、二宮心中安くして有益(いうえき)少なからず。是(これ)を以て此の事を建言(けんげん)せんとする而已(のみ)。然るに子(し)仕法の道我が一言(げん)に依(よつ)て廢(はい)せんと云ふは何ぞや。曰く、君一度(たび)言上せば直ちに道の廢(はい)せんこと疑ひなし。如何(なん)となれば二宮幼年より萬苦(ばんく)を盡(つく)し行ふ所の仕法良法なるが故に、幕府之を召して臣下となし玉ふにあらずや。生來(せいらい)萬民(ばんみん)撫育(ぶいく)の道に力を盡(つく)すのみ。他の才藝(さいげい)あるにあらず。仕法を外(そと)にして召し玉ふとならば何を以て召し玉ひしや。果たして仕法の道良善(りやうぜん)なるが爲(ため)なり。私領遠近皆以て登用し玉ふを悦び、公料(こうれう)に廣行(くわうぎやう)有らんを望むこと久し。是(こ)れ公料(こうれう)に行はるゝの餘光(よくわう)を仰ぎ、再復の宿志を達せんが爲(ため)なり。然るに今公料(こうれう)に行ふ可らざるの道也(なり)として舊主(きうしゆ)小田原へ戻し玉はゞ、天下の諸侯誰(たれ)か公料(こうれう)に行はれ難き仕法を行はんや。假令(たとひ)禁止し玉ふにあらずといへども、公(こう)に倣(なら)ふものは私領の常なり。必ず忌憚(きたん)する所ありて行ひ得ざるも亦(また)人情の常にあらずや。加之(しかのみならず)小田原に於ては既に仕法を廢(はい)し、二宮の往返(おうへん)をも絶(ぜつ)せり。是(こ)の如き小田原に歸(かへ)り、何(いづ)れの處(ところ)に仕法を施すことを得ん。是れ君(きみ)の明(あきらか)に知る所なり。假令(たとひ)諸侯公料(こうれう)に行われざるを憂へずして自國(じこく)を興復(こうふく)せんと欲すといへども、二宮何ぞ其(そ)の求めに應(おう)じ以前の如くに仕法を行はんや。一日も幕府の禄を食(は)み、君臣の義を守るもの、其の道を以て公料(こうれう)の民を安んずることあたはず、身退きて私領に道を行ひ、何(いづ)れの君(きみ)に報ぜんとするや。是(こ)れ常人だも猶(なほ)爲(なさ)ざる所なり、況(いは)んや二宮の誠心に於てをや。苟(いやしく)も小田原に歸(かへ)る可(べ)きの命を蒙(かうむ)らば、斷然(だんぜん)仕法の道を廢(はい)し、深山幽谷の客となり、再び世の交わりを絶せんこと疑ふべからず。是(こ)れ君の一言(ごん)に由(よ)つて、仕法の道永く廢棄(はいき)せんといふ所以(ゆゑん)なり。非(ひ)邪(か)。君何ぞ一度(ど)此の道を試み、彌々(いよいよ)其の不可なることを知りて、然る後此の事に及ばざるや。今一言(ごん)に由つて、私領億萬(おくまん)の人民安堵(あんど)の道を失はんこと某等(それがしら)の見るに忍びざる所なり。君夫れ之を慮(おもんぱか)れ。令(れい)曰く、我之を思はざるに非ず。屡々(しばしば)仕法の事を以て官府(くわんぷ)に指揮を請ふといへども更に其の沙汰(さた)に至らず、是(これ)を以て發(はつ)することを得ざるなり。或(あるひと)曰く、是(これ)も亦(また)我等(われら)の解(げ)せざる所なり。幕府元より二宮の良法果たして可なるや否やを了(れう)し玉はず。是を以て君に命じて其の事業を試み玉ふに非ずや。然るに君之を試みずして其(そ)の指揮を官府(くわんぷ)に請ふ。官府(くわんぷ)何を以て一々開業の指揮あらんや。夫(そ)れ試みなるものは何ぞや。先(ま)づ發(はつ)して試みずんば何を以て其の可(か)不可(ふか)を知らん。願はくは君の速やかに獨斷(どくだん)發業(はつげふ)して之を試みん事を何を憂ひて未だ試(こゝろ)みざるや。令(れい)曰く、官の事獨斷(どくだん)すべからず。若し事を斷(だん)じて過(あやまち)あらば免(まぬが)るべからず。我身分(みぶん)をも恐るゝなり。是(これ)を以て獨斷(どくだん)に出(い)でざる也と。或(あるひと)一言(げん)を聞き歎じて曰く、某(それがし)數刻(すうこく)の愚言を呈(てい)するもの他(ほか)なし。使君(しくん)公(おほやけ)の爲(ため)に身を奉ぜりとするが故なり。請(こ)ふ辭(じ)せんと云ひ退(しりぞ)きたり。先生何事をか談(だん)ぜしやと問ふ。或(あるひと)告(つ)ぐるに此の事を以てす。先生大いに怒りて曰く、縣令(けんれい)の人となり我元(もと)より之を知れり。然して敢(あ)へて争はず論ぜず、從容(しようよう)として空しく日を送るもの豈(あに)我が心ならんや。已(や)むを得ざるが故なり。道の興廢(こうはい)元(もと)より令(れい)にあるにあらず。是を以て我が氣(き)を下して以て其の時を待つ。然るに汝一度(たび)令(れい)に至つて談論し、剰(あまつさ)へ身分を憂(うれ)ふるの一言(ごん)を發(はつ)するに至るまで詰問(きつもん)せるは何ぞや。我が心を盡(つく)して困苦するを知らず、一面(めん)の間に是の如きの談論を爲(な)す、何ぞ愚(ぐ)の甚だしきや。是れ道を開かんとして却(かへ)つて道を塞(ふさ)ぐ者に非ずや と大いに之を誡(いま)しむ。門下皆驚伏(きやうふく)して仰(あほ)ぎ見るものなし。此の時に當(あた)つては誠に仕法の窮(きゆう)極まれりといふべし。先生の大量(たいりやう)にあらざれば何を以て此の間(かん)に處(しよ)し再び道を開くことを得んや。人々其の大量(たいりやう)深慮を感歎せり。是(これ)より後、縣令(けんれい)も亦(また)省みる所あるか。又敢(あへ)て此の言を發(はつ)せずと云ふ。
2023.12.21
現在 226,000円 支援者 47人 残り23日「現代語訳 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』」を出版します「現代語 安居院義道」クラウドファンディング終了まであと23日5千円以上支援者に出版記念絵葉書10枚セットをリターンします 安居院先生の書(大日本報徳社所蔵)、相州御領分絵図(個人所蔵ー縮小)等の貴重な或いは新発見資料を含みます安居院義道〇現代語版の『安居院義道』に寄せて 鷲山恭彦 安居院義道の肖像と書題字 序文 はしがき(鷲山恭平氏自序) ・・・・ 21 目 次一 家系と生い立ち ・・・・ 24二 安居院家を継ぎ商人となる ・・・・ 28三 野州に報徳を聞いて大転換 ・・・・ 35(参考資料)相州大住郡北秦横曽根村仮趣法・41 伊勢原市史資料編 続大山・・・・ 49四 信心作兵衛を訪ねて万人講へ ・・・・ 54五 万人講から報徳の開拓へ ・・・・ 64六 遠州報徳連代表七人日光に大先生を訪ねる ・・・・ 74七 先生の指導型と石田村の仕法 ・・・・ 80八 駿河遠州を家とし足跡点々 ・・・・ 92九 その人柄と才芸、逸話の数々 ・・・・ 103十 先生の臨終、葬儀とその遺物 ・・・・ 114十一 歿後の余韻 ・・・・ 126十二 浅田勇次郎氏伝 ・・・・ 136十三 先生の残された著作物等々 ・・・・ 144資料編156 1莫妄想157 2人間算当勘定1623報徳作大益細伝記166 4算法地方大成全194 5万作徳用鏡203【コラム】1 安居院はどう読むの?26 2 大山信仰と御師の経済生活27 3 青・壮年期の庄七34 4 農業協同組合の原点53 5 安居院兄弟の万人講時代の収入64 6 神谷與平治正信71 7 岡田佐平治72 8 新村豊作73 9 荒木由蔵91 10 後を継ぐ者(『二宮尊徳』)102 11 報徳作大益細伝記16512 万作徳用鏡202〇あとがき 💛浜松のYさんに、5000円以上の支援者には、出版記念絵葉書10枚セットをリターン品として郵送する。浜松の第一館の碑と玄中寺の安居院先生のお墓の写真を記念写真集の一枚にいれたいと申し出たところ、お寺のほうにも許可をいただくよう尽力いただき、しかも多量の写真を送っていただいた。その一部を紹介する。金次郎像をなんとか写真の中に取り込んでみようと本ブログに載せた以外にも、いろいろな角度で写真をとって送ってくださった(^^)
2023.12.20

50代は要注意…!年を取るほど「不幸」になる人の思考 『人はどう老いるのか』『人はどう老いるのか』久坂部羊(講談社現代新書)老人デイケアのクリニックに勤務していたとき、利用者さんのテーブルをまわって順番に、「調子はどうですか」と聞いていました。「大丈夫です」と言う人もいましたが、大半は何らかの症状を訴えます。「腰が痛いんです。三日ほど前から痛くてたまりません」「なんや息をするのがしんどくて」「足がむくんで抜けるようにだるいんです」「目ヤニが出て、耳からも耳だれが出て」「便が硬くて、力むと脳の血管が破れそうで」「オシッコのにおいがきつくて」「夜になかなか寝つけんで、寝たと思うたらお便所に行きとうなって」四十人ほどの高齢者の苦しみを聞いてまわるのは、かなりのハードワークでした。なにしろ簡単には治らないことばかりなのですから。しかし、これらの訴えは年を取ればある程度予測可能なものばかりです。頭でわかっていても、自分のこととしては受け入れがたいのでしょう。人はだれでも、年を取れば足が弱るし、手がしびれて、息切れがして、身体が動きにくくなり、眠れなくなったり、尿が出にくくなるのに夜はトイレが近くなったり、お腹が張るのにガスは出ず、出なくていい痰や目ヤニやよだれが出て、膝の痛みに腰の痛み、嚥下機能、消化機能、代謝機能も落ちたりして、身体が弱るものです。そうなるのが自然なのに、それを受け入れるのは簡単ではありません。老いるということは、失うことだとも言われます。体力を失い、能力を失い、美貌を失い、余裕を失い、仕事を失い、出番を失い、地位と役割を失い、居場所を失い、楽しみを失い、生きている意味を失う。そんな過酷な老いを受け入れ、落ち着いた気持ちですごすためには、相当な心の準備が必要です。若いときから優秀だった人は、人生で得たものが多い分、失うつらさにも耐えなければなりません。仕事で高い地位についていた人は、リタイアしてふつうの人になることに抵抗があるでしょうし、頭がいいと言われていた人は、記憶力や計算力が衰え、言いまちがい、勘ちがいなどを指摘されると腹が立ち、逆にショックを受けたり、落ち込んだりします。もともとさほど優秀でない人は、リタイアしても同じですし、記憶力の衰えなどもたいして気にはなりません。健康に気をつけて、どこも悪いところがなかった人も、老化現象による不具合には耐えるのがたいへんです。若いときから具合の悪い人のほうが、慣れている分、年を取ればこんなものだと受け入れやすいでしょう。私より八歳年長の知人は、高学歴で社会的地位も高い職業に就いていましたが、老いを受け入れることができずに苦しんでいます。七十六歳にもなれば、衰えて当然だと思うのですが、なんとか若いときの状態を維持しようと頑張っています。これまで大きな挫折の経験がなく、逆に努力によって困難を克服してきた成功体験があるので、老いにも努力で立ち向かおうとするのです。当然、心は安らかではありません。「いい加減にあきらめたら」と奥さんに言われても、頑としてあきらめません。あきらめたら終わりだ、敗北主義だと頑張るのです。老いの不如意も衰えも、受け入れて付き合っていくしかない。そう思えたら少しは楽になるのにと思います。あきらめの効用です。
2023.12.20
病気にならずに健康寿命をある程度延ばすことは、この数十年間に実現できそう東京大学 定量生命科学研究所 ゲノム再生研究分野 教授 理学博士 小林武彦氏「まだ不老長寿とまではいかなくても、病気にならずに健康寿命をある程度延ばすことは、この数十年間に実現できそうです」Q(大隅基礎科学創成財団 理事 野間 彰氏)寿命を延ばす遺伝子として話題になった「SIR2(サーチュイン)」遺伝子のメカニズムを解明されました。これはどのように見つけたのでしょうか。小林武彦氏(以下、小林氏):もともと私は、酵母菌を使った老化の研究をやっていました。マウスの寿命は2~3年なのですが、酵母菌は3日間できっちりと死ぬので、研究しやすく昔から寿命研究の対象になっていたのです。 当時、SIR2遺伝子は酵母の寿命を延ばすということで、その作用を解き明かそうと世界中の研究者が挑戦していましたが、詳しい作用メカニズムが明らかになっていませんでした。酵母菌は20回ほど分裂して2~3日で死ぬのですが、このSIR2という遺伝子を壊すと、生育は変わらないのに寿命だけが短くなるという興味深い現象が起きるのです。逆に、この遺伝子をたくさん出させると寿命が延びるので、「これは凄いぞ!」と驚いて研究を進めました。 研究の結果、SIR2には、rDNA(リボソームRNA遺伝子群)という、たくさんのコピーが含まれ、そのコピー数が変動しやすい不安定な巨大な領域を安定化させる作用があることを発見しました。この壊れやすい領域が、ゲノム(遺伝情報)全体の安定性に影響を与え、寿命を延ばすことにつながっていたのです。そしてこれが、長生き効果の主要な反応経路だということを実証しました。──発見したときは、どうでしたか。小林氏:それまで、ゲノムの一部が壊れた場合に修復するメカニズムは見つかっていたのですが、rDNAという巨大な壊れやすい領域をピタリと安定化させられるのを見たときには、本当に感動しました。 さらに興味深い点は、このSIR2はヒトにもマウスにも存在することです。そこで外国のグループがマウスを使って実験しました。その結果、SIR2に相当する遺伝子を破壊するとマウスの寿命が縮み、逆にその遺伝子を出すと寿命が約20%も伸びることがわかりました。ヒトで言えば平均寿命が100歳近くになるわけです。 もちろんヒトとマウスの老化は異なりますが、SIR2がゲノムを安定化させて寿命を延ばす仕組みは恐らく共通しており、ヒトも寿命が延ばせる可能性は十分あります。すでにSIR2タンパク質の働きを強めるアンチエイジングのサプリメントの研究が進められ、実際に販売されていますね。──最近の業績としては、SPT4という遺伝子のメカニズムも発見されました。小林氏:SPT4は、SIR2とは真逆の働きをします。SIR2は反復遺伝子を守るものですが、逆にSPT4は壊しているのです。細胞は寿命が決まっていて、ある意味では仕事が終わると死にたがっています。そのために細胞を殺す遺伝子の1つがSPT4です。 生物は基本的に子孫を残すところまでは進化的に寿命が保証されています。というよりも、子孫が残せるところまで生きるものしか、生き残れないのです。したがって子育てをする生物は、子育て期までは元気で、がんなどの病気にもなりにくく、そこから先は老いて死ぬようにできています。野生の動物は普通、食べたり食べられたりの関係でつながっているので、老いた個体は生き残るのは難しいです。老いることにメリットがないのです。 ただヒトの場合、老後期間でも教育や社会制度を維持するという役割があるので、長生きになりました。生殖年齢のヒトだけでは、互いに喧嘩になり社会がまとまらないので、シニアがいたほうが有利だったのです。だから老害なんて言ってはいけません(笑)。 しかしヒト以外の生き物は、老後期間になると、速やかに死ぬようにプログラムされています。サケも川を遡上するときは絶好調ですが、放卵後1週間で急激に老化して死んでしまいます。そのほうが間違えて卵を食べたり、稚魚と競合しないからです。自分が死んで餌になる、あるいは腐って川に栄養を与えて微生物を増やすほうが、子孫にとって良い場合もあるわけで、自然の摂理なのです。──海外との競争の中で、なぜ先んじてメカニズムを解明できたのでしょうか。小林氏:基礎研究は、海外グループと競争していく中で、その後の優先権を得るためには2番煎じでは意味がありません。ですが、人手も資金も海外には勝てず、基本的に1人で研究を進めています。それではなかなか先陣を切るのが難しいです。 SIR2と寿命の関係については、私が研究を始める前から言われていたことです。私は遺伝子の安定性の研究がメインで、老化の研究はあまり手を付けていませんでした。本当は寿命の研究も本腰を入れて、SIR2が寿命に直結することを証明したかったのですが、マンパワーが足りず最終的にそこは諦めました。それで戦略的に、SIR2がrDNAを介してどのように寿命を制御しているのか? というメカニズムを重点的に解明したのです。──この一連の研究において、次のステップはどのようなものでしょうか?小林氏:ヒトは最長120歳ぐらいの寿命です。その壁は、おそらく遺伝子を維持するハード面的な限界だろうと思いますが、この研究でそれを突破できるかもしれません。遺伝子の壊れやすい部分を、うまく補強できると細胞そして臓器の老化が抑えられ健康寿命も延ばせるのではないか、と期待しています。「何が寿命を決めているのか?」という、生物としての根本的な原理がわかるような感触も得ています。 今ヒトの遺伝子を修復する遺伝子をマウスに入れる研究も行っています。それでマウスの寿命が延びれば、安定化する遺伝子を同定できます。また生物が積極的に死ぬメカニズムの発見は、その後に「生物はなぜ死ぬか」という問題設定や、その内容を著書『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書)で発信することにもつながりました。(以下略)本連載特設ページはこちら:https://www.ofsf.or.jp/SBC/2310.html
2023.12.20

会員にメールを送る令和5年12月17日(日)掛川市の大日本報徳社大講堂で第10回報徳講座「安居院義道と農書」について講演しました!盛況でとても良い記念の講演会になりました。講演いただいた鷲山社長、宮永組合長また参加してくださった皆様に心から感謝します。主催の遠州アカデミーの戸田さんから講演風景の写真(略)とコメントが届きました。戸田さんより「「安居院庄七と農書―農業余話と万作徳用鏡―」をご講義いただき、誠にありがとうございました。参加者の方々(51名)も聞き入っておられたように思います。来年以降も報徳講座は開催の予定です。また、機会があれば、よろしくお願いいたします。」なお、今回の本の表紙は、鷲山恭平先生の原著の字だけのものとし、当初考えていた肖像画や書はなくすことで、当日鷲山社長のご了解を得ました。刊行する本の表紙の地合いの文様と文字は原著に添ったものとしますのでご了解ください。また当日秦野農協宮永様が多額の支援金を持参され、同日印刷所に送金しました。クラファンは目標金額の半分なだけに、その志には頭が下がります。https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_showまた大日本報徳社石野副社長が当日会場にポインセチアを飾り付けてくださって「花言葉は祝福です」と言葉を添えてくださったのには感動しました。
2023.12.20

浅田美代子 離婚後に仕事が激減…母親から借金しながら「シャネルとか買いまくった」理由浅田美代子は1977年にフォークシンガーの吉田拓郎と結婚したものの、1984年に離婚。離婚直後は「あの当時は離婚が今みたいにそんなに多くなかったから、かわいそうってイメージがあったからか、やたら悲しい不幸な役ばっかり来た」樹木希林さんの教えで「何でも面白がってやりなさい」という言葉で「こういうイメージがつくのは絶対嫌って思ったから、全部辞めました」「お金なくなっちゃって家賃もどうしようって感じだった」実母から借金してまで「シャネルとか買いまくった」「不幸なイメージを取りたかったので、私は全然元気ってしたくて。母には『浅田美代子っていう商品に対しての投資と思って』って言った」と説明し、「そうこうしているうちに『からくり』が入ってきたり」*Q今回演じられた初枝という役にはちょっと不気味さも感じたんです。それはなんでだろうと思ったら、髪を長く伸ばして、さらに、入れ歯を外されていたんですね。少々、薄気味悪い見た目にされたのはご自身のアイデアですか?もちろん。女優に「入れ歯を外してください」なんて言える監督なんていないでしょう?今回の役ではね、人間の顔はこうやって崩れていくんだというのを画面で出したいと思ったの。それを見せられれば「もう、この作品が最後でいいな」とすら思った。私ももう後期高齢になりましたからね、そういう気持ちもあったのよ。—今回は、軽犯罪で生計をたてる家族を描きながら、真の絆について深く考えさせられる作品です。シリアスなテーマを扱う中で際立っていたのが、家族で海に行くシーンでした。初枝さんが浜辺に座り、海ではしゃぐ息子家族を遠くから見つめる優しい眼差し。台詞はないのですが、すごく温かな場面です。あの時はどのような思いで見つめていたんですか?そこはクランクインして最初に撮ったんだけど、まだ台本がなかったの。だから、何を撮っているのか正直わからなかった (笑)。もちろん、作品の大筋はわかってはいるけど、海のシーンがどんなふうにつながるのか知らなかったのよね。—何かを言いたげに口をぱくぱくと動かしています。そう。あれは、ある言葉を言ってるの。だけど、声には出さなかった。—樹木さんは、台本は読んでいくけれど、役は決めこまずに、その場で作っていくというのを聞いたことがあるのですが、まさにあのシーンがそうですか。あの時は、海とそこにいる家族というのがすべてで、そこから感じたものに素直に動いたのよね。—是枝監督は、あの樹木さんの演技が物語の指針になり、そこから脚本を直していったと話されていました。そういうふうに見えているのはね、役者は関係ない。監督の腕。—是枝監督の作品に出られるのは今回が6作目ですが、一緒にお仕事をされる理由はなんですか?6作目って言ったって、他の作品はついでにでているだけよ。一緒に仕事するのは事務所が近所だから (笑)。プロデューサーが「企画書、ポストに入れときましたから」ってこんな感じなのよ。雑でしょう?—是枝監督の現場はどのような雰囲気ですか?是枝さんは静かで優しいわよ。ただし、粘り強い。気に入るまで絶対にOKを出さない。—現場で監督と演技について話し合うことはありますか?話し合わない。ただ、その場にいて感じたことに沿って素直に動いてみる。—樹木さんを見ていると「これ、アドリブなのかな?」と思わせる動きが多々あるように感じます。初枝さんがご飯食べながら爪を切るシーンはなかなか強烈ですが、あれもそうですか?いや、あれは台本に書いてあったの。爪がその辺に飛んでも平気でいられる、雑なところや無神経さ。それが画面を通じて伝わるでしょう? 切った爪が落ちていてもちっとも不思議じゃない荒れた家でさ。雨風はしのげるけど、こんな貧しくて、寒い家からは早く脱却したいなと思っていた。
2023.12.20
【ブギウギ】小雪 主演・趣里を絶賛も…あえてのアドバイス「自分の人生も生きるのよ」村山興業社長の村山トミ役で出演中の女優・小雪のコメント小雪(トミ役について)「あの激動の時代を強く生きてきた人。家業があり、それを家族で支えてやっていくという信念があって生きてきた」「母の愛もあるけど、経営者としての信念を持って、物事を考える人なんだと思います」(趣里について)「本当にまっすぐな方です。独自の考えも持っているし、スポンジのようにその場の空気をまとって演じることができる方ですね」「もともとバレエもやっていて、歌も歌えるし、英語もできるし、鬼に金棒です!」としながらも「『お仕事ばっかりしていると消耗するから、自分の人生も生きるのよ』ということをアドバイスさせていただきました」「『ブギウギ』の撮影現場はいつも和やかで明るく、大阪の朝ドラの元気さというのがすごく伝わる現場だと思います」
2023.12.20
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り26日報徳記巻之八【1】先生眞岡縣令某の屬吏となる從者(じゆうしや)某(それ)なるもの之を聞き切齒(せつし)して直(たゞち)に縣令(けんれい)に至つて面謁(めんえつ)を請(こ)ふ。令(れい)出でゝ之に逢ふ。或(あるひと)言ひて曰く、幕府二宮を以て君の屬吏(ぞくり)たらしむること豈(あに)唯(たゞ)ならんや。此の道を以て此の民を救わんが爲(ため)なるべし。然して數年(すうねん)を經(へ)たり。未だ行ふべからざる歟(か)。令(れい)曰く、我素(もと)より二宮の道を信ぜり。此の道を以て民間に施す時は、上下の有益少なからずとせり。此の地に臨み之を施さんとするに至つて、古來(こらい)の法則確定せり。聊(いさゝ)か規則に差(たが)ふ時は法を犯すの罪あり。故に良法なりと雖も新法(しんほふ)なるを以て行ふこと能(あた)はざるなり。二宮小田原の臣たりし時、諸候の邦内(はいだい)大小數(すう)ヶ所仕法を施して頗(すこぶ)る有益をなせり。是れ私領に行ふ可(べ)くして公料(こうれう)には行れ難(かた)き仕法なり。此の如くして歳月を送らば私領にも行ふこと能(あた)はず、空(むな)しく廢(はい)せんか。某(それがし)今度(このたび)江都(かうと)に言上せんとす。其の意(い)は二宮の道私領(しりやう)に益ありと雖も、公料(こうれう)に至つては規則に觸(ふ)れて行ふべからず。然らば公料(こうれう)に益なくして私領の益も亦廢(はい)せん。願くは小田原故主(こしゆ)に返し私領の人民を撫育(ぶいく)せしめ玉はゞ、公(こう)に損なくして私領に益あり。速かに戻し玉ふべしと言上(ごんじやう)せん。然らば二宮無益の心勞(しんらう)も始めて安からん。是れ我が已(や)むを得ずして慮(おもんぱか)る所なりと。或(あるひと)曰く、此の言(げん)我輩(わがはい)の知る所に非ず、夫(そ)れ道は一のみ。公料(こうれう)に行ふ可(べ)らざるの道ならば私領何ぞ行ふを得ん。私領に大益あるの道ならば何ぞ獨(ひと)り公料(こうれう)而已(のみ)益なからんや。今君(きみ)公料(こうれう)に規則あり。是を以て新法(しんはふ)良なりといへども行はれずと。某(それがし)公料(こうれう)の規則を知らず。然して私領獨(ひと)り法度(はふど)なからんや。私領といへども天下の土地なり。何ぞ一日も政令法度(ほふど)規則なくして其の國(くに)を治(をさ)めることを得ん。公料(こうれう)私領の規則同じからずと雖も大同小異、何ぞ雲泥(うんでい)の如く其の趣(おもむき)を異(こと)にせん。夫(そ)れ國(くに)を治め民を安(やすん)ずるは政度(せいど)法令(ほふれい)の本にあらずや。百千の私領皆以て天下の法度(ほふど)制令を本(もと)として之に傚(なら)ひ其の國(くに)を治む。二宮仕法の規則に觸(ふ)れて行はれ難(がた)き時は、豈(あに)私領の規則而已(のみ)觸(ふ)れざるの道あらん。從來(じゆらい)私領に行ふ所數(かぞ)ふるに暇(いとま)あらず。未だ會(かつ)て私領の規則を變(へん)じ然る後此の道を施すものあらず。舊來(きうらい)の法度(ほふど)制令依然として悉(ことごと)く缺(か)く所なく、方法其の間(かん)に流行(りうかう)し、荒地を開き米財(べいざい)を生じ善人を賞し貧困を救助し、國家(こくか)をして自然に豊富に歸(き)し、萬民(ばんみん)を安んじ永安の道を立て、是(これ)に於(おい)て始めて古來(こらい)の法度(ほふど)規則の缺点(けつてん)をも補(おぎな)ひ、遂(つひ)に國政(こくせい)をして仁政に歸(き)せしむる者仕法の良法たる所以(ゆゑん)なり。其の國(くに)により萬一(まんいち)法度(ほふと)に聊(いささ)か觸(ふ)るゝ事あらば、法度(ほふと)を動かさずして仕法を折衷(せつちゆ)し、其の時處位(じしよい)に依(よ)つて其の宜(よろ)しきを制(せい)せり。是れ仁術にして其の術盡(つく)る所なく諸國(こく)に行はれて成功ある所以(ゆゑん)なり。君(きみ)此の地に至る以來(いらい)二宮に委(ゐ)して道を行はしめ、其の不可なるを見て然る後行はれ難(がた)しとせば吾等(われら)何ぞ一言(ごん)を發(はつ)せん。未だ其の道を行はずして何を以てか果たして行はれざることを知る乎(か)。令(れい)曰く、東郷(とうがう)の開田桑野川(くわのがは)の新開(しんかい)之を試みたり。是を以て行はれざるを知れり。曰く、開墾(かいこん)の一事(じ)何ぞ仕法の仁術とするに足らん。夫(そ)れ仕法の道たるや惠(めぐ)むに恩澤(おんたく)を以てし、凡(およ)そ廢(すたれ)たるを擧(あ)げ絶(た)えたるを繼(つ)ぎ、禍(わざはひ)を福に轉(てん)じ貧弱を振起(しんき)して富強となし、民の疾苦(しつく)する所を除き其(そ)の安息する所を與(あた)へ、惰風(だふう)を革(あらた)め汚風を去り、教(をし)ふるに人道を以てし導くに勸農(くわんのう)を以てし、奢侈(しゃし)を戒め節儉(せつけん)を示し、五倫(ごりん)の道を正しくして君恩(くんおん)の無量なることを知らしめ、永(なが)く貧困離散の憂なからしむるを以て要(えう)とせり。是等(これら)の道未だ二宮に於(おい)て施す所あらず。何ぞ一片の開田を以(もつ)て道の行はるべからざるを知れりとするや。且(かつ)君先年未だ此の地の命を蒙(かうむ)らざる時に當(あた)りて草野某(ぼう)と約して曰く、我(われ)二宮の良法を以て國家(こくか)の有益を開き下(しも)百姓を安ぜんとす。故に公料(こうれう)に此の道を開き、二宮の力を伸張せしめんこと我(われ)必ず之を盡力(じんりよく)せんと。草野道の爲(ため)に悦び、誠に使君(しくん)の忠誠を感歎し、大道公行(こうかう)を以て君(きみ)を期し、其の開業を希望せり。是(こ)れ君(きみ)自ら約(やく)するものにあらずや。今は草野泉下(せんか)の客(きやく)となりしと雖(いへど)も、目前(もくぜん)今日(こんにち)の言を聞かば如何(いかに)とかするや。君を以て故舊(こきう)を忘れざるの信(しん)とせんや否や。我等(われら)の得(え)て知る所にあらず。且(かる)此の道の公料(こうれう)に行ふべからざるを以て幕府に達(たつ)せば、君の一言(げん)を以て道の廢棄(はいき)斯(こゝ)に決せんこと疑ひなし。何となれば先年君(きみ)二宮の道を試んと言上(ごんじやう)せり。是(これ)を以て幕府仕法の試業(しげう)を命じ玉ふ。其(そ)の實事(じつじ)未だ試業(しげう)に至らずといへども、幕府の試み玉ふこと君(きみ)の一身上にあり、年を經(ふ)ること數年(すうねん)にして行ふ可(べ)らざるの道なりと言はば、誰(たれ)か未だ試(こゝろ)みずして言上(ごんじやう)せりと爲(な)さんや。然らば則ち此の一言(げん)に依て行はれざるの確證(かくしやう)とならん。君(きみ)其の道を試みずして行はれざるの道なりと定めんこと豈(あに)衆人の望む所ならんや。若し二宮其の初めより縣令(けんれい)の屬吏(ぞくり)たらずして獨立(どくりつ)せば何ぞ畢世(ひつせい)艱難誠意を盡(つく)せし仕法徒(いたづ)らに廢棄(はいき)するに至らん。初めは君の賢意に依つて道の開けんことを望み、今は君の一言(げん)に由て道の廢(はい)せんことを哀しめり。何ぞ始終(しじゆう)の均(ひと)しからざること此(こ)の如きや。是れ吾等(われら)の大いに君(きみ)に望みなきことを能(あた)はざる所以(ゆゑん)なり。君少(すこ)しくこれを慮(おもんぱか)れ。
2023.12.20
尊敬するI先生からメールをいただいた。12月17日の第10回報徳講座のご報告と掛川茶の銘茶をお送りしていた。「11月はじめにメールをいただき、更に資料などの郵送をいただいていたにもかかわらず、ご連絡を差し上げずに失礼しました。報徳講座での講演はじめ運営ごくろうさまでした。11月から居室の引っ越しの実行と仕事の調整で結構厳しい日程をこなしていました。クラウドファンディングの手続きもあと少しと言うところまでたどり着いたのですが、最後まで完遂できずにいました。先週末で引っ越しは落ち着いたので、メールを差し上げる余裕ができました。クラウドファンディングの件も再チャレンジします。今回も多くの資料を有難うございます。実り多い報徳講座だったことがよくわかります。銘茶をいただき恐縮しています。」今はなき三國先生、I先生、O先生ほか多くの先生方と知り合い、ご厚情をいただけることの喜び。森信三先生が「諸君!!この人生は二度とないのです」と言われるそれぞれの二度とない人生において果してどのくらいの人が師といえるほどの人格者と出会い、それを感謝しているか?
2023.12.19
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り25日💛12月17日、第10回報徳講座を、掛川の大日本報徳社で開催したときに、鷲山社長に「本の表紙を 安居院先生の肖像画のあるものから 鷲山恭平先生が出版されたのと同様に 文字 だけのものにしたい」旨、申し上げると快諾され、「すべてお任せします」とのことでした。そこで 印刷所に 表紙を送付したワードを参考に文字のみに変更してください地の文様も原著に近づけてください。別途原著を郵送しますので、それを参考に「報徳開拓者 安居院義道」の書体はコピー願います。文様も現物を見ないとわかりにくいので、原著を参考願います。「すべてお任せします」まことに有難いお言葉である。鷲山恭平著報徳開拓者 安居院義道 大日本報徳社 序 文 私の友人の話では、農業経営上の進んだ事例を研究する時には、必ず静岡県の農業が問題になるということである。つまりそういう学者の目から見れば静岡県の農業は全国農業の最先端を進んで来たというわけである。「どうして静岡県の農業がこんな具合に発展して来たか」を考察することは、日本農業の発展の原動力は何かという、より大きな課題の解決のためのカギを与える重要な問題である。これについて従来は静岡県特有の報徳社運動との関連が考えられ、静岡県農業発展のかげに報徳運動ありと考えられていたと思う。しかしこれには二つの疑問が残されている。一つには静岡県の報徳運動がいかにして起こったか、また起こっただけでなく百年後の今日までなぜ存続されているのかという問題である。他の一つは静岡県農業の最重要部門である茶業の発展の問題である。茶業発展の基礎は何といっても牧之原の大茶園の開墾である。この着手は遠州報徳運動と無関係に見えるのである。 本書の著者鷲山氏がこの問題を眼中に置かれたか否か私は知らない。しかし氏の五十余年の研究と、雄大な人格から流れ出るおのずからなる科学的筆力は、この大問題に痛快な解答を与えられたと私は深く信じる。 それだけでなく、平々凡々と前半生を終えた一人の人間・安居院庄七が、二宮尊徳という偉大な人格にふれ、この「大死(だいし)一番(いちばん)の発(ほっ)心(しん)(一度死んで生まれ変わった発起心)」が、いかに偉大な業績を行い得るものであるか。またそれがいかに永続的な影響を後世に与えるものであるかを、読むものをして悟らしめなければやまないであろう。 しかし以上のような学問上の意味や、農業発展への功績等の世俗・半世俗的な人間の仕事についての論述であるだけならば、八十を超えられた鷲山氏が文字通りの心血をそそいでこの著述に没頭されるはずがない。このことは本書を手にされるほどの読者ならば私以上にそれを感得されるに違いない。そして、安居院先生と共に、一個の人間であることの「このましさ」、また偶然と必然の錯行する人生の深み、そして真の日本社会史の妙味を、つくづくと味われるであろう。昭和二十八(一九五三)年十二月二十八日 神 谷 慶 治 *神谷慶治氏は農業経済学者。東京大学名誉教授。一九七四-一九九八年大日本報徳社社長を務めた。
2023.12.19
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り26日報徳記巻之八【1】先生眞岡縣令某の屬吏となる縣令(けんれい)意中(いちゆう)甚だ怒ると雖も、理の當然(たうぜん)なるを以て憤怒(ふんど)を忍び答へて曰く、子(し)今是事を告げずといへども、我能く之を知れり。陣屋の内(うち)別に居家(きよか)あらず。新たに作らんか二宮を空寺(くうじ)に居(を)らしむるもの暫時而已(のみ)。我が意(い)を計りて二宮此の寺を補(おぎな)はざるものは過ちなり。我何ぞ彼自ら此を補ふことを禁ぜんやと云ふ。衣笠退き先生に告ぐるに空寺補理(ほり)の事を以てす。先生許さず。然るに縣令(けんれい)俄然(がぜん)先生を呼ぶ。先生至る。令大いに怒りて曰く、過刻(くわこく)衣笠來(きた)り子(し)を破壊の寺に居らしむること、我が處置(しよち)を失ひたりと云ふ。彼は元より陪臣(ばいしん)なり。何ぞ天下の事に與(あづか)るを得んや。今此の如き言を我に述ぶる者は身分を知らざるに非ずや。我が處置(しよち)は我が思ふ所あり。何ぞ陪臣(ばいしん)の指揮を待たん。以後此の如(ごと)き失言を發(はつ)すること勿(なか)れと子より之を諭(さと)し置くべし。我直ちに此の言を以て衣笠を誡(いま)しむる時は、彼一身の立つべからざることを憐み、子(し)をして言はしむるなりと。其の意先生衣笠をして艱苦を言はしめたりと疑ひ、怒言(どげん)を以て先生に加ふ。先生從容(しようよう)として答へて曰く、某(それがし)空寺(くうじ)に居(を)る何ぞ艱難の事あらん。夫(そ)れ貧民の世に處(を)るや居(きょ)雨露(うろ)を障(さゝ)ふることあたはず。糟粕(さうはく)口に飽(あ)くことあたはず。衣(い)身(み)を蔽(おほ)ふことあたはず。飢寒に困(くるし)み生(せい)を聊(やす)んぜざるもの其の數(すう)を知るべからず。之を救助せんとし、其の道を盡(つく)すことあたはざるを以て憂(うれひ)とせり。然るに某(それがし)は扶助の米粟(べいぞく)を賜(たまは)り飽食暖衣せり。破寺(はじ)といへども大破(たいは)といふにあらず。何ぞ雨露(うろ)の凌ぎなからんや。若し風雨を障(さゝ)ふることあたはずんば、何ぞ縣令(けんれい)を勞(らう)せん。自ら之を補ふに於(おい)て何の難きことかあらん。衣笠なるもの性(せい)善柔にして思慮淺(あさ)し。偶然(ぐうぜん)破寺(はじ)を見て子細(しさい)を問はず。使君(しくん)に告ぐるに失言を以てするか、退きて再び失言なからしめん。使君(しくん)勞(らう)し玉ふことなかれ と。縣令(けんれい)曰く、我(われ)上下の爲(ため)に子(し)の方法を開き、此の國(くに)の荒地を開墾し困民(こんみん)を撫育(ぶいく)せんと欲すること年あり。然るに私領と異にして公料(こうれう)の制度法則微細に備はる。其の規矩(きく)にあらずして新法なるが故に行ふことあたはず。強(し)て之を行はんとすれば屬吏(ぞくり)皆從(したが)はず。江都(かうと)に達して其の指揮を請(こ)ふと雖も復(また)何の沙汰(さた)もあらず。子(し)此の間(かん)に立つて手を空(むな)しくせんよりは、寧(むし)ろ退いて以前の如く私領(しりやう)の民を安ずるに如(しか)ず。我官府(くわんふ)に言上せんとす。二宮の道良法なりといへども私領に行はるべくして公領に行ふべからず。小田原故主(こしゆ)に戻し玉はゞ私領の幸にして、幕府無用の人を扶持(ふち)し玉ふことなく、兩全(りやうぜん)ならんと、是より他の策あるべからず。子(し)の意(い)如何(いかん)。先生曰く、一身の進退微臣(びしん)に於(おい)て更に意(い)なし。唯(たゞ)縣令(けんれい)の指揮に從(したが)はん と云ひ退いて詳(つまびらか)に衣笠に告ぐ。衣笠大いに怒りて曰く、令(れい)は書を讀(よ)みて少しく道を知るものと思へり。我が先に言ふ所は我が爲(ため)を言ふにあらず。實(じつ)に令(れい)の爲(ため)を一言せり、然るに陪臣(ばいしん)の失言なりとして之を怒(いか)り、先生を呼びて此の妄言(もうげん)を發(はつ)す。我再び此の如き者を見ずと直(たゞち)に下館に歸(かへ)れり。先生歎じて曰く、縣令(けんれい)過て此の道を以て行ふ可(べ)らざるの道と訴ふる時は斯(こゝ)に止(や)まん。又何をか論じ何をか憂へんや。豈(あに)命にあらずや。
2023.12.19
せっかく褒めてくれているのに否定する…医師・和田秀樹「心の病に陥りやすい人に共通する思考パターン」和田秀樹『病気の壁』(興陽館)ペンシルバニア大学のアーロン・ベックという精神科の教授が、「認知療法」といわれるものの見かたや考えかたを変えることでうつ病を治療する手法を開発したのですが、それを通して、ペンシルバニア大学のグループが発見したのが、この不適応思考です。今ではうつ病に限らず、パーソナリティ障害、拒食症や過食症などの摂食障害の人にも強く見られる思考パターンだといわれています。たとえば友だちからメールの返信が来なかったときに、何か怒らせるようなことを伝えてしまったのではないか? と考えてストレスをつのらせている人がいたとしましょう。この場合、一般的には心配性は生まれつきの性格のせいで、変えようのないものだと考えられがちです。けれど認知療法では、物ごとの受け止めかたのせいだと受け止めます。そのうえで、人の性格は変えられないが、物ごとの受け止めかたを変えることはできるという前提で治療を進めていくのです。ベックの弟子のフリーマンは以下の12の不適応思考を想定しました。1 二分割思考白か黒かをはっきりとわける思考のことで、二分割思考の人は「敵か味方か」「善か悪か」といった極端な判断を下します。たとえば誰かに「ここはこうしたほうがいいんじゃないの?」と指摘されたときに、この思考パターンの人は「基本的にはOKだけどここさえ直せばいいのか」というふうにダメかいいかのあいだのグレーゾーンが考えられません。「ダメってことか。だったら白紙に戻す」などといい出すタイプは二分割思考にあたります。こういう人は完璧主義者であるため自分で自分を追い詰めてしまうのです。2 過度の一般化一つの事象を見て、それが普遍化された一般的なことだととらえてしまう思考のことです。たとえば新入社員のひとりが挨拶をしなかったというだけで、「今どきの若い者は」と、若い世代の人を十把ひとからげにして決めつける人などが典型的なタイプ。こういう人は、自分が何かうまくいかないことがあれば全部ダメだと考えやすく、うつ病になりやすいのです。3 選択的抽出ある一面だけに着目して、それ以外のことを無視してしまう思考のことです。それまで順調にやってきたという過去があっても、たった一度の失敗で「もう、ダメだ、周囲の人に見限られた」などと考え、過去の成功体験には目が向かないのです。反対に、一度信じたらいい面だけを見つめて疑うことをしないため、詐欺にあったりするケースもあります。4 肯定的な側面の否定自分のいいところをことごとく否定してしまう思考のことです。たとえば容姿に自信のない女性がいたとして、人から「あなたは気遣いのできる素敵な人だ」とほめられても、容姿に対するコンプレックスにとらわれ、「自分が素敵であるはずがない」と否定してしまうというケースがあげられます。この場合、世のなかには容姿ではなく中身に魅力を感じる人もいるのだと思えないのは不適応思考です。どこまでも満たされることがなく、慢性的に鬱々(うつうつ)としてしまうのです。5 読心根拠もないのに、ちょっとした相手の言葉遣いや態度から「この人はわたしのことを嫌っている」とか、「この人はわたしのことを馬鹿にしているのだ」などと相手の気持ちを勝手に決めつけてしまう思考のことです。コミュニケーションをはかるうえで相手の気持ちを察するのは大切なことですが、自分の想像は絶対に正しいと決めつけてしまうのが読心という思考の特徴。感情的になって人間関係を損なうこともあり、そのときに相手はもうわたしのことを嫌ってしまったと決めつけるためいよいよ落ちこみが激しくなるのです。6 占い決まってもいないことに対して予測したら、それが絶対に正しいと思いこむ思考のことです。好きな人からの連絡に一喜一憂し、ちょっと連絡が途絶えただけで「フラれたんだ」と落ちこむ人などは、占いという思考パターンにハマっている可能性があります。悪い予測が現実だと思いこんでしまうため、相手から連絡があっても「好きな人ができたのでしょう?」などと執拗(しつよう)に絡んで破局にいたるなど、よけいに悪い結果を引き寄せてしまう。自分で自分の首を絞める結果に陥りやすいのです。7 破局視最悪なことを想定して、そうであるに違いないと決めつけてしまう思考のことです。たとえば、ちょっと胃が痛いというだけで、「胃がんになった、もうこれまでだ」と結論づけてふさぎこんでしまうことがあれば、破局視という思考の持ち主だといえるでしょう。パニック障害の人は「息ができない、もう死ぬ」といった破局視的思考によって、さらにパニックになってしまうのです。8 縮小視出来事のすべてを過小評価してしまう思考のことです。自分が成功を収めていても「こんなの誰でもできることだ」「とるに足らないことだ」などと思いこんでしまう。謙遜であれば心の底では自己評価が高いのですが、縮小視という思考の人は本心から自己評価が低いため、テンションが上がらず、気分が沈みがちなのが特徴です。9 情緒的理由づけ自分の感情状態が、思考の根拠になってしまう思考パターンです。たとえば気分がハイなときには、実際の株価の動きとは無関係に、上がるに違いないと思い、落ちこんでいるときには下がるに違いないと思ってしまう、それにしたがって売り買いしてしまうといったことがあげられます。また、「好きか嫌いか」という感情で物ごとを決めてしまうのも情緒的理由づけ。好きな人の意見は正しい、嫌いな人の考えは間違っていると思ってしまうのです。こういうことは意外に多くの人に見られる思考パターンですが、自分では気づきにくいものです。10 ~すべき思考たとえば「子どもは親の介護をすべきだ」「仕事が終わるまで帰宅してはいけない」と「かくあるべし」の考えに強く縛られることです。こういう人は、自分を「かくあるべし」で律するので、それがうまくいかないと落ちこみやすく、うつになりやすいのです。たとえば、「男は強くあるべきだ」と考えている人は、悩みがあっても人に相談することができず、ある日、ポッキリと心が折れてしまうこともあります。さらにいうと、こういう思考パターンの人は、人が自分の「かくあるべし」に沿わないと非常に不快に感じ、人間関係を悪くすることも多いのです。11 レッテル貼りわかりやすいレッテルをつけてイメージを固定化する思考のことです。たとえば栄転なのに、「地方に飛ばされた自分は負け組だ」などと自分にレッテルを貼るというケースでは、モチベーションがあがらず、常にドンヨリしてしまいます。また、他者に対して「あいつは無能だ」などと決めつけてしまうこともあります。その人のよい点が目に入らないことから人間関係に支障をきたしてしまうのです。12 自己関連づけ物ごとにはさまざまな要因が絡んでいるのに、自分こそが最大の、あるいは唯一の要因だととらえる思考のことです。たとえばサッカーの試合に負けたのは「すべて自分のせいだ」と自分を責める、あるいはサッカーの試合に勝ったのは「すべて自分の手柄だ」と得意になるなども典型的な自己関連づけです。12種類の思考のどれにも共通しているのは「決めつけ」と「思いこみ」。「さまざまな考えかたができる」「白と黒のあいだにさまざまなグレーを想定できる」ことを認知的複雑性が高いといいますが、不適応思考の人は認知的複雑性が低いために、どれもこれも当てはまるという人もいることでしょう。誰でも不適応思考に陥ることはあるでしょう。でも「この人はわたしのことが嫌いなのだ」ではなく、「嫌いではないのかもしれない」「たまたま反対したのだろう」と思考にゆとりがある場合は、それ以上落ちこむことが防げます。あるいはネガティブな思考が生じても、「それは考えすぎだろう」と打ち消すことができるなど、思考の調整がきくようなら不適応思考に支配されているわけではありません。また、自分の思考パターンに不適応思考に近いものがあれば、それを自覚して気をつけることで、うつ病の予防につながるとされています。
2023.12.18
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り27日「深山木」という小田原藩の鵜沢作右衛門が書いた書物がある。鵜沢作右衛門は二宮尊徳先生のよき理解者であった。「深山木」は、天保6年2月から6月(先生49歳)まで、小田原から栃木の桜町陣屋に出張し、尊徳先生の言動と仕法の成果を藩主大久保忠真候に復命したものである。「深山木」という題名は、尊徳先生の道歌「姿こそ深山がくれに苔むせど 谷うち越えて見ゆる桜木」にちなんでいる。題名からして尊徳先生の人と事業を賞嘆する趣きがあり、通常の復命の書とは違う。箇条書きで書かれている。いくつか紹介しよう。「一 当春、野州の桜町陣屋に出張し、陣屋の一同と家々や田畑の見分に行きました。物井村の百姓弥五郎と申す者が耕作しているところにさしかかったところ、金次郎がこう申しました。『この者は仕法を行う以前より、この地区一番の働きものでございます。この者の畑に蒔き付けたものは菜種であれ麦であれ、生い立ちは格別によろしく、すみずみまで手も届き、畔(あぜ)の作りも真直ぐで見事で、できばえもよろしく、年貢を納める縄や俵も格別に念入りで、人より先に納めております。前々から暮らし向きにも困ることはなく、百姓を代々続けております。』この弥五郎を始め、耕作しております者たちへは、その次第に応じて金次郎がねんごろに申し聞かせ、その働きに褒美を与え、耕作に精を出すよう励ましました。このようにして耕作の模様の見分を終わった次第です。一 私ども一同田畑の見分にまいりましたところ、東沼村の組頭喜太郎という者の畑が一反歩ございました。菜種を蒔き付けてありましたが、半分はそれなりに生育しておりましたが、半分は4分ないし5分ばかりで、花も咲かない不作でした。その時、喜太郎が案内しておりましたので、「どういうわけか」と尋ねましたところ、「この畑は私の畑ですが、去年の秋、半分ほど蒔き付けたところ、よんどころない用事ができて、半分は15日も遅れて蒔き付けました。その後、寒気がはなはだしく生育しかね、また天気がちで雨が降らず、かれこれ行き違ってこのような不作になった次第です。」と申しました。また、物井村の白銀というところの麦のできばえはよろしいなかに、三反ほどいたって不作の畑がございました。その近辺で耕作しておりました定吉という者へ金次郎が尋ねましたところ、『物井村で一二を争うほど耕作に精を出している直右衛門(なおえもん)ともうす者の畑でございます。去年の秋、はやりの病いにかかり、肥料をいれることができず、その上日遅れにもなり、近所の者が助け合って蒔き付けましたが、このとおり不作となりました。』このようにおいおい畑を見分しましたところ、金次郎がこう申しました。『このところはだれだれの畑で、この者は困窮人で向こうに見えますつぶれ家同様の屋敷同様のありさまです。自然と作柄も衰え、手薄になっております。まことに寸分もたがわず、天道の正しい道理は、春、夏、秋、冬移り変わり、片時も待ちません。一日も遅れると一日だけおくれ、10日遅れれば作柄は半分になります。20日遅れれば半分にも至りません。ものによっては無きも同様になります。村で土地の境界争いやケンカなどありましては、自然と困窮に及びます。』このように用向きで、百姓どもを陣屋に呼び出すときは、やはり同じようなことを言い聞かしておりました。「事を敬して信あり、用を節して人を愛す 民を使うに時を以てす」という論語の言葉にもあたるかと存じます。一 金次郎の朝夕の行いですが、昨年も申し上げたとおり、そ飯そ服を用い、居宅の障子は不用の紙で補修し、畳にいたるまで、見苦しいことは少しも構わず、すべて日用のことは倹約を専らにしております。また人に施すときには米や金はもちろん、衣類や夜具などにいたるまで快くつかわします。荒地の起き返しや家の普請などにも、大工・職人・人足なども村内に世話をしてやり、少なからず米などもさしつかわします。領内で普請や開発など取り掛かるときは、別に賃金をさしつかわすなど、何事にもこれ以上ないほど手厚く取り計らいます。かつ荒地の開発を行うとき、また堰や掘割、普請などに取り掛かるときは、平生の心持より格別の違いで、物入りなど構わず精力を尽くし、すでにこの春以来7軒も新規に家を建てております。そのほか、用水用の堰も正月からとりかかってすでに出来上がっております。(略)村のためになるよう、この春に多くの杉の苗を植え付け、その後もおいおい植えております。小作の者たちは、たびたび恩沢を受けて、子供のように懐くよう自然になっていき、その風がいつとなく、近隣の国や近郷に響いて、すでに細川長門守様、川副勝三郎様より依頼があり、そのほかにも依頼が来ております。」
2023.12.17
鷲山恭平著「報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳復刻版クラウドファンディング終了まで 残り27日目標額の50%到達報徳記 巻之八 【1】先生眞岡縣令某の屬吏となる野州眞岡は土地磽薄(かうはく)にして原野多く、百姓農業を怠り天明卯辰(うたつ)の凶荒後民戸(みんこ)大いに減じ田圃(でんぼ)蕪莱(ぶらい)し、離散の民毎年に甚しく、在民赤貧(せきひん)を苦しみ出生(しゆつせい)の赤子(せきし)を夭殺(えうさつ)するを以て常とするに至れり。寛政年間幕府大いに之を憐れみ玉ひ、衆に選びて竹垣某(ぼう)を以て同所の縣令(けんれい)となし、荒蕪(くわうぶ)を開き窮民を撫(ぶ)し、夭殺(えうさつ)の憂ひを除かしめ頗(すこぶ)る惠政(けいせい)行はる。縣令(けんれい)來民(らいみん)を招き戸數(こすう)を増し恩澤(おんたく)を施し、赤子(せきし)を育(いく)せしめ土地を開き悪弊(あくへい)を除くといへども、舊來(きうらい)の衰廢(すゐはい)を古(いにし)へに復することあたはず。後(のち)縣令(けんれい)轉勤(てんきん)に至(いた)りて遂(つひ)に其の成功を得ず。時に天保十四癸(みづのと)卯年(うとし)官(くわん)議(ぎ)して再び往時の惠政(けいせい)を復せんとし、新たに奥州(おうしう)小名濱(おなはま)野州東郷(ひがしがう)眞岡(まおか)三縣令(けんれい)を命じ先生を屬吏(ぞくり)となす。然れども良法開業の道を得ずして歳月を送れり。弘化(こうくわ)四丁(ひのと)未年(ひつじとし)東郷(とうがう)の令(れい)某(ぼう)建議する所あり。官是の故を以て小名濱東郷の兩(りやう)縣令(けんれい)を他に轉(てん)じ、眞岡東郷の地六萬石(まんごく)を合(がつ)して東郷の令(れい)に命じ、先生をして又之に屬吏(ぞくり)たらしむ。是(こゝ)に於(おい)て縣令(けんれい)民間撫育(ぶいく)村々(むらむら)再復の事を擧(あ)げんとして先生に計る。外(ほか)屬吏(ぞくり)古來(こらい)の成規(せいき)を取りて之に同ぜず。然れども令(れい)先生をして荒地開墾の事を行はしむ。東郷村の廢田(はいでん)若干(そこばく)、桑野川村に於(おい)て新田五町歩(ちやうぶ)を開き、邑民(いふみん)頗(すこぶ)る恩に感ず。而(しか)して此の用財(ようざい)官費の出づる所なし。皆先生自財を投じ以て此の事を成(な)せり。屬吏(ぞくり)之を見て私(ひそ)かに語りて曰く、今縣令(けんれい)二宮をして蕪田(ぶでん)を開き又新田を開かしめ、我が輩(はい)之を知らず、是(こ)の如くならば後難(こうなん)計り難し。身を退くに如(し)かざるなりと、皆共に奉仕を辭(じ)す。縣令(けんれい)愕然(がくぜん)として曰(いは)く、開田の事我が意にあらず。二宮一人の所為(しょゐ)なり。我大いに之を戒め、後(のち)此の事無からしめん。子等(しら)必勞(しんらう)すること勿(なか)れと。是(こゝ)に於て先生を官カイ(くわんかい)に招き、衆坐(しやうざ)の中に於(おい)て聲(こゑ)を励(はげま)して曰く、二宮開墾を成すもの誰(たれ)の命を以てするや。吾(われ)知らざる所なり。屬吏(ぞくり)も皆與(あづ)からず。凡(すべ)て天下の土地興廢(こうはい)共に規則あり。豈(あに)官許(くわんきょ)を得ずして開くことを得んや。今江都(かうと)に聞(ぶん)し咎(とが)めあらば、獨(ひと)り子(し)の罪而已(のみ)にあらず。然るに一己(こ)の意を以て開墾するもの何(なに)の謂(いは)れかある。具(つぶ)さに之を告げよと。先生早く其(そ)の意(い)を察し心に思(おも)へらく、此(こ)の開田は縣令(けんれい)我に命じて開かしむる也。然して今此の事を知らずとは何(なん)ぞやといはゞ、令(れい)何を以て暫時(ざんじ)も此(こ)の職にあることを得ん。我多年(たねん)心を盡(つく)すものは諸人(しょにん)の憂ひを除き永安の道を興(おこ)さんとする而已(のみ)。何ぞ令の罪を顯(あら)はさん。自ら其の罪を引(ひ)き彼をして無事ならしめん と。是(こゝ)に於(おい)て從容(しょうよう)として答へて曰く、是(こ)れ他事(たじ)あるに非ず。某(それがし)官(くわん)の事に至りては法則規矩(きく)共に未だ之を熟知することを得ず。私(ひそ)かに意(おもへ)らく、吏籍(りせき)に入りてより以來(いらい)不才にして衆臣(しゆうしん)の勤(つと)むる所を勉勵(べんれい)することあたはず。空(むな)しく歳月を送り素餐(そさん)の罪を恐るゝこと深し。積年廢田(はいでん)を擧(あ)げ下民(かみん)を撫(ぶ)し、之を安(やす)んずることを業(げふ)とせり。今目前(もくぜん)廢田(はいでん)あり貧民あり。自財をナゲウチて之を拓(ひら)き之を惠(めぐ)まば勤務の一端に當(あた)り聊(いささ)か素餐(そさん)の罪を償ふに至らんかと、下民(かみん)の願ひに應(おう)ぜしなり。前に此の事を聞(ぶん)し可否の令を待たざるは某(それがし)の罪なり。今如何(いかに)せん譴責(けんせき)あらば某(それがし)一人之を受けん而已(のみ)。素(もと)より願ふ所なり。又開田を廢(はい)して可ならば速やかに之を荒蕪(くわうぶ)に歸(き)し、溝恤(こうきょく)を穿(うが)ちたるも之を埋めん而已(のみ)。開田の力は千萬(まん)の勞(らう)ありといへども之を廢(はい)するに至りては甚だ易(やす)くして一日の勞(らう)をも費(ついや)すべからず。願くは令(れい)の意(い)に随はん而已(のみ) と。縣令(けんれい)益々(ますます)怒つて曰く、開田直ちに廢(はい)することを得(う)べからず。江都(かうと)に達して其の指揮を待たん。以後我が命ぜざることは決して手を下(くだ)すことなかれと云ふ。先生退き歎じて曰く、事(こと)斯(こゝ)に至るもの何ぞ可否を論ぜんや。道も亦(また)斯(こゝ)に止(とま)れり。令(れい)初め我に命ずるに開田新田の事を以ってす。我答えて曰く、土地の事官(くわん)古來(こらい)の定則ありと聞けり。猥(みだ)りに手を下さば後日の憂ひあらんか。夫れ之を慮れ。令曰く、我江都(かうと)に於て既に此の事を聞(ぶん)し、委任の命あり、子(し)の事を擧(あ)ぐるもの則ち予がせしむる所なり。若し異論あらば我が一身に任ぜん。憂ふることあるべからず。子(し)唯(ただ)力を盡(つく)し事を成就せよ我之を頼むなりと。是の故に已むことを得ずして數月(すうげつ)の間辛苦(しんく)を盡(つく)し自財を散じ、衆役夫(しゅうえきふ)の力を勞(らう)し許多(きよた)の開田を爲(な)せり。是(これ)上下(じやうげ)の爲(ため)にあらずや。然るに下吏(かり)の言に驚き之を諭(さと)すことあたはず、又(また)自ら任ずることあたはず、忽然(こつぜん)として昔日(せきじつ)の誓言を變(へん)じ自ら此の事を知らずとし、我一己(こ)の意(い)を以て開田せしと列坐(れつざ)の中に於て叱(しつ)す。自ら其の心を欺(あざむ)き、漠然として耻(は)づる色なし。豈(あに)是れ人情の爲(な)し得べき所ならんや。我れ元より善は人に推(お)し、他の過失は我に歸(き)するを以て本意(ほんい)とせり。若し此の如き言(げん)を以て外人(ぐわいじん)に當(あた)る時は、立處(たちどころ)に其の身の進退を失ん。此の人と共に大道を行ふことのあたはざるは此の一事(じ)を以て知るべし。然れども今我(われ)一身を退く時は、從來(じゅうらい)諸方の人民衰弊再復の道を求め、其の事未だ半(なかば)ならず。安危(あんき)の歸(き)する所只(たゞ)我一人を望めり。故に我(われ)退かば道も亦廢(はい)せん。道廢(はい)する時は幾萬(まん)の人民途(みち)を失ひ安堵(あんど)の期(き)あるべからず。我何ぞ之を棄(す)つるに忍んや。是我が道の行はれざることを以て此の輩(はい)と共に愚を守り、歳月を送る所以(ゆゑん)なりと慨然(がいぜん)として痛歎の色あり。從者皆悵然(ちやうぜん)として愁悶(しうもん)に堪(た)えず。先生の度量蒼海(さうかい)の量(はか)る可(べ)からざるが如きを感歎せり。
2023.12.17

浜松のYさんにお願いして安居院先生の顕彰碑を出版記念絵葉書の1枚に加えられる。5000円以上の「現代語 安居院義道」出版プロジェクト の支援者には、出版記念絵葉書セットをリターンする。魅力的なリターン品にするべく、12月10日に講演でプロジェクターに投影した秦野視察報告もののほか、安居院先生の書や屏風なども収録する。さらに 江戸時代末期の足柄上郡・下郡の絵図もリターン品として提供すべく調整中である。企画を考えるだけでも、楽しみ。実現できれば、学問的にも寄与するものになろうか(^^)魅力的な出版記念絵葉書となるために、本プロジェクトでなければ入手できないものになるために。
2023.12.17
長﨑・木原のWみゆう ベスト4進出!世界1位の韓国ペアを撃破【卓球 WTT女子ファイナルズ】WTT女子ファイナルズ名古屋2023<2023年12月15~17日/名古屋金城ふ頭アリーナ>16日、女子ダブルス準々決勝で長﨑美柚/木原美悠(ともに木下グループ)がチョン・ジヒ/シン・ユビン(韓国)にゲームカウント3-2で勝利し、準決勝進出を果たした。世界のトップ8ペアで争われる女子ダブルス。ダブルス世界ランク7位の「Wみゆう」こと長﨑/木原ペアが、同1位で世界卓球2023銀メダルの韓国ペアを破る金星をあげた。第1ゲームは序盤で相手に5連続ポイントを許すも、ストップレシーブを3球目で積極的に狙い打った長﨑/木原が中盤で逆転。レシーブからの展開では長﨑が得意のチキータを見せると、木原も相手の裏をかくフォアフリックで得点し、終盤の6本連取で日本ペアが先制する。第2ゲームは、3-7と離されたところから長﨑/木原のフォアドライブ連打が炸裂。怒涛の攻めで6-7とするも相手のタイムアウト直後の長いラリー戦をものにできず、6-11で落とす。第3ゲームは韓国ペアのコース取りの巧さに翻弄されて2-11で奪われるが、続く第4ゲームは再び積極的にフォアハンドを振って7-2と一気にリード。<WTT女子ファイナルズ名古屋 女子ダブルス準々決勝>長﨑美柚/木原美悠 3-2 チョン・ジヒ/シン・ユビン(韓国)11-6/6-11/2-11/11-7/11-3木原「試合前、試合中と緊張をしていて、今もおなかが痛いんですけれど、1-2でリードされている状況の中で、自分たちのプレーを取り戻せて、2人の成長を感じる試合でした」。長崎「2-2の場面がすごく好きなので『やってやるぞ!』という気持ちだけでした。追い込まれてからじゃないと動き出さないので」「あとは木原選手の爆発力にかけて『いけるな』と、自分たちを信じて戦えました」💛木原美悠の「追い込まれてから『やってやるぞ!』」が頼もしい!
2023.12.17
ウクライナが見つけた勝ち方「電子戦でドローン優勢確保」 東部激戦地でも奏功ウクライナ軍は新たに編み出したドローン(無人機)および対ドローン戦法を採用した兆候がある。ウクライナ側のドローンを飛べなくするためにロシア側が用いている電波妨害(ジャミング)装置を破壊するとともに、ロシア側のドローンを飛べなくするためにウクライナ側の電波妨害装置を設置するという方策だ。軍事アナリストのドナルド・ヒル「ウクライナ側はこの戦域でも電子戦で優位に立ちつつあるようだ」「ウクライナ側のドローン攻撃の回数は増えている。それも大幅に。一方、ロシア側のドローン攻撃の回数は大幅に減っている」アウジーイウカでロシア軍は空からの攻撃に重点を移し、爆薬を詰め込んだFPV(1人称視点)ドローン、一部は夜間飛行に対応したものを送り込むようになっている。ウクライナ側の補給線をつぶし、守備隊を孤立化させて撤退に追い込む狙いだウクライナ側はこれらロシア側のドローンを飛べないようにして攻撃を未然に防ぎつつ、ロシア側がウクライナ側のドローンを飛べないようにするのも阻んでいる。これは、ウクライナ軍の補給線が引き続き確保される可能性がある一方、ロシア軍の補給線は支障をきたしかねないということだ。「ウクライナがこの優位をどのくらいの間保てるかはわからないが、現在はそれによってウクライナ人の命が救われている」ウクライナは、従来ロシア軍が得意としてきた電子戦を優先させることを決めた。ウクライナ軍のヴァレリー・ザルジニー総司令官(大将)はウクライナ軍が最も緊急に必要としているものとして、指揮、対地雷、対砲兵、防空の各システムと並んで電子戦システムを挙げている。ウクライナのミハイロ・フェドロウ副首相兼デジタル移行相も「あらゆる装備を電子戦によって保護していかなくはならない」と10月に表明している。「わが軍の兵士がいるすべての塹壕、すべての地点を、敵のドローンの飛行に使われている周波数帯を解析する電子戦によって保護していく必要がある。これは非常に大きな組織的な取り組みであり、現代技術戦の新たなドクトリンでもある」ウクライナ軍が使用している電波妨害装置の多くは米国から供与されており、直近では9月に提供された6億ドル(約850億円)の支援パッケージに含まれていた。だが、米国からの支援はいまや風前の灯火だ。ジョー・バイデン米大統領は新たな対ウクライナ支援を提案しているが、米議会の共和党員らは難民が米国で保護を申請する権利の実質的な廃止を条件にし、成立のめどは立っていない。ウクライナ、軍事物資の共同生産で多くの契約 欧米依存脱却へ- ウクライナが軍事物資の欧米依存から脱却し、国内生産を強化する取り組みを進める中、ウメロフ国防相は15日、共同生産や技術交換に関する企業間の新規契約が数十件あると明らかにした。ウクライナにとって軍事物資の国内生産の拡大が急務になっている。ウメロフ国防相は、ウクライナが9月に主催した国際防衛産業フォーラムに250社を超える西側の軍事企業が参加したことや、12月に米ワシントンで開催されたウクライナと米国の合同防衛会議に言及。「われわれは米国と共同生産と技術データの共有に関する覚書に署名した」と述べた。
2023.12.17

12月17日(日)掛川の大日本報徳社大講堂で「安居院義道と農書」について講演します。以下はその概要です。クラウドファンディングはまだ目標額の50%に到達していません。多くご支援いただければ多くの大学・公共図書館に寄贈できます。ご支援いただけいて多くの図書館に出版した本を寄贈できるようになることを願います。鷲山恭平『安居院義道』現代語復刻版 安居院庄七と農書について 今回、原書に収録する「報徳作大益細伝記」と「万作徳用鏡」の農書については、原文と現代語訳を対比させました。 安居院庄七の功績の一つに関西地方の進んだ農業技術を広めたことがあげられています。 いったい安居院庄七はどこからその農業技術の知識を入手し学んだのでしょうか。 ヒントとなるのは本書に収録の庄七が逝去した時の所持品の「書物の部」(本書 頁)と庄七自身が著した農書で見ることができます。「書物の部」のうち『耕作大益伝』の著者は中山忠道で、天保十年発行、「農業問答書」は不明です。 庄七著の『報徳作大益細伝記』と『極難続安楽鑑』の写本が報本社(解散)に残されています。『報徳作大益細伝記』は「報本社本」と本書に収録した分に相違があります。「報本社本」を底本として足立洋一郎氏が翻刻(ほんこく)・現代語訳したものが、「日本農書全集」第63巻に収載されています。報本社本には「私が、上方の山城・大和・河内の作り方から気づき、いろいろ考え、その方法で駿河・遠江・相模・伊勢・近江などで耕作させたところ、だんだんと収量が増えている」とあります。 また本書資料編で「万作徳用鏡」を原文+現代語訳で紹介しました。原本の「農業余話」(以下「余話」)と対比すると、庄七が「余話」の内容を自分の言葉で端的に説明していることが分ります。同時に「余話」にない箇所に、庄七自身の生の声を聴くことができます。「試し試みてその印が現れたならば二人に教え、二人より一村に教え、一村より郡国へ伝え、諸国用いれば国益の第一と知るべし」ここには、農業の収穫を増やす技術を広めたいという念願が記されていますが、それはまた報徳の教えを広めたいという念願にも通じます。また最後を「作物の数が多くても、これを類推して推し考えるならば、同じ道理である。その理を極めたい事である。理にかなうことを心がけるべきである」と結んでいます。ここに現代の科学精神に繋がる合理的思考及び「実験と検証」の精神が息づいています。 鷲山恭平『安居院義道』現代語復刻版の意義 安居院庄七が桜町陣屋から故郷に帰ったのが五四歳、庄七が神谷與平治に報徳仕法を説いた時が五九歳、庄七は現代でいえば定年退職後決心し報徳伝道に旅立ったのです。 庄七は二宮尊徳の直弟子ではなく、基本的に書籍で学び、自分で考え、実践し検証して報徳の教えを自分のものとしていきました。 このことはまた現代における私たちが、報徳を学び、実践する上で、非常に参考になる模範であるように思います。
2023.12.16

「米国に声を届けよう」ガザ平和を求めるデモに大勢の市民が足を運ぶ ノルウェー12月16日、土曜日の日中にノルウェー全国各地でガザでの平和と停戦を求めるデモが開催された。100以上の政党や団体が名前を連ね、首都オスロでは国会前に約1万30000人が集まったと警察は推定している(オスロの人口は71万人)。デモで求められたことは3つ。ガザでの子どもたちや市民の殺害を止めること、国際法を守ること、民間人の人質や恣意的な拘束を解くこと。ノルウェーでは特に「子どもが殺害されていること」に憤りを覚えている市民が多い。デモの現場では「子どもを生かして」「ボイコット・イスラエル」「米国は恥を知れ」「パレスチナに自由を」と叫ぶ人が多かった。このデモはノルウェー各地の20か所で同時開催された。
2023.12.16

抗老化作用をもつ身近な「2つの食品」東大特任教授が教える“健康寿命”をのばす食べ物とは?12/12(火) ・老化細胞を体内に注入した老化促進マウスにケルセチンを含む合剤を投与すると歩行速度、筋力が有意に改善されました。同様に20カ月齢のマウス(マウスの寿命は2年余程度ですので高齢マウスです)に4週間、ケルセチンを含む合剤を経口投与したところ歩行速度の上昇、筋力の増加が認められました。 歩行速度の上昇、筋力の増加は骨格筋機能維持による自立活動時期の延長、つまり健康寿命延伸に結びつきます。・ケルセチンはフラボノイド、ポリフェノールの一種で、主にタマネギなどの野菜に多く含まれている成分です。血流を改善する効果や動脈硬化を予防する効果などで知られています。・特にタマネギの皮には多くのケルセチンが含まれています。ケルセチンにルチノースという糖が結合したものは、そばなどに多く含まれるルチンとなります。・ケルセチンは、ビタミンPというビタミン様物質のひとつであり、主にビタミンCの働きを助ける成分だといわれています。血管をしなやかにするほか、活性酸素によるダメージを防ぐ抗酸化作用があります。その他、ケルセチンには抗炎症作用があるといわれています。・日本初※世界が注目するセノリティクス(老化細胞除去)成分、ケルセチンを高配合した花粉症対策の機能性表示食品の届出完了。2022年6月から販売開始ケルセチンは、玉ねぎの皮に多く含まれますが、そのままではほとんど体内に吸収されないことが問題点でしたが、「高吸収型ケルセチン(インデナ社ケルセフィット®)」は、エンジュ(槐または延寿:マメ科の樹木)の花由来のケルセチンをインデナ社独自の「フィトソーム」化技術によって、吸収率を20倍に増加させることに成功したため、臨床試験でも優秀な成績を収めることができました。
2023.12.16
「安居院義道」現代語復刻版のクラウドファンディング あと28日で終了します。https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show第10回報徳講座で「安居院義道と農書」について講演しますが、本会伝統の対話方式で「石田村仕法」を3人で演じます!お楽しみに!鈴木藤三郎の曽孫の方と当日の朝、駅で待ち合わせることになったので、安居院先生の「石田村仕法」を本会の伝統「対話方式」で演じますが、安居院先生の役を演じてもらえますか?と聴くと「ぜひに」と快諾いただいた。そこで安居院先生のセリフを増やすことにし、急遽シナリオに以下の部分を追加した。安居院先生はいったいどんなことを説かれたのでしょうか?安居院先生が門弟・荒木由蔵に伝えるところを、〇〇さんに読んでいただきます。(〇〇)二宮大先生が出生され、報徳の教えを立てられた。私たちがその理をうかがうに、まずその身を知らないで難渋困窮するために、家内が和合(わごう)しないで止むことが無い時は、種々の迷いとなる。親は慈悲の心がなく、子は孝行の心がなく、兄は愛の心がなく、弟は敬の心がなく、いずれも真(まこと)がない泥海である。まず家を治めるのは、主人の心一つである。富貴であれば富貴のところが天命である。この富貴に随って譲り施すのが主人の道である。困窮であれば困窮のところが天命である。この困窮に随って勤めるのが主人の心一つである。困窮の道を行えば、困窮の憂いを免れる。もし免れ難いときは、財宝衣類諸道具まで売払い、この財宝をもって他を恵むよりほかにない。もともと蒔いておいた種の実りであるから、今改めるのに遠慮する事はない。元を知るということは、一に帰るということである。この一をもって勤めるときは、少しもけがれることがなく、また元のように富貴にいたる。これを道という。二宮先生は 梅の木は根も梅なれば種も梅 枝も葉も梅花も実も梅 と詠じられた。この歌を考えてみると、天地神明の大恩を知らず、その昔から万物の霊である人間である。天地に何ひとつ恩を返さないでいられようか。私たちにまで恩沢を下される有難さは言葉では述べ難い。これを知らないで私欲・身勝手の人情で天道の正理をあだに暮らし、始終助かっている大恩を思わず、種々の悪行がわざわいを招いてしまう。その罪を復さず、なおまた自分の不運と名付け、どれほど厚い神明の匙(さじ)加減を下されても、一心にもとづく事とは夢にも知らない。自分勝手の悪行だけで千里をひびかして、我意を張って罪に罪を重ね、足ることを思わないようになり、家の中は蜂の巣のようで、中に実はないのに隠しとげようと望んで、田を質入し高利の借金をして世渡りし、なおまた嘘に嘘をいって、借りた元金を返済しようとは少しも思わない。うわべは利口に言い並べても、天命はこれを隠すことはできない。富貴貧賤、善悪邪正ともみんな自分の心の行うところである。天命に基いて自由自在の平等を心がけ、清く正浄潔白の道を渡る時には、人として愚かであっても、神明の憐みを蒙ることは疑いない。この故に子孫長久、富貴繁盛し、悪事が来ることなく、行うところ大小と限らず成就しないことがない」という誠に有難い言葉でした。
2023.12.16
EU、ウクライナ加盟交渉開始で合意 ハンガリーは採決から退席12/15(金) 欧州連合(EU)は14日開催した首脳会議で、ウクライナの加盟交渉を開始することで合意した。ただ、交渉には数年かかる可能性が高い。ウクライナのゼレンスキー大統領は、「これはウクライナの勝利であり、全欧州にとっての勝利だ。やる気を起こさせ、鼓舞し、強化する勝利だ」と歓迎。「歴史は自由のためにたゆまず戦う人々によって作られる」と述べた。ウクライナの加盟交渉を巡っては、従来からハンガリーのオルバン首相が反対を表明していた。EUの外交官や当局者らによると、承認を目指し、ドイツのショルツ首相がオルバン首相の退席を提案。オルバン首相は、他のEU加盟国首脳らがウクライナの加盟交渉開始を巡る採決を進めることを承知した上で、議場から退出することに同意した。オルバン首相はフェイスブックへの投稿で「間違った決定」に参加したくないとして、採決に加わらなかったことを明らかにした。「ハンガリーの立場は明らかだ。ウクライナにはわれわれがEU加盟を巡る交渉を開始する用意はできていない」とし、交渉開始の決定は「非合理的」かつ「不適切」という認識を示した。その上で「加盟26カ国がこの決定を下すべきだと強く主張したため、ハンガリーは26カ国がそう決めたのであればそれぞれの道を歩むべきだと決断した」と述べた。アイルランドのバラッカー首相は記者団に対し「オルバン首相は自らの見解を非常に強く主張した。この決定に同意せず、意見も変えていないが、基本的に拒否権を行使しないことを決めた」と語った。EUの執行機関である欧州委員会のフォンデアライエン委員長は「戦略的な決断で、EU合の歴史に刻まれる日」と歓迎した。 また、EUのミシェル大統領は、ウクライナに加え、モルドバとの交渉を開始する方針でも合意したと明らかにした。
2023.12.15
12月17日(日)掛川の大日本報徳社大講堂で「第10回報徳講座」を開催します。節目となる10年目の記念の報徳講座です。「第10回記念報徳講座」日時:2023年12月17日(日)9時30分~12時30分会場:静岡県掛川市 大日本報徳社大講堂主催:遠州アカデミー(静岡県袋井市)《 次 第 》1.主催挨拶 遠州アカデミー代表 戸田 孝2.儀礼 報徳訓斉唱 大日本報徳社理事 東宮 照男 様 3.講演(1) 「報徳で現代を考える」 大日本報徳社社長 鷲山 恭彦 様4.講演(2) 「報徳・安居院庄七の教えに学ぶ相互扶助」について神奈川県秦野市農業共同組合 代表理事組合長 宮永 均 様〈 休 憩 〉5.活動事例 「徳を積む事例」 大日本報徳社事務局長 綱取 清貴 様6.講演(3) 「安居院庄七と農書―農業余話と万人徳用鏡―」二宮尊徳の会 地福 進一 様7.お知らせ ① クラウドファンティング支援依頼「現代版 安居院義道」 https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show ② 来年度(2024年)の遠州アカデミーの活動について東北大学名誉教授大藤先生からエールをいただきました。「安居院庄七は様々な観点から研究が進められるべき人物ですので、彼を取り上げられた報徳講座はよい企画だと思います。『現代語 安居院庄七』の御刊行を心待ちにしています。」『現代語 安居院義道』のクラウドファンディング終了まであと29日です。引き続きの御支援とシェアをお願いします。
2023.12.15

「頑張って逃げてよかった」春香クリスティーンさん スイスでいじめ体験「いまの環境がすべてではない」Q 春香さんは、お父様が日本人でお母様がスイス人ということですね。スイスの生まれで、小中高はスイスでお過ごしになったんですか。春香:そうですね、高校2年生の途中といいますか、1学期のあたりまで、スイスのチューリッヒに住んでいました。Q テレビで見る限りはとっても明るい印象があるんですけれども、幼い頃につらい経験をされたということなんですね。春香:そうですね。いまでこそ明るいという印象を持っていただけるみたいなんですけど、本当に極度の人見知りで、思うことがあっても人にいえない、相手にそれを伝えることができなくて自分で飲み込んでしまうようなタイプでしたね。逃げ場があるってのは大事だなと思います。逃げることは決して悪いことではないということだと、強く思います。Q 例えば中学に入ったり、高校に入ったりとか、そういった変化によって何か変わったりしたことはありますか?春香:やっぱり変わりました、大きく。小学校にいたときは、もう目の前のことが辛かったので、もはやこの環境を抜け出すっていうことしか考えてなかったんですけども、いざ環境が変わってみれば、人からの見られ方も変わりますし、自分の気持ちも変わりますし、こんなにも人間って変われるんだって、あのときの自分がすべてじゃないんだなっていうふうに思いました。春香:やっぱり変わりました、大きく。小学校にいたときは、もう目の前のことが辛かったので、もはやこの環境を抜け出すっていうことしか考えてなかったんですけども、いざ環境が変わってみれば、人からの見られ方も変わりますし、自分の気持ちも変わりますし、こんなにも人間って変われるんだって、あのときの自分がすべてじゃないんだなっていうふうに思いました。Q いま振り返ってみると、あのときの自分に何か伝えたいことや助言とかありますか?春香:そうですね。逃げていいんだよっていう、そのひと言ですかね。いまの環境がすべてじゃないよっていうのはいってあげたいですね。逃げることは恥ずかしいことでもないし、逃げることによって、何か自分は弱いわけでもないよっていう、そうやって自分を守っているんだよって。だから、大丈夫だよっていってあげたいですね。世界中どこかに必ず味方がいるんですけど、それもなかなか気づけないので、本当に何か聞いてくれる人がいるっていうことに気づくことが、一番だと思います。Q いま悩んでいる小中高生たちに向けて何かメッセージがあれば、聞かせてください。春香:味方は必ずいるっていうこと。それから、いま置かれてる環境がすべてじゃないっていうことですね。なので、もう逃げることは恥ずかしくないので、自分が過ごしやすいと思う環境や場所を見つけてほしいなって。それが将来的に自分にとって、その楽しいとか、ほっとするっていうものにつながれば、私にとっては日本だったんですけど、日本に来たことによって、何か開花して夢が叶ったりするっていうこともあると思うので、その逃げ道が逆に将来か何か近道につながることもあるので、悲観的にならないで欲しいなと思います。
2023.12.15

「現代語 安居院義道」出版のクラウドファンディングに46人目の支援者が出現した。目標金額の49%。クラファン終了まで あと29日です。k.m.様「「現代語訳 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』」を出版します」プロジェクトをご支援いただき、心から感謝します。12月10日(日)大日本報徳社常会で「秦野と安居院庄七」のテーマで講演してまいりました。東京大学の戸石准教授の『安居院庄七の報徳活動と参詣講』の論稿を紹介し、安居院庄七の前半生での大山御師の経歴が駿河・遠江での報徳社創立と維持に重要であるということを説明しました。戸石先生には短評をいただいていて、大学図書館への寄贈文に活用させていただきます。12月17日(日)には会場が大日本報徳社大講堂で「第10回報徳講座」を開催します。節目となる10年目の記念の報徳講座です。東北大学名誉教授の大藤修先生から温かいメッセージをいただきました。「安居院庄七は様々な観点から研究が進められるべき人物ですので、彼を取り上げられた報徳講座はよい企画だと思います。『現代語 安居院庄七』の御刊行を心待ちにしています。」プロジェクトの進捗や状況については、プロジェクトページの「活動報告」にて投稿していきます。目標金額達成のためプロジェクトのシェア等、支援者様のさらなるご協力をしていただけますと幸いです。こちらのリンクをシェアいただければと思います。https://camp-fire.jp/projects/view/710516
2023.12.15

ブルーベリーを毎日食べ続けた結果ブルーベリーには抗酸化物質が豊富に含まれているため、あらゆる疾患の予防や老化防止、美肌にも効果的と言われています。①目が良くなるブルーベリーの代表的な栄養素の1つであるアントシアニンは、眼精疲労や疲れ目の改善に効果がある成分です。目の網膜には光の情報をとりこむロドプシンというタンパク質が存在します。アントシアニンは即効性があり、4時間程度でロドプシンに作用して視力を回復させたり筋肉をほぐす効能を発揮します。②美肌・美容効果ブルーベリーにはビタミン類が豊富に含まれており、その中でもビタミンCは紫外線によるダメージから肌を守り、老化スピードを緩める効果があります。また、眼精疲労に効果的なアントシアニンはコラーゲン生成を促進する効能を持っているため、毎日食べ続けることで高い美容効果を得ることができます。③糖尿病のリスクを減らすアントシアニンは眼精疲労や美容効果だけではなく、インスリンの感受性や糖代謝にも関与していると言われています。25年に及ぶ大規模研究では、ブルーベリーを3週間食べ続けることで糖尿病発症のリスクが7%減少したという結果が確認されています。糖尿病予防のためにも継続して摂取することがおすすめです。④ダイエット・痩せる効果があるブルーベリーには食物繊維が豊富に含まれているため、少量の摂取でも腹持ちがよく食べ過ぎの防止にも役立ちます。皮に多く含まれているアントシアニンには内臓脂肪の蓄積防止と脂肪を燃焼する働きが確認されており、継続的に摂取することでダイエット効果が得られます。⑤免疫力を高めるブルーベリーに豊富に含まれているビタミンCやカリウム、食物繊維はいずれも免疫力を高めるために有効な栄養素です。ビタミンCは白血球の働きを高める効能を持っているため、積極的な摂取は免疫力の向上に役立ちます。カリウムは体内の塩分濃度の調整やエネルギー代謝と深く関わっており、不足すると食欲不信や不整脈を引き起こすなど、人体には欠かせない栄養素です。また、食物繊維は腸内の善玉菌を増やして腸内環境を整え、免疫細胞を活性化させる働きをもっています。これらの栄養素をブルーベリーから効率的に摂取することで、免疫力を高めることができます。ブルーベリーの栄養効果をより高めるための食べ方は以下の通りです。・複数に分ける・冷凍する・ヨーグルトと食べる・他の野菜や果物と一緒に摂取するブルーベリーに含まれるアントシアニンやビタミンCの効果は、摂取後3〜4時間しか持続しません。栄養をより効果的に得るためには、摂取タイミングを複数回に分けるようにしましょう。また、これらの栄養素は冷凍することにより栄養が増すため、冷凍してから食べることもおすすめです。ブルーベリーは栄養が豊富な野菜や果物、ヨーグルトなどと食べ合わせることで相乗効果が得られ、より効率的に抗酸化物質を摂取することができます。スムージーやサラダに入れたり、ヨーグルトに混ぜて食べたりして様々なアレンジを加えながら、健康な食事を楽しんでみてください。💛一時期、パンにブルーベリーを食べていたが、糖質制限食を導入して、パンをやめ、ブルーベリーも摂取をやめたら、見えづらくなり、最近、朝と昼にヨーグルトと一緒に食べている。そのことを職場で話すと「ブルーベリーは生で食べるの?」「最近の時期はチリ産のが出回っているので生のブルーベリーをヨーグルトにいれて食べています」と答えた。
2023.12.15
夕方、松田のKさんと電話で話した。Kさんが以前、寄稿された文章に載せられた「相州御領分絵図」を「現代語 安居院義道」出版クラウドファンディングの5千円以上支援者へのリターン品として提供する「出版記念絵葉書」に採用させていただけないかとの相談である。嘉永4(1851)年の「相州御領分絵図」の「御領分」とは。小田原藩領のこと。作者は鵜沢作右衛門の子息である。Kさんは、矢倉沢往還も研究されていて、電話で安居院庄七の生家神成家の大山講はこの矢倉沢往還(秦野⇔松田⇔小山⇔御殿場⇔沼津)沿いにあり、庄七が亡くなったときに持参していた藤曲村仕法書や御殿場村仕法書の仕法実施の村村とも重なる地域である、という話題で盛り上がった。研究者同士のツーカー的なやりとりは楽しい。「相州語領分絵図」の提供については快諾いただいた。大日本報徳社提供の安居院義道書 と 屏風書 などの提供も含め「現代語 安居院義道」出版記念絵葉書(5千円以上支援者)というリターン品は存外、貴重な資料となる予感(^^)
2023.12.14
「現代語 安居院義道」出版のクラウドファンディング終了まで あと30日12月10日(日)大日本報徳社常会で「秦野と安居院庄七」講演しました。その概要をご紹介します。本社・掛川報徳館十二月常会報告秦野と安居院庄七 「現代語 安居院義道」出版と秦野視察 昭和二十八年に鷲山恭平氏出版の報徳開拓者 安居院義道」の現代語訳の出版の企画に携わっていて、その一環として令和五年九月二十七日に秦野視察を実施致しました。 秦野視察のコースは、1. 庄七の生家・神成家(旧朝田家)の墓域2. 現在の神成家のお宅3. 庄七が一村仕法を行っていた横曽根村の地域4. 庄七の婿入先の旧磯屋跡5. 庄七の墓のある妙相寺 安居院義道(庄七)の秦野での経歴 一七八九年相模国蓑毛村(秦野市)の蓑毛御師朝田家(後に神成家)の二男に生まれ、長じて曽屋村の穀物商・磯屋を営む安居院家に婿入りします。妻をヒサといい、前夫との間に少なくとも四人の子がいることから、庄七は中年になって婿入りし、それまでは父や兄と檀家廻りしていたと推測されています。 二宮先生に聴いた「元値商」を実践 庄七は天保十三年に桜町陣屋に二宮先生を訪ねます。桜町陣屋日記天保十三年七月二日に「相州十日市場磯屋庄七と申す者田蔵相頼り罷越候」とあります。二宮先生は幕臣登用を控えて面会できず、庄七は下働きを許され、門人達への説話を立聞きします。 「福山先生小伝」に「二宮先生は五、六十人の門人に報徳仕法を説明された。庄七は感服して聞いた。なかんずく『元値商いの法の如きよく了解する者はこれを行え』の話に大いに感じ、仕法組立も勉強し、二十日余りで郷里の秦野に帰った」とあります。庄七は自家で米の元値商を始め、商法は売って喜び、買って喜ぶ、双方共に喜ぶのが極意だと大悟します。この報徳の教えを世に広めようと伝道に出ます。 庄七の御師としての前半生の重要性 東京大学の戸石七生准教授は「安居院庄七と参詣講」の論文で「遠州の地域有力者のネットワークと庄七の参詣講の運動の双方が上手くかみあった結果、遠州の報徳運動は盛んになった」「庄七の報徳仕法普及運動も大山講を組織するノウハウが報徳社設立に応用された」「報徳仕法普及は檀家廻りのノウハウに負う所が大きい」と論述されています。 「横曽根村仮趣法帳」発掘の意義「大日本報徳第四四号」に「相州大住郡北秦横曽根村仮趣法」に秦野の蓑毛近くの横曽根村(後に小蓑毛村)の村役人庄兵衛が庄七から聞き取った話が記録されています。そこに「二宮先生様の大名を承り善道の大意を蒙りたき義八ヶ年以前より心懸け」とあります。 庄七は桜町陣屋に無利息金を借りに行き、そこで初めて報徳を知ったとされてきました。同時代人の記録によればその八年前から二宮先生の大名を聞き及び、報徳の大意を聞きたいと念願していたのです。八年前というと天保五年です。庄七はどこで大名を聞いたのでしょう?私の推測ですが、神成家の檀家一覧(『開導記』)を相模国足柄上郡・下郡と駿河国駿東郡の村名地図と重ね合せると場所が浮かび上がります。金次郎の故郷栢山村に神成家の大山講があり、小田原仕法実施の村々の近くにも大山講があります。富田高慶は「安居は旧大山御師ナリト云。曾比・竹松ノ両村ノ御趣法御施行ノ頃、故先生村民一同エ御教誡被為在ルゝ所を障ノ外ニテ立聞シタル人物ニシテ、御趣法ハ其頃、筆記に被頼タルヲ幸ヒ写シ置、其御趣法ニ感シ駿遠地方に説諭シ廻ラレタル也」と「報徳史料 富田高慶先生との対話」(『富田高慶 報徳秘録』p.334)で言及しています。 また「横曽根村仕法」の経緯を熟読すると秦野は遠州報徳社の原点である事も分ります。 庄七逝去時持参の書物と結語 安居院庄七は七十五歳で遠江国長上郡小松村で逝去されました。報徳に骨の髄まで尽した尊い生涯でした。逝去時の書物に「西大井村・藤曲村仕法書」「御殿場村仕法書」があります。先生はこれら仕法書を大切に持参されたのです。 安居院先生の御師としての前半生の重要性と桜町陣屋に行く八年前から二宮先生に傾倒していた事実をご紹介しました。
2023.12.14

【40歳を過ぎると発症率が上がる】大腸ポリープができやすい人の特徴を医師が解説大腸ポリープは、大腸の腸管粘膜の一部がイボ状に膨れあがり、大腸壁の内腔(内側)に突出した病変を指します。主に、40歳以降の中年層や高齢者に多く認められる疾患であり、全大腸の中でも特に高頻度で認められる発生部位としては、直腸やS状結腸であると考えられており、ポリープのサイズは数mmから数cmまで多種多様で個々のケースによって所見は異なります。一般的には、大腸ポリープは無症状であることが多く、特にポリープの直径サイズが小さい症例では、自覚症状が認められないことも往々にしてあります。サイズの大きなポリープ性病変が肛門近くに発生するケースでは、ポリープそのものが便の通り道を妨げて塞いでしまうことで腸閉塞を引き起こすリスクがあります。また、ポリープ病変が肛門外に突出することも考えられますし、肛門や直腸部にポリープ病変が成されている際には、血液成分が混入した便(血便)が排泄されるなどの有意症状を認める場合もあります。大腸ポリープの中でも、腫瘍性ポリープと呼ばれるタイプには、「腺腫性ポリープ」と「悪性腫瘍」が挙げられます。腺腫性ポリープは、大腸ポリープ全体の約8割程度の罹患率を有すると考えられており、腫瘍径が大きくなればなるほど悪性化する危険性が上昇します。悪性腫瘍は、いわゆる大腸がんのことを指しており、すべての大腸がんにおいて腺腫性ポリープが悪性化することで発症することもあれば、正常粘膜から直接的にポリープを経ずに発生するがん腫瘍も存在します。大腸ポリープが発生する背景には、年齢要素だけではありません。普段の食生活などを始めとする生活習慣が大きく大腸ポリープの発症率に関連していると指摘されており、通常では肉類など動物性脂肪を多く摂取する、あるいは食物繊維の摂取が乏しい食生活の欧米化に伴って本疾患が発症しやすいと考えられています。また大腸ポリープ発症に関する危険要素としては、日常的な食習慣以外に過剰な飲酒、長期の喫煙習慣、肥満体形、遺伝的要因なども知られています。大腸ポリープは、遺伝的な要素が大きな原因としてあげられるため、家族や血縁者に発症者がいる場合は注意が必要です。特に、遺伝性大腸がん・家族性大腸腺腫症・リンチ症候群などは遺伝が大きく関わってくるので、これらの疾患が疑われる場合には消化器内科など専門医療機関を受診して、早期の検査を受けることが重要です。💛お世話になったYさんは、大腸ポリープができやすい体質らしく、よく大腸ポリープ摘出手術を受けられていた。「日々の高カロリー食などの食生活・過度な飲酒・喫煙など生活習慣も大きく関わっており、肥満なども原因のひとつとなりがち」「肉類など動物性脂肪を多く摂取する、あるいは食物繊維の摂取が乏しい食生活の欧米化に伴って本疾患が発症しやすい」「大腸ポリープの発症は40歳過ぎから多くなり高齢になるほど発症しやすくなります。大腸ポリープという病気は、わが国ではこの20年間で増加の一途をたどっており、おおむね40歳代ごろから罹患率が増加し始めて、年齢が上がるにつれて発症しやすくなる疾患と考えられています。」基本、植物繊維の摂取は心掛けていて、職場に持っていく弁当の半分は千切りキャベツで、最近は「GABA」キャベツ(GABA含有量6.2mg/p*)が多く、糖質制限食を医師に勧められてからは豆腐や「子大豆モヤシ」をご飯代りに食べることも多くなった。*GABA ってなに?英語名の γ(gamma)-aminobutyric acid の頭文字をとった略称 GABA(ギャバ)は、アミノ酸のひとつで、主に抑制性の神経伝達物質として機能している物質脊椎動物の中枢神経系では、主に海馬、小脳、脊髄などに存在し、また節足動物・甲殻類でも神経伝達物質として用いられている●GABAの代表的な働きGABAの代表的な働きはリラックス効果。GABAは神経の高ぶりを抑える働きを持ち、ストレスや運動時に高まる興奮状態を抑えます。興奮状態では脳内のアドレナリンが活発に分泌されますが、GABAはアドレナリンの分泌を抑制します。GABAを多く摂ることで興奮状態を抑え、体が休まりやすい「リラックス状態」へと導きます。GABAはアドレナリンの分泌を抑えることで血圧を正常にし、酸素の供給を助ける働きもあります。この血圧降下作用により、GABAは特定保健用食品(トクホ)に認定されています。*大豆を発芽させた“大豆もやし”には、GABAをはじめとして大豆イソフラボンや食物繊維、ミネラルなどさまざまな栄養素が含まれている一般的なもやしである緑豆もやしの2~3倍もの豊富な栄養素が含まれている100グラムの子大豆もやし(生)には、タンパク質が4.4グラムと食物繊維が2.6グラム、ビタミンB1が0.1ミリグラム、葉酸が78マイクログラム、カリウムが194ミリグラム、カルシウム35ミリグラム、大豆イソフラボンは28と、栄養豊富です。 大豆もやしの3つの注目パワー① 大豆イソフラボン 大豆を発芽させた“大豆もやし”には、「大豆イソフラボン」も含まれている。大豆イソフラボンは肌の調子を整える「美肌ホルモン」のエストロゲンの働きをサポートし、潤いのある肌へと導いてくれる。②GABA “大豆もやし”には睡眠の質を高めるGABAも含まれている。GABAは、消化管から体内に吸収され、交換神経末端からでる血管収縮作用伝達物質のノルアドレナリンの分泌を抑制する。 ノルアドレナリンは細動脈を収縮させる作用が期待できで、この分泌を抑制することによって、交感神経の働きを抑え、副交感神経を優位に導いてくれる。これによって、安眠効果が期待できる。またストレスを和らげる効果もあり、心と体のリラックスを促す作用も期待できる。③ アスパラギン酸 “大豆もやし”に含まれるアスパラギン酸は、疲労回復効果が期待できる。アスパラギン酸はクエン酸回路を活性化させ、疲労の素となる乳酸の分解を促進するという研究結果がある。乳酸は筋肉疲労の原因。“大豆もやし”に含まれるアスパラギン酸の量は、にんにくの2倍以上(日本食品標準成分表2015年版より)。GABAは正常血圧には影響せず、高血圧に対してのみ血圧降下作用を発揮する。人間においても臨床試験で血圧を降下させる作用が明らかになっている。
2023.12.14
『ブギウギ』草彅剛が語った“お気に入りのシーン”「8行くらいの台詞がオールカット。マジだよ、これ(笑)」 草彅に、『ブギウギ』の“お気に入りのシーン”について尋ねたところ、「あ! すごくカットしてるところがあるんですよ。僕がやり過ぎたんだろうね(笑)」 そのシーンとは、梅丸楽劇団のライバルである日宝からヘッドハンティングを受けたスズ子に、善一が大反対する場面(第32話)。実際のオンエアでは、慌てた善一が「今、福来くんにいなくなられたら絶対に困ります!断ってください!福来くんを離さないよ!絶対に僕は!」と興奮気味に説得していたが、「ホントはその後、関西弁を喋ってたんだけど、8行くらいの台詞がオールカット。マジだよ、これ(笑)。僕が急に関西弁を喋り始めて、人格が崩れちゃう感じになるんですよ。『せやから、そんなところ行ったらあかんで』とか言って。でも、そのまま流すと作品がとっ散らかるし、監督が上手く見切りをつけて最初の部分だけ残したのかな」
2023.12.13

中国艦船、「音響兵器」で比側を妨害 米比軍首脳が対応協議 米軍制服組トップのブラウン統合参謀本部議長は11日、フィリピン軍制服組トップのブラウナー参謀総長と電話で協議し、南シナ海のアユンギン礁(英語名セカンドトーマス礁)やスカボロー礁(中国名・黄岩島)周辺で、中国艦船がフィリピン公船や漁船を妨害している問題への対応を話し合った。米国務省によると、中国艦船は音波で脳などにダメージを与える「音響兵器」も使って、比船を妨害しているという。*音響兵器(おんきょうへいき、英: sonic weapon)は、音波を投射することにより、人の行動能力・判断能力を奪うことや聴覚器官や脳にダメージを与えたり、物体を破壊することを目的とする兵器である。人が大音圧に曝された場合(特に130 dB SPL以上では瞬間的であっても)、2008年時点の医学では治療困難な音響性外傷や感音性難聴などの障害が残る可能性があるとされる。2009年9月には、ピッツバーグ市警によって、アメリカのピッツバーグで開催されたG20サミットへの抗議デモに対しLRADが使用された。これはアメリカ国内で警察が使用した初めての例とされ、その後もしばしば使用されている。ピッツバーグでの2009年の実施では見物人が聴覚障害を被り、市は72,000ドルの賠償を行なった中国、手持ち式音波砲を開発・量産へ デモ隊強制排除に使用2019/09/27中国当局の科学技術最高研究機関、中国科学院はこのほど、抗議デモ参加者を制圧するために使う世界初の手持ち式音響兵器(Sonic weapon)を開発したと発表した。今後量産を目指すという。香港問題などで中国国内の社会不安が広がるなか、当局はハイテク技術を駆使して共産党政権の維持を図ろうとしているとの指摘が出ている。中国科学院傘下の理化技術研究所(IPC)は9月18日、同ウェブサイトで伝えた。このニュースリリースによれば、IPCは国家重点の開発計画である「重大社会安定事件の現場対処技術および装備の研究開発」を担っている。IPCは9月4日、同計画の一部である「警官用携帯型の低周波強音指向性駆散の技術および装備の研究開発」に関する研究発表会を北京で開催した。IPCは、同技術の開発に「湖南省軽武器研究所有限公司、中国軍の陸軍特色医学センター、公安部第一研究所」も参加したとした。研究チームは、「低周波強音の生物学的効果の評価技術に関する研究をも成功した」し、4日の発表会でプロトタイプを公開した。専門家らは「早期に配備するよう」と提案した。中国科学院も18日、世界初の治安維持用携帯式音波砲を開発したと公表した。IPCのウェブサイト上では同ニュースリリースがすでに削除された。ただ、中国国内ポータルサイト「新浪網」では、中国科学院の発表とIPCの研究成果に関する報道が22日から掲載されている。香港英字紙サウス・チャイナ・モーニング・ポスト19日付は、中国側が開発した手持ち式音波兵器の外見は一般のライフル銃と似ていると報じた。デモ参加者を排除するために、低周波音波を投射するという。研究チームの主要担当科学者、謝秀娟氏は同紙の取材に応じ、音波砲の一部の構造を紹介した。しかし、謝氏は同装置が使う周波数や使用用途についてのコメントを控えたという。音響兵器で音波を投射することで、人の聴覚器官や脳にダメージを与え、行動と判断の能力を失うという。1940年代の研究では、低周波はめまい、頭痛、嘔吐、失禁、心臓病の発作、器官損傷などを引き起こす恐れがあると分かった。新浪網22日付の同報道は、「(IPCの)科学者は、この装備によって、極度の不快感を招くほか、鼓膜、眼球、胃、肝臓と脳の震動という生物学的な効果を引き起こすことができると話した」とした。在米中国時事評論家の鄭浩昌氏は、西側一部の国の政府はテロ組織を取り締まるために音響兵器を使っているとした。「中国当局が音響兵器を開発したのは、国内政治・経済情勢と関係するだろう。中国当局は、ますます増える抗議者をハイテク技術で鎮圧するしかない」と指摘した。「音響兵器は、被害者に外傷を与えることがなく、痕跡も残らない」と警官隊の心理的負担を減らす作用があると同氏は述べた。中国がインド国境に音響兵器を配備!インド人が嘔吐やめまいを引き起こす!
2023.12.13
45人目の支援者が出現したので、「お礼のメール」を送りました。また大藤先生から「第10回報徳講座」にエールをいただいて、とても喜びました。〇〇様「「現代語訳 鷲山恭平著『報徳開拓者 安居院義道』」をご支援いただきまして誠にありがとうございます。45人目の支援者です。残り31日となりました。それだけに強力なご支援心から感謝します。12月10日(日)大日本報徳社常会で「秦野と安居院庄七」のテーマで講演しました。講演後、大きな反響もありました。また17日(日)にも同じ掛川の大日本報徳社大講堂で「第10回報徳講座」を開催します。私も「安居院庄七と農書」のテーマで講演します。大藤先生(人物叢書「二宮尊徳」著者)からもエールを頂きました。「安居院庄七は様々な観点から研究が進められるべき人物ですので、彼を取り上げられた報徳講座はよい企画だと思います。『現代語 安居院庄七』の御刊行を心待ちにしています。」ご都合がつくようであれば「第10回報徳講座」にご参加ください。目標金額達成のためプロジェクトのシェア等、支援者様のさらなるご協力をしていただけますと幸いです。こちらのリンクをシェアいただければと思います。https://camp-fire.jp/projects/view/710516
2023.12.13
LINEで送られてくる家族自慢写真が辛いに対する鴻上尚史さんの助言・人間関係に悩んだ時、僕はいつも「どっちが苦しいか?」を常に考えます。・「平穏な気持ちで友人関係を続けられる」アイデアが、僕には考えられない・僕が会ってきた本当に素敵な人は、むやみに自慢しません。人から言われることがあっても、自分から自慢を口にしません。満足しているから、その必要がないからです。不安な人や自信がない人、中途半端な人が自慢を続けます。そうして自分を必死で維持します。そのためには、自慢できる他人が絶対に必要なのです。・一人が淋しいという理由で友人を求める人は、友人はできないんじゃないかと僕は思っています。・独りでも充分満足していて、休日に独りで充実して過ごせる人が、他人と友人関係をつくれると思っています・自分なりの時間の過ごし方を見つけて、そこから、ゆっくりと出会いのチャンスを探ってみませんか?・私の『満足する時間の過ごし方』を見つけよう。そうすればきっと、出会うチャンスは素敵な人に会えるチャンスはあるはずだ💛素敵な助言
2023.12.13
「不快臭」のない大豆の量産化実現へ…数万種の突然変異体から「枯れ草臭」少ない品種発見12/12(火) 九州大大学院農学研究院の穴井豊昭教授(植物育種学)らの研究チームは、三つのうち唯一解消できていなかった「枯れ草臭」について、臭いの原因成分が極めて少ない大豆を発見したと発表した。穴井教授はこれまでに、脂肪酸の一種のリノール酸が分解されることで生の大豆や豆乳などに生じる「青臭さ」と、油脂が酸化して起きる「酸敗臭」について、これらを大幅に抑えられる突然変異体を発見してきた。 残る一つが脂肪酸の「フラン酸」が光で分解されて生じる、枯れ草のような臭い。代替肉や油などを陳列、保管している間に光を浴びて臭いを増すため、香料を練り込んだり賞味期限を短く設定したりする必要があった。 チームは食用油大手J―オイルミルズ(東京)の依頼で7年ほど前から対策を模索。世界中の約300品種を調べたが、フラン酸の少ない種は見つからなかった。そこで、これまでの研究で蓄積した数万種の突然変異体から探したところ、フラン酸を通常の10分の1以下しか含まない変異体を発見した。今後、品種のかけ合わせで「三大臭」すべてを克服した大豆を完成させ、栽培実験などを行う。穴井教授は「牛肉や豚肉より環境負荷の小さい大豆が食べやすくなれば、世界中の人に喜んでもらえる。実用化を急ぎたい」と意気込んでいる。*世界初!ダイズ油脂に含まれるフラン酸合成に関与する遺伝⼦を発⾒ポイント・ダイズ油脂中のフラン酸は光照射によって分解され、明所臭と呼ばれる不快臭を発⽣する・フラン酸が減少したダイズ突然変異体を⾒出し、フラン酸の合成に関わる遺伝⼦を解明した・遺伝的にフラン酸を合成せず、不快臭の発⽣が少ないダイズ品種の開発が可能となる概要 従来のダイズ油脂に光が当たると、油脂中に含まれるフラン酸が分解し、3-メチル-2,4-ノナンジオン(3-MND)が⽣成され、明所臭と呼ばれる枯れ草様の不快臭が発⽣することが問題となっており、これを解決するための新たな技術開発が待たれていました。 そこで、九州⼤学⼤学院農学研究院の⽳井豊昭教授と佐賀⼤学農学部の渡邊啓史准教授、J-オイルミルズらの研究グループは、油脂中にフラン酸をほとんど含まないダイズ突然変異体を⾒出し、これを⽤いて、油脂中のフラン酸合成に関わる遺伝⼦を特定することに世界で初めて成功しました。 本研究で得られたフラン酸含量を減少させる突然変異遺伝⼦は明所臭の発⽣が少ないダイズの開発に利⽤でき、油糧作物としての価値を⾼めたダイズ新品種の育成が可能となります。その結果、フラン酸含量の低いダイズ油脂は、油脂のみならずマヨネーズやドレッシングといったダイズ油脂を使⽤する製品の品質改善にも役⽴つことが期待されます。 また、⽳井教授らのグループでは、以前に油脂中のオレイン酸含量を⾼めたダイズ品種の育成にも成功しており、本研究の成果とこれを組み合わせることで、⾼オレイン酸かつフラン酸をほとんど含まない油脂を⽣産するダイズ新品種の育成が可能となり、ダイズ油脂で課題とされていた酸化安定性の増強や油脂の劣化に伴う不快臭の発⽣の軽減が期待されています。
2023.12.13
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